いがみの権太の『野球日記』(その1)

平成二十二年四月三十日
 ボクは、ゴンタクレ。歌舞伎「義経千本桜」に出てくる、どうにもならない男、すなわち、憎ったらしいけど、かわいいヤツとして舞台に登場する“いがみの権太”で、常々、この世で一番悪いヤツだと、自身に言い聞かせてもいる。

 事実、つい先日も何の罪もない人をひどく傷つけてしまった。「生後六カ月」のだいじな赤ちゃんの年を、何を勘違いしてか「一歳六カ月」と思い込んでしまい、熱烈ドラゴンズファンの若いお母さんからお叱りを受けたのだ。こんなとき、ボクはすぐに謝り、深く反省する。
 でも、それ以上は自分を責めない。なぜかって。ニンゲン、誰とて過ちを冒すいきものだからである。これだけは、避けて通ることなどできない。以降、間違いのないように心がけるほかない。

 ヒロシマスタジアムのチェン投手を見ていると、投げても投げても、貧打が災いして、なかなか勝てない。歯車が逆回転するーこういう時って、よくあるものだ。かつて新聞社の支局長でいたころ、同じ記者が人の名前や住所など基本的な間違いを立て続けに三回したことがある。さすがに何やっとるんだ! と、どなりつけた。
 当時、訂正記事を出すに当たっては、そのつど始末書なるものを出させていた。それでも、三回も続いたとなると、なんだか、こちらまでがかわいそうな気持ちになってくる。また、皮肉なことにそうした記者に限って足を棒にして特ダネをよく、ものにしてきたりする働き者だったりする。自ら危険な道を避け、ノホホンとしている記者に限って過ちは少ない。とはいうものの、いったん間違えれば、特ダネよりも誤りのない紙面が強調される、のがこの世の習いである。

 今夜のヒロシマスタジアム。ドラゴンズは、先発の小笠原投手が、あれほど打撃不振だった広島に11安打9点の猛攻を浴び、あえなく費えた。あれだけ、こてんぱんに打たれると、ボクたちファンの一人ひとりが何か悪いことでもしてボカスカと頭を殴られている、といった、そんな錯覚にまでとらわれる。ドラゴンズは、今シーズン、マツダスタジアムでまだ一度も勝ててはおらず、これで同スタジアム4連敗の苦渋をなめた。
 テレビのスポーツニュースを見ていて気付いたが、このところのプロ野球には連勝や連敗が、やたら多い。ヤクルトの5連敗、ソフトバンクの4連勝、阪神と横浜の3連勝…といった具合だ。いったい、これはどうしたことか。プロ野球チームは、むらっけが多いのか。それとも何か、からくりがあるのか。数字をにらんでいると、連敗や連勝の少ないチームがリーグ優勝しそうな気がしてきた。

 ところで、この世には運・鈍・根という言葉がある。
 金田一京助さんの「新明解国語辞典」によれば、「幸運を待つ事。余り才気に走らない事。根気強く粘る事、この三つが世渡りの秘訣(ひけつ)だ、という考え方」とある。あとは運・鈍・根に頼るしかないのか。

平成二十二年四月二十九日
 きょうは昭和天皇の誕生日。すなわち祝日・昭和の日である。高校時代、名物の時計台をバックに、野球部員が来る日も来る日も、真っ黒な顔を並べてランニングやトスバッティング、ノックに追われていた日々が懐かしく思い出される。

 相も変わらず毎日毎日、この野球日記を「これでもか」と性懲りもなく書いている。ボクの場合、野球を知らない部族の人間だけにプレーなど技術的なことになると、からきしダメである。だから、そうしたことは書けない。ただ、この地に育っただけに、尾張名古屋を愛する如く中日ドラゴンズを愛している。だから、2006年に中日ドラゴンズ公式ファンクラブが出来ると同時に、妻と入会しファンの片隅に入れさせていただいた。それだけのことだ。

 かといって、妻の言うとおり「だんだん、プロ野球の世界にかぶれてきているみたい」で、スポーツニュースなどで「ドラゴンズ勝利」の報道を聞くと、やはりうれしい。そのドラゴンズが、きょうは惜しくも巨人に3―1で負けた。毎度のこととはいえ、やはり、悔しい。先発のチェン投手は、それなりによく投げたのに、どうしてと悔やまれる。

 連休入りの初日。目を町なかに移してみるとー
 自転車を漕ぐ女性から、散歩をしている親子や男女、ユニホームを着て集団で野球の練習に向かう少年たち、車を運転中の男性、道路をとぼとぼ歩く人々…など。木曽川河畔のこの町では、多くの人々がそれぞれの思いを胸に歩いている。皆、真剣だ。誰一人として、悪い人などはいないはずなのに。ファン同士の過剰さがたたり、時に同じドラゴンズに生きがいを感じながら、妬みや思い込みなぞ、ささいなことからファン同士が互いにいがみ合う、そんな場面にも何度かぶち当たる。

 そうした時、ボクは心のなかで次のように叫び、自らに言い聞かせる。
 「この世に生きている人は、みんないい人ばかりなのだ。ワルイヒトなんて一人もいない。みんな、いずれはこの世から消えてゆくかよわき人間たちばかりなのだ」と。
 なかには最近はやりのツィッターとかいう、いわゆる“つぶやき”とかで、互いに不信感に陥ったりする例まであるらしい。どちらが云々以前に、思慮のない幼稚さが招いたトラブルであることだけは確かで、言葉もない。

 確かにファンの勝手であるには違いない。が、あまりに傾斜し深入りしすぎると、手をかまれる、よい例だといえる。いずれにせよ、人間たちはみな懸命に生きている。たとえ相手を傷つける人間が居たとしても、そこは性善説を取り、失敗を反省して馬鹿になって、大目に見ることも大切だ。もしこのブログを読んで心当たりがある人がいたとしたら、ボクは言いたい。
 何はともあれ、純粋に野球を楽しむファンであれ! と。野暮な欲得、色けばかりを思っているから、そうしたことになる。ことは、もっと慎重で健全であるべきだ。

 一方で、就職難のなか、まともな食生活すら、できず日々、苦しんでいる人々は数多い。肯定は決してしないがダフ屋だって、生活がかかっているに違いない。それに比べたら、プロ野球選手ほど恵まれた年俸のなかで日々を過ごせる人種は、そうざらには居ない。それだけに、せめて中身の濃い試合だけは見せてほしい。
 幸い、きょうの巨人戦は、森野選手の痛恨のエラーをのぞけば、結構見応えのある試合内容ではあった(この貧打では何を言っても無駄とは分かりつつ)。この不景気の時代に、給料の大半をドラゴンズの観戦代に注ぎ込んでいるファンも数知れない。こうしたファンに納得ゆくプレーを見せてこそ、プロといえよう。

平成二十二年四月二十八日
 ナゴヤドームでの巨人戦は、8―2で勝った。うれしい、というよりもホッとした。巨人戦には、これまで3連敗で今夜も負けたら、勝利という名の階段を真っ逆さまに、転げ落ちかねない、そんな乗るか反るかの剣が峰に立っていたからだ。
 ルーキー大島選手が2本の適時打を放てば、ベテラン和田も3打数3安打と打ちに打ち、吉見も付け入るスキを与えない好投で、前夜のうっぷんを晴らしてくれた。そう! やれば出来るのだ、とファンの誰もが納得のひと夜でもある。それにしても、勝利という味覚のない「味」が、これほどまでにおいしいものだった、とは。暗いトンネルをやっと抜け出てくれた。巨人の一角を崩すことが出来たのである。

 柔(やわら)の道で一番、大切なのがこの「崩し」である。どんなに相手が大きくても右か、左か、前か、後ろか、のいずれかの方向に相手の体を崩してしまう。崩すには、当然ながら引き手が伴う。分かりやすく言えば、左右を含む前のめりか、後ろにのけぞらせてしまう。こうすれば、しめたものだ。あとは引き手をうまく生かして技をかければ、相手を倒せる。
 十代の後半。ちいさな巨人でもあった三船久蔵十段にあこがれ、来る日も来る日も柔道に明け暮れていたころの講道館柔道三段戦。私は、この場で三段戦の実技に臨み、与えられた身長一メートル八十センチ以上の相手ばかり四人全員を投げ飛ばし、抜群戦に出たことがある。
 あのときは、まさにその崩しが冴えていた。崩しと引き手だけで、相手を畳にたたきつける技の典型がすみ落とし、いわゆる空気投げというヤツで、よくこの技も試みたものである。社会に出て新聞記者の世界に入り、相手の心を落とす時にも、この『崩し』が冴えた時は、特ダネをものに出来、いまいちの時には一敗地にまみれた。取材相手と気が合う、合わないも大いに左右し、とうとう崩せないことも、よくあった。

 話がそれたが、この人生。生かすも殺すも、相手の姿勢をまず崩す、相手の心をとらえることが出来るかどうか、だ。恋とて、商売、人間関係だって同じこと。自分だけが、その気になった一人芝居をしたところで、相手を崩さないことには何も始まらない。女であれ、男であれ、崩すに値しない相手に、いつまでもこだわって見たところでも仕方ない。そんなものは自らの意識から捨て去ってやる。それだけのことだ。

 今夜の巨人戦。その戦いぶりを見ながら、野球も、柔の道も、人生街道とて、みな同じこと。勝負は相手を崩すことから始まる。崩すためには、日ごろからの鍛錬(練習量とでも言おうか)と強い忍耐と精神力が欠かせない。巨人は、崩すに値するチームだけに、やっつけがいもあろうというものだ。明日からのドラゴンズ。前のめりになった巨人を相手に大いに期待してよいと思うのは、ボクだけか。

平成二十二年四月二十七日
 きょうのプロ野球ニュースは、と言えばー
 なんといっても米メジャーリーグのエンゼルス・松井秀喜外野手が、二十六日(日本時間二十七日)、インディアンス戦でマリナーズのイチロー外野手に続き、メジャー八年目で米通算1000本安打を達成したことだ。彼は記者団の質問に「いつかは(この日が)来なくちゃいけないと思っていました」と淡々と答えている。そして同じ日、イチロー外野手も2盗を決めている。相手チームの捕手が一度も2塁に投げられない、まさに彼ならでは、の「電光石火の快足」が多くのファンを喜ばせた。

 日本のプロ野球の方は、といえば。
 ドラゴンズはナゴヤドームで宿敵・巨人と相対したが朝倉投手が打ち込まれ、8―0の大敗。こういうのを、ボロ負けというのだろう。これほどコテンパンにやられてしまうと、何を言ってよいのか、が分からない。きょうからの巨人との三連戦は序盤戦での天王山ともいえる重要な戦いだけに、初戦からの痛い一敗は、ファンの夢が頭からガシャンとかき消されたような、そんな惨めな気持ちである。期待が大きかっただけに、ショックも大きい。

 ボクに限らずファンというものは、なんとでも言う。
 案の定、深夜から未明にかけ、「あまりの不甲斐なさに不貞寝してしまい、今起きました。東京で常に読売と対峙している立場でありますため、読売に一方的に、しかも本拠地ナゴヤで負けるのは耐えられないものがあります」とか「せっかくナゴド(ナゴヤドーム)まで行ってきたのに。中日、なにやっとるの。アカンな、このまんまでは。また巨人にやられてしまうに」など怒りの刃(やいば)ばかり数件、ボクの手元にメールや電話で飛び込んできた。

 それに引き換え、巨人は左太ももの故障で期待の松本哲也外野手が登録抹消されはしたものの、松本選手と同じように育成選手から1軍にはい上がってきた愛知工業大学出身の星野真澄投手がここにきて急成長し、野球ファンの心を捉えている。

 悪いときは相手チームが輝いて、よく見えるものだ。
 元巨人軍監督の長嶋茂雄さんじゃないけれど、ドラゴンズも何かメイクドラマやってくれないかな。みんな待っているのだから。これが本物のプロ野球なのだ、という奥の手を。見せてくださいよ、ネッ、落合さん! みんなあなたの才能と努力、天運を信じて待っているのだから。まだまだ、これからです。

平成二十二年四月二十六日
 月曜日なのでプロ野球の試合はない。
 ドラゴンズがたとえ負けてはいても、テレビやラジオから聞こえてくる、あのアナウンサーたちの歓喜の絶叫を聞くわけにもいかない。ということは、その分だけ、胸のなかにポッカリと大きな空洞が出来ているような、そんな感じさえするのである。

 試合がない日は、正直いってどこか寂しい。ドラゴンズの選手たちの活躍を見たり聞いたりすることが出来ない。それだけのことなのに、だ。
 逆に試合があれば、それだけで「きょうもドラゴンズの選手たちがどこかで戦っているはずだ」と、不思議な安心感に包まれる。

 今ごろ、ドラゴンズの選手たちはどこで何をしているのだろう。家族団らんのひとときを過ごしているのか。
 そういえば、つい最近、和田選手夫妻に第三子が生まれたという。それも三人とも男の子だったという。めでたしめでたしだ。遅まきながら、心からおめでとう、と一人の和田ファンとして祝福したい。

 夜に入り、ボクの携帯にメールが入ってきた。
 何事か、とチェックすると、野球好きの作家仲間で日本ペンクラブ会員・小中陽太郎さんからで「ゴンタさん、中日さんが発行されているプロ野球年鑑って、さ。東京でもすごく評判いいね。孫が、その年鑑とやらを欲しくて仕方ないんだってさ…、どうしたら手に入るの。教えてほしい」との質問だった。
 それでも、悪い気はしない。わが家は、もちろん中日スポーツの愛読者だから、先日、販売店から届けていただいた一冊がある。だから、これを送ろう。でも、この一冊、わざわざ暇を割くのだから、高くつきますぞ(笑い)。

 小中さんといえば、つい最近、東京地裁から完全勝訴の判決が出された「沖縄密約訴訟」の原告団の一人。かつては、小田実さんらとベトナム戦争に身を挺して反対したべ兵連の闘士でも知られ、「今こそ平和を実現する」など多くの著作でも知られている。まさか、その小中さんからプロ野球年鑑の話が飛び出そうとは、夢にも思はなかった。

平成二十二年四月二十五日
 きょうは、敵地・甲子園で山口壮馬投手が投げ、タイガースに8―4で勝ち、プロに入ってから初の勝利をものにした。

 試合後、さっそくケータイ電話の「ドラゴンズ☆パーク」をのぞいてみると、こんな書き込みが並んでいた。
 「(きょうの勝利は)壮馬くんと、大島くんの、活躍があったからこそ、だと思います。壮馬くん、プロ初勝利おめでとうございます! 大島くん、プロ初打点おめでとうございます!  最高の、誕生日です 」(ハンドルネーム・ショウ@ちゃん) 「プロ初勝利 アクシデントがなければまだ行けたと思いますし最近の先発の中でもしっかり投げてくれた方だと思います」(GAちゃん)「今日の試合は山内投手の粘投につきると思います。ランナーを出しても堂々と投球しているように見えました。この勢いで火曜からの巨人戦に3連勝してもらいましょう。そして、山内投手には新人王を目指してほしいです」(みな美風)
 さらに「大量援護がある場合、普通は勝ちを意識しすぎて5回持たずに降りてしまうような選手も多いが、今日は7回途中までしっかり試合を作ることができたので、初勝利が得られたのだと思います。」(ハンドルネーム・かつ)といったものまで。

 ファンとは、ありがたいものだ。
 ボクは、あらためてこうした熱心なファンに感謝しつつ、ドラパ画面に見入った。
 一方で、けさの中日スポーツ1面トップ見出しは「落合監督出直し」「セサル2軍 虎に連敗下位打線テコ入れ」という内容である。1軍から消える選手がいれば、2軍からはい上がって来た選手もいる。すべてが実力の世界で、そこには当然ながら選手同士、し烈な争いがある。

平成二十二年四月二十四日
 沖縄の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で鹿児島・徳之島案が出たかと思えば、現行「辺野古埋め立て容認」案の急浮上(米紙報道)、これに対して政府が否定するーなどこのところ、大揺れの鳩山由紀夫内閣。外野で見ていると、二転三転する鳩山政権の体たらくにも限度がある。いったい首相は何をしているのか。とっとと、降板してしまえ、とも言いたくなる。

 なぜ、一見、野球とは関係ない、こんな話を持ち出したのか。というのは、中日ドラゴンズにとって沖縄は毎年、春季キャンプで大変、お世話になっており、普天間移設問題がひとごとではないからだ。ドラゴンズは毎年、北谷と読谷の両球場(読谷の場合、詳しくは読谷村平和の森球場)でキャンプをしているが、現に二十五日には、読谷村で県内移設に反対する県民大会が開かれる。キャンプ地の目と鼻の先には、普天間飛行場があり、それどころか、あの忌まわしい太平洋戦争で沖縄玉砕の島への端緒となった陸地からの米軍総攻撃の舞台、残波(ざんぱ)岬一帯もある。

 これは決して言い逃れではない。
 鳩山政権と比べたら、プロ野球の選手たちは、みな本当によく闘っている。ファンや子どもたちの夢に応えよう、と一生懸命だ。エラーをしたり、四球を出したり、空ぶりの三振をしたり、本塁打を打たれたりしたら、ガクリとうな垂れ、その表情から悔しさが伝わってくる。どこかの国の政治家一人ひとりに見せてあげたい純粋さだ。だから野球人気は衰えない。

 その野球の方だが、ドラゴンズはきょうも甲子園でのデーゲームで3―1で敗れた。負けようと思って試合に臨む選手などだれ一人いない。けれど、敗れた。どうやら、あの茶目っ気たっぷりで、どこかしら、ほおってはおけないセサル選手も2軍おちのようだ。勝負の世界は厳しい。でも、また這い上がってこれば良い。

 ここでドラゴンズの大ファンだと言う岡田さん(克也外相)に。
 「普天間の方、あちら立てればこちら立たずで、至難の技でしょうが、どうか後世に残る名政治家として沖縄県民の心だけはないがしろにすることのないように」と。
 ボクからのお願いです。

平成二十二年四月二十三日
 ところは甲子園。
 ドラゴンズの駆逐艦ともいえるチェン投手が4、5回と突如として崩れたーこの後は阪神タイガースの新井、城島らにめった打ちされ、7―1であえなく沈む。チェンは好きな投手だけに、心が痛んでいる。
 この夜のチェンを見ていると、試合の流れをつくろうとする欲が出た、その瞬間から戦局が裏目に出た気がしてならない。吉見と並ぶもう一人のエースとしての気負いが悪い結果を誘い込んだ。焦れば焦るほどに歯車は逆転し、坂道を転げ落ちていった。独りで相撲を取ろうとして、牙をむいたタイガースに木っ端無尽に粉砕された。

 チェンには今夜、美空ひばりの次の歌を与えておきたい。
 ♪ 勝つと思うな 思えば負けよ
 言わずと知れた「柔(やわら)」だ。
 もしかしたら、チェンはこの日本の歌を知らないかも知らない。歌詞は「負けてもともと この胸の…」と続くが、日本古来の柔(やわら)の精神からすれば「勝とう」と思う、その瞬間にスキが生じる。今夜のチェンには明らかにスキがあった。余計なことを思う心。そこにスキが生じた。だから負けた。皮肉なことに柔の道である「精力善用 自他共栄」には役立ったか。

 それはそうと、チェン投手にあこがれを抱く女性ファンたちが、どれほど傷つき哀しんだことか。ナゴヤドームで働くA子さんはじめ、身近にもそうした女性がたくさんいるだけに、ボクにとっても寂しく切ない夜となった。

 女性といえば、昨年8月に設立された日本女子プロ野球リーグの開幕戦がきょう、わかさスタジアム京都で開かれ、兵庫スイングスマイリーズが8―0で京都アストドリームズに快勝した。プロ野球が年々、進化している証しといえよう。

平成二十二年四月二十二日
 帰宅すると“むさしのガブリ”を自認する東京・調布市に住む落合信者のその男性ドラゴンズファンから、昭和プロ野球秘史の副題付きの本「あの頃、こんな球場があった」(草思社、佐野正幸著)が送られてきていた。本の帯には「球場は消えても、思い出は消えない。 応援人生40年の著者がつづる球場秘話。おかしくてちょっと切ない16球場の物語!」とある。

 本のなかには一枚のはがきが挟まれており、「毎日『野球日記』を書かれていることに敬服、感謝いたしております。お礼と申し上げるほどのものではございませんが、以前より気になっていた本を拝送申し上げます」と書かれ、文面は次のように続いていた。
 ―この中に出てくる「武蔵野グリーンパーク球場」は私の実家から歩いても10分ぐらいのところで、世が世ならばそこでドラゴンズを見られたのに…と廃止を惜しんでおります。こけら落としは名古屋軍、つまりドラゴンズの試合だったようで武蔵野にドラゴンズが来てくれたことを昔のこととはいえ、嬉しく思っています。(原文どおり)
 「世が世ならば、そこでドラゴンズを見られた」とは。つくづくファンとは、ありがたきかな、である。心からありがとう。早速、読ませていただきます。

 ところで、この本に出てくる16球場は、武蔵野グリーンパークのほかに、日生、早大安部、後楽園、駒澤、川崎、ゲーリック、平和台、藤井寺、県営宮城、洲崎、大阪、札幌市営、西宮、上井草球場と東京スタジアム。あいにく昨年、還暦を迎えたナゴヤ球場は入ってはいない。

 ナゴヤ球場と言えば、忘れられないことがある。
 昭和五十年代、世間を騒がせて巨人に入団したばかりの、あの江川卓投手がナゴヤ球場で初めて登板するということで、当時、社会部員で中川警察署回りだったボクは地元中川署長のAさんとともに連日、球場に詰めたことがある。怒号に野次、投石…と、ナゴヤの観客があまりに過激だったため、江川投手に被害が及ぶことを恐れて警戒取材に当たったのである。
 案の定、球場入りする江川投手には心ない一部の観客から「この、ろくでなし! おまえなんかナゴヤ球場のマウンドに立たせるものか」と言った罵倒が雨、アラレと浴びせられた。中には小石が江川投手のその部分を狙って投げられるーなど球場全体が緊迫、一触即発のときが流れていったのである。

 あのときの江川投手は、どんな思いでマウンドに立ったのか。ナゴヤの人は、言葉がどぎつくて、おそぎゃあ人ばかりだーと今なお思っているかもしれない。機会があれば、一度聞いてみたい。

 今夜のナゴヤドームは、ヤクルトを相手にドラゴンズが3―1。エース吉見投手が3勝目をあげ、ここにきてチームの歯車がかみあってきた。

平成二十二年四月二十一日
 対ヤクルト戦。「ドラゴンズ戦終了後すぐ読める新聞」のケータイ中スポによれば、2―2の引き分けだった。同じ引き分けでも敗北感の漂うものと、そうでないものがある。今夜のそれは、どちらか。人それぞれに思いは違うだろう。
 ボクの場合は終盤、逆転のチャンスを逃しはしたが、最初リードされていたところを追いついた点で良し、としよう。負けはしなかったのだ、と自身に言い聞かせる。よく耳にし、目にする表現を使わせてもらえば「あすにつながる」引き分けになってくれたら、と願う。

 このところは、かわいい妻・舞が病からの回復合戦中のため毎朝、病院へ。そこから出勤し夜、いったん帰宅後に息子と病院へ。すなわち家、病院、仕事場、家、病院…といった毎日だ。まるで殺しやサンズイ(新聞記者の世界で言う汚職、の意)かなんかの取材で夜討ち朝駆けをしている錯覚にまで捉われている。昔は歩けば歩くほどに、目が輝き、ドロドロにまで疲れれば疲れるほどに、疲れ果ててこそ、取材感が冴えたことを思い出す。これでもか、これでもか、と自らを鼓舞し足を棒にしたものだ。

 共通するのは、事件はきっと解決する(病はきっと治る)という確信めいた強い意志だが、皮肉にも解決しないことだって当然ありうる。ただ、それだけである。ボクは、わが家の大事件の全面解決を念じてきょうも歩いてゆくのだ。プロ野球選手たち、すなわち落合戦士の一人ひとりが、勝利を目指して歩き続けるように、だ。相手があることだから、完敗したらした時だ。

 人間たちは、皆このように、それぞれの思いのなかを歩いているのである。雨の日も晴れの日も雪の日も、だ。何もボクだけが歩いているわけでない。何万、何億という意思たちがこの世を歩いているのである。

平成二十二年四月二十日
 夜遅く。ケータイ中スポのドラゴンズ情報を見る。
 3―2でヤクルトに勝っている。
 「うん、ヨシッ」と、天に向かってうなづく。
 果てしない宇宙の片隅。
 この日本でどれだけ多くのドラゴンズファンがスポーツニュースを見たり聞いたり、ケータイ中スポなどでチェックしたりして、勝利の感動で胸をときめかせていることか。

 いやいや、ドラゴンズファンは世界の人口からしたら決して多くなんかはない。世界の人口は、昨年九月現在で六十八億人。これに対して公式ファンクラブの会員は十万七千余人。ということは、他のドラゴンズファンを含めても一万人に一人どころか、六万人に一人もいない希少な存在なのだ。
 まさにドラゴンズファンたちは、世界の片隅で「勝った」「負けた」と言いながら生きている不思議な人間ばかりなのだ。これは、まさに日々演じられているドラゴンズという絆で結ばれた人たちばかりによる家族ショーではないか。ここまで説明してやっと、この広い世界でドラゴンズが「勝つ」ことこそが、真のファンサービスだと分かるのである。

 (勝手な解釈とは知りつつ)なるほど「勝つことこそが、最大のファンサービスです」(落合監督)とは、そういうことだったのか、と思う。
 勝てば、なぜかしら、気が晴れる。うれしくて酒が飲みたくなるが、飲まなくてもいい。ファンのなかには、勝利の歓喜に酒を飲まないではいられない人もいるだろう。ねえー、酒よ。でも、ボクの場合、飲まなくても、負けたときに飲む“やけ酒”よりはいい、と思っている。

 6イニング自責ゼロ、今季初勝利の朝倉投手がナゴヤドームに、とうとう帰ってきてくれた。

平成二十二年四月十九日
 ちいさな子が考え考え、畳(グラウンド)を前に、一生懸命に積み木をやっている。何を思ってか、それまで積み上げてきた積み木を突然、両手でガシャンと壊してしまう。
 あ~ぁ、もったいないと傍らで見るボク。

 きのうまでの広島三連戦を見ていると、せっかくここまで積み上げられてきた「ドラゴンズ」という名の積み木が突然、何者かの手で壊されてしまった、そんなふうに思ったのはボクだけか。坊やの場合と同じように自分で崩してしまったようにも見える。
 それとも、アライバの守備位置・2遊間のコンバートに代表されるチームが次々と自滅してしまったためなのか。どちらなのか。
 開幕から無失点を誇ってきた左右のセットアッパーが無残にも打たれた。ある新聞には「一人が悪くなると、みんな悪くなる」と森ヘッドコーチの談話が載っていた。3戦目で間違いなく、総崩れとなった。

 外から見ていると、用兵にかなり迷っているように見える落合監督。いやいや、そこは名将のなすことで、そうではなく、破壊からの出直しを狙っているのかもしれない。
 (こういう負け方を三つした方が)
 返ってその方がシャキッ、としてチームを立て直せるのか。

 広島での三連敗に子どものころ習った珠算をとっぴにも思い出した。きょうからは「御破算で 願いましては」といきたいものだ。

平成二十二年四月十八日
 夜。
 「きょうは、おそらく勝っただろう」
 舞(妻)が入院している尾張地方のある病院の病室でケータイを取り出してドラゴンズ情報でおもむろに、対広島戦、デーゲームの結果を見る。

 昼間、確認したときには六回表を終わったところで2対0だった。だから当然勝っているに違いないーと思いチェックをすると、ドラゴンズはその後に点を入れられ、4対2で負けていたではないか。ボクの場合、これまでわが家のテレビやラジオでプロ野球の実況中継を見たり、聞いたりしている最中に相手チームに点を入れられると、「見てるから(聞いてるから)ダメなのよ。き・る・の」と舞によく言われ、そのとおりにすることがしばしばだ。
 しばらくすると、いつの間にか、ドラゴンズが得点し逆転していることがよくあるが、舞はそのつど「だから見ていない方が、勝つのだから」と“してやったり”といった面持ちで誇らしげだ。今夜はこれとは逆のケースになってしまった。
 人間心理とは、勝手なものだ。というわけで、ボクはいつもとは反対の悪い結果に「確かめなければよかった」とつくづく思うのである。ケータイを見ようが見まいが、敗戦が勝利になることはなかろうに、だ。

 いずれにせよ、今夜の敗戦には、病院のベッドに伏したままの舞も「負けすぎだよ」と、ひと言だけ話し、くやしそうだ。
 「そう。そう、おまえの言うとおり。このところのドラゴンズは負け過ぎなのだよな」と、いたわるボク。

 「せっかく、きょうこそは、勝ってくれるとばかり思っていたのに」
 妻の声が切なさをいっそう増した。

平成二十二年四月十七日
 役者というものは、どこまでも役者だ。そうした星の下で生まれきたことも確かだろう。

 きょうの夕刊各紙のスポーツ面。
 紙面を飾っていたのは、北陸生まれのあの大リーガー、エンゼルスの松井秀選手である。
 「松井秀 古巣相手に先制弾」(中日)「松井秀先制3号」(毎日)といった具合で、どこもトップ扱いだ。

 何がすごいか、と言えば、この日(米時間の15日)は黒人初の米大リーガー、ジャッキー・ロビンソンのデビューから六十三周年を向え、大リーガーの全選手が故人の背番号「42」をつけてプレーした、まさにその日に、それも古巣のヤンキース戦で4番・指名打者として出場し先制ソロ本塁打を打ったということである。

 どんな作家たちが、どんなシナリオを描いたところで描ききれないドラマ。そのプロ野球の世界で思いもしない名場面を見せてくれたのである。スタンドのヤンキース・ファンが帰ってきたかつての松井秀の快挙に全員が総立ちとなり大喜びだったのは、言うまでもない。それも、このところ沈黙していた15打席ぶりの快音なのである。
 神がかりともいえる。

 スター選手というものは、こうしたものだ、とつくづく思う。昨シーズンまでミスタードラゴンズといわれた立浪選手。彼もナゴヤドームでの最後の公式戦で二塁打を放ち、満場のドラゴンズファンを喜ばせてくれた。彼は明らかにスターだった。ここぞ、という時の一振り。ファンにとって、これほどたまらないことはない。その裏側には、人知れず壮絶な努力があってこその一シーンでもある。

 スター選手がいっぱい、いるドラゴンズなのに。マツダスタジアムで、きょうも広島に紙一重、8―7で負けてしまった。

平成二十二年四月十六日
 いったい「野球」にも中毒症状というものがあるのかどうか。

 仮にドラゴンズが昨日も、きょうも、明日も、そのまた明日も、負け続けたとしよう。
 「もう、いいわ。アカン。これ以上、見とったって、しょうあれへん」(名古屋弁です)とサジを投げてしまうファンがいる一方で、ツルゲネフの台詞じゃないけれど、負けて負けて、さらに負け続けても「あすは、あすこそは」と絶望のなかに希望を見出そうとする人だっているに違いない。

 愛知県扶桑町に住むある男性の場合。妻は今、大病と向き合い、闘っている。
 夫はドラゴンズが勝つつど、妻の顔が「勝った。やったね」とキラリ輝く、その瞬間を忘れない。負けが続き、やっと勝ったりすると全身から笑顔が零れ落ちるという。夫はその時ほど、うれしく思うことはなく、ドラゴンズの勝利こそが、妻にとっての最高の良薬だと思うようになった、という。
 ドラゴンズの存在そのものが患者やその家族にとっては、かけがえのない救世主(メシア)だといってよい。選手一人ひとりには、それほど重いものが託されてもいるのだ。

 好きなチームが勝ち続けるにこしたことはない。でも、負けた時こそ「あすは勝ってほしい」と願う。 負け続けたって心が離れない人こそ、本物のファンだ。ボクは、そんなファンでいたい。

 このことは選手に対しても言える。
 投げても、投げても、勝てない。打てども、打てども、打てない。エラーにつぐエラー(セサルや森野ばかりじゃない)…人間、不思議ないきもので、そうした選手にこそ、魅力を感じる(特に女性に目立つが)。 あなたは、どうですか。大好きなアライ選手が二軍落ちした。見捨てちゃいますか。見捨てなんかしないでしょ?

 今夜のマツダスタジアムでの広島戦。
ドラゴンズは広島に4―3で敗れた。これまで好調だった中継ぎ陣と浅尾投手の不敗神話が、あえなく崩れた。

 逆に広島・前田智のサヨナラ打に、どれだけ多くの野球ファンが励まされ、勇気づけられたことか。前田の場合、昨年故障でプロ入り後初めて一軍出場なしで終わっていただけに、ファンの歓喜がよく分かる。

平成二十二年四月十五日
 けさの中日スポーツ2面。
 「おれたちゃ ドラゴンズ」下のファンクラブ通信「わたし会員で~す」の欄に三重県津市の津安東新聞店が今月四日にドラゴンズファンの読者ばかりを招いて、ナゴヤドームへの観戦ツアーをした、とのニュースが載っていた。
 津安東の日置千秋さんといえば、読者サービスに徹した熱烈ドラファンの店主で知られる。
 この日は後継者の三男・季道さんがマイクロバスで行き帰りのお出迎えをした、という。記事には記念写真が添えられ、男性は公式ファンクラブ初代のブルーメッシュジャージーのユニホーム、女性もピンクのユニホームでそろえ、みな晴れやかだ。
 なかでも2010年のファンクラブ特典である、ピンクのレディースユニホームに身を包んだ女性からは笑顔がこぼれ、誰もがまぶしいほどだった。
 ボクも長年、記者生活をしてきたが、中部圏には日置さんみたいな熱心で情熱的な新聞販売店主がほかにも、いっぱいおいでになる。ドラゴンズの存在は、これら店主さんたちの後ろ盾があればこそ、のものである。

 レディースユニホームといえば、わが家でも現在、病気療養中の妻・舞が、よほど気に入ったのだろう。特典が届くと同時に、ピンクのユニホームに身を包んでしばらくの間、毎日台所に立ち、ア然としたものだ。
 ボクが言うのもおかしい。でも、ほどよくお似合いで、志摩半島で逃亡記者生活をしていたころを久しぶりに思い出させるほどの、かれんさだった。
 それよりも、彼女に一体何が起きたのだろう、と心配になるほどに、朝起きても、夜、帰宅してもいつも、嬉しそうにして『ピンク』で身を包んでいたのである。どうしたら、このユニホームを脱がせることができるのか。
 野球を知らない舞が、このままだと、ピンクのユニホーム姿でスーパーまで行きかねない、発狂したのか、と内心、気をもんだことがあるほどだ。
 それにしても、女性たちはなぜピンクを好むのだろう。不思議な感じがする。

 中日スポーツといえば、全国のドラゴンズファン注視の的が落合監督に迫った『オレ流語録』のコーナーだ。民謡なら、さしずめ正調木曽節、正調野球節とでも言えようか。ドラゴンズ戦士たちの現在進行中である試合の歴史そのものが凝縮し詰み込まれている。
 本日付では「(両軍先発のデキよりも…)やらずの5点。なんでもない5点」の下りが光り、このところ、このコーナーの充実がめだつ。
 東北は秋田育ちの落合監督は元々、寡黙な男が持ち前だったはずだが。監督周辺に何が起きたのか。だれか好きな人でも現れたのか。
 監督への愛ひと筋の信子さんに、その訳を聞いてみたい。いつも温かく見守っている彼女ならば、その奥の奥までを知っているだろう。
 それとも、監督の心を揺るがし、言葉を引き出す優秀な記者が、とうとう、この世に現れ出たのか(チト、大げさすぎるか)。人間とは、勝手なもので(いや、いがみの権太・ゴンタクレだけかも知れぬが)、ここまでくると、たまには、しゃべらないで記者たちを困らせ、考えさせてやってほしい。

 今夜のナゴヤドーム。対横浜戦はエース吉見が投げ、落合中日が7―4で横浜を突き放した。

平成二十二年四月十四日
 横浜、広島は強かった。さすがはプロ野球だ。どのチームも決して弱くなんかはないのだ。
 今夜のドラゴンズは横浜に9ー4でボロ負けといっていい。強いはずのジャイアンツも3ー2でタイガースにねじ伏せられた。プロというものは、どのチームも弱そうで強く、強そうで弱い。人間らしくて、それでいいとも思う。

 夜遅く。外出先から帰宅して初めて携帯電話に、ファンクラブ会員でもあるОさんからメールが入っていたことに気が付いた。
 このОさん、かつては小牧の演劇集団「小牧はらから」を主宰し、その後は全国行脚で知られる劇団「希望舞台」団員としても活躍されたことがある。
 ボクとは、三十年来の良き友である。二年前に息子の就職が決まったときなぞ、嬉しさのあまり彼を誘って、今池のドラファン仲間の集まる店「ピカイチ」を訪れ、二人でしこたま飲んだこともある。現在は名古屋市千種区に住んでおいでだ。

 「今年こそリーグ優勝 日本一 応援にいきたい。よろしくお願いいたします」
 メールは、それだけの内容だった。
 着信時間(午後七時三十三分)から想像するに、きのうのドラゴンズの粘闘勝ちがよほどうれしかった半面、今夜のぶざまな試合に耐え切れず、どこかで一人酒でもあおりながら、うっぷん晴らしの“犯行”に及んだに違いない。

 Оさんとは、「希望舞台」のよしみもあり数年前、久しぶりに再会。いらい、たまに「ピカイチ」などで語り合う飲み仲間でもある。そろそろまたやらなければ、と思っている。

 ♪毎日毎日 ボクらは鉄板の 上で焼かれて いやになっちゃうな
 歌の文句じゃないけれど、中日ドラゴンズには『たい焼きくん』になってもらい、毎日毎日、ファンという名の“鉄板”の上で焼かれながら、それこそアンチドラゴンズファンが嫌になっちゃうほどに勝ち続けてほしいのである。

平成二十二年四月十三日
 本拠地・ナゴヤドームに戻っての対横浜戦。
 ドラゴンズは粘りに粘り、延長十一回の裏、谷繁の今シーズン3度目のサヨナラ二塁打で打ち勝った。途中、横浜に点を入れられるつど、ラジオを切る。思い直して再びつける。森野がいつのまにか本塁打を放ち、同点の7対7までに肉薄。最後は谷繁の一振りで勝利をモノにした。
 森野が打った本塁打はプロ入り14年目の通算1〇〇号アーチともなった。
 今季最長、4時間26分―延々と続いた苦闘の果てに午後十時半過ぎ、お立ち台にたったのは森野、谷繁と、そして好リリーフで早くも3勝目をあげたアキフミこと、高橋聡文投手である。
 「中継ぎのみんながいいのでボクも負けないようがんばっている。周りの野手の人たちのおかげです」と笑顔で語ったアキフミに続き「負けたくなかった。いいところで本塁打が出て本当によかった」と話す森野。そして最後に立った谷繁捕手は「ファンの皆さん、こんなに遅くまでありがとうございます」とさわやかに締めくくった。

 そういえば、今日は昼、ナゴヤドームでドラゴンズを担当するあるベテランキャップから、こんな話をうかがった。
 「ことしは、なんとかいけそうです。でも(むろん、巨人にボロ負けはよくないが)鍵は弱いチームにどれだけ勝つか、少しでも多く勝った方の勝ちですよ」。

 だったら弱いチームって。どこ? と周りに聞くと、たいていの人から「横浜と広島」の答えがはね返ってくる。だが、なかなかどうして、今夜の横浜は強かった。広島も今季、本拠地マツダで六戦目にしてヤクルトに3対2で勝ち、初勝利をものにしている。みな命がけで日々の勝負に挑んでいるのである。
 ドラ担記者の言う弱いチームに勝て、という意味がなんとなく分かる気がしたのである。

 きょうは公式ファンクラブの主催で「立浪選手に感謝する会」参加者の名前が記された記念ボードの除幕式が立浪さん(野球評論家)も参加してナゴヤドーム内のパノラマウオークで行われた。
 「これからはファンが選手に何をしてもらうか、のではなく、ファンが選手や球団・ドームに何かをしていかなければ」といった前向きな姿勢がよく分かった。

平成二十二年四月十二日
 これは名もない一ファンとしての偏った目線だが中日新聞の夕刊運動欄(9面)のうなだれた写真を見て、きのう巨人に負けた十九歳の伊藤準規投手がかわいそうに思えてならなかった。
 けさは休刊日(ただし中日スポーツは即売分に限って発行しているので、コンビ二などで買うことができる)。いつもなら、朝起きると同時に読む中日スポーツと中日新聞がないため、夕刊運動面を何よりも先に開き、目に飛び込んできたのが、肩を落とした表情のジュンキだった。

 紙面も甘やかしてはくれない。
 ―「逃げていては勝負にならないぞ」。活を入れられたが、よみがえることはなかった。フルカウントまで持ち込んだものの、最後は変化球が抜け、早くも三つめの四球で1点を謙譲した。(略)苦手なクイックモーションのすきを突かれて盗塁され、自滅していく。二回もその繰り返し。プロ3度目の先発は2回で58球の散々な内容に終わった」とある。

 ジュンキもプロ、いや巨人の怖さを腹の髄まで染みただろう。巨人は若き投手の欠点を洗いざらい研究し尽くして試合に臨んできたに違いない。だったら、これからはこれを良い教訓にジュンキが相手チームをとことん調べ尽くすことだ。どうしたら相手チームに勝てるのか、を自ら考えて試合にのぞむことだ。

 記事の中で「森ヘッドコーチは『何の魅力もなくなった。クイックも練習してできるはずなのにやらない。二度と先発はない』と怒りをぶちまけた」の下りがあるが、これは明らかに言い過ぎだ。つい言葉が走ってしまった本音だろうと逆にかばいたいが、なぜ、だめだったのかを説いてやった方が、むしろ成長すると思うのだが。

 昔、こんな青春歌謡曲があった。
 舟木一夫の「涙の敗戦投手」というやつで、ボクは多感な時代に失敗するとは、何度も何度もこの歌を、よく唄った。こんな歌詞である。
 みんなの期待背に受けて/力の限り投げた球/けれど敗れた敗戦投手/落ちた涙は嘘じゃない

―プロで初めての衝撃的な試練。
 ジュンキの涙は、おそらく人生最初のほんとうの涙だったに違いない。
 負けないで! ジュンキ

平成二十二年四月十一日
 巨人キラーとされる伊藤準規投手が東京ドームで先発した対巨人第3戦だったが、ドラゴンズは期待もむなしく7対1で敗れた。
 「伊藤準規投手、きょうはやられましたが、これも通過しなければならない試練だと思っています。19歳の2年生がいつもうまくいくほど、プロ野球は甘くはないでしょう。あすは休刊日で、負ければスポーツの即売に響くだけに勝ってほしかったですし、ヨミウリに負け越しとはスッキリしません。しかし、遠征6試合をイーブンならば、また来週から頑張ればいいと思います」
 以上は、東京の熱烈なドラゴンズファンから届いた一通の真心からのメールだ。
 おそらくファンの誰もが同じ考えでジュンキを温かく見守っているに違いない。
 きょうの試合は、これに尽きる。

 原監督は伊藤準規投手を評して、こう語った。
 「セットポジションが上手でない。そこにうまくつけこめた」と。
 その通りだと思う。

 正直、野球を知らないボクが言うのもおかしいが、あえて言わせていただく。
 「ボクには、ランナーに出られると、ジュンキの牽制球がやたらと多くなり、走者を意識しすぎるのでは。勢い、投法にも乱れが生じてきている」
 そう思うのだが。

 世の中、なんでもプロが真実とは、限らない。
 「玄人(くろうと)意識危うし」である。

平成二十二年四月十日
 うれしいニュースがある。
 朝「(公式ファンクラブのファン仲間である)今井くん、に四日市に連れて、きてもらいました」のメールが入った。
あの、ファンクラブのお母さんの元気な声が届くようでボクの心にパッと熱いものが走った。
 ナゴヤ球場の二軍戦をすべて観戦。若い選手たちから「お母さん」と呼び慕われている七十九歳の彼女も病には勝てず、昨年暮れ以降は、大手術など病との闘いが続いていた。が、その彼女から晴れて四日市市営霞ヶ浦球場でのウエスタンリーグ公式戦(対阪神)を観戦しに四日市に来た、との知らせがあったのである。

 この日の三重公式戦は地元販売店主らのひごろの努力が実り、大盛況で、実に7184人の大入り満員となった。これだけの入場者はナゴヤ球場の2軍戦でもなく、2〇〇8年に豊橋で開催された2軍交流戦(対巨人戦)の8〇〇〇人を超えたとき以来だ。試合の方も若きホープ、先発・岩田投手が7イニングを1失点に抑える好投で、お母さんの復帰を祝うかのように4対3でドラゴンズが阪神に勝ったのである。

 ところで、ことしの桜は結構、息が長い。きっと良いことがある知らせなのだろう。それでもここ数日、やっと散り始めたようだ。

 ボクたちが住む木曽川河畔のこの町。かつてのにぎわいぶりが嘘のような町にも、春祭りがやってきた。きょうは桜ふぶきのなか、大勢のこどもたちが青い法被に鉢巻姿で親に手を引かれて三々五々、歩いている光景に何度も出くわした。

 今度は、野球着に身を包んだ少年たちが自転車で交差点を横切っていく。
 このなかに、将来のイチローや松井、和田、伊藤準規選手らがいると思うと、なんだか楽しく心が弾む。プロ野球選手にあこがれて自分から進んで少年野球に入った子、親に体力づくりに、と入れられた子もいるだろう。
 もしかしたら、野球というものは、親子をつなぐ橋渡し的な存在かもしれない。

 そして子どもたちは、どうしても強いチームにあこがれる。わが家の例がその典型だ。長男が中日なら、次男は広島、三男はヤクルトファンだ。みな、彼らの少年時代に強烈な印象を受けた当時の、最強チームばかりである。
 事実、イチロー世代の長男は小牧の少年野球チームに入ったころの昭和五十七年に中日ドラゴンズが優勝した。次男は、赤ヘル軍団全盛時代に感化されて。三男はノムさん(野村監督)野球が花開いたころ、それぞれの少年時代を歩んでいたからだ。
 こどもたちは、理屈の多い大人たちとは違う。純粋に強いものにあこがれと夢を抱くものなのである。

 イチローといえば、ボクが空港記者として小牧や豊山界隈を飛び回っていたころの話だ。
 彼が豊山小学生だった時に取材でよく、小学校を訪れた。なかでも日航名古屋空港支店から日航機のジャンボタイヤが遊具として贈られ、全校児童の前で贈呈式が行われたことがある。ボクはその模様を取材し子どもたちは大はしゃぎだったが、あのなかにイチロー少年がいたかと思うと、懐かしく嬉しくなってくる。
 あの廃利用タイヤは、いまも小学校の校庭にあるのだろうか。つい、そんなことまで思いだしてしまう。

 きょうの東京ドームでのデーゲーム。
 ドラゴンズは巨人に11対3で完敗だった。

平成二十二年四月九日
 人の道には、『なぜに』という不意の出来事が多い。
 なぜ、そんなにも急に。それもあっさりと死に逝くのかーと言ったことがよくある。なぜ、なぜ、なぜなのだ、と。人々は嘆き哀しむ。
 くも膜下出血で七日、三十七歳の命を広島市内の病院で絶った巨人・木村拓也内野守備走塁コーチの場合がよい例だ。それも、見えざる神の手は良い人に限ってその命を容赦なく啄ばんでいく。

 よい人といえば、志摩半島では町会議員のタバタさんが、能登の七尾でも新聞配りの名人・コウさんが、ある日突然、交通事故に遭い、亡くなられた。小牧では逆に、仙台沖に小型双発自家用機が墜落し、ただ一人残され息子一家全員(五人)に先立たれてしまった鈴木スズさんがいた。
 このうち、能登のコウさんの場合。彼は熱烈なドラゴンズファンだった。
 もう二十数年も前になるが、彼は夕刊配りの際、支局に来るや玄関先で、いつもおどけるようにして「ハイ、お待ちかねで~す。シキョクチョウ」と言うや、七、八メートル離れたボクのデスクに夕刊を紙飛行機さながらにピタリと投げ入れる名人だった。
 いまから思えば、コウさんは郷土が生んだ・小松辰雄投手の真似をして毎日毎日、ボクのデスクを目がけて夕刊を投げ入れてくれていたのかもしれない。
 いつもドラゴンズのあの青い帽子を自慢げにかぶり、自転車に乗り新聞配りをしながら、地域の人たちに喜ばれていたコウさん。天涯孤独のコウさんは、子どもが大好きで女傑店主テルさんのもと、毎日を一生懸命に働いていたのだ。
 事故死を知ってテルさんとともに、アパート一室に駆けつけた時は涙があふれ、「ドラゴンズもこれで終わりだ」と錯覚すら覚えた。

 テレビで見る今夜の東京ドームの観客席には「ありがとう拓也」「かっとばせ拓也」の応援ボードが揺れるなかでの異様な戦いとなった。
 そんななか、ドラゴンズは宿敵・巨人を7対4で突き放し第一戦をものにした。
 けさの中日スポーツで木俣達彦さん(もとドラゴンズ捕手)が「14打数無安打のセサルは現在の状態では、打てる気がしない。(略)具体的にいうと体の軸がしっかりしていない。前へ傾くことが多いが、逆に後ろへ反り返ってしまうことも。コマでも軸が真っすぐしていなければすぐ倒れてしまうように、打撃でも軸がグラグラしていると体が回転できない。結果として、バットを出して当てているだけという打席が続いている。」と、セサル外しを指摘。落合監督もこれに応える形でセサルに代わって大島を抜てきし、好結果を生んだ。
 何もセサルいじめをしているわけでもなかろう。
 今夜のセサル外しに、あの茶目っけたっぷりのセサルさんが奮起し、木俣さんがおっしゃるコマの論理を頭にじっくりため、練習を積んで出直せば、ますます怖い存在になる気がする。ねっ、セサルさん(ボクは個人的にはセサルが好きだから、あえて厳しく言わせていただいた)。

 中日は昨年最多勝の吉見投手が、これから前に進む価値ある1勝となった。
 それも昨シーズン4敗だった天敵・ゴンザレスを打ち崩しての勝利だ。お立ち台での吉見は「きょうは無心で投げました。昨年は昨年のこと。一戦一戦勝てるようにするだけです。次は失点を無くしたい」とやはり、昨年の最多勝を意識していた。

平成二十二年四月八日
 今夜のドラゴンズは、横浜スタジアムで横浜に2対1で負けた。山井が打って勝った六日とは逆で寺原投手に適時打を打たれ2点目を失い、負けた。
 人間とはおかしなものだ。
 (こんなことを書く、と何言っとるんだーと叱られるかもしれないが)負けて、心のどこかで「これでいいのだ」と自らを納得させる自分がいる。
 野球は人生そのもの、よい日もあれば悪い日だってなければ。「負ける日があればこそ」勝って嬉しくなるのである。6連勝もすれば「おいおい大丈夫か」と逆に心配になってくる。
 人間の心理というものは、勝手なものである。
 きょうの負けは、こうした観点から、まさに値千金、いい意味でのブレーキ効果のきいた意義深い敗戦なのである。また勝ち続ければよいのだ。

 帰宅すると、春日井市に住む社の大先輩Kさんから一通のハガキが届いていた。
 内容は次のようなものだった。
「ナゴヤドームの役員を退任しました。…中日四〇年、ドーム十五年合わせて五五年、仕事と酒の会社人生をようやく終えることができました。…これからは、八一歳の歳相応に、家の東に連なる尾張と美濃を分ける里山の四季の移り変わりを眺めながら、みなさまと過ごさせていただきました楽しかった昔を思い返し、静かな余生を送りたいと念じています。長い間ありがとうございました」
 仕事と酒の会社人生とは、なんともユーモラスで思わずうなづいていた。
 Kさんには、ボクが名古屋空港を担当する空港記者として全国各地を飛び回っていたころ、小牧の格納庫で「ガミちゃん、ガミちゃん」と可愛がられ、随分とお世話になった。
 あらためて、お疲れさまでした。長生きしてください、とこの日記紙上で礼を述べておきたい。

 けさの朝刊・みんなの本のコーナーに「原点回帰」応援をーと、『2〇1〇ドラゴンズファンブック』(中日新聞社発行)が紹介されていたので、読み返してみた。
 本の中の「期待の3選手 若竜座談会」で2年目の伊藤準規投手は、こう話している。
 (自身のアピールポイントを、の質問に答え)
 「今年は10代最後の年。なので、若者らしい投球をしたいですね。肩のスタミナをつけて、1年間、先発ローテーションで回れるように頑張りたい」と。

平成二十二年四月七日
 谷繁捕手の2試合連続決勝アーチ(本塁打)で、ドラゴンズは今夜も横浜に2―〇で勝ち、6連勝だ。
 野球をあまり知らないボクが言うのもおこがましいがーー
 これまでのドラゴンズの戦いぶりを見る限り、6連勝とはいえ、1試合1試合を結構、苦しみ悩み、試行錯誤しながらの勝利でもある。投手リレーや手堅い送りバントなど、基本に添った野球道は落合哲学そのもので、魂が込められた試合展開は、素人のボクにだって分かる。

 本塁打といえば、先日、ナゴヤドームに通じるドラゴンズロードで壁に掲げられたドラゴンズ選手の通算本塁打数で学んだことがある。
 1番は、ウーヤンこと宇野勝選手の334本、2番は一発長打の大島康徳選手の321本、3番があの名捕手・木俣達彦選手の285本、4番は谷沢健一選手の273本…の順だった。
 でも、谷繁捕手の放った2試合連続決勝アーチという記録は、おそらく長い球団史上でも初めてだろう。

 それはそうと、くも膜下出血で倒れ、広島市内の病院に入院中だった巨人・木村拓也内野守備走塁コーチが午前三時二十二分に息を引き取られた。三十七歳の若過ぎる死は、ある日突然にやってきた。プロ野球界の損失ともいえる人材だった。

 プロ野球界を揺るがす「死」と言えば、昭和四十八年五月、当時、中日スタヂアム社長だった平岩治郎さんが自殺を遂げた、その日を忘れることができない。場所は三重県志摩半島の熊野灘に面した伊勢えび漁で知られる浜島町・黒崎の浜で自ら手首を切り、入水し命を絶っていた。
 現場に最初に駆けつけた新聞記者がボクで、世に言う中スタ事件の始まりでもある。
 あのとき、誰よりも早く現場を訪れたが、砂浜の岩にこびりついていた血糊の色を忘れることは永遠にないだろう。そして故人が愛する家族にあてた遺書には「わが敗残の記」と、毛筆でしたためられていたのである。
 【この話は、「一匹記者 現場を生きる」の副題つき私の著書『町の扉』(石川県七尾市・わくうら印刷)に詳しい】

平成二十二年四月六日
 深夜。帰宅し、ケータイ中スポでドラゴンズ情報を見る。5―3で中日が横浜に勝っていた。よかった。
 勝ち投手は、山井である。
 次に【評】を覗いてみた。
 そこには「山井が3年ぶり白星。中日が5連勝。先発の山井が6回途中5安打3失点で、3年ぶりの白星を挙げた。山井は打っても2打点の活躍。2回にブランコが先制ソロ、6回には谷繁の1号2ランと援護も効果的だった
…」とある。
 画面の活字を追いながらウン、ヨシッと、ちいさな声を出してうなづく。

 ボクはいつもなら、テレビニュースかラジオで確かめたであろう、プロ野球ニュースを、たまたまこの時間まで見れないままだった。このため、今こうして、ケータイ中スポから見ているのである。
 おかげで新聞よりも早くニュースを確認できた。

 ボクたちの少年時代には考えられなかった、手塚治虫さんの漫画にある『鉄腕アトム』の時代が現実に目の前にやってきているのである。

四月五日
 職場の同僚たちとの花見に、トボトボと名古屋城に歩いて向かう。途中、胸騒ぎがして胸ポケットに秘めた携帯電話を取り出した。
 案の定、東京に住む落合ファンを自認するその人からで「こんにちは。矢地投手が支配下登録ですか。伊藤準規といい、嬉しいニュースです。…」といったものだった。
 内心、それにしても早いなっ、と感心しながら歩き「ひいきのチームのことなら、何でも一番に知りたい。これがファン心理に違いない。いずれにせよ、矢地選手本人はむろん、ご家族の喜びは推して知るべし」と、心のなかで『やったあ』と叫ぶ。
 おめでとう! 矢地選手。

 名古屋城の桜は、満開だった。
 花見といえば、志摩半島の志摩老人ホーム園庭、小牧山のさくらの園(その)、能登の小丸山公園(石川県七尾市)での花の宴いらいで、忘れていたものを思い出した気がする。
 ましてや、天下の名古屋城直下での花見など、これまで思いもしなかった。すぐそばに居ながら、こうした集まりとなると、初めてである。
 この粋な宴は、ドラゴンズ公式ファンクラブ代表(担当)の提唱で初めて実現したもので、そこには鳩山さん(首相)の浮いたそれ=少なくともボクの目には、そう映るのだから仕方がない=とは違う、本物の「友愛精神」があり、ドラゴンズと仲間たちのますますの飛躍を願い、酒を酌み交わし、わいわいガヤガヤと時が過ぎていった。

 心配された雨も降らず、風もなく、寒さもない。不思議な夜である。人々も、まばらで、もしもこの世の中に天国というものがあるとしたなら、こうした場面を言うのだろうか。
 中天に白く浮かぶ開府四百年のお城が、桜をいっそう浮きたたせる。四百年前に“清洲越し”をし、この地に名古屋城が築城されて以降、これらの花々は毎年、かふして咲き誇ってきたのだろう。
 物ひとつ言うわけではない、白い花々。大切なモノ(秘めごと)ほど、話せば話すほどに、どこかに蹴散らされ逃げ去っていってしまう。そんな想念がなぜか、頭を走り抜けてゆく…

 それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 ふと「満開とは、すべてが止まった状態ではないのか」とも思う。
 今夜の花たちは、ひとひらひとひらが極限の美にある。
 かぜたちに吹かれもしなければ、落ちもせず、平均台の上に乗っているようだ。

 この世(夜)の花々は、矢地選手の支配下登録をお祝いしているようにも見えた。他の育成選手が、矢地選手に続いてくれたらいいな、と後ろを振り返り、未練酒を心に残して家路を急いだ。

平成二十二年四月四日
 午前8時50分過ぎ、
 名古屋市営地下鉄鶴舞線・上前津駅―電車が到着すると、落合監督のジャンボ絵が車体を彩る右回りの地下鉄名城線に乗る。まもなくドラゴンズ球団のマスコット・ドアラが描かれ「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」と呼びかけた、そんなデザインのドアがパッ、パッと開け閉めされ、電車が動き出す。
 ナゴヤドーム前矢田駅で降り、こんどは両壁にドラゴンズの過去から現在、未来への栄光の道へ、と続くドラゴンズ通りをゆっくり、ゆっくりと見学がてら歩いてナゴヤドームへ。
 目の前を小型リュックをかついだ少年が母親に手を引かれて楽しそうに歩き、四、五人の若者連れ、カップル、熟年夫妻、少しばかり老いた夫婦なども談笑しながら歩いていく。
 この日はデーゲームのせいか、きのうこのゴンタクレ日記でも紹介したが、両親と一緒の少年少女がひときわ目に付いた。平和な光景だ。もしかしたら、こうした人々の営みこそが、自然体の人間たちの野球文化なのかも知れない。

 試合の方は、阪神との三連戦の最終戦。
 観戦途中には、ドラゴンズに関してなら生き字引的存在でもある三重県下の新聞販売店主Aさんに偶然、出くわし、つかまった。
 しばらく雑談すると、そこは店主さんで「私自身も毎朝、スポーツと本紙運動面を楽しみにしている。そこで読みましたが、オチアイ監督の言う『コーチがぶれたらアカン、教える人がぶれたらアカン』ちゅうことは、わしたち店主の世界にも共通する言葉で正解だ。わしゃ、監督はそれほど(スキ)でもなかったが、チュウニチドラゴンズちゅうたら、何よりも好きなんや。またそうでなくっちゃあ、と思うとる、とも言いながら『いやはや、彼の正論を読みながら最近のオチアイさんを見直しとる。憎たらしいけど、な。そやないか』」ときた。
 偶然といえば、あの能登半島が生んだかつての速球王小松辰雄さん(現在、野球評論家兼解説者)にもドーム内でバッタリお会い出来、昭和六十三年にセ・リーグ優勝した際には、当時、七尾支局長として日本海に面した富来町風無(とぎまちかざなし)のお宅を支局員と訪ね、おばあちゃんや妹さんが仏壇の前で「ナンマイダ、ナンマイダ」と両手を合わせ祈っておいででしたよ、と懐かしい光景に話が弾んだ。
 小松さんは「近く岐阜で魚屋さんを開店するので、ぜひ来てほしい。能登の新鮮な魚をこっちの人たちにも食べてほしいので」と話し、話すほどに能登の少年時代のおもかげが映し絵になっていったのである。

 対阪神戦は若き十代投手のジュンキ(伊藤投手)が初勝利。先月六日に亡くなった大好きだったおじいちゃんへの何よりの供養となった。お立ち台でブランコとともに立ち「先輩方がしっかり、守ってくださったので。周りのおかげです。またファンの皆さまの応援が力になりました。これからもよろしくお願いします」と胸を張り、初々しいとはこのことか、と思いドームの大型画面に見入った。

 この日は最近ブームの恋活観戦ツアーも開かれた。試合後の参加者たちのフリートークに続く最終場面で、あのドアラさんがステージに登壇。最後にひと言の問いに「(みなさん)全力で生きてください」と呼びかける場面には、ボクの心のなかをホロリとした一滴の熱い何か、が小松さんのかつての速球のように走って、伝ったのである。

四月三日
 きょうは、家庭のある私的事情と僕たちが主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」の例会などに追い回され、一日中休む間がなかった。
 現在、時計の針は午前2時20分を過ぎたところだ。
 けさ、いや昨日(3日)は、朝早くから病院はじめ、スーパー、ガソリンスタンド、クリーニング屋さん、戻って家事、さらには「熱砂」例会会場の江南市福祉センターを行ったりきたりで、野球のこともすっかり忘れていた。
 途中、ふと思い出してケータイ中スポで確認すると、デーゲームで既に試合は終わっていた。
 試合の方は3対2で阪神に勝ち、浅尾が勝利投手だった。

 デーゲームといえば、今シーズンはデーゲームが増やされた、とのこと。先日、ナゴヤドームである男性ファンが「昼間の試合なら、孫たちも連れてこれるので、ありがたい」とおっしゃられていたことを思い出した。この男性は、奥さまが闘病生活で試練の日々だが、最大の良薬はドラゴンズの勝利です、とも話されていた。
 奥さまが早く回復されることを願う。そのためにも、ドラには勝ってもらわなければ。

 デーゲームの増加が、お孫さんとの対話のひとときとなる。なんでもないようなことだが、これとて観客に歓迎されれば立派な精神面でのファンサービスといえよう。
 あす、いや今日もドラゴンズを生きる支えにしている人々は数え知れない。
 そういう僕とて、入院中の妻を病室に見舞うと、ラジオから野球中継が流され、ドラゴンズが勝っていたりすれば、自ずと力も入ろう、というものである。むろん、僕と妻は野球をあまり知らないが、好きなふたりである。
 今宵は、この程度でー

 あっ、そうそう。
 ついさきほど「野球ブログで取り上げていただきまして。ありがとうございます…」といったメールが何通か手元に届いた。ドラゴンズは、こうした温かい目の中で育てられている、そう思わずにはいられない。
 ☆お断り=『いがみの権太の野球日記』は、本日から日付の若い順に並べ替えました。より近い日の出来事を前にした方が、ニュース性もあり、新鮮なためです。世の中は、日々刻々と
新しいものが生まれ出ています。
平成二十二年四月二日
 一日の対ヤクルト戦に関連し、Y紙の運動欄にこんなことが書かれていた。
 「今季は負けた試合でも2番手以降のけなげな奮闘が光る中日。3連敗だけはするまいという、執念の継投だった。」
 「竜 けなげ継投陣」の主見出しに「先発バルデス 来日初勝利」の袖見出しつきである。なかなか的を射た記事だ、とみた。

 その中日が、今夜はところを神宮から本拠地ナゴヤドームに替えて戦った。
 結果は、7試合連続安打の森野の逆転打で阪神を6―5にねじふせた。
 1番井端が打ち、2番ケ・セラ・セラのセサルも打って走り、森野が逆転の2点二塁打を放った。
 みなバッターボックスに立つ姿は真剣そのものだ。
 ベンチの雰囲気も明るさにあふれ、寡黙な落合監督もいい笑顔である。中日がこうして一試合一試合を大切に重ねていけば、大丈夫と思う。

 ここで落合監督だが、どこかで誰かに洗脳されたのか。それとも最近、何かがあったのか。
 このところ実によい顔になってきた。東北の秋田びとが一皮めくれると、こんなにも美しい顔になるのか、とさえ思う。秋田美人とは、よく言ったものだ。
 見方によっては俗に名古屋的、親しみやすい、やぼったい顔に近づいてきた。それも大いなる田舎町で洗練された、大それた野望を抱く顔に、である。
 断っておくが、これは監督に対するへつらいでもなんでもない。
 『いがみ権太』の心の万華鏡に映し出される率直な感想なのである。

 地元出身といえば、きょうの岐阜の星・和田選手敬遠の場面を、テレビ画面で見た限り、阪神・城島捕手が和田をたいそう怖がっているように感じた。
 そう、日ごろは誰よりも優しい和田もひとたびバットを持たせたら、とてつもなく恐ろしい男なのだから。
 あの城島が縮みあがるのだから、ネッ!

四月一日
 ヤクルト戦第3戦があった1日の深夜から未明にかけて~。
 東京に住む落合信者の一人からメールがはいった。
 「こんばんは。今日はファンクラブからいただいたチケットで神宮球場の対ヤクルト戦に来ています。名古屋の皆さまの分まで一生懸命応援いたします」「(ヤクルトに見事なツバメ返しの5対2で)勝って良かったです。格別ですね。セサルもバルデスも大切な一員です。これからも応援いたします。ファンクラブには愛着を持っています」「『いがみの権太』の野球ブログを楽しみにしています。いろいろ悩みはありますが、中日の活躍を励みに頑張っていきたいです。ファンクラブに少しでもお役に立てればと思っています」というものだった。
 それも刻々と送られてきた。
 なんだか、どの文面も、すごくホットでうれしい気持ちになってきた。東京に居て、これほどまでにドラゴンズを愛していてくれる、だなんて。
 まっこと有難きかな、である。

 そう言えば、今夜は病院内の売店で見つけた、「プロ野球スキャンダル事件史」を買い求めた。「楽天」野村監督の解任騒動の真相など、なかなか興味深い内容だ。野球の『裏面史』とも言が、野球はやはりフェアにいきたい。
 子どもたちに夢とあこがれを与えるものではなかったのか。

三月三十一日
 昼間「こんにちは」で始まるメールを思いがけずいただき、うれしく思った。
―熱砂『野球日記』拝見しました。私も開幕戦はドームで観戦しました。ミスも続き歯がゆい試合ではありましたが、和田選手のホームランは鳥肌がたちました。負けてしまったとは言え、やはりホームランの瞬間の鳥肌はやみつきになります。今年もドームにたくさん足を運ぼう、と改めて決心しました。今シーズンも日本一目指して私たちも応援します。最近また寒い日が続いていますが、お体に気をつけてください。

 こんな内容のメールをくださったのは、ある女子大学生。ちょうど四年生になったところでこのところは、就職活動に励む一方の中でのドーム開幕戦観戦と知り、胸が熱くなった。
 ドラゴンズはこの夜も、あいにくヤクルトに9対5で負けはしたが、セサルがホームランを打ったと知り、そこに明るい日差しを感じたことも事実だ。
 野球は人生と同じ。勝ちもすれば、負けもする。負けても腐らず、何ごとがあっても前に向かって歩いていく。こうした姿勢こそが、大切だと思う。

 そう言うボクも、きょうは日ごろから病気がちの妻が救急車で病院に運ばれたと知らされ、いっときギクリとした。
 野球とて人生と同じ。よい時もあれば、悪いときだってある。前を向いていくほかあるまい。勝つチームがあれば、当然、その数だけの負けチームもあるはずなのだ。

 けさの中日新聞朝刊文化欄で次のような文面が目に止まった。
 ―季刊「詩歌句(しかく)」誌三十号は第二回石川啄木賞の発表号である。佳作(候補作)となった青木久子(名古屋市)の三十首より引く。
 たくさんの「行かなければ」をことごとく詰め込んでいる朝の地下鉄
 明日は雨なのに夕焼け赤々とたまには嘘をついてもいいよ

 青木さんの努力は、よく知っているだけに乾杯といきたい。
 野球だって同じこと。努力する選手には、やがて道が開かれるに違いない。ちょっとぐらい負けがこんだとしても、ケ・セラ・セラでいこうじゃないか。
 たくさんの「打って守らなければ」をことごとく詰め込んでいる開幕直後のドラゴンズ選手―か。

三十日
 この日、中日は神宮でヤクルトと対戦した。

 午後8時過ぎの名鉄犬山線、岩倉駅プラットホーム。
 皆さんが、犬山方面に行く特急を待っている。
 突然、「あっ、なんだ。負けとるがや」とメガネをかけた男性が、携帯電話を見ながら声をあらげた。その顔は明らかに「アカンなあ~、何やっとるだ」と語っている。
 その声を聞きながら、社を出る直前は、2対〇で勝っていたというのに、と私。
 それでもきっと逆転してくれる、とタカをくくり帰宅後、スポーツニュースでも確認したが、ヤクルトに5―2で負けていた。

 二〇〇四年の落合博満監督誕生後、七年連続で開幕戦の観戦にナゴヤドームを訪れている北海道に住むAさんからメールが入った。
 「第3戦は若い伊藤準規投手が先制されるものの逆転して再逆転され(中略)9回裏に追いついて……10回裏に新外国人セサル選手のサヨナラタイムリーと思い出に残る3連戦でした」
 ドラゴンズの戦いぶりには、全国のファンの目が集まっているのである。

二十九日
 それぞれの思いに見上ぐ桜かな(松尾芭蕉)

 いよいよ山崎川の桜も満開である。
 ジュンキも、セサルも、和田、大島、森野も。コーチ、監督、スタッフ……。
 そしてドラゴンズファンの誰もが、それぞれの思いで桜を見ているに違いない。

三月二十八日
 奇跡の登板が現実となった。
 ジュンキ(伊藤準規投手)よ、19歳の初登板おめでとう。

 あるファン曰く
「きょうほど、ケータイ中スポが役にたったことはない」
 彼はこの日、行く先々で携帯電話の画面でドラゴンズ情報をチェックした。
 当初はジュンキが広島の栗原に打たれ2―〇と劣勢だったが、次の段階でケータイ中スポにチェックを入れると7―7の同点に。そして祈るも思いで最後のチェック。なんと、あの新外国人・セサルのサヨナラ適時打でドラが勝っていたのだ。
 あるファン曰く
 「セサルのエラーは、荒木だったら取れていたのに。ジュンキは打たれても、その裏に逆転で3対2になっていただけに、せめて5回までは投げさせたかった」「ミス続きのセサルも、これで開眼してくれるのでは」と。

 ともあれ、ジュンキの先発初登板には、ナゴヤドーム全体が「ジュンキ、ジュンキ」の応援一色包まれた。「テレビで応援していました。若いながら、よく投げたーと、テレビの前で拍手を送りました。合格点で~す」とは、ファンクラブの母の弁である。
 ジュンキに限らず、若手には大いに活躍してほしい。

三月二十七日
 三八会から豊田ドラキチ会、Тeam?ドラ、ニコニコ会、いし?どら、酔竜会、神奈ドラ…など全国からの応援サークルリーダーがナゴヤドームに集結したこの日、和田一浩が前日に続いて6回にホームランで4点をたたきだした。
 結果は7―〇でドラゴンズの勝ち。カブトムシおじさんの子ぼんのう打者・和田一浩ならでは、の見ごとなバッティングだった。
 ボクはすなおに思う。彼のバッターボックスに立つ姿にけがれがない。無心だ。
 午後8時過ぎ。地下鉄鶴舞線庄内緑地公園で降りた男性は「IТОH 18」の背番号のユニホームでさっそうとプラットホームから消えていった。浮き浮きと本当に満足そうだ。あすこそ、いよいよ伊藤準規の先発か。
 昼間、地下鉄ナゴヤドーム前矢田駅からドームに通じるドラゴンズロードを歩きながら「快刀乱麻 19吉見一起」の写真を前に『これ、きのう負けた』と言って通り過ぎていったオッサン。いまごろ家に帰って大満足しているに違いない。
 (和田の開幕戦の通算6号は歴代5位タイだそうです)
 奇跡の登板が現実となった。
 ジュンキ(伊藤準規投手)よ、19歳の初登板おめでとう。

平成二十二年三月二十六日
 ナゴヤドームで開幕初日。
 百四十四分の一が終わった。
 セサルの判断ミスに打ち気にはやりすぎたヤンパパルーキー・大島。
 お主ら「何をやっとるんだ」
 「一番最初に負けてどうするの」
 周りの叱責が耳にまっこと痛いのである。

 (落合野球は、奇をてらうというよりも結構、本道をいっている。その証拠が吉見の先発である。ボクとしては、伊藤準規投手の晴れ姿が見たかったのだけれども。そこは厳しい勝負の世界だ。監督が信じて先発を任せた、その吉見がこけた。吉見とて、先発は初めてだっただけに緊張したのだろう。力を十分に出し切れなかった。次回の当番に期待しよう)
あこがれを与えるものではなかったのか。

平成二十二年四月三日
 きょうは、家庭のある私的事情と僕たちが主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」の例会などに追い回され、一日中休む間がなかった。
 現在、時計の針は午前2時20分を過ぎたところだ。
 けさ、いや昨日(3日)は、朝早くから病院はじめ、スーパー、ガソリンスタンド、クリーニング屋さん、戻って家事、さらには「熱砂」例会会場の江南市福祉センターを行ったりきたりで、野球のこともすっかり忘れていた。
 途中、ふと思い出してケータイ中スポで確認すると、デーゲームで既に試合は終わっていた。
 試合の方は3対2で阪神に勝ち、浅尾が勝利投手だった。

 デーゲームといえば、今シーズンはその試合数が増やされた、とのこと。先日、ナゴヤドームである男性ファンが「昼間の試合なら、孫たちも連れてこれるので、ありがたい」とおっしゃられていたことを思い出した。この男性は、奥さまが闘病生活で試練の日々だが、最大の良薬はドラゴンズの勝利です、とも話されていた。
 奥さまが早く回復されることを願う。そのためにも、ドラには勝ってもらわなければ。

 デーゲームの増加が、お孫さんとの対話のひとときとなる。なんでもないようなことだが、これとて観客に歓迎されれば立派な精神面でのファンサービスといえよう。
 あす、いや今日もドラゴンズを生きる支えにしている人々は数え知れない。
 そういうボクとて、入院中の妻を病室に見舞うと、ラジオから野球中継が流され、ドラゴンズが勝っていたりすれば、自ずと力も入ろう、というものである。むろん、ボクと妻は野球をあまり知らない。でも、好きなふたりである。
 今宵は、この程度でー

 あっ、そうそう。
 ついさきほど「野球ブログで取り上げていただきまして。ありがとうございます…」といったメールが何通か手元に届いた。ドラゴンズは、こうした温かい目の中で育てられている、そう思わずにはいられない。
 ☆お断り=『いがみの権太の野球日記』は、本日から日付の若い順に並べ替えました。より近い日の出来事を前にした方が、ニュース性もあり、新鮮なためです。世の中は、日々刻々と新しいものが生まれ出ています。

平成二十二年四月二日
 一日の対ヤクルト戦に関連し、Y紙の運動欄にこんなことが書かれていた。
 「今季は負けた試合でも2番手以降のけなげな奮闘が光る中日。3連敗だけはするまいという、執念の継投だった。」
 「竜 けなげ継投陣」の主見出しに「先発バルデス 来日初勝利」の袖見出しつきである。なかなか的を射た記事だ、とみた。

 その中日が、今夜はところを神宮から本拠地ナゴヤドームに替えて戦った。
 結果は、7試合連続安打の森野の逆転打で阪神を6―5にねじふせた。
 1番井端が打ち、2番ケ・セラ・セラのセサルも打って走り、森野が逆転の2点二塁打を放った。
 みなバッターボックスに立つ姿は真剣そのものだ。
 ベンチの雰囲気も明るさにあふれ、寡黙な落合監督もいい笑顔である。中日がこうして一試合一試合を大切に重ねていけば、大丈夫と思う。

 ここで落合監督だが、どこかで誰かに洗脳されたのか。それとも最近、何かがあったのか。
 このところ実によい顔になってきた。東北の秋田びとが一皮めくれると、こんなにも美しい顔になるのか、とさえ思う。秋田美人とは、よく言ったものだ。
 見方によっては俗に名古屋的、親しみやすい、やぼったい顔に近づいてきた。それも大いなる田舎町で洗練された、大それた野望を抱く顔に、である。
 断っておくが、これは監督に対するへつらいでもなんでもない。
 『いがみ権太』の心の万華鏡に映し出される率直な感想なのである。

 地元出身といえば、きょうの岐阜の星・和田選手敬遠の場面を、テレビ画面で見た限り、阪神・城島捕手が和田をたいそう怖がっているように感じた。
 そう、日ごろは誰よりも優しい和田もひとたびバットを持たせたら、とてつもなく恐ろしい男なのだから。
 あの城島が縮みあがるのだから、ネッ!

四月一日
 ヤクルト戦第3戦があった1日の深夜から未明にかけて~。
 東京に住む落合信者の一人からメールがはいった。
 「こんばんは。今日はファンクラブからいただいたチケットで神宮球場の対ヤクルト戦に来ています。名古屋の皆さまの分まで一生懸命応援いたします」「(ヤクルトに見事なツバメ返しの5対2で)勝って良かったです。格別ですね。セサルもバルデスも大切な一員です。これからも応援いたします。ファンクラブには愛着を持っています」「『いがみの権太』の野球ブログを楽しみにしています。いろいろ悩みはありますが、中日の活躍を励みに頑張っていきたいです。ファンクラブに少しでもお役に立てればと思っています」というものだった。
 それも刻々と送られてきた。
 なんだか、どの文面も、すごくホットでうれしい気持ちになってきた。東京に居て、これほどまでにドラゴンズを愛していてくれる、だなんて。
 まっこと有難きかな、である。

 そう言えば、今夜は病院内の売店で見つけた、「プロ野球スキャンダル事件史」を買い求めた。「楽天」野村監督の解任騒動の真相など、なかなか興味深い。野球の『裏面史』とも言えるが、野球はやはりフェアにいきたい。
 子どもたちに夢とあこがれを与えるものではなかったのか。

三月三十一日
 昼間「こんにちは」で始まるメールを思いがけずいただき、うれしく思った。
―熱砂『野球日記』拝見しました。私も開幕戦はドームで観戦しました。ミスも続き歯がゆい試合ではありましたが、和田選手のホームランは鳥肌がたちました。負けてしまったとは言え、やはりホームランの瞬間の鳥肌はやみつきになります。今年もドームにたくさん足を運ぼう、と改めて決心しました。今シーズンも日本一目指して私たちも応援します。最近また寒い日が続いていま