震災後「笛猫日記5月/6日」

(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

『ねぇ~』   こすも・ここ

『なぁに』  シロ

午前中、私とMの両方の父親の墓参りをし、合わせてお茶やお米などの買い出しに出た。午後は、名古屋の兄宅へ。わたしの母に会うためで途中、一宮までバスで出てピースボートの船旅の間の常備薬を買うなどした。殺人的スケジュールだったが、それでも、どうしても会わなければならない方と金山でお会いし、あすの準備があるため早めに帰宅したが、午後九時を過ぎており、いまは翌七日の午前二時過ぎである。


あすの朝は(といってもまもなく、である)歯医者に行き、船内で歯が痛んだときの薬を事前にもらってMと横浜へ。そして八日午後にはいよいよ、横浜港を出て地球一周の船旅が始まる。きょうは墓参りの間、通り雨に降られたが、そのつど空は晴れ上がり何かいい予感がした。
というわけで、少しは寝なければ。私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」の新生「熱砂」への移行も順調にいくように手はずを整えておかなければ…。待ったなし、の毎日が続いている。

大震災「笛猫日記」は、きょうで終わり、次はピースボート「オーシャンドリームズ」号の船上と寄港する先々でのストーリーをお届けしたい。

今夜のドラゴンズ。横浜でDeNAに4―2で負けた。山本昌が先発したが4イニング4失点と乱れた。横浜国吉は六回途中2失点で今季初勝利を挙げた。

【きょうの1番ニュース】金山でお会いした三人は、女性二人に男性一人。私は遅れて待ち合わせ場所に駆け込んだが、本当にあたたかい人ばかりで、つかのま心が潤った。ありがとう。

☆「『未来のため原発ゼロ』 全基停止42年ぶり 安全求め集会、デモ 泊3号機定検入り」、「北ア遭難8人死亡 60~70代 白馬の6人は軽装」、「ホッケー女子五輪へ」(6日付、中日朝刊)

平成二十四年五月五日
こどもの日である。
忙しいという言葉は大嫌いだ。とはいえ、いやはや、きょうは朝から晩まで息つく暇がなかった。洋行中、手元に絶えず置いておいた方がよい人名リストやメールアドレスの最終点検やら、海外でのパケ放題フラット入会の再確認(「ドコモ海外利用」アプリを作成して頂き、安全な利用方法を詳しく教えていただいた)、洋行先でパケットをするにあたっての注意事項をあらためてドコモ江南営業所まで出向いて確認、一方で拙著を一冊でも多く読者に読んでいただくための方策と全国各地への網かけ、新生ウエブ文学同人誌「熱砂」をスムーズに移行させるための再確認など。気がついたら、すでに午後六時だ。

きょうは朝から出発当日に横浜港まで持参する荷物の整理をするはずだったが、とてもそれどころでない。これからMの手を借り深夜未明にかけて準備するしかないだろう。まさに自業自得とは、このことだ。

たった今。横浜スタジアムでのドラゴンズの試合結果が気になり、携帯でドラゴンズ情報をのぞく。のぞいたまでは、よかったのだが。なんと12―1のボロ負けである。先発した岩田投手はじめ、投手陣が総崩れで連勝は5で止まった。せめてもの救いは、岩田投手に次いで私の好きな横浜の先発三浦が3勝目をあげたことか。あ~あ。それにしても。野球は、だからあてにならない。

【きょうの1番ニュース】太田治子さんから、思いがけずレターパックが届いた。中を開くとボールペンとポストカードと一冊の本「大法輪 特集/知っておきたい 浄土真宗の基礎知識」が入っていた。ポストカードには「いがみの権太 大震災『笛猫野球日記』お送り下さいましてありがとうございました。野球オンチの私もふしぎないがみワールドに引きこまれ一気によませていただきました。大震災へのいがみさまの想いに共感いたしました。……こすも・ここちゃんとてもすてきです」とあった。太田さん! ありがとう。書いた甲斐があろうというものです。

☆「脱原発へ挑戦 きょう全基停止 泊3号機定検入り 迫られる節電」、「(盲目の人権活動家)陳氏出国を中国容認 『留学手続き』米との交渉決着へ」、「米が手紙公開 ビンラディン容疑者『非イスラム圏の米施設を標的に』」、「〈編集局デスク〉憲法と震災と女性と(林寛子)」(5日付、中日朝刊)

平成二十四年五月四日
この春からは毎朝NHKラジオで「まいにち中国語」などの各国の語学講座を聴いてきたが、まもなく洋上に出るので、こうした生活とはいったんお別れになる。帰国したら真剣に学ぶつもりでいる。出来たら、外国語による簡単な詩の創作や俳句にも挑んでみたい。

ヤマダ電機を訪れ、形状がCタイプ、220ボルトのプラグと、髭剃りを購入。私の思考回路はいよいよ「外」にむかって歩み始めたようだ。出発を前に最低限、私の本出版だけでも伝えさせていただいた方が良いドラファンをリストアップして笛書房スタッフから随時、連絡させていただき、併せてご購入の注文も取っていただいている。今のところ、本屋さんでの販売は今池の鎌倉文庫だけなので新聞報道はされたものの、見忘れたり他府県の方々には知るすべもないので、お知らせしておかなければーというわけである。(ただ、私がユーチューブにアップしておいたのでパソコンを開いてnototemariで検索していただけたら、概略は分かるはずです。)

プロ野球はヤクルトの宮本慎也選手が神宮での広島戦で41歳と5カ月、史上最高齢で2000本安打を達成した。ドラゴンズは横浜でDeNA戦。三回に平田の適時打で3点を入れ先行したものの、最終回に岩瀬投手がラミレスと中村に本塁打を打たれ、引き分けに。惜しい試合を逃した。でも、中畑監督率いる横浜のファンが久しぶりに熱狂して喜んだことを思えば、たまには最後の土壇場でのこうした痛打も許せる。こうした面から言えば、チト皮肉っぽいかも知れないが岩瀬は負けても、たいした千両役者である。

【きょうの1番ニュース】全国各地のみなさん、笛書房・小川章紀代表からの電話に嫌な顔ひとつしないで私の本を購入してくださっており、本当に嬉しく思っている。きょうも数人から「イガミさんですか。購入させて頂きました」と有り難いメールまでいただき感謝のしようもない。ありがとう。読んでいただいて、もし読後が良かったらクチコミの方もよろしくお願いします。笛書房は、電話052―901―7667または携帯090―3301―4473です。携帯でも遠慮なさらず注文してください。書店でお買い求めの場合は名古屋市の今池交差点角の鎌倉文庫で取り扱っています(一冊1000円)。

☆「関越道バス事故 運転手は『日雇い』 社長が説明、違法か」、「42年ぶり原発ゼロへ 泊3号機あす深夜停止」、「きょう25000号」特集(4日付、中日朝刊)

平成二十四年五月三日
大垣に住む次男坊が生まれた日がきょう、憲法記念日の5月3日だ。忘れもしない。5、3、5、3と分かりやすい昭和53年5月3日に彼は岐阜県北方町内で生まれた。長良川決壊豪雨、岐阜県庁汚職事件……と大変な取材がひと段落してまもなく彼はココの声をあげた。岐阜市内の高島屋屋上で“ちびっこのど自慢大会”を取材途中にポケベルが鳴り、病院に駆け付けた日のことは、今も忘れない。今後の飛躍を願っている。

「権藤投手コーチは、やはり良い」「ブーちゃん(中田亮)がまだ出てこないのが、寂しい」「浅尾投手のファンサービスは本物だ」「このままだと、(ファンサービスに熱心過ぎる)守道さんが倒れてしまいかねない。無理をしないでシーズンを乗り切ってほしい」など。名古屋の夜を仲間と飲んでいて耳にしたのは、こんな率直なドラゴンズファンの声である。
私は「そういえば、今シーズンはブーちゃんがまだ出ていないな」「権藤さんに対する評価は高い」などと思った。「権藤さんは先発で投げ終えた投手に話しかけており、そこが違う。さすが。雨、雨、権藤、また権藤と言われただけのことはある。実績が違うのだもの」と合槌を打つファンに「それにしても、高木さんがあれほど努力されているのに)観客がまだまだ、イマイチ。きょうなんか阪神ファンに助けられているよ」となるほど、もっともな声ばかりである。

きょうは一日、室内にこもって本を読んだり、ある短編小説を完結させるなどした。夕方から名古屋に出たが、久しぶりに文学仲間にお会いし本を十五冊買っていただいたほか、帰りには江南市内の隠れ家的ショットバー・Tomにも寄り、サインを求められたりした。
ドラゴンズは、ナゴヤドームで阪神戦。二回にMの大好きなブランコの3号ソロと2点二塁打で先行、雄太が7イニング5安打で今季初勝利。田島、岩瀬と無難に抑え3―0で1引き分けを挟んで5連勝と好調だ。いよいよ、いぶし銀の守道流が定着してきた。ファンの声にもあったように権藤投手コーチら首脳陣の采配も板についてきている。気が早すぎるかも知れない。でも、この調子だとV3連覇と日本一の快挙も見えてきた。

【きょうの1番ニュース】中日新聞の本日付「みんなの本」コーナーで私の本〈大震災『笛猫野球日記』〉が“中日の「セ」V2めぐる日々記述”の見出しで紹介されたことか。紹介してくれた社関係者には心から礼を申し上げたい。ありがとう。

☆「憲法施行きょう65年 震災以降問われる生存権」、「第65回中日文化賞決まる(◇能楽振興への貢献と舞台成果の能楽笛方藤田流十一世宗家、藤田六郎兵衛氏ら4氏に決まった)」(3日付、中日朝刊)

平成二十四年五月二日
きょうは、午前中から八日に横浜から乗船するピースボート「オーシャンドリーム号」の名古屋港での船内見学会へ。海外や洋上からのパソコンの使い方やら、メールの送受信方法を説明してもらったり、エコノミーシングルの船室内がどんなものであるのか。様子を納得するまでチェックするのに丸一日費やした。
自宅に帰ってからは、パソコン博士同然の息子が海外や洋上でもパソコンが効率的に使えるようセットしてくれ、その使用法を学んだ。また愛猫こすも・ここをモデルに動画サイトへの投稿を試験的にしてみてくれたりもしたが有り難くかつ嬉しかったー (nototemariで検索すると、伊神権太の世界が見れます。)

この日はこれに先だち、これまで直接出向いて手渡しするつもりでいたものの、なかなか伺うことが出来ず、直接渡すことが出来なかった大津市の同人誌「くうかん」代表の眞鍋京子さんらに拙著を郵便局まで出向いて、郵送。息つく暇がないとは、このことを言うのだろう。
このほか、本欄ウエブ文学同人誌「熱砂」の新しいスタイルへの移行をスムーズにするための関係者への再三にわたる要望や手配をするなど、頭がクチャクチャになりそうとは、このことを言うのか。

気がつくと、深夜零時をとおに過ぎており全身に疲労感と睡魔が押し寄せ、どうにもならなくて、いったん床に入り、今度は早朝、例によって愛猫こすも・ここの執拗な鳴き声に起こされこうして前日(2日)分の残りの執筆を進めている。きょう(2日)は朝からずっと雨、雨、雨の一日だった。でも、実り多き日となった。

ナゴヤドームは中田賢の先発で阪神戦。時折、ラジオに耳を傾けるのが精いっぱいだったが、携帯サイトのドラゴンズ情報によれば、ドラゴンズは1―1の延長十回に浅尾が勝ち越し点を許したものの、その裏荒木の適時打で追いつき2―2の引き分けに持ち込んだ。負けなくてよかった。

【きょうの1番ニュース】中日スポーツで大宅賞受賞・増田記者の連載第1回「木村政彦を愛した男 柔道一直線 増田俊也」を読んだが講道館柔道の実力3段、大学時代、試合のつど、すぐに寝転んでくる名大柔道に辟易とし「なんて卑怯な」と思い、それでも立ち技に徹して立ち上がった一瞬のスキを突いて大内刈りから背負いの連携で相手を仕留めていた私にとっても「なるほど」と思う内容だった。
さすがに日本柔道の核心を突く記事で、これは読まれるに違いない。ただ若いころ1日とて練習を欠かさなかった私に言わせてもらえば、柔道の基本と極意はあくまで“崩し”なのである。この崩しは、相手の心理までを見定めたうえでの崩しだ。でないと、柔よく剛を制す、とはいかない。
いずれにせよ「黒船ヘーシンク(の師)は 日本人が送り込んだ刺客(消滅した武徳会指導者)だった」……。

☆「関越道事故 バス運転手を逮捕 運転過失致死傷容疑『疲れて居眠り』」、「〈特報〉 水俣病は終わらない 公式確認から56年」、「大麻たいまつに『NO』 岐阜『神戸の火まつり』苦境 県が栽培自粛要請 灯光器で明るさ補う」(2日付、中日朝刊)
「脱原発ハンスト 経産省前 寂聴さんも決起」「米新車販売 トヨタ回復11%増 4月 燃料高でHV(ハイブリッド車)好調」(2日付、中日夕刊)

平成二十四年五月一日
きょうは何やかやと気ぜわしかったばかりか、人サマには言えない、多過ぎるやらねばならぬことに追い立てられる一日となった。午前中はMの健康受診に付き添ったが、血圧がどうしても高くなりがちなので担当医に処方を替えてもらうなどした。

八十八夜。立春から数えて、八十八日目の五月一日。新茶のかおりが皐月の風に乗って、さわやかな季節の到来でもある。五日には北海道電力泊原発が定期検査に入り、国内で稼働する原発が四十二年ぶりにゼロになる。当然の如く、ことしの夏も節電が求められ、きょうからは昨年に続き一カ月前倒しでの軽装、クールビズが中央官庁や東海三県の自治体で始まった。

久しぶりに米中枢同時多発テロを起こした主犯とされる国際テロ組織アルカイダの元指導者ウサマ・ビンラディン容疑者(故人)のことが各新聞の紙面をにぎやかしている。米国の特殊部隊によってパキスタン北東部アボタバードで殺害されてから二日で一年たつためで、新聞の見出しは、いまなお無人機攻撃で民間人への誤爆を繰り返す米国に対するパキスタン国民の強いまなざしをとらえ「米、パキスタン 信頼関係が崩壊」「テロの懸念 依然くすぶる」などと見出しを打っている。
ウサマ・ビンラディンといえば、私がかつて書いた記者短編小説集「懺悔の滴」の中の〈再生〉に詳しいが、この小説の日本ペンクラブ電子文藝館への公開がまもなく実現する。公開されたら、皆さん! ぜひ読んでくださいね。この物語は一部荒唐無稽ながらもビンラディンが、アフガニスタンに渡り現地NPO法人に所属して美容師として国際貢献していた日本人女性と深い恋に陥り、自らがしでかした同時多発テロを悔やみ、懺悔の気持ちを引きづりながら能登半島など日本の各地をさまよい歩くーという展開。当然のことながらイスラムの教典にも触れています。

きょうのドラゴンズは、甲子園で阪神と戦い、1―0で勝った。勝利投手は田島。阪神は22イニング連続無失点、31イニング連続タイムリーなしという不名誉な記録。これでは阪神ファンの気持ちが収まらないだろう。ヤクルトの宮本慎也選手(41歳)は2000本安打まで、あと一本と迫った。

【きょうの1番ニュース】夜に入り、きょうはいろんなことが滞ったままで、ちょっぴりと憂鬱だったところに一本の電話が入った。ネパールの首都・カトマンズから一時帰国した裕子(長谷川裕子さん)からで、なんだか目の前が優しい光にパッと明るくなった気がする。

☆「日米で原子力協力委 原発の安全稼働研究 首脳会談 脱依存後退の懸念」、「関越道事故『休憩中 突っ伏し寝る』 運転手の様子乗客証言」、「雪原彩る『テント村』」(1日付、中日朝刊)
「原発ゼロ?の夏 クールビズ 今年も早め」「東海 ご当地Tシャツ 便乗も」、「〈大リーグ〉ダル (ブルージェイズ戦で)無傷の4勝目」「初被弾も制球安定」、「松井、レイズ入団 個人練習でも緊張感を持続」(1日付、中日夕刊)「一番茶 上々(全国有数の茶どころ愛知県西尾市)」(1日、毎日夕刊)

平成二十四年四月三十日
きょうのナゴヤドーム。DeNA戦。中日ドラゴンズの先発山本マサさんが1―0で勝利投手となり、これまでの杉下茂投手の球団記録211勝を212勝に塗り替えた。46歳と8カ月での達成は脅威的以外の何ものでもない。緩急自在、淡々と要所要所を突く『ゆりかご投法』はマサさんならでは、でドームは感動の渦に包まれた。おめでとう、マサさん! これからも私たちファンに感動を与え続けてください。

午後、母が静養している名古屋の兄宅へ。Mを伴いマイカーで出発したまではよかったものの高速道を乗り間違えた(小牧北インターから別の高速に乗ってしまった)ことから、高速をどこでどう下りたらよいのか分からなくなってしまい迷い子に。右往左往したうえ、このままだと知多半島にまで行ってしまいかねないーと途中の高辻辺りで下り、なんとか昭和消防署八事出張所まで辿り着き、兄にそこまで出迎えてもらい、やっとこせ“救出”してもらうぶざまな事態となった。

私は三、四年ほど前、新車購入時にカーナビは嫌いだ、とわざわざ付いていたカーナビを除去してもらい、その代わりに端唄や都々逸が聴けるように古い時代のカセットを取り付けてもらったのだが…。まさか、こんなところでカーナビの必要性を痛感するとは。今になってしみじみ反省している。でも、カーナビが嫌いなことに変わりはない。兄夫妻には「だったら、よけいに地図ぐらいは、いつも持っていなきゃあ」と叱られた。

【きょうの1番ニュース】えっちらおっちらと名古屋都心をさまよったあげくに、たどり着いた兄宅では交通事故のケガから回復、退院してまもない母が心配して私たちを待っていてくれた。口の中の痛みも少しずつ治り、だいぶ調子がよさそうでお姉さんのおかげもあり、髪型がチョット、はいからでファッションモデルにしてもよいほどの美人だった。六月一日には、満九十二歳になる母の弥栄を願っている。

☆「高速バス大破7人死亡」「側壁衝突39人負傷」「運転手『居眠りした』 群馬・関越道」「金沢―TDR(東京ディズニーリゾート)1人乗務」、「内閣支持最低26% 全国世論調査『小沢氏 説明を』77%」(30日付、中日朝刊)

平成二十四年四月二十九日
牧さん(倉知弦洲さん)率いる琴伝流大正琴弦洲会の春の宴を見にMを伴い、かつて過ごした小牧へ。小牧駅前のラピオ五階あさひホールで、しばし奥の深い大正琴の調べに酔った。着飾った女性たち(男性もいるには居るが)が、老いも若きも真剣に弦を弾く姿は、とてもステキでなんだか夢の世界にいる気がした。
なかでも会主の倉知さんが長男崇さんと●ソーラン渡り鳥●愛の終着駅●湯の町エレジー、を合奏したクライマックス〈◆弦洲の世界〉には父子の一糸乱れぬ演奏に、いろいろなことを思い出して涙があふれ出た。牧さんの出すリズミカルで快適な高音は、心の琴線に触れ、一つひとつが魂の叫びのようで正直「こりゃ、国宝だ」と思った。聴いている間、その音の調べに私の魂がコンコン打ち鳴らされるという、そんな達人の域を超えた響きがあり、崇さんのベースも年々音域が広くその分しなやか、かつ楽に音が出るようになっている。(少し生意気でゴメンナサイ)

牧さん親子の大正琴演奏を聴き、いつも思い出すのは私が空飛ぶ記者のころ、よく牧さん宅を取材に訪れ、いつ伺ってもピアノの前でピアノを弾いているか、ギターを胸に作詞作曲に挑んでいた若き日の彼である。まだ崇さんも幼かった。あのころは共に、尾張徳川家の橋渡しで小牧との交流が始まった北海道の八雲に渡ったり、コンチネンタル航空の招きでサイパンに一緒に行くなどした。
北の地に渡った尾張藩士たちの開拓の苦闘をつづった「トコタン冬物語」はじめ、チェリッシュが歌った「青春の街・小牧」都はるみの「恋の犬山」ほかに小牧市内の各幼稚園や小中学校の園歌や校歌など多くの作詞作曲も手がけられた。早くに父親を失くし「負けるものか」と中学を出ただけで努力に努力を重ねた結果が、世界にはばたく今の牧さんの姿である。その傍らにはいつも動じることのない、奥さん(かよちゃん)の存在があったのだ。

なんだか、センチメンタルになってしまった。けふは突然「ガミちゃん、あいさつしてよ」と牧さん夫妻に言われ、躊躇しながらも幕間に話した言葉は「牧さん、いや倉知会主には自著の販売協力など、いつもおんぶにだっこのし放題です。能登半島七尾在任時にも会主には随分助けられました。七尾港まつりの際には一門の皆さまに来ていただき、大正琴を演奏していただきました。また私が教えていた名古屋市立大学の授業にも特別講師として来ていただき、大正琴の何たるや、を教えていただき学生たちは皆大喜びでした」などと話し、「将来、百歳以上のお弟子さんがそろって大正琴を弾かれる時代が訪れるとよいですね。名古屋の大須で大正琴が生まれて、ちょうど百年がたちます」と締めくくった。やはり、持つものは友である。

友といえば、午前中、もう一人の苦労人・黒瀬さんから何度も電話がかかっていたのでかけ直すと「あんたの本、半分まで読んだ。新聞記者の癖なのか、少し説明が多い気はしたが、なかなか面白い。野球ファンならみんな買うと思う。あんたでしか書けないものを書きなよ。期待してる」との一方的ご託宣だった。彼は「これからは新聞記者を離れ、伊神権太でしか書けない世界を開けば、すごく売れると思う。」とただ、そのことを言いたいだけのために三度も電話をかけてきてくれたと分かった。要は“一本どっこ”で行け! ということか。ありがとう。クロちゃん。これから俺が書くまったく変わったスタイルの小説、みていてくれよな。

電話といえば、かつてのべ平連(ベトナム民主平和連合)闘士で日本ペンクラブの作家仲間、小中陽太郎さんからも船出を前に、あれこれと気遣いながら、心からの激励電話をいただき、恐縮している。

大型連休二日目のきょう早朝、群馬県の関越自動車道で大型バスが側壁に激突、七人が死亡、三十九人が重軽傷を負う事故が起きた。一行は金沢からディズニーランドに向かう途中だったという。それにしても、このところは登校中の小学生の列に車が突っ込むなどの悲惨な交通事故が多発している。

ナゴヤドームのデーゲーム。岩田投手が七回まで投げ2安打、三塁を踏ませず、12奪三振という好投でDeNAに3―0で勝利投手となった。「きょうは、ストライクを先行させたのがよかった。谷繁さんに低め、低めをと言われ、その通りにした。谷繁さんのおかげです」とは、いかにも岩田らしい。

【きょうの1番ニュース】大正琴をMとそろって聴いた。太陽がいっぱい、夜明けのスキャット、大阪しぐれ、高校三年生…と懐メロが今によみがえった。松田恵子さんの司会が、またさわやかですばらしかった。その時々の時代背景がよく分かる説明で、話すトーンも観客に安らぎを与えてくれるものだった。

☆「脱原発、政府に迫る」「首長会議 70人で設立」、「南相馬市がネットTV 故郷の今を伝えたい 避難者へ情報配信」、「端末配布やFM局開設」「きずな維持 各地で試み」、「春の叙勲4110人」「〈旭日小綬章〉俳優岩下志麻さん 映画で燃え尽きる」(29日付、中日朝刊)

平成二十四年四月二十八日
きょうは私が予想していた通り結局のところは、Mが午前中をかけてピースボートの船荷の積め直しに専念。私はそれをただ見守りながら、船旅に持参する私の著作をはじめとした書籍類を整理して出すなど朝から慌ただしい一日となった。ほかに、名刺の整理をしたり、出発時に直接、自宅から持ち出すものの算段などにも明け暮れた。
準備をするうち、煩わしいことは、すべて頭から削除しなければ、との思いをあらためて感じた。「これはこれまでのような取材ではなく、あくまで自身の世界を開く船旅なのだ」。「新聞記者ではなく、作家・伊神権太としての平和へのメッセージを探しながらの道ゆきなのだ」とも言い聞かせた。

せっかくMから与えられたチャンスだ。わずか102日間とはいえ、私は私のペースで、これ以上はないほどに自然体でのんびり、ゆったりやった方がよいものが書ける。そんな気がする。行く先々では気がむくまま日本の横笛をふき、ハーモニカを奏でられれば、それでよい。だから本も語学教本以外には、アンネの日記の英語版と、太宰治、金子みすゞ、最匠展子らごく一部の作家たちの本しか携えない。ただ自由律俳句の尾崎放哉のことが書かれた吉村昭の「夕暮れて」に限っては、持参する。
衣類もMの助言で出来るだけ簡素に。Mが社交ダンスをおぼえてこい、と言うので少しはとは思うが、おそらくあてにはなるまい。いやいや社交ダンスの名手になってこようか、とふと思ったりもする。

中日ドラゴンズはナゴヤドームでDeNAとデーゲーム。山内、三浦両投手の投げ合いとなったが、中日は二回に堂上直の中前打で先制し、三回は平田の適時打で加点。四回にはMの好きなブランコの2号ソロで、3―1で横浜を突き放した。山内のあとは浅尾、岩瀬投手と続き勝利を手にした。
北名古屋市出身の日本ハム、稲葉篤紀外野手(39歳)がKスタ宮城で行われた楽天戦で一回、ヒメネスから右前適時打を放って史上39人目の通算2000本安打を達成した。

【きょうの1番ニュース】きのうから始まった船便荷物の慌ただしい準備に、表情が微妙に変わった愛猫こすも・ここに続き、今日はいつも一見鈍感を装う妹シロちゃんもいよいよ『何かが動く』との気配を感じ取ったようだ。わが家の2匹の猫は非常に頭がよくて主人思いだ。これからは、私の旅の目的につき毎日言い聞かせなければ。

☆「日本大陸棚 31万平方キロメートル拡大 国連認定 海底資源に開発権(政府はレアメタル=希少金属=採掘などへの期待感を強めている)」、「北アルプスへ誘うホルン 上高地開山祭」(28日付、中日朝刊)「(中部大)准教授と(国交省中部整備局技官の)公務員『パンク魔』容疑」(28日付、毎日朝刊)
「暑い東海、神岡で真夏日(岐阜県飛騨市神岡町が三〇・一度を記録し、東海三県で今年一番の暑さとなった。名古屋二七・六度、岐阜二六・七度、津二二・七度など各地で六月下旬から五月下旬並みになった。)」(28日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十七日
ピースボート乗船に先がけ、専用の伝票で荷物を五月一日までに送る必要がありいよいよ出発前の準備が始まった。午前中は、衣類を中心に事前に送るものの準備に追われた。昼からは、この日朝、「(木曽川河畔にある扶桑町の)俺のアトリエに来ないか」と携帯に電話がかかった洋画家黒瀬道則氏自慢のアトリエに出向いた。「私の本をぜひ、読んでほしい」と前に電話でお願いしていたこともあり、私は自著〈いがみの権太 大震災『笛猫野球日記』〉を手に訪れた。黒瀬さんは六十九歳とはいえ、とても若々しかった。

久しぶりの再会に互いに話が弾み、私はほかに自著「懺悔の滴」と「町の扉 一匹記者現場を生きる」も進呈。互いの近況につき話し合ったが、最後に落ち着くところは、私とは共通の友でもあった黒瀬門下の亡き画家杉本治子さんのことだった。彼女は生前、環境に配慮した段ボール作家でも知られた。
早いもので、彼女が胃がんで倒れ帰らぬ人となり、丸十年がたつ。私はいつも彼女に甘え、彼女はどんな時でも私のことを信頼してくれていた。黒瀬さんは2002年3月21日から31日まで清水屋犬山店6階催事場で開かれた杉本治子遺作展に触れ、パンフレットにある「杉本治子を偲んで」のカ所を声をあげて読み、私の目からは涙があふれ出た。(以下は、そのなかの下りの一部)
―(杉本治子は)幾多の公募展に出品し、私の指導の下、日々努力を重ね力量を高めていった。「日本国際美術展」「現代日本美術展」「ジャパン・エンバ賞展」等々、コンクール展での入選・受賞を重ね、女流画家として実力を発揮した。「第7回青木繁記念大賞展」では“石橋美術館賞”を受賞し、その才能は見事に開花した。受賞の通知を持ち、私のアトリエに駆け付け『先生、賞金百万円もらっちゃった。』と言った時の満面の笑顔は今でも私の脳裏に鮮烈に残っている。……ここに陳列されている「杉本治子遺作展」60数点の作品は、一人の画家の表現という手段を通じた心の叫びであり、喜びであり、悲しみであり、その足跡は、この美術展を通して深く観衆の心の中に感動を与える事と思います。

【きょうの1番ニュース】かねてから訪れなければーと思っていた黒瀬道則さんのアトリエに足を踏み入れ、目をみはった。支援者提供による民家一軒がそっくりそのまま、仕事場として見事に再現されており、そこには東日本大震災の瓦礫の山を素材に大空に飛び立つ飛行機が描かれていた。東日本の皆さん! この悲しさ、苦しみ、肉親や恋人・知人との別れの辛さを乗り越え、新しい未来に飛び立て。無言の絵画はそう言っているようでもあった。
アトリエでは、黒瀬さんが最近手がけた鹿児島県酒造組合が手がけたNASAの“宇宙のかおり”のラベル(鹿児島の酒12種類)のことや、北京五輪や上海万博で先頭に立って役立った日中文化人交流、モンゴル・ウランバートルの大学客員教授に任命されたことなどを世界の各メディアやNHKなど日本の各放送で大々的に報じられたDVDを見せてもらい、さらには自ら仕掛けた鹿児島の海から上海までのカヤックによる日中交流にも話が弾んだ。そして帰りには、21世紀台湾・日本国際交流芸術展の分厚いパンフレットなどもいただいてきた。

☆「天皇・皇后両陛下 火葬への変更要望 宮内庁検討 墓所簡素化や合葬も」、「携帯番号 教頭が漏らす 京都・登校中事故 少年の親類通じ」(27日付、中日朝刊)
「震災関連死1618人 死者・不明と計2万人 政府初公表」、「避難先で祝う“201歳” 福島・大熊町の夫婦」(27日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十六日
東京地裁は、資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪に問われていた民主党元代表小沢一郎被告(65歳)に対し「虚偽記入について、故意や共謀を認めることはできない」として無罪を言い渡した。検察官役の指定弁護士は禁固三年を求刑していたが、検察のずさんな捜査などを考慮、なお道義的な不透明感は残るものの「無罪」は当然の帰結といえよう。
NHKテレビでかつてリクルート裁判の判決に携わった元裁判官が解説していたが、無罪になったわけとして挙げていた▽共謀性がない▽四億円を隠す理由がない▽検察捜査上の問題、の三点はその通りだと思う。小沢元代表は判決を前に「天に声が届いたら、国のため最後の奉公をしたい」と決意のほどを語っていたというが、その気持ちと行動力に期待する声は多い。そうした面では、どこまでも国民の目をそらすことのない政治家だ。

いずれにせよ、今回裁判の問題点として元秘書に対する取り調べがあげられる。判決では「起訴議決そのものは無効とはいえない。だが、違法な取り調べにより事実と違う捜査報告書が検察審査会の判断を誤らせた」と裁判所が検察を厳しく指弾する形となった。

スマートフォンでドラゴンズ情報をやっと、まともに見られるようになった。それもファンクラブのかつての同僚がパスワードが違うと指摘してくれたからで、心のなかに澱んでいた闇のようなものが晴れて取れた。だが、神宮でのドラゴンズの結果は4―2でヤクルトに負けた。このままだと、ことしも神宮は鬼門になりそうだ。神宮でなぜ、そんなにも勝てないのか。

【きょうの1番ニュース】夜、千種駅近くの居酒屋「ぼん」へ。名古屋は昭和区で生まれ育ったいぶし銀ともいえる美人ママ(岩井邦子さん)の手料理で、かつての同僚らと一緒にひとときを過ごした。彼女の手料理には定評があり、ここを訪れる人々がまた、料理の味と同じほどに味わい深く、かつユニークな方々ばかりだ。この日もパイプ姿の少しニヒルで頑固そうな、かっこいいおじさんから、東京から単身赴任で頑張る巨人ファンのサラリーマン氏、かつての演劇青年、草野球の名手…と。錚々たる顔ぶれがママさんを囲んで、それぞれの思いにふけって黙々と杯を傾けるなか、夜は深々とふかまっていった。

☆「病院壕 少女の戦場 〈捨て石の島 陸軍石部隊と島人の沖縄戦〉 負傷兵あふれ次々絶命」、「来月5日原発ゼロに 泊3号機が定期検査 北海道電発表」、「〈原発ゼロの攻防〉おおい町 きょう稼働説明会 町民限定 厳戒警備 隣接県民『影響あるのに』」(26日付、中日朝刊)「テレビ塔すっきり 名古屋」(26日付、毎日朝刊)
「小沢元代表に無罪 陸山会事件で地裁判決 虚偽記入 共謀認めず 検察強制起訴は有効 〈解説〉秘書報告了承は認定 『故意でない』政治責任免れず」(26日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十五日
きょうが発生から七年、あすが来れば十八年、二十六年がたつ。七年は乗客百六人と運転士が死亡、五百六十二人が重軽傷を負った尼崎のJR福知山線脱線事故である。そして十八年がたつのは、名古屋空港の中華航空機墜落事故で、この事故は台北を出発したフランス・エアバス社製の中華航空機が名古屋空港に着陸する直前に墜落、炎上し二百六十四人が死亡するというものだった。
さらに二十六年がたつのは、史上最悪の放射能漏れを起こしたチェルノブイリ原子力発電所(旧ソ連・ウクライナ)の事故である。いまだにウクライナだけで一万人以上が強制移住させられ、帰還できないままの状態が続いているという。

午後。横笛の稽古で上前津の師匠宅を訪れると、師匠から蛍のデザインがされた高貴なボールペンを手渡された。「伊神さん、船旅の間、お書きになることもあるでしょうから。しばらくの間会えなくて、寂しくなるわね」のお言葉には、なんだか涙が出そうになった。八月に帰国するまで、しばらくの間、この稽古ともおさらば、かと思うと熱いものがこみあげてきた。ありがとう!

神宮球場のヤクルト戦。ドラゴンズ中田、ヤクルト石川の投げ合いとなったが、延長十一回、1―1の引き分けに終わった。負けないで良かった。
この試合、中日の谷繁元信捕手(41歳)は七回、左越えに今季1号ソロを放ってプロ1年目からの連続本塁打を24年に伸ばし新人からの連続記録では23年で並んでいた、門田博光(ダイエー=現ソフトバンク)、張本勲(ロッテ)を抜いて史上1位となった。すばらしい快挙である。
西武はソフトバンクに3―1で勝ち、クライマックス戦を含め昨年から続いていた対ソフトバンク戦の連敗を10で止めた。勝ち投手は岸孝之だった。

【きょうの1番ニュース】能登半島は七尾市のある親友に、私の著書を進呈本と一緒に笛書房から計21冊送らせていただいた、そこまでは良かったが、あとがいけなかった。
本の一番上に、これみよがしに請求書が置かれ、あげくに「振込料の手数料はそちらで払え」と言わんばかりのぞんざいで冷たさを感じる文言にカチンときた彼は、ズバリ「ナント失礼な。何さまになってるんだ!」と思われたに違いない。「伊神さんには悪いが、帯などを見てすごく読みたいとは思いましたが、読むのは控えていったん、そのまま着払いで送り返します。そのうえで考えさせていただきます」とのこと。
私はすぐに笛書房の担当者にお詫びの電話を入れるように、と手配したが、ウッカリしていた。なぜ、お礼の言葉ひとつ入れないで送ってしまったのか、が悔やまれる。

せっかくの20冊ものご配慮。本を送るにあたって、心からの礼のひと言を書き添えておくべきだった、と深く反省している。書房スタッフを叱りつけてしまったが、よくよく考えれば悪いのは私だ。礼状を添えて送るよう、なぜ手配をしなかったのか。著者は私なのだ。人任せはいけない。
まさに良薬は口に苦しである。本当によい教訓になった。こんな送り方では、親方日の丸でヌクヌク体質以外の何ものでもない。心から反省している。そして、能登の親友には感謝したい。

きょうは久しぶりに洋画家としてニューヨーク、上海、モンゴル…と今や、世界のヒノキ舞台で飛躍する鹿児島出身の画家黒瀬道則さん(モンゴル大学客員教授)とも電話で話をしたが、彼曰く「権太さん。せっかくの本だ。何よりも皆さんに読んでもらわなければ。読んでもらわなきゃあ、意味がない。あんたの書いた本だ。いいに決まっているとは思うのだが……。読まずして買ってもらうだけでは、作家としての魂、自分の気持ちが許さないはずだ。俺の絵だって同じことだよ」と。
やはり、持つべきは友だ。そうだ。今度の本〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉は、読んでほしい一心で、書き上げたものである。一人でも多くの人々に読んでさえもらえたら、それが一番、うれしい。もしも、読んで共感をしてくれる人がどんどん増えたなら、それはそれで、さらにうれしいのである。

☆「空の安全 見守り続ける 中華航空機事故あす18年 遺族は高齢化、風化に不安」、「〈原発ゼロの攻防〉大飯再稼働あす住民説明会」「原発マネー生活に浸透 反対しづらい空気」、「(名古屋市)北区の社長宅4600万円盗難 金庫ごと、無人の45分間に」(25日付、中日朝刊)
「ひな誕生 遺志かなった トキ保護支援 名古屋の男性 霊前に新聞『きっと大声で喜んだね』」(25日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十四日
なんだかんだ、と今日も朝から晩まで飛び回った。今は素浪人かつ、名もなき三文作家なので動けば動くほど、その分、お金がどんどんと容赦なく湯水の如くはじけ飛んでゆく。
自著〈いがみの権太 大震災「笛猫野球日記」〉の積極的な販売協力を買ってくださっている大いなる協力者・笛書房スタッフに対する各種お願いに始まり、心当たりの友人へのメール送信、電話連絡、船旅中の大学講師をどうするかーといった件など。懸案が山積みのなか、合間を見てドコモ江南営業所へ。海外でお金をかけないでワイファイを機能させるにはどうしたら良いか、をあらためて学んできた。

そして。今回の世界一周の船旅行、よくよく考えるにやはり原点は“能登の海”にあり落ち着く先は能登半島七尾に住む、かつての海の仲間たちの存在だ。いまなお情熱あふれ若い血潮がたぎる夢多き人たち。二十数年も前に、〈海を感じる心〉を国内外に発信した海の詩(うた)公募にかけた過ぎし日の若者たちでもある。私は、今度の船旅に何故旅立つかーを説明するため能登に住む主要な友人たちに電話をして説明した。

戦争や飢え、病、災害、果ては環境破壊…などで地球が、いや世界中が疲弊している。ここらで人間本来のあるべき姿を探求して世界の海から平和のメッセージを発信していこう、というのが目的であることをあらためて、かみしめ自らに言い聞かせたのである。いま、海たちは泣いている。ヒトは海から生まれ、海に死んで逝く。ニンゲンたちの古里でもある海をこれ以上、泣かせるわけにはいかない。すべてのドラマは海から始まるのだ。

プロ野球セ・リーグ、われらが中日ドラゴンズは神宮でヤクルトと対戦し4―1で負けた。今夜は5連勝中のドラと3連勝中のヤクルトによる首位攻防戦となったが、中日は先発山井投手が打ち込まれたばかりか、山崎のエラーが最後までたたり、挽回はできなかった。昨シーズン、ドラゴンズは神宮でヤクルトにさんざん泣かされてきただけに二の舞だけは避けたい。ヤクルトは中日と並んで首位にたった。

大リーグで長年活躍してきた松井がレイズとのマイナー契約に合意、松井の入団が間近に迫ってきた。ヤンキーズ、エンジェルス、アスレティックスと渡り歩き、実績も上げてきていた松井の無事入団と今後の活躍に期待したい。

【きょうの1番ニュース】江南のドコモ営業所で、ああだこうだと教えてもらって中日新聞電子メディア局自慢の“ドラゴンズ情報”をやっと最近、機種替えしたばかりのスマートフォンにアップすることが出来た。月315円の使用料は安価といっていい。アップすることが出来たと言ってもややこしい部分が多く大半、ほとんど全部をドコモスタッフにやっていただいた。今後はデスクトップに表示されたドラゴンズ情報をクリックするだけで気になるドラゴンズの結果を知ることが出来る。なんだか道が開けた気がする。

☆「〈通風筒〉◇…福島県いわき市の温泉施設スパリゾートハワイアンズの新人『フラガール』五人が二十三日、初レッスンに臨み、笑顔を浮かべながら腰を振りステップを踏んだ。」、「水辺の美女に恋して 高山・ミズバショウ」(24日付、中日朝刊)
「扉開くまで死ねぬ 空襲被害控訴審あす判決 原告平均80歳『一日も早く救済を』」(24日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十三日
きょうは、中日新聞1面トップの「放鳥トキ 初のひな 36年ぶり野生で誕生 佐渡」のニュースをはじめ、同じ1面準トップ「陸前高田の高2 転校時の“宝物” 漂着ボール持ち主判明 アラスカの夫妻に感謝」、ほかに中日スポーツの本日付「竜5連勝ボールひつぎに マサ (今月19日に亡くなった)父に捧げる熱投」と、とてもいい記事が並び、なんだか朝からホンワカとした気持ちに包まれた。

なかでもトキと言えば、思い出すのは平成元年の12月に全国愛鳥教育交流視察団(メンバーは全国から5人)団員として中国を訪れ、かつてはトキと白鳥の保護に献身的な情熱を捧げ、能登半島の邑知潟河畔で住んでおいでだった村本義雄さんのことである。
忘れもしない。平成四年5月21日に私は新聞社の七尾支局長として、あの村本さんにお会いし、トキ保護に関するいろんな話をうかがった。村本さんはその際、中国を訪れたとき、南京市の南湖第一小学校応接室で中国の子7人を前に〈七つの子〉を独唱した思い出などを話してくださった。

あのとき、なぜ〈七つの子〉なのかとの私の問いに「私が好きなうただから。こどもの時からあのうただけは、忘れられないからです。……それがね。中国では蘇州などを十日間、歩きましたが一羽のカラスも見つからないのです、皆、撃って食ってしもうたらしい」と話され、「私はいま、六十七歳です。もう人生の先が読めるから余生を愛鳥意識高揚に生かしたい。これこそが、21世紀の子らに残す本当の教育です」と話し、こうも続けた。
――この日本では明治から大正にかけ、鳥にとって暗黒時代があった。コウノトリもトキも撃たれてしまった。昭和のはじめ隠岐島と佐渡島、能登半島にいたトキはすべて絶滅してしまった。そのトキが中国にいるのです。絶やしちゃあ、いけません。私はつい二、三日前に三十五万円を中国へ贈りました。トキを見る。見るということよりもいかに、これを地球上に残すか、です。今度また中国へ行ったら、トキが私たちの国にいるんだ。世界でも、ここにしかいない、との誇りを中国の子どもたちの一人ひとりに持ってもらうように努めたい。(伊神ごんのペンネームで能登印刷から出版した私の著書「火焔―空と海」225頁〈「鳥になりかわって」と村本さん〉の項から抜粋)

昨夜からけさにかけての新聞やテレビの報道を見聞きしていると、まさに、あのころからの村本さんの夢が今、日本で花開こうとしているのだ。村本さん、さぞや喜ばれているに違いない。良かったですね。本当によかった。

夜は、かつての同僚二人が私の来月八日の「世界への船旅」出発を前に多忙のなか、壮行会をしてくれ名古屋で一献。酒にかけては互いに引けを取らず、斗酒なお辞せずの楽しいひとときが、アッという間に過ぎ去っていった。現役時代、それも地方記者のころ、それこそ連夜の如く飲んでいたころのことが懐かしくもある。二人には、この場をかりて心から礼を申し上げておきたい。

【きょう1番のニュース】朝刊を読もうとしたら、チラシと一緒にはらりと落ちるものがあり、手で拾い上げると「ご愛読者の皆様へ」と書かれた中日スポーツからの値上げのお知らせ文だった。「1997年4月以来、15年間にわたり月ぎめ購読料を据え置いて参りました。また、一部売り定価も2000年7月以来12年間据え置き、中部地方では最も安価にして情報満載の紙面を維持してまいりました」と諸般の事情から、5月1日から改定することになり、「月ぎめが現行2445円から2650円に。一部売りも原稿100円から110円にさせていただく」というものだった。日々、充実した紙面内容からすれば、これも時代の流れで仕方のないことか。

☆「放鳥トキ ひな誕生 佐渡 自然界36年ぶり」、「化学工場爆発1人死亡 住民含む22人けが 山口」、「『残雪、一部気づかず』 秋田クマ襲撃 牧場経営者漏らす」(23日付、毎日朝刊)
「ボタン 雨中に大輪 徳川園で見ごろ」、「児童の列に車 3人重体 集団登校中、7人けが 京都・亀岡」「無免許の18歳逮捕 運転過失傷害容疑」(23日付、中日夕刊)

平成二十四年四月二十二日
日曜日。雨、雨、雨の一日となった。田植えシーズンを前に恵みの雨とは、このことか。有り難き哉だ。午前中、このところの新聞をチェック、きのう付中日新聞生活面の福島在住作家で僧侶の玄侑宗久さんの〈うゐの奥山「みんな同い年」〉には「そうか、そうだったのか。」と感銘した。毎月第三土曜日の連載(次回は五月十九日)ということで大いに楽しみである。

一方の私だが、きょうは新聞チェックのあとは五月八日からの地球一周102日間の船旅を前に、これまでもチャレンジしてきた、なれないビデオの習熟に時間を費やした。でも映像の世界は元々、自分の意識のなかで苦手意識が働いていることもあり、なかなかスンナリとはいかない。まぁっ、なるようになれ。ケ・セラ・セラでいこう、と内心覚悟はしている。

先月の二十六日に自転車に乗って畑から帰る途中、T字路で車にはねられ、右半身打撲のほか顔面や口の中を大ケガした母は、その後順調な回復ぶりで、あす退院である。当面は名古屋の兄の家で静養する。母にとっては、きょうが入院最終日となるのでMと病室を訪れたが、そこへたまたま現れた男性看護師柿山さんの「おばあちゃん、きょうが最後ですね」との声かけが、なんとも温かくてかつ優しいものでジンときた。
彼は長崎出身で名古屋で看護師の資格を取ったあとはオーストラリアの病院で研修し、そのご国立病院を経て、ここ「さくら総合病院」にこの四月に来たばかりだ、という。入院中、母はこの柿山さんら多くの看護師、そして担当女医の勝俣医師にも大変、優しく治療に当たっていただき家族の一人として心から感謝したい。

【きょうの1番ニュース】同人の顔と言ってもよい、編集長碧木ニイナさんの連載エッセイ「それぞれの春」の原稿と写真が原稿手直しの際の操作ミスから突如、本の画面から消えてしまうハプニングに襲われた。知らせを受け、すぐ彼女の連載エッセイのページを開いてみたが、そっくり消えてしまっているではないか。泣くにも泣けない、とはこのことか。

そういう私自身、新聞記者の現役時代に自分で「きょうの原稿はうまく書けたな」と思う時に限って、何かの拍子で書き終えたばかりの記事が、どこかに消えて無くなってしまい、思い出しながら原稿を最初から書き直した苦い体験が何度かある。
それだけに、彼女の切なさというか、一瞬の絶望感は痛いほど分かる。でも、消えてしまった以上どうにもならない。思い出して出来る範囲内で復活させるのが書き手の良心かもしれない。
かといって、何日も前の分をそのまま復活させよ、というのも無茶な話だ。今後は元原(元の原稿)の保存をしておかなければ、と言うのが私に出来る精一杯の助言である。読者の皆さん! 本当に申し訳ありませんでした。その分、これから生み出される彼女の作品にはいっそうの魅力と色艶が出てくるかと思います。注目してください。

☆「〈レベル7 第七部 浜通りの見た夢1〉福島振興“魔物”と同居 『原発で貧乏人いなくなる』」、「国別フィギュア日本初V 鈴木 女子1位」(22日付、中日朝刊)
「天空のミステリー 謎の巨大閃光=つかまえようとしても、スルリと逃げられてしまう宇宙の謎、スプライト(妖精)。『新たなビジョンが開けた、空と宇宙は連続していたんだ』と話した亡きコロンビア宇宙飛行士の言葉を実践してみせた宇宙飛行士古川聡。宇宙の渚に漕ぎ出てスプライトを目の当たりにした古川は、改めて地球は決して宇宙と隔離されてはいないことを、実感した=」(22日夜、NHKスペシャル・宇宙の渚から)