連作短編小説「玉木さんと鈴木くん その2『再会』」

 昔、と言っても小学生の頃の話だ。私には好きな人がいた。初恋というのは特別で、高校生になった今でも宝物のように記憶の中で彼は輝いている。けれど、時々ノイズ混じりに彼女のことも思い出すのだ。かつて私の親友だった玉木梓は、いつも寂しそうな顔をしていた。

 ラブレターを書こうと言って梓を巻き込んだのは私だった。彼女が彼の家の隣に住んでいる幼馴染という立場が羨ましかった。だからあの日、私は梓に頼み事をしてしまったのだ。今でも私は、そのことを後悔している。
「おまじない?」
 私は友達の鏑木智子から聞いた単語を復唱してみる。
「そう。昔流行ったでしょう。恋のおまじない」
「そんなの信じる人だっけ」
 私は思いがけない言葉に、目を丸くする。そんなものが流行ったのは小学生や中学生ぐらいまでのことだと思っていた。まぁ、大人になっても信じている人がいなかったら週刊誌とかにミチコの占いとかいう胡散臭い占い師のコラムが載らないと思うんだけれども。私はそういうの信じていないという話だ。
「もう。信じるとか信じないの話じゃなくってね」
「じゃあ、何」
「やったことがあるかないかって話し」
 智子が言いながら机を右手で軽く叩く。この子は話すときに何故か手が動く。その仕草が可愛いんだけれども痛くないのかな。
「やったことはないよ」
 私は正直に答えた。幾つか聞いたことはあっても実践した覚えはない。
「うっそだー。本当?」
「本当。嘘は嫌いなの。そういう智子は何かやったことあるの」
「勿論あるよ。例えば消しゴムに好きな人の名前を書いたり」
「うわ、それやってる子いたー」
 言いながら私は頭を抱える。思い出していた。小学二年生の頃、授業中に消しゴムを拾ってあげたらケースの隙間から『とうま』と青いペンで書かれているのが見えてしまったことがある。気づいていないふりをしたけれど、あれ以来その子と「とうまくん」の関係が気になってしばらく目で追っていたのだ。恋が叶ったのかどうかはまったくわからないけれど、今度本人に聞いてみようかな。確か今は、隣のクラスにいるはずだから。
「運命の赤い糸なんかも信じちゃったりして」
「智子、純粋すぎ」
 私と智子はしばらくそのおまじない話しで盛り上がり、智子はチャイムが鳴ったので自分の席に戻っていった。
 お祭りの話が出たのはその日の放課後だった。毎年市外からも参加者が集まるほどの大きなお祭りで、私と智子は電車に乗って行くことにした。混雑するのはわかっていたので早めに帰る予定を組み、私たちは次の土曜日を楽しみにしていた。

 浴衣を着ている女性たちを尻目に私と智子は派手な洋服を着ている。智子に至ってはノースリーブに短パンという露出高めな格好であった。肩まで長い髪の毛を頭の上で括り、お団子にしてピンで留めている智子は化粧で大人っぽさを出しているが、子どもみたいにはしゃいでいた。出店が立ち並んでいるところは人も多い。私は智子を見失わないように必死だった。
「え? 何、聞こえない」
 智子が何かを話しかけてくるが周りの音楽や話し声にかき消されていた。智子は私の方を見ながら右手と左手を使って人の少ないスペースを指し示した。智子の誘導で脇道に入ると、やっと一息ついた。
「思った以上に人が多いね」
「潰されるかと思った」
 智子も私も人混みが苦手というわけではなかったが、予想外の混雑具合に音を上げていた。
 さてこれからどうしようという時だった。人混みを逃れてきたのか二人組の女子たちが私たち同様にこの脇道に入ってきた。
「ちょっと休憩しましょう」
「うん」
 一人はピンク色の浴衣を着ていて、もう一人はクリーム色のワンピースを着ていた。二人がこちらに気付いて視線を合わせる。
「あ」
 私はその見覚えのある顔に目を丸くした。向こうも気づいて私と同様に。いや、それ以上に驚いている様子だった。
「あず……」
 思わず名前を呼ぼうとして私は右手で口を覆った。呼んでいいものかどうか迷ってしまったのだ。
「彩芽」
 ワンピースを着た女の子が私の名前を呼んだ。懐かしい彼女の声。昔の思い出が蘇ってくる。かつて私の親友だった女の子。名前は玉木梓。
「久しぶりー。元気だった? 奇遇だねー。そっちの子は梓のお友だち?」
 私は早口で話しかける。梓とまともに会話するのは小学校四年生以来だった。ラブレター事件の後、五年生でクラスが離れたせいでそのまま仲直りもせずに一緒に遊ぶこともなくなった。
「本当。久しぶりね。この子は友だちの白井さん」
 紹介されて、白井さんとやらがこちらに一礼する。
「そっか。そうなんだ。へぇ。梓は変わらないね。顔を見てすぐにわかったよ。逆に私の事よくわかったね。昔と全然違うでしょ」
 私はそう言って自分の茶色に染めてパーマもかかっている髪の毛を自慢げに、見せつけるように手ですくう。
「彩芽も変わらないわね。確かに見た目は変わったけれど、雰囲気でわかったわ」
 そう言って梓は微笑む。気まずい空気が流れている気がした。浮気がバレた男ってこういう気持ちなのかなと、ばかなことを考えた。
「そうかな」
「うん。あ、私たちはもう行くわ。会えて嬉しかったわ」
 梓は腕時計を見てからそう言って、手を振る。話したいことは山ほどあったけれど、そうさせてはくれないらしい。
「私も、会えてよかったよ。楽しんできてね」
「ありがとう」
 梓は白井さんを連れて人混みに戻っていく。何だか寂しかった。私の知っている梓はもういないみたいに思えた。梓は今の私を見てどう思ったのだろう。急に不安になった。
「今の子。彩芽の友だち?」
「昔のね」
 智子に尋ねられて、私はすぐに答えた。
「今は違うの? そういうのあるよね。中学の頃に仲よかった子がお互い違う高校行って疎遠になるの」
 何かを悟ったように智子が言う。小学校の時の親友だと告げたくても言葉が出てこなかった。
「て、彩芽は何で泣いてるの」
 私の頬を涙が伝っていることに、智子は私より先に気づいた。何故なのか自分でもわからなかった。梓との再会は私の心を大きく揺さぶっていた。そこには後悔しかなかったからだ。
「え。あれ、何でだろう。変だな。悲しくなんかないのに」
 私はそう言いながら腕で涙を拭う。
「あの子となんかあったの」
 そう尋ねられて、私は智子になら話してもいいと思えた。それだけ私の中で智子は大きな存在で、大切な友だちになっていた。

 私たちはそのままお祭りから離れて、近くの公園のベンチに二人で座った。手には自販機で購入したりんごジュースの入ったペットボトルを持っている。智子はみかん味がいいといったので話を聞いてもらう代わりに私がお金を出した。明かりは電柱に設置してある蛍光灯一つで、辺りはほとんど暗かった。目の前にはブランコが二つ等間隔に並んでいる。少し遠くの方から祭り囃子が聞こえてきていた。
「梓は私の親友だった子なの」
「うん」
 私が話しだすと、智子は相槌を打ってくれる。
「小学一年のころからの友だちでね。昔は本当に仲が良かったの。でも四年生のときにある出来事があって気まずくなったの。一緒にいることもなくなって、クラスも離れちゃった。中学までは同じ学校だったんだけど、一度も同じクラスにならなかった。梓が市外の高校を受験したのも私と会いたくなかったからなのかな。なんて思ったりもした」
「何で気まずくなったの」
 智子がペットボトルに口をつける。
 私は続ける。
「私の初恋の相手がね。梓の幼馴染だったんだ。家が隣同士でさ。仲も良くて。正直に言うと妬いてたんだよ。子どもだからそれがまだ良くわかってなかったんだ。今思い出しても恥ずかしい」
「なるほど、初恋か」
 ジュースを一口飲み込んでから、智子がしみじみと呟く。
 いつもだったら智子の初恋はいつかと追求するところだが、今日の私にはそんな余裕はなかった。私もペットボトルのフタを開け、りんごジュースを一口飲む。気温も高いが過去を打ち明けるという気恥ずかしさから身体も熱く感じて、私は右手で顔を仰いだ。
「あの日も梓の家で遊んでいた。梓のお母さんの作るパンケーキがおいしかったな。それでふと思いついて、ラブレターを書こうって言ったの」
「ぷっ。ラブレター、書いたの? あんたが」
 智子が私の言葉を聞いて突然吹き出すように笑ったので困惑する。
「ちょっと、なんで笑うの」
「あはは。だって柄じゃないし。想像したら笑えてくる」
 確かに恋文など書くようなしとやかな性格でもないけれど、笑うことはないと思う。私は頬を膨らました。
「むぅ」
「あっはは。ごめん。で、それ渡せた?」
「渡したというか。――書いたの私じゃないんだよね」
「え」
 意表を突かれたのか、マヌケな顔をして智子が首を傾げた。
 そう、これはラブレター事件。(と私が勝手に名付けた)普通の話じゃないのだ。
「それって、どういうこと」
「梓にラブレターを代筆してもらったの。文章を考えたのは勿論私だけど、文字は梓が書いたものなの。差出人は書かずにポストに入れた。でもすぐにそれが梓の字だってわかったみたいで、翌日その男の子は梓に返事をしたの」
「なんて?」
 智子は眉をひそめて尋ねてくる。私の現状を考えるとあまりいい答えは思い浮かんでいないのだろう。
「この手紙は誰に書かされたんだ? って」
「え。それじゃあ」
「うん。字は梓のものだけど、これは梓の意思で書いたものじゃないって気付いたんだと思う。でもね。梓は本当のことは言わなかった。自分で書いたって言いはったみたいなの」
 私はわかっていたのだ。梓は絶対に本当のことを言わないこと。きっと嘘をついて私を守ろうとすること。だから私は嘘が嫌いだ。嘘つきも、嘘をつかせる自分も。
「男の子から返事の手紙を、これを書かせたやつに渡してくれって言われたんだって。なんて書いてあったと思う? ごめんなさい。こういうことする子を好きにはなれませんって」
 言いながら、私は顔を両手で覆う。思い出すだけで胸が苦しかった。本当にばかなことをしたんだと思い知らされたあの瞬間。すべてを見通されていたんじゃないかと錯覚した。
「彩芽。大丈夫?」
 智子が私のことを心配して顔を覗き込んでくる。
 私は頷いて、続きを話す。
「それでね、私は自分のしたことが恥ずかしくなって。つい言っちゃったの。梓は嘘つきだから、信じてもらえなかったんだよって。私だって本当はわかってたんだよ。梓のつく嘘はいつだって誰かのためだってこと。梓が一番傷つく言葉を、私は言っちゃったんだ」
 私は深く息を吸い、心を落ち着かせる。
「あとはさっき言ったとおり。今はもう友だちでもなんでもないんだと思う」
「それが悲しくて泣いた?」
 智子にそう尋ねられて、私は目を細める。
「どうなんだろう。自分でもよくわからない。ただひとつ言えることは、私があのときのことをずっと後悔しているってこと」
 私は目を閉じた。梓があの白井さんと一緒に歩いて笑っているところを想像してみる。もしかしたら白井さんじゃなく、そこに自分がいたかもしれないと思うと寂しかった。
「でも、元気そうでよかった」
 私は小さな声で呟いた。智子には聞こえていたのかいないのか、俯いている私の頭を軽くなでてくれた。私がもう一度泣いてしまわないかと心配してくれたのだと思う。
「彩芽に一つ、おまじないを教えてあげる」
「こんなときに何?」
 智子の唐突な言葉に、私は首を傾げる。
「友だちと仲直りのおまじない。手を出して」
 智子がそう言いながら、私の左手を掴む。手のひらに智子の人差し指が円を描いた。くすぐったくて手を離そうとするけれど、智子の手が離してくれなかった。
「彩芽が梓ちゃんと仲直りできますように」
 智子の祈りに似たその言葉に、私は目を丸くした。このおまじないに似たものを知っている。
「智子、このおまじないって」
「あ。知ってた? 本当は自分で唱えるんだけど、人にやってもらったほうが効力あるかなって思ってさ」
「それってさ。この後私の手を舐めるつもり?」
「え。舐めるんだっけ」
 驚いたようにそう答えられて、私は智子がこのおまじないをうろ覚えなのだと理解した。私の記憶が正しければ、手のひらに丸を書いて「仲直りできますように」と唱えてからその手を舐めるというおまじないなのだけれど。
 智子の思わぬボケに私は思わず笑ってしまった。
「あはは。なにそれ。しっかりしてよ」
「ご、ごめん。人に舐められるとか最悪だよね。今の聞かなかったことにして」
 智子が慌てた様子で言う。
 私は目に涙が滲むくらいに笑い転げてから、「いや、最高だよ。智子。ありがとう」と礼を言った。智子は顔を赤らめて「何が最高なの。もう」と言って頬を膨らませていた。
 智子に話を聞いてもらったからか、私は清々しい気持ちになっていた。
「よし決めた。明日、梓に会いに行く。せっかくおまじない掛けてもらったしね」
 私はそう言って立ち上がる。
「おまじないのことは忘れてー」
「それはダメ」
 必死になる智子に向かって、私は首を振ってから悪戯に笑ってみせた。明日もこうして笑っていられるといいなと思った。

 翌日、午後三時。私は宣言通りに玉木梓の家に向かった。家を出る直前、智子にメールを送ったら笑顔の絵文字付きで「ガンバレ」と返信がきた。私はそれだけで勇気がわいた。智子がおまじないをかけてくれた左手を右手で包む。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
 玉木家への道順は身体が覚えていたのか、何も考えずとも迷わずに歩けた。途中の薬局のカエルみたいな緑色のマスコットは子どものころより色が薄くなっていたけれど、凄く懐かしく思えた。たった五分の道のりが長く感じる。あの頃空き地だった場所にはコンビニができていた。玉木家が見えて、そのお隣の家も目に入った。かつてラブレターを投函した白い郵便受けは健在だった。
 私は緊張していた。二つの家を挟んで、道路の真ん中に突っ立っていた。一度深呼吸をしてから玉木家のインターホンに近づく。小学生の頃は背伸びをしないと押せなかったボタンが、今は目線のすぐ先にある。私は心臓が高鳴るのを必死で抑えながら右手の人差し指でボタンを触る。その時だった。
「じゃあ、また後で」
 という言葉とともに、玄関の扉が開いた。門の柵越しに見えた顔に、私は毒気を抜かれる。
 茶髪で、耳にピアスをつけた同年代ぐらいの少年が立っていた。梓の親戚か何かだろうかと考えた。
「あれ。お客か」
 少年と目が合ってしまい、私は反射的に頭を下げる。
「あの。梓さんいますか。佐伯って言えばわかると思うんですけど」
 と私が言うと、少年は私の顔をまじまじと見つめてくる。
「佐伯」
 名前を復唱されて私が困惑した顔をすると、何かを思い出したように「ああ」と言った。
「佐伯彩芽か。一瞬、わからなかった。なるほど」
「何で、下の名前を」
 少年の言葉に、私は不審に思う。
「何でって。彩芽ちゃんだろ。小学生のとき一緒のクラスだった。もしかして俺のこと覚えてない? 鈴木ヒロ」
 そう言って、すっかり声変わりをしている鈴木くんは微かに笑った。
 初恋の人を、覚えていないわけがなかった。その顔。よく見ると確かに鈴木くんだった。私は二つの理由で愕然としていた。一つは、鈴木くんの風貌が違いすぎて誰だかわからなかったこと。顔も大人びていたし、声だってあのころよりうんと低い。茶髪にピアスで、ズボンだって腰で履いている。まるでクラスで悪ぶっている不良と同じだった。
 もう一つは、鈴木くんが玉木家から出てきたこと。それはつまり高校生になった今でも梓の家と交友があるということ。まさか付き合っているなんてことはないだろうか。いや、それならお祭りに女友だちと一緒には来ないだろう。
「ごめん。梓の親戚の人かと思っちゃった。恥ずかしい」
私はそう言って頭をかく。
「まぁ、仕方ないだろ。久しぶりだし。梓に用があるなら家にあがれよ。今呼ぶからさ」
 鈴木くんはそう言ってから、家の中にいる梓に声をかける。しばらくして物音と共に梓が顔を出した。
「どうしたの。彩芽」
 梓は驚いた顔をしていた。
 私は左手に力を入れる。鈴木くんとの再会は予想外だったけれど、ちょうどいい機会なのかもしれないと思った。あの時の真実を今ここで鈴木くんにも知ってほしい。
「話したいことがあるの。よかったら鈴木くんも。あ、用事があるなら無理にとは言わないから」
「俺もか? んー。急ぎでもないし、別に構わないけど。とりあえず中で話そう。暑くて敵わん」
「そうだね。お土産もあるしおじゃましようかな」
 私は持っていた手土産のバウムクーヘンの袋を目線まで上げた。今朝、駅前の店で買ったものだった。

 七年ぶりの玉木家は多少家具の配置が違うものの、あまり変わりがなく懐かしい気分にさせられた。梓の母親とも久しぶりに挨拶を変わし、思い出話しに花が咲いた。
「で、話したいことって何かしら」
 飲み物とバウムクーヘンが目の前に出された後、すぐにそう切り出したのは梓だった。梓の母親は気を使ったのか何なのか卒業アルバムを探してくるとかで客間を出て行った。部屋に残されたのは私と梓と鈴木くんの三人だった。
 私は緊張のあまり、自分の左手を右手で握りしめていた。おまじないが効いてくれるように願うことしか今はできない。しばらく逡巡したが、つばを飲み込んでから私は尋ねた。
「ラブレターのこと、覚えている?」
 言葉を発してからの沈黙がこんなに長いと感じたのは初めてだった。
鈴木くんは首をひねって考え込んでいる様子だったが、梓は静かに目の前にあるアイスティーをストローで一口飲み、答えた。
「覚えていないわ」
 私は拍子抜けしてしまった。七年間、ずっと後悔と共に生きてきた私は、もしかしたら梓も私と同じようにラブレターのことを引きずっているかもしれないと淡い期待をしていた。そんな自分が否定された様な気がする。
「本当に、忘れたの。小学四年生のときよ。鈴木くん宛のラブレターよ。書かせたじゃない。私が。梓に」
 私は言いながら、思わず机を両手で叩いていた。アイスティーの水面が振動で波紋を描いた。
 梓はストローでアイスティーを一周かき混ぜる。氷のぶつかる音が部屋に響く。
「そんなことあったかしら。よく覚えていないわ」
「なら、私たちがどうして遊ばなくなったか覚えている?」
「それは、彩芽が遊ぼうって言いに来なくなったからだわ」
 梓の言葉に、私は衝撃を受ける。そして思い出したのだ。梓は昔から受け身で、自分から動いて友だちを増やそうとする子ではなかった。根は真面目で、私が誘ったら絶対に断らない子だった。何で忘れていたのだろう。気まずかったから遊ばなくなった? それは私の方だけだ。梓は、そんなことはまったく気にしていなかったのだ。
「そう。よくわかった。梓にはその程度の思い出だったってことね」
 呟くように、私はそう吐き捨てた。
 梓のことだ、嘘の可能性はある。けれどそんなことより思い出そうとする素振りも見せない梓に対して私は幻滅したのだ。
「あのさぁ。ラブレターってもしかして昔、梓が自分で書いたって言って俺にくれたやつ? やっぱりあれ、彩芽ちゃんが書かせたのか」
 不意に鈴木くんがそう言ったので、私は顔を赤らめる。
「やっぱりって。鈴木くん誰が犯人かわかっていたのね」
 覚悟したうえで真実を言ったのだが、やはり恥ずかしい。
 鈴木くんはあっさりと頷いた。
「ああ。何となくそうなのかなって思っていた気がする。梓は言わなかったけれど、よく考えたらあの頃って梓の周りにいて、そんなこと頼むやつなんて佐伯ぐらいだもんな」
 確かにそうだ。あの頃私は梓のたった一人の友だちで、親友だった。気づいていないなどどうして思っていたのだろう。私は赤くなった顔を隠すように両手で覆う。
「あの時は、本当にごめんなさい」
 ちゃんと目を見て謝ろうと思っていたのだが、それはできなかった。指の隙間から視線を合わせられずにバウムクーヘンを見つめた。
「俺は気にしないし、大丈夫だよ。梓なんか忘れているぐらいだしな」
 鈴木くんがそう言ったので、私はゆっくりと顔を覆っていた手を離す。見ると、鈴木くんは私に向かって微笑んでいた。思えば鈴木くんはいつも優しかった。あの頃から変わっていない。私はそういう鈴木くんだから好きになった。見た目は変わってしまっても、性格は変わっていないのだと感じられた。今はもう鈴木くんへの気持ちはないけれど、だからこそ綺麗な記憶のまま心に閉まっておきたい。
「昔のことをいつまでも引きずっていたら前に進めないもの。さっさと忘れたわ。そんなもの。もし覚えていたのならきっと、『次は自分で書きなさい』って文句の一つでも言うでしょうけれど」
 梓が言う。
「お前。本当は覚えてんじゃないのか」
「さぁ。何のことかわからないわ」
 鈴木くんの問いに、梓は首を傾げてとぼけた。
 真意はわからないけれど、私も鈴木くんと同様に梓がまた本当のことを言わなかったのだと思った。私は自分の左手を改めて見つめる。智子のおまじないは、どうやら効いてくれそうだ。
「梓。鈴木くん」
 私はちゃんと顔を見て、二人の名を呼んだ。視線がほぼ同時に向けられる。
「昔みたいに、また仲良くできるかな」
 言うと梓と鈴木くんは顔を見合わせてから頷いた。私は思わず泣いて、そして嬉しくて笑った。帰ったら智子に連絡しよう。泣き虫だって笑われるかもしれないけれど、きっと一緒に喜んでくれる。(つづく)