一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2025年6月~)
2025年6月30日
月曜日。夏越の大はらいである。相変わらずきょうも暑い1日だった。それにしても私の心臓は生まれてこの方、79年余もの間、ずっと動きつづけているから、そのことが信じられない。動かなくなっても不思議でないのに、である。見えない神からの矜持以外の何ものでもない、と。そんなことを思ってしまう。こんなことを思うこと自体が年をとったせいか。
きょうは、先日何かにひっかかってしまいそうになった左足小指の爪を切る。こんなとき愛猫シロちゃんが居てくれたのなら。きっと、不思議な顔をしてじっと何かを考え、わたくしがする仕草の全てを見守っていてくれたはずなのに。今は、わが家で見守ってくれる人はいない。
先日、能登の輪島市門前町道下第1団地集会所であった能登半島地震の復興支援コンサートの心のこもったビデオ3本が輪島の安本和秋さまから送られてきた。恐縮の至りだが、わが家の宝と思い、この先ずっと大切にしたく思う。
午前中、いつものように、ゴミ出しをしたあと舞とシロの遺影を前に、エーデルワイス、みかんの花咲く丘、能登の明かりの順にスマホのユーチューブに耳を傾け、岡ゆう子さんの【おんなの罪】にも耳を傾けてみる。引き続き、こんどは新聞を読み始めると【H2A有終の50号】【日本水産物輸入即時再開 中国、10都県は】の見出しが視界に飛び込んだ。
ほかに「◇…大相撲の横綱に昇進した大の里関の祝賀パレードが29日、地元の石川県津幡町で開かれ、町の人口と同規模の約3万7千人が祝福した。オープンカーに乗った地元のヒーローに住民たちは「おかえり」などと声をかけ、新横綱は同乗した二所ノ関親方とともに手を振って応えた。」とは、けさの中日新聞の本紙【通風筒】である。
(6月29日)
日曜日。朝。いつものように朝刊を読み、スマホを手に、続いてたつ江(伊神舞子)が好きだった【エーデルワイス】【みかんの花咲く丘】と彼女の死後に私と牧すすむさん、安本和秋さんとでつくった能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり(歌は岡ゆう子さん)】を順番に、ユーチューブで聴く。
引き続き、私が好きである【君がすべてさ】【黒い花びら】【絶唱】【希望】【柿の木坂の家】【夜霧よ今夜もありがとう】…の順で聞き、くちずさんでみる。歌いながら思い出すのは、やはり【みかんの花咲く丘】に出てくるワンシーンで、三重県志摩半島の真珠の海・英虞湾を見晴るかす、あの横山である。横山へは、悲しい時、さびしい時、つらい時に。休日をあて、いつもふたりでよく出掛け、横山の見晴らし台に立ったものである。
(6月28日)
午前中、いつものように新聞を納得のいくまで読む。それから今は亡き歌手水原弘さんの【黒い花びら】と【君こそわが命】をスマホのユーチューブで聴き、歌ってみる。歌いながら無頼派作家の俺にはなぜか、この2曲はよく似合うなと、ふと思う。
中日夕刊に和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」で飼育されてきた雌のジャイアントパンダ全4頭が本日、中国に返還される日を迎えパンダを乗せた2台のトラックが午前8時45分過ぎに園を出発。航空チャーター便で中国四川省の繁殖研究施設に向かった、とのニュース。見出しは【パンダ中国へありがとう 和歌山4頭出発ファン見送り】というものだった。
そして。もうひとつ。夕刊軟派トップに【仏レストランガイド 輪島塗を守る 料理店主に栄誉 塗師として被災業界のため職人探し】の記事。先日、輪島市門前町道下の仮設住宅ステージであった能登半島地震支援コンサートの取材でお世話になった上田千秋中日新聞記者の筆によるもので、【「ミシュラン」と並ぶフランスのレストランガイド「ゴ・エ・ミ・ヨ」の2025年日本版で、石川県輪島市門前町の日本料理店「茶寮杣径(そまみち)」のオーナー兼輪島塗の塗師、赤木明登さん(63)がトラディション賞を受賞した。伝統文化を守り、次世代へつなぐ努力を続ける料理人や職人に贈られる栄誉。昨年の能登半島地震で被害を受けた輪島塗の再興に向けた取り組みが評価された。】といった内容で、とても喜ばしい話である。
輪島塗りの塗師、赤木さんのトラディション賞受賞を報じた中日新聞夕刊
ほかには、中日朝刊1面に【愛知・大阪の原告勝訴 生活保護減額「違法」最高裁「国の裁量逸脱」】【座間9人殺害死刑執行 白石死刑囚=白石隆浩(34)、東京拘置所=死刑執行は2年11か月ぶり】のニュース。
2025年6月27日
午後。金曜日なので一宮市のスポ文(スポーツ文化会館)へ。
悦ちゃんは手術明けだったが参加。さすがに、まだ踊るわけにはいかない。奥さま思いの水谷さんは奥さま孝行で旅行中、との由。先日、ご主人が大変だったヨシコさんは、その後ご主人も回復。旅にいってきましたーとのことで、「ほら。ごんたさん、たべてよ」とサクランボをなぜか「5つ食べてよ」といつつ渡され、皆食べた。というわけで、きょうは私と先生とでワルツとクイックステップを繰り返し、踊ることあいなった。やはり結構疲れたが。「社交ダンスを続けることは舞との約束なので途中で棒を折るわけにもいくまい」とレッスンを続けたのである。
帰宅すると、先日訪ねた能登半島の輪島市門前町道下第1・3団地自治会の責任者上岡克彦さまから義援金の領収書(68万4685円也)がわが家に届いていた。能登が少しでも早く元のようになることを願いつつ、領収書を手に、手を合わせた。
本日付の中日夕刊トップに【柏崎原発の避難計画了承 再稼働へ地元同意焦点】、そして日経はといえばだ。【日経平均、一時4万円台 5カ月ぶり回復 世界株高波及】【株主総会ピーク560社 京成電鉄OLC(オリエンタルランド)株保有巡り攻防 シャープ「復配へ中計やりきる」】の見出し。
2025年6月26日
木曜日。本日付の中日夕刊は【米「イランと来週協議 核放棄合意念頭か 核関連施設「ひどい被害」 イラン 詳細は触れず】【「和平仲介 中東より困難」 トランプ氏 ウクライナに見解】【NATO「加盟支援」 事務総長 ウクライナに言明】といったところか。
それにしても本日付の日経夕刊軟派の【教員10人盗撮画像共有か 校内や行事中の女子児童 SNSチャットに投稿】のニュースには、あきれ果てる。というか、嘆かわしい限りである。
名古屋の兄夫妻から。アラアラ、アラなつかしや、か。滋賀県大津市の名菓・叶匠寿庵の夏菓子が送られてきた。舞がいたなら、どんなにか喜んだことか。これも妙子姉さんの配慮に違いない。さっそく電話してお礼を述べる。「たかのぶさん。かずほちゃん、も。元気でやっている」とお姉さん。彼女は、日本のホスピス音楽療法士の草分けでもある。舞も生前、ずいぶんとお世話になり、尊敬かつ慕いもしていた。
兄夫妻から思いがけず、送られてきた叶匠寿庵の夏菓子。ほっぺが落ちるほどにおいしかった
(6月25日)
脱原発社会をめざす文学者の会幹事会の要請で月イチで書き続けている文士刮目の50回目【能登半島地震の支援コンサートを終えて 「地方は宝」の心を大切にしたい】を出稿。この後、銀行に行って先日の能登半島地震の復興支援コンサートにかかるバス代などの支払いを終え、やっとのことで今回の復興支援コンサートの全てが完結した。
これも琴伝流大正琴弦洲会の会主倉知進さん(牧すすむさん)と長男崇さん、そしてお弟子さんたちと地元バンド、「ジェントルソウルwithまみ」の存在があればこそ、で、関係者全員に心から感謝したい。輪島市道下の仮設住宅街、道下団地(合わせて346戸)一角のステージ会場、すなわち仮設住宅で過ごす人たちがあれほどまでに笑顔で喜んでくださったことを思うと、今は、やはり大変ではあったけれど。石川テレビさんと北陸中日新聞の取材協力にも恵まれ、復興支援コンサートをしてよかったな-とつくづく思うのである。
本日25日付の中日夕刊は【両国が勝利主張 イスラエル、イラン 攻撃沈静化】【核施設中枢破壊できず 米報道 トランプ氏主張と相違】、日経夕刊も【イラン・イスラエル停戦初日 双方が「勝利宣言」 合意後の応酬 沈静化】【「局所汚染の可能性 IAEA(国際原子力機関) イラン中部の核施設】【核開発「数カ月の遅れ」 米当局が初期評価 メディア報道】【再稼働6号機先行を表明 東電柏崎刈は「7号機と同時厳しい」】といったところか。
(6月24日)
本日付の中日朝刊1面は【戦後80年昭和100年】のカット入りで【沖縄慰霊の日 実相 教訓 今守らねば 祖母のつらさ伝える 小6・城間さん「平和の詩」】。2社(第二社会面)も【愚かな過去 もう二度と 逃げ回った沖縄戦地 今も残るにおい、音 91歳語り部後悔と祈り】とわかりやすい。
トランプ米大統領が23日、交戦を続けるイスラエルとイランが「完全で全面的な停戦に合意した」と交流サイト(SNS)で発表した-とは、きょう24日付の中日新聞夕刊。米東部時間24日午前0時(日本時間同日午後1時)ごろ開始し、24時間かけて段階的に実施した後、戦争が正式に終結すると主張した。ロイター通信は停戦後について、カタールが仲介し、イスラエルとイラン双方が同意したと報じた。
――とはいうものの。さてこの先どうなるのか。世界の目が集まっている。
(6月23日)
23日付朝刊は、やはり【米、イラン核施設空爆 3カ所「完全に破壊」特殊貫通弾本土を初攻撃 <解説>「力の支配」大きな代償】【都議選自民大敗 都民ファ第1党】(中日)【米、イラン核施設空爆 トランプ氏「濃縮能力破壊 地下貫通弾14発使用 イラン報復警告、交渉を否定】【自民、第Ⅰ会派陥落 都議選 都民フ返り咲き】(毎日)というものだった。
そして。夕刊は【緊迫の今、平和願う 沖縄戦80年慰霊の日 平和の詩小6・城間さん おばあちゃんが繋いでくれた命大切に】【イランと全面戦争望まず 米副大統領 標的「意図的に限定」】(中日)というものだった。
月曜日。午前中、はげしい雨に見舞われた。おかげで朝一番でいったんはベランダに干した洗濯物を大慌てで中に入れたが、これまた結構つかれたのである。夕方、火災保険の更新手続きの件で小牧の営業所から男性スタッフが来訪。延長させて頂く旨を伝える。
2025年6月22日
日曜日。とはいえ、ちょうど1週間前、6月15日に石川県輪島市道下の仮設住宅街集会所であった能登半島地震の復興支援コンサート実現の模様を本欄「熱砂」で記録、紹介するのに結局のところは写真グラフ形式で徹夜して執筆。それはそれは、疲れた。一夜程度でこれだけ疲れるということは、だ。やはり、自分一人若ぶっていたところで、私はやはり後期高齢者なのか。年には勝てないナとは、このことか。いたしかたあるまい。
七尾支局の堀下奈美さんから16日付の北陸中日新聞3部が送られてきた。奈美ちゃん、お忙しいところを心からありがとうーとは、私である。
2025年6月21日
北半球で昼の長さが1年で最も長い日。夏至(げし)である。土曜日だ。
化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の冤罪事件で警視庁の鎌田徹郎副総監と東京地検の森博英公安部長が20日、同社を訪れ。外為法違反容疑で逮捕した大川原正明社長(76)と島田順司元取締役(72)に直接謝罪。国家賠償訴訟で違法捜査が確定したことを受けての対応で同地検が2021年7月に起訴を取り消してから4年たっての謝罪になったーとは、本日付の毎日新聞朝刊の報道である。
岩屋外相が20日、イランとイスラエルに居住する邦人と家族計87人が陸路、隣国に退避した、と発表。今回のイラン・イスラエル戦争に伴う退避は初めて。現時点でイランには約220人、パレスチナ自治区を含むイスラエルには1000人超の邦人が残っているという。
中日新聞の本日付夕刊2社面トップに【<戦後80年 昭和100年>原爆の記憶受け止める 両陛下 広島訪問し供花 90代被爆者から「戦争 起きてほしくない」】の見出し。ほかに【米政府安易な介入慎め USスチール買収完了】の見出し。
午後。平和堂に行った帰りに、生前の舞(たつ江)が大変お世話になった歌のおばちゃん(いや、お姉さんと言った方がよいのかも)、すなわちトシコさんのお宅へ。「能登での復興支援コンサート【能登の明かり】が無事、おわりました」と<能登の明かり>の楽譜と歌詞を手に訪れた。彼女からは義援金を頂いていたこともあり、お礼の報告をせねば。しなければ、と思いつつもなかなか伺うことが出来なかったが、これでホッとしたのである。「落ち着いたら、ピアノを教えて頂く約束をして」(本気である)帰宅する。
「ごんたさん。本当にお疲れさまでした。よくやったね。(能登半島地震の復興支援コンサートは)能登の皆さまに長年おせわになったマイちゃん(伊神たつ江、舞子)が牧すすむさん(琴伝流大正琴弦洲会会主・倉知進さん)たちと一緒に実現させたようなものね。ご苦労さまでした」とは、としこさんの言葉。「としこさん、ありがとう」と私。
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菅沼堅吾氏(東京新聞元編集局長)著の【東京新聞はなぜ、空気を読まないのか】(東京新聞)を読み始める。先日、新聞広告でちらりとこの本の存在を知ったので地元の杉浦書店にお願いして取り寄せた一冊の本を気が向くままに少しずつ読み進めている。彼(菅沼氏)とは、私が新聞社の社会部員時代に当時、新聞社に入社したばかりの新人練習生の教育担当を当時の社会部長・白井文吾さん(後に中日新聞の社長、会長)からおおせつかり、彼らが書く日記のチェック、その他を任せられ、その時に、この世で初めて出会った。あれから何年たっただろう。あのときの新入り練習生のひとりだった彼が、その後にこれほどまでに大きな人物となって世に現れ出るなぞ、当時は思いもしなかったのである。ひとつだけ言えること。それは、漢字は少し苦手のようだったけれど。彼は、どんな時にも少年のように。とてもチャーミングでさわやか、かつハンサムで、すなおな若者だったことである。
年月とは、事と次第によっては、なんてすばらしいものか。
(6月20日)
金曜日。本日付の中日朝刊1面見出しは【イラン攻撃条件付き承認 トランプ氏「最後通告」 邦人退避へ空自機派遣 ジブチ向け】【立民 不信任案提出せず 衆参同日選見送りへ】【ボランティア参加学生応援 アジア・パラ大会 名市大単位認定へ 他大でも支援の動き】。
午後。一宮のスポーツ文化会館へ。例によって社交ダンスのレッスンに行くために、である。正直、きょうは、先日能登半島地震の復興支援コンサート【能登の明かり】で輪島市道下の仮設住宅街(約270戸が入居)を訪れた能登行の残務処理その他があるため、それに何といってもこの齢となると体力的にも少しは限界があるので思い切って休もう―とは思いつつも、やはりダンス教師の若先生はじめダンス仲間の面々、そして今は亡き妻舞の顔が思い浮かび、やはり「行かなくっちゃあ」とかなり疲れ切ったからだを自ら押し出し、引きづるようにしてマイカーを運転して尾張一宮へ。先生の指導の下、ワルツとクイックステップのレッスンに挑んだ。約1時間のレッスンを何とか踊り切ることが出来たのである。社交ダンス続行は、かわいい舞の遺言の実行、成就にもつながるだけに、体力の続く限りと思っている。
でも、やっぱり疲れたことは確かだ。
(6月19日)
今月15日に輪島市道下の能登半島地震の復興支援コンサートに精神的にも金銭的にも協力してくださった数多くの方々お一人ひとりへの電話とメールを駆使しての御礼のあいさつをここ数日間でやっとこせ、大半を終え、わたくしの新たな執筆生活は。さあきょうから、いや明日から再出発―といったところか。
私自身も一匹文士(いっぴきぶんし)伊神権太の新時代に向けてさらに新たなる一歩を、と思う。この先は前進あるのみである。今は亡き妻のたつ江(伊神舞子)、そしておかあさんの後を追うようにして旅立った、かわいい愛猫シロちゃん(オーロラレインボー)も「これで良かった。よかったよ」と思ってくれているに違いない。人生、誰とて今から。これからなのである。「前」に向かって進むしかない。いつだって新たなるスタート地点なのである。
ふり返れば、今回の能登行は、復興支援コンサート【能登の明かり】の開始直前にそれまで小雨混じりだった能登の空が突然、晴れわたるなど思いもよらない奇跡続きでもあった。
(6月16日~18日)
16、17、18日と。能登半島から帰り、これまで能登半島地震の復興支援コンサート【能登の明かり】を実現させるに当たって、被災地に対する見舞い金を寄せて下さったり、声の励ましをしてくださった多くの皆さまへのお礼を兼ねたメールと電話による経過報告に追われた。
このところは、少しハードな日々が続いたので、きょうのところは、本欄執筆はこれで止め、あすからまた前に向かって私ならでは、のペンを進めたく思う。能登半島は地震と水害に痛めつけられはしたが。また「日は昇る」の気持ちを忘れず、一歩一歩前に向かって進んでいってほしい。
(6月15日)
日曜日。午前10時過ぎに七尾市の和倉温泉【のと楽】を貸し切りバス一台で出た琴伝流大正琴弦洲会の一行は正午過ぎには輪島市道下の仮設団地住宅街(約270戸)に到着。朝のうち、パラついていた雨も現地に着くころには、アラ不思議や。雨はピタリと止み、心地よい風さえがそよと吹き渡る絶好の日和となったのである。これには、弦洲会の会主倉知弦洲大師範(詩人で作曲家でもある牧すすむさん)はじめ、出演予定の弦洲会門下生の女性たちも「あら。よかった。やっぱりお天気女の私がいたから」「いや、僕が晴れ男だから」などと笑顔が弾んだのである。
そんな中、出演メンバーと現地で待ちうけてくださっていた仮設住宅街の人々でさっそく机を出し、椅子を並べるなどして準備も万端(もちろん私も労力奉仕に一役)。まもなくして道下の仮設住宅で暮らす人々の大半が見守るなか、「震災復興支援コンサート~あの日 あの時 あの歌が~」をスローガンとした大正琴演奏は定刻通り、午後1時半きっかりに始まったのである。あとは北陸中日新聞の能登版、そして石川テレビ両メディアのしっかりとした愛にあふれたニュース報道番組と紙面を見て頂けたらそれでよろしいかと思う。ていねいな取材、報道に当たってはかつての同僚、林浩樹さんはじめ多くの方々に大変お世話になり、それこそ心から感謝。その石テレのニュース番組だが。ネットで【大正琴の音色で被災地に元気を届ける】を検索されれば、すばらしい画像が出てコンサートの一部を聴くことが出来る。ぜひ、1人でも多くの方々に見てほしい。
この日は、ほかに、私が七尾支局在任当時の七尾青年会議所メンバー三人(田尻、佐田味、木下の三氏)と当時の門前の中日記者だった渋谷昭次さん(現在は、いしかわ観光特使)も大正琴を演じる奥さまとおそろいでわざわざ足を運んでくださり、それこそ35年ぶりにお会いすることが出来、うれしかった。そればかりか、七尾の故笹谷輝子さん(販売店主)の息子さん憲彦さんご夫妻と長男太郎ちゃんまでが地元スギヨの名産ちくわを段ボール箱に何杯も大量に差し入れしてくださったのには、感激。私は観客一人ひとりに手渡しで配らせて頂いたのである。
以下、演奏の模様を私が撮影した一瞬一瞬の写真グラフとして本欄に永遠の記録として残しておこう。
雨が止んだなか、まず準備に励む
支援コンサートには仮設住宅でくらす多くの人々が訪れ、能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】に聴き入った
演奏に聴き入る仮設住宅の皆さん
本番を前に緊張した表情の琴伝流大正琴弦洲会のメンバーたち
この日は被災しながらも地元でがんばるバンドメンバー「ジェントルソウルwithまみ」メンバーも応援出演に一役。左端のギターを抱えた男性が【能登の明かり】の編曲者・安本和秋さん。安本さんは自宅全壊という逆境のなか、編曲に一役
なお、コンサートの冒頭には、【能登の明かり】の歌手岡ゆう子さんから届いたあいさつ文と日本ペンクラブからのお見舞い電報の朗読が司会者からあり、引き続き見舞金68万4685円が【能登の明かり】作詞者である私伊神権太から輪島市門前町道下第一団地代表(集会所責任者)の上岡克彦さまあてに託し、手渡された。このお金は、愛知県に点在する私(伊神)の高校時代の滝高=江南市=クラスメート「二石会」の会員はじめ、わたくしの社交ダンス仲間たち、わが家を出入りする私の亡き妻と馴染みだった杉浦書店の女子店員、亡き妻が生前、大変お世話になったトシコさん、私の小牧在任時代の劇団「小牧はらから」の小畠辰彦さんら旧団員たち、私の歯のメインテナンスをしてくださっている歯医者の歯科衛生士後藤さん、さらには私の妹とその友人知人、亡き妻たつ江のお兄さん、私が住む江南市花霞のガソリンスタンド店長や町内会役員さん、牧さん(小牧市在住)門下の大正琴のお弟子さん。そして。私の妻が旅立った時に七尾の南昭治さん(私が七尾在任時のママさんソフトボール事務局長)から送られてきた香典の全額など等。寄せられたどれもこれもが愛にあふれた貴重な義援金である。
岡ゆう子さんから寄せられたことばと日本ペンクラブからのお見舞い電報の内容は次のとおり。
【岡ゆう子さん】本日は、皆様にお会いする事ができなくてとても残念でございます このたび、ご縁をいただき「能登の明かり」を歌わせていただきました岡ゆう子です これからも皆様に聞いて歌っていただけましたら嬉しく存じます 今後共よろしくお願い申し上げます 皆様には、一日も早く元の生活にお戻りになれます事 心より祈念致しております 岡ゆう子
【日本ペンクラブ(電文)】日本ペンクラブは能登の1日も早い復興を心より願っています。伊神権太会員 そして皆さま。復興支援コンサートがんばってください。
2025年6月14日
JRの北陸新幹線で敦賀から金沢へ。金沢で午後2時発の特急「能登かがり火7号」和倉温泉行きに乗り換え、懐かしさの染みついた七尾市の和倉温泉駅に降り立った。駅からは地元の石和タクシーでお宿の「のと楽」さんへ、と向かった。
とはいうものの、やはり、かつて歩き回った和倉温泉が懐かしく、そのまま先の能登半島地震で傷ついた温泉内をタクシーで一巡。昔からの友で今回の宿泊に当たっても随分とお世話になった女将まりちゃんのお宿「岡田屋」を横目に、サン加賀屋(あえのこと)に始まり、加賀屋、銀水閣、たな嘉、金波荘、海望、美湾葬……とひと巡りし、再び「岡田屋」へ。ここで、まりちゃんに今回の宿確保に当たってお世話になったことに対するお礼を言いながら、しばらく雑談。タクシーであらためて和倉温泉内をもう一度、周回。能州、はまなす、【総湯】、今は亡き森繁久彌さんが【能登の夢】を編んだ砂浜などを巡ったのである。巡りながら、どれもこれも懐かしい思い出があるだけに、大半が営業していない現実には「なんで、こんなことに。なぜなのだ」と涙があふれ出た。
和倉の三尺玉花火など。多くの思い出が詰まった和倉の温泉街をタクシーで流したあとは、きょうの泊まり先である「のと楽」さんで旅装をとく。「のと楽」の大女将から、今は亡き名物店主で知られた七尾の女傑中日販売店主・笹谷輝子さん、そして愛ちゃん(現中日新聞社員)のことに話が及んだ時には涙があふれ出てしまい、止まらなかった。我ながら涙もろい自身にあきれ果てる。
久しぶりの七尾湾。能登の海を目の前に入浴。引き続き、あすの【能登半島地震の復興支援コンサート「能登の明かり」~あの日 あの時 あの歌が~】の大正琴演奏をする琴伝流大正琴弦洲会の会主倉知弦洲さんと長男崇(たかし)さん親子、そして会員の代表を託された女性7人との食事は、それはそれは、楽しく、かつ美味しかったのである。
2025年6月13日
イスラエル軍が13日、イラン各地の核関連施設を含む数十カ所の軍事施設を空爆。カッツ国防相が「イランを先制攻撃した」と発表。世界は、混沌としている。こうしたなか、私はあす能登半島地震復興支援コンサートが行われる輪島市の道下第一団地集会所に向かう。詳しくは帰宅後に、本欄で紹介しよう。
(6月12日)
インド西部グジャラート州アーメダバードで12日、エア・インディアの旅客機が離陸直後に空港付近で住宅地に墜落、炎上。英ロンドン近郊のガトウィック行きで、乗客乗員は242人。英国人乗客一人が奇跡的に生存。
(6月11日)
15日に迫った輪島市道下第Ⅰ団地集会所での「能登半島地震の震災復興支援コンサート~あの日 あの時 あの歌が~」を数日後に控え、このところは関係者との連絡調整に追われている。アレヤコレヤと連絡を取り合ううちに、かつて私が七尾在任時に北陸中日新聞と七尾青年会議所の共催で実現させた【海の詩(うた)】の公募事業で大変お世話になった当時の懐かしいJCメンバーとも何十年ぶりか、で久しぶりに電話で話し合うなど思いがけない「声の再会」にじ~んと込み上げてくる血流如きものが体内を走りあがってきたのも事実だ。
田尻さん、佐田味さん、木下さん、今井さん、涌浦さん…と懐かしい顔と顔が大きく前面に浮かび上がってきたのである。話は変わるが。ドラの4連勝、嬉しい限りだ。
夕刊によれば、気象庁が停滞する梅雨前線の影響で、西日本を中心に大雨になるとして本日、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水に警戒するよう呼びかけた。九州南部では72時間降水量が400㍉を超えているところがあり、少しの雨でも災害の危険度が高まる恐れがある。落雷や竜巻などへも注意が必要だ。―と紙面で呼びかけている。
2025年6月10日
【日韓首脳早期対面へ期待 初の電話会談 関係発展で一致】【米移民デモに州兵 トランプ氏派遣、ロスで衝突】【コメ2週連続値下がり 5㌔4223円 備蓄米市場に拡大】【東海梅雨入り 祭りに彩り】【白鵬さん「本当に悩んだ」 相撲協会退職 部屋再開見通せず不満 「外から発展に力尽くす】(いずれも中日朝刊見出し)などけさの紙面もいろいろ報道しているのだが。
やはり私には尾張版の【<式年遷宮>沿道は熱気お木曳厳粛に 真清田神社 記者参加「20年に1度」かみしめ】が一番印象に残った。神木とともに綱を引いて練り歩く「お木曳(きひき)」に記者も参加しての記事が何よりも微笑ましくて良いナ、と思った。
10日付の尾張版。「記者も一緒に」が良い
雨という雨。雨たちの音が軒を伝って私の自室にまで聴こえてくる。パラパラ。メリメリ。コトンコトン。さあ~っ、とだ。
きょうは雨、雨の1日である。それでも、わたくしは16日に迫った能登半島地震の復興支援コンサートを前にしての各種準備、そして日々の新聞チェックに追われるのである。むろん絵本源氏物語と太宰小説の限りなき読み返しも怠りない。のである。
日々、愛読。文の鍛錬にも生かしているボロボロの文庫本と絵本源氏物語
(6月9日)
6月15日に迫った輪島市の道下第一団地集会所での能登半島地震の【震災復興支援コンサート~あの日 あの時 あの歌が~】を前に、このところは前日に宿泊する七尾市和倉温泉の「のと楽」さんはじめ、現地への足の確保と手配などアレヤコレヤと、その準備で忙しい日々が続いている。そうしたなか、きょうは支援コンサートにあわせ私(伊神権太)が書き進めてきた小説【能登よ のと ―おかあさん】の告知を私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」のWHAT`S NEW欄で同人仲間にしてもらうなど慌ただしい日々が続いている。
気象庁は9日、東海地方が梅雨入りした、と発表。平年より3日遅く、昨年よりも12日早い。
中日新聞の夕刊1面見出しは【移民抗議阻止に州兵2000人 トランプ氏動員 LA衝突も 知事要請なく強行 60年ぶり】【ミスター永遠なれ 長嶋さん葬儀 王さんら別れ】。米の移民デモ問題は日経夕刊でも【ロス移民デモに州兵派遣 米政権、2000人「捜査当局に暴力」主張】と大々的に報じている。それにしてもトランプはよくない。「一体全体、何をやっているのか」と言いたい米国民は大いに違いない。中日夕刊の1面トップ記事そのものは次のような内容である(リード部分)。
――米西部ロサンゼルスで7日、移民・税関捜査局(ICE)の不法移民取り締まりに対する抗議活動があり、トランプ大統領は同日、州兵2千人を派遣する大統領覚書に署名した。AP通信によると、州兵約300人が8日、ロサンゼルスに展開。一部の抗議活動参加者は州兵と衝突し、車に放火したり幹線道路を封鎖したりした。州兵は普段、州知事の指揮下にあるが、非常時には大統領が例外的に出動を命じることができる。
ーいやはやロサンゼルスは大変である。
記事はさらに、こう続く。
「ワシントン・ポスト紙によると、大統領が知事の要請がないまま州兵動員を命じたのはジョンソン政権下の1965年以来で、約60年ぶり。共和党のトランプ氏による異例の強硬措置で、地元カリフォルニア州のニューサム知事(民主党)は反発。同洲は民主党の牙城で、トランプ氏の看板政策である不法移民対策への反感が比較的強い。……」
15日の能登半島地震復興支援コンサートを前に、このところはその準備にアレヤコレヤと追われている。何はともあれ、天気がよくなるよう祈るばかりである。
(6月8日)
日曜日である。本日付中日朝刊スポーツ面の【竜九回に粘りサヨナラ勝ち 中日4-3ロッテ 大島逆転劇の着火マン <球心> 急きょ先発3安打2盗塁】と中日スポーツⅠ面の【サヨナラ四球粘竜連勝 昴弥つないだ田中選んだ 岡林同点打!!】は久しぶりにスカッとした。このところ冴えなかったドラゴンズ。一昨日に続き、昨日も4―3で勝ち、なんだかスカッとした。そして。ドラはきょうの午後、バンテリンドームで行われた試合でもロッテに3-0で快勝してくれたのである。
単純ではあるが。よかった、よかった。とは、このことか。この調子で永遠に勝ち続けてほしい。
夜。NHKEテレの日曜美術館【世紀末フランスの巨匠オディロン・ルドン▽日本にある世界的コレクションから幻想的な光と闇の秘密に迫る!】とNHKスペシャル【さよなら長嶋茂雄さん】を見る。中でも日曜美術館は今は亡き妻の舞が生きていたなら、きっと喜んでみただろうにーと思い、その分真剣に鑑賞したのである。
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お伊勢さんの第63回式年遷宮のため長野県で切り出され伊勢神宮へ向かうご神木が7日、一宮市内の真清田神社に入った。神社周辺では、ご神木を乗せたトラックを引いて練り歩く「お木曳(きひき)」があり、この様子は中日新聞の尾張版で【ご神木 一宮を練る お木曳後、真清田神社へ 式年遷宮】と報じられていた。花しょうぶが見ごろ、いよいよサクランボの季節到来である。
(6月7日)
きょうの話題は何といっても伊勢神宮の社殿を20年に1度建て替える式年遷宮を前に、長野県上松町で切り出されたご神木が、きのう6日に愛知県犬山市に入ったことである。城下町・犬山では犬山祭の車山(やま)と一緒にする「お木曳(きひき)」があり、ご神木を盛大に迎え入れた。伊勢神宮の式年遷宮は私自身、今から50年前、新聞記者として伊勢志摩在任時に当時、玉砂利に当代の日本を代表する人物をお供えする〝供奉員〟の担当記者として駆け回った記憶がある。それだけに、あのころが思い起こされ、とても懐かしい。
そして。次のニュースは日本将棋連盟が6日、東京都内で開いた棋士総会と理事会で今期限りで退任した羽生善治会長(54)の後任に女流棋士で常務理事の清水市代女流7段(56)を選出。史上初の女性会長が誕生したことだろう。清水新会長は東京都出身。1985年に女流プロ入り。これまで女流名人10期、女流王位14期など計43期の女流タイトルを獲得、第一人者として活躍。2017年には女性で初めて連盟の常務理事に就任した実績がある。
それから。私が「脱原発社会をめざす文学者の会」の要請で月イチで執筆している連載【文士刮目】の49回目【コメ問題 大切にしたい「ことばの重み」】が昨日、公開された。多くのみなさまに読んで頂いており、毎回、私なりにその時代時代の素顔の声をぶつけているだけに、読んで頂ければ、うれしく光栄でもある。
(6月6日)
わたくしがウエブ文学同人誌「熱砂」でことしに入り、随時連載してきた私小説【能登よ のと ―おかあさん】が7まで書き終わり、あとは8回目を執筆しさえすれば、この物語は完結する。泣いても笑っても。あと一息である。ネットで【能登よ のと ―おかあさん】を検索すれば出てくるので、読者のみなさまには一人でも多くに読んでほしく思う。
中日新聞の本日付の夕刊1面トップ記事の見出しは【東電旧経営陣に賠償命じず 東京高裁判決 株主逆転敗訴 津波予見可能性を否定】というものだった。
2011年3月の東電福島第Ⅰ原発事故を巡り、旧経営陣が津波対策を怠り東電に巨額の損失が生じたとして株主が旧経営陣ら5人に約23兆円を東電に賠償するよう求めた株主代表訴訟の控訴審判決が6日、東京高裁であり木納敏和裁判長は計13兆円超の支払いを命じた一審の東京地裁判決を破棄して請求を棄却、株主側の逆転敗訴となった。事故を巡り避難住民らが国に賠償を求めた訴訟では最高裁が2022年6月、「実際の津波は想定よりはるかに規模が大きく、対策をしても防げなかった」として国の責任を否定。旧経営陣が業務上過失致死傷罪で強制起訴された刑事裁判でも今年3月、最高裁が巨大津波は予見できなかったと判断し、無罪が確定した。
きょうは金曜日なので午後、社交ダンスのレッスンに参加するため一宮のスポ文(スポーツ文化会館)へ。ティボットに始まり、オーバースクエア、ハの字ハの字…など。ワルツを何度も何度も繰り返し踊って学んだ。「足ではなく、おへそで踊る」などとなかなか難しいレッスンではあったが、最後にはワルツをなんとか踊りこなした。きょうはダンス仲間の御主人が朝、救急車で一宮市内の病院に運ばれたり、もうひとりの大切なレッスン仲間が来週胸の手術を受ける-など深刻な話を心配しながら、それでもレッスンはたんたんと進んだのである。
それにしても、皆高齢のダンス仲間ばかりなので皆さん、病いを克服しながらのレッスンには頭が下がったのである。なかでも、えっちゃんの胸の手術が気になる。でも、彼女のことだ。きっと、また元気になってレッスンに顔を出してくれるに違いない。回復を祈るほかない。
私が「脱原発社会をめざす文学者の会」幹事会の要請で毎月一回、執筆している文士刮目の連載49回目【コメ問題 大切にしたい「ことばの重み」】が本日、アップ(公開)となった。多くの人々に読んで頂けたら、と思っている。
(6月5日)
戦後80年。昭和100年である。
天皇、皇后両陛下と長女愛子さまが4日、戦後80年に際して沖縄県を訪れられ、糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で供花し太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を慰霊された。宮内庁によれば、この沖縄ご訪問は両陛下の強い願いで実現。懇談の場では戦争体験者や遺族だけでなく、悲惨な記憶を次世代につなごうとしている若者たちの話にも耳を傾けられた。
ご一家はこの日、特別機で沖縄へ。激戦地となった本島南部へ。沖縄戦で亡くなった18万人の遺骨を納める納骨堂に花を手向け、深く拝礼。遺族ら一人ひとりと言葉を交わされ、犠牲者の名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」も視察。沖縄戦を体験した女性(91)に「大変な思いをされましたね」などと言葉をかけられ、愛子さまは「平和の大切さを感じました」と述べられたという。
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【出生数初の70万人割れ 24年68.6万人 出生率最低Ⅰ.15】【婚姻48.5万組 半世紀で半減 出会いなし■仕事・趣味優先】【韓国 李在明(イジュミョン)大統領就任 得票過去最多「日米韓 協力強固に】とは、中日新聞の本日付朝刊の1面見出し。そして【長嶋さんと生前に約束 松井さん「果たしたい」「監督との出会いがなければ 松井秀喜という野球選手は 全く違った野球人生を送ったと思う」 死去22時間後の対面 恩師の教え「次世代に継承」「素振りで会話 最も大切なことを授けてくださいました」】とは、本日付の中日スポーツ1面見出しである。
活字を追いながら、長嶋さんはなんて幸せな男なのだろう、とあらためて思う。と同時に彼には【あこがれ】という言葉が何よりもふさわしいな、と。改めて思ったのは、伊神権太、すなわち私である。
執筆中である【能登よ のと ―おかあさん(随時掲載)】の7.を書き終える。読者のみなさまには、ぜひ読んでほしく思う。ネットでタイトルを検索されても読むことは可能だ。読者のみなさまにはぜひとも、読んでほしい。元気と前に進む一歩が出れば、それにこしたことはない。
2025年6月4日
輪島での能登半島地震支援コンサート【能登の明かり】の告知チラシ
水曜日。15日の能登半島地震の復興支援コンサートを前に午前中、輪島の安本和秋さん、小牧の倉知崇さんらと電話でやり取り、本番を前にいよいよ何もかもが動き始めた。この支援コンサート、多くの方々の理解と協力、被災地への思いがあればこそ実現すると思うと、なんだか感無量の気がする。この先も関係者の協力の下、一歩一歩前進できれば、と願っている。
けさ4日付の新聞各紙も【長嶋茂雄さん死去 ミスタープロ野球 巨人V9終身名誉監督 89歳】【王さん「特別な存在」 「ON」盟友】…など長嶋さん死去のニュース一色である。
そして。本日付の中日新聞夕刊トップ見出しは、当然ながら【李在明(イジェミヨン)氏 韓国大統領就任 過去最多得票「民主主義回復を」】【当選認定後 即職務に】【「日韓協力 活発化を」石破首相が祝意】である。ほかには【基礎年金底上げ 13日にも成立へ 参院審議入り】【米、鉄鋼・アルミ関税50% 倍増へ大統領署名 摩擦激化不可避】など。あちらもこちらもだ。重要事案を抱えている。
(6月3日)
中日新聞の朝刊報道によれば、政府が任意の小売業者に売り渡す随意契約による備蓄米が2日、中部地方のスーパーでも販売され、多くの人たちが5㌔2138円(税込み)で売られた店頭に並んだ。このうち名古屋のイオン熱田店では、多くが延々と備蓄米を買い求めて並んだが、私の目には備蓄米を腕に抱えて並ぶ光景、人びとの長蛇の列そのものが一種異様な独特な世界に映ったのである。
そして。なぜか、その光景が終戦時に母の胸に抱かれ、引き揚げ船で舞鶴に上陸したまさにあの時、瞬間に当時赤子の目で見た風景のようなものが再現された、まさにその瞬間が再びこうして訪れたような、そんな錯覚にもとらわれたのである。
【入札備蓄米買い戻し検討 農相表明随意契約で放出も】【停戦交渉進展なく ロシアが拒否 捕虜交換は合意】【韓国大統領選、投票始まる 即日開票、深夜に大勢判明】【長嶋茂雄さん死去 元巨人監督、「V9」黄金時代 89歳】とは日本経済新聞の3日付夕刊。中日3日付夕刊1面も当然ながら【長嶋茂雄さん死去 ミスタープロ野球 89歳「ON」巨人V9 勝負強く明るく戦後象徴】。ほかに【日本人2人 大連で殺害 中国人容疑者拘束 仕事でトラブルか】も。
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プロ野球の読売巨人軍の選手、監督として活躍したミスタープロ野球・長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去。89歳だった。長嶋茂雄といえば、だ。1974年に東京・後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年に及んだ現役生活にピリオドを打ったあの日のことが忘れられない。
背番号「3」は、巨人軍の永久欠番でもある。現役引退と同時に巨人の監督に就任。2度のリーグ優勝をし、1993年に再び監督に復帰。3度リーグを制し、1994年と2000年には日本一にも輝いた。そして2001年には勇退。終身名誉監督に。2013年(平成25年)には巨人の監督時代に指導したホームランバッター松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞、野球界では初の文化勲章も受章。2022年9月に脳内出血が見つかり、都内の病院に入院。治療とリハビリを続けていたという。
ほかには【元横綱白鵬退職 弟子暴力 部屋閉鎖のまま 相撲協会】の新聞の見出しも悲しい話題である。大相撲史上、最多の45度の優勝を誇ったあの大横綱白鵬、宮城野親方(40)=本名白鵬翔、モンゴル出身=が日本相撲協会を9日付で退職するというのだ。2021年9月に現役を引退した白鵬、すなわち宮城野親方は元幕内北青鵬の暴力問題で2階級降格などの処分を受け、自らの部屋も閉鎖となり、昨年4月、弟子と共に伊勢ケ浜部屋へ移籍となっていたが、一体全体その後何があったのか。
相撲界にも貢献してきたはずなのに、だ。あれほどの逸材がと思うと残念な気がする。あぁ~、なんたることよ。この世は無情とは、このことか。
(6月2日)
中日新聞のOBから成る「中日社友会」事務局から能登半島復興応援歌【能登の明かり】の歌詞を送ってほしい旨、昨日の留守電に入っていた。このため、きょうの午前中に担当スタッフ木村さんに歌詞をメールで送らせて頂いた。
能登半島地震復興応援歌である【能登の明かり】の歌詞
社友会からの連絡など思いもしていなかっただけに、「あっ、そうだった。俺は中日のOBだったのだ」との思いを強くする。そういえば、ドラゴンズは31日の巨人戦(バンテリンドーム)で巨人に4-2で逆転勝ち。1日も4-1で勝ち、井上一樹監督にとっては会心の勝利で今季初の2カード連続の勝ち越しを決めている。3日から始まるセ・パ交流戦での大飛躍に期待したいところである。
そして。ちまたの方といえば、だ。1300年の伝統を誇る「木曽川鵜飼」が1日、愛知県犬山市と岐阜県各務原市の間を流れる木曽川で開幕。名古屋市北区の名城公園に建設され7月に開業するIGアリーナ(愛知国際アリーナ)の開業式典が先月31日に行われたたことか。
ほかには航空自衛隊のT4練習機が墜落した愛知県犬山市の農業用ため池「入鹿池」で1日、田植え用の配水が始まり、世界的な演奏家への登竜門・エリザベート王妃国際音楽コンクールのピアノ部門がベルギーの首都ブリュッセルで5月31日まで行われ、大津市出身の久末航さん(30)=ひさすえわたるさん=が2位、愛知県一宮市出身の亀井聖矢さん(23)が5位にそれぞれ入賞したことか。明るい話題は、良きかな良きかなーである。
夕刊は【太宰治の生原稿発見 短編「雀」全文 三鷹市購入、公開へ】(2日付中日)【シベリアへ無人機攻撃 ウクライナ空軍基地標的 爆撃機40機超損害か】【コメ対策で閣僚会議 首相表明、食糧安保を検証 5日にも発足】(2日付日経)と、いろいろある。
2025年6月1日
大正9年生まれの母(伊神千代子)が生きていれば、きょうで満105歳になる。母がこの世にいたから。居てくれたからこそ、私たち家族は今、この世でこうして生きているのだ、との思いをあらためて強くする。
というわけで、この日【6月1日】が訪れると、どこかシャキッとするから不思議だ。母は日本が敗戦して半年と少したったところで満州は奉天の大和税苑局(税務署)官舎で私を出産。生まれて間もない赤ん坊の私を胸に抱き、途中、父とは何度も離れ離れになりながら、満州の荒野、大地を時には頭を丸坊主にしてロスケ(ロシア人)の目から逃げながら、葫蘆島(ころとう)経由で引き揚げ船に乗り、舞鶴に帰港したのである。だから。そんな母への思いを私は終生忘れることはないに違いない。