大震災を悼む 笛猫人間日記2月/29日

(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

  『ねぇ~』   こすも・ここ
 

    『なぁに』  

 

 朝起きると、東京は雪降りで尾張名古屋は春雨。でも、この雨も午後には晴れ上がり、町を歩いていると春の息吹といったような、キラキラと輝くものが感じられた。いよいよ春の到来である。能登では、そろそろ雪割草が雪融けの中を割って入って、白いちいさなかれんな花を咲かせるころである。

 春といえば、Mの生まれた日こそ、きょう二月二十九日だ。デ、うるう年に生まれたMは満十五歳を迎えたことになる。愛猫こすも・ここの十八歳、妹シロちゃんの十七歳には負けるが、私、いがみの権太サンの意識のなかでは三人ともかわいい娘、ちょっぴりわがままな三姉妹といったところだ。

 (あのねえ、ここでアタイからひと言。15歳だって。アタイに比べたらまだまだ若い、若い。お姉さん、いや妹よ! あなたはこれからが光り輝くときなのだから。自分の生きたいように毎日を過ごしてください。ネ! 俳句と短歌に期待してまぁ~ス)

 というわけで、私は名古屋の大須で横笛の稽古をして帰る途中、江南駅で名鉄電車を下りたところで駅近くの大口屋へ。あれこれ考えたうえでMには誕生日祝いとして、お内裏さまの和菓子を買って帰宅した。Mのうれしそうな顔を見て「買ってよかった」と思ったが彼女曰く「マサツラからも『おかあさん、誕生日おめでとう』ってメールがあった。東京は雪で大変だってよ」の弁。

 それにしても長男は雪に縁がある。彼はMと同じ2月の、それも22日に三重県志摩半島で生まれたが、その日はめったに降らない白いユキが天から降臨し「南国・志摩に雪が降った」と大騒ぎして取材に飛び回った、と記憶している。ついきのうのようでもある。

【きょうの1番ニュース】来月二十日に行われる七種会の発表会で横笛演奏のあとのアトラクションでハーモニカ演奏をすることになった。きょうの稽古で笛をふいたあとで「実はボク、ハーモニカは上手ですよ」なんて余計なことを話したため「じゃあ、発表会のあとの余興でふいてよ」ということになり、引き受けてしまった次第。いやはや、むろん横笛よりは上手だが、門下のみなさんの面前でふくことになるなぞとは。余分なことを話してしまったなっ、と悔やんでいる。口は災いの元とは、このことか。

☆「〈3・11再生への道1年〉悲劇に学ぶ避難の指針 子ども被災学校はどうする 東北3県教委」「『山に逃げっぺ』届かず 息子の死深まる『なぜ』 石巻の女性 学校に不信感」、「〈3・11の家族〉母と夫支えきれぬ 介護、認知症自らも倒れ」(29日付、中日朝刊)
 「防災無線『津波予想は3メートル』『避難必要』認識鈍る 釜石市調査 過小評価住民に安心感」、「(高さ634メートルで中国の広州タワー=600メートル=を抜き世界一高い自立式電波塔となる)東京スカイツリーが午後完成 落雪を警戒」(29日付、中日夕刊)「ボクにとっては日本の野球が夢なんです」とは、横浜のラミレス選手。やはり、彼は努力家だった。(29日夜メ~テレ・報道ステーション)

平成二十四年二月二十八日
 午後、Mに誘われるまま愛車で各務原市民会館へ。チェコスロバキアの国立ルチニッツア民族舞踊団の特別公演を見るためで今は「「観てよかった」と心から思っている。

 この国立舞踊団は十九歳から二十六歳までの若者で編成されているというだけあり、ダンサーの全員が踊りはむろんのこと、楽器の演奏、歌…と、どの演目も若さにあふれる超一流の演技で圧倒された。Mが私を誘ってくれただけのことはあり、あれほど見事なダンサーばかりならいくら出しても惜しくはないな、と思った(1人四千五百円)。
 チェコの若者たちのハチ切れんばかり、躍動感あふれる公演を目の前に、こうした純粋な若者たちが世界に飛躍する以上、この地球も捨てたものではない、と確信したりもした。

 具体的にはシャリシュカポルカ((男性がブーツにカチカチなる拍車をつけて踊るシャルシュ地方のカップルダンス)をはじめ、パリツォヴィー(スロバキアとチェコ・モラビアの国境周辺で、断食前の謝肉祭に棒を持った若者が村の人々の健康と豊かな収穫を願って行う棒踊り)や、オゼモック(山岳高原に住む牧夫たちが生活道具の斧などを持って腕前を見せ合いながら踊る)、プリアトキ(冬になると、女の子たちが母親手作りのお菓子を持って村の家に集まって、みんなで歌いながら進める糸つむぎと機織りの様子が見事に演じられた)、さらにはシラーコヴィーと呼ばれる男性たちによる帽子遊び、など。その国ならでは、のユニークでユーモアあふれる民族舞踊ばかりだった。

 そして。いま一つの収穫はスロバキア独特の羊飼いが使う長い笛、フヤラの演奏までが民族舞踊の合間に披露されたことである。私はこれでも、日本の横笛を過去五年にわたって学んできているだけに、フヤラならではの軽やかな音の調べには、少しばかりジェラシーのようなものまで感じた。ちなみにフヤラはユネスコの無形文化遺産に登録されているという。きょうはMのおかげで思いもかけず、楽しく貴重なひとときを過ごせ嬉しく思った。

【きょうの1番ニュース】帰宅したら、愛猫こすも・ここは私の布団に潜り込んだまま。しばらくして風呂が沸いたころ、姿がないので探し回ると、こんどはお風呂のフタの上で座っているではないか。彼女なりの生活の知恵か。シロちやんもアンカのついているところを知っており、こちらは独占状態。ふたりともヌクヌクだが、これまで苦労してきたから、しかたないか。

☆「江蘇省 名古屋への渡航禁止 (河村たかし市長の)南京発言で公務員に通達」「〈社説〉河村市長発言 なぜ素直に撤回しない」、「〈3・11の家族〉誇り賠償できない 家業奪われローン重荷に」、「エルピーダ破綻 製造業最大 負債4480億円 更生法申請 公的資金生かせず」、「ふくしま作業員日誌 41歳の男性 凍結で水漏れ当然(聞き手・片山夏子)」(28日付、中日朝刊)
 「年金消失88万人影響 AIJ(投資顧問)へ委託 84基金 東海北陸・近畿は25万人」、「離農を覚悟福島に残る 『一生かけても2人捜す』 双葉の男性不明の母と娘 警戒区域、捜索ままならず」、「あさま山荘40年 『犠牲忘れない』 現場近くで慰霊式」(28日付、中日夕刊)

平成二十四年二月二十七日
 ここ数日間は昨日のウエブ文学同人誌「熱砂」の例会をはさんで五月八日からのピースボート乗船に先だつ健康質問書や身分証明書(IDカード)作成のための写真、パスポートのコピーをジャパングレース本社に郵送する一方で、日本ペンクラブ電子文藝館への小説『再生』(記者小説集「懺悔の滴」の中に収録)アップの準備など、あれやこれやと振り回されていたが、きょうの夕方になり、これらすべてのすべきことをし終えて今は少しばかり、ゆったりした気分でいる。

 ひと息ついたところで、新聞に目を移すと「ビンラディン容疑者宅を解体 『聖地化』回避」と「ヘミングウェーの家売却へ」の記事=いずれも中日スポーツ=が目に留まった。
 このうちビンラディン容疑者宅の解体は共同電でパキスタンの首都イスラマバード近郊のアボタガードで国際テロ組織アルカイダの指導者で昨年殺害されたウサマ・ビンラディンの隠れ家だった民家の取り壊しが始まったという話。パキスタン当局者は過激派の聖地化を避ける狙いがある、と話している。

 またヘミングウェーの家売却の方は、シカゴ時事発で「老人と海」、「武器よさらば」などで知られる米国の文豪アーネスト・ヘミングウェーが主に少年時代を過ごした中西部イリノイ州オークパークの家が、このほど、52万5千ドル(約4200万円)で売りに出されたが、売り主は家の歴史的価値を理解する買い手を探しているというもの。売り主はヘミングウェーの生涯や作品の理解促進を図る団体「オークパーク・アーネスト・ヘミングウェー財団」だという。

【きょうの1番ニュース】合間を縫って江南市内の本屋さんまで出向き、まいにち中国語、まいにちスペイン語、まいにちフランス語のNHKラジオテキスト3月号計3冊を買う。

☆「全力疾走! 復興へ 五輪へ 東京マラソン」「(桜井勝延)南相馬市長がフル完走 『地域再建諦めない』」「“無職”ランナー川内流で大躍進 藤原新選手」「完走後にプロポーズ 震災で家族犠牲の男性」、「原発3キロ惨状まざまざ 福島第1を空撮」、「岩倉母子死亡事故 てんかん発作不起訴へ 名地検支部 運転79歳、自覚なく」、「藤原新=2時間7分48秒、日本人トップの2位=五輪確実 東京マラソン」(27日付、中日朝刊)
 「中電東京都へ供給『困難』 西日本向け融通優先」、「普天間問題平行線 県庁で会談 首相『辺野古が唯一有効』 沖縄県知事『県外移設を』」(27日付、中日夕刊)
 
平成二十四年二月二十六日
 きょうは夕方から、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」の例会が名古屋駅近く「つちやホテル」であり、同人ともども、それぞれの文学観を語り合い、楽しく有意義な一日となった。同人の誰もがそれぞれの文学人生を前に向かって真剣に歩こうとする仲間たちばかりだけに、嬉しく思った。

 色川武大、大藪春彦、中上健二、ビクトル・ユーゴー、井上靖、司馬遼太郎、吉川英治、渡辺淳一…といろんな作家の名前も出たが、やはり一番出たのは最近、小説『共喰い』で芥川賞を受賞した田中慎弥さんについて、だった。
 話し合ううち、編集長の碧木ニイナさんが「隠したいことを書かなければ」と強調していたが、その通りだと思う。正直日々、本欄を書き進めている私の“笛猫人間日記”にしても、本当に書かなければと思うことに限って自分の秘密を明かしてしまうのではーと恐れ、そうした記述は自ずと避けているのが現実で、よく分かる。

 あえて言わせてもらえば、日々書いている私としては「この部分については書かない方が無難だ」と思うことがよくあり、そうしたカ所は書かないで、小説を書く際の隠し玉にしてきたことも事実だ。
  確かに一番知りたいことを隠されてしまったのでは、読む側としては興ざめだろう。ただ、毎日書き続けることにより、隠した方がいい点がよく分かり、こうした面に焦点をあてて後から小説を書くことだってできるのである。

 いずれにせよ、恥をさらす覚悟で書かなければ、いい小説は書けないーということを改めてみんなで確認しあった。物書きにとっては当たり前のことではあるが、これがなかなかそうはいかない。この際、全員が隠したいものを書くようにしよう、という点で意見の一致をみた。逆に秘密が増えれば増えるほど、より魅力がまし本物の小説が書ける。そんな気がする。

【きょうの1番ニュース】例会のあと、帰る途中にみんなで寄ったのは昭和食堂。ここで碧木さんが飲む韓国の“まっこり”が真においしそうだったので僕も頼んで飲んでみた。なんと酒飲みの私が、この“まっこり”を飲むのは初めてだった。飛騨白川のどぶろくのうすいヤツだった。

☆「大正の豊田式織機で綿々 宮城の『若柳地織』震災越え 下敷きの12台 6台に再生」、「愛知に避難 被災者交流 帰郷に不安/職探し焦り」、「金正恩(キムジョンウン)氏が『開放』否定 党幹部に発言内容明らかに 先軍政治を維持」、「水野さんグランプリ 中日フォトメイツ決まる」(26日付、中日朝刊) 
 「〈大震災1年 課題を随時報告〉高台・内陸移転2万2000戸 被災3県計画『住民合意』3割 本紙調査 地盤かさ上げ1万2000戸」、「〈検証 大震災〉原発20~30キロ圏 官邸『屋内なら安全』 病院孤立 患者犠牲に」(26日付、毎日朝刊)「大阪市全職員『思想調査』 市民も標的 弱者いじめが本質だ 人間性まで管理する 広がる『違憲』の声」(しんぶん赤旗日曜版 2月26日付)

平成二十四年二月二十五日
 きょうは、ある用事で久しぶりに名古屋の今池にまで出かけ、その男性とふたりで酒を飲み、いろんな話をした。話をするうち、この世には不条理なことがはびこっている、ことをあらためて強く感じた。世の中、みんなそうしたことに耐えて生きているのだ。
 朝。Mが玄関先に咲いたピンクの花を見てぽつり「桃の花が咲いたね」と、もう春だといったような言い回しをした。その瞬間、私は「アッ、しまった」と反省した。恥ずかしながら私はよく見ないまま先日、わが家玄関先の梅の花がやっと咲いたーと本欄に誤って書いていたことに気づいたのである。
 ニュース原稿なら、命とり、始末書ものである。言い訳をすれば、私の頭のなかにはこのところ端唄の♪梅は咲いたか、がリズムとなって昇ってきていたので、つい梅が咲いたと早合点してしまった。

【きょうの1番ニュース】名古屋の本屋さんで「12万円で世界を歩く」(定価1450円)の本を見つけた。某新聞社の出版になっていたが、とても信じられない、と思いつつ頁をめくると1990年の発売だった。20年前だが、それにしても安過ぎる。逆に旅代の割には本代が高い。どこかにカラクリがあるような気がしてしまう。しっかりと読ませてもらおう。

☆「原発過労死 初の労災認定 福島第1収束作業で」「御前崎の妻遺影に報告 『ようやく認められたよ』」、「高線量車 名港に500台超 荷主に返却後、国内流通も」、「約20人なお不明 南相馬の区長 こいのぼりと待ってるよ 『復興の春』も願う」(25日付、中日朝刊)
 「土曜ドラマスペシャル『家で死ぬということ~世界遺産白川郷で義母をみとる男のドラマ(大島里美作)』」=NHK総合=、「郷土愛 語り歌う 海のように広い心で/山のように豊かな愛で 宮城・南三陸町 町民憲章復興誓う」、「オープン戦 竜幕開け 沖縄」、「国公立大2次試験始まる」(25日付、中日夕刊) 

平成二十五年二月二十四日
 私、すなわち、いがみの権太サンの大震災「笛猫野球日記」の本づくりが陸上で言えば、第四コーナーにさしかかり、あと一息というところまで来ている。きょうも、念には念をと朝から、つい先ほどまでチェックを兼ねた原稿読みに丸一日、時間を割いた。ほかに表紙のデッサンから帯の言葉、バーコード、あとがき…と結構、煮詰めなければならないことが山ほどある。

 幸い、良き理解者に恵まれ当初、思いもしなかった新しい時代の書房まで誕生することになり、やる気まんまんの精鋭たちによる初仕事が、この先どんな具合になるのか。内心、大いに期待している。
 それだけに、間違いは許されない。というわけで、繰り返し読んでチェックをしている。いまは既に(二十五日)午前一時半をとおに過ぎている。順調なら、来週中には“つかみ本”が出来、三月二十日前後には書店に並ぶことになりそうだ。

 【きょうの1番ニュース】毎日新聞の本日付朝刊〈雑記帳〉に猫に関する面白い話が掲載されていた。Mの指摘で知った。
 記事は◇福井県坂井市の名所「東尋坊」にすむ雄の野良猫「ニャー」の寝姿(大の字で両手をあげている)=写真・安田学さん提供=が話題を呼び、「観光PR隊長に」という声も出ている。◇野良猫の「ニャー」は土産物店や飲食店の店先で寝そべる様子がバンザイしているように見え、ロケに訪れた香港のグルメ番組で放映されて、海外から人気に火がついた。」…という内容。
 さっそく、野球日記の主人公でもある愛猫こすも・こことシロちゃんに新聞を見せたが「私は私なの」と、ふたりとも知らぬ顔。さすがはわが道をいく猫ちゃんたちだ。

☆「訃報 中村雀右衛門さん死去 91歳 歌舞伎女形の人間国宝」、「震災被災者 中部へ避難増加続く 6県4180人 原発収束見えず」、「〈虹 いま寄りそう〉津波の記憶 英語で記す 陸前高田の男性『外国人に伝えたい』」(24日付、中日朝刊)
 「中日2軍キャンプ地 沖縄・読谷村 闘争半世紀平和の球音 米軍訓練で死亡事故も前村長 思い強く」、「企業年金2100億円 大半消失 AIJ、120社から運用受託 金融庁、停止命令」(24日付、中日夕刊)

平成二十四年二月二十三日
 久しぶりに懐かしい人から電話が入った。ひとりは、滝中、滝高校時代の親友、石田祥二(前愛知北農協組合長)。今ひとりは“三宅おじさん”で知られ、新聞社の大先輩でもある三宅邦夫さんである。石田は「ロータリーで卓話を頼まれたのだが伊神が前に話したと聞いていたのでどんな按配だったか教えてくれ。いま問題になっているTPPについて話そうと思っている」というもので、三宅おじさんの方は例によって「元気にしていますか。あんたの声を聴きたくなって」といった、恐れ多くも、ご機嫌伺いの電話だった。

 三宅おじさんは現在、九十一歳。いまも全国各地から幼児教育についての講演を頼まれ、あちこち走り回られている、とのことだった。毎度ながら、三宅おじさんのバイタリティーには、頭が下がるのである。まだまだ、お若いので、これからも大活躍してほしい。

 【きょうの1番ニュース】玄関先にMの配慮で供えられた梅の木が一輪、二輪、三輪…と白い花を咲かせ始めた。奥ゆかしく、輝くような風情が、たまらなくよい。

☆「〈社説〉河村市長発言 歴史認識はしっかりと」、「来月11日名古屋ウィメンズマラソン 招待選手発表 野口(みずき)ら五輪へ激戦」、「母病死、4歳児衰弱死 東京・立川 二カ月気付かれず」「相次ぐ孤立死 さいたまでは親子3人」、「北公次さん死去 フォーリーブスで人気 63歳」(23日付、中日朝刊)
 「震災遺児 父の死問い続け あしなが育英会が文集作成 『今、どこにいるの』遺影に話しかけます」、「東海市の48歳女性不明 御嵩で特徴似た白骨死体 身元確認へ」(23日付、中日夕刊) 

平成二十四年二月二十二日
 2が2・22と続くと、決まって思い出す、わが家のドラマがある。この日は三重県志摩半島の真珠の海・英虞湾のほとり志摩郡阿児町(現志摩市阿児町)で私たちが長男を授かった運命的な日なのである。
 その日、南国・志摩に雪が降り、“南国・志摩に雪”といった原稿を送った記憶がある。早いもので、あれから何年たっただろうか。出産するその瞬間まで大変な難産に苦しんでいた妻の舞。あとから入院してきた女性たちが苦も無く次々と出産し県立志摩病院を退院していくのに、彼女だけはいつまでもアイタタ、アイタタといって苦しみ、やっとの思いで生まれてきたのが長男だった。
 幸い、私の母が遠いところを駆けつけてきて付き添ってくれた。そればかりか、看護婦の勘違いで一時取り違えられて別のベッドに置かれていた赤ちゃんに気づいてもくれ、母には感謝のしようもない。その彼が、今や工学博士で文部科学省でお世話になっている。親として「ありがたいな」と思う。

 そういえば、きょうは、こすも・こことシロちゃんの日でもある。2が続くので、ニャンニャンの日、すなわち猫の日なんだそうだ。Mに言わせれば「うちは、毎日ニャンニャンの日なんだから」だって、さ。

 きょうは近く出版予定の大震災野球日記の最終校正のすりあわせもあり、名古屋へ。このまま順調にいけば、3月中には出版となりそうだ。だが、念には念を入れなければ、と思っている。何も早く出版すれば良いというものでもなく、何よりも誤字や脱字など間違いのない本として世に出すべく、ここでひと呼吸しつつ準備を進めている。

【きょうの1番ニュース】NHKテレビで午後十時からの歴史秘話ヒストリア「浮世絵スーパースター葛飾北斎・傑作の秘密 イッセー尾形が熱演!」を見て刺激された。というのも、北斎が代表作「富嶽三十六景」を世に出したのが、なんと七十二歳だった。これからは、北斎をお手本に、私も私なりにわが道を突き進んでいこう、と心から決意を新たにした。

☆「南京、名古屋と交流停止 中国通信社報道 河村市長発言で」、「原子力機構OB再就職先 福島事故後も多額受注 29企業・団体 八カ月で277億円 電気料上乗せ分 原資」、「震災1年へ 1基ずつ 石巻・墓地修復進む」、「訃報・河村保彦氏 元中日投手、少年野球指導 71歳」(22日付、中日朝刊)
 「南京交流停止 名古屋市 対応追われる 市幹部『発言は個人的見解』」、「梅咲く暖かい朝 名古屋で開花観測=厳しい寒さが続き、例年より20日遅く、昨年より41日遅かった。」、「NZ地震から1年 邦人遺族、倒壊現場で献花 愛する面影 胸に前向く」「海外で料理勉強 夢半ば 懸命に生きた 娘のため」(22日付、中日夕刊)

平成二十四年二月二十一日
 このところは、私が地球一周のピースボートに乗船した際に計画している“世界のこどもたちからの「平和のメッセージ」発信”の準備であれやこれやと考えを巡らしている。力になってくれそうな方には積極的にお会いして活路を見出さなければとも思う。ただ、その場合、あくまで無から有を生み出す試みに仕立て上げたいのだが…。ものごと、そんなにたやすくはいくまい。

 一方で、発信以前のビデオ編集を自らできなければと、このところはビデオコーダーの手引書を傍らに置いての毎日が続いている。当然のことながら、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」作品への写真の添付も自分で出来るようにならなければ。というわけで、きょうは夕方、その道のプロでいつも「熱砂」のメインテナンスをしていただいているK女史に電話を入れ、直接教えをたまわった。
 彼女は最近、第一子に恵まれ、乳飲み子を抱え火の車の忙しさのなかを親切に教えてくださり、本当にお礼のしようもない。出来るかどうか、近々作品アップに併せ添付作業もしてみよう、と思う。

 【きょうの1番ニュース】ドコモ江南店に寄ってツィッターなるモノのやり方を少しだけ教えてもらった(でも、まだまだ理解不足。分かってはいない)。たとえ私自身はやらなくとも、タレントはおろか、スポーツ選手、学者、政治家に及ぶまで、いわゆる“つぶやき”なるものをしているそうだが、その実態と現状を知りたいからだ。

☆「光市母子殺害 死刑確定へ 元少年の上告棄却 『年齢考慮も結果重大』最高裁 1人異例の反対意見 〈解説〉厳罰化の流れ踏襲」、「中国外務省 河村氏発言に不快感『南京虐殺に動かぬ証拠』=中国のインターネット上では「南京市は、名古屋市との友好都市関係を解消すべきだ」「日本を旅行しても名古屋には遊びに行くべきではない」など市長発言に対する批判的な書き込みが相次いでいる=、河村氏『議論はいいこと』」、「福井の原発 全14基停止 高浜3号定検入り 再稼働は難航見通し」(21日付、中日朝刊)
 「創作ノート50冊超 尾崎豊さんが残す 月刊誌(「小説新潮」4月号)で公開へ」、「〈目耳録〉いざ名古屋へ(木原育子)」、「〈虹 いま寄りそう〉福島・南相馬で保護 被災犬 恐怖和らぎ元気に 千種のペットサービス店 『青空(そら)』、飼い主との再会待つ 原発の警戒区域内 犬407匹猫228匹保護」(21日付、中日夕刊) 

平成二十四年二月二十日
 分かったようでわからないのが確定申告の内容である。きょうMと連れ立って江南市体育館(兼武道館)に確定申告の手続きをしに訪れ担当職員から「公的年金等以外の雑所得」やら、源泉徴収の実態などについてあれこれ教えてもらい、やっとの思いで申告を終えた。やれやれ、である。
 彼女にとってもかなりのプレッシャーになっていたらしいが幸い、担当者が親切で大半をやってくださったので助かった。それにしても、こちらは用意すべき書類を出して担当者の説明にそのままうなづくだけで三十分あまりで終えた。担当者は浅野武道(たけみち)という立派な名前の若者なので安心するほかない、と自身に言い聞かせた。

 ほっとしたところで久しぶりに音楽喫茶「音彩」へ。ショートケーキつきコーヒーを頼んでくつろぎ、引き続いて「門弟山」なる変わった名前の小学校を探しに心当たりまで車を走らせた。Mがもし大地震が発生した場合の指定避難所が門弟山小学校なので一度現場を確認しておきたい、というので彼女の命令に従って一帯を回ったが、古知野高校より少し離れたところに目的の小学校はあった。校庭が広くて随分と立派な小学校で、わが家からは1・5キロほど離れている。
 なぜ古知野高校ではいけないの」との疑問も確かにあるが広さから言えば門弟山の方がはるかに余裕がありそうだ。仮設避難所を作るにしても、こちらの方がいい。

 【きょうの1番ニュース】確定申告で受け付け事務に当たってくださった男性の名前が『武道』と言うのには、驚いた。武道館なので胸札のすべてに“武道”の記述があるのかと思いきや、私たちの応対に当たった男性だけで彼は「僕の名前、たけみちです」の弁。「名前が頭から離れなくって」とおっしゃっていたが、名前に緊張感と真摯なものがうかがわれ、大変に良い名前だと思ったのである。

☆「〈この人〉第57回角川短歌賞を受賞した高校3年生 立花開(はるき)さん」、「旧制中学時代の初掲載誌 川端作品の出発点発見 名古屋の古書店 幼い哀傷調の長文、恩師を追悼」、「フクシマ製で乳児守る 母乳の線量測定器開発へ 犬山の企業(三笠製作所) いわき進出軌道」、「新名所 日本一と共演 ダイヤモンド富士と東京ゲートブリッジ」、「飛騨市長に井上(久則)氏再選」(20日付、中日朝刊)
 「『南京事件なかった』 河村(たかし名古屋)市長」、「日中許されざる愛 旧の満州恋物語 歌の中で成就 中国人青年作詞・作曲『不幸な歴史だけではない』」、「『金正恩総書記』誕生か 4月に北朝鮮党代表者会」(20日付、中日夕刊)

平成二十四年二月十九日
 先日あった第146回芥川賞発表時の記者発表での発言が何かと物議を交わした田中慎弥さんの受賞作「共喰い」を読んだ。感想は、物を見る目と描写力(表現力)という面で一日の長を感じたのは確かだが、物語の展開そのものが私には気にくわない。俗社会を通り越し、人間社会にあんな父や遠馬のような息子がいたとしたなら、嫌悪感すら感じる。そうした面で、義手で魚屋の仕事にたんたんと励む母、仁子の存在が生きていた。
 ただ、この小説を読みながら、現実社会で一番大切なはずの人間本来の尊厳といったようなものが失われている、動物の本能的なものばかりが先行してしまう、そうしたケダモノ文学的な気がしたのも事実で今の一部心身ともに破壊された人間社会に目を移してみると十分起こりうる話だ、とも思った。こうした面では作者はいい点を突いていると言えなくもない。

 そして。文章そのものは、といえば。全編を通じて確かに随所でどうにもならない人間の業とか、灰汁とかいったようなものが描写力豊かに吐き出されている点で光るものがみられるが、日本の卓越した作家たちはそんな程度の力量ではないはずだ。父と同じDNAにがんじがらめになりつつ、千種やアパートの女を暴力とともに犯す低次元のやり方が私には、どうしても解せない。これしきの小説に大騒ぎしているマスコミの愚かさにもあきれ返るのである。

 ともあれ、作者自身が、これまで生きてきた世の中に敢えて挑もうとして書いてきたとしたなら、ある程度は捨て身の文学として許してもよい。芥川賞という一つのゴールにたどり着いた、これから先の作品を注意深くみていきたい。
 文が人の呼吸と同じであると同時に慈愛である以上(伊神権太の世界)、どんな作品であれ、人の気持ちを思いやることがなくなってしまったらおしまいだ(かといって『共喰い』にも少しは、そうしたところがあるにはある)。あくまでどこまでも自身のエゴに生きる、そうした姿勢を貫いてこの作者は一体、何を書こうとしているのか。それとも、嘆かわしい人間本来の醜さをあえて書こうとしたところを評価すべきか。でも、私はこうしたひとりよがりな小説は好きではない。
 ただ黒井千次さんが選評で敢えて言っている「生命の地熱のようなものが確実に伝わって来る」点では同感だ。「昨日までより今日の方が難しい。今日より明日の方が怖い。挑むことが可能なら、逃げることはもっと容易だ。広々とした逃げ道にうしろ髪を引かれながら、困難に挑んでゆかなければならない。味方はいない。」「全選考委員に心から感謝します、本当に」というあたり、この作家は案外優しくかつ努力の人で、まじめなのかもしれない。

 きょうは新聞記事の整理が終わったところで、東北で収録したビデオをパソコンに取り入れてみた。なんとか出来たので、こんどは収録した画面から不要なものをカットする編集を学ぶ必要がある。

 【きょうの1番ニュース】寒い朝。朝の日が窓に差したところで、愛猫こすも・こことシロちゃんが窓辺の桟に向き合って座っていた、何げないことか。そういえば、きょうは24節気の中の雨水で、雪が融けて水になるころである。春は少しずつ近づいてきている。

☆「天皇陛下の手術無事終了 心臓バイパス 2週間後にも退院」「皇后さまに『ありがとう』 術語仲むつまじく」、「『被災者の心の支え』お言葉受けた男性 回復祈る」、「『切り抜き』児童ら表彰 新聞コンクール、学習賞も」、「しなる羽 鳳凰舞う 揖斐川・谷汲踊り(1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を破った先勝祝いの踊りが起源)」(19日付、中日朝刊)

平成二十四年二月十八日
 土曜日。月日の流れるのは、遅いようで早い。新しい年が始まり、あっという間に一カ月半が過ぎ去った。この間、人々は何をして生きてきたのだろうか。去る十六日、東北の地で久しぶりに一日フルに歩き回ったが、さすがに疲れ、あげくに帰宅後に寝ていたら、左足ふくらはぎが腓(こむら)返しに襲われた。Mに言わせれば日ごろ歩いてないから、そういうことになるーとのことだが、あれだけ歩き回ったのだから仕方ないことだなっ、とも思う。

 ウエブ文学同人誌「熱砂」の例会を今月二十六日、日曜日の午後五時から名古屋駅近く「つちやホテル」で開くことになり、同人の全員に連絡させていただいた。

【きょうの1番ニュース】テレビのある番組で、“招き猫”のことを紹介していたが、彦根のイメージキャラクターがヒコニャンとされたわけを、あらためて知った。そうか、そういうことだったのか。江戸詰めの井伊家将軍を助けたのは、一匹の招きねこだったとかで、以降というもの彦根ではネコちゃんを崇める機運が高まり、今に至っているのだという。
 そんなテレビ番組にもかかわらず、わが家の愛猫こすも・ここ、シロちゃんともに我関せず、の体。マイペースの極致にある。見上げたものだ。

☆「小沢氏元秘書の調書脚下 弁護団『有罪証拠消えた』」 検察官役弁護士『間接事実で十分』」(18日付、中日朝刊)
 「天皇陛下 手術始まる 心臓冠動脈にバイパス」、「3・11 春風になる 来月名古屋ウィメンズマラソン 南相馬の飯塚さん 支援に感謝込め出場 被災3県から77人  『区切りに』『葛藤の末』(18日付、中日夕刊)
 
平成二十四年二月十七日
 わけあって大震災と巨大津波の被災地・東北に行ってきた。十五日午後九時半、名古屋駅発の仙台行き夜行高速バス「青葉号」に乗っての強行軍だったが、何かにつけ勉強になった。JR仙台駅近く宮古仙台高速バスセンターには十六日午前六時五十分に着き、仙台駅で簡単な朝食をとったあとは、仙石線で多賀城へ。タクシーに乗り多賀城跡へ着いたあとは、持参したビデオカメラで多賀城跡一帯の模様を収録してみた。うまく出来たかどうか、自信はないが今後は編集の仕方を学ばなければ、と思っている。
 
 奈良時代の政庁跡が復元され、かつては俳聖・松尾芭蕉も足を運んだ多賀城跡に広がる広大な一帯で二度、三度とビデオを回したあとは、JR国府多賀城駅まで歩き、ここから仙台へ。仙台で昼食後、こんどは今回東北行の一番の目的である災害臨時FM放送局「りんごラジオ」へ。仙台からは、JR常磐線に乗って亘理駅で下車し、ここから相馬行き普通代行バスに乗って「りんごラジオ」のある山元町を訪れた。この日の東北は快晴、空にはうそのような青が広がっていた。

 約束した午後三時半までには少し時間の余裕があったので、タクシーで海に面し津波の被害の大きかった地域を訪れ被災現場の復興状況を見て回ったが、海沿いの風光明媚なところに建てられた老人ホームが至るところで破壊され、痛々しい姿をさらしていた。「ここでは多くのお年寄りが波にさらわれ、貴重な命を奪われました」(タクシー運転手)というが、それでも何台ものクレーン車が復興の足跡を響かせていた。一時間ほど一帯を見て回ったが、家屋内部だけがスッポリとなくなり、それでも残った柱だけで必死な思いで空に向かって立つ姿には胸をかきえぐられる非情さを感じた。
 このほか、護岸がスッポリ津波にさらわれてしまい、海岸線に土豪のようなものが延々と張り巡らされていたり、松並木があちこちで根こそぎ倒れていたり、さらには引き返すに引き返せなくなった津波の名残が大きなため池となって残る個所など被害の甚大さは際限なく広がっていた。
 それでもクレーンがあちこちで動き回り、民家の屋根瓦を総出で張り替える人々の表情に生き生きとしたものを見つけ、復興への兆しを目の前に「来てよかった」と思ったのである。
 一時間後に迎えに来てくださったタクシー運転手さんの家も「全壊しちゃい、いまはほかの場所をお借りして暮らしています。犠牲に遭った方々の大半が、まさか津波がここまで襲うとは思っていなかったのでは。正直、私も心配ないとタカをくくっていたのですが、孫がくどいほどに“おじいちゃん、逃げなきゃ。逃げなきゃ、津波にやられちゃうよ”と言ってくれたので高台に逃げ、おかげで家族全員が助かりました。孫のひと言に助けられましたよ」と話していた。
 同じ民家でも、水が浸水しただけの家とそのまま家ごとそっくりさらわれてしまった家とがあり、運命の皮肉さを至るところで感じた。

 海沿いの集落を見て回ったあとは、約束の時間の少し前に山元町役場敷地内にある山元町災害臨時FM放送局「りんごラジオ」を訪れた。「りんごラジオ」は、ちいさなプレハブ建てのなかでスタッフ数人があわただしく動き回っており、代表の高橋厚さんは番組ナレーターとして収録中でもあった。いぶし銀の味わい深い声である。しばらく、そのまま待たせていただく。
 収録が終わった少しの合間をさいて高橋さんは私の元へきてくださった。
 互いにあいさつを交わしたあと、私が計画する「(ピースボートからの)世界のこどもたちからの平和のメッセージ」発信に対する協力要請を聞いてくださった高橋さんは「こどもたちにとっても互いに世界が広がり、大変良い試みだと思います。ただ、私どもは今、災害臨時局という立場です。コミュニティー局として一本立ちしたあとなら、協力できますが。なにしろ、見てくださっての通り。日々の番組放送をはじめ、NHKや新聞社、中にはフランスからもマスコミ各社さんの取材攻勢にも応じなければなりません。この少人数スタッフで毎日のスケジュールをどうこなしていったら良いのか。それだけに追われている次第でして…。お話実現にはもう少し時間がほしい気がします。まだまだ、時期尚早な気がします」の弁。

 私は高橋さんの一言ひと言をかみしめるような、誠意あふれるお話しぶりに感覚的に無理はいけない、と判断。被災地にあって、いま最優先させなければならない、すなわち被災した山元町民一人ひとりに役立つ生活情報の伝達こそが「りんごラジオ」局の置かれている最大の任務であることを今さらながら痛感したのである。番組収録は話し合いの途中にも卒業式を前に地元中卒業生に聞く生番組の中継があり、当然ながら私はその模様を目の前で見ながら待たせていただいた。
 話しを進めるうち▽コミュニティー局として歩き出した段階で考えさせていただく(高橋さん)▽何か、ほかに被災地と結ぶよい方法があれば助言してほしい(私)▽平和のメッセージ発信に関わるこんごの展開は、そのつど高橋さんにも報告させていただく(私)▽ピースボートの寄港した先々で、世界のこどものたちの声で被災地も含む日本のこどもたちに、ぜひ伝えたいと確信する声があれば、「りんごラジオ」さんにも、当然発信させていただく(私)の四点を互いに確認しあった。

 帰りの代行バスの時間まで調べていただけ、高橋さんらスタッフにはお礼のしようもなく現場を訪れ、町民のため必死に業務に励まれる臨時災害FM局の実際の雰囲気にも触れることが出来、行ってよかった。「やはり記者の命は、現場百回だな」と実感したのである。高橋さんは、今は亡き森繁久弥さんを思わせる風貌だった。何よりも、おからだを大切になさってくださいーと話し、その場を辞したのである。

 こんなわけで、昨夜午後九時半仙台発の夜行バス「青葉号」でけさ、名古屋に戻った。江南の自宅に帰宅後は、しばらく眠ったあとデスクに向かい、こうしてキーを打っている。

【きょう1番のニュース】私のビデオ処女作「多賀城址を歩く」(とても、処女作と言うこと自体がおこがましいが)をMに見せたところ、(ど素人の割には)よくできている」とほめてくれた。この言葉だけでも、東北に行ったかいがある。

☆「敗戦裂かれた家族〈絶望の凍土1〉満州砲兵490部隊のシベリア抑留記 乳飲み子の墓畑に林立」、「海の幸 絶やさない 大船渡でワカメ漁」、訃報淡島千景さん(東京都目黒区の病院で死去、87歳)、「共同通信編集局長を更迭 別人写真配信 社長ら処分」、「(岐阜県)下呂市長選 石田(芳弘)氏が出馬へ」(17日付、中日朝刊)
 「陸山会事件『小沢氏が関与』不採用 石川議員供述調書 地裁『信用できぬ』」、「名古屋商議所 東北の町工場を救え 形見の旋盤 鼓動再び 中古機械を譲渡『息づく職人魂 今も現役』 来月、トラック3~4台分」(17日付、中日夕刊)

平成二十四年二月十五日
 きょうは昼から横笛のけいこに名古屋の師匠宅まで出かけ、いったん帰宅してすべきことをしたあと、こんどは午後九時半、名駅の名古屋バスターミナル発の夜行バスで仙台に向かう。だから、この笛猫日記もあすの分は明後日になる。読者諸氏には、その点を前もってお断わりしておきたい。

 仙台からは山元町に入り、災害臨時FM局の「りんごラジオ」を訪ね、もし可能であるなら、私が計画する“世界のこどもたちからの「平和のメッセージ」発信”運動実現への理解と協力、手がかりを得たい、と思っている。Mが「せっかくだから、多賀城の写真も撮ってきてほしい」と言うので、時間の余裕があれば途中、足を運んで立ち寄ってみたい。
 多賀城と言えば、松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地で知られる。たまたま私の妻M、すなわち伊神舞子が昨年秋に多賀城市観光協会主催の第十八回「壺の碑」全国俳句大会で石田郷子先生選による特選第三席に選ばれただけに、親しみを感じる。その折の特選入選作は次のようなものだった。
♪秋の陽に透かす手のひら生きている

 そういえば、本日付中日新聞社会面トップにすばらしい記事が掲載されていた。宮城県南三陸町志津川の上山八幡宮の禰宜で、新詩歌「五行歌」の歌人、工藤真弓さん(三十八歳)が、東日本大震災発生から家族で過ごした避難所を去るまでの十日間をつづった歌を紙芝居に仕立てた、という内容だ。
 五行歌は「家に戻って 子を抱いて 高台へ逃げる 何も持たない 子を抱いて」「町は 消えていた あまりに非情で 声が出ない 涙も出ない」「辿り着いた 小学校の体育館の 片隅で 余震のたび 子を抱きしめる」…、というもので、目で見た事実だけを五行歌にすることで、悲しみが見えない海の底からどんどんと溢れ、伝わってくる。そこには何ひとつ虚飾がない。事実を突き付けるだけで人間に対する尊厳愛のようなものが感じられ、圧倒された。

 それから。同じきょうの中日新聞文化欄「中部の文芸」(小説・評論 清水信)欄で、私が昨年、滋賀県の文学同人誌『くうかん』に発表した小説「夏の雪」がベスト2の作品として紹介されており、なんだか思いがけず勇気を与えられたような、そんな気がしたのである。できうるかぎり、名もなく貧しく清らかに。これからも伊神権太ならでは、の文学の道を歩き続けていこう、とあらためて自らに誓った。人は人、私はあくまで分かりやすく、かつ美しい、響きのある文体をトコトン突き詰めていきたい。

 【きょうの1番ニュース】冷蔵庫を開くと、いきなり「コンニチハ、きょうも一日ゴクロウサマ」の声が飛び込んできた。次いで、この寒さなのに「アツイよう」「アツイよう」の声が聞こえてくるではないか。Mのしわざで、このところ電池切れで鳴りをひそめていた話をする人形に魂(電池)が入れられ再び“こえ”を出し始めたようだ。
 ファンクラブ在職時の飲み会の席のくじ引きで当たったものだが、まだ生きていた。本音を言えば[サムイよう]「サムイよう」と言ってほしいのだが。思わず、ファンクラブ事務局の女性を思い出してしまったのである。そろそろ、いいひと見つかっただろうか。

☆「〈特報〉『原発廃止』訴え初当選 女川町議 依存なき復興へ 運動絶やさぬ」「子どもたちの笑顔のため」、「紙芝居 避難の記憶」「南三陸の『五行歌』歌人 描く」「語り継ぐ5歳の長男と誓う」、「〈時のおもり〉『秋入学』と大学の国際化 寝耳に水 総長の“独走” 松原隆一郎東京大学教授」、「〈中部の文芸〉 『麦』100号など記念誌さかん 節目で反省、未来展望」(15日付、中日朝刊)
 「〈海岸線ものがたり〉荒ぶる波 1 親心にじむ冬の岩ノリ 石川県能登半島外浦(文・小塚泉、写真・泉竜太郎)、「米戦略核 最大8割削減 オバマ政権 複数案を検討 AP通信報道」、「対シリア 中国に失望表明 米大統領、習副主席と会談」、「羽島の小中学校 9校145人腹痛で欠席 1人 ノロウィルス検出」(15日付、中日夕刊) 

平成二十四年二月十四日
 いがみの権太「大震災笛猫野球日記」の最終稿打ち合わせに始まり、野球に関してならメッチャ詳しい名古屋市内在住のあるお方に事前に内容をチェックしてもらおうーと最終稿を届け、帰りにあす夜、出発する仙台までのバスの切符を買って帰った。結構、大車輪の一日がアッという間に、過ぎ去っていったのである。
 
 【きょうの1番ニュース】今夜、帰宅するとMがケーキを買っておいてくれた。そういえば、きょうはバレンタインデーである。
 このバレンタインデー、日本では女性が好きな男性にチョコレートを渡して自らの意思を告白するひとつの手段の意味合いもある。
 でも、アメリカなどでは夫婦が互いにチョコレートを交換したうえで食事を共にする日だとか。だから、チョコレートをもらった男性が3月14日に女性にお返しをする日本のホワイトデーなぞ、とても考えられない、という。

☆「自然エネで電力自給自足へ 復興後の町 光絶やさぬ 岩手・大船渡、隣接市町と連携 発電施設分散 雇用創出にも期待」「計画の推進続々」(14日、中日朝刊)
 「(宮城県石巻市などが)大川小前の川せき止め捜索 宮城・石巻」、「三崎千恵子さん死去 90歳『寅さん』おばちゃん役」(14日付、中日夕刊)

平成二十四年二月十三日
 災害臨時FM局の“りんごラジオ”をあらためて聞いてみる。大震災と大津波、原発事故の苦難に耐えつつ、一人ひとりが逞しく歩む山元町住民に対する生活情報が満載されており、スタッフはもとより町役場職員ら関係者の努力と町の復興にかける情熱といったようなものがヒシヒシと伝わってきた。ラジオによる生活情報の提供が被災者一人ひとりにとって、どんなに大切であるかは周知のことであり被災者と被災地を立ち直らせる羅針盤といってもよいのだ。

「○○さん、ご家族の◇◇さんが▽▽でお待ちです。元気でいるので心配しないでください」。私自身、かつて長崎大水害の現場取材をしたことがあるが、あのときは地元長崎放送が人々の消息を、こんな調子で終日流しどおしにしたこともあり、被災者が混乱に陥ることは避けられ、あれだけの大水害で家族が散り散りになりながらもパニックだけは避けられた。
 私はあのときカメラマンとともに長崎放送を訪れ、そうした長崎放送の災害に対する真摯な姿勢を取材し、現地発の原稿で『長崎市民救った長崎放送』といった内容の記事を送ったことを鮮明に覚えている。災害発生時のラジオが、どんなに頼りになり、かつまた復興に役立つかは推して知るべしである。
 現場取材で多くの不幸にも遭遇したが人々の命と、こ・こ・ろを守り切った長崎放送の英断はいまも忘れるわけにはいかない。

 さて、その“りんごラジオ”では、このほかにも『りんご劇場』という番組で金子みすゞの詩〈星とたんぽぽ〉なども音楽に合わせ女性アナウンサーの優しくあたたかい声で朗読されていた。〈星とたんぽぽ〉は、次のような一編である。
 ♪青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

【きょうの1番ニュース】わが家の水洗トイレふたつともが、Mの決断で新調された。取り付けにはハシモトなる若者が訪れたがアッという間に終わってしまい、驚いた。Mはいったん「替えなきゃ」と言い出すと、私が「まだまだ、このままでいいよ」と言おうが言うまいが、そのまま実行する。
 きょうの若者による取り付けは、まさにそんな彼女の心意気にピッタリ、電光石火のような見事な早業だった。

☆「ホイットニー・ヒューストンさん死去 ホテルで見つかる 48歳、米ポップス女王」「冥福祈るグラミー 最優秀楽曲アデルさん」、「天皇陛下 18日心臓手術 狭心症冠動脈の内部狭まる」、「四大陸フィギュア 真央 失速2位 ワグナー逆転V」

平成二十四年二月十二日
 わが室内の資料や本の整理がきょうも延々と続いた。整理をしていて良かったことは、以前に読破したものの、その後ありかが分からなかった文庫本「対談・文学と人生 小島信夫/森敦(講談社・文芸文庫)」がひょんな所から出てきたのと、これまた私が以前から愛用していたミニサイズの横笛が思いもしなかった場所から出てきた、の二点に尽きる。

 そして、もうひとつ。ことしに入り、にわかに始まった私のラジオ人生は相変わらずだが、きょうもNHK第二を聞いていて、感銘した番組がある。それは午後一時二十分からの番組、こころをよむ「食べるということ」で講師は東京農大名誉教授の小泉武夫さんだった。小泉さんは、農業と食べ物の大切さについて話されていたが「若者を農業の世界にどんどん送り出すことの重要性について強調もされ、まさにその通りだと思った。

 NHKニュースで知ったが、きょうは横綱白鵬が能登半島の七尾市を訪れ、少年少女に相撲を教えたという。また大正琴発祥の地・名古屋では、発祥百年を記念したコンサートが各流派が出て行われた。

 【きょう1番のニュース】なんといっても私が永年愛用してきた横笛が、夜に入り、ひょんなことから押入れで発見された。あす、さっそく吹いてみよう。

☆「大震災11カ月『会いに来たよ』 宮城・閖上」「「脱原発運動広く提携へ 『グリーンアクティブ』中沢氏ら新組織」「「日本文学紹介『一番の喜び』キーンさん」、「名古屋で講演」、「神様ルンルン♪ 明るい『恋路』 諏訪湖4年ぶり『御神渡り』出現 氷ひび割れせり上がる」(12日付、中日朝刊)

平成二十四年二月十一日
 きょう、名古屋駅前のヤマダ電機LABI名古屋店まで出かけ、先日購入したばかりでインターネット・メール設定などをお願いしておいたパソコンを引き取った。エイこらさー、と自宅に持ち帰り、これまでのパソコンと選手交代させたうえ、やっとのことで慣れない最新の新機種(NEC・クリスタルブラック)のキーを今、こうして打ち始めたところだ。こりゃ、なれるまで大変である。
 習うよりなれろ、か。何よりもなれなければーと思っている。

 さて本日は建国記念日で新聞休刊日だ。そのうえ、昨年の三月十一日に東日本大震災が起き十一カ月がたった。二月十一日で大震災発生後、十一カ月、まさに1111の運命的な日なのである。きょうの日を節目に人間社会に幸せがどんどん舞い下りてくれるよう、心から願いたい。

 いつもは午前零時過ぎ、たいていは就寝時間が午前一時前後になってしまうMが珍しく「もう寝る」と十時過ぎに床に入った。
 昨夜(いや、本当のところはきょうの未明になるのだが)あまりに連日寝る時間が遅いので「それでは、からだをつぶしてしまう。早く寝なければ。からだを壊してしまったら何にもならないぞ」と厳しく苦言を呈したためか、きょうは早々と寝てくれ。ほっとしたのである。

 昼間はボランティアのリサイクルショップをきりもみし帰宅後、家事すべてをこなしたうえでの俳句、短歌づくりも悪くはない。でも、大切な体を壊してしまってはなんにもならない。私は、昨晩かなり強い口調で彼女を攻め立てたのである。その苦言を聞いたうえでのことなら、夫としてもすごく嬉しい。

 【きょうのー番ニュース】ふろに入ったらシャワーラジオなるものが浴室一角に置かれていた。わが家ではMが何よりのラジオ愛好家で息子もラジオ党である。そこに来て、私がこのところはずっとラジオの語学を聞きどおしなので息子が一台奮発してくれたらしい。

 今は(十二日の)午前一時三十分過ぎ。息子に再三あれやこれやと教えてもらい、やっとこせ、ニューフェイスパソコンへの作品(笛猫人間日記)アップが終わった。私にとっては、歴史的な日となった。

 ☆「インフル流行ピーク 患者数 1週間で211万人」、「震災で3分の2不通 三陸鉄道 全面復旧信じて運転士が信号役 『ローカル線背負う誇り』」、「★中日写真展の授賞式 愛知県豊川市の山本順一さん(六十二歳)は、長野県南木曽町の夕景を切り取った『明かり』で、観光写真部門の国土交通大臣賞を受賞した。)」(2月11日付、中日新聞朝刊)