いがみの権太の野球日記(その2)、同時進行で日記文学「笛猫日常茶番の劇(連載5)

平成二十二年五月十九日
 きょう各紙を読んでいて、ボクの心に迫ったのは讀賣新聞スポーツ欄の「過去5年交流戦でロッテは本拠地の負け越しはない。先発陣の陣容が戻るまでロッテはホームでの無類の強さを生かした戦いで乗り切りたいところだ」といった記述である。

 記事は、さらに昨夜の対ドラゴンズ戦に触れ『西岡躍動 マリンの追い風』の見出し入りで「愛する千葉マリンへの帰還が待ち遠しかっただろう」「ホームに戻って気持ちを入れ直してやり返そう」「主将としてナインに呼びかけたプレーはまさに地の利を生かしていた」と、昨日の貴重な一勝を振り返ってもいた。
 が、ボクには何といっても次の下りが気になったのだ。
 「本拠地名物の強風はセンター方向から常時10メートル吹きつけていた。制球を乱すなど中日・朝倉の動揺に乗じるような好打を見せると、さらに後続の左飛が浅かった中でもタッチアップで三塁を陥れた……」
 このほか、記事には「強風下でのフライ処理に戸惑う外野手のスキを見逃さなかった。その後、適時打で生還した」ともあった。ついでながらロッテ・西村監督は「ホームに戻って選手たちは伸び伸びしていた。3連敗だけはしたくなかった」と話し、落合監督は「この球場は難しいがそんなことは言ってられない」の弁。

 ドラゴンズは、結局、今夜もロッテ戦に3―1で負け、吉見投手は6勝2敗となった。三塁手・森野もエラーをしたが、かぜへの恐怖心があったかどうかとなると、ボクには分からない。

 【笛猫日常茶番の劇】今夜、Cが帰宅するや、Mに新しい携帯を見せていたが、どうやら最近世の中に現れ出たアメリカ育ちのスマートフォンらしい。CはいつもオカンのMと話をしているので、CのことはMに聞けば、たいていのことは分かる。でも、オトンには分からない。
 このスマートフォンの急激な広がりぶりは、たまたま今夜のNHKテレビのクローズアップ現代でも「スマートフォンの衝撃魅力は」の題で取り上げていた。テレビでは、スマートフォンが一台あれば、必要なことは指で触れるだけで何でもできてしまう、と具体例として学生が就職活動のための情報集めに役立てている現状などを紹介していた。オトンはテレビを見ながら「要は、多くの情報が満載されているばかりか、インターネットにも接続できる、と言うことなのだろ」とブツブツ話していたが、突然アタイに向かってこう言った。
 「あのな。スマートフォンがどういう機能を備えているかを知り、それなりに仕事やプライベートに役立てることは何も悪くはない。むしろ、すばらしいことだ。ただ言いたいことは、スマートフォンがすべてだと錯覚だけはしないように。これだけ、携帯社会が進化してくると、人間がどんどんと小さくなっていくような、ニンゲンの極小化が、ますます進んでしまう気がしてならない。なあー、こすも・ここ、分かったか」だって。

 アタイにとっては、そこでオトンの横に座っていたMがぽつりと漏らした言葉の方が重く心にのしかかった。
 その言葉とは。
 「ボスちゃん、残念ながら、スマートフォンでは口蹄疫には対応できないわ」とのひと言だった。それでもC兄ちゃんみたいに、スマートフォンを使ってみたい。オトンは、一晩中そんな顔をしていた。それとも、公けにこそ出来ないものの、オトンたちのウエブ文学活動を進めるに当たって、何かヒントになるようなものに思い当たったのかも知れない。

 それはそうと、オトンに言わせればテレビといえば、昨夜放映された新藤兼人監督による、九十八歳の映画づくりへの挑戦の方が、よりクローズアップ現代かもしれない。アタイは、純粋にそう思っている。

平成二十二年五月十八日
 みなさん、本日付の中日新聞夕刊7面のスポーツ欄「スポーツが呼んでいる」を読まれましたか。スポーツライターの藤島大さんが、ここに、なるほどということを書いている。
 ひと言で言えば、藤島さんは先日の中日×オリックス戦の中日打者、ドラゴンズ先発の山内壮馬の適時打に触れ、野球というもの「幸運も必然の産物だ」と言っている。その通りだと思う。ボクは、この久々に出会った優れた原稿を見ながら、いや、読みながら、野球に限らず、人生そのものとて同じだ、と思った。

 藤島さんは、記事の中で曰く
 「打者、山内は見送るべきところなのに、なぜかバットを出してしまう。しまった。あわてて止める。ちょうどそこに跳ねた球が当たって、二塁手の頭上を越えた。2点適時打。貴重な追加点だった。」と。
 そして藤島さんのペンは、こうも続けた。
 「かつて大リーグのニューヨーク・ジャイアンツなどを率いた名将、レオ・ドローチャは述べている。
 『ベースボールにおいて可能なことは五つだけだ。走る。投げる。捕る。打つ。そして力を込めて打つ』
 もうひとつあった。当てる。いや、当たる。
 各紙を引くと、中日の落合博満監督は試合後に語ったそうだ。
 『当たっただけ』
 山内壮馬は幸運だった。自分が投げて、自分のためらいが大切な2点をもたらした。
 そして長くスポーツを追っていれば、幸運とはどこかで必然と結ばれている気もしてくる。つまり山内投手の成長が『打者・山内』のツキを呼んだのではなかったか。
 『優れた選手であるよりも幸運な選手でありたい』
 ニューヨークり・ヤンキースの往年の投手、ヴァーノン・ゴメスの名言だ。ここにスポーツの核心はある。」
―ボクはこの記事を読みながら、ドラゴンズファンの立場から言うなら、『優れたファンであるよりも幸運なファンでありたいな』と思った。

 一方で同じ夕刊では「松坂7失点降板」「投球にムラ初回に5失点」の見出し入りでヤンキース戦に先発し、一回にいきなり5点を失い、五回途中9安打7失点で降板したレッドソックス・松坂投手に触れていた。松坂投手の敗戦は、M紙も夕刊スポーツ面のトップ記事として紙面化していたが、「単調な配球 初回に大炎上」の見出し入りでガックリとうな垂れた松坂投手の写真つきで容赦ない。

 今夜の敵地での交流戦、ドラゴンズはロッテに4―2で破れ、連勝は4でストップとなった。

 【笛猫茶番日常の劇】Mが大病から脱出でき、このところ、わが家はかつての生活が戻ってきたみたい。でもお父さんは、出がけにボクに向かって「おいっ、お母さんを頼んだぞ、とアタイに言い聞かせてから家を出ていく。MはMで掃除、洗濯から買い物、食事の準備と昔のあわただしさが少しずつ戻ってきたみたい。でも、Mに言いたい。
 「大手術をしたあとなのだから、決して無理はしないよう。血圧だって計らなければ」
 お父さんはお父さんで、商売道具のデジカメのシャッターが下りなくなったかと思えば、靴の片方がパックリ剥がれてしまうなぞ、ちょっとしたハプニングが続いている。
 「この間は、あまり使いたくもない部分入れ歯まで歯医者に作られる始末だ」と心穏やかでない。でも、これまたニンゲンたちの道行きの一つかも知れない。オトンは「あいつ(M)と一緒でオレにも再出発せよ、と見えない神サマが、どこかでほざいているのかな」と話してるよ。あ~あ。アタイだって。齢を取るのはいやだな。せめて精神面だけでも「いつまでも若くしていたいな」

☆宮崎の家畜伝染病・口蹄疫はとうとう殺処分された牛、豚が十一万四千頭にまで及んでいる。この数は、口蹄疫発生前の県内の飼養総数約百二十三万頭の約一割に達する。東国原知事はこの日、家畜伝染病の口蹄疫問題で非常事態宣言を県内に発令した。

平成二十二年五月十七日
 きのうナゴヤドームであった中日ドラゴンズ公式ファンクラブ主催の婚活ツアー、最終的には六組のカップルが誕生したそうだ。が、ボクには壇上での公表を避けた、秘密の覆面カップルも誕生したのではないか。あくまで勘だが、もしそうした男女が会場に居たとすれば、それこそ、夢舞台のような気がするのである。
 聞くところによると、早々と手をつなぎながらパーティー会場である「ドラうまダイニング」に現れ出たふたりが居たという。

 ボクは昨日の朝、ファンクラブのある女性仲間に「きょうこそ、Iさんも、Тさんも、良き相手に恵まれる、と良いですね」とメールを打って出かけたが、婚活に参加したふたりの男性がカップルまで辿り着いたかどうか。気にならないか、と言えば、嘘になる。
 結果を知りたいところだが、あえてそれ以上は追及しない方がいいと思っている。
 なぜか。
 ボクの持論は「恋」は、弾みであり、インスピレーションだからだ。
 『恋』というものは。意外や意外、思わぬところから降って湧くことが多い、それから何といっても、その人本人の世界の話でもあるだけに、結果を聞くこと事態が、野暮な勘ぐりになってしまうからである。カップルとして新たな生活に入るようなことがあれば、自然と聞こえてくるはずでもある。でも、やはりダメだったのか。

 それはそうと、プロ野球の試合観戦の場には、別に婚活とか恋活とかのイベント、いやビジネス? なんかに頼らなくとも、愛のキューピットはいっぱい潜んでいるような気がしてならない。現に、ナゴヤ球場やナゴヤドーム、他のビジター球場などで出会った“野球婚”が結構多いのだ。

 【笛猫日常茶番の劇】お父さん、けさは久しぶりにMとゴミ出しをして、すごく嬉しそうだった。ゴミを出すと、Mは布団をベランダに干し、掃除を始めた。
 ここでアタイんち(アタイの家)で変わったことがある。それは何でしょう。そう、このところ、自分で勝手に動いて掃除をしてくれる自動掃除機が出現したことだ。いわゆるロボットというやつでポロリンポロリンという音を出しながら部屋中を飛び回って掃除をしてくれるヤツである。ヤツとは、つい荒らっぽい言葉遣いになってしまったが、「ヤツ」には、それほど頼りになる、という意味が含まれている。
 ポロリン、ポロリンという働き者のロボットを見ていると、なんだかわが家に宇宙人が加わったような、そんな気さえする。ポロリン、ポロリンの音を聞きながら、アタイは充電時など使用上の注意をしっかりしなければ
、とも思っている。なぜかって。Mが病院から退院してきて以降、オトンが「おまえは、これからは単なるこすも・ここではなく、俺さまが居ないときはオカン(M)や家を責任をもって守るように」と、家猫の称号までもらったの。だから、これでも、ここ数日というものは少しばかり緊張してるんだから。

 それからMに教えられたのだけれど。けさの中日新聞の通風筒の写真が、とても良かったのだって。「宵の明星」の金星と、細い三日月が西北西の空で上下に並んだ瞬間をとらえた写真で、それは見事だったんだから。左にあしらわれたモード学園スパイラルタワーズがアクセントとして生きていた。

☆宮崎県では牛や豚の間で、このところ口蹄疫の感染拡大が深刻化している。発生農場は百十一カ所に上り、処分対象の牛や豚も八万五千頭を超し、国内では過去最悪の被害規模となっており、収束の兆しは見えない。このままだと、三重県松阪市の松阪牛への被害蔓延まで心配されている。タイではタクシン元首相派団体「反独裁民主統一戦線」のデモ隊と治安部隊の衝突が首都バンコク中心部で断続的に続き、騒乱状態は五日目に入った。統一戦線強硬派で十三日に狙撃され重体になっていたカディヤ陸軍少将が死亡し、衝突が始まって以降の死者は三十六人、負傷者は二百五十五人。

平成二十二年五月十六日
 一五六〇年(永禄三年)のきょう、織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を奇襲して敗死させた。古戦場は現在の名古屋市緑区有松町桶狭間から豊明市栄町にわたって今も広がっている。信長は、この日をもって世に出たのである。この日がなければ、歴史上のあの清洲越えも、開府四百年もなかったのである。みな信長が桶狭間で劇的な勝利をおさめたからこそ、後に起きたさまざまな日本の歴史なのだ。尾張や三河とは何かと縁が深い秀吉も家康も、信長が桶狭間で勝っていなかったとしたら、歴史上の人物には、なっていなかったに違いない。

 ドラゴンズはきょうもオリックスを4―1で破って、これで交流戦四連勝である。山内壮馬投手が2賞目をあげ、オリックスは3併殺で好機をつぶし1点止まりとなった。敵チームながら3併殺とは、なんとも惜しい限りで、桶狭間に散った今川の陣営さえ、思い起こさせる。どこかに焦りというか、油断、スキというようなものがあったやも知れぬ。一方で、わがドラゴンズの方は4回に4球と連打で無死満塁とし、大島の左前打で1点を先制し、さらに山内の2点適時打と暴投で計4点を奪い、そのまま勝ち抜いた。

 この日、ナゴヤドームでは公式ファンクラブのイベント・婚活観戦ツアーも行われたが、勝てばこそ、の縁で大いに盛り上がり生涯の伴侶が得られたカップルが相次いで生まれた、そんな気がするのである。桶狭間の戦いではないが、勝てばこそ、それぞれの人生に新たなページが加わったカップルが居るかも知れないのだ。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうもお父さん、仕事こそ一応の休みとはいえ、朝から書いたり動いたり、で休む間がなかったみたい。何を書いていたか、はボクにも分からない。
 ずっと書き続けたあとは、あたふたと郵便局本局まで車で出かけて手紙なるものを出し、帰ると今度は厚いご祝儀袋を手にMを伴って妹さんの家や、まもなく満九十歳になる母上の家に行き、帰りにはMと一緒にスーパーへ…と、ほんとに目まぐるしくって。見てるだけでも目が回ってしまう。
 九十歳といえば、三重県鈴鹿市に住まれている文芸評論家の清水信先生も同じで、七月九日には名古屋市千種区のルブラ王山で「清水先生卒寿と文芸きなり70号を祝う会」が予定されているんだって。文学を愛し、同人雑誌を愛し続けられた清水先生が「文学を愛して90年」の演題で講演されるそうで、オトンはいまから楽しみにしてるんだって。ここで、九十歳なのに「文学を愛して90年」ということは、赤ちゃんのころから文学を愛してた、ということになってしまうが、そこは文章上のあやで、それほどまでに同人誌を愛され続けられたということだ、とオトンはそのように解釈しているんだって。文学界には、いろんな人材がおいでだが、オトンが一番信頼している人は、この清水センセイなんだよ。地方に点在する同人誌の仲間たちに、センセイほど献身的な愛をもって接してきた人間は、おそらくほかに居ないーオトンは、いつもアタイとシロに、そう言って聞かせてくれている。
 オトンは午後、Mと帰宅したかと思うと、いつのまにか居なくなっていた。Mに聞くと、愛知県柔道整復師会の懇話会に招かれていたため、名古屋に出かけていった、とのこと。夜遅く帰宅したので「どうだった」と聞くと、「カンダさんにも久しぶりに会えてよかった」と話してた。同じテーブルだった愛知県柔道連盟の米田吉孝会長や伊藤義博理事長らとも懇談できたんだって。オトンが久しぶりにお会い出来、感激したのは柔道界の大先輩でもある中京大学・長谷川教授との会話で、片や滝、もう一方は尾北高の選手として、互いに青春時代の話で盛り上がったんだってさ。
 オトンは帰宅するや、しげしげとアタイたちのヒゲを見つめて、こう教えてくれたんだ。
 「オイっ、こすも・ここ、シロ(あらたまった時は、いつもフルネイムで呼んでくれるの)! 
おまえら、ジュウセイカイって、知ってるか。柔道整復師会と言ってな。佐久間稔晴会長によれば、現在、愛知県柔整会の会員は八百十八人。高齢化時代に入り、介護支援など医療における役割は年々、大きくなってきており、柔道を通じての青少年の健全育成同様、その社会的責任が高まってるんだ。よく覚えておくように。分かったな、二人とも」
 オカンのMも傍にすわり「ほぅーら、またまた説教が始まった」と楽しそうだったんだから。今日も、ながあーい一日でした。

平成二十二年五月十五日
 かってうれしい花いちもんめ まけてかなしい花いちもんめ

 今日は、勝ったドラゴンズと負けたオリックスの双方に“花一匁”をあげたい。
 最後は、九回裏、劇的なサヨナラ打で竜が勝った。
 ケータイ中スポの最新記事によれば「竜劇的サヨナラ! 交流戦3連勝」「小池に祝福のパイ」「ブランコ目覚めた4打点」「サヨナラ呼んだ森野の四球」「和田、美技の後に交代」…名場面が手に取るようだ。

 ところで前述の「花一匁」。広辞苑によれば、「子どもの遊び。二組にわかれ、ふしをつけた唱えごとをしながら、じゃんけんで勝った方が相手方の子を取る。」とある。

 ついでながら「勝つ」のページを開いてみると、こんな言葉が目に飛び込んできた。
▼勝って兜の緒を締めよ▼勝って負け▼勝つに乗る▼勝てば官軍負ければ賊軍
なかで気になる言葉は
 「勝てば負く」。勝った後、心がおごって、後に負けることが多い。の意で、心したいところだ。

 【笛猫日常茶番の劇】お父さん、ナゴヤドームから帰ると、留守電をチェックし「あっ、いけねえ」と言って電話してた。なんだか、相手は女友だちの“小太郎さん”という方のようだが、今度は彼女が出ない。で、メールしたみたい。内容は「メールで叱られそうです。お心遣い、身に染しみています。それだけで感激です。けいこさんによろしくお伝えください」だってサ。どうやら、Mのことを知らされた、その女性が心配して父さんに電話してきたみたい。
 Mは、もう退院してるんだから。皆さん! お気持ちだけをもらっておきます、とアタイからもお礼を言わせてもらいます。

 そのMだが。お父さん、仕事から帰っても室内に見当たらないので、あちこち探し回ったが見つからない。デ、一時は「Mがいない」と顔面蒼白に。まもなく裏庭で草を引いているところを見つけた時には「あれほど、まだやっちゃダメだ、と言っただろ」と叱りつけていた。お母さんのMったら、そんなこと平気の平左で、いつものように「だって、あたしがやらなきゃあ、誰がやるのよ」と切り返してきた。でも、これって。Mが少しずつ良くなってきている証明で歓迎すべきことのような気がする。
 アタイはといえば、Mがいつも「ボスは何があってもマイペースなのだから」と言うように
オトンの部屋の掘りごたつの布団の上で長い間、寝てしまっていたの。
 帰宅後のパパ(お父さんと言ったり、パパと言ったり、で御免なさい。でもアタイなりに、その時々にふさわしい言葉を使っているつもりなんだけど……)は届いた同人誌を読んだり、「熱砂」に紹介するなど休む暇もなさそうだった。このところは毎朝、アタイに未明から起こされ、なんだか新しい小説執筆にも取り組んでる様子がよく分かるの。
 きょう、オトンが何より嬉しそうだったのは、小太郎さんからの電話ともうひとつ。かつてオトンが新聞社の大津主管支局長として過ごしたことがある、あの琵琶湖畔から届いた本、文藝同人誌「くうかん」だったことは、間違いない。その「くうかん」だが、幾多の試練を刻みながら40号という一つの節目を刻んだんだって。過去、四十年に及ぶ眞鍋京子代表ら関わった多くの方々の努力に心から敬意を表したい、オトンの気持ちはきっと、そうだと思う。
 PRになっちゃうが、その記念号のなかには、オトンが書いた小説「火音(ひおと)」の前・後編が特別寄稿として載っています。皆さん、ぜひ読んでくださいね。

☆中日新聞十五日付夕刊から。「イチロー6戦複数安打」「松井秀、20試合ぶり本塁打」。「小沢氏午後聴取へ 東京地検」「クリントン氏 下旬来日 外相会談 普天間で詰めの協議」「バンコク騒乱 都心銃声 交差点に警官」といったところか。

平成二十二年五月十四日
 ホントに。
 野球に関する知識、いや素養というようなものがもっともっと、あれば。プロ野球の試合がない(ただしセ・リーグ)、きょうみたいな日にこそ、もっともっと書けるのだろうが。ボク、すなわち、いがみの権太は、たちどころに何も書けなくなってしまう。さふした自身が腹立たしくさえなる。でも、何事につけ、学ぶ姿勢、書こうとする意識こそが大切だ。「書く」ことは、自分との戦いでもあるのだ。
 というわけで、きょうは本日付中日スポーツの見出しを、ここに並べておきたい。

 まず1面。「中スポ。一〇〇円。(ここまでは題字と値段、見出しではない)チェン47日ぶり勝った 復活2勝!7イニング1失点 1球1球ということしか考えなかった 逆転はバット折った和田から・5回先頭…全力疾走で無駄にせず」。2面は「ヒット出ればほとんど生還 1軍再昇格&家族観戦 セサルハッスル? ファーム竜情報『お待たせブーちゃん“プロ1号” 若竜8連敗』」。そして3面はー「打点挙げれば5戦全勝ハツラツ大島 岩崎達3出塁&美技 若手2人が勝利の立役者 岩瀬圧巻3人斬り 18日ぶり 7年連続10セーブ」ときた。
 でも、まだ何かが、重要な記事が抜けている。そんな気がするのだが。
 (ページをめくりながら)アッ、そうだ。あった、あった。
 5面に「原ズバッ500勝」とある。この場合の原とは、巨人軍の原辰徳監督を指している。

 これらの見出しに異論はない。
 きょうは、恥ずかしながら、何度も何度も、この目で見出しを追ったのである。

 【笛猫日常茶番の劇】きのうときょうと、Mもよく知っている、そのおじさんから留守電が何度も入ったのだって。会議中とか電車のなか、仕事中だったりして…で、たまたまタイミングが悪くてお父さん、すごく恐縮してたよ。「あの○○だけれど。おくさん、その後どう? 心配している。また電話するから。できたら電話して」と同じ内容だったが、オトンって「Mのことを心底から、心配してくれてるのだから、おまえたちもありがたい、と思わなければ、な」だってサ。その人って。なんだか昔からのかけがえのない親友さんみたい。
 お父さん、なかなか折り返しの電話が出来なかったようだが、今夜、帰宅途中に電話して「悪い、悪い。わるかった。いつもタイミングが悪くって。だいぶ良くなったから。ありがとう」と話してたみたい。そのおじさんは、これまでにもMが入院するつど、夫婦で見舞いに来てくださっているだけに、感謝のしようもない大切なお方なんだよね。アタイもシロも一度、お会いしてお礼を述べなくては、と思ってます。それじゃあ、今夜はこれで。

平成二十二年五月十三日
 今夜のナゴヤドーム。4連敗中のチェン投手にやっと白星がついた。
 ドラ☆パも、「交流戦スタート! チェンもようやく本調子になりました。さあここから5月反攻だ」「チェンお待たせ2勝目」「大島が打線をつなぐ」などと、興奮気味である。
     ×     ×
 一方、きょうの新生ナゴヤ球場。
 ここでは晴天の下、前日に続いてウエスタンリーグの対ソフトバンク戦が行われた。

 「フジイ早く上へあがれ! ノモトより下はないだろ」「なにやっとるだ」
 この野次の直後、フジイが三振する。
 と、今度は
 「どうした、何があったのか」の野次が別方向から、追い討ちをかける。
 しばらくしてソフトバンクのイマミヤケンタが打席に立つと、
 「おうーい、大分の星、ユウセイに負けとったらアカン」の声が観客席から飛んだ。
 傍らでは
 「へえ~え。トリゴエユウスケが2軍監督なんだ。なんだか運命的なもの感じちゃう」と女性ファンの声。
 ボクは自らの勉強不足を責め、手元のプロ野球選手ガイドブックを見て確認してみた。
 今宮健太。内野手。大分・明豊高。十九歳。「打っては高校通算64発、投げては最速154キロと運動センス抜群」。鳥越裕介。ソフトバンク2軍監督。明大=中日94年。「現役時は守備の名手」とある。ユウセイは、むろん西武の鳴りものルーキー、花巻東高出身の菊池雄星投手だ。
 いやはや、ここに来るドラゴンズファンたちは何でも知っているのだから。

 【笛猫日常茶番の劇】けさの父さん、出がけになってあれがナイ、これがナイと大慌てなんだから。なかでも、このところたまった新聞をひっくり返して「ナイ、ナイ」「一体、どこにいったのだ」とアタイの目を責めるように、睨みつけてくる。これでは、まるで犯人扱いだ。だって、本当に知らないのだから。
 黙って見ていると、どうやら、あの「みその亭」のおかみ・ヨゴさん、すなわち“おかめママ”の記事を探されているみたいだった。彼女は、ここ数年、卵巣がんとの壮絶な闘いを繰り広げ、それでも接客業に徹しておられた。お父さんには、しばしばメールが届いており、ある時なぞ「病なんかに負けないで」と励ましのメールを打ち返されたほどだ。
 「みその亭」には、お父さんも文学仲間らと事あるごとに行かれていたみたいで、“おかめママ”には、かつて巨人の寄宿舎時代にホームラン王の王選手がバットを黙々と振り続けていた、その部屋にも何度か案内され、一緒に飲んだことがあったみたい。人一倍、勉強熱心で、がんばり屋だったばかりか、接客サービスにも徹しられていただけに、アタイだって悲しい気がします。
 ところで“おかめママ”のふ報記事出てきたか、だって。そこは確認してません。ただ哀悼あるのみです。合掌―

 きょうはチョット、こ寒い日なので、父さんはMの顔を見るたびに「大丈夫か。油断するなよ」の繰り返しで相変わらずMに「大丈夫よ。それより、早く出かけなさいよ」と叱られてた。アタイもシロも、そうした夫婦のキャッチボールを黙った見ていることが好きなんだよ。Mは頭の大手術をしてまもないので時折「頭が半分、重い気がする」と話してる。本調子になるまでには、まだまだかかりそうだが、アタイらは「きっと、回復してくれる」と、そう信じてMとの楽しい毎日を過ごしてます。

☆マリナーズのイチローが十二日、ボルティモアのオリオールパークで行われたオリオールズ戦で日米通算550個目の盗塁をマークした。

平成二十二年五月十二日
 今夜から、いよいよ交流戦が始まった。
 ドラゴンズは、ナゴヤドームであった、その第一戦、対ソフトバンク戦を5―1で制した。

 午後十一時過ぎ。ボクの携帯がいつもの調子でポロロンと鳴ったので、じしつ充電中のそれを手に取って確かめると、案の定、ケータイ中スポーツからのお知らせで▼和田単独キング13号▼吉見6連勝▼堂上兄が1軍アピール弾、とあった。
 まさに簡単明瞭とは、このことか。
 注目の森野。三回二死二塁から、この夜も勝利に結びつく適時2塁打を放った。やるうっー、て感じで、これからは四割打者実現を願うドラゴンズファンにとっては、目が離せなくなるに違いない。そしてブランコと並び、もう一人の大砲・和田も四回に「負けじ」と13号ソロホームランを放った。たまたま、この日は奥さまの誕生日とかで「妻の誕生日に打ててよかった」と言うところも、何となく可愛らしかった。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうMったらサ。まだまだ、家のなかで、ゆっくり静養していてほしいのだけれど…。入院直前に救急車を呼んでくださったリサイクルショップ「ミヌエット」隣の派遣会社にお礼を述べに行ったみたい。まだまだ油断は禁物。アタイとシロは、Mの体調が少しでもおかしくなったら、お父さんに連絡するつもりでいる。やはり、Mのことを心配し始めると、きりがなくなってしまう。「自分の体は自分で守るの」とオトンに、いつも言っていたのは、どこのだれだったっけ。

平成二十二年五月十一日
 新生ナゴヤ球場の正面玄関。
 開門と同時に、ここにはドラゴンズの2軍監督川相昌弘がいた。
 入場してくる観客をはさんで2軍の全選手が並んでいる。
 新井選手に野本、ジュンキ、小田、藤井、岩崎選手…
 あのセサルも、天下の200勝達成投手である山本昌さんまでいた。

 十一日昼前の新生ナゴヤ球場。開門直後。
 ここではドラゴンズの歴史に一ページを刻む、あるドラマが延々と続いていた。
 川相監督の「ファンの方々に応援をお願いする意味でも、お出迎えしたい」とのアイデアが全選手総出で体現されていたのである。まさに、ファンに対する心からのサービスだ。
 生まれ変わったナゴヤ球場に胸をときめかせ、走るようにして入場してくる人、人、人。
 これら入場してくる全観客に対し川相監督はじめ、選手全員がハイタッチでお出迎えした。
 入場してきたファンの嬉しそうな顔、顔、顔。
 みな、思いがけない歓迎ぶりに興奮気味である。
 選手全員の笑顔に圧倒されて見守るボク。
 入場者一人ひとりの足音が軽快なリズム音になって聞こえてきた。
 プロ野球って。ドラゴンズの選手って。こんなに素晴らしいのだ……
 差し出される手と手。顔が光り輝くとは、このことを言うのだろう。
 傍で見守るナゴヤドーム、そして球団関係者が、なんだか神さまのように思われてきた。
 本物の笑顔がそこにはあった。

 この日の新生ナゴヤ球場では観客入場に続いてドラゴンズ、ソフトバンクの両チーム監督に花束が渡され、球団マスコット・ドアラが始球し、こけら落としの対ソフトバンク戦が、ドラゴンズ・岩田慎司投手の先発で始まった。試合の途中、小雨にも少したたられたが、なんとか天気までが味方になってくれ、試合は続行、ドラゴンズファンは、みな嬉しそうだった。

 【笛猫日常茶番の劇】きょぅも父さん、朝起きるが早いか、なんだかあちこちに電話しバタバタしていた。結局、アタイや妹・シロには声ひとつかけないで外に飛び出していった。夜になって帰宅すると、一人で「きょうは良かった、良かったぞ」とアタイに向かって話してくれたのだけれど。いったい何が良かったのか、はさっぱり分からない。
 ただMだけは、良かった、の意味を知っているようで「そうね、お疲れさま」といった顔でいた。なんだか、よく分からないけれど。そんな、とっても不思議で気になる一日だったよ。

☆本日付の中日新聞夕刊一面見出しは「湯沸かし器中毒事故 パロマ元社長に有罪」「東京地裁判決『改造対策怠る』」がトップ。準トップは「フィリピン 新大統領にアキノ氏 『変革』掲げ政権交代」だった。

平成二十二年五月十日
 それこそ、ごくたまに思い出したように中日スポーツの打撃順位を見る。けさも何日かぶりで一覧表に「目」がいった。
 セ・リーグの打撃表?位に目をやると、なんと、そこには打率407と記されているではないか。それも、ドラゴンズの選手会長森野選手が堂々と1位を占めていた。
 えっ、ウッソー、いや、本当なの。信じられないというのが実感だった。
 確かに打撃首位は森野で、それも試合数39、打席数169、打数150、得点30、安打
61……とあった。これは驚異的な記録である。

 職場に出ると、同僚の一人が「これからは森野のバットに、期待が膨らんでくる。こんご打率は一体どこまで伸びるのか、と思うと楽しみだ」の弁。みな多かれ少なかれ、同じことを思っている。ボクは心の中で「モリノ、モリノ」と二度言ってみた。
 けさの中日スポーツによれば、事実、森野は「これで開幕から39試合目で10度目の猛打賞」で早くも昨年の自身の記録に並んだという。「シーズンでは37度ペース。オリックスのイチロー(現マリナーズ)が96年にマークした日本記録の26度をはるかに凌駕する。そして開幕から61安打は225安打ペース。94年イチローが持つ日本記録の210本(当時は130試合)を上回る」という。
 いやはや、あすからの森野選手がますます楽しみである。森野の場合、イチローのような内野安打がないだけに、4割打者が実現すれば、その重みはいっそう大きい、と言ってよい。

 一方、米大リーグの方はといえば。松井秀樹選手が八日(日本時間九日)、敵地マリナーズ戦の延長10回、左前に決勝タイムリーを放ち、日米通算1500安打を達成した。それまで17打席無安打と極度のスランプに陥っていたが、この日は第2打席でも左前打を放ったという。

 【笛猫日常茶番の劇】月曜日。きょうから、また元通りの毎日が始まり、アタイとシロはちょっぴり緊張しています。それというのも、退院してまもないMが今月いっぱいは万全を期して静養しているからです。
 Mのことなので、いつなん時、勝手に(人聞きが悪かったら許してネ)遠くまで買い物に行ったりしかねません。でも、きょうのところは、お父さんが朝、出がけにくどいほどMに「オイッ、無理だけはしないように」と何度も口を酸っぱくしたためか、大人しくしてくれていた。昼間、どこかの女性からメロンのお見舞いまで届き、Mは幸せだな、と思った次第で~す。メロンのおばさん! 心からありがとう。

☆この日はサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に臨む日本代表二十三人が岡田武史監督から発表された。名古屋グランパスからはGK楢崎正剛のほか、DF闘莉王、FW玉田の三人が選ばれた。

平成二十二年五月九日
 きょうも、昨日に続きナゴヤドームでのデーゲームだった。そこで外出先から帰り、何よりも先に、とケータイ中スポを開いてみると、結果は惨たんたるありさま。試合は既に終わっており、ドラゴンズは9―0でヤクルトに負けていた。
 朝倉が誤算。初回いきなりデントナ、ガイエルの連続弾などで4失点。2番手の清水昭も5失点と悪い流れを止められなかった。ヤクルト先発の村中は緩急をつけ7イニングを3安打無失点で3勝目。ヤクルトは打線も先発全員の13安打で9得点。連敗を6で止めた、とある。

 いずれにせよ、完敗だ。
 こういう時は、ヤクルトに対するよいことを思い出すに限る。
 ボクはドラゴンズファンでありながら、毎朝、中日新聞や中日スポーツを読むように、ヤクルトを欠かさず飲んでいる。能登・七尾時代からの日課でもあり、かれこれ二十数年になる。
 なぜか。
 それは、その土地で中日新聞が主催する新入学児を祝うよい子とお母さんの会が毎年あり、支局長だったボクは決まって地元警察署の署長さんと一緒に「よい子のみなさ~ん、コンニチハ」とステージで歓迎のあいさつを述べたものだが、その時いつも会場でよい子全員にサービスしていただいたのがヤクルトさんだった。
 だから、ボクはドラゴンズがヤクルトさんに負けても文句なぞ、とても言えないのである。これまでの恩義があり、たとえ勝とうが、足を向けては寝れないのだ。
 というわけで、ボクの大好きなヤクルトおじさん!
 きょうは勝って本当によかったですね、ともう一人のボクが心の中でお祝いを述べているのが、よく分かるのである。

 【笛猫日常茶番の劇】日曜日。まだ退院まもない家で静養してなきゃいけないMがいるのに、お父さん、たら。きょうも名古屋に出かけていってしまった。中部ペンクラブの事業企画運営委員会と理事会があるから、とかで、「これまで欠席が多く、皆さんに迷惑をかけ、わがままのし放題だから。このままでは尊敬するIさんに叱られる」とそそくさと出ていった。いつもなら、どこかで飲んで帰ってくるのに、さすがに今日は早かったよ。

 なんだか顔を真っ赤にして「ただいま」って入ってきた時には、アタイもシロも腰を抜かさんばかりに驚いてしまった。なぜかって。あのお父さんが手にカーネーションの花束を持って帰るが早いか、お母さん(M)に向かって照れながら「オイッ、元気でいたか」だって。言うが早いか真っ赤な花束の中に一本だけピンクを入れ、オカンの好きな白いカスミソウをあしらった、それはそれは簡素なカーネーションを渡されたときには、まっこと「なかなかやるジャン」とシロと一緒に顔を見合わせてしまいました。
 お母さんが嬉しそうに早速、カーネーションの花束を玄関先に飾り、しばらくすると今度は玄関のチャイムが、キンコンカーンと鳴るので「何事か」とドアを開けると、またまた息子さんからの贈り物みたい。なんだか、最新式のロボット式自動掃除機とかで、いやはやMは、わが子になんと礼を言ってよいのやらっ、て顔してた。
 お父さんが常日頃、Mに口癖同然に言っている「俺は別に、おまえは、なんていい子ばかりを産んだんだ」とは、こう言うことだったのか。なんだか、お父さんがかわいそうになってきました。
 でも、本当に伊神家の人々は親類も含めていい人ばかりです。オトンが名古屋に出かけていた間、Mは息子Kと、まもなく満九十歳になるオトンの母の居る和田まで出向き、近くの畑まで一緒に行き、柿の木の肥料やりまで一緒にやってきたそうな。
 むろん、Mが和田の母を誰よりも大切にしてくれていることをアタイもシロもよく知っている。だからオトンはMを大事にしてるんだ。

平成二十二年五月八日
 この夜のナゴヤドーム。ドラゴンズはヤクルトを1―0で突き放し、地元に強い本領を発揮した。
   ×   ×
 ケータイも、メールも、電話も。ТVも、ラジオだって。ナンニモ、いらなあーい。
 目の前にすべてがある。
 9回裏2死からの、和田の一発本塁打。
 ただそれだけに、四万人近い客を乗せたドームという円形の箱舟そのものが、ライオンの雄叫びの如く、大きく撓(しな)い、そして大歓声をあげた。
 バックスクリーンが、もしかして夜空だったなら。白いボールは、どんどんと果てしなく伸び、最後に「星」とぶつかり、ニッコリしたかもしれない。
 この際、丸天井なぞはいらない。
 目の前で繰り広げられた臨場感。ドームは、さふゆふ夢舞台なのである。
 目の前のグラウンドを、大型スクリーンのなかを、自らも歓喜しながら生還してくる和田。彼は、もはや、岐阜の生んだヒーローだといってよい。

 (これより前のナゴヤドーム前、矢田駅周辺)
 ことしは観客が少ないのでは。最近、ボクの耳にはそんな声がよく聞こえてきている。
 とはいうものの、けふの“なごや”は、ドラゴンズ一色である。
 親に手を引かれ、IBAТA、ARAKI、HIRAТAといったユニホームを着た子、公式ファンクラブのグッズである小型リュックを仲良くかついで歩く兄弟、「WADA 5」のユニホームの坊やたち。ドラゴンズロード沿い壁に居並ぶドラ戦士たちを横目、に「ええ男たちばかりだねえ」と声に出しながら歩いてゆくおばちゃんたち、若いカップルにお年寄り夫妻、家族連れ……。
 我も、我も、とナゴヤドームに向かって歩いている。
 なかにAОKIの背番号が入ったユニホーム姿の女性も。きっとヤクルトファンなのだろう。
 ふと、こうした光景を江戸時代の庶民たちが見たら、きっと驚くことだろうなあ、と思った。

 帰り道。
 上前津で乗り換えると、どこかからの帰りなのだろう。ホームベンチで並んで座っていたアベックのうち男性がケータイを見ながら「勝った」「勝った」と小声でつぶやいた。傍らの女性が「何が」と聞くと「ホラ、1ゼロで」の声が聞こえてきた。
 これが、本物の会話かもしれない。私はウンウンと一人うなづき、満足そうな表情で、その場を通り過ぎた。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうのお父さん、ったら。
 名古屋から帰ると同時に「疲れた。オイッ。元気にしてたか。お母さん(M)、どうだった。おまえたち、守ってくれよな。家の周りの草引きをしにかかったら、止めるのだぞ。俺がそのうち、やるから」とだけ、言いたいことを話すと、そのままお風呂にも入らず寝ちゃった。
 いつもなら、お風呂から出たら、アタイとシロを傍にはべらせ「オイ、あのなあ」とその日あったことを話してくれるのだけれど。チョット、最近のお父さんって、少しだけ弱ってきたみたい。この話、絶対、ここだけのことにしといてね。
 そういえば、「絶対」という言葉、お父さん大嫌いなんだ。この世の中に「絶対なんて言葉は、ありえない。オトンはな、絶対と言う言葉は大嫌いだ」と云うのが口癖なんだから。
 ついでにお父さんの大嫌いなのは「忙しい」と、よく言うヤツ(言葉が悪くてご免なさい)。
 昔、支局などで黙って支局員を見ていると、たいした仕事もしていない記者に限って「忙しい」を連発していたんだってサ。誰よりも忙しくとも、ただ黙々と仕事をこなす人材は決して「忙しい」なぞという空言は言わない。特ダネだって、つかんでくる。だから、本当に勝負に出るときには「忙しい」「忙しい」を連発する記者は、最初から除外したんだって。
 この世の中、確かにたいして忙しくもないニンゲンに限って忙しい、忙しいと言っている。父さんの気持ち、アタイたちにだって、よく分かるんだ。Mの口から「忙しい」なんて言葉、出たこともないんだから。

平成二十二年五月七日
 午後十一時二分。
 ポロロン、と楽しそうな音とともに受信メールがボクの携帯電話に入った。
 メールを開くと、ドラ☆パ・メルマガで▽やったぜ谷繁! ▽サヨナラ勝利!! ▽中田賢も復活したし、しびれにしびれたゲームでしたーとあった。
 ドラゴンズが、この日、本拠地・ナゴヤドームでヤクルトと対戦し、今シーズン四試合めのサヨナラ勝ちで価値ある一勝をあげた、とのドラ☆パからの知らせである。勝ち星さえつかなかったものの、あの中田賢一投手の先発登板はボクならずとも、ファンにとっては、大変に意義深い。中田が登板したことで、どれだけ多くのファンが喜んだことか。私の身のまわり、すなわち職場にも一人いる。ナカタクンなら、なんでも許しちゃいたい、という女性が。この限りでは、幸せな男だと思う。

 そのナカタクン、このところ試合に出ることがなかっただけに、ついぞファンからも忘れられる寸前にあった。人間とは、薄情なもので、どんなファンであろうが、しばらくたつと居ないなら居ないでそれが当たり前になってしまう。ナカタクンには早く1勝をあげてもらい、ドラゴンズにはまだオレが居る、俺さまが必要なのだという強い意志で試合に挑んでもらい、存在感を示してほしい。そのこと自体が強竜への脱皮にもつながる。

 米大リーグの方は、レッドソックス・松坂大輔投手とエンゼルス・松井秀樹外野手の対決となり、松坂投手が今季初の勝利投手となった。半面、ファンの間で待たれる松井秀樹外野手の日米通算1500打点は持ち越しに。エンゼルスは7連敗と精彩を欠いている。この世は、どこまでいっても、泣いたり笑ったり。悲喜こもごもである。

 【笛猫日常茶番の劇】けさもM(お母さん)は、台所に立ち、お父さんを会社に送り出し、オトンといったら相変わらずドタバタと忙しそうに家を飛び出していった。出がけに「なんだ雨か」とため息をついて、である。このところは、ずっと晴れていたのに、きょうは雨。それも、かなりの降りの強さだ。アタイは、こうして部屋の中で寝ていればいいが、人間って大変だな。雨だったら、行くのを止めにすればよいのに。
 雨と言えばアジサイで、この花は雨に打たれれば、打たれるほどに美しくなってゆく。ニンゲンの女性の中にも世間の嵐に打たれれば打たれるほどに魅力的になってゆく女性がいるんだってサ。

☆名古屋市で十月に開かれる生物多様性条約第十回締約国会議(CОP10)に先だち中日新聞で「この星と生きる」の連載が始まった。地球上の生きものの多様さを守るために何を考え、どう行動すれば良いのか。識者らに聞くシリーズで第一回はアニメ監督・宮崎駿さんが登場。宮崎さんは、このなかで「自分の半径三百メートルの自然に責任を持とう」と強調しており、示唆にとんだ発言の数々が印象深い。財政危機からの脱却を図る政府の緊縮財政に抗議するゼネストで三人が死亡したギリシャ、そのギリシャ発の信用不安が世界を駆け巡り、ユーロが売り込まれて日本などの株価が急落。中国国営新華社通信は七日午前、北朝鮮の金正日総書記が中国を非公式訪問し、胡錦涛国家主席と会談した、と報じた。それによると、両首脳は「朝鮮半島の非核化のため、ともに努力することで一致したという。金総書記は、関係各国と北朝鮮核問題をめぐる六カ国協議再開に向け「有利な条件」をつくりたい、とも述べ、参加国による努力の必要性を強調した、ともいう。

平成二十二年五月六日
 新聞休刊日。
 とはいえ、中日スポーツの場合、読者サービスを最優先にコンビニで即売される特別即売版(1部100円)が発行されている。きょうは、野球がない日だけに、なんとなく寂しいのも事実だ。心のなかの何かが、ポッカリとあいてしまっている、とでもいえようか。
 その特別版中日スポーツを先ほどから何度も何度も、繰り返し、読んでいる。
 「今季最短4イニング6失点」「チェン 苦悩」「6戦勝ちなし『何で打たれるのかな』」の見出しに、新井に3ランを打たれて汗をぬぐう苦悩の表情の一枚の写真が目の前に迫る。思わず「なんで? 」と自身までつぶやくボクがいる。
 台湾から来て一生懸命にやっているのに。どうして、チェン投手ばかりが、こんなにも苦しみ、痛めつけられなければいけないのか。これでは、悲劇のなかのヒーローだ。
 勝てない。どうしたらよいのか。じっと、プロ野球面に再び目を落とす。

 この日の中日スポーツ「オレ流語録」の中で落合監督は、こう言っている。
「本人がどういうピッチャーなのか、それを分かっていないと野球にならない」「何か原因があるんだろ。それを本人が気付いていない。オレらには手に取るように分かるんだけど。それをオレらが言ったって、やるのは選手だ。本人が自分で気付かないと」「いいんじゃないの、ボロボロになれば。まだそこまでいってない」
 勝負の世界は厳しい。
 監督の物言いには、かわいい子には旅をさせろ、じゃないけれど、獅子が自分の子を崖から敢えて下に突き落とす、そんな過酷さを思い出させる。
 ただ、これら一連の語録の中でボクが一番気になる言葉がある。
 それは、「原因があるのに本人が気付いていない」「本人がやろうとしていることが違う方向だと、本人が気付かないと前に進んでいかない」といった下りだ。これは、かなり大変な事態で、先発としての冷静さを分かっていないということではないのか。

 ボクは、チェンほどの投手だから、彼は既にその点に気付いてはいる。いても、なかなか思うに任せないでいる、とみたい。次の試合からの立ち直りに期待したいのである。どしろうとの感覚から言わせてもらえば、もしかしたらいったん私生活を元に戻し、もう一度良かったころの土俵に戻ってみることも大切なのではないか。そこに立てば、これまでとは違う何かが見えてくる。そんな気がするのだが。断っておくが、これはあくまでボクだけの私見である。

 【笛猫日常茶番の劇】けさから、またM家の新しい一日が始まりました。アタイは、いつものように朝早くからお父さんを起こし、枕元で相変わらずニャンニャンと声をあげてやると「分かったよ。分かったから」と書斎に出てきました。Mみ上がりにもかかわらず、二時間ほどあとに起き、かいがいしく朝食をつくってお父さんを仕事場に送り出しました。平和とは、こうした何でもないことなんですよね。
 夜、お父さんが帰宅するとMが真っ先に「あれ、もらったの」と言って見せたのが一台の卓上時計でした。母の日を前に、東京の長男夫妻からさっそく送られてきたもので、Mの顔がうれしさで輝いていました。夫妻は、ともに科学者(博士)だけあって送ってくるものが、洒落ている。なんでも携帯からでも、パソコンからでもメール送信されてきた絵(写真)が時計の横に映し出されるというしろもの。なんだかむずかしそうだな、と頭から思い「よかったね」と言って、念のため見たお父さん。そこには先日、長男夫妻が訪ねた飛保の曼荼羅寺のそれは見事な藤棚が映し出されていたではないか。お父さん曰く
「えらい世の中になったもんだなぁ~」だって。なんでアタイに相槌なんかを求めてくるんだろう。一番喜んでるのは、Mでなんだかんだと、しばらくさわりまくっていたんだから。リハビリには、きっといいよね。

☆一九九五年十二月のナトリウム漏れ事故以来、運転を停止していた高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)が、この日、十四年五ヵ月ぶりに運転を再開。北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が北京の人民大会堂で胡錦涛国家主席との夕食会を兼ねての会談に出席、ふたりの会談は二〇〇六年一月以来になるという。

平成二十二年五月五日
 こどもの日。ドラゴンズは阪神に9―1で大敗した。それもボクの大好きなチェン投手が打ち込まれ、今シーズンは、なかなか勝てない。首脳陣の何とか勝たせてやりたい、との気持ちが見えてくるだけに、返す返すも残念至極である。
 打たれに打たれて全身キズだらけとは、このことを言うのか。まさに血だらけのチェンが、そこには居る。それでもファンは「今度こそは」と立ち直りを信じている。
 ケータイ中スポのドラゴンズ情報・実況中継を見ると、チェンは4回に阪神新井に本塁打を打たれたのが致命的で6点目を入れられ、息の根を止められたようだ。きょうは、ただただチェンが打たれた不幸を悲しむほかない。これも運命なのか。神さまは非情だ。
 これ以上は何も話したくはない。あえて言えば誰も悪くはない。みんなそれぞれの立場で懸命に試合に挑んでいるのだから。負けは負け、勝ちは勝ち、だ。ただ、それだけのことである。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうもお父さんを五時過ぎに起こそう、と枕元でニャオニャオと鳴き出したら、お母さんのMったら「お父さん、疲れてるんだから、ボスちゃん(Mだけはなぜかアタイを呼ぶ時に“ボスちゃん”“ボスちゃん”と呼ぶ)、起こさないでよ」と叱られてしまった。だって、お父さん、この時間しか執筆する時間がないのだから、お父さんはきっと喜んでくれてるのにーと言った顔をしていると、まさにその通り。「分かった。分かったよ。おまえがこうして起こしてくれるからこそ、名もない作家の歴史に残る執筆活動がこうして続けられてるんだよな」とお父さんはいつものように、起きてくれた。ありがとう、父さん!
 妹のシロは久しぶりのMの帰宅もあり、夜明け方からずっと三、四時間もの間、枕元で両手をそろえ、口を真一文字に結んだ状態で「病み上がりの身に何かがあってはいけない」とMをずっと見守ってくれていた。たとえ妹とはいえ、立派だと思ったよ。
 きょうのMは昼の間、少しだけお父さんと一番近くのスーパーに行き帰ってきた。これから普通の生活が戻ってきてくれたら、アタイたちは、それだけでうれしい。家族って、そんなもの。平々凡々が一番、いいんだよね。

平成二十二年五月四日
 ドラゴンズは、内弁慶の本領を発揮して、阪神に6―2で勝った。吉見投手は、これで5勝1敗。なんとなく、強い時のチームの形が整ってきた、素人なりにそんな感じがする。

 「今はナゴヤドームにいます。明日は長良川球場決勝戦(ベーブルース杯)、今井さんが連れていってくれまーす。準規ママも一緒になります」
 昨夜は、こんなメール連絡を“ファンクラブの母・安江都々子さん”からいただいたが、これまでの疲れからか体調が最悪で返事どころか、朝になってメールを知った次第。この日記紙上で心からおわびしたい。でも、きのうも、きょうも勝ってくれて本当にうれしい。いつのまに、ボクは、こんなにもドラゴンズ好きになったのだろう。それが不思議だ。

 木曽川河畔のこの町をきょうも多くの人々が歩いている。
 この時期、リュックをかついだお年寄り夫妻が藤の花で知られる飛保の曼荼羅寺に向かって歩いてゆく。ふたり、四人、六人、八人…と、まるで草木がなびくかの如く、何組もの夫妻が歩いてゆくのが車の窓から見られる。何ごともない平和な社会だ。スーパーによると、そこではドラゴンズ対阪神戦が流され、多くの人々が見入っていた。ただ、それだけのことにボクは感動した。
 ことし七十九歳とはいえ、とても若々しく、年には見えない安江さんに久しぶりに電話をして非礼をわびる。「何言っとるの。きょうベーブルース杯も優勝したよ」との彼女の声が嬉しかった。きょうの阪神戦勝利も合わせ、あすの中日スポーツが楽しみだ。

 【笛猫日常茶番の劇】お父さん、きょうも体が動かず、見ていることが出来ないほど辛そうでえらそうだった。それでも朝起きて、病院に行くとなんだか大きな荷物を抱えて帰り、しばらくそのまま「もうアカン、疲れたよ」と弱音を吐くと一時間ほど死んだように眠りこけ、午後になって再び出かけていった。
 お父さん、ほんとに大丈夫かな、と心配していると玄関のドアがガラリと開いたかと思うと、お父さんの声が聞こえてきた。
 「おーい、こすも・ここ、シロ。おまえたち、いるか。お母さんが帰ってきたぞ。お母さんだぞ」と同じことを何度も何度も繰り返す。アタイは、その父さんの声を聞きながら「Mだ、Mが病院から帰ってきたんだ。お父さんったら。だから、Mの退院を前に、あれもこれもと気を遣いすぎ、あげくに連日の病院往復や深夜未明の執筆などの疲労がたまり、あの頑強なパパには似合わず頂点に達していたんだ」と思い、お父さんの疲労ぶりをあらためて思い知ったんだ。でも、お父さんも、Mも、それから三男坊のKちゃんも本当にうれしそうだった。
 ほんとに帰宅した時は、どっちが患者か分からないほど。しっかりしたMの一方でお父さんったら。もうアカン、といってまたまた寝室に行き、しばらく動かなくなってしまった。それでも病み上がりのMがこしらえたお粥を「食べなきゃ」と言われて食べるとお父さん、たらっ。
「やっと食べれるようになった。おまえはすごい。これまでで一番おいかったんだ」ってサ。
 おかゆを食べたお父さんは半分立たない体を奮い立たせて入院中、お世話になった方々にだけでもお礼を言わなくっちゃあ、と電話をしたりメールをしたりで、忙しそうだった。なかでも能登・七尾の短歌雑誌「澪」の主宰・山崎国枝子さんと話をした時は受話器をMに回すほど。山崎さんとボクたちはかけがえのない旧知の仲だけに「舞子さん(Mの俳句、短歌、一行詩のペンネーム)のこと、悪いほうに悪いほうにと思い込んでしまっていたので、まさか、こんなに元気な声が聞けるだなんて」と喜んでくださっていることが、すぐそばで電話に耳を傾けていたアタイたちにも、よく分かったの。
 ここに、まだまだ瀕死状態のお父さんからの伝言を記させてもらおう。
 ―おいこすも・ここ、そしてシロよ。オトン(お父さん)はな、これまで新聞記者として、松本で起き初めて特ダネ賞というやつをもらった女高生の焼身自殺はじめ、志摩のタンカー沈没に伴う重油漂着による海女漁ストップ、岐阜県庁汚職事件、愛知医大を舞台にした三億円強奪、長野・富山連続誘拐殺人、能登・田鶴浜の女高生殺し、長良川木曽川リンチ殺人、近江八幡の連れ去り少女、神田市長の知事転進劇、その他長崎大水害や稚内の大韓機撃墜、三宅島噴火、中部日本海地震など数々の災害や事故取材に遭遇し、一つ一つを乗り越えてきた。
 でもな、オトンにとって「今度の伊神舞子の手術入院事件」ほどに大きなヤマはなかった。これを乗り越えられたのも、ひとえに家族の結束と周りの温かい目があったればこそ、だと思っている。何も分からないおまえたち、こすもとシロにも随分の苦労をかけてしまった。これからも手を携えて自然体で生きていこうな。
 病院にいると、本当に多くの人々が病という不幸を背負って、それでも家族が手を携えあって黙々と生きている姿が痛いほどに身にしみた。みーんな、それぞれに一生懸命に生きていることをあらためて知りもした。
 あっ、そうそう。舞子を執刀した超イケメンの伊藤脳外科医には何とお礼を申してよいのか言葉もない。手術前も術後も誠意あふれる患者に対する接しられ方には本当に「医は仁術」とは、このことを言うのか、と思った。それから、杉江さん、高杉さん、小林さん、小室さん……など病院の全スタッフにも、この日記紙面で心から礼を述べておきたい。こんごとも、伊神舞子(M)をくれぐれも、よろしくお願いいたします。

平成二十二年五月三日
 よかった。本当によかった。
 首位・阪神に5―0で勝ててよかった。
 今夜のナゴヤドームでの1勝は価値がある。
 これで真っ白の「雪の達磨」が真っ黒焦げになってしまう心配が回避された(「雪の達磨…」については昨日の野球日記を読んでいただきたい)。

 ドラゴンズは、いや“なごや人”に共通することかもしれないが、本拠地で戦うとなると、滅法強い。きょうの試合結果が、それを照明しており、岐阜出身の朝倉権太投手が、このところ上昇気流に乗ってきた阪神を快投でねじふせ、同じ岐阜出身の和田一浩外野手も2回裏、先制の適時三塁打で加勢した。
 内弁慶のドラゴンズならでは、面目躍如といったところである。
 ちなみに内弁慶とは「家の中でばかり強がっていて、外では一向に意気地のないこと」(新明解国語辞典)。ボクに言わせれば、温室育ち。周りの庇護の下、力はあるのだけれど、敵地に行くとコロリと負けてしまう。何のくもなくひねられ、帰ってくる。
 内弁慶と言われようが、残る2試合も連勝してほしい。ファンの気持ちは皆、同じだ。本領を発揮してほしいのである。

 地元とはいえ、その昔、「岐阜は名古屋の植民地だ」として名古屋に虐げられてきた岐阜出身による二選手の巧妙による勝利もなんだか、歴史上の皮肉を感じる。
 まあっ、なんと言われようが勝てば官軍である。

 【笛猫日常茶番の劇】きょうのご主人、体調が最悪でだいぶおかしかった。アタイとシロで恐る恐る、ご主人の所業を見ていたが、「もう、このまま死んじゃうのじゃないかって」真剣に心配していたんだから。
 病院でのMの看病を終え家に帰ってきたお父さん、顔が青白く別人みたいでただごとではなかった。「おいっ、ここ! シロ」と帰宅するや、呼びつけるのであわてて二人で玄関先に顔を出し、せめての歓迎にと腹の中をゴロゴロ、ゴロゴロとならせ、ニャン、ニャアーんと甘えた声で頭をすりつけてやったのに平成二十二年五月二日
 ボクの心のなかを“かぜ”が吹き、その中でランプが点いたり消えたりしている。
 というのは、きのう大勝したドラゴンズが、きょうは4―3で、それも今シーズン、同じヒロシマ(広島カープ)に三度目のサヨナラ負けを喫したからだ。心のランプは、勝てば誇るようにパッと大きく点き、負ければ、はかなげに消える。当然ながら、負けが続けば、全身が真っ暗闇のなかで消え続けるわけで精神衛生上も誠によろしくはない。
 長丁場のペナントレースだ。選手でもないものを。くよくよしたところで仕方ない、とは思ってはみても、やはり負けた分だけ負担が重くなってゆくようだ。広島が勝てば勝ったで広島ファンが喜ぶのだから、それはそれでいいのだ、と自身に言い聞かせる。

 端唄の中に、まるで一行詩のようなこんな唄がある。
 ♪雪の達磨に タドンの目鼻 融けて流れる 炭衣(すみごろも)
 ボクには、きょうの試合を見る限り、このまま負けが続くと、真っ白だった雪のダルマ、すなわちドラゴンズという存在そのものが融けて、全身真っ黒となり、いつのまにか、この世から消え去ってしまうのではないか、とそんな危機感を感じるのである。
 端唄といえば、もうひとつ。こんな珠玉の作品もある。
 ♪どうした拍子か あなたという人 憎(にく)うて憎うて たまらないほど好きなのよ
 ボクの心境は今まさに、この世界の真っ只中だ。不思議なもので負ければ負けるほど、ドラゴンズを好きになってゆくーこれは、どうした拍子か。

 いずれにせよ、きょうはきょうの風、明日は明日の風が吹く。それが人生、いや世の中というものだ。広島ファンが歓喜すれば、それでよいではないか。ボクのなかで、もう一つの痩せ我慢が動き、自らを納得させようとしている自分が、そこには居る。
 あすの力に期待しよう。

 【笛猫日常茶番の劇】アタイ(こすも・ここ)と妹のシロちゃん、きょうは、とっても忙しかったんだ。
 なぜかって? 入院中のお母さん・Mに心からの見舞いの手紙が届いたり、心配してきのうから来て何かと心配りをしてくれているお兄さん夫妻が家と病院を行ったり来たりしてくれているので、アタイたちなりに邪魔しちゃあ、いけないって。これでも結構、気にしてんだから。アタイは客人が訪れるたびに、玄関までそのつど出て「ニャアニャア」と挨拶したんだけれど、妹のシロは気を遣い過ぎて、ずっとたんすの上で寝たふりを装ってた。
 お兄さん夫妻もあまり病院に顔を出したのでは、と気を遣ってか、きょうは駅から藤の花で知られる曼荼羅寺まで歩き、そこからまた木曽川河畔のスイトピアまで延々と、歩き続けたんだってサ。でも、きょう一番にうれしかったのは、Mが一時帰宅で家まで来てくれたことかな。家ではお兄ちゃん夫妻があすから結婚生活X年目に入るということでMったら、入院中の身なのにご祝儀を出していた。お兄ちゃんたち、大喜びだったよ。

 そういえば、Mたちが昔住んでいた石川県能登半島の七尾では、青柏祭デカ山が、いよいよ佳境を迎えます。Mによれば、七尾では白と黒のぶち猫・テマリが一緒に暮らしていたが、お父さんの転勤で岐阜の大垣に来てしばらくした頃、交通事故に遭って死んでしまった。時折、お父さんは「テマリはよかった。かわいかった。七尾の大きな屋敷の天井裏が大好きで飛び回ってたよ。いったん天井裏に上がりは出来ても降りられず、そのつど、お母さんがイスに乗ってよく下に降ろしてやったものさ」とよく話してくれる。
 話を聞きながら、アタイとシロはいつも思うんだ。「テマリはたとえ死んで今はいなくても、彼女の心はいつまでもアタイたちの心に生きているんだ」って。なんだか、お父さんが大好きな作家・田宮虎彦の<別れて生きる時も>の主人公の台詞みたい。少し気障かな。だって本当だもの。アタイとシロは、テマリの跡継ぎなのだから、ネ。

平成二十二年五月二日
 ボクの心のなかを“かぜ”が吹き、その中でランプが点いたり消えたりしている。
 というのは、きのう大勝したドラゴンズが、きょうは4―3で、それも今シーズン、同じヒロシマ(広島カープ)に三度目のサヨナラ負けを喫したからだ。心のランプは、勝てば誇るようにパッと大きく点き、負ければ、はかなげに消える。当然ながら、負けが続けば、全身が真っ暗闇のなかで消え続けるわけで精神衛生上も誠によろしくはない。
 長丁場のペナントレースだ。選手でもないものを。くよくよしたところで仕方ない、とは思ってはみても、やはり負けた分だけ負担が重くなってゆくようだ。広島が勝てば勝ったで広島ファンが喜ぶのだから、それはそれでいいのだ、と自身に言い聞かせる。

 端唄の中に、まるで一行詩のようなこんな唄がある。
 ♪雪の達磨に タドンの目鼻 融けて流れる 炭衣(すみごろも)
 ボクには、きょうの試合を見る限り、このまま負けが続くと、真っ白だった雪のダルマ、すなわちドラゴンズという存在そのものが融けて、全身真っ黒となり、いつのまにか、この世から消え去ってしまうのではないか、とそんな危機感を感じるのである。
 端唄といえば、もうひとつ。こんな珠玉の作品もある。
 ♪どうした拍子か あなたという人 憎(にく)うて憎うて たまらないほど好きなのよ
 ボクの心境は今まさに、この世界の真っ只中だ。不思議なもので負ければ負けるほど、ドラゴンズを好きになってゆくーこれは、どうした拍子か。

 いずれにせよ、きょうはきょうの風、明日は明日の風が吹く。それが人生、いや世の中というものだ。広島ファンが歓喜すれば、それでよいではないか。ボクのなかで、もう一つの痩せ我慢が動き、自らを納得させようとしている自分が、そこには居る。
 あすの力に期待しよう。

 【笛猫日常茶番の劇】アタイ(こすも・ここ)と妹のシロちゃん、きょうは、とっても忙しかったんだ。
 なぜかって? 入院中のお母さん・Mに心からの見舞いの手紙が届いたり、心配してきのうから来て何かと心配りをしてくれているお兄さん夫妻が家と病院を行ったり来たりしてくれているので、アタイたちなりに邪魔しちゃあ、いけないって。これでも結構、気にしてんだから。アタイは客人が訪れるたびに、玄関までそのつど出て「ニャアニャア」と挨拶したんだけれど、妹のシロは気を遣い過ぎて、ずっとたんすの上で寝たふりを装ってた。
 お兄さん夫妻もあまり病院に顔を出したのでは、と気を遣ってか、きょうは駅から藤の花で知られる曼荼羅寺まで歩き、そこからまた木曽川河畔のスイトピアまで延々と、歩き続けたんだってサ。でも、きょう一番にうれしかったのは、Mが一時帰宅で家まで来てくれたことかな。家ではお兄ちゃん夫妻があすから結婚生活X年目に入るということでMったら、入院中の身なのにご祝儀を出していた。お兄ちゃんたち、大喜びだったよ。

 そういえば、Mたちが昔住んでいた石川県能登半島の七尾では、青柏祭デカ山が、いよいよ佳境を迎えます。Mによれば、七尾では白と黒のぶち猫・テマリが一緒に暮らしていたが、お父さんの転勤で岐阜の大垣に来てしばらくした頃、交通事故に遭って死んでしまった。時折、お父さんは「テマリはよかった。かわいかった。七尾の大きな屋敷の天井裏が大好きで飛び回ってたよ。いったん天井裏に上がりは出来ても降りられず、そのつど、お母さんがイスに乗ってよく下に降ろしてやったものさ」とよく話してくれる。
 話を聞きながら、アタイとシロはいつも思うんだ。「テマリはたとえ死んで今はいなくても、彼女の心はいつまでもアタイたちの心に生きているんだ」って。なんだか、お父さんが大好きな作家・田宮虎彦の<別れて生きる時も>の主人公の台詞みたい。少し気障かな。だって本当だもの。アタイとシロは、テマリの跡継ぎなのだから、ネ。

平成二十二年五月一日
 風薫る五月が始まった。
 この連日掲載の“いがみの権太の野球日記”、すなわち“ゴンタクレ記”をはじめ、何事にも新たな気持ちで、臨んでゆきたい。読者のみなさまともども、これからも限りなき道を、前へ前へ、と向かって淡々と歩いていきたい。

 手元に日めくりカレンダーと、わが家自慢である京都・カーフスタジオの短冊カレンダーがある。日めくりカレンダーには「メーデー 憲法週間」「九紫友引 かのとり」とあり、「芸能、公事は吉。衣服の着初め、開店、婚礼、訴訟、葬式は凶。」とも。土曜日の横には<社会人としてケジメのある態度>と添えられている。短冊カレンダーの方は月を通しての言葉として「悪くするのは簡単」とだけ、記されている(ちなみに四月の言葉は「眼より耳を信じる」だった。ボクは四月の間じゅう、目よりも耳を信じるよう、心がけた)。

 「いまは(ドラゴンズをこよなく愛する仲間たちと)長良川球場のベーブルース杯に来てまあーす」
 きょうは、中日ドラゴンズ公式ファンクラブ会員でもある、その女性からの、こんなメール連絡で一日が始まった。大型連休のさなかだが、一日がアッと言う間に過ぎていく。

 夜に入り、何よりも驚いたのは突然の着メル音に「何ごとか」と、どっきりした時だ。
 中身を開くと、なんと【ケータイ中スポ】◆今季最多12点でマツダ1勝、の知らせで、ボクが一番知りたいことを教えられ、思わず「やったあー」と叫んでしまった(この日は一日じゅう私事に追われていた。ちなみに配信時間は5/1 22:32)。
 さらに開いていくと、目の前の画像には「ケータイ中スポ 日本一早い中スポ どこでも誰でもゲットできる超速報電子新聞。試合当日に発行します。」の文句と最新記事が目に飛び込み「5・1 マツダ1勝!和田&岩崎達&鈴木 和田3連発…ビデオ判定で幻◆本塁打→ファウルは初◆杉永一塁塁審コメント◆岩崎達プロ初打点◆井死球退場◆鈴木953日ぶり勝利◆デスク独り言、」と、さすがは世界の中日スポーツ、まことに簡潔である。

 それにしても、きのうのぶざまな大敗は、こたえた。
 正直言って(これも、ファン心理なのかもしれないが)もう、どうにでもなれ、って思っていただけに、心の中で見捨てようとしていた何かが舞い戻ってきた気がした。怒りのブドウとは、このことを言うのか。ドラゴンズの選手たちよ! よくぞ、うっぷんを晴らしてくれた。世は満足じゃ、といった心境である。おかげで、よく眠れそうだ。
 ボクは、今月の短冊カレンダーの言葉「悪くするのは簡単」を二度つぶやき、ドラゴンズを悪く決めつけてしまうことも簡単、思い込みはやめて自重の鐘を自らの心に鳴らさなければーと祈るが如くこの言葉を反芻してみた。
 ありがとサン。落合野球の皆みなさま、だ。

【笛猫日常茶番の劇・連載5】きょうから野球日記に付随して笛猫さん(こすも・ここ、シロちゃんが同居、二人とも女性)ちの「茶番の劇」も同時進行させていく。今回からは主人公を『こすも・ここ』とし、こすもが人間になりかわって語る体裁で話を進めたい。年月日は、野球日記と同じである。

 木曽川河畔のとある町での物語の連載が、ここから再び始まります。
 アタイは笛猫でもボス格、こすも・ここです。先月、ある大病に襲われ、この町のとある病院で大手術を受けたM、すなわちアタイたちにとっても一番大切なお母さんが、この日、手術後のMRI検査を受け、イケメンの担当医から順調な回復を告げられました。帰宅したご主人から、これを聞かされたとき、アタイとシロは顔を見合わせバンザイと、叫んでしまったのです。

 なんでも、この日は長男夫妻が病床を見舞ってくれたみたいで、あのむくつけき、ご主人の顔までが、明るくなったのは言うまでもありません。彼は、アタイたち家族にはむろんのこと、即座に自分たちのウエブ文学同人誌「熱砂」編集長のホワイト好子さん(碧木ニイナさん)に、Mの状況をメールで知らせ、親友の兄貴分・牧すすむさん(大正琴琴伝流会主・倉知弦洲さん)にも、回復状況につき詳しく電話で説明したそうです。
 それまでは、あまりお母さんの手術のことは話してなかったみたいで、よほど嬉しかったんだよね。夜は、長男夫妻に六月がくれば、満九十歳になる和田の母君も加えて、この町で、つい最近、それまでの「昭和食堂」から生まれ変わって再スタートした「299居酒屋太郎」で食事とあいなった、とか。このお店、実は昭和食堂が閉店する二日前に大手術を前に、Mとご主人がヒミツの食事をした場所だったんだよ。
 それはそうと、アタイね、今夜遅く妹のシロとNHKテレビの「トップランナー」って番組でケータイ世代に大人気の西野カナというシンガーソングライター初めて知りました。
 お父さんや入院中のお母さんMが知ってるかどうか、は知らないけれど(きっと、Mなら知ってるだろうな)。
 ♪君と出会えたことが かけがえのないたからだから…、今何してるの 本当に友だちなの…、君想うほど遠くに感じて…などといった唄と歌詞にはしびれちやった。そして「今夜も暮れゆきて」(これはアタイの表現)いくんだ。ネッ、病室にいるお母さん!

 ☆きょうは上海万博が始まり、水銀汚染の被害の深刻さを世界に知らせた水俣病が公害病として政府に認定された。それにしても遅すぎる。
 なお、笛猫日記の連載4のあと、平成二十一年九月十八日~平成二十二年四月三十日までの空白分は、いつの日か「秋から冬へ」(仮題)の日記文学として公表させていただきます。