一匹文士伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2024年8月~)
2024年8月31日
【台風10号 広域で大雨続く 近畿、東海 線状降水帯恐れ】(31日付、毎日朝刊)【台風10号記録的豪雨 けが100人超、死者6人に 名古屋-三島 新幹線きょうも運休 東海2日まで大雨か】(31日付、中日朝刊)。相変わらず、このところの各紙の紙面は台風襲来一色である。
実際、この台風10号は昨日からけさにかけ大型で強く、かつ超スローモーで九州、四国、東海、関東と日本列島を縦断、行く先々で〝空の魔物〟といってもいい線状降水帯なる雨をまき散らし、あちこちを襲いながら日本列島を横断していった。彼(か)の台風が日本中の家屋や人々の心を痛め、傷つけ各地に被害をもたらしている。そんな中、パリ・パラリンピック第2日の29日、競泳男子50㍍平泳ぎ(運動機能障害SB3)で鈴木孝幸(37)=ゴールドウィン、浜松市出身=が48秒04で優勝し今大会の日本選手でメダル第1号となる「金」に輝いたことは喜ばしい限りである。
パソコンを開き、着信メールをチェック。久方ぶりに三田村博史さん(前中部ペンクラブ会長)からメールが届いており、内容は本日付の朝日新聞朝刊に掲載された三田村さんが書いた記事【語り継ぐ戦争 三田村博史さん(88)愛知県東海市 朝鮮で終戦 一変した】について、であり、さっそくその場で拝読。三田村さんに比べたら、終戦後に満州の奉天で生まれた私の体験なぞは、それこそ、ヒョッコ同然ではあろうが、三田村さんがおっしゃられるとおり、「戦争はすべきではない」という視点では私も同じなので、読み終えたその場で次のような返信メールを送らせて頂いたのである。
内容は、次のとおりだ。
「三田村博史さま みたむらさん。お久しぶりです。いつもありがとうございます。伊神です。拝読しました。ご両親、とてもりっぱなお方でした。あらためて合掌-。
私は戦後の1946年3月6日に極寒の地・満州は奉天の父。喜一=引き揚げ後の父は千種、四日市両税務署長などを務めたあと名古屋国税局の主席国税庁監察官で定年を迎え、以降は税理士。江南ライオンズクラブ会長。江南市人権擁護委員など。勲4等瑞宝章。2007年7月24日に満92歳で老衰のため死亡=が務める税務署、大和税苑局官舎で生まれ、その後、母の胸に抱かれ日本に引き揚げてきました。それだけに、他人ごとでなく拝読。三田村さんのご両親は全ての面でご立派なお方だったと思います。
わたくしの場合、終戦直後にロスケ(ロシア兵)の襲撃に追われた両親は一時、長い間、バラバラに引き裂かれました。それでも、運よく奇跡的に再会し、母は、やっと歩くようになったばかりの兄(弁護士)の手を引き、胸に生まれてまもない私を抱え、頭を丸刈りに無蓋車の列車に何度も乗せられるなど各地を転々と逃げ回り、葫蘆(ころ)島に辿り着き、ここで父と一緒に引き揚げ船に乗り、やっとの思いで舞鶴に着いたと聞いています。
ですので、私は母の胎内で戦争を味わっており、これを戦争体感覚文学として書かなければ、と思っています。その母も私の妻たつ江(伊神舞子、俳人で歌人でもあった)が世を去ってまもなく急に力を落としてしまい、妻が逝去した翌年、満102歳の誕生日を直前になくなりました。戦争も何も知らないわたくしですが、いまは私の妻も含め、日本のおかあさんたちのことを書かなければ、と書き進めています。
そして。今は亡き母によれば、です。引き揚げ船の中で命つき、次々と海葬されていく人びと。亡くなった方々に対する読経をひとりで行い、そのつど海葬を延々とし続けた父。そうしたなかで私だけ=兄は弱く、船内ではずっと死にそうで、母は兄に付ききりのため私にかまっている暇などなかった、とのことでした=が何ごともなかったかのようにスヤスヤ眠っていたそうです。
そんな赤ん坊の私を前に驚き、助かったという母。
「たかのぶ。おまえは凄い子だったよ。次から次に船内で多くの人々が死んでゆくなかでおまえだけは全身ハエにたかられながらも、いつも元気で何もなかったふうに笑顔でスヤスヤと眠っていたよ。だから、おかあちゃん、引き揚げ船の中では、おまえに随分と助けられた。そんなおまえだもの。おまえはいつの日か天下を取ると信じているよ。きっと取る。とるに決まっとるのだから」と言うのが口癖でした。
――というわけで、そんな母のためにも。私はまだまだ書き続けなければ。そしてノーベル文学賞に劣らない真の文学の、世界の旗手にならなければ、と思っています。これからもよろしくお願いします。
伊神権太 拝
こう返信メールを送ったのである。
(8月30日)
金曜日。台風10号が日本の各地に〝線状降水帯〟という何やら、よくわからぬ魔物をまき散らしながら超スローモーで九州から瀬戸内海を経て東へ東へ、さらに東へと進んでいる。まったくもってイヤになってしまう、とは。このことか。
この日、わたくしは午前中、自宅近くのいつもの歯科医院で歯のメインテナンス治療を受け、午後は一宮のスポ文(スポーツ文化センター)へ、と愛車パッソを走らせた。そして、ここで毎週金曜日に参加している社交ダンスのレッスンに臨んだ。タンゴにワルツ、スローと結構、ハードな内容ではあったが、どこか踊る時にメリハリのあるトーンのような。精神的に強いものがほしいとのレッスン教師〝若さん〟の期待にも他のダンス仲間の皆さんともども、そろってそえたようで、結構に疲れはしたもののレッスン後、爽快な気持ちになれたことも事実である。
そして。レッスン後は、飛んで帰って自宅近く江南市内の料理屋「むさし家」さんにと駆け付けた。前々から約束済みであるネパール・カトマンズから一時帰国中のわが友、長谷川裕子さんと夫二ルマニさんにお会いするためである。互いに久しぶりの再会だったが、本日のわたくし、いやはやちょっと、能登弁ならチョッコシ、ハードなスケジュールであったことだけは事実だ。
裕子さん夫妻はそれでも定刻より少し遅れてついた私を笑顔で迎えて下さり、心底うれしく楽しいひとときとなった。裕子さん、ニルさん。ありがとうーと、改めて礼を申しておきたい。ちなみに、ニルさんは、先日世を去ったあの世界の名優アラン・ドロンさんに勝るとも劣らない風貌である。カトマンズでは、裕子さんと世界を相手にした旅行業を営んでおいでだが、日本語学校の校長先生としても活躍されているのである。
長谷川裕子さん夫妻と久しぶりに再会し、話が弾んだ=江南市の「むさし家」にて
(8月29日)
午前8時ころ、気になる大型台風10号が九州の薩摩川内市に上陸。私が住む尾張地方も朝から雨、雨、雨の連続である。愛知県蒲郡市竹谷町大久古の民家で家族5人が生き埋めになった27日の土砂崩れ。消防などは28日から29日にかけ軽傷で発見された女性(47)に続いて男女4人を救出。市災害対策本部によれば、4人のうち70代女性と30代男性の死亡が確認されたという。
将棋の「伊藤園お~いお茶杯」第65期王位戦7番勝負(中日新聞など主催)の第5局が28日、神戸市・有馬温泉の旅館「中の坊瑞苑」で指し継がれ、午後6時21分、先手番の藤井聡太王位(22)=竜王・名人・王座・棋王・王将・棋聖、愛知県瀬戸市=が、97手で挑戦者の渡辺明九段(40)を破った。これにより、藤井王位はシリーズ対戦成績4勝1敗でタイトルを防衛、5連覇を達成して永世称号「永世王位」の資格を獲得した。
永世王位の資格獲得は故大山康晴15世名人、中原誠16世名人(76)、羽生善治九段(53)に続いて4人目。22歳1カ月での資格獲得で、羽生の保持する「26歳11か月」の最年少記録をも振り替えた。また永世称号の資格は7月に得た棋聖に続いて2つ目。「22歳1カ月」で永世二冠となり羽生の最年少記録「24歳9カ月」をも更新した。すごい永世王位の誕生である。
原子力規制委員会がきのう28日に開いた定例会合で日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)が原発の新規制基準に適合せず、再稼働の条件となる審査に不合格だとする審査書の案を了承。不合格は、2012年の規制委発足後、初。これにより、原電は東海第2原発(茨城県)と合わせ、所有する2基とも再稼働できない状態が長期化する。審査書案によれば、原子炉建屋から北約300㍍にある「K断層」が活断層で建屋直下まで延びている可能性が否定できない、と判断。活断層の上に原子炉など重要施設を設置してはならないと定めた新基準に適合しない-と結論付けたとしている。
2024年8月28日
【蒲郡土砂崩れ2人救出 3人が安否不明 24時間雨量平年の8月分上回る】【台風特別警報の可能性 宮崎、鹿児島】とは、中日新聞の本日付の夕刊見出し。このところ人間社会は地震ばかりか、豪雨、それに大型台風などありとあらゆる自然に襲われている。人間が自然界に何か悪いことでもした-というのか。
そして。私はと言えば、だ。きょうは目の定期診療で近くの眼医者さんに行ってきた(眼圧は右が22、左は17)。ほかにも本日ではないが、歯医者さんに歯の定期クリーニングで行ったり、名古屋のペインクリニックにも定期的に行くなど定期診断が欠かせない。きょうは、それに加え早朝、「広報こうなん 9月号」の各戸配布もあって結構、あれやこれやに振り回されたのである。
2024年8月27日
朝。新聞報道によれば、台風10号は27、28日と暴風域を伴い非常に強い勢力で奄美大島に。29日以降は西日本に接近、上陸する可能性があるという。そして。きょう27日午前には、岐阜、愛知、三重の東海4県で線状降水帯が発生する可能性があるというが、さてどうなるか。台風は速度が遅いばかりか、予想進路にも幅があるため「上陸するかどうかや地域を示すのは、現時点では難しい」としているが、どんな道を歩むのか。何はともあれ、今は被害が少なく済むようにただただ、そのことを祈るばかりだ。
【解体見込み3.2万棟超 石川、想定から1万棟増 能登地震】【関連死新たに21人 石川県認定、計133人】とは、けさ27日付の中日新聞社会面の見出し。能登半島地震の被災地では依然として、あくなき苦闘が延々と続く。
(8月26日)
台風10号の動きが大変、気になるところだが。本日付の中日新聞夕刊によれば、だ。「強い台風10号は26日、日本の南を発達しながら進んだ。27日ごろ奄美や西日本へ接近し、28日以降に強い勢力で上陸の可能性がある。気象庁は西日本を中心に猛烈な風やしけとなり、西日本と東日本太平洋側などで大雨の恐れがあるとして、暴風や高波、土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に厳重警戒を呼び掛けている。」ということだ。
また「台風の接近に伴い、JR各社は新幹線の全線や一部区間で計画運休や長時間の運転見合わせの可能性があるとしている。東海道新幹線は28~29日、山陽新幹線28~30日。一方、上越、北陸、東北、山形、秋田の各新幹線は、台風の進路が西寄りになったことから、28~29日は通常通り運行する予定だという。
(8月25日)
日曜日。けさの朝刊紙面、主なニュースはといえば、だ-。
【大谷40本塁40盗塁 メジャー6人目最速126試合 打って走って野球の魅力体現】とは、本日付の毎日新聞1面見出し。大谷は、たいしたものだ。そして。中日新聞は、といえば、である。【能登地震教訓 災害時職員1000人即時派遣 対応強化案 政府、事前リスト化】【石破氏出馬表明 自民総裁選】【2024パラリンピック 29日開幕 夢は大きく恩師のエール 車いすテニス・小田凱人選手 地元・一宮の元担任が肖像画】【大谷 40本塁打40盗塁 126試合で最速達成】というものだ。
やはり、どの新聞も要点をつかんでいる。
大谷の40本塁打、40盗塁を報じた中日スポーツなど
そして。わたくしは、といえばだ。先日の「能登の明かり」収録の際、録音した岡ゆう子さんの声を、愛猫シロちゃんを傍らに繰り返し繰り返し、なんどもなんども聴き直している。
(8月24日)
土曜日。自民党の石破茂元幹事長(67)が24日午前、地元の鳥取県八頭町の神社境内で党総裁選への立候補を表明。五度目の挑戦を前に「38年間の政治生活の集大成、最後の戦いとして原点に戻り、全身全霊で支持を求めていきたい」と述べた。「ルールを守る政治、ルールを守る自民党を確立する」とも訴えた。原点に戻る。ルールを守る。くれぐれもそうあってほしい。
東電福島第一原発事故発生に伴う処理水海洋放出が始まってから24日で1年。夕刊報道によれば、幸い、周辺海域のモニタリング(監視)で海水などに異常は確認されていない。
これに対して中国は「核汚染水」と呼んで反発し、日本産水産物の全面的な輸入停止措置を今なお継続。日本政府は即時撤廃を求めるが応じる見通しは立っておらず、水産業は厳しい状況が続く。岸田首相は24日、放出の影響を聞き取るため、福島県いわき市の小名浜魚市場を視察。小名浜魚市場は、私もかつて大震災直後とその後に計数回訪れている。
(8月23日)
わたくし、伊神権太作詞、牧すすむさん作曲による能登半島地震の応援歌「能登の明かり」の歌手岡ゆう子さんによる吹き込みが名古屋市熱田区の神宮前レコーディングスタジオで作詞者の私と作曲者の牧すすむさん立ちあいのもと、熱心に行われた。順調なら9月中にはCDとして誕生、この先、能登半島地震の被災地の人々の心の糧、応援歌になれば、と願う。
「能登の人たち一人ひとりにとって 希望の道しるべ、光りになれば」と心を込めて歌う岡ゆう子さん=名古屋市内のレコーディングスタジオで
第106回全国高校野球最終日が23日、甲子園球場で決勝が行われ、京都国際が関東第一(東東京)に延長十回タイブレーキの末、2-1で勝ち、春夏を通じて初の甲子園大会優勝を果たした。京都勢としては、1956年の平安(現龍谷大平安)いらい68年ぶりの夏制覇となった。
(8月22日)
木曜日である。
政界の方は相も変わらず【高市氏 来週出馬表明へ 自民総裁選 小泉氏は時期を調整】【派閥裏金事件を想起? 自民宣伝ポスター発表】【枝野氏 立候補正式表明 立民代表選 共産と全国協力否定】【政権奪還へ再登板狙う 党内支持固め急ぐ】(いずれも22日付中日朝刊)と騒々しい。
とはいうものの、私はそんな政権争いよりも、きょうから始まるはずである福島第一原発事故現場でのデブリの取り除き作業がこの先、無事始まり、無事終わってくれることの方が、より心配である。こちらの方が何よりも無事に進んで終わってくれることを、ありとあらゆる神々に祈ることの方が大切なのである。
と思っていたら。手元に届いた中日新聞の22日付の夕刊を見ると【デブリ採取準備作業中断 福島第1 装置取り付け順 誤る 東電再開時期は未定】とあるではないか。なんたることだ。
それはそれとして、だ。中日新聞尾張版のコラム・モーニングの【手紙】を読み、心に染み入るものを感じた。良い記事があるとしたならばだ。こういう記事を言うのだろう。江南市の書家(91歳)の下に13年前に自身が出した手紙が届き「再会」したという内容だったが、なんだか心が洗われるような、そんな気がしたのである。いい話だ。ましてや、それを書いた記者が、かつて私が小牧通信局で記者生活をしていたころに出会った、あの、とてもかわいかった野球少年だったーだなんて。世の中、捨てたものじゃない。
(8月21日)
米民主党の党大会が11月の米大統領選を前に中西部イリノイ州のシカゴで19日、開幕。バイデン大統領(81)が再選を断念したなか、ハリス副大統領(59)を党候補に正式指名した党は、共和党候補のトランプ前大統領(78)との対決に向け、挙党態勢をアピールした。
一方、日本の政界の方はと言えば、だ。自民党が岸田文雄首相の後継を選ぶ総裁選の日程を「9月12日告示-27日投開票」と決定。選挙期間は現行の総裁公選規程が設けられた1995年以降で最長の15日間となる。政治改革や物価高対応などが主な論点で石破茂元幹事長(67)は24日、河野太郎デジタル相(61)は26日に、林芳正官房長官(63)は27日にも正式に出馬表明する方向で最終調整入り。小泉進次郎元環境相(43)も立候補の意向を周囲に伝えるなど乱立気味の総裁選となることは必至である。
(8月20日)
77人が亡くなった2014年8月の広島市の土砂災害から20日で10年。被害が大きかった安佐南区八木地区では午前2時半ごろ、遺族らが慰霊碑に手を合わせて犠牲者を追悼。災害後に出来た砂防ダムの壁には「忘れない」などの文字が映し出され、松井一実市長は市立梅林小学校に設けられた献花台に花を手向けた。
【自民、来月12日告示・27日投開票 総裁選10人以上出馬意欲】【ガザ停戦「ハマス次第」 米国務長官「ネタニヤフ氏が受託」】とは、日経紙の20日付の夕刊1面見出し。
(8月19日)
映画「太陽がいっぱい」などに出演し2枚目スターの代名詞でもあったフランスの俳優、アラン・ドロンさんが18日、中部ドゥシーの自宅で死去。88歳だった。親族に囲まれて安らかに亡くなったという。死因は不明だがリンパ腫を患っていたそうだ。マクロン大統領はX(旧ツイッター)で「世界中に夢を与えてきた。フランスの記念碑だった」とたたえたという。
フランスがアラン・ドロンなら、日本では、ヒット曲「受験生ブルース」などで知られるフォーク歌手、高石ともや(たかいし・ともや、本名尻石友也)さんが17日、病気のため亡くなった。北海道出身。82歳だった。高石ともやさんには、かつて私が新聞社の大垣支局長当時に揖斐川マラソン開催に当たって毎年大変お世話になり、食事をご一緒した時の、あの晴れやかな笑顔が忘れられない。文句なく、庶民の味方と言ってよいステキな本物の歌い手さんだった。
【総裁選推薦人奪い合い 自民、石破氏出馬へ 小林鷹氏も午後表明】【ハリス氏、重要州で集会 米大統領選 無党派層獲得、てこ入れ】とは19日付の日本経済新聞夕刊の見出しである。
2024年8月18日
日曜日だ。きょうは午後、わたくしの両親の時からの菩提寺である江南市高屋の臨済宗妙心寺派永正寺へ。亡き妻、伊神舞子(静汐院美舞立詠大姉)の施餓鬼法要のためだったが、受付席にいた小学生の時のクラスメート、山田金重(やまだかねしげ)くんに半世紀以上の時を経て、たまたまバッタリ出会ったのには、驚き、感激した。まさに小学6年生の時の卒業式いらい65、6年の時を経ての衝撃的な再会となったのである。
一軒一軒、魂を込めての施餓鬼法要が進んだ
いやはや、人生とは面白きものだ。双方ともに少年時代を飛び越えての思わぬ時、思わぬ場所での再会劇に感激したのである。あげくに彼は、新聞(尾北ホームニュース)を読んで「伊神君の本『あたし帰った かえったわよ』(人間社)を買って読ませて頂いた」というではないか。私は、これには感激、帰宅後、さっそくこのことを仏前で亡き舞(静汐院美舞立詠大姉)に報告したのである。ありがとう。山田君。かねしげくん、と。である。
彼は小学生のころの同級生で当時一クラスに50数人もいたクラスメートのなかでも成績は絶えずトップだったことは、よく覚えている。2番が光子で、あとはなかしま君に誠一郎くん、としこさんの順だったと記憶。ボクは4、5番だった。その、かつてのトップ少年にこうして会えただなんて。やはりお施餓鬼法要のご利益はあった、いや、亡きたつ江(伊神舞子)と永正寺さんのおかげだったかもしれない。彼が小学生(愛知県江南市立古知野北小学校)のクラスのトップを維持し続けたのに比べ、あのころの私は何よりも歌が大好きな少年だったと記憶している。いやはや、人生とは。これだから面白い。
こうなると私は他の級友たちの顔を思い出さざるを得ない。皆、遠いとおい昔の話。春日八郎の【別れの一本杉】が流行っていたころの話である。みちこにちかひろ、せいじによしのり、かつやたちがいた。あのころのクラスメート1人ひとりの顔が大きく、目の前に浮かびあがったのである。
話は朝に変わる。炎天下にかかわらず愛猫シロはいつもの時間に比べたら、少し遅れて外に出た。
それとは別に、けさ私は夢の中で、お盆で自宅に帰ったはずの舞、たつ江がどこを探しても居ないのにうろたえ、部屋という部屋を探し「もう、だめだ。いない」と半分あきらめて最後の1枚となった障子のふすまを開くと、そこに彼女、舞(本名は伊神たつ江)が浴衣姿で食卓を前に、それもさっぱりとした笑顔で座っており、「何。なによ。ここにいるわよ。あたし、ちゃんとここにいるのだから。心配し・な・い・の」とばかり笑顔で答える舞、すなわちおまえを見て、ホッとするという、ちょっとおかしな夢をみた。
舞は、その時、浴衣でなまめかしい姿で、テーブルをはさんで他の人と座っており「なに。あたし、ちゃんとここにいるのだから。心配しないの」とだけ言って、一緒にいた女性とこれから食事をしようとする、まさにその瞬間でもあった。「あ~ぁ、ここに居たのか。探し回っていたのだよ」との私の安堵の声に「何よ。ちゃんと、ここにいるじゃないの」という表情は満面幸せそのものの笑顔で、その状況を確かめた私は「なんだ。そこに居たのか」とだけ言い、全身から力が抜けていく自身を感じ取っていたのである。
夢の画面が切れたのは、まさにその瞬間、その時だった。これもお盆のなせるわざなのか。やれやれ、である。ことしのお盆は、こうして通り去った。
× × ×
☆ ☆ ☆
朝。NHKラジオから「福島県浪江町で14年ぶりに盆踊りが行われました」のアナウンサーの声。NHKニュースに、かの地へは福島第一原発事故後に今は亡き作家の加賀乙彦さんや編集者の源さん(山本源一さん)、そして地元在住のシンガーソングライター橘光顕さんらも加わって二、三度訪れた土地だけに、なんだか心からホッとしたというか。救われた気持ちになったのである。放射能汚染に襲われていた浪江町にもやっと、かつての姿が戻ってきた、と。そんな感慨にとらわれた。
2024年8月17日
きょうの愛猫シロちゃん。さすがにこの暑さでは散歩をやめた方が良い、と自ら判断してか。外に出ることはあきらめ、今(午前11時現在)は私のデスク足元で黙って静かに何かを考え、座っている。かしこく、かわいい猫ちゃんのことだ。それか。お盆でおかあさんが見えない蜻蛉となって、わが家に帰宅していることを知っているので、おかあさん(たつ江、伊神舞子)が家にいる間は、たとえ少しでもオカンの傍にいなければ、と。そう思って、おうちにいるのかもしれない。そうだ、たぶん。そうに、決まっている。それにしても、きょうも暑い日である。
土曜日。私は、いつものように新聞を読む。傍らには、いつだってオーロラレインボーが居てくれるのである。今や、かつての私の相棒、たつ江と同じ存在だ。
(8月16日)
金曜日。忘れもしない。末っ子の誕生日だ。
あの時は500人以上もの貴重な命が失われた羽田発大阪行き日航ジャンボ123便の御巣鷹山墜落(8月12日)で連日、空からの取材に追われ、病院(小牧市立病院)に行くことすら、かなわなかった。
8月16日。けさの新聞は、政府がきのう15日午後5時に、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)に伴う防災上の呼びかけについて大地震などの異常な現象が認められなかった、観測されなかった-として午後5時に防災上の呼びかけを終了したニュースを【南海トラフ臨時情報終了】と報道。そして今ひとつは、【続く戦火 願う平和 戦没者追悼式 終戦79年 4000人参列 97歳「慰霊は生き残った使命」 兄犠牲の最高齢遺族】といった終戦記念日の報道である。
なかでも東京都千代田区の日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式では正午の時報に合わせ、全員が黙とう(わたくしも、愛猫シロ、オーロラレインボーを傍らに自宅で両手を合わせて黙とうした)。天皇陛下が「過去を顧み、深い反省の上に立ち、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」と読み上げられた時には、なんだか緊張感のようなものが全身を走った。戦争はすべきでない。やってはいけない-と改めて自らに言い聞かせたのである。
正午過ぎ。スマホのピコピコ、ピコ音に画面を開く。と、そこには次のような文字が並んでいた。
台風7号 非常に強い勢力で関東甲信・東北に接近 線状降水帯発生のおそれも 千葉県や茨城県を中心に暴風・高波にも厳重警戒-というものだった。
午後。社交ダンスのレッスンで一宮のスポ文(スポーツ文化会館)へ。タンゴ、ワルツ、スローを踊る。先日の事故で急ブレーキを踏んだ際に打った腰(その後、江南厚生病院に行って治療してもらい、しばらくの間、痛み止めの薬をのみ湿布も張った)もなんとか回復、まずはステップを踏め、ホッとしたのである。社交ダンスの継続は、なんといってもわが妻・舞からの遺言なのである。
なんとかステップを踏め、やれやれである。でないと、彼女との約束が反古同然になってしまう。
(8月15日)
終戦記念日。とは言ったところで、シロはかつて人間同士の戦争があり、多くの人々が死んでいったことなど何ひとつ知らない。
南海トラフ地震の臨時情報(巨大地震注意)に伴い、政府が防災対応の再確認を求めた注意呼びかけは、大きな変化がなければ発表から1週間のきょう、15日午後5時に終わる(その通りに終わった)。というわけで、けさの中日新聞の見出しは【南海トラフ臨時情報 きょう1週間備え続く】、きのう表明した【岸田首相 退陣へ】【追悼式5年ぶり通常開催 戦後79年 きょう終戦の日】、さらには【対馬丸撃沈 児童ら祈り 奄美大島 22日で80年、沖縄から訪問】(いずれも中日新聞15日付朝刊)といった記事が、胸をえぐってくるのである。
いずれにせよ、人と人が殺し合う戦争はよくない。絶対にやってはならない。当然のことなのに。ウクライナで、ガザで醜い人間同士の殺し合いは、今も続いている。
(8月14日)
けさの新聞報道によれば、だ。中部地方は13日、高気圧に覆われて気温が上昇、名古屋市では38・1度を記録。これにより、名古屋市で最高気温35度以上の猛暑日は20日連続。名古屋地方気象台によると、1942年に記録した19日連続を82年ぶりに更新。1890年の観測開始以来、最長になったという。ほかに驚いたニュースは、中日新聞14日付1面トップの【障害者約5000人解雇・退職 3~7月 329就労事業所閉鎖 国の報酬下げ影響】か。
【岸田首相 総裁選不出馬 自民裏金事件「責任取る」】【報復自制はガザ交渉次第 イラン「失敗ならば攻撃」視野】【高い耐久性で紡ぐ響き 長浜の老舗と農研機構 三味線用の絹弦開発 来年販売】とは、本日付の中日新聞1面見出しだ。
岸田首相の総裁選不出馬を報じた新聞各紙
「私が身を引くことでけじめをつけ、総裁選に向かっていきたい」とは、岸田文雄首相の言葉で、岸田内閣はとうとう2021年10月の発足から3年で退陣することとなった。
(8月13日)
100年ぶり3度目、200以上の国・地域や難民選手団を合わせ、約1万1千人の選手が熱戦を繰り広げ多くのドラマを生んだパリ五輪も終わり、ひとつのドラマが終わった(引き続き、パラリンピックが28日から9月8日まで開かれる)。
各マスコミとも「第33回夏季オリンピック・パリ大会は11日夜(日本時間12日未明)、心配されていたテロなど大きな問題もなく、17日間の日程を終え五輪旗は4年後の開催地の米ロサンゼルスに受け継がれた。閉会式はパリ郊外サンドニのフランス競技場であり、各国の選手団が入場。国際オリンピック委員会(IOC)バッハ会長が「国同士が戦争や紛争で分断されていても、みなさんが平和の文化をつくった。世界中の何十億の人が心を動かされました-とあいさつ。米俳優のトム・クルーズさんが会場屋根から登場し、五輪旗を受け取る派手なパフォーマンスを披露。聖火は、わたくしも知るルーブル美術館近くのチュイルリー公園にあった気球形の聖火台から、競泳で個人4冠のレオン・マルシャンさん(フランス)によって届けられ、会場で消されたーなどと報道している。
岩手で記録的雨量を降らせた台風5号が東北を横断。520人が亡くなった1985年の忘れもしない日航ジャンボ墜落から39年となった12日、遺族らが群馬県上野村にある現場の御巣鷹の尾根に慰霊登山。犠牲者の墓標や、墜落地点の「昇魂之碑」に手を合わせ、追悼した。月日は知らぬ間に、脱兎のごとく駆け抜けていくのである。
(8月12日)
月曜日。パリ五輪は、陸上の女子やり投げで北口榛花さん(JAL)、レスリング女子62㌔級の元木咲良さん(育英大助手)、レスリング男子フリースタイル65㌔級の清岡幸大郎(三恵海運)、女子76㌔級の鏡優翔(サントリー)がそれぞれ優勝、金メダルを胸に有終の美を飾り、17日間の日程を終えた。日本の金メダル数は大会前に日本選手団が目標とした20個に到達した。
北口さんのやり投げ金メダルを報じた中日スポーツ
午後。能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】の歌の収録を前にした事前打ち合わせのため名古屋市熱田区の神宮前レコーディングスタジオへ。
(8月11日)
午後。長男夫妻に三男、私の4人で今は亡き、かわいいたつ江(伊神舞子)がとこしえに眠る永代供養集合墓【尾張の大地】にそろって足を運び、舞の墓前にカーネーションなど花々を供え、「みんな元気でいるからな」と家族の現況報告をすると同時に「おまえも元気でいろよな。いつだって俺と一緒なのだから」と手を合わせ、永遠の幸せを誓い合った。
【秋空に未来永劫と書いてみし】。俳人で歌人でもあった伊神たつ江(舞子)。その彼女が眠る集合墓はさわやかな風のとおりが好いばかりか、自然にも恵まれ、これならば日々好きに俳句や短歌を詠み、楽しく充実した日々を過ごしているに違いない。いや、そうあり続けてほしい-と幸せでいることをただひたすらに願うわたくしの姿が、そこにはあったのである。
第2回ぎふ長良川花火大会が昨日、10日夜、岐阜市の長良川河畔で開かれ、約12万人(主催者発表)が夜空に浮かぶ1万発の花火に酔いしれた。この花火大会は、岐阜市、岐阜商工会議所、岐阜新聞社、中日新聞社などでつくる官民一体の実行委員会の主催で実現。2019年までは中日と岐阜の両新聞社が個別に開いていたが、その後コロナ禍という時代背景もあって、昨年からは両新聞社が手と手を結んで一本化された経緯がある。かつて私が岐阜総局(現在は岐阜支社)記者として勤務していた当時、互いに競争で競い合っていた時代のころを思えば、こうした花火の一本化など想像もつかない。考えも及ばない時代になったのである。
パリオリンピックの方は、期待の北口榛花が65・80㍍を投げ、文句ない金メダルを取得。卓球女子団体は健闘及ばす、中国に敗れ、準優勝の銀メダルに沈んだ。私は深夜の決勝戦をテレビで見ていたが、2位とは言え、よくぞ頑張ったと思う。
9日の男子400㍍リレー決勝で日本(坂井、サニブラウン、桐生、上山)は、37秒78で5位に。10日の男子マラソンは赤崎暁(九電工)が2時間7分32秒で6位に入賞。2022年世界選手権覇者のトラ(エチオピア)が2時間6分26秒の五輪新記録で優勝した。
(8月10日)
夜。自宅近く「むさし家」で帰省中の長男夫妻と食事中のところに一本の電話が入った。大阪文学学校事務局長の小原政幸さんからだった。
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きのう9日は〝長崎の日〟米国の原爆投下から79年となり、長崎市松山町の平和公園で「長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。席上、鈴木史朗長崎市長は平和宣言で核兵器保有国に対して「現実を直視し、廃絶に向けてかじを切るべきだ」と求めた。新聞報道によれば、式典後、岸田文雄首相は国の援護区域外にいて被爆者と認められていない被爆体験者と初めて面会。地元の人々の救済要望に「具体的な対応策の調整を早急にしたい」と応じた。
この日は武見敬三厚生労働相も同席、これまで国の被爆者救済は限定的な支援にとどめてきたが、【広島の黒い雨被爆者】に続き、援護区域外とされてきた長崎の被爆体験者にも本格的な救済の手が、やっとこせ施されることになった。中日新聞はこのことを1面トップで【首相被爆体験者解決の意向 長崎原爆79年 初面会の場で指示 平和式典G7大使欠席】の見出しで報じている。
ほかのニュースといえば、だ。【神奈川で震度5弱 調査委「距離遠く関係ない」】【南海トラフ避難所90カ所超 岡崎など4県19市町村開設】【「巨大地震注意」発表から一夜 「書き入れ時」観光地に影 愛知でもキャンセル相次ぐ】【新幹線一時見合わせ】など。この世は、相も変わらず、いろいろある。
パリオリンピックの方は、と言えば、だ。【藤波 金レスリング 負けず嫌い137連勝の原点】【親子3人で世界の頂き レスリング藤波選手 娘に懸けた父 食事支えた母】【高校生活と両立 友のおかげ クライミング銀 安楽選手】と威勢がいい。
そして夕刊は、といえば、である。【頑張ってきて良かった レスリング女子桜井 たくさんの人のおかげ レスリング男子樋口 まだ実感できていない ブレイキン女子湯浅 金続々 海外五輪最多並ぶ】と威勢がいい。この日、行われた男子マラソンはオリンピック初出場の赤崎暁選手が(九電工、26)が2時間7分32秒で6位入賞を果たした。
きょうは、お盆で帰省中で、かつてはパリにもいた息子夫妻と一緒に先日、私が起こした交通事故の相手のお宅へ。「せっかく楽しみにされていた北海道旅行をダメにしてしまい、申し訳ありませんでした」とおわびする。「わざわざ来て頂いて」の言葉にホッとしたのである。と同時に、この女性は心底から人の悼みがわかるお方なのだ、と思い、なんだか胸を熱いものが走るのを感じた。これからは、くれぐれも気をつけて。運転しなければ、とも思ったのである。
(8月9日)
朝刊は【南海トラフ「巨大地震注意」 宮崎で震度6弱 気象庁、初の臨時情報 冷静に対応を 識者】【備えは 水・食料確認 暑さ対策】(中日1面見出し)といろいろある。そこへ【古田・岐阜知事 6選不出馬 「5期20年の節目で決断】(同)のニュースが加わった。
それが、きょうの午後7時57分ごろには神奈川県で震度5弱を観測する地震が発生。この地震につき「南海トラフとの考えは考えにくい」と専門家。このところの世の中は、何もかもがピリピリしているような、そんな気がする。
(8月8日)
パチパチの日。かつて在任した「びわこ大花火」の日である。
第106回全国高校野球選手権大会がきのう7日に兵庫県西宮市の甲子園球場で開幕。今回から初めて暑さ対策として試合を午前と夕方に分ける「朝夕2部制」が導入され、初日の最終試合は日没ごろの開始となった。というわけで、この日は開会式後の午前10時8分に第1試合が始まり、観客たちは午後0時半過ぎの終了後に退場。夕方の部の第2試合が始まる午後4時を前に入場。この日、甲子園近くの神戸市では午後4時47分に最高温度34・8度を観測。第2試合を戦った健大高崎(群馬)の青柳博文監督(52)は「日が陰ってくると、涼しい。途中、選手の要望でペンチのクーラーを切った」と恩恵を口にしたという。
本日8日付の中日新聞社会面トップ記事の【<証言>何も言わずに妹は死んだ 逃避行38度線に阻まれ 平壌で終戦 水鳥桂子さん(91)愛知県豊橋市】は、一昨年5月に満102歳で亡くなった私の母の生涯と一部だぶるだけに、感慨深く拝読。戦争許すまじへの思いを、ますます強くしたのである。
(8月7日)
二十四節気によれば、きょうは立秋。ことしは猛暑続きではあるが、それでも「今はもう秋」。秋なのである。秋よ、秋 秋は秋か。外からはまだまだ洪水の流れの如く、蝉しぐれが猛烈な勢いで、私の耳に飛び込んでくる。そして私もはるか昔に2度ほど取材経験のある、夏の甲子園では全国の大会を勝ち抜いてきた高校球児たちによる熱闘が始まったのである。
新聞は相変わらず、昨日の広島原爆の日の話題を中心に【<2025年戦後80年へ>核廃絶に逆行脱却を 市長訴え ウクライナ、ガザ緊迫の中】【東京で空襲、弟は被爆死 97歳 初めて語る2度の惨劇】【東証急反発 3217円高 3万4000円台回復 上げ幅 過去最大】(中日、朝刊)などの活字が並んだ。
そして夕刊は、といえば、だ。「パリ五輪第12日の6日、レスリングの男子グレコローマンスタイル60㌔級で前回東京五輪2位の文田健一郎(ミキハウス)が初優勝し、グレコの日本勢で40年ぶりとなる金メダルに輝いた-と報道。【開場100年 球児の夏開幕】といった見出しで、第106回全国高校野球選手権大会につき「第106回全国高校野球選手権大会は7日、開幕100年を迎えた兵庫県西宮市の甲子園球場で開幕した」などと報じている。
(8月6日)
火曜日。米国による広島への原爆投下から79回目の「原爆の日」を迎え、広島市の平和記念公園(広島市中区)では、平和記念式典が開かれた。
この日朝。私は腰が痛くていたくて何ともしようがなく、息子に江南厚生病院に連れて行ってもらう。息子は、やさしい性格で会社を休んでまで「医者にいかないかん」と言い、江南厚生病院に私を連れて行ってくれ、親しき中にも礼儀あり、で心から感謝している。元々から、たまに痛さを覚えていた背中腰部分が先日の自転車との出合頭事故発生時の衝撃もあってか、朝起きようとしても痛くて起きることが出来ないので、出勤前の息子にこのことを告げると社を休んで病院までつきそってくれた-というわけだ。
病院に足を一歩踏み込むや、まだおかあさんが生きていたころ、彼女に付き添い、何度も何度も通った日のことが思い出され、どこか感傷的な気持ちにもなったのである。おかあさんには、逆にわたくしが以前、愛知県がんセンターで右肺を切除後の診察でここ江南厚生病院に事後治療で訪れた際には、逆にいつも私に付き添ってくれた。そんな数々のふたりのドラマが思い出される舞台のひとつともいえよう。その厚生病院にこんどは、かわいい三男坊が付き添ってくれたのである。レントゲン検査や問診などの結果、やはり衝突時のショックが影響していることは確かだが骨には異状なく、薬をもらって帰宅。夕方には、痛みも解消したのてある。
(8月5日)
午後5時過ぎ。天も割れんばかり、とはこのことか。ゴロゴロゴロと凄い音混じりの雷鳴が上空に轟き、わが愛する愛猫シロちゃんは、わたくしのデスク足元のいつもの隠れ家に潜んだままである。シロは昔から、雷が大嫌いであることは、この徹底した逃げ方を見れば、論より証拠なのである。ねえ~、シロちゃん、俺はそうした自己防衛に徹する愛猫シロちゃんが大好きなのである。ゴロゴロ、バリバリ、はまだまだ収まりそうにはないのである。そして。雷は去った。シロの逃げ場所はおかあさんが生きていた当時から全く変わらない。私のデスク横、プリンターが置いてあるちいさなデスクの下で、この隠れ家はおかあさん、すなわちたつ江が生前、私に教えてくれた、シロちゃんなりのアジトなのである。
夕刊は【男子フルーレ団体金 フェンシング5個目メダル】【本当にすごいの一言-太田雄貴さん絶賛】というもので、総合リード(前文)は、次のようなものだった。
-パリ五輪第10日の4日、フェンシングの男子フルーレ団体で松山恭助(JTB)、飯村一輝(慶大)、敷根崇裕、永野雄大(ともにネクサス)の日本は決勝でイタリアを破り、初優勝した。同エペ個人の加納虹輝(JAL、愛知県あま市出身)に続いて今大会2個目の「金」で、日本勢は計5つのメダルを獲得して躍進を遂げた。゜
夕刊はほかに【東証一時2500超下落 円上昇 一時144円台】【イラン報復なら「高い代償払う」ネタニャフ首相警告】といったところか。
こうした時に私はつくづく思う。雷鳴、台風、地震、豪雨…何をとっても自然にはかないっこないことに。人間たちは、いつだってそうした脅威に対抗したところで所詮は負けるに決まっている。だから、せめて人間たちは互いを尊重して人生という宝物を大事にして生きていくほかないのである。
2024年8月4日
日曜日。朝。自宅から古知野神社まで息子に車で送ってもらう。きょうは神社の「清掃の日」でもあり、花霞町3組2班の班長としての責任もあるからだ。掃除が終わったあと。私は境内一角に置かれた〝開運招福ミニ鳥居〟なるものを見つけ、家族はじめ友人知人の無事と安寧、無事故、限りなき幸せを心から深く願い、このミニ鳥居を、はいつくばってくぐりぬけたのである。
はいつくばってくぐり抜けたミニ鳥居
多くの人たちが古知野神社の清掃奉仕に出た
この日。古知野神社の清掃奉仕には多くの人々が、それぞれの思いを胸に足を運んでおり、私も境内一角の落ち葉やゴミ拾いなどに一役買い、帰りは歩いて帰宅。今はなき舞が以前、開店していたリサイクルショップ「ミヌエット」跡地を横目に帰ったのである。ほかには、かつては喫茶店だったところが、いつのまにか学習塾に変身するなど町の顔は少しの間に確実に変わりつつある事実を思い知りもした。
パリオリンピック第9日の3日、柔道混合団体の日本は決勝戦で3年前の東京五輪と同じフランスと対戦したが惜しくも敗れた。私の率直な感想を言わせてもらえば、舟久保遙香や新添左季、曽根輝の女性陣はよく頑張ったが、頼りの斉藤立がフランスのリネールに今一歩及ばなかった。残念無念、とはこのことである。
わたくし自身、若かりし日々は、柔道一直線だった(大学2年の時。19歳で講道館柔道の実力3段を取得。オールミッション大学選手権では優秀選手賞。ほかにインタハイ候補選手など)。その私にいわせてもらえば、だ。私も得意技だった大内刈りは、まずまず出ていたが、相手が動く瞬間の送り足払いや出足払い、小内刈りなど足技に欠けていた、その事実が残念な結果に終わったと思う。
私の目で見た限り、相手が出る瞬間の送り足払いや出足払い、隅落としなどチャンスは無限にあったはずである。技そのものが劣化している。それと。何より先にとらねばならない組み手が取れていない。組み手争いで負けているので、かけ技も当然、中途半端なものとなってしまう。そんな気がしてならなかったのである。
わが子を愛する一心のおかあさんのひたむきさ。テレビ画面に映し出された、その姿には胸打たれた。でも、悪いけれど。斎藤立は基本から技を、もう一度最初から学び直す必要がある。本人にはチト厳しい物言いかもしれないが、柔道の極意である〝崩し〟とは、がわかっていない。そんな気さえする。これではニッポン柔道が泣く。いや、既に泣いているといっていいだろう。斎藤には、それだけの期待がかかっているのである。リネールごときに一本取られるだ、なんて。泣けてくる。
(8月3日)
昨日の夕方、自宅近くの路上で自分では思ってもいなかった、人生初の自転車との交通事故に襲われた。事故は、私が運転する自家用車が、社交ダンスからの帰宅途中、もう少しで自宅というところで発生した。その現場は、交差点で事故はいったん停止し発進した直後に発生。交差点を出る際、一時停止をしっかりし、前進を始めたその直後に起き、気が付いた時には、道路を隔てた交差点道路を右方向から左に進行中の自転車が私の車のフロント右側側面部に衝突、自転車は転倒、自転車に乗っていた女性は衝突の瞬間、転ぶという事態に発展したのである。
たまたま女性の後ろの歩道を右から左方向に歩いていた若者が倒れた女性を助け起こし、消防署と警察に電話で通報。まもなく救急車両と警察車両が現場に到着。女性は江南厚生病院に救急車で搬送されるなど現場は一時、騒然とした雰囲気に包まれたのである。当然のことながら、交通課の事故処理班の現場での私に対する事情聴取も進んだ。
私自身、現役記者時代(特にサツ回りのころ)には悲惨な交通事故現場にはよく駆け付けて取材した。何度もいたましい事故を新聞記事に書いたことがあるが、いわゆるこの事故は〝出会いがしら衝突〟による人身事故にほかならない。私自身、こんご十分注意しなければとの思いを強くしたのである。相手の女性は右足膝にヒビが入っている-とのことで、このうえは早い回復を願うほかない。頭部は大丈夫だったようで「不幸中のせめてもの救い」だった。
いずれにせよ、長い人生で私自身が事故に遭遇したのは、若いころ松本支局のサツ回り時代に妹が私を訪ねて来たので当時、購入したばかりのホンダN360で上高地まで行き、帰りに有頂天になり梓川沿いを帰る途中カーブで急ハンドルを切り、間一髪、断崖絶壁下の梓川に落ちる寸前だったあの日の事件いらいである(あの時は、急ハンドルをキリながらも奇跡的にカーブミラーに助けられ、100㍍はあった断崖絶壁下の梓川に落ちないですんだ。ひとつ間違えば私も妹も、その後の人生はなかったのである。
というわけで、この世はいつ、なんどき何が起きるか。知れたものではない。
2024年8月3日。きょうの午後、1匹の蝉が,居間に入り込んできた。昨日の大事を聞いた今は亡き妻の舞が蝉となって現れたにちがいない。「死亡事故とか、そういう大事故にならなくて。ホッとしたよ。あたしが守ってあげたのだから。これからは気をつけてよね。ことしの夏は暑いし。くれぐれも気をつけるのよ」。
蝉はそういって羽をばたつかせて私と愛猫シロ、オーロラレインボーに目をやった。
わが家に入り込んできた1羽の蝉と、これを見守るシロちゃん、オーロラレインボー
こんな思いがけない、きのうの交通事故の発生もあってか、昨夜NHKテレビで見たパリオリンピック。私が期待をかけた日本柔道は、男子100㌔超級で金メダルの期待をかけられた男子100㌔超級の斉藤立(JESグループ)ら重量級の選手が敗退。わたしたちが待ち望んだ重量級での金メダルへの夢は消え入ったのである。
話は変わるが。「脱原発社会をめざす文学者の会」のホームページ=https://dgp-bungaku.com=に私の連載文士刮目の第39回【自由と平等、真の平和とは】が公開されたので、読んで頂けたら、と願う。
3日付夕刊は中日新聞が【長崎被爆地 憤り訴え45年 毎月9日平和記念像前で座り込み やめない核なくなる日まで】【男子エペ団体銀フェンシング】【ハリス氏民主候補確定 党大会前 異例の正式指名】、日経も【ハリス氏 大統領候補に 米民主の指名確定】【ヒズボラが報復宣言「イスラエル、一線超えた」司令官殺害】【NY株連日の急落 一時989㌦安、雇用悪化懸念】というものだった。
(8月2日)
1日にあったパリ五輪バスケットボール女子のドイツ戦で石川県七尾市の赤穂ひまわり選手(25)=デンソー=が攻守で存在感を示した。「明るいニュースを被災地に届けたい」。惜しくも敗れ、1次リーグ突破へ後がなくなったが、能登に金メダルを持ち帰る気持ちは揺るがない。」とは本日付(2日付)の中日新聞の朝刊軟派トップ記事である。
同紙社会面のほかの記事【通風筒】では、能登半島地震で被災した石川県輪島市名舟町で開かれた名舟大祭も紹介され「地震で興津姫神社(白山神社)が全開するなどの影響で、今年はふもとの海岸で神事のみを執り行い、同県無形民俗文化財の御陣乗太鼓が紹介された◇太鼓は、保存会の会員6人が夜叉などの面をつけて披露。雄たけびを上げつつ、ばちを鋭く振り下ろして力強い音を響かせた。……とあり、私自身かつて七尾在職当時、はるか遠き昔に訪れた名舟神社のことが無性に思い出されたのである。そして同時にあのころの素敵な能登が早く戻ってくることようにーと、手を合わせ天に向かってお祈りしたのである。
ほかには【輪島の住民集団移転要望 地震7カ月 自力での住宅再建困難】【「ホテル郡上八幡」営業停止 郡上おどり開催の最中】【園まりさん死去 80歳、歌手「3人娘」】など。いろいろある。
(8月1日)
気象庁によれば、危険な暑さが相次いだ7月の全国の平均気温は、7月としては気象庁が統計を取り始めてから最も高くなったという。7月は太平洋高気圧が張り出したことで上層から下層まで暖かい空気に覆われ危険な暑さが続出。このため全国の平均気温は、平年と比べて2・16度高くなり、気象庁が1898年に統計を取り始めてから126年間で最も暑い7月になったという(記録を更新するのは2023年に続き、2年連続である)。
8月1日。暑い。「水の日」。北陸と東北南部が梅雨明けした。
なんだか毎日を「きょうも、また猛暑か」と思って=現実に名古屋ではきょうで8日連続の猛暑日」だそうだ=過ごしているためもあってか、8月になるのが、すごく遅く感じたのは私だけか。こんなに暑い。それなのに、シロはまるで意地でも張るように10時過ぎ、お外に出ていった。「おかあさんに、会わなきゃ。会わはないといけないのだから」と。強情なところは、おかあさんそっくりだ。それにしても暑い。
そして。個人の生活とは別にきょうも、いや、きのうもこの地上ではいろいろなことが起きているのである。あぁ~、それなのに。私たち人間は性懲りもなく生きていく、いや生かされているのである。トヨタ自動車の認証不正問題に対する国土交通省の31日の是正命令に始まり、日銀の同日の追加利上げ0・25%の決定、イスラエルによるハマスの最高指導者暗殺…と、いろいろある中で、パリで開かれているオリンピックでは日本の体操男子団体の2大会ぶり優勝に続き、初出場の20歳、岡慎之助が個人で初優勝、金メダルに輝くなどパリからの朗報も相次いでいる。
そんななか【岐阜高島屋47年で幕 2万人別れ惜しむ「百貨店ゼロ」4県目】【「しぶとく頑張るっきゃないのよ 美川さん、新しい柳ケ瀬を期待】(中日)、【甲子園100歳誕生日 産みの親三崎省三 16年越し構想 「運動で世界に通じる日本人」願い】(毎日)の見出しが、胸にグサリ、突き刺さったのである。この世の中、なんだかんだといっても捨てたものじゃないのである。