いがみの権太の笛猫茶番日常の劇12月2日

平成二十二年十二月一日
 帰宅後ちらりと見たテレビニュースによると、ことしの流行語大賞の年間大賞はNHKの連続テレビドラマに出てくる水木しげるさんの妻「ゲゲゲの~」(原作「ゲゲゲの女房」、著者は水木さんの妻・武良布枝さん)なんだそうである(夕刊には、まだ載ってはいない)。ほかに「AKB41」「イクメン」「女子会」「ととのいました」「無縁社会」お台場なう、といった「~なう」表現…などなどだってよ。

 でも、お父さんは合点してない。いや、不満である。
 だって、ドラゴンズ優勝の牽引者の一人ともなった小田捕手の名言「やりましたあ~」が、なぜ選ばれていないのか。まことに納得いかないのである。
 あすの新聞をチェックすれば分かることだが、オトンの身びいきの表れでもある小田選手の「やりましたあ~」が選外だなんて、ことしの流行語大賞は、どこかおかしい。その選考筋との癒着の臭いさえ感じられるのである。この流行語大賞、どういう過程で、どう選ばれているのか。民主的な投票順で決められていれば、それは仕方のないことではあるのだが。

 それとも、やっぱりセ・リーグ優勝だけでは、物足りなくて真の意味で「やりましたあ~」には、当たらないのか。それならそれで、これ以上の文句は言えないかもしれない。

 ニュースといえば、25万通もの機密文書を流出させたウィキリークス創設者、ジュリアン・アサンジ代表の言動「我々は多くの人たち、いわゆる彼らの(知る)権利を守る必要がある」が、このところセカイジュウのマスコミ各社の関心事になっているようです。
 アサンジ代表はハッカー出身で神出鬼没ですが、とうとうICPO(国際刑事警察機構)から、国際手配されてしまいました。現にクリントン米国務長官は「セカイジュウの人たちが喜ぶはずがありません」の談話を発表しているが、それにしても世界各国の機密確保が、いかにいい加減のものか、を露呈したといっていい。
 日本政府は「コメントしない」(仙石官房長官)との態度だが、こんご飛び出すものによっては、コメントせざるをえなくなるのでは。いずれにせよ、突然現れ出た世界を煙に巻くアサンジ代表の動向が注目されるーとは、オトンの言で~す。

 それはそうと、五木博之さん・作、山口晃さん・画の朝刊連載小説「親鸞 激動編」が来年一月一日から、いよいよ始まります。二〇〇八年九月から一年間、中日新聞朝刊に連載された「親鸞」の続編で、流罪となった越後から関東へと、舞台は移ります。作者の言葉「歴史でもなく、研究でもない。一日一会(いちにちいちえ)の物語りを書くつもりだ。」(1日付、中日本紙)がいい。皆さん、ぜひ読んでくださいね。

☆トヨタ自動車と中国の自動車大手・中国第一汽船公司(一汽)が、中国でのハイブリッド車(HV)開発の提携交渉を進めていることが分かった。
 「師走 街中きらきら」「笠松競馬 当面は存続」
 「名古屋おもてなし武将隊」が来年二月二十五日からテレピアホールで上演される夜公演で、本格的な芝居に初挑戦する。(いずれも中日新聞1日付、朝刊から)
☆「NASA、宇宙人発見?」「会見予告に高い関心」(同1日付、夕刊)

平成二十二年十一月三十日
 きょうはねえ、アタイとシロちゃん、静岡から帰ったMからウナギのかば焼きをいただいて食べました。ウナギなんて初めてでしたけど、おいしかった。なんでもMが「浜松ゆうゆうの里」まで見学に行ってきたので、そのお土産にオトン、おニイと同じようにアタイたちにもかば焼きを買ってきてくれたみたい。なんだか、その気持ちがとってもうれしかった。

 それはそうと、きょうのオトン、Mと誰かさんにあることでたしなめられ、ガックリきたみたい。でも、そこは、ニッポン男児なのだから。オトンはオトンなりの情熱のあらわれでアタイなら許しちゃうのにナ。でも「いい勉強になった。熱心に道理を説いてくる女性には勝てない。おまえたちの言うとおりだ」だってサ。

 それも自分が信頼している女性となると、そこはもう脱帽しかないかも、ね。オトンったら。毎日毎日、往復ビンタを食らわせられているようなものだ。てな、こと言っちゃってサ。おそらく読者の皆さんには、これだけの説明では“いがみの権太さま”が一体、何を言おうとしているのか。チンプンカンで、皆目検討もつかないに違わない。
 言うべき時がきたら、きっと言うからだってよ。

 世の中、これだから面白い。
 きょうは、いっそ、ここらで傷心のオトンとともにバタンキューと寝てしまおうか。

☆「雪崩、6人襲われる 立山・1人死亡2人意識不明」
 「ウィキリークス 暴露続々」「総書記死後3年で崩壊」「韓国が北情報披露」「国連総長へのスパイ指示か 米国務省がDNA情報など」「米韓演習が本格化」「北の侵攻想定、実弾射撃も」「内村航平選手に中日体育賞 第25回」(中日新聞11月30日付、夕刊と朝刊より)
 愛知県豊明市の曹源寺で二十九日、無病息災を願って風呂吹き大根を振る舞う恒例行事「豊明の大根炊き」があった。

平成二十二年十一月二十九日

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 人は、いや、アタイたち猫ちゃんも一体全体、何を見ながら生きているのか。
 アタイもシロも、オトンからこんなに難しいテーマを与えられようとは、だ。まったく思いもかけなかった。でも、何かをみて、きょうも生きている。もしかしたら、アタイもシロも、Mとオトン、おニイをだけ、見て居るのか知れない。それだけアタイたちとニンゲン世界は親密なのかもしれない。

 アタイはたった今、オトンが座る掘り炬燵の足元でア~ニャン…と、ひと声あげてしまった。これとて、オトン、すなわちニンゲンをたぶんに意識した所業なのである。

 それはそうと、いやはや、この日記帳にオトンが毎日、自ら追い付いていくようにアタイたちの身になって書いていくのは全く大変なことだと思う。
 お父さんの眠そうな顔を見ていると、時にそんな気がしてならない。
 デ、きょうは、この笛猫日記の筆をここらで置いて、たまには少しでも寝てもらわなければ、と思う。オトンの性分から言うと、続けると決めたことは実行する人、自分に極めて厳しいので、なかなかそんなわけにもいかないだろうが…。

 それはそうと、きょうもいろいろありました。
 数々の新聞報道のなかでも、きのうあった沖縄県知事選で現職・仲井真弘田氏(七十一歳)=公明、みんな推薦=のトップ当選、というニュースが一番大きいかもしれません。でも、他のどんなちいさなニュースでも、関係するその人や家族にとっては、その事件が一番重要なのです。アタイにとっては、アタイとシロちゃんの食事をいただいて、オトンにたまには、この欄を休んでもらうことが最大なのです。

 きょうは、本当にお疲れさまーもう、寝なければ。

☆「韓国大統領 北挑発に『応分の対価』 国民向け談話・強硬姿勢示す」「大台の紀勢道 トンネル火災3人死亡」「3台事故、4人が重軽傷」「ウィキリークス 『南北統一後 米韓が協議』 内部崩壊を想定」(中日新聞29日付夕刊)「ウィキリークス 米公電25万通暴露 サウジ国王・イラン攻撃要請 米韓・北朝鮮崩壊シナリオ」(毎日29日付夕刊)

平成二十二年十一月二十八日
 三重県亀山市でマイクロバスとトレーラーが出合い頭に衝突、フィリピン人六人が死亡し、二十一人が重軽傷を負ったかと思うと、山口県下関市では火災民家近くの側溝で首を絞められた六歳の女児が発見された。ほかにも東京の私立高校で2年女子が校舎からの転落死…と
この世の中、次から次へといろんな不幸が発生している。

 そんな中で、オトンがきょう一番嬉しく思ったのは、幕内西9枚目の豊ノ島(時津風部屋、高知出身)の活躍ぶりである。きょう千秋楽も稀勢の里に勝ち、14勝1敗で横綱白鵬との優勝決定戦にまで持ち込んだが、最後は送り投げで白鵬の前に散った。この豊ノ島。身長は1メートル69と小兵ながら「押し出し」に磨きをかける二十七歳のお相撲さんだ。今後の出世に期待したい。

☆大相撲九州場所で白鵬が五連覇、十七度目の優勝を達成した。ご当地相撲の大関魁皇もよく頑張って12勝3敗と頑張った。

 日本「金」48個どまり アジア大会閉幕、首相「支持率1パーセントでも辞めぬ」(いずれも中日新聞28日付)北朝鮮砲撃 韓国「突発行動に厳戒」、きょぅから米韓演習(28日付、毎日28日付け)

平成二十二年十一月二十七日

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

平成二十二年十一月二十八日

 三重県亀山市でマイクロバスとトレーラーが衝突、5人が死亡し、22人が重軽傷を負ったかと思うと、ほかにも幼児殺し、東京の私立高校での2年女子の校舎からの転落死……と、この世の中、次から次へといろんな不幸が発生している。

 そんな中で、オトンがきょう一番嬉しく思ったのは、幕内西9枚目の豊ノ島(時津風部屋、高知出身)の活躍ぶりである。きょう千秋楽も勝ち、14勝1敗で横綱白鵬との優勝決定戦にまで持ち込んだが、最後は白鵬の前に散った。そのうえ、この豊ノ島。身長は1メートル69と小兵ながら「押し出し」に磨きをかける二十七歳のお相撲さんだ。今後の出世に期待したい。

☆日本「金」48個どまり アジア大会閉幕、首相「支持率1パーセントでも辞めぬ」(いずれも中日新聞28日付)北朝鮮砲撃 韓国「突発行動に厳戒」、きょう
から米韓演習(28日付、毎日28日付け)

 きょうは2010年ドラゴンズファン感謝デーが三万六千人の観客が見守るなか、ナゴヤドームのグラウンドで行われました。
 デ、お父さんは午前五時半過ぎには家を出て、ナゴヤドームへ。それでも集合時間ぎりぎりの七時に着き、帰宅したのは午後九時ごろでした。ナゴヤドームでのファン感謝デーの取材が終わるや、オトンは新聞社へ。ここで会報中スポ版11月号の記事「ボランティア二題」を書き上げ出稿したうえで、帰宅したのです。

 仕事とは別に、昨夜はMが、気持ちが悪いの、と寝込んでしまったのでオトンは一人で食事を寂しく取りました。とはいっても、Mが既に用意しておいてくれたソバに、これもMがつくっておいてくれたソバ湯を温めて、そこにソバを入れるだけのこと。Mは、どんなに体の調子が悪くてもオトンやおニイ(兄さん)の夕食の準備だけは、しておいてくれたのです。朝は午前四時半すぎには起き、Mのからだを気遣いつつ布団を抜け出し、ドームに駆けつけたのでした。

 社に戻ってからは原稿を執筆し、写真も中スあてに送った(報道システムスタッフの助けを借りた)ところでMに電話。「心配しないで。大丈夫だから」とのことだったので、やっとホッとしたのだってサ。

 感謝デーのアトラクションの方は、選手とのキャッチボールや大縄跳び、ドッジボール、握手会、記念撮影、ベースランニング…などに楽しいひとときを過ごした会員たち五百人の誰もが皆、大喜び。ことしから初めての試みとして、七十人の公式ファンクラブボランティアが参加者の整理、誘導、案内、そして最後に後片付けに、と全員フル回転で励んだそうです。
 なかでも、選手とファンを一緒に写す記念撮影コーナーでは、公式ファンクラブスタッフもボランティアの人たちと一緒に一役。1日だけで三千枚以上もの撮影に黙々と挑み、アトラクション参加者組から喜ばれました。この日はマスコットの「ガブリ」も、グラウンドに下り、記念会場を中心にあちらこちらで愛嬌をふるまいましたが、こうした形でのガブリ見参は、初めてのことです。

 既に(28日の)午前1時を過ぎました。このところは、あまり睡眠が取れていないので今日はここらで、おまえたちと一緒に早く寝たいのだってよ。それでは、お休みなさい。お父さん!

☆「北朝鮮と対話しないから砲撃起きた」と、中国いら立ち米政策に苦言、と毎日新聞27日付夕刊。「流出テロ情報を出版 第三書館・氏名、顔、住所隠さず」(27日付、中日夕刊)

平成二十二年十一月二十六日
 ノロウィルスの感染拡大に始まり、北朝鮮から韓国への突然の砲撃その後、そして仙石由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の門責決議案の参院本会議での可決―
 きょうのテレビニュースは目まぐるしいとはいえ、この三点に絞られる。日本列島では、免疫のない子どもたちを中心にノロウィルスの感染が広がり、学校なども手洗いの励行呼びかけに躍起かと思えば、あさってからの黄海上での米韓合同演習を前に北朝鮮が神経をピリピリさせている。

 もうひとつ、歌舞伎の市川海老蔵が自らの不始末で、なんでも深夜未明のけんかで頬の骨にヒビが入り、前歯が欠けてしまったという。今月末から年末恒例の顔見世が予定されていただけに、なんとも罰の悪い、お粗末な話しである。

 一方で、自ら主導した名古屋市議会解散請求(リコール)の署名が必要数を下回り、不成立の見通しとなったことを受け、河村たかし市長は任期途中の来月下旬に「責任を取って辞職する」と表明した。なんだか、こちらの方も世の中の規律があちらでも、こちらでも破られ、乱れきっている感じがする。
 ――と、オトンは言いました。

☆北朝鮮の「準備」韓国知っていた」「情報生かせず 別の基地反撃」(中日新聞26日付け、夕刊から)
 大相撲九州場所で大関魁皇と横綱白鵬が、共に十一勝一敗同士、がっぷり四つになっての試合を展開したが、最後は白鵬の勝ち。

平成二十二年十一月二十五日
 「喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきます」
 まさに、欠礼に拍車がかかる、とはこのことか。
 このところは、連日、わが家に「新年のご挨拶はご遠慮申し上げます、失礼させていただきます」といったはがきが相次いで届いている。

 ただ、そうした中でも救われるのは「さる五月二日 九十四歳にて永眠いたしました」「母が九十八歳で永眠いたしました。母に賜りましたご厚情に深謝いたします」「義母が三月十日に九十歳で永眠いたしました。みなさまに良い年が訪れますようお祈りいたします」「ことし七月に母が九十四歳で永眠致しました ここに平素のご厚情を深謝申し上げます」と半数以上が九十歳以上の「死」だ、ということです。
 ニンゲンたちの寿命がいかに、延びてきたか、が分かります。かといって、死は死です。若かろうが、高齢であろうが、この世に生を受け、命がけで生き抜いてこられた人生には、ただただ頭が下がるばかりです。

 それだけに、「妻は七月十三日 六十七歳で未知の世界を旅することになりました」といった文面には泣かされました。「六十七歳」という若さで妻に先立たれた、石川県金沢市に住む、その知人には言葉さえ、ありません。どんなに辛く悲しかったことか。オトンはただ、黙ってそっとしておいてあげるほか、方法は見当たらないのです。

☆あすは1935年のこの日に日本ペンクラブが発足し、初代会長に島崎藤村が選ばれた。一方で四十年前の十一月二十五日の昼、作家三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹死した。
 三重県の野呂昭彦知事(六十四歳)が二十五日の県議会本会議で、任期満了(十一年四月二十日)に伴う来春の知事選には立候補しない旨、表明した。
市川海老蔵さん 頭にけが、搬送「酒飲みトラブル」(中日25日付、夕刊)

平成二十二年十一月二十四日

 お父さんの一日―きょうは、日中の仕事も含めて比較的平々凡々の一日か、と思われた。が、そこはどっこい。夜に入り、ナゴヤ球場近くの飲食店「岬」さんで、講談師一龍斎貞花さんの講談を聞くこととなった。たまたま、けさの中日新聞尾張版では「小牧山城と武将一龍斎さん講談」の記事が貞花さんの写真入りで掲載されていたが、「岬」の方の講談は、忠臣蔵に関するもので、なかなか味わい深く思ったのである。

 それはそうと、貞花さんは愛知県江南市出身で本名は“朱宮さん”だ、とか。つい二、三日前にもMと食事をしながら「この町は、誰かサン? を除いたら、ちょっとした有名人は皆無じゃないかしら」と話し合っていただけに、貞花さんの存在は少しばかり誇らしく思ったことも事実だ。
 事実、江南出身の有名人となると、既にこの世の人ではないものの、最高裁裁判長だった横田喜三郎さんが誰よりも先に思い出され次いでスピードスケートの中野選手ぐらいしか浮かびあがらないのである。そう言えば、スタジオジブリの鈴木敏夫さんの出も江南で確か、父君はオトンの母校滝高校(当時は滝実業高校)の大先輩だ、と聞いている。

 皆さん、中日新聞の夕刊見ましたか。佐野眞一さんが「猫に恩返し?」の題で書かれており、Mったら。「私たちには何もないのね」とアタイの顔をしげしげと見て嘆息したのです。あげくに「うちの猫ちゃんたちは、幸せだね」だってサ。
 オトンがなぜだ、と聞くと「だって北朝鮮から砲弾を撃ち込まれた韓国の島の猫ちゃんたち、どうしてるかしら。ニンゲンたちのように島を脱出するわけにも行かないし」だってよ。Mは、とことん優しいのだから。
 アタイもシロも本気で「猫の恩返し」をするつもりでいるのだから。それも、ある日突然に出来たらいいな。

 ここまで考えたアタイは、なぜなのだろうか。そのまま何かにひれ伏すようにして寝入ってしまったのです。

☆「リコール必要数届かず 名古屋市議会 住民署名」「1万2004人分下回る 無効24パーセント」(25日付、中日新聞朝刊

平成二十二年十一月二十三日

 きょうの午後、北朝鮮が、黄海上・軍事境界線の北方限界線に近い韓国側の延坪(よんぴょん)島を砲撃し、休戦状態のはずの北朝鮮と韓国が戦闘状態に入った。

 これに先だつ二十二日夜にはカンボジアの首都プノンペンで伝統行事「水祭り」の見物に集まった人たちが橋の上で折り重なって倒れる大惨事が発生し、三百七十五人が死亡、七百五十五人がケガをした。「橋が落ちるかもしれない」の情報に橋の上から逃れようとした群集が踏み付けパニック、いわゆる“群集なだれ”を起こしたのが原因だという。
 一度にこれだけ多くの死者が出たのは、1970年代に大虐殺が起きたポル・ポト政権いらいの悪夢で、フン・セン首相は、きょう、テレビ演説で「(約二百万人が犠牲になった)ポル・ポト政権時代以来、最悪の惨劇」と述べ、二十五日を追悼の日にする、と発表した。

 世の中、いったい全体いつどこで何が起きるか、知れたものでない。

 私たち、いやアタイたちは奇跡のなかを生きている。オトンがアタイに、よく言って聞かせてくれる「おまえたちも、オレたちも、いつだって、みんな奇跡の中を生きているのだからな」という言葉が、こうした不意の事件が起きると、実感として迫るのである。ネッ、シロちゃん!

 ところで、きょうは勤労感謝の日。
 ちいさな庭先に一本だけ立つ、わが家の番人であるモミジさん。その樹木に生まれた葉という葉が、大気のなかで赤く染まって寒さのなか、小刻みに震えるようにして光っている。そうかと思えば、つい先日には柿が数個だけ実をならし、その一方で冬だというのに紫のアサガオが日々、射光と風に花びらを揺らせ、キラキラと輝いている。
 名も無い庶民の家の何げない風景である。
 Mが午後、名古屋で友だちに会うということで、江南駅まで車で送り、ついでに実家にまで足を伸ばし、帰宅したところでパソコンに向かって書き始めた。

 プロ野球も、サッカーも終わってしまったので、どこか寂しい気がするのは、アタイとシロだって同じなのだから。
 でも、嬉しかったのは、きのうの広州アジア大会女子100メートルで福島千里さん(北海道ハイテクAC)が女子100メートルを11秒33で制し、1966年バンコク大会の佐藤美保いらい11大会ぶりに日本選手がアジアの頂点に立ったことです。
 嬉しい話が、もうひとつ。オトンとは無二の親友でもある牧すすむさん(またの名は、琴伝流大正琴弦洲会の会主・倉知弦洲さん)が大正琴弦洲会のホームページ=http://www.genshu.jp=を立ち上げたということで、さっそく開いてみましたが、それはそれは立派な内容で、さっそく「お気に入り」に登録しておいたそうです。
 この笛猫日記を読んでくださっている皆さまもぜひ、弦洲会のホームページを覗いてみてくださいね。

 ホームページといえば、オトンとは友だちでもあるバレエダンサーの新倉真由美さんが「クラブ・ウィルビー」でインタビュー取材をされ、鬼才ダンサー・ヌレエフについての彼女の著作「ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影」について語っておいでです。こちらは、クラブ・ウィルビーから入れば、パソコンで読めますから。お父さん、さっそく読み、ヌレエフもさることながら、新倉さんの日ごろの努力に感激したそうです。

 そして。きょうオトンが一番悲しかったのは中日新聞の三面に、ある日、突然のように掲載された「なごやのバタやん、力尽く」の記事でした。バタやん、こと川村忠司さんとは名古屋の大須で飲んだこともある仲だけに、新聞を目にするや、「あっ、バタやん、が。とうとう」と絶句。アタイは傍らでただ、黙って見守っていました。バタやん、は昨年一月に食道がんを患い、ことし五月には肝臓に転移しながらも、病魔と闘い続け大須演芸場には六月末まで出演して観客の喝采を浴びていたのです。七十七歳の死でした。

☆名駅西「つちやホテル」でテーマエッセイ集「熱砂」の文庫本化について夜遅くまで討議。
 「北朝鮮が韓国砲撃」「応戦、韓国兵2人死亡 延坪島に着弾・住民ら18人けが」「見物客倒れ375人死亡 カンボジア水祭り 橋上重なり755人けが」(いずれも中日新聞の見出しから)

平成二十二年十一月二十二日
 1がふたつと、2がふたつ、オトンは「1122」といった具合に数字が並ぶ日が大好きです。

 なんでも、きょうは1122の日で、語呂合わせで“いい夫婦”の日なんだってサ。あ~ぁ、恥ずかしいったら、ありゃしない。それから。オトンの長男は確か、2月22日生まれで生地(聖地)の南国・志摩半島に珍しく小雪が舞っていた、記念すべき日でした。次男も「5353(昭和53年5月3日)」の憲法記念日生まれで、まことに分かりやすい。オトンはこうした繰り返しの数字も大好きみたいです。おかげで、2人ともいい子に育ってくれたのだってサ。
 もちろん、一番下の男の子だって御巣鷹山に日航機が墜落してまもなく、その年の8月16日でオトンが連日の取材にヘリコプターで追われていたさ中だっただけに、これまた曰く、因縁付きの生誕だったとか。

 ところで、アタイが言うのも生意気か知れませんが、今日は雪が降り始めるとされる二十四節気の一つ「小雪(しょうせつ)」の二十二日である。
 中日新聞の本日付夕刊は、雨のなか、歩道に降り積もった街路樹の落ち葉の中を歩く人たちの写真をあしらい、「雨の『小雪』寒さ一段落」の見出しで、なかなか、いい感じの決まった記事となっていた。

 実を言うと、オトン自身、きょうは食事で社の外に出た際、雨に濡れて光る落ち葉の海を見ながら、「うわあ~まぶしいー」と、独りで感嘆の声をあげ、思わず携帯電話で路上に広がる“光りの海”を撮っていたのである。

☆「柳田法相を更迭 国会軽視発言・首相『補正』を優先」「後任は仙谷氏兼務 政権さらに打撃」(中日新聞22日付、夕刊1面)
 史上初のシーズン三位から日本一に輝いたロッテの優勝パレードが21日、千葉市の幕張新都心で行われ、沿道には二十万人(主催者発表)が集結した。

平成二十二年十一月二十一日

 日曜日。けさの新聞はスゴイ。名古屋グランパスと中日ドラゴンズ一色の観なのだ。

 特に中日スポーツときたら、1面と最終面をサッカーでワイド展開、「初優勝」「待ちに待ったグラ18年目」「ピクシーがいたから」「楢崎日本一GK」の見出しが躍るなか、悲願のJリーグ初優勝を決め胴上げされる名古屋グランパス・ストイコビッチ監督が両手を広げて宙に舞う、といったもので十分、保存価値のある良質な紙面内容となっている。
 名古屋グランパスのサポーターたち、さらには昨日のドラゴンズのセ・リーグ優勝「応援感謝パレード」に詰め掛けたドラゴンズファンたち五十万人の嬉しそうな顔を見るとき、やはりスポーツはいいな、と心のそこから思うのである。

 中日スポーツといえば、華やかな記事の一方で目を引いた記事がある。
 10面の「達(たつ)・最年少幕下だ」「3勝目!貴花超え昇進見えた」の見出しが打たれた記事のリード(前文)は次のようなものである。
―大相撲九州場所7日目(20日・福岡国際センター)今場所初めて満員御礼となり、5場所連続17度目の優勝を目指す横綱白鵬は、平幕の北太樹に左上手出し投げで快勝した。大関陣は把瑠都が関脇栃煌山を、魁皇は朝赤龍をそれぞれ寄り切り、ともに6勝目。琴欧州は白馬を寄り切り、栃煌山とともに4勝3敗。また三段目では新鋭の達(16)=高田川部屋=が快進撃を続けている。

 私が大いに関心を持ったのが、前文の最後に一口だけ触れられている「達」のことだ。本文は、こう続いている。
 「白鵬にこの足音は聞こえているだろうか。負けていなければ69連勝がかかっていた7日目。日本人の大物ルーキー、東三段目25枚目の達(たつ)は春桜を突き落として3勝目。32センチの大きな足を踏み締めながら、一歩ずつ上へと向かって進んでいる。
 白鵬を筆頭に外国出身力士が上位にひしめく現実。そんな中で達に期待する声は大きいが、それは決してオーバーな話ではない。
 今年春場所で入門。6月1日に16歳の誕生日を迎えたばかりだ。ここまで3場所はすべて6勝1敗。今場所で5勝できれば所要5場所での幕下昇進が見えてくる。
 16歳6カ月20日(初場所番付発表時点)で幕下昇進となれば、貴乃花も稀勢の里も追い抜く史上最年少のスピード出世になる。……(岸本隆)」

 ここまでは、お父さんの率直なる、けさの新聞に対する印象だが、オトンが特に「達」に期待を寄せているのにはわけがあります。実は、達は石川県の七尾市出身で、昨年8月の全国都道府県中学生選手権で個人・団体の2冠に輝いたという経歴もさることながら、黄金の左腕で知られた元名横綱輪島が父方の遠縁というDNPを引き継いでいる、というのです。おまけに、稽古の虫。身長193センチ、体重145キロと体力的にも恵まれており、こんなホープを見逃すわけがありません。

 「輪島さんには、かつて七尾支局長当時に、和倉温泉の加賀屋などであれやこれやと大変、お世話になった。相撲界を追われる如く、プロレスに転向後もうまくいかず、不遇な時代に故郷の七尾市石崎の奉灯祭りでクラスメートたちと一緒に、涙ながらにキリコをかついでいた、あのひたむきな姿が忘れられない」とは、オトンの回顧談です。
 オトンは少年時代に輪島を育てた当時九十歳を超えていた元横綱の祖父とも、よくお話をしたことがあるそうですが、「わしゃなあ、あの子には強くなってほしうて。園児のころから、ことあるごとに坂道で荷車を引かせちゃったもんじゃよ。相撲史に残る黄金の左腕は、そんじゃから生まれた」と自慢されていたのだってサ。

 「家系が強くて努力一筋なんだから、達もやってくれるわいね」。能登の海からそんな声が飛んできそうです。

 きょうのオトン、Mを伴って中京大学文化市民会館プルニエホール(旧名古屋市民会館)へ。オトンにとって、もっとも大切な兄貴分、琴伝流大正琴の弦洲会会主・倉知弦洲さん(詩人・牧すすむさん、ウエブ文学同人誌「熱砂」同人)率いる弦洲会の第二十六回中央大会が、~大正琴一〇〇年のつどい~の名の下、同ホールで盛大に開かれ、お招きを受けていたためです。
 実を言うと、最近、牧さんの体調が悪化してしばらく動けない状態が続いた、との話を漏れ伝え聞いていたこともあり、心配になってふたりで行ってきたみたいです。幸い、牧さんは完全復活しており、長男で弦洲会次席崇さんと演じた大正琴「弦洲の世界」は、それはそれは見事なものだったそうです。
 この日、ふたりが親子鷹で演じた曲は「汽笛」と「千恵っ子よされ」。そして満場の拍手でのアンコールに応えた「みだれ髪」の三曲でしたが、どれもこれも、牧さんが高音、崇さんはビブラートを効かせた低音の魅力を、それぞれたっぷりと見せつけてくれたそうです。それは、それは、ステキなハーモニーでオトンも、Mも、完全にふたりの世界に浸ってしまった、とのことでした。

 いつものようにふたりで楽屋を訪れると、体調もすっかり回復したみたいで、オトンもMもホッと、ひと安心して帰ってきたので、アタイもシロも安心しました。どうやら、地球の裏側のチリで大活躍する次男敦さんの結婚で激務の合間に片道三十時間もあるチリを訪ねた際の、チリ疲れと新薬の多用が原因だったようです。
 それにしても、しばらくは立ち上がることさえ出来ず、点滴を打ち車椅子の生活が続いたようで大変だったそうで、オトンもついうっかりしていたーと心から反省していました。でも、こうして多くの門下生が日ごろの練習成果を発表する幸せを間近に見ることが出来、オトンもMも「伺って本当によかった」と満足そうでしたよ。

☆「リーグ18年目 悲願達成」「グランパス初V」「名古屋 笑顔重なる」「ピクシーがい旋 熱狂」「柳田法相 一時辞意」「『問責案前に……』党幹部説得で翻意」「御園、重徳氏が準備加速 マニフェストづくり着々」(21日付、中日朝刊)

平成二十二年十一月二十日

 けさは、江南を午前五時三十五分発河和行き普通名鉄電車で名古屋に出て、地下鉄東山線で栄へ。ここから久屋大通公園内の久屋広場まであるいた。

 四年ぶり八度目のセ・リーグ優勝を果たしたプロ野球・中日ドラゴンズの「応援感謝パレード2010」でファンクラブ会員のボランティア約五百人が会場一帯の警備・清掃に当たってくれたためで、訪れたボランティアの受け付け、作業内容と手順の説明、誘導……最終の感謝状贈呈と、早朝から事務局スタッフにより、てきぱきと進んだ。ファンクラブ会員自らによるこうしたボランティア奉仕は二〇〇六年のリーグ優勝パレード、二〇〇七年のリーグ二位から勝ち上がった「日本一パレード」いらい三度目のことだが、毎度のことながら「朝早くから、こんなにも多くの方々に出ていただいて」と頭が下がる。

 ボランティアに先だち、事務局の高島担当が「中日新聞の究極の理想は社会貢献です。みなさまがそのお手本を先頭になって示して下さっている。どうか、これからもドラゴンズをよろしくお願いします」と丁寧にあいさつをしていたが、まさにその通りだと思う。

 ――というわけで、お父さんは、きょうはずっと久屋大通公園の光の広場、久屋広場、エンゼル広場を行ったり来たりし、各指定位置に張り付いたボランティアの様子チェックに始まりボランティアの声の収録、パレード出発を前に花束を谷繁、和田亮選手に渡したファンクラブ会員代表の取材などに追われました。バタンキューとはこのこと。いや、それともオトンが健康な証拠なのでしょうか。帰宅するや、そのままアタイが大の字で寝ていた布団にもぐりこみ、そのまま寝入ってしまったのでした。

 今日は、とんでもないことに、お母さんのMが、とうとうアタイの知られざる行状を明かしてしまったのです。と言うのは、アタイはMとオトンが外出している間は、いつも二階寝室に敷かれたオトンとMのふかふかの布団の上で高いびきで寝ているのですが、この事実が、とうとうMの口から、オトンに明かされてしまったのです。
 Mは夜の食事中、アタイたちのことを、こうオトンに告げ口したのです。
 「そうよ。わたしが帰ったとき、決まって玄関先まで出てきて迎えてくれるのは、シロよ。ボス(アタイのことらしい)は二階のお布団でグーグー、スヤスヤといつだって高いびきで寝ているんだから。」
 そのくせ夜中にニャアニャアと鳴き声をたて、うるさいったら、ありゃしない。シロがどれだけ、私たちのことを心配してくれていることやら。こすも・ここのマイペースには、ほんとにあきれてしまうわ」だって、よ。

☆名古屋グランパスが悲願のJリーグ優勝
 「セ界制覇 感謝の竜」「パレードに50万人歓喜」(20日付、中日新聞夕刊1面トップ)

平成二十二年十一月十九日
 きょうのトップニュースは、ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門で広島市出身の萩原麻未さん(二十三歳)が日本人として初めて優勝したこと、かな。萩原さんは、最終審査でラベルのピアノ協奏曲を披露。「優勝するとは思わなかったので信じられない」(19日付毎日新聞夕刊)と笑顔で喜びを語った、という。

 アタイはNHKテレビの午後九時からのニュースを帰宅してまもない、お父さんと一緒に見て聞いていましたが、萩原さんの「まさかファイナルまでいけるなんて思ってなかった」「自分の未熟さに気付いた。これからは、さらに勉強したい」といった謙虚さには、本当にうれしくなってしまいました。「もっと、うまくなりたい」との彼女の向上欲が、今後ますます花を咲かせてほしいな、とも思ったのです。
 テレビニュースでは、かつて萩原さんを教えたことのある女性がインタビューに答えて話していた「彼女の弾くピアノには、音の美しさとか音楽の流れに、教えていて感動したものです」とのコメントが印象深かった。

 音楽の話に続いて、オトンが今日興味深く思ったのは、きのう1万円台を回復した東証の日経平均株価の終値が、きょうも1万円台を維持し、日本経済の先行きに明るさがみられることなんだってサ。アタイとシロには、少し難しい話だが、「明るさが戻りつつある」とは歓迎すべきことなのです。

 そして最後に、どうしても記しておきたいことがあるのです。
 それは、今秋の赤いモミジ、すなわち紅葉の見事さです。これも同じニュースで聞いたのですが、ことしは二〇〇二年いらいのうつくしさで、どうやら夏と秋の温度差(11度)が幸いしたそうです。その一方で今秋は、ノロウィルスによる感染性胃腸炎が大流行しそうだ、とも。この世の中、あれやこれやと休まる日もないほどに、いろんな事象がわいては起こっているのでありま~す。

☆「介護保険料 月5200円 厚労省試算 12年度25%増」(毎日新聞19日付夕刊)「介護保険料 月5200円も」「65歳以上 負担増は不可避 厚労省12年度試算」「柳田法相 辞任を否定」「自民、22日に問責提出」(中日新聞同日付夕刊から)

平成二十二年十一月十八日

 フランス・ボジョレ地区の新酒ワイン「ボジョレ・ヌーボー」が十八日午前零時に解禁された。このところはボジョレ・ヌーボーと言っても、ひところのように市民がフィーバーすることもない。お父さんもすっかり忘れそうだったが、そこはドッコイ、Mが覚えており、今宵は食卓にボジョレ・ヌーボーがさりげなく置かれていた。
 帰宅し入浴後、オトンとMがふたりで乾杯をして飲み交わしたボジョレは、Mがいつも買い物をするバローで解禁に合わせて売っていたのを買ったのだ、という。ペットボトル一本(750ミリリットル)で千八百円。「樹齢25年以上のブドウのみを使用した、深みと複雑さのある味わいを」が歌い文句だってサ。オトンもMも、長男がかつてフランスのОECDで働いていたことがあるだけに、ボジョレには思い入れがあるのかも知れない。でも、本当のことを言えば、Mはボジョレよりも、フランス産ロゼが好きなのだから。

 柳田稔法相のことば、「二つだけ覚えておけばいい」>すなわち「個別事案についてはお答えを差し控える」「法と証拠に基づいて適切にやっている」というのは、やはりどこかで狂っている、と思う。

 今夜は久しぶりに、本欄に書く話題も乏しい気がする。で、そろそろ寝ます。おやすみなさい。

☆プロ野球の表彰選手が十八日、東京都内で開かれた「二〇一〇日本プロ野球コンベンション」で発表され、セ・リーグの最優秀選手(MVP)は四年ぶりのリーグ優勝を果たしたドラゴンズの和田一浩外野手(三十八歳)が受賞。パ・リーグのMVPは、ソフトバンクの和田毅投手(二十九歳)。
 「法相問責 可決の公算」「公・社同調 与党にも辞任論 国会軽視発言」(18日付、中日新聞夕刊)

平成二十二年十一月十七日

 このところは、一段と冷え込み、町を行き来するニンゲンたちの多くが、コートにマフラー姿である。そう言うアタイとて居どころは、オトンの掘り炬燵の中か、台所のカーペットの上と相場は、知れてる。シロちゃんに至っては灯油ストーブの上にそのまま横たわって占領していたかと思えば、イスの座布団の上で丸くなっている。全くオトンの言うとおりで、自然にはとても勝てっこはないのである。

 オトンは、先日の全国同人雑誌フェスティバルで駆け出し記者だった松本支局当時いらい、実に四十年ぶりに再会した同人誌「屋上(おくじょう)」を肌身離さないでいる。よほど懐かしかった、と見える。どうやら通勤の行き帰りに読んでいるみたいで、昔を思い起こしてか、作品内容にも納得、といった表情です。きょうは、かつて「屋上」リーダーだった藤岡改造さんの創作「雪折れ」にすごく満足そうでした。

 「雪折れ」の書き出しは、次のようである。
ー私ですか。桜の木ですよ。もう幹には苔が蒸し、最近空気の汚れがひどくなったせいか、枝も脆くなって、先頃のどか雪では、あちこち枝を折られて、こんな不恰好になってしまった老木なのです。
 でも、芽を吹かせ、花を咲かせ、葉を繁らせ、紅葉させ、そして葉を落すことは繰返しています。これが私の生きている証しだと思うからです。……

 なぜだか、この文章には、藤岡さんの人生が生き映しになっている、そんな気がするのです。

 それから、ここ数日の間にオトンは、文芸評論家の勝又浩さんから「三好市では思いがけない出会いがたくさんあって幸でした」「いがみの権太というのは大いに興味を惹かれます」と、徳島ペンクラブ会長の岸積さんからも「声をかけてくださる人が少なかったので知己を得た思い出でありました」などといった内容のハガキをいただいて感無量のようです。
 先日あった全国同人誌フェスティバルで互いに初めて知った仲ながら、歯に衣着せぬ発言などが気に入ったオトンは、帰宅後、尾張の自宅から、同人誌フェスタでも特にお世話になったか、印象に残った一人ひとりにハガキを出したそうです。勝又さんと岸さんから届いたハガキは、それに対する返信だったのです。

 今夜は、もうひとつ。きょう、お父さんの携帯に、例のスターキャット「燃えドラスタジアム」のディレクター・MASAKОさん(オフィスきちじろう)からメールが届き、番組とはまったく関係ないものの、うれしい話が寄せられました。
 「我が家の老猫は、22年前、知人から譲っていただいた一ヶ月後に、知人宅に残っていた親、兄弟猫が伝染病にかかり、全滅してしまったという、奇跡的に命拾いをして我が家にやってきた猫です。猫にもいろいろな人生ドラマがありますね」といった、飼い猫に対してそこはかとない、愛情あふれる内容で、オトンは何よりも「この猫ちゃんはスゴイ。でも、最高に幸せ」と思ったのだ、そうです。

 早速、オトンはこの二十二歳の猫ちゃんに敬意を表する一方で「こすも・ここも、シロも、いくら歳を取っているとはいえ、まだまだ、その<域>には達してない。上には上がいるのだから」とアタイたちは、諭されたのです。でも、Mが気にしていたのは「そのネコさん、階段の上り下りや走ったり、泣いたりすることはできるのかしら」だって。
 これには、オトン曰く「きっと、子猫と変わりなく、毎日、飛び跳ねている、かもな」

☆来年結婚することを発表した英国のチャールズ皇太子の長男ウイリアム王子(二十八歳)が十六日午後、ロンドン市内の宮殿で婚約者のケイト・ミドルトンさん(二十八歳)とそろって記者会見し「今が結婚のタイミングだと思った。とても幸せに感じている」と語り、満面の笑みをたたえた。「薬指にきらり 故ダイアナ元妃指輪贈る 婚約の英王子」(17日付、中日夕刊)
「7月参院選 1票の格差」「大きな不平等、課題」「東京高裁5倍は合憲判決」(17日付、中日夕刊)
米大リーグ、ナ・リーグのサイ・ヤング賞(最優秀投手賞)が16日発表され、ロイ・ハラデー投手(フィリーズ)が受賞。ブルージェイズ在籍時の2003年に続き、二度目。史上五人目のア、ナ両リーグでの受賞となった。

平成二十二年十一月十六日
 きのう十一月十五日は、坂本竜馬の誕生日(命日も同じ)で、高知市の「竜馬の生まれたまち記念館」に竜馬の等身大坐像がつくられたそうです。同じ十五日、公認会計士試験の合格発表があり、岐阜市の通信制高校二年の長谷川智也くんが史上最年少の十六歳で合格した、とのこと。

 きょうも夕方になって、ステキなニュースが飛び込んできました。高木義明文部科学相は閣議後の記者会見で日本の小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルから回収した微粒子について元素組成を調べた結果、小惑星「イトカワ」由来の岩石であると発表。「はやぶさ」が二〇〇五年に接近した際に調べたイトカワ表面の化学組成とほぼ一致し、小惑星からの岩石試料の回収成功は世界初の快挙だといいます。

 うれしいニュースの一方で中核派元最高幹部の北小路敏氏の病死、俳優松平健さんの妻の首吊り自殺死……と、新聞の三面記事は相も変わらぬ悲しい内容が多く、このままだとアタイたちですら、心が冷えきってしまいそうです。

 お父さんは、きょうは会社を休んでMを伴って江南市内の病院へ。
 Mは血液検査のあと、いつもの脳外担当医師の診療を受けましたが、血液は鉄分など、どのデータも正常の範囲内でした。血圧の方も昨夜の段階で154~85とまずまずで「二種類の薬をのんでもらっているから」と納得顔の医師。特に心配はなさそうですが相変わらず「頭が重い。ちっとも軽くならない」のMの声には、担当医も「痛いわけではないのだから、そこは付き合ってもらわなければ」の弁。診療後に「頭に、鉛でもぶら下がっているみたいなのか」とお父さんが聞くと、ウンと、うなづくMだったんだってよ。アタイとシロは、はやくMの頭の重いのが取れるように、と神さまにお祈りしています。

 それでも、アタイとシロが見る限り、Mは少しずつ顔色もよくなってきているので大丈夫だと思います。診療後に、オトンとMは病院横の喫茶に入ったそうですが、これがまた大入り満員で、2人ともビックリ。コーヒーを頼むと、昼に近かったが、ピザにサラダ、ゆで卵にデザートと豪華モーニングの尾張のお手本といったところ。店内は大半が女性で、まさに尾張の女の力というものを感じたそうです。

 店内で読んだ日本経済新聞―経済紙ながら軟派トップは、きのうの白鵬の敗戦で「白鵬に土 悲鳴・歓声」「『また記録に挑んで』 ファン、一人横綱にエール」という内容。なかに双葉山の連勝記録を止め意気揚々と部屋に戻ってきた安芸ノ海に対し師匠(出羽海親方)が「節男(安芸の海の本名)、勝って騒がれる力士より、負けて騒がれる力士になれよ」とたしなめたという挿話が紹介されており、なかなかの記事だったそうです。

☆「『はやぶさ』世界初の快挙。小惑星の微粒子を確認」(16日、メーテレ・報道ステーションより)
 「尖閣映像流出 海上保安官逮捕せず」「捜査当局 任意聴取は継続」「白鵬 63連勝で止まる」(中日16日付、朝刊)「同人雑誌の未来を展望 全国フェスに150人参加 徳島県三好市」「地方精神の基盤だ・存続の意義熱く訴え」(中日16日付、文化欄・稲葉千寿記者)
 プロ野球の発展に最も貢献した球界関係者に贈られる「正力松太郎賞」(読売新聞社制定)に15日、就任1年目で日本一を成し遂げたロッテの西村徳文監督(五十歳)が選ばれた。(16日付、読売新聞)

平成二十二年十一月十五日
 作詞家星野哲郎さんが逝き、横綱白鵬が負け、日本航空は二百五十人を整理解雇するという。
 そしてー秋田では夕方、初雪が舞ったそうです。
 これが何げなき一日である。
 毎日毎日、気になるニュースが起きて、この世にどんどんドンドンと、幻のようなものが、ふり積もってゆく。

 星野さんは八十五歳で。東京都武蔵野市内の病院にて。心不全だったという。生前は「三百六十五歩のマーチ」をはじめ、「函館の女」や映画「男はつらいよ」シリーズの主題歌、「みだれ髪」「兄弟船」など実に四千曲をつくり♪幸せは歩いてこない だから歩いて ゆくんだね……と、いつだって前に向かって自ら力強く歩き続けられました。
 元天下の大横綱双葉山の六十九連勝を目指した白鵬は、平幕稀勢の里に敗れて連勝は六十三で途絶え、本人は「(六十四連勝を、と)勝ちにいったところに、スキが出た」といい「これが負けか」と久しぶりの負けに、自ら嘆息してみせました。

 一方、日本航空は三度の希望退職を募ったあげくの整理解雇通達で、パイロット八十人が会社側に中止を申し込んだといい、ニンゲンたちは皆、どこもかしこも大変です。

 ところで、きょうは面白い写真を見ました。
 週刊新潮の十一月十八日号に新宿は花園神社の見世物小屋で蛇女が火を吹いているところが載っていたのです。
 写真を見てビックリ。撮ったのは、お父さんの知人の腕利きカメラマン、南慎二さん(元フォーカスカメラマン)で、白装束のお峰太夫が口の中に残ったロウを火で掃除する光景などが見事に捉えられていたのです。
 記事の方もまた迫力満点で、次のような内容でした。
―客の視線は、火の点いた蝋燭の束からロウを口に垂らす、白装束の女性に集まる。ロウの温度は100度近い。と、「グォー」という音と共にお峰太夫の口から大きな炎が吹き出される。場内は拍手とどよめきの渦。蛇を食らう芸で「蛇女」と呼ばれたスターは今尚健在だったのだ。(原文通り)

 かつてお祭りの「華」とも言われた見世物小屋の光景だけに、なんだかホッとした、とはオトンの言です。アタイもたまには怖いものを、おっかなびっくりでも良いから見てみたい、な。

☆横浜市で開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)は十四日、加盟二十一カ国・地域が貿易や投資で障壁をなくした「共同体」を目指す、とした首脳宣言「横浜ビジョン」を採択し閉幕した。フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第四戦、スケートアメリカ最終日は十四日(日本時間十五日)、当地(ポートランド)で女子フリーがあり、村上佳菜子(愛知・中京大中京高)が前日のショートプログラム(SP)二位から逆転で初優勝した。=いずれも15日付、中日新聞夕刊から

平成二十二年十一月十四日
 きょうは、アタイたちにとって、とっても悲しい話が降ってわきました。
 それは、アタイたちとは互いに離れ離れではありましたが、同じ種族(猫族)として、いつも心の拠りどころにしていた名古屋の猫「助さん」が亡くなってしまった衝撃的な事件です。
 たまたま「助さん」の飼い主でもある女性バイオリニスト・Aさんに、お父さんたちが以前からウエブのメインテナンスなどで大変お世話になっていた関係もあり、アタイとシロは事あるごとに「助さん、助さん」と互いに呼び、慕いあってきたのでした。

 Aさんによれば、助さんは末期の食道がんに侵され、三ヶ月の闘病生活にもよく耐えた、そうです。ことしのビエンナーレでAさんがボストン美術館館長でもある俳人・馬場駿吉さんの俳句を即興の曲としてバイオリンで披露したコラボのコンサート実現(場所は大須の七ツ寺共同スタジオ)の際には、「(主人が)練習するから居てあげなければ」と助さん自身、入院先の動物病院から一時帰宅し、Aさんを応援し続けた話は、知る人ぞ知る、です。

 その助さんも今月に入ってからは症状が日に日に悪化。最期は「スケちゃん、スケ、スケっ」とAさんが叫ぶと、そのつど全身の力を振り絞って「ニャア~ン」と応えていたものの、やがてその命は絶え、安らかな死を迎えたといいます。アタイは、きょうの午前中にオトンから、この突然の訃報を知らされたのでした。アタイたちは、いつも助さんのことはオトンから聞かされてきただけに、なんだか家族の一員を奪われたような、光りが消えてしまったような、そんな無念さでいっぱいです。

 それにしても、助さんは本当によく苦痛に耐えたそうです。生前は、よく吐くので心配していたところ、食道が侵されていた、というのです。助さんは生涯、その命をAさんに捧げたといっても過言でありません。たまたま、けさオトンがほかの用事でAさんに電話し、訃報に接したのです。オトンは電話を切るが早いか、「こすも・ここ、気を落とさないように」と誰よりも先に、助さんの死の事実をアタイとシロに教えてくれたのでした。

 訃報といえば、ことしも今月に入るや、新年の賀状欠礼あいさつのハガキが、わが家に相次いで届き始めています。オトンは挨拶文を読みながら、なんだか一年一年、命のすり替えが行われているような、そんな錯覚をすら覚えると嘆息しています。でも、仕方ないですよね。これが、世の常というものなのですから。

 悲しい話ばかりでも、ありません。
 きょうは、飛騨りんご一箱が、オトンがいつも大変お世話になっている知人の弟思いのお兄さんから、わが家に送られてきました。りんご箱にはりんごのほかには、文面ひとつ入ってはいませんでした。でも、物言わぬりんごの一つひとつが「弟をよろしく」といった顔をしていました。りんごと言えば、青森や信州を思い出しますが、そこはどうしてどうして。飛騨は舟山高原特産のりんごがあったとは、生まれてこの方知らなかったそうです。

 オトンは昼食後の果物に、さっそく馴れない包丁さばきで皮をむいてMと食べましたが、とろける甘みがあって、その場で飛騨りんごのおいしさにうなってしまい、さっそく大おかあさんにも、と実家を訪れると車がありません。案の定、近くの畑まで自ら車を運転して出かけており、そこには玉葱の苗の植え付けに黙々といそしむ、九十歳の働き者の姿がありました。これまた舌を巻くと「お母さんにはお母さんなりの予定があるのだから。そっと、してやらしておこうよ」と今度はMに叱られたオトンでした、とサ。

☆ミャンマーの民主化運動指導者でノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チーさん(六十五歳)が十三日午後五時(日本時間午後七時半)すぎ、軍事政権による自宅軟禁から約七年半ぶりに解放された。(14日付中日新聞朝刊1面、バンコク発古田秀陽記者)「尖閣領有 ともに主張 日中首脳に22分の会談」(14日付中日新聞朝刊1面)愛知県の奥三河地方に伝わる国の重要無形民俗文化財「花祭り」が十三日、東栄町の小林地区であり、独特の「テーホへ、テホヘ」の掛け声に合わせ住民らが舞った(14日付、中日新聞朝刊・通風筒より)

平成二十二年十一月十三日
 土曜日です。
 お父さんは久しぶりの休みで、朝から愛栄通りにあるリサイクルショップ「ミヌエット」に出掛けるMを玄関先で見送るなど、どこかホッとした感じです。でも、アタイの見るところ、現役時代の“へんな新聞記者魂”が、一向に抜けきっておらず、なんだかセカセカと一日中、動きどおしか、パソコンを前に書くか本を読むか、のいずれかで、まだまだしなければならないことが一杯あるみたい。いやんなっちゃいます。

 新聞といえば、朝日新聞のスポーツ面に「信子夫人が語る わが家の落合」という囲み記事が載っていました。記事は「来季はもっと強く」の見出し付で「これからは、来季に向けて戦力を整える時期。監督に選手補強の構想を聞いてみたけど、『そんなに簡単なものじゃない。すぐこの選手が欲しい、とはいかない』と言っていた。落合はよその球団の主力を『よこせ』と言って連れてきたりしない。よそで『いりません』と言われたけどまだ野球をやりたい選手、1~2年だけではなく、長くチームに根付いてくれる選手をつれてくる。……来季はきっと、今よりもっと強いチームが見られるでしょう。」だってサ。

 この記事を読んだオトン曰く「ノブコさんは、よく見ている。さすが、は監督夫人だ」と。
 横浜を戦力外となりながら、オレ竜補強第一弾として中日入りが決まった佐伯貴弘内野手(四十歳)の例など、まさにノブコさんの言うとおり、図星である。

 それはそうとMが言うとおり、オトンはいつまでたってもマザコン丸出し、甚だしき限りで、きょうは合間を見て満九十歳の和田の大おかあさんのところにマイカーを運転して行ってきました。
 そして。帰宅して曰く「おふくろが一週間ほど前、自転車に乗っていて、道で転んで左顔面が黒にえ、になってしまった。ホントニ危いったら、ありゃしない」だってサ。大おかあさんは、それこそ、かつては大変な美人だっただけに、容貌への悪影響が心配されたが「その点は、まだまだ大丈夫。当初は顔半分がだいぶ腫れていたそうだが、オレの見たところ、それもよくなってきた」とのことです。

 母と子というものは、いつまでたっても、思い、思われなんだよね。落合監督夫妻も、思い、思われての二人三脚のお手本なんだから。ニンゲン社会は、そう言うところが、とってもステキです。アタイも、シロも、本音を言えば、産んでくれたお母さんに会いたいよ。会いたくてしかたない……でも、この世には既に居ないに決まってる。オトンは、今も大おかあさんに甘えられるのだから。うらやましい、な。

 オトンによれば、大おかあさんは最近、血圧が高くなることがあるので、この点を心配し実家に顔を出したそうです。そしたら、思いもかけず「自転車を漕いでたら、おかあちゃん、自転車ごと倒れてしまって」と初めて自損事故を聞かされたそうです。「車に轢かれたら、どうするんだ」とオトンはどなりあげたそうです。

 とにもかくにも、大おかあさんは、何といってもイガミ家の守護神なのだから。アタイもシロもいつも、無事安全にと祈っています。これからは、気をつけてくださいね。

☆「愛知知事選 大村氏が出馬へ 河村市長と連携」(13日付、中日新聞1面)「日米首脳 中ロ視野に同盟強調 レアアース協議も」(13日付、中日新聞夕刊)「猫の舌先 器用だにゃ~ 水柱状にして飲む」(13日付、毎日新聞夕刊)

平成二十二年十一月十二日
 アタイったら。けさも未明(午前四時)にオトンの寝ている二階寝室の枕元まで行き、泣きたてました。でなければ、オトンがこの日記を書いている時間がなくなってしまうからなの……オトンも最近では、わきまえているみたいで、嫌々をしながらも「せっかく、おまえたちが起こしてくれているのだからな」と眠そうな目をこすりながら、起きてきてくれます。

 ここまで、くればあとはОK。アタイがオトンを引きつれ、得意満面の顔で階下まで下りていくと、階段の下ではシロちゃんが待っていてくれ、彼女の誘導でシロ、アタイ、オトンの順で台所へと向かうのです。なんだか、未明の儀式みたいです。大体が、これがオトンとアタイたちの一日の始まりで、オトンはアタイとシロに猫缶を開け、水もかえてくれます。
 そして。ひと通りのことが終わると、さあ執筆です。アタイはオトンが座っている掘りごたつの足元で、シロは台所のカーペットの上でそのまま夜が明けるまで寝入るのです。

 実は今夜、アタイたちはオトンに大変、勇気づけられました。
 それは、“燃えどらスタジアム”で知られるスターキャットチャンネルの人気ディレクター・マサコさんからオトンに届いたメールを通してのことでした。彼女は育児の一方で仕事に専念する、さわやかそのものの、いわゆる、とても頑張りやさんのキャリアウーマンです。その彼女から、こんなメールが届いたそうです。

 内容は
 「中日ドラゴンズのリーグ優勝を記念して『燃えよドラゴンズ!2010』が発売されることになり毎日バタバタと過ごしておりました。やっとCDの売れ行きも落ち着いて、ゆっくりとHPを拝見することができました。」で始まる文章は「まずは『なんてかっこいいトップページで立派なHP!』 今や同人誌というものはウエブ上でこんなにおしゃれなものですね。……」と続き「我が家にも今年22年目になる老猫がおります。猫との生活は、犬とは違う主人との微妙な距離感、空気が大好きです。これからも楽しみに読ませていただきます。」
 といったものでした。

 アタイもシロも、マサコさんの心遣いには、思わず嬉し涙を流しそうになってしまったのです。(オトンは、猫の涙なんて見たことないと言いますが?)。この文面を読んだお方は、「燃えよドラゴンズ!2010」をぜひ、購入して聞いてください。友だち同士のPRもお願いしますね。

 マサコさんだからこそ、告白します。
 アタイとシロが【いがみの権太家】に迎えられたのはオトンの大垣、大津の両支局長時代でした。
 能登で生まれ大垣までオトンたちと一緒に引っ越してきたお姉さんの“てまり”が、大垣支局近くの路上で車に引かれ急死してまもなく、アタイはオニイが友だち宅から生まれたばかりのところをもらわれてきたのです。かれこれ十五、六年前になります。
 それから。シロはといえば、この一年後、オトンが大垣に家族を残し琵琶湖を管内に控える大津支局長として単身赴任していたころ、大垣の自宅近くごみ集積場に捨てられていたところを、お母さんのMに「かわいそうだから」とイガミ家に連れてこられたのです。
 でも、マサコさんちの先輩猫には、かないません。きっと人知れないところでドラマチックな猫生を歩んでこられたに違いありません。これからもアタイたちともども、“いがみの権太”のこと、よろしくご指導くださいね。

 あっ、そうそう。今夜のスターキャットの「燃えドラスタジアム」、とってもよかったんだってよ。あの直木賞作家・ねじめ正一さんが生出演、日本シリーズそして2010の落合監督について語る趣向で、オトン自身、同感で納得できる内容だったんだってサ。具体的に言えば「対等な関係で公平に選手一人ひとりを見て起用の判断をする、ということかな。大島しかり、浅尾しかり、でそうした目線の中から偉大な選手が育ってくる」との考えは、さすが核心を突くものでオトンの視線とも、よく似かよっていたんだってサ。

 それはそうとこれからは日に日に寒くなってゆきます。マサコさんをはじめとしたスタッフの皆々さま、ねじめさん、落合監督、そして老猫さま。ありきたりではありますが、何よりも、おからだを大切にして、いい仕事をしてくださいね。
 アタイもシロも、お姉さんが言われているとおり、ニンゲンたちとの“微妙な距離感”を大切に、そしていつだって、わが道をいく猫魂を忘れることなく、生きてゆきます。

 きょうは、これで終わります。

☆「名古屋市選管の厚遇突出」「4人中3人 市議ОB」「報酬 他市平均の10倍」(中部6県本紙アンケート、12日付中日朝刊)第十六回広州アジア大会が十二日夜、開幕。日本からは予定通り過去最多の七百二十六選手が参加する。
 「保安官『記録媒体捨てた』 尖閣映像・投稿後削除と説明」(12日付朝日朝刊)

平成二十二年十一月十一日
 きょうは、アタイの大好きな「1」並びが四つ続いた日です。「1」が好きなわけは、単純明快で、お父さんが好きだからなの。オトンの好きな数字は、ほかに「4」と「7」かな。だからといって、これら「1」「4」「7」の日に何かよいことがあったか、と言われたら殆ど、例えば宝くじに当たっただとか、そんなことは、いっさい記憶にないのである。

 お正月などに、神社へ行き、オトンが願掛けにお御クジなどを引くとき、Mが決まって言うことは「ウチは、クジ運が悪いんだからね」というものだ。それでも、オトンはクジを引く。クジ運は悪い、の言葉が頭に染みているので、大吉でも引こうものなら、家族そろって「へえ~」「スゴイ」「どう言うことなの」と飛び上がるほどに喜ぶ。もしかしたら、Mの「クジ運が悪いのよ」の言葉は、わが家に警句を与えるMの作戦なのかも知れない。

 要するに、オカンの哲学はクジなど当てにしなさんな。て、とこか。ニンゲンとは不思議なもので殆ど当たりはしないクジ運というヤツを心のどこかで期待している。アタイもシロちゃんだって、クジなぞ考えたこともないに……。

 なんだか、おかしな話になってしまいました。きょうは、こんなところで止めときます。町は、北風がピュウピュウと吹き、もはや冬の風情でコート姿も珍しくありません。みんな、それぞれの思いを胸に一生懸命に歩いて、それぞれの道を生きているのです。

☆中日・落合博満監督(五十六歳)が十日、名古屋市内のクラブ東海で白井文吾オーナー(中日新聞社会長)にシーズン終了の報告を行った。落合監督が掲げる今オフの積極補強について、白井オーナーは「身の丈に合った」という条件付きながらバックアップを約束。財政面の支援も受け、オレ流改革は着々と進む。(11日付中日スポーツ1面)
 「海上保安官『国民に事実を』」「映像『職員なら見られた』 『尖閣』流出 入手経路を捜査 警視庁」(11日付中日新聞朝刊)

平成二十二年十一月十日
 帰宅すると、先日、全国同人誌フェスティバルが行われた徳島県三好市の教育委員会から丁重なる礼状が届いていた。「このたびは、富士正晴全国同人雑誌フェスティバル開催に当たり一方ならぬご尽力とご支援をいただき、誠にありがとうございました。予想外の台風ということで、開催も危ぶまれたのですが幸い大事にはいたりませんで、雨天ではありましたが無事開催することができました。心より厚く御礼申し上げます」といった内容である。
 優れた行政の姿勢とは、こういうものだ。さすがは、同人雑誌のふるさとだ、と思い、頭が下がった。ちょっとした心遣いが、その町を再び訪れてみたくなる感情は何なのだろう。同人誌作家・富士正晴を生んだ町の謙虚な姿勢にあらためて頭が下がったのである。

 わが家の茶の間では、このところ能登は田鶴浜の味噌饅頭とハーブティー、滋賀の都は大津の栗饅頭が食卓に置かれ、ちょっとばかり華やいだ風情が続いた。味噌饅頭とハーブティーはMが七尾の短歌びと・山崎国枝子さんら友人からお土産に、栗饅頭は大津の文人・真鍋京子さんから私に送られてきたものである。
 それぞれに、それぞれの懐かしい味が体内に染みとおっていく。でも、味噌饅頭も栗饅頭も、あと少しだけとなり、なんだか食べるのが惜しい気がしてならない。そういえば、わが家の庭のちいさな柿の木が三つの実を咲かせた。Mがちぎって食卓に何げなく置いていたので分かった。

 秋がどんどんと、深まってゆく。

☆沖縄県・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突の映像流出事件で、神戸海上保安部の海上保安官が「自分が流出させた」と、乗り組んでいる巡視艇の船長に名乗り出た。

十一月九日
 きょうの尾張地方は、朝から晴れ上がり、澄みきった大気がなんともここちよい日となりました。アタイとシロは交互に窓辺で日向ぼっこしながら外を見ています。空は、どこまでも広く、ちいさな庭には赤や黄、紫など色とりどりの花が無言で咲いています。

 先日、Mが出席した石川県能登半島七尾市での短歌互選の会。最高点は、短歌誌「澪の会」代表の山崎国枝子さんが詠んだ♪目の前のコップのくもり淋しさの内側などは言葉にできぬ、と中能登町、中村栄蔵さんが詠んだ♪兵たりし身を永らえて曽孫を抱くよろこび噛み締めている、の二首。それぞれ十三点の得票だったといいます。
 ほかに♪石けんがするっと手から逃げるごと吐いた言葉はもう戻らない♪捨て去ればそこは浄土と聴きをれど八十年の慾すて難し♪逆らわずこのまま生きよと声もする農に夢なく棄て田のふゆる♪朝な朝(さ)な色濃き野菜を抱えくる夫の二の腕こんなに太い…といった具合。
 なかに♪「暑いから行かれないわ」といつもの返事 きっと来るでしょいつものようにーとユーモアあふれる作品には、Mもオトンも「よくあること。分かる、分かるわ」と絶賛していました。

 Mは、その日、互選の会を前に、七尾港のフィッシャーマンズワーフ・能登食祭市場にも立ち寄りました。そこは海に面した見事な公園と化し、ステージまであったとのことです。
 「米国西海岸のフィッシャーマンズワーフをお手本に、能登半島を日本の西海岸にしたい」。二十数年前、七尾青年会議所メンバーが中心となり進んだ、港の町づくり運動(マリンシティー運動)。そしてオトンの提唱で同青年会議所と手を携えて始まった全国でも初めての海の詩(うた)大賞公募事業には、毎年1万篇近い作品がちいさな港町に世界中から寄せられたそうです。
 当時の七尾支局員が支局長だったオトンの指示の下、「これでもか」「これでもか」と書き続けた市民運動のひとつの結実が、目の前に広がっていたのです。能登はやさしや土までもーの言葉通り、Mは久しぶりに見た、目の前の海に胸がいっぱいになったようです。

 話は、変わります。本日付中日スポーツのこらむ『セブンデイズ』の日本シリーズ(ねじめ正一)に「ロッテが日本シリーズの覇者に決まった途端、気持ちの底が抜けてしまった。」という下りがありましたが、“気持ちの底が抜ける”とは、なかなか良い表現です。

 最終戦・七戦目の1回表、ドラゴンズの森野が荒木と激突して左足を負傷、森野がその場に転がって動けないほどの激痛でありながら、少し休んだだけで守備位置に戻り、直後の攻撃でライト前ヒットを打ち、荒木がホームに帰ってきた場面についても「心ふるえるシーンであった。」と紹介。
 「森野と荒木の激突はミスと言ってしまえば、それで終わりである。しかし野球とはそんな単純なものではない。この持久戦、体力戦、消耗戦の日本シリーズに勝利したロッテはすばらしいチームである。負けはしたが中日もまたすばらしいチームである。7戦をがっちり見終わって、私は中日の選手たちがますます好きになってきている」と自身を吐露しつつ、核心を突いた内容となっている。

 その中日ドラゴンズの野球が今シーズンは、もはや見られない。

☆「広州アジア大会 厳戒の日中戦 白星」「サッカー男子、混乱なく」(中日新聞9日付朝刊1面)