あぁ~大震災を悼む 笛猫人間日記12月/9日

平成二十三年十二月九日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが突然、出てくることがあります)

 『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 きょうの中日スポーツ1面は、「背番号『7』年俸3000万円 山崎びっくり 出来高1億円 目標は40代最多本塁打! 30発で門田超え」と「工藤引退『左肩が言うことをきかない。投げられない』」というものだった。さらに4面は「長嶋氏の自宅へあいさつ 激励に中畑氏『うれしい』 (横浜DeNAの)監督要請を受諾」、9面は日本ハムのダルビッシュ投手が米大リーグへの移籍を決断したというものである。
 それにしても、よくよく考えてみると私はプロ野球のニュースばかりを読んだり、見たりしてはいるが。本音もいえば~、良心の呵責に耐えかねられない、ともつくづく思った次第である。

 【きょうの1番ニュース】息子が会社の社員旅行で高山に行き、高山ラーメンと一緒に、愛猫こすも・こことシロにも、とてもかわいらしい土産、猫じゃらし二つを公平に買ってきてくれた。でもMの手にかかったら、二匹とも鮮やかな黄色と緑の猫じゃらしが知らぬ間に首に巻きつけられ、マフラー然とした二匹の首輪と化していた。でも、この首のおしゃれ、いつまで持つことやら。と言ったのではMにも、猫ちゃんたちにも失礼か知れない。

☆「<特報・あの被災地を忘れない>福島・久之浜漁港 出漁自粛漂う疲労感 河川敷清掃作業 何十年水の泡だ 9カ月『船はあるのに』」「組合員いつ再開 大きな壁 復旧計画進まず」(9日付、中日朝刊)
 「スマホ狙うウイルス急増 勝手に通話、高額料金請求も 『小型パソコンと考えて』」、「2閣僚問責 自公提出 衆院本会議 午後、可決の見通し」(9日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月八日
 きょうは一九四一年(昭和十六年)十二月八日に旧日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦してから丸七十年がたつ、その忌まわしい日だ。デ、当然のように新聞各紙には「戦争」の二字が氾濫している。「とんでもなく大きな戦争に」(中日)「破局へ踏み出した日★ 日米開戦70年」(毎日)といった具合だ。なかでも中日新聞の「負け戦 封じられた予測 太平洋戦争開戦から70年 『3・11』生かされなかった教訓」は斎田太郎社会部長が、総力戦研究所を主題に『昭和16年夏の敗戦』を著した作家で東京都副知事の猪瀬直樹さん(六十五歳)にインタビューし歴史の教訓を考える、というもので力が入っていた。

 「うたのおばさん」で知られた松田トシさんが、老衰のため九十六歳で死去された。松田さんは1949年から十五年間続いたNHKの子ども向けラジオ番組「うたのおばさん」に出演、私自身幼いころ、松田さんが出るラジオのそばで首ったけだっただけに、なんだか残念な気がする。合掌ー

 【きょうの1番ニュース】仕事を早く切り上げ、犬山市羽黒にあるふぐ料理屋へ。中高校時代からの親友でもあるIらと懇親するためで、ここの料理は本当に美味しかった。私はその場で初めて新聞社をやめた後に、使う予定でいる名詞を彼に差し出した。

☆「1941年12月8日 真珠湾攻撃 暗号方式 米が事前解読 戦史研究家 史料発見 作戦内容はつかめず?」、「豊川・一家殺傷 長男に懲役30年 名地裁支部判決 殺意、責任能力認める」「<通風筒> ◇…世間に明るい話題を振りまいた「ゆうもあ大賞」に、元大関魁皇の浅香山親方(三十九歳)ら三人が選ばれ東京都内で七日、表彰式があった。」(8日付、中日朝刊)
 「元気出して前進だ 大船渡署員、先輩の“遺言”背に トレーナーつくり着用被災者と心一つ、勤務」、「開戦70年 凄惨な記憶 史料に託す反戦の祈り フィリピン出征岐阜の田中さん 軍服など千点超」、「真珠湾で式典 米退役軍人ら5000人黙とう」、「オバマ大統領が犠牲者追悼声明」(8日付、中日朝刊)

平成二十三年十二月七日
 中日スポーツの1面トップ記事「剛裕結婚 怜子さんときょう婚姻届」には、驚いた。「優勝旅行がハネムーンになる。ずっと怜子さんが支えてくれていたから、堂上剛は連覇に貢献できた。7日に婚姻届を提出し、一週間後の14日、一緒にハワイへ出発する。2人にとって、最高の門出になりそうだ。」と、記者の心までが高揚している。
 お相手は、愛知県春日井市在住の学校職員、小川義則さん(56)の次女でアロマセラピストの怜子さん(25)とのこと。まずは、めでたしめでたし、である。

 夜。帰宅しMと「銀河鉄道の夜 賢治の伝言▽想像力で前進を」を見た。番組は作家で翻訳家のロジャー・パルバースさんが物語が生まれた東北の地(岩手県花巻市の種山ヶ原)を訪ねて、賢治の世界を探り当てながら進んだが、あらためて、不思議な列車に乗って天の川を目指す、賢治の空想力のたくましさを思い知った。

 【きょうの1番ニュース】私が年内で社を辞めると知った年下の上司が、きょう豪勢な昼食をごちそうしてくださった。ほんの気持ちですから、とニクイことをおっしゃるこの方は、私が一宮主管支局長当時に販売第二部の次長をされており、昔も今も助けられ同士である。心からありがとう、とこの紙面で礼を述べておきたい。本当においしく、楽しいひとときでした。
 もうひとつ、けさはバス停まで来たところで財布を忘れていたことに気付き、わが家までUターン、あとは小学生のときの徒競走みたいな感じでバス停までの往復を走った。というわけで、朝から大変、疲れたのであります。

☆「<特報> 福島市の各地区 汚染落ち葉…きりがない 住民除染の限界痛感 市街地近くの山『供給源』『東電・国は何もせず』(出田阿生)」、「粉ミルクにセシウム 外気乾燥で混入か 明治ステップ」、「名古屋市議会委 7%減税案を否決 住民投票や自ら再提案 市長、成立を模索 誘った譲歩 公明のまず」(7日付、中日朝刊)
 「「名古屋市議会 本会議 減税案を否決 『7%』『10%』ともに」、「福島4町村 除染着手 陸自、拠点の役場 まず整備」「健闘、奔走…今年の顔 変わり羽子板」
(7日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月六日
 きのうは、文芸誌「北斗」について、だった。が、今日は文学界十二月号の文学界新人賞二編のうちの一方、馳平啓樹さんの「きんのじ」を読んでいて、気に入った部分を書き留めておきたい。それは、以下の下りだ。
ー「よう考えたら、会社に住んどるようなもんじゃったかも」
 日の光を知らない闇と人工の光が、交互に父の横顔を刻んでゆく。言葉を待つことにした。二人の体を同じ暗さと明るさが通り過ぎてゆく。このトンネルが嫌いではなかった。暫く黙り込んだ後、父は口笛を吹くみたいにさらりと言った。
「ここはわいの町じゃなかったな」
 バスはトンネルを抜けた。
 ……

 けさの中日新聞に「師走の街 黄金色」の見出しで銀杏(ぎんなん)の産地で知られる愛知県稲沢市祖父江町で一万本のイチョウが黄金色に染まっている、とカラーの航空写真入りで紹介されていた。記事には「一帯の『そぶえイチョウ黄葉まつり』は十一月二十七日に終わったが、今年は今が見ごろとあって観光客は絶えない」とあり「秋口の暖かさで色付きが例年より十日ほど遅れ師走にずれ込んだ」という。
  私とMは黄葉まつりの最終日に訪れ、ピークにはほど遠いことにガッカリして帰ってきているだけに、妙に納得。できれば、もういちど訪れたい心境でもある。二年前に目の前にした、あのおとぎの国のような黄金色は行ったものにしか分からないのである。

 【きょう1番のニュース】浪速のドラ教師こと、小学生の間で人気の的の大阪市淀川区に住む海野亜里さんから、思ってもいなかったクリスマスカードを頂いた。うれしかった。「伊神孝信様」あてのカードには、次のような文面が手書きで書かれていた(毎度のことながら、手書きはいいものだナと思う)。
 ここに全文を記録に残しておく。
―伊神さん 昨日12/3始発の新幹線に乗ってパレード見て来ました。落合監督のあいさつを聞き、これでわたしの2011年シーズンは終わりました。満足して、ナゴヤドームを一周して大阪に戻ってきました。
 伊神さんには、大阪のわたしにも、いろいろ気にかけていただき、本当にありがとうございました。シーズン中は、ドラゴンズに振り回されてる感じですが、それもとても楽しんでいます。
 CSから日本シリーズにかけては学校の授業後、すぐナゴヤへ向かうことが多く、連日ユニホームで授業をし、そのまま新幹線に乗っていました。子どもたちには、「今日も遠い所まで出張やねん…」と言いながら……
 日本シリーズ第6戦は、ヤフーまで行き、勝ったしゅん間、(やるだけのことはやった!)と、充実した気持ちで第7戦はTVで見て、両チームに拍手をおくりました。
 伊神さんも勇退されるとか…、おつかれさまでした! きっとナゴヤドームで会ってたんでしょうね。本当にわたしにとっても2011年はいいシーズンでした。どうもありがとうございました!
    ×    ×
 亜里さん! お礼を言わなければならないのはボクの方ですよ。海野さん、本当にありがとう! これからも高木新監督と選手、そしてドラゴンズ公式ファンクラブを、くれぐれもよろしくお願いしますね。海野亜里さんという存在は、たとえボクがファンクラブを去ってもボクの心の中で永遠に生き続けるでしょう。もう一度、本当にアリガトウ。(伊神権太より)

☆「石巻に派遣 高山の教諭 被災地の学校支えたい 急きょ担任に 教室に元気を 教職員重なる心労」、「福井の中3殺害再審 名高検、異議申し立て 早期開始は困難に」、「<核心>プーチン戦略 暗雲 ロシア与党議席減 長期政権に人心離れ 『声届かぬ』国民の不満噴出(モスクワ・原誠司)」、「冬柴鉄三氏 死去 元国交相、公明党幹事長 75歳」(6日付、中日朝刊)
 「柔道五輪連覇 内柴(正人)容疑者を逮捕 酔った教え子乱暴、否認」、「鈴木(宗男)元議員を仮釈放 受託収賄罪などで服役」(6日付、中日夕刊)

平成二十三年十二月五日
 このところは、北斗十一月号と文学界を手に通勤している。通勤とはいっても、あとわずかのことではあるのだが。なかで、いつも、書く人間の一人として刺激を受けているのが、やはり清水信さんの「ひたすら書いた人たち(28)」である。十一月号は、「歌集から始まる」「マチゲンガ」「中井久夫」「塚本哲三」「L・ヘルマン」「原田芳雄」「河野裕子」「加藤克巳」「遠藤周作」「中川とうよう」について論考が分かりやすく記されて意る。毎度読みながら九十歳の清水さんの、このエネルギーこそ「ひたすら書き続ける」お手本だといってよい。

 【きょうの1番ニュース】北斗の中で清水さんは歌人、河野裕子の絶筆として「昼前に月の光がすうすうす家族四人もひるんでしまふ」をあげ、「夫、永田和宏をふくめた家族4人のリレーエッセイを中心にまとめた『家族の歌』が刊行され、夫の歌もいろいろ読者の眼につくようになった。」と夫の本を紹介していた。
 私は恥ずかしながら河野裕子は初めて聞く歌人の名だったのでMに問うと彼女いわく「永田和宏が夫なんでしょ」のひと言。さすが何でも知っていた。
ここでMの何げない俳句をひとつ。
ー天の川賢治の星のありそうな 

☆「『逃げて』言い残し 消防団へ 亡き彼に“婚約指輪” 大船渡の女性手作り 遺影の前と左手に」(5日付、中日朝刊)
 「『ガラスのうさぎ』著者・高木敏子さん 震災と戦災痛みは同じ… 私も孤児 強く生きて 『12・8』開戦忘れぬ 思い強く」(5日、中日夕刊)
 
平成二十三年十二月四日
 相も変わらず日常の瑣末なことばかりを書いている。ふと、そんな時間があるのなら早く純文学や推理小説を書いてほしい。いがみの権太なら、ではの切り口のプロ野球も含めた社会批判もほしいーという厳しい指摘も、このところは聞こえてくる。有り難いことで、おっしゃるとおりだ。
 でも、私はこれでいい、と思っている。年内すなわち新聞社に務めている間(出社は二十日までだが)はこれまでの私、“いがみの権太”のスタンス、立ち位置は今までどおりでいくことにしている。
 何げない普通のサラリーマン生活を日々切り取っていき、そのなかにこそ、後の世に伝えていかなければならない重要な要素が含まれている、と思うからである。この文学日記を続ければこそ、今後私が書くであろう、文学も格段とスケールの大きいものになる、という確信があるからである。
 人間だから、切り口が甘くなることも当然ながら承知はしている。あちらたてれば、こちらは立たない。勢い、八方美人となってしまい、現実にあちこちへの影響を考え、逃げを打って書いているのは事実だ。それが人間の弱さでもある。
 だから、自分自身のへっぴり腰は痛切に感じている。でも私の哲学は、誰もが、その人なりに一生懸命に生きている以上、傷つけたくはない。傷つくのは私だけで十分だ。誰にも負けない時代の証言者である方が先決で、なじりあうような見苦しい争いなどはご免こうむる。
 ただ、世論を形成する新聞社に務めるという一種の企業風土のなかで少し生ぬるいのでは、もっと切り口鮮やかな厳しい批判をしてほしいーという痛烈な指摘も正しい。この日記の隠れた読者はかなりに及んでいるはずだが、時には私自身を厳しく糾弾していただくことも大いに覚悟している。それだけ反響が大きい証拠で有り難いことだ。
 というわけで、あとしばらくは、あくまで片寄ることなく、自然体でいきたい。そのうち化けの皮が剥がれるのは、時間の問題でもある。そうしたら、この日記文学はたまらなく面白くなるはずだ。

 さて、きょうはといえば。昨晩、帰宅草々、床に入った私は未明に起き、この日記のきのう分の執筆を続け、新聞をくわしくチェックしたあとは久しぶりにのんびりとし、午後はきのうの結婚式で疲れきっているのではーと心配な母の元をMと訪ねた。母は、私たちよりも元気そのもので、実家に着くと多くの洗濯物が庭先に干されていて安心した。人間、生きる力は年齢には関係ないような気がしてきた。こうした一日が生ぬるいのか。決してそうではない。それなりに懸命に生きているのだから。

 【きょうの1番ニュース】先日訪れたギンナンの里で買った「祖父江名物銀杏ラーメン」なるものを昼食に食べた。最初は「あっ、またラーメンか」と思ったが、「この間、祖父江で買ったラーメンよ」のそのひと言になんだか、美味しく感じたから不思議である。麺にする際に砕いて粉にした銀杏を入れたみたいで、麺そのものが緑色だった。

☆「<脱原発考> もんじゅ地元言えぬ『賛否』 敦賀で廃炉求め全国集会」、「昇格1年 柏初V J1 名古屋及ばず」「『歓喜の歌』で元気呼べ 岩沼の合唱団18日演奏会 名フィル川瀬さん指揮」、「就活学生 熱気ムンムン(大学三年生の就職活動解禁後、最初の週末となった三日、名古屋市港区のポートメッセなごやで) 初の週末 港区で合同企業説明会」(4日付、中日朝刊)
 「坂の上の雲『旅順総攻撃~激闘の第3部ロシア要塞攻略せよ』」、「NHKスペシャル“真珠湾”から70年▽日本人の戦争・第2回太平洋・絶望の戦場」など(4日夜、NHKテレビ)

平成二十三年十二月三日
 一時は猛然とした勢いで襲い私たちにふりかかってきた雨。その雨たちをものともせず、ボランティアの中日ドラゴンズ公式ファンクラブの会員たちは雨合羽姿で黙々と所定の位置に立ってパレード会場の警備に当たった。それでも、きょうはセ・リーグV2連覇優勝報告会のセレモニーとパレードが始まるころになったら、雨はあがり、「雨のち晴れ」の如く、まるでことしのプロ野球界を象徴するような、そんな日となったのである。何かにつけて。本当に、いろいろあった一年だった。

 私たちファンクラブの事務局スタッフはこの日午前六時十五分までに、セレモニー会場でパレード出発点ともなる久屋公園内の仮設テント前に集合。スタッフには事務局でシステム担当を手がけるキムラさんの妻、そして一年前まで事務局員として活躍されたクボさんも応援に駆けつけてくださり、雨の中を全国各地から駆けつけた四百人近いボランティアの受け付け業務から始まった。ボランティアの会員たちが、それぞれの持ち場(立ち位置)に向かうさなかには、一時土砂降りに近い雨降りとなり、このままだとパレードどころか、セレモニーそのものが空中分解同然に中止になってもおかしくない、と思ったが、そこはどうしてどうして。光りの広場ステージでセレモニーが始まった午前九時半過ぎには、不思議と雨は止んだ。

 ステージは、ノーボディノーズ+熊田曜子さん、SKE48らのゲスト出演で幕開けし、ファンクラブの誕生当初からファンクラブの名誉会員としてずっと温かい目を注いでくださったスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、ファンクラブのマスコット・ガブリとともに登場。今シーズンを終えた印象につき「とにかく疲れました」と第一声。「私はペナントレースはむろん、クライマックス、日本シリーズとドラゴンズの試合は全試合をビデオにとってリアルタイムで見続けてきました」「落合監督の魅力は、チームを強くしてくれる、この1点に尽きます。V2は、すごく嬉しかった」と述べ、続いて登壇した白井文吾オーナーが「ことしは、リーグ誕生七十五年目にして初めてリーグ連覇をかなえることが出来、これも皆さまの磐石なる応援のおかげです。また八年間の落合さんのご労苦には心から感謝しております。落合さんには今後もドラゴンズを温かく見守っていただきたい」と挨拶すると、ステージ下観客席のあちこちから一斉に、“オーナー”“オーナー”“オーナー”の歓声と手拍子が沸きあがり、その偉大なる存在感を見せ付けた。

 そして。最後に一段上のステージ中央にドラ戦士たちと共に立った落合監督は、いや、落合さんは当初、雨降りだったにもかかわらず光の広場を埋め尽くした大観衆に向かって、心なしか声を震わせてこう礼を述べた。
――この雨のなか(このころには、既に雨は上がっていた)、よくぞ皆さん、来てくれました。この八年の間に優勝四回だと皆さん、おっしゃいますが、私のなかでは「なんだ、たったの四回か。(ファンの皆さんのためにも)毎年、優勝しなければいかんじゃないか」という思いがありました。そしてきょうのパレードは五回目になります。ペナントレース、リーグ優勝となると、力がなければ取れません。でも、日本シリーズは、その時の運ということもあります。選手は皆、よくやってくれました。
 きょう私がここに来た本当の理由は、八年間たゆまぬ応援をいただいてきた、みなさまにお礼を言いたくて、その、お礼を言いたい一心でここに参りました。私のできなかった日本一を、ここに立っている、(森野選手会長や新しく選手会長を務めることになった吉見投手ら、この場にいる)この選手らが達成してくれるもの、と信じています。ありがとうございました。

    ×    ×
 引き続き、パレード出発地点で中日写真協会のフォトメイツ二人からオープンカーの落合監督と森野選手会長に、ファンクラブ会員代表二人からも浅尾、吉見両選手に、それぞれ花束が渡され、名古屋駅までのパレードが始まった。選手たちがパレードに出発したあとは、ファンクラブ事務局から、大任を終えたボランティア一人ひとりにアクリル製の感謝状盾が渡された。
 すべてを終え、メールをチェックすると、ファンクラブのお母さん、安江都々子さんから「お久しぶりです。今~パレード、伊神さん☆ の姿を見つけました。浅尾さん吉見さん、車の横でした、天気が、悪く残念でした。ご苦労様でした」と。セレモニー会場でばったりお会いした、東京の熱烈ドラゴンズファン村田愛衣さんからも「パレードを見る為途中で広場を出ましたが、去年より人が多く大変でした。落合監督の最後のユニホーム姿を見ることが出来てよかったです。」のメールが入っていた。
 そういえば、この日は早朝に、これまでファンクラブがボランティア奉仕などで何かとお世話になってきた伊奈さん一家の長女真由さんから「イガミさん、今月でお辞めになられるそうなので。ありがとう」と思いもしなかった花束まで頂いてしまい、感謝のしようもない一日となった。ありがとう、と言わなければならないのは私なのに……。

 この後、私は贈られた花束を胸に抱えたまま、栄で地下鉄に乗って池下のイル・ド・フランスへ。兄の長男良一君の結婚式と披露宴に出席するためである。わが家からは、私とM、三男と川崎から訪れた長男夫妻(次男は仕事の都合で欠席)で出たが、それはそれは素晴らしかった。良一君と新婦有希さんを見ていると、、両家のますますの幸せを願いたい。きょうは、たまたま雨だったが、中庭で行われた人前結婚式のころには、雨はあがり澄んだ空気のなか、清らかな式となった。バイオリンやチェロなどの調べもステキだった。
 私は乾杯の音頭を取らせて頂いたが「お天気次第という言葉がありますが、きょうもお天気サマ様でした。天気を妻に例えますと、妻がいつも笑顔でいれば家庭はよくなります。良一君には底知れないスケールの大きさがある。有希さんに初めてお会いしたときは、キューピットというか、妖精、幸せを運んでくれる天使のようなものを感じました」などと思ったとおりのことを、ひと言添え、乾杯の音頭を取らせていただいた。
 兄貴夫妻の喜びはいかほどか。底知れない。それと、結婚式と披露宴には満九十一歳の良一君の祖母、すなわち私たちの母親も参列して、目を細め心から嬉しく楽しそうでした。良一くん。本当におじさんたちも嬉しい。幸せになるのだよ。幸せは二人で創るものなのだ。

 【きょうの1番ニュース】雨に始まった一日だったが、パレードも結婚式も、始まるころには不思議とやんでくれ、それぞれの思いと、願いが「天」に通じた。良一くん、有希さん夫妻の輝くあすの扉を開くような、そんな歴史的な一日となった。
 (そして、アタイからも追加し報告させて頂きます)オトンとオカンのMは夜、帰宅するや泥のように眠りこけ、アタイと妹・シロの相手をほとんどーと言ってよいほどしてくれませんでした(ご飯だけは食べさせてくれましたが)。ふたりとも、よほど疲れたに違いありません。デ、三日の笛猫人間日記のアップは四日朝になりました。お許しください。それでも、オトンは深夜未明に起き、たったいま日記を書き上げたのです(四日午前八時四十五分を過ぎたところです)。

☆「復興の道 照らせ 仙台『光りのページェント』(復興への希望を込めて電飾されたケヤキ並木が一斉に輝いた)」、「東電事故調 津波13メートルが原因強調 『対応に問題なし』と報告」、「竜の晴れ姿 間近で 優勝報告会 徹夜で場所取り」、「国内最高齢115歳女性死去(長寿日本一の長谷川チヨノさんが二日午前八時二十八分、老衰のため佐賀県基山町の老人保健施設で死去。長谷川さんが生まれた1896年=明治二十九年=は、大津波で岩手県を中心に約二万二千人が死亡した明治三陸地震が発生した)」、「編集局デスク 開戦の『なぜ』=編集局次長・真能秀久」(3日付、中日朝刊)、
 「Vパレード 沿道に37万人 連覇の竜 歓喜包む」、「感謝の賀状届けたい 震災被災地住所録流失 『おめでとう』は書けないけど 親類、支援者へ近況」

平成二十三年十二月二日
 けさの新聞によると、プロ野球のセ、パ両リーグの最優秀選手(MVP)が昨日、東京都内で開かれた「二〇一一日本プロ野球コンベンション」で発表され、セ・リーグは球団初めてのリーグ連覇を果たした中日の浅尾拓也投手(二十七歳)が初受賞した。また、パ・リーグはソフトバンクの内川聖一外野手(二十九歳)が初めて選ばれた。このうち浅尾は今季79試合に登板。七勝二敗十セーブ、防御率0・41で連覇に大きく貢献したが、浅尾のように主に中継ぎで活躍した投手の受賞はプロ野球史上でも初だ、という。

 浅尾選手快挙の一方で、新聞各紙はクリントン米国務長官がミャンマーでアウン・サン・スー・チーさんと会談したことを伝えている。クリントン国務長官はスー・チーさんに会うに当たって、ミャンマーのテイン・セイン大統領とも会談、ミャンマー政権が進める改革が持続すれば、「大使の相互派遣につながれるだろう」とも述べたという。

 【きょうの1番ニュース】ドラゴンズの高木守道新監督が名古屋市中区の中日パレスで記者会見、背番号は「88」、キャッチフレーズは「ファンとともに」だ、と断言した。この先、ドラゴンズをどのように育てていかれるのか、大いに楽しみである。
 高木さんは、記者会見に先だって中日新聞本社内、七階の中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局をわざわざ訪れてくださり、スタッフ一同感激。このところの大車輪に「高木さん、おからだ大切にしてください。」との私からの言葉に「そのうちに、倒れてしまうかも」と、冗談でひと言述べられた。

☆「米国務長官 スー・チーさんと会談 ミャンマー大統領に 国交の正常化言及」、「歯の幹細胞で脊髄損傷治療 歩行機能が回復 名大ラットで神経再生」(2日付、中日朝刊)
 「本当はやめてって 『子への手紙』大賞 原発放水レスキュー隊員の母 頑張ってきなさい 言うしかなかった」「ファンとともにVを 中日・高木監督スタート」(2日付、中日夕刊)

 平成二十三年十二月一日
 ことしも、残すは、あと一カ月。
 今夜は、仕事を早く切り上げ、徳川美術館の敷地内にある宝善亭を訪れた。小中陽太郎さんや黒田光太郎さん、野田昇司さん、大西文一郎さん、四辻秀紀さん、山副宏さん、浜田八郎さん、堀家賢さんらによる人呼んで“ヨタロウ会”から成る忘年会で、ことしも有意義なひと夜となった。
 なかでも十二、三年ほど前、私が新聞社の文化芸能局の部長時代に何かとお世話になった葵作法会の代表石黒弘子さんにお会い出来たことが、何よりもうれしかった。ほかにも、名古屋市西区で弁護士として活躍されている北村明美さん、御菓子司「美濃忠」の代表取締役社長・伊藤好子さん、さらにはCBCテレビ広報部長の後藤克之さん、アムネスティインターナショナル日本の津田秀一さんら社会でご活躍の方々ばかりと歓談でき、久しぶりに目を国内外に広げることができた。
 個々のあいさつでは、名古屋芸術大学教授でピアニストの菅原美枝子さんの言葉「どんなことがあっても、あすの日がくる」が特に印象深く、みなそれぞれに人生を前向きに生きているな、とつくづく心強く思ったのである。ことしは東日本大震災が起きた年でもあり、黒田さん(元名古屋大学副学長で工学博士、現名城大学教授)による原子力関係の論考もあった。

 けさの中日スポーツによれば、プロ野球のセ、パ両リーグが十一月三十日に今季の最優秀新人(新人王)を発表、それによると、セ・リーグが巨人の沢村拓一投手(二十三歳)、パ・リーグは西武の牧田和久投手(二十七歳)が選ばれた。巨人からはプロ野球初となる四年連続での受賞となったという。それにしても、過去十年の両リーグ新人王のなかに、なぜかドラゴンズの選手がいないのが、なんとも不思議で違和感を感じる。来年こそ、新人王はドラゴンズの選手に取ってほしい。

 【きょうの1番ニュース】社長あてに十二月三十一日付の退社届けを出した。出社は二十日まで、である。いよいよ私の新聞社での生活は終わりを告げる。なんだか少しだけ寂しい気がする。みなさんのおかげで、ここまで来れたなーと心から、感謝をしている。

☆「中電労組、民主へ4400万円 統一地方選控えた昨年 県議・市議に多額 政治資金報告書」、「前川さん再審へ 『異議申し立て断念を』 弁護団、高検に要請書」、「紅白に愛菜ちゃん&福君 出場55組発表」(1日付、中日朝刊)
 「<虹いま寄りそう> 踊る鍵盤 心ほぐす ピアノ教室 (岩手県陸前高田市の)プレハブで再開」、「オリンパス元社長 取締役辞任 トップ復帰へ 委任状争奪戦」(1日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月三十日
 中日ドラゴンズ公式ファンクラブ担当でファンクラブの発展に尽力されたTさんが中日写真協会の方に、あす付で異動されるということで夕方、代表の女性スタッフから花束が渡された。お疲れさまでした、とみんなで拍手してお送りした。

 それはそうと、月日のたつのは、本当に早い。人々の生活は、表面上ゆったりと過ぎているようだが、実は流れ星のようにはやい。その流れ星のなかで、私たち人間は目先のことに右往左往しながら生きているのが、現状だ。ファンクラブ事務局からTさんが居なくなり寂しくなるが、こんどはこれまでもファンクラブと販売店の間のパイプ役として、ことのほか力を注がれてきたK氏がトップとして常駐される、とのこと。今後のファンクラブには、これまでどおり大いに、その手腕に期待したい。

 毎日新聞の朝刊連載小説「マルセル」(高樹のぶ子作)が、ここにきて読み応えがある。そのさわり部分は、こうだ。
――「……やはり必然必定ですか。わたしは人間の意思がすべてを決めると考えます。あの人、山田花子は、父が言ったように死んでいますか? 生きているでしょう? 生きているはずです。あの人、葉子さんの葬儀に参列していた。真っ赤なバラを供え続けたのは、あの人でしょう? 復讐を遂げた勝利のしるし? いえ、もっと深い悲しみが込められていたのではありませんか?」

 【きょうの1番ニュース】このところ、帰宅するとは「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」といった文面のはがきが届いており、なんだかやり切れなさ、ばかりが頭の中を旋回している。きょうも「義父Fが四月十三日に八十六歳で永眠しました」「母 春子が八月に九十五歳にて永眠致しました」と書かれた二通がデスクの上に置かれていた。

☆「沖縄防衛局長を更迭 侮辱発言『弁解の余地なし』 アセス提出 年内変えず」、「名古屋市 市長減税7パーセントに譲歩 修正提案、可決の公算」(30日付、中日朝刊)
 「前川さん再審開始決定 86年 福井の中3女子殺害事件 『知人供述に疑問』 名高裁金沢支部」、「大関・稀勢の里『精進』 昇進決定」(30日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月二十九日
 このところ、朝、昼、晩と、久しぶりに、あちこちを動きまわっていたので、さすがにきょうは疲れ、出勤途中に電車の車内で熟睡とあいなった。それにしても、年を取って動けば動くほどに、寒いふところから容赦なくお金が飛ぶように、わたしのポッケからもいずこかへと消え去っていく。でも、まぁっ、いいか。
 私は、このところ、たいしたお金でもないが自分がたとえ、少しでもお世話になった場合には『くれちゃう』精神でいこう、と内心で決めている。ケチケチしなさんな。どうせ、たいしてはない、お金なのだから。有り金果たす気概でいこう、と思っている。なんだか、こういうこと自体がケチくさいようで嫌では、あるが。ここ二、三日で東京往復の交通費も入れ、ほかになんやかんやと散財したが、ゆうに六、七万円はすっとんだ。
 でも、これでいいのだ。私は、これからは、目にはみえねど、自分自身が輝く光りを一つひとつ手にとって、さふして私のからだというポッケに一つひとつを入れていこう、と思っている。やがて私のからだには光りという光りが集まり、少しは世のため人のためになれる日がくる、来ルかもしれない。本気でそんなようなことを思っているのである。

 【きょうの1番ニュース】Mが自室一階のデザインというか、コーディネイトをガラリと替えていた。昨夜は帰宅が深夜で遅く気が付かなかったが、けさ起きて部屋をのぞき一変していることに驚いたのである。「まだ途中なんだよ」とM。どんな部屋に変身するのか、私としては興味津々である。

☆「福島第1 吉田所長 入院、退任へ」、「被災地へ 1万通の愛 春日井の市民団体 『心のラブレター』第一便」、「難を転じる年に 郡上でナンテン大豊作」(29日付、中日朝刊)
 「辺野古アセス『犯す前に言うか』 沖縄防衛局長が問題発言 更迭含め処分へ』(29日付、中日)

平成二十三年十一月二十八日
 大阪市長と大阪府知事のダブル選挙が昨日投開票され、市長選は地域政党「大阪維新の会」代表で前大阪府知事の橋下徹さん(四十二歳)が、知事選の方も維新の会幹事長で前府議松井一郎さん(四十七歳)が、それぞれ二位に圧倒的な差をつけて初当選した。

 大相撲九州場所はきのう千秋楽で横綱白鵬が優勝したが、単独トップとなる九度目の全勝優勝は飾れず、大関把瑠都(ぱると)にはたきこみで敗れた。関脇稀勢の里は、大関琴奨菊にわたしこみで破れ十勝五敗に終わったものの、相撲内容などが評価され、場所後の大関昇進が決まったという。めでたいことだ。これからは、稀勢の里と琴奨菊の日本人大関が中心となって大相撲を盛り上げていってほしい。
 残念だったのは、Mの大好きなグルジア出身の黒海が一勝十四敗と振るわなかったことである。それにしても、黒海は最近でこそ十両に落ちはしたものの、ずっと長い間、幕内に踏み留まり続けてきただけに、惜しくて仕方がない。再起を祈りたい。

 きょうは仕事を休んで昼から東京へ。東京會舘でのペンの日懇親会に出た。十数年前、推挙され小説家としてペンクラブに入り、この懇親会に出るのは初回(確か、このときは余興であったクイズで有名ホテルへのペア券=二十万円前後=があたり、驚いた記憶がある)と入会後七、八年たってからに続き、実に三回目で、これまではほとんどご無沙汰していた。私は年内で新聞社を退職することもあり、あいさつがてらの思い切っての出席となった。

 【きょうの1番ニュース】東京のペンの懇親会に先駆け、株式会社ジェーアンドシー社長・日名内太郎さんにお会いしたのち、中野に住む詩人・最匠展子さん宅を訪れた。彼女は、ほとんど寝たきり状態だが、私の姿を見て本当にうれしそうだった。私もうれしく、彼女は「奥さまに」とMに高価なチョコレートまで買ってくださっていた。懇親会でのことは、また改めて書きたい。

☆「チェルノブイリの経験学ぶ 政府、ウクライナと協定 来春にも締結へ」(28日付、中日朝刊)
 「飯館村復興計画 『2年後帰還』危ぶむ村民 家族間も考えばらばら 除染効果『低い』生活『戻らない』」、「一宮・真清田神社宮司 飯田清春氏 死去 71歳=惜しい人物を亡くした」(28日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月二十七日
 日曜日。あさ、早くからMを伴い、ドライブがてら、“そぶえイチョウ黄葉まつり”が行われている稲沢市祖父江町山崎に出向いた。すっかり黄一面になっているもの、と楽しみにして訪れたが、ことしは見ごろまではあとしばらくかかりそうで、ちょっぴり残念。二年前に見た、あの辺り一面金色の、おとぎの国さながらの世界に出会うことはかなわなかった。俳句を吟じるMも、少し期待がはずれた面持ちだった。
 その代わり祐専寺境内で行われていた津軽三味線を楽しんだり、抹茶をいただいたり、あげくはギンナンチャーハンとギンナンの豚汁を一人前注文し、半分ずつ食べたが、それはおいしかった。ギンナンのラーメン、さらにはシュウマイ、カレー、肉まん…に、本場のギンナンも買って帰宅とあいなったが、息子に、と買ったはずのギンナンチャーハンが買い物袋の中に入っておらず「せっかく頼んだのに、入れ忘れみたい」とMは残念そうだった。
 いずれにせよギンナンまつりの会場は天候にも恵まれ、見物客で押し合いへし合いといったところ。お年寄りの団体客もおり、「お天気しだいだね。この世の中、なんでもお天気次第なのよ」(M)の言葉が身に染み入った。

 午後は中部ペンクラブの理事会出席のため、名古屋のつちやホテルへ。先にあった文学散歩の反省と、次回の案などにつき話し合われた。文学散歩の内容については、中部ペンラブの会報(12月1日付、第59号)に文芸中部の福冨奈津子さんの筆で「文学者ゆかりの地と尾張の歴史を歩く」の題で紹介され、参加者の皆さんの感想も好評だっただけに、企画委員長の石川好子さんともども関わってよかったな、と心から思った。
 何よりも観光地ずれしていない生駒屋敷(織田信長の側室・吉乃が住んでいた)や吉田龍雲邸前の土蔵跡(昭和三十四年の伊勢湾台風で崩れた蔵の跡から戦国時代を今に伝える“武功夜話”が出てきた、その土蔵跡)、長編詩「大和し美し」で知られる詩人・佐藤一英ゆかりの万葉公園などを訪ねたことがよかったようだ。

 【きょうの1番ニュース】中部ペンクラブの理事会が終わるや、私は名駅構内のパン屋でパン数個を買い求めて帰ったが、江南駅から乗った江南団地行きの名鉄バス車内の中に、そのパンを忘れてしまい、あわてて名鉄一宮営業所に電話。江南団地でUターンしてきたバスが愛栄通りのバス停まで来たところでパンを受け取った。かつて携帯電話をバス車内に忘れて大慌てしたことはあるが、パンは初めて。なんとも恥ずかしい限りだ。運転手さん、ありがとう。別に腹のなかに入れてしまい、しらばっくれることだって出来るのに。さすが、名鉄バスの運転手は、みなさん実直だ。

☆「東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町で新巻きザケの天日干しが続けられている。=通風筒」、「<脱原発考> 原発実態 目そらさず 滋賀弁護士会 福井に13基『自分の問題』」、「原発ゼロへ 人間の鎖 4000人が浜岡取り囲む」、「<なにわの乱>大阪のあす 誰に くいだおれ太郎と聞いた ダブル選 最後のお願い 修学旅行生、芸人…反応さまざま』」(27日付、中日朝刊)

平成二十三年十一月二十六日
 土曜日。午前中は飛高公民館で行われているフォークダンス教室へのMの送り迎えの合間に、新聞をチェックし(今や新聞記者の現役でもなく、そんな必要はないのに。悪い癖かもしれない)、現在の仕事=中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局の一スタッフ=を退職後に自分の進む道についての構想を頭に描いてみる。世の中、そんなに甘くはない。だから、私が計画する通りに事が運ぶかどうかは、皆目、検討もつかない。

 午後は、久しぶりに実家へ。室内からピアノの音がするので、誰か来客でも弾いているかと思いきや、私の母が両手でからだで拍子を取りながら、練習曲を弾いていた。満九十一歳のピアニスト。それはそれは、お見事かつ、美しい音色で、おったまげた。母がピアノを弾いているところなど生まれて初めて見た。
 「どこで、教えてもらったの」と聞くと、母いわく「久美ちゃん(私の妹の娘さん、姪である)が結婚する前に少しずつ私に教えてくれていたの」とのこと。その後、彼女が嫁ぎ、父が他界。母はピアノに向かう気もしなかったが、最近になり「おかあちゃん、せっかく久美ちゃんに教えてもらったのだから、もう一度練習する気になったの」というわけ。それにしても、軽やかで、まるでピアノ教師が弾いているのではーと錯覚してしまった。退職したら、母にピアノを教えてもらおうか。
 ちなみに、このピアノは兄の妻でホスピスなどでの音楽療法の先駆者でもある妙子姉さんが所有する二台のうちの一台、置き場に困り部屋数の多い実家に置かれているのだ、とのこと。大いに役立っており、結構なことだと思う。

 というわけで、しばらく母の弾くピアノに夢心地で聴き入ったあとは、近くにある私と母の畑へ。ここでミカンを少しばかりもいで帰った。母が退職後のことを盛んに聞くので「売れないけれど、社会に光りを注ぐ一文無しの文士になる」とだけ、答えておいた。それにしても、父からの遺産として譲られた土地は、なんとも広くてありがたいことだ、と素直に感謝している。この“力”を社会に役立てないわけにはいかない。

 夜に入り、少し余裕があったので、私はメーテレの「美空ひばりメモリアル不死鳥ライブ」を、MはMで土曜プレミアム「世にも奇妙な物語」をそれぞれの部屋で見た。私は、少年のころからひばりの歌が大好きだっただけに、「リンゴの唄」や「越後獅子」「悲しい酒」「柔」「真っ赤な太陽」「みだれ髪」「愛燦燦」など、その時々の時代風景を思い浮かべながら、この番組をじっくりと味わった。
 中でも、ことし東日本大震災で悲しく辛い思いをした塩屋の岬が舞台となった「みだれ髪」は、ひばりさんが亡くなるほんの少し前、昭和六十二年十月に誕生していたことに改めて思いをあらたにしたのだった。そして翌六十三年、東京ドームでの伝説のステージでの彼女の姿は歌に命をかけるひばりさんの、それこそ鬼気迫る情念のようなものを感じたのである。

 【きょうの1番ニュース】二十八日に私用(日本ペンクラブのペンの日懇親会)で社を休んで上京するため、世界遺産を撮り続ける世界的カメラマンH氏に会えれば、と電話したが、どうも受け答えがおかしい。
 最初のうちは少し会話を交わしたが、そのうちに受話器を持ったまま何も話さなくなり、電話もプツリと消えてしまった。デ、おかしいなーと思っていたら「私、Hの友人ですが先ほどの電話、失礼してしまいました」の電話が女性の声で入った。からだの調子が悪くて、東大病院に入院中だと分かり、返ってこちらが迷惑をおかけしてしまったようだ。私としては「Hさんは、不死鳥の国際的写真家だから、きっとよくなりますよ。よろしくお伝えください」と伝言をおつたえしたものの、心配だ。早く、よくなってほしい。

☆「原発事故『防災圏拡大』耳傾けず 99、00年 安全委、指針改定時に」、「白鵬21度目V 九州場所5連覇」、「男性61パーセント 『交際相手ない』 女性49パーセント」、「緑の魔法 輝くツリー 名古屋テレビ塔」、「<評伝>西本幸雄氏死去 パ一筋『悲運の名将』 V8回 日本一に届かず」、「巨人前代表 清武氏 来月にも提訴 再度会見 声明発表 球団側『解任は正当』」(26日付、中日朝刊)
 「<虹 いまよりそう> 全線運休続く南リアス線 三鉄(三陸鉄道)復旧へ 希望包んで 岩手・大船渡 車体色表現 クレープ復活」、「サバが消える? 日本の9割ノルウェー産 アイスランド乱獲 北東大西洋 温暖化で回遊変化(ヨーロッパ総局・有賀信彦)」(26日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月二十五日
 けさの中日新聞によれば、プロ野球の今シーズンの守備のベストナインを表彰する三井ゴールデングラブ賞が二十四日に発表され、ヤクルトの宮本慎也三塁手が選ばれた。十一月一日現在で四十歳十一カ月での受賞はセ、パ両リーグを通じて史上最年長となった。これまでの最年長は1980年に受賞した巨人の王貞治の四十歳五カ月だった。
 初受賞は、計八選手。中日からは投手部門で浅尾拓也、捕手部門で谷繁元信、外野手で大島洋平選手がそれぞれ選ばれた。浅尾が「欲しくてたまらなかった賞です」と話せば、大島も「自分は守備が売りだと思っており、プロ入り前から一番取りたい、目標としていた賞です」の弁。また二年ぶり、五度目の受賞となった谷繁は「100試合ぐらいしか出場しておらず、取れるとは思っていなかったので、非常にうれしい」と語っている。

 夜。名鉄江南駅で電車を下車。これまた“名鉄さん”の古知野高校経由江南団地行き定期バスに乗り、愛栄通りで降りて徒歩で帰宅したが、毎度ながらバス運転手さんの親切心には、頭が下がった。こうした運転手さんのバスに乗れば、なんだか得したような、胸弾んだ気持ちになるから、不思議だ。
 この運転手さん、車内に掲示されている名札を見た限りでは「宇佐美徳雄」さま、その人である。以前にもこの日記で一、二度触れさせて頂いたが、出発時に「ハイ、(午後7時)59分の発車です。」と車内アナウンスをされた宇佐美さんは、引き続き「きょうはおつとめご苦労さまでした」「ハイ、右に回ります。足下にご注意ください」と乗客一人ひとりに呼びかけられ、なんともステキだった。バスに乗車後、数えただけでも「きょうはおつとめご苦労さま」の言葉が四度、五度…と繰り返され、なかなかの運転手さんである。私は愛栄通りで降りる際、思わず感謝の気持ちで「ありがとう」と礼を述べていた。

 【きょうの1番ニュース】勤務のあと、帰りに訪れた上前津の笛の師匠宅。私は「酒よ」を二度にわたって吹いてみたが、「イガミさん。いける。いける。笛の音が、よく出ている。なかなかいいじゃないの」と、お褒めを頂き、なんだか恥ずかしいけれど、有り難い気持ちにかられた。

☆「大震災後 11活断層で地震急増 長野・堺峠66倍 岐阜・猪之鼻11倍」、「米軍族 一転起訴へ 死亡事故で那覇地検 日本裁判権、米が同意」(25日付、中日朝刊)
 「『女性宮家』など検討 皇族減少の課題伝達 宮内庁、首相に」(25日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月二十四日
 新聞報道によれば、愛知県豊田市足助町の香嵐渓で紅葉が見ごろを迎えている。十月から十一月中旬にかけて気温が例年より高く昼夜の寒暖差が小さかったため見ごろはいつもの年より一週間ほど遅れているという。それでも、ここ数日の冷え込みで一気に赤く色づいたようだ。     
 紅葉といえば、日本一のギンナン生産地・稲沢市祖父江町で二十七日まで「そぶえイチョウ黄葉まつり」が開かれている。中日新聞尾張版には「黄色に色づき始めたイチョウが訪れた人たちを楽しませている。会場の名鉄山崎駅周辺を中心に、町内には一万本のイチョウが植わっており、多くの来場者が散策したり、カメラに収めたりしていた。」とある。
 私たち自身、祖父江町のイチョウは二年前に満喫したが、それこそ黄一面の風景は得も言われぬ美しさでまるでおとぎの国に居るような、そんな錯覚を覚えた。黄一色のイチョウの中をかいくぐるように走る尾西線の赤い列車がまた、格別だったと記憶している。
 イチョウと言えば、今は亡きフランク永井さんの“公園の手品師”を思い出してしまう。Mがこの世で一番好きな歌手であり、歌である。

 というわけで、季節の移ろいとはいえ、寒くなった。私はきょうからコートを着て出勤することとした。相変わらず、右ポケットの一部は少し穴があいたままだが、かつてこれを着て和倉温泉の老舗「加賀屋」を取材で訪れるつど当時の小田禎彦社長(現会長)が「ガミさん、支局長、刑事コロンボそっくりだがね。どぎゃあも、こぎゃあもなゃあがいね」と下手な名古屋弁を駆使して私をからかったものだ。
 小田サダさ(私は当時、小田社長のことをこう呼んでいた)は、あのころから、なかなか庶民的で七尾青年会議所メンバーをぐいぐい引っ張って七尾のマリンシティー運動を成就させるなど一般市民の受けもよかった。サダさの弟さん(孝信氏)が私と同じ名前であるばかりか、また優しいお方で二人の母親・タカさんが亡くなったときには、二人とも枕元でオイオイと泣いており、どう言葉をかけてよいものかどうかー戸惑ったものである。

 午後七時過ぎ、北海道日高地方の浦賀沖を震源に震度5弱の地震が起きた。えりも町などで一時計三千九百世帯が停電したが、津波などはないようだ。

 【きょうの1番ニュース】毎日新聞の朝刊連載小説「マルセル」(高樹のぶ子)が、いよいよクライマックスに差し掛かり、さすが高樹さんならでは、の筆が、読者を迷路に引きづり込みつある。最後が、どんな形で終わるのか、が楽しみだ。

☆「仮設 つらさ しみる 不足・追いだきなく不安 重複・暖房複数配布『置けねえべ』」、「豊穣の秋 射止めた 桑名・多度神社」、「(「落語は、人間の業の肯定だーの名言を残した)立川談志さん死去 75歳 立川流、落語界に旋風」(24日付、中日朝刊)
 「(岩手県陸前高田市の高田松原で一本だけ生き残った)奇跡の一本松ピンチ 海水で根の傷み激しく」、「豊川一家5人殺傷 長男『殺意分からない』 名地裁岡崎支部初公判 起訴内容を一部否認」、「東証続落8200円割れ 2年8カ月ぶり安値 同時株安様相」(24日付、中日夕刊)

平成二十三年十一月二十三日
 プロ野球の日本シリーズも終わり、きょうは勤労感謝の日だ。午前中、中高校時代からの親友・お祥から久しぶりに電話がかかり、話が弾んだ。彼は、ついこの間まで農協組合長という要職にあったが、最近勇退。その後にアキレス腱を切ってしまい入院したと聞いていただけに、心配していた。でも、話すうち、治りは遅いものの少しずつ回復してきているーというので、ホッとした。お祥には滝中、滝高時代はむろんのこと、社会に出てからも、何かと力になってもらっており、感謝のしようもない。私の著作など売り出すたびに、まとめて購入してくれてもいる。いわば、命の恩人にふさわしい存在である。

 午後は名古屋へ。私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」が、テーマエッセイのアップや日ごろのメインテナンスなどでことのほか、お世話になっているバイオリニスト来島里奈さんが出演されるというので中区の損保ジャパン人形劇場ヒマワリホールに一人で出向いた。私のよい癖なのか、悪い癖なのか、思い立ったらすぐに動き出さなければ気に入らない性分のせいで開演の午後二時直前に入場料を払って間一髪ホール入り、した。
 演題は「フラワーズー小泉八雲作品集より」で、来島さんのバイオリンは相も変わらず彼女ならでは、の重厚かつ、一人ひとりの魂に挑戦的に訴えかけてくるものだった。若者たちによるアングラ劇の方も、殆ど無音のなか音楽の調べと光りの反射のなかを進行する無言劇で迫力十分。かつての天井桟敷を思い出させ、八雲の訴えたいものが十分に伝わるものだった。それにお多福の面をかぶった人間が出てきたと思ったら、知らぬ間に髑髏(ドクロ)の面に切り替わるなど、パントマイム仕立てながら十分に迫力ある内容で「行ってよかった」とつくづく思ったのである。
 そればかりでない。ステージで八雲の妻・セツが「八雲が好きだったのは、夕焼けと海、虫……でした」と語りかける場面がとても印象的で、♪知っていますか 知っていませんか すぐに死ななければならない虫、かわいそうな虫……と続けるセツには八雲のすべてのいきものに対する愛情のこまやかさを感じた。私は帰りの名鉄電車の中で、さっそく<来島さんのバイオリン、奥行きが深く艶もあり、全身震えました。小泉八雲の演劇も無音の表現力が、とてもステキでした。ありがとう>とメール、彼女からもすぐさま「来て頂いていたのですね。ありがとうございました。感想ありがとうございます。とても嬉しいです!」の返信が届き、鑑賞させていただいてよかったナ、と思った。

 夜に入り、テレビニュースで古典落語界の異端児・立川談志さん=元参議院議員=の訃報(享年七十五歳)が伝えられたかと思うと、続くスポーツニュースの画面では、名古屋市の名鉄百貨店57周年スペシャルトークショーの席でわれらが高木守道新監督が新生ドラゴンズのキャッチフレーズを問われ「ファンとともに」と答えるーなど、いよいよ“高木竜”の出発である。
 人格、識見ともに申し分なく、老若男女の別なく元気と勇気を与えてくださる高木竜が、今まさに飛び立とうとしているのだ。一ファンとしても大いに期待したい。

 【きょうの1番ニュース】Mが(江南)市内の、わが家のお抱え本屋さんにお願いしておいた季刊総合文芸誌三十五周年記念号「抒情文芸(じょじょうぶんげい)」第140号=編集人・川瀬理香子、発行人・小山内剛、発行所・抒情文芸刊行会、印刷所・文唱堂印刷。定価七八〇円、送料二四〇円=がやっと届き、さっそくページを開いた。じっくり読ませてもらおう。Mによれば、この本は、小説・詩・短歌・俳句と読者投稿を中心に編集されている、日本でただひとつの抒情文芸誌だという。記念号だけに、金子兜太さんらの記念寄稿も収録されている。

☆「原発事故 飲み水守れ 琵琶湖 汚染予測構築へ 滋賀県、来年度から」、「最後は笑顔 名将去る 落合監督 会見20分 『非常に楽になりました』」、「(五カ月半ぶりに地球に帰還した)古川さん NASAへ移動」(23日付、中日朝刊)