あぁゝ笛猫人間日記1月27日
平成二十三年一月二十七日
(この日記はアタイ=こすも・ここ=が、お父さんの「私」になりきって書き進めています。ごくごく、たまにアタイそのものが出てくることがあります)
夜のメーテレ・報道ステーション。
本日午後三時四十一分に、鹿児島県都城市の霧島連山西岳が一九五九年いらい、約半世紀ぶりに爆発的噴火をし、町が火山灰で覆い尽くされている、と現地から生放送。噴石が豪雨の如く降り注ぐさまが、自然の怖さをまざまざと見せつけていた。植え付けをしたばかりのゴボウなどの野菜類が全滅状態であるばかりか、町の至る所が火山灰に埋め尽くされ、惨たんたるありさまである。
いつも思うことだが、こうした自然の驚異には、されるがままでいるよりほかにないのか、と思ってしまう。私自身かつて秋田の中部日本海地震や三宅島噴火、長崎大水害、山陰豪雨禍、長野県・地附山の山動き、三重の嬉野豪雨災害、岐阜・栃尾温泉の土石流崩落による温泉街の壊滅…と、数々の災害現場をこの目で見て歩いてきただけに、為すすべのない自然の猛威は身にしみている。
あとは、なんとか自然の怒りが治まることを願うほかない。あゝー
【きょうの1番ニュース】元福岡県警本部長・広畑史朗さんから著書「警察幹部のリーダーシップ」(立花書房)が送られてきた。広畑さんは、私が社会部・小牧通信局長として在任当時の昭和五十六年春、当時二十八歳の全国最年少署長として愛知県警小牧署に着任され、その関係でことのほか、よくしていただいた。「ニュース前線」という囲み記事で若き署長の奮闘ぶりを紹介したこともある。
その広畑さんがその後、大阪府警刑事部長になられ、栃木県警本部長、福岡県警本部長などの要職を果たされ、みずからの履歴を包み隠さず一冊の本にまとめられたのが、「警察幹部のリーダーシップ」という本である。恥ずかしながら百二十九ページには私がかつて米国で武者修行中の広畑さんからの便りを紹介させていただいた中日新聞の夕刊コラム「目耳録」も掲載された。
広畑さん、色白でお美しい奥さま。心からおめでとう。そして、ありがとう。さっそく読ませてもらいます。一冊でも多く売れ、日々、心身ともにキズだらけの業務に打ち込んでおられる大半の警察幹部に対する一般人の理解が少しでも深まるといいですね。
☆「豊橋 鳥インフル確認 『高病原性』を検出 15万羽殺処分始まる」「地元業者ら風評懸念」、「エジプト デモ隊が県庁舎放火 大統領退陣求め過激化」(27日付、中日夕刊)
平成二十三年一月二十六日
…▲その氷見港で今季すでに10万本以上の寒ブリが揚がる豊漁という。近年では7年前の約6万7000本が記録で、平年は2万~4万本である。とくに昨季は5000本に満たない不漁だったのが一転、歴史的大漁となった。(毎日26日付、1面「余録」より)
私は、この毎日の「余録」を読みながら、能登に在任していたころ、たびたび耳にしていた鰤起こしと冬の雷、稲妻を思い出していた。そして人間たちが「温暖化」「温暖化」と大合唱を唱えている割には、案外と自然はこの先もずっと今の状態を守り続けていくのでは、と。そんな思いにもかられた。
かつて七尾支局長として在任中、私は時間さえあれば、隣町である氷見市の氷見漁港近くを何度もマイカーで訪れ、海上をスイスイと泳ぐカモメに特別の感情を燃やしたものだった。
【きょうの1番ニュース】私が帰宅しても、愛猫こすも・ここは、テレビの前のお布団の上で寝たまま。いつもなら愛想笑いのひとつでもしなければ、と私のもとに来るものを。
☆「サッカーアジア杯 日本が決勝進出 PK戦で韓国下す」、「秋葉原殺傷で死刑求刑 検察側『完全責任能力ある』」(26日付、中日朝刊)「豊橋で鳥インフル疑い 簡易検査4羽陽性 確認なら今季5例目 採卵鶏農場」、「野球賭博 元力士ら4人逮捕 開帳容疑 客も書類送検へ」(26日付、中日新聞夕刊)
平成二十三年一月二十五日
本日付の中日新聞夕刊文化面の「歌謡曲は哲学である 消えない情念を肯定」(山内志朗=哲学者、慶応大教授)は、まさにその通りだ、と思う。
♪北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい
実例を「襟裳岬」(唄・森進一、作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎、一九七四年)においての論述が誠に説得力があったのである。
筆者の山内はさらに、こうも言う。
「悲しみを暖炉で燃やし始めているとはどういうことか。これは襟裳岬が冬から春に向かうころ、暖炉に薪をくべる人間の心の内を詩的に表現しているということだろう。しかし、なぜ燃やすものが『悲しみ』なのだろう。
それを解く鍵が次の一節にある。
♪襟裳の春は何もない春です」
―私はこれ以上、「襟裳岬」について言う勇気はない。
それというのも、この「襟裳岬」は、私がMと一緒に三重県志摩半島・阿児町鵜方の新聞社の志摩通信部で駆け落ち記者生活を始めたころに、流行った大好きな歌だからである。私はあのとき、Mさえ私についてきてくれれば、何を失っても構わない、そう心に期して記者生活をしていたのである。たとえ、社を首になってもいいのだ、Mとさえ一緒に過ごせれば、それだけでいい、と本気だった。
だから、あのころの私にとっての「北の街」は「鵜方」であり、悲しみは二人の間で燃え盛る情念のようなものでもあったのだった。やがて南国・志摩には珍しい小雪が舞うなか、長男を授かったのである。歌謡曲は哲学、私たちにとっては永遠に消えない情念なのである。
【きょう1番のニュース】夕刊を読んだM曰く、「この記事って。先日あたしが作った俳句♪枯菊を焚きて情念昇天す、にどこか似ているわね」と。そして彼女は私に向かってこうも、言ったのだ。
「あのねえ、俳句は究極の演歌なのだから」と。
☆「一票の格差 高松は違憲 秋田、那覇は違憲状態 昨年参院選で判決」、「北カフカスの男手配 モスクワ空港テロ、死者35人に」(25日付、中日夕刊)
平成二十三年一月二十四日
名鉄電車の帰りの車内で中日新聞夕刊の「大波小波」を読む。
「美女と野獣、と評されているのをよく目にするが、むしろサラブレッドと雑草と言うべきか。今回の芥川賞に選ばれた二人、書香家に生まれ育った大学院生の朝吹真理子と中卒で一度も正業に就いたことがないという西村賢太。はじめて候補になり一回目の投票でやすやすと受賞の決まった朝吹に対し、ノミネート三度目の西村の方は評が分かれたという。それだけに、この草はしっかり根を張っており、そうやすやすと馬に喰われたりはしないだろう。
(中略)
金もなく、先も見えず、友もない。しかし西村には小説がある。私小説を読みかつ書くことだけに捧げられた人生は、つましくも微笑ましい。……」
【きょうの1番ニュース】というわけで、そんな夕刊記事に得心して帰宅すると私の部屋のデスクに一枚のファックス用紙が置かれていたではないか。いったい何か、と思って手に取ると、A4判サイズの用紙に北国新聞の箱組みコラム「デスク日誌」がコピーされていた。デスク日誌は「百年の恋がさめても」の見出し入りで、七尾に住む知人のエッセイスト小林良子さんの同市出身作家藤澤清造の資料集めに関するもので「……小林さんは資料を市の図書館に寄贈した。それが清造に私淑する西村賢太さんの芥川賞受賞の一助となったとすれば『恋』はしてみるものである。(越島靖子)」と結ばれていた。
ちなみに、私に記事コピーをファックスしてきてくださったのは、これまた能登在任時代に大変、おせわになった金沢市に住むYさんである。Yさん、心からありがとう。
☆「名古屋市長選告示 4氏の争い 『河村流』に審判 2・6トリプル投票」、「秋葉原『ホコ天』再開 無差別殺傷2年7ヵ月」、「喜味こいしさん死去 上方漫才 いとしこいし 83歳」(24日付、中日朝刊)「施政方針演説 消費増税 論議へ決意 通常国会開会首相『熟議』訴え」、「41万羽 殺処分を本格化 宮崎2例目鳥インフル 陸自、170人災害派遣」(24日付、中日夕刊)
平成二十三年一月二十三日
日曜日。江南の街中に三洋堂なる書店がつい最近、オープンしたためMと顔を出してきた。フロアも広くゆったりした店だった。Mが何やら探していたようだが、お目当ての本はなく注文していた。Mが望む本のたいていが、ないのである。品ぞろえしてオープンにこぎつけたはずだから、もしかして今度こそあるのでは、と期待して出向いたが、やはりなかった。いずれにせよ、わが町に大型の本屋が新しくできたことは喜ばしいかぎりだ。今後の健闘を祈りたい。
Mの買い物のアッシー君を務めた平和堂でふかふかイモと鹿児島の黒糖を買い、母の待つ実家へ。しばらく世間話をして帰った。夕食に出た鰤の湯炊きと、焼き魚・鱸。鱸は、Mが店のお客さんからもらったものとか、で「久しぶりに魚の調理に大格闘した」と。結構、満足そうだった。
きのう私あてに届いた「季刊文科 第50号」はなかなか読み応えがある。なかでも九十歳の日本の文芸評論家・清水信さんの同人雑誌の現場から・縦横連帯考は、「同人雑誌は、あくまでも孤立していなければならぬ」と寺山修司は言った。そうでなければ存在の意義が失われる、と説いた。原則はそうだと僕も思う。―
で始まり、いちいち最もだ、とうなづける。
そして極めつけが最後のこの言葉である。
「最後に当面する最大難関を確認しておきたい。電子書籍元年という。『電子雑誌の作り方』をマスターできない者に、同人雑誌の未来はないと覚悟すべきである。
同人雑誌作家として、紙の文化の最期を、どう迎え撃つかが問題だ。(中部ペンクラブ顧問)」
この言や良しでまったく同感である。
このほか、日本の抒情の本来の姿を具現していた「三浦哲郎のこと」(大河内昭爾さん)、同人雑誌の小説を読むことの多かった私だが、いかなる小説であれ、感動を覚えるかどうかだけを基準に考えているという「奇妙な芥川賞小説」(松本道介さん)など、どの編も興味深い内容となっている。
【きょう1番のニュース】日ごろから私が気にしていた町のなかにポッカリと浮かぶようにして立つコンクリート製のジャンボ大鳥居。探検好きなMに誘われるまま、現地へ。よくよく調べてみると、大鳥居には高屋神社と書かれており、同神社の鳥居であった。
☆「B型肝炎 全面和解へ 原告団も受け入れ 全員救済条件に」、「『こうのとり』打ち上げ H2B周回軌道投入に成功」、「白鵬が6連覇 初場所史上3人目」、「鳥インフル 29施設目視異常認めず 宮崎県 感染農場1万羽殺処分」、「17歳石川 初V 22大会ぶり高校生女王 卓球全日本選手権 先読み、緩急 ベテラン圧倒」(23日付、中日朝刊)
☆岐阜県白川村の世界遺産・合掌造り集落で二十二日、冬恒例のライトアップが始まった。(中略)ライトアップは二月十九日までの土曜や日曜にあと六回実施される。(23日付、中日朝刊「通風筒」)
平成二十三年一月二十二日
「季刊文科」の第50号が私の元に、それも謹呈として送られてきた。レベルの高い、それも執筆陣が常日ごろから尊敬してやまない当代を代表する文士ばかりだけに、すなおに嬉しく思ったのである。
手でもった文芸誌の手触り感に始まり一見して見た感じ、表紙絵、さらに「楽園」(村田喜代子さん)、「アイタぺ河畔」(伊藤桂一さん)、「友だち」(岡松和夫さん)の各創作、好評連載の「三浦哲郎のこと」(大河内昭爾さん)名作発見「さよと僕たち」(吉村昭さん))と、いちいち、うなされるほどの作品ばかりだ。送ってきてくださった鳥影社さまの百瀬精一氏には、この場を借りて心から礼を申し上げたい。「純文学宣言」と書かれた“ゆうメール”には頼もしさのような、文学界を導く灯のようなものが感じられる。
文学といえば、本日付の尾北ホームニュースに江南俳句教室のささやかな庶民俳句が掲載されており、中にMの秀作ひとつも見受けられた。
―枯菊を焚きて情念昇天す(伊神 舞子)
Mらしく激しい俳句だ。まだまだ、若いということか。
土曜日だが、少しやっておきたい仕事があるため近くのバス停でバスに乗ると、私がいつも感心する運転手さんのバスだった。「ハイ、きょうはご乗車、誠にありがとうございます。○○からお乗りの方は○○円です。両替をされる場合、五百円玉だと、百円が五枚でるので、百円をもう一度、両替されるとこわすことができます。きょうは、ありがとうございました。まもなく○○、○○です」。
ずっと前にも、この運転手さんについては少し触れたが、まさに客の立場に立った素晴らしい運転手さんである。素朴で味がある。名は「宇佐美徳雄さん」。宇佐美さんは、おそらく、この辺りの運転手さんの中では一番親切な運転手さんではなかろうか。(むろん、私が出くわさないだけで、ほかにも宇佐美さんのような立派な運転手さんはいるかもしれないのだが)。
実際、たとえトゲトゲしい心でいても、宇佐美さんのあの優しい声が、そんなものは吹き飛ばしてしまうのである。というわけで、名鉄バスで名鉄江南駅に着くと、こんどは改札口に「IC乗車券をふれてください」と記された感知器が設置されているのに気がついた。マナカ導入を前に、とうとう駅構内に設置されたのである。
なんだか、身の回りのものがドンドンと人間本来のものとは、かけ離れた方向に突き進んでいるような、そんな感じがする。
【きょうの1番ニュース】朝の出勤途中に、バス停手前のMの営むリサイクルショップを通りかかったところ、80歳ぐらいの女性が店の前で途方にくれたような顔でおいでなので事情をお聞きすると、「そこにぶら下がって居るコート、百円で安いばかりか質もよさそうなので買いたいのだけれど…」とのこと。「店の者が、午前中は近くの福祉センターでの俳句教室に行っているので、もしよろしければ、午後までお待ちください」と私。
お年が歳だっただけに、帰宅するや「あの方、大丈夫だったかな。心配していた」とMに聞くと「すぐそばのスーパーで買い物をされてから、おいでになられたみたい。ちゃんとコートは、百円ナリで買っていかれたから心配ないわよ」とのこと。
それにしても「そんなに安くしてしまって赤字が増えるばかりじゃないのか」と気遣うと「いいのよ。いらなくなって置いていかれる人が百円で売ってください、と言ってくるのだから。それで、皆さんに喜んでいただけたら、それだけで何よりじゃないの。コートだって喜んでるはずよ」とM。
とはいえ、たとえボランティアでも、これでは細々とした計算など負担ばかりが増えるのでは、と私の心中とて穏やかでない。でもサ、これでアイツの生きがいになっていれば良い、とするか。それでMが生き生きしているなら、このまま自由にやらせておこう。
☆「尖閣映像流出 元保安官を起訴猶予 検察当局『海保の管理不十分』 中国人船長も起訴猶予」、「自己採点82点『信を問う』 在任1年9カ月 河村市長が辞職 『庶民革命』未完のまま」、「英BBCテレビが日本大使館に謝罪 二重被爆者問題で」(22日付、中日朝刊)
平成二十三年一月二十一日
高樹のぶ子さんの毎日新聞連載小説の「マルセル」、人間臭さが出てきてなかなかいい。主人公の女性記者、ちいちゃん、やはり「昔は恋人、ちょっとだけいた」んだ。新聞記者とて、人の子だ。恋もすれば、失敗だって一杯するのだから。「マルセル」盗難に始まったこの小説の今後に期待したい。特に記者・千晶、ちいちゃんの今後の人生が、どんな道を辿るのか、を注意深く見守ってゆきたい。
【きょうの1番ニュース】チリのサンチアゴから国際郵便が私あてに届いた。差出人は、私たちウエブ文学同人誌の同人仲間、牧すすむさんの次男、倉知敦さんと亜樹子夫人である。昨年、敦さんの父牧さんから「息子が結婚した」と聞き、「熱砂」からお祝い金を出したことに対する礼状で、敦さんの大成長ぶりを見る思いだった(私は小牧在任当時、敦さんを幼児のころから知っている)。内容は次のようなものだった。
「先ず何より、引っ越しと重なりお礼が遅くなりましたことを心よりお詫び申し上げます。この度は、私達の結婚に際し、ご丁寧にお祝を賜り、誠に有難うございました。
現在、次の転勤先への準備で慌ただしく過ごしており、来年末迄は海外での忙しい毎日となりますが、二人で力を合わせて頑張っていく所存でお会いできますのは来年末となりますが、
皆さまもお元気でお過ごし下さい。」
敦さん、ありがとう。お母さん、お父さまとも元気でおいでですよ。
☆「そのまんま東京都知事選へ 東国原知事、退任 1期4年、『ステージ替える』(21日付、中日朝刊)「マナカ 問い合わせ急増 導入まで3週間『切り替えは』『使い方は』 ユリカ、来年2月まで使用可 将来の割引→ポイント制に」(21日付、中日夕刊)
平成二十三年一月二十日
きょうは大寒の満月。二十日(はつか)正月である。
そして、わが家自慢でもあるクリフトン・カーフデザインによる細長いカレンダーの今月の言葉は、といえば。 ―幸いも時には突然やってくる、だ。
本日付の中日新聞文化面(15面)で『19日付13面、「中部の文芸」の文中で、ウエブ文学同人誌名が「熟砂」とあるのは「熱砂」の誤りでした。』の訂正が出た。すべての関係者に心から、ありがとうと礼を述べさせて頂く。文化部長からは、丁重なる電話までいただいた。さすが、天下の新聞社である。
【きょうの1番ニュース】朝早く。隣家の屋根の雪が滑り落ちてわが家の玄関横木戸が開けられないとM。男(私)の力で、木戸を強引に何度も繰り返し揺すると、凍り付いてカチカチになっていた雪はあえなく崩れ戸は開いた。 隣は一人暮らしの高齢女性でもあり、屋根にたまって自然落下し、わが家との境界に氷雪を置いたとしても仕方のないことだ。むしろ、自然の性の方をうらんだ方がいい。
☆「在日」をテーマに詩作を続け、第41回高見順賞に選ばれた金時鐘(キム・シ・ジョン)さん、82歳=20日付、読売「顔」=
―金さんは、受賞作「失くした季節」でも冒頭から<自然は安らぐ/といった君の言葉は改めなくてはならない。>とつづるなど自然賛美に懐疑の言葉を投げかける…(「顔」から)
金時鐘と聞けば、歴程賞詩人で元日本現代詩人会会長、現大阪文学学校長の龍生(リュウセイ)さん=長谷川龍生さん=は、今ごろ、どこでどうしておいでだろうか。健康第一で居てほしい。放浪の詩人でもある彼は、私にとって文学の師でもある。
☆「名市大と製薬会社開発 成人T細胞白血病に新薬 来年初めにも発売」、「米中、民主化で応酬 歓迎式典 首脳会談スタート」(20日付、中日朝刊)
「愛知知事選 5氏立つ 60年ぶり乱戦 告示 来月6日投開票」、「米中首脳会談 北朝鮮核 懸念で声明 オバマ大統領・劉氏の釈放要求」(20日付、中日夕刊)
☆私だけのふるさと「たこ揚げて 頭空っぽ 吉岡忍さん・長野県佐久市」(20日付、毎日夕刊)
平成二十三年一月十九日
人生はいいことばかりではない。むしろ、悪いことの方が多い。ただ、そうした場面に直面しても決してうろたえてはいけない。腐ってもいけないと思う。みな一生懸命に生きている。自分だけではない。みな、同じ星のもとで生きているのだ。
なんだか星の話にまで飛躍してしまったようだ。
【きょうの1番ニュース】本日付中日新聞13面「中部の文芸」(小説・評論 清水信)に私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」が紹介されていた。掲載内容は次の通りである。
―ウエブ文学同人誌「熟砂」のテーマエッセー集は、初めての試みである全同人参加のアンソロジーであるが、「音楽」「酒」「贈り物」など統一したテーマに賛同して、エッセーで参加している姿が、同人雑誌の結束を示すようで、楽しく読める。
実は、この記述のなかに誤りがあった。私は、最初は気がつかなかったのだが、Mが「根本的なところで間違っていたんじゃあ、いけないよ」というので指摘された部分をよく見ると本来「熱砂」としなければならないところが「熟砂」となってしまっていたのである。
私は、すぐに新聞社の文化部長に電話し、誤りを指摘したのだが、清水信さんのことを、あまり責める気にはなれない。彼は、私たちの「熱砂」を称えようとしてくれていたのだ。ありがたいことである。人間は、誰だって過ちを冒す。これは仕方のないことだ。冒してしまったあとに、どう対応するか、が大切なのである。
☆「既卒者採用 トヨタなど『新卒』扱い 大手企業に導入拡大 政府提案に導入拡大」、「湖岸に早咲き菜の花 滋賀・守山」(19日付、中日朝刊)、「日航解雇の146人提訴 元パイロットら無効求め 東京地裁」(19日付、中日夕刊)
「給与一%上げで攻防 春闘労使交渉スタート」、「米到着大統領が私的夕食会」(19日付、毎日夕刊)
平成二十三年一月十八日
本日付中日スポーツ5面・わいわい広場に「落合話術」に感心、の見出しでご自身の発言が紹介されていた津市に住むKさんから、名古屋市内のホテルで開かれたドラゴンズの落合監督トークショーの内容について話を伺った。
Kさんがおっしゃった、もろもろのお話のなかで私の胸がキュンと鳴ったことがある。それは落合監督が意外や“験(げん)担ぎ”をすることが多いようで、下着こそ替えるが背広などは、験を担いでそのまま同じ背広を着ていることもある、とのことだった。
私は、落合監督の、この“験担ぎ”の話を聞きながら、私自身も、かつて一度来た背広をずっと半年以上にわたって、験を担いで毎日替えないで着続け、ある事件を追いかけていた、あの日々を思いだしたのである。
話は昭和五十一年に遡る。その年の春、サツ(警察)回りだった私は時の岐阜県知事AがフィクサーのB県参事ともども、業者と癒着していることを聞きつけた。私は、贈収賄の実態の一つひとつを積み重ねていくうち、Aの首を取るまでは、絶対にこの背広をほかの背広に替えることはしまい、と心ひそかに決意し知事の失脚を見届けた、まさにその日まで同じままで通したことがある。
世に言う岐阜県庁汚職事件である。あのころ、私は来る日も来る日もデカ宅はじめ業者ら関係者の家を夜討ち朝駆けし、県庁汚職ノートは大学ノートにして実に三十冊以上にも及んだ。夜討ち先のデカ宅では、歌舞伎に詳しいデカから「ほうーら、またまた“いがみの権太”がおいでなすった」と随分かわいがられ、同時に事件進展の核心部分に関するヒントも得られ、いわゆる足でしか稼げない特ダネもよく書いた。
結果的には、蛇にも負けない粘り強い取材力が権勢を意のままにしていた知事Aを追放することになった。まさに、血のしたたるような権力との勝負だったのだ。落合野球の験担ぎとは少し違う気はするが、彼が試合に勝つための気迫、執念というものは、こんなものだという想像が私には大いに、つくのである。
少なくとも、「それほどまでに真剣に勝負の世界に打ち込んでくれているのだ」と思うと、やはりありがたい。うれしいではないか。私が実感として、こうして話したところで現場体験のあまりない、甘っちょろい、ただ落合が嫌い、憎いというだけのそこいらのヒヨッコたちには、ピンとこないことかもしれないが……。
あえて言わせてもらえば、自らを鍛えることさえしない、「贅肉だらけの穿った目」が万一あるとしたなら。これほど危ういものはない。
【きょうの1番ニュース】Mが本屋さんに注文し、届いた本。それは九十九歳の文人、金原まさ子さんが、昨年10月12日に金雀技舎から出した句集「遊戯の家」だった。金原さんは、1911年、東京生まれ。略歴には、1970年に「草苑」創刊同人として参加された、とある。
―月夜かなめがねをかけた蝶々かな(自選十句から)
すばらしい、とはこうした人生をいうのだろう。私も、Mも。あわてないで、金原さんについていこう。
☆芥川賞は西村賢太さんの「苦役列車」と朝吹真理子さんの「きことわ」 直木賞は道尾秀介さんの「月と蟹」と木内昇さんの「漂砂のうたう」、「名古屋市議会 報酬検討会に野中氏ら 27日初会合 3氏の起用を内定」、「熊手に『福』大集合 西尾の勝山寺」(18日付、中日新聞朝刊)「和田勉さん死去 演出家『阿修羅のごとく』 80歳」(18日付、中日夕刊)
平成二十三年一月十七日
きょうも朝から雪ふりで、ちょっとした雪国である。
おかげで朝の江南駅行きバスは満員で、おそらくこの人たちは自転車で駅まで通っているか、マイカー通勤客なのかな、とも思う。それにしても自然現象には叶わない。すべてを狂わせてしまう。
それでも、昼の間の太陽の光は強く、Mが昨日、丹精込めてこしらえた赤い目をした雪うさぎちゃん二匹(大小各一匹)は、私が帰宅したころには大半が融け、「赤い目」だけが残ってた。わずか二日間の命に、私は言い知れぬ寂しさと儚さ、いさぎよさを感じた。
【きょうの1番ニュース】雪道を、久しぶりにミニサイズの長靴をはき、白い雪を踏みしめて社まで通ったことぐらいかな。この長靴は能登半島では、冬の間、取材用マイカーの必需品スタッドレスタイヤと同じ感覚でいつもはいていただけに、懐かしい。
☆「名古屋市議会解散問う 住民投票が告示 2・6トリプル幕開け」、「大雪で通勤混乱 東海地方」(17日付、中日朝刊)、「阪神大震災から16年 減災誓い鎮魂の祈り」「感謝の種 誰かの心に・遺族の言葉」、「雪の朝 名古屋熱く リコール投票告示」(17日付、中日夕刊)「相撲協会 年寄り名跡を一括管理 買い取り検討 適任者指名」、「『竹原劇場』市民が幕」(鹿児島県)阿久根市長選 最後まで報道批判」(17日付、毎日朝刊)
平成二十三年一月十六日
朝起きたら、外は白一面の雪国だった。愛知は、ゆきです。きょうは、仕事で雪のなかをナゴヤ球場に行き、たった今、帰ってきた。
帰りは雪道を名鉄江南駅からたっぷり時間をかけて写真撮影をしながら家まで歩いてみた。途中、縄のれんの居酒屋があれば入ろうと思って歩いたのだが、人通りはなく居酒屋の明かりは、どこも消えたままだった。
なんたることだ、と不満を胸に誰一人いない白い雪の原を一歩一歩踏みしめて歩く。ただ一回だけ見かけたのは、元気はつらつとした小学生三人ほどで、この子たちの声だけが雪のなかに、こ気味よく反響していた。
雪といえば、なぜか能登は七尾出身の作家・杉本久英さんを思い出す。「イガミさん、新聞記者も大切だが、あなたそろそろ慌てなくっちゃあ。素質があるのだから。自分の世界を早く切り開くように」と言われた、あの雪の日が忘れられない。
金沢に比べたら、比較的少ないと言われる能登とはいえ、七年の在任中には雪が何日も降り続きMと一緒に毎日毎日、雪かきをした。自転車前かごに三男を、後ろの荷台に次男を乗せて雪の道を、よろよろ、よろよろと自転車のペダルを漕いで買い物に通ったM。いまから思えば、おまえにとっては毎日が生きるか死ぬか、死闘の日々だったに違いない。
帰宅すると、Mが「ミヤケおじさん(三宅邦夫さん)から、電話があった。あなたと、とっても話したかったみたい。マゴはできたか、だってサ。ひ孫が五人居るのだってよ」。
ミヤケおじさんー“おじさん”とはいえ、私の母と同じで既に九十歳である。そのミヤケおじさんが私と会うと必ず口にされるのが「イガミさん! 孫はできた。孫はできたかね」で、全く弱ってしまう。ミヤケおじさんといえば、新聞社と地元教育委員会主催の新入学児を祝う会で知られ、この人を知らない人はいないと言っても過言でない。
また中日こども会生みの親でも知られるが、Mによれば「これからは、高齢者の健康づくりで社会のお役にたちたい、と話しておいでだった」とのこと。そう言えば、迎春の賀状にも「中日新聞社も昨年六月に退社し、この春から高齢者の健康づくりと祖父母と孫の集いなどの計画を立て心身に気合いを入れ、老いに負けないで旅に出ますのでこれからもご指導ご助言をお願いします」と書かれていた、っけ。
三宅さん! ことしも健康最優先で世のため人のために、活躍してくださいね。
【きょうの1番ニュース】Mが、朝起きるが早いか、白い雪とわが家の南天の赤い実を使ってかわいい“雪うさぎ”をつくり、さっそく玄関先に飾った。季節の移ろいに誰よりも敏感なMのやりそうなことだが、本当にかわいい白うさぎが、わが家の一員に加わった。私は勝手に月うさぎと命名したのである。
☆「NHK会長に松本氏 25日就任 JR東海副会長」、「内閣支持 32%に上昇 小沢氏『議員辞職を』58% 全国世論調査」、「1000本の灯 良縁願う 飛騨・三寺まいり」(16日付、中日朝刊)
平成二十三年一月十五日
真冬の土曜日。
やはり、すごく寒い。この寒さのなか、ナゴヤ球場では、選手たちの合同自主トレが始まった。これだけ寒いと、九十歳の母の身が案じられ午後、餡まきとたい焼き、焼きそばのホッカホカを近くのバローで買って顔を見に訪れた。母は「たかちゃん、ありがとう」と喜んでくれ、たとえポーズにしろ、親子の情愛はこうした心遣いが時には必要だな、とふと思った。
母は「寒いからMさん、特にからだには気ぃーつけな、イカンよって、言っといて。下着を何枚も着て、あったかくしとらんと。油断したらアカンよ」と言い「ウチの畑でなってたから」とミカン五、六個をもらって帰った。
引き続き、執筆や読書などやることをやり、今度は自宅近くの居酒屋“いっぷく”さんへ。ことし初めて訪れたが、たまたま寒さもあってか、珍しく客は私一人だけだったが、あれやこれやと話し、久しぶりにゆったりと楽しいひとときを過ごした。
ところで、善意が善意を呼ぶタイガーマスク運動は、このところ留まるところを知らない。小牧市善意銀行理事長、市社会福祉協議会会長として社会福祉に情熱を注いだ勝野義久さんの「死」ともだぶり、もしかしたら“勝野さん”が死を前に、最初のタイガーマスクを仕掛けてあの世に旅立ったのではないか。そんなことさえ、頭に浮かぶ。十分にありうることだからだ。
テレビのニュースによれば、きょうは、とうとう金塊までが施設に届けられたという。この現象につきMは、私に向かって真剣な表情で、こう話す。
「アノネエ、みんな、もうお国(政府)を信用することが出来なくなってしまった。だから、自分たちでやらなければ互いに助けあってこの危機を乗り切っていかなければーと、そうした気持ちの表れが連鎖反応となって善意の火を噴いているのでは。そうじゃないかな」と。
これに対して私は「何をトロイことを言ってるのだ」との批判を覚悟でこう、訴えたい。
「一度、政府をすべて解体してみたら、どうか。ただ学校関係(大学、科学研究機関など含む)や病院、ショッピングセンター、交通機関、神社仏閣、図書館など日ごろの生活に欠かせないものだけは、従来どおりとし、あとはそれぞれが、それぞれの分野でそれぞれの責任で、やりたい放題にやらせてみる。要は、無政府にしてみたら、どうか」ということだ。
【きょうの1番ニュース】どんなに寒い日でもアタイは、アタイなのだから。いつも暖かいところでヌクヌクと座っているので、家族のみんなから「こすも・ここは、やっぱり“ヌクヌクちゃんだ”“これほどのヌクヌクちゃんなんて見たことがない”。いつも、暖かいところに居るのだから」と、あきれ返られている。
最近では、妹のシロちゃんも、アタイを見習って暖かいところ暖かいところを求めて、まるでジプシー猫のようだ。それはそうと、この寒さのなか、野良ちゃんたちを、このところはトンと見かけないが、皆無事に生きているだろうか。心配だ。そういう今だって、アタイはオトンが執筆中の掘り炬燵下のふとんの上でヌクヌクと眠っていまぁ~す。
☆「センター試験始まる」、「中日主力も始動 ナゴヤ球場で合同自主トレ」、「『江』三姉妹故郷知って」(15日付、中日夕刊)
平成二十三年一月十四日
止まらない。涙とは、不思議なものだ。
……と・ま・ら・な・い。
なぜだ、なぜなのだ。
そうは言っても、涙の滴(しずく)は理屈で出てくるものではないのである。
私は、けさはやく、かよさん(牧さんの愛妻)から中日新聞の近郊版に掲載された訃報記事を電話越しに読んでもらううち、思わず両の目から、涙がせきをきって流れ始め、戸惑いを感じた。
いまとなれば、勝野義久さんの突然の「死」がいかに私に重くのしかかってきていたのか、をあらためて思い知る瞬間でもあった。勝野さんとは、私が小牧に在任している間中、よくご一緒に、天下国家を、そして空港のある町・小牧の将来についても酒をくみ交わしながら論じ合ったものである。
その彼、勝野義久さんが亡くなった。行年、七十七歳。
というわけで、私とMは、きょうはそれぞれの仕事をストップして、平安閣小牧斎場での葬儀に参列した。その席で、かつての小牧市長・佐橋薫さんに偶然、お会いすることが出来たのである。かおるサのみならず、マツウラマサアキさ、ら昔お世話になった多くの方々にもお会い出来たのである。葬儀参列を終え、喪服を背広に替え、社についたのは午後四時少し前だった。
うれしかったのは、社に着くと同時に東京・調布に住む落合信者のその人から届いたメールの中身である。次のような内容だった。
―こんにちは。おつかれさまです。やっとこの日が来たのかと思いました。いずれ殿堂入りするとは思っていましたが、やっぱり「中日の落合」でいるときに殿堂入りしてほしかったのです。うっすら涙がでるほど嬉しいです。誤解されがちですが、落合監督は、本当は優しい方で、しかも非常に頭がいいと思います。悲願の連覇で、殿堂入りにさらなる花を添えてほしいものです。
メールを読みながら、私も心から「ホントに良かった」と思った。
【きょうの1番ニュース】やはり、勝野さんを送る葬儀会場(平安閣小牧斎場)で、かつて江崎真澄代議士の参謀かつ自民党の愛知県連幹事長でもあった大物政治家・佐橋薫さん(当時は小牧市長)にお会い出来た、ことだ。私は三十代前半の新聞記者、薫サは五十代の市長として、互いに、それぞれの立場から、睨みあったこともあっただけに、その分、よけいに懐かしさを覚えた。
お会いした瞬間から互いに手を差し出し、力の限り握りしめあうなど気持ちは充分に伝わってきたのである。「ところで、ガミちやん、いまはどこにいりゃあ~す」には「ファンクラブで働いてます」。そういえば、母子家庭で育った薫サが初めて給料をもらったのは、ナゴヤ球場(前の中日スタジアム、中日球場)でのアルバイト、ビール売りで稼いだお金でした、と昔、話されていたことがある。
☆「税と社会保障推進」「菅再改造内閣を発表 法相に江田氏」、「最後まで“仙石節” 官房長官退任」(14日付、中日夕刊)
平成二十三年一月十三日
このところ、日本列島は冷え込みの厳しい日が続いている。
朝。昨夜の酒が全身に残ったままの状況で歯を磨き、冷たい水で顔を何度も洗っている最中に電話が鳴った。Mが居るから出てくれるもの、と思い込み、そのまま顔を洗い続けたが、一向に電話に出る気配がない。息子は既に出社しているが、Mはどうしているのかーと思いきや、それまでしつこいほどに鳴り続けていた電話音はシビレを切らすように鳴り止んだ。
顔を洗ったあと、【舞の部屋】で洗濯物の整理をしていたMに「電話が鳴っていたみたいだが」と聞くと、彼女いわく「たった今までゴミを出しに行っていたので、電話のことは知らないわよ」と。私は、あれだけ長い間、鳴り続けたのだから、何かあったのではと思う半面、重要な話なら、またかけてくるに違いないと判断。今度は出勤前のわずかな時間を充てて、なかなか思うに任せない本欄「笛猫人間日記」の十二日分のアップに時間をかけたのである。
が、時間をかけ、あちらをなぶり、こちらをなぶっても元々、こうしたシステムには全く弱い、ズブの素人という弱みを露呈するばかりで、とうとうサジを投げ、右人差し指でパソコンを強制閉局、Mに「こんなことでは、(社に)間に合わなくなっちゃうな」と声を荒らげながら家を飛び出しバス停に向かったのである。
デ、バス停でバスを待つ間に初めて携帯電話をチェック。そこで牧さん(ウエブ文学同人誌「熱砂」の同人で詩人。琴伝流大正琴弦洲会の会主)からの留守電に気付き、初めて、あの勝野さん(義久さん)が亡くなったと知ったのである。
勝野さんといえば、ついこの間まで県社会福祉協議会副会長はじめ、小牧市社会福祉協議会長や市善意銀行理事長としても世のため、ひとのために尽力。私が小牧通信局長当時は、ことのほかお世話になった。私が夕刊などの締め切りに追われて原稿用紙に向かっている間、当時小学生だった長男や、幼稚園児の次男と将棋相手になってくださったことも、しばしばである。
また、勝野さんの父、牧水さんは私の母校である滝高校で書道を教えていてくださり、若僧記者だった私自身、随分とお世話になったものである。親子そろって本当に温かくやさしい人であった。
当時、小牧市長として絶頂期にあった佐橋薫さんとは元々、同じ青年団育ちだっただけに、一時期、勝野義久さんは佐橋市長の良き参謀でもあった。そればかりか、歴代の通信局長も大変よくしていただき、私自身、酒をくみ交わしながら勝野邸で小牧の将来につき話し合ったこととなると、数えしれない。
最近では、牧さん率いる弦洲会の発表会に際して後援会長としての労も惜しまなかった、そんな小牧を代表する人格者でもあった。長年の努力と情熱が認められ、私が一宮主管支局長のころには、中日新聞の社会功労賞の栄誉にも輝き、まさに小牧の良識人の代表とも言えた。その勝野さんが、きのう急性心不全で亡くなられたというのだ。
惜しい。寂しい。いまは悲しくてしようがない。
おそらく、この底のない悲しみは弦洲会の会主で詩人でもある牧さんとて同じに違いない。語りだせば、あんなこと、こんなことと際限がなくなるので、きょうはここらで止めておこう。死んでしまったものが帰ってくるはずもない。
あすはMと葬儀に参列するつもりでいる。葬儀に先だってボクたちの言葉を捧げたい。
かつのさん、ありがとう。さようなら。 合掌、伊神権太
一武士の いさぎよくあり 寒椿 合掌、伊神舞子
【きょうの1番ニュース】朝、牧さんから携帯に留守電。ひらくと、“勝野さん”の急死を知らせるものだった。あぁゝ―。夜、システムのプロでもある息子が、ススイのスーイスイと故障したままだった、私のパソコンを修理してくれ、本欄のアップができるようになった。さすが、プロは違いますね。ありがとう。
昼間は碧木ニイナ編集長が魔法の手を駆使してお忙しいのにアップしてくださり、これまた本当にうれしく思った。
☆「採用活動長期化を是正 大学新卒13年春入社から」「説明会12月 面接4月 経団連・倫理憲章改定へ」、「ホタルミミズ 名大で生息 愛知初の発見報告」、「金魚スイスイ取引 弥富で初市 ランチュウなど競り」(13日付、中日朝刊)「官房長官に枝野氏 与謝野氏離党、入閣へ」「仙石氏、馬淵氏交代」(13日付、中日夕刊)
平成十一年一月十二日
プロレス漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人現象が人々の心に潤いと光を投げかけている。が、一方では、東京・目黒の老夫婦襲撃(八十七歳の夫は死亡)をはじめ、この辺りでも名鉄電車への投石、車の強奪、火災による焼死…と、この世は闇同然だ。
そこへ高齢化時代の痴呆化、独り暮らし世帯の増加、引きこもり…と私たちは「負」の連鎖の大海のなかを喘ぎつつ泳いでいる。冷たく言えば、そうした中でいかに生きてゆくか、なのである。
私たちは、そんな中で日々を過ごしている。今宵のオトンといったら、少しばかりのんで浮世の風にふかれてきたみたい。
なんだか大変疲れているみたい。で、きょうは「ハイ、これでおしまい」だってサ。
【きょうの1番ニュース】
私のパソコンの調子が極めて不調で本欄の笛猫人間日記がアップ出来ず、それこそアップアップしている。SOSを編集長である山の神の魔法の手に急きょお願いしたが、晴れてアップとなれば、そのことがトップニュースか。(お忙しいところを、天下はれてアップしていただき、感謝感激でした)。
☆「B型肝炎訴訟〓未発症者に和解金50万円 札幌地裁所見提示 政府受け入れへ」(12日付、中日朝刊)
平成十一年一月十一日
きょうは、2011年1月11日。私の大好きなズラリと「1」並びの日である。日ごろはトント、縁のない「1」が並んだ日だけに、ナントナク嬉しいのである。
帰宅後、テレビを見ていたら、このところ全国的に拡大の一途である「タイガーマスク 伊達直人サンからの贈り物」が相次いでいるという。NHKが午後九時からのニュースで伝えていた。それによると、贈り物はランドセルに限らず、野菜の置き土産まで多彩。NHKさんの調べによると、贈られた児童養護施設などは、実に全国百ヵ所以上に及ぶという。
「ダテ・ナオトって、タイガーマスク世代って。いつごろか」と、私が、元べ兵連(ベトナム民主平和連合)崩れのMに聞くと、Mはそれには応えず、こう言った。
「全共闘世代が何もかもを踏み潰してきた。修復しようとしたら、倍の歳月がかかるのだから。今回、細胞分裂が始まり留まるところも知れないタイガー世代は、おそらくそのあとに出てきて、現在社会で活躍している人たちではないか」と。
そんなに断言されても、タイガー世代は結構長いだけに、団塊の世代だって充分ありうるのである。今ごろ、謎のタイガーたちは新聞やテレビのある種、奇怪な報道にみな一人ひとりが静かに歓喜の声をあげているのだろうか。世のなか、だから面白い。
【きょうの1番ニュース】ドラゴンズ球団の営業担当・Kさんに、私たちウエブ文学同人誌「熱砂」が、つい最近、出版したばかりであるテーマエッセイ集の文庫本をお渡しすることができた。いまから三十年ほど前、社会部当時からの新聞記者の大先輩でもある、ダンディーKさんだけには一冊贈りたい、と思っていた。それだけに、なんだか大仕事を終えたみたいでとても華やいだ気持ちになった。
Kさんは、この日新聞社の本社であったナゴヤドームと球団、ファンクラブの実務者連絡会議のあと、タバコをすいに本社七階のファンクラブ事務局前の喫煙室においでになったので、たまたまいつも肌身離さず持っている文庫本一冊を手渡させていただいた次第だ。Kさんは気安く受け取ってくださった。おまけに真っ赤な表紙をしげしげと眺めながら「おしゃれじゃないか」とも。やはり大いなる先輩はボクにヤル気を与えてくださっている。ありがとうございます。
☆「『タイガー』の善意 広がる」「愛知、三重でも」「『良いこと』『心熱く』手紙添え贈り物」、「竜『新戦力』が始動」、「名古屋冷え冷え この冬一番」、安西氏(前慶応義塾長)がNHK会長拒否 経営委、就任辞退を要請」、「10年新車販売 HVが38%増 プリウス31万台、歴代首位」(11日付、中日夕刊)