【ラヴ・メール パンデミック】
2.
「あたしのこと、お分かりでしょうか。あなたがあたし、私のことを、あの日以降もずっと本気で思っていてくださったのなら。わたくしのこと、すなわち<桜>が誰であるかはピンとくる。わかっていただけるかと思います。」
「ところでサクラは、あなたが大好きな花で、いつもあたしに過去、任地で出会った数々のサクラの話をしてくださいましたよね。だから、わたくしは、あなたが馴染みにしていた柳ケ瀬の居酒屋の女将さんとは少し、違いますけれど。あえて自分のメールの源氏名(げんじな)として、思い切って今回は<桜>と名乗らせていただいたのです。むろん、かつてあなたとは電話だけではなくプライベートでも、よく話し合いましたけれど」
「そういえば、きょうは、こちらも雨。あめ、アメです。でも、雨たちはどこへいって落ちたら良いものか、が分かってはいないようです。大気にウイルスがまん延していることもあってかしら。途方にくれているようでもあります。その分だけ、あのころの純真そのものだった雨たちとは違って、とてもかわいそうな雨、雨さんたちです。だから彼女という彼女、夥しい雨という雨が今は皆、ただ泣いています。新型コロナウイルスのまん延だなんて。日本、いや、世界中の日常がどこか狂気じみて、おかしくなってしまったのです。
もう随分昔のことになりますね。あたしは岐阜県警の電話交換手をしていました。思い返せば、あなたとは、たまたまあのころ、県庁汚職事件のデカ(捜査員)さんたちへの電話による問い合わせがきっかけとなり、知り合いました。かわいい奥さまである〝うみさん〟公認の上で、以降は、互いに休みの日などを充て半分、あなたは聞き込みを兼ねた取材だったのでしょうか。岐阜市内の長良川河畔の堤防沿い喫茶店や根尾の老樹ウスズミザクラの根っこ部分のテント村でお会いしたりしました。そして。雨に降られるたびに、まだまだ若かったあなたは、あのころ、まるで少年のような目であたしをじっと見つめていつもこう話されていました。
――あのサ。昔の雨さんたちは童謡・唱歌の【あめふり(北原白秋作詞・中山晋平作曲)】の歌詞、にもあるように。そうそう。♪あめ、あめ、ふれ、ふれ。かあさんがじゃのめでおむかえうれしいな。ピッチピッチ、チャプチャプ、ランランラン…だって。いつだって、とっても楽しく、うれしくて幸せそうだった。だから、ボクは雨が好きなのだよ、と。それから。若いころは橋幸夫の【雨の中の二人】もよく歌ったものだよ、とも。デ、雨の日には、決まって♪雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花…だってサ。と、口ずさんでおいででした。今だから、告白します。あたしの心にあなたへの淡い恋心が芽生え、電話交換手という仕事にもいっそう励むようになったのは、あのころでした。
というわけで、雨の日になるとあなたは決まって空を眺め、雨について繰り返し、そう語るように歌ってもくれたのです。でも、そんな楽しかった時代は過ぎ今では世の中が一変してしまいました。空から降ってくる夥しい数の真珠の小粒にも似ているはずの雨の一粒ひと粒が、なんだか、とっても怖いものの伝達者みたいな気がするのです。新型コロナウイルスという目には見えない、新たな魔物の出現で社会が変わってしまったからかもしれません。ところで、新型コロナウイルスのワクチン接種の方、予約はされましたか。わたくしは、まだまだ先になりそうです。
実を言いますと、あれから。あたしの身の回りには、あなたと別れてからというもの、いろんなことが次々と起きました。とてもこのメールだけでは書ききれません。でも、今のようなコロナ禍の感染爆発というパンデミックで身動きが取れなくなってしまう、そんなに悲しいものではありませんでした。悲しいこと寂しさ以上にどこかに生きがいというか、楽しいことも、いっぱいあったのです。根尾川河畔の簗場で焼きながら食べた鮎のおいしさといえば、それこそ天下一品。そういえば、こんなことがありましたよね。
岐阜人物地図という大型企画の取材のさなかというのに。富有柿でいっぱいの柿畑をふたりで鬼ごっこでもするようにおどけて走り回ったり、木曽川河畔に止めた車の中でカセットから流れてくるビートルズを一緒に聴いて頷き合ったり、時には長良川河畔の名物の河豚料理店で一緒に食事もしました。そう、そう。あのころは、あなたのやることなすことが豪快かつゴージャスで。とても楽しかったわ。
それと。つい最近のことです。たまたま、あなたが書かれた過去の大きな記事を整理していましたら、岐阜県庁汚職事件の取材で時の県知事を追い詰め、知事の懐刀でもあり、県警本部への任同(任意同行)がかかったった県参事を大阪国際ホテル経由で新幹線羽島駅のプラットホームまでカメラさんを伴って追い詰め、質問するさなかの鋭い目つきをしたあなたの写真入り貴重なすっぱ抜き記事が出て参りました。あたしは、ドキリとする一方で、あのころのことが懐かしさでいっぱいになってしまい。思わず、こうしてメールをさせて頂いた次第です。アドレスは、猫好きな、あなたも知る大垣在住のあるお方から教えていただきました」
メールの文面に目を通すうち、満の目からは涙の滴が潮となって頬を伝い、ポロポロと流れ落ちてきた。桜は紛れもなく、あのころの電話交換手、空(そら)に違いなかった。〝そら〟は、いまどこでどうしているのか。男勝りの美貌だったが、少しは歳をとったかもしれない。いや、歳はとったはずだ。いま街中で会っても分からないかもしれない。
ある日突然のようにスマホで送られてきた、これら一言ひと言。それはメールというよりは、一文一文が丁寧に編み込まれており、ショートメール特有の途切れ途切れではあるものの、全体を会話としてつないだ手紙ともいっていい、そんな懐かしい内容だった。あのころは今のようにスマホはおろか、携帯電話ひとつなく、すべてが電話か現場での聞き込みと自己当たり、警察との発表取材のやりとりで、特に殺しや火事など事件もの発生ネタとなると、最寄りの警察からの発表がたよりで、当時は電話交換手の一人ひとりが隠れた存在ともいえ、重要な役割を担っていたのである。故に社にかかってくる交換手を通じての警察広報から届く連絡の一言ひと言が貴重で、記者は記者で発表時に連絡をしてきた相手の心理をいかに早く、かつ巧みに掴みきるか、がより的確な報道へのカギを握るものだった。
もう何十年も前、いや半世紀近く前の話である。満自身、初任地の松本では、駆け出しのサツ回り当時に所轄署の電話交換手から支局にかかる優先的ともいえる電話応対に随分と助けられたものだ。それだけに、彼女が同じ松本署のなじみの刑事と結婚すると知った時の、あのときのショックと驚きは、未だに忘れられない。若かったその刑事にも、彼女と同じように事件取材などで随分と暗黙の中でお世話になっていたのである。
空の文面、メールはさらに、こう続いていた。
「それはそうと、今は暗くて息も詰まりそうな時代、日々ですね。あなたは今、いかがお過ごしでしょうか。元気でおいでならば、うれしいですけれど」
ぽつぽつと。一行一行を逃すまい、とここまで読み進んだ満は思わず、スマホ画面から視線をはずし、大きくひと呼吸し「ボクは、げんきでいるよ。桜は? いや、〝そら〟はどうかな」と画面に向かって囁きかけ、頷いてみせた。ホントに文面のとおりだ。一体全体、誰がこんな世の中にしてしまったのだよ、と。もう一人の自分が責め立ててくる。ほんとに、どうなっちまったのだよ。この世の中は」
メールの文面はさらに続いたあと、最後にこう結ばれていたのである。
「ところで、奥さま。海さん、うみちゃんは、今どうしておいでですか。元気でおいでですか」
(続く)
1.
コロナ、コロナ、コロナ。今から数年前の平成の世には思いもしなかった、見えない敵・新型コロナウイルスによるコロナ禍に追い立てられ、この地球上では、きょうも多くの人々が命を落としていく。
♪母の日よ タントンしたのは いつだっけ
令和3年5月9日の朝。母の日である。私はNHKラジオから流れる<音楽の泉>を聴きながら、書き始めることとした。日本をはじめ世界の人びとに向かって、だ。運命の皮肉とでもいえようか。たまたま暗黒ともいえる、この同じ時代にみんなとこうして生きている現実を見えない神に感謝しつつ…。
そして。いまの時代をたまたま、一緒にそれも綱渡りでもするように奇跡的に生きていることに感謝しつつ。ここであらためて思う。私たちは皆、同じ星・地球に住む仲間たちなのだ、と。敢えて言おう。人はいくつになっても愛も、恋も。それは大切だが、お互いに何よりも助け合って生きていかなければ、と。そう思うのである(もちろん、これまでも助け合いながら生きてきた人は多いに違いない)。
そしてまた、この小説ラヴ・メールをこれから随時、誰よりも先に読者である、すなわち世界に住むあなた方に送りたい。もし読者でなければ、これを機会に本欄【ラヴ・メール パンデミック】を読んでいただけたら嬉しく、身に余る光栄である。パンデミックのこの世のなか、スマホのインターネットでもよい。この物語を開いていただければ、とても嬉しい。
私たちは今。だれもが決して目には見えない新型コロナウイルスとのあくなき闘いの場にいる。みな、それなりにこの世で一番若い瞬間を、毎日を。懸命に生きている。
さて前置きはこのくらいにして。初めまして。私は満という名の人間です。そして相棒は海(うみ)と言います。この世の中、世界に居ても日本に居ても、いつコロナに罹って命を落としても決して不思議でない。事実、それどころか、変異株による感染急拡大が目立つ大阪では医療管理下にない患者が次々と、亡くなっているという。今は、100年ほど前に世界を恐怖に陥れた、あのスペイン風邪いらいの、いや、それ以上の猛威が私たちの社会を襲っているのだ。
※ ※
「このままだと、地球の人間は皆、全滅だよ。本当よ。そのうちまた恐竜時代に戻るかも、ね」。昔から口数の滅法少ない海にしては、珍しくそう言ってのける。彼女は最近、子宮がんに冒されたが、放射線照射と点滴による抗がん剤投与の治療効果に助けられ、1カ月半ほどの入院で家庭生活に復帰した経緯がある。とはいえ、この先どうなるかとなると、神のみぞ知る。私たちは信じて生きていくほかないのである。そういえばだ。海が入院している間、この国には非常事態宣言が出されており、満は思うように海に会うことはかなわなかった。
2021年5月9日。満は、この日起きてまもなく「首相らが記者発表の場で使っていた言葉・ジンリュウって。いったい全体何なのだ」と自らに問いつつ、二階ベランダで布団を干し終わったところに「黄砂が飛んでくるから、きょうは干さないで。ウイルスだけじゃなく、実際に黄砂も中国から飛んできているのだから。やめてよ」と階下から海の声が飛んできた。
海は、このところ黄砂にはすこぶる敏感だ。「もう干しちゃったよ。なるたけ早く家の中にいれるから。大丈夫だよ」と声を張り上げる私。「けさみたいに朝焼けの日は、雨が突然降ってくるのだから。干さなくてよいのに」と気候に異常なほどに敏感なのは彼女だ。2時間ほどすると、海の言葉どおり、ほんとに雨がポツポツと天から容赦なく落ちてきた。
【メモ】2021年5月9日現在の日本での新型コロナウイルス感染者は全国で6493人。東京は前日の1144人に続き1032人と2日連続の1000人超、大阪874人だった。感染爆発が起き、世界最悪のペースで感染者が拡大中のインド。9日発表された全土の1日当たりの感染確認は約40万4000人で、4日連続で40万人を超えた。死者は2日連続で4000人を超え、計約24万2000人となった。このため死者の火葬が追いつかず、路上に遺体が並んでいるところも。病院では医療用の酸素不足が深刻で、治療を受けられずに亡くなる人が続出、深刻な事態だ。
ちなみに、9日現在の世界の感染者は1億5772万7887人。うち328万4277人が尊い命を落としている(米ジョンズ・ホプキンズ大の集計から)。インドのケジリワル首相は9日、新型コロナウイルス対策として首都圏に発令している外出禁止令を17日早朝まで延長すると発表。世界は暗黒のただなかにある。
(1.の続き)
天から落ちてくる容赦なき無限の雨粒たち。朝方に干したばかりの洗濯ものが次々と濡れ、満の心身は雨一色の暗い世界へ、とどんどん閉じ込められてゆく。それにしても、本当に雨が降ってきた。相棒である海(うみ)の言葉はよく当たるな、と、そんなことが妙に頭をかすめるなか、満は洗濯ものをあわてて室内に投げ込むようにして次々と入れていく。入れながら今さらながら「(洗濯ものを)干しちゃいけないよ」「いけない、と言ったら」との彼女のひと言にすら、敗北感に責め立てられるのは、なぜだろう。少なくとも天気予報への勘は彼女の方が数段優れている。
二日後。2021年5月14日の深夜未明。NHKラジオの深夜便から流れる田端義夫の<十九の春>など沖縄の歌に耳を傾けながら満は思う。このところは外出すると言ったら妻を伴ってのスーパーへの買い物、たまにある何かの会議への出席、彼女が営み、退院後にそれでも、と再開させたボランティア同然のリサイクルショップ【れもん】への朝と夕方の送り迎え(最近では天気の良い日は、帰りは「一人で帰ってこられるから。大丈夫だよ。いいから」と、海ひとりで自転車を引きながら帰ることも多い)、それに私の場合は運動不足解消も兼ねて週に一度、マイカーで隣町のスポーツ文化センターまで出向いての社交ダンスのレッスン…と、大体そんなところだ。
なので、最近では人と会話することがめっきり減ってしまったな、と。それに、週に一度の社交ダンスとは言っても本来履かねばならないダンスシューズは仕方ないにせよ、口に二重マスク、両手には白手袋、時にはフェイスシールドを顔面に張り付けるようにしてつけるといった重装備で、なんだか酸素ボンベを担いで宇宙遊泳をしている宇宙飛行士をすら連想させる。それこそ集中治療室の中に入れられているような、そんな錯覚すら覚えてしまう。いったい全体、この世の中はどうなってしまったのだ。そう思ってレッスン日以外にはそれでも、特訓中であるルンバ、ワルツ、ステーショナルサンバの順で誰ひとりとしていない自宅近く木曽川河畔にまで出向き、川面を眼下にシャドーで何度も何度も、それこそ蝶が舞うように繰り返し踊るのである。
そして。一見、清浄そのものに映る大気に身を預け、浮かべながら「コロナよ、コロナ、消えろ。新型コロナウイルスよ、消えろ、消えろ、消えてくれよ。変異株はなおさらだ」と呪文でも唱えるように踊る満の姿は、それこそ怪奇かつ狂気じみてもいる。踊れば目には見えない大敵・ウイルスが消えるものでもなかろう、でもそんなことは分かっていながらだ。それでも、満は誰ひとりとしていないその河畔の空き地で一瞬一瞬が新しく噴き出る大気の中に自らの身を委ねるのである。踊りながら人間たちは、この病的でかつ暗黒の時代からいつになったら、抜け出すことが出来るのか。いや、この先、どこへ連れて逝ってしまわれるのか知れたものではない、と。なんだか大声で叫びたくなるのも仕方ない。
いずれにせよ、このコロナ禍、このところの世の中の動きを見る限り、一向に治まりそうにないのも、また事実だ。毎日、毎日。世界で、日本で。罪のない多くの人々がこの世でたったひとつ、それもただの一度の尊い命を無残にも奪い取られ、大切な家族や友人と引き裂かれていく。あ~あ、なんてことだ。なんて無情な世の中なのだろう。次から次にと無尽蔵に生まれ、増え続ける新規感染者。これでは、底なし沼にはまっていくのと同じだ。このありさまでは、この地上に生きる誰とて、ある日突然、新型コロナウイルスに感染したと宣告されてもおかしくはないのである。聞けば最近では、大阪を中心に亡くなってから初めて知る〝死後感染〟も全国的に増えてきたという。唯一の頼りといっていいワクチン接種にからんだ年寄りを狙った予約詐欺も増えてきているそうだ。日常生活どころか、社会そのものがいびつに歪み、破壊されつつある。
翌5月15日の朝。新聞には「緊急宣言 3道県追加 北海道、岡山、広島 分科会意見で一転 群馬、石川、熊本、まん延防止」「危機感に差 専門家譲らず」「岐阜 緊急宣言要請へ 感染最多155人」「人不足 多く受け入れたいけど… 岡崎・コロナ専門病院」などといった活字が並んだ。新型コロナウイルスの感染急拡大はまた、醜くくも加速してしまい、一段と進んだようだ。もはや、待ったなしと言っていい。
※ ※
育から突然のメールが満あてに入ったのは、その日の夜遅くだった。
「コロナウイルスがどんどん変異して狂暴になってきています。先日、吉野の金峯山寺の秘仏本尊特別ご開帳に行ってきました。ご存知のように、金峯山寺は役行者が開山した修験道の総本山ですが、仏教と深く結びついていて不思議な感じがします。役行者は忍者の開祖とも言われているようですが、どうなんでしょうね」
メールは、どこか心が洗われる内容で、文面は育ならではと言えようか。相変わらずのしっかりした口調で満は思わず、スマホの動画で金峯山寺を検索して見たが、画面にあふれる奈良吉野の山々はそれこそ、満開の桜で目の前に迫り、端唄の【縁かいな】のワンシーンを思い出させるものだった。満は思わず、♪峰も谷間もらんまんと ひと目千本二千本 花が取り持つ縁かいな……と何度も口ずさんでみた。今から二十数年前、新聞社の地方支局の支局長だった満は仕事の合間に週に一度だけ三味線を片手に当時80歳前後だったお師匠さんの元に通い、端唄に凝った日々がある。「あのころは、新型コロナウイルスの存在とまん延などは思いもしなかったのに。それが、こんな事態になってしまうとは。一体全体、誰が思っただろう。」
メールといえば、つい最近、育からのそれとは別にある日突然、昔のことを思い出させるように満のスマホ画面にまるでダイビングでもするように飛び込んできた一通がある。「ごぶさたしています。時々はあたしのこと思い出してください。 桜」で始まる文面はこう続いていた。(つづく)