連載小説「あの箱庭へ捧ぐ」終章

終章 業を卒わる

   1

 毎年決まった時期に、大勢の人が卒業を迎えるのが普通の学校という認識がある。けれどこのうみほたる学園では、個人によって卒業の有無が毎月審査されている。教職員での全体会議の後、理事長が許可すれば卒業という形が決まる。この理事長の審査というのが実に厳しく、教師たちがもうこの生徒の能力は消えていて、社会に出しても大丈夫だろうと判断しても、却下される場合が多い。そのため、学園を巣立つ能力者が頻繁に出るということはない。
 しかし今月は卒業を迎える生徒が一人、中等部にいる。
 足立清二はコーヒーを飲みながら、事務室で彼女の資料をみていた。丸一年ほど在学してようやく卒業が決まった。彼女の能力は透視。最終検査の結果、現在は完全に能力が使えなくなっている。
 その少女の名前は丸川玲奈。以前、洸生会と関わったことがある。その時は足立に出来ることはなかったので他のメンバーに任せたが、その関りが今回の卒業に大きく影響があったらしい。
 洸生会の顧問としても教師としても、嬉しい限りである。
 学園を去る日の数日前には、ささやかなお別れ会が開かれる。彼女と深く関わった教師と生徒が参加する予定だ。今日はその準備で忙しい。
「足立先生。倉庫にあったこっちの飾は使えます?」
 関西出身の先生に後ろから声をかけられたので、足立は振り向いて彼の持っていた段ボールに入った物を確認する。
「はい。大丈夫そうですね」
「せやったら、あれはもう処分しちゃいますね」
「お願いします。念のため全部を確認しておきますので」
「はい。お願いします」
 頭を下げると、彼は段ボール箱を置いてさっさとどこかへ行ってしまった。
 足立はそれを見送ると、もう一度丸川の資料に目を通す。
 母親との確執があったが、洸生会の依頼達成にて解消済み。互いに歩み寄ることが出来るようになった。依頼内容。思い出の小箱の譲渡。依頼者は丸川の母親。使用能力、透視。心をよむ。過去視。使用者、丸川玲奈。小池燐音。川崎竜太郎。
 今後の彼女については、家族に任せるしかないだろう。この卒業は終了地点でもあり、スタート地点でもある。
 足立は彼女の未来に幸多からんことを願っている。

   *

 一通り見終わると、ついでに次の資料を取り出す。
 寺沢椎也。食堂の事務職に就いて二年。二十歳の青年だ。
 彼の能力は他人に幻覚をみせるものである。彼は元々身体が弱く、能力の影響により身体に変化があったため、健康な成人男性となる。そのため彼の能力には要注意。
 米田恵理子からの依頼により、彼が他人に幻覚を売っていることが判明し、早急に対処した。その能力は副作用のように身体に影響を及ぼし、不可解な行動をさせる。
 依頼内容。能力の悪用。幻覚の売人をみつけ、売買の禁止を言い渡す。拒否された場合、理事長に引き渡し。処遇は任せる。依頼者。米田恵理子。使用能力。幻覚をみせる。遠くの音を聞く。心をよむ。過去視。使用者。寺沢椎也。斉藤寧々。小池燐音。川崎竜太郎。
 寺沢の件は、能力を悪用しないと約束したが、彼自身の体調を考慮して特例で能力の保持に務める。
 この件に足立は一切関与していないが、洸生会の顧問として目を通しておく。
 次の資料に目を移す。
 川崎琴乃。川崎竜太郎の実妹。空間に自分の望む世界を創る能力を持っていた。
 彼女の能力は消えているが、特殊な事情があって卒業は見送られた。今は米田恵理子の住むアパートで米田と一緒に暮らしている。
 琴乃は本来なら十一歳なのだが、五年前から能力の維持と、身体への負担を止めるため。それと兄である竜太郎の記憶が戻るのを待つため身体の時間を止められていたので、実際には心身共に六歳のままだ。学園外で暮らすのは、当分無理だろう。
 ところで彼女たちの両親だが、今は田舎で農家をやっているらしい。五年前の火事の後、彼らもひどい火傷を負い重症だった。一命をとりとめたが目を覚まさず、植物状態になっていた。そのため親戚の家に行くことになった竜太郎と琴乃は、能力が発覚したことによりうみほたる学園ヘ入学することになったのだ。
 そして両親は、火事から一年後に目を覚ました。学園での竜太郎と琴乃の事情を知った両親は、最初こそ反対していたが他にどうすることもできないと、息子と娘に会わないことを決め田舎で新たな生活を始めた。
 今回、竜太郎の記憶が戻ったと連絡をしたら電話越しに泣いて喜んでいた。琴乃のことも一緒に伝えたが、やはり五年という月日は長く、幼いままの姿だとわかっているので複雑な心境だと語っていた。
 二人に会うことは可能だと伝えたが、いつになるかはわからないが心の準備が必要なためすぐには会いに行けないと言われた。
 足立は仕方のないことだと思った。時間の流れというものはときに残酷だ。
 洸生会にとって琴乃の件は正式な依頼ではないが、一応記載されている依頼内容は、以下の通り。
 依頼内容。川崎琴乃の救出。学園本部の地下で眠っている琴乃を救う。依頼者、米田恵理子。使用能力。箱の中に世界を創る。対象の時を止める。心をよむ。使用者。川崎琴乃。黒川大志。小池燐音。
 足立はふと思う。
 小池燐音の名前をよく目にするなと。
 洸生会の資料を過去に遡る。ここには、依頼のあった生徒や職員の名前しか書いていないため、彼女の名前の記載されている資料を探すのは容易かった。
 足立はとある資料に目を止めた。
 小池燐音に関する依頼だった。彼女はまだ六月に入学したばかりである。資料に彼女の名前が記載されるようになる最初の資料らしかった。それも足立が顧問になる前だ。
 小池燐音。他人の心がよめる能力を持つ。能力が暴走することもあるため、監視すること。
 依頼内容。能力の消滅。学園からの卒業。
 それ以上の情報は何も書かれていなかった。
 依頼者は理事長および彼女の両親らしく、洸生会の正式な依頼と書かれていた。
 この学園の入学者は、卒業を目標とするが、こういう依頼という形にされているのは例外だった。両親がよっぽど、能力を嫌っているのだろう。洸生会の依頼として受理されてしまっていたらしい。これを書いたのは理事長だ。手描きでサインまで入っている。
 足立は「ふうむ」と呟き、思わず眉間にしわを寄せる。 
 これまで、洸生会は生徒たちの手助けを目的とした組織だと足立は認識していた。あくまでその最終目的地に卒業があり、能力の消滅があると。
 ここまではっきりとその文字が書かれていることなど今までみていた資料には一度もなかった。
「そこに本人の意思はなく、か。本人が望んで手に入れたものなのにな」
 足立はそう独り言を呟き、机にすべての資料を置いた。それから立ち上がると、部屋の扉の近くまで歩いた。
 扉を開けると、夏の生温い風が出迎えてくれた。冷房のかかった部屋から蒸し暑い廊下へ出たからだ。
 まだまだ暑いなと思いながら、足立は明日から来る九月の事を考えていた。

   2

 食堂を貸し切った丸川玲奈のお別れ会は、十人ほどの少人数で行われていた。というのも、彼女の交友関係、お世話になった先生方が両手の指で数えるのに足りたからだ。
 出席者は理事長。担任の先生。彼女と同室だった女生徒や他に友人が数人。洸生会で彼女に関わった川崎竜太郎と小池燐音。それからこのお別れ会を取り仕切った足立清二を含める先生が数人。あとは、食堂の外から興味本位で覗きに来ている野次馬ぐらいだった。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
 そんな堅苦しい挨拶から始まった会は、足立が進行役を務めていた。
「玲奈がここに来たのは一年ほど前だったか。よく頑張ったと思う」
 理事長の挨拶が入り、お別れ会は緊張が走る。彼がその重厚な声で話始めると、まるでお別れ会ではなく、本物の卒業式のようになった。
 その光景をみていた燐音は、自分のお腹のあたりが痛くなるのを感じた。自分の番がいつかくるのだろうかと想像して、身体を強張らせた。
「能力は、本人がそう願ったこと。願望を元に生まれる。私はそれを守るために、この学園を創った。能力は精神的な成長と共に消えるというのが、私の結論でな。そもそも能力がどのようにして発症するのか。色々と言われてはいるが、私はこう考えている。能力は別に病気ではない。世間的にはそうなっているが、私の考えとは違う。能力とは才能である。元々その人間がもっていた素質なんだ。だから玲奈は偉いと思う。その素質を自分でみつけて、自分の物にした。ちゃんと成長してこの学園から卒業という形になった」
 理事長の言葉をきいていて、燐音は少しだけ心の負担が軽くなるのを感じた。
 足立から理事長に卒業証書のような紙が渡される。そして理事長から丸川へまた手渡される。
「卒業おめでとう」
 丸川は慣れない手つきで、言葉と共にその卒業証書を受け取った。
「ありがとうございます」
 丸川はお別れ会の間。一度も泣かなかった。
 燐音は偉いなと思いながら、その細やかな会を見守った。

   *

 その後は丸川から短めの挨拶があって、それからジュースで乾杯をした。
 燐音は隣の席に座っていた川崎とグラスを鳴らし、一口飲んだ。リンゴの仄かな味が口の中に広がる。
 目の前に出してあったお菓子を食べたり、写真を撮りに来た先生に向かって作り笑顔を向けたりした。写真は苦手だったが、一緒にいた川崎が自分の隣で、右手の指を二本立ててピースをする姿が何だかおかしくて、苦手意識など風船のように飛んでいった。
 記憶を取り戻してからの川崎は、表情が少し柔らかくなった気がしたが相変わらず笑うのは得意ではない様子だった。
 丸川に挨拶をしたかったが、彼女は遠く離れた席にいるので無理だなと思っていたら、しばらくして川崎が行こうと言うので、彼女のところまで歩いた。
「丸川さん。卒業おめでとうございます」
「おめでとうございます」
 川崎と一緒にそう挨拶をすると、丸川は「ありがとうございます」と笑顔を向けてくれた。
「私、二人には感謝しているの。改めてお礼を言わせて。本当にありがとう。あなたたちが母の願いをきいてくれていなかったら、きっと和解なんてできなかった」
 丸川がそう言って、川崎と燐音に向かって頭を下げてきた。
 川崎が首を横に振る。
「いいえ。丸川さんが頑張ったからですよ。いい関係が続くと良いですね」
「ありがとう。あなたたちのことも応援しているわ。さっき理事長も言っていたけれど、能力は私の一部だから。使えなくなってもここにあるって、わかるの。あなたたちも早く取り戻せるといいわね」
 丸川はそう言いながら、自分の胸の辺りに右手を置いた。彼女の言っている言葉の意味が、燐音にはまだよくわからなかった。だから川崎の一歩後ろで、燐音は呆けた顔をしていた。
 燐音の能力は、他人が何を考えているのかわからないことが不安で、生まれたものだ。でも普通の人は他人の心がわからない。当たり前のことだ。
 それを受け入れると言うこと? だとしても、今の燐音にはそれが出来ない。
 自分は無力だと自覚している。父親と母親の期待に答えられない。普通には生きられない。それが申し訳なくて、けれどどうしようもなくて。哀しくて、淋しくて、苦しい。
 だから家族仲が悪かった丸川がこうして関係を修復していることを、羨ましいと燐音は思う。息苦しくなって、その場を離れたくなった。
 燐音はお礼を言うと、そっと丸川の側から離れた。川崎はまだ何か彼女と話したそうだったので、彼からも離れて元の席に行く。
 途中、足立と目が合った気がして気のせいということにしたかったのだが、そういうわけにはいかなかった。
「どうした」
 心配そうに顔を覗き込まれて、燐音は「どうもしてないです」と返事をした。
「最近気づいたんだが、小池は顔に出るタイプだ。体調が悪いのか」
「大丈夫です」
「無理はするなよ」
「はい」
 一瞬だけ間を空けて、燐音は頷いて返事をした。
 みんなが優しいことはわかっている。みんなが気づかってくれていることはわかっている。ただその優しさが、燐音を追い詰めていることを誰も知らない。

   3

 お別れ会が終わり、竜太郎が小池と共にプレハブ小屋へ行くと、部屋には気まずい空気が流れていた。それというのも、現在部屋には二人いて、その関係が接着剤でくっつけられた割れたマグカップのようだったからだ。今はこうして無理矢理くっつけて接点を作っているが、両者ともあの出来事以来、会うことさえ避けていたのだ。
 あの出来事。というのは、交際していた本間宗太と斉藤寧々が破局を迎えた日のことだ。
 竜太郎は、あれで良かったのかと常々思っていた。しかしどうしようもなかった。他に手がなかった。
 宗太の視た斉藤の未来で、誰かが血を流すことになる。それがいつどこで起こる出来事なのかはわからない。けれど竜太郎と宗太はそれを回避するために、現在を変えた。
 竜太郎は宗太に協力する形で斉藤の過去を知り、最善の方法で二人を別れさせた。彼女が一番傷つかない方法をとったつもりだった。
 斉藤の宗太への信頼を裏切るという方法を。
 しかし、本当にこれで良かったのか。答えは出ないままだ。
 扉を開けると宗太と斉藤は一つのソファに座ってはいるものの、互いに目を合わせず、それぞれ別の方向を向いていた。
「あ。終わったの」
 部屋に入ると、斉藤がソファから立ち上がり、真っ先に小池のほうへ歩いていった。本当に仲良くなったなと、竜太郎は思う。二人は女子寮で同室らしく、それも当然の事かもしれない。
 竜太郎は、宗太が座っているソファと対面した向かいのソファに座り、宗太に問いかける。
「何か話した?」
「何も」
「そうか」
 会話はそれで終わった。
 斉藤と小池が、お別れ会で貰って来たお菓子を机に並べている。
 竜太郎は立ち上がりお茶を淹れに行く。湯沸かしポットにお湯が入っているか確認してから、急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ。
 人数分の湯呑は斉藤が持ってきてくれた。
「そういえばさ。さっきお前の妹に会ったんだけど」
 竜太郎が丸い木製のお盆の上に置かれている湯呑に緑茶を注いでいる最中に、斉藤が唐突にそう言った。
「え。そうなのか」
 思わず目を丸くする。
「そうだよ。米田先生と一緒にいた。あたしお前に妹がいるなんて初めて知ったんだけど。びっくりした。あんなに可愛い妹がいたんだ。何で言ってくれなかったの」
「それは、色々と事情があって」
「事情って何」
「言えない」
 斉藤の疑問に、竜太郎は答えられなかった。
 あの出来事を語るには、五年前の話から始めなければならない。それには時間がかかる。まだ竜太郎の中でも、整理しきれていない部分があった。
「またあたしは、のけ者にされるんだね」
「え?」
 斉藤の表情に、暗い影が落ちた気がした。
「いつもそう。あたしはなんにも知らない。あたしにだけなんにも教えてくれない。竜太郎が記憶喪失だったことも知らなかった。友人なのに」
「それは」
 どんな言葉を返せばいいのか。竜太郎にはわからなかった。
 確かに、この場にいる中で斉藤だけは竜太郎の事情を何も知らなかった。
 米田は一体、斉藤にどこまで話したのだろうか。
「友人だからって、何でも話せるわけじゃない」
 宗太が言う。それは宗太と斉藤のこの部屋に来て初めての会話だったのだろう。
「親友でも?」
 と斉藤が宗太のほうをみて質問した。
「秘密は誰でも持っているものだし」
 宗太は斉藤と目を合わせようとしない。
「恋人でも?」
 斉藤の問いに、宗太は答えない。
 部屋に沈黙が流れた。それは流れ星のように綺麗なものではない。暗雲のようだ。
 竜太郎は淹れた緑茶を、一つずつ静かに中央のテーブルの上に置く。四つ置き終えると、竜太郎はお盆をポットの横に戻した。
 その間、誰も口を開かなかった。
「とりあえず、せっかく淹れたからお茶を飲んでほしい」
 竜太郎はそう言いながら、ソファに座り直した。

(続)