【一匹文士伊神権太がゆく 人生そぞろ歩き(2018年10月)】

平成30年10月21日
 学徒動員ありしとう後の月
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 昭和18年の10月21日。この日、国は兵力不足を補うため高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系学生を在学途中で徴兵し出征させた。世にいう〝学徒出陣〟である。こんなことは二度とあってはならない。恒久平和を願っての相棒の魂から出た叫びとみたので、あえて紹介させて頂いた。
※「ありしとう」は「ありしという」の意。

 地球に浮かんだ十三夜
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 十三夜。陰暦の9月13日。わが家ベランダの空高く陰暦8月15日の十五夜に次ぐ名月がポッカリ浮かんだ。秋風とともに微笑みかけてくるやうな、そんなまんまる月夜である。「何もベランダまで行かなくっても。わたしの部屋から天井を見るだけでガラス越しに見えるんだから」と舞。

 名古屋の中心部では第64回名古屋まつりが20、21の両日開かれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑と濃姫、ねね、千姫の三姫はじめ、武将や腰元にふんした600人が名駅東口から矢場町まで、広小路通などを練り歩き、沿道で見守る尾張名古屋の大勢の市民を喜ばせた。
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 きょうも右腕の痛さをこらえての1日に。
「本当にお痛わしい。でも人間万事塞翁が馬! 不運のあとには幸運が巡ってきますことを信じて、一日も早い肘の全快をお祈り致します。」「もし可能でしたら、是非(来月)3日の会にお目にかかりたく思います。」とは、東京在住歌人で〈脱原発社会をめざす文学者の会〉の会員仲間で世界各国をステージに朗読や著作で活躍する北久保まりこさん(短歌結社 心の花同人)から私に届いたメール。
 というのは、国際派歌人でもある北久保さんご本人が11月3日に名古屋市短歌会館(地下鉄伏見駅東出口すぐ)3階集会室で〈短歌フェスティバル~古典の日 短歌朗読コンサート~〉を開演されるというので「名古屋でのコンサートなのでゴンタさんにはぜひ、来て見てほしい」とのお誘いで、私は「腕の回復次第ですが、出来るだけ参加させて頂きます」と返事をさせて頂いた。

 北久保まりこさんから届いた短歌朗読コンサートの案内ちらし
 

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 午後。NHK総合で【金とく 能登の離島・へぐら島】の再放送。舳倉といえば、七尾支局長として能登半島在任時代に島に渡り海女さんを取材したことがあるだけに、懐かしい思いを胸に見たが素朴な佇まいは30年前のあの日あの頃と何ら変わりはなかった。
 私は2階自室書庫に行き、かつて出版した〈能登人間ものがたり(中日新聞七尾支局編)〉を引きづりだし、私自らが書いた【舳倉の海女】を読み直してみた。ここにそのごく1部を再録しておかふ。
――島の海女さんは、七月から九月までのアワビ、サザエ漁が終わると、大半が輪島に引き揚げる。が、米子のように釣り魚のえさを潜ってとるイワムシ掘りのため、島に残る女たちも結構多い。
 幼き日々から少女のころ。そして今へ、と。米子の人生は海なくしては語れない。海と、海女の大先輩である母・とらを見ながら育った少女時代。気がついたら、なぎさで水とたわむれるケイコ海女の世界は一変。男衆の手にする息綱(いきづな)=命綱=に守られながら、いっぱしの舟人(ふなど)海女になっていた。
「そうやね。舟に乗せられ沖までい(行)ったんは、十七、八のころ。最初は、弟が息綱を取ってくれて。今じゃあ、忘れられん思い出やわいネ」と懐かしむ。
………

 テレビでへぐら島を見終えてしばらくすると玄関先で呼び鈴がするので舞が出ると、妹だった。「たかちゃん、どお~お。ちょっとは、腕よくなった。莢豌豆持ってきたよ」と和代。「ならっ。さやえんどうでビール飲まんと、な」の独り言に「たかちゃん、いかんったらぁ。ビールはまだ飲んでアカン。たらあ。アカンよ。わたしもシゲルさんも食べるだけなんだから」と釘をさして帰っていった。
 妹はかつて手首の骨を折った先輩格でもある。それだけに「おまえがおるで。いろいろ聞きゃいいで安心しとるわ」と私。舞は傍らで笑顔をたたえていた。
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 秋空の下、400年の歴史と伝統を誇り国の指定重要無形民俗文化財でも知られる三重県伊賀上野の秋を彩る上野天神祭まつり=平成28年11月にユネスコ無形文化遺産登録=が19、20、21日と名物である神興だんじり・鬼行列で華やかに繰り広げられたのをはじめ、山車(やま)4両の海中渡御で知られる21日の愛知県蒲郡市の山谷祭など各地で秋祭りがピークに。ここ江南市でも市民花火大会が20日夜、木曽川河川敷で。音楽が鳴り響くなか、2000発が夜空を彩った。
        
 任期満了に伴う那覇市長選挙が21日投開票され、無所属現職の城間幹子さん(67)が再選を果たした。卓球の愛ちゃん、福原愛選手(29)が引退を表明。緑色蛍光タンパク質をクラゲから見つけ2008年のノーベル化学賞を受賞した名古屋大特別教授で長崎大名誉博士の下村脩さんが19日老衰のため長崎市内で死去。90歳だった。
 21日午後4時50分(日本時間5時50分)ごろ、台湾北東部・宜蘭県を走行中の特急列車が脱線し18人が死亡、死傷者は200人超にという。
 この世は地獄か。それとも天国か。わからない。

10月20日
 皇后さまが84歳の誕生日を迎えられた。天皇陛下の退位を来年4月30日に控え、宮内記者会の質問には「新憲法で定められた『象徴』のお立場をいかに生きるかを模索し続けるお姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感謝とともに思い起こしています」と述べられた。
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 骨折したわが伊神権太の利き腕、ゴンタの右手肘は少しずつ良くなりつつある。とは言っても、まだまだ痛くて、痛くて。本欄の、この〝そぞろ歩き〟も久しぶりに恐る恐る書き進めている。全くもって手が不自由になると何も出来なくなってしまう。
 それでも右手肘の方は17日の診療でギブスは外れて(とはいえ、夜の就寝時などは安全を期して妻にギブスで固定してもらっている)、三角巾に変わり昨日の19日からは江南厚生病院でのリハビリ治療も始まった(次回は22日)。

 と、こんなわけでこのところは痛い右腕をひきづって江南市内の臨済宗妙心寺派高野山永正寺(水谷大定住職)で12月22日に開演する中村敦夫さん(78歳)脚本・出演による朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技術者のモノローグ」(主催・尾張芸術文化懇話会)の事前打ち合わせはじめ、来月7日に迫った中部ペンクラブの秋の文学座談会「中部ペン同人 文芸記者と大いに語る」(場所は三河湾リゾートリンクス)への参加者の最終確認、さらには江南文芸村の今後の進めについての話し合いに漫画家くらはしかん(倉橋寛)さんらと出向くなどしている。
 なにしろ、手がこんな按配なのでマイカーが運転できず、不自由極まりない。デ、タクシーを中心に時にはバスはおろか、歩いての難行苦行である(永正寺住職さんや宮澤尚里さんにはお忙しいところを車で自宅まで送って頂き感謝のしようもない)。

 尾張芸術文化懇話会旗揚げ公演となる「木枯し紋次郎」こと中村敦夫さんの朗読劇のチラシ。ひとりでも多くの鑑賞が望まれる
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 それはそうと、きょうからは、折りにふれ実際に出会った【真のやさしさ】とは、について書き記していかふ、かと思う。♪能登はやさしや土までも…。この言葉を思い出させるふとした出来事が日常社会にも転がっているはずだ、と。
 そう信じてである。
 以下は、その第1話である。題は、とりあえず〈人はやさしや〉とでもしておかふか。
【人はやさしや・花霞のバス停にて】
 19日。強い日差しを浴び、江南厚生病院行乗り合いバスを待つ私。たまたまバス停を訪れた女性(どうやら1本あとの江南団地行に乗るらしい)が私を見届けるや「どうぞ、日陰に居てくださいよ。わたくし見ていますから。バスが見えてきたら、お知らせします」の弁。
 私はおことばに甘えることとし「ありがとうございます」とだけ言い、バス停横の料理屋さんの日陰でバスが来るのを待った。ほどなくして女性の「あゝ、きました。きましたよ」の声に私はバス停へ。零時17分発の江南厚生病院行バスに乗り込んだ。私の痛々しいギブス姿を見たせいか。その女性は「お大事に」と会釈までしてくださり、私は「ありがとう」と礼を述べた。
 この女性とは、この世で初めて出会った。この間、わずか10分そこそこ。奇跡と言っていい〈やさしさ〉に私は出会い、そして恵まれたのである。
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 東京の小中陽太郎さんから文藝同人誌「川」の創刊1、2、3号が、相前後して同じく東京の木下径子さんからも文芸同人誌「街道」第三十二号が届いた。いずれの同人誌にも同人のみなさんが歩んだ、それぞれの波乱に満ちた人生ドラマが作品世界に凝縮され、掲載されている。時間が許す限り、目を通し読ませて頂きたく思う。 
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 サウジアラビア政府がサウジ人著名記者ジャマル・カショギ氏(59歳)の殺害疑惑を巡り、20日、カショギ氏がトルコ・イスタンブールの総領事館内で死亡した、と認めた。米国に在住していたカショギ氏はワシントン・ポストなどでムハンマド皇太子の言論弾圧やイエメン内戦の軍事介入などを批判、サウジ政府から帰国を促されていたが、身の危険を感じて断っていたという。

10月14日
 昨秋は連夜に及ぶハードな執筆生活で心身ともにすり減らしたあげくに血を吐き、ことし早々に右肺を3分の1切除、なんとか回復したと思ったら今度は自宅前でタクシーから下車したところで見えない魔手にからだに絡まれ、酒に酔ったまま何かに躓いて転倒、右半身を強打した際、右腕の肘をものの見事に骨折してしまった私。
 このところは傷だらけの青春である。

 でも何のこれしき。あの能登が生んだ私小説作家藤沢清造(故人)が歩き通した苦しみと比較すれば、私、伊神権太なぞはヒヨッコもひよっこだ。かとはいえ、たとえいっときとは言え彼(か)の作家の痛む脚を右腕に変えた、と思うだけでも塗炭の苦しみのホンの僅かは分かち合えることが出来たのだ、と。権太はそう自らに言い聞かせて今を生きている。
 私は先日、突如として襲い来たわが右腕骨折による烈火でも出そうな痛さに耐えつつ、記者として7年を過ごした、それこそふるさとにも似た能登半島の七尾市、その七尾出身の孤高の作家が生前、尋常ではない脚の痛みと病んだ心に耐えながら針のむしろのなかにて死と隣り合わせで書き上げ後世に残した代表作「根津権現裏(抄)」=能登印刷・出版部発売の石川近代文学全集5「加能作次郎・藤沢清造・戸部新十郎」所収=を、きょうの夕方までにとうとう読み終えた。

 痛さに耐え、歯頭をきしませながら1枚また1枚と頁を剥ぐように、くくっていったが「清造の生前の苦しさに比べたら何のこれしき」と私自身自らに言い聞かせて一歩一歩険しい山を登るかの如く、痛さをこらえて読み通したのである。
 今にして思えば。右腕肘の骨を思わぬ不覚で骨折してしまったのも天啓と言おうか。何かの因縁のような気がしてならない。清造の苦しみに比べれば、私の場合、比較のしようもないが、少なくとも彼が貧しさのなか、大正時代に彼なりのロマンを求めて能登から上京。根津権現の辺りを骨髄炎の脚を引きづりながら創作し続けた、その苦悩の日々が少しは分かる気がしたのも事実である。

 ごくごく一部分ではあるが、ここに、その抜粋を記しておかふ(あくまで本文に忠実に。一部漢字がだふしても見つからないものは他字で)。
 私が曾て読んだことのある聖書の中には、処々に私達貧しい者の幸福さを説いてある。――聖書では、神の国は即ち汝等のものだ。だから貧しい者はさいはひだと言ふのだ。私は今の今まで、はつきり其の意味が分らないながらも、それを事実だと思つてゐた。貧しい自分に価値づけ力づける点から、私は能くは分らないながら、無理からでもさう思ひしんじてゐた。だが現在、其の幸福の為に、ずんずんと逆落しに、不幸に陥つていくのを目にしては、期せずして其処に、幾多の疑ひが生じてくる。殊に、終りまで忍ぶなどと言ふことの出来ない気の弱い私には、一段とそれが烈しいのだ。
(中略)
 現在の私は、幾くらそれが恐ろしいことでも好い。駱駝の針の穴を通るのよりは、もつともつと天国へ入ることがむづかしくとも好い。私は富める者になりたい。そして、差当たっては、苦痛の根になつてゐる宿疾を癒して、其の上で私は此の土における歓楽と言ふ歓楽をつくしてみたい。それからなら、八大地獄へ堕ちていくことも厭きない。私には、目にすることの出来ない未来よりは、朝夕只尽しつくしてゐる現在のことの方が重いのだ。此の意味からしても私は、現在だけは幸福でありたい。其の代償として、未来はどんな恐ろしい苦痛の谷へ投ぜられるとも、それは辞するところではない。
 今私が泣かされてゐる脚のことを思つてみても、畢竟するところはこれも、皆貧しさから始まってゐるのだ。
 私が初めて此の疾患を得たのは数へ年十三の春だつた。其の時は、僅かの伝手を求めて、私は私の町の病院へ入って手術を受けたのだ。ところで、もう其の頃は父は亡くなつてゐて、ただ一人の貧しい母が看護してくれたのだが、毎週支払はなければならない入院料も、つい滞りがちになつたところから、ものの一箇月もすると、病院の方から体の好い口実のもとに追ひたてられて出てきたのだが、それが因を成して、其の後十余年を経た今日までも、其の苦痛、其の不自由さは、私の体から、また私の心から、牢として抜けなくなつたのだ。それを思ふと私は、今更に疾患そのものよりも、貧しいことの方が余計と疎まれてくる。
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 先日、「信長と吉乃(江南市と織田信長の関わり)」の講演でお世話になった一宮友歩会の会長寺沢英和さんから「先日はお世話になりました。 あの例会=一宮友歩会・第76回例会=をホームページ(http://terasan.dousetsu.com/wa205.html)で紹介しました。貴殿の益々の活躍を祈念すると共に、またのご支援をお願い致します。」とのメールをいただいた。
 例会の表題は「河川探訪シリーズ・二之枝川編 扶桑町から江南市まで」とあったが、いやはや【すばらしき仲間たち】とは、このことか。写真や地域社会の名所紹介も含め、それはお見事で充実した内容である。本欄〈そぞろ歩き〉の読者のみなさまにもぜひ、見て読んで頂けたら、と思った次第。

10月12日
 政府が閣議で皇位継承に伴う一連の詳しい儀式を検討する「式典委員会」の設置を決めた。
 安倍晋三首相は官邸で開いた初会合で皇太子さまが新天皇に即位される2019年5月1日と、「即位礼正殿の儀」が行われる10月22日をその年1度限りの祝日とする方向で検討を進める意向を示した。これにより来年は4月27日から10連休となる。

 愛知県常滑市にある中部国際空港の複合商業施設「フライト・オブ・ドリームズ」がこの日オープン。大勢の客が米ボーイング社の最新鋭旅客機「787」の初号機を撮影したり、米シアトルの街を再現した店で買い物を楽しんだりした。
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 突然の右腕負傷(肘の骨折)で手が不自由ななか、舞は連日私の昼食を栄養バランスも考え食べやすいように用意しテーブルに置き、ほかに洗濯などの家事をこなし、朝晩の着替えとからだふきまでしてくれ、俳句と短歌の創作にも励んだうえで文句ひとつ言わないで、きょうも自ら営むリサイクルショップ「ミヌエット」へと出かけていく。
 悪いな、と思う。私は私で新聞テレビのチェックや読書は普段と変わりなく、骨折した右腕を左手で支えながら、超スローペースでおそるおそるの執筆に余念がない。あすは日本ペンクラブの京都例会の日ではあるが、欠席せざるを得ない。

 毎日テーブルに置かれている舞手づくりの心のこもった昼食
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 夜。私はリビングルームでNHK総合の「昭和元禄落語心中」を。舞は自分の部屋でEテレの「フランケンシュタインの誘惑E+ 人体蘇生死刑囚がよみがえる!? 天才科学者の闇! 科学未来」を見る。科学博士の母でもある彼女といったら、俳句も、短歌も、フォークダンスも好きだが科学や絵画鑑賞となると、まるで目がない。

10月11日
 木曜日。「台風耐え抜き コキア燃ゆ ひるがの高原」とは、本日付中日新聞1面見出し。高原一帯が赤く染まった姿が、深まりゆく秋を感じさせる。
 先週に続いて今週も社交ダンスのレッスンはやめた。先日の右手肘部分の骨折で、ここ当分は車を運転できないからだ。

 かわって。きのう10日付中日スポーツ1面では、【トイレを「MC」…ヘアトニックを顔に…愛すべき男】の見出し付きでこんなにも悲しい記事が掲載されていた。
――まだ70歳か。みんな死ぬのが早すぎる。私みたいな者が生き残って。だんだんと寂しくなっていくなあ…。(はやわざ御免 北の富士勝昭〈特別編 輪島さんを悼む〉)

 悲喜こもごもとでも言えようか。
 ここ数日の間にもいろいろあった。なかでも大きなニュースは〈黄金の左腕〉で左差し半身からの下手投げを得意とし、故横綱北の湖とともに輪湖時代を築き相撲界に君臨した石川県七尾市石崎出身の元横綱輪島大士さん=本名輪島博=が8日午後8時に東京都世田谷区の自宅でとうとう亡くなった、という訃報である。下咽頭がんと肺がんによる衰弱死で、70歳だった。
 横綱輪島といえば引退後、花籠親方となって部屋を継いだものの年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚して廃業。相撲界から追放同然にしめだされ、その後のプロレス興行も思うに任せず、挫折の中でクラスメートたちと石崎の奉燈を、涙を流しながら担いでいた、あの夜の輪島さんの姿を私は今も忘れはしない。
 あのころは苦渋をのんで時には売れない女優らとともに、七尾市和倉温泉の老舗旅館「加賀屋」の客案内に立つ日々も。ほかに学生援護会の乗船に関する案内など地道な仕事にも一役買い、こうした身を賭してのふるさとへの貢献姿勢は地元の多くが知っている。

 苦しい時も。かなしい時だって。終始にこやかな表情は私の七尾在任時によく訪ねた当時90歳を超えていたおじいちゃん譲りでもあった。
 輪島さんは、幼い頃そのおじいちゃんから何度も何度も海に通じる自宅近くの坂道でリアカーを引っ張らせられ、のちにその腕が〈黄金の左腕〉として花開いたのである。

 いろいろありはしたが彼は北の湖と並ぶ天下の大横綱としての生涯を「人間・輪島」としても全うした。片や最年少で綱を張った北の湖さん。こちらは志摩通信部在任当時、横綱に昇進した直後に地元婦人会のバーベキューパーティーに招かれたところを取材したことがある。
 言葉少なで質問にやっと答えてくれたものだが、こちらもおばちゃんたちにはとても可愛がられており、ふたりとも一見違っているようでも地元というか。ファンを大切にする点では人後に落ちなかった。

 こんな中、本日付中日新聞と中日スポーツがドラゴンズの新監督に球団OBの与田剛さん(52)が就任する、と報じた。彼なら白井文吾オーナーがおっしゃる通り、人格識見、経験とも抱負で、何よりも「どん底を経験し、そこから努力ではい上がってきた人物」だけに、来シーズンが今からとても楽しみである。
 選手はむろんのこと、何よりもファンを大切にプロ球界の織田信長、怒涛となって【桶狭間】に進軍するつもりで采配を奮ってほしく思う。
 時あたかも原辰徳前監督の巨人への復帰が確実視されてきた。来シーズンのプロ野球界は風雲急を告げそうなだけに、与田新監督と全選手の頑張り、そしてファン一丸となっての応援にも期待したい。

10月8日
 秋空や宇宙エレベーターあるらしき
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
 きょう8日は二十四節気に言う【寒露】。ちいさな露が実をむすび、秋が深まり、そろそろ紅葉が始まるころだ。そして体育の日でもある。

 きのうの日曜日。7日。右手は相変わらず、ギプスで動かない。痛い。
 朝。目覚めて。これからは〈アダージョ〉で。ゆっくりいこう、と思った。
 おそらく。信長のころの戦国武将たちに比べたら、私なぞは、甘くて甘過ぎて。甘いったら、ありゃしない。それこそ天下に名を馳せた、あの信長さんだって「権太さん、あんたを吉乃の次に好きだけれど。まだまだ甘いよ」と苦笑しているに違いない。
 先日(さる2日)、ちとした油断から深夜に帰宅し自宅玄関先でタクシーから下車した際にもんどり打って転倒、右半身を強打すると同時に右腕の肘を骨折してしまった私、哀れこの上なき、美濃権太(NHKの先日終わった朝ドラ【半分青い】の登場人物、秋風羽折の本名)ならぬ、本物作家・伊神権太の痛切なる反省を込めての悔恨の言が〈アダージョ〉なのである。
 その〈アダージョ〉は、私と相棒の俳人、舞がいつも一緒に黙って聴くのを欠かさない朝の一等に大好きな番組、NHKラジオの「音楽の泉」を聞いていた時、司会者の口からたまたま何かの曲の紹介のさわり部分で出たので気に入り「ヨシッ、俺もこれからはアダージョの気持ちで」と思ったから、あらためてこんごの人生指針とすることにしたのだ。
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 さる6日。私は全身傷だらけのからだを叱咤激励して、以前から一宮友歩会の皆さまから頼まれていた【信長と吉乃】の話をしに、恐怖のタクシーに乗って会場の江南短大へと出向いた。そして無事務めを終え、引き続きタクシーで江南市民まつりのブースが並ぶ木曽川河畔のスイトピアセンターへ。
 今回初登場し、縁の下の力持ち的大役でもある文芸・広報部長の後藤正敏さんはじめ、美術・表現部長の尾崎一利さんらの努力で誕生した江南文芸村のブースにも顔を出させて頂いた。

 話を終えたあとは全員そろっての記念写真撮影にも。中央、傷だらけの男、サングラスに黒づくめの男が私・伊神権太(この日は右腕が痛くて1歩あるくにも大変だった)
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 木曽川河畔の江南市に初お目見えした江南文芸村ブースと組織図、合間にオカリナの音色を披露する女性、会場はなごやかな空気に包まれた
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 帰りは冷たい無情な雨が降るなか、ずぶ濡れとなってタクシーを待ったがなかなか来ず、少しだけ惨めで、哀れで、はかなく、悲しい気持ちにもなったが全ては自業自得のなせるわざだ。「皆さん、それぞれの大役で雨の中を頑張ってくださっているのだから」と自らに言い聞かせてやっとのことで帰宅した。

 人生いろいろ、厳しいことも多いが、どの人とて皆、懸命に生きているのだから。やがて花咲く日だってあろう、と自身に言い聞かせ、この日は終わった。
※相棒の舞が傍に居てくれたのなら良かったのだが。彼女は、午前中の俳句仲間たちとの句会に続いて昼からは「名古屋のボストン美術館にだけはどうしても行っておきたい」ということで、私たちは互いに厳しい1日になるとは覚悟しつつ、この日の行動を朝から別々にしたのである。

 明けて、きのう7日。
 私はひる過ぎ。それでも、かわいい舞に伴われて半ば無理むり、強引に市内のある理容店に歩いて連れていかれたが、なんだか過去に二度読みしたことがある織田作之助の「夫婦善哉」のワンシーンを思い出したのである。
 その床屋さんは創業百年近くになる市内屈指の歴史を刻む老舗だった。夫妻で営まれていたが、おふたりさんの仲の良いことといったら、ありゃしない。おかげで、それまで乞食も同然に伸び放題になっていた顔の髭面を楽しく、かつ、きれいに剃って頂けたばかりか、頭髪も洗って整髪してもらい、これまでのみすぼらしい風采も少しはましに。あの美濃権太さんになったような、そんな気がした。
 そればかりか、どこで知ったのか。店主さんの天真爛漫な人の良さと博識ぶりにはビックリ仰天。恐れ入った。
「ここは古知野といいますが、元はと言えば〝乞食野〟とも言われ、窪地がやたらと多い、いわば水郷地帯にも似た土地柄だったそうなのですよ。昔は木曽川河畔に大小の川が張り巡らされており、本当に乞食同然の人たちが多かったと言います」「それが、福寿とか桃源とか、花霞…などかっこいい名前が圧倒的に目立ちますが、なんのことはない。後の世に才のあるお役人たちが土地の名を、美しく変えたのだってさ」と。
 私は、右手の痛さも忘れ、聞き入った。
 そして。へえぇ~と感心してしまい「こんな思ってもいない良い話を聞けた、だなんて。右手肘を折ればこそ、だ。怪我の功名とはこのことなのだ」と痩せ我慢し、自身に言い聞かせるなどしたのである。帰宅して鏡を見ると、見違えるほどさっぱりと風貌が良くなっており、権太らしくはない。私は、もっと見すぼらしいはずだが。
 でも、これで良いっか、っと。どこかホッとした。ただ、右の眉間から鼻頭が黒く深く、滲んでいることに初めて気付き、舞に言うと「わたし知っていたわよ。でも言えば、あなた凄く気にしてしまうのだから。黙っていた」とのことだった。
 結果的には、右半身ばかりではなく、顔面もかなり強く打ち付けていたらしい。もちろん、両の足もである。【人間万事塞翁が馬】とは言え、自分で自分自身が少し可哀想になってきた。これまでがホイホイと浮かれ過ぎの「人生街道」を歩んできたためか。いやいや、そんなことはないはずだが。あぁ~。これからは自らに、より強く手綱を引いた人生を歩まなければ、と思った次第である。
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 私も大好きだったフランスの国民的シャンソン歌手シャルル・アズナブールさん(1日に94歳で死去)の国家追悼式が5日、パリ市内で開かれた。
 日本の台所と呼ばれた築地市場(東京都中央区)が6日正午で全ての取引を終え、83年の歴史に幕を下ろした。11日に豊洲市場(江東区)が開場する。
 7日開かれた米シカゴ・マラソン男子で日本の大迫傑(27)=ナイキ=が、2時間5分50秒の日本新記録をマークして3位になった。

 紛争下の性暴力根絶に長年貢献したコンゴ(旧ザイール)のデニ・ムクウェゲ医師(63)と自らも過激派組織「イスラム国(IS)」に性奴隷として拘束され生還したクルド民族少数派ヤジド教徒のイラク人女性ナディア・ムラドさん(25)へのノーベル平和賞決定など世界は平和に向かって確実に歩き始めている。
 そんな中、米国のポンペオ国務長官が7日、北朝鮮の平壌を訪問し金正恩朝鮮労働党委員長と会談。その後、空路韓国入りしソウルの大統領府で文在寅大統領に会談結果を説明する―など非核化をめぐり膠着している米朝交渉の前進に向け、二回目の米朝首脳会談を早期に開くことで意見が一致した、という。
 日本人の拉致問題解決は当然ながら、米中間の貿易戦争など微妙な国際情勢も視野に、こんご対米、対ロ、対中関係など欧州、中東、アジア、アフリカも含めた国際社会全体の流れ、成り行きも含め世界が真の平和社会構築に向け、どう落ち着くのか。目が離せなくなってきた。
        ☆        ☆

 そんな折も折、私は昨夜(7日夜)から今朝(8日朝)にかけ、或るとっても不思議な夢を見た。男が枕辺に座り
「ごんたさん。大丈夫。ダイジョウブですか。怪我はどうですか。イタイですか。痛みますか。早く良くなってくださいよ。わたしは正直、核なんて。大、っ嫌いです。でも、核世界にあって、私はこうせざるを得なかった。拉致問題も含めて日本のみなさまには嫌われているでしょうね」
「でも、ごんたさん。私は誰よりも先に、わたしのことをずっと温かく見守り続けてきてくださった、あなた。ニッポンの〈いがみの権太〉さんにこそ、お会いしたいのです。トランプ米大統領、アベシンゾウくんに会う前に、誰よりも真の平和を希求するあなた、伊神権太さんとニッポンのおかあさん、母親たちにお会いしたいのです。そして話を聴いていただきたいし、聴きたいのです」
 私は「かわいいヤツやなっ。でも、こやつには純粋培養された、捨て難きいいものが残っている。やさしさも、それに国民と平和を守る気概もある。努力家。何事につけて研究熱心でもある。この先、もしかしたら世界平和の若きリーダーになるやもしれない。そのためにもトランプ米大統領ら世界の首脳とともにニッポンの広島、長崎にも来るといい」。
 そう思い、桶狭間の戦いに出立した時の織田信長のように、目をカッと見開いたのである。男は何言おう。金正恩北朝鮮労働党委員長だった。
        ☆        ☆

 「熱砂」同人で、このところ病身を押して家族の応援に支えられ俳句の世界にも情熱を注ぐ俳号・風狂子氏(平子純さん)の作品世界をこれまでの3句から8句に増句しました。みなさま、ぜひ平子さんのウエブ作品集欄を読んでほしく思います(「熱砂」主宰・伊神権太より)。

10月3、4日
 きょう4日朝、息子が「お父さん。やっぱり病院へは行ってこなアカンよ」というので舞に伴われて名鉄タクシーで江南厚生病院へ。レントゲン撮影の結果、右肘の骨がまっぷたつに見事に割れ、折れていた(当初は、少しひどい打ち身だけだ、と思い込んでいたのだが。いやはや不覚だった)。
 痛いはずだ。
 というわけで、今はやっとこせ、ギブスをつけたまま書いている。ここしばらくは無理しないでおこう。さすがに、痛くて、痛くて。どうしやうもない。しばらくして痛みが取れ、回復するのを待とう。
 良くなれば、私のことだ。また書き始めるに決まっている。それにしても、きのうはあんなに痛かったのに、よくぞ書けたと思う。

10月2日
 罰当たりとは、このことか。
 久しぶりに新聞記者時代のかつての同僚らと尾張一宮で飲んだまでは良かったが。深夜遅く、一宮から江南の自宅まで帰った直後に事件は起きた。タクシーから降りた私はよろけてスッテンコロリン。もんどり打って転倒、右半身を路面に強く打ちつけたが、それ以降のことは覚えていない。前後不覚に陥る、とは。おそらくかふいふことなのだろう。
 酔っ払った挙げ句の転倒劇に私を寝かせるのに舞と息子は大変だったようだが、朝起きて全身に痛みが走り、手足の膝部分を中心にあちこちに擦り傷があり、あらためて相当強く倒れたことを思い知った。特に右腕部分と右半身は痛くてしやうがない。それでも骨折ではなく、強い打ち身だけなので、そのうち治るだろう。幸い頭だけは打ってはいなかった。
 今は左手で利き腕の右手をそろりそろりと支え、超スローの速さでこうしてワープロのキーを打っている。イタッ、あいたぁ~、痛い(俺としたものが、だ。でも痩せ我慢をしていたところでなんになろう。痛くて仕方がないので、ここでしばらく休憩しよう)

 というわけで、本欄〈そぞろ歩き〉の執筆は大幅に遅れてしまったのである。
        ×        ×

 第4次安倍改造内閣が発足。私としては高校、大学の後輩でもある、いつまでたってもイケメン議員の藤川政人参議院議員(58歳、愛知県扶桑町出身)に文部大臣か外務大臣になってほしかったのに。彼のキャリアと誠意、誠実さならどんなポストでも立派にこなせるはずだ。

 それから注目のノーベル物理学賞。スウェーデンの王立科学アカデミーが2018年の物理学賞を米国のアーサー・アシュキン博士(96)、フランスのジェラール・ムル博士、カナダのドナ・ストリックランド・ウォータールー大准教授(59)の三氏に授与する、と発表。光を使って物体を操作する技術を開発し、ウイルスのように小さいものをつまむ「光ピンセット」や、レーザーによる視力回復手術につながった、その功績が認められたという。
 これも私としては親バカなのだが、ナノテク研究に青春の一時期を没頭し、いまも科学技術の世界にあってひたすらに真理の追求を続ける長男夫妻(いずれもナノテク博士)に、いつの日かくれたらよいのに。それなりの研究成果はふたりとも挙げているはずだ、と夢の如きことを思ってしまう。

 痛い。痛い。あ~、痛い。痛くてたまらない。
 デ、きょうはこれ以上の無理はしないで、ここでペンを置く。

10月1日
 清少納言かぜお好きらし
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 スウェーデンのカロリンスカ研究所が1日、2018年のノーベル医学生理学賞を京都大高等研究所の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76歳)と米テキサス大のジェームズ・アリソン教授(70歳)の両氏に授与する、と発表。

 ノーベル医学生理学賞を報じるNHK総合画面と中日新聞の朝刊
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 午後6時過ぎ。
「ノーベル医学・生理学賞に京都大本庶佑(ほんじょたすく)さん、がん治療薬(PD―1の抗体を利用したオプジーボ)開発などに貢献」とのNHKのニュース速報が流れた。
 わかりやすく言えば、本庶さんは、がん細胞を攻撃する免疫の力にブレーキをかけていた物質を発見し、それを取り除くことでがんを免疫療法で治す道を開いた。その功績が認められた、というのだ。
 まもなく京都大学で記者会見した本庶さんは「大変名誉なことで喜んでいます。ひとえに苦労してきた共同研究者や学生諸君、応援してくださった方々、長い間支えてくれた家族、言い尽くせない多くの人に感謝している」とあいさつした。
 本庶さんは、さらに「基礎的研究が新しいがん免疫療法として臨床に応用され、この治療法で重い病気から回復して『元気になった、あなたのおかげだ』と言われる時があると自分の研究に意味があったと実感し、何よりうれしい」「ノーベル賞を受賞し、大変幸運な人間だと思う。これまで以上に多くの患者を救うことになるように、もう少し研究を続けたい」などと語った。

 午後9時からの〈NHKのニュースウオッチ9〉。ニュースキャスターの「大切にしている考え方」について問われた本庶さんは「自分が何を知りたいか、ということがあって何から手をつけていくか。常に自分は何を知りたいのか、を自分に問いかけながらやってきました。世の中には嘘が多い。教科書が間違っていることが沢山ある。なぜか、と疑っていくことが大切ですね」との弁で、この言葉は全てに通じるナ、と感心したのである。
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 新聞社の社友会報(10月1日付)と社報(9月15日付)、それに【菅直人・岳真也カンカンガクガク対談『脱原発党宣言』出版記念】の虎希の会・第3回懇親会(22日・東京新宿の和風居酒屋「嵯峨野」にて)へのお誘いのお知らせが同時にわが家に届いた。
 と思いきや、先日の半世紀を超えての稀有な同期会で久しぶりに会えた相羽泰彦(さん)からの丁寧な封書まで届き、恐縮した。彼とはたまたま帰りのJR列車「しらさぎ」でも一緒だったが、手紙に曰く「帰りに一緒になれたのは幸運だった よいメンバーの集まりだったけれど一対一で話し込めないからね ……」とあった。
 記念で撮られた見事な写真まで2枚入っており、ありがたいな、と感謝している。
 そうこうしていたら同期会実現に金沢在住の石田(石田武さん)とともに心血を注いで奔走してくれた箕さん(箕浦啓進氏)からも「また会おう」のメールが入っており、持つべきものは友だとはよく言ったものだ、と思った次第。齢こそ食んだが、皆がんばっているので俺も、との気持ちが沸き上がってきたのも事実である。

 月曜日。台風が何事もなく通過してくれ、舞は予定通り歯医者さんと街の池田医院へ、と出向いた。血圧が少し高かったが、あまり無理はしないでほしい。
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 台風24号は1日、岩手・三陸海岸から太平洋に抜けて北海道の襟裳岬沖に進み、温帯低気圧に変わった。強風で電線が切れたため、愛知県三河地方や静岡県を中心に広域にわたって停電が発生。東海3県と静岡、長野両県で1日朝までに最大102万2710戸が停電した。これは大変なことである。
 
 日本郵便が1日、2020年東京五輪・パラリンピックの大会マスコットをあしらった19年用年賀はがきを発売した。1枚67円。3種類あって、計4140万枚を用意。
 日本相撲協会はこの日、東京・両国国技館で臨時の理事会を開き、元横綱・貴乃花親方(46)=本名・貴乃花親方花田光司=の退職と、貴乃花部屋力士8人と床山、世話人の計10人の千賀ノ浦部屋への移籍を全会一致で承認した。
 退職は1日付。これにより貴乃花部屋は消滅したが、花田光司さんは日本ペンクラブ会員でもあるだけに、大横綱で私も大好きだった彼のこんごが気になる。