あぁゝ 笛猫人間日記3月17日(14日、オノ・ヨーコさんからのメッセージ掲載)

平成二十三年三月十七日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)

 『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故で政府対策本部はきょう午前、陸上自衛隊ヘリコプターによる空からの水の大量投下を始めた。夜に入ってからは警視庁の高圧放水車による地上からの放水も始まった。水位が低下している原子炉建屋内の使用済み核燃料プールを冷やし、外部に高濃度の放射性物質が放出されるのを防ぐ前例のない試みだという。

 一方、十七日の東京外国為替市場は、前日のニューヨーク外国為替市場など海外市場で円が急上昇したことを受けて一ドル=七八~七九円近辺まで達し、一九九五年四月の戦後最高値(七九円七五銭)を16年ぶりに更新した。

 この日、ナゴヤドームでのオープン戦、中日×広島戦は東日本大震災のチャリティー試合として行われ、試合前にドームオープンデッキで一軍選手二十七人による被災地支援の募金活動が行われた。練習を終えた選手たちは、グラウンドから募金会場へ直行、寒風が吹きつけるなか、開門から十五分間、募金箱を手に「よろしくお願いします」と呼びかけた。

 【きょうの1番ニュース】Mに言われたのは「あなた、大震災で、これほど多くのニンゲンたちが苦しんでいるのに。こすも・ここったら、あなたのことを俺サマの家来だ」とばかり思っているみたい。ここちゃんに言わせれば、「あなたこそ、アタイに従順な家来なんだ」ってサ。これもまた、大震災の存在を知らない猫ちゃんたちの世界か。

☆「東日本大震災 避難の高齢者14人死亡 燃料不足 解消されず」、「水投下 望みを託す 福島第1原発 『被害食い止めて』『信じていいのか』」「ヘリから4度水の“塊”」「3号機 繰り返し上がる白煙」、「『放射線量 限界近い』 4号機元作業員 後輩思いやる」(17日付、中日夕刊)
 「陛下がビデオメッセージ 事態悪化回避 切に願う」(17日付、中日朝刊)

平成二十三年三月十六日
 日本の東北地方はいま、修羅場と化している。いや、日本中の人々が泣いているように思われてしかたない。

 十一日に三陸沖を震源に起きたM9・0の東日本超巨大震災。大震災の爪跡は、いまもってその被害の範囲を拡大する一途である。
 食料がない。ガソリンがほしい。水を、電気がほしい。家族は、どこに。足を棒にし彷徨い歩いても見つからない。情報がほしい……。そこにきて、東京電力福島第一原発1~4号機の破壊と損傷による大量の放射能漏れの危険が人間社会を直撃している。被災地では電力が枯渇し、関東地区を中心に計画配電まで始まった。

 そして。三十五万人とも言われる震災被災者に、原発の半径20から30キロ圏内にある十万人にも達する新たな原発事故からの避難民、の生活は真冬と変わらない寒さのなかで極限状態にまで陥っている。いま、暗い被災地には白い雪が無情にも降り注いでいる。

 朝の太陽に夕暮れ、肌に心地よい“かぜ”たち…
 美しくて心温かいはずの自然よ。一体、私たちニンゲン、いや生きとし生けるものに何の恨みがあるというのか。それとも驕り高ぶり、自然をも征服しようとする人間に対する逆襲なのか。余震も相変わらず、止みそうにない。
 

 【きょうの1番ニュース】東日本大震災から四日たった十五日、岩手県大槻町で津波に流された民家一階で倒れこんでいた七十五歳の女性が大阪府の緊急消防援助隊により、九十二時間ぶりに救出された。同援助隊は十三日から八百人態勢で、大槻町をいくつかの区画に区切ってのローラー作戦を展開中だった。行方不明者の生存が危ぶまれているなか、被災地にとって、ひと筋の光りとなっている。

☆「脱出『原発から遠くへ』」「『福島第1』事故 『先見えぬ』不安」「避難住民首都圏に 疲れ切り ため息」、「救いの手 一刻も早く」「お年寄り 行き場ない」(16日付、中日夕刊)
 「富士宮震度6強 M6 浜岡原発『異常なし』」(16日付、毎日朝刊)

平成二十三年三月十五日
 なんだか、このところの日本列島は常時、地震に襲われている。現在は午後十時四十分を少し過ぎたところだ。ほんのつい先ほども室内に居て、私も、Mも、息子も大きな揺れを感じたのである。

 しばらくしてラジオを聞くと、発生は午後十時三十一分。震源は静岡県東部で震源の深さは十キロ。震度6強を観測した富士宮市では、電柱が倒れたり、棚のテレビが落ちたり、ビールが倒れたりしたという。自宅階段から転げ落ちた女性もいる。

 というわけで、このところの日本列島は全身傷だらけだ。私には、少し有頂天になりすぎたニンゲンたちへの自然界からの逆襲のような気がしてならない。何か、に呪われているようでもある。
 呪われる、といえばー東京の石原知事が今回の大震災に触れ、きのう「これはやっぱり天罰だと思う」と発言したが、きょうになり「撤回し、深くお詫びします」と陳謝した。

 この人間社会、暗い話ばかりでもない。きょうは瓦礫の中に埋まっていた二十代の若者が七十数時間ぶりに助けだされるという、明るい話題もあった。

 【きょうの1番ニュース】宮城県石巻市でも生後四カ月の乳児(女の子)が、実に六十八時間ぶりに自衛官に助けられ、笑顔を見せた。

☆「2号機原子炉『空だき』 福島第1原発 水位低下で燃料全露出 一時回復も再び 炉心溶融認める」、「避難55万人 物資不足 東日本大震災 死者、不明5900人に」、「東電初の計画停電実施 茨城など4県11万世帯」、「焦り 捜索か救護か 東日本大震災 『生存者いるはず』 女川廃虚前に足りぬ人手」、「原発『祈るしかない』 不安増す避難住民 福島」、「ドラゴンズの選手会が、東日本大震災の被災者への義援金として100万円を中日新聞社会事業団に寄託。森野将彦会長が、きのう中日新聞社を直接、訪れた。谷繁元信捕手も個人として二百万円の義援金を同事業団に寄託」(15日付、中日朝刊)

 「2号機 格納容器損傷 福島第1原発 周辺で高濃度放射線 1時間40万マイシークロベルト年間限度の400倍」、「停止4号機も爆発」、「半径30キロ内は屋内退避 首相指示 新たに14万人対象」(15日付、中日夕刊)

平成二十三年三月十四日
 東日本大震災は日がたつにつれ、被害や行方不明者の全容が無限大に増えつつある。
 NHKの午後九時のニュースによれば、安否の確認が取れない不明者は一万五千人以上、避難している人々は四十五万人に及ぶという。
 今回の地震は、スマトラで起きたM9・1に匹敵するM9・0の巨大地震(気象庁は当初M8・8と発表していたが、その後になりM9・0と訂正)だけに、犠牲者の数はかなりの数に及んでいる。

 そんな中、本日の中日新聞夕刊文化欄に知人で、友人でもあるノンフィクション作家・吉岡忍さんの東日本大地震緊急寄稿「被災者と生きる」が掲載されており、感慨深く読んだ。なかでも「各県の被災状況が刻々と伝えられるのを見て、確かにどこも甚大なダメージを被りながら、人間的崩壊が起きていないことに、私は目を見張った。別段声高に言う必要はないにしても、これは私たちが自負してよいことである。」の下りには全く同感で感銘したのである。

 そして、もう一つ。きょうの朝、私はあのオノ・ヨーコさんから「オノ・ヨーコより 伊神権太さま」あてのメッセージをメールでいただいた。メールには「日本のみなさんを勇気づけるために、このメールの内容を広めてください。メールで転送したり、ブログに掲載したりしていただければ嬉しく思います。」と書かれていたので、本日付この「あぁゝ笛猫人間日記」の最後尾で紹介させていただくことにした。

 【きょうの1番ニュース】きょう中日劇場で大好きなミュージカル(「ゾロ ザ・ミュージカル」)を観劇してきたMが地下街の本屋さんで文庫本「しぐさでわかる! ネコの言い分」(青春文庫)を購入してきた。いよいよ、M対こすも・ここ、シロちゃんとの壮絶な知恵比べが始まりそうだ。「アタイの言い分、もちろんシロちゃんだって。ふつうのネコの言い分とは違うのだから。一緒くたにされたんでは、たまったものでない」とはこすも・ここ、すなわちアタイの言い分なの。

☆「安否不明 数万人 東日本大震災 気象庁M9・0に修正 宮城県警『死者は万単位』」、「福島第1原発 3号機も炉心溶融 160人被ばくの恐れ」、「東電きょうから計画停電」、「減税が第1党 名古屋市議選 過半数は届かず 民主惨敗」(14日付、中日朝刊)
 「2000遺体を発見 東日本大震災 牡鹿半島と南三陸」、「東電 計画停電を変更 第一、二グループ見送り」、「福島第一原発 3号機も水素爆発 11人負傷『格納容器健全』」、「都知事選 松沢氏、不出馬へ」(14日付、中日夕刊)

【特別掲載】
伊神権太 さま
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日本のみなさんを勇気づけるために、このメールの内容を広めてください。
メールで転送したり、ブログに掲載したりしていただければ嬉しく思います。
このメールの内容は下記でもご覧いただけます。
http://is.gd/OStI0a
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未来をポジティブに考えてみたいと思います
オノ・ヨーコ
2011年3月13日

 日本では戦後最大の地震が起きています! そこで、苦しんでる方へメッセージをお願いします! ヨーコさんの力で、被災している方々に勇気を与えて下さい!

 私のメッセージをすぐ送りました。これです。
 「愛する日本のみなさん、私は今、私自身がそこにいて、みなさんと一緒にこの大災害に襲われたように、ぼう然としています。私はつい最近、東京を訪れて、この街がいかに美しく、清潔で、平穏であるかを喜んでいました。私がとても愛しているこの国に、このような大災害が起こることは、まったく予期していませんでした。
 ある年、私の夫ジョンとショーンと一緒に東京のホテルにいました。朝のことでした。突然、地震が私たちを襲ったのです。私は当時まだ小さかったショーンをすぐに抱いて、扉が開いたクローゼットの中に入り、しっかりとショーンを抱きしめてうずくまり、南無妙法蓮華経を唱えつづけました。 地震がおさまった後、ジョンは笑って、なぜ、私が扉が開いたクローゼットの中に座っていたのか理解できないと言いました。私はそれは、骨組みによって守られるので、重要なことなのだと言いました、少なくとも、私が子どものときに教わったことでした。ジョンとショーンと私が経験した地震は、みなさんが経験したようなものでは、まったくありませんでした。でも、そのときの記憶で私の身体は今、震えています。

 日本の観測史上もっとも甚大な被害を及ぼした地震を経験したみなさんのことを、私は深く感じています。どんなに怖かったでしょう。みなさんのおひとり、おひとりに、私のお見舞いの気持ちと愛を伝えさせてください。どうしてこんな怖いことを、みなさんが経験なさらなければならなかったのだと苦しく思います。私の心は、いつでもみなさんとともにあるのだということを知ってください。愛をこめて、ヨーコ」


 ヨーコさん、千年に一度といわれる規模の地震が日本で起きてしまいました。被災者の方々が一刻も早く普段の穏やかな生活に戻れるように、私たちに出来ることは何でしょうか? 祈るだけでは限界を感じています。とても悲しいです。私たちに出きることとは何でしょうか?

 「IT’S TIME FOR ACTION(行動するとき)」です。まずは、人命の救出です。それは、国や自治体が中心になって全力でみんなで取り組まなければならないことです。そして次には、未来に向かって復興させることです。毎日少しずつ。復興させることに喜びを感じましょう。
 ただ、復興させるだけでなく、今までただ、アイデアで、それを建設する場所がなかったのが、今できるようになったということがあるのです。新しい日本の国を作るのです! 世界にもない新しい未来の国を建設するのです。
 今までの日本は、封建時代の人口過剰の日本には適当な街々だったのです。今度は会社本位でなく、家族が一緒に楽しめるような、そして、高齢の人も健康で楽しめるようなヘルシーな国を建設することができるのです。だから、再建ではなく、新しい国の建設です。楽しみながら建設しましょう。


 天災から平和を勝ち取るにはどうすれば..どうすれば..。考えてしまいます。どうすればいいのでしょうか?

 これは天から与えられた試練を乗り越えるとっても大事なときです。前向きの科学者と建築家に未来の街、未来の国を慎重に、しかも、いち早く図面にしてもらって、新しい国を建設するのです。それには街ごとにその街の建築家と科学者にその街の環境にあった街を作ってもらわなければなりません。


 東日本大地震で福島の原子力発電所がメルトダウンした可能性があると報道されています。発電所を作ってきた人は地震が来ても絶対に大丈夫と言っていましたが、今は想定外の地震だったと言っています。原子力発電所は人間がコントロールすることができない危険なものと思うのですが、どう思いますか?

 こういうこともあるということを原子力発電の人たちに解ってもらえたことは、私たちの未来にとって大事なことなのです。


 津波警報がでても海の近くに住んでいる人たちは警報になれてしまっていたようで、片付けなどをしていたそうで、半分近くの人が逃げ遅れてしまったそうです。運命ってなんなのでしょうか?

 これは必要な勉強をさせてもらった訳です。もちろん、悲しい勉強なのですが。そういう勉強をしなくてはならなかったのでしょう。


 地震の被災で、韓国やアメリカをはじめ、世界各国が助けに日本に来てくれています。そういう国々にお礼をいいたいのですが、どうすればいいでしょうか?

 お礼は回復か、新しい建設ができた時点でしたらよいと思います。


 昨日の地震で避難するときに、自分のことに精一杯になってしまって、自分が逃げることしか考えられませんでした。近隣の方に気づかったり、また、自分の家族であるペットを連れて逃げることもできず、罪悪感を感じています。人間はやはり自分勝手な存在なのでしょうか?

 自分いっぱいの力を使わなくては逃げられなかったのでしょう。他の人のことを考えていたら、あなたはもうこの世にいないかもしれません。自分を救ったことに罪悪感を感じる必要はありません。あなたも人類の大事な一員です。


 十日は六十六回目の東京大空襲の日でした。ヨーコさんは、十二歳だったと思うのですが、あの日のことを覚えていますか?

 もう疎開していたと思います。でも、東京にいるときは毎日アメリカの飛行機がやってきていたので、どの日が大空襲の日だったか覚えていませんでした。自分の家とその周りの家しか見えなくて、東京全体がやられているなんてことは解りませんでした。


 刑罰を重くする事は犯罪の抑止つながると思いますか? (特に殺人)僕は死刑反対派ではありません。

 死刑にしてしまうと、後で無実の人だったと解っても取り返しがつかないのです。間違いで、無実の人を死刑にしてしまうことが案外多いのですから。私は死刑反対です。

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 依存症や暴力はどうすればなくなるでしょうか?

 平和な人生を送ることがどんなに楽しいことか、暴力で人生を渡っている人に見てもらうほかないでしょう。あなたは、信じられないでしょうけれど、だんだん暴力は街からなくなってきているのです。戦争の暴力だけは今のところ止められずにいます。政治家の方が暴力団より、はるかにスケールの大きい暴力をプロモートしているということです。

 あとがき:
 「アンディ・ウォーホールが日本を訪問した後で『日本は未来の国だ。すごい!』と、言っていました。そのときに私は『だけれど、たくさん古い傷があるのよ』と思いました。今、この地震のために未来の国になる運命になったと思います。日本はみんなの力で今までよりも素晴らしい国になる運命なんだと思います。

平成二十三年三月十三日
 日曜日。
 日本列島は、東日本大震災にきょうも揺れている。
 みんなが苦しんでいるのに私は、といえば名古屋は覚王山の料亭「松楓閣」で七種会(ななくさかい)の発表会である。「酒よ」を横笛で吹いたが、音がかすれてしまい、なかなかうまく出ず、天下に恥をさらすことになった。
 笛は、そのときの気分により、すなおに音を出すかと思えば、そうでない時がある。きょうは、そうではない時のようで笛自身が「これほどまでにみんなが苦しんでいるのに発表会とは、ふらちで贅沢極まるーと、私に抵抗しているようでもあった。

 東日本大震災はじめ、名古屋市議会議員選挙…と、多忙を極めるなか、中日新聞からは若い記者が、わざわざ取材にきてくれ、恩に感じている。これも先日お願いし、快く引き受けてくれた林デスクの配慮があればこそで、みな喜んでいた。もっとも、大半が中日新聞の読者であることを思えば、取材にきてくれ、そのことだけでもみんなが喜んでくれ、本当に良かったな、とも思う。

 発表会の途中、胸騒ぎがしたのでトイレに行って携帯をチェックすると、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」編集長・碧木ニイナさんからメールが入っていた。
 「本日18時以降、関東の電気の備蓄が底をつくらしく中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます! このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!」といった内容だった。私は早いほうがよい、と判断しトイレから私の知る人々に、出来る範囲内でこのメールを転送させていただいた。

 しばらくすると、こんどは岐阜県下に住むファンクラブの会員女性から「東日本、ホントに気の毒です。もう言葉が出ません。私だけ普通に衣食住していることが申し訳ないくらいです」といったメールが。さらに愛知の女性からは「日本は今エライことになっています。相談したいことがあります。ファンクラブで募金活動をできないものでしょうか」の留守電も入っていた。どの人も胸を痛めているのである。

 【きょうの1番ニュース】夫を、わが子、親を一瞬の間に失ってしまった多くの人びと。
 地獄の阿鼻叫喚。日本中が泣いているなかで中日新聞取材班から届いた被災地からの写真グラフにあったもう一つの光景には、胸打たれた。なかでも仙台市内で、見つけ出された飼い犬を抱き締める男性と消防隊員のワンカットが、すこぶるよい。この新聞写真は誰よりも先にMが見つけた。動物たちだって、被災地では、みな苦しんでいる。猫ちゃんたちだって同じだ。

☆「福島原発で爆発 東日本大震災 国内初の炉心溶融 半径二十キロ避難、住民被ばく 『レベル4に相当』」、「死者・不明1800人超 南三陸町 1万人連絡取れず」(13日付、中日朝刊)

平成二十三年三月十二日
 東北、関東の東日本に甚大な被害をもたらしている国内史上最大の巨大地震・東日本大震災から一夜明けたきょう、被害の実態が次々と明らかになっている。
 大津波によって一瞬のうちに流された漁船、民家、人、車、電柱、公共施設、道、田畑……。この先、被害は限りなく広がりそうで被災地の人々の心中を思うと、言葉もない。壊滅状態の被災地では、行方知れずの夫を、妻を、わが子、親を求めて呼び、叫ぶ声が、続いている。

 怒りのやり場のない自然の猛威。ニンゲンたちは、ただひれ伏すしかないのか。どうしてくれるのだ! 大切な家族を失った人々は、やるせない時を、ただ呆然と、それでも奇跡を信じて愛する人々を探し続ける。被災は原子力発電所にも及ぶ。福島第一原発1号機周辺では、放射性物質のセシウムが検出され「炉心の燃料が溶け出す」炉心溶融が起きているという。

 中日新聞夕刊・目耳録は、空から取材ヘリで現地入りしたと見られる記者の一人が「この地震、津波は、どんな爪痕を残したのか。記者の使命は泣くことでなく、それを伝えることだ。当たり前すぎるが、そう自分に言い聞かせた。(中村禎一郎)」と書いている。
 確かに記者の使命は、個人の感情にとらわれず、客観的に伝えることである。ただ、かつて数限りなく悲惨極まる大災害の現場を踏んだ私に言わせれば、そんなにまでして自分を押し殺して、何も無理してまで、涙を止める必要はないのだ。
 出るのは出る、泣きたければ泣けばよい。涙は不思議なもので、時には滴れおちることだってある。ただ、記事を書く場合、涙という情緒にだけは流されるな。新聞記者は誰よりもホットな一方で、誰よりも非情かつ冷たくなくては務まらない。
 一方でわが心をさらけ出し、大いに泣きながら、家族の気持ちになって筆を進めることも大切なのだ。そうした記事こそ、本物なのだ。

 実際、長崎大水害で現地に入ったとき、豪雨に橋げたが洗われ無残な姿を晒していた眼鏡橋を目の前に、私はあのときニュース前線で「眼鏡橋は泣いていた」と書いた。
 あの日。私は壊滅状態、かつ被害甚大の長崎市鳴滝、本河内両地区を歩き回って取材するうち、本河内で身内三世帯、家族九人が全滅してしまい、ただ一人だけ放心状態で残された松尾君枝さんに出会いカメラマンにレンズを向けさせ、話をお聞きした。
 彼女が訴えるようなまなざしで私に向かって「原爆より怖かけん」とふと、つぶやかれたときには、私の目からは涙がとめどなくあふれ出てやまなかった。それでも、悲しい現場に立ち会い、その模様を涙を流しながら書き続けた。原爆も、もちろん許せない。怖い。だが水害も怖い、と彼女は言いたかったに違いない。

 そういえば、あの時も地元の長崎放送が安否情報を流し続けていた。私と後藤カメラマンは「長崎市民救った長崎放送」の視点で大々的に報道し、後日先輩記者から、ほめられた記憶がある。(この話は私の著書「町の扉―一匹記者現場を生きる」に詳しい)。いまはNHKが安否情報を流し続けており、このことは現地の混乱回避のためにも、大変良いことだと思う。通信施設が回復するまでは、ぜひ続けてほしい。

 夜に入り、宮城県南三陵町で1万人の町民との連絡が取れなくなっている、とのニュースが飛び込んできた。そして。他の被災地では、テレビ画面に映る女性が「この地震で何もかも失ってしまった。生きてるだけでいい」とインタビューに応える表情が印象的だった。
 さらに午後十時半過ぎには、テレビから何度も東北地方に対する緊急地震速報が流され、まんじりともしない一刻が過ぎていった。私は、これまでの災害取材の体験から、今度の巨大地震の死者は、軽く1万人を超えると見ている。

  【きょうの1番ニュース】東日本大地震の被害が増える一方で治まらない。さすがは中日スポーツ、スポーツ紙とはいえど、けさは特別紙面で1面と最終面の22面を“つなぎ見開き”とし、滑走路が水没した仙台空港の写真付きで「東北・関東大地震 国内観測史上最大M8・8 仙台大津波10メートル超飲み込まれた」の見出しを打ち、歴史的な紙面展開となった。

☆「地震津波 死者千人超す」「三陸沖M8・8 国内最大」「震度7 東北・関東で被害」、「福島・南相馬1800世帯壊滅 気仙沼 火の海」、「原子力緊急事態を宣言 福島第一原発 半径3キロ内避難指示」「愛知・三重2200人避難」(12日付、中日朝刊)
 「福島原発 炉心溶融か 東日本大震災 死者・不明 千数百人」、「戻らぬ夫 呼ぶ声響く 福島・南相馬 次々と遺体「福島原発 周辺で放射性物質 原子炉冷却できず」、「名古屋国際女子マラソンを中止」、「560万戸がなお停電」(12日付、中日夕刊)

平成二十三年三月十一日
 この世は天国にもなれば、一瞬にして地獄にもなる。
 いつ、何が起きるか。知れたものでない。ただ、言えるのは、人間は自然に勝つことはできない、という真実だ。

 きょう、午後二時四十六分ごろ、三陸沖を震源にマグニチュード8・8の巨大地震が起きた。ちなみにマグニチュード8・8は、明治のころに始まった観測史上最高の記録だそうである。まもなく三陸沿岸を襲った高さ七、八メートルもある大津波が、大変な勢いで民家や車、建物、人…と、ありとあらゆるものをアッという間に、のみ込んでいった。
 被害は夜に入り、いま現在(午後十一時)も、どんどんとふえ、犠牲者も限りなく増えつつある。これ以上の被害増大を、とても許すわけにいかない。が、自然の前にはどうするスベもない。

 この日、東京では公共交通機関の運行がストップしてしまい、渋谷などに人々が集結してしまったため、多くの人々が帰るに帰れなくなり、政府が急きょ、近隣施設を臨時の宿泊所としてあてがう、などの緊急措置が取られた。

 それにしても、東北の三陸沖を震源とする地震発生時、中日新聞本社七階にある私たち、中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局の揺れも大変なものだった。まるで大海原の海面を漂う木の葉の如く、揺れに揺れた。私は当初「とうとう東海沖地震の発生か」とは思ってみたものの、テレビをつけ、東海地震ではなく東北沖地震の仕業だと知った。
 あまりに揺れがはげしく長いので、私はMはじめ、東京の長男、大垣に住む次男の順にメールで安否を確認してみた。Mからは、まもなく「全然 OK」のメールが、長男は当初、メールも電話も通じなかったが、まもなく通じた電話で「帰るに帰れないので、職場に残っている」とのことだった。次男はMあてに「無事」のメールをしてきた、という。「みな、よかった」。三男は職場が私の社と近いので大体同じところだろう、と判断しあえて連絡はしなかった。

 昔だったら、真っ先に現場に送り込まれるところだが、きょうほど「お役ご免」の寂しさと悲哀を感じたことはない。あのころの私なら遮二無二、現場を目指したに違いない。地震といえば、中部日本海地震発生時に秋田県男鹿半島に取材ヘリで駆けつけた。そして能登半島沖地震発生時には珠洲に十日間ほど滞在し、前線キャップとして指揮を取った。あの日々が懐かしい。

 【きょうの1番ニュース】東北三陸沖を震源とした巨大地震が、とうとう起きた。

☆「元少年3人 死刑確定へ 連続リンチ殺人 最高裁が上告棄却『結果重大やむなし』」、「なぜ匿名報道か 更正になお配慮必要」(11日付、中日朝刊)
「宮城北部で震度7 岩手など大津波警報」、「石原知事4選出馬 都議会で表明 引退の方針撤回」、「首相に在日韓国人献金 104万円受領認める 辞任否定『外国籍と知らず』」、
 「連続リンチ殺人 『判決は政治的判断』 「元少年の1人 再審請求を希望」、「お湯があってホッと 浴室に3日間 88歳女性救出」(以上11日付、中日夕刊)

平成二十三年三月十日
 忘れもしない、1194年に長良川・木曽川リンチ殺人事件を起こした当時十八~十九歳の少年三人に最高裁は死刑の判決を下した。
 事件が発覚したその日早朝、大垣支局長だった私は警察からの連絡にサツ回りの女性記者をたたき起こす一方、自ら長良川河川敷の遺体発見現場に駆けつけた。血まみれになった男二人の惨殺遺体が目の前を運ばれていったのは、私が現場に着いてまもなくのことで、あの日の悪夢が思い起こされる。

 それからしばらくというもの、女性のサツ回りH記者はじめ、支局員の有賀(現イギリス特派員)古田(同バンコク特派員)らのほか、岐阜県警回りのJ記者らを取材に投入し、被害者や担当デカに対する夜討ち朝駆け取材の徹底を図り、完全に他紙を圧倒した日がついきのうのようでもある。
 当時は、それより前、私が岐阜県庁汚職を追い求めていたころの某デカS氏にまであれこれと聞き、おかげで事件の本筋を的確に読むことが出来た。

 コント55号の坂上二郎氏がなくなってしまった。返すがえすも残念である。

 【きょう1番のニュース】七種会発表を前にした最後の横笛練習に上前津の師匠宅で挑んだ。「酒よ」を三、四回ふいてみる。

☆「舞姫は『二十歳』『帽子職人』 森鴎外エリスのモデル 独在住ライタ 新資料を発見」「「沖縄侮辱発言 メア部長を更迭 米次官補が公式謝罪 米大使 きょう沖縄訪問」
(10日付、中日夕刊)

平成二十三年三月九日
 ドラゴンズ対ヤクルトのオープン戦に先だち、小牧市民球場で公式ファンクラブ会員を対象とした練習見学会があり、私も他のスタッフとともに立ち会いと取材を兼ねて現場を訪れた。

 名鉄岩倉駅から乗り合いバスで小牧駅まで行く道すがら桜の名所・五条川はじめ岩倉団地、小木、常普請……市民病院、メ・ナード美術館前を経て名鉄小牧駅までのコース。そこには、かつてこの地を飛び回った思い出と郷愁が交錯し、ある種の感動が私のなかを駆け抜けていった。あ~あ。あれから、もう三十年になるのか。

 かつての球場はお年寄りたちのゲートボール場と化し、町並み、地方の風情を残した駅舎と、一部を残し昭和の顔は大半、姿を消していた。

 【きょう1番のニュース】バスから見る車窓は、私が、空港記者として界隈を飛び回っていたころの景色を一変させるものだった。が、小牧山や大山川、小牧城、ガソリンスタンドの「絹庄さん」、建物の古さばかりが往時をしのばせる薄汚れた小牧税務署…と、思い出深いものもあり、懐かしくもあった。
 特に市民病院は、日航機が御巣鷹山に墜落してまもなく、私が空からのルポ取材などで大忙しのとき、たまたま命を授かった三男が生まれ出た病院だけに、車窓を流れる病院には思わず、唇を押し付けていた。
 何を隠そう。三男坊のふるさとなのである。

☆「ヒッチハイク300キロ受験し合格 大雪の『春』物語 ラジオドラマに 日本航空高石川1年 川口さん主人公」(輪島通信局・小塚泉)
 「邦人2人死亡確認 NZ地震、計3人に」、「メア氏発言 『報道で誤解』と陳謝 米国務次官補、個人的に」、「松本新外相を発表 午後認証式」、「最高の笑顔、咲く 名大前期合格発表」(以上いずれも9日付、中日夕刊)

☆ベトナム戦争で、アメリカは第2次世界大戦の総量の3倍を超す爆弾を相手に浴びせた。……▼時をへても、差別意識はあの国から容易に消えないのだろうか。沖縄総領事だった米国務省のケビン・メア日本支部長の発言が、沖縄への侮辱だと怒りを呼んでいる。植民地主義の残滓のような不快な言葉の数々である。▼米国の大学生を集めた席で語ったそうだ。「沖縄の人々は東京に対する、ごまかし、ゆすりの名人だ」「沖縄の人々は怠惰でゴーヤーも育てられない」「沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するが、彼らはそれが真実でないことを知っている」―他にもある▼……(9日付、朝日1面・天声人語から)
 この記事を読み、私は思わず、皮肉にも沖縄の人々の、あの底抜けに明るい笑顔を思い出していた。

平成二十三年三月八日
 三寒四温を繰り返しながら、少しずつ季節が春に向かって歩いている。この時季、なぜか白い雪から顔を出した能登の雪割り草が思い出されてならない。
 私の気持ちのなかでは、とおの昔に春なのだが、一般的に「春だ」と感じるには、あとしばらくはかかりそうだ。何よりも桜の開花が目安だ。といったところで、ヒトは所詮自然という怪物に対しては、されるがままだ。

 ドラゴンズは、きょうから刈谷、小牧、長良川…の順で地方球場でのプロ野球オープン戦だ。公式ファンクラブでは三日間ともオープン戦練習見学会を催し、ファンの皆さまからも、あちこちで喜ばれている。いよいよ、球春到来なのである。

 【きょうの1番ニュース】布袋の、とある喫茶店で九十歳の女性の俳画展が行われている、ということで朝、Mと一緒に家を出た。バスで一緒に江南駅まで出たが、私が乗る特急は布袋駅は通らないため江南のホームで別れた。俳画展の方は、Mも満足したようで、本当によかった。

☆「『新種』ダニ 未完の論文 NZ地震 死亡の平内さん 恩師『完成させ認定を』」(8日付、読売朝刊)
 「武将顔に成長願う 田原で『初凧』づくり」(8日付、中日朝刊)、「カダフィ氏『安全条件に退陣』反体制派は提案拒否 リビア」、「尾藤元(和歌山県立箕島高校野球部)監督 名将スパルタのち笑顔」(「スポーツが呼んでいる」)、「旅立ちの日 エールを君に 東海3県 中学で卒業式」(同、中日夕刊)

 “人間国宝”の名調子を借り、上方落語『帯久』の一節を。<も、悪なると何もかも悪なりますなあ。弱り目に祟り目、泣き面に蜂、貧すれば鈍する、藁打ちゃ手エ打つ、便所へ行ったら人が入っとおるちゅうぐらいで(ちくま文庫『桂米朝コレクション4』より)そのまま、菅政権の今を描いたスケッチになる。……>(8日付、読売)

平成二十三年三月七日
 あさ、わが家の資源ゴミをMと一緒に『ごみ列車』(こう呼んでいる)に乗せて自宅近く集積場へ。それでも昨夜遅く帰宅してからは、執筆などやるべきことをしていたためか、けさはそのままポックリと眠りこくってしまいたい、と、そんな心境だった。

 きょうは、昼休みに(とは言っても、いつだって午後一時半過ぎだが)私にとっては、例のオアシスの如き空間地域へ。ふと入った店でスープつきオムライス630円ナリと、「紅茶に苺ジャムを入れました」とかのロシアンティー350円ナリ、を注文して食べて飲んで、新聞を読んだ。

 【きょうの1番ニュース】能登・七尾から山崎国枝子さんが主宰する短歌雑誌「澪(れい) 2011 3月号」が送られてきた。♪降雪量七尾七十四センチ視界たちまち灰いろとなる、♪文吉の背戸の椿に日の射して根元の雪のかげが春呼ぶーなど冒頭は「大寒」を主題とした、山崎主宰の短歌ばかり十二首が並んだ。
 が、驚くなかれ、Mが「待ちぼうけ」を主題に詠んだ十三首も並んでいたのには想定外でもあった。ここでMの歌を一首、これだけは、と読者のみなさまに紹介させていただく。
 ♪冬の朝自慢のソプラノに鳴くけれどなかなか起きてくれずおかあさん(伊神舞子)
 この場合の〈ソプラノに鳴く〉のは、むろん愛猫のこすも・ここに決まっている。
 ついでながら、本日、静岡県松崎町商工会からMあてに届いた伊豆松崎「第四回花と浪漫の里俳句大会」の事前投句一覧には、Mの句♪寒椿金色のしべ恐るべし、が入選一覧に掲載されていた。この調子で、これからもどんどんMの世界を築いていってほしい。

☆「首相、求心力低下一段と」「辞任ドミノを警戒」「党内外から退陣圧力」「直前まで擁護」「外交への影響必至」「日米関係、混迷深まる懸念」(7日付、日本経済新聞朝刊)
 「枝野氏 外相臨時代理に 首相、後任決定急ぐ」、「月探査機 砂丘を試走 宇宙機構、地形酷似で選定 浜松・中田島」、「リビア 政権側3地域で反撃 20人死亡 中部の都市を奪還」(7日付、中日夕刊)

平成二十三年三月六日
 午後、名古屋のCBCホールであった「がんばれドラゴンズ」の公開収録の取材兼立ち会いで出かけた。帰宅は午後十一時と遅かったが、若い選手たちがプロ野球ペナントレースを前に、どういう気持ちでいるのか、を垣間見ることができた。

 それとなんといっても、どの選手も笑顔がよく、明るかった。じめっ、とした暗さは露ほども見られず、このことが嬉しく、ことしのドラゴンズは途中苦しむことがあったとしても、きっとやってくれると信じたくなってきた。ただ、どの球団のどの選手も決意を新たにしているだけに、当然厳しく辛い展開が予想される。

 帰宅してテレビのチャンネルをひねると、深夜未明にもかかわらず札幌ドームで行われた日本ハム対巨人のオープン戦が流されており、日本ハムのルーキー、斉藤佑樹投手が三回を投げ巨人を無失点に抑えたことを過剰にほど、報道していた。

 がんばれドラゴンズの公開録画で何より印象に残ったのは、出演した大野雄大投手、森越祐人内野手両選手のルーキーとして、ことしにかける言葉だった(他のルーキーは教育リーグのため欠席した)。
 大野投手が「ボクは、ことし初勝利を取ることです」。森越内野手は「ボクはモリコシユウトですが、斉藤佑樹のユウはじめ、ことしのルーキー、三つのユウという漢字の中でボクの“祐”が1軍に出て1番になることです」と、さらに落合監督からかけられた最初の言葉は「早く戦力に加わり、チームのためになってほしい」(大野投手)「縁があってこそ、こうして私との関係ができた。互いに縁を大切にしていこう」(森越選手)というものだった。

 番組の締めとしてファンにリーグ制覇と日本一を約束する場面で、選手会長の森野選手会長が途中何度もとちったあげく、ふきだしてしまい、止まらなくなり、番組進行がストップしてしまうのではーと心配される場面も見られた。ほかに、和田、朝倉、中田、山井、浅尾、大島、藤井選手など。ことしのドラゴンズのチームカラーが何よりあかるいことが印象に残った公開収録だった。

 一隅では、ドラゴンズ歴六十年以上で今も現役として働いているという九十歳のドラゴンズばあちゃん、うどん屋「かどふく」(名古屋市守山区)の福原さんも座って目を細めておいでになった。

 【きょうの1番ニュース】深夜帰りでも、ただ黙って私を待っていてくれたM。先に寝ていてくれたらよいのに。Mのからだが何より心配なのに、風呂から出ると赤飯がたかれ、おいしい料理が並んでいた。そうだ、そういえば。きょうは、誰かさんが、この世に現れ出た大変な日なのである。ニンゲンたちは、どんな人だって、自分の知らないところで生を与えられ、それなりに一生懸命に生きているのである。

 前原外相がきょう夜、外国人献金問題で引責辞任する意向を菅直人首相に伝えた。菅首相は慰留したが前原氏はこれを固辞、最終的に了承されたという。

☆「リビア 首都近郊 死者60人以上 大佐派 奪還へ部隊投入」、「外相『大局的に進退判断』 献金問題 国会の情勢見極め」、「春導く巨大たいまつ 津島『開扉祭』」
 「竜『日本一』奪取誓う 東区の六所神社で祈願」、「2万7000人 熱く グランパス開幕戦」
 熊本女児遺棄『口ふさぎ首絞めた』 容疑者供述 死因は窒息と判明」(6日付、いずれも中日朝刊から)

平成二十三年三月五日
 土曜日で一応は、休みだ。
 デ、朝起きると裏庭のコンポストに残飯類を入れ、ちいさなマス二杯の無洗米アキタコマチに水を足し午後七時十分炊き上がりに炊飯器をセット、それから朝食後の食器類を洗う。(とはいえ、大半はMに教えてもらいながらだったが。Mは朝から俳句教室へ)

 というわけで、現役の一線記者時代だったら、到底信じられない(とは言っても今でも結構の忙しさで私本人は同じ感覚でいるのだが…周りはそうは受け取らないだろう)所業(しょぎょう・この場合の「所業」は悪事とも取られかねないが、あえてこの表現を使わせていただいた。要するに、あんまりやりたくはないことだから、私にとっては、所業なのだ)に手を染め、自室へ。

 この後は一昨日から二度、三度と読み返していた「熱砂」同人、真伏善人さんの新作小説「秋」の紹介を「WHAT,S NEW」欄でアップ。ホッとしたところへ、ファンクラブの熱心な会員から電話が入り、ファクスを送りましたーの電話が入ったため、とどのつまりは社へ。届いたファクスを読ませていただいた。
 ナゴヤドームでの美化活動をドラゴンズファンとして、また会員としてドームの協力の下、どう推し進めたらよいかーについての建設的な内容で私自身、ウーンなるほど、なんとかこうした意見がドームの理解、協力のなかで実現するといいな、と思ったのである。

 帰路。江南駅近くの立ち飲み屋で、熱燗を一杯だけひっかけ歩いて帰る途中、愛栄通りのとある、はきもの店前で足が止まった。
 店の窓ガラスに●永い間ありがとうございました●江南ではきもの店が失くなります●本当の職人のすげた はきよい下駄が失くなります●おねうち早やいうちにお求め下さい 高島屋(ナゴヤ)の三分の一のねだんですーなどなど。思わず、胸がしめつけられる思いで帰宅しMにこのことを話すと、彼女曰く「あそこは、いつも閉店セールなのよ」と。でも、率直に、こうした町の店はいつまでも残しておいてほしい、と思う。

 【きょうの1番ニュース】私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」のメインティナンスでいつもお世話になっているリナさん(仮名)がつい最近、入籍され六月に出産予定だ、と彼女からのメールで知った。
 彼女は、かつては医師、いまはバイオリニストでもあり、将来ある女性だ。特に、わが家の愛猫こすも・ここは、いつもかわいがられ励まされてきた。それだけに、なんといってよいのか。私もこすもも、胸のなかは寂しさで満タンである。

 ここで久しぶりにアタイ(こすも)からも。お姉さん! いっぱい、いっぱい幸せになってください。そして、いい赤ちゃん、生んでくださいね。「熱砂」の皆さんやオトンのこと、これからも、よろしくお願いします。

☆平成22年NHKのど自慢チャンピオン大会が五日夜開かれ、ブラジルで育ち二十年前、日本にきたという埼玉代表で「花の時 愛の時」を熱唱した斉藤光壱さんがグランドチャンピオンに決まった。私自身、NHKテレビを見ていたが、私が1番と決めた斉藤さんが本当にグランドチャンピオンになってしまった。おそらく1番多くの人々に涙を誘う歌唱力があったから、心からの熱唱だったからこそ、だと思う。私の目からもなぜか、涙があふれて止まらなかった。

☆「きょう2軍で実戦復帰 直倫開幕間に合うぞ! 教育リーグソフトバンク戦(5日付、中日スポーツ)
 「はやぶさ ハラハラ発進」(5日付、中日夕刊。東北新幹線の新型車両E5系「はやぶさ」が五日、営業運転を開始した。新青森発東京行きの一番列車は午前六時十分に新青森駅を出発し、午前九時二十分すぎ、東京駅に到着した。)
 「外国人献金 前原外相に辞任論 民主幹部『世論次第』」(5日付、毎日夕刊)

平成二十三年三月四日
 いまは午後十一時半過ぎ。
 なぜか、眠たくてしかたがない。
 社の方は黙々と仕事を進め、三月紙面(中日スポーツのFC通信)で紹介予定の人は、ほぼ全員、執筆済みである。あと月刊ドラゴンズ4月号の「ファンクラブだより!」をどうするか、思案しながら書き進めている。

 【きょうの1番ニュース】最近、社の近くにチョッとした心の空間にでもなりそうなエリアを見つけ、昼休みはそこまで歩き、そこで食事し本を読んで戻る。私は元々が、独りっきりでいるのが好きだから、ここだと社関係の人間が姿を現すことは、まずない。だから、神経が休まり、いい発想が生まれるような気がするのだ。できれば、誰にも知られず、かつ荒らされることなく、ボクだけのアジト的場所になってくれたら、いい。

☆「市長派と各党激突 出直し名古屋市議選告示 138人が届け出 減税日本41人擁立」、「3大学の投稿も認める 予備校生使用の携帯を所持」、「NZ地震 家族 無念の帰国 『奇跡だけ期待していた』(4日付、中日夕刊)
 「減税日本VS既成政党 出直し名古屋市議選告示 130人超が届け出」(4日付、毎日新聞夕刊)

平成二十三年三月三日

 きょうは、桃の節句。お雛さまだ。
 まずは誰よりも先に、Mよ、おめでとう。ありがとうーと、心のなかでMに照れながらも、お礼を言う。そして次には、わが家のおてんば娘たち、こすも・こことシロちゃんにも「げんきでいろよ」とだけ、お祝いを申し上げた。
 この日は私にとって、かけがえなき日本の女性ばかり3、4人にも時候あいさつを兼ねたメールを打ったが、みなさん、ワクワク、ドキドキする返信をただちに送ってくださった。

 朝の出がけに、「(職場に女性は)何人なの」とMが私に聴くので「3人」と言うと、「じゃあ、これ、持ってって。この間もチョコレートもらったんでしょ。ちとお返しには、早過ぎるかもしれないけれど…。オルゴールつき入浴剤を用意しといたから」ときた。

 この日は、たまたま1人が病欠だったが、3人分を渡しておいた。日ごろ、お世話になっているから、とMに命じられるまま、出勤すると同時に、既に出社していた倭撫子そっくりのHさんに代表として受け取っていただいたのである。
 何食わぬ風を装い「ハイ、ウチのヤツから」とだけ話してお手渡した。それでも、帰宅前にわざわざ「イガミさん、ありがとう」と女性ふたりから言われたときは、なんだか心が天にも吸い込まれてゆくような気がし、それこそ照れてしまったのである。

 【きょうの1番ニュース】公式ファンクラブのお母さんで御歳80歳の安江都々子さんに帰宅途中の名鉄鶴舞線車内から「直倫たいしたことなくよかった。(きのうの中日スポーツに心配された鎖骨の故障は骨折ではなかった、と報道された)。今日はお雛さま。デ、電話をーと思いつつ、この時間になってしまいました。お体、大切になさってください」とショートメールをお送りする。

 彼女からはほどなく返信が届き「メール有り難う御座いました。名古屋球場、昨日、今日、とても寒くーでも頑張っていきました。直倫くん軽くて、(国府宮の裸祭りの)なおい布を送ったから良かった」(原文どおり)の返信を受けたが、私はこのメールの文面を読んで「あ~あ、そうだったのか」と思わず感嘆の声を漏らしたのだ。

 堂上兄弟選手の弟・直倫は沖縄キャンプで鎖骨を折ったと報道されていたが、その後、骨折ではなく、本人も練習を再開したという明るいニュースが飛び込んできた。安江さんが贈った国府宮の裸祭りの“なおい布”がいま、重要な局面で効果を発揮している。

☆「入試投稿 仙台の予備校生関与か 携帯契約者の息子 4大学とも受験」、「名古屋市議選あす告示」、「佐藤(夕子)議員が民主離党 愛知1区きょう届け 市議選『減税』支援で」、「若狭路照らす春 福井・小浜『お水送り』(3日付、中日朝刊)
 「NZ地震 ビル救助打ち切り 日本人28人不明のまま」、「入試投稿 19歳の逮捕状請求へ 偽計業務妨害容疑 所在確認急ぐ」、「『就職失敗』自殺2割増 昨年大学生は倍増46人」(3日付、毎日夕刊)
 「迫力のプラネタリウム  名古屋市科学館 19日に新館開館」(3日付、中日夕刊)

平成二十三年三月二日
 夜、帰宅後。少しだけ時間が取れたので先に沖縄の「FMよみたん」から私あてに届いていたCDを聴いてみた。
 このCDは先月上旬、中日旅行会のドラゴンズキャンプ観戦ツアーに同行し沖縄を訪れ、会員代表とともに「FMよみたん」の番組「チバリヨー中日 キャンプイン読谷」に出演したときの様子が収録されており、大変貴重な記録でもある。聴くだけで、一時間かかったが、あれやこれやと勉強になった。

 このところは、野や山、川がどこかしら、暖かな陽射しに映え、日一日と春が近づいてきている。

 【きょうの1番ニュース】愛猫こすも・こことシロちゃんが、相変わらずマイペースで元気かつ、勝手にヌクヌクと生きている。二人とも私たち家族が大垣暮らしをしていたころからなので、十五年以上にはなる。人間なら、かなりの高齢者というところだが、そろって食欲もあり、まだまだ元気で美人、たのもしい限りだ。

☆「与那嶺要さん死去 85歳 元中日監督、巨人V10阻む」、「夜空焦がす炎 1260年の祈り 東大寺二月堂でお水取り」(2日付、中日朝刊)
 「春ポカポカ 白鳥庭園(名古屋市熱田区)フクジュソウ見ごろ」(2日付、中日夕刊)

平成二十三年三月一日
 帰宅して、アッと驚いた。
 Mが玄関横にある私の部屋、すなわち室内空間のインテリア・デザインを、ものの見事に改造してくれていたのだ。彼女なりに私の文筆に役立つように配慮した大胆な配置となっていた。

 亡き勝野さんのご遺族から「七七日忌に当り近親相集い滞りなく法要を相営みました。これ偏に皆様のおかげと深謝致す次第でございます」の丁重なお返し(お湯沸かし器)が届いた。戒名は「慈福義心居士」で、これにはMも「カツノさんにぴったりだね」と感嘆の声を挙げていた。

 【きょうの1番ニュース】Mの手で私の部屋の中が、大改造されていたこと。私の部屋だけはいじらない、と思っていたのに。Mにとっては、オレの部屋だといきがったところで「アタシの部屋だよ」ということか。それでも、印刷機やソファの位置など私のためを思ってやってくれたことだけは、私にだって分かる。ありがとう。

 そして、もうひとつ。わが家のお風呂場の壁に、M待望の断熱器がそなえられたことである。Mが湯上がりの寒さがこたえる、と言うので業者さんに頼んでやってもらった。

☆「離党届16人 採決欠席 予算案が衆院通過 年度内成立確定」、「NZ地震 発生から1週間 祈り沈痛捜索難航」、「新旧の顔 ズラリ 名古屋、リニア・鉄道館」、「入試問題ネット流出 答案と投稿 照合開始 早大、他3大学も検討」(1日付、中日夕刊)
 「小牧山城は安土城の原型 築造時のまま出土 石垣、ほぼ同じ技術」(1日付、読売新聞、石垣は2段に分かれ、上段と下段の間は幅2メートルほどの通路となって城を巡っていた)、「早大、1万人答案調査 入試問題流出 警察が捜査着手」(1日付、読売新聞朝刊)

平成二十三年二月二十八日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 午後、六時前―
 仕事を切り上げ、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」特別例会の会場(名駅西「つちやホテル」)に駆けつけた。
 先日、出版した文庫本・テーマエッセイ集「熱砂」についての最終打ち合わせ(残書は二十五冊のみ)をしたあと、次回エッセイのテーマを牧さんの提言で「たより」(提稿締め切りは四月末)に決めた。そしてこんどの例会をいつにするか、熱砂同人としての文学に立ち向かう基本姿勢(エッセイでの「婆あ」とか「クソじじい」といった安易表現を避ける。むろん、小説などでどうしてもーという場合は、これに限らない)、新入会者の件など緊急の問題につき話し合った。

 ここで私はあらためて、こんご「熱砂」の文学活動を進めていくに当たって、読者を見下していると誤解されがちな、かつ文章の品位を疑われるような表現を極力避けることの大切さを思う。例会では、新しく「つちやホテル」社長の土屋純二さん(ペンネーム「平子純」)の入会を決定した。平子さんといえば、かつては、確か“じゃぱゆきさん”の小説を書き、各新聞紙上で大きく報道された人でもある。現在、詩誌「宇宙詩人」同人でもあり、詩人でも知られる。強力なメンバーになることは間違いない。

 例会のあとは、有志でいつもの昭和食堂に寄って歓談した。帰りは最近、両目を手術したばかりでウーロン茶でつきあっていただいた大正琴の王さまで詩人でもある牧さん(琴伝流大正琴弦洲会会主・倉知弦洲さん)に車で、わざわざわが家まで送っていただき感激したのである。

 牧さんの場合。
―昨夜はニューヨークの銀行で働く次男敦くん(アツシくん)の奥さんが、牧さんの長女恵さん(メグちゃん)の嫁ぎ先であるイギリスに向かう際、オランダ・アムステルダムの空港で缶詰状態に置かれ、一時は海外からの連絡に大騒ぎし、メールでやり取り、ほとんど寝ていなかったという。それでも朝から大正琴の指導に飛び回って刈谷の稽古場から例会に駆けつけてくれて本当に悪かったネ、牧さん。ありがとう、の言葉を付け加えたい。

 ことほどさように「熱砂」同人は素晴らしき仲間たちばかりで、みな働き者なのである。

 【きょうの1番ニュース】Mが最近、玄関先に手すりをつけたい、と言い出し農協に頼んで業者に来ていただいたことと、帰宅するとわが家のインテリアがガラリと変わっていたこと、Mと一緒にいると、ある日突然のように、家のなかが様変わりしているので面白い。ただ「あなたの部屋だけは何をどうして、いじくったらよいのか分からないので、そのままにしといた」とのことだった。

☆中日は27日、ロッテとのオープン戦(北谷)に臨み、3―3で引き分けた。(28日付、中日スポーツ)
 「リビア毒ガス9・5トン残存 カダフィ派の使用懸念 国際監視機関」、「京大入試流出 投稿者特定へ府警捜査 質問サイト板書の訂正反映」、「大相撲、春場所ないけれど…『幻の番付』各部屋に配布 十両以上公表、待遇に反映」、「京塚昌子 日本のおかあさん ふっくら笑顔 皆に好かれて(あんな話こんな話、取材メモから、日本演劇協会評論部・岡安辰雄)」(28日付、中日夕刊)
 「望遠/広角 『雑文』から見える村上文学」(28日付、毎日夕刊)

平成二十三年二月二十七日
 日曜日。きょうはMのアッシーとして、車を運転しあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。でも、こうしたひとときもいいものである。本当を言うと、しなければならないことが山ほどあるのだが。まあっ、いいか。それよりMが元気になってくれたことに感謝すべきだ。

 【きょうの1番ニュース】「ホームセンターに行くの」と半ば、強制されて車で行くと、なんと買うわ買うわ。花のちいさな苗を二十本ほどと、園芸用腐葉土を五袋も購入、あんな小さな裏庭にこんなに育てられるのかよ、とノドまで出そうになったが、やめた。
 わが硬直気味な頭の発想を替え、この際、お手並み拝見といこうじゃないか。彼女のことだ。結構、センスはあるので裏庭がカラフルな花々で飾られる日も時間の問題だと思うことにした。奇跡が起きたら「よくやったな」と褒めてやろう。

 もしかしたら、極上の俳句や短歌、一行詩が生まれるかもしれない。

☆中日ドラゴンズは26日、今季初のオープン戦となる楽天戦(北谷)に臨んだ。試合には3ー8で敗れたが、9回に登板したセットアッパーの浅尾拓也投手(26)が150キロをマーク。……(27日付、中ス)
  「京大入試中に問題投稿 携帯で質問サイトに 第三者が回答」、「南伊勢で鳥インフル 三重 養鶏場26万羽サツ処分へ」、「リビア 首都で市街戦準備 カダフィ氏、市民に武器」、「身元確認が難航 NZ地震死者145人」、「小野さんグランプリ 中日フォトメイツ決まる」(27日付、中日朝刊)

平成二十三年二月二十六日
 オランダ人水理工師、ヨハネス・デレーケの一代記「乱流」を世に出した岐阜県大垣市在住の作家三宅雅子さんの文部科学大臣表彰(地域文化功労者表彰)受賞祝賀会が、岐阜市の岐阜キャッスルインで行われ、私も1万円の会費をお支払いして出席した。祝賀会は発起人あいさつ、来賓のお祝いの言葉、文芸きなり代表・石川好子さんなどからの祝電披露、記念品・花束贈呈、作品の一部朗読の順で進んだ。

 引き続き三宅さんが「取材は楽しいが書くのは苦しい。それだけに、この苦しさを克服して書き上げたときの喜びはいいようがない」と述べ、「ある席で皇太子さま直々に新潟県山古志村に伝わる苦闘の歴史“掘るまいか”を書いてくださってありがとうーとのおことばを頂いたり、『熱い河』を書きあげたときにはパナマの子どもたちから“ミヤケさん、ありがとう”と喜ばれもしました。本日のお祝い会も含めて作家みょうり、に尽きます。みなさま、きょうは本当にありがとう」と感謝を述べられたが、和服姿がとてもお似合いで喜びが、私の心のなか、にまで伝わってきた。

 文芸評論家青木健さんによる「熱い河」の朗読、三宅さん率いる短歌の会「Gifu‐cho」メンバーによる三宅雅子さんの短歌五首の朗読もよかった。
 三宅さん、本当に、心からおめでとう。これからも歴史に残る作品をどんどん生み出してください。そして、もう一作、世紀の社会派作品を残し、百歳までに文化勲章を受章してください、ね。夢ではありません。そのときは私が主賓として当然、会費もお支払いしたうえで列席し、代表して祝辞を述べさせてもらいます。

 三宅さんといえば、頑固なうえ一徹過ぎ自分の意見を曲げないことから敵も多い。私との因縁は新聞社の大垣支局長時代に彼女が主宰する同人誌「長良文学」の同人に入れていただいたばかりか、現在は同じ日本ペンクラブ会員(作家・ノベリスト)でもあり、私が編集局デスク長兼サンデー版デスク長当時には、サンデー版のコラム「愚の目・賢の目」の執筆を数年にわたって、お願いしたこともある。
 そればかりか、大垣支局長時代にオランダ花物語の取材で私自らオランダ・アムステルダムに飛んだときには、事前の彼女の紹介でデレーケさんの親族の家を訪ねたこともある。阪神大地震の時には彼女に代わって神戸を訪れ、デレーケの寝棺の無事を確かめ、墓前に花を供えた日がつい、きのうのようだ。

 ほかにも、ある賞を受賞されたときなぞ、個人的に居酒屋でお祝いをし、共にカラオケに興じたことも。あなたとは、比翼の鳥、連理の枝です。亡き作家・豊田穣をしのぶ会でのある隠されたドラマなど、数絵知れないできごとを共に共有してきた仲です。それだけに、残念だったのは、なぜ私のスピーチがなかったのか、おそらく彼女もそう思っているに違いありません。それが悔やまれます。
 私に求められていたなら、淡墨桜再生に命の炎を捧げた宇野千代さんと三宅雅子を対比させつつ、そしてあの加藤巳一郎(もと中日新聞会長、巳一郎さんは三宅さんを大好きだった)との丁々発止のひとくだり、秘話についても面白おかしく、それも簡潔明瞭に話すところでしたのに。「広く聴き、深く考え、強く闘う」姿勢は、三宅さんも巳(み)イチさんも同じなのです。

 それにしても、かつて岐阜県庁汚職の内定捜査取材を進める一方で淡墨桜の元と、宇野千代さんの元を再三訪ね、枯死寸前の老樹の元に民家があるので移転をさせなければならない、こう声を大にして文化庁を動かし民家移転を実現させたきっかけを作ったのは一体、誰なのか。
 それを忘れてしまい、「私がやった、やりました。昭和五十年ごろだった(五十一年ですよ)」と自己礼賛ばかりをし、自己満足のスピーチばかりをしていた元官僚Y氏の権力の亡霊にすがっているーと見られても仕方の無い男の哀れさには胸痛みました。

 (移転していただくに当たり、結果的には当時、県文化課長、後の教育長のY氏にかけ合っていただき文化庁を動かし、民家移転を実現させたのは事実だ。でも、私が一番最初に文化庁に電話し移転させるべきだと強調し県文化課はそれにひきづられる如く国と折衝した。最初に声を挙げたのは、宇野千代さんと私、すなわち“いがみの権太”、世論なのだ。Y氏はそれを忘れたふりをしてすっとぼけていた。それとも本当に忘れておいでなのか)。

 それと。なぜ、これほどのお祝いの会に知事がきていないのか。岐阜、大垣両市長はー。そして、もう1人。たとえ、小島信夫文学賞の会と中部ペンクラブ主催とはいえ、清水信さんぐらいは来賓として当然、お招きすべきではないのか。ちがいますか。

 権力の亡霊にすがりついた男あたりを来賓に招いていたのでは程度が知れてます。Y氏がだらだら長々と、話した時間がそっくり私に与えられたなら、おそらく会場は感動のルツボと化したに違いない。その点、日ごろから口の悪い「中部の詩人たち」や「古田織部」で知られる久野治さんのスピーチはとても簡潔明瞭で、さわやかだった。そして九十三歳になられる来賓A氏のお言葉も、わが胸に染み入るものだった。

 いずれにせよ、祝賀会は午前十一時からの会で、終わった後も喫茶店やら飲み屋……と、三宅さんに中部ペンからの花を手渡した宇佐美宏子さんら見目麗しき仲間たちと久しぶりに飲み歩き、午後六時過ぎ帰宅した頃には、頭が痛くてあげそうで、このまま死ぬのではないか、と思ったのでした。(というわけで、本欄のアップがたいそう、遅れてしまいました)

 【きょうの1番ニュース】三宅さんを祝う会で三宅さん率いる短歌の会「Gifu‐cho」の牧村香津恵さんらステキな女性にお会いできたこと。Mがかつて、大変お世話になった方々ばかりで、みなさん! キラキラと輝いていた。三宅さんの「今」は、何もY氏の存在などは全く関係なく、ご自身の努力があってこそですが、牧村さんたち最強の親衛隊に守られていればこそ、です。
 それから、私の席の隣に三宅さんの息子さん夫妻が座られており、お嫁さんともお話できた。三宅さんの心からの配慮かと思い、うれしく思った。亡き最愛のご主人はじめ、きょぅはお目にかかれなかった語学に堪能な娘さんも含め、三宅雅子の現在あるのは、こうしたご家族の深い愛があればこそ、です。
 また、あの親しみやすい風情の青木健さんにもお会い出来、私たちが主宰するウエブ同人誌「熱砂」のテーマエッセイ集を手渡しすることが出来たこともうれしかった。

♪真実を言わぬやさしさ今宵また深くなりゆく君との絆(三宅雅子)

☆「NZ地震 続く余震 死者144人に」「捜索難航 家族らに警察説明」、「カダフィ大佐 徹底弾圧強調」「トリポリの広場で演説『反政府勢力を殺す』」「安保理 リビア制裁 決議へ」「人道に対する罪 国際刑事裁に付託も」(26日付、中日夕刊)
 「NZ地震 エレベーター前 崩れず」、「リビア全世帯に現金 カダフィ大佐 デモ収束へ懐柔策」、「小向容疑者を逮捕 覚せい剤購入 滞在先の比から帰国(26日付、毎日朝刊)
 沖縄の北谷球場に中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコット・ガブリがファンサービスで初登場した。ガブリは27日にも北谷球場でお客さまを出迎える。(公式ファンクラブ事務局)