震災後〈笛猫日記3月/27日〉

(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

  『ねぇ~』   こすも・ここ
 

    『なぁに』  シロ

 きょうは昨日、不意の交通事故で全身を強打し重傷を負った母の入院看護などでほぼ一日、朝から晩までMと大口町にある「さくら総合病院」に行ったり、来たりして過ごした。私の妹夫妻も朝早くから看護や食事の世話、着替えの用意から実家のゴミだしーにまで当たってくれ、兄は兄で事故発生に伴う自賠責からの入院治療費受給のための諸手続きなどに追われた。
 当然のことながら、治療費は自賠責から出ることになったが事故発生直後、加害者が本当に母を自発的に救護してくださったか、を確認するため午後、兄とMと一緒に江南市山尻の事故発生現場のT字路へ。車を運転していた同じ山尻に住む男性が同乗していた奥さんと確かに救護に当たっていてくださったことを目撃者の証言で確認した。目撃者でもある、近くにある学習塾の男性は、救護に当たる二人を見て「とても救急車を呼ぶ余裕などはない」と判断し救急車を呼んでくださったと知り、礼を述べて辞した。

 現場にはスリップ痕もなく、車が一時停止場所を目の前に速度を落としていたことも疑いのない事実である。ただ直進車から見てT字路右側部分の見通しは十分きき、91歳の母が乗った自転車が、たとえ右手から交差点に入ってきたとしても、あれだけ見通しがきく以上、前方を注意しておれば、十分に防げた事故であることは間違いない。
 昔はよく、こうした交通事故の記事を書いたものだが、まず現場に足を運び「○○署の調べだと、いずれも前方をよく注意していなかったらしい」といったところか。ただ交通弱者を守る観点からみれば、これは明らかに車の側の前方不注意の人身事故だとみてよい。

 母の病室にMと居たら、昔懐かしい「柿の木坂の家」の曲がラジオから流れてきた。この歌には特別の感慨がある。かつて小牧市内でひき逃げ死亡事故があり、天涯孤独の男が即死し寂しい人生を終えた悲劇を取材したことがある。取材を進めるうち、この男は毎晩のように仕事の後、自宅近くの居酒屋でいっぱい引っかけ、ほとんど車の通らない路上で大の字となり、星空を眺めて寝ることが何よりの楽しみだったということが分かった。

 あの天国の男が、母の事故を知ったらどう言っただろう。「おかあさんはワシに比べたら、不幸中の幸いだったよ。早くよくなってもらって、もっともっと長生きしてもらいなさいよ」と。こんな声が飛んでくるようだ。人生いろいろ、母は強靭な精神力で「今」を乗り越えようとしている。

 母の容態の方は、午前中、目の検査をしてもらったが特に問題なく大丈夫、とのこと。右まぶたの腫れも熱を帯びてはいないので、だんだん解消していく、とのことだった。ただ、頬骨が2、3カ所で折れているので金曜日の午前九時から女性医師の手で手術をすることになった。いまのところ、痛みは少しずつ解消してきたようで介添えは必要ながらも食事もまずまず食べた。午後は、きのう顔面を5針縫った個所の口腔内治療に当たってもらった。

【きょうの1番ニュース】さくら総合病院の正面玄関を入ったところにドーンと置かれた〈医術の神〉なる蛇が巻き付いた杖を手にしたアスクレピオスのジャンボ大理石像には、おったまげた。説明板によれば、「このアスクレピオスは、ギリシャ神話に登場する医術の神です。」とのこと。そして、この像は、ローマのカンピドリオ広場(ミケランジェロの設計)にあるカピトリ―ノ博物館に飾られた像の複製、とのこと。なんだかその豪華さを見ていると、御殿のような気がするのは私だけか。
 この総合病院、元はと言えば、大口クリニックだったとか。それが年々、隆盛するにつれて経営規模を広げてこんなにも立派に生まれ変わったらしい。私としては、江南厚生病院の方が庶民的でよいのだが。ただ救急車で搬送され、ここのお世話になることになった以上、この病院にたよるほかあるまい。医師もなかなかそろっているようなので、あとは信頼するしかない。

☆「緊急防護域43キロに拡大 原発避難に地域の絆 滋賀県が公表 自治会ごと対策整備」、「夜空貫く一本道 金星・月・木星待ち合わせ」、「中ロも北『衛星』に圧力 首脳会談 米と連携で一致」、「〈通風筒〉◇…宮城県南三陸町の県立志津川高の生徒らが、チリから贈られ震災で損壊した巨石遺物モアイ像を『防災のシンボル』にしようと奮闘している。」(27日付、中日朝刊)
 「冬をかき分け 春まっしぐら 伊吹山除雪作業進む」、「古里のお産 福島で守る 避難先で活躍 助産婦が帰郷」(27日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十六日
 いやはや、きょうは大変な一日となった。
 というのは、わが愛する、大いなる私(マザコン?)の自慢でもある91歳の母が畑から自転車に乗って帰る途中、T字路で車と出会い頭に衝突、母は救急車で大口町内の病院に運ばれ右半身打撲のうえ右顔面を5針縫い、アゴの骨2本を折るなどの重傷を負ったからだ。きのう実家に届けた私の本を早く読みたいばかりに、母の心に逸る心が芽生え、それがとんでもない事故発生の要因になったのではないか。私はそう思い、なんだか自分の存在が母の事故を招いたのではないかーと、そんな気までした。

 それにしても昨年末から、ことしにかけ私の周りの友人、知人が次々と事故に遭ったり目を悪くしたり、火災に遭うなど。なんだか呪われているような気がしないでもない。私の母もしばらく入院中の身となったが、今回の交通事故でここに極まれりーの観がする。そうっ、これからは良いことがどんどん起きる。母も金曜日にはアゴの手術をしてもらうが、きっと良くなると思う。

 きょうの午後。私は、新聞社の現役時代にとてもお世話になったお方を笛書房代表の小川章紀さんと一宮市内のお店に訪問。本出版の報告がてら1冊進呈させていただき、出来れば本のPRも、とお願いし帰宅した。
 私たち家族や兄弟にとって、思いもかけない母の事故発生の連絡は私が帰宅後、ひと息ついて携帯をチェックして初めて、妹から急を知らせる留守番電話が入っていたことに気づき分かったのだった。むろん、Mとふたりで病院にかけつけ、夜遅く帰って、こうして筆を進めている。いまは午前1時37分である。
 母は強い。だから、きっとよくなる。私はそう、信じている。

 そういえば、きょうは、これまで私の本〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉出版に先がけ、東奔西走してくださった笛書房編集委員の小畠辰彦さんも、このところの過労がたたって大事な目を傷められた、とのこと。早くよくなってほしい。この際、みんなで「原稿より健康」を確認し合っておきたい。みんな無理しないで、楽な軽い気持ちでやってもらえたらいいなっ、と思う。人生は遊びである。
 互いに楽しみながら笑顔で生きてゆきたい。

 小畠さんには、きょう本社編集局やメディア局にまで出向いて進呈本を配布していただいたが、配布に当たってはドラゴンズ公式ファンクラブキャップの勝美浩さんやスタッフに随分とお世話になった、とのこと。お礼のしようもない。

【きょうの1番ニュース】中国で日本語教師として頑張る大学時代の親友川口譲氏から写真つきでメールが届いた。川口からのメールを読むうち、彼があぁしてやっているのだから俺もやらなければ、と闘志とでもいったような、さわやかな感情がふつふつとわきあがってきたのである。

☆「〈備える3・11から〉第38回故郷を追われて 牙むいた『近所の原発』 塙さん一家座談会 安全神話…危険考えず◆確実、迅速な情報欲しかった 『頑張れ』…時に重荷◆復興とは永住の場見つかること」、「稼働原発 国内1基に 柏崎刈羽6号が停止」、「ミサイル発射撤回迫る 米韓首脳対北朝鮮で結束」「(オバマ米大統領が)『自由の最前線』(で)米兵激励」、「白鵬22度目V 決定戦で鶴竜下す」(26日付、中日朝刊)
 「原発避難 川内村役場が帰還 福島小中学校は来月再開」「職員葛藤の日々 家族残し1人帰村 村の子早く戻ってきて 除染、教育整備が第一」、「米大統領『核さらに削減』韓国で演説 ロシアに提案へ」(26日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十五日
 日曜日。とはいえ、きょうも結局のところは購入して間もないスマートフォンやパソコンの習熟に追われた。五月八日からのピースボート(オーシャンドリーム号)乗船時の連絡手段をしっかりしておきたいためである。このほか、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」紙面での作品アップが写真の掲載も併せ持参するパソコンで、それも洋上から出来るかどうか、をあらためて確認しておきたいためである。

 きょうは、大正琴で奏でる夢詩人・牧すすむさんと光る感性詩人・加藤行さんの同人二氏の詩がアップされ、久しぶりに「熱砂」文壇が華やいだ感じとなった。同人諸氏には詩はむろんのこと、小説、エッセイなど何でもよいので、どんどん積極的に作品を発表してほしい。手前味噌にはなるが、私は「熱砂」同人は書き手が結構そろっていると信じている。

 夜。NHKテレビのサンデースポーツで▽落合博満&梨田昌孝がプロ野球2012を斬る! に出演。久しぶりに元気そうな落合監督を目の前になんだか、ホッとした。一部の新聞記者やファンが指摘していた落合監督の、あの物言わぬ姿は、もはやどこにもなかった。テレビを見る限り、にこやかそのもので芯が通っており、どこが不満なのかーをあらためて聞いてみたい気がしたのは私だけだろうか。そんなはずはない、のである。

【きょぅの1番ニュース】今夜のNHKスペシャル「『仁淀川』奇跡の清流 圧倒的な透明度・神秘の青」には、心底感動した。アユの遡上を見ながら、生あるものの壮絶なる生き方に思いを新たにした。

☆「鶴竜、大関確実に 初の6人在位」、「川面でめぐる戦史 大垣・たらい舟」、「〈通風筒〉◇…戦国武将前田利家の銅像が立つ名古屋市中川区のあおなみ線荒子駅前に二十四日、利家の正室まつの銅像がお目見えした。荒子は利家の生誕の地。利家像は五年前に建てられた。……」、「きょう総書記死去100日 北朝鮮 一気に体制固め 大規模追悼会も」(25日付、中日朝刊)「〈Photoたいむ〉福島・警戒区域を歩く 人の営み消え」(25日付、毎日朝刊)
 「〈岩手陸前高田市被災地リポート〉一歩一歩 津波で妻なくした熊谷さん一家の1年 母の味 卵焼き今も」、「『貧困死』防げ 介護受けられず 東京・立川 母95歳、娘63歳 保護申請させず 札幌 40代姉妹、役所に相談3回」(25日付、しんぶん赤旗日曜版)

平成二十四年三月二十四日
 土曜日。きょうも午前中は降ったりやんだりの鬱陶しい日和だったが、午後からは日が差すほどに回復。「お天気次第」の言葉が実感として迫る。人の心境とは微妙なもので、雨降りは周り全体が暗くて気までが滅入りそうだが、日が差せば気持ちまでがカラリと晴れてくる。

 午前中、Mはフォークダンス教室に。私は、歯科医に行った。歯科医では懸案だった修正中の入れ歯が出来、初めて着装して噛んでみたが「なんだか、小判みたいな金属板を噛んでいるような」錯覚にとらわれた。
 若いころは、あれほどまでに白い歯が自慢だったのに。なんで、と思うと情けなくなってくる。私とは同世代の歯医者さんが言うには「そういう年になったんですよ。私も入れ歯をしていますよ」と。なんだか、慰められているようだった。

【きょうの1番ニュース】出来たてホヤホヤの本〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉=4月1日発売=を手にざぁ~っと、再び読み返してみた。きのう中日本社で指摘された製本の際とみられるごく一部の破損のほかには、81ページ後ろから5行目部分の「久しぶりに杜の都を訪れた。」とあるべきところが「久しぶりに杜の都を訪れたことか。」と、なぜか意味不明の三文字“ことか”がついていたー今のところは【怪我の功名】ともいえる、この2点だけが悔やまれる。
 でも、過去に何冊もの本を出版してきた私の経験からすれば、387頁にも及ぶ本の割には誤記などのミスは圧倒的に少ない。あとは誤記などのミスが発覚した際には、そのつど誠意をもって出来る範囲で修正するしかないと思う。

☆「震災がれき 名港南5区で処理検討 愛知県、仮置き場整備」、「〈特報〉商店街『福興』の核に 宮城・南三陸仮設の30店舗 なじみの店お客も笑顔 住民流出食い止めたい
■入居期間は2年 将来見えず 経営面で不安も」(24日付、中日朝刊)
 「更生支援 ОN AIR 豊橋刑務所支所内 地元FM局が番組 受刑者投稿紹介『心を見つめるきっかけに』」(24日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十三日
 一日中、雨、アメ、あめ…の一日だった。きょうもあれやこれやで家を出たり入ったり。なかなか落ち着いた一日が訪れない。この年になって、それまでの職場も離れたことである。晴耕雨読でいれば良いものを。自分で勝手に飛び回って、まさに自業自得の日々が続いている。
 体内に何人か潜む、ボクの分身のなかでも特に意地悪なそやつが「なぜ。せっかく自由の身になったのだから。ゆっくりすればよいものを」と音のない声を容赦なく突き付けてくる。でも「生きている以上、案外と皆こんなものではないのか。ニンゲンというもの、なんだかんだとやっていなければ気がすまないんだから」とボクは反論する。それよりも、ボクにしか書けない小説は、どうなっているのだ。そう、今度は別の因子がたたみかけてくる。

 なんだか、昨年暮れに退社以降は、独り芝居を踊って演じているような、そんな気がしてならないのだ。動けば動くほど、見えない何かロープのようなもので全身が雁字搦めにされてゆく。動けば動くほどに、お金ばかりが出ていく。どうせ金はない身。三文文士のB級作家なのだから、すべてのことに有り金をはたく覚悟はできている。お金が底をつけば命を断てばよいのだ、と独り開き直ってもみる。でも、オレにはMという強力な番人がいてくれる……。でも、そのうちに見離されるかもしれない。

【きょう1番のニュース】愛猫こすも・ここが、このところ、なんだか急に大人びてきた。ますます美しく、それに妹のシロちゃんまでが、どこかしら輝いてきた。来月1日の〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉の発売を前に、なんだか『ニンゲンとは』を問う顔つきになってきた。
 私も彼女たちについていかなければ。いい作品を、この世に残そう、あらためて自身に言い聞かせる。こすもとシロちゃん。そのしなやかでつぶらな目が、“オトウさん 人に勝つより自分に勝って!” と暗黙ななかで訴えかけてくれている。たった今、僕の傍らに来たここが「そうだよ」と言ってニャンと、ひと声鳴いて立ち去った。

☆「新生 2012年ドラゴンズ特集」、「石巻工不屈のプレー 選抜高校野球 一時逆転笑顔、全力疾走忘れず(1回戦で鹿児島・神村学園と対戦し9―5で敗退)「被災地の地価二極化 全国4年連続下落 国交省公示」「宮城高台移転で押し上げ 福島原発事故の影響深刻」「東海沿岸落ち込み顕著」、「国産ジェット実験へ『飛翔』 名古屋空港」、「〈核心〉ウナギ減少食い止めろ 国が対策会議 研究者ら『漁獲規制を』 うな丼価格維持もう限界… 『今や超高級魚』仕入れ値2倍」(23日付、中日朝刊)  
  「AIJを強制捜査 年金運用損1092億円 証券監視委 投資顧問登録取り消し」「資産回収は困難 中小企業 経営に影響必至」、「卒業…故郷遠く 埼玉に避難、福島の8児童『いつか双葉の友達と』」、「『学生起業家』 東北に職を 愛院大経営学部の5人 内職あっせん/塩害の土でレンガ製造 8月にも事業開始『被災者の自立助けたい』」(23日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十二日
 わがつたなき本〈いがみの権太「大震災 笛猫日記」〉がやっと出来たのでその報告と進呈、PRを兼ね久しぶりに社(中日新聞名古屋本社)に出向いた。社には私の本出版を前に誕生してまもない笛書房の小川章紀代表と小畠辰彦編集委員も同行してくれ、今や社のどこにも所属しない身となった私は、きょうからはB級作家の社友として、訪ねることになるのだなっ、としみじみ思う。
 と、なんだか急に感慨深く、ホロリとする涙雨のような光りが体内をするりと走って流れたのだった。

 同時に俺と言う人間は、かつてあれほど酷使されていた(自分から進んでという点では自業自得の面も大いにあるにはあるが)新聞社だったにもかかわらず、この“チュウニチシンブン”というヤツが心底から好きなのだな、と、ふと感じもしたのである。

 まず久しぶりに足を踏み入れたドラゴンズ公式ファンクラブ事務局。ここではトップの勝美さんはじめ、林事務局長ら全員が温かく迎えてくださりうれしく思った。ありがとう。堀田も大村クンも、ルナも皆元気そうで何よりだ。続いて訪れた中日スポーツ総局。ここでは中西総局長とあの道化師みたいな、得体のしれない増田報道部長がなんやかんや、と忙しいにもかかわらず笑顔で応対してくれた。というわけで、あとはファンクラブ在職当時にお世話になった販売店にあいさつすれば良し、というところまできたのである。

 とはいうものの、私の場合、球団、ナゴヤドームなど関係各社の皆さまにも大変お世話になってきたので、せめてそれぞれの代表者だけにでも、と帰宅後あらためて謹呈本の郵送を手配させていただいた。すべての作業を終えた今は、なんだか重荷が取れたみたいな気持ちだ。
 あとは、産声をあげたばかりの笛書房代表・小川章紀さんらの念力と販売力、男の魅力度に頼るばかりである(むろん、私も自分の本だから少しは売らなければ、と思っている)。アッ、そうそう肝心の定価ですか。税込みで1冊1000円也です。

【きょうの1番ニュース】運命のいたづらでなく、ほほえみに思わぬところで出会った。ところは、地下鉄鶴舞線の丸の内駅。ここで私は久しぶりに編集幹部のN氏とバッタリ、会った。
 彼の亡き父上(元中日新聞文化部長、岐阜総局長、北陸本社代表、石川テレビ会長)には、かつて岐阜県庁汚職事件や長良川決壊豪雨で足を棒にして取材していた際、随分お世話になった。それだけに、これも何かの因縁だから、と出来たてホヤホヤの本を一冊、その場で贈らせていただいた。
 彼の父には岐阜、能登、石川テレビ…と大変お世話になり、能登から大垣に転任した際には、わざわざ個人的に大垣まで来て激励会までしてくださった。あらためて、ありがとうございます。ボクも、ここまで到達しましたと報告したい気持ちでもある。久しぶりに社を訪れたこうした日に、よもやバッタリと、それも地下鉄改札口で出会うなど、神の手以外には考えられない。

☆「小さい春 一面に 恵那のフクジュソウ」、「震災 学校で死亡ゼロ目標 『安全教育』を教科に 中教審答申 被ばく対策も要請」、「甲子園の歓声 届きますか 津波犠牲 夫の遺影胸に 石巻工・伊勢中堅手 開会式を見守る祖母」(22日付、中日朝刊)
 「「NHKと東日本大震災 地震・津波・原発事故▽当時の報道を検証・どう伝えた?課題は?▽始まった取り組み・被災者支える情報」(NHKスペシャル)、「瀬戸北総合 前年の合格番号掲示 足助高は3枚張り忘れ」、「作者不明の絵、ゴッホ作」「オランダの美術館調査 下に別の絵も」、「亡き愛犬やっと別れ 25日、震災で犠牲 動物慰霊祭 陸前高田 語れぬ悲しみに区切り」(22日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十一日
 春は選抜から、の合言葉どおり甲子園で第八十四回選抜高校野球大会が全国から32の代表校が出場して始まった。今回は東北からセンバツ史上最多タイの4校が出場し十二日間の予定で熱戦を展開する。注目の選手宣誓は東日本大震災で被災し、21世紀枠で選出された石巻工(宮城)の阿部翔人主将(十七歳)が行い「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。日本の底力、絆を見せたい」と堂々とした宣誓となった。

 ここに選手宣誓の全文を記録しておきたい。
―「宣誓。東日本大震災から一年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること。それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」

 この宣誓を耳にしながら私はあらためて「(野球ってヤツは、)なんてすばらしいスポーツなのだろう」と思わず口づさんでいた。主催者側のあいさつにもあったが、選手一人ひとりが胸に決意を秘め、あこがれの甲子園の土を踏みしめたに違いない。これらの一歩、一歩、そして最後まで諦めない熱球の一投一打が被災地への“あらたな光”になることを願ってやまない。

【きょうの1番ニュース】夕方、今池へ。出来上がったばかりの本、〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉を手に、なんだか力がスウーッと抜けていってしまうような、そんな錯覚にとらわれた。

☆「逃げた大ウソつき女(スペイン人女性、タニア・ヘッド30歳) (同時多発テロ)9・11で奇跡の(最後、19人目の)生還者を偽り続けた」(中京テレビ21日夜、ザ!世界仰天ニュースから)」、「〈通風筒〉◇…築百年を超え、現役の木造校舎として国内で最も古い岡山県高梁市吹屋小学校で二十日、卒業式と閉校式があった……」、「立山黒部アルペンルート 雪のキャンバス描く春」、「震災がれき 三重県受け入れ調整 セメント製品化 いなべの工場で」(21日付、中日朝刊)
 「日本中に届けます 感動、勇気、笑顔を 宮城・石巻 阿部主将が選手宣誓 センバツ開幕」(21日付、毎日夕刊)「震災1年『笑顔を届けたい』 選抜高校野球開幕 宮城・石巻工 阿部主将が選手宣誓 部員31人の思い一つに」(21日付、中日夕刊)

平成二十四年三月二十日
 小笠原諸島から持ち帰ったオールドパーを帰宅後の今夜、いまごろになってロックでのんでみた。ジンジンする。私が、かつて飲んだと同じ味で息子にも飲んでほしかったのだが。幸い、Mがお付き合いしてくれ、あまり好きではなぁ~い、と言いながらもひと口だけ飲んでくれた。そう、ジンジンと熱くなるこの味は俺にしか分からない味なのかもしれない(いやいや、Mには、それが感覚的に分かっているに違いない。昔のMの味だから)。
 今度は飲むではない方の“ひと口”で片づければ、女の激しくなるときの、そんな味こそ、オールドパーなのかもしれない。だから“オールド・パーだ”と、何だか訳の分からないことを言って逃げているのかもしれない。今夜は、いや本日は少しばかり酔ったかもしれない。人間なんて、み~んなこんなものなのだ。

 昼間、私は名鉄電車で名古屋に向かう途中、車内の人びとの表情を見て、メモ帳を取り出し、いつもの癖で次のようなことをメモ帳に書きとどめた。
―(約1人の私をのぞけば)みんな一人ひとりが、みな真剣に生きているな、と思う。私の傍らで文庫本を読んでいる中年女性、目の前の席でスマートフォンをいじくっている三十前後の女性、腕を組んだまま春眠を貪る会社員ふうの男、さらにはマスクをした人、いまにも寝入り込んでしまいそうな女子高生…と皆が皆、互いに知ることなくして、こうしてここにいるのだ。
 考えてみれば、だれもがいろんな経験をして生きてきたに違いない。どんなに若い人たちだって、それぞれにそれぞれ他人様には分からない大変な経験をしながら生きてきたに違いない。私はけふの朝、名古屋に向かう電車内で輝ける朝日を全身に浴びながら、ふとこんなようなことを思ったのである。人間はみな同じ、家族なのだから。互いに博愛の精神でいかなければ、とー

【きょうの1番ニュース】きょう名古屋で私が所属する七種会の発表会があるため覚王山の料亭『松楓閣』へ。ことしは、家入門下から新しく女性ばかり二人の名取が誕生した。お祝の手ぬぐいはむろんのこと、発表会に出席した全員に配られた干菓子(小鳩豆楽)にも♪しばらくは花のふぶくにまかせけり 万太郎―とあり、喜びがいっそう膨らみ伝わってきた。
 ステージ檀上で私は横笛で「酒よ」を吹き、ステージがはねてからあった余興で今度はハーモニカで故郷と隅田川、蛍の光の3曲をふかせていただいた。ハーモニカに関しては皆さん、なかなか上手だとほめてくださり、かえって自身に対する音感に、あらためて大いなる自信を持ちもした。自分で言うのもおこがましいのだが、確かに小学生だった、あのころは女性音楽教師から「あなたは音感が抜群によい」と、よくほめられたものである。嘘ではない本当のイイ話である。

☆「日本最古の小学校校舎 今日閉校式…築103年 地域住民に惜しまれて」(20日夜、メ―テレ・報道ステーション)=いい記事だった=、「名古屋市議会『減税日本 分裂含み』 五人離脱、会派結成へ」「議長辞職、執行部に不満」「新議長に自民・中川氏」、「小沢元代表『政治介入』検察を批判 陸山会事件 無罪主張し結審」、「故郷思い 巣立ちの日 被災地の42人 東海で卒業式 郡山の女児『友との思い出胸に』」、「論文捏造 准教授を解雇 名市大懲戒処分 教授を停職6カ月」(20日付、中日朝刊)

平成二十四年三月十九日
 大阪市長・橋下氏の絶対専制君主的なふるまいを危惧している折も折、けさの毎日新聞に渡辺読売会長の「ヒトラーに想起する」の言葉に対して橋下市長が「そちらの方が独裁」と応酬した、との記事が掲載されていた。ふたりとも自分は確かだと思えば思うほどに、どこかで重要なものが欠けていると思うのは、この私すなわち、いがみの権太だけではなく、おそらく多くの人々がそう思っているに違いない。

 それはそうと、きょうの中日新聞夕刊に「『春一番』なし 桜開花遅れ 名古屋見通し」の記事が掲載されており、どこか気になる。記事は、次のような内容だった。
―名古屋地方気象台によると、東海地方では今春「春一番」が観測されない気配が濃厚だ。観測されないと三年連続になる。桜の開花も遅れる見通しで、春の足音はまだ遠い。
 春一番は、立春(二月四日)から春分(三月二十日)にかけて最初に吹く南寄りの強い風。今年は寒さの緩み始める二月半ば以降も低温傾向が続き、名古屋では二月に最高気温が一〇度を超えたのは七日にとどまり、三月では二十五年ぶりに積雪を観測するなど、強い寒気に覆われる日が多かった。…

【きょうの1番ニュース】NHKテレビのニュースウオッチ9で昨日、東京・銀座のイベント・ホールであった被災者100人余の歌声、ミュージカルで「ありがとう」を流していたが、苦境に陥ったときの人間の声の力には、胸打たれた。

☆「絶望の凍土 満州砲兵490部隊のシベリア抑留記」「消えぬ辛酸の日々 家族離散 妹戻らず」、「敦賀2号機 震災後初の大規模訓練 福井県5キロ圏住民避難 再稼働焦点 大飯でも」、「関電に原発全廃提案へ 大阪府・市が骨子固める」、「名古屋市議会 中村氏が議長『辞職』 自、民、公3会派に伝える」(19日付、中日朝刊)
 「陸山会事件『動機ない』と無罪主張 小沢元代表側が最終弁論」、「大江(健三郎)さん 仏で原発再開反対訴え『もう一度破裂したら生きていけぬ』」、「『寒冬』悲喜 葉物が高騰赤字販売も 節電石油ストーブ好調」(19日付、中日夕刊)

平成二十四年三月十八日
 日曜日。お彼岸(春分の日)の二十日に出かける用事があるため、ひと足早く古知野にあるMのお父さん、和田の私の父の墓の順に花を供えてお参りをしてきた。Mはバラが嫌いなので、真っ赤なカーネーションに黄色の菊、そして紫と白のシンドロジウムを墓前に手向けた。水を替え、蝋燭に線香を立てて花が新しくなると、辺りの空気すべてが生き返ったようで、なんだか墓のなかから二人の父の「ありがとう」といった声が共鳴して聞こえてくるようだった。
 私の父の墓では、近くに建つ母の弟で、沖縄戦で二十二歳という若さで誰よりも先に玉砕してしまった(母談)鏡太郎おじさんの墓石にも花を供えた。

 きのう「このまま死んでしまうのでは」と全身が痛んだからだも少しは良くなった。墓参りした足で実家を訪ねると、母の風邪の方もだいぶ良くなってきた、とのことで内心ホッとし「そのまんま、寝とりゃあ。早くよくなってよ」とだけ声をかけ帰宅した。帰りの途次、久しぶりに江南ではなかなかオシャレな喫茶店といっていい音楽喫茶「音彩(ねいろ)」に立ち寄ったところ、「キイチ(喜一)サには、本当にお世話になった」と思わぬところで私の父の名前が出たのには驚かされた。

 昼前に約束していた「笛猫野球日記」の最終の最終、そのまた最終稿のコピーが、名古屋から届く。もう一度、チェックがてら読み直すが、2、3の細かい部分をのぞけば、概ね誤記もなく、これ以上の完璧は至難の業だと自らに言い聞かせる。

【きょうの1番ニュース】籤運の悪さでは定評のある、わが家だがMが買い物をしたアピタでクジ引きをしたところ、なんとお菓子が当たった。こんなことは初めてである。これまでクジなど当たったことがないだけに、「わぁ~、うれしい」とM。久しぶりに彼女の少女のような笑顔を見たのである。

☆「大阪市『思想調査』 これは危ねえぞ 愛川欽也さん」(18日付、しんぶん赤旗・日曜版より)=橋下徹・大阪市長の傍若無人なふるまいは、絶対専制君主以外の何ものでもない。私は愛川さんの意見に全く賛成である。橋下よ! 君は人生経験もまだない。青い果実なのに何サマになっているのだ。君のような存在は、全くもって嘆かわしい限りだ。君は人間の尊厳という言葉を知っているのか。=、『安らかな眠り遠く 石巻・彼岸入り」、「震災がれき 愛知県受け入れへ 碧南火力に処理施設 中電と最終調整」、「『脱原発』支持8割 再稼働『必要分だけ』54% 全国世論調査」、「衛星2段目落下は比沖 北朝鮮、打ち上げ情報予告」(18日付、中日朝刊)、「『東京大空襲』未公開ネガ583枚発掘 銀座・原宿・浅草が…米軍無差別爆撃の真相」(18日、NHKスペシャル)

平成二十四年三月十七日
 このところのハードな日々がたたってか、きょうは午後外出先から帰宅後、ここ数日の新聞各紙のチェックや切り抜きに続いて、来月一日発売に迫った私著作の野球本(いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」)の贈呈者リストなどを作成するうち、なぜだか急に全身の痛みを感じ、あげくに震えが治まらないので二階の床に入って寝た。
 食事もとらず、風呂にも入らず、ただMに向かって「イタイヨウ」「ナントカシテクレヨウ」と甘えて懇願するだけで、その一方で自身の心の一部では「寝ておればそのうち治る」といった自信のようなものもあり、もう一人の戦友でもある愛猫こすも・ここを抱いて寝入ってしまったのである。

 それが、どうした拍子か。私たちのお気に入りでもあるNHKのラジオ深夜便から、あのビートルズの名曲の数々が流れてきたではないか。私は、この思い出深いビートルズナンバーの数々を耳に「あっ、しまった。きのう(十七日)の本欄・笛猫日記」を書かないでいたことに気づき、こうして起きて書き始めたのである。いまは午前3時を過ぎたところである。
 ビートルズナンバーは昭和四十年代の後半、新聞社の志摩通信部兼伊勢支局記者時代に、当時、敵前逃亡さながらに私の元に着の身、着のまま、はだしで飛び込んできたMを乗せ、車で飛び回っていたころ、カセットを新車サニーにセットし聞きながら取材した思い出の数々と重なるだけに、それまでの全身の痛みが瞬時にして消え去った。この世には往々にして信じられないことが起きるものだが、見えざる神の手によって私はいま再び、こうして息を吹き返したのだ。

 よくよく考えれば、出版が目前にまで迫った大震災『笛猫野球日記』は、まだドラゴンズ公式ファンクラブに在職していた平成二十二、二十三年のシーズン中、一日も欠かさず、あくまで1人のドラゴンズファンの目線で、ウエブ文学同人誌「熱砂」の伊神権太作品集のなかで書き続けた千二百ページ(1枚2400字)に及ぶ大原稿の中から、かなりの部分を削りに削って、かつ補筆に補筆も重ねて誕生の運びとなった。二年間は現職の仕事もあり、いつもこすも・ここが午前二時か三時になるとは起こしてくれ執筆に当たったが、きょうは久しぶりにあのころの自分に対する厳しさを思い出し、こうして書いている。こすも・ここと相棒のシロちゃんがおればこそ、ここまで辿り着いたのである。その間、Mの入院、闘病生活もありほとんど睡眠時間二、三時間で乗り切った日々もある。

 小説家・伊神権太として出版に当たっての私の立ち位置は、“真実、公正、進歩的”と“人間の尊厳”を胸に刻んだうえで「ニンゲンたるもの、だれもが皆真剣に生きている。だから、どれが過ちでどれが正しいか、わからない。」としたうえで、あくまでドラゴンズを支えてくれているファンの皆様の声に忠実にペンを進めさせていただいた。会員のみなさまの中には本の誕生を待ってくださっている方々も多く、私はそれだけに過ちは許されない、と胸に刻んでこの仕事に取り組んできた。
 今回の本出版を機会に立ち上がってくださった笛書房のスタッフにも、これまでうるさいほどに訂正に訂正の要請を重ね、彼らもかなりしんどかったに違いない。でも、よくぞ、やってくれたと正直感謝している。
 今は4月1日付の出版を目の前に待ったなし、の段階だ。1人でも多くの方々の目に触れることを望んでいる。まもなく午前五時だ。思い起こせば、現役時代は連日、こうして深夜未明にこの日記を書き続けてきた。自分でも「よく続いたな」と思っている。

【きょうの1番ニュース】自宅近く料理店に出向き、チラシずしと茶碗蒸しを食べたが、これが久しぶりにめっぽう美味しかった。午後に急に体の異常をきたした時には、チラシずしの中にフグか何かが入っていたのでは、とも疑ってみる。電話で「私の食べたチラシの中にフグは入っていませんでしたか」と聞こうとも思ったが今は回復途上にあるので問い合わせをする時間がかえってもったいなく、やめることにした。

☆「原発賠償指針 帰還困難区域は600万円 住宅も全額 一括払い決定(文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は十六日、政府が東京電力福島第一原発事故の避難区域を見直すことに伴う賠償指針を決定した。「帰還困難区域」に指定された住民の精神的損害に対し、新たに一人当たり六百万円を目安に一括で支払い、住宅も事故直前の価値で全額を賠償。「居住制限区域」の住民には二年分として二百四十万円を一括で受け取れるようにし、生活再建を後押しする。)」、「蛇口から赤い水…診療所閉鎖 宮城・女川の江島 復興かすむ離島 区長『住む人がいなくなる』 被災地の離島/宮城県内は九つの離島があり、津波で61人が犠牲になった」、「〈核心〉北朝鮮『衛星』打ち上げ予告 『瀬戸際外交』も世襲 米『見返り』空振り 正恩体制固め狙う?」、「〈編集局デスク〉記憶のスイッチ(真能秀久)」、「伊良湖沖にひょっこり 迷子のコククジラ?」(17日付、中日朝刊)
 「『津波来りて村々の網船押流され』 大地震古文書は語る 東三河4市調査 救援物資や高台移転記述『爪痕学び、教訓に』」「家族の一員永久に絵に 津波で失ったペット描く 名古屋 絵本作家が巡回展」「悲しみの門出 大川小卒業式 遺族にも証書」、「岡田氏が大連立打診 消費増税協力、自民は拒否 今月上旬」(17日付、中日夕刊)

平成二十四年三月十六日
 きょうは訳あってCBC、ピースボート名古屋事務所の順で駆け回った。続いて近く発売予定である私の著作、〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉(笛書房発行)の監修に携わってくださった方にもお会いするなど結構、慌ただしい一日となった。

 女子マラソンのシドニー五輪金メダリストのQちゃん(高橋尚子)が1つ年下の元トレーナーと交際していた(16日発売の写真誌「フライデー」)かと思えば、米倉涼子はあこがれの舞台・ブロードウエーでのミュージカル「シカゴ」主演を決めた。一方では、あの吉本隆明さんが帰らぬ人となった。八十七歳だったという。

【きょうの1番ニュース】〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉の完成直前の表紙を見た女性曰く「本当に可愛い猫ちゃんですね」と。帰宅し表紙を飾ることになる愛猫こすも・ここに、その旨報告したのは、むろんのことだ。彼女は満足そうに二度だけ、うなづいた。ここで帯の文の表紙の方だけを紹介させていただくと。
―愛猫に日々、深夜未明に起こされ、横笛を手に執筆が続いた平成23、22の両年度。大震災と巨大津波が東日本を襲う悲劇のなかドラゴンズは球団史上初のセ・リーグ連覇を果たした。この本は自らもファンクラブ会員の筆者が2シーズン1日も欠かさず書き続けた、ファン証言集のひとコマでもある。この本を手にしたすべての人々の幸せにつながれば、と願っている。

☆「草履ならとっさに支えられる 震災追悼式和装の皇后さま 退院1週間 天皇陛下気遣う」、「商店街に石ノ森作品 『009』復興のため闘う 宮崎・石巻 萬画館『みんな一丸』」、「中部6県がれき受け入れ 『前向き』7市町のみ 愛知県『冷静な議論必要』」(16日付、中日朝刊)
 「吉本隆明氏死去 87歳 評論家、戦後思想の巨人」、「300系20年ありがとう 初代『のぞみ』ラストラン 名古屋駅にも700人 惜しむ」(16日付、中日夕刊)
 「開幕GОGО マサ(山本昌投手)凄い順調 守道監督『吉見かどっちかやん』」、「(高橋)尚子 熱愛」、「夢かなった!! ブロードウエー主演 ミュージカル『シカゴ』に7月1週間限定で 米倉涼子」(16日付、中日スポーツ)

平成二十四年三月十五日
 午前中は、昨日までの小笠原諸島へのクルーズの旅(4泊5日)終着点・名古屋港からクロネコで届いた大小の旅行バッグ三個の整理に追われ、この後、無事帰った旨を報告がてら実家へ。母は、たまたま妹と食事に出かけて帰ったところで風邪気味だということなので土産だけを置いて戻った。

 新聞各紙をチェックしていたら、毎日新聞の1面余録が「春を呼ぶ野のウグイスやメジロの声のうれしさ」に触れていた。そう言えば小笠原諸島への船旅でひとつ重要なことを忘れていた。父島の高台にMと登った際、♪ホーホケキョ、ケキョケキョ…と鳴くウグイスの声が耳に入ってきたのである。彼女も「ことし初めて聞くウグイスの声よ」と感激、私たちはその声に聴きほれつつ互いに「ことしは、何かきっと良いことがある」といった確信のようなものを感じたのである。

 ここでアオウミガメの続きについて触れておきたい。結局のところ、(カメの煮込みを)一番食べたのはMと愛猫シロちゃんだった(私は貴重な命を買い求めた以上は、食べてやらねばと目を瞑って半ば義務の意識も手伝って、“エイ、ヤアー”といった感じで食べたが、これがなかなか思った以上に美味しかった)。女性の美肌と健康によい、とスーパーの説明に書かれていた。だから、Mもシロちゃんも美しくなりたい一心で食べたのだろうか。
 ところで、もう一方の愛猫こすも・ここの方はといえば。もともと美人なので「今さら」と思ったのか、アオウミガメなぞには目もくれなかった。猫は猫でも、それぞれの哲学があり、同じようにはいかないものらしい。

【きょうの1番ニュース】少しの間、船上に居たためか。帰宅してしばらくの間は、わが家が大気という海のなかに浮かんでギシギシと揺れているような、そんな錯覚を覚えた。

☆「東北、北海道に津波 震度4 20センチ、昨夏以来の観測 関東では5強」、「新潟・上越で地滑り 雪解け原因か、250メートル移動」、「サッカー男子も五輪 5大会連続 バーレーン下す」、「硫黄島で日米慰霊式」、「脱原発でも経済回る 中小企業実践ネット 120社参加20日発足 財界とは一線」、「キムタク(木村拓哉)2回速度違反で免停」(15日付、中日朝刊)
 「巣立ち 普通が一番 被災地小中学校 卒業式 陸前高田一中『学ぶこと多かった』」、「島田市がれき受け入れ 市長表明、年間5000トン想定」、「巨人合意超える契約金 93~04年 逆指名入団6選手か」(15日付、中日夕刊)

平成二十四年三月十四日
 東京から南に約1000キロ。北から聟島、父島、母島、火山(硫黄)列島、沖ノ鳥島、南鳥島、西之島まで大小30余の島々からなる海洋島で、昨年六月に世界自然遺産に登録された小笠原諸島―その、小笠原諸島へのパシフィック・ヴィーナス号による船旅からMともども帰ってきた。

 パシフィック・ヴィーナス号
 

 ふたりにとって、4泊5日もの船旅は初めてだ。2006年夏に当時、フランス・パリのОECDに派遣されていた長男を訪ねて十日間ほどの旅を一緒にしたことはあるが、船に乗ってのこうした旅はMの念願だっただけに、彼女の夢がかなったといえようか。
 船内は、行きも帰りも、船内展望風呂に入っていても、かなり激しく揺れ、ずっと地震に遭っているような錯覚さえ覚えた。でも、当初心配された天候は次第に回復して小笠原の父島に渡った十二日は好天に恵まれ、さすがMの晴れ女健在ぶりが証明され、本当によかった、と思っている。

 十日夕方に名古屋港を出港し、小笠原諸島・父島の二見に入港したのが十二日早朝だった。この間、印象に残ったのは十一日午後2時46分に、ボオゥーという汽笛を合図に船舶進路の左後方、東日本の海域に向かって、大震災で命を落とした人々に対して船内にいる全員が一斉に黙とうをしたことである。
 私はこの後にも、後部甲板デッキ部分に立ち持参した横笛で♪さくらさくら…、と♪酒よ、をそれぞれ二度にわたって海に向かって、鎮魂の調べとして奏でた。
 引き続き、私は十二、十三の両日早朝にも十階後ろのデッキで、鎮魂の横笛を二度、三度とふいたのである。笛の音が、風に乗って海面上を潮の流れに合わせるかの如く這うように流れていく。私は目をつぶり、全身から笛の音を絞り出し、東日本大震災で逝ってしまった多くの人々の御霊に鎮魂の調べを奏でた。

 船旅の間は、このほかMに誘われるまま二度にわたって大の苦手な船内のダンス教室へ。ブルースやマンボの基本を教わったりした。またカクテル教室に出て、実際に見よう見まねでシェイカーを振って私は究極のカクテル、X・Y・Z(27度。ラムとホワイトキュラソーとレモンジュース入り)を。Mもノンアルコールカクテルの代表であるシンデレラ(0度。オレンジ、パイナップル、レモンジュース入り)をこしらえたが、これがどちらもなかなかイケ、よい味だった。
 父島に上陸後は1時間足らずの島めぐり観光ツアーに参加後、島の1番高台にある神社への階段を一緒に登り降りし波止場近くにあった開店したばかりだという店でジンジャエールをたのみ、海鮮丼を食べた。船に戻ってからは船内の展望風呂で疲れを癒したりもした。また船内テレビから流れてきた往年の名画「慕情」には、この齢になり、久しぶりにときめきのようなものを感じたのである。

 が、何といっても忘れられないのは、スーパーに入ったMが見つけた「〈緑(あお)うみ亀〉入っています」の言葉。店内に入ると、そこにはアオウミガメの刺身とか肉が売られており、Mは怖いもの見たさの感覚でそのまま湯で煮込めば食べられる、というシロモノを保冷箱に入れてもらい、購入してしまったーという次第。なんだか小笠原名物のカメさんたちが食べられていた、だなんて。かわいそうに思えて仕方がなかった。許せないが、どんな味なのだろう。この世は不条理なことばかりだ、とつくづく思った。

 なにはともあれ、こんな按配でふたりの船旅は終わった。相変わらず道中は「携帯なんか見ないで! 私の前では、(たとえスマートフォンの練習にしても)やらないでよ」「何のためにきたのよ」「あなた。仕事しに来たのじゃないんだから」など。いつもMに叱られながらの珍道中となった。
 このほか国の天然記念物であるアホウドリの宝庫・鳥島を過ぎた辺りの沖合ではクジラが波間に大きく浮き上がる姿を大勢の人たちが何度も目撃。目撃できなかった悔しさも手伝って見もしないのに「あっ、ホラッ、クジラだ。クジラがあそこに。ホラッ」などと叫んでみたりし、「だめよ」とMから相手にされずバカにされたりもした。
 でも、ケンカがてらの旅にしてもこうして実現したのは、こどもたちの理解があればこそ、だ。留守番をしてくれた息子たち(ほかに愛猫こすも・ここ、シロちゃんも含む)には、心から感謝している。最終日のきょうは、さすがにMも疲れ切ったようだ。今夜は土産に買ってきたカメをみんなで食べることにしているのだが。でも、食べられるか。おそらく私には食べられない気がしてならない。カメさんには悪いが…。

 いずれにせよ、日本は結構広いな、というのが今回の船旅の実感である。

【船旅中の1番のニュース】ずっと揺られどおしのパシフィック・ヴィーナス号。その船内で私は夜通し小説の構想を練り続け、浮かんだ文(それは大半が感覚的文学だが)をメモ帳に書き続けた。そこには、先に深夜バスで東北の被災地を訪れた時のバス車内と共通する、ある音と文、揺れのリズムのようなものがあった。印象が薄れないうちに短編として、伊神権太の世界ならでは、の作品にまとめたい。

☆「震災1年 続く祈り 〈わかって欲しい〉(伊集院静) 3・11不明なお3155人」(11日付、中日朝刊)「悲しみ 語り継ぐ 東日本大震災きょう1年 なお34万3935人が避難生活 〈伝えられた116年前の物語 娘へ、未来へ〉 山田町の男性 津波が奪った母」(11日付、毎日朝刊)
 「3・11 2時46分 悲しみ胸に復興誓う 震災1年追悼式」(12日付、中日朝刊)尾崎ら6人選出 全選手が初代表 五輪マラソン代表決定」(13日付、中日朝刊)
 「『腹に刀隠す人 えり分け処理せよ』 正恩氏クーデター警戒 労働党幹部に指示」(14日付、毎日朝刊)、「名古屋市議会紛糾 居座り議長に身内も批判 減税迷走自壊の危機 不適切発言 委員会が空転 薬事法事件『自民が動いたんじゃ…』」(14日付、中日朝刊)減税、中村議長を除名 『辞任要請に従わず』 名古屋市議会」(14日付、中日夕刊)
        
平成二十四年三月十日
 私ごとで恐縮だが今日の午後、Mと小笠原諸島への船旅にでかける。船旅の正式名は少し長いが、「客船ぱしふぃっくびいなす(パシフィック・ヴィーナス)で航く“世界自然遺産登録記念小笠原チャータークルーズの旅5日間”」である。
 私の意識のなかではMが船旅が好きなことは分かっていた。でも、まさかいきなり「小笠原に行こうよ」と言うなんてカケラも思ってはいなかった。東日本大震災が起きて1年がたち、日本中が復興、復興と叫ぶ一方で悲しみばかりが目立つなか、「こうした時にこそ思い切ってパアーッとやって、たとえ僅かでも日本の元気に少しでも役立たなくっちゃあ」という言や良し、で「ヨシ、行こう」ということになった。

 よくよく考えれば、日本人でありながら父島、母島のある、はるか最果ての洋上に浮かぶ小笠原諸島を知らずして世界一周など本末転倒も甚だしい限りだ。いやいや、Mはもしかしたら私がピースボートに乗る前に少しでも予行演習になればーと、このたくらみに至ったのかも知れない。今だから白状するが、昔、空飛ぶ記者として日本中を飛び回っていたころ、なぜか硫黄島の取材にだけは恵まれなくて、行きたくて仕方なかった日々のことを思い出す。
 いずれにせよ、あす私たちは洋上で東日本大震災で逝った人々を供養し、私は横笛で鎮魂の気持ちで「さくら」など日本の名曲を奏でたい、と思っている。できたらハーモニカもふきたい。被災した多くの方々、家族の悲しみを思うとき、私たちも心をかき乱されんばかりだからこそ、私たちの心を海に流し、託しもして来たいのだ。

 とはいえ、今は被災者一人ひとりが現況を一つひとつ乗り越えてゆくしか仕方ないのではないか。亡くなった人々の魂は、それぞれの胸のなかで生きているはず、だ。だから、こうした魂の叫びにこたえるためにも、いまこそ1年を節目に前に向かって、上を向いて歩き始めるときだ、と思う。私は一人の小説家としても、いま書こうとしている、あるテーマの入り口にだけでも入れたら、と願ってもいる。

 そしてー私自身にとっても今回の船旅は、地方記者夫人としてこれまで朝、昼、夜となく長い間、私に振り回されてきたMへの恩返しも兼ねて彼女の願いをかなえてやらねば、と思っている。この旅を節目に新たな人生の大海原に向かってふたりで歩いて行こう、とも思う。というわけで、あすからはしばらく休ませていただく。親愛なる読者の皆さま、勝手なふるまい、心の底から、お許しのほどよろしくお願したい。

【きょうの1番ニュース】愛猫こすも・ここと妹シロちゃんが、けさ、私たちがしばらく留守になることを察したようで、盛んに頭をすりつけてきたり顔などをなめまわしてくる。Mは「家族のひいき目なの。どこの猫だって一緒なのだから」と言うが、“ふたり”とも本当に賢くて、かわいい猫だ。しばらく留守にするからお兄ちゃんと仲良く、ネ! 

☆「〈3・11再生への道〉減らぬがれき、心重く 大震災あす1年 被災地処理6・3%『片付けば前向きに』」、「震災1年特集 原発列島 行く末は」、「〈社説〉被災地に自治を学ぶ 3・11から1年」、「〈編集局デスク〉被災地に捧げる(臼田信行)」=10日付、中日朝刊

平成二十四年三月九日
 歯医者、ヤマダ電機、ガソリンスタンド、本の出版準備、小説執筆…と私なりに、あれやこれやと飛び回ってはいるつもりなのだが。Mに言わせれば「まだまだ、甘っちょろい。ヌクヌクなんだから」となる。正直言って、五月のピースボート乗船を前にしたこのところの準備と用意は結構大変なのだが…。なかなか分かってはくれそうにない。
 彼女に言わせれば、記者時代の延長線上で「(新聞や本を読んだり、語学ばかりで)ちっとも家事のことを助けてはくれない」ということになるらしい。それでも、お風呂を沸かすなど私としては家事の協力など大いに前進しているはずなのだが。まだまだ手ぬるいらしい。

 東日本大震災が発生した3・11を前にメディアは新聞、テレビなど各社ともそろって特集記事や番組を組んで、あの日を迎えようとしている。NHKは連夜のNHKスペシャルで大震災と福島第一原発事故の抱える苦悩と問題点をそれぞれ、多角的に放映。新聞も、このところは写真グラフを多用した見開き展開で被災地のその後の表情や問題点などに肉薄し伝えている。

 私は今日もこれら記事の整理をしながら大震災と原発事故の悲惨さを思い、被災者一人ひとりが今の苦難の道を乗り越えられるよう、祈る思いだ。ここに来て「歩み出す時を」「見つめ続ける」(毎日朝刊、8日付見開き特集)、「ありがとう」「これからも」「海と生きっぺし」(中日朝刊、9日付同)など。言葉の重さが心にズシリと響いてくる。
 『さあ、みんな。乗り越えていこう』

【きょうの1番ニュース】ヤマダ電機に行き、世界のどこでも使用可能だという変圧器を購入したついでに店員からスマートフォンによる“アプリ機能”とやら、を紹介されポイントカード会員になった。若い店員がいろいろと親切に教えてくれたこともあり、私としては思いがけず会員になったわけだが、登録して使い方さえ覚えればあとは簡単。なれてしまえば、店もお客も両方にとって便利なものと合点した。世の中は、知らない間に進化していく。

☆「震災追悼式 天皇陛下出席へ」、「〈通風筒〉◇…宮城県山元町の山下中学校の校舎に、支援した人とされた人、それぞれの思いや感謝の言葉が書かれた黄色いハンカチが飾られ、潮風に揺れている。『ありがとう』『絆』。十一日には町役場や国道沿いにも掲げられる。」、「〈再生への道〉ボランティア物から人へ 支援変わるニーズ 陸前高田 今もがれき山積」、「この走り 被災地に届け ウィメンズマラソン参加者アンケート」「第1走者が石巻出発 (名古屋まで)758キロ被災者応援リレー=がれき撤去などをしてきた愛知ボランティアセンターの企画」(9日付、中日朝刊)
 「3・11 あの日から1年 地震発生直後と今 残る傷痕復興はまだ先(写真グラフ)」、「東海市の女性死亡 新たに男4人逮捕 加害目的略取の疑い」、「陸山会事件 小沢元代表に求刑へ 指定弁護士『元秘書と共謀』」(9日付、中日夕刊)

平成二十四年三月八日
 私の著作、「いがみの権太 大震災“笛猫野球日記”」の“つかみ本”が出来たので出版に携わってくれたA氏と念には念を入れ二時間以上をかけ、某所で最終チェックに当たった。本の校正は、これまでにも何回も行った経験はあるが何度行っても、誤記は出てくるものである。でも、きょう見た限りでは「直しもこれに尽きる。これでまだあったなら、それはその時だ」と腹をくくることにした。もし誤記があれば、増刷時に修正すればいい、と覚悟を決めたのである。

 何より、ここまで誠意をもって頑張って“つかみ本”まで辿り着いてくださった皆さまには、本日記の紙面を借りて、この場で心からお礼を申しておきたい。また野球日記紙面に登場する公式ファンクラブ会員をはじめとした多くのドラゴンズファン、そしていつも温かい目のファンクラブ事務局スタッフ、球団、ナゴヤドーム、さらには何よりもファンと選手の縁の下の力持ち的役割を果たしてやまない販売店主の皆々さま方にも、お礼を述べておきたい。

【きょうの1番ニュース】私が五月八日に旅立つ第76回ピースボート「世界一周102日間の船旅」の使用客船が「オセアニック号」から「オーシャンドリーム号」に変更することが今日、ジャパングレイス本社からの電話連絡と、わが家に届いた同社からの“大変重要なお知らせ文”で分かった。

 当初、使用客船に予定されていた「オセアニック号」(3万8千トン)は1965年に大西洋横断航路のためにイタリアで建造された外航客船で蒸気タービンを推進力とする旧来型のスティームシップ(蒸気船)。長距離航海には適していたもののディーゼルエンジンを使う新型外航客船より多くの燃料油を消費しその分CО2の排出量も大きかったという。
 これに比べ、「オーシャンドリーム号」(3万5千トン)は、世界最大の船会社カーニバルクルーズライン(デンマーク)が1981年に建造したディーゼルエンジン船でCО2排出量も少ない。

 CО2の排出量増大問題は近年、国連などで地球温暖化や深刻な気候変動を引き起こす原因だとされ、国連特別協議資格を有するNGОピースボートからも再三にわたり「CО2排出量を少なくするためにも使用客船のディーゼルエンジン船への変更をしてほしい」旨要請を受けていた、という。

 「オーシャンドリーム号」は現在、世界最大客船オアシス号(22万トン)を有する名門船会社ロイヤル・カリビアン・インターナショナル傘下のクルーズ会社最大手プルマントール(スペイン)が所有、地中海やカリブ海はもとより太平洋でも活躍した実績を有する。
 ベルリッツ社が毎年発行するクルーズガイドブックでもオセアニック号の二ツ星プラスよりもグレードの高い三ツ星の評価を受けている、とのことだ。“重要なお知らせ”のおかげで少しだけ客船に関する知識を得た。

☆「〈3・11再生への道〉被災地、求人に地域差 内陸製造業に働き口 沿岸水産業は戻らず 仙台復興需要で活気」、「『SОS』記憶今も 宮城・気仙沼」、「震災支援寄付 5000億円突破 ボランティア100万人超」、「謝罪すれば関係美しくなる 全人代で河村発言批判 南京市幹部」、「小澤さん『SKF(サイトウ・キネン・フェスティバル)指揮断念』(8日付、中日朝刊)
 「放射線量変わらず 道1本で補償格差 忘れられた『被災地』 原発30キロ福島・早稲川地区 集落分断 住民に溝も」(8日付、中日夕刊)
 
平成二十四年三月七日
 きょうもスマートフォンとビデオに引き回される一日となった。習うよりはなれよ、と自分自身に言い聞かせる私だが、思い当たったのは、スマートフォンは欲張り過ぎ。便利になれば、となんでもかでもと機能を取り入れすぎで、これでは逆効果だ。浅はかさが返って使いづらくさせている、ということだ。もっとシンプル、かつ効果的な機能が望まれる。

 まさに人間の愚かさを露呈した結果がスマートフォンだといって良い。この調子だと、今しばらくは、ドコモショップへせめて基本だけでも良いから操作方法を教えてもらうために通わなければならない。ビデオの方は、取扱説明書を読んでも編集方法がチンプンカンプンで分かりづらいため、きょう名古屋に出向いたついでに購入した名駅前の電機店によって直接聞いてきた。それで、やっと何とか出来そうな感じがしてきた。でも、これまた実際にやってみて出来なければーと少しばかりプレッシャーがかかっている。

【きょうの1番ニュース】午後、横笛の稽古に師匠宅へ。ここで師匠の前で初めてハーモニカをふいてみたが、「わぁ~、スゴイ。スゴイじゃないの」とほめられてしまった。というわけで、二十日の発表会当日は「酒よ」を横笛でふいたあと、アトラクションでハーモニカを二、三曲ふくことになった。

☆「〈通風筒〉◇…中日ドラゴンズの選手や沖縄県の中学生たちが被災地の中学生に向けたメッセージを書き込んだ硬式ボール百八十個が六日、球団マスコットのドアラの手で宮城県山元町の山下中に届けられた」、「〈3・11再生への道〉職員疲弊身も心も 被災者から罵声深夜まで業務 被災の沿岸自治体 『辞めたい』薄れる使命感」、「今夜は蒲焼町で飲んできゃー 名古屋の旧町名復活を 経営者ら『有志の会』市や町内会に呼び掛け」(7日付、中日朝刊)
「厳冬の被災地に生きる 支え合う父と娘の物語▽老婦人の目に涙が…“愛してる”」(7日夜、NHKスペシャル) 「放火殺人 母ら再審決定 95年小6死亡無期判決確定『自白は不自然』 大坂地裁」、「天皇陛下、胸水抜く」、「〈3・11再生への道〉消える港 漁師2人の石巻・蛤浜 1人廃業 残る1人は隣の港へ」(7日付、中日夕刊)

平成二十四年三月六日
 やはり習うより慣れろ、だ。新聞を読み、執筆以外にはずっとビデオの手引書に従ってあれやこれやといじくっていた。消去の方法は少しだけ分かった。でも、撮影ビデオを思いのままに編集するとなると、まだまだむずかしい。きょうのところは。ビデオとスマートフォンを、ただ単にいじくり回していただけで、何の進歩もなかった。

 結局、古本屋に行って手にしようと思っていた本探しはあす以降に。スマートフォンがスウィッチボタンを押してもウンともスンともならないので、またまたドコモへ。「あの、おっさん(いや、“爺ちゃん”かもな)何遍来たらすむのだ」と思われるのを覚悟で店を訪れたが、親切な若者の応対で心もさわやかとなった。恥ずかしながら、充電の方法がまずく、電源が空っぽだったのが原因と分かった。

【きょう1番のニュース】昨年まで大変お世話になった、ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局のルナさんから「誕生日、おめでとう」のメールが入り驚いた。ありがたい、と思う一方で「それよりも、そっちの方の結婚はどうなのだ」とつい、余計なことまで心配した次第。けさの中日スポーツによれば、堂上兄弟の弟直倫が結婚したというではないか。それとも、もしかして相手はルナさんですか? 姉さん女房と書いてあり、あっても不思議ではないのだが。

☆「法華津自ら記録更新へ 出場時71歳 日本最年長で五輪馬術代表」、「なでしこ歴史的1勝 米撃破で決勝進出 サッカー女子アルガルべ杯(ポルトガルのファロで行われた)」、「〈3・11再生への道〉被災地でATM窃盗未遂逮捕 津波 流された良心 岩手・大槌の男性 『軽い気持ち』…後悔の日々」(6日付、中日朝刊)
 「東海ポカポカ 4月中旬から5月上旬並み」「名古屋はピンポン外交の舞台 日中交流止めないで 友好尽力の中京学院大・久野輝夫准教授 南京発言『市民活動に影響』」(6日付、中日夕刊)

平成二十四年三月五日
 啓蟄。虫の出番。もしかしたら、〈しししんちゅうのむし=獅子の体内の虫が獅子を食い殺すこと。古くは仏教関連で、今は組織の一員がその組織をゆるがせる意味で使われる〉がいるかも知れない、とはけさの毎日新聞朝刊である。

 昨年暮れ新聞社を退社後、それまでのドラゴンズ公式ファンクラブ事務局のスタッフとしての業務(会報編集担当)からは解放されたものの日々、1人の小説家としてやらねばならないことに追われて忙しい。ただ、毎日の執筆活動もさることながら自らの理想にどう近づいてゆくかーとなると日々、自身の生活にメリハリをつけねば、とも思う。
 デ、「これと、これは今日中にやるのだ」と言い聞かせながらの毎日だが、少しでも早い時期に実のある作品をこの世に生み出していかなければ、とも思う。かといって、少しもあせる必要はなく伊神権太はゴンタの世界、わが道をこの先も地道にあるいてゆければ、それで良い。

 そんなわけで、きょうもすべきことをしたうえでMと母の元へ。そしたら、彼女曰く「お母ちゃん、きのうの老人会で良いことしてきたのだから」の声が飛び込んできた。その訳を聴くと、母より少しだけ若い八十代後半の仲良しの気分が老人会の席で悪くなったので救急車を呼んでもらって江南厚生病院まで付き添って行き、治療と点滴が終わるのを待って、今度はタクシーでお宅まで送り届けた、というのだ。
 それは、おふくろスゴかったじゃない。エライ!」と言うと、「助け合うのは、当たり前じゃないの。おかげで帰ってからは疲れてしまったから、すぐ寝てしまった」との弁。傍らにいたMが「それからね。先日、おかあさんがお店(リサイクルショップ「ミヌエット」)に顔を出されたとき、皆さん八十歳ぐらいにしか見えないんだってよ。」と口を添えると「あぁ、そうかね」と少しばかり嬉しそうだった。

 「おまえも忙しそうだから、そんなに来んでもいいから。電話をかけてくれたら、それでいいのだから」と言いつつ、結構うれしそうだった。

【きょうの1番ニュース】母と雑談していて、母の父(大脇鏡一郎)、すなわち私の祖父と母の弟(鏡太郎)、すなわち私のおじさんに話が及んだ。母は祖父に叱られたことが一度もない、というのにも驚かされたが、私の記憶の範囲内でもおじいちゃんは確かにいつもニコニコ、ニコニコしていた。
 22歳の若さで沖縄で玉砕したおじさんの話は何度聞いても胸が痛む。玉砕した同じころ、母は満州で父と居たが、ある日胸に銃弾が撃ち込まれ血が噴き出した夢を見たが母は「きっと、弟はその日に玉砕したに違いない」と信じてやまない。

☆「「着るはずだった制服 悔やむ両親 でも『最高の家族』 大川小一周忌法要」「『我々には仲間がいる』 陸前高田市消防団 震災後初、全分団集合」(5日付、毎日朝刊)、「NHKスペシャル『38分間・命の記録』巨大津波映像の289人 娘を捜し続ける父と母 涙と再生への1年=」(5日、NHK)
 「3・11再生への道〉大川小で合同法要 みーこ呼び続けた 一周忌傷なお深く」「娘の死 真相どこに 学校、教委に原因究明求める」、「山本(亮) 五輪確実に びわ湖マラソン一般参加で4位」、「天皇陛下が退院 震災式典体調見極め判断」、「(来年十月の)式年遷宮へ つち音 伊勢神宮『立柱祭』」(5日付、中日朝刊)
 「ロシア大統領選 プーチン氏圧勝 得票6割超 4年ぶり復帰へ」、「仮設住宅深まる孤独 宮城・多賀城で男性死亡3日後発見 各地から入居交流薄く 阪神教訓踏まえ声掛けなど対策」(5日付、中日夕刊)

平成二十四年三月四日
 日曜日。スマートフォンを手にしての一日が始まった。とはいえ、ショートメールを送ろうとしても機能をイマイチ理解不足とあって、文がなかなか思うに任せず作成途中で文字がスルリと脱け簡単に画面から消えてしまう。それでも、繰り返し文を作成しメールを送ろうとするが、どうやらやり方のツボが分かっていないらしい。やっと文が出来、さあ送信をーと思ったところで、また消えた。これでは堂々巡りだ。

 実を言うと、これまでは電車の中でスマートフォンを手に画面を指でなぞっている若者の姿を見て内心何を見苦しいことをやっているのだ! とばかり半ばバカにしていた。でも、自分でスマートフォンを手にしてみて、あぁそう言うことだったのか。と少しだけ合点がいった。このスマートフォン、何よりもなれることが大切とみた。
 習うよりはなれろ、とはよく言ったもので、ここしばらくは時間さえあれば、ただひたすらにスマートフォンを指でタッチしてなれてやろう、と思った次第である。スマートフォンは、大人のオモチャなのよーとMがよく口に出す言葉が実感として迫った。

 ところで、このところ新聞、テレビはどこもかしこも十一日に東日本大震災が発生して丸一年になるのを前に特集記事や特集番組で満載である。なかでもNHKは昨夜の「原発事故あのとき何が/同時進行ドキュメント官邸と住民・完全再現▽今初めて明かされる衝撃の事実・失った命」に続き、今夜も「映像全記録3・11―あの日を忘れない」を“NHKスペシャル”として流した。見ながら被災者の無念はいかほどか、と言葉もない。運命で片づけるにはあまりにも非情かつ冷酷だ、と言ってよい。

 そして。これでもか、と海沿いの町に執拗に押し寄せてきた夥しい波たち。想像を絶する大津波の襲来を目の前に、もし運命というものがあるとしたなら、この地獄のありようはそれ以外のなにものでもない。津波が町を、人を、車を、建物を…容赦なく襲う姿を見ていると、私たちだけがこうしてヌクヌクと生きていて良いものかどうか、と不安にさえなる。そして、今、生きていること自体が不思議だ。

【きょうの1番ニュース】長年の記者生活。夜となく、朝となく、いつも黙って耐え、陰で支えてくれた内助の功に対するMへのささやかな恩返しにーと、十日にふたりで乗船する客船「ぱしふぃっくびいなす」でいく“世界自然遺産登録記念小笠原チャータークルーズの旅”を前に、アピタ江南店へ。Mが大きい旅行バッグを、と言うので買いに出向いた。幸い、軽くて持ち運びに便利そうなバッグがあったので購入した。これからは、ふたりで使えば良いと思った。

☆「高梨(沙羅)W杯ジャンプV 中3快挙、女子日本勢初」、「〈再生への道〉水産業進まぬ復興 魚のまち細る生計 宮城・気仙沼 工場、商店今も更地」「福島県沿岸 放射性物質検出続く」「、紀伊半島豪雨から半年 復興いつ住民離散 三重・紀宝浅里地区 土砂山積 手つかずため息」「熊野古道修復に“難所” 世界遺産 景観と防災 両立模索」(4日付、中日朝刊)

平成二十四年三月三日
 きょうは、女性たちの日、雛祭りだ。手元にある金田一京助さんの新明解国語辞典第五版によれば、「三月三日の節句にする、女の子のための行事。雛壇を作って、雛人形を飾り、ひしもち・白酒・桃の花などを供える。雛遊び」とある。

 デ、天気の良いこともあり母を誘って愛車でアピタ内にある回転ずしへ。お雛さまとあり、たまたま今日限定のチラシずしがある、とのことで、まずはチラシずしを一緒に食べた。
 母曰く「このチラシ、とてもおいしい。刺身も新鮮でいい」との弁。帰りには久しぶりにMがボランティア同然に営むリサイクルショップ「ミヌエット」へ。母は一着を購入し、わずかながら売り上げに貢献してくれ、Mもうれしそうだった。

 雛祭りといえば、今となっては遠い日を思い出す。二十数年前、新聞社の七尾支局長当時に、その土地の女傑販売店主・笹谷輝子さんに壇飾りの立派な部屋に毎年お招きされ、支局員とともにごちそうされ、楽しいひとときを過ごした。でも、そのテルさんも、もはや、この世にはいない。

【きょうの1番ニュース】昨日、予約しておいたスマートフォンを江南市内のドコモショップで購入、電話番号やメール番号の移し替え、電話の仕方、使用方法など一通りの説明を受け、帰宅した時は、午後八時を過ぎていた。いやはや、これから慣れることが大変だ。

☆「復興見守る千の瞳」=三日のひな祭りを前に、宮城県石巻市の高台にある被災者向け一戸建て宅地『白浜復興住宅』に五百体のひな人形が飾られた。=、「〈3・11の家族〉春の息吹早く来い 原発解雇 再就職の道厳しく」、「『市になれる』重圧 東浦町人口誤差 注意事項見落とし 処分の職員『居住確認うろ覚え』」、「名古屋市バス事故隠し 三十数人を書類送検へ」「当て逃げ容疑など 運転手や助役ら」(3日付、中日朝刊)
 「3・11日 仏で『人間の鎖』 脱原発を訴え230キロ」、「〈3・11再生への道〉気仙沼『はまらん焼』 母港の味に願い 店主の女性 仮設屋台で漁師待つ」(3日付、中日夕刊)

三月二日
 きょうは、とても嬉しかった。
 それは何か。午前四時過ぎ先日、宮城県山元町でお会いした災害臨時FM局「りんごラジオ」の代表、高橋厚さんの声が突然、NHKのラジオ深夜便から聴こえてきたからだ。なんとも懐かしく「あぁ~、確かにこの声だ」と全身が震えた。
 話しを聴くうち地元・山元町のためを思い命がけで「りんごラジオ」に取り組んでおいでになる様子が痛いほど分かった。何ひとつ飾りけのない素顔の表情にジャーナリストの神髄を見る思いがしたのである。

 開局は東日本大震災が起きてまもない昨年三月二十一日。地元山元町役場のロビー一角にただ機材を備えただけ、スタッフ四、五人による旅立ちで当初は津波にさらわれ亡くなった犠牲者の名前を延々と伝える毎日だった、という。
 このところは連日、早朝散歩や農作業をしている町民に生の声を聴く“いきなりインタビュー”を始めこれが喜ばれているとのことだが、これとて「何より、町民のためのラジオでありたい」がためのインタビューだ。

 それでも高橋さんは「伝えていることが本当に町民の皆さんのために、欲しているものになっているのか」「伝える、を“伝わった”にしなければ」。「あの日、迫っていた津波への危険を自分はなぜ、指摘できなかったのか」。何をどう伝えたらよいか。なぜ、なぜ、なぜなのだーといつも自問自答の日々だという。

 ここで私は日本中の人々に訴えたい。被災地では、その土地土地の災害臨時FM局がどれほど、被災者の支えとなり続けているかを。時間がおありの人は、ぜひ「りんごラジオ」など被災地の災害臨時局を聴いてみてほしい。被災者が苦難の道を歩いている現況がよく分かるはずだ。高橋厚さんの夢は「りんごをいかに赤くさせるか」だが、りんごは間違いなく日々赤く育ちつつある。

【きょうの1番ニュース】夕方、「りんごラジオ」をあらためてネットで開く。『りんごラジオ』は山元町の特産りんごと戦後、日本人を元気づけた「りんごの唄」に思いを込めて名付けましたーとあり、大震災が起きてまもない昨年三月二十五日に撮影された町の痛々しい姿が画面いっぱいに浮かびあがった。
 「3月11日まで、この場所は町でした。昇る朝日のように立ち上がり、まちづくりに取り組みたい。そんな思いで『りんごラジオ』は活動しています。」のコメント付き画像を目の前に(つい先日現場を歩き回った)私は確かにこの町には見覚えがある、と思った。破壊され中が空洞になり傾いたままの民家、水浸しの住宅、ため池同然と化した護岸下、一本道。一瞬のうちに多くのお年寄りが波にのみこまれてしまい、帰らぬ人となった老人福祉施設、海沿いに広がる民家の多くも根こそぎ波にさらわれ、累々と残ったのは残骸ばかりだ。

 そのりんごラジオをサイマルラジオ経由であらためて聴く。「あす、土曜日とあさって日曜日は午前十時からの放送となります。それでは、りんごラジオのために歌ってくれた子どもたちの声を聴きながら……あしたは午前十時からです。雪で車など滑らないように」で途切れた声の後に続いたのは何を隠そう、♯赤いりんごに くちびる寄せて 黙って見ている 青い空 りんごはなんにも 言わないけれど…といった地元こどもたちの明るい声だった。

☆「〈3・11 再生への道〉子供の声ないまま 低線量でも『帰って来いとは…』 福島・広野で町役場が再出発 事故収束事業柱に 町長方針」、「〈3・11の家族〉3・10再起への門出 娘の結婚 元の生活願って」、「SKE南京公演 取りやめ 河村発言日本ウイーク延期」(2日付、中日朝刊)
 「竜、感謝の整列 ナゴヤドームで監督ら」、「弁護士『育ててくれた地域の力に』 釜石Uターン恩返し 無料相談 生活再建手助け」(2日付、中日夕刊)「花嫁『子ども2人欲しい』69歳がんばれカトちゃん(2日付、中日スポーツ)

平成二十四年三月一日
 新聞によれば、▽大震災の影響で二カ月遅れとなったが、東京スカイツリーが昨日、ついに完成した。そしてロッシーニも一七九二年の昨日、生を受けている。どちらも二月二十九日、即ち、閏日に呱呱の声を上げたわけだ▽閏日生まれの人の誕生日は四年に一度しか来ないが…(本日付中日春秋)とあるが、四年に一度というのは記事にもある通り、なんだか「天が世に送り出すに、特別な一日を選んでくれた」気がする。
 ロッシーニといえば、オペラ『セビリアの理髪師』の作曲で知られる。きのうからの続きになるが、Mも希少な日に生を与えられた。だから、彼女にはこれからも元気、かつ自由に人の四倍ずつ生きていってほしい。

 文芸誌「北斗」三月号の『ひたすら書いた人たち〈31〉たとえば、三島由紀夫(清水信)』によれば、三島は『豊饒の海』をめぐる速記録のなかで次のようなことを言っている。
「長生きはしたくない」「年寄りは嫌いだ」「老人なんて醜いだけだ」「年寄りは滑稽だ」「自分が年をとることは許せない」「年寄りになる前に死にたい」。

 45歳で自死した三島はしょっちゅう、こんなことを言っていたそうだが、こうした発言はMにもかつてはよくあり、私とて自身にヒタヒタと押し寄せる老いを思い同感することが多かった。
 でも、Mが二年前の大手術でこの世に生還してからは、互いにあまり、そうしたことは言わなくなった。このごろ、よく思うのは人は年齢で生きるのではなく、それぞれの生きがいで生きてゆく、ということだ。私なら、小説などを書いて社会に発信してゆくということ、Mなら俳句・短歌の創作とボランティアのリサイクルショップに命を感じているのである。

 誕生日といえば、きょう三月一日は、あの芥川龍之介の生誕百二十周年、七月二十四日が来れば没後八十五周年ということになる。ということは、彼の人生は三十五年だったということか。人間の高齢化は、いい面でも悪い面からもニンゲン社会そのものを変えつつある気がしてならない。

【きょうの1番ニュース】今宵、わけあって久しぶりに公私ともに多忙なその人物にお会い出来、名古屋の中日ビル地下で杯を交わしたことか。ピースボートによる世界一周の渡航に先だち、いろんなアドバイスやヒントが得られ、満足している。

☆「〈3・11―フクシマの教訓〉全国原発に1万4000トン 『核のごみ』満杯寸前 危険抱え敷地内に あわや燃料露出 事故時停止の4号機プール」、「北、ウラン濃縮一時停止 米と合意 査察受け入れも」、「楢崎弥之助氏死去 元議員、『国会の爆弾男』 91歳」(1日付、中日朝刊)
 「被災地で卒業式 逆境越え 巣立ちの春 亡き級友との思い出 胸に」、「劇団四季ミュージカルで祝福 愛工大名電高」、「核廃絶運動学生が支え ビキニ実験きょう58年 『福竜丸』調査学者・西脇さん渡欧 反対教授を説得資金集めも 福島原発事故にいら立ちの言葉」、「茨城で震度5弱」、「役場が戻った 福島・広野町 避難から1年 九町村で初」(1日付、中日夕刊)