あゝ~、笛猫人間日記1月11日

平成二十三年一月十一日
 (この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 きょうは、2011年1月11日。私の大好きなズラリと「1」並びの日である。日ごろはトント、縁のない「1」が並んだ日だけに、ナントナク嬉しいのである。
 
 帰宅後、テレビを見ていたら、このところ全国的に拡大の一途である「タイガーマスク 伊達直人サンからの贈り物」が相次いでいるという。NHKが午後九時からのニュースで伝えていた。それによると、贈り物はランドセルに限らず、野菜の置き土産まで多彩。NHKさんの調べによると、贈られた児童養護施設などは、実に全国百ヵ所以上に及ぶという。

 「ダテ・ナオトって、タイガーマスク世代って。いつごろか」と、私が、元べ兵連(ベトナム民主平和連合)崩れのMに聞くと、Mはそれには応えず、こう言った。
「全共闘世代が何もかもを踏み潰してきた。修復しようとしたら、倍の歳月がかかるのだから。今回、細胞分裂が始まり留まるところも知れないタイガー世代は、おそらくそのあとに出てきて、現在社会で活躍している人たちではないか」と。
 そんなに断言されても、タイガー世代は結構長いだけに、団塊の世代だって充分ありうるのである。今ごろ、謎のタイガーたちは新聞やテレビのある種、奇怪な報道にみな一人ひとりが静かに歓喜の声をあげているのだろうか。世のなか、だから面白い。

 【きょうの1番ニュース】ドラゴンズ球団の営業担当・Kさんに、私たちウエブ文学同人誌「熱砂」が、つい最近、出版したばかりであるテーマエッセイ集の文庫本をお渡しすることができた。いまから三十年ほど前、社会部当時からの新聞記者の大先輩でもある、ダンディーKさんだけには一冊贈りたい、と思っていた。それだけに、なんだか大仕事を終えたみたいでとても華やいだ気持ちになった。
 Kさんは、この日新聞社の本社であったナゴヤドームと球団、ファンクラブの実務者連絡会議のあと、タバコをすいに本社七階のファンクラブ事務局前の喫煙室においでになったので、たまたまいつも肌身離さず持っている文庫本一冊を手渡させていただいた次第だ。Kさんは気安く受け取ってくださった。おまけに真っ赤な表紙をしげしげと眺めながら「おしゃれじゃないか」とも。やはり大いなる先輩はボクにヤル気を与えてくださっている。ありがとうございます。

☆「『タイガー』の善意 広がる」「愛知、三重でも」「『良いこと』『心熱く』手紙添え贈り物」、「竜『新戦力』が始動」、「名古屋冷え冷え この冬一番」、安西氏(前慶応義塾長)がNHK会長拒否 経営委、就任辞退を要請」、「10年新車販売 HVが38%増 プリウス31万台、歴代首位」(11日付、中日夕刊)

平成二十三年一月十日
 高樹のぶ子さんの新聞小説「マルセル」(毎日)、五木博之さんの同「親鸞・激動篇」ともに好調な滑り出しである。わたしは朝起きると、何よりも先にこのふたつの小説を読み、次いで中日のもうひとつの連載小説「グッバイ マイラブ」(佐藤洋二郎作)も読む。もっとも、朝の出がけで慌ただしいときは、帰宅後に目を通す。

 なかでも、きのう九日付「マルセル」を読んでいて高樹さんが、かなり新聞記者について詳しくなられたなと、思わずうれしくなってきた。

 その下りは次の通りだ。
―社会部では最低限のお化粧もしてた。他社の記者と比べて見劣りしないためにね。いえ、父さんには言えない恋愛もした。恋愛だったと思うけど自信はない。整理部に異動してからは、夜勤明けにお風呂も入らず、バタンと寝てしまう毎日。
 文化部に来てようやく自然体になれた。いろんな人とも会わなくてはならなくなって、ふつうには身繕いに気を遣えるようにもなった。
 でも、部屋の中、掃除する時間が勿体なくて、ついにルンバを買っちゃった。父さんは知らないと思うけど、勝手に留守中に床の上を這い回って、掃除してくれるの。ルンバを買いにビックカメラに行ったとき、男の店員が何だか哀れむような目で、忙しいキャリアウーマンが買って行かれます、みたいなこと言ったの。あんたはもう、結婚の可能性なし、ってレッテル貼るような目だった。
 でもねわたし、父さんみたいな新聞記者人生は送りたくない。(略)餌をめがけて走る犬みたいに、何か起きるたびにわっと駆け出してボイスレコーダーを突き出すそんな生活。父さん、満足してた? (9日付、毎日13面、「マルセル」8から)

 かつて記者稼業にうつつを抜かしていた私としては、まったくもって身につまされるとは、このことか。彼女、すなわち高樹さん本人から「新聞記者って、どんなことをするのですか。デスク長って何するのですか」と真剣な表情で聞かれたことがあるだけに、その後、彼女なりによく勉強されたなと感心したのである。「親鸞・激動篇」と負けず劣らず、これからの展開がますます楽しみになってきた。

 きょうは、多少時間の余裕があったこともあり、きのう新年例会につごうで参加できなかった各務原市に住む「熱砂」同人の所までMを伴い、テーマエッセイ集の文庫本十冊を届けたほか、きのう誤りが指摘された部分の訂正方法につき、電話で業者と話し合うなどした。おかげで、なかなか自分のすべきことができず、時間はまたたくまに過ぎ去っていった。それでも、帰りには私の母が住む家に寄ったが、案の定、顔を見せるだけで嬉しそうだった。
 三人兄弟のなかでは、昔から私が、一番の暴れん坊だっただけに、母は何かと私たちのことが気になるらしい。でも、親を大切にする気持ちはいつだってあるのだから、心配は無用だ。

 【きょうの1番ニュース】中日新聞の第2社会面トップ記事「息子亡くし10年 大津で絵画展」「薬害の悲惨さ 遺作で伝える」の記事を読みながら思わず、涙がほほを伝わった。脳腫瘍の手術の際の汚染脳硬膜が原因の薬害ヤコブ病で十年前、三十二歳で亡くなった大津市下阪本の林琢己さんの水彩画展が十四日に、同市におの浜の県民交流センター「ピアザ淡海」で開かれる、という話である。たまたま、私の妻Mも昨春、脳腫瘍を全摘する大手術から奇跡の生還をしただけに、突然、琢己さんを襲った薬害は他人事でない。手術を経た後のヤコブ病との闘い、そして死……と、母親ら家族の悲しみは大変だったに違いない。この記事を書いた記者にも敬意を表したい。合掌―

☆「米下院議員撃たれ重体」「アリゾナ対話集会 銃乱射、6人死亡 22歳の男拘束」、「名古屋 大西副市長 辞職へ」「初の民間出身『市長に合わせた』」、「『ひょうきん族』『いいとも』制作 横沢彪さん死去 73歳」(10日付、中日朝刊)

平成二十三年一月九日
 日曜日。名古屋市内の名駅近く「つちやホテル」で私たちウエブ文学同人誌「熱砂」の新年例会があった。私的事情からどうしても出られない二人を除く全員が出席し、改めて世界に大きく羽ばたく同人誌「熱砂」としての新年への飛躍を誓い合った。
 最近、誕生百年を前に空前のブーム到来が予言されている名古屋生まれ、名古屋育ちの大正琴。そのなかでも全国的にも一番多くの会員が学ぶ琴伝流の一派、弦洲会の会主(倉知弦洲)でもある詩人で最長老の牧すすむさん。会は、その牧さんの乾杯の音頭で始まり、中身の濃いものとなった。

 席上、今回のテーマエッセイ集「熱砂」(文庫本、発行所・ヒロセプリントセンター)の出版に関連し、一部に誤解されかねない品格を落とす表現があった点について「文学は確かに何でもありとはいえ、熱砂同人は日本語にできるだけ忠実、かつ美しい表現をしていこう」「文学は、どんな作品であれ、読む人々に“夢と希望、感動”を与え、癒されるものでなければ」との基本姿勢を確認しあった。

 かといって、なにも優等生の文章を目指せ、というのではない。同人一人ひとりが一般常識を飛び越える、従来の文学のカラから抜け出る試行錯誤の試み、こうした積み重ねのなかにこそ、その作者ならでは、の作品世界が開ける。幸い「熱砂」は、将来有望な若手の原石の存在が目立つだけに、ことし一年、それぞれの表現に挑戦してみることも必要だ。理屈を言う前に、なんと言われようが、まず毎日書き続けることこそ、大切で、そのことが作者の表現力を伸ばすことになる。むろん、自分の目指すところの本を貪り読むことも大切だ。

 ―分かった。わかったよ。お父さんったら。
 もっと、みんな肩の力を抜かなくちゃあ。そりゃあ、確かにババァとかジジィとか、何さまになってるんだ、と批判されても仕方のない表現の乱発は金のハガネも剥がれちまうね。でもネ、基本は書きたいことを自由奔放に書けばいいのよ。だって、オトンの持論だろ。新聞記者だって、百人いたら、百人の表現があり、切り口もそれぞれの視点によって違うんだろ。よく言ってたぢゃん。
 「人の原稿を型どおりにしようと、ちまちま直し時間ばかりかかるデスクほどたちの悪いヤツはいない。大事件が起き、一分一秒を争うときに細かいことを、くだくだ言ってたらどうするんだ。締め切りに間に合わなくなってしまうぞ。兵隊記者の記事をまず何より尊重し認めるところから始めなければ。自由にさせなくっちゃあ」と。
 ただ、ひとつだけ、アタイにも言わせてほしい。それは、オトンの信念ともいえる「年上の方々を大切にする心。自分より一秒でも長く生きてきた先輩には気持ちの中で最顧の礼をもって接する。なぜなら、たとえ一秒、一分、一日であろうと、その方たちは、好いにせよ悪いにせよ、この世の中の経験をそれだけ多くされてきているからだ」とよく聞かされてきた。
 文を書く以前に、この気持ちを忘れてはいけないもの(へんなところで、急に女言葉になってゴメンナサイね。だって、アタイ、女性の姥桜なんですもの)。

 【きょうの1番ニュース】早朝、床の中で。Mがいつも聴いているラジオから、フォーク歌手・高石ともやさんの「友よ」のメロディーと声が流れてきたこと。高石さんと言えば、昭和四十年代のはじめに、受験生ブルースが大ヒット。その後、平成五、六年ごろ新聞社の大垣支局長時代に、あの揖斐川マラソンに毎年きて頂き、前夜祭で一献傾けたひとときが懐かしい。あのころは、彼からもらった「この町が好きさ……」といった唄が大好きで、カセットをいつも聴き、口ずさみながら車を運転したものである。

×      ×
 全国の児童相談所などに漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」を名乗った人物からのランドセルの贈り物が相次いでいる。岐阜市でも八日夜、長良森町の児童養護施設玄関前に包装された箱五つが置かれていた。中を開くと、「新一年生のみなさんへ おめでとうございます。 伊達直人」と印字された手紙とランドセルが出てきたという。

☆「かるた名人13連覇 クイーンはV7 大津で決定戦」「ひこにゃん調停違反認定 彦根市が即時抗告」「『300文字小説賞』で最優秀賞に選ばれた渡村武弘さん=高校三年生=」(9日付、中日朝刊)

平成二十三年一月八日
 土曜とはいえドラゴンズ公式ファンクラブ会員さんに対する取材協力のお願いなど、どうしてもこなしておきたい仕事がいくつかあり、出社する。それでも早めに帰宅して、こうしてパソコンに向かっている。

 さて、今年に入り、思うところがあって自分にとっての【きょう一番のニュース】を順次、掲載している。自らの心にふと、湧き上がったその日一日で、いい面でも悪い面でも一番印象深かった事象を切り取っていくのが狙いだ。
 でも、いつも思うことだが、文というもの、新聞記事の特ダネと一緒で、ほんとに「まさしく、これぞきょう一番のニュースだ」とは思っても、どうしても書けないことがたまに、ある。実は昨日の一番ニュース、「吉田幸平さん」のニュースに匹敵する、いや、それ以上に重要事案が私の回りに発生した。それもニ件で、一つはへーえといった話。もう一つは、文章の品格をめぐっての話である。きのうは、どちらも、どうしても書けなかった。なかでも文章の品格に関しては、身内の恥を露呈するようで、一番書きたいのに、やはり書けなかった。

 どちらも、いまこの場で事実を曝け出すと、変な方向に展開しかねない。だから、私は書くことをやめた。思い返せば、事件記者として日々走り回っていた時には、「これだ」と信じた記事が、いろんな事情からボツにされたことが何度もある。
 書きたい、本当に書きたい、書いて世の人々に知ってほしいーと思いながら、書けば傷つく人が多く出る。だったら、書かない方がいいに決まっている、というわけだ。

 【きょう一番のニュース】文芸「きなり」代表の石川好子さんから私たちウエブ文学同人誌「熱砂」からのテーマエッセイ集贈呈に対するお礼がメールで届いた。うれしく思った。
(本文次の通り)
 ―『熱砂』テーマエッセイ集 2001年1月1日 奥付。
 新しい年の輝かしいスタート。
 心からおめでとうを申し上げます。
 伊神様の作品一気に拝読しました。
 何せプロだもんね! ……
 (中略)
 新年早々に素晴らしい教科書に出会いました。
 学習を重ねます。
 有難うございました。

 こちらこそ、本当にありがとうございます。ことしも、(恥をさらしながらも)、くれぐれもよろしくお願いいたします。

☆「恐竜の歯 僕が発見! 9歳、一億年前の地層から 兵庫 国内最古の「よろい竜」化石」、「自殺、昨年3万人超 13年連続」(8日付、中日朝刊)
 三重県志摩市の近鉄賢島駅に月2回ほど人垣ができる。目当ては9歳の雌のペンギン。小ぶりの帽子とネクタイをつけて登場し、ヨチヨチ歩く姿に「かわいい」と歓声が上がる。駅近くの志摩マリンランドのフンボルトペンギン「志摩ちゃん」は1年前、賢島駅の特別駅長に任命された。近鉄初の“女性駅長”として三十数回、改札口で乗降客らを出迎え、記念撮影に応じるなどして誘客に貢献している。(8日付、中日朝刊「虹」動物だより)

平成二十三年一月七日
 通勤電車の中や、お昼休みを利用して文学界新年号の島田雅彦「私と芥川賞の深い縁」を読む。電車といえば、行きの車内で高校時代の友人にばったり会い、何だかんだ、と話が弾んだ。やはり、昔の友はいい。

 友といえば、新年早々の五日に突然のメールが私あてに届いた大学時代の親友・川口譲氏から、今度は賀状が舞い込んだ。
「昨年会社を締め、夫婦で退職記念旅行をしました。私は9月より中国の吉林師範大学博達学院で日本語教師の慣れない仕事に挑戦中です。この年で大学生活が送れるとは思いませんでした。」というもので、生き生きとしたハッスルぶりが手に取るような賀状であった。
 みな、それぞれに充実した人生を楽しんでいるのが、手に取るようだ。

 【きょう一番のニュース】かつて長良文学に所属していたときの大先輩・吉田幸平さま(九十三歳)から賀状をいただいた。内容は次のようなものだった。
「賀状賜り深謝致します。小生、昨年は健康に自信をなくした年で、入院二回、それに心筋梗塞の後遺症と強烈な腰痛のギックリ腰で歩行困難となり、車椅子以外は無理で残念でした。また耳が難聴で電話の呼び鈴も聞こえず、福祉課から補聴器を授與されても効果がなく、困らせて失礼しました。
 それに白内障で読書ができず同人誌の二〇年続行の創作も中止しました。右の次第で永年続けた学会活動やその他は中止せざるを得ませんでした。(中略)最近やっと眩暈が落ちつき新聞が読めるようになり毎日通院中です。……岐阜市塩町 吉田幸平」
 吉田さん! がんばってください。早く良くなられて、またお会いしたいですね。

☆「名古屋市長選 共産が八田氏擁立」、「ダル5億円 日本選手現役最高 イチロー抜き最年少到達」(7日付、中日朝刊)、「日米外相会談 戦略目標の改定加速 貿易協議促進も合意」(7日付、中日夕刊)、「日米新戦略目標を策定 外相合意 北朝鮮に『行動』要求」(7日付、毎日夕刊)
 「日本近海レアメタル採掘 政府計画 深海にロボット」「沖縄・小笠原の鉱床対象」(7日付、読売1面)

平成二十三年一月六日
 一月も六日になり、ふつうの生活が戻ってきた。
 朝、自宅からバス停に向かう途中、わずか二、三百メートルの間の桃源ロードに昨年暮れ以来、ずっと飾られていた日の丸が目に付く。やはり、いいものである。おそらく幕の内までで、明日かあさってには、撤去されるに違いない。惜しい気すら、する。

 年末年始中のこうした日の丸掲示は、どこか心に安らぎを与えてくれるばかりか、日本愛と言おうか、国土を大切に思う心が生まれる、のも事実だ。
 私の場合は、かつての任地である石川県七尾市の一本杉通りが思い浮かぶ。正月になるとは、人っこひとり通らないこの通り両側に日の丸が整然と掲げられ、そんな静かで落ち着いた町が市民にとって自慢でもあった。

 二十数年前、新聞社の七尾支局長のころは仕事始めの四日など、新年の挨拶で支局を訪れる人の波は絶えず、ノート一冊を支局長席に置いて応対に明け暮れたものである。
 訪れた人々の名前は、能登版で漏れなく紹介したが、その数の多さたるや、尋常ではなかった。所変われば何とやら、でファンクラブ事務局に年始あいさつに訪れる人と比べれば、まさに月とスッポン。七尾がいかに多かったか、をあらためて思い知らされるのである。

 【きょう1番のニュース】夜、仕事を終えてから上前津の師匠宅へ横笛の初げいこに出向いた。社で原稿書きに夢中になっていた私は午後六時半になって初めて今夜の初稽古を思い出し、あわてて地下鉄鶴舞線に飛び乗って師匠宅へ。師匠を前に「酒よ」を四回ほど、繰り返し吹いてみた。

☆「年賀式で白井オーナーが猛ゲキ 一念岩をも通す 年中野球漬けに・フロントも努力・連覇を信じてる・昨年は笑門来福」(6日付、中日スポーツ3面)
 「火の粉散る 鬼の舞 長野・天龍」、「14日にも内閣改造 仙石、馬淵氏の交代検討 首相、党人事も」(6日付、中日朝刊)「野田聖子さん出産 男児、第三者卵子」★「きな子晴れて警察犬」(6日付、中日夕刊) 七度目の挑戦で香川県警の嘱託警察犬に合格したラブラドルレトリバーの「きな子」が六日、高松市の県警察学校での委嘱式に登場、指導者にきな子への嘱託書とメダルが手渡された。

平成二十三年一月五日
 きょうは、球団、ナゴヤドームの順に、公式ファンクラブ事務局の同僚五人で年賀式に出た。

 球団の年賀式では白井オーナーが「世の中、人間同士の付き合いというようなものが切れ切れとなってしまっているなか、ドラゴンズだけが希望の光りで、幸い、みなドラゴンズのことだけは思っていてくれる。実際、ことしほどドラゴンズに対する期待が大きい年はないのではないか。期待に応えるには、二十四時間野球漬けにならなければ」と。西川球団社長も年頭の球団の重点目標に触れ、▽ことしはセ・リーグの連覇と完全日本一を目指す▽球団、ドーム、本社の三位一体でいきたい、……などと決意のほどを語った。

 【きょうの1番ニュース】中日ドラゴンズ球団の年賀式で西脇紀人球団代表が復帰。しばらく病気療養中だったが元気な笑顔にお会い出来、なんだかジワリときた。

☆「『良い年に』」初市活気 中央卸売市場本場」「クロマグロ 1本3249万円 築地、過去最高値」、「『タイガーマスク』小田原にも 児相(児童相談所)にランドセル」(5日付、中日夕刊)

平成二十三年一月四日
 早いものだ。はや四日が過ぎた。人びとが、人々の顔に戻ってきている。
 私が務める新聞社でも、きょうは年賀式があり、それぞれが各自の立場で決意を新たにしていた。引き続き公式ファンクラブ事務局で最初のミーティングがあり、ことしも会員最優先の親切で丁寧な応対に徹していくことを、全員で誓い合った。

 【きょうの1番ニュース】学生時代の親友(川口譲さん)から「去年の8月末に(中国の吉林師範大学博達学院の日本語科講師として中国に)行き、半期が終わって12月31日に帰国しました。新鮮な経験ばかりで、どきどきしながらの生活でした。(中略)学生の大半が女子学生で、それはもう大変です。授業は真剣勝負で事前にかなりの準備が必要で大半の時間を費やしています…」といったメールが思いがけず、届いた。
 学生時代、フェンシング部キャプテンだった川口は確か、Y社を定年で退職したはず。それから中国語を学び始めめての快挙だけに、拍手を送りたい。一度しかない人生。いつまでも挑戦しなくっちゃあ。川口は、いい手本を見せてくれた。拍手を送りたい。

☆「景気跳ね上がれ 名証で大発会」(4日付、中日夕刊)「首相年頭会見 『小沢氏進退 自ら判断を』 消費税 6月めど方向性」(4日付、毎日夕刊)

平成二十三年一月三日
 Mと江南市内の本屋さんへ。
 私は「美しい日本語の風景 中西進」(淡交社)を、Mは「知識ゼロからの百人一首入門 有吉保」(幻冬舎)と「抱擁、あるいはライスには塩を 江國香織」(集英社)をそれぞれ買い求めた。
 私が「美しい日本語……」を購入したわけは、この一年、何よりも美しい日本語の物語を書きたいと思うから。そして万葉学者でもある中西さんは、かつて私を日本ペンクラブ(作家)の会員に推薦してくださった、恩師でもあるからである。
 中西さんの文は、寸分の過ちもない柔道でいえば自然本体だから、この際、今一度正しい日本語の体得を、と思っている。MはMなりに、百人一首の心といったようなものを極めたいのかもしれない。が、たとえ夫婦でもそこはあえては聞かない。

 で、アタイ(こすも・ここ)ですけれど、ここのところはお客さまの接待で随分と疲れちゃいました。でも、家族がこうして集まるって。ニンゲンは、互いにいたわりあう気持ち、特に親子、兄弟の絆の深さがすごいな、と感じました。皆さま! 幸せになってください。そういえば、きょうはネパールの裕子さんからも年賀状が届きました。みんな一生懸命に生きているんだなっ、て思いました。

 【きょうの1番ニュース】昔、空飛ぶ記者のころ、大変お世話になった早川清さん(当時、名古屋空港ビル専務)から「オゥッ、ガミさん。元気か。あんたと一度飲みたいんだよ」と電話が入る。早川さんは、いま八十三歳。名古屋空港の新国内線ビルや航空宇宙館ができる際、取材でことのほかお世話になった。名鉄広報室長上がりの生粋の名鉄マンで、その後、中日本エアラインの社長も務められた。懐かしさでいっぱいで一つ返事で「あぁ、いいですよ」と私。

☆「豪雪で漁船189隻沈没 鳥取 車1000台一時立ち往生」、「テロ関連文書 流出2日前 告知メール 長官名・警察内外十数か所に」、「東洋大 往路3連覇 5区山上り 柏原が逆転 仲間の支えでスランプ克服」、「全日本実業団駅伝 トヨタ初優勝」(3日付、中日)

平成二十三年一月二日
 一日中、家族同士が互いに入れ替わり立ち代わり。そんな一日でした。
 なかでもおふくろさんは名古屋に住む兄の家から、帰るが早いか、妹夫婦や孫夫婦たちに囲まれ、ひ孫は駆け回るはーで大騒ぎ。さすがに疲れた様子。
 そこへ、今度は私たちが現れ、拉致同然におふくろをわが家に連れてきたため、少しばかりバテ気味。「おかあちゃん、あっちこっちで少し甘いものばかりを食べすぎたで、もう食べれえへん」と言いながらも、Mが用意したぜんざいをペロリと食べ、川崎からきた長男夫妻もまじえて談笑に花が咲いたのでした。
 お正月のよいところは、こうした家族の光景とでもいえようか。これまた、日本のひとつの風景である。三年前に亡くなった父が生きていたなら、どんなにか喜んだことだろう。

 【きょうの1番ニュース】長男が常時使用し、読んでいる電子本。著作権のきれた日本の文学作品を中心に、世界中の文学も英語で読める。インターネットにもつなげるが、なぜか私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」だけが出ない(画面と作者一覧までは出るが、作品が出てこない。もちろん伊神権太の検索は可能だ)。
 長男によれば、この電子本、縦書きウエブの取り込みには、まだ時間がかかりそうだという。

平成二十三年一月一日
 新年、あけましておめでとう。伊神権太です。ことしもよろしく、ご指導のほどお願いします。
 きょうからは、アタイ(こすも・ここ)が“いがみの権太”、すなわち伊神権太の分身としてひとりの人間になりきって、この名もない人間の日々を記していきます。題して「あゝ~、笛猫人間日記」です。

 元旦。
 私たちは届いた賀状を真っ先に読み新聞に目を通し、それからMと近くの古知野神社へ。二礼二拍一礼を一緒にし、破魔矢を買ってことしの家族の無事安全と幸せを祈った。
 境内では古知野神社ならでは、一角に置かれた“重軽石”をMと交互に持ち上げてみたが、私は「軽い」、Mは「少し重たい」の感想。掲示されていた新聞記事によれば、この重軽石、しばらく持ち上げることを続けてこそ、体調が分かるとのご託宣で、なるほどと納得した。この後は川崎から里帰りした長男夫妻と楽しいひとときを過ごした。
 ところで、この日わが家に届いた賀状一枚一枚にあの人この人の懐かしい笑顔が浮かんでくる。どの年賀状も味わい深く、かつ年の初めにふさわしい感動ものだが、きょうは、これら年賀状の中から見つけたホンのひとコマを紹介し、記録に留めておきたい。

 内容は次の如し、です。
     ×     ×
 「ことしは西国33ヶ所満願を二人でめざします」。写真入りの能登半島・七尾市から届いた一通に夫婦の情愛の深さが感じられる。なんて、ステキな夫妻か。
 「『リーブルの法則』◎を信じて自らを変えれば生き残れるでしょう(◎ドイツの新聞編集長ウォルフガング・リーブルが一九一三年の論文で「新しいニュース媒体がでてきても従来の媒体は共存する」と唱えた)」。トップからの賀状は、マスコミ人にたいする永遠の警句といえよう。他の新聞人から届いた「新聞も多難な時代 もうひと踏ん張りです」が、心に残る。
 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに」。前日本ペンクラブ会長・故井上ひさしさんの言葉を持ち出すとは、さすが編集を代表する顔だ。やはりやさしく、わかりやすい年賀状である。

 時代を反映していたのは、料理の達人女性から届いた「ツイッターにて毎日つぶやいております。ご覧頂けましたら、嬉しく思います アカウント・ItoKazue」だ。
 「ともども健やかな一年でありますように! 二月ごろ岩波書店から不肖私の回顧録が出版される予定です」は大津に住む元大蔵大臣。
 「4月8日の「花まつり」を如何にマスコミの話題にのせるか。缶ビール祭壇など、どうテレビに放映させるか。100席サロンコンサートをどう普及するか」とは、いつも意欲的な愛知県江南市に住む永正寺の和尚さん。
 東京の中道風迅洞さんと並び、都々逸作家で知られる吉住義之助さんからは「夢を結んだ うさぎの耳に 聞こえる今年の いい話」の添え書きが。
 「アドバイスが大変心強く、その後も気に掛けてくださって嬉しく思います」とは、将来有望な大学四年生。彼女は自ら抱く大きな夢を、胸いっぱいに今春、社会に力強く旅立つ。

 そして「いつもお世話さまです。作家の方もご精進あれ。」の言葉は厳しくも、かつ温かくて優しいドラゴンズのある、おエラいさんだ。「観客が増えないね」と自問自答するのは、これまた、どこまでも頼りがいのある、年を感じさせないエラいさん。同じく「くれぐれもご自愛を」「プロ球界。その周辺って 何か地殻変動に巻き込まれているかな 何か気になる」は、それぞれナゴヤドームをショって立つ看板男だ。社の幹部も「ドラゴンズに欠けている魅力って何でしょうね」と打開策を探る。
 「ますますお元気で。一度ゆっくり懇談しましょう」とは、前球団社長で「九条を守る会」に情熱を注ぐ在野びと、現在は日本ペンクラブ会員である。また、「必ずしも冨を求めず 飢えざるを以って冨となす」は、いつも記者魂が抜けず、社会貢献、すなわちボランティアの心に徹するファンクラブのリーダー、熱き心の事務局長・担当さんだ。

 「お元気ですか? 『釈迦内柩唄(しゃかないひつぎうた)』も444回を迎えました。おからだご自愛ください りえ」は、東京都町田市に住居を構えるニッポンの女優・有馬理恵さん。
 「昨年は『地域文化功労者文部科学大臣賞』を受賞し、又、日本ペンクラブ国際大会では『環境と文学』百選に作品『乱流』が選ばれ、慶び事が重なりました」とは、老いてますます妖艶な大垣市在住の女性作家。「何とかやっております。中日様にはコラムでお世話になっています」は現役青春真っただ中の元金物屋店の娘さん。
 「さらなる無垢の魂を求めん がために 心の球を磨く」を新年の抱負に掲げたのは、タダオ・アフォリズム(文芸誌「北斗」で連載中)の旗手。そして「ことしも元気にいきましょう」と淡々とした口調は、中部ペンクラブの会長さん。「またお会い出来るのを楽しみにしています。よいお年でありますように」は、中部圏を代表する同人誌「じゅん文学」の女性主宰者。「ペン国際大会でお会いしました。ご本ありがとう」は、早稲田を出た武蔵野在住の女性作家だ。

 「二〇一〇年の前半はネパール、インドと南アジアを中心に歩き、夏から秋にかけての筑摩書房のプリマー新書『裏読み世界遺産』の出版という大きなイベントをすませたあと、ポルトガルを訪れました。……また12月には昨年に続き、横浜のキャンドルカフェの最新の写真が切手になりました」とは、ペルーの日本大使館人質事件で救助隊による突撃の瞬間を写したカメラマン氏。彼は大病を克服し、ますますその存在感を浮き立たせている。このエネルギーたるや、一体何なのか。日ごろの努力と仕事に対する熱情をおいてほかにはない。
 「90歳を迎えました、ありがとう。老いに負けない旅に出ます」と張り切るのは、中日こども会生みの親のゴッドファーザー。ことしも「高齢者の健康づくり」と「祖父母と孫の集い」などに献身努力したい、と大張り切りである。
 「昨年からボランティアで高齢者や障害者の小さな手伝いをしています。心の触れ合いでとても勉強になります。やはり健康でありたいと思います」とは、輝代さん。

 ところで、わが道を行くのは「枯れないようにウオーキングに励んでいる」という、新聞記者の大先輩。同じ別の先輩からは「私の父母の生地であった土佐の高知は、いま空前の坂本龍馬ブームで宿もとれない…」と。そういえば、小柄なこの人にはどこか龍馬の気風が漂う。 
 「永らくご愛顧ご厚情を賜りありがとうございました 小生も今年は七十七歳の節目の年を迎えます 相変わらず出勤しておりますが賀状は今回とまでさせて頂く 謹んでお願い申し上げます」。新聞社超トップの言と姿勢や、いや良しーでこういう道もありかな、と感服した。

 「お前たちの未来はちょっとだけ父さんのもの 豊(一行詩サイト 豊 Yutaka)」は私が新春早々、まもなく公開予定である小説「天女の海」のヒントをくださった神戸在住のユリさんから届いた賀状の冒頭の1行詩である(「豊 一行詩」で検索してください)。

 志摩の残酷焼きで知られる有名旅館からは「本年も変わらぬご愛顧の程ひとえにお願い申し上げます」の文面に「金弐千円券 コピー不可」まで添えられ、味な賀状に心が動いた。

 「昨年は中日、悔やしかったですね。やはり野球は投手ですね。エース対決で力を発揮できなかった。剛腕投手が一人ほしいですねえ。落合監督のことしの手腕が楽しみです。お元気で」とは、東京・世田谷に住む、国際画報の有名記者。これに付け加える強烈パンチといえば、私の小説「懺悔の滴」に登場するもう一人の国際テロ犯、ウサマ・ビンラーディンから届いた心温まる書状「女性と子供をドームへ。伊神さんの大技、小技を期待しています」だ。

 このほか、「初の連覇を成し遂げてほしい」「ことしこそ、ドラゴンズは日本一」など北海道、東京、岡山……と全国各地のドラゴンズファンからも、中日ドラゴンズの完全日本一を願う賀状が寄せられた。なかに「新しい年が素晴らしい一年でありますように。ことしは元気で応援したいです」とは本日、満八十歳を迎えたファンクラブのお母さんから。
 ドラゴンズファンクラブといえば、草創期の貢献度が忘れられない、飛騨は神岡に住むこの青年。全国で二、三軒しかない帰家(かんや)家のご子息にも、いよいよ春到来で、花嫁・めぐみさんが都会から神岡にダイビングして「十一月二十二日」には、晴れて入籍。
 「10年ほど前から、うつ病で入退院の繰り返し」というドラゴンズファン「愛さん」(仮称)からの秘密の告白が気にかかるが、ドラの進撃でうつ病をなんとか、退治して「日本一」に貢献してほしい、と心から願う。

 そして最後に次の年賀状を、日本文化のひとつとして百年後、二百年後にまで、平成の世のニッポンの何げない光景として記録に残しておきたい。
 あといくつ寝るとお正月=あの頃は嬉しかった、
 また来たか。お正月=八十路も半ばに、
 でも七人のひ孫と一しょに迎える正月も 又楽しい
 本年もどうぞよろしく
 (愛知県小牧市池之内、小島茂)」

      ×      ×

 人生って、なんと楽しいことか。この世は、もしかしたらユートピアかも。でも。デモ、現実はそうではない、不幸を背負った方々がいっぱい居る。みんな、だれもが幸せな社会にするには、どうしたらよいのか。菅直人さん! あなたの本来の力を出してくれなくっちゃあ。
ー言霊のこの国にはロゴスなく義理・人情が政治動かす(高井泉)
―ひとまたぎして一日を百年に 幸せのバスが運ぶ春風(徹尾)
♪……小学唱歌の「ふるさと」は兎が美味しいわけじゃない。「ガラスのうさぎ」の悲しさに、飢えや争いこの世に無くし、丸い地球に白うさぎ(ハイ、おめで登卯!)=東京・台東区、吉住義之助

 <新訳「うさぎとかめ」>
 皆さん覚えていますか。昔々の“かけっこ”のお話し。あの時、実は、うさぎさんはかめさんが自分を追い抜いて行くのを薄目を開けてみていました。
 (中略)
 心優しいうさぎさんは こうしてのろまなかめさんに “勇気”と“自信”を持たせてあげました。……
 =弦洲・牧すすむ    

 きょうのトップニュースは、私が誰よりも尊敬してやまない、あのかつての経済界のドン・三鬼陽之助さん(故人)の妻、たかさんが七月四日に満百歳になるという、ビッグニュースである。お孫さんである長男の妻から教えていただいた。

☆「電動飛行機開発へ 目指せ『空飛ぶタクシー』 中部の産学連携3、4年後に実験機」、「白い息 願い込め 熱田神宮」、「高峰秀子さん死去 86歳 女優『二十四の瞳』主演」(一月一日付、中日朝刊1面)「あゆ結婚(終面) 直倫の初夢 3割30本100打点 まずは今年全試合出る……」(一月一日付、中日スポーツ1面)
 「予感の明日 希望に変えて 軟禁解除後初 スーチーさん手紙(一月一日付、毎日朝刊1面)

 この日は同じ中日新聞で読者期待のなか、いよいよ「親鸞・激動編」(五木博之作)の連載も始まった。同時に毎日朝刊でも、わが愛する高樹のぶ子さんの「マルセル」も出発進行、さて女性新聞記者・千晶(ちあき)がどんな未知を辿りゆくのか、大いに期待したい。