連載小説「死神の秘密〈その1〉」

 1

 目覚めた瞬間、死ねなかったのかと思った。
 遠のく意識の中で、もう目覚めることはないと覚悟していたのに。
 立ち上がり、辺りを見回してみるが誰もいない。そこには何もなく、あるはずのものがすべてない。最後に握りしめていたはずのナイフも、腹の痛みさえもなかった。
 地面は硬く床なのだとわかるが、そこは一面真っ白い空間が広がっているだけだ。視界にはもやがかかっているようで、ここが室内なのかどうか、はっきりとはわからない。
「よう。お前が、ユタだな」
 ふいに声が聞こえた。振り向くと、どこからともなく現れた男がそこに立っていた。長身で、ガタイの良い男だった。彼の着ている黒い礼服は、どことなく葬式を思わせた。
 その空間には、男と自分の二人だけがいる。
「面喰っているな。わかるよ、みんな最初はそうだ」
「あんたは? 誰?」
 尋ねると、男は答えた。
「俺は、死神。サクという。以後よろしく」
「じゃあ俺、ちゃんと死んだの?」
 その質問に、サクと名乗る死神は頷いた。
「ああ。死んだよ」
 しっかりとした回答に安堵した。死神が死んだと言うのなら、自分は本当に死んだのだろう。死神とはそういう、死者の魂を運ぶ役割のある存在のはずだ。
「よかった。本当によかった。俺、死ねたんだ。ははっ」
 乾いた笑いが漏れる。これでやっとあの悪夢のような日常から脱出することが出来たのだと思うとすごく嬉しかった。だけど、心の底からは笑えなかった。自分は今、どんな顔をしているのだろう。
「さっさと連れて行ってよ。死んだ後の世界が本当はどんな感じなのか、知りたいんだ」
 まさかこの何もない空間がそうなのかとも思ったけれど、さすがにそれではつまらないと思う。天国とか地獄とか、自分はそういう何かを期待しているのだ。それに、こうして目の前に死神が現れたのだから、これだけではないはずだ。きっとそうだ。今からどこかへ連れて行ってくれるはずだ。
「悪いが、それは無理だ。ユタ、君は今から俺と同じ死神になるのだから」
「……は? 何で? 嘘でしょ?」
 信じられない言葉に、思わず目を丸くした。
 そんな冗談はいらない。と思った。ショックだった。そもそも、サクはさっきから自分のことをユタと呼ぶが、自分の名前はユタではない。確かにそういう愛称で呼ばれていたことはあったけれど。
「嘘ではない。今から君は、死神ユタだ」
 サクがそう言いながらユタの右手をつかんできた。もう一方の手で、無理矢理何かを握らせてくる。冷たい感触が手に伝わって、小さくて細長い何かだとわかる。
「ちょっと、なんだよ?」
 訳がわからずに尋ねると、サクは唐突に言った。
「君の部屋は二〇一号室だ」
「はあ? 一体なんの話だ?」
 首を傾げる。
「ようこそ、草葉荘へ」
 サクがそう言ったその瞬間、視界を包んでいた白いもやが一気に晴れていく。
 突然のことに、再び目を丸くして驚くしかなかった。
 そこは小さな部屋だった。テーブルがあってイスがあって、新しい家具の匂いのする普通の部屋だ。広さは、よくわからない。
「おい、どういうことだよ?」
 ユタは身体を震わせながら、サクに詰め寄った。状況が飲み込めなかったのだ。すべて投げ出して、死んでようやく楽になれたと思ったのに。どうして今、自分はこんな場所にいるのだろうか。訳がわからずに、顔をしかめる。
「騙された。みたいな顔をしているが、俺は別に君を騙したわけじゃない。言っただろう。君は今から死神になると」
 サクの言葉に、思わず叫ぶ。
「それとこれとは、どう関係するんだ! こんな場所に連れて来て、これじゃまるで――」
 その続きの言葉をユタは飲み込んだ。口にしてしまえば認めてしまうことになる。これじゃまるで、生きている時と変わらない――。
「そうだ。君は今日からここで暮らすんだ。俺たちと一緒にね。人間だったときと同じように。この草葉荘で寝て、起きてご飯を食べる。違うところと言えば、死神らしく人間の命を回収することかな」
 当たり前のようにそう説明するサクを見て、ユタは愕然とした。自分はなんのためにあんなに苦しんで死んだのか。意味のないことだったのか。あれは、全部無意味だったのか。
「なんで、そんなことをするんだ」
 呟くように、かすれた声でユタはそう言った。
「君のため、だよ。他の理由は何もない。君はこれから多くのものを失って、得るんだ。これは強制だよ。君に拒否権はない」
 そう言いながらサクが肩に軽く手を置いてきたので、ユタはそれを振り払う。
「俺はやらない! こんなところに、いられるか!」
 勢い良く叫んで、ユタは部屋から飛び出そうと扉を開けた。その扉しか出口がなかったのだ。とにかくここから、この場所から逃げたかった。外に繋がっていることは容易に想像できた。しかし、そこはユタの望んでいる世界ではないということも、心のどこかでわかっていた。けれど少しは期待した。もしかしたらこれは夢で、扉を開けたらこの悪夢から解放されるかもしれないと。
「きゃっ」
 鈍い音と共に小さな悲鳴が聞こえたので、ユタは驚いて半開きの扉から向こうを覗き見る。女の子が頭部を両手で押さえていたので、先ほどの音は彼女が頭を強打したのが原因なのだとわかった。
「だ、大丈夫ですか?」
 彼女を心配する声が聞こえる。
「だから言ったのに。覗きなんて趣味が悪いって」
 さらにもう一つ低い声が聞こえてくると、扉を向こう側に持っていかれた。
「ね、お兄さん」
 全開になった扉の向こうにいた少年が、ユタの目をしっかり見据えて言う。その隣にもう一人、少女を心配する誰かがいた。
 目元、口元。少年の顔が少女とそっくりだったので、さらに驚いた。もしかして双子なのだろうか。二人とも栗色の髪の毛をしていて、身長もあまり変わらない。少年の方が少し背は高いけれど、ユタよりは低い。少女の方は髪の毛を肩まで伸ばしていた。
「お前ら、いたのか」
 後方からユタと同様に驚いた声が聞こえてきて、思わず振り返る。
「えっと。この人たちは?」
 戸惑いながら、ユタはサクに向かって尋ねる。
「そいつらは、ここで一緒に住んでいるんだ。俺はどちらかというと監督役だから、君に一番近い境遇にいるのはそいつらだな。仲良くしてやってくれ」
「近い、境遇? じゃあ、この人たちも……」
 言いながら、三人に目を移す。
 サクもそうだが、死神にはあまり見えなかった。ユタの持っている死神の暗いイメージとはかけ離れている。服装も、サク以外はみんな普段着のようだった。色もばらばらで統一感がまるでない。
「うん、そうだよー。私はミキ。こっちは双子の兄、ミナト!」
 頭を押さえた手を片方外して、ミキは自分の片われを示しながら紹介する。やはり双子らしい。ミナトは無愛想に「よろしく」とだけ言った。二人とも耳元で何かが光ったような気がしたが、ピアスでもつけているのだろうか。
「あの、僕はシノです。よろしくお願いしますね」
 丁寧なお辞儀をしながら、シノが言った。女みたいな細い身体をしているし、声も高めで中性的だった。一見、男のようにも思えたが、名前は女みたいだった。
「ちなみに、シノは女だよ?」
 心の中を読んだのかと疑うくらいのタイミングでミナトが一言つけくわえたので、ユタは思わず「えっ」と声を出してしまった。
「ほらやっぱり、男だと思われてた」
「ひどーい! 女の子を男の子と間違えるなんて!」
 双子が顔を見合わせてユタを非難してくる。
「いやいや、これは間違えても仕方がないと思う。背が高いうえに髪の毛ショートカットで、しかも一人称が僕って!」
 ユタは慌てて反論する。
 彼女は目線がユタとそう変わらず、女の子的にはベリーショートというのか、髪の毛が凄く短い。男だと言われたら信じてしまうレベルだ。
「すみません。背が高くて、髪もショートで」
 シノが申し訳なさそうな顔をするので、ユタはさらに慌てた。
「あ、いや。別に謝らなくても。というか、むしろこっちが謝るべきであって」
「すみません。髪の毛は短い方が落ち着くので」
「そういうのは人それぞれ好みなので、いいと思いますよ!」
「そうですか? ありがとうございます」
 必死でフォローを入れたら、シノがそう言って微笑んでくれた。ユタもそれにつられて笑いそうになる。
「……て、危うく雰囲気にのまれるところだった。とにかく、俺はこんなところに住むつもりも、死神をやるつもりもない!」
 我に返るとユタはそう言って、目の前にいる三人を押しのけて廊下に出る。すぐに外の景観と対面した。それが目に入った瞬間、外に出なければよかったと思った。思ってしまったのだ。
「ああ……。マジなのかよ」
 思わずため息をついた。そこには、現実の空と街並みがあった。さよならしたはずのもの。ユタの嫌いなもの。そこはまぎれもなく現世だった。
「なんで、戻ってきちゃったんだよ」
 以前は、死後の世界があってそこで生まれ変わりをするんだと信じていた。まったく新しい人生に憧れたりしていたこともあった。だけど実際はどうだ。死神になって、こうして死ぬ前の世界に戻ってきてしまっている。しかもここはどこだろう。全く見覚えのない住居が並んでいる。
「俺はこんなの、望んでいない」
 落胆するしかなかった。絶望するしかなかった。自分が置かれた状況に。
 手すりにもたれかかり、眼を瞑る。もう何も見たくなかった。何も聞きたくない。けれど耳をふさぐ気力もない。
「私たちだって、望んで死神になったわけじゃないよ」
 落ち着いた声色で、ミキがそう言った。彼女は言葉を続ける。
「でも、現実を受け入れた。そうするしかなかったから。他に方法はなかったから」
「現実ってなんだよ。今置かれている状況は、一体なんなんだよ。誰が決めたんだよ。神様か? だったら顔ぐらい見せて、一言くれよ。そうしたらまだ、納得するかもしれないだろ!」
 ユタには、これを受け入れられる気がしなかった。自分には無理だと思った。今すぐ逃げ出したい。けれど、逃げる場所など思い当たらない。
「う……。うざーい!」
 突然ミキが叫び出したので、ユタは驚いて伏せていた顔を上げた。その瞬間だった。背中をミナトに押されて、危うく二階から落ちそうになる。
「うわっ。何するんだよ? いきなり!」
「いや、なんとなく。うざくて」
「お前もかよ!」
 ユタは思わずツッコミを入れる。意見が同じなのは、双子特有のシンクロというやつなのかと邪推してしまった。
「確かに、あんたの言う通りだと思う。なんの挨拶もなしに突然言われて、はいそーですかなんて言えるわけがない。でも実際、言うしかない状況でやるしかない状況だから、俺たちはやることにした。あんたのはただの我儘だよ。置き換えると、生まれたばかりの赤ん坊が、なんで産んだんだ。こんなこと望んでないって言っているようなものだ」
 なんで置き換えたのかよくわからないが、言いたいことはなんとなく理解した。
「赤ん坊はしゃべらないよ、ミナト」
「いや、そういう意味じゃなくて」
 ミキのボケに、ミナトが困ったような顔をした。彼もいろいろ大変らしい。
「すぐには無理でも、徐々に受け入れていけばいいんじゃないですか?」
 優しい声で、シノが言った。
 懐柔されるつもりはなかったのに、ユタは泣きそうになりながら答えた。
「わかったよ。とりあえず受け入れる努力はしてみる。他に行くところもないし」
 諦めにも似た感情だった。
 ミキが「やった!」と飛び上がるほど喜んでいたので、ユタは複雑な気持ちになった。本当に、素直に現実を受け入れられる日が来るのだろうか。不安が隠しきれなかった。

 その日の夜は、ユタの歓迎パーティーを催してもらえることになった。
「歓迎してもらわなくてもいい」とユタは言ったのだが、ミキがやると言って聞かなかったので、渋々やってもらうことにした。
 サクは死神の仕事があるので、不在。唯一の大人がいなくなって、パーティーは子どもっぽい人たちだけでやりたい放題に行われることになった。
「えー、では。本日からこの草葉荘の一員になられた死神ユタさんから、一言!」
 ミキは右手で拳を作ってマイクを持っている風にしゃべり、さらにはそれをユタの前に差し出してきた。
 そんなことを言われても、何を言えばいいのかわからなくて困るのだが。
「えっと。よろしく」
「はい、では。一言いただいたところで、カンパーイ!」
 ミキのかけ声とともに、お酒ではなくオレンジジュースの入ったグラスをみんなで乾杯する。思えば、人間だった頃はこんなパーティーみたいなことをしたことはなかった。
 オレンジジュースを一口飲んで、その甘酸っぱさに少し震えた。こんな味だったのか。しっかりと味わったことはなかったと思う。
「どうしました? ユタくん」
 そんなユタの様子に気付いたのか、隣に座っていたシノが声をかけてくる。
「いや、なんか新鮮で。こういうこと、あんまりしたことなかったからさ。変だろ? 俺、まともな人生を歩んでこなかったんだ」
「じゃあ、今日はめいっぱい楽しんでくださいね。あなたのためのパーティーなんですから。今日の主役は、あなたです」
「そりゃあ、いいな」
 照れくさくて、ユタは笑った。久しぶりな気がした。
 今日はどうかしている。何もかも。死んで、生き返ったような気分だった。生まれ変わったわけじゃなく、人間としては生きてはいないけれど。すごく不思議な感覚だった。
「こらそこー。内緒話しない! 私も混ぜろー」
「はいはい。ミキちゃん、口にチョコレートが付いていますよ」
「え、嘘! どこー?」
 ミキが必死に口を拭う姿を見て、シノがくすくすと笑っていた。
 テーブルの上には、チョコレート菓子やレーズンパイなどが置かれている。これらはパーティーのために買ってきたわけではなく、元々ミキとミナトの住む一〇三号室にあったものだ。ミキが甘いもの好きで、常備してあるらしい。
「あのさ、ユタが来たことによって俺がハーレム状態を味わえなくなったことに対して、結構ショックを受けたんだけど。どう思う?」
 ミナトがユタに話しかけてくる。
「はぁ? そんなの知らないよ。それに、サクがいるから元々ハーレムじゃないだろ?」
「いや。サクってあんまりこうやって群れないから。普段から俺は女子二人に囲まれてハーレム状態なのです。ウハウハなのです」
 真面目な顔をして言われた。
「なんか腹立つな、その表情」
「よく言われる。で、どうなの?」
 もう一度尋ねられたので、ユタは少し考えてから答える。
「んー、ハーレムを阻止出来てよかった?」
「何で疑問系なの」
「わからんっ」
 真面目に答えを返したら返したで、ミナトが変なところを指摘してくる。
 しかし、とうの女子二人はこっちの話には興味ないみたいで、二人でパイを切り分けていた。シノの右手に、シルバーの星がたくさんついたブレスレットが見える。一応おしゃれに気を使っているのだろうか?
「そういえばさ、死神って具体的にはどんなことするの?」
 何も聞いていなかったから、素朴な疑問をみんなに投げかけてみる。空気が一瞬固まったような気がした。
「ユタくんは、この楽しい雰囲気をぶち壊したいんですか。お嫌いですか、そうですか」
 ミナトの棘のある言葉に、ユタはその気はないと反論する。
「いや、普通に気になっただけで水を差すつもりじゃなかったんだけど」
「でも、今する話じゃないよね。内容的に重い話になるのはわかるよね」
 言われて気付いた。とりあえず謝る。
「あ……。ご、ごめん。何も言わなかったことにする」
「うん。何も聞かなかったことにする」
 ミナトが明らかに不機嫌になっている。
 しまったな。とユタは思った。確かにミナトの言う通り、今ここでする話ではなかったのかもしれない。せっかくのパーティーをこんな空気にするつもりはまったくなかったのだけれど。
「もー。気を付けてよね、新人くん。空気が読めないとか最悪だよ?」
 急に上から目線でミキが言う。
「ほら、ミキに言われちゃお終いだよ新人くん。ミキに言われちゃ」
「ちょっとミナト? それ、どういう意味? それじゃまるで、私が空気読めないみたいな言い方じゃない」
「それ以外にないよ」
「ひっどーい! ミナトのバカ!」
 ミキが叫びながら、隣のミナトを手の平で軽く叩いた。ミナトは、それを華麗に避ける。やはりミキの扱いには、たけているらしい。
「むー。避けるなー」
 むきになってさらに手を出すミキをあしらうミナトを見て、シノが楽しそうに笑っていた。それを見てユタは思った。
 ああ、こういうのも悪くないかもしれない。
 生きていた頃には味わえなかった。楽しいなんてこれっぽっちも感じたことはなかった。いや、そんな瞬間もあったのかもしれないけれど、実感がなかったんだ。
 そう思ったら、なんだか少し気が楽になった。

 翌日、早朝のことだった。部屋のチャイムが鳴ったので、ユタは目を覚ました。
サクの言う通り、食欲も睡眠欲もちゃんとあるらしい。それにしても、昨夜は久しぶりによく眠れたような気がした。新しい環境下におかれて、疲れていたのだろう。
「こんな時間に、誰だよ」
 時計を見ると、針は午前四時を指していた。
 おっかなびっくりドア穴を覗くと、そこに立っていたのはシノだった。
 ユタは鍵を開けて、扉をゆっくりと開く。
「何? 今何時だと思って――」
 文句の一つでも言ってやろうと思って口を開くと、あることに気付いた。
よく見るとシノは、黒いパーカーを着て背中から黒い羽根を生やしていた。雰囲気が昨日とまるで違う。ユタはすぐに口を噤んだ。
「先ほど、サクさんからあなたと組むように言われました。ユタくん、初お仕事です。一緒に行きましょう」
 シノの言葉に、ユタは目を丸くして唾をごくりと飲む。
 仕事。恐らく死神の。いや、それしか考えられなかった。
「で、でも。俺、何もわからないのに。急にそんなことを言われても」
 戸惑い、冷や汗をかく。こんなに早く初仕事をやらされるとは思いもしなかった。
「大丈夫ですよ。僕がフォローします。えっと、そうですね。まずは死神の姿になることから始めましょうか」
「え? えっと、その背中の黒い羽根とかどうやって生やせばいいの?」
 シノの言葉の意味がわからず、ユタは困ったように髪を掻きあげる。
「簡単です。これを、外せばいいんですよ」
 そう言ってシノが指示したのは、いつの間に首に付けたのか、まったく身に覚えのない星の形をしたネックレスだった。
「あれ、俺いつの間にこんなの付けていたんだ。これ、外していいのか?」
 尋ねると、シノは頷いた。
「はい。そのネックレスはユタくんの力を抑制しているものです。だから人間と同じにお腹も減りますし、眠たくもなります。それを外したら、死神としての力が解放されるんですよ。それで、普通の人間に姿が見えなくなります。身体にも触れられなくなります。幽霊と同じですね。普通の人には知覚できません。普通じゃない人には、見えますが」
「なるほど。そういう仕組みになっているのか」
 納得すると、シノがもう一度頷く。
「はい。ちなみにユタくんの場合はネックレスが抑制装置ですが、僕はブレスレット。ミキちゃんとミナトくんはピアスになっています。サクさんは、腕時計ですかね」
 言われて、シノが右手にシルバーのブレスレットを付けていたのを思い出した。そういえば髪の毛で上手いこと隠れていたが、ミキとミナトの耳にもちらっと光るものが見えたような気がする。サクの腕時計には、気付かなかった。
 ユタは恐るおそる自分の首元に右手をやる。ネックレスなど付けたこともないので、外すのが面倒だと思った。
「これ、どうやって外せばいいんだ?」
 シノに尋ねてみる。
「えっと、多分簡単に外せるようになっていると思いますが」
「んー。あ、外れ、た」
 適当に触っていたら外れたみたいなので報告しようと思ったら、身体が急に熱くなって目の前が真っ暗になった。何が起こったのかまるでわからなかった。
数分かからないうちに視界が戻った時には、全身に違和感を覚えた。
「なんだこれ?」
 思わず呟く。
 見ると、シノと同じ黒いパーカーを着ていた。中に来ているシャツは白と黒のストライプで、ズボンも黒。背中を見るとしっかりと羽根が生えていた。
「似合っていますよ。最初は慣れないかもしれませんが、徐々に慣れてくるので安心してください」
「慣れるって言うか、この格好はちょっと。……というかシノもなんでこの格好で平気なんだ。しかも、同じだなんて」
 恥ずかしいと感じた。服装がダサいとかそんなことは二の次だ。ともかく、ペアルックみたいになっているのが恥ずかしい。
「僕は嬉しいですよ」
 シノが微笑みながら言う。ユタはあまり嬉しくなかった。
「それに、大丈夫ですよ。ミキちゃんもミナトくんも、みんな同じ格好ですから」
「尚更、いやだ!」
 ユタは思わず叫んだ。そうせずにはいられなかった。
「しー。あまり大きな声を出すと、ミキちゃんたちに聞かれてしまいますよ」
 シノが口元に人差し指を当てながら言った。
 別に聞かれてもいいやと思った。もう、好きにしてくれと諦めるしかなかった。
「シノは、死神とかいやじゃないの?」
 確かめるように、ユタはシノに尋ねた。
「もちろん、いやですよ。でも、これは報いだと思っています。自ら命を絶ってしまった者への、罰。ですかね」
 シノははっきりと、そう口にした。
 一番近い境遇にいる。というサクの言葉を思い出していた。そう、ユタもシノもミキもミナトも、自分で命を捨てた。だから同じ、なのだ。
「自分で自分を殺した、その罰を今受けているんです。人間は罪深いです。自分で自分を殺すことと、他人を殺すことは同等です。私は死神になって、そのことに気付いたんです。皮肉なことですが」
 そう言って、シノは自嘲するかのように笑った。
 そこは笑うところじゃないと、ユタは感じた。けれど言わなかった。言えなかった。
「ユタくんはどうして、自殺したんですか?」
 直球な質問だった。けれど、今話すべきなのだろうか。
「言えませんよね。いいです、僕も言いませんので」
 どうやら答えは期待していなかったみたいだ。シノはそう言うと身体を伸ばして、手すりに足をかけた。
「お、おい? 何をするんだ?」
 動揺して、思わず尋ねる。
「そろそろ行きましょう。あまり時間がないんです。隣の街まで飛んでいかなくてはならないんですから」
「へ? 飛ぶ?」
「はい。飛びますよ!」
 言って、シノはそのまま背中の羽根を広げて、文字通り飛んだ、空を。その姿があまりにも綺麗で、ユタは見とれてしまった。
「何をしているんですか? ユタくんも、飛んでください」
「あ、ああ。うん」
 急かされたので頷くと、ユタはシノのまねをして手すりに足をかけて蹴った。が、バランスが取れずに落ちそうになる。
「うわああ!」
 恐怖で叫び声を上げる。
「ユタくんっ」
 シノが機敏に動いてとっさに腕をつかんでくれなかったら、多分そのまま地面に落下していただろう。ユタは安堵した。本当によかった。
「大丈夫ですか? 落ち着いてください。意識を羽根に持っていって、自分は飛べると思い込むんです。ほら」
 言われた通り、ユタは意識を羽根に集中した。シノの手が、ゆっくりと離れていくのを感じたが、集中が途切れないように留意した。
「大丈夫でしょう?」
 確かに、今度は落ちなかった。ユタは今、空中で浮遊している。
「すごい。シノ、ありがとう」
 そう言うと、シノが微笑んだ。その笑顔は変に安心感を生んだ。
 飛んでいるとすぐ近くに空があるみたいで、とても不思議でとても綺麗だと思った。

「お迎えに上がりました」
 隣の街には、大きな総合病院があった。そこの一室に年老いたお婆さんが一人、ベッドに横たわっていた。そこには、お婆さん以外に誰もいなかった。
「やっと来たかい。まったく、年寄りを待たせるんじゃないよ」
「すみません。ですが、こちらとしては時間通りですよ」
「そうかい」
 お婆さんはそう言って、微笑んだ。ただでさえしわしわの顔が、さらにしわくちゃになって、なんだか複雑な気分になった。
「何か、やり残したことはありませんか?」
 シノがお婆さんに向かって尋ねる。
「そうだねぇ。何もないねぇ。今は早く、お爺さんのところへ行くことかな」
「そうですか」
「ああ。辛いことも苦しいこともあったが、楽しいこともたくさんあった。何より、お爺さんに出会えたことが一番嬉しかった。結婚して、娘が生まれて息子が生まれて、二人の孫も見ることが出来た。こんなに幸せなことはないよ」
 そう言ったお婆さんの目尻には、涙が溜まっていた。
「よかったですね」
 シノは微笑んでそう言ったが、あまり嬉しそうな表情ではなかった。心情として複雑なのだろう。ユタも同じだった。
 お婆さんの人生と自分のたった十七年の人生とでは比べようもない。辛いことも苦しいことも全部乗り越えてきたこのお婆さんにもし、つい先日死んで死神になったと教えたら怒られてしまうだろうか。
「お前さんたちは、まだ若いねぇ。もっと年寄りが迎えに来るものだと思っておったが。こりゃ驚いた」
「不服ですか?」
「いいや。嬉しい。まるで孫たちを見ているようだ。お爺さんが死んで、一人寂しかった時に私を支えてくれたのは孫の存在だよ。孫が言うんだよ。お祖母ちゃん、お祖母ちゃんって。私を頼ってくれてね。今はもうすっかり大きくなって、立場はまるで逆転してしまったがねぇ」
 シノの質問に、お婆さんは笑顔でそう答えた。
「お孫さんたちも幸せですね。そんな風に想ってもらえるなんて」
「そうだといいけどねえ。いい人生だったって、思える最期を送ってほしいよ。私みたいに」
 楽しそうにお婆さんは笑っていた。
 ユタはどうしても笑顔が作れなかった。シノみたいに、お婆さんみたいに、微笑んではいられなかった。お婆さんの言葉の一つ一つが深く胸に突き刺さって痛かった。声すら出なかった。
「ちょいとお前さん。そんな顔しなさんな。逝き辛くなるだろう」
 ユタの方を見て、お婆さんが困ったように言った。
「す、すみません」
 思わず謝る。そんなことを言わせるつもりはなかったのだが、それでも笑顔は作れなかった。
「そろそろ、お時間です」
 冷たい声で、シノがそう言った。
「そうかい。最期に楽しい時間を過ごせてよかった。こんな早朝じゃ、誰もこないから。一人寂しく逝くのかと思っていたよ。ありがとう」
「いえいえ。それが仕事ですから」
 シノの言葉に、お婆さんは再び笑った。
 いよいよ死ぬという時に、どうしてこうも笑顔でいられるのだろうか。ユタには理解できなかった。お婆さんは静かに、眠るように息をひきとった。
 シノは、どこからか柄の長い大きな黒い鎌を取り出して、お婆さんを切った。
「ちょっ」
 それを見た瞬間、ユタは思わず声を出してしまった。
「大丈夫ですよ。魂と体を切り離しただけですから」
「あ、そうなんだ」
 見ると、切った場所から白い塊のようなものが浮き出てきた。これが、魂というやつか。思っていたのと微妙に違うような気がする。
「僕たちの仕事は、こうして体と魂を引き離すことだけです。思い残すことがなければ、彼女はこのまま天に上っていくでしょう。思い残すことがある方は、そのまま幽霊になってしまいますけれど。その場合、少し哀しいんですけどね」
 シノはそう説明すると、鎌を消滅させた。
「なんか、この人すごいな。いい人生だったって思えたんだ。辛いこともたくさんあったはずなのに。そう思えるんだ」
「長生きしましたしね。偉いですよ」
 もし、自分が生きていたら何を思ったのだろうか。今になってはわからなかった。でも、少なくとも今感じている気持ちは、生まれなかったのだろう。
「俺も、こんな風に思えたらよかった。こんな風に歳をとって、いい人生だったって、思えたらよかったのに。なんで。なんで死んだりしたんだ」
 初めて。初めて、後悔した。どうしたら、死なずに済んだのだろう。どうしたら、死神にならずに済んだのだろう。胸が痛い。もう心臓の鼓動など感じないこの身体が、ひどく憎らしい。
「ユタくん」
「俺は、バカだったんだ」
 やっとわかった。こんなことになるまでわからなかった。本当は、お婆さんみたいに笑って死にたかったのだ。
「ユタくん!」
 ふいに、ユタの身体はシノの腕の中におさめられた。身長はさほど変わらないが、やはり女なのか、彼女の身体はひどく華奢だった。
「泣かないでください」
 シノに言われて、ユタは自分が泣いていることに初めて気づいた。
 あれだけ我慢していた涙が、どうして今になって溢れ出したのか。理由はわかる。もう、我慢する必要がないと悟ったからだ。
「僕まで、泣いてしまいます」
「ごめん。ごめん……」
 謝るが、それでも涙は止まらなかった。
 ユタとシノはそれからしばらく、その場から動けなかった。

 懐かしい夢を見た。
 川で父親と一緒に、ザリガニを獲っている夢だ。父親の夢なんて、ここ何年も見たことがなかったのに、珍しいこともあるものだ。
 夢の中で父親は、とても大きな存在に思えた。小学四年生の時に死んだので、当たり前だ。その頃の父親しか知らないのだから。
「豊。豊、楽しいか」
 夢の中の父親が言う。豊とは、ユタの名前だ。
「うん。楽しい!」
「おー、そうか。それはよかった」
 顔を泥まみれにしながら、夢の中の父親は言った。
 ユタは目が覚めた瞬間、虚無感でいっぱいになった。もう二度と戻れない遠い日の記憶だった。永遠に取り戻すことのできない時間だった。
 ゆっくりと起き上る。次の仕事は夕方頃なのでそれまでは自由にしていてくださいと言われたが、特にすることはない。とりあえず朝が早かったのでもう一度寝てみたら、先ほどの夢を見てしまったのだ。
 時計を見ると、まだお昼を少し過ぎたぐらいだった。空腹を感じたので部屋の冷蔵庫を開けてみるが、ものの見事に何もない。
「えー。何これ、どうしよう」
 ユタは顎に手を当てて考えてみる。
一、買い物に行く。しかし、お金を持っていない。
二、誰かの部屋に行って食料を分けてもらう。その場合誰の部屋に行くかが重要。
三、このまま夜まで何も食べない。空腹で倒れる。
 そこまで考えて、ユタは答えを出した。
「四人の中で一番まともそうなやつのところに行こう」
 ということで、まずは一階に降りてサクの部屋のチャイムを押してみる。ここは年長者の出番だと思ったのだ。しかし、一向に出てくる気配がない。
「いないのかよ」
 思わず扉を蹴りそうになった。仕方なく、次の部屋に行く。
「はい。どうしました?」
 扉を開けて出てきたのはシノだった。なんとなく料理の出来なさそうな双子は、論外だと判断してのことだった。なのに……。
「あ、いらっしゃい。ユタも来たの?」
 隙間からひょっこり顔を出したのは、ミキだった。
「なんで、お前がいるんだよ」
「ん、ミナトもいるよ? 入って」
 ミキがユタの腕をぐいっと引っ張って、部屋の中へと引きずりこむ。敷居に足を引っ掛けそうになった。
「賑やかになりましたね」
 シノが微笑みながらそう言った。
「なんだ、ユタも来たの。ちっ」
「おい、ミナト。舌打ちするな」
「ごめん、聞こえたんだ。一人分増えたのがいやで、ついね」
「一人分? 増えた?」
 ミナトの言葉に、ユタは首を傾げて尋ねた。
 リビングのテーブルを見ると、大きめのお皿が三つ並べてあった。キッチンからはいい匂いが漂ってきている。この匂いは恐らく――。
「大丈夫、多分足りるよ」
 ミナトが言う。
シノがオレンジのエプロン、ミナトが青いエプロンを着けていた。しかし、ミキは一人だけエプロンを着けていなかった。どうやら、シノとミナトの二人で料理を作っていたらしい。
「カレーだよー」
 ミキの言葉に、ユタは頷いた。
「うん。匂いでわかった」
 なんで扉の前で気付かなかったのだろうと思うくらい、カレーの匂いがする。
「さ、ユタ。座って。みんなで食べるカレー美味しいよ」
「あ、ああ」
 ユタは勧められるままに、椅子に座った。
「そういえば、ユタくん。昨日のパーティーの後から何も食べていないんじゃないですか? 冷蔵庫には何も入っていなかったみたいですし。大丈夫ですか?」
「ああ、そうか。どうりでお腹が空くと思った」
 昨日はお菓子で腹が膨れていて、必要なかったのだ。パイもあったし、あれが夜ご飯のようなものだった。
「不健康だなぁ。朝食も食べてないの?」
「だから、冷蔵庫になんにもないんだってば」
「買い物に行けば? 一緒に行ってあげようか。まだわかんないもんね。ここから歩いて五分ぐらいの場所に、スーパーあるんだよ」
「道だけ教えてくれたら、自分で行く」
「やだなぁもう、一緒に行きたいんだよ。言わせんなよー」
 わざとらしく照れながら、ミキが言った。背中を軽く叩かれた。
「というか、お金がないんだけど」
「あー!」
 ユタの言葉に、突然何かを思い出したようにシノが声を上げた。
「すみません、渡すのを忘れていました!」
 シノが慌てて、ポケットから小さな封筒を出した。それをユタに手渡してくる。
「どうぞ、食費代などに使ってください。サクさんから預かっていたのを、すっかり失念してしまいました」
「よかった、助かるよ。どうしようかと思ってた」
「いえいえ、すみません」
 シノが申し訳なさそうにもう一度謝ってきた。
 その間、隣でミキが白いメモ用紙みたいなものに何かを書いているのが気になった。書き上がったのか、ミキは突然顔を上げてその紙をユタに見せた。
「はい、これスーパーまでの地図ね」
 それは、漫然と書いたような地図だった。線も歪んでいて、スーパーまでの道のりで、目印になる様なものが何も書かれていない。まったく、わかりにくい地図だ。
「こんなので、わかるわけがないだろ」
「そこは頑張って、気合で行くんだよ!」
「無理だからっ」
 気合でどうなるものでもない。ユタは思わず反論した。
「むー。だから、一緒に行ってあげるって言ってるのに」
「いいよ、それは。一人で行きたいんだよ」
 ユタには、早くこの土地に慣れたいという気持ちもあった。だから一人で行きたかった。これぐらいは一人で、やらないといけないと思っていた。草葉荘に来てからどうも彼女らに世話になりっぱなしで申し訳ない。
「ちょっと貸して」
 ふいにミナトがそう言って、地図に何かを書き足した。曲がるところの目印になる病院を示したマークだった。
「ここを曲がれば、一直線だから。一人でもいけるでしょ」
「ミナト……」
「何? 別にユタのためじゃないから。ただ、ミキと一緒に歩かれると俺がいやなだけだから」
 そう言って、ミナトはまたキッチンの方に戻っていった。理由が嫉妬以外の何ものでもないけれど、気にしないことにする。
「ありがと」
 絶対に聴こえないだろうけれど、ユタはこっそりそう言った。とにかくこれで、一人で買い物に行けそうだ。
 カレーが出来上がると、四人で座ってそれを食べた。付け合わせにサラダも。ミキに合わせたのか甘口だったけれど、まぁまぁ美味しかった。

 地図を見ながら道を歩くと、途中に橋があった。ああ、この線は橋を現していたのかなどと思いながら、ユタはそこを通過しようとした。
 材料を買って帰るまではそんなに時間はかからないだろう、夕方の仕事の時間までには余裕で間に合う。そんなことを考えながら歩いていた。
 橋はそんなに大きなものではなかったし、そこに人が立っているのはすぐにわかった。
 髪の長い女の子だった。背はミキより低いだろうか。どこかの学校の制服を着ていて、裸足だった。
 こんな時間に学校にもいかずにこんなところで何をやっているのかと思った。だから彼女を通り過ぎようとして、その横顔を見てしまった途端、まさかと思った。それで思わず、ユタは彼女の腕をつかんでしまったのだ。
「は?」
 突然のことに彼女も驚いたらしく、小さくそんな声を出して、ユタの方に背中から倒れた。目線が合う。彼女は目を丸くしていた。
「何? あなた」
 彼女が問う。
 当然だ。突然見知らぬ男に腕をつかまれて、おまけに抱きとめられたのだから不審に思わないわけがない。
「あ、いや……。その」
 ユタは言葉に詰まってしまった。彼女の瞳が真っ直ぐにこっちを捉えている。
「川に、飛び込むのはよくないと思って」
 ユタは正直にそう言った。他に言い方は見つからなかったのだ。
「いや、だって濡れるし、風邪引くし、その……。死ぬかもしれないだろ」
 最後の一言を、重いと感じながら口にする。
 少女は「ああ」と言ってユタから視線を逸らした。
「死ぬ気だったんだけど」
 その言葉に、ユタはやっぱりと思った。彼女は川に飛び込んで、死ぬつもりだったのだ。
「離して。痛い」
 言われて、彼女の細い腕をまだつかんだままだったことに気付いて、急いで離した。
「ご、ごめん」
「別に。たいしたことない」
 少女はそう言いながら、つかまれた腕を押さえていた。
「なあ、何かあったのか?」
 気になって聞いてみた。答えてくれるとは思っていなかったけれど。
「もし何かがあったとしても、見ず知らずの人には言わない」
「なら、なんでこんなところにいるんだ。それぐらい教えてくれてもいいだろ?」
「あなたも教えてくれるなら、その質問には答えてもいい」
 少女が言うので、ユタは教えてやる。
「俺は、これから買い物をするために近くのスーパーに行くんだ」
「あたしは学校をさぼって、死ぬために来た。見ればわかると思うけど。買い物に行くなら、さっさと行けば? あたしに構ってないでさ」
 顔色一つ変えずに、無表情のまま彼女は言った。それから傍に置いてあった鞄と靴を持ち、どこかへ行こうと裸足のまま歩き始める。
「待って。どこへ行くの?」
「あなたには関係ない。放っておいて」
 そんなことを言われても。とユタは思った。初対面だし、関係がないと言われればそれまでだ。けれど、たった今死のうとしていた人間を放っておけるほど、ユタは冷酷な人間ではない。
「待って。待てと言ってるだろう!」
 大きめの声を出しながら、ユタは少女を追いかけて今度は肩をつかんだ。彼女は歩みを止め、こちらに振り向いた。
「優しくしないで。どうせ最後には裏切るくせに」
 少女の言葉に、息が詰まるような感覚に陥った。それはユタにも身に覚えのある言葉だった。剣呑な目で、少女はユタをみつめていた。
「俺は、裏切らないよ。俺は、絶対に裏切らない。だから、死ぬなよ」
「嘘つき」
 少女は呟くようにそう言って、ユタの手を振り払った。
「もう二度と、あたしの前に現れないで」
 そう言い残して、どこかへと去っていった。ユタはもう追いかけなかった。

「熱でもあるんじゃないかなー」
 買い物から帰ると、いつの間にか部屋に上がり込んでいたミキにそう言われた。よっぽどぼーっとしていたのか、来たことに気付かなかった。
 ユタは、先ほどの少女のことが頭から離れなかった。あれからどうしたのだろうとか、どっかで死んでいるんじゃないのかといろいろ不安になっていた。
「きっとある、きっとあるよ。これは」
 そう言って、ミキがユタの額に手を当ててくる。
「おい。熱なんかないって」
「何よー。人がせっかく無事に買い物できたかなーって見に来てやったのに。ぼーっとしてるのが悪いんでしょー?」
「余計なことをするな。いいから離せ」
 無理矢理手を離させると、ミキが拗ねたような顔をした。
 手で熱を計られるのは、なんだか恥ずかしい。
「んで、何かあったの? お姉さんに話してみ?」
「何がお姉さんだ。年下だろ?」
「ううん。同い年だよ。サクから聞いた」
「は? 嘘だろ?」
 驚いて、声を上げる。まさか同い年だとは思わなかった。見た目もそうだが、発言を思うと自分より年下なのかと思っていた。
「嘘じゃないよ。十七歳のときに死んだもん!」
「そ、それから何年経ってるんだ?」
「ん? 三年」
「さっ。三歳も年上かよっ」
 ユタは思わず突っ込みを入れた。
 死んだ年齢は同じなのに、それから三年も経っているのだから、実際には三歳年上ということになる。軽くショックだ。
「ち、ちなみにシノはいくつで死んだんだ?」
「んー。確か、十八で死んだって言ってたよ? でも死神になったのは私たちの一年後かな」
「ということは、生きてたら二十歳か。ちょっと待て、三人とも同じ年かよ。ちなみにサクは?」
「サクはしらなーい。なんか、だいぶ昔の人みたいだよ? 戦争がどうのって言ってた」
「そりゃ、偉く昔だな」
 驚くことばかりで、気が紛れた。少女のことは気になるが、二度と現れないでと言われた手前、どうすることも出来ない。ユタは半ば諦めていた。
「ねえ、ユタ。恋ってしたことあった?」
 ミキの唐突な質問に、ユタは戸惑った。
「え? なんだよ急に」
「うふふ、なんとなく。私はあったよ。すごく情熱的な恋だった。今もそう。ずっと恋してる。多分、このまま永遠にし続けるんだと思う」
 言葉の意味はわからなかった。ただ、その顔がなんだか哀しそうに見えた。
「ユタって、そういうのなさそうだよね」
「まあ、否定はしないよ。好きな人なんて生まれてこの方出来たことがない」
 まったく縁がなかったのだ。女の子とこうして話をすることもなかったし、人見知りだったはずなのにいつの間にかミキたちとは普通に話していることに気付く。橋の上で会った少女にも、何故だか普通に話しかけることができた。
「ならわかんないよね。気付くのも遅いかも。可哀想、楽しいのに」
「楽しそうに見えないんだけど?」
 正直に言ってみる。ミキの表情に、少しも楽しさなど感じなかった。
「うん。楽しいのと同じくらい、辛くて苦しいから」
 ユタには理解できないことだった。楽しいのに辛いって一体どういう状態なのだろう。一度体験してみたいものだ。
「ああ、でも。死んでるのに恋するのはちょっとな。辛いかもしれない」
「うん。しんどいよね」
 ミキがそう言って笑った。
 しばらくして、シノが部屋に来て時間ですよと言った。立ち上がるとミキが小さな声で「頑張ってね」と言ったのが聞こえた。何をだろう。と思った。

 太陽は落ちかけていた。これから夜にかけて気温も下がるだろう。
 ユタとシノは、二人で赤く染まる空を飛んでいた。青い空より神秘的でこれも絶景だった。しばらくするとシノがある一軒家を目指して下降し始める。ユタもその後を付いていった。壁をすり抜けて家の中に入ると、一人の少年がベッドで眠っていた。
「お迎えに上がりました」
 今朝と同じ台詞をシノが言った。けれど少年は目を覚まさない。息はしているようだったけれど。
「シノ。彼はなんで死ぬんだ?」
 素朴な疑問だった。ユタの質問は間違ってなどいなかった。普通に健康体に見えるのだ。
「これからわかります」
 シノが神妙な顔つきでそう言った時だった。誰かが部屋に入ってきた。その瞬間ユタは悟った。これから起こること、その恐ろしいことを。
「い、いやだ。なんで」
 見たくないと思った。この光景は、ものすごく見たくないと思った。ユタは逃げようと後ずさる。けれど、シノがそれを許してはくれなかった。
「ダメです。しっかり見届けるんです」
 シノがユタの腕をつかむ。すごく強い力だった。けれどその手は震えていた。シノも本当は見たくないのだと思った。ならばこんなの見なければいいのに。
「あああああああああああ」
 誰かが叫ぶ。包丁を少年に向かって突き刺した。切り裂かれた掛け布団の綿毛が飛び散る。彼女は多分、少年の母親だ。何があったのかはまるでわからなかった。何度も、何度も、何度も包丁は振るわれた。
ユタは目を背けたい気持ちでいっぱいだった。それは今朝とは対照的な光景で、幸せな死とは正反対だった。
布団が赤く染まっていく。少年は悲痛の叫びを上げる暇もなく、逝く。
「あ、ああああ」
 包丁が床に落ちる。我に返ったわけでは、なさそうだった。彼女はそのまま声を上げて部屋を飛び出していった。
「すみません。こんなものを見せてしまって」
 静かな声で、シノが言った。
「ですが、仕方のないことです。こういうのを見るのは、早い方がいいと思いまして。ミキちゃんたちと変わってもらったんです。慣れなくてはいけないことですから」
 そう言って、シノは申し訳なさそうに笑う。
 手の震えはまだ伝わっていた。慣れなくてはいけない? シノだってまだ慣れていないじゃないか。とユタは思ったけれど口にはしなかった。
「シノたちはいつも、こんなものを見ているんだな」
「はい。見ています。どうですか? この死は」
 シノが頷き、尋ねてくる。感想など求めないでほしかった。
「ひどく、不快になる。それに、怖い。理由がわからないから余計に」
 死体から目を背けながら、ユタはそう言った。
「ユタくん、彼を送ってみますか?」
 その言葉に、ユタは頷いた。
 シノの言う通り、死神の仕事に早く慣れないといけない。一度やってみるのがいいだろう。
「では、落ち着いて。手に鎌を持つイメージをしてください」
 言われた通りに今朝見たシノの鎌と同じようなものをイメージすると、それは一瞬で現れた。黒く、柄の長い大きな鎌だった。
「切り離すときは一瞬です。ざっくりいっちゃってください」
 ざっくり。ユタは思いきり鎌を振り上げる。もう死んでいるその人間を相手にしているのに、それを振り下ろすのはためらわれた。
「大丈夫ですよ。このままにしておくと、怨霊になってしまいますから。彼のためだと思ってやっちゃってください」
 そんなことを言われては、振り下ろすしかなかった。自分のせいで怨霊になって、もし怪奇現象など起こったらそれはそれで怖い。ユタは覚悟を決めて、鎌で少年を切った。

 あれから、数日が過ぎた。
 草葉荘は相変わらずミキのせいで騒がしい。死神の仕事は何回かシノと一緒にやったお陰で、だいぶ慣れてきたような気がする。
 人間だった頃とは正反対の生活。常に死と向き合うことこそが、自殺した者への罰なのだろうかと、最近は考える。シノの影響だろうか。だからこそ橋で出会った少女のことを、ユタはまだ気にかけていた。
 死神の姿になって空から学校らしきものを探してみる。彼女が着ていた制服だけが手掛かりだった。記憶はもう曖昧だが、紺色のブレザーに首元の細くて赤いリボン。スカートも紺色のチェックだったと思う。
 蒼井戸高校というのが、その建物の名前だった。先ほど一階の窓がない廊下を例の制服を着た生徒たちが歩いていくのが見えたので、間違いないだろう。
 ユタは急いでそこに降り、早速彼女を探し始めた。今は休憩時間中なのか、廊下を歩いている生徒が目立つ。
 彼女に会ってどうするのかは何も考えていなかった。ただ、もう一度会って話がしたいと思っていた。彼女がどうして死のうとしていたのか、その理由がどうしても知りたかったのだ。そしてできることなら救ってあげたいなどと、厚かましいことを考えていた。
 廊下、教室、体育館、保健室。さすがに女子トイレには入らなかったけれど、彼女を探した。だがどこにも見当たらなかった。まさか、またどこかで学校をさぼっているのではないかとも思ったが、そうなっては探しようがない。チャイムが鳴って休憩時間が終わったのがわかると、まだ探していない場所があることに気付いた。
 歩いて移動するのが面倒で、ユタは空からそこに降り立つことにした。屋上に立ち入り禁止の可能性もなくはなかったが、大抵の生徒は鍵を壊したりとかしてルールを破ることをユタは知っている。だからそこに彼女がいない保証などどこにもない。
屋上には、一応高いフェンスが張ってあるようだった。
「見つけた」
 一言、そう呟いた。
 外と中を繋ぐ扉の前で、うずくまるようにして少女はそこに座っていたのだ。裸足が好きなのか、前と同じように靴と靴下は脱いでいた。
 死神のまま、ユタは少女の目の前に立っている。見つけたはいいが、元の姿に戻って声をかけても、ただの不法侵入の不審者だ。もしかしたら逃げられるかもしれない。
普通の人間に、死神の姿は見えないとシノは言っていた。だから気付かれないと思っていた。なのに少女は、ふいに顔を上げた。
「誰?」
 そう尋ねられて、ユタは驚いた。
「あ、あなた。この間の」
 信じられないことが起こった。彼女の目とユタの目が合う。それはあり得ないことだ。しかも、彼女はユタのことを覚えていたらしい。
「え。なんで、見えるの?」
「は? 何を言って……」
 少女は首を傾げる。目線が、ユタの背中に移ったのがわかった。彼女は驚いたのか立ち上がって、すぐ後ろの扉に身体を打ち付け、「いっ」と声にならない声を上げていた。
「な、なんなのよ、あなた。背中のそれ、何? なんのコスプレよ?」
 どうやらユタの格好を見て誤解しているようだ。急いで否定する。
「こ、これは別に。コスプレとかじゃないよ」
「じゃあ何。そもそもあたし、もう二度と現れないでって言ったはず。なのになんで?」
「なんでって。君が心配だったからに決まってるじゃないか」
「心配される覚えはないんだけど。関係ないって言ったでしょ」
「そりゃ確かに関係ないかもしれないけど、俺は死のうとしてたやつを放っておけるほど、精神面強くないんだよ」
「バカみたい。偽善者。なんにも知らないくせに、勝手なこと言わないで。あたしを助けて、自分が満足したいだけでしょ?」
 少女にそう言われて、ユタは図星だったことに気付いた。そうだ。結局は自分のためだ。自分がこの少女を助けて、優越感に浸りたいだけだ。でもそれが――。
「悪いか? 君だって、自分が傷付きたくなくて逃げているだけだろう」
「な。そんなこと――」
 ユタの言葉が気に障ったのか、彼女の眉根が動く。
「君がなんで死にたいのか、俺は知らない。だけど、君が俺を拒絶するのは、君が他人を怖がっているからだってことはわかる。俺もそうだったから」
「あなた。会って二回目の人間の、何がわかるって言うの。それで理解しているつもりなら、とんだ自惚れ」
「なら、理解させろよ」
 ユタはそう言ってから、勢い良く少女の後ろの壁に右手を置く。彼女はその手の方に目をやった。その手の指先が、壁の向こうに透けていた。
「どうなってるの? あなた、人間じゃないの……?」
 目を丸くしながら、少女はユタの方に向き直った。
 静かに頷く。もうこの際、なんでもいい。正体をばらしてでも、彼女の興味をこちらに向かせる。
「ああ。人間じゃない。俺は、死神だ」
 そして真面目な表情で、ユタは彼女に向かってそう言い放った。
 秋風が、彼女の髪の毛だけを揺らしていた。尚も驚いた表情で、じっとユタを見つめている。今、彼女の頭の中では脳内会議が行われているだろう。自殺志願者の目の前に死神が現れたなんて、喜び勇んで今すぐにでも屋上から飛び降りるだろうか。それだけは避けたい。ああ、なんで言ってしまったんだ。今さら後悔しても遅い。
「本当に死神なら、あたしを迎えに来たの?」
 しばらくの沈黙の後、確かめるように少女が尋ねてきた。
「本当に死神だけど、俺は君を迎えに来たんじゃなくて、君を助けに来たんだよ。信じてくれないかもしれないけど」
「あたしは死なないの? あたしを殺してくれないの?」
「殺すって、人聞き悪いな」
 少女の言葉に、ユタは苦い顔をする。
「そんなの、死神じゃない。あたしを助けに来た? 死神が? そんなバカな話がある?」
「確かに君の言う通りバカかもしれないけど、俺は自分のことバカだなんてこれっぽっちも思っていない。俺はただ、君を助けたいだけなんだから」
「ふざけないで」
「ふざけてなんかいない」
「あなた本当は天使なんじゃないの? 死神なら死神らしく、あたしの命を奪いに来るべき」
「お説ごもっとも。でも俺は天使なんかじゃない。俺は死神だけど、死神である前に人間だから。もう死んでるけど」
「意味がわからない」
 あっさり切り捨てられた。確かに自分でも何を言っているのかよくわからない。けれど、一人の人間として彼女を助けたいと思っている。それを言いたかったのだ。
「もう、勝手にすれば? あたしも勝手にするから」
 少女が、ユタから目を逸らしながら言う。
「それって……」
「言っておくけれど、勘違いしないで。あたしは救われたいなんて思っていない」
 そう言うと、少女は靴下と靴をはき直す。それからユタを見上げて、こう言った。
「あのさ、扉開けてくれない?」
「どういうこと?」
 ユタが首を傾げると、少女はすごく言い辛そうだった。
「……閉じ込められているの。正直、あなたが現れて助かったと思ったけど。だから、今回だけは仕方ないと思って」
 なるほど、だから扉の前で座り込んでいたのか。とユタは納得した。
 壁をすり抜けて見てみると、鍵は壊れていたが鎖で扉が開かないように固定されていた。ユタは元の姿に戻り、手こずったが鎖を解いてやった。ゆっくりと扉を開ける。
「ところで、なんで閉じ込められてたの?」
「あたしの不注意。ただそれだけ」
「本当に?」
「本当。余計な詮索はしないで」
 それ以上追及しようものなら、と睨まれてユタはそれ以上何も言えなくなった。ただの不注意で屋上に閉じ込められることってあるのだろうか。
「でも、一応礼は言っておくから。ありがとう。あのまま夜になっていたら、きっと飛び降りていた」
「どういたしまして。君ならすぐにでも飛び降りようとしそうだけど」
 なんとなく言うと、少女は意外にも「あっ」と小さく言って口元を手で押さえた。
「どうしてあたし、すぐにそう思わなかったんだろう」
 独り言みたいに彼女はそう呟いた。
 事情はわからないが、彼女の中で何か変化があったのだと思う。そうであってほしい。
「やだ。なんか、いやだ」
 彼女が何に嫌悪したのかはわからないが、踊り場から続く階段まで駆けていこうとしたので、ユタは急いでそれを引きとめた。
「待って! まだ君の名前を聞いていない」
 ユタの言葉に少女は立ち止まると、振り向いてくれた。
「梶川百合子。……あなたは?」
「死神ユタ。これから、よろしく」
「変な名前」
 そう呟いてから、百合子は階段を駆け下りていった。
 ユタは百合子の後ろ姿をみつめながら、ほっと胸を撫で下ろした。

 それから、ユタは暇な時は必ずと言っていいほど蒼井戸高校へ行くようになった。梶川百合子と必ず会えるわけでもなく、まともな会話を出来る日もほとんどなかったが、彼女について分かったことが二つ。
一つは、二年A組に在籍していること。そしてもう一つは、彼女がクラス全員から無視されていることだった。
 教室内で彼女は、いないことになっている。プリントが百合子に配られないこともしばしばあり、それで困らないのかと問えば、困らないと百合子は言った。
「自分で取りに行けば、済む話だから」
「それって辛くないか?」
「辛いから、死のうとしてたんじゃない。今さらそんなこと聞かないで」
「ごめん」
 謝ると、百合子はそれ以上何も言わなかった。
 授業中に傍にいられると目ざわりだからと百合子に言われてから、その時間は外にいることが多かった。だからその日、空の上で偶然にもミキとミナトに会ってしまったのは仕方のないことだった。
「あれー。ユタ、こんなところで何してるの?」
「ユタ。最近よく出かけてるけど、何してるの?」
 二人に似たような質問をされて、ユタは困った。二人にどう言い訳をしたらいいのだろう。
「あ、いや。その」
 下を見ると高校の校舎がある。思わず目が泳いだ。
「はっはーん。私わかっちゃったよ」
「何が?」
「ユタ、女子高生に興味があるんだ。ね、そうなんでしょ? 男の子だもんね、仕方ないよね」
「ああ、そうだね。男の子だもんね。姿が見えないのをいいことに女子更衣室なんかに入っちゃったりしてるんだね」
「してないから!」
 ミキとミナトが何かとんでもない勘違いを口にしたので、ユタは思いきり否定した。
いや、確かに姿が見えないとそんなことも出来るだろうけれど、万が一でも百合子みたいに自分のことが見える人がいたら、最悪なことになる。とそこまで考えて、ふと今まで疑問は感じたが忘れていたことを思い出した。
「そういえば、死神の姿って普通の人間には見えないはずだよな?」
「あ、話逸らされた。見えないよ? 普通はね」
 ユタの質問に、ミナトが答えてくれる。
 そうだ。百合子には死神の姿が見えるはずないのだ。
「何? 誰かに見られたの?」
 ただでさえいつも冷静な口調で話すミナトの声が、今は余計に冷たく聞こえる。
「それは……」
 言葉に詰まる。肯定しているようなものだ。
「女の子? ねえ、女の子に見られたの?」
 ミキが尋ねてくる。ユタは頷いた。
「ああ。普通の女の子なんだ。でも、死神の俺の姿が見えるんだ。変だなって思って」
「ユタ。その子、本当に生きてる? 幽霊なんじゃないの?」
「生きてるよ! ちゃんと触れるし、息もしてる」
「なら、考えられるべき可能性は二つ。その子は死が近いか、死に異常な執着をしているか。そのどっちかだね」
 ミナトの言葉に、ユタは納得がいくような気がした。
「でも、前者はまずあり得ないか。死が近いなら連絡が来ているはずだ。ユタの、その携帯に」
 ミナトが指示したのは、ユタのポケットに入っている最新式の携帯電話だった。死神をやるようになってしばらくしてからサクに手渡されたものだ。みんなとの連絡はもちろん、いつどこで誰が亡くなるかなどの情報が随時送られてくるのだ。
 言われて、ユタは携帯を見てみる。どこにも彼女の名前は書いていなかった。
「ないってことは……。彼女が死に執着しているから、死神が見えるってこと?」
「そうなんじゃないの。というかユタ、もうすでにスキンシップのとれる仲になってるってこと? それってやばくない?」
「やばいのか?」
 ミナトの言葉に、ユタは真面目に首を傾げる。
「やばいよ。シノが知ったら大変なことになるよ」
「え、なんで?」
「いろいろな意味で」
「それじゃさっぱりわからん。ちゃんと、わかるように言ってくれ」
 顔をしかめながら聞くと、ミナトは軽く息を吐いて言った。
「本当にわからない? 鈍いなあ。シノだってちゃんとした女の子なんだよ?」
「は? それは知ってるけど」
 ユタは本気で首を傾げていた。
「気付いてないの。シノが、ユタに惚れてること」
「……え? は、嘘。ええー?」
 ミナトの発言に、ユタはものすごく動揺した。言葉を理解するのに数秒かかってしまった。
「シ、シノが? そんな、まさか。あ、あり得ないって」
「という冗談は置いといて」
「――て、冗談なのかよ! びっくりさせんなよ!」
 ユタは叫ぶ。結構本気でキレそうになった。
「でもまぁ。あの子が一番あやふやだから」
 と意味深な発言を残して、ミナトは無言で「行こう」という合図をするように、ミキの腕を引いた。結局ユタは、からかわれただけらしい。
「待って、ミナト」
 ミキはユタの方を見たまま動かなかった。そんなミキを見て、何故だかミナトは少し驚いた表情をする。
「ユタが何をやってるのかはよくわかんないけどさ、一人で抱え込まないでね。心配するから」
「え……」
 ミキの言葉に、ユタは思わず目を丸くしてしまった。そんなことを言われるなどと夢にも思っていなかった。
「心配してくれるのか?」
「何言ってんの。当たり前だよ!」
 当然とでも言うように、ミキがユタに向かってそう言った。
 人間として生きていた頃、ユタは誰かに心配されたことなど一度もなかったと思う。周りは敵ばかりで、自分自身にも壁を作っていた。
 ユタは顔を伏せて、わずかに笑った。
「助けたい女の子がいるんだ」
 二人になら話してもいいかと思い、ユタはそう話を切り出した。

 近頃、昼休みになると彼女はいつも屋上にいる。教室はやはり居心地が悪いらしく、屋上は普段誰も来ないので、丁度いい場所だったのだろう。
「で。なんか増えてるんだけど、どういうこと?」
 百合子の目線の先には、双子の死神がいた。
「私はミキ! こっちはミナト! 死神のお仲間だよ!」
 矢継ぎ早に自己紹介をされて、百合子は戸惑っているようだった。
「やーん、百合子ちゃん可愛い。ちっこい。ふにふにー」
 そしてべたべたと身体を触ってくるミキに対して、まったくの無抵抗。されるがまま。
「ユタが、ミナト様お願いします。どうしても助けてください。って言うから」
「そんなこと一言も言ってないんだけど」
「ひどい、忘れたの? 俺の前で土下座してたのに」
「土下座した覚えはこれっぽっちもないよ!」
 ミナトが言う真顔の冗談に、ユタはツッコミを入れる。
「あなたたち、それ面白くないから」
 百合子が冷たく言い放つ。
 一応、面白さなど狙った覚えはない。
「一人だけでも面倒なのに、急に二人も増えるとは予想外。それとも、今度こそ本当にあたしは死ねるの?」
 百合子の質問に、ミキは首を振る。
「ううん。ユタが、百合子ちゃんを助けたいって言ったから。私たちも百合子ちゃんを助けたいの。正直変だよね、死神なのに。でも、百合子ちゃんの死にたいって言葉を聞くとね、こう、胸の奥が疼くんだ。どうしても」
 言いながら、ミキは自分の胸のあたりを右手で押さえた。
 ユタも同じ気持ちだった。人間だった頃の自分と百合子を、重ね合わせているのかもしれない。
「どうして? そりゃ、勝手にしてって言ったのはあたしだけど、あの時は緊急事態だったから仕方なく手を借りただけ。なのに、あたしにつきまとうし、さらに関係ない人まで巻き込んで。そういうの、望んでないって言ったのに」
 目線を落とし、独り言みたいに百合子はそう呟いた。
「あんたさ、自分勝手だよね」
 言い返そうとしたら、ミナトに先を越された。
 百合子がゆっくりと、ミナトの方を見る。ユタは空気が一段と重くなるのを感じた。
「そんなだから、いじめに合うんだよ。ユタのこと利用するのはいいけど、ちょっとは周りに目を向けてみたら? 今のあんた見てると、正直イライラする」
「ちょっと、ミナト」
「結局自分しか見えていないんだよ。自分が一番大事なんだ。俺たちは経験してるからわかる。周りが見えなくなって、自分のことしか考えられなくなって一番大切なことに気付けない」
「ミナト!」
 ミキの出した大きな声に、ミナトは押し黙った。
 ミナトの言うことはもっともだけど、それ故に自分たちの古傷までえぐり取るようだった。小さく「ごめん」と言うミナトは、それからユタたちに背を向けてしまった。
「そんなことを言われても、見えない。どうしてあたしなんか助けたいの? 経験してるって何? あなたたちは何を隠してるの? それとも……ただの同情?」
 額を軽く押さえながら、百合子が質問をいくつかぶつけてきた。
 ユタたちは頷かなかった。同情なんていう一言で片づけられるものではなかったのだ。
「言うよ。ちゃんと、言う」
 ユタは真っ直ぐに、こちらに向けられた百合子の目を見つめる。
「自殺して死んだんだ。気が付いたら死神になってこの街にいた。俺一人じゃない。ミキとミナトもそうなんだ」
 言って、百合子の眉が動くのがわかった。
「それが理由なの?」
「ああ。橋の上で君を見た時、俺たちみたいになってほしくないって思った。俺たちみたいに後悔してほしくないって思った」
「いい加減にして。同情ならまだましだったけど、そんなのあなたたちの価値観をあたしに押し付けているようなものじゃない。やっぱり自己満足の域。もう、そっとしておいて。あたしのところに来るのもやめて」
 百合子はそう言うと、重い扉の前まで歩いていった。そしてゆっくり開けると屋上から去ろうとする。ユタは急いでその腕をつかみに行く。
「放っておけないって言っただろ。もう無理なんだよ。俺と君はあの日から、無関係じゃなくなったんだから」
 自分でもくさい台詞だと思った。ミキとミナトの視線が痛い。なんだか急にものすごく恥ずかしくなって、つかんでいた手を離す。
 百合子はそのまま何も言わずに、扉の向こうに消えていってしまった。
「ユタ。さっきの台詞はなんの漫画の引用?」
 ミナトが急に話しかけてきたので、ユタは慌てて振り返った。
「え? あ、いや。今のは、その。言葉のあやみたいなもので。誤解しないでほしいんだけど、あんまり関係ない関係ないって言うから逆をついたって言うか」
「彼女につきまとっていたみたいだし、よっぽど寂しかったんだね。ユタくん」
「さみっ。寂しかったわけじゃない! そりゃ、哀しい気持ちはあったけど」
「似たようなものだよ。寂しかったら哀しいし、哀しかったら寂しい」
「そ、そうか?」
「そうだよ。けど、ちょっとストーカーっぽいよね。ユタの行動」
「う。以後気を付けます」
 つきまとうなんて言い方が悪いと思ったら、やはりストーカーみたいに思われていたのか。ユタは自分の行動を思い起こして、反省した。
「でも、大丈夫かな? 百合子ちゃん。相当動揺してたよ」
 ミキが真面目な顔をして言うので、ユタは百合子が出ていった扉の方に目をやった。
 それは硬く、重く、頑丈で。今の百合子の心、その物のような気がした。 (続く)