【一匹文士伊神権太がゆく 人生そぞろ歩き(2018年11月)】

平成30年11月28日
 冬向かう膝に丸まるネコ重し
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 このところは自堕落なる転倒で発生したといえるだろう、右手肘の骨折部分への三角巾を取ったり外したりしながら、あちらこちらを飛び回り、さすがに少しだけ疲れた。どれもが重要な集まりなので疎かにするわけにもいかない。
 というわけで、きのうの夕方、東京さから帰ってきた。

 1昨日、11月26日の行き先は東京・千代田区一ツ橋の如水会館スターホール。
 ここで午後6時から日本ペンクラブ創立から83年目を祝う「ペンの日」の集い、懇親会があったためで、私は昨年の「ペンの日」以降、例年なら出席しているはずの秋の京都例会なども欠席しており「これではいけない。」と自戒し急きょ、いざゆかんーと「東京行き」を思い立ったのである(もっとも私の場合、昨秋からは肺の病で検査・手術・入退院と続き、やっと完治したと思ったところで今度は自業自得の骨折劇に見舞われ現在はリハビリ治療中の身だ)。
 
 講演する中西進さんと挨拶にたった吉岡忍会長。席上、永年会員(35年)の表彰もあった。
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 久しぶりの出席となったこの夜の「ペンの日」の集いは、懇親会に先だち長年、日本ペンクラブの理事や副会長を務められた万葉学者、中西進さん(1昨年の文化勲章受章者)が「私とペン」と題して講演されたが、この話の内容がまたよかった。
 事実、中西さんの口からは「かつて1972年にブエノスアイレスで開かれた国際ペン大会に出席して以降、長い歳月がたちましたが、結局のところ、私たちは【言葉から始まって言葉に帰る】。これしかありません。ですから、皆さん! きょうこの日から言葉による〈平和の樹立〉を国際的なスタンスとしようではありませんか」と呼びかける場面も。これには誰もが強く深く、静かに頷いていた。
 引き続いて吉岡忍日本ペンクラブ会長のあいさつ、来賓の出久根達郎日本文藝家協会理事長のあいさつと続いたが吉岡会長は「1935年のきょうこの日に日本ペンクラブが島崎藤村氏らにより誕生してから83年。この間、苦難の道をたどってきましたが、日本ペンクラブの今は、どんな立ち位置にあるのか。皆さん、言論の自由のこの先を考えてみてください」と力説。出久根理事長も新元号に触れ「昭和の〝和〟と平成の〝平〟を取って、いっそ【平和】にしたら分かりやすくて良いですね」とユーモアたっぷりに提言、会場がドッと沸く一幕まで見られた。

 この後は思い思いにペンクラブ仲間との懇親に移ったが、かつて20年近く前に私の作品を読んでくださって私を日本ペンクラブ(n、小説家)に推挙してくださった中西さんと久しぶりに歓談。現役の新聞記者時代から私とは旧知の仲でもある吉岡会長はじめ「脱原発社会をめざす文学者の会」の会員仲間山本源一さん、さらには永遠の美青年で往年の木枯し紋次郎、ニュースキャスターでも知られた中村敦夫さんらとも楽しく話し合い、なごやかなひとときとなった。
 中村敦夫さんは現在、全国各地をステージに朗読劇「元・原発技術者のモノローグ〈線量計が鳴る〉」の上演に命と情熱をこめる日々でもある。「原発の町で生まれ育ち、原発で働き、原発事故ですべてを奪われた。これは天命なのか。老人は謎解きの旅に出る」といったストーリーで来月12月22日午後には私たちの住む、ここ愛知県江南市の永正寺での上演(尾張芸術文化懇話会主催)も予定されている。

「ペンの日」の集いで懇親する日本ペンクラブ会員ら。あちこちで話の花が咲いた
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 会がはねたあとは、東京での私の隠れ家、アジトといってもいい高円寺の居酒屋〈ちんとんしゃん〉さんへ。これまた久しぶりに新潟生まれ、茨城育ちの美人女将、田島徳子さんや客人らと談笑。雑談のなかで「いがみさん。ノリさん、中上紀さん(私の好きな作家の1人でもある亡き中上健次さんの娘さん)もよくおいでですよ」と女将に教えられ、なぜか運命的なものさえ感じたのである。

 楽しい話が弾む高円寺の〈ちんとんしゃん〉、入り口の風情には独特の雰囲気が
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 それどころか、女将の田島さんは最近、自らが編集長となりノリさんら有志と一緒に江戸界隈は下町の文芸小冊子〈かりら〉の発行も始められた、とお聞きし、またまたびっくり仰天。あの忙しい中で、と敬服の至りである(〈かりら〉は03号まで発行済み)。
 そのうちに、この高円寺から文学の炎が虹となって花開くかも知れぬ、とそんな直感さえ働いたが、さてどうか。何はともあれ、〈かりら〉の順風満帆を願っておきたい。

 東京のニューフェイスとして誕生した文芸誌「かりら」
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【かりら03 なりわい】から抜粋
 世の中にはいろいろな「なりわい」がある。ちなみに私は「文筆」を「なりわい」としている。もっとも「なりわい」が一つである必要はないし、特に文筆業に限って言えば、日本の場合、筆一本で食べている人はごく一部、多くは、文章の講師などを兼ねながら生活している。会社に属し、書くこととはまったく無関係な仕事をしている人もいる。だが、私は「なりわい」は多面体であるほうがむしろ面白いと思っている。(多面体のマニ車、中上紀)=出だし部分

………(前略)
 と、過去のように話してしまったが、三つ子の魂なんとやらで、今も変わらず、わかったようなわからないような話を、わかったようなわからないような風になんとか伝えようとし続けているような気がする。(あるようになるように 田島徳子)=最後の部分
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 25日は名古屋の国際センターで行われた中部ペンクラブの理事会に出席。26、27日と東京で、きょう28日は自宅近くの歯医者さんへ。歯の掃除と若干の治療もして頂いた。それはそれとして、外へ出るのも良いが、帰宅後にチェックする新聞にかける時間となると、かなりに及ぶ。まる1日かかった。
 28日昼前。わが敬愛する友から雨にけぶる高層ビルが林立した香港の写真入りで〈香港は雨〉のメール。「乾期のはずなのに、香港は昨日も今日も雨模様 百万ドルの夜景で有名なビクトリアピークからの今の光景です。順調にご回復のご様子、大変喜ばしく思います。」の文面。
 思わず「ありがとう」と口ずさんでしまった。
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 しばらく本欄〈一匹文士のそぞろ歩き〉をご無沙汰していたこの間にも、宮崎県高千穂町の民家で家族ら6人がナタなどで次々に惨殺される怪事件が発生。一方で外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法などの改正案が27日の衆議院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、参院に送られた。
 平成の大横綱と呼ばれた大相撲の元貴乃花親方(元横綱貴乃花、46)が元フジテレビアナウンサーだった景子さん(54)と離婚していた、と各マスコミが一斉報道。弟子だった小結貴景勝が九州場所で初優勝し注目の的となった、この時に、だ。この世は非情、トントントンと変わってゆく。
 毎日が見知らぬ人との出会い。互いに大切にしたいものである。

11月22日
 小雪や水鳥たちも恋をする
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 きょうは、寒くなって雨が雪になる〈小雪〉。そして1・1・2・2の語呂合わせから〈いい夫婦の日〉だそうだ。でも、月日は理屈無しで、物言うことなく突き進んでいく。

 午前中、右腕肘骨折後のリハビリで江南厚生病院リハビリテーション科リハ療法室へ。作業療法士による治療を45分間にわたってみっちり受けたが、肘の骨が何度もコツコツ、コツと音をたてた。
 腕はだいぶ上がるようにはなったが、まだまだ痛いし、箸で食事をするまでには、とても至らない。あと一息。いや、ふた息。三息かも知れない。ここは、我慢のしどころかも知れぬ。

 それと。なんたることか。きょうの午後、今度はうっかりして自室デスクを前に座る際、愛用のメガネを何げなく置いた椅子に自分の腰を乗せてしまい、右のフレームが〝くの字〟型に。それこそ骨折した直後の右腕みたいに変形してしまい、急きょ江南市内の眼鏡店、オプティック・パリ・ミキへ。以前使っていたフレームにレンズを入れ替えてもらい、帰りは寒い風に吹かれて。かなりの距離を歩いて帰ってきた。
 行きは先日来、雑草の撤去などで大変、お世話になり通しの江南園芸さんがたまたま領収書を手にわが家を訪れられたので、ついつい甘えてしまい、眼鏡のミキさんまで車に同乗させて頂くこととあいなった。
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 昨日すなわち11月21日は名古屋は名駅の名鉄グランドホテルで私たち昭和39年滝高校普通科卒のクラス会「二石会(この会の名前は、亡き二村、石田両担任の頭文字から名付けられた)」の第13回総会及び懇親会があり、33人が全国各地から集まり、久しぶりにあんな顔こんな顔と旧交を回想し、楽しいひとときを過ごした。
 最初に「二石会」会長の今井浩壹さんが「哀しいお話をせねばなりません」と口を開き「前回総会以降の二年間に三人が亡くなりました。うち1人は何ときょうが葬儀で昨夜、私が代表してお通夜に行ってきました」と話し、全員が黙祷し故人の冥福を祈った。
 引き続き総会に移り、収支決算書の承認、役員改選と続き、懇親の宴に。途中、今井体制下で初めての試みとして実現した母校訪問の模様が大野喜久男副会長によってスライドで映し出されるなどした。最後は滝学園の学園歌に続き、私たちが高校3年生の時に一宮市萩原出身の舟木一夫さんの〈高校三年生〉が大ヒットし、その映画のロケが当時、滝高で行われた因縁もあって、今なお【滝の舟木一夫】を自他ともに認められる紅顔の美少年、石田祥二を中心に全員で〈高校三年生〉を歌って終えた。
 この日集まったクラスメートは、現日銀の黒田某総裁とは格段に違ういぶし銀の元銀行マン、本物のトップに始まって教師、農協組合長、スーパーマーケット役員から現役の有能弁護士、大学名誉教授、老人クラブリーダー、会社役員、社交ダンスの先生、新聞販売店主(ほかに多忙で欠席だったが、名物医師や公認会計士らも)………と、まさに多士済々。なかには幼稚園から古知野北小、滝中、滝高と高校までずっと一緒の幼友だちだった勝佐のヨウコちゃん(私、いがみクンは江南市和田だった)、後藤洋子さん(旧姓。今は静岡県下に住む佐藤洋子さん)にまで思いがけず会うことが出来、心にほんわかとした明かりがポツリと点いたような、そんな気がした。

 そして、この貴重な二石会の集まりがいついつまでも、未来永劫に滝高校の帆柱、シンボルとなって続くことを互いに誓いあったのである。まさに【滝高健児、永遠なれっ】だ。

 クラスメートとのひとときはアッというまに過ぎていった=名鉄グランドホテルにて
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 クラス会から帰ると東京で科学者としてがんばる長男(ナノテク博士)からメールが入っていた。
 一体、何ごとかと思ってメールを開くと「先週、国立大学協会で講演しました」とのこと。今月16日に学術総合センターで開かれた平成30年度大学マネジメントセミナー【人文社会科学系分野の研究力の強化に向けて】で蓼沼宏一(一橋大学長)竹村彰通(滋賀大学データサイエンス学部長)伊神正貫(文部科学省科学技術・学術政策研究所 科学技術・学術基盤調査研究室長)森本行人(筑波大学URA研究戦略推進室リサーチアドミニストレーター)の4氏による講演があり、息子はこのなかの1人として講演。「日本の人文学・社会科学の国際的位置や趨勢について様々なデータを多角的に分析した結果につき報告した」ものらしい。
 親バカと言おうか。どんな話の内容だったのか。直接、聴いてみたい気がしないでもない。
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 韓国の女性家族省が21日、2015年12月の慰安婦問題に関する日韓合意で設立された「和解・癒やし財団」の解散手続きに入ると発表。これに対して「国際約束が守られなければ、国と国との関係が成り立たなくなる」と安倍晋三首相。

 21日深夜、福島県小野町の民家から出火、木造1部2階建て1棟と倉庫1棟を全焼、3~8歳のこども4人を含む家族7人が死亡。
 米大リーグの今季のア・リーグ最優秀新人(新人王)に輝いた大谷翔平(24)が22日、東京の日本記者クラブで会見した。「充実したシーズンで新人王は素直に嬉しかった」とメジャー1年目を振り返った。プロ野球日本ハムからポスティングシステムでメジャーに移籍した大谷はベーブ・ルースいらいの投打の「二刀流」に挑戦。投手では4勝2敗、防御率3・31、打者としては打率2割8分5厘、22本塁打、61打点、10盗塁と活躍した。

11月20日
 火曜日。ここ尾張名古屋は、少し寒さを感じる。空は高く、雲ひとつない。抜けるようなコバルトブルーが、どこまでも広がった。
 札幌では、20日未明にやっと初雪を観測。平年の初雪観測日(10月28日)より23日、昨年に比べ28日遅く、1876年の観測開始いらい1890年(明治23年)と並び、観測開始いらい最も遅い初雪だったという。

 きょうのわが家の大ニュースは私の右腕肘の思いもしなかった骨折劇もあって、草茫々になってしまっていたわが家の畑地〈エデンの東〉が株式会社江南園芸さんのおかげで見事に生まれ変わった、ことか。

 午前中、江南園芸さんの代表取締役大脇一弘さんが小型トラックでお忙しいのに、わざわざ迎えに来てくださった。デ、舞とともに現地へ。いやはや、目の前に広がったのは、あの厄介ものだった雑草がきれいに消え失せており、肥沃な濃尾平野ならでは、の恵まれた大地の原と化した、まさに私たちが常日頃から美化して名付けて呼んでいる〈エデンの東〉そのものに変身していたのである。

 新天地として生まれかわった畑地、エデンの東(三方から)
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 雲ひとつない秋空。大脇代表とともに畑に向かうときの舞は久しぶりに目をキラキラさせ、まるで少女のようだ。まもなく着いた畑地で大脇さんから「トラクター3台を投入して4日間をかけ、作業には2人がかりで雑草を全て除去しました」との説明を受けた時には、本当にありがたいことだ、と思った。
 心配してくれていた妹の口添えにも兄として感謝したい。

「柿や梅、桃の木の周りはトラクターがかけれないので人工の手できれいに」「作業の過程で出た不要なものは、けさ不燃物として処理しておきました」「奥さまが育てられていたラベンダーなどの花々は1カ所にまとめておきました」「ついでに柿の木の剪定も」など。至れり尽くせりの作業内容についての丁寧な説明には私も舞も感動すら覚えたのである。
 最後に「亡きお父さまには生前、本当にお世話になりました。今はお母さまや妹さんにも何かとお世話になっていまして」と言葉を付け足す大脇さん。なんと気の良いお方なのだろう、と私も舞も心底から「ありがたいこと」と感謝の気持ちでいっぱいになった。
 私たちはせっかくなので、これまで畑地で野菜づくりをして世話をしてくださっていたが、つい最近、病で亡くなられた方の家を訪問。御礼の気持ちを込め線香をあげさせて頂いた。奥さまは玄関先まで私たちを見送ってくださり、ここでも胸に熱きものを感じたのである。人と人とのつながりは大切にせねば、とも思った。

 帰宅したら半分野良猫のシロちゃんが自宅外の縁台に舞が特設しておいた居住区ですやすやと眠っており、満足そうだった。
 
 毛布にくるまれ居心地のよさそうな半分野良のシロちゃん。まだ首輪はない。網戸越しに撮影。
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 帰宅後は先に日本文藝家協会から私(伊神権太)あてに届いていた同協会編の「文藝年鑑2019年版」の「便覧・文化各界人名簿」と「同人雑誌(ウエブ文学同人誌「熱砂」)」の掲載事項確認票をチエックして文藝年鑑の担当者あてに郵送するーなど、きょうも何かと忙しい時が、あわただしく過ぎていった。
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 日産自動車の代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者(64)が日産自動車の有価証券報告書に自身の役員報酬を約50億円も過少に記載し申告したとして19日、東京地検に金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕された。同地検は同日、横浜市の日産本社など関係先を家宅捜索、社内の指揮系統の解明を進めることにしている。
 新聞各紙には「ゴーン神話失墜 日産会長逮捕 社長「長年の権力弊害」 社員「会社どうなる」」「〈核心〉内部告発「剛腕」に決別 ゴーン会長逮捕 日産周到司法取引か」(20日付中日朝刊)、「ゴーン容疑者 日産側が司法取引 海外住宅無償利用か」「ゴーン容疑者 身勝手、人情ない 閉鎖の工場地元」「レバノンのスター 残念」(同毎日夕刊)などの活字が躍るが、これまで懸命に働いてきた社員の気持ちは一体どうなるのか。
 あまりにも横暴極まると言っていい。

 毎日新聞の20日付夕刊によれば、神奈川県大磯町の澤田美喜記念館が19日、収蔵品のキリシタンの信仰画がキリスト教の日本伝来からまもない16世紀末の安土桃山時代に描かれた可能性が高いと発表。米ホワイトハウスが19日、CNNテレビのジム・アコスタ記者に対する記者証没収処分を完全に撤回した。 

11月18日
 日曜日。ミッキーマウスの90歳の誕生日。
 本日付中日春秋によれば、誕生日は最初に公開されたミッキー映画「蒸気船ウィリー」(1928年)の封切り日にちなんだ、という。皇太子ご夫妻が18日、東京都調布市にある武蔵野の森総合スポーツプラザで全国育樹祭の式典に出席された。皇太子ご夫妻としては、これが最後の育樹祭になる。
 先月2日の右腕肘の骨折後、片肺飛行の青春ならぬ片腕飛行の生活をしてきた私。きょうは舞の頑張りを見かねたせいもあってか。独自の判断で思い切って骨折後初めてマイカーの運転にチャレンジ。なんとか自宅の周辺をひと回りだけ左手中心で運転することに成功した。
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 街を歩けば、何かが見えてくる。
 その言葉どおり、わが家のまわりを歩いていると最近、これまであったスーパーが店じまいで消えたと思ったら今度は近くのファミリーレストランまでがいつのまにやら閉店しているのに気がつく。
 この辺りは結構、マンションや商店も多く需要も多いはずなのに、だ。
 なぜか。それに加え、これは日本じゅうがそうかも知れないのだが。人々が普通に住んでいるはずの住宅、それも結構豪勢な庭付きの家などに住んでいた人々がある日突然の如く居なくなり、歯抜け同然になってしまった幽霊屋敷が年ごとに増えているからだ。
 わが家の周辺でも年々、人の住んでいない家がふえ寂しい限りだが、どうしてよいものか。この先行政の手腕が待たれるところでもある。

 さて、そんな深刻な話の一方で。近ごろ新聞が面白い。
 この地方で新聞といえば、もちろん〝中日さん〟だが、きのう17日付朝刊の尾張版で新たに「地域新聞」なるユニークなる〝新聞〟がスタート。こんごは13市町村ごとに地域の話題をそのつど第1線の記者たちが掘り起こし週に1度、リレー方式で順番に取り上げていくといった内容で、第1回はさっそく『北名古屋新聞』なるものが登場した。
 地域と読者に寄り添った、そんな心温まるあんな話題こんな話題が毎週土曜日の尾張版で、知恵の輪方式で家庭に届けられていくというだけに、待ち遠しい紙面となりそうだ。具体的には「わが街探偵団」「うちのどえりゃあ人」「地名ヒストリー」「現代尾張弁講座」の4本立てで紙面構成されていくという。毎回楽しみな紙面展開となりそうである。

 尾張版での「地域新聞」の開始を知らせる中日新聞16日付と第1回に登場した〈北名古屋新聞〉17日付
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 そして。新聞記事といえば、きのう17日付中日新聞の第2社会面トップに【上野市駅→忍者市駅 伊賀市、表示変更を検討 観光PR】の見出しが目に入った。なんでも『三重県伊賀市が、所有する伊賀鉄道の上野市駅の駅名表示を「忍者市駅」とする方向で検討していることが分かった。市は2017年に忍者を生かしたまちづくりを進める「忍者市宣言」をしており、市の玄関口となる駅名に「忍者」を明示し、観光客にアピールするのが狙い。』だという。
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 ところで自宅近くにあったバローが最近、私の右腕骨折にあわせるように閉店した。おかげで、舞は私が車を運転出来ないこともあって、きゃしゃな体でだいぶ離れたところにあるスーパーの平和堂やらアピタ、ピアゴなどにまで自転車で出掛け、前籠から後ろの荷台まで買い物品(ペットボトルや醤油、お酒を含む各種食料品やらトイレットペーパーまで)をいっぱい乗せて行き帰りしている。大変申し訳ない気がする。
 というわけで、きょうの午後、私は自らの独断で思い切ってマイカーのハンドルを握ってみたというわけだ。まだまだ危なっかしくはあるが、なんとか左腕でハンドルを握ってみたところ、運転が出来たときは、それこそ「やった」と思った次第。これで彼女の買い出しの際、少しは役に立てそうだ。
 とはいえ、まだまだ油断は禁物。十分、注意していかなければ。と思っている。
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 17日はナゴヤドームで恒例のファンフェスタ。松坂大輔投手(38歳)は36000人のファンを前に「来年は今年の倍以上投げ、倍(12勝)以上勝ちます」と断言し、ファンを喜ばせた。織田信長が住んだとみられる屋敷跡が見つかった小牧市の小牧山で18日、市教委による現地説明会があり600人が訪れたという。さもありなん、である。
 この日は大阪府東大阪市の花園中央公園で「ゆるキャラグランプリ2018」の結果発表も。1位は埼玉県志木市文化スポーツ振興公社の「カパル」で、市職員への過度な協力要請が波紋を呼んだ四日市市の「こにゅうどうくん」は組織票の帳消しなどもあって3位だった。
 徳島県三好市の黒川征一市長が市の広報紙に掲載したコラムに共産党機関紙「しんぶん赤旗」のコラム表現を盗用して問題化。12月号でおわびを掲載するという。情けない、とはこのことか。

11月16日
 探しもの見つかりぬ全山紅葉(11月16日)
 三日月の舟に乗りつつ旅に出ん(11月15日)
 =伊神舞子の〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 紅葉真っ盛りである。梓川の清流が心地よい北ア・上高地、奥美濃の山里、赤目四十八滝、能登の小丸山公園、大垣城公園と芭蕉ゆかりの水門川、大津の三井寺など。どこもかしこも、燃え尽きるほどの美しさに違いない。 
 14日夜。美しい三日月が神月そのままにポッカリと空に浮かんだ。なぜか神月を見ると今は亡き、昨年7月に旅立った神猫シロちゃんを思い出す。彼女はわが著作〈懺悔の滴(人間社刊)〉の表紙を飾った。

 月が微笑んでいる。その顔は私たちに何を言おうとしているのか。ああ~、それなのに。きょう(14日)も、応援している横綱稀勢の里が大相撲九州場所で平幕栃煌山にすくい投げで逆転負けしてしまい、これで4連敗の屈辱。誠に残念無念である。横綱の4連敗だなんて聞いたことがない。 
 不戦敗を除いて横綱の初日からの4連敗は1931年春場所の宮城山いらい87年ぶり、1場所15日制が定着した49年夏場所以降では初の事態。それだけに、本日付中日スポーツ〈はやわざ御免 北の富士勝昭〉の見出しにある通り「弱いから負けた。それだけで十分だ」の活字が胸に容赦なく突き刺さる。

 往年の名横綱、北の富士勝昭さんは、この〈はやわざ御免〉の中でこうも言っている。
――場所前、80番の稽古量で優勝を狙うと、高らかに宣言したではないか。私はそれを聞いてがっくりした。番付発表から2週間、約10日間でたったの80番、1日にして数えると、1日10番足らずの番数である。それも、格下相手である。稽古は番数でないとも述べている。私は「もう、救いようがない」と思ったものだ。だから、始まってからの3日間にこだわったのである。
 結果は見ての通り。散々たるありさまとなってしまった。「人事を尽くして天命を待つ」というが、稀勢の里は人事を尽くしたのか? 砂にまみれて稽古をしたのだろうか? 誰の口からもよくやっているという話は出てこない。どうやら、考えが甘かったといわざるを得ない。今の考えを反省しない限り、今後、何度チャンスを与えてもらっても、今場所と同様に終わるだろう。
(中略)
 これだけ言われたら、悔しいだろう。悔しければ優勝すればいい。初場所でも春場所でも、稀勢の里が優勝したなら、私は言い過ぎたおわびに、テレビの解説も、このコラムもやめていいと思っている。
 とにかく、言えることは、相撲ファンは稀勢の里が好きなのだ。みんなで再起を待ってくれる。初優勝して横綱に昇進したころの稀勢の里をもう一度、見たいものである。今はゆっくり休むことだ。(中略)5日目は本当に疲れた。俺も6日目から休場したいくらいだ。外出する気もない。食欲もない。金もない。これは冗談です。
 おやすみなさい。それにしても、本日の原稿は最悪だ。  (元横綱)

 さすがは名横綱だった北の富士勝昭さんだ。彼だからこそ、の機知に富んだ厳しくもあっぱれな言である。ところで私がかつて過ごした新聞記者の世界にも〈現場百回〉〈100回聞いて1を書く〉の言葉がある。歩いて。歩いて。歩きとおし、聞いて聞いて聴きまくる。そうしてこそ1行の特ダネ記事が産声をあげるのである。記者は何ごとに関しても【大いなるど素人】だ。だから、決して知ったかぶりをしてペンを手にすることは許されないのである。
 もしかしたら、稀勢の里にはこの点が欠けていたのではないか。これをスキという。天下の横綱に油断、過信があった気がしないでもない。北の富士勝昭さんの言うとおり、復活するためには、ただ稽古稽古、稽古あるのみだ。
        ☆        ☆

 13、14の両日は江南厚生病院へ。
 13日はことし1月早々に3分の1を切除した右肺のその後の状況を内科で、14日は骨折その後を整形外科(骨折部位はリハビリ治療後に)でそれぞれ担当医師に診てもらうためだ。肺は胸部のレントゲン撮影が中心だったが幸い「異常なし。でも万全を期し来年3月にもう一度診させて頂き、あとは通常の健康診断で推移を診ていきましょう」とのことだった。  
 骨折の方は「何よりも右腕が早く(直角に)曲げられるようになると良いですね。リハビリ治療を続けてください。お酒は、そこそこ」とのこと。右腕をリハビリでそろりそろりと動かす時、まだまだかなり痛いことは私自身が一番強く感じている。デ、いつもどおり痛み止めの薬を処方していただき、帰った。
 もう、病院へ行くのはひとりでも大丈夫なのに。舞はきのう、きょうとお店を休んでまで付き添ってくれ感謝している。悪いな、と思う。

 14日。病院から帰り携帯電話をチェックすると妹から3度の電話が入っていた。
「いったい何ごとか」と折り返すと「たか坊(私の本名は孝信。時に〝たかちゃん〟とも)ん、とこの畑が草茫々なのを近くの園芸屋さんが心配してくれている。ありがたいことよ。それで電話したんだよ」ときた。ならば、と税理士業務で忙しい妹にここは甘えることとし、私たちはまもなく車でさっそうと現れた妹に乗せてもらい現場に直行とあいなった。
「私も、ずっと気になっていました」と舞。草はやはり、かなり伸びてきていた。こんなわけで、私たちは妹の提言もあって、雑草の全てを刈り取って頂くことにしたのである。
 翌15日。私は江南園芸代表の大脇さんからの電話に「早いほうが良い」と判断、わざわざ車で迎えに来て頂いた大脇さんに甘え私たちの畑、エデンの東=以前に米国西海岸を訪れたときに見た夕日のあたる〈エデンの東〉に、とてもよく似ていたため私が勝手に、こう名付けた=〉へ。畑地の境界の説明などをさせてもらったが幸い、舞が育てていた紫のラベンダーと黄色マリーゴールドの花が生えそろった草たちの中で埋もれるようにして花を咲かせており、これには彼女も大喜び。ほかにピーマンも3個草の中で眠った如く育っており、これまた驚いた。

 舞が摘み取ったラベンダーとマリーゴールド
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 いずれにせよ、かなりの面積をこの際、きれいにしてもらい、また1からの出直しとなるのである(ただ現在、地元の方にお貸ししてある畑は野菜が栽培中でもあり、しばらくはそのままに、と思っている)。
 こんなわけで、私たちの畑〈エデンの東〉の雑草除去処理作業は16日朝からさっそく始まった。これも私が右手を骨折したからこそ生まれた、これまで思ってもいなかった動きである。私たちは「これで良い」と思う。人間万事塞翁が馬である。今を受け入れ、ありがたいと感謝して生きていくほかあるまい。手を折ったればこそ、のドタバタ劇。災い転じて福と化す―かもしれない。
 
 本日(16日)は、午後久しぶりに歩いて母校、滝高近くの喫茶店へ。ここで来年から始まる私の〈こらむ〉執筆を前にした事前の打ち合わせをした。
        ×        ×

 日航のロンドン発羽田行き副操縦士が大量飲酒で英国の現地警察に逮捕されたかと思えば、岐阜では家畜伝染病「豚コレラ」が発生するなど。この世の中、相も変わらず、いろいろ起きる。

11月11日
 露育つ星の光を宿しつつ(栗本寬)
 秋夕焼つながるかしら糸電話(伊神舞子)
 =9日付尾北ホームニュース〈●尾北の文芸● 俳句 江南俳句同好会〉紙面から

 立冬(7日)も過ぎ、きょうは日曜日。
 しばらく本欄〈そぞろ歩き〉とも、ご無沙汰していた。
 この間には【江南文芸村】誕生話が仕掛け人の正五郎さん(画廊喫茶「音彩」店主、後藤正敏さん)らの奔走と、中日の地元記者(鈴木里奈さん)の苦心と熱意の執筆も手伝い、〈江南での作家活動サポート〉〈有志が「文芸村」発足〉の見出し付きで8日付尾張版紙面でデカデカとトップを飾ったりした(ちなみに村長さんは私、村議会議長さんが中日スポーツの4コマ漫画「おれたちゃドラゴンズ くらはしかん」で知られる漫画家、作家の倉橋寬さん)。

 ところで肘の部分を骨折した右手がまだまだ痛くて。自由には動かせない。そればかりか、このところは手のリハビリをはじめ、三河湾リゾートリンクス(愛知県西尾市)での中部ペンクラブの秋企画「文学座談会」の準備、12月22日に江南市の臨済宗妙心寺派高屋山永正寺で開催されることになった中村敦夫さんの朗読劇「元原発労働者のモノローグ 線量計が鳴る」へのこんごの進め、近く多くの読者を対象とした街の生活情報紙で執筆が始まる私の【こらむ】の題材探しと準備、その他もろもろなどアレヤコレヤに追われた(だからといって、やはり無理はしない―と自らに言い聞かせていることもあって本欄執筆は控えている)。

 このうち今月7日に三河湾リゾートリンクスであった文学座談会は中日新聞名古屋本社文化部デスク、中村陽子記者の基調講演「文芸記者の日々」を聞いたあと、これを題材に参加者全員で大いに語り合うのが狙いだったが、講演冒頭に飛び出した中村さんの「【文化】を取材する。そもそも〈文化〉って何でしょうか。それは生活をよくしようとする人間の営みかと思います」との発言がまず、参加者の共感を誘った。
 
 講演をする中村陽子さんと熱心に質問する中部ペンクラブ会員ら=三河湾リゾートリンクスにて
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 引き続き中村さんは東京本社の文化部在任当時に10年ほど芥川、直木両賞の選考取材をした経験を基に両賞選考に至るおおまかな流れや賞それぞれの性格、受賞記者会見でのエピソード、さらには最近発覚した芥川賞の候補作「美しい顔」による類似表現問題や受賞作(芥川賞「影裏」)に見る〈震災文学のありよう〉、AI(人工知能)時代の文学の行く手などについても幅広く触れた。
 この後の参加者との質疑応答では双方の間で「芥川賞は常に新しい世界(時代)を目指し、直木賞は自分の心に添う、人生を気持ちのなかで助けてくれる文学だ」「芥川賞の受賞作家が新人なら、直木賞の方はベテランが多い。芥川賞作家の方が、寿命が短いが、なぜなのでしょう」「幸運なのかどうか。たまたま、ある偶然によって賞に輝いたことが幸せなのか、それとも不幸せなのか。それは分からない」などといった声が相次いだ。
 中には「私は芥川とか直木賞などとは関係ない世界で〝自分の書きたいことを、ただ書き続けるだけ。それが文学なのですよ〟そうしたことこそが必要なのです」と力を込めて発言する老境作家の姿も。
 こうしたさまざまな声に中村さんは「出版業界の力が弱まるなかで中央一極集中の構図が変わってきており、地方で書き続ける人も目立つ。中央以外に、さまざまな試みが増えれば、たとえ芥川賞や直木賞の選考でも無視できない存在になるはずです。この先、中部からも面白い動きがあれば記者として、とても嬉しいです」と結んだ。
        ☆        ☆

 文学座談会が終わりホッとしたところで、きのうはEテレで〈こころの時代~宗教・人生~「反骨 ~中村敦夫の福島~」(60分番組)〉を見、きょうは舞の命令に従って1人で歩いて近くの床屋さんへ。
 長く伸び放題だった無精髭を剃っていただき、気になっていた頭も整髪してもらった。行き帰りとも両手を下にぶらぶらさせ自然に歩いてみたが、骨折に泣いた右腕の痛みも少しは軽くなってきたようで、からだ全体のバランスも正常になってきた。そんな気がする。
       ×        ×

 パリの凱旋門では第1次世界大戦終結100年の記念式典。マクロン大統領はドイツのメルケル首相、国連のグテレス事務総長はじめ、トランプ米大統領やプーチンロシア大統領、麻生太郎副総理兼財務省らを前に、高まるナショナリズムの兆候に強い懸念を示し「古い悪魔が再度目覚めつつある。自国第一主義と排他的政治がのさばろうとしている」と述べた。さすがは、フランス。パリである。
 トランプ、そしてプーチン両首脳は、どう思ったか。
 大相撲九州場所の初日。1人横綱の稀勢の里は小結貴景勝にはたき込みで負け、苦しい出だしに。昨日、広島県立総合体育館であったフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第四戦、NHK杯は男女フリーなどを行い女子はGP初出場の16歳、紀平梨花(関大KFSC)がトリプルアクセル(3回転半)を2度成功させて合計224・31点をマークし逆転の初優勝を飾り、GPファイナル(12月・カナダのバンクーバー)への進出を決めた。

 東日本大震災から7年8カ月。被災地の陸前高田市では月命日の11日、M9の地震発生に伴う大津波を想定した避難訓練が行われた。先にあった米国中間選挙。上院は与党の共和党が多数を獲得したものの、下院は民主党が8年ぶりに多数派を奪回するねじれ現象となり、トランプ大統領がこの先どう出るのか。
 その米国カリフォルニア州では山火事が収まりそうにない。20万人以上に避難命令が出され、煙がサンフランシスコ周辺にまで到達、これまでに分かったところでは31人が死亡、100人以上が行方不明になっているという。
 きょうは、ここいらで。

11月6日
 フェルメールの絵十一月の光似し
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 冬の味覚ズワイガニ漁が日本海で解禁。

 最大震度7を観測し、41人が亡くなった北海道地震から丸2カ月―
 きのう5日は、世界津波の日。ニューヨークの国連本部では津波への備えをテーマにしたバネル討論が開かれ、東日本大震災の被災地日本からは岩手県陸前高田市の戸羽太市長が出席。障害者ら災害弱者にもやさしい津波に強い街づくりを目指して復興を進めていると報告した、という。岐阜県高山市では、核兵器廃絶と世界平和の実現をめざす自治体首長が集う平和首長会議の国内加盟都市総会が全国92自治体から約150人が参加して5、6の両日開かれた。
 米ではトランプ大統領が中間選挙の投開票を6日(日本時間7日)に控え、オハイオ州などで最後の訴えをして投票を呼びかけた。

「米、イラン原油禁輸発動 制裁復活 核合意の根幹崩壊」「日本など180日猶予」とは本日付中日新聞の1面トップ見出し。そして。特報面では「原発過酷作業 健康置き去り」「福島第一 車両整備の男性過労死認定 月の残業100時間超 重装備で汗まみれ」「現場の特殊性 考慮を」「ハードな工期日程 長い移動続く待機 問われる使用者の管理責任」といった活字が躍った。
――全くもって人間たちのやることは愚かなことばかりだ。
 あぁ~、と思わずため息が出てしまう。そういう私とて、その罪深き人間なのである。
        ×        ×

 雨のなか、バスに乗ってふたりで江南厚生病院へ。傘を手に舞が「お墓参りにいってきたよ」とポツリ。いつのまに、と思いつつ「そういえば、おまえのお父さんの亡くなった日が確かあす、11月7日だったよね」と私。
 昭和47年の11月7日。母子家庭に育った20の彼女は父の命日(昭和33年11月7日)を期して志摩半島は阿児町鵜方(現志摩市)の通信部で当時、新聞社の地方記者をしていた私のもとに飛び込んできたのだった。あのころは、森進一の〈襟裳岬〉が大ヒットし、舞にとっての襟裳岬が私がいる志摩半島だったのである。
 着の身着のまま、素足で近鉄鵜方駅におりたち私のもとに、こ走りで飛び込んできたその姿を私は忘れられず、後年、ベストセラーとなった〈泣かんとこ 風記者ごん!〉(能登印刷出版)執筆のきっかけにもなった。あのときはそれこそ、ふたりともゼロからの出発で、その後3人の子にも恵まれ今こうしていられるのが不思議でさえある。

 家族の仲間入りを、とチャンスをうかがう半野良シロちゃん(まだ首輪はない)と焦りなさんな、とゆったりと見守る猫パンちゃん。ふたりは良きコンビだ
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 きょうは半野良猫シロちゃんの粘り勝ちか。私たちの外出前にとうとう留守番名目でシロがわが家の家族として入居を許可され、帰宅するまでの間、家族の一員としての待遇を受けたのである。どこからやってくるのか。いつも舞が帰宅するつど決まって玄関先で出迎えてくれるシロちゃんの日頃の努力が認められたということか。
 でも、ほかの猫ちゃんたちと差別することになってはいけない。なので舞は留守番を条件にわが家に入れてしまったものらしい。「不公平はアカンよ」と私。シロちゃんは以前、わが家の家族の一員だったトンヌラ。初代の神猫シロちゃんの生まれ変わりみたい。何から何までそっくりなのである。情が移らないほうがおかしいか。
 
 夜。夕食後にふたりでNHKの〈うたコン〉を見た後、自室に戻ってこうしてそろそろと。またしても、パソコンキーを打ち始めた。いつまでも病人でいるわけにはいかない。ぼつぼつ、書き始めねば。そう、自分に言い聞かせながら、だ。
 でも、やっぱり、まだまだ右手はかなり痛い。自由にはとても動かない。

11月4日
 このところ秋ならでは、の爽やかな日が続いた。
 だが、きょうは雲が空一面を覆い尽くし、時折、小雨がぱらつく日となった。こうしたなか、世の中の人々は誰しもがそれぞれの目的に向かい、皆懸命に生きていくのである。 
 野良猫だって同じだ。みな、ちいさき心をときめかせて一瞬一瞬を生きている。わが家周辺に住み着く半野良猫のシロちゃん、猫パンちゃんたちだって、同じだ。

 1カ月ほど前、10月2日の深夜に名誉の負傷といおうか。タクシーで自宅に帰宅した際に玄関前の路上で転倒してしまい、右腕肘の骨をポキンと折ってしまい、若き日の講道館柔道三段の威光もどこへやらで、不覚にも1敗地にまみれ得難い経験に泣いた私。その後病院に通いリハビリなどの治療にあたってきたが、まだまだ痛さは残る。腕も上がらない。
 とはいえ、やっとこせ、少しは回復してきており(むろん休み休みではあるのだが)こうしてパソコンキーをなんとか打てるまでになった(以前は、左手を副木にして右手の痛さをこらえ1字1字、パソコンの前に立ちはだかって〈エイ、ヤアーッ〉と、顔面をゆがめ仁王立ちして涙ながらに必死で打っていたものだが、今ではまだまだ痛いが、それほどではなくなった)。

 そして。この社会といえば、だ。
 ここしばらく本欄〈そぞろ歩き〉と遠ざかっている間にも、中日ドラゴンズの与田剛新監督がプロ野球ドラフト会議で大阪桐蔭高・根尾昴内野手を1位指名し、当たりクジを引き当てたのをはじめ、シリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリスト安田純平さん(44)の3年4カ月ぶりの解放、ソフトバンクの昨年に続く通算9回目の日本シリーズ制覇(本音を言えば、私は広島の34年ぶり日本一を願っていた)、烈しい雨、風にたたられたイタリア・サンマルコ広場の水没など。いろいろあったのである。

 この間、私はといえば車の運転はもちろん出来ず、社交ダンスのレッスンも全てキャンセル、ほかに恒例の日本ペンクラブ秋の京都例会に始まり、出席案内が来ていた一宮支局在任時の亡き人を偲ぶ会、東京での脱原発社会をめざす文学者の会の集まり、菅直人・岳真也カンカンガクガク対談『脱原発党宣言』出版記念・虎希の会懇親会、そして名古屋市内での大学時代の柔道部OB会総会など大半の出席は見合わせ、立場上どうしてもという席に限って出させていただいた。
 という事情なので関係者の皆さまには、本欄〈そぞろ歩き〉の紙面で相次ぐ非礼を深くおわびしておきたい。もちろん日々、家事や仕事をこなす傍ら好きな俳句の創作にも深夜未明までコツコツと励み、そればかりか、こんなグータラ亭主である私のために着替えをしてくれたり弁当を用意したりしてくれ、病院や時には床屋さんにまで付き添ってくれている舞には感謝のしようもない。
 ほかに「腕の骨折は回復急がず、お大事になさってください」などと、いつもメールで温かく励ましてくださっている心からの友にも礼を申しておきたい。
        ☆        ☆

 きょう11月4日午前11時過ぎ。昨日名古屋の短歌会館で短歌朗読コンサートを開かれた北久保まりこさん(短歌結社「心の花」)からメールが入った。
 伊神さま おはようございます。昨日は心配していた来場者もそこそこ集まり、皆様にお楽しみ頂く朗読ができました。ご心配頂き感謝しております。ありがとうございました。今は心地よい疲れと安堵感にひたっております。
 パフォーマンスの後には、中日日本歌人会の鈴木竹氏様が「魂を包みこまれるような感覚は初めてだった。良い朗読だった」と感想をのべられ、とても幸せな気持ちが致しました。またいつか伊神さまにお聴き頂ける機会をもうけたく思っております。
 どうぞ肘をお大事になさってください。
――といった内容で私も「良かったですね」と返信をさせて頂いた。

 夕方。名古屋の兄から携帯に電話。「たか坊(私の本名は孝信)が、手の骨を折ったとは知らなんだもんで。ほんでどうだ。大事にせなアカンよ。大丈夫か」と兄(そう言えば、妹には以前、話したが、兄には「言うほどのこともない。それに母が過度なほどの心配をするといけない」と勝手に判断しこれまで身から出たサビとも言える骨折受難については黙っていた)。
「ほんで、今おふくろに代わるから」というので満98歳のおふくろと久しぶりに話す。「元気でいるから」と話すと「早く、ようせやーよ」と彼女。

 というわけで、このところは、医者通いのほかには、私がこだわる彼(か)の能登出身作家藤澤清造の「狼の吐息」「家康入國の評判」(石川近代文学全集5、能登印刷出版部)はじめ、「菅直人×岳真也 脱原発党宣言 カンカンガクガク対談」(みやび出版)などを読む一方で、川端康成の〈伊豆の踊子〉所蔵の「伊豆の旅」(中公文庫)の名場面を何度も読み返してみるなどしていた。
 そして今夜はNHKスペシャル「メジャーリーガー 大谷翔平」を見たあと、こうしてパソコンキーに向かっている。「熱砂」同人、平子純さんから届いていた俳句8句も〈風狂子8句〉として新たに公開。