「寝たきりブルース」 平子純

それは桜の咲く前日の未明だった
くだんの歩行器で歩いていた時
突然転んだのだ
腰椎を疲労骨折してしまったのだ
その時から私は赤子にもどってしまったのだ
食べる排泄する
赤子にもどってしまって二週間
今度は小便が止まり
救急車で病院へ運ばれ
すぐCTとレントゲンをとり
一週間後前立腺の手術となった
父も七十才になった時発生
何故か予感めいたものがあった
手術は尿道からカメラとレーザーを入れる
まずは成功、麻酔が効きすぎ嘔吐
術後の夜 眠られず
天井ばかりを見る
こうして日本では何百万人
世界では数億人の人々が
眠られぬ夜を過ごすのだろうか
幾日も同じ体勢のまま過ごす
病院の窓からは毎朝
赤光が摩天楼から上り
変ってゆく街の景色を照らす
新しい文明が正しいかどうか
破壊者か創造者かは分からない
懐古の情も昔見た桜並木も過去の思い出しかない
寝たきりで介護してもらい幾日か過ぎる
寝たきりの俺は同じく食べる事と排泄のみだ
時には優しい看護婦の笑顔
時には冷たい仕打ち
垂れ流しの俺にはどうするすべもない
時には便秘 かき出しと浣腸で救われ
悶え苦しみながら排泄する
小水はチョロチョロ出っぱなし
以前のペースにもどるには時が必要らしい
もう人の尊厳とか自由とかそれ以前だ
過去の華やかな日々の思い出も
商いでの苦しみの数々も過去でしかない
一週間後ようやくリハビリが始まった
ベッドから立ち上ることすら出来ぬのだ
そこから出発だ
車イスに乗ってみる
なんとか出来たその喜びその束の間
転院
長くは一つの病院におらしてもらえぬシステムだ
手術が済めば他の病院と決まっている
家の近く昔から知り合いの病院へ
一週間に二度の風呂は
全自動体洗い機
まるで洗濯機だ
初めて車イスで風呂に行けた時の新鮮さ
そこでもよだれかけしたら笑われ
垂れ流しで下着もびたびた
羞恥心の欠片も存在しない
こうして赤子にもどった俺には
若い頃の色も欲も金銭欲すら
入って来る余地もなく
自動洗濯機のシャワーと共に
段々浄化されてゆく
残るのはどうやって少しでも
動けるようになるかに集中する
なかには親切なリハビリの先生
少しずつ立てるようになり
歩行器で歩けるようにしてくれた
焦らずゆっくりが
リハビリのモットーだ
どんな障害者でも少しずつ
やってゆけるようになるものだ
二ヶ月の入院
それは色々教えてくれた
その後コルセットも取れ
段々日常の生活にもどりつつある
令和一年六月八日