あぁ~大震災を悼む 笛猫人間日記12月/29日

平成二十三年十二月二十九日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

  『ねぇ~』   こすも・ここ
 

    『なぁに』  シロ

 きょうは午前中、年賀状を黙々と書き、江南郵便局の本局に行って直接、投かん。午後は執筆の合間を縫って水の都・大垣へ。幸い、次男坊が家にいたので「日本の季節」というカレンダーと江南は大口屋の銘菓・羽子板入り干菓子を手渡して帰った。
 大垣を訪れていつも思うことだが、この町は本当に水の流れが清らかで町全体が上品で美しく、枯れた感じがする。俳聖松尾芭蕉の結びの地にふさわしい。

 【きょうの1番ニュース】新聞社退任のあいさつがてら、久しぶりに大垣在住の作家、三宅雅子さんを自宅に訪ねた。十二月発行の日本ペンクラブの会報・会員短信に「熱中症、肺炎で入院。水分摂取の大切さを、今更のごとく思い知りました」と書かれていたため心配になったのと私の退任あいさつも兼ねて伺った。三宅さんは元気そうで、すっかり回復されており安心した。また、しばらくの間、文学論を話し合ったが、さすがに大変、勉強になったのである。

☆「有松の町並み保存を 国の『重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)指定へ始動 震災…寄り添う暮らし再び 住民と名古屋市連携』、「杉原輝雄さん死去 ゴルファー通算63勝 生涯現役、がんと闘い 74歳」、「葬送 権力世襲を誇示 金総書記告別式 正男氏ら確認されず」(29日付、中日朝刊)

平成二十三年十二月二十八日
 ことしも残すは、あとわずか、だ。
 マイカー運転の窓越しに見る町は、既にお正月に向かって全てが一斉に走りだしている。人も、大気も…身の周りのすべてが、新しい年に向かって走り出している。
 きょう、やっとわが家の年賀状書きが始まった。書きながら、一人ひとりが懐かしく思い出される。

 新聞紙面に目を通すと、「名も知れぬ 男児の遺骨『906』 一人じゃないよ 宮城・山元 安置され半年 寺の一家愛情注ぐ』」の活字が飛び込んできた。東北では、これから寒さがどんどん増すので、被災者の皆さんには少しでも温かくしていてほしく思う。

 【きょうの1番ニュース】Mが携帯電話の充電が出来なくなったあげく、画面が一向に出てこないというのでドコモ江南店へ。長押しをしなかったので画面に表示されなかっただけのこと、と分かった。

☆「辺野古アセス 評価書提出を市民阻止 沖縄県庁 配送の車囲む」、「名も知れぬ男児の遺骨『906』 一人じゃないよ」、「中学生にわいせつ逮捕 豊橋署巡査 名古屋で2件疑い」(28日付、中日朝刊)「東日本大震災被災者『あの人』への手紙 <214番>の遺体 何で気づいてやれなかったのか 娘よ 謝りたい」(28日付、毎日朝刊)」
 「暮れゆく震災の年 仕事納め 親戚、友人50人失った陸前高田市部長 やっと弔問に行ける 激務一段落『来年こそ正念場』」(28日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十七日
 年賀状が出来上がってきた。賀状書きを、そろそろ書き始めなきゃ。でも、それ以前にやらねばならないことがまだまだあるので賀状書きは、あさって以降になりそうだ。ひどかった、かぜは少しずつ治りつつある。でも、前歯が相当に痛いので杉戸歯科医へ。なんだか、このところの体調の悪さといおうか、そういうものが重なって歯が痛くなってきたのでは。「きっと、そうだ」。しかたがない。たたりとでも言おうか。

 いずれにせよ、Mが言うとおり、「何もかもが、そういう歳になってきたのだから」ということになる。歳といえば、きょうMのボランティアショップ「ミヌエット」にホンの一瞬、顔を出したところ、店を訪れていたおばちゃんたちがMに向かって「あなたの、おじいちゃんですか」と聞かれたという。私はその時、年賀状をわざわざ名古屋から届けてくれた男性と一緒で男性から何種類かのカレンダーをもらったのでMに「お礼を言ってもらおう」と店を訪れたのだが…

 その男性がMの夫でボクはMの舅に見えたのだってサ。でも、Mがそれだけ、若いということか。何も怒るほどのこともなかろう。実際、ボクはMを妻ではなく、かわいい娘だと思っている。

 【きょうの1番ニュース】久しぶりに杉戸歯科さんに行ってきた。少しの間に息子さんが立派な後継者になり、忙しそうにしておいでだった。

☆「非常用装置稼動と誤認 福島第1原発事故 注水遅れ爆発要因 政府事故調中間報告 東電や国を批判(27日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十六日
 きょうも、丸一日、「野球日記」の校正と全編を通じての思い切った削除、小説「淡墨桜残照/巨大猫」の再推敲などに追われた。風邪の方は、少しは回復してきたが今度は歯が痛み出し、なかなか思うに任せない。ほかに来年、私が計画するピースボート船上と寄港地からの「海から~世界の子から被災地への言の葉流し『平和のメッセージ』」の準備など、あっという間に一日が過ぎ去った。

 けさ、たまたま玄関先に出ると、だれの仕業か。クリスマス・イブにファンクラブ事務局から送られてきた中日ドラゴンズのブランコ選手とのツーショットのパネル写真が、プレゼンターの認定証と一緒に飾られていた。
 さては、と思うが犯人は誰かさんに決まっている。でも、なんとなくクリスタルっ、ぽくってナンダカ恥ずかしい気がする。とはいえ、事務局スタッフのみなさんの愛が込められている以上、大切にしなければ、とあらためて思った。

 【きょうの1番ニュース】珍しく風邪の養生も兼ねて一日中、自室にいたことか。アレもコレもと一人できりきり舞いし、駒になって回っているような気がしないでもない。所詮は自己満足ということか。いやいや、東日本の被災者たちのことを思って途轍もないことを考えた次第で、実現させなければ。いまは無理なく、どう発信してゆくか、を真剣に考えている段階である。ヘンに無理するつもりなぞ毛頭ない。あくまで自然体を貫かなければ…

☆「届け天国の母へ 真央逆転5度目V 全日本フィギュア」、「原発安全研究“丸投げ” 独立行政法人、自前施設なし 理事は天下り」、「日中首脳会談 北朝鮮情勢で緊密対応 野田首相 拉致解決へ協力要請」(26日付、中日朝刊)
 「師走の街 雪化粧 名古屋で8センチ東海道新幹線一部でストップ」、「韓国民間弔問団が訪朝 金大中大統領の夫人ら 正恩氏と面談焦点」、「アフリカ初の力士(アブデルラフマン・シャーランさん、19歳)誕生 新弟子検査合格 エジプト出身19歳(26日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十五日
 外は雪。Mが、わが家の日めくりカレンダーを見て言うことにゃ「きょうは、何もかもがそろい過ぎの日だね」といふことになる。
 それというのも、雪が深々と降る日となったばかりか、この日は新月●(朔)、おまけに蕪村忌と、何もかもが、そろった冬の一日となった。私は、きのう近くの町のお医者さんで処方してもらった何種類かの薬を飲みながら半ば、養生しながらの一日となった。

 とはいえ近く文庫本として発刊予定の「あぁ~大震災を悼む 笛猫野球人間日記」(仮題)の読み返しと校正、さらには私たちの同人誌「熱砂」の伊神権太作品集で年内には公開予定の小説「淡墨桜残照/巨大猫」の推敲で一日はアッという間に過ぎ去っていった。

 この日は、東海テレビが全日本フィギュア選手権を、CBCテレビが「報道の日2011記憶と記録そして願い」の特番を放映、なかでも特番の「3・11映像の記録~あの日、何があったのか~」には、被災地の方々の辛い日々が手に取るようで、考えさせられた。フィギュアの方はお母さんを亡くしたばかりの(浅田)真央ちゃんが1位になったので、どこか満たされた気持ちになった。

 【きょうの1番ニュース】昨夜から未明にかけ、この1年間、特にお世話になった外部の人々に“メリー・クリスマス”の打電をメールでしたところ、多くの方々から返信メールを頂いた。
 なかに「メリークリスマス! でもネパールではクリスマスの雰囲気無いですよ。ちょっと寂しいです」はカトマンズ在住のユウコさんから。ほかに「二人で良い聖夜を過ごされますように」は神戸のユリさん。ほかにも「ありがとうございます。こちらこそ、こちらこそです。素敵な年末をお過ごしください☆ 仙台遠征の記事が載った日は父の誕生日でもありました」「ご家族の皆様も、メリークリスマス!」など。どれもこれも心のこもったものばかりで私は、それぞれの聖夜に幸いあれ、と心から願った。

☆「米ロックフェラー財団元会長 『原爆は無差別殺りく』 手紙発見 投下直後に批判」、「モスクワで12万人デモ 下院選不正」、「イブに祈る復興 奇跡の一本松ライトアップ 陸前高田」、「文人の愛した温泉/世界と日本 大図解シリーズ 1024」(25日付、中日朝刊と別刷りサンデー版)

平成二十三年十二月二十四日
 やはり、体調はよくなく、Mの言うとおり、近くの町医者へ。処方箋を出してもらって帰った。あとは、黙々と執筆を続けるが、ノドがいがらっぽくて、なかなか思うに任せない。
 Mはフォークダンス教室の人たちとクリスマス会とやら、で外出。満足そうな表情で帰宅したのでホッと、ひと安心した。午後、川崎に住む長男から正月に来る、との電話が入る。町中は車も人も、既に正月に向けて走りかかっている。
 ネコは炬燵で丸くなり、私は年内になんとか新作をアップしようと、既に一度は完成済みの小説を何度も何度も読み返し、書き直す。でも、書き直せば書き直すほど悪くなっていくような錯覚にとらわれる。これも体調不良のせいか。

 【きょうの1番ニュース】以前、中日スポーツの中西総局長らの心遣いでドラゴンズのブランコ選手への中ス月間賞のプレゼンターを務めさせて頂いたときの写真パネルが自宅にファンクラブ事務局から送られてきた。
 あの日のカメラマンは確か、中村千春さんだったはず、だ。本社の優秀な写真部員が撮ってくれた、その写真パネルが頂けるなぞとは夢にも思っていなかっただけに、こんなプレゼントをいただいてしまっていいのか、と少し不安になった。
 というわけで、最高のクリスマスプレゼントをもらっちゃったーとMにさっそく報告。Mがブランコ選手のファンだけに、有り難き幸せとは、このことか。

☆「平安末期のM7超大震災 琵琶湖で津波の可能性 滋賀 遺跡発掘調査で判明 防災対策に影響も」「サンタ100人 被災地笑顔 岩手」「肩寄せ 再会に乾杯 釜石の『呑んべえ横丁』15軒、仮設で再開」「『一生懸命打ち込め』 イチロー杯表彰式」(24日付、中日朝刊)「小中学生50人を表彰 ドラゴンズ・スポーツ作文コンテスト」(24日付、中日スポーツ)
 「おしらさま伝説“再び” 遠野物語で紹介 神像『いつのまにか戻る』 陸前高田の博物館 がれきから発見 職員全員犠牲、由来は不明」、「『脱原発』示さず 12年度予算案決定 原子力横ばい再生エネの倍 『もんじゅ』は2割減」(24日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十三日
 きょうは弁護士の兄夫妻,税理士の妹夫妻、そして名もなき自由人、B級作家の私が、偉大なる母を囲んでの兄弟会が、名駅近く「つちやホテル」で開かれた。私はきのうの夜の段階でも、電話することすら出来ないほどに体調不良だったが、きょうはなんとか回復、妹夫妻の車に母と同乗させてもらってホテル内の会場へ。
 正午からの宴会、それに私をのぞいては誰も飲まないので、なんだか調子が狂ってしまう。それでも、兄は「来年こそ、弁護士会主導の原子力(放射能)に関するシンポジウムを私が中心になってやることにしている」の弁。妹の夫、イイジマさんは、来年は赤童子の区長の大役が控えている、などそれぞれに来年も忙しくなりそうな様子がよくわかった。私は私でB級グルメならぬB級作家でいきたい、と胸の内のほんの一端だけを明かした。Mは、ボランティアでやっているリサイクルショップ「ミヌエット」を、どうしても休むわけにはいかないーということで甘えさせて頂き、欠席した。代わりに、ことしの各種俳句大会でのMの入選作が掲載された小冊子を持参し、みんなに読んでもらった。

 【きょうの1番ニュース】満九十一歳の母が兄弟会で披露してくれた話に感銘を受けた。
 それは、次のようなものだった。
―一カ月ほど前、寝ていたら突如として私の枕元にお姉さんが現れたので、「あっ、お姉さん」と言ってすがりつこうとしたら、お姉さんは本当に優しい顔をしてさあ~っと、向こうをむいて消えてしまった。私の様子を見に訪れたのは明らかで、それからというものは人の助けを待っていてはいけない、と思うようになり、料理も作る気になった。なんでも、頼らないで自分でやれることは自分でやらなければ、との意を強くした。最近、ピアノを弾くようになったのも「枕元に現れたお姉さん」に負うところが多いような気がする、という。

☆「放射性物質 全品検査でないし…母親消えぬ不安 食品規制強化」『名古屋市 5パーセント減税条例が成立 来年度実施 検証、3年以内に」、「正恩氏 91年に来日 偽旅券で 兄?とディズニーへ」(23日付、中日朝刊)

平成二十三年十二月二十二日
 きょうは冬至。わが家の夕食もM手づくりのカボチャと餡の煮物が出、お風呂にはユズが浮かべられた(でも、ボクは風邪引きさんで入りたくても入れない)。Mは俳句をたしなむだけあって、こうした四季折々のことには敏感で、かつ実践してくれる。勢い、私までが季節の移ろいには敏感にならざるを得ない。

 自由人というか、名もなきB級作家第二日目と行きたい、ところだったが、風邪はひどくなる一方だ。それでも、きょうは退職に伴う書類提出に新聞社を訪れこのところ、送別会をしていただいたり、ラストデーに花束を頂いていることもあり、江南の老舗菓子店「大口屋」のお菓子を少しだけ携えて、事務局を訪ねるなどした。
 あとは来年五月に乗船するピースボートのオプションコースについて、ジャパングレースの女性に電話で聞くなどした。いずれにせよ、きょうはからだがえらくて、どうにもならない。ファンクラブの仕事から解き放たれて一瞬のうちに、それまで張り詰めていた何かが削がれてしまったようだ。
 思い起こせば、ファンクラブ在任当時はまだしも、第一線の記者時代には正直言って毎日が緊張の連続で、神経も絶えず高ぶり、一般人に比べたら異常な毎日だった。それが今はすべての荷物を放りだしたようで、その分、なんだか緊張につぐ緊張の糸がどこかに吹っ飛んでいってしまったようだ。

 なんだか変な話になってしまった。とにかく昨日、きょうと脱力感からか、疲れが急激に増幅していることは間違いない。一向に体調は、よくならないのだ。まだ早いが、今夜はゆっくり寝よう。

 【きょうの1番ニュース】江南に三十数年ぶりに、ちいさな家を建てて六年前にふるさとに帰ってきてからというもの、これまではただの一度も入ったことがない市内の薬局に初めて入った(薬は、これまでは社から貸与されてきたのと、大抵は病院に行くからである。一宮市内の薬局には入ったことがある)。
 ノドは痛い。鼻水は出る。頭もボーンとしている。からだ中が痛い。立っていることさえ出来ないほどに、あまりにも、からだがえらかったからで、ついに入った薬局ではかぜ薬を購入し、さっそく二錠のんだ。Mの言うとおり、近くの町医者に早く行けば良かったのに、と反省している。

☆「正恩氏既に軍掌握か 死去発表前 初の命令」「正恩氏の夫人?妹? 弔問の場で映像」、「福島第1廃炉 最長40年 工程評発表 技術開発前提に」、「中日にファンサービス部 来月新設、ロゴマーク公開」「<この人> 中日ドラゴンズ新設のファンサービス部長に 寺西秀人さん」「ゴールデングラブ賞表彰式 浅尾『すごい顔触れ』大島『何年も続ける』 竜初受賞の2人」「(2年ぶり五度目の受賞の)谷繁(は四十一歳の)誕生日に表彰」(22日付、中日朝刊)
 「石巻 短い冬休みに 仮設校舎で終業式」「<虹いま寄りそう> 南相馬の小学校 マーチングバンド再結成 復興の行進 一歩ずつ 安城のライバル校が支援」「『町おこし』再び 02年アザラシフィーバー南三陸・歌津地区 ウタちゃん壁画残った 旧町長『必ずできる』」(22日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十一日
 中日ドラゴンズ公式ファンクラブスタッフという大任から解き放たれ、なんだか全身の力が抜け落ちたようだ。おまけに何かにつけ、このところの強行軍も手伝い、頭はぼやけるやら、鼻かぜは一向に治らない、ノドは痛い、目はかすむーなぞ、体調は最悪である。

 それでも本欄は書き続けなければ。「熱砂」同人・真伏善人さんの新作は当然、読まねばならない(二十一日中には読み終えたが、まだ「WHAT‘S NEW」は、これからだ)。果てさて、まだ全く手につけてない年賀状の文面を考えなければ、退職に伴う社への必要資料の提出はしなければならぬやら、近く出版する予定の「あぁ~大震災 笛猫野球日記」(仮題)の校正もしなければ、そのほか、私がもくろむ、ピースボート船上と世界各国からの世界のこどもたちからの言(こと)の葉流し「平和のメッセージ」発信への協力依頼と準備など…で、自由人の一日は脱兎の如く過ぎ去っていった。

 夕方には大須の師匠宅に出向いて「横笛」のけいこ、と相変わらずのドタバタ劇だが、さすがに笛をふく気力も失せ、けふのところは「酒よ」を二回繰り返してふいただけで、帰宅とあいなった。次回の一月からは、これまで午後六時半からだったのを「二時から」にして頂いた。

 忙しい、という言葉は大嫌いなボクだが、さすがに「あぁ~、いそがしい」と叫んでみたくなった。新聞記者の支局長当時、周りを見渡すと、たいして忙しくもない記者ほど「忙しい」を連発していたので、忙しいという記者はそれだけで、その人間を意識の中から捨て去ることにしてきた。が、これは一種の支局長の独裁でよくなかったことに今ごろになって、気がついた。
 自分の意識の中で「忙しい」なら、「忙しい」のだ。どんどん、この言葉を叫ぶことが返って精神衛生上もよいのかも知れない。でも、私に限って言わせてもらえば、だ。忙しいという言葉を安易に使いたくはない。

 【きょうの1番ニュース】これまで未明の午前二時、三時にニャン、ニャン、ニャ、ニャン…と大声で泣き散らして私を起こしてくれていた愛猫こすも・ここが、なぜか、このところは私の退社時期に併せるように、未明のこの時間帯になると私の寝床に入ってきて、ゴロゴロと嬉しそうに胸中を鳴らすようになった。
 「アタイ、オトンが新聞社を辞めることを知っていたのだから。これからは昼の日中に原稿をかけるのでしょ。それから、オトンには、これからはゆったりと大らかな気持ちで名作の数々を書いてほしいの。そうっ、B級グルメならぬB級作家になってほしいの」
――ここで突然、アタイが割り込みました。オトンが人生の、それも第四コーナーの、大事な舵を切る重要なときなのだから。アタイが、オトンの守護神なのだから、ネ! でも、途中でこけるかも知れません。

☆「<ニュース前線‘11年回顧> 今を生きていこう 震災で74人犠牲 大川小 父『息子に会える日まで』 助かった児童『時々悲しくなるけど』」、「北朝鮮 正恩氏序列1位 総書記に哀悼の意 韓国『平壌で死去』発表疑問視」「愛用ジャンパーで安置 総書記の遺体写真放映」、「森田芳光監督死去 61歳『家族ゲーム』『失楽園』」(21日付、中日朝刊)
 「オリンパス一斉捜索 損失隠し粉飾疑い 前会長ら立件へ 東京地検など」、「名古屋市長 『5パーセント減税を提案』 市議会臨時会 半減『現実に即した』」(21日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月二十日
 新聞社生活も、きょうでお別れ。涙もない、感傷もない。自分の内部で十分にやったから、次の道に飛び立とう、といった気迫のような何かが、先行している。
 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのみなさんには、本当に感謝したい。きょうもわたしにとっては最後の打ち合わせ会を終えたところで、思いもしなかった花束を、ファンクラブ代表の平田瑠奈さんからいただき身が縮まる思いだった。ボクは心のなかでみんな、幸せにと願い、求められるまま横笛で「酒よ」と「「さくら」「よさこい節」をふき、最後にハーモニカで『仰げば尊し』を久しぶりにふいた。まさに<いまこそ、別れめー>のそのときを中日新聞社七階一室のファンクラブ事務局で過ごしたのである。

 ボクはこの日の午前中、ドームと球団、中日スポーツなどとの実務者連絡会・二十日会の席上これまでの礼を述べつつ「今回は、(定年退職に続く)二度目の奉公なので、偉い方々へのあいさつは差し控え、静かに去りたい」などと相変わらず気障なことを言ったが(若いころ、私は同僚たちから、なぜか“きざガミちゃん”と呼ばれていた)ファンクラブとNIEの勝美浩総大将らに「それは違う」などとほのめかされ、やはり小出社長と白井さん(会長、ドラゴンズオーナー)だけには、記者時代から、ことのほかお世話になってきただけに、あいさつをすべきだ、と判断した。
 というわけで、未熟な考えを改めてせめて竹花秘書部長にだけでも、と思って社長室に出向いた。竹花さんの機敏かつ温かい配慮もあり、小出さんは「やあ~、ガミちゃん。お疲れさま。いよいよだな」と温かい声をかけてくださり、しばし手を握り合ったまま。感激とは、こういう時のことを言うのだろうか、とそんなことを思いながら「小出さん。何よりも健康第一でやってください。(亡くなった奥さまが見守っていますよ)」と話し、出来たての名詞を手渡し、伊神権太(いがみごんた)の「権太」名の由来、さらには落合騒動の円満帰結、などについて互いに、ひと言ふたこと話しあった。

 この日は中日スポーツの中西総局長の許も訪れ、長年にわたる礼を述べた。♪ボウフラが人を刺すよな、蚊になるまでは泥水のみのみ浮き沈み~なぞと、都々逸一曲も披露させていただいた。ほかに♪雪のだるまにタドンの目鼻、融けて流るる炭(スミ)ごろもーなどもうたおうと思ったが際限がなくなりそうで増田報道部長の餌食になってはならない、と直感し、打ち止めとした。

 夜は、ファンクラブのホープである大村くんと堀田悠介さんに創業百二十年という由緒ある鳥料理の料亭に連れて行かれ、あげくに高級ペンまでプレゼントされた。内心、ボクは彼らにこれほどの散財をさせてよいものか、少し不安になったが帰宅しMに事の次第を報告すると「もう、消えてゆく男にやってくれるだなんて。ありがたいことなのだから。どこに、そんな人や良い社があるの。」といわれてしまった。彼女も嬉しそうだった。

    ×      ×
 こんなわけで新聞記者としてのボクのラストデーはこうして終わった。さあ、いよいよ伊神権太の大海原に突入である。碇をあげろ、帆を立てろ、とボクの中に新しく生まれ出た新しいニンゲンが叫んでいる。
 ただ、あせる必要はない。これからは人々から愛される、百歳の大作家を目指し歩いていくのだ。これからこそが俺の生きる道なのだ、と。そう自身に言い聞かせながらー。

 【きょうの1番ニュース】何よりも公式ファンクラブの皆さんの温かさに送られ、これまで歩いてきた道と決別したことだ。きょうも会員の多くや知人、親友らからメールや電話で「イガミさん、ありがとう。お疲れさま」といった温かい声をいただいた。ルナにはタクシーで去るその瞬間まで手を振って送っていただいた。厳しいことを時折、思い出したようなふりをして何度も言ったがルナを思えばこそ、だった。早く、もっともっと、シアワセになるのだよ。そして魔法の手のミエもシアワセになるのだ、と言っといてね。

 ラストの一日はこうして過ぎさっていった。2006年3月、新聞社二階のちいさな一室。ここからドラマが始まったのだ。鳴り続く電話、長蛇の列となって押しかける販売店主さん、全国各地から連日ドサリと届く入会申し込みの手紙、不備に次ぐ不備、(電話を)切っても切っても鳴り続けた抗議の嵐、かつてない興奮と高揚、怒号、歓喜…のなかで始まったドラゴンズ公式ファンクラブの朝、昼、夜とない事務作業。いまは亡き元尾張中日会の会長・青木恵さんら販売店の皆さまには、どれほどお世話になったことか。感謝のしようもない。

 こうしたなか、歴代の事務局戦士たちは、ただ黙々と入会受付に専念した。その年の三月一日から書き続けたぶ厚いボクのノートは、きょう、奇しくも落合監督の背番号と同じ六十六冊の最終ページでピタリと終わった。これは奇跡である。
 私は、このノートの数々を、かつて足を棒として明け暮れた時の「岐阜県庁汚職事件の時の汚職取材ノート二十三冊」と同じように、わが家の家宝として残しておきたい。そこには消えた招待券、亡くなった事務局幹部、ファンクラブの第一号名誉会員で熱烈ドラファンの鈴木敏夫さん、そしていつも温かかったスタジオジブリの面々、タレントの峰竜太さん(名誉会員)のことどもー、ほかに1時間を越えるクレーマーとの数日間に及ぶやりとり、落合批判のあとさき、波紋を呼んだ、ありもしなかった球団社長によるガッツポーズ問題の真相ーなど、すべてが記録されている。

☆「北朝鮮『正恩(ジョンウン)氏が後継』 金正日総書記 死去 『領導者』初めて宣言」「激震北朝鮮 金総書記の死●上● 世襲短すぎる助走」「緊迫の中朝国境 金総書記死去 北出身者続々と帰国 中国軍、増派の情報も」「平壌 悲鳴、おえつ包む 『正恩氏支える』決意も」「『改革近づいた』脱北者が期待」「拉致解決へ道を 被害者家族ら訴え 政情の混乱に不安も」(20日付、中日朝刊)
 「金総書記死去報道から一夜 中朝国境ピリピリ 難民を厳戒 『帰国しないと罰せられる』」「南北前線部隊動きなし」「北朝鮮体制 平和的移行が共通利益 日米外相一致 韓国と連携確認」、「ダルビッシュ レンジャーズ落札 交渉権 日本人最高5170万ドル(約四十億三千三百万円)」(20日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十九日
 朝鮮中央テレビによると、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党総書記(国防委員長)が十七日午前八時半、現地視察中に精神・肉体の過労によって心筋梗塞が起き、心臓ショックによって列車内で急死したという。六十九歳だった。葬儀は二十八日に平壌で行われる。
 おかげで、きょうの夕方からは新聞テレビ各社とも、その死を大々的に報道している。北朝鮮については日本人の間でも、とかく批判的な論調が多いが、私の場合は少し違う。彼、すなわち金正日はよくぞ、この激動の時代を歩んできたものだ、と言いたい。むろん、核兵器の放棄のメドがたっていないことが大変、残念ではあるが、だ。あとは、日本人拉致問題の早期解決、国際社会との協調など後継である三男、正恩(ショウウン)氏の手腕に期待したい。

 話は文学に移るが、毎日新聞の朝刊連載小説「マルセル」(高樹のぶ子)が最終章に入っている。きょう読んでいて、あぁ、この部分の会話表現はなかなか良いな、と思ったところがあるので左記に記しておく。
―「重かった、ものすごく重いことが判った。でも後悔してない。やってみなければ絶対に判らないことがある。その一瞬を逃したら、自分の首の重さも知らないまま一生を終えるの。知らなくても確かに仕事は出来ます。でも知るチャンスを逃したっていう後悔は、ずっと残る。そんな人生、イヤなの」

 【きょうの1番ニュース】新聞社への出勤もあす一日だけとなり、きょうは社人事部の女性担当者から退職に当たってのもろもろの手続きについて、お聞きした。なんだかんだ、といろんな手続きをしなければならず、元来こういうことは苦手だけに、なんだか頭が重い。帰宅後も、Mと二人でああだ、こうだと書類を前に話し合っているうち、気がついたら十一時を過ぎていた。あ~あ、溜息が出てしまう。めんどうくさいなあ、と内心で思う。

☆「『東北でもお遍路を』」―被災地の市民団体提唱」、「<草薙隊哀史―名古屋海軍航空隊の特攻 7> 隊員わが子のよう 帰らぬ任務 涙の見送り」(19日付、中日朝刊)
 「金正日総書記急死 69歳、列車内で 北朝鮮 正恩氏後継へ 評伝・服従強制 独裁を維持」(19日、中日夕刊)

平成二十三年十二月十八日
 私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」の例会兼忘年会が、名古屋駅近くのつちやホテルで開かれた。出席したのは私、ホワイトさん(碧木ニイナ編集長)、牧すすむさん、真伏善人さん、黒宮涼さん(母親も)、平子純さんの計七人。奈良の加藤行さん、各務原の山の杜伊吹さん、しばらく休会していたが来年には復帰予定の香村夢二さんは、それぞれ都合がつかず、残念ながら欠席とあいなった。

 忘年会に先立つ例会では、各同人の近況も含め、それぞれの抱負を込めた文学感を話しあう(同人作品への酷評も含めて)方法で進んだが、平子さんから「明治の文豪作品は、すごく洗練されており美的表現へのこだわりが見られたが、最近の作品はスラスラーッと書かれている点でどこか物足りない」の指摘があった。また▽美的表現とは言ってもたぶんに作者の感性とか感覚によるところが多い▽そのためにも、多くの文学作品を読まなければ▽たとえ同人誌作家とはいえ、何かにチャレンジし続ける前向きな姿勢が大切だーなどの声が相次いだ。

 引き続き、忘年会の宴に移ったが、私は持参した横笛で♪「酒よ」「風の盆恋唄」「さくら」「よさこい節」「笛吹童子」など数曲をふいた。大正琴の大師範である牧さん(琴伝流大正琴上席大師範第1位)を前に、それこそ緊張したが、どうやらまずまずの出来だった。
 「イガミさん、うまいというよりは、ポツポツと途中、つまづきながらの笛の音、そんな音色こそ、味わい深いのだから。いまの調子で!」とへんなほめ方をする人までいた。何を隠そう、このほめ言葉はギターの名手でもある真伏善人さんで、なんだかこの“笛吹き評定”を聞き、ホッとしたのである。

 そういえば、きょう名古屋駅を歩いていて、ことし六月、被災地に住む中日ドラゴンズ公式ファンクラブの会員招待でKスタ宮城球場を訪れた際にお会いした仙台の鈴田さんにそっくりな人と出会い、十六日に本欄で紹介し感謝の意を表した会員の方々が、あらためてごく一部だけだと思い知り、恥じ入った。
 私が過去六年の間にお世話になった会員は、その後もドンドン私の脳裏のなかを浮遊し、今や火が出る如くの勢いで私の頭のなかで会員の数が幾何級数的にふえてゆくのである。これはどうしようもない。

 【きょう1番ニュース】(きっと、ホワイト編集長のお心遣いと思われるが)ウエブ文学同人誌「熱砂」一同の名前で、忘年会の席で立派で華麗な花束までいただき、感激した。「長い間お疲れさまでした。新たな人生の始まりですね。Good Luck!!」のカードまでつけていただいて。Mがさっそく玄関先に置いて飾った。

☆「日韓歴史研究 再開へ 両首脳きょう合意」「李大統領来日『慰安婦』解決促す」、「御岳山 白銀ベール(18日付、中日朝刊)

平成二十三年十二月十七日
 マイカーで名古屋市中区の新聞社本社へ。この六年間にたまった資料を捨てるにしのびないため、段ボールに三箱分ほどを自宅に持ち帰った。この先、野球に関する小説を書く場合に必要となってくる予感がしたためで社に残す必要がある書類以外で頭に引っかかる資料を“自宅保護”することにした。
 はるか、かなたのその昔、学生時代に父が買ってくれた新車サニーを気が向けば運転して大学まで通学したことはあるが、仕事がらみで運転となると、地方記者時代は別に、このところは名古屋にまで運転して行く、ことなど皆無だっただけに、少しばかり緊張した。
 社では幸いガードマンさんが配慮してくれたので仕事の間は東玄関横にいっとき、止めさせて頂いた。

 文学界の新年号の■特別対談 金原ひとみ×綿矢りさ「小説の怖さと神々しさ」がなかなか読ませた。文学と言えば、きのうの中日新聞夕刊<大波小波>で、かつて私自身も文学界の同人雑誌評などで何度もお世話になった大河内昭爾さんが上梓した『わが友 わが文学』(草場書房)について触れられており、興味深く読んだ。一部を抜粋しておこう。
―……文壇というものの悪弊が声高に語られる一方で、作家も編集者も評論家も関係性が希薄になった。作品だけを見るのは公平だろうが、書き手の人間や、作品が作られる現場を間近に知ればこそ見えてくるものもあるに違いない。今、「わが友」を語ることがそのまま文学を語ることになる者が一体何人いるだろうか。友なき文学が寂しげに見えるのも致しかたないことなのかもしれない。
★やはり、文学はわいわいガヤガヤと語り合える仲間が必要だ。その面から言えば地方に点在する文学同人誌ほど、文学の本流をいっているのではないか。私は、ここで敢えて、そのことを強調しておきたい。

 【きょうの1番ニュース】1番のニュースは名古屋の新聞社までマイカーで往復したことか。地方記者時代には(特に志摩半島や能登半島、大垣、大津に居たころは)一日に百キロ運転する程度はザラだったが、ここ数年に限っていえば、名古屋まで車を運転して行ったのは、息子が卒業した専門学校の学校祭にMと連れ立って行った時ぐらいか。

☆「首相『原発事故は収束』 福島第1 ステップ2完了宣言 除染、帰宅 課題は山積」「怪しい『冷温停止状態』 実態道半ば 政府強弁(原発事故取材班)」、「初雪ナゴヤ 彩る窓 ミッドランド」(17日付、中日朝刊)
 「北海道・陸別で氷点下22・7度」「冬将軍じわり 東海も寒さ厳しく 名古屋1・9度」、「『天文の街』大にぎわい 国際電波望遠鏡麓のオアシス チリ・サンペドロ 建設、警備…砂漠に職生む 夜空の星も観光の目玉に」(17日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十六日
 名古屋市内で高島良樹さん(今月1日付で事業局顧問として中日写真協会に転任、前中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局の担当)ともども送別会(兼忘年会、二次会は場所を移してカラオケ)をしていただいて、「星影のワルツ」を歌って、たったいま帰ったところだ。かなり飲んだ。でも、本当にありがとう。勝美浩氏をはじめとする皆みなさまにはお礼のしようもない。あげくにそれこそ、一生の宝物ともいえる真心のこもった「あの日あの時の写真集・権太の目」までプレゼントして頂き、本当にうれしい。

 昭和四十三年四月から、この道すなわち新聞記者ひと筋に生きてきて、きょうの良き日を迎えるなんて、オレはなんて幸せな男なのだろう。アリガトウ、みなさん! そのうえ、林武平事務局長からは思ってもいなかった退任後の「特別通信員」の栄誉まで与えられ(宣言され)、なんだか気恥ずかしいような、それでも出来の悪い私をここまで遇して頂けると思うと、正直言ってありがたいな、と思う。中日、すなわち、われらドラゴンズワールドは温かさと優しさに満ちあふれているのだ。ファンクラブの益々の発展に陰ながら応援しなければ、と心底から誓った。

 もう一度、言いたい。くどいかもしれないが、本当にありがとう、と。
 そして、ファンクラブのお母さん、いやドラゴンズ選手の「母」である北名古屋市の安江都々子さんはじめ日進のイマイさん、松阪のマエダさん、保育士で日々ドラゴンズを愛して仲間たちとドームなど球場の美化にも人知れず尽くす港区の“さやかさん”、東京は調布市・落合信者の“むさしのガブリさん”夫妻、サトウさん、村田さん、名古屋のトミダさんご一家、オバタさん、テルミさん、サイトウさん、フジモトさん、小牧のマキさん、知多半島のマツシタさんご一家、飛騨は神岡の帰家(かんや)くん、岐阜の篠田さん夫妻、カネマツさん、ヤマナカさん、三重の片岡さん夫妻、出口さん、横浜のモリシタさん、浜松のテラダさん、豊橋の笠井さんご一家、シミズさん、西尾のナナエさん、豊田のハナイさん夫妻、岡崎のタキシタ婦人、東海市の伊奈さんご一家、毎年事務局に野菜を送って来てくださる京都の西村さん夫妻、金沢のシミズさん、能登半島は七尾のササヤノリヒコさんヨシエさん夫妻、富山のニシさん…、沖縄のヒガさん、ナカソネさん、ネマさん、ハヤシさん夫妻、北海道のヨゴさん、アイカワさん、カトマンズのユウコ、そして、浪速の女教師・ウミノエリさんと東北は仙台の高田賢斗くん、野球博士のオカモトさんら…多くの数え切れない方々に、アリガトウ。
 また公式ファンクラブ会員の皆さまには、ことのほか随分と助けられ、力不足だった点をこの紙上でおわびし、かつ心の底から感謝しておきたい。

 自宅に帰るや、Mと愛猫こすも・ここ、シロがご苦労さんと言ってくれ、日ごろはあまり会話のない三男のKまでが「お父さん、お疲れさま」と声をかけてくれた。2006年の一月初め、定年を三月に控えていた私に、社のトップが「まもなくファンクラブが出来る。ガミちゃんは、あちこちで支局長をしており、販売店主さんたちからの信頼も厚い。どうしてもガミちゃんの力が必要だから(※10万人に及ぶ会員集めは、主に販売店主の努力によるところが多い。いまもそうだ。1012年からはお店が独自に入会手続きをパソコンでするGCネットが一部で試験導入されるまでになった)」とファンクラブ行きを持ちかけられたとき、自分の思う道(小説家)とは全く違う分野に内心、抵抗を感じていた私の首に縄(鈴)をつけたのは、何を言おう、三男坊の息子だった。
 「お父さんみたいな荒らくれの、やくざ極まる記者に声をかけてくれるだけでも心から、感謝しなければ。中日はあったかいよ」と。そのひとことで奉職を決意した日のことが、きのうのように思い出される。おかげで招待券が一時、行方不明になったり、事務局次長が亡くなる、など人には言えない多くの苦労もあったが、会員を中日スポーツの紙面(ファンクラブ通信)や会報で紹介させて頂くという大変な重責を任され、無限と言ってもよいほどの多くの人との出会いにも恵まれた。
 私は、これらの財産を身につけ、いよいよ私の生涯の目標だった小説家・伊神権太としての大いなる道を歩くことになる。皆さん! 応援よろしくお願いします。

 【きょうの1番ニュース】中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局の皆さんから愛の手づくりカラー写真集「権太の目」を頂いたこと。西さん、そしてルナとエミ、ホッタくん、オオムラくん、バンダナと「逆から言えば」の事業に生まれた“事業の子”佐野さん、「へんなこといいますけど」のこわ~くて優しいシステム博士・木村さん、中日スポーツのヤマダ、いやイマイさん(今井さんをよく球団の山田ケイスケさんと間違えて叱られました。ゴメンネ今井さま)、いつのまにかどこかに消えてしまい、気がつくと現れている不思議な女性・ユブネさん……。ありがとう。
 大日本さんからは、私にはとても似合わない皇室ご用達の高級な傘までいただいた。ナカハラさん、ニワさん、クロダさん、ウエダさん……、ありがとう。

☆「<レベル7・5 弟五部 安全神話の源流> 放射線漏れ 漁民怒り 原子力船『むつ』強引出港」(16日付、中日朝刊)
 「12年度予算 日本再生、復興に全力 新規国債44兆円以下 基本方針を閣議決定」、「<大波小波> 友なき文学の時代に(文友)」(16日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十五日
 朝、いつものように花霞の自宅を午前九時には出て、近くのバス停で名鉄バスに乗って江南駅へ。江南駅からは、名鉄鶴舞線の乗客となって地下鉄丸の内駅で下車。ここから歩いて社へ向かう。順調なら、社へは十時少し前には着く。きょうは天気もよくて、銀杏並木が初冬の陽に映えて美しかった。

 社では私が在任する年内に残された、中日スポーツ(東京中日スポーツ)のファンクラブ通信、「わたし会員で~す」欄用の原稿書きに励んだほか、あす16日付で発行される会報中スポ版18号の大刷りをチェック、過去百回以上にわたって私が書き続けてきたコラム「ガブリの目」も人名や、「ガブリの目」の連載が始まった年月日(平成20年5月12日付からで当初は毎週火曜日付だった)などに間違いがないかどうかーを、あらためて念入りにチェックした。

 というわけで、これまで丸四十三年間の長きにわたって続いてきた私の長い記者生活のなかでの原稿書きは、きょうであらかた終わった。いよいよ、新聞記者としての筆止めのときがやってきた。

 そして。今はー、いつもの時間に帰り、お風呂に入り、Mの手料理を食べたあと、こうしてデスクに向かって書いている。

 【きょうの1番ニュース】こすも・こことシロの首輪には、おったまげた。それも、つい先ほど気がついた。いつのまにやら、Mの手で先日の首輪が取り替えられ、一段とステキな鈴つきに。おまけに「ボス(こすも・ここ、を私たちは、こう呼んでいる)」「シロ」と書かれたハートマークの名札に電話番号までが付けられ、これがまたスゴクお似合いときた。二匹とも、つくづく幸せな猫ちゃんだな、と思うのは私だけではなかろう。

☆「<特報> 福島1号機地震で配管亀裂か 物証なき『仮設』に風穴 保安院可能性を認める 0・3平方センチで検証データ合致 再稼動もくろむ保安院、責任回避狙う東電『津波原因こだわる』」、「浅尾投手に市民栄誉賞 知多市が創設第1号」、「道ばたに1万円札次々!四日市市中心部 四つ折り20枚以上」、「<通風筒> 東日本大震災の津波にのみ込まれ骨組みだけ残り、被害の象徴となっている宮城県南三陸町の防災対策庁舎近くに、高さ六メートルのモミの木のクリスマスツリーが設置された。」、「磯の香ふわり隠し味 志摩の『きんこ』」(15日付、中日朝刊)
 「岩手・大槌 屋上の船 震災遺産 解体の観光船 実物大模型で復元を 町に要望書 公園に整備、産直品販売も 象徴保存、各地で賛否」(15日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十四日
 きょうは、四十七人の赤穂浪士が亡き主人・浅野内匠守のあだ討ちを、と吉良邸に侵入し吉良上野介の首をはねて本懐を遂げた日である。それと、あまり安易な筆を動かしたくない気もしている。デ、つい最近私の横笛師匠に伺った都々逸を左に記すに留めておこう。
 ♪一人さしたる雨傘なれば片袖濡れようはずがない
 ♪一人さしたる雨傘だってさしよう悪くてビッショビショ

 というわけで、きょうは、ある出来事があって、あまり書く気分ではない。ただ救いといえば、NHK教育テレビの午後十時からの「100分de名著・銀河鉄道の夜」を見たことぐらいか。ジョバンニが銀河鉄道に乗って悲しみを乗り越え、気がつくと不思議な列車は天の川をわたっている。緑の切符を手に、ドンドンと行く、その先には数々の出会いと別れが待っている。見えなくなったカンパネル……
 銀河鉄道の夜は、もう一度読んでみる必要があることも確かである。

 【きょうの1番ニュース】年内限りの職場も、いよいよ、あとわずかだ。とはいえ、最後の原稿書きにも追い立てられている。書きながら、ふと思うことは「ドラゴンズ公式ファンクラブの面々は、みんなイイ人ばかりだな」ということである。人間これまでだって、仲良く生活してきたでは、ないか。

☆「若竜 ファンに活躍誓う 新人の入団 一般公開」「竜6新人入団発表、次代のスター力強く 『覚悟している高い壁』ドラフト1位・高橋」「岩瀬日本人最高で更改 2000万円増の4億5000万円」、「『津波てんでんこ』広める 山下文男さん死去 87歳」(14日付、中日朝刊)
 「被災者 健康回復も遠く 高血圧下がらぬまま 岩手医科大調査 阪神大震災 中越沖地震約4週間で正常化 『生活環境の改善を』」、「岐阜県東部や豊田で震度4」、「赤穂浪士の遺書 発見 岡山 『明六日朝、彼屋敷に切込む』」(14日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十四日
 午前中、Mの病院での診察に付き添い、その足で名古屋市中区のナディアパークへ。午後、中日ドラゴンズの新入団員六人の記者会見と歓迎会が、ここで行われるので、公式ファンクラブの一スタッフとして、取材兼警備をするためである。このうち歓迎会は、昨年のナゴヤ球場屋内練習場に比べると吹き抜けの会場が一般公開方式となり、より解放感を感じさせ一歩前進した、といったところか。ドラフト1位の東海大甲府高・高橋周平内野手はじめ、来季入団選手の6人全員が抱負と夢を語ってくれた。皆初々しく、それは、それは頼もしい限りだった。
 記者会見には高木守道新監督と坂井克彦球団社長も同席、チアドラのお姉さんや、ドアラ、ガブリが一緒に踊って座を盛りあげ、引き続きファンの質問に選手が答えたりした。

 夜は、社会部のAデスクと、私の横笛師匠、そして私の計三人で上前津は「名月」でいっぱいと相成った。Aデスクは市政キャップで忙しいこともあり、途中で姿を消したが、互いにビールを飲みながら、現在の世相についても語り合い、なかなか楽しい一日になった。

 【きょうの1番ニュース】ナディアパークでは持参したスタッフジャンパーを着て取材と警備に当たり仕事が終わり次第、タクシーで同僚たちと社に戻った。ところが、社に戻って、しばらくしてコートをステージ裏の荷物置き場に忘れてきたことに気づき、あわててUターン。幸い、しっかりと保管してくださっておりヤレヤレ。あのコートは、それまで、いつまでもよれよれのコートを好んで着ていた僕を憂いたMが、わざわざ買ってきてくれたしろものだけに、失くしたら何を言われたか、知れたものではなかった。それだけに、見つかって本当によかった。

☆「<特報> 再生エネ価格算定委 買い取り否定派に偏り? 脱『脱原発』 「官フル稼働 抵抗“封じ込め”市民団体『デモ下火 危ない』」、「物語の海へー「親鸞 激動編』の連載を終えてー 五木寛之」、「『絆』心つないだ一年 ことしの漢字」(13日付、中日朝刊)「2億6000万円浅尾 1億2000万円増で更改」(13日付、中日スポーツ)
 「思い出したくない でも、伝えたい 生かされた『記憶』つづる 『暖かい日』3・11地震、津波… 南三陸の49人手記出版」「広がる手記の輪 宮古の広報紙も」(13日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十二日
 いま、デスクに向かいパソコンのキーを打ちながら、あぁ~十二日か、と思う。それも十二月十二日、1212なのか、と。ボクは1111とか、2222、5353、3434…といった繰り返すというか、どこか音を奏でる日とか時間とか、が大好きで、こうした他愛もない数字に内心で一人、縁起をかついでいる。車に乗っていて目を上げたら、距離メーターが「1212」になっていたり「3333」になっていたりすると、あぁ~きっと良いことがあるーなぞと、勝手に思うめでたい人間である。

 きょうは、私が年内で退職するので、お世話になりました、とある好感に招かれ、すこぶる感じがよく手づくり料理に味わいのある、かつまた文学にとても関係するお美人さんのお店「さいとう」さん、で一献とあいなった。とんでもない、こちらがお世話になりどおしなのにである。
 1212、やはり良い日であった。私は、ともに盃を交わしながら「いい日旅立ちをしなければ」と思った。そこに現れたのが私も知る、かわいい女性。そのテルミさんがなんと、私とはふた回り下の「三月六日生まれ」と、私と誕生日が同じだったのである。
 いい日だった。あと少したったら、いい日旅立ちをしよう、と思った。

 【きょう1番のニュース】文学界十二月号で文学界新人賞となった二作(鈴木義徳「髪魚」と馳平啓樹「きんのじ」)を読み終えた。二作品を読み終えた感想は「人魚や生産縮小、死者の戸籍問い合わせ、など。意表をつくなかに、人間生活のアイロニーが込められ、しかも文体がしっかりしている。」「何よりも、読者を物語の世界に引きづり込んでゆく文才」といったものだった。

☆「漁場再生へ“船の下の力持ち” 海中のがれき ダイバー格闘 南三陸」、「北朝鮮報道の『顔』消える? 国営TVアナ50日超不在」、「議定書継続 日本参加せず CОP17閉幕 20年から新枠組み」(12日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月十一日
 日曜日。新聞休刊日。
 きょうは、名古屋は栄の中日ビルで中日ドラゴンズ公式ファンクラブ主催の高木守道新監督のミニトーク&サイン色紙プレゼントが午前と午後の二回にわたって開かれ、抽選で当たって各地から参加したドラゴンズファン計二百人を喜ばせた。ファンとは有り難きかな、で、この日は遠くは千葉県松戸市や茨城県牛久市、大阪府富田林市、滋賀県甲賀市からはせ参じた方も。ミニトークは、ファンクラブの林武平事務局長の司会で、会員から監督に質問事項を自由に浴びせてもらう方法で和気あいあいのうちに進んだ。

 「荒木の一塁へのスローイングがまずい」「井端はショートから二塁に替えさせられて、くさっているのではないか」「コーチ陣のなかに一人重要な男(立浪)が含まれていないが、どうなっている」「英智選手はもっとバットを短く持つべきだ」「わしは藤井ファンだが、今シーズンは、なかなか出してもらえなかった。(落合)監督に嫌われていたのか」「中日スポーツを読むと、浅尾さんが先発に回るかもしれない、と書いてありました。どうなるのか心配です。できたら、今のままセットアッパーがいい」「FAとトレードは、するのかしないのか」など。なかなか核心を突く質問が出されたが、そこは“名手”高木さんで、これら質問をヒラリヒラリと、まるで京の五条大橋の上の牛若丸さながらに、やんわりと、交わした。

 ただ、高木新監督も「ちょっと、このところは守りにほころびがきていることは確かだ。1から鍛えなおし守りのドラゴンズにもっていきたい」と決意の一端を表明する場面も見られた。また午後のミニトークのさなか、一人の男性ファンの「私は六十五歳になり高木さんのバックトスに憧れたものです。でも、息子はそのバックトスを知りません。ボールを持ってきましたので、ここで実演してほしい」と要望すると、高木さんはその場で立ち上がり、アッという間の早業で往年のバックトスを参加者の目の前でやってみせた。まさに、一瞬のことで「もう一度」の声には「こういうものは一度だけだから、価値があるのです」と切り返し「やっぱり、すごい人が監督サンになってくれたんだ」という声が相次いだ。

 新監督はまた、この席で「わたしのことを監督と呼ばないでほしい。守道、モリミチでいいのです。モリミチと呼んでください。それから、私のスローガンは、あくまで“ファンと共に”ですから。いまは営業をやっとります。来年は、ナゴヤドームで少しでも多くの方々に観戦してほしいのです」とも。この日は、長蛇の列となって並ぶファンの一人ひとりに対し、色紙はむろん、ボールやユニホームなどにも丁寧にサイン、嫌な顔ひとつせず、むしろ笑顔を絶やさないで一人ひとりと握手をする場面が見られた。高木さんって。やっぱり、どすごい男だ。信頼していい。でも、あまり無理しないでほしいな。

 夜。帰宅してNHKスペシャル「震災遺児1500人」を見る。父や母、兄弟…を東日本大震災発生に伴う大津波で失ったこどもたちの悲痛な映像を目の前に、この子らの悲しみのなかには一緒に入りたくても入れない、そんな無力感を感じた。
 やはり、この子たちには希望にむかって歩き出す、(いや皆既にたくましく歩き始めてはいるが、)そんな道筋を与えてあげることが必要だ。母と弟を一瞬に失い、お父さんと二人ぽっちになってしまった千葉雄貴くん、同じように両親を亡くした海音ちゃん。そして全ての遺児たちに悲しみを乗り越えて、どこまでも「前」に向かって歩いていってほしい。

 【きょうの1番ニュース】浅尾さんは先発になる可能性があるのですか? 「今のままでいい」という若い女性の心配そうな顔に「権藤さんがそう言ったというなら、(先発は)ありうるんじゃないかな。私は、そのために権藤さんにピッチングコーチをお願いしたのだから」と高木新監督。これには、野球通の年配ファンも「浅尾を使い過ぎないよう。使いすぎたら、『かつてゴンドウ、ゴンドウ、雨ゴンドウ』とまで言われ、連投、連投で肩をつぶしてしまった権藤さんの、それこそ、二の舞になってしまう」。

 東日本大震災が起きて、まる九カ月のこの日、岩手県釜石市ではベートーベンの「第九」を市民が声高らかに謳いあげ、仙台市などでは被災者が海に向かって黙祷を捧げた。また、遠く離れた名古屋の久屋公園でも有志市民たちの手により、キャンドルに哀悼の灯りが点された。にっぽんじゅうが胸を痛めて悲しいひと夜を過ごしている。

☆「<虹 いま寄りそう> 流されたここから一歩 (宮城県)南三陸 列車来ぬ駅前商店街 7店舗が営業再開へ」「<TPPを問う> 牛乳売れるのか 被災酪農家『ええことない』 北海道以外生産全滅も」、「<通風筒> 岩手県陸前高田市の高台に地元住民や神戸市のNPО法人がガス灯『3・11希望の灯り』を建て、十日、阪神大震災を機に神戸市につくられた『1・17希望の灯り』から運んだ火をつける分灯式があった。」、「(フェンシング女子サーブルで全日本選手権連覇の)中山セイラ選手(大垣共立銀行)へ女神像 中日ぎふ体育顕彰」
 「皆既月食50分続く(十日、日本列島のほぼ全域で起きた皆既月食。午後九時四十五分から南東の方角にある円い月が欠け始め、午後十一時五分から同五十八分まで完全に影に。その後は徐々に戻り、十一日午前一時十八分に月食が終わった。)」(11日付、中日朝刊)

平成二十三年十二月十日
 土曜日。きょうは休みでもあり、飛高公民館でのフォークダンス教室に通うMを送り迎えし、それ以外は、自室でこの一年間、合間を見て書きあげた小説の最終チェックに追われた。それでもなんとか午後二時前には脱稿、なんだか肩の荷が下りた感じである。
 一段落したところで、近くの実家へ。Mが母へのクリスマスプレゼントときのう息子が社員旅行先の高山でおばあちゃんに、と買ってきたお土産を持っていってほしい、というのでマイカーで“飛脚便”を務めたのである。
 いったん行ったが母がいなかったので、しばらく時間をおいて再び和田へ。兄夫婦と畑から戻ってきた直後だったが、Mから贈られた手編みのピンクのマフラーを手に、さすがにうれしそう。「よろしく言っておいてね」と、ご満悦で、母が畑で育てたミカンの分配に預かって帰宅、こうして日記を書いている。
 猫ちゃん二匹は、寒い日にこりてか、こすも・ここが私が座る掘り炬燵の足元で、シロちゃんはたぶん暖房の入ったカーペットのうちのいずれかで背を縮めて休んでいるらしい。

 けさは何よりも朝、中日スポーツの1面を見て驚いた。「GP(グランプリ)ファイナル欠場…緊急帰国 最愛の母死去 真央対面かなわず いつも一緒仲良し親子:9日早朝容体急変」の見出しには驚いた。(フィギュアスケート日本女子のエース、浅田真央選手=中京大、二十一歳=の母親匡子さん=四十八歳=が肝硬変のため九日早朝、名古屋市内の病院で死去した。)
 わが家では私はじめ、M、そして息子の三人ともが真央ちゃんの大ファンだけに、なんだか記事を見た瞬間に(家族の)力が抜けてしまったような気がした。紙面は2010年バンクーバー冬季五輪担当記者の「悼む 命削って姉妹育てた一途なお母さん」の署名入りも乗せ手厚い展開だった。合掌―

 午後、東京・調布市に住む、むさしのガブリこと原田禎知さんご夫妻からメールが入った。
「今日は夕方、武蔵小金井の中華料理店で『落合監督に感謝するおしゃべり会』です。幸子が言い出したものを、僕がツイッターで呼びかけました。簡単な資料も作りました。過去の新聞記事のコピーや、和歌山の記念館レポートなどです。伊神さんが卒業され、高島さんが異動されれば、かえって僕には思い残すことがないというものです。今夜の集いには、ガブリのぬいぐるみも連れて行きます。プラカードや、監督サイン入りのウエアも飾ろうと思います。」(原文のまま)といった内容である。
 原田さん、そして奥さま! 心からありがとう。ドラゴンズ公式ファンクラブをこれからもよろしくお願いしますネ。スタッフは、みなステキな人材ばかりですから。

午後十一時過ぎー。月が陰も形も、見えなくなった。と、思いきや、影の部分が赤い月となった。どうやら地球の大気中のちりが赤くなったらしい。いずれにせよ、十一年ぶりの皆既月食とやらで、太陽と地球の陰に月がしばらくの間、スッポリと一直線に入った。でも天文学者には、どうしてそのことが分かるのか。私には不思議な世界である。

 【きょうの1番ニュース】Mが九十一歳の母に、手編みのマフラー(襟巻き)をプレゼントしてくれた。「これ、持っていって」というので紙包みをそのまま渡したところ、中から手で編んだ、それもピンクのマフラーが出てきて、母は大喜びだった。なんでもMが一年がかりで手編みしてこしらえたという。いつのまに編んでいたのか。私はうかつにも知らなかった。Mよ! ありがとう。

☆「石巻の全待機所 閉鎖へ 再出発 将来見えぬまま あす震災9カ月 5世帯の12人最後まで生活 仕事、家 募る不安」「東北3県避難状況 福島依然6万人県外に」、「トイレに不審物 夫婦自首 中部5県14カ所 高速道で計41個置く」、「フィギュア浅田選手と二人三脚 母匡子さん死去48歳 練習毎日付き添い」「一川、山岡氏の問責可決 参院本会議 首相は続投強調」(10日付、中日朝刊)