一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2026年3月~)
2026年3月2日
朝刊はどこも米国とイスラエルによるイランへの軍事攻撃によるもので【最高指導者ハメネイ師死亡 イラン体制重大局面 米と双方攻撃強化へ イラン小学校148人死亡】(中日)【ハメネイ師殺害 米イスラエル攻撃 イラン報復激化必至】【「力こそ正義」認めぬ 外信部長篠田航一】(毎日)といった内容である。血を血で洗う人間の醜い習性が露わになっている。トランプさんよ。あなたは何を考えているのか、と言いたくもなる。嘆かわしい限り、とは。このことか。
そして。夕刊はさらに【ホルムズ海峡封鎖状態 イラン 商船三井に通行禁止 米兵3人戦死初確認】(中日)【ハメネイ師殺害後も攻撃 米イスラエル政府施設破壊 イラン、周辺国に報復拡大】【米、暫定指導部と対話へ トランプ氏「作戦は4週間】【NY原油、一時12%超高 日経平均、一時1500円超安】(日経)と火に油を注ぐとは、このことか。ニンゲンとは。なんと愚かな存在なのか。戦争の悲劇が拡大されていく。
きのう無事、表彰式が終わった多治見市文芸祭=私が審査を担当した小説部門の文芸祭賞は加藤早緑さん(多治見市)の【赤志野の里】と決定=の小説部門の応募作品を一作ずつもう一度チェックし、自宅近く江南市内のヤマト運輸まで出向いて文芸祭事務局(多治見市図書館内)あてに送る。一作一作をあらためてチェックして確認したこともあり、結構の時間がかかった。いずれにせよ、ことしもなかなかの力作ぞろいで応募全作を読むのには体力的にも少しばかり疲れたが、先ずはホッとしたというところか。
選評は多治見市発行の令和7年度第59回多治見市文芸祭作品集に詳しいので読んで頂けたら幸いである。
(3月1日)
今は亡き私にとっては最愛の妻だった、たつ江(俳号は伊神舞子)の誕生日である。
彼女は2月29日生まれだったので、生前は4年に1度しか年を取らなかった。だからか、いつも若々しくあったことも確かである。その彼女も、4年前の10月15日に満69歳で江南厚生病院の緩和西病棟812号室で容赦なき神の導きなのか。病いのため天に召されたのである。早いものであれから丸4年がたつ。私は、この4年余というもの、私が毎日涙にくれてきたことも確かだ。
多治見市文芸祭小説の部の審査員である関係できょうは名鉄とJRを乗り継いで岐阜県多治見市のヤマカまなびパークに出向いた。金山で名鉄からJRに乗り換えての多治見行は、どこか心が弾むひとときでもあった。最初は昼食を食べながらの懇談だった(このあと表彰式が行われた)が、市の担当者はじめ、エッセイの審査員である藤高あつこさん(長澤敦子さん)らだれもが何より、こ・こ・ろの広い方たちばかりで久しぶりに楽しいひとときとなったのである。
そればかりか、会場には、私の大垣支局長時代の同人誌「長良文学」の同人仲間だった当時からの文学の友で現在は中部ペンクラブ理事、多治見市文芸祭の運営委員でもある椿井愛一郎さん(俳人、大垣市在住)も顔を見せられ、貴重で有意義ななひとときとなった。
この日。雨も降っていない絶好の日よりなのに。多治見市内の表彰式会場に足を進めながら私はなぜか先年、まだまだ若いのに死んで逝った「苦役列車」で知られた芥川賞作家西村賢太さんのことが無性に思い出されて仕方なかった。正直で優しい、いい人物だった。のに、だ。なぜ、あれほどまでに早く酔いつぶれるように人生を閉じ、逝ってしまったのだ、とあらためて親しみ深い顔が思い出されるのであった。
彼は、かつて私が新聞社の七尾支局長であったころ、どうしたわけか、私に「会いたい、会いたいです」と何度も何度もわざわざ訪ねてくれ、どこだったか、七尾市内の寺院の境内一角で屋根からポタポタこの世に堕ちてくる雨に全身打たれながら【文とは。書くとは】について、とことん、それこそ何時間も話し合った、あの日のことが思い出されてしかたなかったのである。
文をなぜ書くのか。書く以上、だれにもわかりやすく、かつ相手の心の中に飛び込んで書くことこそが、寛容である。私と彼、賢太は雨滴に打たれながら、それこそ半日以上もトコトン、私(当時のペンネームは伊神ごん。処女作【泣かんとこ 風記者ごん!】が毎週ベストセラー入りしていた)と話し合った、あの日の真剣なまなざしが思い出されたのである。
西村青年は、それからしばらくして【苦役列車】で見事、芥川賞を射止めた。なぜ、そんなことを思い出したのかは私にも分からない。ただ、熱心だったあの当時の西村賢太さんのひたむきさだけは、きょうの受章者一人ひとりに分かってほしかった。だからなのかもしれない。しかし、この日私はその後の入賞者を交えての講評会で、あえて西村賢太さんに関することには、ふれなかったのである。彼の晩年の筆の荒れ方、それだけは見習ってほしくはない。そう確信をもって思っていたからかもしれない。若き日と崩れた日々の〝賢太〟氏の両方が私の中では今も生きている。だからかもしれない。
作家は真にどこまでも身を削って、作品を書き続けなければいけない。そして作家の矜持を、どこまでも忘れてはいけないからである。