【マボロシ日記】プリンセステンコーとレディー・ガガ

「引田天功見たよなー、ヘリの映像を見ると思い出すなあ」
 テレビを見ていた主人が言った。画面にはヘリコプターが映っている。
「えっ引田天功⁉ 2代目⁉ プリンセステンコ―のこと⁉」
 引田天功という時点で古い。
「そうそう、プリンセステンコー、俺好きなんだ。一緒に見たよね、会場にヘリが置いてあって、迫力あったよな」
 そんなん見た記憶がない。
「えっそれ本当に私行ってる? どこで見た?」
「なんや忘れとるんか。あれは長良川国際会議場だったかな」
「いつよ、いつの話⁉ 子どもたちは?」
「えっ本当に覚えてない? 〇くん(息子の名)も一緒だったかなー、どうだったかな」
「まったく見た記憶がないわ。長良川国際会議場で吉本新喜劇なら見たよ。〇くんが中学生で、部活の大会の後ユニフォームのまま行ったよね。汗かいてたから、舞台の間も風邪ひかないか心配だった。チケットはピアノの先生からもらったんだよ」
「そうそう吉本‼ テンコーはたしか吉本興業所属で、新喜劇の前座だったんじゃないかな」
「えー、世界のテンコーが吉本⁉ しかも新喜劇の前座なんておかしくない? 新喜劇の方が前座じゃないの」
 そもそも息子と一緒に見たかどうかも定かではないようすで、主人はわざわざ2階に上がり、勉強中の息子に聞きに行った。
「見たよなープリンセステンコー、ヘリで脱出したやないか、青色のヘリで」
「そんなん知らん」と息子の声がする。
 おぼろげに、舞台上にヘリがありその横にテンコーがいる映像が脳裏に浮かぶが、それを生で見たかと問われれば、自信がない。
「本当に私と行った⁉ 別の人じゃないの?」
「違う人と行ったのかな、そんなに否定されると怪しく思えてきた」
 スマホで検索し出す。すると、2007年長良川国際会議場プリンセステンコーのチケット入荷しました、と書かれたサイトを見つけた。やっぱりプリンセステンコーは、岐阜に来ている。
 2007年といえば、息子は4歳、記憶がなくても仕方あるまい。問題は、私に覚えがないことだ。あの頃は育児が大変で、心身ともに完全に打ちのめされており、息子の幼い頃の記憶があまりないのも確かだが・・・。
 吉本新喜劇とのコラボとなると、2007年ではなく数年前の出来事だ。吉本は娘も観ているはずだが、テンコーは知らないという。
「見た時の前後の物語を思い出して。どこかで何かを食べたとか」
「うーん・・・」
 つまり、こっちの記憶も、あっちの記憶も怪しいのである。

 カーステレオから、レディー・ガガの「Shallow (A Star Is Born)」が流れている。
「この映画、観たよね」と、主人に言うと、「見たっけ」という返事。
「レディー・ガガの映画、夜は割引になるナイトシアターに行って観たじゃん。子どもたちもママたち行っておいでって送り出してくれたよね」
「映画館で観たかな、レンタルじゃないの」
「レンタルでも観た。一度観た映画を借りるのはもったいないからやめてって言ったのにあなたが借りてきたのよ。映画館と合わせて2回観てる」
「そう言われればそんな気もするな。クイーンの映画は映画館で観たっけ」
「あれも映画館とレンタルで2回も観てるよ。記憶がないなら、わざわざチケット買って映画館に行って観る意味、もうなくない?」
 私たち夫婦は、明らかに記憶力が減退していることを思い知った。
 先日まで勤めていた会社で「伊吹さんよく忘れてるよね」と、言われたことを思い出す。一度に、難しい指示を早口で10も言われると、最初の2つ3つを忘れていることがあった。もしくは、最初の2つ3つしか覚えていない。
 言い訳になって恥ずかしいが、複雑に入り組んだとても難しい仕事であったことを、申し添えるのをお許しいただきたい。
「すっかり忘れていました」ということもあったし、後になって思い出して「しまった。やってない‼」と青ざめたり。やらなればならなかったはずが、どんなことだったかすら思い出せず、時間を掛けて反芻して徐々に思い出し、ほっと胸をなで下ろすこともあった。
 ミスをすることを恐れ、元来の真面目な性格も災いして、石橋を叩いて渡るあまり、1つ前、2つ前に戻って確認して進む、ということもよくあった。確認するのは、やったかどうかの記憶が定かではないからだ。不安になるから確認せずにいられないのだ。
 それを「1つの仕事に時間が掛かる」と指摘された。その通り、やってあることを本当にやってあるのか、前に戻って確認するなんて無駄な作業である。すでにやってあるのだから、次に進めばいいのである。
 若い頃、誰にも文句を言わせない、言わせるものか、と些細な部分まで目を配り、完璧に仕事をこなすことを信条とし「仕事なんてミスするもの」と言った友人を軽蔑していた。
 それが、今じゃあこのありさまだ。
 初めてのバイトは、高校にばれると退学になるリスクを気にせずに飛び込んだ喫茶店のウェイトレスだった。
 その店では、オーダーを紙に書くことを許されず、その理由は今でもわからないが、注文は全部頭で覚えさせられた。短期記憶ってやつか。
 早朝野球終わりの、揃いのユニフォームを着た10人以上の団体客のオーダーを、ハンバーグ定食やら、オムライスやら、ステーキやら、食後のコーヒーはホットかアイスか、オレンジジュースか、レスカか、聞く。
 厨房に行って忘れたら、お客に聞き直しに行った。今思えばよくやっていたなと思う。甘ちゃんで、それほどやる気もなく、周りが見えていなかったであろう私が、よくもまあクビにならなかったなと思う。
 若くて可愛かったから? 許されていたのかも知れない。
 悲しいかな、時が流れ、おばさんになった私は許してもらえなくなった。
 だが、たとえおばさんだろうと生きる道はあるはずだ。ちょっとのことでカッカせず、広い心でこの世を包み込み、様々な人生経験を活かして、たくましく、明るく前を向いて進むのみなのだ。(了)