続・カトマンズの恋(6、7、8、9~)

 ホテルの屋上から見た全景、民家のあちこちで干された洗濯ものが揺れていた=カトマンズにて

 6.
 日本に比べたら豊富な水に乏しいこの国では、井戸を掘っていったん汲み上げ、それをリゾートホテルの各客室に給水しているのだろう。
 屋上ベランダ隅一角のあちこちには、何十トンも入りそうな巨大タンクがいくつも並んで備えられている。同時にカラフルな花々が屋上に特設された花壇の要所で花を咲かせている。陽一はカトマンズ盆地の一角、ヒマラヤ連山を見はるかすホテルの最上階、四階屋上レンガ造りのベランダ一角に立ち、ふと訳もなく思いに耽っていた。
 
「人間だれだって、世界中の人々が皆見えないところで苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて生きている。見えない神さまは、全ての人間に平等に〝幸せ〟を与えているのだ。だから不平不満を言うのではなく、いつだって現実の自分を肯定して前を向いて歩いていかなければ。
 苦しみのあとの達成感が大きいほど、笑顔も大きくなる。テマリだって。ラルだって。口にこそ出さないが、私と接している何げない空間の、その向こう側で人知れずどれほどの障害や苦しみ、悲しみが横たわり、勇気が必要だったことだろう。特に日本を離れたテマリの場合、電話の向こうで古里を思い何度も涙を流したに違いない。だが俺は、おそらく、そんな彼女の苦労を何一つ知らない…」。

 眼下には民家ベランダを何十メートルにもわたってスロープ状にまたいで干された洗濯物が、まるで万国旗が揺れるかの如く十字型に張り巡らされ、一帯を吹きわたる〝かぜ〟たちにより、ユラユラ、ヨロヨロとひらめいている。どこかほかのアジアの国で見たような光景である。 

 陽一は、こちらにきてからというもの、テマリやラル、スシルらからカトマンズについてのいろんな知識を教えてもらい、多くを学んだ。デコボコ道をただ一人黙々と歩きながら、ときにはバイクを運転して疾走するスシルの背中にしがみつきながら、世界の果てのどこに居ようが、普通の平凡な日々ほど大切なものはない、との思いも強くした。
 彼らの説明によれば、ネパールは地理上では亜熱帯地域に属するものの、70㍍の平地から8000㍍を超えるヒマラヤまで極端な標高差のなかにあり、このなかで実に百三十以上もの民族が七十以上の言語を話して混然一体となって住んでいるという。世界の最高峰である8848㍍のサガルマータ(ネパール語)、エベレストも聳えている。
 そしてネパール全土から言えば、北海道の二倍ほどの広さのなかに二千七百五十万人が生活しており、なかでも近年カトマンズの人口はホテルや民家などの建設ラッシュが進むに従い急速に増え、いまや日本の名古屋と同じくらいの人口規模で、やがては三百万人を超える勢いだという。
 当然、その分、撒き散らされる砂塵や土埃が多くなることは目に見えている。人々はそうしたなか、きょうも喧騒と轟音、雑踏のなか、からだを寄せ合うように生きているのである。実際、テマリが日本からの観光ガイドの仕事で初めてこの地を踏んだ十数年前、街を行き交うクルマは数えるほどだった。だが、ここにきて車の通行量は日常生活の足ともいえるバイクも含めて格段と増えてきた。

 陽一は街をあるきながら、隣国であるインド人の多くも信仰しているというヒンドゥー教について断片的ながら少しずつ知識を得ていった。これまで陽一が見聞きした話を総合すれば、ネパール全体では80%の人々がラルたちと同じこのヒンドゥー教を信仰しており、次いで仏教が10%、残りはイスラムやキリスト教などだという。
 さらにこの国では国民の階級がブラマン(お坊さん)チェトリ(王族)バイシャス(商人)ス―トラ(汚い仕事)の四つのカーストに分かれてはいるが、実際のところは六十四にまで細分化され、ネパールの場合、このカーストそのものが無秩序に、ごちゃまぜになっているのが現状なのだ、という。

 ところで、このヒンドゥー教であるが。 
 教徒でもあり、神々のこととなると、ことのほか詳しいガイドのスシルによれば、主な神は、宇宙の創造を司る神ブラフマー(ボンテン)と守る神ヴィシュヌ、そして宇宙の寿命が尽きたとき世界の破壊を司る神シヴァの三つの神からなるそうだ。これら三大神はそれぞれ神妃を持ち夫婦とも多様に化身するとされ、なかでもヴィシュヌ神は多数の分身を有し、〝化身〟は日常茶飯事。創造と破壊の神で首にトラの皮をまとったシヴァ神の化身こそ、マハーカーラと呼ばれる大黒天だという。

 話を聞くうち、ネパールの宗教にますます関心と興味を抱いた陽一はスシルの案内でガンジス川上流のバグマティ川河畔にある、ヒンドゥー教のシヴァ寺院が建つパシュパティナートを訪れてみることにした。

 訪れた日は前夜から降っていた雨も上がり、空全体に白い霞がかかり、街全体が洗われたような、そんな清浄な日だった。パシュパティナートには朝早くから多くの巡礼者が詰めかけ、親類縁者なのだろう、河畔のあちらこちらの沐浴場(ガート)では死者を悼む輪のなかで僧侶が何やら読経を唱え、水を使った儀式が行われていた。
 河畔をさらに上にまで歩むと、今度は河畔の石台に遺体が乗せられ死者を焼く黒々とした煙りが天に向かってどこまでも流れていく姿が一種異様ないきものとなって陽一に迫るのだった。聴けば、この国では死者が出た場合、河畔の火葬台でマキをくべて死者を焼く習わしが大半で、次いで土葬、水葬、鳥に遺体を食べさせる鳥葬の順で死者をあの世に送り出す、とのことだった。

 ヒンドゥー教の河川崇拝の場としても知られる、ここガンジス川上流の河畔。陽一は黒く、どこまでも果てなく立ち上ってゆく死者の霊と魂のような煙を傍目に巡礼者の一人として聖水とされる母なる川ガンジスの女神、ガンガーに向かって手を合わせた。そしてバグマティ川に向かって跪き深い祈りを捧げると、いつのまにそうなったのか。得体の知れない霊が自身の心身にまといつき、気が付くと自らが様々な化身に変化してゆく、そんな不思議な感覚にとらわれてゆくのだった。いつのころだったか。オレは確かにこの地に住んでいた…。
 目の前の川の流れを見ていると、そんな妄想が次々と陽一を襲ってきた。

 そういえば、何かの本でいつか目にして読んだことがある。パシュパティに建つシヴァ寺院のシヴァは破壊神だったのだ。一つのものがいくつもに変身し、化けてゆく。……。陽一はハタ、と立ち止まり「化身」とはほど遠い現実世界に想像を巡らせてみる。
 と、そのときだった。目の前に大きく浮かんだのが、日本にただ一人残してきた久恵である。久恵は、いまごろ日本でどうしているだろう。もしかしたら、久恵も化身させられ、痛みのただなかにいるのかも知れない。

 陽一のいない日本で魂が漂流していなければ、よいのだが。陽一は、遠く日本を離れ、あらためてテマリとラルの絆の深さに思いをはせた。 

 7.
 二千十三年九月二十九日の朝。町なかを楽しそうに飛び交う小鳥たちの囀り。これをかき消すように、テマリの高い声がヒマラヤ山麓の一室に響きわたった。
 
「タパイン、タパインってば!
 きのう陽一さんのお供をして私みたいにこの国でネパール人と結婚し生活している日本人女性、シャヒ・奈々恵さんにお会いし、いろいろお話を聴いたのだけれど…。彼女も夫の行く先々でいろんな問題を抱え、一つひとつ克服してきたからこそ今があるみたい。とっても幸せそうだったわ。私にとっては同志みたいな。そんな気がした」
 自宅レンガ造りの4階建てビル最上階お参り堂での朝の感謝のお務め、プジャを終えホッとしたところでテマリはラルとふたりだけの部屋に戻り、額にマリーゴールドの赤いハートの形をした花びらの染みをつけたまま、〝タパイン〟の四言に力を入れた。

 ラルが〝ティミ〟と応えて笑顔で近寄り、テマリを優しく片手に抱いて頬に口づけをした。
 いつもならラルと呼んでいるのに、きょうのテマリの心境は敢えて〝タパイン〟と呼んでみたかった。いや、叫んでみたかった。異国での孤独感がそうさせるのだろうか。ふたりはラルが日本語教師であることもあり、二人だけの時はいつも日本語で会話し、旅行ガイドなど仕事に関しては英語やネパール語を話す。でも、きょうの彼女は違った。
 この国では相手を「あなた」と呼ぶ場合、ハジュールとかタパイン、ティミと親しみを込めて呼ぶが、けさのテマリは敢えて丁寧語のハジュールではなく、ラルを〝タパイン〟と呼んでみたかったのだった。

「一体、何ごとですか。〝テマリさん〟」
 いつもはテマリと呼んでいるのに。何があったのだろう。ラルも状況を悟ってか、テマリさんと〝さん〟を強調し一瞬、威儀を正すような仕草でジェスチュアたっぷりに両手を広げておどけてみせた。 

 それによると、シャヒ奈々恵は千葉県我孫子市出身。テマリとは、ほぼ同じ年恰好だが、ここまでの道のりは、テマリと同じように山あり谷あり、それこそアラシや地吹雪のする猛吹雪のトンネルだって突き抜けてきたのだ、という。
 その日。陽一が宿泊するリゾートホテル近く、タメル広場一角にあるお洒落なカフェレストラン「ニューオリンズ」で、奈々恵はこの国にくるまでのいきさつについてポッ、ポッと一言ひと言、マッチ箱に火でも点けるように、語り始めた。奈々恵は、もうすっかり自分の習慣となったネパールの高級茶ブラックティーを飲みながら。陽一とテマリは、ヨーグルトの一種であるアップルラッシーとバナナラッシーをのみながらのひとときだった。
 奈々恵の口が思いのほか滑らかだったのは、同じ境遇で、ここカトマンズでがんばるテマリが目の前に座っていたからにほかならない。テマリだけには、これまで歩んだ苦難の道を聴いてほしかったのかもしれない。それは何度も何度も消え入りそうになった灯を、そのつど「負けるものか」と、自らの意志で吹き込んで点すといったような、そんな口調で進んだ。
 国境を超えた愛などと言えば聞こえはいい。
 でも、奈々恵にとって、それはもはや後には一歩も引き下がれない、土俵際で爪先立っているような、そんないばらの道でもあった。陽一とテマリはポッ、ポッと思い出しでもするように、見えない〝火〟を噴き出しながら話す彼女の口元に耳を傾けた。

 話はこうである。
―あたし、夫のマノジとは東京の青学短大に通っていた十八のころ、大学をまたいだテニス同好会に入ったのがきっかけで知り合いました。元々、学業に秀でていたマノジはネパール国家の奨学金を得ながら米国マサチューセッツの大学を卒業後、東大大学院で日本語を学んでいました。この世の彼を初めて知ったのはそのころでした。
 互いの趣味でもあるラケットを手に交遊をかわすうち、あたしは向学心に燃えたマノジに会うのが楽しく、そのひたむきさに次第に魅かれ、気がついた時には愛を誓う仲までになっていました。でも、それからが大変でした。……
 彼が米国に戻り金融関係の仕事についたところで私も後を追うようにして渡米し結婚。二人の子に恵まれましたが、夫の家庭の事情もあって急きょ、カトマンズに帰ることになりました。そんなわけで七年前からはとうとう王族でもあるマノジの家族の一人として、ここカトマンズで過ごすようになったのです。夫には弟二人、兄一人、妹三人がおり、米国時代には兄を除く全員を呼んでボストンで生活させ、学業までさせる離れ業までやってのけました。むろん、あたしもボストンでセクレタリィ―を養成するコミュニティカレッジで学び秘書資格を取得、現地のシティバンクに就職して無我夢中で懸命に働きました。
 
 そんなわけで私のカトマンズ生活も長くなりました。いまは中三の長女、中一の長女、そして夫と楽しい日々ですが、ここまでくるには人知れず苦労もしました。夫の家系が王族なので、それまで呼んでいたマノジを、こちらにきてからはある日突然のようにラジャ(キング)と呼び改めたばかりか、毎朝起きたら夫の母の足にチャンスをうかがって跪き、電気が点いたら明かりにまでも跪く、そればかりか王家らしく言葉遣いは絶えず、丁寧語をつかわなければならない。日常語として使っていたあいさつ〝ナマステ〟も王族なので、〝ダルスン〟と言わなければ……。それこそ、あたしにとっては、気が狂いそうな毎日でした。

 奈々恵は、ここまで一気に話し、しばらく遠くを見て黙りこんだ。

 あとは推して知るべし、だった。
 案の定、ネパールで始まった大家族との同居暮らしにどうしてもなじめず、耐えきれなくなった奈々恵は一年後、マノジだけを残して子連れでいったん日本の東京に逃亡。しばらくは米国時代の経験を生かし日本の外国為替の銀行で働きながら生計をたてるという日々が続いたという。
 そして彼女はいましみじみと、こう振り返ったのである。
「それでも、カトマンズから日本に逃亡して一年後に再び戻れ、こうして家族そろって今の幸せをかみしめておられるのは、夫のマノジがどんな時にも〝気がすむまで日本に居て、好きなようにしたらいい。ボクはいつだって、いつまでもナナエを待っているから〟と温かくあたしを包み込んでくれていたからこそ。今あるのはマノジのおかげです。こんなに好い人、どこにもいません。幸せって。人間と人間の心の結びつきだ、と思います。たったひと言が、どんなに辛かったことも吹き飛ばしてしまうのですね。主人は、五十に近いですが、エコノミスト兼大学講師として家族を大切にしてくれています」と。
 見ると奈々恵の目頭には熱いものがとめどなく、あふれていた。

 苦労を思い出したのか。目の前でしゃくりあげ涙ぐむ奈々恵。
 彼女が、ここ「ニューオリンズ」まで陽一とテマリに会いにきてくれたとき。奈々恵はヘルメット姿で四人乗りのスクーティーと呼ばれるバイクに乗り、デコボコの坂道をたくみに乗りこなして颯爽と目の前に現れた。カトマンズの普通の女性と何ら変わらない。聴けば、米国からカトマンズに来た当初は、このスクーティーに幼かったふたりの子を乗せ、買い物に飛び回ったものだという。免許はネパール国内のホンダの教習所で。資格取得の実地試験はポールの間を足をつかないで回れればOKという簡単なものだったが、何度も挑戦するうち、やっと取れました―と笑った。

 いま一番の楽しみは太極拳とヨガの修得です、そう屈託なく笑顔で語る奈々恵は、もうすっかりカトマンズの女になりきっていたのである。陽一にとっては、傍らで苦労をわがことのように聞くテマリの顔がまぶしく輝いて映った。

 そして。テマリと言えば。奈々恵の辛かった日々を自らのそれと重ね、彼女にとっては運命的な日となった、あの日のことに頭を巡らしていた。日本から姿を消すきっかけとなったあの忘れられない出来事を……

 8.
 その年の五月五日午前―

 ラルは、ただ一点を見つめて歩きに歩き続けていた。
 自宅を出て十分ほどは経ったろうか。ダルバール広場まであと少し、少しである。カトマンズの目抜き通りの両端に並ぶさまざまな店。視界を、色彩を放ちながら一つひとつが流れてゆく。プジャの祈りに、と道路端に店を構えカラフルな花々を売る女たち。果物店。野菜市場。夥しい陶磁器が並んだ店先。チュンデビ寺院。スーパーマーケット…。
 それだけではない。
 この地方ではヒマラヤ山麓に住む子羊のあごひげでつくられたという手触りのいい色とりどりの高級カシミヤのスカーフなどが並ぶ洋服店、本屋さん、ブラックティーで知られる高級茶店、ヒマラヤ・タブレジョン産ガーネットの首飾りなどが置かれた宝石店、カフェレストラン…。
 路上に氾濫した夥しいバイクはむろん、人を乗せた何台ものリクシャーともすれ違う。だが、いまのラルの目には何一つとして入らない。目ざすのは旧王宮広場の一角。頑丈な木彫りの門で閉ざされ、中に生きた少女が〝生き神〟として居る、クマリの館前である。

 これより先の前日。
 ラルは日本人観光客のツアーガイドに忙しいテマリの携帯電話に思い切って電話をしていた。「あなたの誕生日である明日、午前十時にクマリの館前であなたにお会いしたい、どうしても会って話をしたいことがあるのです」。いつも冗談めかして話す、ひょうきんなラルにしてはあらたまった物言いに、テマリは引きずられるように「えっ、ハイ」と答えていた。誕生日はいつだったか、何げない会話のなかから、テマリがホロリと漏らしたその日を覚えていたのだった。
  
 旧王宮広場に着いたラルには、ある決意と覚悟があった。
 広場に着き、今度は深呼吸でもするように広い敷地内をクマリの館に向かって一歩ずつ近づいていく。テマリは、やはり約束通り旧王宮広場の一角、クマリの館前にいた。その日は黄色いスカーフに赤いドレス、髪には彼女の好きなブルーのリボンがあしらわれていた。約束はいつもしっかり、守る。テマリのいい点である。正面、視線の先では木彫りの館が頑丈な扉を閉めたままで、その周辺では人びとが屯してモノ珍しそうに小窓のなかを覗くなどしていた。生き神に化身した少女は今ごろ、この館内のどこでどうしているのか。

 ラルがそっと後ろから近づき背中に両手を置き「テマリ!」と呼んだ。
 ふりむく前から「ラル、きたの」とこたえるテマリは「何か急な用事でもあったの」と続ける。ラルは、その受け答えを聞くや、その場に恭しく跪き、神なる右手を差しだし中腰となり、頭を垂れてこう言った。

「世界でただ一人しかいないボクのテマリよ。満三十歳、心からおめでとう。ボクはあなたをほしい。結婚したいのです」
 突然のプロポーズにテマリは顔を赤らめ戸惑いながらも「ええ、ありがとう」とだけ答えたものの、あまりに急で唐突なのでどう返事をしてよいものか、判断ができない。それでもテマリは、それ以上は何も聞かないで「ありがとう」と自身を確かめるように答えていた。
 その時だった。
 クマリの館周辺がパッと明るく煌めいたかと思うまもなく、窓の隙間が一瞬放たれ、光りを帯びた中から鼻から額にかけ赤い化粧が施された少女が顔を見せ「オ・メ・デ・ト・ウ」の言葉を投げかけた。思ってもいなかった祝福の声が投げかけられ、確かにその優しい声が聴こえてきたのである。

 このクマリの館。陽一がこちらに来てからテマリに最初に案内されたとき、異次元に住む少女の不思議な生活につき、あれやこれやと話を聴いた。それによると、このクマリはネパール国内で満月に生まれた初潮前の少女から選ばれる。現在のクマリ、すなわち生き神さまは二千八年十月七日に当時三歳で選ばれた少女で、毎年九月に行われる大祭ではネパール国王が、このクマリの館を訪れ跪いて祝福を受けられる、とのことだった。
 そればかりか、クマリに選ばれるには家柄がよく、顔立ちが美しく健康で優秀な知能の持ち主、またどこから見ても傷がない―などの条件を兼ね備えていなければならない。そして、生理を見ると〝神様は血に穢れがあってはいけない〟から、とお役御免になる…。
 その生き神さまが二人の頭上から「オ・メ・デ・ト・ウ」の五文字を浴びせられた、だなんて。テマリには、とても信じられない。

 それはそうと、テマリは自ら企画したヨガツアーの際、初めて訪れたカトマンズで知ったラルとの縁をこれまで大切にしてきた。そして、その後も日本人観光客をカトマンズに案内するつど決まってラルに案内を頼んだ。ラルはそのつど、誠実に対応してくれテマリのカトマンズでのガイド業も順調に伸びていった。
 気がつくと、そうした日数が増えるに従いテマリの心にラルに対するある種、亡き父に抱くような【慕情】とでもいったようなものが膨らんできていたことも事実のようだ。
 こうした感情はラルとて同じだった。ラルはラルで片言のネパール語を駆使しながら観光地の案内に飛び回るテマリの姿をまぶしく、かつ好ましく思い、自らも日本人観光客に対する現地案内にやりがいを感じていた。そしてテマリの活躍ぶりを間近に自ら日本語を学んできた事実につくづく「良かったな」と思うなどしていた。

 こうしてラルとテマリは日本からカトマンズへの旅行客が増え、両国の友好関係が深まるに従って少しずつガイドという共通の仕事を通して親密になっていったのである。そして海を離れたテマリを思う気持ちがいっそう大きく膨らんだのが何を隠そう。その年に日本で起きた東日本大震災だった。その大地震は二千十一年(平成二十三年)三月十一日に予告もなく起きた。
 ラルは多くの命が大津波にのまれ、原発事故で家族離散が相次いでいる日本の悲劇を、日本語を学んでいる関係もあり、カトマンズの日本人向けの衛星放送で聴いたが、なぜか、あのとき、日本にいるテマリのことばかりが思い出されて仕方なかったのである。
 地震が発生した場所こそ東日本の〝トウホク〟で、テマリのふるさと〝ナゴヤ〟とは違うが、その後も月日が過ぎ去るに従いラルはテマリのことをいつも思う自分に気がついていた。同時に自身の心のなかにいるテマリの存在をはっきりと感じとるようになっていったのである。クマリの館前でア・リ・ガ・ト・ウとだけ応えたテマリにラルは、こう切り出した。

「ボクは君にとっての生涯の〝ラブバードに〟なりたい。ネパール観光の代表でもある、あのチトワン国立公園にいる仲のいい鳥たちのように。いつだって君のそばにいたい。たとえ、テマリ。君がいなくなっても、ボクはいつだって永遠に君のそばにいる。この世に生まれてきたこと自体が君と暮らすためだったことに今ようやく、気がついた」
 ラルの弾んだ声を耳に、テマリはつがいの鳥のうち一羽が死んだあと、いつまでもその場を離れようとしないでいた、あのチトワンで見た鳥のことを思い出していた。
 それから。二人はクマリの館近くの小さなベンチに座り、これまで話したこともない互いの家庭環境などにつきポツリポツリと話し込んだのである。

 ラルが正義感のあまり、学生時代に殴り合いの大ゲンカをして前歯を折る瀕死の重傷に遭った過去を告白すれば、テマリはテマリで少女のころ両親を病で亡くし、それでも「負けまい」と語学に励んで旅行部門で働くようになったこと、そして最近では過労がたたって体調を崩し日本でしばらく療養していたが無事回復し、仕事を再開したことなどを話し合った。
 が、まさかラルの口から出た「君のラブバードになりたい」のひと言がきっかけとなり、その後テマリ自身が住みなれていた日本を去り、カトマンズで新天地を切り拓くことになるとは、ラルに初めて会った当初は思いもしていなかったのである。

 一年後。二人は晴れてカトマンズ市内のホテルで結婚式を挙げ、テマリはこの国の伝統にしたがってラル一家との同居暮らしを始めた。むろん、ラルにも言えない多くの壁が目の前に立ちはだかっていたが、テマリはそのつどこれら苦難を一つひとつ乗り越えてきたのである。
 相手を生涯思う ラブバードになりきる点では、テマリとてラルと同じ気持ちだった。 

 9.
 カトマンズはむろん、世界を舞台に活躍するラルとテマリのように。互いに〝ラブバード〟を誓い合うような、そんな優しさに満ちあふれた、あこがれの世界があるのに…。その傍らで人はなぜ、生きものたちに対してこんなにも酷い仕打ちをするのか。いや、しなければならないのだろう。
 陽一には、どうしてもそこが分からない。

 写真は、生け贄のあとも供養の線香が延々と絶えないダクシンカリ寺院と、晴れやかな衣装に身を包んで参拝したスシルさん。飾りものは、花々で満たされている


 ロープに引かれた、まだ幼気(いたいけ)な、こどもの水牛が何も分からないまま急峻な石段を一歩、一歩、飼い主に促されて歩いてゆく。水牛は何を思ってか、少し立ち止まっては歩くのを止め、澄んだ清らかな瞳で遠くを見る。空には真っ青な蒼が広がっている。
 思い返すように再び、また歩き始める。こうしたことが何度も何度も繰り返されるうち、水牛は自らの命を落とす屠殺場、地獄へと着いた。生け贄場と言えば聞こえはいいが、やはりそれまで一生懸命に「生」を歩いてきた生きものを殺すための殺戮のための非情な場にほかならない。

 ここはカトマンズから車で一時間半ほどのダクシンカリだ。ヒンドゥー教の〝怒りの女神〟カーリーとやら、が祭られた寺院で知られる。寺院には地元の人々がカーリーに捧げる水牛やヤギ、ニワトリ、アヒル、ココナッツなどを生け贄として家族そろって持ち込み終日、血染めの臭いが辺りの汚れた大気とともに一面に立ち上がり、近郷近在から訪れた引きも切らない大勢の人々で賑わう。
 陽一がテマリとスシルの案内で訪れたその日も渓谷の直下、谷底部分の河畔に建つ神社境内は生け贄を持ち込んだ人々の吐息で噎せ返り、夥しいほどの幾条もの線香の黒い煙と読経の声が空高く吸い込まれていた。

 この日。生け贄の屠殺場に着いた三人のうち、ヒンドゥー教徒であるスシルとテマリは素足となり、お飾り物を手に屠殺が順々と行われている境内への参拝を許されたが、陽一は異教徒ということで生垣のように囲まれた境内柵の外から次々と神前で生け贄にされてゆく無残極まる現場を目撃することとなった。
 やがて。つい先ほどまで陽一たちの目の前を、一緒に歩調を合わせるようにチョコチョコと歩いていた、あの水牛の子が飼い主に抱きかかえられて境内一角の屠殺場に姿を現した。陽一は恐ろしさに息をのんだが、今さらどうにもなりはしない。まもなく屠殺専門の職員が近寄り、首の部分を右手で抑えこみ、左の手にしたナタで首を二度、三度、四度…と切り裂く。みるみるその部分が血を吹きあげ、気がつくと首がポトリと路面に落ち残酷極まるシーンに陽一は思わず、目を伏せたのである。
 いったん伏せた目を今度はこわごわ上げる。路面に落ちた首と少し離れた場所でつい先ほど引き裂かれたばかりの水牛の体の部分の手や足や胴体部分が、突然の仕打ちに激しく抵抗しそれぞれが生きた証拠で「何か」を訴えるように最期の力をふり絞ってヒクつき波打たせて、しばらくすると何ごともなかったように動かなくなった。
 傍らでは飼い主たちが焚く線香の煙が、まるで懺悔のノロシでも上げるように、どこまでも立ち昇っている。

 まもなく、真っ赤な花びらや黄などカラフルに盛られたお盆を手に衣装を整え素足のお務めを終え境内から出てきたスシルが天に向かって、あきらめの表情で大きなため息をついた。
「ヨウイチさん。いきものを殺して貢いでカーリー(怒りの女神)を喜ばすだ、なんて。やはりボクは信じることが出来ません。人のやることではありませんよ。カーリーは、本当に喜んでいるのでしょうか」と納得できない、といった表情で疑問を投げかけた。
「結局のところは、カーリーではなく、僕たちニンゲンたちが肉を食べたいので神さまに捧げてから自分たちも食べる。そんな自己満足から始まったのではないでしょうか。神さまに捧げてから頂けば自分たちの原罪も許される、そういう理由づけから、この生け贄が始まったのでは。そういうことですよ」と自らに言い聞かせるように続けた。
 傍らではテマリも興奮冷めやらない様子で「気がすすまなかったせいもあり、こちらにきてから、これまで一度も見てはいなかったので。一度は見ておかなければ、と思っていたのですが…」と口を閉ざした。あとは沈黙のときが流れるだけ、みな人としての懺悔の気持ちを胸深くに抑えるほか、どうしようもないといった表情で頷き合った。

 そういえば、生きものを殺して生きているのは別にカトマンズの人たちだけではない。人類に共通する、世界中に生きる人間たちの原罪だ、といっていい。
「私たちだって、毎日魚であれ牛や豚、鳥の肉であれ、殺されたいきものを食べているのだから。ただ、殺される現場を、これまで見てはいなかっただけのこと。むごたらしさは見ていようが見ていなかろうが変わりはない。どこでも行われていることで、生きものの命を日々、いただいているのだ」
 陽一はふと、そんなことを思い自らを断罪するように目を閉じた。

 ホテルでの一室。一日の疲れを休め、陽一はただ一人、カトマンズにきてからの日々を振り返った。
 プロペラ機、ターボプロップのオリンピアに久しぶりに搭乗してのヒマラヤ遊覧では、あれほどまでに憧れていたヒマラヤ連山と、世界最高峰のエベレストをこの目で確かに目の前で見届ける幸運にも出くわした。
 ただ、生け贄になった生きものたちを目の前に見た今日の自分は、いつもの心境とは明らかに違い、いまはある日突然、命を取られた彼や彼女たちの永遠の安らぎを祈るほかない。あの現場を見てしまった今となっては、人間たちのラブバードの言葉もどこか空虚な響きとなって聴こえてくる。陽一はあらためて【ラブバード】と口ずさみ、ラルとテマリの永遠の幸せに思いをはせるのだった。

 そして自身にも【ラブバード…】と心の底から、言い聞かせてみた。
「そう言えば、オレたちだって久恵とは今も気持ちは変わらない。互いにこの世で一羽だけの〝ラブバードか〟」と。
 そう思うと、それまですっかり忘れていた日本のことがなぜか、無性に気になるのだった。
=帰国して初めて分かったことだが、生け贄を見たその日、久恵は庭の草引きをしているところを蜂や虫たちの軍団に急襲され、一時は右顔面が〝お岩さん〟のように、黒にえになる重傷を負っていた(幸い、一番大切な目の襲撃は避けられ、間一髪助けられ運が良かったとしかいいようがない)。陽一には殺される現場を見られた生け贄水牛の、陽一に対するせめてもの逆襲のような気がしてならない。
 世のなかには、こうした常識では考えられないような出来事が降ってわく。こんなことを思うのは陽一だけかもしれないのだが。 (続く)