【マボロシ日記】カゴメという店 ~その1

 かごめ。
 か~ごめ~、か~ご~め、の童謡。カゴメ、籠目、ケチャップソース、トマトの赤。
 そういえば、錦3丁目にあったカゴメのレストランはまだあるかしら、たしかこの辺りにあったような。
 久しぶりに錦3を歩いていた私は、宣言解除後の人出を楽しんでいた。レストランカゴメだったか、正式な店名は覚えていないが、20年以上前にこの近辺で働いていた私は、ランチでカゴメ自慢のトマトケチャップソースがかかったオムライスをよく食べていた。昼時は満席で、いつもカウンターで食べていたなあ。
 それにしても景色は様変わりしている。観覧車なんてなかったし、ドンキもなかった時代だ。秋の季節限定の栗おこわが信じられないくらい美味だった、ういろうの雀おどり。時は無情にも流れ、店はカラオケ店になっている。保存された栗ではなく、生栗から炊いたやわらかい栗が、弾力があり白く光る上品な甘みのもち米の間に入っている。ちょっとだけ振り掛けられたごま塩。「うまい」。心の中でつぶやきながら口に運ぶ。秋以外の季節は、少しお高めだったけどおにぎり定食をよく食べていた。もう一度食べたいと思っても、その店は見付けられず、栗おこわはマボロシとなってしまった。

 頑固親父がいたカレーうどんの店。三角土地に数坪の狭い店舗の中に、弟子一人と大将が切り盛りしていた。愛想はないが、ともかく「うまい」。清潔な店で、大将の装束はいつもとても白くて黄色い汁などは付いていなかった。今思えばカレーの味も良かったが、うどんの味、コシこそが絶妙だったと思う。大満足のカレーうどんで、昼食をとるサラリーマンで店は満員だった。その場所はすし店になっていた。
 昔ながらの喫茶店「上高地」、生まれて初めてカレーそばがカレーうどん以上にうまいことを知った「更科」(そのまま食べてもうまい蕎麦を贅沢にカレーにぶち込んだもの、チーズをトッピングして、最後に白ご飯を入れて完食)、ここは細麺の白い蕎麦もあり美味だった。蕎麦粉クレープの店、パンランチの店、みんな無くなってしまったよ。名古屋とはいえ、都会の一等地で商売を成り立たせていた人たちは、皆いっぱしの腕を持っていた。一体どこへ行ったのだろう。きっと食の世界にいるはずだ。移転してお店をやっているなら教えて欲しい。

 今日の目的は、鰻である。若かりしあの頃も滅多に食べられなかった鰻だったが、お腹の空いた昼時に「似ば昇」からもくもくと立ち上がっていた、鰻を焼く香ばしい香りは、抗い難いものであった。何人もの鰻嫌いを連れて行き、鰻大好きに変えた。主人もその一人である。「なんであんなにうまいものを教えた、罪つくりだ」と、今でも言われる。ここの鰻は日本で一番おいしいと思っているので、この店は私にとって聖地だ。
 だが、わが家から遠い。しかも高い(いや、都会の鰻屋ということを考えると安いのだが)、日曜日が休み、という3つのハードルを越えて行かなければならない。時間や財布などの諸条件が整わないと行くことができない店だ。最後に行ったのが、もうかれこれ10年以上前だったと記憶している。

 その時が来た。
 ようやく整ったのだ。
 今を逃すとまた10年行けないかも知れない。ネットで調べると店はまだあり、ほっと胸を撫で下ろす。店に着く。飛び込んできた文字が「緊急事態宣言下につき休業します」
 なんと神は残酷か。10年以上待ったというのに。今日こそやっと食べられると思って、はるばるやって来たのに。無論、私の住む街にも、隣町にも鰻屋はある。どこもそれなりにうまいが、食べながらうなるような、涙が滲むような、感動を呼ぶまではいかない。
 これが一カ月前の話で、ようやく宣言が明け、私は真っ昼間に錦の街を歩いているのだ。
 店の前に立つ。お客が出てきた、よし、やってる。だが。
「すみません、昼の営業は2時半までです」。時計は2時半になっていた。がくっと倒れそうになったが、夜の営業は4時からという言葉を聞き、気持ちを奮い立たせる。

 近くをぶらつき、4時過ぎに念願の入店。この中途半端な時間に、すでに先客がちらほら座っている。店は、あの頃と変わらない。少し薄暗い店内から中庭の池、鯉、灯籠を眺める。そうだ、池が見えるあの席で、今年18になった息子が3歳の時に家族3人で来て、鰻を食べたんだった。財布の中身が寂しいのを清水の舞台から飛び降りる覚悟で店に入った。

 今、そのまったく同じ席に、若い夫婦とそれこそ3歳くらいの男の子が3人で鰻を食べている。一瞬、若かった私と主人と息子の姿がダブって見える。不思議な時空の流れ。幼かった息子。あの時、相席をお願いされて、上品な老婦人と一緒のテーブルになった。お金のなかった私たち家族は、鰻を2つ注文して、それを分け合って3人で食べていた。
 老婦人は、「多過ぎて全部食べられないので、半分食べて下さらない?」
 と言ったのだ。
「ええっ、いいんですか」
 偏食が酷かった息子が、初の鰻を意外にもりもり食べて、おかわりをせがむので困っていた私たちは、大喜びで老婦人の鰻を分けてもらったのだ。「ありがとうございます。ありがとうございます」何度もお礼を言って。袖振り合うも多生の縁、とはいえ偶然その時に居合わせた見ず知らずの赤の他人である。帰りの車中で「あの人は神様だったんじゃないか」と話した。あんなにおいしいものを分けてもらえるなんて、涙が出そうだった。その人は、今頃どうしているだろうか。一人で来ていたから、相当のファンに違いない。今でも訪れていると良いのだが。

 鰻が運ばれてきた。夢にまで見た鰻よ。他のどこの鰻でもない、ここの鰻が食べたかった。手を合わせる。
 器も同じ、口に入れると香ばしい鰻の滋味を白米がそっと支え、タレは主張せず、鰻を包んでいる。鰻、米、タレの黄金の三角関係。何も足さなくても、何も引かなくても良い、完璧な味。苦味ばしった茶が最後の鰻の旨味を引き立てる3杯目のお茶漬け。この至福の時よ、終わってほしくない、終わらないで。
 お茶漬けから、また最初の鰻めしに戻り、薬味を付けて口の中でゆっくり噛んで舌で味わい、お茶漬けにする。
 ああ、生きていて良かった。この店がまだあってよかった。味が変わっていなくて良かった。来れたことに、ここにつながるすべての現象に、物語に、感謝の気持ちが自然と湧いてきた。
 健康だから。来る時間があるから。店が営業しているから。店主が鰻を焼いてくれるから。愛想のよい店員がサポートしているから。いつもの鰻を仕入れられるから。運んでくれるから。完売していなかったから。
 支払いができるから。味わう舌があるから。主人と子どもたちが元気だから。クルマが動くから。大災害が起きていないから。だからこの瞬間を迎えることができた。
 どれか一つでも欠けていたら、今日の幸せはなかった。これが感動でなくてなんだろう。涙で滲んで鰻の器がぼやける。
(その2に続く)