連載小説「死神の秘密〈その4〉」

  4

「ユタ。こら、起きろユタ」
「うわああ」
 いまだかつてない起こし方をされる直前で、ユタは慌てて目を覚ました。
「あ、残念。起きた」
「残念じゃねーよ。何しようとしてたんだお前」
 恐ろしさに怒鳴りつける。目の前にいる少女が振るった大鎌がユタの顔のすぐ横に、床に突き刺さっていた。これが自分の身体に直撃していなくて良かったと思いながらゆっくりと上半身を起こす。
「何って、起こそうとしてたの。いきなり目を覚ますから標準ずれちゃった」
「さらっと怖いこと言うな。俺が生きていたら、確実に永遠の眠りについてるよ。お前は俺を殺す気か」
「大丈夫だって。私たち死神だし。死なないよ。多分」
 言いながら、ミキが首を傾げる。
「そういう問題じゃないだろ。あと多分とか不安を煽るな。鎌を持ったまま言われても説得力ないし」
「だってどうなるかわかんないんだもん」
「そりゃそうだけど。……て、え。なんでお前ここにいるの。というか、ここはどこだ」
 口論の途中で急に我に返って、ユタは動揺する。恐ろしさに気を取られて目の前の人物とか、今いる場所とかに気が回っていなかった。当たり前のようにそこに、いつものテンションのミキがいたから。
「さあ。知らない。気付いたらここにいて、さっき上からユタが降ってきた」
 そう言いながらミキが右手の人差し指を真っ直ぐ立て、天を指し示した。そこはいつか見たことのある真っ白い空間だった。それが天井であるのかは、よくわからない。
「降ってきたって、頭の上にか」
 尋ねるまでもなかったかもしれないが、一応確認する。
「うん。ぐにんって音がして、突然どさーって来たから、下敷きになっちゃった。出るの大変だったんだから。ユタ重いんだもん。ひどいよ」
 唇をへの字に曲げてミキが言う。
 ひどいのはどっちだろう。何も鎌で起こそうとしなくてもよかったんじゃないのか。と思いながら、頭に右手を持っていく。
「擬音交じりの説明ありがとう。とりあえず俺は、ここに来る前の記憶を辿るから静かにしていてくれないか」
「はーい。私、ここに来る前の記憶まったく覚えてない。誰かに会ったような気もするけど」
 手の平を上げてミキが言う。
「わかったから、静かにしててくれ!」
 叫ぶように注意してミキを黙らせると、ユタは目を軽く閉じて思い出していた。学校での一連の騒ぎを。確か百合子の悪口を言っている彼女たちにつかみかかって、平手打ちしたような。
「どうしたの、ユタ。真っ青だよ」
「ミキ。女の子を殴るのはやっぱまずいよな。いや、殴ってない。叩いたんだ」
 混乱する頭を、ユタは両手で抱え込む。ミキはそんなユタの顔を覗き込んでいた。隣に座っている彼女を、腕の間からじっと見る。身長はユタの方が高いのに、座高は一緒ぐらいらしい。そんなどうでもいいことに気付いた。
「うわ、ユタ。女の子殴ったの。最低」
 案の定、ミキは軽蔑するような目でユタの方を見てくる。
「だから、殴ってない。叩いたんだよ」
「どっちでも一緒だよ。理由は? まさか理由もなく女の子殴ったわけじゃないでしょう。もしなかったら、今度から最低男って呼ぶところだよ」
 嫌なことを言うなと、ユタはミキに対して思う。
「一緒じゃないよ。大きく違うし、重要だよ。けど、理由はある。ちゃんと。だから最低男は勘弁してください」
「ちゃんと? ほんとに、言えるの」
 ミキが尋ねてくる。
「言えるけど、恥ずかしいから言わない」
 ユタは肩を竦めて、ミキから視線を逸らしながらそう言った。
 冷静に思い返せば、あれはやりすぎたと思う。相手は女の子なのだし、叩くべきではなかったのかもしれない。顔を。しかも結構思いきりやってしまったことに対して心の中で反省する。ごめんなさい。それ以前に女子トイレに乱入してごめんなさい。今さらだけど。
「恥ずかしいって何よ。教えてー。教えないと羞恥心男って呼ぶよ」
 ミキがそう言いながら、ユタの肩を揺らしてくる。
「ちょ、そっちの方が恥ずかしそうだから、やめてくれるかな」
「教えてくれるまでやめない。羞恥心男。羞恥。羞ちゃん」
 まくし立てるように言うミキ。勘弁してくれよとユタは思う。
「わかった。言う。言うってば。だから羞ちゃんとか呼ぶな。やめてくれよ」
 変なあだ名をつけられそうになるのを、苦い顔をして阻止する。
「やったぁ」
 子どもみたいに両手を上げて喜ぶミキを見て本当に扱いづらいなと感じながら、ユタは一度深呼吸をする。また何か言われるのを覚悟して。
「一応言っておくが、聞き耳を立てるつもりはなかったんだ。けど女子トイレで百合子の悪口を言っている子たちがいて、俺はそれに腹を立てた。だから思わず」
「思わず、何。女子トイレに、入ったとでも」
 ミキの声色が不自然に高くなったのでその顔を見ると、やはり不自然なほどの笑顔を作っていた。ああ、これは怒っているような。そんな気がする。
 ユタは小さく頷く。とても大きく頷くことはできない。ミキの反応が怖すぎて。
「うん」
「うっわー。変態男だったか。そっか。そうなんだ。納得だわ」
「え、何。何を納得したの、今。言っとくけど、仕方なかったんだからな。百合子がトイレに入ってたから、それで後から入っていった二人組の女の子たちがだな」
 ユタが最後まで説明する間もなく、
「百合子ちゃんが女子トイレに入ってたって。そんなところまでストーカーしてたのかこの変態男が」
 女子トイレの部分だけを妙に強調してミキが言ってきた。
「だから、ちゃんと死神の姿のまま出入り口で待ってたって。ストーカーとか言うな。違うから、俺は変態じゃないから」
 ユタは必死で否定した。
「変態男の言うことは信用できないね。死神ユタじゃなくて、今度から変態ユタと名乗るべきだよ」
「絶対にいやだ」
 断固として拒否する。それだけは。そう思いながら強く言って、話しが全然進んでいないことに気付く。ミキのペースに乗せられるとこうなるのだなと実感した。
「あはは。冗談だよ。ユタはからかうと本当に面白いな」
 ミキが笑う。その場に花が咲いたみたいなそんな笑顔だとユタは思う。
「そりゃ、どうも。お前はいつもと変わらないな。もっと落ち込んでると思ってたのに。正直、拍子抜けだよ。会ったらなんて言って励まそうとか、いろいろ考えてたのに」
 ミナトに拒絶された。それがミキにとってどれだけショックなのかユタにはわからないが、少なくともいつも通りには振るまえないだろうと思っていた。けれど実際はまったく逆だ。意外だった。
「うん。元気だけが取り柄だからね。でも、ありがとう。心配してくれて」
「仲間だからな」
 ユタは力強く言う。
 以前も百合子のことに首を突っ込もうとしたとき、ミキがユタのことを心配してくれたそれと同様だ。あの時のミキの気持ちが今のユタにはわかる。
 仲間だから心配する。助けたいと思う。
「そうだね。仲間だね。なんか、恥ずかしいけど」
 ミキは照れたように笑ってから、急に寂しそうな顔をして言った。
「百合子ちゃんはいいな。自分のことに一生懸命になってくれる、ユタみたいなやつがいて。私にも、いてくれたはずなんだけどな」
 詳しい事情は知らない。気になるけれど、聞いていいものかどうか計りかねている。
 ユタは慎重に言葉を選ぶ。
「あいつの代わりに。ミナトの代わりに、俺が一生懸命になってやろうか」
 選んだつもりなのに、何故かミキは鳩が豆鉄砲をくらったような表情をしている。そしてしばらく沈黙が流れる。何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。と思い、じわじわと不安感がわき上がる。変な汗が出てきそうだ。
「えっと、それは。もしかして口説いてるの。私、口説かれちゃってるの」
「いや、そんなつもりはないんだけど」
 やはり何か間違えたのか、ミキが何故か顔を赤らめてそんなことを言い出した。周りが白一色なので顔色が変わるのがはっきりと見て取れる。
「やだ、浮気。これって浮気なのかな。いやん。百合子ちゃんに怒られちゃう。というか、ユタはただの天然タラシなのかも。騙されちゃダメよ、私」
 本人は独り言のつもりなのだろうか。すべて口から洩れて出ているが、突っ込むべきなのだろうか。とかいろいろ思いながらユタは困惑していた。
「聞いてるか。人の話し」
「ユタ、私はね。ミナトのものなの。ずっと、あの日から。ミナトが私を救ってくれたあの日から。だからね。だから」
 勢い良くしゃべり始めたと思ったら突然の失速。だからユタは反応に困ってしまう。
「お、おう」
「だから、ミナトの代わりはいらないの」
 泣きそうな顔をして、ミキが言った。
 ユタはなんと言ったらいいのかわからなくて、黙って彼女の話しに耳を貸すことにした。
「まだ生きてた頃。生前っていうのかな。私、バカだからさ。勉強もできなくて志望してた高校に落ちたんだ。それですっごく父親に怒られて。先生にも無理だと言われてた偏差値の高い学校だったから、私的にはざまあみろって感じだったんだけど。あ、父親ってそこそこ大きい企業の社長だったの。プライドだけは高くてね。いい高校に入れってうるさくて。でも、落ちたから面目丸つぶれ」
 ミキは微笑してから、真面目な表情で続ける。
「家もすごく厳しいし、礼儀作法には特にうるさくて。挙句母親がすごく過保護でね。家に帰るのが少しでも遅いとすぐに怒って。だから外で友達と遊んだりすることも出来なかった。もちろん中学の頃から部活もやってない。そんなだから、当然学校でも孤立してた。クラスメイトたちが私のこと、お嬢様って嫌味ったらしく呼ぶの。お嬢様だから庶民の自分たちとは話したくないんだってさ。とか勝手に言うの。私はそんなこと微塵も思ったことないのに。変だよね」
「ああ。そうだな」
 ユタは相槌を打つ。
 自分の家を鳥籠と例えていたぐらいだ。ミキは相当辛かったのだろう。そんな人生を送ってきた彼女が現在こうなのは、その反動なのだろうか。元気な時の彼女を見ていると、今の話は想像がつかない。
「高校で孤立してた私に手を差し伸べてくれたのはミナトだった。ミナトは私の救世主だったよ。ミナトのお陰で、少しだけど友達も出来た。私は普通。みんなと同じ何だって示してくれた。決してお嬢様なんかじゃない。普通の女子高生だよって。私はそれがすごく嬉しくて。ミナトのこと好きになった。好きで好きでどうしようもなくて、たくさん悩んだ。ミナトは誰にでも優しいところがあったから、私のことは本当はなんとも思っていないのかもしれない。とかいろいろね。でも、あのままは絶対にいやだったから。だから振られるのを覚悟して、私は彼に告白したの。結果は言わなくてもわかると思うんだけど。付き合いだしてからは本当に幸せだった。これ以上ないくらい。本当にこんなに幸せでいいのかって思ってた。私にそんな権利があるのかって。それを言ったらミナトに怒られたんだけど。でもその時思ったの。ああ、この人とずっと一緒にいたいなって」
 懐かしむように、今度は嬉しそうな顔をしてミキはそう言った。表情をころころ変える姿が、ちょっとだけ面白いとユタは感じた。彼女には悪いけれど。
「あ、一つ言っておくけど。ミナトだって前はあんな無愛想じゃなかったんだよ。適度に笑うこともあったし、健全な男子高校生だったんだから」
「嘘だ。マジで信じられない」
 ミキの言葉に驚いてちょっと想像してみるけれど、なんとなく気持ち悪い。乾いた笑いをなら浮かべそうだなとユタは思った。
「嘘じゃないよ。あんな風になったのは、死神になってからだもん」
 少しむっとした表情で、ミキが言う。
「そうなのか」
 ユタがまだ納得できない表情でそう言うと、ミキは頷いてこう言った。
「うん。人って変わるよ。一つのきっかけで、いい方にも悪い方にも変わっちゃう。私もね、前はこんなに明るく奔放じゃなかったんだよ。自分に自信がなくて、いつも下ばかり向いてる子だった。頭も良くないし、お父さん本当は、私のこと邪魔だったんじゃないかなって時々思う」
「ごめん、それこそ想像がつかないんだけど。え、誰が自分に自信がなくて下ばかり向いてる子だって」
 ユタは顔をしかめた。聞き間違いじゃないかと思って疑った。信じられない話しだ。
「私だよ。もー、ユタのバカ。ユタだって死神になる前は今と違うくせに」
 バカと言われたので、ユタは反論する。
「そんなの、決めつけんな。知らないくせに」
 するとミキは笑みを浮かべ、
「ふっふーん。サクに言われたんだもんね。みんな生きてた頃と性格が変わるって。それは自分自身が望んだからだって。なりたい自分になってるからだって」
 そう得意げに言った。
「そうなのか。まあ、確かに生きていた頃とは違うかもしれないけど」
 性格が変わったことには、ユタ自身も感じてはいた。サクが言うことなので本当のことなのだろうとは思う。
 けれど、だから尚更ミキの話にひっかかるのだ。
「でしょう」
 ミキは自信満々だった。
「でも、それだとさ。ミナトが無愛想になったのは、それをミナトが望んだからってことになるよな」
 ユタは真剣な表情で言った。
「うっ。そ、それは」
 確信をついてしまったのか。ミキが困った顔をして黙り込む。
 大体、おかしいのだ。ミキが今まで話していたことのどこに、死ぬことになる必要がある? まだ何か、彼女は肝心な話をしていない。核心的な話をしていない。
「ミキがミナトのことを、すごく好きなのはわかった。けど、それがなんで一緒に死ぬことに繋がるんだよ。結婚を考えていたのに反対されたとは聞いたけど。まだ高校生だし、結婚なんて先の話だよな」
 高校生で交際しているという事実だけで受け入れるのに精一杯なのに。結婚なんてそんな先の、大人の考えることを持ち出されても、正直あんまり理解できない。ユタが子どもなのかもしれないが、現実感がない。これが普通なのか。
「結婚は飛躍しすぎだと思うけど。でも、実際考えちゃうんだよね。高校生でもだよ。この先どうなるかなんてまるでわからないけど、一生を共にしたいって気持ちが=結婚。なんだと思う。周りから見るとおかしいのかもしれないけれど。恋愛中はそんなものだと思うな。ちなみに私の友人にもいたよ、卒業したら結婚するって言ってた子」
 信じられないとユタは思った。そんなこと考えたこともなかった。
 生きていたあの頃は自分の将来のことなど、考える余裕もなかったんだなと改めて思う。
「なんか、おいていかれている気分」
「あはは。まあ、ここから本題なんだけど」
 ミキは笑ってから、突然真面目な顔をする。
「ミナトと付き合いだしてから、家に帰るのが遅くなったりするようになった。当然、母親が怒るよね。でね、そのことが母親から父親に伝わって、結局交際してることがばれちゃって。どこの誰だって聞かれたからミナトのことしゃべったのね。そしたら」
 そこからの話もユタの想像を超えていた。本当の話なのかと疑いたくなった。身近にそんな人間がいることが、信じられなかった。
「ミナトのこと、調べ尽くして。わざわざ学校まで来たんだよ。それで、お父さんがミナトを罵るんだ。お前は偽善者だ。お前は悪魔の子だ。って。最初、私はなんのことかわからなかった。どうしてそんなこと言うんだろう。そんな、ひどいことって。そしたら言われたの。こいつの、ミナトの父親がどんなやつなのかお前は知らないのか。って。彼の父親はね、元詐欺師だったの。お父さんはミナトが父親と同じことをするんじゃないかって心配してた。私が騙されているんじゃないかってずっと言ってた。お金を騙し取ろうとしてる犯罪者じゃないのかって。でも、私はそうは思わなかった。ミナトのこと信じてたから」
 信じてた。その言葉が妙に重く聞こえた。ミナトは本当に信じるに値する人間だったのか。そんなもの、近くにいる彼女が一番よくわかっているだろう。
「生まれて初めて親とケンカして、生まれて初めて親に逆らった。やっぱり、なかなかわかってもらえなくて、悔しくて。泣くことしかできなかった。それから、ミナトの父親にも話しが伝わって。余計にややこしくなった。あの人は私のお父さんが気に喰わないみたいで、私とミナトを別れさせようとしてきた。お父さんも同じだった。双方の親から反対されて、私たちはどうすることもできなかった。だって、私たちの意思とは関係ない。苦しくて、辛くて」
 そこまで聞いて、ようやく話が繋がった。だからミナトはミキに言ったのだ。二人が苦しい状況から逃げるために、つい頼んでしまったんだ。
 一緒に死んでくれませんか。と。
「偏見とか本当、どうしようもないよね。私たちまだ子どもだもん。他に頼るところもないし。二人だけで生きていくことなんてできない。だから結論、ミナトが先に出してくれたから、私はそれに従った。それこそ依存していたのかもしれないね。ミナトと一緒ならなんだって耐えられると思ってた。あの時は」
 ミキはそう言って、両手を交差して両腕をつかんだ。何かに脅えるみたいに、両膝も抱え込んで。
「でも、本当は怖かった。実は死ぬ気なんかなくて、ミナトだけ生き残って私だけが死んだりしたらって考えて。考える自分が恐ろしかった。そんなことしないって信じたいけど、どうしても怖かった。お父さんの騙されているんじゃないかって言葉が過ってしまって、自分は最低だと思った。私はミナトを信じてたはずなのに。信じてた気持ち、全部嘘だったのかなって。自分のことまで疑って。今でもそうだよ。私は私が、わかんないんだよ」
 震えた声でそう言うミキの瞳から、大粒の涙が流れ落ちる。後から後から溢れて来て、止まることを知らないみたいにしばらく流れ続けた。ユタはそんなミキを横目で見ながら、そういえばここからどうやって出ればいいんだろう。と、半ば関係のないことを考えていた。このタイミングでミナトが助けに来てくれたら最高なんだけどな、と。そんな都合のいいことは当然、起こらなかったわけだけど。
「それでも。お前が考えていることは、お前にしかわかんないんだからさ。それを出さないと。伝えないと、相手に何も伝わらないぞ。お前がミナトを信じてた気持ちを、お前が信じないでどうするんだよ」
 精一杯の慰めの言葉だった。ユタにはそれぐらいしかできない。
 ミキはふいに、空を見るように濡れた顔を少し持ち上げた。
「ここと同じ白い部屋で目覚めた時、隣にミナトがいて心の底からほっとした。正直嬉しかった。よかったって思った。ミナトは本当に私のために行動してくれたんだって、一緒に死んでくれたんだって思った。これでまたミナトのこと信じられるって。でも無理だったんだ。ミナトは変わっちゃった。私も変わっちゃった。死ぬ前みたいに戻れるなんて思った私がバカだったんだ。全部、全部。壊れちゃったから」
 眉根を寄せて、ミキが泣きながらそう言う。
 ユタはわかるような、わからないような。なんだか納得がいかなくて。二人がこのまま離れてしまったら、いけないようなそんな気がして。一生懸命に考えて言葉を紡ぐ。
「そう、かな。俺は違うと思う。まだ、元に戻れるよ。ミナトさ、お前のことを苦しめてるんじゃないかって言ってた。自分の我儘で一緒に死んで、本当に幸せだったのかって。でも俺が思うに、二人ともただ不器用なだけだったんじゃないかな。俺は、前までずっと死ぬってことは、終わることだって思ってた。でも死神になってから、それは違うんだってわかったから、ちょっと嬉しかった。死んで終わりじゃない。死んで、新しくまた始まるんだ。なら、前に戻ることだって出来ると思わないか」
「何それ。ゲーム脳じゃん。リトライと、コンティニューみたいなことでしょう」
 ミキがそう言って、泣きながら笑う。
 そんな反応が来るとは思いもしなかったが、確かにミキの言う通りゲーム用語に当てはまるなと気付いて、楽しくなる。
「そう、それ。死がゲームオーバーなら、前世をやり直すリトライ。来世で身体を新しくしてやり直すコンティニュー」
「ふふ。私たち、死神だからゲームオーバー中ってこと。なんかいやだなぁ」
 そう言ってミキが苦笑いする。
「そうかな。ゲームオーバー中ってことは、可能性無限じゃない。だってさ、まだどっちにするか決めてる最中ってことだよ。ひょっとしたらもう一つ選択肢あるかもしれないし。まあ、俺たちの場合、リトライは出来ないんだけどな」
 そう言って、ユタが笑った時だった。
「普通、両方とも出来ません」
 澄んだ声が聞こえて来て、ユタとミキはほぼ同時に驚いた。振り返ると、少し離れたところにシノが立っていた。一体いつからそこにいたのか。
「シ、シノ。どうしてここに。ってか、どうやってここに」
 出入り口なんて見たところどこにもないのに。ユタは純粋に首を傾げていた。
「シノ」
 ミキが彼女の名前を呟きながら、腕で涙を拭う仕草をする。
「ちょっと裏技を使わせていただきました。そんなことより、お二人とも早く帰りましょう。ミナトくんが待ってます」
 シノの言葉に、ミキは何故かユタの服の袖をつかんできた。それから、ゆっくりと首を振る。
「いやだ。帰りたくない」
 俯き加減でそう言って、ミキは再び泣き始める。
「ミキちゃん」
 シノがミキを優しい声で呼び掛ける。
「ミナトだってきっと、戻ってくるなって思ってるよ。私はうざいから、うっとうしいから。重いから」
 強い言葉でミキが自虐する。
「いい加減にしてください!」
 ミキの声に負けじと、シノがそう叫んだ。シノのこんな大きな声を聞くのは、ユタには初めてだった。だから驚いて、目を丸くした。
「そんなこと。そんなふうに言うミキちゃんは、とてもらしくないと思います。ミキちゃんはいつも明るくて、奔放で、草葉荘のみんなを元気にしてくださる、ムードメーカーじゃないですか。それが今のミキちゃんじゃないんですか」
 シノが必死なのは、顔を見ればすぐにわかった。白い空間にシノの声が響き渡る。
「正直に言います。僕はミキちゃんが、時折羨ましかったです。真っ直ぐで嘘がなく、自分の感情に素直で、ありのまま。でも、そんなミキちゃんが僕は好きなんです。ミナトくんだって、きっと同じことを思っているはずです。ですからもう一度。もう一度だけでいいですから、お二人で話し合ってみてくださいませんか」
「そんなの、無理だよ。真っ直ぐで嘘がない? 違うよ。とんだ勘違いだよ」
 ミキは自嘲するように薄笑いを浮かべた。
「ええ、確かに勘違いかもしれません。でも僕の知っているミキちゃんは、相手にいくら突き放されても絶対にめげない。そんな人です」
 シノはいつもの顔で、ミキに微笑みかけていた。ユタもぎこちなく笑顔を浮かべながら、ミキにこう言った。
「そうだぞ。お前の空気の読めないところははむしろ才能だ」
「ユタはそれ、褒めてるのか。貶してるのか」
 気に障ったのか、ミキがユタの方を軽く睨みながら言った。
「両方かな」
「えー」
 ユタの答えに、ミキが少しむっとする。
「帰りましょうか。草葉荘へ」
 シノが言った。それが当たり前かのように。ごく自然のように。
 ミナトとミキが双子になった理由が、ユタにはなんとなくわかったような気がした。一緒にいるのが当然。ごく自然。単純なことだ。彼らは家族になりたかったのだ。より絆の深い家族に、双子というカタチを選んだだけのこと。彼らがそれを望んだだけのこと。
「そこまで言うなら」
 とミキが口にして、申し訳なさそうに笑った。

 どこまで飛んだのかわからない。ただ磯の香りが漂ってきたのと、海が見えたので結構遠くまで来てしまったのではないかと思った。飛んでいた距離も速さもわからないけれど、あれからおそらく一時間近く経つ。その間ずっとサクの好きな魚料理の話を聞かされていたと思うけれど、その大半を百合子は覚えていない。正直に言ってしまえば、興味のそそられないどうでもいい話だったから。
「あー、腕が疲れた」
 白い大きな建物の前で降ろされて、サクが肩を回しながら言った。それから片腕をもう一方の手で揉んだり、伸ばしたりしている。そりゃ一時間近く百合子を抱えていたのだから疲れるだろう。なんだか自分が悪いみたいな気分になって、百合子は思わず尋ねていた。
「こんなにかかるとは思っていなかったんですけど。疲れるなら途中で休憩を入れるなりすればよかったんじゃないですか」
 百合子が尋ねると、サクはこう返してきた。
「ほぅ、言うねえ。確かに君は正しいよ。正しいけれど君の正しさは時に残酷だ。あの状況で休憩をしようなんて言えるはずがないだろう。何より一刻も早く君をここへ連れて行きたいという焦りもあった。いたしかたない」
「そうですか」
 本当に焦りを感じていたのなら、あんなに魚の話をせずともよかったのではないだろうか。と百合子は思った。
「君は、ここがどこだかわかるかい」
 サクの質問に、百合子は答えない。その質問はあまりにもざっくりしすぎていて、どう答えてよいものか百合子にはわからなかった。地名を聞かれたのか、建物の名前を聞かれたのか。それがわからない。
「ここにね、みんなが眠っているんだ」
 サクは静かにそう言った。
 ここ。白い建物。横にも縦にも長い。屋上の真下の壁に大きく、病院の文字が見えた。百合子はそれを見上げてから理解した。ここに、死神たちの身体があるのだ。
「自殺したのに死にきれなかった。時々いるんだよね、そういう人間が。偶然に偶然を重ねて助かってしまった。だがそれを、彼らは運が良いとは思わないだろう。けれど本当は、この世に偶然はない。彼らがそうなることは、始めから予定されていたことなんだから」
 百合子が視線を戻すと、サクの姿が変わっていた。黒い羽根は消え、代わりに現れた右手の腕時計は存在感を強くしていた。
「そんな人たちを集めて、どうするつもりだったんですか」
 百合子は尋ねる。
 いまいち、わからないことがある。それは、サクがユタたちの敵なのか味方なのか。彼の話からでは、読めないのだ。
「くだらない」
「え」
 ぽつりとサクが呟いて、百合子は思わず呆然とした。
「まったく、くだらないと思うよ。俺はね、あいつらを見ていると虫唾が走る。いや、あいつらじゃないか。この時代に生きているやつらみんなを見ていると、自分がバカみたいに思える」
 百合子は首を傾げてサクを見つめる。そんな風に言う彼の理由が気になった。彼は特別な存在だ。不思議な存在だ。自らを管理者と称した彼の話しを、百合子は理解したいと思っていた。
「俺は戦争を知っている。平和な世の中が来れば、みんなが幸せになれると思っていた。戦争が終われば、誰も哀しまずに死ねると本気で信じていたんだ。それなのに」
 サクの言いたいことは、百合子にはなんとなくわかった。理想を掲げた結果が、今のこの社会だ。犯罪が横行し、自殺者も絶えない。誰も彼もがそんな世の中を、望んでいたはずがない。
 百合子は自分も悪いような気がして、胸が苦しくなるのを感じた。
「俺は自分の妻を、産まれてくる赤ん坊を守るために死んだ。国のためなんかじゃない。自分の一番大切な人たちを守るために、死んだ。でもあいつらは違う。自分のために死のうとした。そんなことは絶対に許されない。いや、許さない」
 お前も同様に。と言われたような気がして、百合子はサクが怖くなった。この人が抱えてきた苦しみに比べれば、自分たちは確かにちっぽけだった。
 いつも死にたいと思っていた。いつ死んでもいいと思っていた。生きている意味などないと思っていた。だけどそれは、戦争のない時代に生まれてきた自分たちのエゴだ。
「死は恐れるべきもの。生きることは誰かに必要とされることだ。死神は、それを理解させるためのいわばシステムだ。人生に絶望した者たちを、もう一度生きたいと思わせるために用意した箱庭だ」
 どこか遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。

 シノが開けてくれた出口から出ると、そこは草葉荘一〇一号室。サクの部屋だった。どうしてそんなところから出たのかはわからない。ユタは白い部屋に落ちる前、学校にいたはずだ。ユタとミキが驚いた顔をしていると、シノが説明してくれる。
「ミキちゃんとユタくんがあの部屋に閉じ込められていたのは、すべてサクさんの差し金ですよ。あの白い部屋は、サクさんが作ったものですから」
「なんで、そんなこと」
 ユタは動揺しながら、シノに尋ねる。
「わかりません。サクさんの考えることなんてわかりませんよ。今もどこで何をしているのか」
 棘のある言い方で、シノはさっさとサクの部屋から出ていこうとする。ユタも一緒に出ようとして、ミキの方を見た。所在なさげに独りで立っていた。
「ここまで来て、まだ渋ってるのかよ」
「だって。ミナトが」
 ミキが不安そうな顔をしていった。
「あーもー。ミキは、ミナトが嫌いになったのか」
 半ば呆れ気味に尋ねると、ミキは大きく首を振った。
「違う。違うよ。いやだ。私はミナトが好き」
「よし、それでいいんだよ。だから早くそれを本人に伝えに行こう。な」
 その言葉にミキはようやく頷いて、ユタと一緒に部屋から出る。焦るように歩いて、ミナトのいるであろう一〇三号室へ向かった。
 ミキとミナトの間にある絆は、きっと何があってもなくならないものと思っていた。今でも思っている。だからもう一度二人が向き合って話し合えば、なんとかなるものだと信じてやまない。第一、二人が不仲のままだと困るのは草葉荘の住人全員だ。
「ミナトくん。ミキちゃんを連れ戻してきました。入ってもよろしいですか?」
 ノックをしてからシノが言う。
 扉をゆっくりと開けて中を覗くと、部屋の奥の方に人影が見えた。窓の近くで、ミナトが崩れた胡坐をかいて床に座り込んでいる。静かに目を閉じて、眠っているように見えた。
「ミナト。眠っているの?」
 言いながら怖がる様子で部屋に入り、ミナトに近づいていくミキ。ユタとシノはそれを見守る。そうすることしか後は出来ない。
 ミナトはゆっくりと眼を開けて、唇を動かす。
「夢を見ていた。海の中で、ミキの手をしっかりと握っていた。でも、ミキの手は震えていて。ああ、怖いんだなと思って。痛いんだな、苦しいんだなと思って。それは俺も同じで。大丈夫だってずっと言い聞かせていたけれど、頭の中、だんだんなんにも考えられなくなっていった。俺は……。ミキだけでも助かればいいなんて、そんなこと思ってた」
「私だけ助かる? そんなのダメ。そんなこと考えていたなんて全然知らなかった。なんでなの。なんでミナトはいつもそうなの。上辺だけで、本心を見せない。私、だからいつも不安だった」
 首を振りながらミキが言う。
 彼女が今どんな表情をしているのかユタにはわからない。どんな気持ちでミナトの前に立っているのかわからない。
「俺も不安だったんだよ。俺のせいで、ミキが傷付いているんじゃないかって。本当のことを言ってほしかった。本当は、死にたくなんかなかったんでしょう。俺のこと、疑っていたんでしょう」
「ミナト。知ってたの?」
 ミキの声が震えていた。気付いていたのか。とユタも思った。互いに不安を抱えたまま死神として過ごすのはどんなにか辛かっただろう。表向きはそんな風には見えなかったのに。
「何年一緒にいると思ってるの。ミキのことなら大体わかるよ。言ったでしょ。ミキは自分で自分のことを決めたことがないって。それってつまりさ、意思がないってことだよ。結局ミキはさ、自分の父親を信じたんだよ。俺じゃなくて」
 ミナトの言葉にミキは否定できないようで、そのまま押し黙った。そんなミキのことが見ていられなくて、ユタは口を開いた。
「それは仕方ないんじゃないかな」
「ユタ」
 遮るようにミキがユタの名を呼ぶ。
「ミキは自分に自信がないんだよ。だから」
 ユタは言葉を続けようとするが、
「ユタ、黙って。もういい。もういいよ。私が悪いんだもん。ミナトのこと、最後の最後に信じてあげられなかった。ねえ、あれから三年だよ。もう双子ごっこは終わりにしよう」
 ミキは静かにそう言って、座っているミナトの前にしゃがみ込んだ。それからそっとミナトの頬に手を伸ばす。彼は決してそれを拒んだりはしなかった。それからしばらく二人はみつめ合って。
「私はミナトが好き。これだけは本当だよ。ミナトは私のことどう思ってるの」
 ミナトはその質問にゆっくり頷いてこう言った。
「俺もミキが好きだよ」
 どうしようもないくらいに二人は想い合い、どうしようもないくらいに気持ちがすれ違って。だからこそちゃんと向き合えばわかりあえるはずなのだ。
「うん、ありがとう。それでいいんだよって、ユタが言ってた。私もそれでいいと思う。好きな気持ちがあればそれでいい。一緒にいる理由にはなる。私はミナトとずっと一緒にいたい。だから、我儘を言わせてください」
 声を震わせて、泣きそうな顔をしながらミキが言った。
「ユタの言う通り、私は自分に自信がなくて。ミナトの言う通り、自分の意思も弱くて。一人じゃ自分のことすら決められない。だけど、多分それが私なんだと思う。今の私は理想の私で本当の私じゃないけれど、けどそういう理想を持っている私も全部ひっくるめて、私なんだ。だからミナト。そんな私からのお願いです。もしもう一度人生をやり直せるのなら、私と一緒に生きてくれませんか?」
 頬を涙が伝う。答えを聞くのが怖いのだろう。けれどミキは逃げなかった。今度は逃げずに、答えを待つ。生前の自分を認めて。今の自分を認めて。やはりミキはすごいなとユタは思った。
 リトライなんて、ただの例え話しだ。現実にはあり得ない、ゲーム脳の戯言だ。もしありえるのだとしても、ユタはやり直したいなんて思わない。笑って死にたかったと後悔はしたけれど。しばらくの沈黙の後、ミナトは言った。
「うん。ミキと一緒なら、生きても構わない。大好きな人と一緒に生きられるのなら、こんなに幸せなことはない」
 ミナトの言葉に、ミキは笑みをこぼした。
「それ、どこかできいたフレーズ」
「うん。俺はもしかしたら、そう言ってもらえるのをずっと待っていたのかもしれない。今でも時折思うんだ。あの時もう少し頑張っていたらって。死ぬことなんかなかったんじゃないかって。どうしてそっちを選んだんだろうって、ずっと後悔していた。こんなこと言うの今さらだけど。あの時、ミキがいやだって言ってくれていたらって何度も、何度も思ってた。自分の心が弱いのも全部、ミキのせいにしていたんだよ」
 そこまで言って、ミナトは自分の頬に置かれているミキの手にそっと触れた。
「ごめん。ずっと謝りたかった」
 その一言が、ミナトは言えずにいたのだろう。長い間。言えなくて苦しんでいたのだろう。肩の荷を下すように、彼の表情が柔らかくなったように感じた。
 ミキは首を振る。
「ううん。こっちこそごめんね」
「ミキ。これからは痛みも苦しみも全部分かち合おう。俺たちは最高のパートナーだから」
 ミナトがそう言って、少し笑みを浮かべたような気がした。
「うん。そうだね」
 とミキが頷いた瞬間だった。突然二人の姿が霧散する。何が起こったのかを理解するのに数秒かかった。驚愕した。
「え」
 思わず声を漏らすと、ユタはしばらく呆然とその場に立ち尽くした。
 あり得ないことが起こったのだと思った。先ほどまで確かにそこに存在していた二人が、忽然と姿を消した。一瞬、時が止まったかのように思えた。
「消えた。なあ、今消えたよな、あの二人」
 今自分が見たものを確かめたくて、ユタは同意を求めようとシノの方を向く。
「あ、れ。シノ。どこ行ったんだ。う、嘘だろ。なんで、シノまで」
 ユタは動揺した。そこには誰もいない。つい先ほどまでいたはずの彼女。その姿はなく、けれど扉の閉じる音と誰かの靴の音が聞こえていた。多分シノは部屋を出ていったのだと思う。問題は、ミキとミナトの二人が姿を消したことだ。そりゃあんなものを見たら、平静でいられないだろう。だから理解する。
 ユタは部屋に一人取り残されてしまったのだと。                     (続く)