特集『4000字小説』「黄泉の雫」

1 ふらり、ふたり
「先生、ノドが痛いんです」
「桔梗湯を飲んでみて下さい。漢方ですから授乳に影響はありませんよ」
「首と肩と背中が痛くて」
「それなら葛根湯がいいですよ。おっぱいもよく出るようになります」
「この暑さと体調の悪さで、外出が難しいんです。薬の配達はやってませんか」
「いいですよ、家内に持たせましょう。ところで・・・メンタルの方は大丈夫ですか」
「・・・。花を見て、涙が出るんです」

 大輪のアサガオが咲いた。ここ二週間程花が咲いておらず、もう終わりかな、と思っていた。ところが、夏休みが終わりアサガオの鉢を小学校に持ってくるように、というお知らせのプリントを息子にもらい、この夏私を癒してくれていたアサガオといよいよお別れ、という前日の朝に、見事な花を咲かせた。まるで、最後のお別れを言うかのように、大きな花をつけてくれたのである。
 今日でこのアサガオが我が家からいなくなると思うと、無性に淋しくなる。花をここまで愛おしいと思ったのは初めての経験である。リビングの窓のすぐ外に鉢を置いて、ソファに座り、赤ん坊におっぱいを与え続けながら、来る日も来る日も花と細長くねじれたつぼみを見ていた。まだすわらない小さくてやわらかい頭蓋骨を支えながら、命の雫である母乳をひたすらに吸わせ、その花びらを、葉を、つるを、焦点の定まらない目でずっと見ていた。
 私の魂は甦ったばかりで、懐の赤ん坊もまた、向こうの世界からこちらの世界へとやってきたばかりである。そんなあやうい二人が、真夜中の闇の中で、または夜と朝との間に、南国のようにむせぶ灼熱の昼間に、私達はあっちへ、こっちへ漂ったりしながら、かろうじて生きながらえていた。
 あぁ今年の夏は記録的な暑さに加え、セミの鳴き声が耳に共鳴してどうにかなりそうだ。うねうねと太くて大人の中指程もある虫が、葉をむしゃむしゃと食べている、助けてやらなくては。
 夜中の授乳時はソフトクリームのように細長い渦を巻いたつぼみがもうすぐ開くのだと、希望を見ていた。早朝まだ誰も起きていない静かな薄明かりの中で、見事に開花したいちりんを眺めていた。この花も、夕方にはしおれてしまう一日限りの運命だと思うと、その終焉のなれの果てまで見届けるのが、この花へ手向けるせめてもの感謝の気持ちだと思った。
 猛暑の中、けなげに熱風に耐えながら咲き続けるその姿に頑張れと心の中で声援を送り、台風が来そうだとニュースが伝えれば、鉢が倒れてやしないかと、寝ていても心配であった。少しの外出にも困難を伴う幼子と私は、アサガオと共に、この記録的な酷暑の夏を古ぼけた家に閉じ込もり生きていた。そこは鍵のない牢であった。

2 拝啓 あなたへ 
 妊婦の抱える不安というのは経験した者でないと分からないかも知れません。赤ちゃんに手足があるか、心臓は動いているか、脳は形成されているか、あまりにも小さすぎて、これ程医学が発達した現在でも、いざ産まれるまでは、お医者様でもある程度のことまでしか分からないのです。産まれてからわかることだってたくさんあります。
 それに、自分ではどうにもならない出産。人間をこの世に産み出すという行為そのものが、神懸かり的なものです。巨大な波がやってきて、己の体が己でコントロールできなくなっていく。激痛の現実と朦朧とした意識との狭間で、もうやめたいと思っても、産まなければ終わらせることはできないのです。その瞬間は運を、人生を、命を、すべてを賭けないと成し遂げられないのです。
 明日入院する事に決まりました、と告げると、息子のピアノの先生が、お母さんに弾いてあげたい曲があるんです、といってピアノを弾いて下さいました。
 そのノクターンの調べは、いままで聴いたことのないものでした。
 ショパンのノクターン、誰もがどこかで耳にした事がある、有名な曲です。私にとって、ただのバックミュージックでしかなかったこの曲が、これほどの感動を自分の心に呼び起こすとは驚きでした。
 思えば、お腹に我が子を宿し、明日にでも新しい命がこの世に誕生する喜びの瞬間が訪れようとしているというのに、暗い、真っ暗闇のトンネルの中にいました。
 ここには書ききれませんが、産む環境が整わないというのでしょうか。入院中の上の子の預け先が決まらない、預かりを頼んだ身内に断られ、たった一週間の事なのになんて冷酷なんだろうと父親を恨み、体調を気遣う電話の一本もなく、頼みの母親ですら駆けつけてもくれないという最後の裏切りに遭い、この世に生きていても親などいないと同然、気持ちを許せばいつも傷つくだけと身を掻きむしり、もうこの世にいない夫の両親の方がよっぽど潔い、良い思い出ばかり残るから、こんなことならやっぱり子どもなど作るんじゃなかったと。自分の妊娠を後悔する、これ以上の悲しい事がありますか。
 何故、あなたはこんな家に産まれてこようとしているの? もっとマシな家が世間には沢山あって、それなのに子どもを授からずにいる。
 なんとなく、今回は死ぬような気がしていました。お産の堪え難い苦痛を二度も乗り越えられない、自分には。
 そして、いえもうこれ以上書きません。
 ノクターンは、悲しみの向こう側に私を連れて行ってくれました。究極の悲しみと究極の喜びの到達する所へ。
 両者は同じなのです。もう、私は超えたのです。ノクターンを聴きながら、涙が、溢れ出て仕方ありませんでした。暗い世界から、私の魂は黄金色の麦畑のように輝く広い場所に誘われました。私の葬送曲にも聴こえましたし、きっと天国に流れているであろう曲のようにも感じられました。私がもし死んだら、この曲を流してほしい。きっと天国に行けるような気がします。
 病院に向かう車の中でも、ノクターンをずっと聴いていました。
 こんな日にも仕事を休めない夫は、涙を堪えて不安そうに病院に入っていく私を一体どんな気持ちで見送ったのでしょうか。

3 ノクターン(夜想曲)
 そこは、県内で一番大きな総合病院でした。
 ふんわりしたピンク色の産婦人科病棟は、新しい命が産まれる場所です。でも一方で、命が消えゆく場所でもあるのです。
 陣痛は来ていないけれど、陣痛室と呼ばれる部屋に通されました。カーテンだけで仕切られた部屋にベッドが三つ。一人、先客がいます。お腹を見るとまだ小さく見えました。出産予定日前ですが、大事をとって入院されている方だそうです。
 ベッドに横たわり、体温と血圧を測り、お腹にベルトをします。赤ちゃんに異変がないか、心音を調べるものです。頭の上には大きな機械。緊急の場合にここで手術をすることができるのだそうです。
 同意書を書いて、陣痛促進剤を一粒渡されました。予定日を過ぎてまだ三日ですが、赤ちゃんが大きいのと、医療体制が手薄になる連休に入る前に出産したほうがいい、という医師のすすめで、計画的な入院となったわけです。
 その担当医師といえば歳は三十くらい、痩せ形の長身で二重まぶたのイケメン、育ちの良さは話していてすぐに分かりました。優しくて、話しやすくて、聞くところによると腕も確か、本当に申し分のない方なのですが、産婦人科の女性しかいない患者からは大層嫌われていました。
 特に、年配の女性から、あの先生だけは嫌! と。それは彼が若くてイケメンであるからに他なりません。女性はいくつになっても女性なのです。後からその事を私の実母に話すと「若くてイケメンなんて絶対に嫌だわ。そんな先生に見られるくらいなら、子宮がんになって死んだ方がいい」とまで言い放ったのでした。
 世の中には、イケメンが得をしない職業もあるのですね。産婦人科に限っては、枯れたおじいちゃん先生が好まれます。
 女は信じられないくらい大きく膨らんだお腹を抱えて(我が身ながら目を疑います)、仕事を諦め、お洒落も諦め、アルコールも断ち、塩分も断ち、ホルモンの変化の影響で黒ずんだ皮膚と増えた顔の肝班、浮腫んだ足首にため息をついて、イケメンにすべてをさらけ出すという恥辱をすべて飲み込んで、我が子を産み落とすのです。
 母と慕ったあなたから、絶交のお手紙を受け取ったのは、妊娠五カ月の時。もう、忘れます。言い訳も思い出も。
 不安なとき、迷ったとき、分からないとき、悩んだとき、いつも人生の師と仰ぐあなたにすがってきました。
 でも結局、大事な時は一人きりだと。それに気づかせてくれたのはあなたの最後の優しさなのかも知れません。そう遠くない未来に陣痛はやってきます。女は出産によって、生まれ変わることが出来るといいます。まっさらな赤ん坊のように魂がリセットされる、本当にそうかも知れません。いよいよ、その瞬間が近づいています。
    (了)