一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2022年8月~)

2022年8月31日
 朝刊を開く。そこには【戻りたい でも戻らない】【11年5カ月ぶり双葉町居住再開】【子どもいない町 描けぬ展望】の活字が躍っていた。東電福島第一原発事故の放射能汚染で全住民の避難が唯一続いていた双葉町の帰還困難区域の一部で30日、避難指示が解除された、というビッグニュースである。ほかに【稲盛和夫さん死去 90歳京セラ、KDDI設立】の悲報も。

 双葉町居住再開を報じた31日付中日新聞の朝刊
 

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 8月もきょうでお別れか。と思っていたら、胸のスマホがピコピコとけたたましい。またしても何かあったか、とスマホを開いてみると【ゴルバチョフ元ソ連大統領死去 91歳 世界の冷戦体制終結を導く】とヤフーニュース。西側諸国との冷戦を終わらせたソ連最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフ元大統領が30日、病気のためモスクワで死去した、という。91歳だった。プーチンによるウクライナへの軍事侵攻のさなかだけに、なぜか運命的なものさえ感じる。ゴルバチョフは、少なくともプーチンのような無謀かつ人間愛に欠けた人物ではなかった。

2022年8月30日
 火曜日。早朝からの小雨もやがて止む。そして午後4時半過ぎ。わが家に届いた中日新聞夕刊を開く。そこには【解放された…でも帰る人あまりに少ない 双葉町 一部で居住可能に】の見出し。記事には「雨が降る中、JR常磐線双葉駅前で防犯パトロール出動式があり、伊沢志朗町長のことば「町民の帰還、居住が本格化することを期待する。一部避難指示解除は復興の第一歩であり、町は前進していく」があった。
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 このところは、舞の遺稿集の校正はじめ、他の原稿執筆その他であれやこれやと追い立てられており、正直少しつかれている。まだまだ若く、かつて周りに言われた〝書き魔のガミちゃん〟のパワーは、まだあるつもりではあるのだが。もはや人様がそうは見ないかもしれない。ニンゲンだれしも年を重ねる。だから誰とて今という一瞬が一番若く、人と人との歳の差も永遠に同じだ。縮まらない。
 何を決まりきったことを言っているのだ。人は笑うに違いない。いやいや俺はまだまだ若いのだ、と私。

 きょうは、江南市役所に書類不備もあって二度行き、母の死に伴う遺産分割協議書に必要な印鑑証明を出してもらって帰宅すると、何やら胸の中で騒がしくピコピコと鳴る。スマホを開くと「京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫さんが亡くなった」という。90歳だった。合掌-

 さて。朝刊で気になる見出しは、である。【福島原発事故で全員避難 双葉町11年ぶり居住再開 帰還困難区域8割超残る】【日本は核禁条約参加を NPT(核拡散防止条約)決裂 被爆者団体やNGO訴え】【全数把握見直し4県先行 コロナ届け出 高齢者らに限定へ 感染者数は集計 愛知などすぐ見直さず】【5~11歳3回目接種可能に 厚労省部会 ファイザー製使用認める】【ザボロジエ原発視察へ IAEA(国際原子力機関)調査団 安全確保目指す】といったところか。中でも新型コロナウイルスの感染者全員の発生を届け出る<全数把握>は、高齢者らリスクの高い患者に限定する運用に見直そうというものだが、29日現在、この運用に賛成しているのは、宮城、茨城、鳥取、佐賀の4県にとどまるという。これに対し愛知など中部6県はいずれも、すぐには全数把握を見直さない方針だと言い、こんごどうなるのか。気になるところだ。

 執筆だけならよいのだが。母の死に伴う諸手続きもある。それにしても相続には、どうしてこんなにも煩雑な手続きが必要なのか。聴くだけで頭がおかしくなってくる。コロナの全数把握じゃないけれど、もっと簡単にできないものか。ほれ、分割協議書が必要だ。印鑑証明は? など。手続きが多すぎる。私の場合は幸い、天下の弁護士と自負する兄と同じく才女税理士の妹におんぶにだっこで助けられている。でも、ふつうの人たちはどうしているのだろうか。それも不幸に遭い、悲しみのどん底にいるのだ。自治体で出来る範囲内ででも手助けし、もっと簡単明瞭にしてくれたらよいのに。正直、これでは精神的にも疲れてしまう。まいってしまう。確かに決まりは決まりだが市民サイドに立った、それこそもっと簡単明瞭な方法はないものか。
 それとも、やはり私のわがまま。犬の遠吠えか。

(8月29日)
 朝。風が涼しく感じられ、それこそ秋、小さい秋みぃっけ、という気持ちに。なぜか、先日、五月に満百一歳で亡くなった母、そしてそれより半年ほど前の昨年10月に、この世を去った妻たつ江にも「秋がいよいよきたよ」と言いたくなったのである。ふたりは、赤とんぼになって、この空をスイスイと泳ぎ始めているかも知れぬ。このところは連日、早朝に起き、わが妻たつ江の遺稿集=伊神舞子俳句短歌遺稿集―詩と俳句と短歌―=の最終校正に忙殺され、本欄【一匹文士】は合間を縫って少しずつ、書くという日の連続であった。

 夕方、中日新聞の夕刊を開く。1面に【乗鞍岳で初氷と初霜 昨年より9日早く】の見出し。記事には「岐阜県高山市の北アルプス・乗鞍岳の畳平(標高約2700㍍)で29日、今季の初氷と初霜を観測した。乗鞍スカイライン管理事務所によると、過去20年で最も早いという。」と書かれていた。今はもう、秋か。
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 各種報道によれば、だ。拉致被害者の蓮池薫さん(64)と曽我ひとみさん(63)がきのう28日に、2002年10月に北朝鮮から帰国して20年になるのを前に、新潟県佐渡市で講演。「日本は米朝間での非核化を待たずに北朝鮮との関係をつくらないといけない」(蓮池さん)「母ちゃん=ミヨシさん、失跡当時46歳=、今どこでどうしていますか。『やあ、帰るのが遅くなったな』という言葉を聞きたい」(曽我さん)=などと心境を語ったという。講演会には230人が訪れ、救出を呼び掛ける署名活動も行われた。

 3日間の日程で3年ぶりに会場に観客を入れた市街地開催で全国から160チームが出演し、名古屋・栄の久屋大通公園で開かれていた「にっぽんど真ん中祭り」が28日、1位の「どまつり大勝」に半布里(はぶり、岐阜県富加町)が輝いて閉幕。岐阜県高山市長選が28日、投開票され、無所属新人の田中明さん(61)=自民、公明推薦=が初当選。

(8月28日)
 日曜日。亡き妻の俳句短歌遺稿集の校正初稿をまとめて名古屋の出版社(人間社)に送る。出版社の大幡正義代表からは本のカバーと表紙、帯、本扉が届き、その出来栄えに思わず、泣けてきた。
 さっそく仏前に供え、手を合わせ「もうすぐ出来るから。な。いい本になりそうだ」と私。傍らの愛猫シロちゃんにもそのことを告げたのである。舞が生前、いつも私に言っていた「あのねえ。シロちゃん。シロは何でも知っているのだから」の言葉どおり、ホントにシロは何でも知っている顔で私の手や足に顔をすりつけてきたのである。何度も何度も。繰り返し、である。
「シロよ。シロ、シロ。シロちゃん。今は、おかあさんの代わりにおまえが俺の傍にいつも居てくれる。そのおかげで、俺はおかあさん亡きあとも、なんとかここまで生きてこられた。これからも、よろしくたのんだよ」と私。そういえば、句作する舞の傍らでいつもピタリと離れないでいたのは、シロだった。舞は作句や歌を詠んだりするときは、たまにお銚子に一杯だけのお酒をたしなんだものだが、そうした時いつも傍らにいたのはシロである。私ではなかった。
 思い出せば、晩年の数年間というもの、彼女はお酒でない時は「のまないと眠れないの」と言って句作の傍ら毎晩、睡眠薬を決まってのんでいた。私は、睡眠薬を常用する舞のことを心配はしていたが、彼女の作品づくりに欠かせないものでその方が彼女も安らげる、体調もよいのでは-と単純に思ってはいたのだが。お酒も睡眠薬もいいが、もう少し私自身が傍らに居てやるべきだった。いまさら悔いたところで仕方のないことではあるが。

 何にせよ、自分で言うのもおかしいが、舞は日ごろの努力もさるものの、天性といってもいい、大変な文才の持ち主で、文章術に関しては私よりも数段上だった。そんな気がしてならない。それだけに、私はもう少し彼女の傍らに居て、彼女の好きな星の話ばかりでなく、俳句や短歌について話し合うべきだった。深く反省している。
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 米大リーグマリナーズの球団会長付特別補佐兼インストラクターのイチローさん(48)の球団殿堂入りを祝った式典(セレモニー)が27日(日本時間の28日)、シアトルの本拠地球場で行われた。スーツ姿でフィールドに立った永遠のスター、イチローさんは英語でスピーチ。15分を超える熱い思いとユーモアあふれる言葉で超満員のスタンドの観客を喜ばせたという。おめでとう! イチローさん。
 日本維新の会はきのう27日、大阪市で開いた臨時党大会で代表選の投開票を実施し、これまで党ナンバー2の共同代表を務めていた馬場伸幸衆院議員(57)を新代表に選出した。

(8月27日)
 土曜日。わが妻である伊神舞子俳句短歌遺稿集の校正に丸一日、追われる。舞の俳句、短歌、詩、1行詩を繰り返し読むうち、能登半島の七尾で大変、お世話になった歌人山崎国枝子さんの顔が眼前に大きく浮かんだので、思い切って久しぶりに電話をさせて頂いた。
 山崎さんは舞が七尾にいたころ、短歌でことのほかお世話なった。そのお方だけに、「いがみさん。なんやいね。その後どお。元気でおいでですか。悲しみは癒えましたか」と逆に慰められてしまったのである。【能登はやさしや土までも】とは、このことか。彼女独特のあの柔らかな声を耳にホッとし、気が付くと「くにえこさん、げんきでおいでだったから。心配しないで。なっ。いいよ」と舞の遺影に語り掛ける私がいた。
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 プロ野球ヤクルトの村上宗隆内野手が26日、史上最年少の22歳6カ月で通算150本塁打に到達。村上はきょうも横浜でのDeNA戦で本塁打を打ち、今シーズン早くも47号を打った。また日本ハムのコディ・ポンセ投手が27日、札幌ドームでのソフトバンク23回戦で今季5人目の無安打無得点試合を果たし、完全試合を含むノーヒットノーラン達成者が1リーグ時代の1940年のシーズン最多記録に82年ぶりに並んだ。これも快挙である。

 夕刊は、米ニューヨークの国連本部で開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議で核軍縮の道筋などを示す最終文書案への全会一致の合意が最終日の26日に失敗し、決裂した話題で【NPT会議 再び決裂 最終文書 ロシア反対 核軍縮示せず】【表現譲歩しても合意できず 落胆の議場】(27日付中日夕刊)などと報じている。ほかに、かつてNHKの「お笑い三人組」で三遊亭金馬として活躍した三遊亭金翁(さんゆうてい・きんおう、本名松本龍典=まつもと・りゅうすけ)さんが27日未明、心不全で亡くなった、との報道も。93歳だった。

(8月26日)
 いつまでたっても、このガミちゃん、この忙しさだ。ちょっとオーバーかもしれない。だが、本当だ。このところは一時的とはいえ舞の本の制作で出版社と共に殺人的な忙しさに振り回されている。これもかわいい亡きたつ江(伊神舞子)が蒔いた種(俳句、短歌、1行詩、詩)のおかげか。身から出た錆か。甘んじて受け入れなければ、と日々自らに言い聞かせて「舞の功績、いや波乱に満ちた足跡を後世に残すためにも」と、私なりに邁進努力している。

 忙しい、との言葉は若いころから、あまり好きでない。でも、忙しい。というのは、先日の文芸思潮さんからの依頼原稿=大阪文学学校は今(仮題)=以外に、それこそ「自分から蒔いた種じゃないか」とひとさまには笑われるだろうが、このところは亡きわが妻・舞の遺稿集(詩と1行詩、俳句、短歌から成る)の出版を前に、人間社の大幡正義さんのお世話になって最終校正に追われているためである。まもなく彼女の1回忌がやってくる。なんとかそれまでには、と出版社にお願いしての編集作業が大詰めに入っているのである。

 そればかりか、皆さんの要望に応え、脱原発社会をめざす文学者の会ホームページで私が月イチで連載している「文士刮目」の締め切りも近づいてきた。こんな時こそ、舞が生きていてくれれば何かとヒントを与えてくれるのにと思うと、なんだか悲しく情けなくもなってくる。ああ、とため息も出ようというものだが。この社会、だれもがそうした苦しみのなか、それでも家族そろってひと筋の光りを求めて生きていかねばならない。そうしたものかもしれぬ。
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 というわけで、きょうも日が暮れていく。朝刊1面トップ見出しは【警察庁長官が引責辞任 安倍氏銃撃 警護要則を刷新 奈良県警本部長も辞意 「県警任せ 限界」】(中日新聞)というものである。

(8月25日)
 このところは連日、先日訪れた大阪文学学校の原稿書きに追われ、合間を見て先日、手元に届いた舞の俳句短歌遺稿集(ほかに1行詩、詩も含む)の校正もせねばならず、本欄執筆もなかなか思うに任せない。「あのねえ。いつまでも何やっとるの。1日ひとつ。ひとつよ。ひとつなのだから。そんなに、アレモコレモ、年を考えなくっちゃあ。ダメよ。だめなの」といった舞の甘えたような声が、たえず耳の底からじんじん聴こえてくる。

 先日直接、大阪まで足を運び、あの迫真に満ちた合評会のありのままをこの目で見た大阪文学学校について書いた原稿【大阪文学学校は今(仮題)】を文芸思潮の編集長五十嵐勉さんにメール出稿。その後、夜遅くまで合評会の写真出稿などに追われ、なんとか、ひと息ついて落ち着いたのは深夜未明であった。あとは五十嵐編集長から送られてくる写真も含めた原稿を校正すれば、それで終わる。それにしても五十嵐さんの文学、わけても同人誌再生と飛躍にかける情熱はたいしたものだ(五十嵐さんは、全国同人雑誌協会代表理事の要職にある)。私も頑張らねば、と真底から思う。原稿を送って、ワイワイガヤガヤやる。久しぶりに昔のデスク長時代に戻ったようなそんな気がした。その一方で、かつて現役時代にデスクに、よく言われた【書き魔のガミちゃん】の言葉が思いがけず、頭をかすめたのである。もしかしたら、書くスピードが若き日々に比べたらだいぶ劣っているのかも。いやいや、そうではない。ただ年を重ねたことだけは、疑いなき事実である。

 夜に入り、先日に続いてまたしても豪雨と雷、稲光りがわが家を襲ってきた。まんじりともせず私の傍らで座り、時折、ニャア~ン、ニャンの声を私に向かって出すシロちゃん。私は、この間にも再三かかる五十嵐さんとの電話によるやりとりに追われ、気が付くと雷は去っていた。

 沖縄知事選が告示され、警察庁長官が先にあった安倍元首相の銃撃死の責任をとって辞職した。かなしく辛い世の中が続く。一体全体、いつまでつづくのだろうか。

(8月24日)
 ことし2月25日にロシアがウクライナに一方的な愚かなる軍事侵攻に踏み切って、ちょうど半年がたつ。この侵攻はロシア大統領・プーチンの戦争とも言われているが、プーチンは一体全体何を考えているのか。嘆かわしい限りだ。それでも柔道人といえるのか。【精力善用】は、どこへ行ってしまったのだ。嘆かわしい。

 以下は、中日新聞の本日付の社説【ウクライナ侵攻 流血をやめる理性こそ】の冒頭部分である。
 無益な戦争をいつまで続けるつもりなのか。ロシアがウクライナに侵攻して半年。プーチン・ロシア大統領に必要なのは流血をやめる理性である。/今月に入り、ロシアが併合したクリミア半島にある軍事施設に、ウクライナ側とみられる攻撃が相次いでいる。ロシアが自国領だと主張するクリミアに戦火が及んだことは、戦争が新たな局面を迎えたことを意味する。/世論調査では、ロシアが支配するクリミアと東部地域の奪還を大半のウクライナ国民が求めている。ゼレンスキー大統領も侵攻前の状態までロシア軍を押し戻せば「勝利だ」としていたが、「クリミアを取り戻す」とにわかに強気になった。/実際にクリミア奪還に踏み切れば、戦火は一層広がり戦争の終結は遠のくだろう。……
――以上は24日付中日新聞の社説【ウクライナ侵攻 流血をやめる理性こそ】の一部である。
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 この日は、ほかに【中日ビル上棟式 来夏の完成目指す】【時速60㌔前後で衝突か 名高速事故 ブレーキ痕なし】【現場は「危ない場所」 運航会社捜索 社長が会見】【脱走の乗客男性 「生きているのが奇跡」】【旧統一教会に9回聴取 活動状況 文化庁、09年までに】【渋谷2人刺傷中3少女の母 「私への不満ためたかも」】といったところか。見出しは、簡潔明瞭である。

(8月23日)
 暑さがおさまるころ。処暑である。

 けさの朝刊見出しは【バス横転炎上 2人死亡 名高速・豊山南 分離帯に衝突 後続車衝突計7人けが 電装品や燃料のホースが発火か】【鈴木礼治元愛知知事死去 93歳 万博誘致、中部空港推進】【日野 主力の小型も不正 国内車種ほぼ出荷停止】といった内容である。これら記事に加え【笹本恒子さん死去 107歳 女性報道写真家】、さらには東京五輪の年・1964年に発表した「東京の灯よいつまでも」が大ヒットした歌手新川二朗さんの訃報といったところか。
 世の中は刻々と変わってゆく。

(8月22日)
 夏の甲子園(第104回全国高校野球)は仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8-1で破って初優勝。白河の関を超え、春夏通じて東北勢初制覇を果たした。東北勢が夏の甲子園で決勝に臨んだのは4年ぶり。仙台育英の3度を含め10度目の挑戦で栄冠を手にした。
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 舞の俳句短歌集の帯を作成して出版社にメール送信。巻頭言、惜別など。校正カ所はそのつどメール送信しつつ、あとでまとめて郵送することに。太田治子さんからの追悼言【惜別】のことで治子さんに久しぶりに電話。彼女から快諾を頂け、ほっとする。その際、「きょう午後零時50分からのEテレ【視点】に出演してますので、よろしかったら、ぜひご覧ください」と聴き、その時間を待ちに待ってわが家テレビのチャンネルをEテレにするも、なぜか百名山が流れている。 ?。
 こんなとき、(チャンネル替えなど)こうしたことになぜか、滅法強かった舞がいたらチャンネル違いなど、アッという間に解消してくれるのに、と思う。ああゝ、治子さんには失礼してしまった。

 わたしが舞の俳句短歌集に、と書いてみた帯の内容は次のとおり。
【雨の日。風の日。雪の日。体調が優れない日も。愛猫シロを胸に愛と平和を歌い詠み続けた日々。名もなく、清く、貧しく。そして美しく。いま、俳句集「ひとりあやとり」いらいの作品集が目の前に現れ出た。「あたし。惑星になれなくても。小惑星でいい。再びの宙返り、読んでください」。平和な社会の実現を願って。秋空に未来永劫と書いてみし。】

 全国同人雑誌協会代表理事である五十嵐勉さん(文芸思潮編集長)に頼まれた大阪文学学校の原稿締め切り(25日)が近づいており、舞の膨大に及ぶ俳句短歌集の校正作業と同時進行で進める。ちょっとオーバーかもしないが、ほかに本欄執筆、その他に毎日の新聞などマスコミ関係の徹底チェック、舞がいないので日々の買い物にも行かねばならず、このところはチョットした殺人的な忙しさが続いている。そんな私のデスクの傍らでは舞がいつも<シロよシロ(白)ちゃん>と呼んでいたシロがぴたりと張り付いてくれており、何よりの味方である。
 なんども言うが、シロはもはや舞の化身だ。そんな気がして仕方がない。いつだって私を黙って見守ってくれているのである。シロよシロちゃん。舞よマイ。ほんたふにありがとう。君たちが、いつも私の心の中にいてくれる。だからこそ、俺は曲がりなりにもこうして生きてゆけるのだ。どこまでも、そう思っている。

(8月22日)
 元愛知県知事だった鈴木礼治さん(昭和58年から。連続4期知事を務める)が老衰のため15日に死去していたことが分かった。93歳だった。三重県富田町(現四日市市)出身。2005年の愛・地球博(愛知万博)と中部国際空港の開港などに尽力。在職中は機関車に例えられる行動力で県発展の礎を築いた。

 東京・渋谷の円山町路上で50代の女性と10代のその娘が刃物のようなもので背中などを刺され、病院に運ばれ治療を受けている。警視庁渋谷署は50代の女性を刺した、として自称10代の女性を現行犯逮捕。少女は2人を刺したことを認め、小型ナイフ3本を所持していたため、署はいずれも押収。調べに対し「死刑になりたかったから」などと話しているという。いやはや、とんでもないことが起きるものだ。

 『内閣支持16㌽急落 36% 「自民とと旧統一教会 問題ある」9割 本社世論調査】【元理事 優先審査口利きか AOKI女性用スーツ 五輪汚職】とは、毎日新聞の22日付の一面見出しだ。

(8月21日)
 毎朝、私が最初に読む読者コーナー【くらしの作文】【女の気持ち】のあとに、楽しみにして読んできた中日新聞朝刊の連載小説(「かたばみ」 木内昇さん)がきょうで終わった。毎日読むのを楽しみにしてきただけに、少し寂しい気がする。
 何よりもわかりやすい文体。そして物語の内容も起承転結とストーリーとしてうまく出来ており、私自身、大いに為になったのである。わが家に届く新聞朝、夕刊の小説はどれもしっかり、チェックはしているが、最近の小説で私は【かたばみ】が一番気に入っていた。夕刊では、一部に読みづらい小説もあり、最近変わったが、これがちょっと技巧を凝らし過ぎか。本人だけが文に酔っており、現段階では、あまり好まれたものではない。
 それに比べれば、毎日夕刊の【兎は薄氷に駆ける】(貴志祐介)は取調室の模様など徹底した荒らっぽい書きっぷりで、これが結構社会愛もあってなかなか良く、こんごが楽しみである。文は何より、【は、が、の、を、に】精神、すなわち主語、述語、形容詞、目的語、助詞をしっかりとわかりやすく。読者の心と胸のなかにスッと入ってくるものでなければならない。独りよがりで、理屈をこねくりまわし文を構成し自分だけが満足、読者に押し付けようとする手法ほど醜いものはない。本人だけが酔っていてはいけない。ストレートに魂の叫びを出さなければ、それこそ読者に笑われてしまう。少なくとも読者が首をかしげて考えながら読むようではダメなのだ。

 岸田首相がコロナに感染。しばらくは総理官邸で回復を待つという。
それにしても、この世の中、そのうちにコロナに感染していない人の方が珍しくなってしまうのではないか。いやはや、大変な時代である。

(8月20日)
 日曜日。
 午後、「人間社」の大幡和平さん夫妻が、亡きわが妻・伊神舞子(伊神たつ江)の俳句短歌遺稿集のゲラ刷りを持参された。出来れば直しを28日までには送ってほしいとのことだったが、ここは何とか間に合わせなければ、と。少しばかり緊張感が走る。
 というのは、全国同人雑誌協会の代表理事五十嵐勉さん(「文芸思潮」編集長)から今月25日までに大阪文学学校の紹介記事を写真付きで4000~5000字書いてほしい、と頼まれており、こちらの方も同時進行でこなさなければならないからだ。そればかりか、日々の社会のありようを私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」で書き続けている本欄【一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き】。これも当然のこととして、この世の日々の鏡として書かねばならない。

(8月19日)
 本日付の朝刊見出しは【国内で過去最多25万5534人感染 厚労省 定点把握の導入検討 愛知1万7993人感染 三重・岐阜 BA・5対策宣言延長へ 三重最多4642人 岐阜は4490人】【里見が初戦黒星 棋士編入試験第1局】【「弔意の強制だ」国葬の撤回要求 宗教者の団体】【正式発表1年前 AOKI選定か 五輪汚職 組織委元理事主導】【森英恵さん死去 96歳 服飾デザイナー草分け】といったところか。

 午後。いつものように社交ダンスのレッスンに。タンゴを何回も繰り返し、なんとかやれそうな気になった。きょうは、三重県桑名市からやってきた水谷さんも加わってのレッスンとあいなった。

(8月18日)
 木曜日。早朝。かなり強い雨降りだったが、やがて上がる。ゴミを出す。

 きょうは、このところずっと書き続けてきた舞の物語【赤い空 わかれ】の補足修正にまる1日、いや深夜未明にまでかかった。書けば書くほどに、不十分なカ所に気付き補足修正を加えたいからで結局のところ、ほとんど1日かかりきりになってしまったのである。なぜ、「赤い空」という題にしたのか、そこを匂わせなければ、というのが私の本心で何とか夜遅くに完成させた。わが「熱砂」の場合はウエブ文学なので、いつでも修正が可能だ。この点はありがたいな、と思っている。
 東邦ガスさんのガスの安心点検日。午後、担当者がガスの定期点検でわが家に。熱心かつ、しっかり点検してくださり「ガス漏れはありません」とのことでホッと安心。心配していた元栓も大丈夫です、とのことだった。これまでは、こうしたことは舞に任せっきりだっただけに、注意点などにつき真剣に伺う。

 報道によれば、日本のファッションデザイナーの草分けで〝チョウ〟をモチーフにしたデザインで国際的に知られ、服飾デザイナーとして初の文化勲章を受けた森英恵(もり・はなえ)さんが11日、都内の自宅で老衰のため死去。島根県出身。96歳だった。葬儀・告別式は、近親者で行われたという。惜しい人を失った。

(8月17日)
 昨日。大阪文学学校へ。
 とんぼ返りし息子への土産・たこやきを手に夜遅い帰宅となったこともあり、少々疲れた。でも、それ以上に文校生昼間部の方々の合評会をこの目で拝見出来、久しぶりにはるか遠い日、大垣時代の「長良文学」での合評会、そして現在、私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」の前身である文庫本同人誌「熱砂」での合評会を思い出したのである。うかうかしてはおられない。

 何よりも、お一人ひとりが、この大阪の地でこうして骨身を削って文学修行に励み自らの文章術に向かって切磋琢磨しておいでになる。その現実に私自身、大いに勉強になり、胸打たれたのである。合評会には和歌山や神戸、枚方、和歌山の遠来組もおいでになったが、皆真剣そのもので「自分のペンがどうしたら向上するか」を真剣に聴き、語り合う姿が印象に残った。
 合評会が終わったところで、文校の生き字引といってもいい小原政幸さんから補足取材。帰りは新大阪駅から新幹線に乗り、帰った。

2022年8月16日
 きのうは臨済宗妙心寺派永正寺(水谷大定住職)の中村建岳副住職に自宅で亡き舞の初盆棚経をしていただき、ついで和田=愛知県江南市=の実家へ。今度は母の初盆棚経で兄、妹夫婦とともに手を合わせた。棚経のあとは、母や舞の歩んだ道について思い出に話が弾み、ふたりとも喜んでくれたに違いない。
 
 母の棚経を終えたあとの自宅の仏壇。仏を前に、3人兄妹を中心に思い出話の花が咲いた
 

 帰宅後は自宅に戻り、家族そろって送り火をして舞を送ったが、はるこさんから頂いた心のこもった線香花火が闇夜に浮かびキラキラ光り輝く姿にはある種独特の情感のようなものを感じたのである。美しく、厳かな天の川への帰還となった。
「また逢おう。舞。見てのとおり、こどもたちも皆、それぞれ元気でいるから。何でも知っているシロちゃん(俳句猫「白」。オーロラレインボー)も、いつだっておまえのことを思ってくれている。みんなで応援しているからな」と私。

 舞は、送り火とともに大空に飛び立っていった
 
 
 私たちは引き続き、自宅近くの料理屋に場所を移し、三男坊の誕生日(16日)祝いも兼ねた食事会でこれまで歩んできた家族の道を振り返りつつ楽しいひとときを過ごした。
 そして今は一夜が明け、16日の午前6時前。きょうは、大阪文学学校に出向く。全国同人雑誌協会の五十嵐勉代表理事(「文芸思潮編集長」)から大阪文学学校の紹介記事の執筆を依頼されているためである。
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 【戦後77年 あの日それぞれの終戦】【95歳「同じ思い させない」 追悼式思い共有 7歳「殺し合い いけない】【ウクライナ早く終戦に 避難者ら切実な願い】【戦没者追悼式 緊迫の今不戦を誓う 首相、加害責任触れず】【鬼の中尉が頭下げた 旧制中学配属将校「自由に生きて」 岐阜の90歳敗戦実感】【第7波でもお盆は会いたい 名古屋の特養 各地で人出増】【葉梨氏ら3人も接点 旧統一教会 閣僚ら計30人に】とは本日付の中日新聞見出しである。

 8月16日付の中日新聞朝刊軟派。戦争は、もうこりごりである
 

(8月15日)
 第77回目の終戦記念日。
 朝。6時前。思いがけず、室内の一隅からあの何かを切り裂くような。懐かしい、咳をする声が耳に聴こえてきた。舞のそれに違いない。彼女の咳は結婚当初から独特のものがあった。このため、長年ともに暮らしてきた私にはすぐ分かる。全身にたまった毒、汚物というか。悪魔たちを一気に自身のからだから退散させてしまう。そんな、強い迫力は忘れようにも忘れられない。
 そういえば、舞と同じく初盆を迎えた私の母の咳も、強く壮大で、たくましく、すごかった。あらゆる敵を退散させてしまうような、そんな咳で舞のそれとよく似ていた。(今は亡き女性なのでそう言うわけでもないのだが)ふたりとも美人だったが。咳も他には負けない、個性の強い独特のものがあった。そうした面でもそっくりだったな、とふと思う。きょうはお盆で、その舞と母に家族そろって再会することが出来たのである。とてつもなく、うれしかった。

【咳をしても一人】か。私は久しぶりに確かに聴いた、その咳に自由律俳句の代表的な俳人、尾崎放哉を思い出していた。いつの年だったか。私が定年退職して何年かしたその日。私と舞は晩年の放哉が孤独ながら、自由律俳句の創作で充実した日々を過ごした瀬戸内海に浮かぶ、あの小豆島を訪れ、島内のあちこちをふたりでめぐった。オリーブと壺井栄の原作「二十四の瞳」でも知られる島。あの日以降、なぜか1行詩ばかりか、自由律俳句とオリーブにもこだわっていた舞のことを思うと、またしても涙があふれて止まらなくなった。
 お盆で帰宅した舞は、今度はけさになり、私に小豆島を私と一緒に訪れた日のことと、あの尾崎放哉を思い出させてくれた。♩しあわせあれ、と祈る島の人びと……舞は、あの歌声を、思いもかけなかった懐かしい自らの個性ある咳で、私をかつて訪れた島に運んでくれたのである。その島は、とこしえに平和な世の中を希求する島でもある。
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 銃を捨て まいて下さいヒマワリを 15日 笹野節子(87) 千葉県白井市
 本日付中日新聞の特集面【戦後77年平和の俳句特集<平和望む投句頼もしく> いとうせいこうさん黒田杏子さんが選んだ8月前半の入選14句 国境超える祈りの言葉】が光った。心に残った。平和をひたすら願う気持ちは、だれとて同じだ。

 8月15日付の中日新聞特集面
 

 道路ひとつ隔てた向かいの家、今は亡き野田さん宅の解体作業がいよいよ、きょうから始まった。屋敷の周りを囲んだ立派な庭石と母屋が、ブルドーザーなどの工事車両で見る見る解体、除去されていく。その姿には、もののあわれのようなものを感じた。作業中、地響きがしたので念のため写真を抑える。野田さんご夫妻(おふたりとも既に逝去)には舞も私も本当によくして頂いた。それにしても、これだけの工事だ。ご遺族(親族)の誰かがひと言、話しにきてくださってもよいはずなのだが(業者は昨日、わざわざ来訪してくださっている)。お盆でもあり、おそらく、それどころではないのだろう。ニンゲン、皆このように退散していく。そんな気がしてならない。

(8月14日)
 日曜日だ。日本がポツダム宣言を受託した日である。
 朝刊を開く。最初に目に飛び込んできたのは、岐阜県郡上市八幡町で三年ぶりに開かれている国重要無形民俗文化財「郡上おどり」で十三日夜、お盆に合わせて四夜続く徹夜踊りが始まったという。例年なら明け方まで踊るが、今年は午前一時までにとどめる(14日付中日朝刊)といった記事である。亡き妻、舞がいたなら一度一緒に行き、ふたりで踊りたく思っていた郡上おどりだけに、なんだか悲しい気がせぬでもない(舞自身は有志でかつて訪れ、郡上おどりを踊ったことはある)。

 それはそうと、きょうは私にとってことし最大のビッグニュースがある。というのは、昨夜からけさ未明にかけ、わが夢枕にかわいい妻、舞が死後初めて現れたのである。以下は、夢からさめた私が、その時の様子をメモって記録したその時の様子である。
=おまえが初めて私の夢のなかに現れ、一緒にふつうで穏やかな夜を過ごした。ふたりのひとときを十分、過ごしたところで舞が何やら家中のドアというドアを閉め始め、全部閉め終えたところで、少しずつ後じさりをし始めたではないか。おかしいな、と思って見ると、怖そうな男性が目の前に現れ、彼女を見つめたまま「もう時間だから」といった顔をして目の前に現れ、いやいやをする舞を前に一歩一歩彼女に近づいてきたではないか。そして。夢の画面は男が立ち止まったところで何事もなかったかのようにピシャリと閉じた。
 私は、そこで初めて目を開け「夢だった」と気付き、ベランダの窓を開ける。と、そこには真珠のようにキラキラ光るいくつもの水滴が残されていた。未明の戸外でそれまで降っていた雨が止んだらしい。不思議なことがあるものだ。迎え火が本当に死者を迎えてくれるものだ、と知ったのはこの時である。舞が生きていてくれ、本当に嬉しく思った。

 舞よマイ 久しぶりに元気な顔を見せてくれた
 

 もうひとつ。わが家のシロちゃん。きのう午後の迎え火のあとは目がらんらんと光り輝き、かつて舞が俳句や短歌づくりに励んでいた室内のあちこちを確かめるように歩いて回る姿も不思議に感じた。わが家に帰宅した舞の魂がシロに乗り移って、懐かしいかつての自室を見て回っている。そんな気がして仕方なかったのである。「シロ。シロちゃんはネ。何でも知っているよ」といったあの、甘えたようなかわいい透明な声が聴こえてきた。

 きょうは、たまたまスマホをチェックすると、カトマンズ在住の友、長谷川裕子さんからこんなメールが届いていたので、ここに紹介させて頂く。
【13日午後11時2分 ネパールもきょうは「ガイ(牛)ジャトラ(祭り)」という牛祭りでちょうど日本のお盆のようなお祭り。この1年以内に亡くなった方のご家族が、亡き人の良き転生を願い街を練り歩きます。行進の先頭を歩く子供達は面白おかしく仮装し顔には牛のようにペイントして遺族の悲しみを笑いに変えてくれます】(裕子さん ありがとう)

 裕子さのフェイスブックで紹介されたカトマンズの「ガイジャトラ」
 

(8月13日)
 台風8号はきょうの午後5時半ごろ、静岡県の伊豆半島に上陸。その後、関東甲信を進み今夜遅く日本の東海上へ抜けたという。川崎に住む息子夫婦の帰省の障害にならないかと内心心配していただけに、ホッとした。おかげで昨秋、旅立ったおかあさんの迎え火もささやかながら夕方、みんなで行うことが出来、ほっとしている。迎え火には、おかあさんが家族同様にこよなく愛していたシロちゃん、オーロラレインボーも同席。裏庭で火を焚いて、みんなで迎えることが出来たのである。

 みんなで行った迎え火
 
 

(8月12日)
 金曜日。いつものように一宮へ社交ダンスのレッスンに。ワルツ、ルンバ、タンゴといずれも繰り返し練習した。マスクをし、手袋をしての練習である。練習仲間には80歳を超えたかくしゃくたる男性もいるだけに、私もがんばらなくては―とステップを踏んだ次第。これも、わが妻たつ江の「社交ダンスだけは続けてね」との言葉があったればこそ、である。からだにも良い気がする。

 愛知県の大村秀章知事がこの日、記者会見。新型コロナウイルスのオミクロン株派生型「BA・5」の感染急拡大を受けて発出した「BA・5対策強化宣言」の期間について、8月末まで延長する、と発表。またお盆をはさむ12~21日の期間は一層の感染防止対策の強化と徹底が必要だとして、「BA・5対策緊急アピール」を出した。大村知事は「お盆休み前に厳しい状況を強く発信したかった。内容はこれまでの宣言と同じだが、みなさん適切な行動をとってほしい」と呼びかけた。県内では10日に新規感染者数が過去最多の1万8862人となり、病床使用率も9日に80%を超え、相変わらず厳しさが増している。
    ※    ※

    ☆    ☆
 そういえば、きょうは1985年に起き、乗客乗員520人が死亡した、あの日航ジャンボの群馬県御巣鷹山墜落から丸37年の、忘れられない日だ。昭和60年の8月12日。私は午後7時過ぎ、いつものように名古屋空港内の各エアラインや空港事務所をこま鼠のようにその日1日の空港内のチェックを兼ね取材して回っていたが、各エアラインや運輸省名空港事務所の雰囲気が、なぜか緊迫感に包まれていておかしいのを感じとっていた。
ただならぬ表情に何かが起きた、とピンときた私は、そのまま空港内警部派出所に飛び込み、ここで初めて日航ジャンボの墜落を知ったことを今でもよく覚えている。私は、その場で航空部と社会部デスク、小牧通信局を預かる妻に連絡。通信局に取って返し、翌早朝、新聞社の双発ジェット「はやたか二世」で現場上空へ。空からのルポを書き、機内から原稿を送った日のことを鮮明に覚えている。
 そして。それからしばらくは連日、航空評論家に同乗して頂いての現場上空飛行取材などに追われ、4日後、気が付いた時にはわが子が既に生まれており、妻に申し訳ない気持ちにかられたことをよく、覚えている。小牧市民病院の余語院長がわざわざ電話してきてくださり「お子さん、無事生まれましたよ」と教えてくださった時には、その心配りに感謝し、感激したものである。そのわが子も今や立派なシステムエンジニアとして社会に貢献しており、今となっては、夢のような気がしないでもない。

(8月11日)
 朝刊は【5閣僚 旧統一教会と接点 第2次岸田改造内閣スタート 林、高市氏は取材や対談】【2桁勝利2桁本塁打 大谷104年ぶり偉業】【ルース以来 夢は続く 「二つやる人いなかっただけかな」大谷選手一問一答 快挙立ち会えた幸運】(11日付中日)と岸田改造内閣と大リーガー、大谷翔平選手の快挙を報じている。

 オークランド(米カリフォルニア)共同発の記事は「米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平(28)が九日、当地でのアスレチック戦で今季10勝目を挙げ、一九一八年のベーブ・ルース以来、百四年ぶりとなる「二桁勝利、二桁本塁打」の偉業を達成した。」というもので社会目トップ、軟派記事の総合リードは「野球が生まれた米国で百年以上、誰も目にしたことがない偉業を大谷翔平選手が成し遂げた。大リーグで同一シーズンの二桁勝利と二桁本塁打は「野球の神様」として愛されたベーブ・ルース以来の伝説的な記録。日本で磨き上げた「二刀流」が、最高峰の部隊で光輝くスターの道を歩んでいる。」というものだった。努力の結晶が花開いた、とはこのことか。何よりも、この暗い時代にあって人々の心をパッと明るくしてくれるのがいい。心から。おめでとう、と祝福したい。

 そして社説では【疑念を払拭できるのか 岸田改造内閣が発足】と問題を提起。「岸田文雄首相が内閣改造と自民党役員人事を行ったる山積する内外の懸案を処理するには自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を徹底的に調べ、関係を絶つことが前提だが、首相はその姿勢に乏しく、国民の疑念を払拭するには程遠い。」としているが、同感である。同時に安倍元首相の国葬もこの際、やめるべきだ―と私は思う。多くの国民とて、同じ意見かと思うのだが。

(8月10日)
 未明に起き、このところ時間を見つけては夜、昼、朝となく、ずっと書き続けている亡きたつ江を主人公とした小説を書き進める。これまで時間を見つけながらの執筆だったが、あと少しで何とかゴールに辿りつけそうだ。書くに当たっては、あくまで【奇跡の人生】を主眼に、と思っている。題は【赤い空】【わかれ】【奇跡 ―あたしは今】などを考えている。

私は全ての人間が奇跡の中を、喜んだり悲しんだりしながら時には喘ぎ、苦しみながら、生きていく。どうしても過去に流されがちだが、舞の生きてきた証しの文学となるだけに、いたしかたあるまい。あと、ひと踏ん張り、といったところか。

 ひと息ついたところで不燃ごみのゴミ出しを終え、歯医者さんへ。この後はスッカラカンになったままの財布を満たすため銀行へ。ここでお金を出したあと、愛車に燃料を入れ、ひと段落ついたところで今度は扶桑のイーオンへと車を走らせる。この間、私の全ての動作と行動に心配そうな視線を送ってくれる愛猫「シロちゃん」には、いつもありがとう―と。感謝のひとこと。それ以外の言葉は浮かばない。

(8月9日)
 長崎原爆の日である。午前11時2分。黙とうし、手を合わせ、戦争がもう2度と起こらないことを願う。

 長崎はこの日、米軍の原爆投下から77年を迎え、長崎市の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。田上富久市長は、ロシアのウクライナ侵攻が突きつける核兵器使用の危機に人類は直面している現実を直視。平和宣言で「核兵器使用は今ここにある危機だ」「核兵器をなくすことこそが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だ」と訴え、「核兵器が使われてしまうリスクに直面している。持っていても使われることはないだろうというのは幻想に過ぎない」として「核兵器が存在する限り使われる」と核使用への危機感を表明し、廃絶を訴えた。
 引き続き被爆者を代表し語り部の宮田隆さん(82)=長崎県雲仙市=が「平和への誓い」を読み上げ、核の傘からの脱却と核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に強く求め、同時に被爆者の心に響く大胆な行動に期待すると呼びかけた。これに対して岸田首相は「厳しい安全保障環境のなかでも核不使用の歴史を継続し、長崎を最後の被爆地とし続けなければならない」などと述べた。ことしは核保有国を含む83カ国・地域代表らが出席。ウクライナ侵攻を受け、ロシアとベラルーシは招待されなかった。また安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、長崎市は警備を強化。要人らが並ぶ式典会場のテント内に制服の警察官が配置された。冒頭、高齢のため今回で式典参加を最後と決めた被爆者合唱団「ひまわり」メンバーが平和を願う代表曲【もう二度と】を歌う場面も見られた。

(8月8日)
 「新型コロナウイルス感染症は収束にむかっているものの、陽性者数はアップダウンを繰り返し、まだまだ安心できません。さらにウクライナ情勢は混沌とし、先が見えない状況にあります。そんななか皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。日本ペンクラブでは、今年度も会報特別号を9月に発行することになりました。テーマは「ペンの力」です。危うい世界情勢だからこそ、「ペンの力」の意味を今一度考えてみようということで、テーマに取り上げました。皆様の「ペンの力」に対する思いを、200字に込めていただければありがたく存じます。」との日本ペンクラブからの寄稿依頼に従って、記念誌原稿と書き「ペンの力」を午前中にメールで出稿する。

(8月7日)
 このところは執筆にずっと挑んでおり、本欄を書いている余裕がない。けれど新聞、テレビ、ラジオだけは、しっかりとチェック。

 立秋。昭和61年の秋立つこの日に家族で、能登半島七尾に引っ越した、あの日が忘れられない。小牧通信局を立つその日に通信局の番犬として私たちと共に暮らした名犬ポチが亡くなり、本当に寂しかった。あの日の転任挨拶状は、たつ江(伊神舞子)が書いてくれたと記憶している。確か「秋立つ日、わたしたちは住み慣れた小牧の地を後にし、能登半島七尾市にやってまいりました」といった、確か、そんな文面だったと記憶している。

 安倍晋三元首相が奈良市で銃撃され死亡してから1カ月。殺人容疑で逮捕、送検された山上徹也容疑者(41)=鑑定留置中=の調べはその後も続いているが、このところは宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政界間とのつながり、癒着についても次第に暴かれつつある。この際、捜査当局には徹底した解明を望みたい。政治と宗教のはざまで泣いている人びとは他にもいるではないか、と。そんな気がしてならない。

 午後。和田の実家に兄と妹、私の伊神兄妹三人が集まる。
この日は、五月に満102歳(誕生日は6月1日)を前に旅立ってしまった母の逝去に伴う遺産相続についての話し合いが中心で弁護士の兄を囲んで亡き母への思いを語り合いながら、なごやか、かつ有効に母の残したものを生かすにはどうしたら良いか―を話し合った。
いずれにせよ、母が(亡き父とともに)私たち子どもに残しておいてくれた遺産は大変なもので、互いに大切にせねば、との気持ちでいっぱいであった。今後は兄の下した結論に従うことで帰宅したが「たかのぶ。この際、家におふくろが残したもので、ほしいものがあれば何でも持っていくように」との兄の言葉に従い、私はかつて新聞社の地方支局(松本)に初めて出た際に、最初の給料で購入し母に送った信濃の国の民芸品・松本てまりをもらうことにした。
 ほかに岐阜うちわや、母が踊りで使っていた大きな扇子、山ほど残された扇子のいくつかをもらうことにしたのである。何よりも嬉しく感激したのは、あの幸せを呼ぶ〝松本てまり〟を母が肌身離さず持っていてくれたという喜びだ。あらためて感謝のひと言に尽きたのである。帰りに、私と舞がいつも一緒に足を運んだ畑【エデンの東】にも寄ったが、管理してくださっている大脇さんの配慮もあってか。一画がイモ畑とわが妻、舞が生前、大好きだったヒマワリ畑に一変しており、それは見事だった。

「舞よ、マイ。たつ江。おふくろと元気にしているか。俺たちのエデンの東にヒマワリがいっぱい咲いてるよ」と私。
 

 エデンの東は穏やかな顔をしていた
 
 

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 「納棺夫日記」で知られた詩人で作家、最近はフェイスブックの「念仏広場」でも知られた宗教家・青木新門さんが逝った。私が能登半島の七尾に居たころ、彼は「支局長。これ、ちょっと読んでほしい。伊神さんが最初です」とデスクの上にポンと置かれたのが自らの体験を綴られた【納棺夫日記】だった。/新門さんは、故長谷川龍生さん(前大阪文学学校校長。元日本現代詩人会会長。「歴程」同人)とともに当時、全国から集まった詩人の祭典「能登島パフォーマンス」生みの親でも知られた。/今は亡き私の妻たつ江(伊神舞子)手づくりの志摩の〝手こねずし〟を「うまい。うまい」と言って支局長住宅で食べてくださった。後年の彼の生き方は知る人ぞ知る。お見事に尽きる日々であった。新門さん! 長い間、おつかれさま。おやすらかに。(8月6日。フェイスブックで新門さんの死を告知する)
    ★    ★

2022年8月6日
 新聞各紙とも、核のない平和な世界実現を願う紙面が目立った(6日付夕刊)
 

 土曜日。広島原爆の日だ。広島市の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)」が営まれた。77年前のこの日の朝、午前8時15分に米軍によって広島に人類史上初の原子爆誕が投下され、一瞬のうちに14万人もの尊い命が奪われた。私は何年か前に、恒久平和を願う妻たつ江(伊神舞子=ペンネーム)の、ひたすらなる思い、そして平和への希求に平和記念公園と原爆ドームを共に訪れたが、あの日のことが鮮明に思い起こされる。
 その日は式典の間は雨が降っていたが、終わるころには上がったと記憶している。私たちは舞が自身はもとより、自ら営むボランティアのリサイクルショップ「ミヌエット」のお客さんたちや友人知人にもお願いして何日もかかって折ってもらった平和のシンボル、千羽鶴を抱え広島を訪問。金色の折り鶴を捧げ持つ「原爆の子(佐々木禎子さん)の像」傍らの陳列棚に持参した千羽の折り鶴を祈りを込めて捧げ、ふたりで世界平和を祈ったのである。あのときの達成感にあふれた彼女の笑顔は永遠に忘れないだろう。私も嬉しかった。

 だが、しかしだ。私にとっては最強の同志でもあったその女(ひと)は、昨秋、病に倒れてもはや居ない。思い起こせば、彼女は私にとっての何よりの味方、かわいい同志でもあった。いやいや、これからも私が生きている限り、そうだと信じている。それだけに、こんご人間社会に核戦争という愚かな事態が起きることだけは避けてもらわなければ、と。今はそう念じる。

 ことしも午前8時15分からの1分間の黙とうに続き、松井一実広島市長の平和宣言。こども代表ふたりによる「平和への誓い」朗読、岸田文雄首相のあいさつに続いて、国連としては12年ぶりに参加したグテレス事務総長も「世界では約1万3000発の核兵器が保有されている。核兵器保有国が核戦争の可能性を認めることは断じて許容できません」などと述べた。前日の五日夜には、広島市民の手で原爆ドーム前を流れる元安川に平和や鎮魂の願いを込めたかがり火がともされ、亡き人の霊が弔われたという。

 黙とうをする市民たち(NHKから)
 

「核戦争は断じて認められない」と話す国連のグテレス事務総長(NHKから)
 

 グテレス国連事務総長のあいさつ要旨(6日付中日夕刊から)
 

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 朝刊は【安倍氏銃撃警護検証 配置直前変更、後方に隙 1発目銃声と認識できず】【企業にガス制限令新設 政府方針 ロシアLNG不足想定】【新ワクチン10月にも接種 オミクロン対応2種配合】【「核廃絶 日本懸け橋になれぬ ICAN(核廃絶国際キャンペーン)事務局長 NPT(核拡散防止条約)会議の首相演説批判】【旧統一教会・国葬議論なし 臨時国会閉幕】(6日付中日)、【中国、軍事対話を停止 日米と対立先鋭化 首相ペロン氏会談】【後方の銃撃「想定せず」 警察庁 安倍元首相の警備検証】【10日に内閣改造へ 茂木幹事長は留任】【9県52河川氾濫 各地大雨 依然2人不明】【学術会議「国の期間」維持 政府方針 法人化見送り】(6日付毎日)といったところか。いやはや、日々さまざまなことがこの世では起きる。

 夏の甲子園、第104回全国高校野球選手権大会が6日、甲子園球場で開幕、17日間(3日間の休養日含む)の熱戦の火ぶたが切られた。横浜(神奈川)の玉城陽希主将(3年)が「苦しい時期を乗りこえることが出来たのは、ほかでもない、ここに甲子園があったからです。高校野球の新たな歴史に名を刻めるよう全身全霊でプレーし、最高の夏にすることを誓います」と選手宣誓した。大相撲の夏巡業が5日、東京都のアリーナ立川立飛でスタート。巡業は新型コロナウイルスの影響で中止が続き、2019年12月の冬巡業いらいの再開となった。

 選手宣誓をする横浜高校の玉城主将(NHKから)
 

(8月5日)
 金曜日。きょうは、まず眼医者さんへ。眼圧は右16、左15で「大丈夫です。心配ありません」と言われ市役所へ。ここで年金受給の証明書を出してもらい社へ郵送。コンビニに寄って今度は電気料を納入。いったん帰っておふろを沸かし、いつものように一宮のスポーツ文化センターへ。ここで社交ダンスのレッスンを受け帰りに〝ほっともっと〟に寄って〝うな丼ふたつ〟を買って帰宅した。
 というわけで、きょうはおかげで書いている時間もあまりなく、愛車に乗ってあちこちを回り、一つひとつ用事を片付けていく-といった、そんな1日となった。舞の私に対する口癖だった「あのねえ。1日ひとつよ。それ以上はダメ。ダメなの」の言葉が脳天には、あるものの、そんなわけにもいかない。こんな按配では1日が進んでいかない。1日ひとつでは、私本来の世の中の現象(社会現象とでも言おうか)をたとえ僅かでも表現してゆくゆとりなぞ、あろうはずもない。かといって、日々の執筆は【平和な社会】を文と心で目ざす一匹文士、伊神権太の使命、真骨頂でもあり、避けては通れない。だから、こうして、たとえ1行でもと書いているのである。

 【五月雨をあつめて早し最上川】は、芭蕉が最上川の大石田(山形県大石田町)で作った句であるが、正岡子規に【ずんずんと夏を流すや最上川】という俳句がある。子規は明治26年に芭蕉の足跡を訪ねる旅に出て、この年の8月に本合海(新庄市)に到着。この句を詠んだそうですが、なんと気宇壮大なのでしょう。私は子規の「墨汁一滴」を手に思わず、嬉しく俳人伊神舞子に思いを馳せたのである。彼女のことだ。この俳句のことは生前の彼女なら当然、知っていたに違いない。その雄々しき川が、このところの豪雨で氾濫したというのだ。

 【東北・北陸で記録的大雨 17河川氾濫 2人不明 勝山で床上浸水10件 福井】【第7波と熱中症で深刻 救急出動増「未知の領域」 「困難事案」名古屋で5倍】【中部各地で逼迫 消防「119番冷静に」】とは、本日5日付中日新聞朝刊の見出し。これが夕刊となると、【大雨9県45河川で氾濫 2人不明 北陸、東北警戒続く】と災害の傷口は拡大。毎日も夕刊5日付の近事片々で<各地で続く記録的大雨の被害。「見たことのない柱のような雨」。これを日常にせぬ人類の責任、切実だ。>。ほかに<どうなる内閣改造・自民役員人事。首相の構想揺るがす旧統一教会の影。関係議員多い安倍派の処遇が焦点に>ときた。

(8月4日)
 木曜日。前線の影響で東北や北陸ではこの日も大雨が続き、各地で河川の氾濫はじめ土砂災害や住宅浸水など深刻な被害が続出した。私が住むここ、尾張名古屋もきょうは朝からゴロゴロゴロと、お天道さまはご機嫌斜めのようでどうしてそんなに機嫌が悪いの、と聴いたところで教えてくれるはずもない。時折、カンシャクでも起こしたようにゴロゴロゴロ、バリバリ、パシャ、ピッシャーンと。光りの海にも似た凄まじい乱反射と天が破れそうな雷鳴をとどろかせている。何か気にくわないことでもあったのだろうか。いつのまにか。きょうは令和4年8月4日である。

 この空のどこに、そんなエネルギーがあるのか。雷鳴と大雨が止まなかった自宅上空の空
 

 新型コロナウイルスの感染拡大は依然、治まらない。きのう3日に日本国内で新たに確認された感染者は24万9830人となり、1日当たりの新規感染者数として過去最多を更新。2日連続での20万人超えで、前週の同じ曜日より約4万人の増加。重症者は478人で前日より14人増加したという(厚生労働省調べ)。
 ここ愛知県でもきのうは新たに1万7778人が感染。1日当たりの新規感染者数で最も多かった2日の1万6923人を超えた。過去最多の更新は2日連続、名古屋市は6351人で愛知県と名古屋、豊橋両市は計10人の死亡を公表、死者の累計も2192人に達したという。

 こうしたなか、愛知県は3日、新型コロナウイルスのオミクロン株の派生型「BA・5対策強化宣言」を県内全域に発出し、5日から宣言に基づく感染防止対策を実施していくと発表(宣言の期間は21日まで)。いずれにせよ、早く感染拡大が治まり、収束に向かってくれること祈るのみだ。これでは私たち人間一人ひとりが戦場に身を置いているようで、それも目に見えないコロナウイルスと悲惨な戦いを続けているような。そんな気さえする。いや、実際にそうだ。

 3日はほかに前線や低気圧の影響で青森、秋田、山形、新潟の4県で線状降水帯が相次いで発生。各地で記録的な大雨が降った。気象庁は、このうちの山形県に午後7時15分、最大の警戒レベルとなる大雨特別警報を発表。県内の各自治体がレベル5の避難情報「緊急安全確保」を出す一幕まで見られた。一方でけさの新聞には【多治見38.7度 名古屋37.5度】の見出しも。記事では「関東や東海、西日本では三日も太平洋高気圧に覆われて晴れ、三五度以上の猛暑日になるところが多かった。気象庁によると、栃木県佐野市で三九・七度、埼玉県越谷市で三九・二度、群馬県館林市で三九・〇度を観測した。(中略)主要都市の最高気温は東京都心(千代田区北の丸公園)三六・一度、名古屋三七・五度、大阪三五・八度、福岡三六・二度。東京と名古屋は四日連続、大阪と福岡は七日連続の猛暑日になった。」と報じている。

 このところの人間社会は、コロナも暑さも、ことほどさようにまさに踏んだり蹴ったりである。
 ああ~。それなのに、だ。話は変わるが、ただでさえ、自然界に何かと痛めつけられている。のに、だ。プーチンの戦争といわれるロシアによるウクライナ軍事侵攻は依然、醜い戦場をさらしたまま、今なお続いている。なんてことだ。これこそ、愚か極まりない人間の所業だといえる。いずれにせよ、人間社会はいま自然界の脅威にズタズタに切り裂かれ、ボロボロになりつつある。まさに、だれもが【オンボロロ】の世界にゴミ同然に投げ捨てられようとしている。そんな気がせぬでもない。一体全体、なんということなのか。みなそれぞれの思いを胸に懸命に生きている、というのに、だ。

 話は変わって。アジア歴訪中のペロシ米下院議長が3日、台北市の総統府で蔡英文(さいえいぶん)総統と会談。「台湾をはじめ世界中で民主主義を守る決意は揺るがない」と台湾への支援を表明。これに対して蔡氏は「われわれは国家の主権を堅持し、民主主義の防衛線を守り続ける」などと応えた。これに対して中国は台湾周辺の空海域で軍事演習を実施するなど圧力を強めているという。
 台北と米国が仲良くするのを、中国が警戒し習近平国家主席が先のバイデン米大統領との電話協議で「火遊びは必ず自滅する」と警告したことは周知のとおりだ。ということもあって、ペロン氏の訪台を受け中国政府は米国のバーンズ駐中国大使を呼んで抗議。台湾に対してかんきつ類などの輸入や建築材料に使われる土砂の輸出停止を発表したというが、これもよく分からない話である。ニンゲンとは。どこもかしこも正しい判断ひとつ出来ない狂った存在かも知れぬ。

 3日の神宮球場。ヤクルト×中日戦でドラゴンズの大島洋平外野手が球団新記録でセ、パ両リーグ最多と並ぶ1試合6安打。圧巻の固め打ちで打率も3割2分9厘に上昇。リーグの首位打者争いでも最上位に躍り出てファンを喜ばせた。大島の1試合6安打は2018年の大山悠輔(阪神)いらい。2リーグ制以降では7人目、セで5人目。中日選手では初めて。ちなみにプロ野球記録は1リーグ時代の1949年の大下弘(東急)の7安打だという。

 大島の1試合6安打を報じた中日スポーツ
 

(8月3日)
 水曜日。ここ尾張名古屋は、きょうもカンカン照りの暑い日となった。一方で青森、秋田、新潟、山形など東北地方では豪雨が降ったという。
 これとは別に第7波による感染者急拡大が日に日に進み、医療の逼迫が深刻化している新型コロナウイルス問題。この感染対策につき政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の専門家有志が2日、感染者の全数報告の変更や一般の診療所でも感染者を治療できる体制づくりなどについて早急に対策の見直しに着手する必要がある、との提言を発表。医療の逼迫を抑えつつ社会経済活動を続ける仕組みに2段階で移行するのが狙いだ、という。

 新聞はほかに【原発処理水 放出工事を了解 福島県と2町 漁業者理解焦点に】【「黒い雨」審査中29人死亡 救済新制度 申請急増、追いつかず】【コロナ対応緩和提言 専門家有志「全数把握」見直し】(毎日3日付)【ペロシ米下院議長訪台 中国、軍事報復の構え】【日野自不正56万台に拡大 調査報告 データ改ざん03年から】【村上5打席連続本塁打 プロ野球新】(中日3日付)といった見出しが、今現在の世の中を生き映しにしている。
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 きょうも炎熱、命に関わる暑さである。そんななか、愛猫シロちゃんは何を思ってか、朝、一度外に出たもののすぐに帰り、しばらくするとまた再び外に、と出かけて行った。暑いので身の置き場に困っているのだろうか。何はともあれ、無事に帰ってきてほしく思う。でなければ、おかあさんに申し訳ない。彼女は、いつだって「シロよ。シロ、シロ。シロちゃん。元気」とシロのことを気遣ってくれているからである。このことは彼女が黄泉の国に旅立った今でも同じである。(シロは、このあとまもなくして帰ってきた)

 7月の参院選を受けた第209臨時国会がこの日召集された。参院本会議では議長選挙を行い、自民党の尾辻秀久元副議長を選出。副議長には立憲民主党の長浜博行元環境相が選ばれた。会期は5日までの3日間で法案などの審議はせず、与野党は安倍晋三元首相の国葬を巡り、閉幕後に閉会中審査として議論をする方針だという。
 
(8月2日)
 プロ野球ヤクルトの村上宗隆(22)が2日、東京の神宮球場であった中日14回戦で1、3回に本塁打を放ち、プロ野球史上初となる5打席連続本塁打をマーク。これまでは4打席連続(四死球を挟んでの達成を含む)が最長で、王貞治(巨人)バース(阪神)ら20人が通算21度記録しているという。村上は、7月31日の阪神戦を3打席連続本塁打で終え、この日の中日戦に臨み、第1打席で柳裕也投手から右越えに38号ソロを放ち、3回にも再び柳投手から左中間に39号2ランを運んだ。たいしたものである。ちなみに村上内野手は熊本・九州学院高校から2018年にドラフト1位で入団。2年目に新人王、昨季は本塁打王に輝いている。

 村上の5打席連続本塁打を報じた新聞
 

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 4回目のワクチン接種(モディルナ)を江南市内のKTXアリーナで午後、受けてきた。1、2回目当時のものものしさに比べると、接種をする側も受ける側も要領を知ってか。まことに手際よく、テキパキと進み15分の経過観察時間をのぞけば、それこそあっという間のワクチン接種だった。接種のあとは久しぶりに【あみもとの里】へ。おすしとあおさ汁、茶わん蒸しで満腹感を味わった。

 岐阜県多治見市と揖斐川町で38・8度、美濃市でも38・2度とどこもかしこも大変な暑さ。それこそ、<命の危険を感じる暑さ>に。全国47地点のうち31地点で35度を超える猛暑日となったという。当然のことのように、各所で熱中症警戒アラートが出された。

 埼玉県蓮田市の「蓮田ひまわり畑」がにぎわい、多い日には約800人が訪れているとは、けさの毎日新聞1面【燃える真夏の黄 埼玉・蓮田】の報道。またロイター通信によれば、ウクライナ産の穀物を輸送する貨物船の第一便が南部オデッサの港を出発。貨物船にはトウモロコシなど26000㌧の穀物が積まれており、レバノンに向かうという。ただロシアは穀物輸出の再開を巡る合意後もオデッサの港湾施設への攻撃を続けており、こんご安全な輸送を継続できるかどうかとなると、見通せない状態が続いている。

 中日夕刊1面に【円上昇130円台 2カ月ぶり】【アルカイダ指導者を殺害 米発表 ザワヒリ容疑者】【日野 不正00年代からか 国へ虚偽報告の疑い】の見出し。

 3歳からバイオリンを始め、モスクワ音楽院を首席で卒業。1966年にチャイコフスキー国際コンクールで3位入賞。82年には版画家で芥川賞作家の故池田満寿夫さんのパートナーとして静岡県熱海市に転居。97年の池田さん没後は自宅などを市に寄贈したことでも知られるバイオリニストで声楽家の佐藤陽子さんが7月19日、肝臓がんのため死去。72歳。福島市出身。葬儀・告別式は近親者で行ったという。

(8月1日)
 私が月に1度、「脱原発社会をめざす文学者の会」ホームページに連載している文士刮目がアップ(公開更新)されたので読んで頂けたら幸いである。アドレスは、https://dgp-bungaku.com 
 今回は連載15回目で「安倍晋三元首相の銃撃死に思う。【罪を憎んで人を憎まず】」を主眼にペンを進めてみた。

 暑い。ほんとに暑い8月が始まった。ラジオのニュースは日本海側で39度を超えるところが相次いでおり、どこも命に関わる危険な暑さだ、と報じている。一方で岸田文雄首相が7月31日午後(日本時間の8月1日午前)、米ニューヨークに政府専用機で到着。1日午前(日本時間同日深夜)に核拡散防止条約(NPT)再検討会議で【核兵器のない世界】に向けた行動計画を発表した。

 その核兵器だが、本日付の中日新聞夕刊に【「核攻撃あったら」NY市動画物議 対処法指南 市民「なぜ今」】の記事。「米最大都市ニューヨーク市が七月、核攻撃があった場合の対処を指南する市民向けの動画を突如として公表し、物議を醸している。ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器使用をちらつかせる中、公開のタイミングに不安の声も」といった内容。アダムズ市長は「用心して、し過ぎることはない」と主張している、とのことだ。いずれにせよ、ウクライナ危機が核攻撃に対する世界の不安の一端を浮き立たせていることだけは事実といえよう。