【一匹文士 伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2019年8月1日~)】
2019年8月31日
野菜の日。令和元年の8月ともきょうでお別れだ。
東京・日本武道館での世界柔道選手権第7日。女子78㌔超級でそれまで全5試合を1本勝ちで決勝に進出した世界選手権個人戦初出場の日本の素根輝(19歳、環太平洋大)がキューバのロンドン五輪金メダリスト、イダリス・オルティスを延長の末、指導3による反則勝ちで破り世界の頂点に輝いた。
この試合。私はテレビで見ていたが、自ら得意の引き手にあくまでこだわり、組み手争いで負けなかった素根に、最後に〝勝利の女神〟が微笑んだ気がする。今回の選手権は女子78㌔級、男子100㌔超級など他の階級もテレビ観戦したが、柔道はもはや日本のお家芸などでは全くなく、世界中に広く普及している国際スポーツとなった現実を思い知らされた。ただ言えることは、引き手の確保など組み手争いで優勢を保ち、相手の体を崩し、より積極的に技をかけた選手が結果的には「勝つ」基本の大切さを久しぶりに思い知らされもした。
組み手争いで相手を圧倒。大勢が見守るなか、激しい闘志で挑む素根選手=東海テレビ2019世界柔道選手権の中継から
第64回全国高校軟式野球選手権大会の決勝がこの日、兵庫県明石市の明石トーカロ球場であり、23回目出場の中京学院大中京(東海代表・岐阜県瑞浪市)が崇徳(西中国代表・広島市)に5―2で勝ち単独最多、10度目の優勝。中京大中京は大会史上2校目の3連覇を遂げた。
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犬山の顔とも言え愛知県犬山市の木曽川沿いにあり、計123室、300人が泊まれた名鉄犬山ホテルがきょうの午前、54年の歴史に幕を閉じた。1965年(昭和40年)の建築で耐震性に問題があるため引退することになったという。ホテルは取り壊されいったん更地となり、名鉄が提携した英国企業の「ホテルインディゴ 犬山 有楽苑」が2021年度後半に開業するという。
地元の人々に愛し親しまれてきた岐阜県大垣市唯一の百貨店「ヤナゲン大垣本店」が31日閉店、53年の歴史に幕をおろした。
1910年創業の柳源呉服店に端を発するヤナゲンは1966年(昭和41年)に百貨店となり、1991年のピーク時には150億円の売上高があったが、他店舗との競合などで業績が悪化。2005年には総合スーパー平和堂(滋賀県彦根市)の子会社となり事業再生が図られたが、かなわなかったという。
雨竜の一日暴れ夏終わる
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
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地球の危機を一緒に解決しよう、と地球温暖化対策を訴えるスウェーデン人少女グレタ・トゥンベリさん(16)が30日、ニューヨークの国連本部前で地元学生らによるデモに参加。同世代など数百人と共に「私たちは止まらない」「今こそ行動を」と呼びかけた。
香港警察が30日、民主化を求めた2014年の雨傘運動の学生リーダーだった黄之鋒(こうしほう、22)氏と周庭(しゅうてい、22)氏を逮捕。香港独立を訴える団体「香港民族党」の陳浩天(ちんこうてん、28)代表や中国に批判的な立法会(議会)議員らも相次いで逮捕。大規模デモが計画されるなか、「緊急状況規則条例」(緊急条例)の発動をちらつかせる強硬姿勢を見せている。
消費増税まで1カ月。軽減税率導入による価格設定の複雑化で、ますます存在感を増しそうな財布の1円玉。――とは、31日付毎日新聞夕刊〈近事片々〉氏。
8月30日
雷鳴や恐竜ガオー雄叫びよ
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
海原へ喧嘩神輿の能登キリコ
=伊神舞子(江南俳句同好会)、30日付尾北ホームニュース〈尾北の文芸〉から
金曜日。雨で明けた。一日中、降ったりやんだりである。畑の草たちが無限大に大きくなり、そのうち恐竜みたいに巨大化してしまうのではと、気にはなるが。どうしようもない。仕方ない。朝。江南市高屋の会社員宅から出火、木造2階建て住宅約90平方㍍を全焼、近隣2軒の雨戸なども焼いた。この火事で小学5年の長男が右足に軽いけが。
ナシどころ・千葉県の船橋市JAいちかわ船橋梨選果場では「豊水」の出荷作業が最盛期に。
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台所でも句作に挑むわが家の俳句猫「白」
いつもなら朝、舞の出勤に合わせるかのように私と一緒に彼女を玄関で見送ったあと、決まって〝外遊〟に出る2代目シロちゃん(俳句猫で俳号は「白」)こと、オーロラレインボ―もきょうは、いつ雨が大降りに変身するやら分からない。そのせいか、不思議と外には出たがらず、炊事場の洗い場や窓に面した定位置、室内の一角など居場所を時折変え、丸くなって「仕方ないな」という顔をしてじっとしている。
そんなシロちゃん。時折、一点に目をやり何かを考えているようにも見える。静かに黙って窓越しに、風にそよぐ葉や降る雨を見やる姿は情緒たっぷりである。なかなか、かっこよくもあり、ああして舞が帰るつど夜になると、俳句のヒントを伝授しているのだな、と思ったりする。
人間この年になると、なんだか、こんなにも長く心の臓が休むことなく、パクパク動いてきているんだなんて。そう、不思議な気もする。信じられないのだ。だれとて、一度しかない人生。よく考えてみると、いや、よく考えなくとも、だ。この世に生きるものは100歳の高齢者であろうが、つい最近オギャアオギャアと大騒ぎで生まれてきた赤ん坊であろうが、だ。同時代を生きているのである。
当たり前ではあるが、悠久の宇宙の、この片隅で、線香花火の如き、ただの一瞬を生きている。いわゆる瞬間的ともいえる、同じ時代をこのように生きていく。そして。たまたま何の因果か。この世でこうして奇跡的に巡り会ってしまったのである。だから、同じ地球号の船員としても互いの存在は大切に生きてゆきたい。
それが、なぜなのか。徴用工問題を発端とした最近の日韓の仲の悪さは。嘆かわしくてみちゃおれない。同時代の船員として互いに生きている。のに、だ。互いに仲良くしてほしい。なんだかおかしな話になってしまったが皆、一瞬を火花を散らして生きているのだから仲良く笑顔で楽しく生きていかなきゃ、バチが当たるもんだよ、と。ふと、そんなことを思うのである。
ニンゲンたちのこれからの真の相手は自然界と環境なのだ。国と国とがアアダこうだ―と言っている暇があるのなら、台風や大雨、地震など自然災害に対する備えをしっかりしておく。環境への負荷を少なくする。このことの方がよほど大切なのである。
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プロ野球界に偉大なる新星が現れた。ヤクルトの村上宗隆が、その人である。
「66年ぶり中西太にも並ぶ 村上31号 高卒2年以内33年ぶり清原に並ぶ 歴代1位86打点」とは28日付の中日スポーツ5面のトップ見出しで、そこにはこうあった。
――代名詞の豪快なアーチで、ビッグネームに肩を並べた。ヤクルト・村上が横浜の夜空にかけた先制の31号ソロ。今季86打点目は、高卒2年目以内シーズンでは、1953年の西鉄・中西太に並ぶ66年ぶりの歴代最多だ。
2回2死。新人王を争う上茶谷の145㌔直球を完璧に捉え、中型左に放り込んだ。「追い込まれていたので、しっかり粘って打てるようにと思っていた。ホームランになってくれたので良かったかな」。悠々とダイヤモンドを回る姿には、貫禄すら漂った。
24日の阪神戦。神宮球場を訪れた中西さんに激励された。「頑張ってるか? 調子はどうだ? お前のおかげでオレの記事が出ているよ。取材に来たんだよ」。冗談を交えつつ、目を細めたレジェンドから、〝怪童パワー〟をもらっていた。
高卒2年目以内のシーズン31本塁打も、86年の西武・清原和博に並ぶ33年ぶりの数字。………
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日中韓文化相会合が30日、韓国・仁川(インチョン)で開かれ、3カ国の文化交流を推進し、3カ国の関係発展をめざす「仁川宣言」を採択。「困難な状況だからこそ文化面での草の根レベルの交流が、国民や自治体同士の関係改善につながります」とは、柴山昌彦文部科学相。
30日付中日夕刊1面によると、【米軍で戦略軍やサイバー軍などに続く十一番目の統合軍となる「宇宙軍」が29日、発足した。トランプ大統領はホワイトハウスで開いた式典で「宇宙軍は次代の戦闘領域である宇宙で米国の死活的な国益を守る。米軍の新たな章を開くことになる」と述べた】という。
日本ラグビー協会がアジアでは初の開催となるワールドカップ(W杯)日本大会の日本代表選手31人を発表、2大会連続で主将を務めるリーチ・マイケルさん(30)=東芝=らが選ばれた。第1回大会から9大会連続出場の日本は初のベスト8入りをめざす。
大阪大学が29日、人口多能性幹細胞(iPS細胞)から作った角膜の細胞を世界で初めて患者の目に移植した―と発表。患者の左目はほとんど見えない状態だったが、西田幸二教授(眼科学)のチームが7月25日に臨床研究として手術。視力が大幅に改善したという。
名古屋城天守閣の木造復元計画で河村たかし名古屋市長は、29日、現天守の解体許可を文化庁から得られていない――などを理由に当初の2022年末完成目標を断念、工期を延期する旨発表した。
シュライバー米国防次官補(インド太平洋安全保障担当)が28日、ワシントンで行われた講演で韓国に対し日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジ―ソミア)の破棄決定を取り消し、更新するよう要求した。協定が破棄されれば米日韓の安全保障体制が崩壊しかねないとの危機感のほか、韓国側への不信感もあるようだ。
英誌エコノミストが世界の主要都市の安全性ランキングを公表、①東京②シンガポール③大阪④アムステルダム⑤シドニー、の順だった。横浜で開かれていた日本主導の第7回アフリカ開発会議が30日、首脳宣言「横浜宣言2019」を採択し、閉幕。
九州北部の大雨で近くの鉄工所からの油の流出も加わった冠水などで孤立していた佐賀県大町町の順天堂病院の孤立について佐賀県は30日午前、陸路での交通が可能になり孤立状態が解消された―と明らかにした。
8月22日
蝉骸ガンバって鳴き通したかい
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
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【長谷川龍生さん死去 元日本現代詩人会会長】
詩人長谷川龍生さん(本名名谷竜生さん)の死を21日付中日、毎日新聞朝刊で知った。20日午前2時ごろ、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。91歳だった。おやすらかに。
夏の全国高校野球の決勝戦が22日午後、甲子園球場で開かれ、大阪代表の履正社が大会屈指で知られた石川代表の星陵、奥川投手を打ち崩し5―3で勝ち、初の優勝を果たした。履正社の岡田龍生監督の「(相手チームの投手である)奥川くんにチームを大きくしてもらった。選手は全員、本当によくやってくれました」の言葉が印象深かった。
私は決勝戦を目の前に、なぜか生前、高校野球が大好きで、かつて「ボクはね。イガミさん。実を言うと、その昔は無類の〝野球少年〟だったんですよ。甲子園が大好きでして」とよく話されていたリュウセイさんのことを思い出していた。そういえば履正社の監督の名前は岡田龍生さんで、なんだか大阪が大好きだった長谷川龍生さんが天で応援してくれたような気がするのはなぜだろう。
星稜の投手もよく投げた。泣くな! 奥川。
韓国政府は22日、国家安全保障会議(NSC)を開き、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジ―ソミア)の破棄を決定。日本が韓国を輸出優遇対象国(ホワイト国)から除外したことへの対抗措置で日本政府はただちに抗議した。ただ韓国大統領府は「日本が不当な報復措置を撤回し、友好協力関係が回復すれば再検討することもできる」と述べ、こんごの両国の対応次第では協定を継続する可能性も残している。
いずれにせよ、双方の言い分。それはそれとして、これまで培われてきた両国国民の円熟しつつある友好関係を大切に、何ごとも元の鞘に収め、仲良くしてほしいものだ。お隣さん同士なのだから。
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越中(富山)ドロボー
加賀(金沢)乞食
能登は愛(いと)しや土までも
地方記者にとって
愛しい土は苛烈な
鉄の槌(つち)であった。
事件を追い求めて
わずかな時のすき間に
ロマンを発信する
三つ子の魂は
あくまでも純情である
長谷川龍生
=拙著「火焔――空と海」(能登印刷出版部)の帯文
多くのこと、あの日あのころ。場面が蘇る。長谷川龍生のことである。リュウセイさん。リュウセイさあ~ん。ボクをあれほどまでにかわいがってくださった、稀有の放浪詩人、龍生は。一体全体、どこへ旅立ってしまったのか。
私は今、鳥の如く啼きながら、いや囀りながら龍生さんとの来し道、多くのことを思い出している。
同じ詩人の最匠展子さんはじめ、奈良の日高てるさん、東京の左和伸介さん、能登富山の青木新門さん、そして東京の岡田さん、辻井さん、森川さん……と多くの詩人仲間を紹介してくださったり、教えてくだすったのも龍生さんだった。
能登で七尾青年会議所と新聞社で始めた「海の詩(うた)」大賞公募、そしてインド人女性舞踊家シャクテイさんらもまじえ、全国の詩人が集結し七尾湾に浮かぶ渚のステージで実現した能登島パフォーマンス、詩人でもある菱木紅ちゃんや小原政幸さんらいつも情熱的な大阪文学学校事務局(小原さんは事務局長)スタッフのめんめん、奈良での日高てるさんたちとのことども……。
その龍生さんったら。つい最近(昨年)では私の小説をある大きな賞に推薦までしてくださり、私は思いがけない龍生さんの気持ちと心に報いることができず(これは文庫本だったので単行本に限る、という応募規定外のため結局は外されたが仕方のないことだった)その分だけ、そのやさしさ、心配りに感激したものである。
その【はせがわ・りゅうせい】は、もはやこの世にはいない。
でも私の心のなかには、いつまでも。これからも永遠の龍となって生きていくことだろう。
21日。この日の夜。まるでリュウセイさんが天に吠えるかの如く、ここ尾張の空は稲妻が光り大粒の雨が空から堕ち、荒れに荒れた。いがみさん。いがみさあ~ん。ごんたよ、あとをたのんだよ。と、雲たちがひしめいて叫んでいるようでもある。そして翌22日には能登七尾の空にもこの世を猛り狂わせるように大粒の雨となって堕ちてきた。
海を感じる心を国内外に――と、七尾青年会議所(JC)と新聞社による海の詩大賞公募への思い。龍生さんにとっての七尾への思いは、〈みかんの花咲く丘〉の作詞者加藤省吾さんに負けず劣らず、特別なものがあった。そして。あのころ、能登七尾に居て。【納棺夫日記】を編んだ詩人青木新門さんともども、能登島パフォーマンス実現への特別の思い入れがあったはずだ。そのリュウセイさんが逝ってしまった。なんたることよ! この世は無情である。
「納棺夫日記」の作者で私も知る青木新門さんは21日。自らのフェイスブックで次のように書き記していた。
――今朝、詩人の長谷川龍生さんが逝去したと東京の友人から訃報が届いた。92歳。目出度いことである。/思えば、龍生氏とは不思議な縁で長い親交があった。私が二十歳代で詩を書いていた頃、氏の「パウロの鶴」という詩集に感動して彼が室長をしていた東京渋谷の東急エイジェンシーまで訪ねたのが出会いの始まりであった。ちょうど「マグマ大使」を製作し、その主題歌を作詞されていた頃だった。
彼は二百三高地攻略の作戦参謀児玉源太郎と野戦病院の看護婦長との間の落とし子の子、いわゆる外孫であった。そのことは、戦後の左翼的な思想が主流の時代の中でトラウマのように心に秘めて、彼は左翼的な傾向の詩人として振る舞っていた。/十年ほど会わないこともあったが、彼が現代詩人会会長になった頃からまた会うようになり、能登半島の能登島で海上に舞台を作り、彼の知っている世界の詩人たちを招いて詩の朗読をしたこともあった。また、二人で国内各地や韓国やインドなどを放浪の旅をしたこともあった。……
彼が「高見順賞」の選考委員長として辻井喬(堤清二)に授与した授与式に参列したことがあった。終わってから新宿のゴールデン街の「前田のばあちゃん」の店(野坂昭如が育った店)で高見順を話題にして飲んでいたら「ぼくの女房、三国の高見順の生家の置き屋(遊郭)の隣の遊郭の娘なんだ」と言った龍生の言葉が妙に記憶に残っている。………
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20日付中日新聞朝刊によれば、初代宮内庁長官だった故田島道治さんが昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が19日、公開された。それによると、1952年5月の日本の独立を祝う式典で昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたにもかかわらず、当時の吉田茂首相の反対で「お言葉から削除された詳細」が明らかになったという。
河野太郎外相が21日、訪問先の北京郊外で韓国の康京和(カンギョンファ)外相と会談。元徴用工問題で早期の対応を要求、韓国側の責任で「国際法違反の状態を是正するよう」強く迫ったが、康氏は逆に日本側に輸出管理強化の撤回を求め、話は平行線に終わった。ただ、こんごも外交当局間の対話を続け互いに問題解決に向け努力していく点では一致したという。どっちもどっちの気がしないでもない。互いに譲り合う気持ちこそが、大切なのに。
ドラゴンズは21日夜、ナゴヤドームで巨人に5―2で負け、4連敗。巨人戦の3年連続の負け越しが決まった。あ~あ、情けなや。
8月16日
古都の風物詩で、夏の終わりを告げる「五山の送り火」が16日夜、京都市を囲む山々であった。
魅せられし五山送り火消ゆるまで
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
【毎秒一京回】の計算速度とは。地球の全人口70億人が不眠不休で電卓をたたいて17日間かかる計算を、わずか1秒で片付けてしまう速さ、とは中日新聞の16日付〈夕歩道〉。その「京」が今日を限りに引退。約7年の現役生活を終え、後継機「富岳」に道を譲る。
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令和元年8月15日。終戦の日が、ことしもやってきた。
大雨も大風もじっと蝸牛
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
終戦から74年を迎えた15日、東京の日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が催され、遺族らが先の大戦で亡くなった約310万人の霊を悼み、不戦の誓いを新たにした。令和初の追悼式の印象といえば、初の参列となった1960年生まれの天皇陛下が「多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。過去を顧み、深い反省の上にたって……」と上皇さまが戦後70年の追悼式から毎年使われていた表現【深い反省】を聴いたことだ。私は、このお言葉の重さをあらためて思い、ホッとしたのである。
令和初の終戦の日を報道した各紙
大型の台風10号が15日午前11時過ぎ、愛媛県佐多岬半島付近を通過、中国地方に上陸後、夜には山陰沖を進んで西日本を縦断し日本海に。それにしても今度の10号はノロノロでやっと動き出したと思ったら、四国、中国地方の順で上陸。西日本一円はむろんのこと、東海地方にも結構、影響を及ぼし、ここ尾張の地も15、16日と日中から夜半、翌朝にかけ、かなり強い雨まじりの風が吹き荒れた(そんなわけで相棒は15日は早々に店をたたみ、愛猫シロも室内廊下に座り込んだままじっと窓の外の様子をみる状態が続いた。特にシロちゃんは、いつもなら出たがる外遊もあきらめたようだ。彼女にとっては、貴重な経験である。)
それにしても「終戦の日に、それもお盆台風だなんて。洒落にもならないわよ。日本の終戦記念日は、韓国にしてみたら日本の植民地から開放された独立記念日なのだから」とは、相棒の口から出た実感だが、そのとおりである。いずれにせよ、一日中吹きつける風、雨ともに結構強く、久しぶりに自然の猛威に緊張したのも事実だ。
夜。NHKスペシャル「全貌二・二六事件」を見る。陸軍反乱軍の暴走を踏みとどまらせるのに海軍の存在がいかに大きかったか、をあらためて知りもした。二・二六事件といえば思い出すのが渡辺錠太郎陸軍教育総監の次女でノートルダム清心学園理事長で作家でもあった故渡辺和子さん、その人である。彼女は父が機関銃と銃剣によって倒れる直前、物陰に―と目配せされ、ベッドの下に逃げ、目の前で父が銃剣で殺された、その瞬間を目撃した事実をかつて私に初めて語ってくださり、これを大きく報道したことが忘れられない。この後、和子さんとはしばらく電話でのやり取りも続いたが、本当に優しさのあふれるお方だった。
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韓国の文在寅大統領が15日、日本の植民地支配からの解放を記念する光復節の政府式典の演説で「日本が対話と協力の道に進むなら、われわれは喜んで手を取る」「日本が隣国に不幸をもたらした過去を胸に、東アジアの平和と繁栄を共に導いていくことを願う」などと日本への批判を抑制し、対話の意欲を述べた。
8月13日
ひぐらし啼くころ。火曜日である。まもなく終戦記念日の15日。超大型の台風10号が14日から15日にかけ暴風域を伴って九州や四国に接近・上陸し、西日本を縦断する見通しだという。
国の重要無形民俗文化財「郡上おどり」の徹夜おどりが13日夜、岐阜県郡上市八幡町で始まり、6万8000人が訪れた。徹夜おどりは16日まで4夜続く。踊りといえば【今年の「あほう」は全員そろって。徳島の阿波踊り、最大の見せ場の総踊りが復活】(ただし14日と15日は台風10号接近のため中止)とは、13日付の毎日新聞夕刊〈近事片々〉氏。
東海地方は13日、広範囲で厳しい暑さとなり愛知県豊田市では全国最高の38・9度まで上昇、中部6県の42観測地点で猛暑日となった。名古屋市で38度を記録、郡上市で38・5度、多治見市で38・3度、岐阜市でも37・9度と全国の上位10地点のうち5地点までを愛知、岐阜両県が占めたという。ほかに岐阜県高山市で観測史上最高の37・7度、三重県桑名市も36・2度だった。
いやはや、台風接近が気になるなか、ほんとに暑い、あつ~い日が続いている。
妹に肩をもんでもらう私の母=実家にて
沖縄戦で無念にも帰らぬ人となった母の弟の墓(中央、和田霊苑)
父の眠る墓(和田霊苑)
3匹の猫ちゃんの墓にも公平に供花
きょうは迎え火。昔は自宅庭で家族そろって薪を焚いて亡き霊を迎えたものだ。きのうは父が眠る墓に相棒と出向き、沖縄戦で帰らぬ人となった母の弟の墓もあわせ赤い鬼灯(ほほづき)を供え、自宅裏庭で眠るボス猫のこすも・ここはじめ、神猫だった初代シロ、そしてこの春2代目シロ(俳句猫・白ことオーロラレインボー)から生まれてまもなく死んでしまった赤ちゃん猫の3匹の墓にも舞の手で花が丁寧に手向けられた。昔は自宅庭で家族そろって薪を焚いて亡き霊を迎えたものである。
昨日は、和田の実家で大正9年(1920年)6月1日生まれの数え100歳の母=母は満99歳。私はこの席で、ことしで母が満100歳になったばかりと勘違いしていたことを「たかちゃん、女性の年齢をひとつ間違えるとは許せないよ」と妹にきつく笑って叱られてしまった=を囲んでひと足早く兄夫妻、妹夫妻と共に集まって楽しいひとときを過ごした。
なかでも母はこの日「きょうは、みんな。おかあちゃん。おまえたちにどうしても聴いてほしいものがあるのよ。まあ、聴けないかもしれんよ」と言いピアノの傍らのカラオケセットの方に連れて行くので「何か」と思いついてゆくと、彼女は父が元気なころ、一緒に歌ったカラオケテープをあれよあれよという間にセットして「ほれ、聴いてみて」ときた。
思わず、威儀を正して神妙になって聞くと、それはそれは、若々しく楽しそうな弾む声で交互に歌う両親の歌声が耳に迫った。私は、アッと驚き「へえ~っ」と感嘆の声を漏らしたのである。確かに空気を裂いて美しい声が飛び込んできた。
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そして。34年前のきょうはと言えば、だ。
私はこの日、朝早くから新聞社の取材機(双発ジェットの「はやたか二世」)で日航ジャンボが墜落した御巣鷹山上空を飛んでいた。ついきのうのようでもある。前日の1985年(昭和60年)8月12日の夕方。当時、私は名古屋空港(小牧国際空港とも呼ばれていた)を管内に持つ〝空飛ぶ記者(名古屋航空記者クラブ所属)〟として、いつものように運輸省名空港事務所の運航課はじめ、各エアラインのディスパッチとオペレーション(運航課)、そして西枇杷島署空港警備派出所の順で異常がないかどうかを確かめて歩いて回っていた。
ちょうどそのときだった。各エアラインともスタッフが総立ちとなり異常なまでに緊張、いや、緊迫状態に包まれているのに気づき、社会部デスクに「何か尋常ならざる事態が、どこかで起きたらしい。誰も内容については何も言わないので、まだわかりませんが。とにかくしばらく格納庫に行って待機します」と電話で一報した記憶がある。
今だから言えるが私はそのころ、日本航空名空港事務所などに機長を名指しして「Aを殺してやる」などといった脅迫電話が頻繁にあったこともあり、連日、夕方、小牧通信局に上がる前には必ず空港内の気になるカ所を順々にチェックして回っていたのである。馴染みの空港スタッフのいつもの笑顔とは全く違う一様に緊張した表情には「何かが起きた」とピンときた私は空港内、空港警備派出所に今一度足を運び、そこで「どうも日航ジャンボの行方が群馬の方でわからなくなったらしい」と初めて知ったのだった。
さあ、それからが大変だった。まもなく、本社社会部デスクから「ガミちゃん、どうも日航ジャンボが群馬県上野村の山中に墜落したらしい。あす早朝一番で、カメラさんと一緒に〈はやたか〉で名古屋空港を発ち、現場に向かってほしい。航空部は格納庫でクルーが準備を整えてくれているはずだ。地上班の方は既に夜を徹して重無線車の〈ドラゴン号〉で現場に向かっている」の電話が入り、翌朝一番で空から現場に向かったあの朝がつい、きのうのようでもある。
手探り同然に現場上空にたどり着いたパイロット、整備士、カメラマン、そして私の取材班は上空を何度も旋回するうち、まもなくそれらしき墜落現場を発見。私はその場で現場上空ルポを書き本社に送った(写真は別便のヘリから本社に投下)が、あのときの身の毛もよだつほどの臨場感あふれる取材現場は今も鮮烈に思い出される(どこかのテレビ局の記者が現場一番乗りを盛んにアッピールしていたが、そのころには既に現場上空からのルポ記事は本社にとっくに送り済みで輪転機が回っていたのである。ただ後発の取材ヘリが一時、行方不明になるなど空、陸ともに取材陣は大変で混乱したことも事実だった)。
あのころは、ほかにも長崎大水害や稚内オホーツクへの大韓航空機撃墜、赤いフェアレディーZに乗った女性による長野・富山連続女性誘拐殺人、山陰豪雨禍など。発生のつど取材機(ヘリだったり、双発ジェットだったりした)で現場に飛び、こうした大事件や大災害の取材に足を棒にしたものだが、日航ジャンボの墜落は小牧市民病院で息子が生まれる寸前でもあった。それだけに、今も印象深く忘れられない。
あの日から丸34年。きょうの未明。私の耳にたまたまNHKのラジオ深夜便で【戦争平和インタビュー】なるものが飛び込んできた。旧満州の集団自決の体験者の話で満州生まれの私は身じろぎひとつしないで聞き入った。戦争をしてはならない。なのに、どうして人間たちは愚かな行為に再三走ってしまうのか。戦争許すまじ。人間たちよ。何をしているのだ。
敗戦も終戦もない。あるのは、不幸と地獄だけではないのか。いまの平和を大切にしたい。
なんだかそんな暑い日の酷い思い出ばかりとなってしまったが、きりがないのできょうはここらで。
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520人が亡くなった日航ジャンボ123便の墜落事故から12日で34年になるのを前に、現場となった「御巣鷹の尾根」の麓を流れる群馬県上野村の神流(かんな)川で11日夕、故人をしのぶ灯籠流しがあった。
夏の夜空の風物詩「ペルセウス座流星群」が見ごろを迎え、13日夜にかけ活動が活発化。名古屋・栄の久屋大通公園など全国18都市で11日夜、「性暴力は許さない」とフラワーデモ。山の日の11日、長野県松本市安曇の北アルプス・上高地は大勢の登山客や観光客でにぎわった。
香港で「逃亡犯条例」の改正(香港から犯罪容疑者の中国への移送を可能にする)に反対する市民が13日、前日に続いて香港国際空港で抗議の座り込みを行い、発着便400便以上が欠航。空の玄関は2日連続で大混乱に陥った。韓国が12日、安全保障に関する戦略物質の優遇対象国から日本を除外する、と発表。
中国の王岐山(おうきざん)国家副主席が、10月22日に行われる天皇陛下の「即位礼正殿の儀」参列のため来日する方向で調整していることがわかった。日中外交筋が明らかにしたが、習近平国家主席が対日関係を重視する姿勢の表れ、だと見られている。
8月9日
火の玉のごと月の長崎原爆忌
=伊神舞子の〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
きのうは立秋。
金曜日。長崎原爆の日がやってきた。
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この日が来ると、なぜか女性記者ふたりのあの真剣な視線を思い出す。
昔、私の現役記者時代に広島と長崎でそれぞれ育った出身記者と地方支局でたまたま一緒になったが毎年、ヒロシマ、ナガサキの日が近づくと、2人が真剣かつ熱心なまなざしになったことを思い出してしまう。ふたりとも原爆投下はむろん、チェルノブイリなど原発事故に対する告発意識は相当なものだった。ふるさと愛にかけては互いに負けない情熱があった。
そんなこともあってか。今の日本の国全体の平和への意識が、若者を中心になぜか少し弱々しく希薄になってきたようにすら感じる(そうでなければ良いのだが)。それとは別に、この地球上の誰もがノーモアヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと「平和」を願っているのに。なぜ、有史以来、この星から戦争という惨禍が消えないのか。原爆も、原発だって。両方とも、もってのほかなのに、だ。それが、分からない人間が増えていなければよいのだが。
米国による原爆投下から74年。この日は長崎市の平和公園で令和最初の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。原爆投下時刻の午前11時2分に全員が黙祷。私もNHK総合のテレビ中継に合わせ、テレビの前に座って目を瞑り、この星の平和を傍らの愛猫、俳句猫でもある2代目シロちゃん(俳号・白)、またの名を虹猫ちゃん、オーロラレインボーとともに祈った。
式典は田上富久市長の長崎平和宣言で始まった。田上市長は宣言の冒頭、「目を閉じて聴いてください。幾千の人の手足がふきとび腸(はら)わたが流れ出て人の体にうじ虫がわいた 息ある者は肉親をさがしもとめて 死骸を見つけ そして焼いた 人間を焼く煙が立ちのぼり 罪なき人の血がながれて浦上川を赤く染めた ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった……」と17歳で被爆し家族を失った山口カズ子さん(91)=長崎県長与町=の詩を紹介。「【人の手】によって【人の上】に落とされる核兵器は【人の意志】でなくすことができる」とし「私たちは無力ではない」と市民社会に連帯を呼びかけた。
田上市長は、さらに「核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核廃絶に向け声をあげていこう。日本政府は核禁止条約に署名批准すべきで、憲法に言うところの平和の理念を堅持すべきだ。ナガサキは核の被害を体験したまちとして、原発事故から八年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいるフクシマの皆さんを変わらず応援していきます」とも語った。
続いて式典は安倍晋三首相の挨拶、被爆者代表山脇佳朗さん(85)の「平和への誓い」と続いたが、山脇さんはこのなかで全ての核保有国に核廃絶を働きかけるよう安倍首相に求め「それこそが原爆で失われた命、後遺症に苦しむ被爆者に報いる道だ」と訴えた。この後は地元の少年少女らが平和を「千羽鶴」に託した歌などをそれぞれ合唱、会場の全員が平和への誓いを新たにした。
写真は長崎の鐘がなるなか、黙とう、田上市長の平和宣言、被爆者代表の「平和への誓い」、児童学生の合唱…と続いた長崎の平和祈念式典。今秋ローマ法王がナガサキを訪れる結果にもなった、浦上天主堂前の浦上川河川敷の火葬場に弟の死体を背負ってやってきた少年(いずれもNHK総合の中継から)の写真
この日は愛猫の2代目シロも平和を願う祈りを捧げた
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長崎「原爆の日」。市長は広島に続き、核兵器禁止条約の署名政府に促す。唯一の被爆国、なぜ深まる国内の溝 ◇ 旧浦上天主堂の「被爆十字架」、米大学から返還される。憎悪から友好へ。溝埋め続けた74年の証し。 =9日付毎日夕刊〈近事片々〉から
お盆休みを海外で過ごす人の出国ラッシュが9日、愛知県常滑市の中部国際空港で始まった。フランスの俳優アラン・ドロンさん(83)が数週間前、脳卒中で軽度の脳出血を起こし、パリの病院で手術を受けた。現在はスイスの医療施設で療養中。容体は安定しているという。
神戸市はジャーナリスト津田大介氏の「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に関連して18日に開会予定だった現代アートに関するシンポジウムを中止する方針を決めた。愛知県警は「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた事件で威力業務妨害容疑でトラック運転手堀田修司容疑者(59)=愛知県稲沢市=を逮捕済み。「ガソリン携行缶持っておじゃまする」の脅迫文書も押収した。
台風10号が9日、小笠原諸島に接近。10、11日と西日本に近づく見通しだという。
8月6日
蒼き空ドームの空よ原爆忌
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに妹抱きて母は阿修羅に
=広島市長の平和宣言から。村山季美枝さん作
火曜日。きょうは、広島平和記念日である。74年前、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」により一瞬の閃光とともに広島に原子爆弾が投下され、愚かな戦争が人間社会を破壊へ、と一変させたその日だ。
広島市中区の平和記念公園では小雨が舞うなか、午前8時から平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が営まれ、投下時間の8時15分には全員が1分間の黙祷をして平和への誓いを新たにした。
松井一実市長は、この日の平和宣言で当時五歳だった女性の歌(冒頭、おかっぱの)を引用、同時に「男女の区別さえできない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人という惨状を十八歳で体験した男性は『絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい』と訴えています」と述べ、核兵器禁止条約への署名・批准を政府に促し唯一の被爆国として核廃絶実現へ一層の指導力を発揮するよう強く求めた。
引き続き、被爆地・広島の子ども代表として広島市立落合小6年金田秋佳さん(11)と同市立矢野小6年石橋忠大くん(11)が「平和への誓い」を宣言。秋佳さんの曽祖父の姉の手記などから伝え聞いた生々しい話などをもとに戦争のない平和の尊さを訴えた。
安倍首相も「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の実現に向けた努力をたゆまず続けることは、令和の時代においても変わることのないわが国の使命で、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに務め、対話を粘り強く促していきたい」などと述べたが、この後の記者会見で国連で2017年7月に採択された核兵器禁止条約への加盟については頑なに否定。「これでは核兵器をなくす方向性が見えてこない」と不満の声が相次いだ。
もう戦争はいや、と黙祷する人々。平和宣言をする松井市長。平和への誓いを述べる地元小学生代表。集まった大勢の人々(NHK総合から)
新聞各紙(夕刊)も、核廃絶と平和への論調が目立った
夜遅く。NHKスペシャル「〝ヒロシマの声〟がきこえますか 遺品と写真が語る物語 原爆死した弟のシャツ 〝親子写真〟涙の秘話」を見る。そこには過去最大の大規模リニューアルが施され、生まれ変わったばかりの原爆資料館が迫真となって迫り、原爆の恐ろしさを告発していた。ノーモア、ヒロシマ。そしてナガサキである。
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この日、兵庫県西宮市の甲子園では第101全国高校野球選手権が始まり、初出場の誉高校(愛知)の林山侑樹主将(3年)が「多くの人に支えられ大好きな野球ができることに感謝し、たくさんの思いが込められた重く輝くバトンを託された私たちは101回目の大会を記憶に残る大会にします」と元気よく選手宣誓。開会式後の一回戦で八戸学院光星高校(青森)戦に挑んだ(結果は誉が0―9で破れた)。
選手宣誓をする林山主将(NHK総合から)
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女子ゴルフのA1G全英女子オープンが4日、英ミルトンキーンズのウォバーンGC(パー72)で最終グラウンドが行われ、海外の大会初出場の20歳、笑みが絶えることのなかったスマイルシンデレラ、渋野日向子さんが7バーディー、1ボギー、1ダブルボギーの68で回り、通算18アンダーの270で優勝した。
賞金67万5000㌦(約7200万円)を獲得。日本勢のメジャー勝利は、1977年の全米女子プロ選手権を制覇した樋口久子いらい42年ぶり2人目。大会は米ツアーに組み込まれており、同ツアーの出場資格を獲得した。
奈良の夏の夜を2万本のろうそくのほのかな明かりで彩る「なら燈花会」が5日、奈良市の奈良公園一帯で始まった。14日まで。
総務省消防庁が6日、7月29日~8月4日の一週間に熱中症で全国で18347人が救急搬送され、うち24都道府県で57人が死亡した、と発表。台風8号が6日早朝、宮崎市付近に上陸、進路を北寄りに変えて九州を縦断し対馬海峡を経て6日夜には、朝鮮半島へ。
8月3日
風を売る風鈴売りがやってきた
=伊神舞子の〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
土曜日。北海道も含め、日本中が暑さにうだり、熱中症で多くの人々が救急車で搬送される1日となった。暑さに身の危険すら感じてしまう、もはや災害級の暑さである。
私たちの令和新時代を切り開く新生ウエブ文学、「熱砂」がいよいよ走り始めた。リニューアルに当たっては、若きホームページ制作者、田島優也さん(名古屋市在住)に大変お世話になった。ここに感謝の気持ちを込めて記しておきたい。
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さて、うだるような暑さのなか、私は昨夜、相棒に誘われるまま自宅近く古知野平和神社内のお稲荷さん、次に境内の順に足を運んだ。中央の特設舞台では盆踊りが行われており、うちわを手にした多くの市民が周りを囲んで舞台に目を注いでいた。
何より、驚いたのは誰が描いたのか。四角い灯籠に描かれたことばと絵の数々で「じぶんのことたいした人間じゃないと思っているあなた そんなことないですよ 優(やさ)しいし 正直だし 真面目に頑張っているじゃないですか あなたの生き方 素敵ですよ」「めざす目標もなく毎日平凡に暮らしている これでいいのかと思っているあなた それでいいのですよ 欲深く激しく生きて自分や他人を傷付けるよりもずっと良いと思いますよ おだやかなくらしが一番」といった具合だ。
お稲荷さんではキツネ2匹が出迎えてくれ、境内の各所では人生訓に富んだ川柳などユウモアたっぷりの絵灯籠がいくつも並び、多くの家族連れが三々五々集まり舞台を囲んでいた
3日午後7時過ぎ。私たちは昨夜に続いて今宵も、近くの街なかへ。たまたま「黄色いマルシェ夏まつり 会場/愛栄通り商店街さかえや前スペース」というチラシを目にしたからだったが、ちいさな町のちいさなイベントには、なんだか、ほんわかとした幼き日々の郷愁のようなものが風となって吹き抜けていった。
会場にはこどもみこしも置かれ、結構の人々でにぎわっていた
きょうのところは、ここいらで。
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第101回全国高校野球選手権大会の組み合わせ抽選がこの日、大阪市内であり、愛知県代表で初出場する誉(ほまれ)高校の林山侑樹主将(3年)の選手宣誓が決まった。また誉高校は6日の開幕戦で八戸学院光星高校(青森)との対戦も決まった。古い話ではあるが、誉高といえば、私がかつて小牧通信局に在任当時に開校した尾関学園高校の今の姿である。当時から何かにつけ、とても熱心な開設校で広報担当の教師が足しげく通信局を訪れ、その熱き情熱には、たじたじとさせられたものである。
愛知県美術館などで開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で旧日本軍の慰安婦を示す少女像展示に批判が出ている問題で大村秀章知事が3日夕、記者会見。少女像などを展示する企画展を同日限りで中止すると発表。「大至急撤去しろ。撤去しなければ、ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」などといった、京都アニメーション放火殺人事件を連想させる脅迫文が寄せられ、展示中止になったという。これに対して「結果的に表現の自由が損なわれている現実を可視化させることになった(五十嵐太郎東北大大学院教授・2013年のあいちトリエンナーレ芸術監督)」とは毎日新聞の翌日付紙面。
法務省は2日、2001年に神奈川県大和市で主婦2人を殺害して死刑が確定していた庄子幸一死刑囚(64)と福岡県で2004年から2005年に女性3人を殺害した鈴木泰徳死刑囚(50)に対する刑を執行した。
日本政府は2日の閣議で安全保障上の輸出管理で優遇措置を取る「ホワイト国(優遇対象国)」から韓国を除外する政令改正を決定。7日に公布し、28日から施行する。
京都府警が2日、アニメ制作会社「京都アニメーション」第一スタジオの放火殺人(35人が死亡、33人が重軽傷)で遺族の了承が得られたとして、22~61歳の男女10人の身元を実名で公表。
連日の猛暑のなか「熱中症 ペットも危ない」とは本日付中日夕刊。
自民党の二階俊博幹事長(80)の連続での在職日数が3日、1096日に達し、前尾繁三郎元衆院議長を抜いて歴代最長となった。
8月1日
【折り鶴に息吹きかける原爆忌】
平和への願いを込めた折り紙の数々と千羽鶴を寄せる女性ら、時計は原爆投下時間で止まっている=広島平和記念公園、原爆の子の像前で。2014年8月6日写す
八月や哀しきまでに空は青
=伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から
遠来の祭りの客は帰りたり 女二人が飲む酒は良し
=山崎国枝子(短歌雑誌「澪(れい) 2019年7月号」)
この夏、広島と長崎に74回目の原爆の日が訪れる。広島は6日、長崎は9日に、だ。平和な普通の日がいつまでも続くように、と願う。
7月の参院選を受けた第199臨時国会がきょう召集され、れいわ新選組の舩後靖彦さん(61)、木村英子さん(54)が初登院。午前の本会議で新議長に自民党の山東昭子元副議長(77)、副議長には立憲民主党の小川敏夫元法相(71)を選出した。
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木曜日。暑い、あつい、アツイ。ホントに、あつ~い。暑さのもとでは人間、いや猫ちゃんたちも含めて皆、だれしも平等だ。そんなことを唐突に思ったりする。1日付中日夕刊報道によれば、岐阜県多治見市で37・3度、三重県松阪市と愛知県岡崎市で37・1度、名古屋市で35・7度(いずれも午後1時までの気温)。
その酷暑のなか、私は午前中、社交ダンスのレッスンで市内の公民館へと出向き、1級のワルツとタンゴに挑んだ。先生の「ゴンタさん、その調子で。足と腰の動きなど、しっかりと、だいぶよくなってきたわ」の励ましに我ながら、身のこなしが少しは上達したかな、と。ふと、思ったりする。レッスンから帰って間もなくすると、この暑さのなか、〝外遊〟に出ていたわが家の2代目シロちゃん、虹猫、ことオーロラレインボーちゃんも帰宅。さすがの暑さに、廊下や椅子にへたり込む事態となった。
レインボーは先日、この世で初の俳号(白)を持つ【俳句猫】に私と舞から認定された。それだけに、暑さを自ら体験しつつ、吟行しようとする前向きな姿勢は、けなげそのものである。もしかしたら、彼女は暑さでグロッキーの表情でいながらも、句作しているかも知れないのである。
そして【俳句猫・白】の吟行とは別に今ひとつ最近、驚かされていることは、舞のお店近くのそれこそ何の変哲もない用水になんと、体調30㌢ほどもある鯉が十匹前後もいて、スイスイと気持ちよさそうに泳いでいることに気づいたことか。それこそ、サマージャンボ宝くじにでも当たれば、一帯を買収し、用水護岸を城崎温泉のようにしてしまえば、少しは観光にも役立つかもしれない。誰かが放ったのか。それとも自然発生なのか。不思議である。
俳句猫見参、と行きたいところだが。こう暑くっては―とオーロラレインボー(外から帰ると、決まって鼻のまわりが黒く汚れている)。
最近、気になる大きな鯉が泳いでいる江南市内の名もなき用水
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八月と聞けば、やはり忘れられないのが広島と長崎に投下された原爆、そして昨年百回大会の歴史を刻んだ高校球児たちによる夏の甲子園である。特に広島、長崎の原爆は人類史上、最悪の悲劇で人間、だれしも空を仰ぎ、ノーモアヒロシマ、ナガサキと叫び、同じ悲しみが二度と起きてはならない、と願う。八年前の2011年3月には福島原発事故まで起き、ノーモアヒロシマ、ナガサキに【ノーモアフクシマ】が加わったことも事実である。原発も原爆も悲劇は同じなのである。
そんなわけで私も舞も、かつて私が名古屋空港(当時は小牧国際空港、とも)を管内に持つ〝空飛ぶ記者〟のころには、子どもの夏休みに休日を取り長崎を訪ね、原爆がいかに悲惨なものかを実際に彼らの目と耳、足で確認させたこともある。最近では、舞の提言もあって彼女の店を訪れる心あるお客さんたちに1000羽の千羽鶴を折ってもらい、これを携えて、ふたりで広島を訪ねて永遠の平和を祈ってきたりもした。
この世に原爆は不要、許すまじなのである。
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河野太郎外相が1日、タイ・バンコクで韓国の康京和(カンギョンファ)外相と会談。元徴用工問題はじめ日本による半導体材料の対韓輸出規制、さらには軍事転用可能物質の輸出手続きを優遇する「ホワイト国」からの韓国除外などを協議したが、平行線に終わった。政府はこのところの日韓関係の悪化で夏休みを利用した中高校生のホームステイなど長年続いてきた日韓関係の相次ぐ中止や延期をどう思っているのか。なぜ譲れるところは譲れないのか。これでは勝手過ぎる。同じ人間同士なのに困ったものだ。外相を替えるべきだ。
政府は、米国が参加を呼びかける中東ホルムズ海峡などの航行の安全確保に向けた「有志連合構想」に関し同海峡への自衛隊艦船の派遣を見送る。米国と対立するイランとの伝統的な友好関係維持を念頭に他の手法で安全確保に向けた協力を慎重に検討する、とのことだが、こちらはこれでよい、と思う。米に対しても毅然とした態度で臨むべきだから。
セブンイレブンのスマートフォン決済「7pay(セブンペイ)」の不正利用問題でセブン&アイ・ホールディングスが1日、9月末で同決済サービスを廃止する、と発表。
2018年の日本人の平均寿命は女性が87・32歳、男性が81・25歳で、ともに過去最高。10代の球界最小兵投手、中日・山本拓実投手(19)が7月31日の阪神戦(甲子園)でプロ2度目の先発登板。落ち着いたマウンドさばきで虎打線を手玉に。6㌄1失点でプロ初勝利(試合は3―2で中日の勝ち)。
気象庁によると、7月31日は日本列島が広く高気圧に覆われ、全国926観測地点のうち147カ所が35度以上の猛暑日、630カ所が30以上の真夏日となった。全国最高は岐阜県多治見市で37・7度を記録。
厚生労働相の諮問機関・中央最低賃金審議会の小委員会が7月31日、2019年度の最低賃金(時給)の目安を全国平均で27円引き上げ、901円とすることを決めた。
愛知県愛西市の愛葉由依さん(25)が、原爆投下後の広島でけが人を手当てした体験を祖父の加藤浩さん(92)から聞き「祖父とあゆむヒロシマ」(風媒社)にまとめて出版。いい話だ。