一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2021年9月~)

2021年9月20日
 月曜日。20日未明から再び書き始める。

    ☆    ☆
 15、16、17、18、19日と過ぎ、きょうは早や20日。連休最終の月曜日だ。この未曽有の暗黒のコロナ禍といっていい時代にあって、疲弊するとはこのことを言うのか。今は足が動かず、寝たきりのままベッドに横たわる私の妻、かわいい舞を傍らにわが家は戦場同然、家族全員が身を削りながら貴重な体験を重ねる毎日である。かといって、コロナに感染し自宅療養に耐えている人々はじめ、呼吸不全のなか酸素吸入器やエクモの助けで生死のはざまで頑張っている各地の重症患者のことを思えば、多くの方々に支えられての毎日はありがたく、まだまだ恵まれている。私たちは医師はじめ支援センタースタッフ、生活相談員、訪問看護師、メディケアの方々ばかりか、ほかにも舞を知る多くの人々の心底からの励ましに助けられ、この人生の危機見えない海のうえを、あてなき終着駅を捜して漕ぐかのように生きている。考えようによっては、ありがたきことだと思うのである。

 その俳人で歌人でもある、わが家の舞だが彼女は、ことし1月7日に愛知県江南市内の江南厚生病院に子宮頸がん(ステージ4)の治療で入院し、放射線照射と抗がん剤投与をしてもらい「治療的効果は大いに得られた」(主治医の話)として2月14日に退院。そのご退院以降は随時、経過観察を兼ねて婦人科外来を訪れ、血液と尿採取、CT検査などの受診をしてきた。この間、腫瘍マーカーの値が少しずつ大きくなり、がん細胞の他部位への転移が確認され、両足の痛みとむくみが目立ち、リンパ浮腫の外来治療なども施してもらい、それなりに気力を振り絞って自ら営むリサイクルショップにも頑張って通い続けもしてきたのである。
 ところが、コロナの2回目ワクチン接種(7月26日)を終えたのを境に、なぜか舞の両足の痛みが一段と激しくなり、「一歩」踏み出すことも難しくなり、とうとう歩行困難に。担当医とも相談のうえ8月23日に再入院。今月9日に再退院こそしたものの、退院後も歩けない状態は依然として続き、苦闘の毎日を過ごしている。というわけで、私はこうして原稿執筆の合間に彼女の部屋内ベッドからトイレへの行き帰りから食事の準備、介添えなどその介護に追われている。「あなたは、いつだって肝心な時に傍に居てくれない」など、まだまだ口は元気なのが救いの綱ではあるのだが。ベッドからトイレまで僅か5、6メートルの距離を車椅子に座らせ行き来するのが大変で、ほかにも食事をあれこれ工夫して食べさせる等など。誠にもって、これまでの生活からはつゆほども考えなかった大変な日常の明け暮れだ。
 
 とはいったところで、もしかしたら、これは仕方のない宿命やも知れぬ。これまで子育てをはじめ、家事という家事の大半を舞には任せっぱなしで生きてきた。妻を犠牲に自分勝手に生きてきた我が身に対する痛烈なる見えない神の【しっぺ返し】とでも言えようか。その【罪と罰】がもろに私に降りかかってきた。そんな気がしないでもない。
「よし、分かった。だったら、どこまでも私、いや私たち家族の力で舞を守り通して見せようじゃないか」と。今は開き直って、かくの如きに思って舞の介護に日々、専念しているのである。介護の認定申請に始まりベッドの手配、車いすの確保まで、皆さんの手助けを得ながら、もろもろの諸手続きも一つひとつこなしてきたが、こうした事情もあって、本欄執筆はどうしても遅れがち。というか、書いている時間が持てないのである。
 一方で、ここ2年近くというもの、新型コロナウイルスまん延のおかげで地上はマスク、マスクでマスク姿の人ばかりが行き交っているのも事実だ。以前の社会の多くが、ものの見事に無くなった。というか、前の時代は、もはや消え去ったのである。かつての世間が完全に様変わりしたなか、付き合いが良いといったらよいのか。今や舞のからだまでが変わってしまってはいるが。いやいや、そのうちきっと彼女は不死鳥の如く蘇り、再び歩き始める日が必ずや、きっと来るーと。そう、私たち家族は信じて「今」をひたむきに生きている。
 そして。私はといえば、だ。そのためにも執筆だけは絶やさないで前向きに、と思っている。もしかしたら、舞はコロナ禍という未曽有の世相にあわせ動けなくなっているだけで、そのうちきっと歩けるようになるのでは、と。そんな逆転ホームランを望んでもいる私がそこには居るのである。そう思って同居する息子をはじめ、このコロナ禍にも拘わらず、この連休中に多忙のなか、遠くからわざわざ看病に駆けつけてくれた息子夫婦にも心底、感謝しながら私たちはこうして毎日を生きているのである。
 それにしても人間たち一人ひとりがスイスイと歩くということがいかにすばらしいことか、を私は思い知った。ちまたでは将棋の藤井聡太二冠(19)=王位、棋聖。愛知県瀬戸市=が13日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館であった「第六期叡王戦」五番勝負の最終局で豊島将之二冠(31)=竜王、叡王、同県一宮市出身=に勝ち、3つ目のタイトルを獲得。将棋界の三冠は十人目で19歳1カ月での達成は羽生善治九段(50)が保持する最年少記録(22歳3カ月)より3年以上早く、10代では初の快挙となったのである。人生いろいろ、俳人で歌人でもある舞にも、ここは復活してほしく願っている。心配ない。きっと再び立ち上がってくれるに違いない。舞の傍らではいつだって、白狐の愛猫シロちゃん(俳句猫「白」。本名はオーロラレインボー)が寄り添ってくれている。そして20日午前5時過ぎの今現在、シロは私の足元に座っており、時折、心配そうな顔で私を見つめる。

「シロ、シロ、シロちゃん」とベッドの方から舞の呼ぶ声がする。シロが私を不安そうな顔で見上げ、私は私で「どうかした」と駆け寄り、シロも私と一緒に駆け付ける。「足を伸ばしたいの。伸ばして」と舞。「分かった。分かったから」と言って足を持ち上げ、大腿部の下に枕をさしこんでやる。少しでも足が上がるためだ。シロが一連の動作をじっと、見守る。シロは白狐、舞にとっては「わたくしを助けてくれる妖精」なのである。

 【ガン退治の本】
 

 さて。効果のほどは、どこまでか
 
 
 おかあさんのことなら【シロは何でも知っている】。舞にとっては、何よりの精神的な支えとなってくれている
 

 藤井三冠の快挙を報じた中日新聞朝刊
 

    ※    ※
【2021年9月19日未明。午前1時40分】
 舞が台所の食卓につかまり立ちしながら、のそのそ、ごそごそと先ほどから何かをやり始めた。段ボール箱からパットを取り出したと思ったら、こんどはその中に飲み残しのまま食卓に置かれていたお茶(綾鷹)のペットボトルを並べ始め、食卓の上にあるものを一つひとつ整理整頓しにかかり、何やらスローモーションビデオのなかの物語のようにあれやこれやとやり始めた。食卓には両手はついているものの確かに両足を少しずつ、一歩一歩ゆっくりと動かしている。この様子が「歩けた」とは決して言えないまでも、舞は確かに両足を交互にゆっくり、ゆっくりと動かし一歩ずつ自身の足を前に踏み出し始めた。歩きだした。歩こうとし始めたことには変わりない。
「もう、いい加減にしろ。もう寝なきゃ」との私の叱正に彼女はこう答えた。「だって、あたし。テーブルの上が気になるのだから」と。「……」(しばらく答えられない私)。「分かった。でも、もう寝なくちゃ」としばらく見守ったあと車を隣の寝室まで押してゆく私。励ましあいに近いふたりの時間はこうして過ぎていった。舞よ、舞。おまえな。あんまり意地を張って無理すると俺達には見えない恐ろしい空気の海に水没してしまうぞ。気をつけんとアカン、と私。

 【曼殊沙華人恋ふほどに朱け深く】
 【秋空に未来永劫と書いてみし】
 世界中のフォークダンスを踊っていたころの舞。俳句、短歌は今も病床でたしなむ。
 

    ☆    ☆

    ×    ×
 米国防総省が17日、アフガニスタンの首都カブールで8月29日に実施した無人機による空爆攻撃が誤爆だったと認め、無関係の非政府組織(NGO)職員と子ども7人を含む10人が死亡した、と発表。謝罪した。アフガニスタンのイスラム主義組織タリバンが17日、首都カブールの「女性課題省」の建物に設置された表示板を「勧善懲悪省」に変更。タリバン暫定政権では女性課題省の閣僚が任命されず廃止や統合となる可能性が出てきた。
 自民党総裁選に立候補した河野太郎行政改革担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行が18日、日本記者クラブ主催の公開討論会に臨み、新型コロナウイルス対策や原発問題、年金制度などについて応酬を繰り広げた。
 北朝鮮が15日午後零時32分と37分に日本海にむけて弾道ミサイル2発を発射。岸信夫防衛相は同日夜、いずれも日本の排他的経済水域に落下した、との推定結果を明らかにした。中米エルサルバドルが暗号資産と呼ばれるピットコイン(仮想通過)を国の法定通貨に。エルサルバドルの首都サンサルバドルで15日、ブケレ政権が代表的な暗号資産(仮想通過)のピットコインを世界で初めて法定通貨にしたことなどを巡って数千人が反政府デモ。

 14日。ドラゴンズはバンテリンドームナゴヤでの対広島戦で10―1で広島に勝ち、今季初の5連勝。堂上直倫が5打点、京田陽太が4打数4安打の大活躍だった。勝利投手は、松葉貴大投手。5日後の19日の横浜球場。中日はDeNAに9―1で敗退。翌20日付中日スポーツの1面見出しは「竜3連敗 一番打者京田が弾みつけろ」「良いところなく…再び借金10」と怒りの見出し。
「名探偵コナン」のキャラクターで描かれた【コナン列車】のデザインがリニューアルされ、一般公開を兼ねた出発式が18日、鳥取市のJR鳥取駅で開かれた。新車両の車体には、主人公の「江戸川コナン」やライバルの「服部平次」など15種類のキャラクターがデザインされた。水俣病の悲劇を世界に伝えた写真家の故ユージン・スミスさんを俳優ジョニー・デップさんが演じる映画「MINAMATA」が23日の全国公開に先立ち、熊本県水俣市で18日に上映された。
 九州に上陸した台風14号は西日本を横断後、18日午後3時に静岡県沖太平洋で温帯低気圧に変わった。19日午後5時18分ごろ、岐阜県の飛騨地方を震源に震度4の地震。長野県警に入った連絡によると、19日午後、北アルプスの槍ヶ岳で3グループの計9人が落石などで動けなくなっているという。長野県警ヘリコプターが20日早朝から救助予定。

2021年9月11日
 日本人24人を含む2977人が犠牲となった9・11米中枢同時多発テロから、きょうで20年。私は、あの日、新聞社編集局のデスク長席に座ったその夜遅くに、この大ニュースが飛び込み、自社はむろん外電も含めて世界中からあふれる如く編集局に流れる初報の大渦に翻弄された思い出がある。
 ハイジャック機計4機がニューヨークの世界貿易センタービルなど=同センタービルには2機=に突っ込んだ同時多発テロ発生のニュースは、その後もサウジアラビア出身で主犯と見られたウサマ・ビンラディンの行方などに関し、来る日も来る日も洪水の如く溢れ出るニュースに翻弄され続けたのである。連日、出稿されてくる新たな記事を読むにつけ、なぜかビンラディンが私にとって気になる存在になったのも事実だ。そして時がたつにつれ、当時の米ブッシュ政権とビンラディンの出身地であるサウジアラビア財閥間に横たわる暗黙の秘密めいた密約なるもののような存在にも気づかされたのである。

 そんな同時多発テロ発生20年という折も折ではあるが、私は電子書籍「パリよ ビンラディン、あなたは今どこに」(アマゾン、kindle版。税込みで一冊1000円なり)なる本を、このほど出版。ビンラディンに取り憑かれた地方記者の前に、パリをはじめ能登半島など行く先々で、あのあご髭の〝ビンラディン〟の幻影が現れ出る-といった奇妙きてれつなる内容の私小説ではあるが、物語のコンセプト(キーワード)を「幸せとは、見えないところにある」(この言葉は、リヨンを起点に働いていた能登半島羽咋市出身の女性添乗員から教えられた)に絞り込んで書き進めただけに、日本はむろん世界中の一人でも多くの方々にも読んで頂き、フランスや日本の能登半島など美しい景色とあわせ「平凡な幸せの大切さ」を感じ取って頂けたら、とも願っている。

 ビンラディンの幻影を通じ「幸せは見えないところにある」をコンセプトに描かれた電子書籍【パリよ ビンラディン、あなたは今どこに】
 

    ※    ※
 そして。世界を震撼とさせたあの同時多発テロから20年たった今のこの星、地球はといえば、である。今度は新型コロナウイルスの感染爆発、パンデミックに世界中が翻弄され、年寄りも若者たち、妊婦までもが医療体制が逼迫する中、これまで思いもしなかったコロナウイルスの餌食となり、多くの人々の命が刀折れ矢尽きるかの如く容赦なしに日々、奪われているのである。きょうの新聞報道によれば、10日現在の世界の感染者は実に2億2320万4222人に及び、460万6035人もの人々が亡くなっている。感染拡大は、日本も例外ではなく、同じきのう(10日)までに162万5624人が感染、1万6719人が死亡した。

「あの日から世界は変わった」と「9・11それぞれの20年」を報じた11日付夕刊紙面
 

    ※    ※
    ☆    ☆
 というわけで、この世の中は誰とて、人生いろいろ。人は等しく皆、悲しい道を歩かざるを得ない宿命ともいうべき苦海の中にある。わが家とて同じで、ステージ4の子宮がんの治療(放射線照射と抗がん剤の投与で治療的効果は得られた-とは主治医の話)後の、こんどはリンパ浮腫という大敵に冒され江南厚生病院に再入院していた私のかわいい妻、舞が今月9日に退院。舞は久しぶりに私と息子、愛猫シロちゃん(俳句猫「白」。本名はオーロラレインボー)と再会はしたものの、相変わらず両足の激痛とむくみに悩まされ、家に帰っても歩けない無残で残酷極まる日々が続いている。

 退院を前に病院内にある江南中部包括支援センタースタッフの案内でメディケアなる業者さんにもわが家に来てもらい、十分に相談し自宅一階彼女の部屋への電動式ベッドの据え付けにあわせて用意した歩行器も、きょう11日現在まったく使えないままで、トイレまではっていく厳しい状態となっている(もちろん、トイレに行くときなどは私が、付き添うようにしている)。
 幸い、息子が多忙にもかかわらず、家事、洗濯、食事の準備と仕事の合間を縫ってやって助けてくれており、なんとか1日1日を過ごし、私もこうして本欄はじめ、締め切りの迫った地元生活情報誌のコラム(人生そぞろ歩き)の執筆などをこなしている。ほめられたことではないが、何分これまで家事と名の付くものは、ほとんどやってこなかった。そんな私だけに、こうした苦境の時にはこたえる。もちろん、私なりに食事の準備などいろいろやってはいるのだが。とてもとても、元気な時の舞と比べたら、それこそ月とスッポンではある。
 でも、私は、彼女はきっとよくなり、復活してくれるものと。そう信じている。このことは、わが家の愛猫シロちゃんだって同じで、彼女はおかあさんの退院後は、ずっと寄り添うようにして舞の傍らで黙って見守っていてくれているのである。シロは何にも言わない。けれど、彼女は私たちの苦労を何でも知っている。

 負けないから、と電話で話す伊神舞子
 

 きょうも私たちを見守ってくれているシロちゃん(俳句猫「白」。本名はオーロラレインボー)
 
 
 
 午前2時半を過ぎた。きょうのところは、執筆もそろそろ、ここで止めておかふ。むろん、舞のことをはじめ、書きたいこと、書き足りないことは山ほどあるのだが、それはそれとして、次回に譲っておかふ。それよりも、だ。今は何よりも舞を守り切ることである。とはいえ、私が書かねばならぬことは、いま山ほどある。

 午前3時54分。舞がやっと寝息を立て始めた。私もそろそろ、もう寝なければ。かといって、ぐっすり寝込んでしまうわけにはいかない。きょうのところは筆をおこう。
    ☆    ☆

    ×    ×
 環境省の発表によれば、東電福島第一原発事故による福島県内の帰還困難区域のうち、2022年春以降の居住再開をめざし重点的に除染やインフラ整備を進める特定復興再生拠点区域の除染進捗率が6月末時点で87%に達したという。とはいえ、作業は進んだが事故から10年半がたち「戻りたい」と考える住民は減少。この先、どのくらい帰還が進むかは不透明だという。
 愛知県を中心に死者10人、浸水家屋約7万棟の被害をもたらした東海豪雨から21年となった11日、当時、堤防が決壊した新川近くにある名古屋市西区のあし原公園で東海豪雨を語り継ぐ集いが開かれ、住民らが犠牲者の冥福を祈った。

 フランスのスポーツ担当相が10日の記者会見で、東京パラリンピックに出場したアフガニスタン代表2選手について「フランスへ戻ることを望んだので、他の多くのアフガン人と同じように受け入れた」と明らかにした。2人は8月、アフガンでイスラム主義組織タリバンが実権を掌握した後、オーストラリアやフランスの支援で国外へ脱出。パリに一時滞在してから訪日。パラリンピックへの訪日を果たした。担当相は「彼らが今後どうしたいかを聴くことになる」と話し、難民認定などの手続きはふたりの希望次第との考えを明らかにしたという。
 甲府地方気象台の発表によれば、富士山が9月7日に13年ぶりの早さで初冠雪し、雪化粧。富士山頂の雪が山梨県側からはっきり確認されたという。平年より25日、昨年より21日早く、2008年いらい13年ぶりの早さだという。

2021年9月6日
 水鉄砲ひかりあふるる空ねらふ
 江南俳句同好会 伊神舞子
 =尾北ホームニュース【尾張の文芸】

 五月闇みんなスマホとにらめっこ
 老いばかりテレビ会議や黒揚羽
 水無月や雨は宙海から海に山に
 治療は他人事のよにサングラス
 コロナ禍や瑞穂の国の青田風
      愛知 伊神 舞子
 =「草樹95号」から

 舞は病室で復帰をめざし日々、前を見てがんばっている。

    ※    ※
 さまざまな障害のギャップを克服して選手一人ひとりが感動と勇気、希望のドラマを私たちに与え続けてくれた第16回夏季パラリンピック東京大会の閉会式が5日夜、東京・国立競技場での閉会式で13日間の熱戦の幕をおろし、パラリンピック旗が東京都の小池百合子知事から国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長を経て3年後の開催地であるパリのイダルゴ市長に引き継がれた。パーソンズ氏は開催への謝意を示し、「分け隔てのない、インクルーシブな未来の幕開けだ」と述べ、閉会を宣言。聖火が消された。
 期間中、陸上の女子マラソン(視覚障害T12)で前回大会銀メダルの世界記録保持者、道下美里(44)=三井住友海上=が3時間0分50秒で自身初の金メダルに輝くなど、日本勢は金13、銀15、銅23の計51個で、2016年リオデジャネイロ大会(24個)を大幅に上回り、2004年アテネ大会の52個に次ぎ2番目に多いメダル獲得となった。大会は無観客のなか行われたが、期間中、コロナ禍が拡大、深刻化する一方のなか、一体全体何が引き金となったのか。あれほど総裁選への再選出馬に強い意欲を示していた菅義偉首相(自民党総裁)が突然の辞任表明をするなど何かと話題の多いパラリンピックとなったのである。

 「多様性と調和」を掲げたパラリンピックの閉幕を報道した6日付の朝刊紙面
 

「人間たちは、一体全体何やってるの」「それより、おかあさんの方が心配だよ」と朝刊報道に首をかしげるシロちゃん(俳句猫「白」、本名はオーロラレインボー)
 
 
    ※    ※

    ☆    ☆
 はや9月6日。時折、秋風が肌に染みてくる。
 相変わらず、戸外に出れば皆マスクをして歩いている。異常に変化した日常生活が「普通の世の中」に替わってしまった。誰もかもがマスクをして歩いている。

 この世はどこもかしこも、がだ。今という今がコロナ禍という地獄の1丁目にある。老若男女を問わず、だれがコロナに罹ってもおかしくない。ニンゲンたちの全てがそんな綱渡りの大変な中にあって、何たることか。私のかわいい妻、舞が子宮頸がんに冒され、ことしはじめ放射線照射や抗がん剤投与の治療が施され、8カ月ほどがたつ。
 妻は「治療的効果は大きかった」(担当医師)ということで、その後に退院。しばらくは私が毎日付き添ってのヨチヨチ歩きながらも、自ら営むリサイクルショップのお店「ミヌエット」を年内で閉めるべく自らの責任で残務整理をしつつ出ていたが、こんどはリンパ浮腫で両足が腫れあがったうえ痛みも伴い、とうとう歩けなくなってしまい先月23日に江南厚生病院に再々入院。現在は両足が少しでもよくなるよう治療を行ってもらっている。先日(3日の金曜日)、本人もまじえ支援室の相談員さんにも加わって頂き、担当医師と話し合い、こんご適当なころを見計らって退院し自宅療養をということになった。
 運命の皮肉とはこういうことを言うのか。私たちの家系にはがん患者はいないから、という理由でがん保険をやめてまもなくの舞の子宮がん発覚には言葉もなかったのである。何はともあれ、ニンゲンだれとて今を懸命に生きている。というわけで、ここに至っては私たちも困難を払いのけつつ、生きてゆくほかない。ましてや未曽有のコロナ禍のなかで多くの人々がバタバタと倒れ、それでも皆、前を向いて、それぞれの希望と夢に向かって歩いているのである。

 さる9月4日。朝から降っていた雨が昼過ぎいったん止んだ。午後3時半過ぎ、雨たちは再び思い出したように降り出す。猛烈な雨が、である。それもいったん治まったかに見えはしたが。4時20分過ぎ、こんどは雨という雨がまたしても激しい雨音をたてて強く降り始め、大地をたたいた。なんだか舞の病を生き映しにしているような。そんな無情の雨のような気がしてならない。
 でも、この世は、いつかは晴れる。コロナ禍だって、だ。ここでめげることなく前をむいて家族みんなで力を合わせて生きていこう。こどもたちも皆、よくやってくれている。だから、みんなで晴れる日を信じて、である。そう思うと舞と私の人生はある面で、また、ひとつの新しい時代が始まったのかも知れない。

 なんだか、ちょっと辛い話ではあるが、担当医によれば、舞の病は「また少し進行しつつあり完治は望めない」とのこと。だったら、だったで。そうした状況下でいかに家族がひとつ心となって前を向いて毎日を歩いていくか、だ。コロナ禍のなか、自宅療養者がある日突然のように身もだえし亡くなり、若者たちまでが新型コロナウイルスの餌食となり、多くの人々が人工呼吸器や、集中治療室で断末魔の瞬間に耐えているのである。そうした問答無用の世にあって舞は多くの人たちに支えられ、まだまだ生きる希望に十分満たされ幸せなのだ。今は、そう自身に言い聞かせる「私」が「私の中」で生きている。
 これは、かつて数え知れないほどの多くの事件や災害現場を見てきた私の持論でもあるが、結局のところニンゲン誰とて皆等しく、辛く悲しい道を歩いてゆく、かとは思いがちである。が、実はそうではない。誰とて、その人ならでは、の夢と希望を胸に歩いていけば、楽しく幸せなことだって、きっと起きるのである。ここで私は、ナチの迫害にあった、あのアンネが言ったことばを想い出しもする。アンネは不幸の絶頂の中でこんな言葉を残したのである。
「わたしは世界が次第に荒廃しているのを見、わたしたちさえも破壊するかもしれない、嵐の近づいている音を聞きます。わたしは数百万の人々の苦しみを身に感ずることができます。しかしそれでもなお、天を仰ぐとき、すべてはまた正常に帰り、この残虐も終わり、平和と静けさが世界を訪れるだろうと思います。それまで、わたしは理想をもちつづけなければなりません。やがて、これを実現するときが来るでしょう。 アンネより」(アンネの日記から)

 アンネは「すべてはまた正常に戻る」と日記に記した