一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2025年12月~)
2025年12月2日
このところは自宅でそれこそ、缶詰め状態となって進めてきた岐阜県多治見市文芸祭・小説の部の作品審査がやっと終わり午後、審査結果を多治見市図書館の担当者あてに選評とともに郵送する。これで過去3年間、審査に携わったが、全体に作品の質の向上が顕著で審査そのものは少し大変ではあるが、そこは真剣に読み進めた。
一人の作家として思うのだが。場合によっては、独りよがりといってもいい意味不明な新聞小説を書く低レベルの輩=全部が全部とは言わない。新聞小説の中にはすばらしい内容の小説が多い=よりも、ずっとずっと、読みごたえのある秀作の多さを今さらながら痛感したのである。
みなさん。執筆に当たっての勉学も心構えも相当なものだ。私自身も、このところは応募作の審査以外にアレヤコレヤと執筆に追われ、忙しい毎日が続き、そうしたこともあってか。おかげできょうは耳が痛むなどチョット体調も悪化。デ、夕方の入浴は差し控え、お酒もやめておいた。無理さえしなければ、そのうちよくなるだろう。
とは言ったところで、だ。私は早や満79歳、自分でも信じられない年齢である。まもなく傘寿(さんじゅ)で若い人から見れば、信じられないほどのお年寄りなのである。というわけで、昨日は新聞社の社友会報に【傘寿を迎えて】なる原稿を出稿。あらためて年齢のこととなると、自ずとあ~あと深いため息が出るばかりなのである。それでも私は若い。これから書かねばならぬことが山ほどある。せねばならないことも多いのである。
年は誰とてとりたくはない。でも、時の流れに従わざるを得ない。デ、【歳】は案外と正直ないきものなのかもしれない。ここまで書き、<あ~あ あ~あ><若い頃はよかった。のに>と思わず、ため息が出る。なんだか左の耳の奥が急に痛み出した。神経質だからかもしれない。ほっとけば治るだろう。治ればよいが。
夜。というわけで、入浴もせず、ビール(お酒)も飲まず、NHKのニュースをチェックしながら見ていると、インドネシアはじめ、タイ、スリランカなどアジア各地で吹き荒れたサイクロンに伴う大水害の模様が映し出されていた。なかでもタイ、スリランカはかつて訪れたことがある国だけに、1日も早い復興を-と願うが、そんな簡単なわけにもいくまい。
兄夫妻から早々と銘菓のお歳暮が届いた。電話でお礼だけは言う。今は亡き母に「そういう時は、すぐにお礼を言うのだよ」と教えられているからだ。
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友人から次のようなメールが届いた。
【今日まで秋 明日から冬☃ 暖かくしてお過ごしください】
あたたかいメールである。ありがとう。
(2025年12月1日)
2025新語・流行語大賞のトップテンが1日発表され、年間大賞には高市早苗首相が10月に自民党総裁に選ばれた直後に述べた【働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相】が選ばれた。わたくしの思っていたとおりである。ただ、働き過ぎて体をこわすことだけはないように。健康であればこそ、生きる言葉であることをお忘れなく。
私の小牧時代からの友人で、「劇団小牧はらから」主宰だった小畠辰彦さん(現在は名古屋市在住)が来年の日めくりとカレンダーを手にヒョッコリ、わが家の玄関先に現れた。いつもなら、一緒に食事に出かけるところだが。きょうは岐阜県多治見市の文芸祭応募作品(小説)の最終審査に追われていることもあって、頂いた日めくりとカレンダーを手に「ありがとう。でも、きょうはチョット忙しくて。ごめん」とだけ言い、礼を述べる。
日めくりは亡き妻たつ江(伊神舞子)が毎年、新年が近づくとは小畠さんにお願いして頂くか購入していたものだが。彼もそのことを十分わかってくれていて、わざわざ届けてくれたのである。私は玄関先でペコリと頭を下げ「小畠さん、いつもありがとう」と礼を述べたのである。