エッセイ「もう一人の母」
それは授業中のことだった。いつものように大正琴の音が教室いっぱいに美しく響く中、一人の生徒が遅れて入ってきた。
練習中の仲間を気遣ってか、体を少し屈めながら空いている席に落ち着くと机の上に琴と楽譜ペンケース等を並べ、それから一通り辺りを見回した後、さり気なく練習の輪に溶け込んでいった。
実はその間、私の目は彼女に釘付けになっていた。それは、彼女が余りにも母に似ていたからである。若い頃の母が突然目の前に現れそこに居るような、そんな錯覚に捕らわれて私は暫し言葉を失っていた。
発表会が近いということで孫弟子の研修に来ていたのだが、彼女の辺りだけが何十年か昔へタイムスリップしたかのようであった。
休憩の時間になり、私が彼女にそのことを告げると、「ハハハ、そうですか。それは光栄ですね」、と嬉しそうに応えてくれたが、間近でみるその顔の表情一つ一つまでもが益々母を想わせた。いや、、母そのものであった。
無理を言って携帯のカメラで数枚の写真を撮らせて貰ったが、一つずつのポーズにも胸が躍った。
私の母はやがて百歳に手が届く高齢である。然しまだまだ元気で毎日の晩酌に缶ビール一本はかかさない。
数年前までは好きな踊りの稽古に勤しんでいたけれど、先生が亡くなったことや自身の耳が遠くなったせいもあり、最近は家から出ることも少なくなった。
それにしても世間には似た人が多い。毎日巡る教室でも、「あっ、この人は○○さんに似ている」とか、「この人はあの教室の○○さんと姉妹かな」等々、勝手に想像していると実におもしろい。テレビの番組でも「そっくりさん」が大活躍しているのを観ては大笑いだ。
そういえば諺にも「似たり寄ったり」というものがある。一説には「似たり四人(よったり)」とも言われるらしく、人は誰でも世の中に自分とよく似た人が四人位はいるという意味。
実は・・・ということで、私も近頃ある有名人に似ているとの有り難い(?)お言葉を多く頂くようになった。が然し、それは決して二枚目スター系ではなく某政治家のようだ。
ポスターやテレビでご本人を見かけるとついつい意識をして笑ってしまう。
ともあれ、そんな楽しい出来事に心を癒されながら、今日もバタバタと気忙しく教室を走り回っている私なのである。