いがみの権太の野球日記、笛猫茶番の劇・7月21日

平成二十二年七月二十一日
 熱い夏―歓喜に沸く、ナゴヤドーム。ドラゴンズは今夜も、横浜に5―4で勝った。
 五試合連続完封勝利と連続無失点(二十日の横浜戦で連続47イニングと、それまでの球団記録43イニングを抜く球団新記録、ちなみにプロ野球記録は統一リーグ時代・1942年当時、阪神の52イニング、セ・リーグ記録は1966年巨人の50イニング)の記録こそ止まってしまった。でも、終盤の逆転でせり勝ってくれた。これで6連勝、貯金も今季最多の7となった。
 今夜はルーキーのブーちゃん(中田亮内野手)が初めて1軍戦に登場、初安打を放って満場の拍手と歓声をかっさらったばかりか、試合の方も3―4でリードを許していた七回に堂上剛裕の適時打で追い付き、八回には大島の適時打で勝ち越した。吉見、高橋、浅尾、岩瀬と投げ継ぎ、三番手の浅尾投手が七勝目をあげた。

 猛暑のなか、いま中日ドラゴンズを駒の中心に「名古屋」が熱い。口うるさいことでは天下一品で有名な全国のドラゴンズファンが歓喜につぐ歓喜に、浸っているのだ。それでも満足しない輩(やから)はいっぱいおり「ああでもない、こうでもない」と決して満足しない。名古屋のファンほど、たちの悪い人間はいない。裏返せば、だからこそ「ニッポンイチいじ穢(きたな)く、信長・秀吉・家康の三英傑を出してきた土地柄なのだろう。地方とはいえ、東京、いや、たかが読売ジャイアンツ如きには負けられないのである。第一、日本は地方の集合体で成り立ち、その地方の要、親分がナゴヤなのだ。

 こんやは堂上兄弟の同時スタメンに、ブーちゃんの初安打、大島の決勝打…と続いた。ドラゴンズはボクがかねて予言した通り、若竜の季節到来で若い選手の活躍が際立ってきた。こうなると、チーム全体までが若く、見えてくるから不思議だ。この勢いで、どうにも止まらないほどにセ・リーグ優勝という目標実現に向かって驀進してほしい。

 ここで野球通のファンからの熱視線をひとこと。
 「このうえは岡山出身の野本、大阪の平田、神奈川の岩崎にもがんばってもらえば、それこそ、全国に中日旋風を吹き起こせるかもしれません。球宴(オールスター)明けは、いきなり読売戦ですが、望むところではありませんか。このまま、じわり、じわりと言ってほしい」
 これは東京に住む、あるドラゴンズファンから、ボクあてに届いた熱いメッセージで、全国のファンが願う声を代弁した的確な言葉ともいえます。こうした的を得た指摘は、北海道や沖縄、九州、関西、東北のファンからもボクあてに届いています。
 頑張れ! 全国のドラゴンズファンの皆さん! 

『ねぇ~』   こすも・ここ
 

       『なぁに』  シロ

 【笛猫茶番日常の劇】アタイ、Mが入院していたころ、お父さんを毎日未明に起こしてやっていた癖がついてしまい、いまも午前五時前後になると、狼でもないのに「ウオー、ウオーッ」て。雄叫びみたいな声を上げ続けているの。とうとうMに「もう、こすも・ここったら。寝れないじゃないの。シロちゃんみたいに大人しくしておれないの」と叱られてしまいました。
 それでもオトンはアタイをほめてくれるんだ。
 「ありがと、ありがとサン。おまえが、こうして起こしてくれているからこそ、この野球日記を書き続けることが出来るのだよ。ありがとサン」だって。だから、アタイ、オトンのこと、これからも起こしてやらなくっちゃあ、と思っています。オトンは既に気付いてくれているんだ。アタイが狼みたいな声をあげる時間は「日の出時刻が過ぎると同時にだってこと」をー

 それから、きょうはオトンに、凄い秘密の連絡がメールで入ったんだって。そのときが来たら、Mにだけは教えなければって。そう、思っている。ともかく皆さん、ここでアタイの言葉に耳を澄ましてください。
 「この日記文学は、文学とは似て非なるものではあるけれど、アタイたちの存在も併せて後年、貴重な記録になることは間違いない。文学とは、音もなく進行し、歴史を代弁するものでもある。オトンは、どんな作品であれ、絶えずたった一人の読者、そして自分自身に向かって語りかけるように書き続ける。それこそが、文学の魂だ、と話している。
 事実、ウエブ文学同人誌『熱砂』の伊神権太作品集には毎日、大変な数のアクセスがあるが、これら読者一人ひとりに向かって話しかけてゆく。これこそが、いがみの権太作品の真骨頂なのである。何もチャラチャラ、アクセクとするものではない。そうした動きはすればするほど、人間本来に大切な“恥じらい”とか、そうした貴重なものさえ、どこかに吹き飛ばしてしまうんだ」と。
 だから、皆さんには黙々と。この作品を読んでいただきたい、のである。もちろん、至らない点のご指摘も大いに結構なんですって。

☆大相撲の松ヶ根親方(元大関若嶋津)が大阪場所の際、大阪市住吉区内の暴力団関係者のビルを、宿舎やけいこ場として借りていたことが発覚。米アップル社が10年4~6月期決算で4月に売り出した新型携帯端末「iPad(アイパッド)」の爆発的人気もあり、売上高が前年同期比61・3パーセント増の1・3兆円と過去最高を記録した。

平成二十二年七月二十日
 ドラゴンズは今夜も、ナゴヤドームでの横浜戦に1―0で勝った。ネルソン、清水、高橋、浅尾、河原、岩瀬、平井と七投手による豪華リレーでプロ野球新記録となる五試合連続無失点勝利という、まさに快挙を成し遂げたのである。最後は0―0のまま延長戦に入り十一回1死一、二塁となったところで和田がセンター頭上を越える適時打を放って勝負に決着をつけた。
 このところは、落合監督がどんな用兵をするのか、毎日がホントに楽しみだ。と同時に、ドラゴンズが負けるなんて信じられない気がしてきた。

 そして試合のあと。今夜は久しぶりに東京に住む『落合信者』の“むさしのガブリさん”ご夫妻から、こんなメールをいただいた。内容は次の通りである。
 「いやあ、山井投手に始まった、プロ野球新記録の五試合連続完封勝利、歴史が動いたと思います。それに、落合監督は、堂上兄弟、浅尾、清水、岩田、伊藤と地元出身選手をちゃんと使ってくれているじゃないですか。公平な落合監督だからこそ、出身地にこだわらずに選手を見てほしい、ともおっしゃっていましたが、ファンの気持ちだって、きっとお見通しなんですよ。(中略)
 テレビはジャイアンツとタイガースのことばかり言っていますが、大いに結構、その間にジリジリと我が中日がピタリと追走し、最後には若き息吹と熟練したベテランの技で、きっと勝ってくれると信じております。……」
 ボクの心も全く、ご夫妻と同じだ。

 そう言えば、本日付の中日新聞本紙運動面・落合博満の『読む野球』では、オールスターを「自分を売り込む舞台だ」と捉え「お祭りとはいえ、せっぱ詰まった、負けられない、そういう意気込みが昔はあった」と書かれていた。それはそうと、この際、ドラゴンズの選手一人ひとりにも、こうした「負けられない」といった気概がほしいのである。

 【笛猫茶番日常の劇】毎日毎日、月日は確実に流れていく。だから、Mったら。アタイもシロも、月日に流されないようにーだってサ。

☆北朝鮮の元工作員で、さる一九八七年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚が、二十日未明、日本政府のチャーター機で韓国から来日。金元死刑囚が韓国から出国するのは初めて。二十三日まで滞在し、七七年に新潟市内で拉致された横田めぐみさん(行方不明時十三歳)の両親ら拉致被害者の家族と面会する。

平成二十二年七月十九日
 勝ってほしい。いや、勝つに決まっている。このところは毎日、自らに「勝つ」と暗示をかけながらの毎日だが、ドラゴンズはボクの思いどおり、今夜も勝った。

 今夜のナゴヤドームは、対横浜戦だった。岐阜出身の岩田慎司投手がプロ二年目にして初先発、八回途中まで3安打無失点で初勝利をおさめた。救援の浅尾、高橋投手も申し分ないピッチングで、打線の方も小田が六回に3点二塁打、八回には英智が本塁打を放って5―0で完勝した。これでドラゴンズはプロ野球記録と並ぶ4試合連続無失点勝利となった。ここまで来ると、負ける気がしない。
 その岩田選手だが、ボクは彼の朴訥さ、そして純粋無垢なところが大好きだ。いつも心の中でいつの日か大成してほしい、と願ってきただけに本当にうれしい。彼は第一、誰に対しても礼儀正しいのである。これまでナゴヤ球場などで何度かすれ違ったが、いつもさわやかに「コンチワ」の言葉をかけてくれ、そのつど胸がキュンと鳴ったものである。このまま成長し、早くチームの大黒柱に育ってほしい。

 きょうは、同人誌・カプリチオ編集委員、中部ペンクラブ理事の宇佐美宏子さんの小説「裸身」の出版記念会が名駅前アソシアホテルであった。その二次会の席で、ボクは熱烈ドラファンである宇佐美さんのお孫さんと一緒に「燃えよ ドラゴンズ!」を歌わせられたが、マイクを前に、歌ううちになんだか「きょうも勝つ」の思いが確信めいたものに変わっていくのを感じた。
 時間的に言えば、ナゴヤドームで試合が始まってまもなくだと思うが、会場からは「行け! 行け! ドラゴンズ」「いけ! ゴンタ」の絶叫まで飛び出し、ドラ応援歌により座が大いに盛り上がったことも確かだ。三連勝していて燃えないはずがない。ましてや、今夜の四連勝である。もう、どうにも止まらない。勝って、勝って、勝ちまくれ! 名古屋、いや全国のファンがドラゴンズ愛の新たな芽生えに感嘆しきりなのだ。

 このうえは、もういいから、それ以上は勝つな、というところまで突っ走り、巨人、阪神を追い越して、今度こそセ・リーグ優勝をしてほしいのである。これは、ドラゴンズファンなら万人に共通な願いでもある。勝って、勝って、勝ちまくってほしい。

 【笛猫茶番日常の劇】お父さんは、せっかく久しぶりの休みだというのに、きょうも大変な一日だった。午前中は、お母さんのMと快気祝いの手はずに車で一緒に走り回り、帰宅したその足で名古屋へ。結局のところ、今夜も遅く帰ってきた。これでは現役の新聞記者時代と何も変わらない。

 アタイの不満顔にいち早く気付いたのか、オトンは、こう言った。
 「何を言っている。おまえたちは。小牧や能登、大垣、一宮…に居たころの忙しさに比べたら、天と地だよ。それこそ、あのころは酒、酒、酒を飲まされながらの記者稼業で一日に一升飲んだことも数え知れない。てなわけで、オレも酒は決して弱くはないが、いやはや、きょうは昼から数えたら一次会、二次会、三次会……と、久しぶりにつき合わされてしまった。それも、すごい酒豪に出くわしちゃったよ。オレにとっては、宝ものとも言える、その人物とは文学の話が、弾んじゃってな。こすも・こことシロちゃんには帰りが遅くなり、本当に悪いと思っている。ほんとは、もっともっと話してきたかったのだが。かわいい彼女には、兄貴分として早く天下を取れ、と発破をかけてきてやったんだ」と。もう、アタイ、こんなゴンタクレパパなんて、知らない! 。これでは元々、貧乏なのに。お金ばかりが湯水の如く出てゆくばかりじゃない。でも、カネに糸目をつけない、そんなお父さんのこと、アタイ、大好きなんだから。

 話を聞くうち、オトンのきょう一日を解析し追っかけたくなってしまった。
 オトンは昼過ぎ。名古屋の矢場とんであった、とあるマスコミ人の社長就任を祝う会に某テレビ局関係者や短大名誉教授、音楽関係者、日本ペンクラブ仲間の小中陽太郎さんらと出たあと、名駅のアソシアホテルで行われていた知人の出版記念会に駆けつけ、その流れでお酒を二次会、三次会と付き合って帰ってきた。
 矢場とんでは、鈴木社長から南アフリカのワールドカップを金利(18パーセント)で追った話やカンボジアへの援助、さらには新社長のОさんからはアンパーマンやメトロポリタン事業に至るまでご自身がかかわってきた多くの事業にまで話が及んだのだってサ。

☆菅直人首相が十八日、記録的豪雨による被害が大きかった岐阜県を訪問、三人が亡くなった八百津町の土砂崩れ現場で献花し黙とうを捧げ、被災者らを激励した。日本相撲協会は十八日、愛知県体育館で開いた定例理事会で全関取、親方らを集めて相撲協会の再生に向けた意見交換会を八月二十日に東京・両国国技館で開くことを決めた。

平成二十二年七月十八日
 このところの、いや、沖縄キャンプ時からと言えようか。落合監督の堂上兄弟はじめ、ブランコ、和田選手らに対する真剣勝負そのもののバッティング指導、さらには投手はじめ、内外野陣ともに適材適所、臨機応変の思い切った用兵術を見る限り、ここにきてドラゴンズは、チームそのものがどんどん強くなってきた。そんな気がする。

 やはり、落合監督は、名伯楽である。
 この春、沖縄キャンプで監督が先頭に立ち背番号1の堂上直倫選手にピタリと寄り添い、「これでもか、これでもか」と繰り返し、あくなく打撃術を伝授していたあの場面が思い出される。伝授は別に直倫だけではなく、大島、両松井ら監督自ら気がついた、すべての選手に対してのオレ流の真心指南だったと記憶している。一部官僚社会に見られる尸位素餐(しいそさん・給料泥棒)とは違う、さすがは天下に誇る中日ドラゴンズだ、と確信したのも、あのときだった。

 それから、落合監督の表情がいい。
 新聞やテレビで見る限り、いっとき気になった、曇りガラスに映るような、あやふやな顔が消え、このところの表情は、まるで人が変わったように、とても明るい。ひきづられる如くチーム全体があかるく、そこには「笑いと自信」に満ちた選手やコーチら球団スタッフたちの顔がある。だから、ボクには負ける気がしないのだ。今夜も勝つ、と信じていた。

 ドラゴンズはボクが予想したとおり、先発チェンが広島打線を3安打完封(6―0)に抑え、敵地での今季初の3連勝を飾った。打っては、和田、谷繁、ブランコの本塁打を含む計9安打で着実に加点した。十六(山井)、十七(中田賢)、十八日(チェン)と続いた同一カードで継投のない3連続完封は球団史上、初めての快挙でもある。

 【笛猫茶番日常の劇】オトンは午前中、アタイたちのお母さん、Mと庭の雑草取りに追われ、昼からはこのところ睡眠不足が続いているため少しだけ寝たあと、Mと外出し買い物に付き合った。帰宅後は現在、執筆中である小説中のある駅の調査や、物語の展開をどうするかーその構想を練るために、またしても室内に閉じこもってしまった。「本当を言えば、今日は兵庫県下の新作の舞台となる、ある駅を訪れたかった。なかなか思いどおりにはならないなあ~」だってサ。
 Mによれば、きようの名古屋地方は三五度以上の猛暑日。昨日やっと、つゆが明けたかと思うまもなく、今度は連日の暑さに襲われそうだ。あ~あ。早く涼しくなってほしいよ。

☆大相撲名古屋場所で横綱白鵬が連勝記録を四十にまで伸ばした。中日新聞の四コマ漫画「ほのぼの君」を三十七年間にわたって描き続けた佃公彦さんが肺炎のため、東京都内の病院で亡くなった。八十歳だった。「iPad人気で注文殺到」「本のスキャン代行は違法?」。ゲリラ豪雨で被害が拡大。毎日毎日、あぶくのように、いろんなことが起きては消えてゆく。

平成二十二年七月十七日
 このところ雨、雨、そしてまた雨―と耳のなかまで沁みていた『雨の音』が止み、朝からカッと晴れ上がり、長かったつゆがあけた。
 広島のマツダスタジアムでの対広島戦は、4―0でドラゴンズが完勝した。なんだか全身が幸せの波動を打ち、満たされた気持ちである。おそらく全国に散らばる他のドラゴンズファンとて同じ思いだろう。光りが見えてきた。
 先発は中田投手。一回いきなり1、2塁のピンチを抑えてからは、二回谷繁の本塁打、五回には荒木、大島選手を1、2塁に置き、森野選手のセンターバックスクリーンへの3ランという理想的な展開。六回以外は毎回走者を背負いながらも、よく切り抜けた中田の完封にも支えられて勝ったのである。

 この日は新生ナゴヤ球場で2軍戦もあり試合に先だっては、ファンサービスの一環としてドラゴンズ屋内練習場での公式ファンクラブの見学会もあった。そればかりか、会員の中から選ばれたプレゼンターによる六月の中日スポーツ月間賞に輝いた福田永将選手に対する賞金授与、さらには会員家族による栄えある始球式も行われた。栄えあると言えば、父と娘さんの始球式という夢がかなった伊奈正治さん、真由さん(小6)一家の場合。家族全員が公式ファンクラブの会員、この日は正治さんの誕生日も重なり、とてもステキな一日となった。
 これら粋なファンサービスは、公式ファンクラブ側の求めに球団とドームが快く応じてくれたからこそ、最近になり実現した。あいにく、雨にたたられこのところはせっかくの試みも見学会だけで終わる日が続いていただけに、久しぶりの好天にみな、満足そうだった。

 きょうはたまたま東京からマスドラ会事務局長の校條真さんも観戦に訪れ、熱い陽射しのなか、「やっぱり青い空の下はいい」と満足そう。また校條さんの知人で瀬戸市から訪れた公務員栗原篤志さんも「改装後のナゴヤ球場は、きょうが最初ですが、こぢんまりと観戦しやすく、雰囲気がよい。この球場へは小学生のころ、兄貴とよく来たものです。その兄貴が、ドラゴンズファン同士という絆から結婚することになりました」の弁。ドラゴンズがコウノトリとなってお兄さんに幸せを運んできた、というものだった。

 「幸せな風景」といえば、私の知る公式ファンクラブ会員のなかには、病という逆境のなか、ドラゴンズの勝利に支えられ、生きている人々は数知れない。扶桑に住むある熟年夫妻は奥さんがガンの大手術から生還、夫も白内障の手術をしてまもないが二人は「ドラゴンズの勝利を生きる希望に」毎日を過ごしている、という。

 病といえば、公式ファンクラブのお母さんで知られ、満七十九歳。ここ十数年というもの、ファーム・2軍戦の試合を欠かさず見続けてきた安江都々子さんの野球人生となると、これまた壮絶を極める。
 その安江さんが腰痛で突然、倒れたのは昨年暮れだった。ことし初めには十時間以上に及ぶ大手術の中から生還。最近、再びナゴヤ球場の一隅で観戦する姿が見られるようになった。選手やコーチ、ファンの間からも「お母さん、お母さん」と呼び慕われる、その安江さんとて、若い選手の大成を命の灯(ともしび)として日々、力強い人生を歩まれている。

 このほかにも、▽ドラキチだった高齢夫婦の一回忌と七回忌記念に遺影を胸にナゴヤドームで弔い合戦さながらに一家で観戦した岡崎のドラゴンズファミリー▽病弱の妻とドラゴンズを支えに、二人三脚の人生街道をたくましく歩む落合信者の“むさしのガブリ”夫妻ーなど、こんな話は枚挙に暇がない=これらドラマは、中日ドラゴンズ公式ファンクラブのホームページ「ガブリの目」を読まれるといい=。
 そんななか、校條さんからは名古屋市内で病いで倒れた夫を支え続けるあるドラキチ妻の話をうかがった。

 プロ野球というもの、家族の不幸までも、場外ホームランさながらに幸せ色にかえてしまう、そんな不思議な魔性を持っている。そういうボクとて、三カ月ほど前、妻が脳腫瘍の大手術から生還。日々の仕事や作家活動に追われつつ、やっと日常の生活が戻ってきたところである。

 でも、自然体で努力さえ怠りなければ、その時はきっとやってくる(「とき」については、言えない)。慌てない。慌てない。あきらめない。あきらめないで、と。日々、自身を励ましている。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうのオトンったら。外で飲んで帰ったら、またまた、家でたらふく飲んで「やっぱりイケメンがいい。イケメンでなくっちゃあ。プレゼンターに付き添ってくれていた男なんて。傍に居るだけで華やぐ。それと何にせよ、若いのはいいよ。ああでなくっちゃあ(日々、ひたむきにプロ野球選手を追っかける女性カメラマンをさすらしい)。オレたちなんぞ、居ない方がいいに決まってんだから」となんだか、よく分からないことを三、四行ばかり、さらりとしゃべっただけで、バタンキューと寝ちゃった。
 と思いきや、しばらくすると、いきなり起きて書き始めた。なんだかモンスターみたい。強いったら、ありゃしない。でも、大好きなオトンだけに、そのうち人生の扉がスラスラーっと、閉まるように命の花を、ある日突然に閉じてしまう。そんな気がするの(「オイ、オイッ」そんなやわじゃないぞ、の声がどこかから飛んでくる)。
 アタイはお母さんのMからよく聞くの。「あのね、お父さんはね。本当を言えば強がっているだけで、昔からすごく体力的に弱い人なんだってサ。すぐ風邪を引く。「痛い、痛い」と言い「もうだめ。もう、だめだ。オレが死んだら、おまえの好き勝手にすればいい。幸せになってくれよな」なんて私に甘えてしまうの、だってサ。
 そこで、アタイ思うんだ。Mはネ。大病を何度も乗り越えてきた奇跡の女だけに、案外に百歳ぐらいまで元気に生き、これから俳句・短歌・1行詩…などの作句活動で人生の花の時代を迎える。でも、オトンはそのうち赤い椿の花が落ちる如く、ポックリと彼の美学そのままに、あの世に逝ってしまう。そんな気がするんだ。
 おかしな話になってしまいました。きょうのところは、これ以上、アタイたちの大好きなオトンの邪魔をしてもいけないので。ここら辺りで閉幕に。

 ☆オランダ・ハーグの仏大使館占拠事件(1974年)で殺人未遂罪などに問われた元日本赤軍最高幹部重信房子被告(六十四歳)の上告審で最高裁が十五日付で上告を棄却する決定を下した。懲役20年の1、2審判決が確定。大相撲の野球賭博問題で日本相撲協会の特別調査委員会が十六日、都内で会合を開き十四日発売の週刊新潮に佐ノ山親方(元大関・千代大海)=九重部屋=が野球賭博に関わったと報じられた件で「記事は信用性を欠く」として関与は認められない、と発表。

平成二十二年七月十六日
 きょうは朝起きた段階では、なんとなく煮え切らない。あらためて怒り心頭だった。どちらかといえば、「もうドラゴンズなんて知らない! 」といった、男にふられた女の気持ちか。せっかく巨人に三連勝し「この勢いで」と期待していた矢先、ヤクルトに二連敗するとは。恋人に逃げられた心境で、なんとなくクリスタルといおうか、クリティカルで、わが体内には爆発しそうな「何か」魔物のようなものが潜んでいた。

 それが、どうだ。夜に入ると、山井が投げ二回に“セサルくん”が右前打で2点を先制し、七回には、しばらく見られなかった和田のベンちゃんが24号2ランの快音を放って4―0で広島に完勝。山井は六年ぶりの完封で今シーズン、四勝目をあげた。
 なかなかいいじゃないか。やれば出来る。というのが、今夜のナゴヤドーム・ストーリーに対する、いがみの権太、すなわちボクの率直な感想だ。

 ことに最近の傾向として、あの“セサルくん”が打つと、「へえ~、ほんとに打ってしまったの」と、球場がどよめく。ボクの耳には「落合さんは、なぜあんなにセサルを使うのかねえ」とか「なにか、あるの」といった『なぜ』『なぜ、セサルなの』といった声が、よく聞こえてくるが、今夜の“セサルくん”のように打ってくれさえすれば、ファンは「ようやった」と言い「落合さんには見抜く力がある、いわゆる眼力がある」とかってなものである。
 まっ、ともあれ、今夜はよかった。セサルは“ケ・セラ・セラのセサルくん”らしく(ケ・セラ・セラのセサルくんとはボクが命名した)て、よかった。ドラゴンズは、きょうから出直し。日々、出直しで、これはボクらの人生劇場と同じである。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、お父さん、オトンの美学について、アタイからひと言代弁させていただきます。それは人間、人生の勝負に打って出るには美学が必要、ということです。さて、この美学ほど抽象的な表現もない。
 そこで、オトンは言うのです。「美学」とは。自分が一番努力していることだとか、これぞ、といったものを、己れからは決してひけらかせない(もっとも真に信頼に足る人物には少しだけ、恥じらいをもって話しておく。そうでないと、いざとなったら何を書くか分からず、もしかして迷惑を与えるといけないので)
ーこれっていわゆる痩せ我慢で、これこそが「美学」なんだってサ。たとえば、オトンが毎日連載を続けているこの野球・笛猫茶番日記。オトン自身は内心、忍耐と蓄積の日記文学だと位置づけ、何よりもこの連載をシーズンが終わるまで続けることを第一に考えている。

 幸い、全国のいがみの権太ファンからは「いつも仲間で読んでいます。毎日が楽しみ」とか「本にするつもり? 早くしてほしい」「(舞さん)大変でしたね。でも負けないで! 」「能登から舞ちゃん(M)の全快を願ってます」「(神戸や奈良、東京の作家仲間、夥しいほどのドラゴンズファンからも)ゴンタさんの名作、毎日パソコンで熱砂を開いて楽しみに読んでまーす」など。思ってもいない励ましなど多くの反響が出ています。

 そんな読者のみなさまにオトンは、こうお礼を言っています。 「ボクみたいな、この世で一番の荒らくれ男=心底そう思っている=とMにエールをくださって本当にありがとう。この作品集は、ウエブ文学同人誌『熱砂』作品集の中のほんのひとコマ、伊神権太作品集の中の一連載作品に過ぎません。つい最近<○○にて>をテーマにしたテーマエッセイもアップしました。ほかに碧木ニイナの<はるかな海より…ピースボートのボランティア>、牧すすむ、加藤行の詩やショートストーリー、片山浩治、山の杜伊吹、香村夢二、黒宮涼の力作もぜひ、読んでください。」

 それからオトンの文学感についても。
 「小説とは大衆もさることながら、基本は自分とたった一人の相手に向かって書くもの。そして、出来れば、一人でいいから毎日読んでくださる、そんな読者がいたら、それだけでよい。これが、私の美学だ。」

 ☆スタジオジブリの最新作、映画「借りぐらしのアリエッティ」(米林宏昌監督昇進第一回作品)が、いよいよ明日(十七日)から全国の東宝系映画館にて公開される。本日・十六日付の中日新聞夕刊では鈴木敏夫さん(スタジオジブリ代表取締役プロデューサー)と女優竹下景子さんのスペシャル対談の広告も掲載。世のなか、パッと明るくなりそうだ。
 鈴木さんは中日ドラゴンズ公式ファンクラブの名誉会員第1号で公式ファンクラブのマスコット・ガブリの生みの親でもある。ちなみに、ガブリは宮崎駿(はやお)さんが、現役時代の落合博満さんをモデルにデザインした不朽の名作である。
 ☆宮崎県の口蹄疫問題で県と高鍋町の農場経営薦田長久さんが、民間種牛六頭の殺処分を受け入れる。小沢一郎民主党前幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で検察審議会が2007年分政治資金収支報告書の再捜査を求めた「不起訴不当」の議決を公表。「大雨 岐阜の不明6人に」「可児で車50台水没」

平成二十二年七月十五日
 いやはや、ナゴヤドームでヤクルト戦を見たが、一つ試合に勝つには大変なエネルギーがいるな、と毎度ながら思う。亡き井上ひさしの『太鼓たたいて 笛吹いて』でもあるまいが、プレーする選手も一生懸命なら、見る方だって「なんとか勝ってほしい」と願うあまり、太鼓たたいて…、どうしてもヒートしてしまうのである。
 ドラゴンズはエース・吉見が先発したが六回までに5点を奪われたあげく、九回にも4点を取られ、途中何度かチャンスに恵まれながらも、その都度つぶされてしまい9―4で負けた。一方、ヤクルトは五連勝と、なかなか負けない。

 応援旗が振られ、トランペット、笛、太鼓の音に合わせ外野応援席の、その一角が異様な雰囲気に包まれている。傍らで見守るボク。ヤクルトの応援団、観客たちが、まるで一つの心臓、生きものとなって叫んでいる。
 「かっ飛ばせ ヒロセ かっ飛ばせ ヒロセ、ヒロセ、ヒロセ、ヒロセ、ヒロセ―…」
 全員総立ちだ。傘の波が揺れている。敵陣とはいえ、ファンとはありがたきもの、まるで魔物のようだ。いったい、ヒロセ、ヒロセ…の掛け声は、どこまで続くのか。
 ボクの胸の明かりは、敵の応援団を目の前に、またしてもぽっ、ぽおっと。今にも、消え入りそうである。

 不景気な話はやめてー
 きょうは公式ファンクラブのマスコット・ガブリの誕生五年をお祝いして生ビールがサービスされるガブ飲みチケットで入場した観客もいた。また、このガブ飲み企画に併せ、試合の合間にガブリがナゴヤドームの三階通路に初めて出るパフォーマンスもあり、記念撮影に納まるなど大勢の観客から喜ばれた。
 中でも、職場の若者ばかり八人で訪れた坂野誠幸さんや尾崎誠さんらは「チケットは安いし、生ビールもただでいただけるし。何よりもガブリに会えただけでも来てよかった。ガブリって、あのトトロと兄弟なんでしょ。そのガブリと、こうした形で会えた、だなんて。感激しました。あとは勝ってくれたら最高だったのに」。

 この日は、観客席一角で新聞社を最近、引退されたばかりで現役時代に、ボクがことのほか、お世話になった元編集幹部のT“省吾”さん、にもバッタリ、お会いでき、天の導きとはいえ心から嬉しく思ったのである。

 省吾さんと言えば、誰もが知る歌「みかんの花」をはじめ、「笛吹童子」「紅孔雀」「かわいい魚やさん」など数々の作詞で知られる、あの加藤省吾さんを思い出してしまう。加藤さんには生前、能登半島にいたころ、地元七尾青年会議所と一緒に手がけた「海の詩(うた)大賞」全国公募の審査委員長になっていただくなど、随分とお世話になった。
 いつも、無名の歌手を連れて歩かれ、ボクを息子同然にかわいがってくださった。口数の少ない無口なお方だったが、いつお会いしても全身からメロディーが流れ出ている、そんなお方だった。ボクの胸の中には、そんな恩師の心がいまも生きている。

 【笛猫茶番日常の劇】お父さん、今夜はとても遅く帰ってきたので「なぜなの?」と聞いてみた。そしたら、名鉄電車が大雨と木曽川の危険水位などの影響で岩倉駅以北が動かなくなり、しばらくの間、ストップしてしまった、このため岩倉の手前でしばらく車内で缶詰め状態にされていたのだってサ。
 でも帰宅したとき、Mと一緒にアタイもシロも心配顔で待っていたので、それだけで満足したみたい。「みんな、悪かったな。野球は負けるし、世の中なかなか思うようにいかんな」だって。こういうことって。たまにはあるから。仕方ないよね。

☆大雨で土砂崩れなどが多発。長野県の南信地方はじめ、岐阜、島根県など各地で被害が続出。昨年六月から義務付けられた七十五歳以上の高齢ドライバーに対する認知機能検査で、ことし五月までの一年間に三十九人の高齢者が免許を取り消された。そうしたなか、私の母は満九十歳ながら先日、更新を無事、終えた。「あまり、無理して手づくり野菜を息子のところまで車を運転して持ってこなくていいから」と私にとっては心配のタネである。
 第百四十三回芥川賞・直木賞の選考会が東京・築地の新喜楽で行われ、芥川賞に赤染晶子さんの「乙女の密告」(新潮六月号)、直木賞に中島京子さんの「小さいおうち」(文芸春秋)が、それぞれ選ばれた。

平成二十二年七月十四日
 今夜のナゴヤドーム。対ヤクルト戦は1―2で苦杯をなめた。毎度のことではあるが、プロ野球って、ほんに、勝つも負けるも紙一重だなと思う。ヤクルトは四連勝。

 ところで、このところは雨、雨、雨の連続だ。そうしたなか、昼過ぎともなれば、地下鉄ナゴヤドーム前矢田駅からドームに続くドラゴンズロードを、傘を手に向かう人々がいる。休日と違ってウイークデー(水曜日)、時間的にもまだ早いとあって、パラパラといった程度だが、同じように歩いていて、一人で球場に向かう女性が案外多いことに気がついた。皆休みを利用しての観戦みたいだが、ユニホームを見ながら、それぞれの心のなかに応援選手が潜んでいるのだろう、と思うと、なんだか一見華やかに見えるプロ野球もこうした人々に支えられているのだ、とつい感傷的になってしまう。

 それだけに、きょうも勝ってくれたなら女性たちの目の前もパッと明るくなっただろうに。が、そうは問屋がおろさない。思い通りにならないのが、人生の哀感であり「常」である。
 試合の方は先発朝倉が4回持たなくて2失点で降板、九回裏、無死満塁の絶好のチャンスに代打野本が押し出しの四球を選んだものの、谷繁が三振、期待の堂上直倫が投ゴロ併殺に倒れた。あと、ひと息だったのに。おそらく気合が入りすぎたに違いない。ブランコも今シーズン、百三振の不名誉な記録。
 ボクが信頼する秘密の○ケーさんには、「きょうも、明日も、きっと勝つと思うよ」と言っただけに、この紙面でお詫びします。でも、あすは、きっと勝ってくれますよね。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、少し恥ずかしいですが。アタイたちのことを書いてしまうけれど。読者の皆さん、許してね。というのは、本日付夕刊「紙つぶて」に作家の平岩弓枝さんが「猫との相性」との題で、こんなことを書かれていたんだ。
――(夫婦二人きりの生活、それも昭和一桁生まれで生まれつき無口のご主人との対比で)
 「その点、猫はいい。椅子に座ってお出でと膝を叩けば嬉しそうにひらりと乗って来る。お腹がすいたかと訊けば猫缶のある場所へ走って甘え啼きをする。外出から帰ればいそいそとで迎える。そんな話を友人にしたら、猫と婆さんは相性がいいのよといわれた。」

 この文、アタイたちのことを、よく捉えているな、と思う。けれど、アタイとシロに言わせてもらえば「アタイたちは毎日、オカン、すなわちMが外出すると、帰ってくるのを一日千秋の思いで待っている。だから、たまにはいそいそと出迎えることもあるが、たいていはアタイかシロのどちらかが玄関先にちょこんと座って待っています。」
 それからアタイの場合も、平岩さんちの猫ちゃんが彼女が原稿を書いている間、机の下に居るのと同じように、オトンが名作を執筆中は、たいてい傍らで黙って座ったり、寝たりしてる。

☆巴里祭(フランス革命記念日)のこの日、名古屋場所に出場している横綱白鵬が平成最多の三十六連勝を記録。魁皇も通算出場で史上三位に。中小企業向け融資専門の日本振興銀行による検査妨害事件で警視庁は、メール削除を指示した同銀行前会長で金融コンサルタントの木村剛を銀行法違反(検査忌避)容疑で逮捕。マリナーズのイチロー選手がア・リーグの「一番・右翼」先発として米球宴に連続十度目の出場、安打性の当たりを好捕したものの、四年ぶりの無安打に終わった。

平成二十二年七月十三日
 朝刊のスポーツ面片隅に「きょうのスポーツ」という一段ベタ記事のちいさなコーナーがある。けさは「▽セ・リーグ 中日―ヤクルト 18・00岐阜…」というもので、この一行にかける岐阜地方のドラゴンズファンの思いは相当なものである。あ~あ、それなのに。あいにく、きょうは朝から雨。何とか晴れて試合をしてほしい。こんな願いもむなしく、岐阜城直下、長良川球場でのヤクルト戦は午後、中止と決まった。
 このところ勢いがついてきたドラゴンズだけに、残念である。でも、御天道さまのやること、文句も言えない。この一年、首を長くして待っていた岐阜の人たちの心中を察すると、こちらの胸までが痛くなってくるのである。

 【笛猫茶番日常の劇】このところのアタイ、お耳をピンと立てて居間で座っていることが多いのだって。シロちゃんはといえば、相変わらずオトンがかつて書いた名作「懺悔の滴(しずく)」スタイルで両手をそろえて口を真一文字にアタイのそばで立っている場合が多い。「懺悔の滴」スタイルって、どんなこと? と聴かれることが多いけれど。それはネ。その本の表紙を飾っているシロの姿、シロが一番得意とする魅力的な白鳥のようなポーズなんだよ。

 それからね。オトンたらさ。つい最近、藤真知子さんから送られてきた童話「まじょ子とふしぎなまほうやさん」(こどもおはなし劇場・2年生)という本に夢中なの。「こすも・ここ、フジマチコさんって。すばらしい才能の持ち主だよね」と盛んに合槌を求めてくるんだから。アタイそのつど同感を示す仕草で口だけをあけニャア~ン、と答えてあげてる。そしたら、オトンたらね。「おまえも俺と同じなんだ。この本は、それこそMにあうから、お母さんにも読むよう、おまえから言っとけ」だってサ。

☆サッカーワールドカップで初優勝したスペイン代表がマドリード中心部を凱旋パレードした。横綱白鵬が朝青龍と並ぶ三十五連勝、どこまで記録を伸ばすか。期待が集まっている。毎日新聞夕刊・近事片々によれば、今「予言ダコ」パウル君が、引っ張りダコの人気

平成二十二年七月十二日
 月日は、音もなく流れている。この地球、いや宇宙、太陽系、銀河の数々は一体、どこまで流されていくのだろうか。人間ども、いや生きとし生きるものすべてが、み~んな同じ時に、同じ箱舟に乗っているのだ。

 きょうは月曜日で、プロ野球の試合はない。なんとなく心が満たされている。これもドラゴンズが巨人に四年ぶりに三連勝したからだ。名古屋はむろん、岐阜、三重、浜松も。そして長野、滋賀、石川、福井…、大東京をはさんで北海道から沖縄までニッポンじゅうのドラファンの心が安らかだ。

 そこで、ボクは発見した。ドラゴンズが、このように強い時は、文句を言うやからが少ないこともあってか、意外や、ドラファンの口数が少ないことである。満足している時は押し黙ったままで、文句ばかりは勝手放題だ。名古屋人は案外、無口ではないか。これは、落合監督に似ている、ある面で似た者同士だ、と思うのである。

 あすは、かつて「岐阜は名古屋の植民地」とまで言われた岐阜の長良川球場でヤクルトとの一戦である。ただ、勝ってくれることだけを、ひたすら願う。

 【笛猫茶番日常の劇】みんな、けさの中スポ読みましたか。1面見出しが「あっという間に4・5差」「竜痛快 4年ぶり G3タテ」「今季初登板 河原が流れ引き戻した」「つないだ▽高橋▽清水▽浅尾▽岩瀬 磐石ゼロレンジャー」「3連勝ごときで浮かれない!! ドラが夏をもっとアツくする」「河原を『ずっと待ってたんだ』(オレ流語録)」…、て具合。
 すばらしい紙面だから、おまえたちもよく読んでおくんだーと、お父さんに言われちゃった。むろん、オトンの言うとおりで記事も良いけれど、アタイは大きく張られた写真が気に入ったんだ。ハイタッチする、晴れやかなナインの表情がなんともいえないんだもの。だって谷繁、森野、岩瀬、荒木さん、とみな生き生きと誇り高く、こんごの試合への期待を感じさせてくれる、そんな顔だったよ。
 もちろん、記事の方も誰もが知りたい、落合監督の河原投手の突然の用兵術に触れるなど、納得いく内容で「うん、なかなかいいじゃないか」だってサ。きょうは、Mには触れなかったが、元気でいるから。心配しないで。

☆民主惨敗 過半数割れ(政権交代後初めての国政選挙となった第二十二回参院選で民主党は五十議席に届かない四十四議席=改選前は五十四議席=で、国民新党を含めた与党全体での議席が参院過半数を割り込んだ)。自民党は五十一議席(改選前は三十八議席)を獲得し二〇〇一年参院選以来、九年ぶりに改選第一党に。みんなの党も改選ゼロ議席から十議席に大躍進した。サッカーの第十九回ワールドカップ南アフリカ大会は十一日、ヨハネスブルクのサッカー競技場で決勝戦が行われ、スペインがオランダを延長の末、1―0で破って初優勝、史上八チーム目のW杯王者が誕生した。「鎌田行進曲」の劇作家で直木賞作家・つかこうへいさんが肺がんのため千葉県鴨川市内の病院で死去、六十二歳だった。

平成二十二年七月十一日
 以前、ボクは野球も基本的には柔道と一緒で崩しの極意を知るか知らないか、だというようなことを、この“いがみの権太野球日記”に書いた。きょうのナゴヤドームでのデーゲーム。チェンが先発で投げ、ドラゴンズが5―3で巨人に勝ち、巨人との三連戦はドラゴンズの四年ぶりのG三連勝で終わり、首位巨人のゲーム差も一気に4・5差にまで縮まった。
 ボクの目にはこの三連勝で「やっと、巨人の体(タイ)を崩すことができた」ようにも映るのである。あとは、次のヤクルト、広島、横浜戦を勝ち抜き、オールスター戦後の二十七日からの巨人三連戦に臨めば、トップを走る巨人を射程内に置くどころか、セ・リーグ一位に躍り出ることだって大いに可能だ。そして、こんごその鍵を握るのが堂上兄弟や伊藤準規に岩田、岡田投手、大島、野本、藤井、岩崎選手ら若手と最近、力を発揮してきたセサル選手の出来いかんにかかってきた。そんな気がする。

 ともあれ、きょうはBMW(ブランコ、和田、森野)の三連打に、荒木の価値ある本塁打などが加わり、投げてもチェン、河原、浅尾、岩瀬と力投し、巨人をねじ伏せてくれドラファンとしては痛快な一日となり、堂上直倫が死球を受けるハプニングまで起きた。山アリ谷アリ、のぺナントレースだけに、日々、見えない神さまにも祈りながら応援していきたい。

 【笛猫茶番日常の劇】オカンのMは、きょうオトンの車で名鉄犬山ホテルへ。Mが、属していた一宮市を中心としたフォークダンスサークル「はまゆう」の創立10周年記念パーティーに誘われた、ためだった。
 オトンは行き、帰りと車で送り迎えをしたが、Mはとっても、嬉しそう。雨降りだったが、Mに命令された通り、まず布団をどっさり、バロー店内のクリーニング屋さんに出したあと、久しぶりに木曽川河畔を車で走り、ふたりは青春時代に戻ったみたいに見えた。
 木曽川の流れを窓辺に走りながらNHKから流れる、のど自慢はたまたま北海道の稚内からで♪流氷融けて ハマナス咲いて……、の歌には、かつてオホーツクの海に大韓航空機が撃墜され、取材で現地を訪れた際の過酷な取材の日々が懐かしく思い出されたんだってよ。

 犬山に行く途中に少しだけ寄ったオトンの実家和田では満九十歳のオトンの母親が「これから、和代(オトンの妹)たちに大相撲名古屋場所初日を見に連れて行ってもらうところ」と言うことだったのでオトンいわく、「もし新聞記者に取材されたら、『私たちは大相撲を守るためにこうしてやってきた』と答えるように」だって。そしたら、オトンのお母さん曰く「分かっとるよ。そんなこと。分かっているから。ほんとだがね。守らなアカンがね。(もし聞かれたら)そう言っとくから」とのことでした。

 犬山からの帰りには、江南市内の投票所により参院選の投票をしてそろって帰ってきた。まだ体調が十分でないためフォークダンスをおどりはしなかったものの、Mはやはり、だいぶ疲れたみたい。だから、夜は近くのお店からお寿司を取って、お兄さんのKも加わり、そろって食べたんだ。午後九時を過ぎると、テレビは選挙の開票状況一色に。民主党は、鳩山由紀夫前政権の「政治とカネ」問題に菅直人首相の消費税引き上げ発言が響いてか、議席がかなり伸び悩んでいる。そんな中、高校、大学ともにオトンの後輩である自民・フジカワマサヒトさんの当選が早々と流れ、本人も満足そうだった。フジカワさんに続いて、今度は滋賀県知事選で民主・カダユキコさんの二期目の再選も流れてきた。

 フジカワさんは、オトンが新聞社の一宮主管支局長当時に、扶桑町議員から愛知県議会議員に打って出たが、「センパイ、私、高校も大学も伊神支局長の後輩です。一生懸命やりますので、これから、よろしくお願いします」と支局に挨拶に訪れた日のことが忘れられないんだって。「ほんとうに、さわやかで見ていても気持ちよいほどヤル気満々の青年だった」と述懐してた。だから、世の中をどんどんよくしてくれる、そんな気がアタイにもするの。
 それから、女性の滋賀県知事として再選されたカダさん。彼女はオトンが一宮の前の大津主管支局長のころ、琵琶湖博物館の開設に先頭に立ち携わっており、オトンは誘われて絵画展や写真展に一緒に行ったりした仲だった。当時から、環境保護に対する情熱は人一倍の女性で、「彼女が知事で居てくれさえしたら、レイク・ビア、すなわち琵琶湖とともに生きる滋賀県は、ますます光り輝くはずだ」とのことです。

☆温かい声援に迎えられ、大相撲名古屋場所が開幕。民主政権に初の審判。参院選がきょう投開票。与党過半数が焦点。岐阜県郡上市八幡町の国重要無形民俗文化財の「郡上おどり」が昨夜(十日夜)、開幕した。九月四日までの期間中、三十三夜、繰り広げられる。

平成二十二年七月十日
 ナゴヤドームに向かう切れ目のない人、人の波…、地下鉄ナゴヤドームまえ矢田駅からドームまで動脈の流れの如くつづくドラゴンズロード。ボクは、この道を歩くとき「こんなにも多くの応援団がいる選手って。なんて幸せなのだろう」と、つくづく思う。きょうは、また、そのドラゴンズロードを歩いてドームに向かった。

 この日のドラゴンズはきのうに続いて巨人に7―1で完勝。投げては山井投手が3勝目を上げ、三回に、このところ二塁に定着している堂上直倫選手が3点三塁打を放てば、四回には谷繁の4号ソロ、五回にも谷繁の二塁打で巨人を突き放した。なかでも堂上兄弟の活躍ぶりは、ボクがつい先日、予言したとおり昨日、代打の代打で適時打を打ったお兄ちゃん・剛裕選手に続くもの(剛裕選手は十日も八回に代打で出て右前打と結果を残した。これで今季の代打成績は16打数7安打、打率4割3分8厘)で、この先、兄弟選手からは目が離せなくなってきた。いよいよ大爆発しそうな、そんな雰囲気なのである。

 山井投手が6イニング3分の1を1失点に抑えた一方で、巨人は先発藤井が崩れ、これで3連敗。ドラゴンズにはチャンス到来だけに、この際、巨人を一気にたたきつぶしてほしい。この気持ちは、きょうドームに“参戦”したすべての観客とて、同じだ。このまま勝ち続ければ、少し遠のき始めた感のある観客たちが、また舞い戻ってくる。ファン心理とは勝手なもの、勝てば気分が乗り、負け続ければ「捨てちゃえ」という気持ちになってしまう。勝ち負けが、好きと嫌いの分岐点なのだ。

 この日、巨人戦を前にドーム内の球団事務所で中日スポーツの六月月間賞に輝いた岩瀬投手に対する授与式があった。プレゼンターは、公式ファンクラブ会員の中から選ばれた早川有里さん、輝明さん夫妻で、二百五十セーブという金字塔を立ててまもない岩瀬投手を前に、賞金やトロフィーの授与をし、ユニホームにサインをしてもらった夫妻は、岩瀬投手の温かいまなざしに感激。「こんなことは、ありえないこと。夢のようです」と語っていた。
 岩瀬さんのプレゼンターに対する優しい目。その心遣いときたら、これまた傍らで見守る担当スタッフの胸のなかまで、ジンジンと伝わってきたのである。早川夫妻曰く「子どもが生まれたら、岩瀬さんみたいなプロ野球選手に育てたい。これからは岩瀬投手を応援し続けます」。
 ボクはこうした風景を見ながら「プロ野球選手って人々の心に幸せを届ける天使なのだな」と。つくづく思った。選手もファンも一体なのである。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうのお父さん。日曜なのにオカンのMを放り出したまま、ナゴヤドームとやらに行っちゃった。ドームのあとは社に寄り、こんどは名古屋観光ホテルへ。南山経済人クラブの二十五周年記念例会に招かれていたためで、このご時世、社からは当然、徒歩で。朝から何も食べておらず、腹がペコペコだったが、例会のあとの懇親会でやっと、ひと息つけた、と話していた。
 オトンによれば、「南山人(なんざんじん)」って。このところ、日本ばかりか、世界の果てまでブランドとしても高まる一方だそうです。今夜の例会はその「南山人の絆を考える」だったとか。

 みな、「南山人の絆」について真剣に話し合っていたみたいだよ。さすがのオトンも少しばかり疲れたようで夜の九時過ぎには帰ってきた。それから、つい先ほど、十一日の午前五時過ぎ。アタイ、オトンに久しぶりに叱られちゃった。台所で、お水を飲んだあとべたべたの足でオトンの部屋に行き執筆真っ盛りのパソコンの上を歩いたからで、いつものようにホッペを殴られた。でも、そんなときでも手心を加えた二発、三発なので、そんなには痛くない。
 深く反省してると、二十分もすれば「オイッ、こすも・ここ。元気でいるか。どこにいるのだ。もう分かったから」の声が、部屋の片隅でしょぼくれているアタイの耳に飛んできたので歩み寄って。ニャ~アンと、ひと声。和解とあいなりました。疲れているオトンを前に、お騒がせしちゃって申し訳なく思っています。

☆堂上直倫内野手がプロ四年目にして初めてナゴヤドームのお立ち台にたつ。インタビューに「ずっとこの舞台、この場に立ちたいと思ってやってきた。その夢がかなってとてもうれしい」と答えた。ちなみに七月に入ってからは22打数8安打の打率3割6分4厘、六試合連続安打を続けている。
 参院選が、あす十一日投開票される。十四日の和歌山県那智勝浦の例大祭「那智の火祭り」を前に那智の滝上部にある大しめ縄が張り替えられた。1967年に茨城県で男性が殺された布川(ふかわ)事件、強盗殺人罪などで無期懲役が確定。その後に仮釈放された二人の男性の再審初公判が九日、水戸地裁土浦支部で開かれ、弁護側は「無実を速やかに明らかに。冤罪が生み出された原因を明確に」と早期の無罪判決を求めた。

平成二十二年七月九日
 午後十一時きっかり。帰宅すると同時にドラ☆パ・メルマガ7月9日号なるものが、ズカズカと人さまの玄関先に入ってくるようにボクの携帯電話に飛び込んできた。
 促されて携帯電話を開く。とー
 「お待たせしました。ケータイ中スポが出来上がりました! 」というもので、◆吉見エースのお仕事! 7回1失点◆和田4番のお仕事!! 千金V弾◆井端2軍で実戦復帰といった内容だ。これが世界一速いニュースなんだ。
 たまたま、きょうは午後から、ある重要な文学の会に出席し、社を出てからはプロ野球とはまったく別の世界に居て、わがドラゴンズのことなぞ、すっかり忘れてしまっていた。それだけに、あのポロロン、ポロロンのケータイ音に現実世界に引き戻らされたのである。

 デ、あらためてわがケータイのドラゴンズ情報を確かめてみる。ドラゴンズが巨人に6―3で勝ち、吉見投手が八勝目。岩瀬投手が二十五セーブ目、われらがベンちゃん、和田選手が23号ホームランを打っている。ドラゴンズは今夜のナゴヤドームの勝利で、今シーズン四十勝目。七回裏には、7安打、打者一巡の猛攻で5得点…といった具合である。正直、今夜は、また負けていたら、それこそ「泣けた 泣けた」どころか、「捨てた 捨てた」とでも書いて、うっぷんを晴らすしかないな、と思っていただけに、素直に嬉しかった。
 今夜は、すべてのドラゴンズファンの家に幸せの灯が点いたのである。

 【笛猫茶番日常の劇】今夜のオトン、夜遅く帰ったかと思うと、居間のテレビの前にドッカと座って待っていたMに向かって「きょうは、行ってよかったよ」としみじみと第一声を発したの。第一声だなんて。なんだか参院選みたい。今夜は、オトンがお世話になり通しの石川好子さんが主宰する文芸きなりの70号達成記念の会と、文芸評論家清水信さん(鈴鹿市在住、三重県では真珠王・御木本幸吉さん以来の中日文化賞受賞者)の卒寿の会が名古屋のルブラ王山で、同時に開かれ、そこに行ってきたんだって。
 久しぶりに大垣に住む作家三宅雅子さんはじめ、文芸きなりから飛び立ち、この先前途が大いに期待される作家佐枝せつこさん、童話作家・藤真知子さん、北斗の棚橋鏡代さん、カプリチオの宇佐美宏子さん、「きなり」の長澤奏子さん、翔の西穂梓さん、「弦の会」の小森由美さん、宇宙詩人の“みずしなさえこ”さんら大勢の女性文士とも会うことができ、凄く嬉しかったそうです(なぜか、女性の名前ばかりだよネ。三田村博史さんや久野治さん、中村賢三さん、名村和実さん、遠藤昭己さん、高井泉さん、尾関忠雄さん、駒瀬銑吾さん、竹中忍さん、椿井愛一郎さん…ら、中部ペンクラブの重鎮も多く居たのに…)。

 今宵、オトンが一番うれしかったのは、(仕事を片付け、駆けつけたので)途中からの参加ではあったが、清水信さんの講演「文学を愛して90年」を聴けたこと、そしてきょうの日の講演を境に、これからは<清水先生の元気と文学愛に溢れた話を聴きに、年間三回ほど計画される三重県での行事に参加しましょう>を合言葉に「清水信に会いに行く会」が立ち上がったことである。まさに、本物の『立ち上がれ! 同人誌文学』で、この日の講演会は終わりではなく、始まりの会がいよいよ歩き始めたのである。

 まさにニッポンの同人誌仲間よ、清水先生の下、三重県から立ち上がれ! である。ここで一つ加えておくが、九十の信さんが、なぜ文学を愛して90年なのか。赤ん坊のうちから、文学を愛していたのか、に対する疑問である。きょうの講演会で、このナゾについて質問しようと思っていたが、ナゾは、いとも簡単に信さんの口から解かれたのである。
 それは「ボクはね、オギャアオギャアと言って生まれてきたのではないですよ。長野で生まれたのですが、この世に表れ出た最初の言葉が“ブンガク、ブンガク フギャフギャ”だった」のだってサ。なんとも清水信さんならでは、のお話です。

 それから、若きころから“八千草薫さん”のそっくりさんだった、文芸きなり代表の石川好子さん。彼女の信条は「ものを書くのに、卒業・終点はありません」という姿勢です。その石川さんがナント喜寿を迎えられた、とは。初めて知って驚きました。若い女性はいつまでたっても、若く光り、輝いているのですね。アタイ(こすも・ここ)もシロちゃんも、見習わなければね。

 もうひと言と、オトンが付け加えてほしい、と迫ったので紹介させてもらいます。
 清水信さんの講演では、後輩の文芸評論家で最近、躍進著しい清水良典氏に触れ、彼を次のように切って称えたのが印象に残ったそうです。
 「(彼はよくやっている、の前提つきで)リョウテンに作品をほめられ、ダメになった人間が大勢居る。もしかしたら、この中にも居るかしれない。リョウテンは、片足を泥沼に突っ込んでいる人をほめる。あえて左足だけ、ほめる。ほめられた方は、左足はいつも浮かしていなきゃいけない、と思う。そこに罠があり、本当は、右足は大地を踏みしめていなきゃいけないのに泥沼にはまってしまう(どこまでも堕ちてゆく)。」
―ボクは、信さんのこの言葉をリョウテンさんに聞かせたく思った。それにしても、彼がこの場にきていないのが、フにおちない。なぜか。事情があれば、仕方ないが。円熟の術とは、清水信さんのことを言うのだろう。

☆「清水信先生卒寿と文芸きなり70号を祝う会」が、名古屋市内のルブラ王山で開かれた。清水門下生八人による詩・散文・漢詩・詩小説・アフォリズムの朗読「華やかにことばの花束を」に続き、清水信さんが「文学を愛して90年」を演題に講演。この日、正式に「清水信さんに会いに行く会」が旗揚げした。大相撲の野球賭博問題で横綱白鵬(宮城野部屋、二十五歳)が優勝力士への表彰自粛やNHKの生放送中止などについて相撲協会に対して「国技をつぶすつもりなのか」と物言い=私・いがみの権太も全く同感である。白鵬よ、負けるな! =。国連の安保理が北朝鮮の名指しをしないで哨戒艦沈没で「攻撃を非難」。米ロがスパイ交換に合意。

平成二十二年七月八日
 今夜、横浜スタジアムでの結果は。ドラゴンズは横浜に3―6で負けた。

 なぜかは分からない。が、この敗戦にボクの口から次のような歌がこぼれて流れ出た。
 ♪泣けた 泣けた 堪(こら)えきれずに 泣けたっけ あの娘(こ)と別れた 哀しさに 山のかけすも 啼いていた 一本杉の 石の地蔵さんのヨー 村はずれ
 遠い 遠い 想い出しても 遠い空 必ず東京へ 着いたなら 便りおくれと 云った娘(ひと) りんごのような 赤い頬っぺのヨ あの泪…
 ボクは、ここまで唄うと、♪負けた 負けた 堪えきれずに 負けたっけ…と、「泣けた」を「負けた」と「遠い」の替え歌にして唄ってみた。けふは、そんな心境だ。

 ずいぶん古い昔だ。
 日本中でこの曲が流れ、小学生だったボクもよく“周りのいろ”につられてうたった。昭和三十年ごろに大ヒットした春日八郎の「別れの一本杉」(高野公男作詞、船村徹作曲)である。ボクの内部では「負けた」という響きが「泣けた」「泣けた」となってしまったようで、ドラゴンズの敗退に、この歌をなぜか、無性にうたいたくなってしまったのである。

 でも、ものは考えようか。横浜の連敗は五でストップ、主砲村田のバットもドラゴンズの朝倉、平井投手から十一、十二号本塁打を放ち、横浜のファンは喜んだに違いない。だから今夜は、これでよいか。そうでも、自分自身を慰めなければ、とふと、ついて出た歌が♪泣けた 泣けた……であったのである。

 中日スポーツの片隅に寄ると、プロ野球のオーナー会議がきのう東京都内のホテルで開かれ、日本野球機構(NPB)の赤字解消のため、十二球団がNPBに支払っている年会費を七千万円から一億円に値上げすることを決め、六月末で任期が満了していた加藤良三コミッショナー(六十九歳)の留任を承認した。ボクには、コミッショナーはこの際、球界の新陳代謝と活性化のためにもほかに替えられなかったものか、と思ってしまう。統一球の一方的な決定など選手、監督に十分意見を聴かないで密室で決めてしまうような、そんな体質に不安を感じているからだ。一部の主導だとしたなら、たまったものでない。ここでも、権力が権力にすがりつく、人間ならではの構図と弱さが浮き上がってくるのである。

【笛猫茶番日常の劇】アタイがあさの未明からお父さんを起こし、シロちゃんはシロちゃんで大手術をしてまもないM(お母さん)の体を気遣って一日中、Mのあとをついて歩く。Mが寝ている間じゅう、枕元で心配そうな顔で見守る。そんなパターンは、きょうも何ら変わることなく、一日平穏な時がたっていきました。

☆日本相撲協会は七日、名古屋場所の千秋楽で幕内優勝力士に贈られる天皇賜杯、内閣総理大臣杯などすべての表彰を辞退する、と発表。大相撲の野球賭博は、捜査が進むに従い「胴元は弘道会系組員」の線が深まりつつある。こんごの全容解明は、仲介した元幕下力士らの供述いかんにかかってきた。サッカーのワールドカップ南アフリカ大会は七日、ダーバンで準決勝の残り一試合を行い、スペインが1―0で過去三度優勝のドイツを下し、初めて決勝に進出した。米検察当局がロシアのスパイとして男女計十一人を訴追した事件で、米国とロシアが「スパイ交換に乗り出す」との観測が出ている。

平成二十二年七月七日
 せっかくの七夕なのに、横浜スタジアムの横浜戦は雨のため中止に。なんだか「一日の張り」が急に萎えてしまいそうな、そんな錯覚に襲われた。
 同時にボク自身の意識の流れの中にある、ドラゴンズという因子が、このところ増殖しつつあることにも気がついた。かといって、中止と決まった以上、ジタバタしたところで始まらない。ただ、きょう一日の人生の中から大切な何か、が欠落してしまった。そんな感じだ。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、七夕。そのせいか、お父さんったら。未明から早朝にかけ、キラキラ光る見えない川を、渡ってゆく自分自身の夢を見たそうです。そして向こう岸には、アタイたちの大好きなM、すなわちお母さんはじめ、オトンを支えてくれた人々がいる。そんな内容の夢だったみたい。ただ、それだけのことではあるが、向こう岸の人々こそ、オトンの人生にとってプラス効果のある、かけがえのない方ばかりだ、と言うのです。
 これらの中には、思い出そうとしても思い出せない人から、いつもオトンの心のなかにすみ人生の危機に陥るたびごとに精神的に助けてくれている女性、このほかにも忘れられない人々…の顔が近づいたり遠のいたり、浮かんだり消えたり、していたのだそうです。

 そういえば、きょうの昼、オトンはかつてお世話になった新聞記者の大先輩に社近くの食堂でバッタリ再会したそうです。そのお方は人類から戦争のない社会の実現を求め、いまなお永遠の市民運動を続けておいでになり、たまたま社まで来たので、とおっしゃられていた。

 わずかな時間ではあったが、その大先輩曰く
「ガミちゃん、民主党のあの(鳩山政権の)ていたらくは、一体何だったのか。せっかく政権を与えられながら何ひとつ出来てないじゃない。それからね。人間、ある程度の年になると、社会に対する関心が失せがちだが、そうしたことだけは避けたいね。いまの社会は、文化にしても何にしても、大切なものをみんなで共有し、かつ分かちあい、後世に伝えていこうとする気概にも欠けている」

☆警視庁組織犯罪対策3課が大相撲の野球賭博事件で、現役力士らが胴元との仲介役をしていた阿武松(おうのまつ)部屋など三十数か所を捜索。サッカーのワールドカップ南アフリカ大会で初優勝を目指すオランダがウルグアイを3―2で倒し、1974、78年に続く三十二年ぶりの決勝進出を決めた。

平成二十二年七月六日
 今夜の横浜スタジアム。
 チェンが投げ、2回に和田のソロホームラン、4回にはブランコとセサルの連続2塁打、そして8回表には代打の堂上兄(剛)が2点二塁打を放ち、追いすがる横浜打線をふりきって5―4で逃げ勝った。チェンは6勝目、和田は22号本塁打、堂上兄は快心の逃げ切り打…と、ドラゴンズの歯車が、いい方向に回り始めたような、そんな気がする。

 プロ野球のマツダオールスター(第一戦は二十三日にヤフードーム、第二戦は二十四日にハードオフ新潟)にドラゴンズからは岩瀬、森野、吉見、浅尾選手の四人が選ばれ、出場することになった。浅尾投手曰く「出られるとは思っていなかった。まず四死球だけは出さないようにしたい。…出ている投手の中で一番速い球を投げたい」と。

 ところで、けさも中日新聞の落合監督のコーナー「読む野球」に目がいった。試合中の過剰な演出に対する監督なりの見方が述べられていたが、次のフレーズが気になった。
 「…ファンは何を望んでいるのだろう。今年のドラゴンズは負けてばかり。一つ言えることは、残念ながら今のところ、勝つという一番必要なファンサービスができていない」

 だったら、勝って、勝って、勝ちまくってくださいね! 期待してますよ。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうのMってばね。ボランティアのリサイクルショップは、休みだったものの、お中元の手配やら、故障したままだったオトンの部屋の冷房を近くの電気屋さんに頼んで来てもらい、直してもらうなど、それこそ一日中、大車輪でした。お中元といっても、わが家はMの独断で毎年、決行しており、中身から出す相手まで、これはすべてMの腹ひとつにかかっている。

 気になる相手は、これまでの記者生活でお世話になり今も親交が続いている地方の方々ばかりで、むろん社関係のエライ人なんて一人もいない。現在、オトンたちと新聞社があるのは、読者のおかげがあればこそで、だからこそ、細々ながら、お礼の心をこめて送っている、のだってサ。もっとも何ひとつしないオトンの代わりに毎年、Mがその大役をはたしているのです。

☆宅配便「ゆうパック」の遅配が三十二万個に及んでいる。大相撲名古屋場所の(初日は十一日)の番付が発表された五日、横綱白鵬が名古屋市緑区の宮城野部屋で記者会見、「力士一丸となって心を入れ替えるので、温かい応援をよろしくお願いします」と頭を下げた。白鵬は自身も仲間内の花札による賭け事に関与していたことが発覚し「一時は休場も考えた」という。NHKが大相撲名古屋場所の中継中止を決定。国立民族学博物館顧問で初代館長の梅棹忠夫さんが三日、老衰のため亡くなった。九十歳だった。

平成二十二年七月五日
 きのうの秋田・こまちスタジアムでのヤクルト戦。秋田小町と称される美女たちが大勢詰めかけたに違いない。
 本日付の中日スポーツによれば、逆転を許す苦しい乱戦にピリオドを打ったのは4番・和田だった。和田は六回2死満塁で勝ち越しの2点適時打を放ち、勝利への突破口を開いた。やはり、ベンちゃんは、楽天の田中投手に負けず劣らずの「神さま」「仏の子」である。
 ドラゴンズの戦いは六日から横浜、巨人と続く六連戦。できたら全部勝って貯金を増やしてきてほしい。そう言えば、このところ十五試合連続スタメン出場の堂上弟(直倫)が初のマルチ安打を放ち、秋田の観客を喜ばせた。堂上兄弟は、なぜか気になる存在だが、二人にはどこかに爆発力みたいなものが感じられる。

 ヤクルトと言えば、かつてヤクルトを日本一にまで導いた元プロ野球の監督・野村克也さんの波乱万丈ともいえる野球人生がNHKの午後十時からの番組「こころの遺伝子」で紹介された。ノムさんは、父親代わりまでかって出てくれた高校時代の恩師・清水義一さんの言葉に触れ「技術の前に人間を磨け」と言われたことなどを紹介。プロ野球の選手は「チームが勝って数百万人の人々を喜ばす、ここにプロの選手としての醍醐味がある」など、野村さんが自らの野球人生と真剣に向き合っていることが手に取るようでもあった。

 特に感銘したのは、プロ野球人生を振り返っていま思うことは、「なぜ、なぜ、なぜの繰り返しで日々、なぜ、なぜ、なぜ、と自身に言い聞かせながら生きてきた。人間の最大の悪は“鈍感”で選手たちには「鈍感人間になるな!」とたしなめ続けてきた、とも話した。

 米大リーグ、オールスター戦の出場選手が四日(米国時間)発表され、イチロー(マリナーズ)がファン投票のア・リーグ外野手二位で選ばれ、日本選手ではただ一人、出場する、とあった。見出しも派手やかに「米球宴 イチロー10年連続栄誉」とうたっている。2003、04年と二度出場している松井秀(エンゼルス)はオールスターには選出されなかった。

 【笛猫茶番日常の劇】月曜日。きょうは、カンカン照りの一日。Mの店は日、月、火曜休みのためMは朝から家事に励んだ。洗濯からベランダへの布団干し、買い物、掃除、郵便局へ…と、それこそ、自分で自分をきりきり舞いさせているのだから。でも、Mの性格上、今日やろうとすることは大抵こなしてしまう。アタイとシロは、そんなMを心配して一日中、Mを取り囲みながら、ウロウロしていた。

☆「出直しの朝 一週遅れ発表」「名古屋場所 異例の番付」「『琴光喜』の名前残る」(本日付の中日新聞の夕刊)

平成二十二年七月四日
 きょうは、勝ってくれた。落合監督のふるさと・秋田は、「こまちスタジアム」。手に汗握る好試合には地元の生んだヒーローの凱旋にさぞや、歓喜の花が咲いたことだろう。

 ボクが勝利を知ったのは、名鉄新岐阜駅で、だった。
 この日は柳ケ瀬の岐阜高島屋前で中日新聞と販売店主さんらによる「ベースボールフェスタin柳ケ瀬」があり、抽選会や、能登が生んだ、かつての剛腕・小松辰雄投手のトークショーなどを自分の目で確かめて帰る途中、ケータイのドラゴンズ情報を開いて初めてヤクルトを8―5で下したことを知ったのである。
 実はトークショーの間中、司会の東海ラジオアナウンサーが随時、ステージで東海テレビ速報として秋田で行われている試合経過を同時進行で流してくれたが、一進一退のゲーム展開でトークショーが終わってからは、5―5のまま、試合のその後は中絶状態にあったのだ。
 あとは、あすの中日スポーツを楽しみにしよう。

 フェスタを取材したあと、ボクは久しぶりに、かつて岐阜県庁汚職事件でさまざまな関係者を訪ねて飛び回ったことがある、思い出の柳ケ瀬界隈をぶらつき、よく夜討ちがてら行った検事のたまり場(スナックS)を捜してみたり、柳ケ瀬商店街の女傑で知られた故MAKIさんが経営していた店の痕跡などを確認。小松さんが最近、始められた海鮮山の在処を突き止めるなどし、午後五時過ぎ、歩いて新岐阜駅まできたところで、ドラゴンズのその後が気になり、メールを開いたのだった。

 勝っていることさえ知れば、あとはいい。小松さんのところへは、次回、出来たら岐阜に住む友だちを誘って行こう。そう心に決め、私は電車に乗り、江南の家に向かった。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは、せっかくの日曜日。なのに、お父さんったら。いつの間やら、どこかに姿をくらましちゃった。新聞記者当時からの悪い癖なので、しかたないな。でも、Mは、買い物ぐらいは連れて行ってもらえる、と楽しみにしていたみたいだよ。
 オトンは「行った方がよい」と判断したら、何はともあれ、現場に行くーというのが昔からの哲学で、やはり現場百回の精神はいまだに変わらない。それこそ、朝も、昼も、深夜から未明にかけても、連日、足を棒にし続けていた現役時代と比べたら、これしきぐらいのことは朝メシ前、月とスッポンなんだってサ。
 四日の野球日記とはいえ、現在は五日午前一時過ぎ。というわけで、アタイは今、何やら執筆中のオトンを目の前にしながら、もはや目はうつろです。なんだか、疲れたので、もう寝ます。

☆大相撲名古屋場所を前に、大関琴光喜と大嶽親方(元関脇貴闘力)が解雇された。きょうは、他に野球賭博に関わった全親方、力士とも名古屋場所を前に、名古屋市内のホテルでおわび会見。そういえば、昨日昼のNHKテレビのニュースで、姪っ子の嫁ぎ先で大相撲のタニマチでもある名古屋の老舗ホテル社長が、記者のインタビューに答え「観客減など深刻な事態だ」と答えていたという。たまたまニュースを見ていたMが教えてくれたが、インタビューにはあの、美しい姪っこも一緒に出ていたようだ。

平成二十二年七月三日
 また、負けた。あ~。それも、落合博満監督のふるさと・秋田の「こまちスタジアムで」である。
 先発は山井投手だった。清水、鈴木と続き、頼りがいのあるはずの四番手・浅尾投手が8回裏、ヤクルト打線につかまった。
 一方で、つながらないドラゴンズ打線。4―2で、また負けた。まっ、あの浅尾で負けたらしようがないか。ヤクルトは5連勝と好調だ。このところのドラゴンズは、終盤にきて相手チームに引っくり返される場合が多いので、応援する方も、その分疲れてしまう。

 最初に「また、負けた」と記したが勝敗は時の運。とはいえ、まさに紙一重でもある。早く「また、勝った」と言えるように復活してほしい。このままだと、野球を見る気さえが失せてしまう。選手たちは当然ながら、誰もが真剣に挑んでいる。それだけに、応援すればするほど、むなしくなるのだ。これで、ドラゴンズは借金が1。ただ、巨人も8―2で昨日に続き阪神に負けてくれた。これだけが、救いである。
 いや、だからこそドラゴンズには勝ち進んでほしい。なのに…。ファンなら、みな同じ思いのはずだ。気を取り直して「きょうは、きょうこそは」勝ってほしい。でないと、ハタハタだっておいしくない。

 【笛猫茶番日常の劇】きょうは土曜日。Mは、そそくさとボランティアのリサイクルショップ「ミヌエット」に出かけ、オトンは部屋に閉じこもって何やら書いたり読んだり、途中で外出したりしていた。アサガオは、けさも花を咲かせてくれた。でも、一日中雨降りで、サンルームの屋根をたたく雨音が一段と大きく聞こえる、そんな一日でした。これを平穏というのでしょうか。

 夜に入り、あの名馬、オグリキャップが余生を過ごしていた北海道の優駿スタリオンステージで、きゅう舎に戻る際、右後肢を泥沼に取られて骨折、安楽死させられたとの情報が流れてきた。牡の二十五歳だった。
 オグリキャップといえば、1987年に岐阜県・笠松競馬場でデビュー、有馬記念など重賞十二勝で知られ第二次競馬ブームを巻き起こした馬なんだって。90年暮れの有馬記念で騎乗し、奇跡の大逆転Vに導いた武豊さんも「駆け出しだった僕をより大きくしてくれた」と絶句、多くの人々の人生とともに歩いてきた名馬だったそうです。合掌ー

☆九州南部が二日夜から三日未明にかけ激しい雨に見舞われ、土砂崩れに埋まった鹿児島県霧島市の知人男性宅に居た愛知県春日井市の女性(五十四歳)がいったんは救出され病院に運ばれたものの、死亡した。
 「♪やさしすぎたのあなた…。亡きテレサ・テンさんの歌った『つぐない』の一節だ。米国で捕まったロシアの女スパイも『美しすぎる』とマスコミは大騒ぎ。どんないいことだって『すぎる』と、かえって危なくなる。」(三日付中日新聞夕刊・夕歩道から)。
☆サッカーワールドカップ南アフリカ大会でかつてのスーパースターでアルゼンチン監督のディエゴ・マラドーナさんの全身を使っての感情表現が話題となっていたのだが…。きょうの決勝トーナメントでアルゼンチンはドイツに4ー0で負けてしまった。マラドーナが見られなくなってしまうが、これも寂しい。

平成二十二年七月二日
 きょうは、ドラゴンズの試合がない。
 新聞各紙を読んでいて、野球音痴のボクにも分かる、そんな囲み記事が目に止まった。中日スポーツ1面の木俣達彦さんのコラムで、その部分は次の通りだ。
 「何でベンチは動いてやらないのか…。そう思ったのが力投していた吉見が8回、鳥谷、平野に連打を浴び、打席にマートンを迎えた場面だった。もちろん、あそこは吉見の続投。だが、流れが向こうに傾きかけている。一息入れ『お前に任せた』という気持ちの伝達をしてやってほしいところだった。
 ベンチが動かなければ、内野手がマウンドにいき、声をかけてやってもいい。井端がいない今なら、三塁の森野か捕手がまず足を運んでやるべきだろう。絶対にマウンドの投手を孤独にしてはいけない。誰かが助け舟を出してやらなければならないケースで、今年の中日は、そういう動きが少ないように思う。…」

 元球界屈指の捕手木俣さんの言葉だけに説得力がある。木俣さんには沖縄キャンプなどで、何度かお会いしているが、どこまでも優しい目と静かな口調が印象的だ。妙齢の女性たちから「アッ、キマタさんがいる。キマタさんだ。お願い」と取り囲まれても嫌な顔ひとつせず、サインに応じてくださる。
 やはり、試合には孤独に陥った投手を思いやる木俣さんのような優しさこそが、必要なのだ。きのうの阪神戦は、このひと言に尽きる。「最後まで行かなきゃ」以前の話だ。

 【笛猫茶番日常の劇】「違った色の花が、咲いているよ」って。朝の食事をしながらMから言われていたのに、お父さんったら。そのまま出かけてしまい夜、帰宅してから「どんなアサガオだったか見てみたかった」だって。Mは「アサガオもいいけれど、夕顔も植えてあるので早く咲いてほしい」だってサ。Mはちいさな箱庭ですべて、自分で育てているだけに、愛情もひとしおみたいです。

 そういえば、二、三日前の新聞に「モントレージャズフェスティバル イン 能登2010」への観客誘致話が載っていました。オトンが記事を読んで懐かしそうにしていた。なぜかって。二十数年前にこのジャズフェスティバルの誘致にアメリカ西海岸のモントレーまで地元・七尾商工会議所メンバーらと行ったのが、当時七尾支局長だったオトンだったのです。オトンは世界三大ジャズフェスティバルの一つでもあるモントレージャズフェスティバルを自分の目で確かめ、ジャズ王のジミー・ライアンさんとの単独会見にも成功した。
 そのモントレージャズが、ことしは三十一日に和倉で開かれる。当時は能登半島の七尾青年会議所メンバーを中心とした“港の町づくり運動”も盛んで、能登半島を日本の西海岸にーと皆、大張り切りだったんだって、よ。

☆サッカーのワールドカップ南アフリカ大会で十六強入りした日本代表が一日、関西空港に帰国した。先月三十日に、父の胃がん(末期症状)や芸能活動をめぐる精神的ストレスなどから首つり自殺した韓国の韓流スター、パク・ヨンヒさん(三十二歳)の葬儀が韓国ソウル市内であった。

平成二十二年七月一日
 今夜の甲子園。ドラゴンズは阪神に5―1で負けた。エース吉見が投げながら、だ。中日は2回表に1点を入れて先行したが、8回裏に一挙5点を入れられた。これでドラゴンズは再び勝率5割に戻った。今夜は、セ・リーグのトップを走る巨人が、広島の前田健太投手の力投に阻まれ負けただけに、なんとか勝ってほしかった。

 まだまだ七月に入ったばかりというのに、ファンの間では「ことしは、とてもセ・リーグ優勝などできっこない」といった冷ややかな声が出始めている。ファンとは、わがままかつ勝手なものだ。ボクは、そんな一種のアキラメにも似た声を聞かされるたびに「まだまだ、あきらめるなんて、早すぎるよナ」と自分自身にも、言い聞かせてはいるのだが…。

 【笛猫茶番日常の劇】暦も替わって、いよいよ夏の到来だ。朝っぱらから、降り注ぐ夥しい光りの粒は、まともに受けると焼き尽くされそうで、アタイもシロも苦手なんだ。というわけで、きょうの戸外は、カンカン照り。Mも、オトンも、お兄さんも、そんな中を朝から出かけて行ったが、人間稼業って大変だなあ~と、つい思ってしまう。

 なかでも、オトンは家に帰るや、部屋に閉じこもってしまい、このところはずっと新しい小説を書き続けている。よく体力が持つなあ、いつ寝ているのだろうーと感心してしまう。でも、よくよく考えると、オトンはそうした時の方が、生き生きしている。だから、アタイ、今夜も玄関先で、オトンの帰りを、首を長くして待ちかねてやっていたんだ。

 うれしいのは「オイッ、帰ったからな」と、たったひと言だけれど、優しく声をかけてくれることです。あっ、そうそう。Mの方、少しずつ体調もよくなってきてるよ。ただ、これからは暑さのど真ん中になるだけに、あまり無理だけはしないでほしい。油断禁物。「自分のからだは自分で守らなければ」って。いつもオトンやお兄、アタイとシロちゃんに話しているのは、どこのだれさんですか。Mでしょ。

☆菅直人首相が山形市内の街頭演説で消費税率を引き上げた場合の低所得者の負担軽減策について「例えば、年収三百万円、四百万円以下の人には、かかる税金分だけ全部還付するという方式もある」と表明(中日新聞)。なんだか、少しだけ安心した。政府の現地対策本部と宮崎県は、口蹄疫問題で感染の広がりを抑えるためワクチンを接種した牛や豚計七万七千頭の殺処分と埋却を終えた。発生農場などで飼育され、感染が疑われた約十九万九千頭は既に処分済みのため、これで実に計二十七万六千頭