ショート・ショート「日本人があまり知らない二つの戦い」

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 朝鮮戦争の時、かなりの日本人が傭兵されたらしい。
 父の海軍の同期生である桑名在住の近藤さんはマッカーサーが敗色濃厚な朝鮮戦争を逆転すべく仁川上陸作戦で逆転を狙った時、機雷除去の名目の船舶の一等航海士として参戦した。
 仁川辺りの海図は旧日本軍にあり、どうしても日本海軍出身者が必要だったのだろう。地面が悪い上陸に日本の梯子が利用されたのも事実だ。
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 終戦後、アジア各地に残された日本兵が家庭を持ち、その地の独立戦争の軍事顧問になったりして援けたのはよく知られているが、ベトナム戦争の折は北ベトナム軍にいた日本の軍事顧問は硫黄島の栗林中条の戦略を見習い穴を全土に張り巡らし、入口をベトナム人の小さな体に合わせアメリカ軍を悩ませたという。
 だからいかなる近代兵器にも勝てたのだ。どこから出てくるか分からない敵兵、動物を捕まえる罠、アメリカ将兵の心理は擦り減り、自壊していった。
 その後の二十年近くアメリカの文化まで傷つき恐怖映画や崩壊感覚の文化が流行した。