あぁゝ大震災を悼む 笛猫人間日記・3月31日(14日、オノ・ヨーコさんからのメッセージ)

平成二十三年三月三十一日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)

 『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 いまは不幸な話ばかりだ。明るく未来に希望を抱かせる話となると、なかなかない。それだけに、きょう月刊ドラゴンズの編集長と女性記者Aさんから伺った話には、自ずと目頭が熱くなった。
    ×    ×
 今月十九日夜のナゴヤドーム。
 宮城県石巻市に住むドラゴンズ大好き兄弟(この春から小学五年生のKくんと一年生Rちゃん)がこの日、ナゴヤドームに野球を見に来ているかもしれないーとの話が伝わり、A記者が所在を尋ねる手製ボードでドームの観客席を捜してまわると、公式ファンクラブの会員仲間Fさんたちも、これに気付き手分けして「もしかしたら被災地から来ているかも知れない」と、急きょドーム内のあちらこちらに“大捜査網”が敷かれた。
 (この日は、私もドームに来て居て顔見知りの会員の何人か、からドラ兄弟の所在を尋ねられていた)。

 結果的に、兄弟はナゴヤドームに来てはいなかった。いや、大震災の発生で、小学校の消滅などでそれどころではなかった。
 というわけで、その後のA記者の取材や調べによれば、兄弟は妹のNちゃん(四歳)、母T子さんと一緒にT子さんの実家がある北海道旭川市にしばらく転居することに。父親のSさんだけが石巻市にそのまま残り、復興に向けて取り組んでいるという。

 SさんがA記者伝えたところによれば、子どもたちの小学校は大津波にのまれたあげく、火災で跡形もなく焼失したという。
 「二人とも野球をやっていましたが地震と津波が家族の楽しみを奪っていきました。いつまで家族と別々の生活が続くことになるかわかりません。でも、ドラゴンズが家族をつなぐ一つのアイテムになることだけは間違いありません。必ず家族全員でナゴヤドームでの中日戦を見に行きます」とは、Sさんからつい最近になり、A記者あてに送られてきたメールの内容だ。

 名古屋に家族旅行しナゴヤドームでナイターを観戦することが何よりの楽しみだったというSさん一家。ことし二月はじめには名古屋に行くことを決め、「もう少しでナゴヤドームにいけるね」とみんなで楽しみにしていた矢先の大震災だったーー

 突然の大震災に、いったんは、家族一人ひとりの心が引き裂かれたが、いまは希望がある。唯一つの光りがナゴヤドームでドラゴンズ戦を観戦することだと知り、私には、もはや言葉もない。

 【きょうの1番ニュース】夜、帰宅後、偶然ひねったチャンネル・テレビ愛知でMと見た「名曲ベストヒット歌謡“青春甦る1970年代”」―。
 久しぶりにボクの大好きな中島みゆきの「時代」を聴け、ほかにも美空ひばりの「佐渡情話」、青山和子の「愛と死をみつめて」をじっくり聴けた。
 番組の間の公共広告機構の広告を見ていると、「日本を元気にさせよう」「節電に協力を」「買い占めをしないで」「日本はひとつです」といった類(たぐい)が目立つが、やはり、ここは中島みゆきの淡々とした「時代」を流した方が、被災者たちにとっては元気の源になるような、そんな気がする。
 「愛と死をみつめて」を耳にM曰く「小学校6年のとき、家族で古知野劇場に映画を見に行ったことがあるので、よく覚えている」と。Mが少女のころ、家族で映画を見に行った、とは初耳である。

☆「福島第1原発 20キロ圏内 遺体多数 被ばくも、収容困難」「海水ヨウ素 4000倍超す 保安院『流出継続の可能性』」、「40キロ地点飯館村『IAEA基準の倍』」、「2度の大津波 生き延び 宮古・田老 93歳女性『また』ゼロに…」「78年前より大きかった」(31日付、中日夕刊)

平成二十三年三月三十日
 大震災が起きてからというもの、すっかり桜を忘れそうになっていた。それが、けさ出勤途中に、名鉄鶴舞線車内でふと顔をあげた際、車窓越しに視線の向こうで、それは見事な花々が白く咲いているのに気がつき、なんだか、胸のうちにポッとあかりが点いた。

 そして車窓から見る田畑や民家の軒先には、朝の射光が差し「なんと美しいことか」と、あらためて自然の造詣の妙と威光を感じた。桜が、これからどんどん咲き誇っていくに従い東北や関東の人たちが、また元気になられたらいいな、とそんなことをボンヤリと思ったりもした。

 【きょうの1番ニュース】あの岩瀬さんがドラゴンズ公式ファンクラブ事務局まで退任あいさつにこられた。岩瀬さんといえば、2006年に新聞社が立ち上げたファンクラブ創設当初からスタッフの一人として事務に携われ、ファンクラブの立ち上がりに当たってはその熱心さゆえ、球団との衝突もいろいろあった。
 でも、それなりに貢献度があったことも確かだ。ファンクラブのあとは、主に販売局のセールスレディーらの研修センターの代表をやっておいでだと聴いていたが、きょうの話だと、完全に新聞社からは身を引かれるとのことだった。

 ファンクラブのマスコット「ガブリ」の生みの親でもあるスタジオジブリとの折衝や、会員増を願ってのお店(販売店)へのカツ入れ、会員管理システムの構築を業者(主に大日本印刷)にお願いする、など、ファンクラブ創設期に多大なご努力をされただけに、「おつかれさま」と心から労をねぎらいたい。
 岩瀬さんがらみでは、このほか、人サマには言えないことなぞ、いろいろあったが、こちらの方は、やがて私が執筆するであろう小説の話しに留めておこう。

☆「水道・土壌から高濃度放射性物質 福島・飯館 残る村人 尽きぬ不安 米農家『田植え、収穫 どうなる』」、「福島第1原発 汚染水回収へ全力 安全委『炉冷却に年単位』」、「『負けない』心を一つに サッカー親善試合(日本代表×Jリーグ)」、「復興 国と地方一体で 増田元総務相 震災・統一選語る 中日懇話会」(30日付、中日朝刊)
 「集団避難 (福島県)双葉町民 3度目移転 アリーナから 加須市の旧高校へ」(30日付、毎日夕刊)

平成二十三年三月二十九日
 見渡すかぎり、大津波に流された東北の惨状。これらを見るかぎり、復興までにはかなりの道のりと年月がかかりそうだが、一方でこのところ、ちまたではあらぬ噂が流れ始めている。

 すべてが流された家々。これら家屋をはじめ、漁港の魚市場やコンビニ、小中学校、道路…などで今後、再建ラッシュが続くというのだ(これは復興のためにも当然のことだが)。そして、やがては再建ラッシュに合わせた“猛スピード”のバブル経済が、再び起こりかねないという。

 また今ひとつは日本中で義援金集めが進んではいるが、これら助け合いを趣旨とした善意の金が、実際に被災地の人々の手に、確実に届けられているかどうか、を不安視する声である。残念ながら、震災太りをする人間が必ず出てくる、との見方は当たらずとも遠からず、といってよいー

 【きょうの1番ニュース】中日新聞の本日付夕刊1面で読んだ「『避難を』命がけ放送 南三陸町職員・遠藤未希さん 挙式控え行方不明 母『頑張ったね』」の記事か。
 記事には「津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(二十四歳)は、津波の来襲と高台への避難を最後まで呼び掛け続けた。いまだ安否は分からない。母親は『しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで』。未希さんは秋に結婚式を控え、準備を進めていた。」と書かれていた。

 とはいえ、これだけの大震災となれば未希さんのような例は、ほんの氷山の一角に違いない。ほかにも一杯居るであろう、苦しみ悲しんでいる人々を思うと、言葉もないのである。

☆「広やかな記憶の場を 赤坂憲雄(福島県立博物館長、民俗学者)」(29日付、日経朝刊文化欄。大正九年の八月のことだ。柳田国男は仙台を起点にして……、このたびの大震災によって壊滅的な打撃を受けた、三陸海岸の村や町を歩いたのである。海沿いを行く道はなく、むろん鉄道もなかった。……柳田はどこの浜でも、老人たちが語る「無細工なる海嘯史論」に耳を傾けている。ここで「二十五箇年後」というエッセイが書かれた。)
 「プルトニウム検出 燃料棒溶融裏付け 官房長官『大変深刻だ』」(29日付、中日夕刊)

平成二十三年三月二十八日
 二十六、二十七日と、東北地方を二日間歩きまわったこともあり、きょうは、さすがに足はガクガク、それに全身が眠けに、すなわち睡魔に襲われ、自分が自分でないような、そんな錯覚に陥った。避難所生活を過ごす、巨大な地震津波にやられた被災地の方々のことを思えば、「おまえは、何を贅沢なことを言ってる」と叱られること間違いない。

 とはいえ、昔はサンズイ(汚職)が破裂する前など大きなヤマ(事件)などがあれば、朝、昼、晩の夜討ち朝駆け取材の連続でそれこそ、寝ながら歩き、あるきながら寝たものだ。そうしたころに比べれば、現場をそこそこ歩く程度なぞ何かにつけ、よく聴く“お茶の子さいさい”とは、このことを言うのだろう。

 ところで、福島第1原発事故は、新聞やテレビのニュースを読んだり聞いたりする限りでは、もはや人間の力では、手の施しようがないところまできているような気がしてならない。収拾がつかない状態が続いている。ド素人である私の考えだが、大量の炭か何かを上からスッポリかぶせて、放射性物質を閉じ込めてしまうわけにはいかないものか。とはいえ、私自身は科学にすこぶる弱いだけに、あくまで思いつきを言ったに違いはない。

 Mが言うには「そんな程度では放射能はなくならないはずだよ」という。だったら、どうしたら良いのか。ほんとに、こうした時にこそ、科学者たちに“助っ人”として、出てきてほしいものだ。科学者ならば、なんらかの手だてが打てて当たり前と思うのだが……。
 科学とは、厄介なものを作るだけで、放射能漏れとか臨界とか、を治めることはできないものか。放射能を他の物質で中和してしまうか、融かしてこの地上から消し去ってしまうことは出来ないのか。思わぬところにヒントがあり(そんな物質があり)、可能な気がするのだが。どこかに地球の危機を救うスーパー科学が登場してしかるべきではないのか。出てきてほしい。

 ただ、ちまちました理論だけを振りかざしているように見える科学者たちにはもっと、人間社会を含めた世界、いや宇宙全体を救うものを考え、かつ創造してほしい。

 【きょうの1番ニュース】わが家の玄関先、向かって右側に手すりが設けられた。両方の母とも高齢なので家に入るのに少しでも役立てば、とMの提案で農協さんを通じて業者に頼んでつけていただいた。アナログの世界だ。

 母といえば、これまで九十歳で車で野菜を届けるなどしてくれ、現役ドライバーだった、私の母がとうとう「もう、車は乗らないことにした」と決断。廃車処分の手続きに、私たち子供の実印が必要だ、ということで夜、税理士をしている妹がわざわざわが家にまで実印を取りにきてくれた。

☆「東北 希望の全力プレー 選抜高校野球 大垣日大と懸命ゲーム」(春の甲子園大会に被災地の宮城・東北高校が登場、岐阜代表の大垣日大高と対戦、0―7で敗れた。ナインは被災した人々の思いを胸に全力プレーした。)、「2号機の水 格納容器から流出と推定 原子力安全委 炉心溶融を認める」、「石巻市で震度5弱 宮城に津波注意報」、「日テレ会長、元民放連会長 氏家斉一郎氏死去 84歳」(28日付、中日夕刊)
 「福島第1原発 2、3号機 復水器満水 汚染水移せず 復旧また遅れ」(28日付、毎日夕刊)

平成二十三年三月二十七日
 海は泣いていたー
 想像以上の惨状に言葉を失い、茫然と海と向き合う私。海の方から、波たちが私に向かって「かなしいよ」「許してください」「なぜ、どうしてなの」と声をあげ、話しかけてくるようだった。
 でも、今回の巨大地震と巨大津波。海に責任があるのだろうか。海が悪い、と言いきれるのか。海だって命がけで生きているのだ。

 ところは、福島県の小名浜の海岸線。すべてを失くした人たちだろうか。二人、三人…と、海沿いに産卵した瓦礫の山のなかを放心状態で歩いている。まるで焼け野原だ。悲しさとか、涙なんか、とおの昔に通り超してしまった、そんな表情のない顔だ。主人に寄り添って心配そうにあるく黒い小さな犬が時々、立ち止まっては、ためらいながらも気を取り直したように歩いていく。海はどこまでも美しく、そして清らかだった。

 この辺りは、民家という民家がすべて津波によって押し流されていた。薬局も、クリニックも、釣り具店、お寿司屋さん、コンビニも、木も、車も。ダンプカーも、電信柱も、消防自動車も、船だって、何もかもが、だ。これほどまでに穏やかな海がいったい、なぜなのか。何があったのか。

 今回の現場行は、現役の記者時代とは違い、ある思いを心に期して足を運んだ。
 思い、とは。
 ―被災者には、こちらからはいっさい声をかけないという、これまでのような現役時代の幼稚な取材からは想像もできない“ある種の決意”だった。黙ったままの現場の表情をつかみたかったのと、悲しみのどん底に突き落とされた被災者に、あえて質問する必要はない、との判断にたつからである。

 それでも近くの高台で民宿を営み運よく助かった、という八十三歳の女性が穏やかな海を見ながら、向こうから独り言のように海を見て立つ私に向かってこう語りかけてきた。
 「あのね。この地区では、みんなそろって高台に逃げたが、八人が亡くなった。砂と水の混ざった真っ黒な津波が音をたてて迫ってきたときには皆、逃げるのに精一杯だった。ほんの一瞬の出来事だった。
 ウチの父ちゃんの同級生も逃げたが、逃げ遅れて木に引っかかって死んでいるところを二、三日後になって発見された。襲ってくる津波から逃げ惑ううち、命からがら電信柱によじ登って奇跡的に助かった人もいる。ここは被害が少ないのでテレビでちっともやらないが、それでもほんとに大変だったのだから。
 それに恐ろしいのは、何といっても原発。福島第1原発から四十キロそこそこ、ずっと家の中にいたのだけれど、きょうは娘が横浜から心配してきてくれたので、こうして久しぶりに外に出てきたんよ」と。

 私はその後も海岸線を原発寄りの方向にタクシーで北上。海水浴場で知られる豊間方面にまで足を伸ばしたが、海岸近くの家という家が倒壊し、引き潮でさらわれたあげく、家々が粉々に壊滅状態となった、惨たんたる浜が延々と続いた。近くには、美空ひばりさんの歌謡曲「乱れ髪」の舞台・塩屋崎灯台があり、私の目には、悲劇の舞台を眼下にする白い灯台だけが異様に映った。

 現場を訪ね、私には今、不幸を乗り越え、それでも助け合いの心で生きようとする人間の力、すなわち人間の尊厳に頭を垂れること以外には、何の考えも思いつかない。当然のことながら、人間たちは日々、自然に生かされ、殺されつづけていく。せめて、人間同士が敵対による醜い殺し合い、すなわち戦争だけはやめてくれたら、とそう願わざるを得ない。

 帰宅した私にMは、こう言った。
 「津波は、なんにも悪くはない。地震が起きたから津波が起きたのだから。津波はなんにも悪くはない」と。
 今夜は、ここまでにしておこう。

 【きょうの1番ニュース】私が帰宅したら、みんな元気でいたこと。これに尽きる。平凡な生活が、どれほどありがたいものか、を思い知った。

☆「福島第1原発 2号炉から海に水か 排出口に流出跡 高い放射線量」「東電、プルトニウム未分析 3号機の水 専門家は危険性指摘」「『福島第1に大津波リスク』 2年前に研究者指摘 東電想定を先送り」(27日付、中日朝刊)
「海水に1250倍放射性物質 第一原発放水口付近 保安院『拡散し薄まる』 21日調査の10倍」(27日付、読売朝刊)

平成二十三年三月二十六日
 あくまで個人的に。あえて言えば、名もない小説家・伊神権太として今月十一日、巨大地震と巨大津波に襲われた東北の被災地を見てこようと朝、自宅を出た。

 かつて一人の新聞記者として長崎大水害はじめ、何人もの少年たちが波にさらわれた秋田の中部日本海地震、三重の嬉野豪雨禍、岐阜の土石流に伴う栃尾温泉崩落、さらには山陰豪雨、長野の“ヤマ(地附山)が動いた”ことによる老人施設「松寿荘」の崩落、三宅島噴火…と、それこそ、数え知れないほど多くの現場を踏んだことがある私としては、どうしても知らんぷりは出来ない、自分の目で被災地を確かめたいからである。

 だから二十六日の笛猫日記は帰宅後、二十七日分とあわせ執筆することになる。本欄を楽しみにしてくださっている方のなかには、権太はどこへ消えてしまったのか、と心配してくれた人々もいるに違いない。遅ればせながら、こうした事情があったからで、まる一日遅れのアップをおわびしておきたい。

 さて、その東北だが、秋田には行ったことがあるが、なぜか太平洋側の東北を取材したことはなかった。災害や事件の少ない、これまではそれだけ温厚な土地柄だった証明ともいえよう。その東北地方に、これまでの災害とは比べられないほど、まさにウルトラ級の震災と津波が襲いかかったのである。
 発生以来、私は内心いつ行こうか、とそればかりを考えていた。

 【きょうの1番ニュース】伊神権太、すなわち私が大震災の現地に入った。

☆毎日新聞の昨日(25日付朝刊)の希望新聞で、作家の高樹のぶ子さんがこう訴えている。
 「テレビのニュースで地震を知り、作家として具体的に何ができるのかを仲間たちと共に考えています。被災した方々には、世界中のあたたかな気持ちが注がれていることを感じてほしい。
 「やりたいこと」「やるべきことがあること」「それができること」が、人間が幸福を感じる三つの要素だと私は考えています。できることは限られているかもしれないけれど、毎日子供のために折り紙を折って、喜ばせてあげることでもいい。余裕のある方は自ら三つの要素を見つけてほしい。また、絶望のふちにいて余裕のない方に、それらを発見させてあげてほしい。受け身ではなく、心も体も動かしてこそ、希望が生まれると思います。

平成二十三年三月二十五日
 「誰も恨むことができない」「とにかく悔しい」「家族を亡くして独りになってしまった」「普通の生活がしたい」…。
 東北の被災現場から届く言葉にはひと言ひと言、凍えるほどの実感がある。

 大震災発生から二週間がたち、死者は一万三十五人となり、一万人を超えた。家族や親族が警察へ届けた行方不明者は一万七千四百四十三人で、計二万七千四百七十八人に上る。

 【きょうの1番ニュース】私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」同人、牧すすむさん(琴伝流大正琴・弦洲会会主)にお孫さんが誕生した、とのこと。心から、おめでとう。
 だから、牧さん、四月になると娘さんのいるイギリスへ行っちゃうのだ。あのメグちゃんが、赤ちゃん(女の子)を生んだ、だなんて。とても信じられない。
 きっと、メグちゃんに似てとびっきりの美人に違いない。なんてったって。かよさん(牧さんの奥さん)が、とびきりの美人なのだから。牧さん、かよちゃん! もう一度、心からおめでとう。

 この日、中日球団の株主総会が開かれ、代表取締役社長に中日新聞社常務取締役総務担当兼名古屋本社代表代理の坂井さん(克彦氏)が就任。また、球団の顔的存在ともいえる、取締役球団代表兼連盟担当には同秘書役兼社長室秘書部長の佐藤良平さんが就任した。ふたりとも、私たちファンの心をつかむ点では、まさに適任といえ、一ファンとしても今後のご努力と活躍に期待したい。

☆「作業員被ばく 放射性物質 炉内の1万倍 3号機 原子炉損傷も 線量計『故障と思った』」、「最後まで傍らに 津波…『じいちゃん一人にできん』、 東日本大震災 南三陸の病院で不明 81歳妻 説得拒み病室に残る」(25日付、中日夕刊)
 「パナソニック 乾電池を空輸 重くてコスト高…でも供給優先」(25日付、日経朝刊)
「秋葉原無差別殺傷 加藤被告に死刑判決 東京地裁『日本全体が震撼』」(25日付、中日朝刊)

平成二十三年三月二十四日
 今の世。人間たちは、何もかもが、見えない大きな「壁」に突き当たって跳ね返されている。福島第一原発の放射能汚染とて同じことだ。驕り極まる人間たちに、自然界が人間の手になるもの(放射能)を使って『自らの命』をも犠牲にして明らかにノーを出している。それは、すべての生き方に対して、である。

 今回の大震災で傷つけられたのは、何も人間たちばかりでなく、美しい海岸線が地獄絵図と化した自然界とて同じだ。自然界だって、身をていしての自然破壊に自らの心を悼めているのだ。それでも浅はかな人間たちは言う。「こんなはずではなかった」と。
 でも、現実に福島第1原発では現在、手をつけられない状態になっており、現実問題として、きょうの午前、とうとう3号機のタービン建屋内で、二~三十代の男性作業員が放射線量を浴びて被ばくした、とのニュースが伝わってきた。ふたりとも両足の皮膚に放射性物質が付着し、ベータ線熱傷の疑いと診断されている。

 愚かな人類たちは、もはや行き場のない『見えない大きな壁』にぶち当たり、身動きできなくなっている。どうしようもなくなっているのだ。

 【きょうの1番ニュース】Mがお店で常連のお客さんから聞いた話しは、「こうした時だからこそ、何もかもが自粛、自粛ーはよくないんだってサ。日本の元気がなくなってしまうから、なんだってよ」

 プロ野球のセ・リーグが開幕日をパ・リーグと歩調をあわせ、四月十二日にすることになった。この日、東京都内で開かれた緊急理事会で決まったもので四月中の東京電力、東北電力管内でのナイターを取りやめ、三時間三十分を超えた場合は新しい延長イニングに入らないことも決めた。また、東京ドームでは四月中はデーゲームも行わないこととなった。

☆「E・テーラー(エリザベス・テーラー)さん死去 戦後ハリウッドの大女優 79歳」、「洋画家・二科会名誉理事 安藤幹衛氏 死去 95歳」、「放射性物質 東京の水道水でも検出 23区と5市 乳児の基準超」、「福島第1 3号機また煙 ポンプ試運転見送り」(24日付、中日朝刊)
 「統一選『防災』争点に 12知事選告示 東京10人立候補」「三重は3人届け出」(24日付、中日夕刊)

平成二十三年三月二十三日
 見えない放射能汚染の範囲は、じわじわと広がっている。きょうは、とうとう東京二十三区と多摩地区五市で一歳未満の乳児に限り、水道水の摂取を控えるように、とのお達しが政府から出され、市民の不安は広がっている。「たとえ飲んだとしても健康への影響はありません」と、政府が国民の心配や不安を過度にかきたてないようにーと配慮を凝らしているのが、報道ひとつを取っても、よく分かる。

 どうやら、金町浄水場(葛飾区)で採取された水道水から、食品衛生法に基づく乳児の摂取に関する暫定指標値の二・一倍の放射性ヨウ素が検出されたためらしい。また福島原発から北西に四十キロ地点での採取土からも基準をはるかに上回る、千六白倍を超える放射線ヨウ素131(210ベクトル)が検出されたという。そればかりか、夜に入ってからは茨城県下でも国の基準値を上回る放射線が土壌から検出されたという。

 市民の間では「母乳に影響するのでは」「妊娠中の女性への影響は、あるのかないのか」「水道水を飲めるなら飲める、飲めないなら飲めない、とはっきりしてほしい」「これでは農業ができない」などの声が沸きあがっている。

 このまま汚染が広がっていったなら一体どうなるのか。「もう終わりだね」なんては言わせないで、まさに人間の叡智を結集し、これ以上の汚染の進行は留めてほしいのだが。いまの時点では何もかもが、崩壊の道を辿っている。

 【きょう一番のニュース】きのうのゴキブリ談議をMとしていると、彼女はこういった。
 「ゴキブリは環境の変化に伴い、ますます強くなってきている。生きた化石そのものなのだから」と。

☆「福島第1原発『14メートル大津波 想定せず』 設計担当者 東電の甘さ指摘」「『科学的根拠に基づき設計』 被災地で謝罪の東電」(23日付、中日朝刊)「夏の電力不足 最大1500万キロワット 東電管内ピークの二十五%分(最大需要は6000万キロワット) 政府総量規制も検討」「放射能検査の依頼急増 食品メーカー 風評被害を警戒」(23日付、日経朝刊)
 「選抜高校野球が開幕 がんばろう! 日本」「教訓忘れず生き抜く 東日本大震災 『津波てんでんこ』語り継ぐ 大船渡の災害史研究家 『人に構わず ばらばらに逃げろ』」 (23日付、中日夕刊)

平成二十三年三月二十二日
 それにしてもプロ野球・日本野球機構(NPB)の加藤コミッショナーは、一体何をしている。彼の頭にはどこかのドンに躍らせられた誤った企業倫理、経済観念しかない。こうしたときこそ、被災者はじめ、選手一人ひとり、それこそ心を痛めている全国のプロ野球ファンの気持ちを思う決定を速やかに、自発的かつ主導しすべきでないのか。
 それが、このところの一連の対応の悪さだ。我々、国民の遺産・プロ野球をどうしてくれるのだ。私ほど寛容な男でも、ファンになりかわって叫びたい。今回の東日本大震災発生後の対応のまずさは目に余る。コミッショナーの動きは全てが後手、後手で文部科学省や経済産業省の指摘に、そのつどいやいやをしながら仕方なく動いている。私の目にはそう見えてしまう。
 あの蓮肪節電担当相が吠えて当然だ。

 きょうの日経コラムにこんなことが書いてあった。
 ―プロ野球の開幕日について「なぜセ・リーグは被害を受けたパ・リーグと同じ四月十二日にしないのか。野球界こそ、助け合いの精神の見本を示すべきではないのか」と疑問に思われた方も多いだろう。残念ながら、日本では球団間の助け合いがほとんどない。個人主義が強いといわれる米国で大リーグでは、利益の一定割合を供出させて、各球団に再配分して経営の苦しいところを助けている。また、年俸総額の多すぎるところにはぜいたく税をかけて、チーム間の勢力均衡を図っている……パは十二球団全体でのオーナー会議を要請した。セはどう対応するのか。自分たちだけが良ければいいという球団エゴ、リーグエゴと批判されない行動が強く望まれる(島田健)
 
 どうやら、さきほどのニュースによれば、十二球団のオーナー会議が二十六日に開かれるらしい。

 きょうは夕方、中日新聞本社六階ホールで春のプロ野球開幕を前にした恒例の社内の中日ドラゴンズ激励会があった。冒頭、東日本大震災の被災者に対して全員で一分間の黙祷をし、白井オーナー(中日新聞社会長)が「ドラゴンズの一試合一試合は中日新聞社にとっての、最大の事業である。ことしは今月十一日に東日本大震災が起き、いつもの年とはわけが違います。お祭り騒ぎは慎みましょう」とあいさつ。落合監督が「この中には、我々の仲間である小山くん(小山桂司捕手)のおじいさんも亡くなられました。この方たちのご冥福を心から祈りましょう。…“生きて、野球ができる幸せ”を肝に銘じて、野球でできることをしていきたい」とあいさつ。
 こうした時期でもあり、激励会はいつもの鏡割りもなく、大島社長の被災地と被災者の奮闘に心からの敬意を表する励ましの献杯、そして今シリーズの飛躍を誓う乾杯の音頭で始まった。

 森野、吉見、岩瀬、中田亮、荒木、山本昌、大島、準規選手…、ほかに井上2軍監督、稲葉コーチらとも二言三言交わしたが、ドラゴンズの選手、スタッフはみな本当に謙虚で地道でいいなっ、と心から思う。
 「そんな苦しいことばかりでもないはず。そのうち、この日本の立ち位置もきっとみえてきます」との白井オーナーの言葉をかみしめ、秋にはぜひとも、セ・リーグ連覇と完全日本一を果たしてほしい。

 帰りぎわに前ドラゴンズ球団社長(元編集担当)の佐藤毅さん(日本ペンクラブ会員)が、本社七階の公式ファンクラブ事務局に立ち寄られ、結局のところは近くの店で、いまの世情などにつき積もる話を夜遅くまで話し合った。佐藤さんは、いまの世に蔓延する風潮を自らをゴキブリの古老の独り言として大変、憂えておいでだった。

 【きょうの1番ニュース】ベタ記事危うし、一日一言―など多くの著者でも知られる新聞記者の大先輩・佐藤毅さんから、今夜も多くを学んだ。ニンゲンたちが相手にしてくれなくなった古老のゴキブリを自らに例え、人間社会を痛烈に批判し、最後はゴキブリというゴキブリが大逆襲し人間社会を崩壊させニンゲンたちを目覚めさせる、といった痛快極まる話をお聞きした。
 つい最近、書かれたというその物語が日の目を見るのか、見ないのか。今後のお楽しみというところだ。話をお聞きする限り、それはゴキブリに人間の退廃ぶりを語らせた、荘厳、かつ壮大な叙事詩ともいえる。現代社会を鋭く突く筆致は毅さんならでは、といえる。ゴキブリを嫌うニンゲンたち。ゴキブリは、アメリカ文化にのみこまれた、ひよわな団塊の世代から嫌われ始めたらしい。
 毅さんは「ボクたちのころは、ゴキブリが出てくると母親が“お金持ちになれる。縁起がよいのだから絶対、殺しちゃいけない”と言われたものです」とも。警句に満ちたフィクションだけに、大いに期待してよい。「せっかくの作品だけに、何とかモノにしてください」と私。

 夜遅く文部科学省で頑張る長男からMに久しぶりに電話が入った。科学博士の彼がこの緊急事態に、今どこでどうしているか、が心配だったが元気でいると聞き、ひと安心した。

☆「海水監視強化を指示 放射性物質検出で政府 周辺を調査 福島第1原発」「魚介類摂取『心配無用』」「生物濃縮 海草より遅く」、「福島県『海産物の流通なし』」(22日付、中日夕刊)

平成二十三年三月二十一日

 春がきた。春分である。
 昨夜から降り注いだ雨は、昼前には止んだ。

 私たちが住むこのちいさな町の中にもアピタ、平和堂、バロー、三心…と、そこそこのスーパーがあり、中には日曜雑貨のホームセンターもある。初老の夫婦連れ、家族連れ、独身の男女と皆、きょうを生きるために、食料品を買い、トイレットペーパー、ティッシュ、灯油などを買い求めている。

 わが家とて、同じだ。
 あれだけどっしりと何があろうと慌てないはずのMに連れられて行った先はこの町では一、二の規模を誇るホームセンターだった。店内のどこへ行くかと思ったら、Mはヘルメット売り場へ。
 あいにく、ヘルメットはすべて売り切れていた。次いで行った先は電気が消え、ガスが途絶えても、電池と灯油があれば煮炊きができるという石油ストーブ売り場だった。こちらも、商品が底をついているようで、いったんは「売り切れです」と言われたものの、あとで店員さんが私たちを追いかけてきて「一台だけありました」とのこと。
 結局は、石油ストーブ一台を手に帰宅したのである。

 それにしても被災地・東北からは、はるかに離れているのに庶民感情の敏感かつスピーディーさには驚いた。ほかに水の入ったペットボトルも、すべて売り切れていた。私は店内をトボトボ歩きながら身を守るということは、こういうものなのかーとなんだか無性に人生そのものに幻滅し、かつ嘆息した。恥をさらし、こんなにしてまで生きてなんかいたくはないな、とも。

 こんなちいさな町でもこうなのだから、いざ東海大地震でも起きようものなら大変な事態になりそうだ。パニックに陥ることは目に見えている。

 買い占めといえば、私とMが地方での生活を始めてまもない昭和四十八(一九七三)年の第一次石油ショックのころが思い出される。トイレットペーパーが無くなるとの伝聞報道に、留守を預かるMが志摩通信部(阿児町鵜方)近くのスーパーに連日、走った日々が忘れられない。
 この点については、きょうの中日新聞が社説で的確に論じている。「一九七三年の第一次石油ショックの際、トイレットペーパーや洗剤の買いだめが広がり品不足に拍車をかけたのは、不用意な報道がきっかけだった。その苦い経験を教訓として生かしたい。」とー

 きょうは、外出以外は今月十一日に発生した東日本大震災を報じる新聞記事の整理に追われた。公私ともに他にもしなければならないことがいっぱいあるのに、だ。でも、世の中なるようになる、ケ・セラ・セラでいくほかあるまい。

 福島第一原発の放射性物質拡散は一向にやむ気配がない。むしろ、少しずつ拡散しているような気がしてならない。きょうも、一時、原因不明の灰色の煙がたちのぼるなど周辺住民を不安と恐怖のどん底に落とし込んでいる。
 こうしたなか、政府は食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出されたことを受け、福島、茨城、栃木、群馬の四県で生産された葉物野菜のホウレンソウとカキナ、福島産の原乳について、当分の間、出荷を控えるよう各県知事に指示する事態に至っている。

 【きょうの1番ニュース】やはり、きのうの午後四時ごろ、大震災発生から217時間ぶりに救出された阿部寿美さん(八十歳)と孫の高校一年仁さん(十六歳)の無事救出の話である。
 新聞各紙も、テレビも、ラジオも、トップニュースとして二人の救出された当時の模様につき大々的に報じている。前が見えない暗い被災地に放たれた、ひと筋の光りだけに当然といえよう。
 その後、昨日は捜索中の警察官が、倒壊して一階部分がつぶされた二階建て木造住宅の屋根の上で助けを求めていた仁さんを見つけ、顔面蒼白の仁さんが震えながら「助けてください。家のなかに、おばあちゃんがいます」と言うので警官隊が二人を救出したことが分かった。
 津波で流され倒壊した家屋は幸い、二階まで浸水し家具が倒れるなどはしたが、身動きがとれないほどではなかったという。このため、二人は毛布にくるまり、台所の冷蔵庫などにあった牛乳やコーラ、水を飲み、ヨーグルトや茶菓子を食べて救助を待ち続け、助けられた。
 中日本紙は、この奇跡を「がれきの街に希望 東日本大震災 『生存信じていた』 10日目の救出 父ら朗報に涙」「好条件重なり『奇跡』 布団■台所■2人一緒」の大見出しで軟派トップでも報道した。

☆「80歳と孫 10日目の救出 『家ごと津波で流された』 石巻 16歳はい出しSОS」「死者・不明2万人超す 東日本大震災」、「仏英米など 空、海からリビア攻撃 政権側徹底抗戦の構え」(21日付、中日朝刊1面)

平成二十三年三月二十日
 いまの日本は、なにかしら哀しみの時ばかりが流れていく。人びとの心も、事と次第によってはスポリスポリ、と見えない奈落の底深くに落ちていってしまいそうな。そんな気さえする。

 こうした中、きょうになり宮城県石巻市内で八十歳の女性と孫の十六歳の少年が津波で流され倒壊した自宅瓦礫の隙間と屋根部分の上に埋まっていたところを大震災発生後十日目にして助け出された。まさに奇跡と言っていいニュースをNHKテレビで知り、人間の生命力の強さをあらためて思い知った。

 このほか、夕方には「宮城県の、ドラゴンズファンの小学生兄弟の無事が確認されたようです。月ドラのA女性記者が捜していたそうです。本当によかった」のメールが関東に住むファンクラブ会員Bさんから飛び込んできたのでさっそくA記者に「よかったですね」とメールを打つ。
 まもなくして「えっ、捜したのをご存知でしたか。月ドラにお母さんから手紙と写真が届きナゴヤドーム観戦を楽しみにしていたから心配で。無事でホッとしました! 」の返事。よいことは重なることを実感した。

 このところは、バタバタとして実家にも寄れなかった。
 デ、きょうは久しぶりに九十歳の母のご機嫌伺いに、Mとともに訪ねた。母は開口一番「菅直人さん、大変だねえ。でも、よくやってるわよ。それに引き換え、ハトヤマ某(鳩山前首相)って男。一体全体、国民に何をしてくれたと言うの。みんなが、ないお金を遣り繰りして洗いざらい、あっちこっちに義援金を出しているのに。大金持ちのハトヤマこそ、五億、十億円の義援金を出すべきじゃないの。それを菅さんが国家の一大事に、協力要請をしたのに横を向いて知らん顔を装うだなんて、許せないわよ。人間が出来ていない。にせものだね。ニンゲンの屑だよ。みんなが辛い思いをしているのに。政治家たちは、何をしてくれたというの。政治家全員が一人ひとり百万、二百万単位の義援金を出さなければいかん時じゃない」ときた。
 まるで政治に疎い、私が代わって叱られているようで、あらためて母の意気に気おされたのである。実際に母の言うとおりだ。

 支援といえば、名古屋市の河村たかし市長が昨日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、福島、岩手の三県に、二〇一一年度の市民税10パーセント減税を実施しないことで生じた財源から三億円の物資を緊急支援すると発表した。
 母は、この点にも触れ「ハトヤマに比べたら、河村さんの方が、どれだけえらい人か。わやくちゃか知れんけど、やっぱあ、あの人は、えらい。えらいよ。これで議員のみんなも、報酬の半減に反対できない。賛成せざるをえなくなったね」と、付け加えた。それにしても母は新聞もよく読んでいれば、テレビ、ラジオのニュースもよく知っている。自分で言うのも面映いが、すばらしい母だ。

 夜になり、この地方にもポタポタと夥しい雨の滴が降り始めた。ふと、東北、関東地方に降る雨に放射線が含まれていないことを、天を仰いで祈った。黒い雨、ならぬ「黒い雪」などが降ってきたのでは、さまにならない。

 【きょうの1番ニュース】Mが歩行するのに右足を痛そうにしているので「どうした、大丈夫か」と聴いても例の調子で「大丈夫よ。たいしたことないのだから」の一点張り。どうやら、転んだか、何かにぶつかった、それとも階段から足を踏み外したらしい。でも、大丈夫よ、と言っているのだから、それ以上の追究はやめておこう。
 大津波で流されてしまったことを思えば、こうして目の前で元気で生きていてくれるのだから、と自身に言い聞かせることにした。それにしても彼女の口は、こうした時に、ますます固くなる。へんなところで信念が強すぎる。

☆NHKスペシャル「東北関東大地震10日目 未曾有の危機をどう乗り越えるか・放射線広がる不安ほか」(20日午後10時、NHKスペシャル)
 「のみ込まれた町・陸前高田市 世界4番目の巨大地震」(20日付、しんぶん赤旗日曜版)、「福島第1原発 1、2号機電線敷設 3号機への放水続く」「福島・原乳、茨城・ホウレンソウ 基準超す放射性物質 出荷はされず」、「原発の街後に 双葉町1500人 さいたまへ」、「対リビア軍事介入宣言 仏大統領『戦闘機、上空で監視』」

 「新たな命 守りたい 東日本大震災 新生児と母に宿泊所 盛岡のNPО『普通の生活』提供」「ぼく 避難所生まれ 看護師手助け 男児誕生 石巻の小学校保健室」、「名取市職員・西城さん 生きる。妻子に誓って 津波で離別、気丈に業務」(いずれも20日付、中日朝刊)

平成二十三年三月十九日
 土曜日。
 プロ野球の球団では1番深刻な被災者となった「楽天」選手たちが義援金の呼びかけ、募金をするというのでこの目で現場を見ておこうーと午後、ナゴヤドームへ。募金呼びかけは「楽天」のあと、昨日に続いて「ドラゴンズ」の選手も行ったため、一度義援金を出したファンが再び長い列を作り、『二度募金』をする光景が見られた。歩いて確かめてみたが、長い行列は2番ゲートから7、8番ゲートにまで、ドームの外周デッキ部分を延々と半周以上にわたって途切れることがなかった。

 そして。
 中日新聞朝刊を見れば、百万、二百万、五百万単位で中日社会事業団を通じて被災地に義援金を寄せてくる人々が、連日相次ぎ中には、あみやき亭の佐藤啓介社長(春日井市)のように社として一億円、個人として一千万円を寄せてきたケースまである。新聞には百万円以上の寄託者が顔写真入りで、その他の人たちもズラリと名前が書き連らねられており、異様な紙面といってよい。

 そういえば、私が大垣支局長のころ、阪神淡路大震災があり、支局には連日連夜、義援金を手に訪れる人々が絶え間なく、一支局だけで六千万円を超えた。養老の滝で知られる孝子伝説の町・養老の町内会からは確か、六百万円がドンと寄せられてきた。その筋の人物からも「淡路はワシを育ててくれた故郷やからな。いまこそ、みんなで助けてやらなければ」と大枚が届けられ、断る理由はなく、ありがたくお受けした。
 何より困ったのは小銭を数えないでそのまま持ち込まれる場合で、支局の女子職員・夏ちゃんと来る日も来る日もかぞえ、隣の大垣共立銀行藤江支店を通じ、中日社会事業団に毎日、送り続けた日々がつい、きのうのようでもある。

 こうした義援金フィーバーにつき、Mは言う。
 「あなた、その大切なお金の行き先をしっかりしなければ。そこを、ちゃんとしてくれないと。被災者の元に届けられていればよいのだけれど。まさか義援金ぶくれ、のヤカラはいないでしょうね」と。心配ないとは思うが敢えて、ここに寄託した者の一人として、こうした声を忘れることのないよう、記しておきたい。

 この日、東京中日スポーツ紙には震災特別紙面の緊急事情から、予定された東京・調布市に住む自他共に認める“むさしのガブリ”夫妻の珠玉原稿「会員沖縄リポート」が残念ながら掲載されず、幻の原稿となった(中日スポーツには掲載)。
 このため私から、ご夫妻にお詫びの連絡メールをさせていただいていたところ、次のような返信が二回にわたって届いた。
 「おつかれさまです。事情は承知しております。名古屋の知人より、掲載された記事を見たと電話がありました。現在、東日本では日常の生活にも支障がでている状態ですから無理を申し上げることはできません。むしろ、(公式ファンクラブの)通信員として何かできることはないか、と悩み考えております。ご丁寧に連絡を頂戴して逆に恐縮です。早く、心底誰もが野球を楽しめる日がくることを願ってやみません」(1度目)
 「……プレーをする選手も、プレーをできる喜び、一方で被災者に胸を痛め、様々な気持ちを交錯させながらではないかと感じています。土曜の夕方にもかかわらず(公式ファンクラブのホームページまでアップしてくださり)本当にありがとうございます。
 宮城県のドラゴンズファンの小学生の消息がわからないという話も聞きました。なんとか無事でいてほしいです。ドラゴンズへの思いと、北関東、東北への祈りを込めながら応援生活をしていこうと思っています」(2度目)

  ついでながら、きょうは東京都内でセ・リーグの臨時理事会が開かれ、当初予定されていた二十五日の開幕が二十九日に延期されることになった。
 ほかに▼四月三日までは東京電力、東北電力管内のナイターは取り止め、デーゲームとする▼四月五日から東京電力、東北電力管内のナイターは「減灯ナイター」として節電策を講じる▼節電策の一つとしてレギュラーシーズンで延長戦を行わず、9回で打ち切る▼東京電力、東北電力管内では、夏場の試合を可能な限りデーゲームとする▼安全確保や節電問題などに対処するため震災対策会議を設置し、選手と連携して難局を乗り切るが決まった。
  とはいえ、これらはあくまでも現段階での決定事項だ。今後、事態の推移によっては大幅変更もありうる、と思う。要は、いざーという時の危機管理はプロ野球界とて同じだ。そして何よりも野球をする当事者、選手たちと、これを応援するファンの皆さんの心情を最優先してことにあたるべきだと思う。まだまだ、分からない。

 【きょうの1番ニュース】やはり、義援金を手にナゴヤドームオープンデッキに長蛇の列を連らね募金を繰り返したドラゴンズファンをはじめとした楽天ファンなどプロ野球を愛する人びとの熱き、そして、どこまでも温かい気持ちに尽きる。

☆「生活支援へ一歩 岩手・陸前高田 仮設住宅 初の着工」、「福島第1原発 2号機電線敷設急ぐ 6号機発電機起動」、「米大統領 リビアに警告 安保理決議 無視なら武力行使も」、「名古屋市科学館 新館がオープン プラネタリウムは中止」(19日付、中日夕刊)

平成二十三年三月十八日
 東日本で突如、人間社会を襲ってきた巨大地震― あれから丸一週間たったきょう、全国各地で黙祷が行われた。
 私もナゴヤドームでオープン戦の楽天戦を前に、一人の観客として、グラウンドに勢ぞろいして目を瞑る両チーム選手とともに客席脇に立ち黙祷した。目を閉じて、自然の猛威がこれ以上、地上を、人間社会を襲うことのないように、と願った。

 東日本大地震の爪痕は広がる一方だ。復興のメドは、とてもつかめてはいない。被災地では今なお数万人以上に及ぶ人々が行方しれずの肉親を捜し続けている。

 きょうも苦しい闘いが繰り返された。それでも、食料やガソリン、水、衣類、電源確保、物資の輸送といった、いわゆるライフラインの確保が少しずつゆきわたり始めている。
 大震災と並び、もうひとつの難敵である福島第1原発での原子炉4機の全壊に近い破損、放射能漏れの方も、政府、東京電力が一体となり、傷んだ部分への放水に始まり、失われた外部電源確保への作業が被ばく覚悟で、それこそ命がけで進んでいる。
 だが、いまのところ、放水効果で漏れた放射能の量が少しだけ低下した以外は、これといった決め手にはなってはいない。

 テレビ画面から何度も大写しとなる壊滅した海沿いの町や村、大津波に流された車、押し潰された民家。積み重なったままの瓦礫の山また山、そのなかを肉親を捜し求めてあるく悲壮な人びと……。二千数百カ所にも及ぶ避難所では、多くの被災者が身を寄せ合うようにして寒さに耐え、忍んでいる。

 きょうは、ナゴヤドームで楽天戦を前にドラゴンズ選手がデッキに並んで義援金の募金集めをした。ファンとは、ありがたきかな、である。私たちがドームに着いたときには、既に長蛇の列で五、六百人以上が並んでいた。
 そのなかに、あのファンクラブのゴッドマザー、八十歳の安江都々子さんもいた。「イガミさん。きょうは、浮気し楽天のユニホーム着てきたから。ごめんね」と屈託がない。 楽天選手を、東北の人々を助けなくては、との思いが伝わってきた。彼女は、星野監督はじめ、山崎、鉄平選手らかつてドラゴンズに在籍した面々のすべてを知り尽くしているだけに、小銭を用意。一人ひとりの箱に入れなくては、と張り切っていた。
 でも、この日、楽天選手による募金活動は混乱を防ぐためなのか、当初の実施予定が中止になった。それでもあすの午後三時からは楽天選手による募金活動もドームで行われるという。いいことだ、と思う。

 【きょうの1番ニュース】文部科学省がプロ野球界に対して「大震災で電力不足が心配されるなか、ナイターゲームは自粛してほしい」と要望したほか、海江田万里通商産業相が「プロ野球は開幕を延期すべきだ」とプロ野球界に向かって吼えたてた。その意気や、ヨシである。
 さもありなんーで、ナゴヤドームで現役記者も含め、多くに聞いた限りでは「選手会自体がためらい、東北関東がああした状況では延期して当然ではないか」との声が目立った。ファンクラブの問い合わせメールにも「なぜ、こんな時に強行開幕をしようとするのか。私は長年、ドラファンできたが、もし強行したなら会員をやめる」といった声が多く寄せられている。

 予定どおり、開幕すべきかどうか。セ・リーグは予定どおり二十五日の開幕が既に決まってはいるが、こんごどうなるのか。まだまだ予断を許さない。やる方も応援するファンも、みな事態を真剣に見据えたうえ、それぞれの立場もあり、心は千々に揺れているのである。

 こうしたなか、大リーグ・マリナーズのイチローが1億円を、日本ハム・ダルビッシュが5千万円を、それぞれ日本赤十字社を通じ義援金として送る、と発表した。菅直人首相も国民に向かって「大震災、原発事故にくじけることなく、新しい日本をみんなで作りあげよう」と呼びかけた。新しい日本の創造は、大震災直後に、あのオノ・ヨーコさんから私にも送られてきたメッセージの内容と同じだ。前向きな発言といってよく、歓迎したい。

☆『巣立ち「笑顔を力に」 東日本大地震1週間 安否なお数万人』「宮城・石巻で小学校卒業式 避難住民 みんなで祝福」、「福島第1原発 午後にも地上放水 外部電源復旧を急ぐ」、「リビア空爆を容認 安保理、飛行禁止を採択」(18日付、中日夕刊)