あぁ~大震災を悼む 笛猫人間日記平成24年2月/10日

(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

  『ねぇ~』   こすも・ここ
 

    『なぁに』  シロ

 きょうは朝、Mとゴミだしに出たまではよかったが、帰宅時にマイカーを車庫に入れる際、誤ってシャッターに左胴体部分をぶつけてしまい、自身の体から一気に何かが途切れてしまったような、そんな錯覚にとらわれた。
 でも、不幸中の幸いで、よほど注意して見ないとキズの部位さえ分からない状態だ。深負いというより、かすりキズといったところか。突如の東日本大震災で家族を失ったり、家や職場(むろん車なども)を流失した被災者に比べればそれこそMのことばじゃないが「運転さえ出来ればいいじゃないの」ということになる。つくづく、東日本の人々は大変だなっ、と思う。
 かといって、私たちには昨年大々的に行った義援金呼びかけや、ガレキの撤去などのボランティア以外には今のところ、援助の手を差し延べる方法が、あまり見当たらない。

 ところで、部屋の整理の方は、合い間を見て相変わらず続行中だ。なにしろ本や過去の取材資料が多いので、あっちに動かしたり、こっちに動かしたりで大変だ。それでも、Mが十七、八年ほど前、私が大垣支局長在任中に“伊神舞子”のペンネームで出版した俳句集「ひとりあやとり」の出版パーティーのときの彼女の写真が出てくるなど、結構昔に触れることが出来て楽しい。

 【きょうの1番ニュース】いつまでやっても尽きることのない書類や資料、本の整理整頓を続けるうち、懐かしい写真が続々とでてきた。なかでも、私やM、息子たちの写真を見るにつけ、昔はオレたちもそれぞれ結構、若かったなあーというのが実感だ。

☆「復興庁 ようやく船出 震災11ヵ月 きょう発足 実施権限めぐり二転三転」、「福島第2も津波の爪痕 震災発生後初めて公開」(10日付、中日朝刊)
 「<ファンと共に> 新生ドラゴンズ春季キャンプ 思いっきり触れ合い チアドラゴンズ週末は華やかにショー」「津波の記憶 撤去へ 石巻・雄勝の屋上バス 住民『心痛む』 保存に反対」、「宮城のカキ業者『森林ヒーロー』 国連機関が表彰」、「原子力防災室 岐阜県が設置 新年度」(10日付、中日夕刊)

平成二十四年二月九日
 ♪咳をしても一人
 ♪やせたからだを窓に置き船の汽笛
 室内で書物などの整理をしていたら、さすらいの俳人で、自由律俳句で知られる故尾崎放哉(おざきほうさい)が終の棲家となった小豆島の南郷庵で詠んだ<南郷庵にて(二一六句)>と、吉村昭さんの小説「海も暮れきる」がたまたま、わが目の前に現れ出た。
 妻(M)と三年ほど前の夏に小豆島に小旅行をしたときに購入、または手に入れたもので懐かしさがこみあげた。確か「海も暮れきる」は、いったんはエリートコースを歩みながら、やがて酒に溺れ、美しい妻にも別れを告げ流浪の歳月を重ねた放哉の生涯が事実に即して書かれた鮮烈な物語だったと記憶している。

 【きょうの1番ニュース】東日本大震災の被災地のひとつ、宮城県亘理郡山元町の災害臨時FM「りんごラジオ」に電話しスタッフの一人、高橋厚さまとお話をさせていただいた。高橋さんは多忙にもかかわらず親切に応じてくださり、からだのなかをホンワカとした一陣の“かぜ”がふきぬけていったような、そんな新鮮な感覚にとらわれた。
 その高橋さん曰く、「このところは大震災と巨大津波が起きた3・11を前に、新聞テレビ各社の取材が連日、ぎっしり入っています」とのこと。取材攻勢がいったん落ち着いたあたりの十六日午後三時半にお会いする約束をした。むろん、私が現地に出向かせていただく。

☆「米軍グアム移転 沖縄5施設返還 普天間に先行 日米発表 春にも新工程表」、「(福井県)大飯の安全評価 『妥当』審査書提出へ 保安院 専門家会合 異論も」、「佐渡で震度5強」、「いわきの施設 全面再開 フラガール再出発」、「ベトナムに今春 大垣共立銀進出」(9日付、中日朝刊)
☆「花火中止きっかけに招待 福島の子と遊ぼう 日進市が7月スポーツ交流 心支える 市民グループ 安城市が助成」(9日付、中日夕刊)

平成二十四年二月八日
 名駅前の名鉄側に最近オープンした、ヤマダ電機LABI名古屋へ。丸半日近く担当スタッフからビデオカメラとパスコンにつき、あれやこれやと説明を受けた。話を聞けば聞くほど、なんだかチンプンカンで頭がパニック寸前となったが、それこそ清水の舞台から飛び降りる決意と覚悟でビデオカメラとパソコン各1台を一気買いしたのである。
 とどのつまりは大枚のお金を払い、ビデオを手に帰宅した(パソコンはバックアップしてもらったうえで土曜日に引き取る)。さて買ったまでは良いが、だ。うまく使いこなせられるかとなると全くの未知数だけに、なんだか重荷ばかりを背負ったような気がしないでもない。特にビデオコーダーをうまく使いこなせられるか、どうかは、しばらくは甚だ疑問である。

 【きょう1番のニュース】Mから夜、聞いた。これまでニンゲンの食べるアンパンやお菓子など微塵も食べなかったはずの愛猫こすも・ここが、とうとうこれらを食べるようになった。Mが言うには、もう一匹の愛猫シロちゃんに感化されたのだという。

☆「津波警報時 学校の指針見直し 岩手県『児童帰さぬ』 宮城県 保護者の理解課題」、「海底トンネル5人不明 倉敷の製油所 掘削中に水流入 知多の作業員ら」、「<通風筒> 一九九〇年代初めに、米ハワイ近くで見つかったのを最後に、絶滅したと考えられていた海鳥ミズナギドリの一種が、約四千キロ離れた小笠原諸島で見つかった。」、「<特報> 少女漫画 原発に迫る 萩尾望都さん」、「名古屋市 交通局長ら200人処分へ バス事故隠し『ずさん処理まん延』」(8日付、中日朝刊)
 「壁新聞魂受け継ぐ 椙山女学園大WEB公開 石巻日日新聞の3・11 学生が映像記録を制作 『地域紙記者の証言』 後世に」、「<目耳録> 『乳房』から」(8日付、中日夕刊)「歓声11ヵ月ぶり (福島県いわき市のレジャー施設の)『ハワイアンズ』全面営業再開」(8日付、毎日夕刊)

平成二十四年二月七日
 中日ドラゴンズ公式ファンクラブの母、安江都々子さんから、ことしも国府宮はだか祭の「なおい布」が「前略 取急ぎ なおい布を御送りします」との添え書きつきで、ふた布わが家に郵送されてきた。感謝のしようもない。
 なおい布は無病息災、家内安全、悪霊退散に役立つとされ、大変貴重なものだけにMはとっても嬉しそうだ。さっそくお礼の電話を入れると、安江さん曰く「段ボール箱に入れ、沖縄キャンプで練習に励む2軍の選手たちにも送らせていただきました。若い子らが皆、一生懸命やっていますから」と、どこまでも優しい。安江さん! 本当にありがとう。

 きょうも江南市内のドコモに行き、スマートフォンやパソコンのことにつき、くどくどと、スタッフから教えてもらってきた。全部をマスターするまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。驚いたのはラジオを聞けるスマートフォンとなると、ソニーの製品だけで、それもイヤホンをしてしか聞けないことを知った。イヤホンがアンテナの代わりもするのだ。またエイサー(acer)のメーカーは台湾で、パソコンのモバイルルーターは、それ自体が本体で、すべてのパソコンに対応するものだ、と知った。

 【きょうの1番ニュース】二カ月に一度のMの受診で病院へ。Mの体調に変わりないが、担当医師から「血圧は一週間に一度ぐらいの割りで測っていただかないと」と注意された。いつも受診日が近づくと三、四日前から慌ててMの腕を出させて半ば強引に測るのだが担当医はお見通しのようで「それでは判断の目安になりません」と苦言を呈してくださったのである。
 それでも、にわか測定の数値を前に「下が高いのが少し気がかりです」の弁。Mが「時々、手や足がしびれます。寒さのせいでしょうか」と聞くと「十分、関係ありますよ」との返事だった。いずれにせよ、これからはたとえMが嫌がろうと、しっかり血圧を測って大事にしなければと誓いを新たにした。安江さんから、せっかくめったに手に入らない、なおい布まで頂いたのだから。私たち自身も健康に気をつけないといけない。

☆「<特報>関東『水底のホットスポット』 放射性物質 湖沼や海へ」、「本社会長に勲章(日本、イタリア両国の文化交流に貢献したとして六日、中日新聞社の白井文吾会長にイタリア大統領から共和国功労勲章コメンダトーレ章が贈られた)」、「お悔やみ・河原武雄氏(元NHKアナウンサー、98歳。大相撲では初代若乃花と栃錦の両横綱が競った栃若時代にラジオ放送を担当した)」、「ノロウイルスか3人死亡 各務原 老人施設で集団感染」(7日付、中日朝刊)
 「シャンソン歌手、(日本シャンソン)協会会長 芦野宏さん死去 87歳」、「<大波小波> 岡松和夫の退場」(7日付、中日夕刊)

平成二十四年二月六日
 きょうは、朝から冷たい雨だ。こんな雨を見ると、なぜかしら、この世のすべてのものが見えない神の手で静かに生かされている気がする。一日一日が少しずつ、少しずつ音もなく動いてゆく。

 折も折、わが家に一カ月遅れの年賀状が届いた。
 その主はといえば、かつて「長良文学」の同人仲間で文学ばかりでなく、何かと教えていただいた岐阜市塩町在住の吉田幸平さんである。吉田さんは郷土史に詳しいばかりか、アメリカの大学で名誉教授として教鞭を取られたこともあり甲冑に関しても大変に詳しいお方である。お年はそろそろ九十五歳を超えられたかもしれない。

 文面は次のようなものだった。
 「寿春 教子や友人の有志が小生の職責と業績について記念碑を建ててくれました。(揖斐郡池田町)落涙しています。6月には菅総理大臣からシベリヤ抑留への永年の労苦について擁護の詞と金一封を賜りました。また天台修験本宗より権大僧都の訪印号を下され感激しています。相変らず心筋梗塞と腰痛で病院生活を続けています。」

 【きょうの1番ニュース】被災地・宮城県山元町の災害臨時FM「りんごラジオ」を、サイマルラジオ経由で聴いてみた。
 ラジオでは「一月三十一日現在の行政区別人口と世帯数=人口総数は一万四千三百九十三人(前月比マイナス六十二人)世帯数は四千九百七戸(マイナス十七戸)=の紹介に始まり三月十一日に迫った追悼式開催の予告、町内での放射線量の測定結果、さらには紙おむつや粉ミルクの配布方法、被災家屋の震災廃棄物の無料受け付けのお知らせーなどを一つひとつ丁寧に報じていた。
 放送を耳にして私は町の人たちが一丸となって、互いに協力しあい、夢と希望に向かって苦難の道を乗り越えていこうとする意志の強さのようなものと団結力の深さを感じた。

☆「ローザンヌ国際バレエ 17歳菅井さんV 神奈川の高校生吉田都さんらに続く 母『夢のよう』」、「<虹 いま寄りそう> 世界へ全国へ演奏響け 宮城の小中学生 寄贈の楽器ありがとう」、「トヨタ自9度目V 名岐駅伝」(6日付、中日朝刊)
 「えほんカー 心待ち 被災地巡る移動図書 8万冊子どもたちへ」、「『恋路』に明るい兆し 諏訪湖『御神渡り』拝観式」、「即位60年 人気高く エリザベス女王 時代に対応」(6日付、中日夕刊)

平成二十四年二月五日
 日曜日。きょうはあれこれバタつくことは控えたが、Mがホームセンターへ行きたいというので一緒について行くと地球儀とひじ掛け座いすを買うため、と分かった。いつも私が思いもしていないことを彼女はアッという間に、しでかしてくれる。
 よくよく考えれば、地球儀も座いすも、我が家にとっては必要なものだ。これまで私が使っていた座いすは十七、八年ほど前、新聞社の大津支局長のころ、Mと一緒に大津市内の西武百貨店を訪れ購入したが、使い勝手がよいこともあり、以降はずっと愛用してきた。
 最近では、両肘部分の骨組みが一部出たままだった。それでも愛着があるので使い続け、内心これからもずっと使用しようとしていただけに、突然のホームセンター行きには面食らった。
 それでも、帰宅し座いすをすぐに新品と取り替え、こうしてワープロを打っている。地球儀は私の五月からの洋行にそなえて、彼女が世界の位置と動きを頭に入れておくのが狙いで、いったんMの部屋のテーブルの上に置かれたのち、玄関先に鎮座ましました、のである。

 きょうの尾張地方は、少しは暖かくなったものの、朝晩は相変わらずの冷え込みだ。寒さといえば、二日前に大垣と東京在住のドラゴンズ公式ファンクラブ会員からメールが入った。みなさん、ドラゴンズをこよなく愛してくださっており、こうして思いがけない時などに連絡が入ると、なんだか、からだの中までがほんわかと温かくなる。
 うち一人は、今春高校を卒業する娘さんと母と子ふたりで思い出の旅をドラゴンズの沖縄キャンプに合わせて実現させた大垣の女性で、便りの内容は次のようなものだった。
 「夜分にすいません。Aです。お元気ですか? 木曜日から沖縄キャンプに来てます。そちらは随分寒いみたいですね。沖縄も寒いです。」。ふたりの母娘の未来に幸あれ、と心から願う。

 【きょうの1番ニュース】先日、学生時代の友人からもらった中国福建省のお茶を熱湯で煎じてのんでみたが、全身が清められていくような不思議な味と香りだった。母がつくって、よくくれる日本のクコの味にどこかしら、似ていた。

☆「男の熱気 昇華 国府宮はだか祭」、「世界一の指に日本一の宝石(立春の四日、富士山頂に夕日が沈む『ダイヤモンド富士』と東京スカイツリーが重なる様子が、千葉県市川市の上空四百メートルから観測できた=写真、本社ヘリ『おおづる』から)」、「モナリザ複製画 弟子制作と確認 スペインの美術館」

平成二十四年二月四日
 土曜日。
 きのう(大学時代の友人である)川口譲から「煎じてのむと、からだに良いから。おふくろさんに」とお土産にもらった赤い皺くちゃの、ちいさな袋を手に実家の母を訪ね、ついでに昼食に誘い、自宅近くの食堂へ。
 自分で好きなものを選んで取って食べるという方式だが、母はしばらく立ち止まったまま選ぶ姿が私の心に印象深く残った。食事に誘ったら、「(木曽川河畔の)スイトピアがいい。」と言うので、いったんはそこまで車で行ったが車が満杯というにぎわいようにアキラメテ私がよく行く食堂で食事をした次第である。
 母も高齢なので、これからは一週間に一度を目標に食事に誘えたら、と思っている。食事のあとは、わが家に寄ってもらったが、息子がいて話し相手になってくれ母は満足そうであった。母と亡き父のおかげで僕たちの今があるのである。

 きょうも、なかなか寒い一日だった。
 私は以前、母から半ば強制的に「着なさい」と押し付けられた父が生前着ていた、ちょっき(カーディガン)を着て過ごした。確かに温かい。
 稲沢市の尾張大国霊=おおくにたま=神社(国府宮)では、はだか祭が行われ、男衆の「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声が氷の張った参道を練り、午後四時からは主役の神男に触れ厄をはらいおとそうとする裸男たちが境内にあふれた。
 ついでながら国府宮のはだか祭については私が以前に出版した「一宮銀ながし」のなかの“由佳奴(ゆかやっこ)”に詳しいので皆さん、ぜひ読んでほしい。

 【きょうの1番ニュース】母がわが家を訪れたとき、シロが石油ストーブの上にちょこんと乗って無言の接待をしてくれた。母は満足そうで曰く「もう一匹はどこにいるの」と。気になったらしい。そのボス猫、こすも・ここは二階寝室の私の布団の中にもぐりこんでいたのである。

☆「三三九度で厄払い 四日市・(で厄年の氏子がキツネの姿で豆をまく厄払いの神事)狐の嫁入り道中」、「7地点で積雪新記録 長野など年末以降 主な豪雪地の3日正午現在の積雪 青森市酸ケ湯439センチ(平年は291センチ)山形県大蔵村350(247)新潟県津南町349(204)長野県野沢温泉村279(156)鳥取県大山町277(114)」(4日付、中日朝刊)
 「『耕作放棄じゃない』 福島・伊達の農家 苦悩 除染待つ間に指導通知」、「<大波小波> 開高健の人気(冬の闇)」(4日付、中日夕刊)

平成二十四年二月三日
 寒い冬であり、朝だった。この地方の温度計は軒並み下降線を辿った。高山の荘川が氷点下18・9度、岐阜が同5・7度、名古屋が同5・2度、津2・5度まで下がったのである。このうち名古屋で氷点下5度を下回ったのは、1999年2月4日の氷点下5・7度いらい十三年ぶりのことだという。
 猫が炬燵で丸くなるとは、よく言ったものだ。わが家では、こすも・ここもシロちゃんも、それぞれに保温してある絨毯の上とか、アンカの上などに丸まって「あ~あ、なんて寒いのだろう」という顔をしてじっとしている。
 いずれにせよ、二人(二匹)とも室内の暖かいところばかりをジプシーのごとく渡り歩いているので、Mに言わせればヌクヌクで幸せな猫ちゃんなのである。野良ちゃんたちは、どうしてこの寒さを凌いでいるのだろうか。

 午後、名古屋へ。伏見の大衆酒場「大甚」で大学時代の親友、川口譲(中国の吉林師範大学博達学院日本語教師)に久しぶりに会うためだ。帰国中の彼に私の方から「一度ぜひ、会いたい」と連絡したところ、そこは昔の気の合った若者同士で「オレも会いたかった」と互いに都合のいい日を選んで今宵の再会となった。
 川口は、これまで随分と苦労し人生を歩いてきた国際人にもかかわらず、自然体で清々しく昔のまま、何よりも笑顔が絶えず、とてもステキな男になっていた。
 オレも見習わなければ、と心底から会ってよかったと思っている。半分冗談で「五年後には中国語をある程度マスターするからな」とおかしな約束までしてしまった。

 また、私が五月に出発する世界一周ピースボートの船旅中も出来れば連絡を密にしあって、中国の学生たち(大半が女子大生だそうだ)への授業にも役立てたい、とも約束してくれた。彼のことだ。私さえ、しっかり映像とデータを送れば授業に生かしてくれるに違いない。

 【きょうの1番ニュース】川口と話し合ううち、私が学生時代に彼をわが家に招いたことを大変詳しく覚えていて驚いた。私は、その場で「オレの兄貴=当時、東大生。法学部=は、な。夢の、そのまた夢を持つ偉大な男で、いまは弁護士を目指している」と兄のホラばかりをしゃべっていたらしい。なんだか恥ずかしい限りだ。
 その兄は今や正義の味方の弁護士で金の成る木など、これっぽっちもない貧乏弁護士とはいえ、世のため人のためにーと彼なりの夢を果たしている。
 一方の私はといえば、当時「柔道、柔道、また柔道」の青春で生意気にも大学まで時々、サニーの新車に乗って通学していたらしい。
 川口は誰もが認める南山1の二枚目でフェンシング部のキャプテン。当時、同じ南山のAさんと恋に陥っていた、とか。その彼女も今は自立した女性として社会で大いに羽ばたいているという。いい意味で刺激を与えてくれたのである。

☆「6年ぶり大雪 青森435センチ、滋賀で雪崩」、「<中日春秋>作家の小中陽太郎さんが、テレビ局の控室でタレントの板東英二さんとプロ野球の中継を見ていた時のことだ。バントを失敗した選手を小中さんが、『下手くそ、プロだろ』となじると、板東さんはかばった。『それはちがう、下手じゃない』…>」(3日付、中日朝刊)
 「氷点下列島 新城など38地点最低気温を更新」、「福よ来い 琴奨菊成田山万福院で豆まき」、「<あの人に迫る> 岡井隆 歌人 歌の上で鎮魂を 表現者の良心だ(黒谷正人)」(3日付、中日夕刊)

平成二十四年二月二日
 朝、起きたら外は一面の銀世界だった。
 ことしは日本中が二十数年ぶりに寒い冬となり、北日本や東北、日本海側を中心に各地とも豪雪に苦しみ、泣いている。ここ尾張地方も厳しい寒さが続いているが、積雪となると、これまで今ひとつ、雪が積もらない寂しさがあったのも事実だ。
 こんなことを言うと、Mは「いやあねえ~。降らない方がいいに決まってるじゃない。降ったら、大変よ。新潟や秋田、青森の方たち、大変なのだから」というが、さすがに、けさのように久しぶりに雪が積もった下界の姿はやはり、どこかしら味わい深い。
 昨年は、雪ウサギをつくるMに幼さを見出したものだが、今のところは、まだ雪タツ(辰)をつくる気配は見えない。彼女は還暦という年を気にしているからかも知れない。ともあれ、けさ息子は自転車に乗るのをやめ歩いて駅に向かい、彼女も「店の前の雪かきをしなければ」と家を出た。雪に苦しめられている豪雪地帯の人々のことを思うと、本当に悪い気がしてならない。

 名古屋市北区上飯田西町の料亭「志ら玉」であった、『美の美の会』新年会に誘われて出席した。名妓連のひと美さんらによる三味の音に乗っての踊り「繭玉」披露など芸の世界に酔った。この日は、故柳家小三亀松師匠の弟子の一人、柳家三亀治さんとその門下による都々逸の披露もあり、座はいっそう華やか、かつなごやかなものになった。

 都々逸といえば、柳家小三亀松さん亡きあと、ご一緒した私の師匠も第一人者の一人で彼女が、♪ぼうふらが人を刺すよな蚊になるまでは泥水のみのみ浮き沈みーと、ひと声披露したときには、宴席からヤンヤの喝采とためいきが出たのである。小三亀松さんと言えば、生前、互いにお会いして別れる時には決まって<固くにぎった 手と手の中に 今度会う日が 書いてある>とうたいながらしっかりと手を握りあったものである。だが、その小三亀松さんも今はもういない。

 【きょうの1番ニュース】上飯田まで出るのに、江南から犬山に出、ここから平安通り行き名鉄に乗るというコースをとった。窓からデジカメで撮る雪景色は、なんとも叙情のあるものだった。

☆「仮設 積もる雪 凍る水道 気仙沼 被災者『避難所思い出す』」、「中電 東北電に緊急融通 暖房需要増加で今冬初」「<特報> 東アジア脱原発で結べ 日中韓で90基 運転建設中も多数 過密、世界で最も危険 ――日韓で中国に影響を 韓国環境財団代表崔冽さんに聞く」(2日付、中日朝刊)
 「大雪ピーク 名古屋15センチ 05年以来 関ヶ原67センチ、史上3位」、「愛知県内スリップ600件」、「サッカー乱闘74人死亡 エジプト 試合後、観客ら興奮」、「鈴木竹志さん 中日短歌大賞 名古屋で授賞式」(2日付、中日夕刊)

平成二十四年二月一日
 日本列島はとても寒くて雪の深い日が連日、続いている。青森、新潟、山形、秋田など日本海側を中心に積雪三メートルを超すところが相次いでおり、テレビのニュースによれば、きょうはそこへ強風が吹き荒れ、雪に閉ざされた地域は大変な受難に泣いている。
 夜遅くのニュースでは青森県下で百台前後の車が雪の壁に閉じ込められ、動くに動けない事態に陥っているという。
ーそして、ここ尾張地方でも窓の外に広がる光景は白一面で幻想的な雪が音もなく降り注いでいる。

 ニンゲンたちが安易に口に出す温暖化など、とても想像さえ出来ない自然の猛威が今、目の前に立ちはだかっているのだ。気象庁によれば、今夜から明日にかけ北日本から西日本の日本海側を中心に雪が強まり、低気圧の発達に伴う暴風雪の恐れもあるーと警戒を呼びかけている。

 このところは、ラジオを手元にいつもNHK第二を聴いている。英語、中国語、フランス語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語とあらゆる国の語学会話が自然に耳に流れてくるためで、軽いノリでこれらの語学会話に外野観戦気分で親しんでいる。

 高校時代に英語教師から、「長年教師をしてきたが、君ほど発音のうまい生徒は初めてだ」とほめられたのを本気にしたばかりか、大学在学時にも米人英会話教師から、ヴエリー、ヴエリー、ヴエリーグッド! とおだてられ、英会話の成績はいつもAプラ。本気で「オレの英会話はナンバーワンなのだ」と一人、思い込んで有頂天となって以降というもの、ろくすっぽ、語彙もないのにヘンな自信ばかりが過剰で、この齢まで生きてきた。

 当然、フランス語(学生時代に第二外国語で少しだけ、たしなんだ)も中国語も、スペイン語だって。その気になれば軽い軽い、と自身の内部にこれまたヘンな自信ばかりが今もってある。ラジオに耳を傾けながら、日常会話ぐらいはマスターできるはず、とは思ったものの、やはりテキストはなければ。というわけできょうは江南市内の夢屋書店へ。「まいにち中国語」「まいにちフランス語」「まいにちスペイン語」の三冊を購入してきた次第である。

 地球一周のピースボート乗船準備で、きょうもクルーズガイドブックに目を通したり、心当たりに電話をかけたり頼りの人にメールをしたりして一日が過ぎていった。ほかに私がこれからすべきことについてもメモ帳にまとめてみるなどしてみた。でも、その通りにしていたら、虻蜂取らずになることは目に見えている。何をし、何を捨てるか。あらためて自身に問い質している。

 【きょうの1番ニュース】きのうの中華料理店に行ってランチを食べ、料金を払うときに、「ニイ ヤオ トォオシァオ(いくらいりますか)」と聞いてみた。これには、料理店の女将さんもニッコリ。中国のどこから来たのですかーと今度は日本語で問うと、彼女曰く「長春からです」と。これには私も「ボクは瀋陽で生まれました」。

☆朝刊連載漫画「おーい 栗之助 森栗丸」が始まった。「福島 川内村が帰村宣言 原発避難区域で初 村長『戻れる人から』」、「気仙沼 高台移転 歩み明暗 小泉地区緊密協議100世帯合意 市街地住民分散話し合えず」(1日付、中日朝刊)
 「最悪の答え それでも捜す 茨城の男性がボランティア 犬を訓練、不明者家族の役に」、「竜3連覇向け始動」、「4日に国府宮はだか祭 復興祈り男衆熱く 奉納 儺追布に伊達の願い」(1日付、中日夕刊)

平成二十四年一月三十一日
 なんだか、このところは、おかしなことばかりが私の身の周りで起きている。昨年、信頼していた三重県に住む編集者Aさんが突然、脳内出血で倒れた(現在入院中。幸い快方に向かっている)かと思ったら、同じく私の本づくりに情熱を注いでくれている名古屋のBさんが目を悪くして大好きな飲酒を止められた。
 かと思えば、プロ野球にめっちゃ詳しくボクが野球ドラ博士だ、と慕っている名古屋在住のCさんが交差点で自転車で通行中、出合い頭に車にはねられて全身を打撲、奇跡的に助かったものの、現在は名古屋市立大学病院で療養中の身である。
 そればかりでない。先日、大垣を訪れた際、私をあちらこちらとマイカーで案内してくださった旧知の仲の放送作家・D女史も「つい最近、後ろから追突され、しばらく病院通いが続き、やっと良くなったところよ」とのこと。
 そしてーきょうの午前中に近く一緒に飲む約束をしていたその女性、Eさんから私の携帯に入ったメールは、と言えば。次のようなものだった。
「実は、現在怪我で療養中です 肋骨骨折で全治2ヶ月、大分良いのですが もう少しと言うところです ご免なさい……」というものだった。

 そればかりでない。
 私は私で、先日、抜歯されたあとに新しくこしらえて頂いたばかりの義歯がポロリと割れてしまう、という、降って湧いたような災難に遭い、その義歯を治してくださった馴染みの歯科医さんも「実は昨年、脳梗塞で倒れ救急車で運ばれ九死に一生を得ました」とのこと。何やら、奇怪なことが続いている。

 ここで私は思う。この奇々怪々たる現象は、いよいよ「伊神権太」というこの世の新たな存在が“火の玉”となって、大ブレーキする前兆ではないか、と。いやいや、いまさら時代の寵児になろうなどとは、この“いがみの権太”はこれっぽっちも思ってはいないのだが。なんだか、そんな予感がするのである。そして、これまでも私の予感は必ず当たったのである。

 きょうは、関西の詩人冨上芳秀さんから「詩遊 ナンバー・33 2012・Winter」が送られてきた。瀬戸ひかりさんの闘癌記「余命宣告」など、どの作品も魂が込められ、読み応えのある詩誌である。昼は江南市内の中華料理店「衆(しゅう)紅源」に入ったが、中国人家族で一生懸命に励む姿に感動した。また行こう。少し勉強を始めにかかった中国語の会話を教えてもらえそうだ。

 夕方、ドラゴンズ公式ファンクラブから会員証と手帳、ボールペン、会報、会員証入れが、販売店女性従業員の手で、わが家に届けられた。ファンクラブ事務局スタッフ一人ひとりと販売店の血のにじむ労苦を知るだけに、心から「わざわざ届けてくださって、本当にありがとう」と礼を述べておきたい。沖縄の北谷と読谷では、あすからドラゴンズの春のキャンプが始まり、球春はもう目の前である。

 【きょうの1番ニュース】母を心配して実家に顔を出し、義歯について話しているとき、何かの拍子で「歯科医が歯を抜き過ぎだから悪くなってしまったんだ」と一人ブツブツと小言を言うと「誰も悪くない。ヒトのせいにしてはいかん。おまえ自身、納得して抜いてもらったのだから。ヒトのせいではなく、オマエ自身のせいなのだよ。これからは絶対にヒトのせいにしてはアカンよ」と叱られた。九十一歳の母に叱られ、なんだかしょんぼりとしてしまった。反省しつつ「母は強し」とは、よく言ったものだ。

☆「竜の青 深く 力強く 8年ぶり新ユニホーム」、「北の湖理事長 再登板 引責辞任から4年相撲協会で初」、「上司いじめもパワハラ 厚労省部会報告 部下以外 広く定義」、「<終末期を考える> 施設に戻れる? 対応は可能? 退院見極め病院と協議 特養の『入退院コーディネーター』 ケアの実情正しく伝える 『みとり』へ 家族の声代弁も(佐橋大)」、「<特報> ビキニ環礁 米の核実験 マーシャル諸島元上院議員 アンジャインさんに聞く 汚染に苦しみ半世紀 限られた除染戻っていいのか『汚染対策は住民が交渉を続けたから日本も一丸となって動いて』(出田阿生)」(31日付、中日朝刊)
 「輝く歴史『FINE』 ゴールド・シルバー劇場3日閉館最後の作品『ニュー・シネマ・パラダイス』 最後の支配人 人生重ね」(31日付、中日夕刊)

平成二十四年一月三十日
 何よりも、これからは「ことばの力」、その重みを大切にしていきたい。
 ことばの力こそが、文学であるー
 こんな観点から、きょうは丸一日、これまでに切り抜き済みである多くの記事の中から、もう一度「ことばの力」を感じさせる文面を洗い出し専用のファイルに収録保存する作業を延々と続けた。
 なかに、こんなことばがあった。
「友達三人で川で遊んでいたとき、大きな地しんがおこりました。すぐ高台の小学校へ避難し、窓から大きな津波を見ました。あっという間に町がめちゃくちゃになり、流されました。昔、鉄の町と言われた活気ある釜石にもどってほしいと心から思います。津波でなくなった人たちの分まで生きて、大好きな釜石の町を見続けたいと思います。(釜石小5年 佐藤友香)」=ジュニア中日1月1日付、手をつなごう特集より

 こうした、こどもたちの純粋なことばがある限り、被災地の将来は、心配ないと思う。

 【きょうの1番ニュース】Mがわが家の愛猫・シロちゃんに新しい首輪をつけた。首輪には銀と緑の鈴が一つずつ、シロちゃんはなんだか、とっても嬉しそうに見えた。

☆「戻るか残るか村民二分 福島・川内村あす『帰村宣言』 子ども210人 希望者は30人」、「マラソン重友 五輪最有力に 大阪国際女子、23分台」、「SL力走白銀彩る 滋賀の北陸線『北びわこ号』」、「豊田市長に太田市 初の無投票 4代続き職員出身」、「<ふくしま作業員日誌> 外せぬ手袋 肌荒らす 40歳の男性」、「<いつの日か> 原発1キロからの避難 友達と『合格だるま』」(30日付、中日朝刊)
 「生きた証し 慰霊碑に 震災1年を前に建立 宮城・閖上中 亡き生徒の名刻む」、「日本の人口 2060年8674万人 国立研推計 超高齢化65歳以上4割へ」(30日付、中日夕刊)
 「プロフェショナル 追悼・石岡瑛子さん アカデミー賞にも輝くデザイナー、NYでの妥協なき闘い密着」(30日付、NHKテレビ)=世界的なアートディレクターで数々の映画や舞台衣装などを手がけた石岡さんは21日、すい臓ガンのため東京都内で死去。73歳だった。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が26日に伝えた。

平成二十四年一月二十九日
 名古屋の名駅近く「つちやホテル」であった平成二十三年度の第4回中部ペンクラブの理事会に出た。文学セミナー開催の件をはじめ、文学賞、ANET20周年記念事業参加の件、さらには各委員会報告…と審議が行われたが、みなさん、なかなか熱心で中部ペンクラブメンバー一人ひとりの情熱と同時に、各理事の話を聞いていて中部ペン全体の層の厚さのようなものも感じたのである。

 席上、三田村博史中部ペンクラブ会長から、中絶状態になっている愛知文学館建設運動の、これまでの経緯につき詳しい説明があり、これまでに集まった寄付金の残金六十六万余円の有効活用については中部ペンクラブのコーナーも設けた“バーチャル文学館”を開設する方向で話が進んでいる、とのことだった。私個人の意見を言わせてもらえば「ある面では、時代のニーズに合ったアイデアでそうした選択肢も良い」ように思う。

 中部ペンクラブの理事会に出たあとは、笹島ガードと名古屋中村警察署近くのゴールド・シルバー劇場へ。Mがこのところ、同劇場がまもなく閉館するのを前に「どうしても観ておきたい映画があるの」と話していたためで護衛役を兼ねて同行することに。
 で、映画館で待ち合わせるも、彼女はなかなか姿を現さない。どこかで倒れているのではーと心配する一方で、いっそ帰ろうかと思っていたところへ、悠然と姿を現し、滑り込みセーフとなった次第だ。
 それこそ、映画が始まる、まさに直前のお出ましだっただけに、腹が立つやら呆れるやら、で劇場のスタッフにはトイレまで見に行ってもらったり、観客が入り切ったなかで「伊神舞子さんは居ませんか。舞子さんはどこですか」と問い合わせをしていただく、など返って大変な労力をつかわせることになってしまった。

 でも、映画「山の郵便」は、とてもよかった。観てよかった。ああした文学作品を書かなければ、とも思ったのである。山の郵便屋さんを長年続けた父親の後を息子が勤めることになり、母親が心配するなか、父親と一緒に愛犬の“次男坊”も伴い、初めての郵便配達に出向く姿が実にリアルに描かれていたのである。

 【きょうの1番ニュース】Mが久しぶりに私に意地悪とも思える外出をし、一時行方知れず? となった。
 これは今に始まったことではなく、昭和四十七年十一月に、三重県志摩半島で初めてふたりで駆け出し(当時、新聞社の志摩通信部に在籍)てまもないころ、知らない間に行方不明になり、たまたま通信部を訪れていた安乗小学校の安乗文楽伝承保存会の担当教諭、清崎博先生に生まれたばかりの長男を抱いてもらい、その間に私があわをくって、あちこち探し回ったことがある。
 あのときも、ご本人は平気の平左だったが、半日後に何食わぬ顔で戻ってきたときには、清崎先生に平謝りしたものである。

☆「わが子が犠牲 悲しみ隠さないで 痛みは同じ支え合おう 被災地に親の会 思い出語り 前へ」「復興、放射線 生徒の本音 教研集会 中学教諭が作文紹介 『頑張ろう福島 何を頑張るの』『地元野菜食べなきゃ でも…』」、「ニッポンの橋」(<サンデー版>)=29日付、中日朝刊=、「憲伸竜復帰決定」(29日付、中日スポーツ)

平成二十四年一月二十八日
 いやはや、いろんなことが起きる。
 朝、先日、歯科医でつくってもらったばかりの義歯を口の中に入れようとしたところ、義歯がポロリと折れてしまった。これは、ただごとではない。どうしてくれるのだ。それとも昨夜飲んだお酒がよくなかったのか、と歯医者まで走ったところ、医師が言うには「こうしたことは、よくあるんです」。よくある、なんて。そんなことがよくあるなんて、よくないじゃないか。
 内心、そうは思いつつ治してもらわなければーと思っていると「補強してみます」とのこと。しばらく時間こそかかったが、テキパキした処理で、そこはやはりプロ。午前中には治り、ことなきを得た。この世のなか、なんだか、思ってもいない、いろんなハプニングが突然起きてしまう。まったく油断もスキもあったものでない。

 わが妻Mの指示でスーパーに行き、買い出しを終え「やれやれ」と思ったところへ、玄関先でピンポーン、ピンポーン…の呼び出し音がした。
 ドアを開けると、「西濃運輸です」と男の人が立っていた。首をひねっていると「当社大垣支店で(十七年ほど)保管させていただいている伊神さまのお荷物の保管料の請求書をお持ちしました。奥さまは、ご承知です」と、いきなり請求書を手渡された。
 そういえば、昨年6月までは大垣に住む次男を通じて支払っていた。帰宅したMに事情を聞くと、これからはまとめてウチらで払うことにしたのよ、との返事。それまでは大垣に住む次男の手を煩わして払っていたが、いつまでも次男におんぶに抱っこはいけないので、そうしたのか。それにしても、このところはお金を取られるばかりで、侘しい限りだ。「この世は金しだい」か。

 ところで、この荷物は十七年前、大垣支局長から大津支局長に転勤する際に、多過ぎる荷物を一時的に預かってもらおう、と月九千円で保管してもらうことにし、それからずっと、そうしてきた。資料は確か、小部屋にいっぱいぐらいの量だったが、なかには私が若いころに書いた貴重な小説もあるだけに、引き取って資料の整理をと思っていた、そんな矢先の来訪者だった。
 いずれにせよ、お金を払ったあとは、どこに保管しておくか、を考えておく必要がある。

 【きょうの1番ニュース】朝日新聞1面のコラム「天声人語」に、詩人高良留美子さんの一作「その声はいまも」が紹介されていた。詩は次のような内容である。
<ひとり/わたしに立ち向かってきた/南三陸町役場の防災マイクから/その声はいまも響いている/わたしはあの女(ひと)を町ごと呑みこんでしまったが/その声を消すことは出来ない>。
 コラムでは、津波を「わたし」として擬人化。「あの女」とは最後まで避難を呼びかけた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さんのことだ。「▼その遠藤さんが、埼玉県の道徳の副読本に載るそうだ」という。

☆「復興ナイン石巻の星 バット流され、グラウンドにヘドロ… 21世紀枠(で第八十四回選抜高校野球大会である)『選抜』(への出場が)決定 『震災乗り越え精神力強く』」
 「(二十八日午前七時四十三分ごろ)山梨東部で震度5弱 気象庁 東海地震との関連否定」「(二十八日午前九時二十二分ごろ)青森、岩手震度4」(28日付、中日夕刊)

平成二十四年一月二十七日
 夜、名古屋市内で開かれた愛知県柔道整復師会役員とマスコミとの懇話会に出て、交流を交わした。とはいっても、私は昨年暮れで新聞社を退任した身である。本当を言えば、いまさら出る幕でない。
 ただマスコミと柔道整復師会が互いの理解と協力で青少年の健全育成や介護社会の一助になれば、それに超したことはない。今回は中日新聞編集局から生活部長も出てくれただけに懇話会はその分、中身の濃いものとなった。

 きょうは午前中、退任に伴う一時金の支給手続きで犬山公共職業安定所を訪れ、昼からは、懇話会出席のため名古屋に出た。始まるまで、少しの間、最近、名鉄名古屋駅前のジャンボナナちゃんの前で開業したヤマダ電気へ。ソニーの小型ビデオを手に品定めをした。「あらためて来ますから」とは言いつつも「ビデオの仕組みがどうなっているのか」については、まだまだ自信はない。

 【きょうの1番ニュース】犬山のハローワークに行った帰りに名鉄扶桑駅で降り、町の文化福祉会館や図書館が立つ文化ゾーンまで“文化の小径(こみち)”を真冬の日差しを浴びなが一歩一歩、あるいてみた。最初は、居酒屋以外には何もないじゃないか、と思いながら足を進めたが、そのうち車道を横切るトンネル部分にはいり私の考えは一変した。
 そこには、町の花であるヒマワリなどの絵や金子みすゞの詩3編(「こだまでしょうか」「私と小鳥と鈴と」「こころ」)が掲げられており、『詩を読みましょう』の呼びかけまでがなされていた。
 私は3編の詩をなんども読み上げながら「まさに、これぞ文化の道だな」と思ったのである。ひとたび、そう思うともはや私の頭は急展開。トンネルの中でボクを仰ぎ見ながら歩いて走り去った虎猫の野良ちゃんイッピキにまで、なんて幸せな猫なのだろう、と思った。
 トンネルを出てからは、何の変哲もない民家や畑、格子戸、墓地、竹林…の佇まいがまるで別世界に見えたのである。もしかしたら、ここは天国。この小道は、人間たちのユートピア(理想郷)に通じる、とさえ思ったのである。見事な町づくりだった。皆さん! ぜひ、扶桑の“文化の小径”をあるいてみてください。
 私はその道を歩きながら、この町が生んだ書家・高木桑風さん(故人で元中日書道会の会長)の、あの笑顔を思い出していた。高木さんには、随分とお世話になった。

☆「除染 「除染14年3月末に完了 環境賞工程表 年50ミリシーベルト以下地域」、「川上、中日復帰へ交渉 本人側から打診、条件提示」(27日付、中日朝刊)
 「竜3連覇へ 沖縄で始動 合同自主トレ」(27日付、中日夕刊)「結婚マー君 里田まい 3月下旬に婚姻届 北海道育ち 出会いから2年」(27日付、中日スポーツ)

平成二十四年一月二十六日
 五月八日からの世界一周ピースボート乗船(百二日間)に先だち、世界の子たちから被災地に発信する「言の葉流し平和メッセージ」実現のためのヒントを得るため大垣へ。

 心当たりの人々から大変参考になるご意見やアドバイス、提言を得た。私はこれら貴重な一言ひと言をもとに今後、自分なりの計画を綿密にたて乗船しようと思う。この話は現在進行中なので固まった段階で、この日記でも公表したい。
 私としては、ひとりの人間として東日本の被災者はむろん、出来たら全世界で災害や飢え、戦争に苦しむ人たちに元気はむろんのこと、今後への生きる希望とか勇気といったようものを与えられれば、と思っている。
 その点からも、きょうは本当にためになるいろいろな言葉を頂いた。これらをヒントに私なりの計画を大事に育て、未来に向かって人と人との“真のかけ橋”ともしたいのだ。きょうのところはここまでで、差し控えたい。

 【きょう1番のニュース】ピースボートの自主企画打ち合わせも兼ねて、墨俣の一夜城横の味彩「やちぐさ」へ。一夜城へは大垣支局在任中に二、三回訪れたことはあるが、当時「やちぐさ」はまだなかった、と記憶している。
 窓の向こうに一夜城を望み見ながらの食事でかつての友と久しぶりに話が弾んだ。雪深いなかを、わざわざ大垣駅まで出向いてくださったばかりか、ご自身の車であちらこちら案内してくださったその方には、心から感謝している。お礼のしようもない。ありがとう。

☆「短歌詠む気仙沼高校文芸部員 三十一文字 震災伝える 素直な言葉『気持の整理』 <見つからない 友を想って 泣いたのは やっと四月の 中頃だった>』「愛知県職員 給与抑制 4年連続 県、組合交渉打ち切る」、「氷の造形 青空に映え 御在所山頂」(26日付、中日朝刊)
 「南三陸の津波警告犠牲職員 『生きた証し』教材に 埼玉の公立校 貢献する心育む」、「<虹>日系企業が大洪水で浸水 日本へ タイ人奮闘 絆新たに 尾張旭の工場 慣れた仕事『心配ない』」(26日付、中日夕刊)

平成二十四年一月二十五日
 午前中、歯医者に出かけ抜歯の後の状況を診て頂き、昼からは名古屋へ。横笛の稽古をするためで、きのう歯を抜かれたばかりで少し不安ではあったが、師匠の勧めに従い、♪酒よ、と♪さくら、の2曲に挑んでみた。
 心配した割りには、まずまず音は出たので、なんだか目の前がパッ、と明るくなったような、そんな気がした。

 新聞によれば、東日本大震災後の四月下旬に福島県相馬市沖で発見された子どもの遺体が、宮城県警の調べで約九か月ぶりに福島県双葉郡の男児=当時五つ=と確認され、二十四日、遺骨が祖父母に引き渡されたという。
 男児は母親とともに津波の犠牲になったとみられ、母親は既に火葬されていた。東日本の被災地では、むごくて悲しく、辛い話が今もこうして起きているのだ。
 一方で生後五カ月の長女を床に投げ付け死亡させたとして、傷害致死罪に問われた名古屋市の二十二歳の母親に対する裁判員裁判が二十四日、名地裁であり、検察側が「母親として愛情不足で、動機は身勝手だ」として懲役八年を求刑したという。

 きょうの中日新聞夕刊「大波小波」で芥川賞の本来の目的について言及、筆者の“二匹目のドジョウ”氏は「独創のみが自己目的化した作品が文学の裾野を広げるとは思われない。」と正直な見解を述べている。その通りだと思う。文学たるもの、何はさておき、分かりやすく一般大衆の共感を得るものでなければならない。

 ところで、過去二十五年で五十回の選考に当たってこられた、あの黒井千次さんが芥川賞の選考委員を、今回をもって退任された、とのこと。黒井さんには十五年ほど前、大津支局長時代に、滋賀県読書連絡協議会主催の文学散歩の際、随分とお世話になった。
 小説の書き方には二通りある。最初から筋立てをして書く手法と、書いていく間に自然に動き出している登場人物に筆を任す方法のふたつで、黒井さんの場合、どちらかといえば後者の方が多いのだ、と。
 だから、物語の最後は結論づけないで、さあ~どうなるだろう、との余韻を残したまま終わらせる小説も結構、味がある、というものだった。私個人的には、黒井さんには、永遠に選考委員を務めてほしかったのだが…。

 【きょうの1番ニュース】NHKEテレで「100分de名著・徒然草」を、今夜の分も含めて四回のすべてをMと聴いた。はるか、かなたの昔、受験生のころに読んだ受験のための徒然草に比べ、充実感があった。とてもいい番組だった。

☆「職ないまま順次手当て切れ 被災失業者描けぬ復興 『雇用』重点も求人伸びず」、「潮の魔法 海に草原 志摩・養殖アオサ」、「<この人> 国府宮はだか祭の神男に決まった 上田隆人さん(三十四歳)」(25日付、中日朝刊)
 「31年ぶり貿易赤字 11年震災響く 発電燃料の輸入急増」、「日展東海展が開幕 愛知県美術館」(25日付、中日夕刊)

平成二十四年一月二十四日
 きょうは大切な歯を抜かれた。やはりからだの一部を切除されるだけに抵抗感でいたが、いざ受診台に横たわり麻酔をかけられてしまうと、俎板の鯉も同然。私は観念しあとは、医師を信じるしかない思いに立ち至った。

 私が「歯を抜かれるなんて。イヤだ」といったところで、ここまできたからには大人しく治療をしてもらうほかあるまい。そう思うと「ちょうど社も昨年末で辞めたところだから、生まれ変わったものと思えば」と自らに言い聞かせてみた。何も、命を取られるわけでもあるまい…。
 東日本の方々がある日突然、大震災発生に伴う巨大津波にさらわれ命を落としてしまったことを思えば、何を甘えたことを言っているのだ、と一喝されるかもしれない。東日本には全てを失った歯医者もいるに違いない。
 若いころ、白い歯が自慢だったのに。歯を抜き取られる間、私はそんなことをボンヤリと思っていた。このうえは、この若い医師を信じて身を任すしかない。治療に訪れたときから、既に身柄は彼の手中にあるのだ。と思うと、私は返って腹がすわり、この医師が何かしら、とても頼りがいのある若者に見えてきたのだ。「言葉数こそ少ないが、かなり患者のことを思ってやってくれているのだ」とも。

 川崎市に住む作家太田治子さんから最近、出版されたばかりの「夢さめみれば 日本近代洋画の父・浅井忠」(朝日新聞出版)が送られてきた。なかにクリスタルガラスも入っており、私はその場ではがきにお礼を書いて自宅近く郵便ポストに投函した。
 「洋画家たちが次々と絵を描くことをあきらめていくなかで若い浅井はふんばって西洋画を描き続けた。日本の農村・漁村で働く女性の姿をいきいきと描き、彼女たちの個性にまで立ち入っている。それは、西洋画排斥運動の嵐から遠く離れて、フランスで十年近く生活を続けていた薩摩藩士の子である黒田清輝には、決して描くことのできない絵だった。 ―太田治子」といった帯で「日本近代洋画の父。そう呼ばれる人物がいるとすれば、黒田清輝ではなく、浅井忠だー。」とも言い切っている。

 私は昨年四月から七月まで中日新聞と東京新聞夕刊で連載されていたころ、全てを読んではいたものの、あらためて読んでみなければ、と思った。太田さんは、やはり、いい面での“がんばりや”である。よくふんばって自らの信念を、ここまで通したと彼女の亡き父に代わってでも拍手を送りたい。このうえは一人でも多くの人々に最寄りの書店で買って読んでいただきたい。

 【きょうの1番ニュース】太田治子さんの著書「夢さめみれば」が、わが家に送られてきた。本の扉部分に書かれた「伊神孝信さま舞子さま 太田治子/新しいご出発のお幸せをお祈りいたします」の直筆に嬉しさがこみあげた。

☆「錦織(圭)8強入り 全豪テニス 四大大会 松岡以来」、「EU、イラン原油禁輸 制裁措置、資産も凍結」、「カーター氏、核拡散懸念 側近『同盟維持へ容認を』 東海再処理工場運転で応酬 米外交記録、資料で判明」
 「(野田佳彦首相が)施政方針演説 消費増税 国民に還元 通常国会開会『対症療法限界』 <解説> 『不退転』気合が空回り」、「愛知で花フェスタ開催へ 新年度から4年連続 花博構想を転換」、「イラン制裁『国際社会が団結』EU禁輸決定に米大統領」

平成二十四年一月二十三日
 大津市長選挙が昨日投開票され、無所属新人で弁護士の越直美さん(三十六歳)=民主、社民、対話の会推薦=が無所属現職の目方信さん(七十歳)=自民、公明推薦=と無所属新人で医師の東昌子さん(四十九歳)=共産推薦=を破って初当選した。越さんは史上最年少の女性市長になる。
 大津といえば、越さんは知らないが、私が大津主管支局長当時、県議会議員だった目方信さん、そして現在、知事として敏腕を奮っておいでの嘉田由紀子知事(六十一歳)には大変、お世話になった思い出がある。
 このうえは、嘉田、越コンビで日本一魅力ある滋賀県政と大津市を生み出してほしい。「琵琶湖」のある県であり、市であるだけに、今後、環境問題を中心に滋賀の都が日本のお手本になってほしく思う。

 【きょうの1番ニュース】いがみの権太「大震災笛猫野球日記」の第二稿をチェック、第三稿を業者に出す段階にまでなった。順調なら、ことしのシーズン開幕までには出版にこぎつけそうだ。

☆「カーター元米大統領本紙と会見 核燃料サイクルは困難 撤退決断正しかった 日本の原発 独立委が監視を(ニューヨーク=長田弘己)」、「大津市長に36歳・越氏 女性では史上最年少」、「大川小、人災認め謝罪 保護者説明会『津波危機意識低く』」、「災害時ペットも救え 『一院一匹』預かります 動物病院受け皿に 県獣医師会が方針 一緒避難対策徐々に」、「中津川市長選 風通し良い町に (新人の)青山(節児=六十歳)さん『融和』へ意欲」(23日付、中日朝刊)
 「陸前高田→←名古屋 丸ごと支援経済に息吹 被災地産 中部で販路 復興へ商機 雇用創出」、「オランダの16歳少女 最年少記録 世界一周 単独航海を達成 ヨットで生まれ 6歳から操船」(23日付、中日夕刊)

平成二十四年一月二十二日
 わが文士部屋の整理がなかなか、終わらない。やればやるほど頭が混乱してくる。気持ちのなかでは、すべての資料や雑多な本を捨てよ、捨てよ、捨てるのだと言い聞かせる半面、ジャンル別にまとめておこうとするのだが、思うようにはいかない。

 きょうも結果的には自室の整理整頓に追われ、まる一日を費やすこととなった。自分では少しは片付いた気がするが、他人が見たら元とあまり変わらない、と思う人が大半かと思う。
 昼間のいっときアン巻きを手にMと一緒に母を訪れたが、ズボンの後ろのお尻の部分が両方とも擦り切れていると指摘され、なんだか一本取られた気がする。母は本当によく見ている。感心するばかりで、いくつになっても母は母、子は子だ。
 気づいたところで「誰が言ってちょおす」とは母の弁、うーんと、反論のしようがなかったのである。

 【きょうの1番ニュース】Mが朝食中、いつもの調子でポツリと「きのうの毎日新聞の猫ちゃんの話読んだ?」と聴いてきたので、さっそく読んでみる。
 野坂昭如さんの「七転び八起き」で、昨年秋まで2匹の姉弟猫がいたが、姉のニコにガンが見つかり手術を受け、いったんは元気になったものの死んでしまった。
 残された弟アルとは、おしゃべりさんのニコに甘えん坊の弟と言いコンビだったが、猫なりに感じるところがあったようでアルは、しばらくションボリし食欲も失せ静かなところで丸まっていたが、ある日、野良とケンカをするほどに元気を回復したので野坂さんもホッとしたのだという。
 わが家にとっては、この話は他人事でない。長女こすも・ここは、阪神大震災の年に三男が生まれたばかりの猫を友だちの家からもらってきたもので、それこそ手のひらに入るほどのちいさな猫だった。
 あのころ私は初の単身赴任先である大津から大垣に帰るつど、小魚のつくだにを買ってきたものだが、これしか食べないので随分苦労した。それから一年後―今度はMが、ゴミ捨て場に捨てられていたところを「かわいそうだ」と拾ってきたのが妹のシロである。
 ふたりとも十六、七歳になるだけに「七転び八起き」は、他人事ではない話だった。大切にしてやらねば、と思ったのは僕たち家族ばかりでなく、猫との人生を過ごす万人に共通のことだ、といえよう。

☆「福原(愛) (卓球の全日本選手権女子シングルス決勝で)悲願の日本一」、「夢さらにジャンボ 7億5000万円宝くじ誕生も 上限アップ 法改正案」、「<虹 いま寄りそう> 太っ腹母さん“家族愛” 大槌の食料品店 食事、布団誰にでも提供」、「白の世界浮かぶ灯 白川合掌造り(21日夜)ライトアップ」(22日付、中日朝刊)

平成二十四年一月二十一日
 土曜日。大寒。
 その割には、ここ尾張名古屋に関しては、あまり寒くない一日だった。
 息子が外に出て夕食はいらない、とのことなので午後六時前、仕事帰りのMと自宅近くデニーズで待ち合わせて久しぶりに外で一緒に二人だけで食事をするつもりだった。が、たまたま店内でMがお世話になっている妙齢のお客さまと鉢合わせしたため、三人で食事をして楽しいひとときとなった。

 【きょうの1番ニュース】きょうは自室の、主に本の整理を始めたが、これが結構の時間を費やし、やっても、やっても終わらない。それでも私は整理を続け、私なりの「一文文士の部屋」に仕立て上げたい、と思っている。

☆「<編集局デスク> 女人しのぶ『いろは歌』(編集局次長・林寛子)」、「福招き ワーハッハッハッ 志摩(浜島町の恵比寿神社・鼻かけ恵比寿で)・初笑い神事」、「把瑠都(エストニア出身)が初優勝 大相撲初場所欧州勢2人目」、「<この人> 『一万通の心のラブレター』を被災地に届ける中川国弘さん」、「社民党首選 福島(瑞穂)氏無投票5選」(21日付、中日朝刊)
 「不安なし、ベスト尽くす (米大リーグのレンジャーズ入りが決まった)ダルビッシュ入団会見 本拠地テキサスで」、「デビュー後50年 永遠の青春スター 舟木一夫で街おこし 出身の一宮市が熱視戦 制服ボタン型ストラップ お宝グッズ展示会 ゆかりの地にファン」(21日付、中日夕刊)

平成二十四年一月二十日
 「大震災野球日記」(仮題)の本出版に当たって大切な個所(人名も含めて)の漏れはないか、あらためて洗い出してみる。
 今年に入り私あてに届いたメールをチェックするうち、大学時代の友、川口譲氏の「新米先生の泣き笑い奮闘記」を読み、彼が中国に渡り、吉林師範大学博達学院の日本語会話の教師としていかに生き生きと奮闘努力しているか、がよく分かった。
 何よりも彼が学生一人ひとりに向き合う姿勢に感心した。そこには、まさに人間同士の国際交流のあるべき姿が見られたのである。この調子で、と友の一人としてエールを送りたい。

 東京都心と横浜で初雪が舞ったという。
 都心で十七日、横浜では十三日遅い雪だという。このところ、ずっと雨が降らなかっただけに、東京の人たちはホッとしているに違いない。名古屋もきのうからの雨が、けさも少しばかり降ったりやんだりといった寒い日になった。いっそ、雪が降ればよいのに。ここ名古屋では、ことしは、まだ雪らしい雪は見ていない。
 それはそうと、このところは、身にしみる寒さが続いている。デ、近くのコンビニに寄り、ほかほかのアンマンと温かいお茶を買って実家へ。母にそれだけを渡して帰った。

 自然は放っておいても、ちゃんと寒くなったり暑くなったりする。いつも思うのだが、ニンゲンどもが叫んでいる温暖化など、悠久な自然界にとっては、取るに足りないことではないのか。
 それよりも、制御の仕方ひとつ分からないまま、人間の勝手で快楽だけを追い求めてつくった原子力なぞ、こちらの方がずっと罪つくりで人間社会を破壊しかねないのだ。でも、悠久な宇宙の輪廻はそれだって問題にはしてないだろう。

 【きょう1番のニュース】ことし初めて高齢夫婦が営む近くの居酒屋「いっぷく」さんに顔を出した。このところ、夜、足を運んでもやっていないので昼食がてら訪れてみた。
 店内には、いつものとおり、ジュンちゃんとカヨちゃんがいて黙々とお酒をのんでいた。ほんとにお酒が好きな人の飲み方だ。「夜、何度も来たのだけれど、明かりが消えていたので」と話すと「うちは午後七時には閉店しちゃうので」とご主人のオカモトさん。
 この日、奥さまは風邪で休んでいる、とのことで少しばかり寂しく思った。

☆「政府ブレブレ 原発寿命40年?60年? 地元あきれた 福井『科学的根拠を』」(20日付、中日朝刊)
 「明治の七宝里帰り あま市であすから展示会 欧米輸出 名品40点国内コレクターが協力」「<紙つぶて> 人材育成 志太勤=野村流ぼやきには、人材育成の要諦が隠されている。」(20日付、中日夕刊)