【マボロシ日記】うらしまたろう、真夏の大冒険

 人が辞めてしまって困っているから手伝ってほしいと、知り合いから紹介されて、1日に電話をもらい、2日に面接して、3日から勤務というものすごいスピードで、その仕事は決まった。
 今まで避けてきたオフィスワーク、である。自分にできるのかと不安がよぎったが、書類を印刷して穴を開けてファイルに綴じるだけと聞き、手伝ってもいいかなと思った。
 デスクに一日中座りっぱなしは性に合わないからと、これまで事務はずっと敬遠してきたのだが、やってみることにした。
 社長は毎日全国を飛び回っていて不在で、オフィスには私ただ一人残る。気楽ではあるのだが・・・。

 朝は、カギを開けるところから始まる。その前に、24時間警備を解除する。暗証番号がいる。カギを取り出すにも暗証番号があり、最初の頃はそれも覚えられなかった。
 ビルの一室の部屋に入り、明かりを点けて、パソコンの電源を入れる。ノートパソコンに慣れた身に、久しぶりのデスクトップパソコンだ。その電源の場所が分かりにくい。大きな箱に電源がついていて、それを押すのだが、似たようなボタンが複数付いていて戸惑う。
 未体験の業界。事務という分野。専門的で特殊な仕事であり、そもそも言葉が通じない。指示されても何をすれば良いか分からない。パソコンを立ち上げると、おびただしい数のフォルダがあり、その中から作業する複数のファイルを探し出すのだが、それが一苦労だ。
 2カ月前に、社員が一度にやめたという。先輩がいないため、聞く人がいない。探しても、引き継ぎ書類は出てこない。多忙な社長は電話に出ない。だが、パートとはいえ雇用主は賃金を払うのだから、それなりの労働を求めるのは当然だろう。
 かつては、電話に出るのが得意だった。今は会社に電話などないから、その実力も発揮できない。FAXもないのだ。用のある相手に直接電話し、書類もメールに添付してちょちょいのちょいで送れる。
 社員としてしっかり会社勤めしていたのは、かれこれ28年前。あの頃は毎日残業、休日出勤、大変だったけど、仕事が楽しくてやりがいがあって夜の酒のお付き合いもした。その後独立開業し、結婚し、子どもを産み育てた。
 ママたちに、実質世の中は社員ではなく「パート」という選択肢しか与えない。原始から続く子を守る母の性質に抗えないのが不思議だが、子育て優先で近場の職場、残業なし、土日休み、という条件だと、低賃金で社会保障なしという会社の都合の良い働き方を選択せざるを得なくなる。男女雇用機会均等法施行後に就職したものの、やがてママとなった女性たちに現実を突きつけ、どうせ捨て駒なんだと、やる気を失わせた。
 主夫がいたり、健勝なじぃじばぁばが近くにいたりする場合を除いて、多くのママたちは、コンビニやスーパーや工場や内職で小銭を稼ぐ。女性が輝くとか、一億総活躍なんて夢物語で、パートと若い外国人実習生たちが日本を底支えしている。パートが帰っても、外国人実習生はずっと働く。2カ月もの間休みなしもざらという。パートが重くて持てない荷物を持ち、過酷な長時間労働だけでなく、日本人社員の恫喝や暴力にも耐え忍び、稼いで帰る。
 おばちゃんパートはもう他所に行きたくても行けないから、新参者のママパートをいじめて自分の立場を守る。パパたちの給料はここ30年上がっていない。物価、教育費は上がり続けているので、ママたちはひたすら耐えて働くしかない。家に残した子どもたちに罪悪感を覚えながら。

 私が社員としてバリバリと音が出るほど仕事に燃えていた平成7年に、マイクロソフト社はウインドウズ95を発売し、11月に日本語版が導入されパソコンが普及した。その後ウインドウズ98、ウインドウズXP、ウインドウズ7、ウインドウズ8と進化し続け、いまやウインドウズ10の時代である。
 私が、死を覚悟して2人出産し、寝ず、髪を振り乱して育児をしてやつれ果てている間に、ウインドウズはどんどん進化していた。そのことを、愚かな私は計算に入れていなかった。
 その結果「アナログですね」と言われてしまったのだ。私はうらしまたろうだったのだ。
 もっと若い新入社員なら、一から学ぶということもできるが、それには遅すぎると思えた。ずっと結婚なんてしないで子どもなんて産まないで会社で仕事をしていたら、進化にも対応できていたと思うが、それも後の祭りだ。
 そんなことをじりじりと思いながら半年経ち、エクセル、ワード、パワポのスキルもゆっくりだが上達した。事務も少しできる、そんなちっぽけな自信も密かに心に芽生えた。きっと無駄な経験ではなかったと思いながら、〇歳、(春から夏にかけての)大冒険に幕を下ろした。(了)