【マボロシ日記】時計よごめん

 その時計は、大学進学で上京する私に、高校の同級生のTちゃんがお祝いにくれたものだった。
 Tちゃんは高校入試に失敗し、私と同じ高校に入学した。ショックを乗り越え、人生の吹き溜まり状態だったクラスに馴染み、3年間学年で上位の成績を取り続けた彼女は、就職が主だったクラスで数人だった「進学」という道を選んだいわば同士だった。
 見た目が元気でさばけており、それでいて気持ちが優しく可愛らしい彼女のことを私は気に入っていた。
 後に担任の先生が言ったのは、もっと難関大学でも受かったと思うが、高校受験失敗時のような気持ちは二度と味わいたくないという彼女の思いが強く、偏差値の低い安全な大学に進学を決めたということだった。
 先生の話を聞いて、高校受験失敗は、どんなに彼女にショックを与えたかを思った。その繊細さゆえに、受験本番であがってしまい、実力が発揮できなかったのではないかと思いやった。
 進学クラスの生徒を差し置いて、第一志望の大学に合格した私をすごいと言い、彼女は「お祝いをしてあげる」と、昔あったプレゼントハウスだったか、さまざまなプレゼントをたくさん扱っている店へ一緒に行き、私が気に入った時計を買ってくれたのだった。
 両手で抱えるほど大きな丸い形の置き時計で、黒くて、上部に持ち運びができる取っ手と、金色のベルが付いていた。形がちょっとレトロな所と、けたたましく鳴る大きな目覚ましの音が、朝寝坊の私にぴったりだと思った。
 体が大きい分、文字盤が大きいところも、強度近視の私にぴったりで、ぼんやりした朝も、夜の暗闇でも見やすかった。
 電池は大きい割に意外と長持ちで、めったに交換しなくても良かった。遅れるというより、止まるので、取り換え時も分かりやすい。授業に遅れそうな朝も、友人と夜通し語り合った夜も、ホームシックに泣いていた日も、地震の時も、どんな時でもいつもそこにあり、一緒に引っ越しをし、卒業後実家にも連れ帰った。
 会社員時代も、毎朝その子の顔を見て出勤し、仕事独立時も、結婚時も新居へ連れて行き、出産時もそばにいた。
 そんなにも一緒に長い歳月を過ごした時計なのに、その最後を正確に思い出せないのである。
 街にはたくさんの時計が溢れている。いつしかその時計に飽きて、そろそろ替えてみたい、そんな気持ちが無意識によぎるようになった。
 でも時計は時を刻むのを止めない。私は、もういいよ、と思い始めた。そしていつからか、電池を換えても針が動かなくなり、その子は傍らからいなくなった。
 見上げると、白い壁に、おしゃれな掛け時計が掛かっている。家を新築した時に気に入って購入したものだけど、時計の白色は家の白い壁と同化し、文字盤が小さく、とても見にくい。一日に何度もその時計を見るたびに、床置きにしたあの大きな黒い時計が懐かしく思い出される。
 一緒に暗黒の高校3年間を乗り越えたTちゃんの顔が浮かぶ。高校卒業後会っていないが、年賀状は毎年届く。写真の娘さんの部活のユニフォームに、Tちゃんが入試で涙を呑んだ高校の名前がプリントされているのを見て、良かったねとしみじみ思う。あれからどれだけの時間が流れただろう。あの時計はもういない。

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