新連載・権太の地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉6月7日
地中海(エーゲ海)に浮かぶギリシャのミコノス島。ビーチから見たここの海はどこまでも深く透き通り、青く、そして白かった。時折吹くかぜ、波の音に紛れて私の肌や食事にとまる蠅の一匹一匹が歓迎してくれている。
オーシャン・ドリーム号はこの日朝、島に到着した。デッキにさわやかな風が吹きわたる。1人では、とてももったいない。隣に美雪がいてくれたら、と思う。
(これより先)朝食を9階スペースのいつもの指定席で食べ、空を見る。
× ×
――「これは。この船内は一体何奴なのか。現代の箱船。人間社会の寄せ集め。ガラクタ。芥(アクタ)。はみだし連の集まりか。いや、ピース(平和)を餌にした傷をなめあう“狂人たちの船”かもしれない。運命共同体とも言える船内生活。私の目で見る限り、そうした環境下で「何か」が、人々を同一物に同化させていく。同じ色に染まらせる。ニンゲン、本来それぞれの色でいなければならない。のに、だ。そんな不安を感じざるを得ない(そう言うボクこそ、ガラクタ・はみだし記者の最たる…かも。ヒトの事なぞ言えないのだが)。
深夜未明にまで歌って踊り、同じ方向に向かう男や女たち。みんなでやれば怖くないのか。黙って人間観察をしていると、食堂のウエイトレスに始まり、居酒屋、デッキや船室の掃除、避難時の救助艇の整備点検に追われて船内各所で黙々と働くインドネシアのアリたちの方がよほどすぐれている。よほど人間的だ。
いざとなれば、アリたちの方が百倍の力を発揮するに違いない。ただ騒いで傷を癒せば、よいものでもあるまい。……」。
幸一はそう思いながら「いやいや、そうではない。みんな、それなりに真剣に人生をかけてこの船に乗ってきているのだ」。そうかぶりを振る自らを感じていた。ミコノスの空が一転し雪の壁に見えたのは、その時だった。天国があるとしたら、ここは天国。でも、地獄かもしれない。なかには、自分で自分をほめよう、と。この先を決めるためにも自分探しを、といった女性もいるにはいる。だけれど、ここにいるのはボクも含めて無恥なる人間が大半である。
× ×
私は逆転の発想で、ざあ~っ、と。こんな感じで弱い人間たちを描く新しい物語をこの世に送り出す決意をした。これからストーリーを考えよう。たとえばダメな男とダメな女が一つになる。ニンゲン告発をする、船上のラヴロマンスにでも仕立てあげようか。ここから先は私の小説で発表するつもりでいるので、皆さん、ぜひお待ちください。
実際、この船内ではいろんな人種が蠢いている。何も地球一周をしたからいい、というわけでもあるまい。むしろ、日本の、アジアの、ニューヨークの、そしてここエーゲ海の片隅で、ひそやかに暮らしている、さふした何げなき人々を大切にしたい。私はそのためにもこの先、権太でしか書けない世界を追究し続けていく。同じ船を寄すがに生きる多くの乗客たち。運命共同体ともいえる船内生活はまだまだ続く。
【出会い】爆発力といおうか。若者たちへの期待がとてつもなく大きい半面、不安もある船内。そんな中、きょうはミコノス島内のビーチを訪れ、七変化する透明な海の美しさに見とれた。はたちの美雪とふたりで逃亡記者生活を始めた志摩の海、そして共に駆け抜けた能登半島、いつか彼女と尾崎放哉の墓を訪ねた小豆島の海を思い出させた。海は何も言わない。でも、心のなかに入り込んでくる。
〈大勢いる船内、却って私はひとり〉(権太)
平成二十四年六月六日
写真は4日付カイロの新聞・革命後の大統領選はどうなるのか
けさも未明に起きて8階インターネットアクセススペースへ。誰もいないなか、壁の如き黒くて深い海を前に、きのうの本欄連載分〈海に抱かれて みんなラヴ〉をアップして、やっと一息ついた。ここ数日は睡眠不足がちだったので朝の洋上カルチャースクールの初級ダンス教室に出た後は1時間ほど、ウトウトと寝入ってしまった。
連載分は昨夜遅くカイロ市内のオプションツアーから帰船後、けさ未明にかけて執筆。一方で、乗船後の状況をまだ知らせてなかった友人・知人にもパソコンメールやドコモ契約済みパケ放題メールで厦門(アモイ、中国)、シンガポール、プーケット(タイ)、コロンボ(スリランカ)を経てエジプトのポートサイドまで来て、現在は地中海を次の訪問地・ミコノス島に向かって航行している旨を簡単に連絡させて頂いた。
きょうのニュースは何といっても「(ダンス教室もほぼ1カ月のレッスンを終えたので)皆さん、きょうのレッスンで初級ダンス教室の“初級”の二字を取らせて頂きます」との後藤京子先生の言葉である。確かに私も含め、大半の受講者がそこそこステップを踏めるようになったことは事実だ。
先生の思いもしなかった発言にウアーッと、歓声が上がった事実も付け加えておきたい。
昨日、船上では初めて私の自由律俳句を1句、本欄で公開させて頂いたが、もう2句〈帰れない帰りたいわが家〉〈1日の仕事を終え陽が沈む〉を付け加えておこう。美雪(俳号・伊神舞子)が、どう批評してくれるか、だ。
そういえば、自由律俳句の旗手・尾崎放哉の名句に〈咳をしてもひとり〉があるが、船内は、このところ風邪ひきさんが目立つ。私はレセプションでイソジン(一本420円で2週間ほどもつ)という、うがい薬を購入し再三のうがいを心がけているのだが、これがよく効いている。
午後、きのうのカイロ市内のイスラム地区散策でご一緒した久保美智代さん最後の講演「世界遺産と私~モン・サン・ミッシェル編」を聴いたが、最後に紹介された「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のトリデを築かなければならない」とのパリ・ユネスコ憲章が私の心に深く刻まれた。
【出会い】きょうは、なぜかこれまでにお会いした方ばかり、との会話が弾んだ。
平成二十四年六月五日
あわただしい1日だった。
歴史を刻んだ、カイロ市内のイスラム地区
午前5時過ぎ、バスでポートサイド港を出発し片道3時間かかりカイロ市内へ。土産物市場、イスラム地区の順で、立ち並ぶ店やモスクや民家群を見ながら散策。引き続きナイル川でパルーカ(帆立舟)による風まかせ遊覧を楽しみ、河畔でケバブの食事をしたあとは再び土産物店街を歩き、オーシャンドリーム号に着いたのは午後8時ごろだった。
昨春、“アラブの春”の大革命でムバラク政権を打ち倒した同国では現在、大統領選挙のただ中。10日もたてば、新しい大統領が決まる。街では最終決戦に臨むムスリム同胞団リーダーと元首相の二人のポスター写真が氾濫していた。
きのうから、きょうにかけ随分と多くの経験を積み、瞬く間にノート1冊分をメモが埋め尽くした。というわけで、いろいろあった昨日ときょうのエキスだけをまとめると。
【きのう】スエズ運河を通ってポートサイド港に着いた昨夕。私はぶらり港界隈を歩いてみた。買い物をして、ドルばかりをまとめて置いた封筒から現金を抜き出し、ショルダーバッグから出した際、封筒を路上に落としそのまま置き忘れた。でも、運よく中年夫妻が拾ってくださり、私のところまで持ってきてくれたのである。
それから。港で1人、海を見ながら待ちに待った猫たちをビデオ撮影していたら、小学校高学年とみられる少年が海から手づかみで獲った小魚を手に私に近づいてきた。私がビデオで猫と少年を撮っていたためで、彼は盛んにビデオを見せてーと言う。そこでビデオに映った少年と少年を取り囲んだ5、6匹の猫のビデオを見せると、彼はもっと見せろという仕草を見せた。
私は、プーケットの女性たちが民族舞踊を踊っている映像を見せると、もはや少年はボクのところを離れないばかりか、メールアドレスと名前までメモ帳の切れ端に書いてくれた。意気投合したボクと彼は互いに見よう見まねであれやこれや、と英語をまじえ話しあったが今度は父親を連れてくる、と言い出したので私は波止場で待つことにした。
そしたら、彼は本当に父親の手を引いて私のところまできた。会釈すると、お父さん曰く「この子は世界でイッチバン、ベスト」と言って親指をたてた。
少年の名はワリ・リーズと言った。彼は連絡先だ、とメールアドレスまで書いてくれた。どんどん集まってくる猫ちゃんたちも神聖なら、少年も同じように清らかな目をしていた。少年は別れるとき、はにかむようにして親指をたてた。もう永久に会えない、と思うとその場を離れることが辛かった。ワリ・リーズはたくましく生きていくに違いない。
【きょう】カイロの街中で「ニュースペーパー」「新聞」「新聞は」と探し回っていたら、ヒゲの人のよさそうなおじさんたちが入れ替わり立ち代わり出てきて「キャップ、キャップの男に(私が帽子をかぶっていたので、そうなったらしい)」と次から次へと計五種類もの新聞を探し出し私に渡してくれた。
「なんて、優しい人たちなのだろう」。「これが昨年のアラブの春で革命を成し遂げた男たちなのだろうか。いやいや、こうした優しさがあったからこそ、平和を勝ち取ったのだ。イスラム地区を歩いていて、いや、きのうからこちらに来て気が付いたのは、この国では男も、女も、子どもたちもみんな親しげに向こうから笑顔で「ハロー、ハロー」と言いながら手を振ってくることである。みなロマンチストで、人恋しげな澄んだ目が印象的だ。私はエジプトがいっぺんに好きになってしまった。
【きのう、きょうを通して】カイロ大学文学部で4年間日本語を学んだという女性通訳・サマルさんにはミスル(エジプト語でエジプト、の意)について多くを教えられた。989年に建てられたというモスクをはじめ、オスマントルコ帝国時代やムハマダ・アリ時代(1805年即位)のモスク、さらにはイスラム地区で住む人々の日常の生活習慣などについていろいろと説明を受け、この目で見て歩いて学んだ。
彼女は平和について「戦争だけはしないでほしい。そのためには今こそ、こどもたちに対する教育が大切です」と述べ、近づく大統領選挙については「ムスリムも、前政権の残党もどちらも不安だ」と本音を語ってくれた。
「礼拝は、サウジアラビアの方を向いて」「男は4人まで結婚できるが、からだが弱いなど、あくまで理由があったらの前提つき」「エジプトは、かつてオスマントルコの支配下にあっただけに、スカーフの着用などどこかトルコと似ている」「エジプト人は、みんなスンニ派」「地震がないのでレンガ造りの家が多い」「オレンジのきれいな花はジャカランタと呼びます」「ガソリンは10リットル当たり3ドル」「砂漠のなかにドンドン建てられていくアパートや高層マンション」「この国の人々は、酒だめ、豚肉ダメ」「農家では、鳩を飼い食べます」…といった具合だ。
このほか、きょうは巨大なピラミッドの全容、そして働き者のラクダとロバ、砂漠に立つ高層(アパート)ビル群…もバス車内から見ることができた。あいにく昨春の“アラブの春”で革命の拠点となった、タージマハル広場には湖畔とは5分の距離にありながら観光客を近づけないーとの政府の方針で足を踏み込めなかったが、コンボという20人単位の団体行動をとらされる限り1人だけの単独行動は無用な混乱を起こすーとのことで単独行動は止めた。その代わり、銃弾によりほとんどの窓がぶち抜かれた建物を目前にすることが出来た。
夜遅く、わが船室に戻ったとき、私の口は思わず、自由律俳句を詠んでいた。
〈今はそこにしか帰れない港の船〉
船はポートサイドを出て地中海に入った。
【出会い】多くの愛嬌たっぷりの猫ちゃんたちと、少年ワリ・リーズとのこと。
平成二十四年六月四日
はるばるきたぜ、エジプトへ~…といった心境だ。
夜は午前3時ごろ床に入り、朝も超早くて少々疲れた。というのも、午前5時過ぎ「皆さま、本船はスエズ運河に入りました」との船内放送が流れたためである。耳にするや、ビデオを手に現場(10階デッキ)に駆け付けた。
その後も1時間から2時間置きに「現在、リトル湖、グレート湖の順で時速10ノット(18・5キロ)で航行、再び水路に入ります」「左舷に見えてきたのは、第1次大戦の慰霊塔です」「まもなく2001年に作られた日本とエジプトの友好の橋です」と矢継ぎ早のアナウンスで、そのつどデジカメとビデオ、スマートフォンを手に撮影。スエズ運河といえど、川幅は木曽川や長良川より狭い。左岸アフリカ側には車が走っており、日本と何ら変わらない。午後にはポートサイドに着岸、3時20分過ぎ船内の全員に上陸許可が出された。
波静かなスエズ運河(右舷から写す)、右手に広がるのがシナイ半島
右手はアフリカ大陸・エジプト(左舷で写す)
昨夜は今回船旅の目的である「伊神権太が行く 平和へのメッセージ/私はいま その町で」の第2弾〈シンガポール・プーケット編〉のアップが、2枚のアクセスカードを使い果たしたあと、ピースボートの女性新聞局長(編集局長)の“なっちゃん”が貸してくださったカードでチャレンジ、“ゴンタさんファン”に見守られる中、カードの残り時間すれすれに滑り込みセーフに。気分がいいので久しぶりに午前1時ごろ、居酒屋「波へい」に顔を出した、というわけだ。
スリランカのコロンボを出航したのが二十四日未明なので実に12日間の船旅だった。 話は戻るが昨日の早朝、本欄連載をアップするため8階のインターネットアクセススペースを訪れた時には窓に映る海を前に思わず「あっ、陸だ。陸が見える」と叫んでいた。それまでは早朝とはいえ、船内は海賊対策で黒い暗幕が張り巡らされており、夜間は海を見ることさえできなかっただけに心身とも解放感で満たされた。
初めて目にする中東がそこにはあった。砂嵐の影響なのだろう。左のアフリカ側、右のシナイ半島ともに全体に赤茶けた埃っぽい陸が横たわっている。一夜明けると、エジプトとシナイ半島が目の前に横たわっており、どこか不思議な気持ちがした。
昨日は、久しぶりに陸を拝んだ後は朝食、ダンス教室を経てブロードウェイへ。
ここで中東専門家・高橋和夫さんの講演「紅海とスエズ運河」を聴いた。1948年の第1次から1973年の第4次中東戦争まで、その内容が中心だったが、そのつど歴史に翻弄されるスエズ運河やシナイ半島、アラブの民たちの姿を見る思いがした。
ナセル大統領によるエジプトの国有化、イスラエル側の奇襲による6日間戦争、逆にアラブ側の奇襲とアメリカの読み違いなど。中東すなわち世界の歴史の証言者でもある。ここだけでは、とても書き尽くせない。第4次の時には日本でトイレットペーパーがなくなる石油パニックが起き、大騒ぎした日々がついきのうのようでもある。
あの時は三木特使(後の首相)が中東を訪れ、なんとか石油危機から脱却した。当時、地方記者だった私は幼な妻に助けられ、志摩半島を飛び回っていたが、地方のスーパーでもトイレットペーパーを買い求める人々で長蛇の列ができていた。
「紅海とスエズ運河」を聴いたあとは、パレスチナシリーズ最終回「わたしたちが考えたこと」(クルーズリーダー・井上直さん)を聴講、パレスチナとイスラエルの若者がピースボートに乗って話し合う場面がビデオで流され、みな真剣に平和な世界を願っているのだな、と思った。ピースボートならでは、のなかなか良い試みで、こうした若者相互の交流は、これからもドンドン続けてほしい。
【出会い】きょうは今回のピースボートが7回目というムラジさんの人生劇場といきたい。話は南こうせつの神田川が流行っていたころ。ムラジさん、若き日の村田俊一は福島から東京に出てきていた女性と恋におち、都下のアパートで同棲生活を始めた。
昭和44年、和裁で貯蓄していた奥さまが西新宿に突然、マンションを買ってしまったことから、ムラジさんはこれに刺激され職務に精励。気が付いたら、いまでは3人の子と2人の孫に囲まれ、幸せな毎日だという。
ちなみにかつての職場は車関係。トヨタ傘下の工場で余分なものは作らない、持たないというトヨタの生産方式を徹底的に植えつけられ、今ではマンションもふたつ所有。子どもたちの購入時にも頭金は出してやっているーと胸を張る。
ピースボートには2005年から乗り始め、最初の3回は奥さまと一緒だったが、今ではご本人だけが中毒症にかかって1人参加。10回参加の偉業達成を目指す。船内では第60回ピースボート乗船時に巡りあった師匠から学んだ南京玉すだれの自主企画に始まり、朝のラジオ体操、ウオーキング…とすべて自らの音頭で取り仕切り、休む暇がない。
「ピースボートは、皆さまと、こうして親しく話し合えるのが魅力です。友だちがいっぱいできます。私にとっての女房は“金の延べ棒”も同じ。彼女には、いつも心の中で『ありがとう』と感謝してます」。ムラジさんの目が、心なしか涙にうるんだ。
平成二十四年六月三日
こちらは、三日午前六時半。時差は七時間で日本は午後一時半だ。スエズ運河が目の前に迫ってきた。
きのうの昼前。「熱砂」連載にてこずり、やっとの思いで紙面化(“ドジョウすくい”の写真がうまくいかずアップを断念)し、10階デッキへ。
1人、空と海を見てつづってみた。
× ×
波と、かぜと、こころが押したり引いたり。寄せくる波と同じように迫りくる/海に目をやる/膨れたり、へこんだり、サァー、さあ~っと駆け抜け何かをしゃべっている/私は今、紅海を進むピースボート、オーシャンドリーム号の船内でかふして座っている/
海のかぜが頬に当たり、ズボンの裾を揺るがせ、いつも着ている黒いカーディガンの襟元から私のなかに入ってこようとするものがある/昨夜からきょうの未明にかけ、平和へのメッセージ第2弾〈シンガポール・プーケット編〉のユーチューブへのアップが思うに任せず、私の心はちりぢりとなった/傷だらけとは、このことか。血が噴き出す/
おかげで若者ふたりが谷底に突き落とされる、その瞬間まで励まし慰めてくれた/1人はアタルという映像の落とし子。いま1人はシノという将来をみつめた、ひたむきな日本女性である/こうして日夜、有力スタッフとして頑張ってるわが子を見たら、親はどんなにか嬉しいだろう/
若者たちはゆく。アッチへごっつんこ、コッチへごっつんこ、とやりながら自らの道を切り開き、また歩き始める/まるで波のようだ/何も語らない海。とこしえに優しく変わらない/そんな海。と、ともに新しい時代はいつだって目の前にある/
ユーチューブのアップは昨夜に続いて今夜も粘りに粘ったが、またも傷つき涙の敗戦投手に終わった。でも、これによって何かを得ている。どこからか「分かった。分かってるから。お金なんて使うためにあるのでしょ。ぜんぶ、使っちゃいなさいよ」という妖精の声が かぜに流れて近づいた。
かぜたちは、相変わらず私の頬を打ち続けている。(2012年6月2日記)
× ×
その後インターネットのアクセスカードはきょうだけで2枚を使い切り、3枚目も残りわずかだ。
それでも、きのうはダンス、ソマリア海賊の講演、全員参加による今後の航路説明会(世界遺産イルリサット・アイスフィヨルドのボート遊覧がデンマーク政府の船主に対する許可が下りず中止となった。代わりにノルウェーのソグネフィヨルドと世界遺産ネーロイフィヨルドの観覧などを予定)…と、ノートとデジカメを手に半分寝ながら船内を歩くうち目がさめ、 夜に入りユーチューブ第2弾アップへの敗者復活戦に挑んだが、またしても、90パーセントまできたところでカードが切れて失敗に終わった。インターネットと結ぶ衛星回線が悪いので、これだけはどうしようもない。陸に近づけばなんとかなるだろう。子どもがいたら「お父さん、無駄な抵抗はやめてよ。昔の事件取材の夜討ちとは違うのだから」と叱られるに違いない。
4日深夜のエジプト・ポートサイド寄港後のオプションツアーは、キャンセル待ちしたおかげで5日早朝からの〈カイロのイスラム地区散策(午前5時15分出発)〉をゲット、ポートサイドから片道3時間をかけてのカイロ入りが決まった。せっかく来たからには昨春、“アラブの春”に揺れ動いた街の様子を見ておきたい。希望者殺到の「日本語を学ぶ学生と交流」オプションこそ定員があふれて外れたが、むしろカイロ市内の自然体を見ることが出来そうだ。
【出会い】本欄では既に有名人ともいえる“サッちゃん”=関西は勤め先の大学で、実は江戸っ子でした=に、すばらしき仲間がいた。その人の名は“八重ちゃん”。パチパチ(8月8日)生まれの八重ちゃんは、横浜から、赤い靴? はいてきたのです。50歳から人生が開け、ホノルルマラソンに過去7回出場したという剛の者。ほかに手品と折り紙の名人でも。現在は、神奈川県社会福祉士会の副会長さんでもある。
この日は、生活保護家庭の担当者から届いたメールに「生活保護家庭の場合、これまでは支援する側にも夢が見えなかったが、引きこもりだった子がピースボートスタッフとして光り輝いていることを知り、希望が見えてきました、とのメールの打ち返しが届きうれしかった」という。こんな八重ちゃんを目の前に“サッちゃん”は、ね。「ヤエちゃんったら。船内企画の催しや“アラブの春”の講演など行くたびに会場で出会う不思議な方ですよ」と続けた。これには「サッちゃんって。すごく頭がいいお方で、いつも助けられているのよ」と八重ちゃん。サッちゃんは、これからも折り紙づくりなどで八重ちゃんの自主企画を支えていくそうです。
その折り紙にマリリン・モンローの“赤い口”があった、とは知らなかった。しゅうとめさんなどに言いたいことがあったら、このモンローの口を手に鏡に向かって吐き出せば良いのだって、サ。
平成二十四年六月二日
昨夜からきょう未明にかけ、ユーチューブで私が発信中の「伊神権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ」/私はいま その町で」の第2弾〈シンガポール・プーケット編〉のユーチューブアップを試みたが、洋上であることと、どうしても画像が重くなりがちなこともあってアップには至らなかった。
画像データを投げても、投げても受けてくれない“海”の心境だ。涙の敗戦投手とは、このことか。映像委のシノちゃんやアタルクンが午前2時までつきあってくれたが、きょう一息ついたところであらためて挑戦しよう。画像は少々荒らくても何より発信することに意味があるのだから、ダメな場合は容量を軽くして試みるほかない。ということで、こちらは午前10時前。いつもより4時間遅れの連載アップとなった。
きのう朝の社交ダンス。何度もロアしながら船を漕ぐようにしてワルツのステップを繰り返し踏んでいるところに船内一斉放送が流れた。午前8時半過ぎだった。「ただ今、本船船長から海賊警戒海域を離脱したとの連絡がありました」といった内容で、これにはダンスの手と足を止め全員が拍手。やっと夜空と再会できる。
それにしても、いつも思う。このスウィングは、なぜか中原中也の詩の一節「ゆあ~ん ゆよ~ん ゆあ ゆよ~ん、」を思い出させる。踊りながら何かに融けいってゆく。それから、きのうプールエリアをメーン会場に始まった夏まつり。雪路さんらの“どじょうすくい”がオープニングを飾り、ヤンヤの喝采だった。
この船旅、いつも気持ちのなかで抱きしめているものがある。それは出航前に出版した私の著書〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」(笛書房=電話052(901)7667または090(3301)4473=)〉と、中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコット・ガブリのミニサイズ、そして私がかつてアムステルダムでアンネ・フランクの家を訪れた際に購入した英語版「アンネの日記」である。アンネの日記は現役の記者時代に出勤の途次、日本語と英訳本を交互に読んでいたが、あらためて読みたい気持ちにかられたからである。
そのうちの「野球日記」について記すと。きのうの午前中、ダンスのあと、8階プロムナードの椅子に1人座って海を前にこの本を読んでいたら、若い女性から声をかけられた。 「あぁ、メチャ可愛い。ねえ~。見せて。見せてよ。名前も教えて」というので我に返ると表紙の愛猫こすも・ここが大変、気に入ったらしい。かわいい、と繰り返すので「どこから」と聞き、話が弾んだ。
「札幌から、です。介護の仕事でしたが…。思うところがあって。地球一周をするに当たっては決断することも多くて。帰ったら、介護の世界に戻っているだろうな」。
女性は、さらに「うちにもサスケという男の猫ちゃんがいました。でも、一昨年の10月に老衰で亡くなってしまいました。17まで生きたのですが。どんどん弱ってしまい」。私は「彼女(こすも・ここ)は18です。シロという妹がいて、この子は17歳です、と裏表紙のシロを見せた。あなたとサスケちゃんのことは、ふたりにも報告しておきます」と答え、「本と一緒に撮ってほしい」とせがまれるまま、デジカメのシャッターを押した。
超カワイイ、とまたファンがひとり増えた愛猫こすも・ここ(本の表紙から)=後ろは紅海
【出会い】先生とは別にダンスを教えてくださる埼玉の藤村さん、どこの人かは知らないが高田さんと声を交わした。九階プールエリアで昼食中、お会いしたのが愛知県刈谷市からの渡辺洋子さん。「風を感じたくて」という彼女は10数年前、夫に先立たれ娘たちも独立し今は1人暮らし。「私なんて“弱い女”のレッテルを張られ、1人ボオーッとしているだけ」とおっしゃりながらも「でもネ、アタシなりの夢を抱いてきたのですよ。自分を変えられれば」と続けた。
聞けば、彼女は胃ガンを克服したものの独り暮らしで食生活が不規則になりがち。このため「この際、食生活をキチッとするように自身を改造したくて来たのです」とのこと。決して弱くなんかはない。
平成二十四年六月一日
きのうは朝から海も、空も、1日中どんよりしていた。でも日差しは強く暑い。船はサウジアラビアとスーダンの間の紅海を15ノットにまで速度をあげ、エジプト、シナイ半島に向かっている。航路図によれば正午過ぎにはジェッダを超え、紅海のほぼ中間点に達する。きょうは昼から洋上夏まつりが開かれ、浴衣コンテストや寄港地クイズ、阿波踊りや盆踊りが開かれる(いまは1日午前5時半過ぎ)。
社交ダンス。ここまで恥をさらしてきた。きのうは早朝と午後のレッスンでナチュラルターンの入った3プラス6の計9歩はなんとかこなせるように。ダンスを終え部屋に戻ったあと再び船内へ。まず8階スターライトへ。ここでは、トルコのベリーダンスに女性が熱中、気がつくと私自身、腰や腕、手足などを軽快なリズムに乗って動かしていた。ベリーダンスはトルコを訪れた際に輪になって踊り明かしただけに、なつかしい。
笑顔でベリーダンスに酔いしれる女性たち
引き続き6階アトランテックで行われていた中村信子さんらによる自主連載企画「長崎・チェルノブイリそして福島」にも出席。「原発は人間の生活とは相入れない」「行政の誘致がそもそも間違いだった」「ボクたちはあと何年生きられるのか、という子どもたちの不安はチェルノブイリも福島も変わりない」「原発は原爆と一緒で“福島がんばれ”と言われますが、がんばりようがない」の被災者たちの言葉には胸を突かれた。
「さようなら原発」を合言葉に自主企画を進める中村さん(中央)たち
少し慣れてきたところで、船内生活で役立っているものは。
まず私の母にもらった父の形見の腕時計(いつも左腕にしていたため皮バンドが取れ今は部屋の引き出しに置いてある。時刻をチェックするのに大変役立つ)=きょうは彼女の満92歳の誕生日。おめでとう=、次におしゃぶり昆布梅と干し梅、洗濯干し、ミニショルダー(望遠鏡とデジカメが入る)、持参タオル、歯ブラシ(ヒゲ削り後の掃除に効果的)。ポットも冷却水をもらって保存するのにいい(船室に冷蔵庫はない)。
ここ2、3日はユーチューブで発信する「権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ/私はいま その町で」のスリランカ・コロンボ編の原稿(英文とナレーション用の計3通り)書きに追われていたが、初回の〈厦門(アモイ)編〉に続く〈シンガポール・プーケット編〉の編集作業が、きのうまでにほぼ完成。今回は映像委員会キャップのアタルさんに、札幌から来たシノちゃんも加わっての編集・演出作業でコンちゃんの声もよくて私のナレーション以外は、なかなか良い(映像は私の撮影)。あとは容量を軽くしアップにかかりましょう、とアタルさん。アクセスカードを1枚余分に購入しておかなければ。
【出会い】船内で先日、食事の席でお会いした女性とバッタリ出くわした。「どこへ」とお聞きすると「空を見に」との返事。歳はとっても、感性豊かな女性である。どんよりした空に見たものは。何か。
平成二十四年五月三十一日
時差が日本とは6時間違う。こちらは31日午前6時(日本は正午)を過ぎ、ソマリア沖を経て紅海をスエズ運河へと続くエジプトに向かって航行中だ。きのうの午後4時過ぎには紅海入り口部分で一番狭いバブエルマンデブ海峡を越え護衛艦の姿もなくなった。速力も12・4ノット=1ノットは1・85キロ=といつもより3~4ノット速い。8階プロムナードに張られた航路図の前には人だかりが出来、みな少し不安そうだった。
無事、通過した紅海入り口部分・バブエルマンデブ海峡一帯の海図
10階デッキ入り口部分に張りだされた注意書き、乗客の安全が最優先だ
社交ダンスを続けている。ルンバ、サルサ、チャチャチャ、ブルース、ワルツ…クロス、ナチュナルターン、リバースターンなど。ここにきて何だかこんがらかってきた。でも、そんなことはお構いなし。とにかく慣れる。と、自らにいいきかせてステップを踏んでいる。たまに、こわそうな女性に当たると避けようとするのだけれど。運の悪いものでそうした人にこそ、よくつかまってしまう。あ~あ。
おまえがいてくれたら、今頃は名人芸、間違いなしなのに。一向に進歩のあとがなく、ベーシック、ベーシック、ニューヨーク、ニューヨーク、ひぃーらいて、ひぃーらいて…とやっている。これでは、こどものままごとだ。
ダンスのあとは自ずと足は8階後方バイーアへ。きのうは、ここで死の工場でのホロコースト(大虐殺)とナチス親衛隊の実像を描いた「アウシュビッツ」の記録映画を見たあと、7階ブロードウェイに「パレスチナ問題ってなに」を聴きに。納得して船室に戻り、原稿を書き始めた。
きのうも今朝と同じように朝食前に「熱砂」に連載中の〈海に抱かれて みんなラヴ〉をアップ。名もない3文年金作家の身をわきまえ、インターネットのアクセスカードも最小限しか使わないよう心がけている。ケチることも文学のような気がするから不思議だ。
一昨日は本1冊を購入して頂けたばかりか、禁欲生活のおかげで「1000円プラス」の1日となった。こんな収益は、わが人生で初めてだ。誰かにほめられそうだ。きのうも夜に入り、どうしてものファックスを1枚送信(1000円)しただけ(アッ、違った。夜、今のアクセスカードが切れそうなので1枚3500円也、を補充して買った)。
本欄原稿もこれからは極力短めにポイントだけに抑え、その分、短編小説や詩、俳句(自由律含む)の創作に力を入れ、伊神権太の新しい世界を切り開いていくつもりだ。
【出会い】昨夜、夕食の席でご一緒したのが、愛知県春日井市からの澤田玉子さんと静岡県藤沢市からの女性Aさん。Aさん曰く「私は夫を残して1人できました。でも、食事をどうしているのか気がかりです。同室のほかの2人は、1人は夫を施設に預かってもらい、今1人は、もうご主人亡くなられたそうです」とのこと。澤田さんは、パソコンを習い始めたばかりだが日記を書くなどして船内生活を過ごしています、と満足そう。さっそくパソコンで自ら作ったという名刺をいただいた。
このほか、船内階段でたまたまあいさつした女性は石川県小松市から、とのこと。「私も昔、能登半島の七尾に居たことがあるのですよ」と言うと「アラ、まあ。そうでしたの」。石川にゆかりがあるーということだけで、ホンワカした虹のようなものが、ふたりの間をかけめぐった。
平成二十四年五月三十日
昨夜、レセプションを通し船長からの伝言が船内全域に流された。内容は「本船は安全面を考慮し、海賊警戒期間を5月29日から6月2日まで延長します。今後、紅海を北上していくがこの紅海には、これまでも不審船がたびたび見られるためで海賊対策終了日については船長から連絡があり次第、お知らせします。夜間は引き続きデッキに立ち入らないようにしてください」というものだった。まだまだ緊張の海は終わりそうにない。
洋上のタブロイド版【船内新聞】が新聞社の編集局デスク長(兼サンデー版デスク長)をしていた、かつての鬼デスクの目から見ても、とても良い。つたなさこそ残るが、ピースボート事務局内、新聞局に属する若者たち即ち船内記者・ブッカ―マンたちの情熱的ともいえる息遣いがぴんぴん伝わる紙面内容なのだ。陸とは隔絶された状態の乗客約九百人にとっては船内ニュースを知る何よりの手段だといえる。
私自身が、イの1番に血祭りにあげられた、ユニークで気になる人物を紹介するヒトもの「参加者紹介」コーナーに始まり「船内チーム紹介」「ピースボートスタッフって どんな人?」といった連載もの、船内講演の予告記事、船の内外で起きたトピック、さらには日刊紙の番組欄にもひけを取らない船内での催し一覧…と、なかなかきめ細かい。
たとえば28、29、30日付紙面なら。「参加者紹介」が、車いすの奥さまと広島県廿日市市から参加されている二宮清志さん(69)、船内で着物姿がひときわ目立つ平野珠さん(21)、本欄でも紹介させて頂いたドジョウすくいの雪ちゃんこと竹村雪路さん(74)を写真入りで紹介。
―4年前、交通事故で娘を失くし妻も一時は意識不明にまで陥ったが、息子に勧められ来た二宮さん。着物に詳しい祖母の影響と乗船前に料亭で働いていたこともあり着物の面白さ、奥深さに夢中の平野さん、そして神戸出身の笑顔のど根性女・雪ちゃんの人生劇を見事に活写。28日付トピックでは「一昨日(26日)は、イルカの群れが現れました。皆さんはご覧になりましたか」と特ダネ写真入りで報じている。
このほか、一覧表は見開きで行催事のすべてを紙面化。それこそ、おはよう太極拳、「朝だ! 元気にラジオ体操」、ウオーキングに始まり、各語学講座、社交ダンス、サルサダンス、岐阜県民集合、阿波踊りを踊ろう、着物着付け、民謡・昭和歌謡愛好会、劇団俳優募集、映画上映、星空教室、太鼓塾、バスケ同好会、南京玉すだれ、ドジョウすくい、洋上カラオケ、バンド練習、フラダンスを踊ろう、合唱しましょう、器楽演奏、ウクレレ教室、囲碁・将棋・麻雀教室、オカリナサロン、その他お知らせ事項……などを時間と場所入りでギッシリ紹介。どれにしようか、目移りしてしまう。
【出会い】きのうの夕方。9階デッキで1人静かに海を見ていた若い女性と話が弾んだ。静岡県藤枝市出身の助産婦さんで自称“オノッチ”。彼女は横浜で5年単位の助産婦生活を終え、思い切ってこのピースボートに乗ったのだという。「お父さんに叱られるか、と思ったら見聞を広めてこい、と言われ嬉しかった。お母さん、寂しいだろうな。でも、元気でいるから。母は6月28日が誕生日なので船内から手紙を出さなくっちゃあ」。
この地球一周の船旅。大阪や名古屋、静岡、千葉、札幌、九州、四国、沖縄…からは目立つのに東京勢が少ない。と思っていたら、きのうの昼食時に東京都多摩市からの三原多津夫さんと同席。「それでも先日、東京の会を招集したら17人集まりました。でも、ね。東京人はどちらから、と聞かれるとつい古里の土地を答えてしまうのでは」とは、多津夫さんの見解である。
また夕食では高槻市からお出での牛田日出夫さんご夫妻と同席、牛田さんがドラゴンズファンだというので、アレヤコレヤと話しあううち愛知県清須のご出身だと知った。持参した私の著作〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉を、1冊1000円の定価でさっそく買ってくださり、嬉しかった。
平成二十四年五月二十九日
みんな見よう見まね…初級の社交ダンス=船内8階スターライトで
毎日が社交ダンスとともに過ぎゆく。なのに。踊れば踊るほど、ステップを踏めば踏むほど、1人だけ大海に放り出されて踊り続けている、木の葉の気持ちだ。きょうは体を寄せ合う“ホールド”の基本とからだを沈めてリズム感を出す、ロアなるものを繰り返し学んだ。
船は現在、海のギャングに一番狙われやすいソマリア沖を航行している。目の前を少し離れて護衛船団が並走している。あす午後には紅海入り口部分で幅3キロと一番狭い海峡にさしかかるという。この辺りは一番狙われやすく全速力(時速40キロ前後)で航行することになるらしい。
「一昨年の今ごろには、海賊に追いかけられ2時間ほど蛇行して逃げたこともあり、その後対策が強化されたのだって」と誰かが叫ぶ。口から出まかせでもなさそうだ。…一度、ギャング団を見てみたい。「なぜ、略奪をしなければならないのか」。彼らにも事情があるだろう。家族だっているに違いない。インタビューしてみたい。
船内ではマスク姿が目立つ。咳をしながら「かぜ引いた」と言うのがあいさつ代わりも珍しくない。疲れがたまったところに体力の低下が原因かも知れない。船内診療所は大はやりだそうだ。私はといえば、3本目のうがい薬イソジンをレセプションで購入、日に2、3回のうがいを絶やさない。誰かさんの命令で持たされた、まろやか干し梅とおしゃぶり昆布を時折、口に含みおかげで歯も含め健康だけは、なんとか保っている。
船内生活にもなれたところで船内家計簿をつけてみる。食事以外に船内で飲み食いしたり、レセプションや購買で買ったりするもの全てがカード処理のため記帳しておいた方が良い、と判断したからである。
ごく一部を抜粋しておこう。「居酒屋・波へいでサツマアゲにシシャモ、ビールで計1270円(サービス料込み)、ほかにビールおごり代920円」(13日)「シシャモとビールで977円、ハンドカッター500円、航空用便箋240円、エアメール封筒270円」(14日)「フアックス3枚送信し3000円(1枚1000円)」(15日)「シシャモとビール2杯、みそラーメンで2288円、ファックス3枚3000円」(16日)。
船内でのインターネット使用が始まってからは「インターネットカード2枚7000円(1枚は100分で3500円)、ビールとシシャモ、みそラーメンで1759円」(17日)「イソジン420円、ファックス1枚1000円、カード2枚7000円」(18日)「みそラーメンとビールで1311円、カード1枚3500円、郵便代行シール300円」(19日)といった具合。健康を保つイソジンだけが値打ちである。
当初は、どうしてもユーチューブ「伊神権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ」初回〈厦門(アモイ)編〉やら「熱砂」本欄への新連載〈海に抱かれて みんなラヴ〉のアップに手間取りカード代が重んだ。このところはカード利用も効率的に、と完全原稿をコピーしたうえで使うなどしている。それでも衛星回線の常でままならず、時間ばかりがたつ。というわけで昨夜はアリたちが待つ「波へい」にも行かず「ファックス1枚1000円とイソジン購入420円」にとどめた。
カード使用代があるので切り詰めても1日4000円前後は覚悟せねば…。かといって何らかの形で今後に生きるはずで、まさに身を削っての文学行脚はまだまだ続く。
きのうの小出裕章さんの原発の話・(未来に続くいのちのために原発はいらない)「福島で何が起こっているのか」、そして今聞き終えたオバマと「イスラム」世界、参考になった。この二点については書き始めたら留まらないので、きょうのところは、これで筆を置く。
【出会い】愛媛県今治市から美容師仲間の“ちぃーちゃん”(女王蜂。またの名を“ドンさん”)らとピースボートに乗ったという、ベレー帽がお似合いの西坂和子さん。きのう午後のティータイムの際、9階パノラマビュッフェでバッタリお会いした。
紅茶を飲みながら、なぜか彼女の亡き父親桧垣見一さんの話になった。見一さんは、終戦直前の7月24日に半分軍需工場でもあった神戸市内の当時の勤め先を空襲でやられ下半身が吹き飛んで即死。37歳で、この悲劇を大きくなってから母親に聞いたという。
「私はまだ二歳だったもの。何も覚えてなんかはいないわ」という和子さん。「でも、戦争はいやね。空襲が、もう少し後だったら終戦で父の大切な命も奪われることはなかったのに」と海の向こうに目をやった。今治は彼女の父親のふるさと。戦争許すまじ、だ。
昨晩、夕食でご一緒したのが近江八幡市から訪れた男女。この船旅で滋賀県からは、このカップルが初めて。大津はかつて3年在職した土地だけに琵琶湖やフナずし、女性知事の嘉田さん、福井原発の話などで盛り上がった。
平成二十四年五月二十八日
護衛船団に守られての安全航行が続く
昨夜はコンちゃんともども追いたてられるような“忙しさ”のなか、「権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ〈シンガポール・プーケット編〉」のアナウンス収録を終えた。あとは既にコンテとともに提稿済みであるビデオ編集を映像委キャップのアタルさんがどうこなすか、で完成が待たれる=次回〈シンガポール・プーケット編〉のアップは来月三、四日の予定=。
ソマリアが近づいているせいもあってか、けさは護衛艦をはじめとした船団がオーシャン・ドリーム号の前後に3、4隻張りついて運航していたばかりか(一時は7隻にまで増える)、上空も警戒ヘリが飛ぶなど厳戒態勢のなかの航行が続いている。
毎日がいろんなことに追い回され脱兎の如く過ぎていく。自業自得ともいえる。それでも今の私にとって、月日のたつのは遅すぎる。美雪たちが日本でどうしているのか、を思うとき、無性にこの船の呪縛から逃れて帰りたくなるのである。
日本にいたころ、朝「これが最期かも、な。地震が起きるかもしれないし、列車事故だって、俺が急死することだってありうる。ニンゲンなんて、いつどうなるものやら。デモおまえたちだけは元気でいろよな」と、そんなことを思って「行ってくる」と言ってわが家を出たものだ。たった1日だけの別れなのに、だ。それが今度は102日間もの長きに及ぶとは。気が遠くなる。
8階プロムナード壁に「中日3―0楽天 中日が貯金を最多の9に戻した。2回にブランコが2点本塁打。雄太が8回まで楽天打線を散発に抑えた。楽天は3連勝でストップ」(24日21時52分)「イラン核問題、溝埋まらず 6月にモスクワで協議継続」(25日10時26分)の日本のニュース。
【出会い】きのう夕食時に「埼玉の越谷から来ました。いつも1人参加で今度が3度目なの」とチョット上品な感じのする女性と同席した。私とは同年代とみた。話の弾みで彼女が「あなた、悪いことばかりしてきたのでしょう。それともいいことばかり?」と聞くので「いいことばかりですよ。少なくとも人を不幸にしたことはありません」と答えると「アタシもそうです」の弁。
「世の中、いいことばかりをしなければ、ね」と語ったその女性は「実はアタシの主人80歳なんです。心が広い主人で夫婦はそれぞれ互いに自由なのです。自由だから、こうして思いっきり羽を伸ばすことが出来るのですよね」と続けた。
平成二十四年五月二十七日
デッキの周りが目隠しされ、厳戒の中を進むオーシャン・ドリーム号
海賊が出没する海域を航行しているため、このところは夜のデッキへの外出が禁じられている。先日、最上階であった星空教室で南十字星を見た、あの夜の空と海が見たいのに。これでは籠の鳥だ。今は午前六時。時差は六時間まで広まり日本なら正午である。8階インターネットのアクセススペースで海を見ながら原稿を書いている。けさも波は穏やかだ。
昨夜の夕食はフォーマルデー。皆さん、ことにご夫妻で参加されている人たちの装いが華やぎ嬉しさが伝わってくる。私は半そでシャツに黒い背広を羽織って参加した。食事をしながら、イルカが数頭船と並んで走っていたとか、トビウオを見たとか。飛鳥に乗ったが一泊五万円した、とか。他愛もない話が延々と続き、席を外そうにもはずせない時が過ぎて行った。クジラが潮を噴いてジャンプするのを見た、と言おうとしたが止めた。部屋に戻ると、美雪からファックスが届いており「…希望舞台上演はスタンド花を手配しておきました。27日は神社そうじです。…」と現実に引き戻された。
きょうは、猫ちゃんについて語ろう。きのう8階プロムナードデッキ後方のバイーアでエジプト・ポートサイドなどシナイ半島の映像を見たが、なんと猫ちゃんたちがいるわ、いるわ。猫王国といって良いほど、町にあふれた姿には驚いた。それが、みんなかわいい。やはり愛を受けているからだ。なんでもムハンマド(マホメッド)が無類の猫好きだったことから、アラブ圏ではネコは「清潔なもののシンボル」として、崇められている。映像を見ると、観光客の傍らで食事をねだる姿がなんとも微笑ましい。
でも、こすも・こことシロちゃんは僻まないように。おまえと大垣に住むタンゴの3匹は俺たちにとって世界でイッチバーン大切な猫なのだから、な。そういえば以前、トルコのイスタンブールに行った時も猫は確かに多かった。厦門やシンガポール、プーケットでは犬ばかりが目立っていたのに、だ。
社交ダンスで日が明け、「緊迫するイラン情勢」「革命後のエジプト 訪れたのは春か、冬か」「カンボジア地雷問題検証ツアー報告会」のすべてを聴いた(合間に映像チームのミーティングも)。夜も「海の安全を守る・海上保安業務と海賊対策」「(インドの文化を楽しむ)インドナイト」なる講座に顔を出せたら出す。船内ではきょうも乗組員を対象とした万一に備えての避難訓練があり、なんだか訓練に次ぐ訓練だ。それだけ、我々乗客は安心してよいか、と思う。
それにしても、いやはや毎日、船上の大学に通っているみたいだ。新聞記者当時の悪い癖で現場百回魂で一応チェックしておかなければ、と思うからこういうことになる。あすからは、「熱砂」連載原稿の執筆とユーチューブ「伊神権太が行く世界紀行」以外は距離を取った生活にし(ダンスだけは別)、これまでとは全く違ったスタイルの短編連作と詩、俳句にも出来る範囲で挑まなければ…。
とはいえきょうの教室。「緊迫するイラン」ではペルシャ猫の国・イラン人のアラブ圏での誇りと、イランとイスラエルの戦争勃発が危惧されるなか、イスラエルではイランで生まれた「石の花」という恋歌が若者の間ですごくはやっており歌の女王・リタが毎日のようにうたっているといった話など、なかなかためにはなった。
また、カンボジアの地雷問題もどう向き合っていったらよいのか。若者たちが現地を歩いた詳細な報告が両足を失った人の体験談や現地小学生との交流などを映像を交えてまとめられ納得した。「もしあなたの大切な人が地雷や戦争の被害にあったら、どうされますか。私たちに出来ることはこうして伝え続けること、支援を続けることかと思います」の締めくくりには胸が詰まった。
【出会い】昨夜の夕食の席。70代ぐらいで私の隣に座られた一人で参加されている高貴な感じのご婦人が「私はネ。富士山を見たくて、静岡県下の一番美しく見えるスポットに永住するつもりでいたのよ。でも、富士山が爆発する危険が出てきたというので永住はあきらめ、今は千葉に住んでいるの。引っ越した直後に東日本大震災が起き、もう立ってはいられませんでした」と話されていた。秋田から来た男性の言葉は「もう落合さん(前中日ドラゴンズ監督)といえば、神さま仏さま。英雄で、みんな尊敬しています」だった。
平成二十四年五月二十六日
今は午後三時。先日プーケットで買った白いコットンのTシャツを着て、書いている。時差が五時間なので日本では八時である。
朝日に輝く大海原
順調な航海を続けるオーシャン・ドリーム号
「おはよう太極拳」に挑む人びと
オーシャン・ドリーム号はアラビア海を一路、西に進み、日に日にスエズ運河に近づきつつある。(運河通航は六月四日の予定)
けさも光に打たれ、波音に打たれ、かぜに吹きつけられて。9階デッキの椅子にただ一人座って流れる水面と空に浮かぶ海を見ていた。ただ黙って、である。
流れる波音に白い雲が並んで走ってくる。あるいて部屋に帰る途中、ひとり海を見つめる女に出会った。何か思いつめているようだが、そのままにしていれば、女そのものが海の色に染まって同化されていくだろう。そう思い黙って傍らを通り過ぎた。
ベーシック、ベーシック。(さあ、ひぃーらいて)ニューヨーク、ニューヨーク…。毎朝、ラテンとスタンダードのステップを踏んでいる。けさも音楽にあわせ、ルンバのステップに始まり、サルサのクロスボデーリードなるものに繰り返し挑んだ。
この調子なら、ラテンのルンバ、スタンダードのブルースクラスなら、なんとかなる。回転の呼吸もナントナク分かってきた。それよりもステップを踏む毎日に全身がダンスそのものと化し、なんだか人間そのものが改造されていくようでもある。
ダンスのあとは高橋和夫さんの「ビンラーディン(ビンラディン)殺害とアフガニスタン・パキスタン情勢」についての講演を聴く。ビンラディンと言えば、私も詳しいのでおさらいのつもりで聞かせていただいた。関心のおありの方がいたら、私の書いた小説「再生」(記者短編小説集「懺悔の滴」所収=半分はフィクション。アフガンのNGОで働く日本の女性と恋仲になったビンラディンが、ニューヨークの同時多発テロ発生後、謎の男に誘導されて日本各地を懺悔して歩くストーリー)がつい最近、日本ペンクラブの電子文藝館で公開されたので、ぜひ読んでいただきたい。
先日、ユーチューブで公開が始まった「権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ〈厦門(アモイ)編〉。大垣ケーブルテレビさんがホームページにステキなリンクバナーを張ってくださり、感激している。みなさん! ぜひ、ここからも入ってください。続く〈シンガポール・プーケット〉編」のビデオ収録分とナレーションの原稿(字幕含む)を、きょうまでにアタルさん(高木應)に提稿。相変わらず休む暇もなく、夜はバタンキューの船上生活の繰り返しだ。
【出会い】ピースボートの運航、管理に当たるジャパングレースの5階レセプションに愛知県岩倉市出身の女性が居て懐かしい気がした。チーフの関戸文さんで「母の旧姓がイカミと言い、伊神さんと同じ苗字です」という。そして信州は上田出身の女性も。彼女は池村麻里さんでいつも何かと心遣いをしてくれ、嬉しく思っている。関戸さんの存在を教えてくれたのも池村さんである。
レセプションで働く女性たちは2人に限らず、みなさんテキパキと仕事をこなしており、頼もしい子ばかりである。インドネシア人のメイシさんなど、これまで日本人女性とばかり思っていた。ここでは世界を担う女性ばかりが日々、乗客の応対に当たってくれている。