連載小説「あの箱庭へ捧ぐ」第一章

第一章 影を踏む

 1

 足立清二は到着時間の連絡を受けてから数十分は、事務室で待機していた。室内にある壁掛け時計をみずに、ここ数年愛用している腕時計をみつめる。そろそろ出迎えの準備をしなければならない。窓の外を見ると先日の梅雨入りが影響してか、空は気分がしずむほど曇っていた。
 ウミホタルは海の生き物だ。甲殻類で刺激を受けると威嚇するために発光するらしい。そんな生き物から名前をとったうみほたる学園は全寮生で、日本全国から集められた生徒や教師、その他の関係者を含めて約八百人ほどの能力者たちが生活している。
 都会から遥かに離れた山の中腹にあるため、自然に囲まれた広い敷地内に、大きな校舎や食堂が建てられていた。小さな雑貨店や洋服店もあるが、品揃えが良いとは言えない。男子寮と女子寮には中等部や高等部の生徒たちが住んでおり、先生や施設の職員たちは、アパートで暮らしている。年齢の制限はないが、十代から四十代ぐらいまでの能力者たちが学園に在学している。しかし、日本中のすべての能力者が集められているわけではない。全寮生のために敷居は高いのだろう。学費のこともある。学園内で働く者たちは、ある程度は免除されているがそれでも簡単に入れる学園ではないことは確かだった。
 近年、ニュースでも取り上げられることが多くなった、不思議な能力を持つ人間。それは子どもから大人、男女関係なく発症する病気のようなものだとキャスターが言っていた。
 能力病と呼ばれている。その力のせいで家に引きこもる子どもや大人が多くなった。子どもは学校に行かなくなり、大人は仕事をしなくなる。そんなふうに言われている。
 その能力は多岐にわたる。魔法のように何もないところから火や水を生みだしたりする者もいれば、五感が異常に発達していたり、共感覚を持ち合わせている者もいるという。原理はわからない。けれど、わからないこそ恐れられて一か所に集められているのかもしれない。
 どんどん増え続けている能力者を囲っておける場所は限られている。この学園以外にも、そういう学校や施設が増えているという。能力者の研究をしている場所もある。その中でも規則が厳しいと言われているこの学園は、一度入ったら卒業できるまで一時的な外出はおろか外との連絡も一切禁じられている。

   *

「足立先生。ちょっとよろしいですか」
 声をかけられたので事務室の扉から顔を出すと、そこにいたのは本間宗太という少年だった。顔は奇妙なほどに整っていて、美形と言っていいほどだった。街を歩くと必ず目を引くだろうその少年は、元子役の芸能人という経歴を持つ。彼は子役の頃に一世を風靡したらしい。言われてみれば確かにどこかで見たことのある顔をしている。そして学業に専念するという理由で、十二歳で芸能界を引退していた。現在は十七歳。これだけ顔が良いならば復帰してもよさそうなものだが。そんな彼がどうしてこの学園に在学しているのかと言えば、能力者になってしまったから。という理由の他ないだろう。
「どうした」
 あまり時間はないが、足立は対応する。時間がかかることならば他の先生に託すが、そうでないならばやってしまおうと考えた。
「斎藤寧々さんが門の近くにいるのを見たんですけど、放っておいていいんですか」
 本間の言葉に足立は目を丸くして、それからすぐに頭を抱えて大きく息を吐いた。「またか」と呆れたように呟く。
 斎藤は問題児だ。予想できなかったわけではない。しかし、ここしばらくは大人しくしていたので油断していたことも事実だ。
「ありがとう。すぐに向かう」
「気を付けたほうがいいですよ」
「ああ」
 本間の忠告を聞いてから、足立は急いで警備員に連絡する。電話で話した限り、監視カメラには斎藤の姿は映っていないとのことだった。本間の話を信じるならば、監視カメラの死角を突いて移動しているのだろう。しかし、そんな器用なことを斎藤ができるとは思えない。できるとすれば協力者がいる場合だ。斎藤の脱走騒ぎはこれで三回目だ。一回目は学園に入学したての頃、家に帰れないと知るや否や暴れて、教師たちを振りきって脱走しようとした。二回目は、斎藤が規則を破って謹慎処分を受けたのに、脱走しようとした。
 これまでの斎藤には、計画性というものがまるでなかった。
 協力者を得たうえで、斎藤が脱走計画を実行しようとしているならば、これは非常に厄介だ。斎藤が今までと同じで勢いだけで脱走しようとしていたなら、まだ楽だっただろう。
 学園の門が開閉するには二つの理由がある時だけだ。一つは、教師が用事や休暇で外に出るとき。もう一つは新入生を迎える時だ。それ以外はよほどの理由がないと開かない。そして今日は、新入生がやってくる日だった。
 このことは基本的に生徒には通知されない。だが、斎藤の持っている能力の事を考えれば、彼女がその情報を知っていてもおかしくはなかった。 
 斎藤は、聴覚が常人離れしている。どんなに小さな音でも、遠くの音でも聴くことができるらしい。
 今日門が開くことを知っているのなら、斎藤が脱走する絶好の機会だと考えていてもおかしくはない。協力者の力を借りれば、監視カメラを避けながら門まで移動することも容易いだろう。
 そこまで考察して、このままでは、新入生と斎藤が入れ違いになってしまう事実に気づいた。足立は急いで門へ向かった。事務所から門の間はそれほど距離はない。門前に着くと、連絡を受けた車の到着時刻と斎藤のことを警備員と話し合う。時間まで待機し、理事長たちの乗った車の到着と、斎藤を待ち伏せすることにした。
「厳重警戒だ」と足立は警備員の二人に言った。

 2

 車が二台、坂を登ってくる。監視カメラの映像を見ている警備員のひとりから、連絡が入る。足立はイヤホンから聞こえてくる声に返事をした。
 足立は何気ない顔をして、身長が百八十センチある自分よりも高い壁に挟まれた重い鉄格子を両手で押す。地面に埋め込まれたレールと格子が甲高い音をたてながらゆっくりと動いていく。
 通常、門には誰かが脱走しないように監視カメラと警報機がとりつけられている。しかし今回のように職員が出入りする際は、一時的に警報が鳴らないように設定している。
 足立が片側の門を終点まで動かすと、もう片側の門を押していた警備員も開け終わったらしく、「ふう」という声が聞こえた。
 左右の門が開き終わると、二台の車が徐行しながらうみほたる学園の敷地内に入ってくる。足立は車が二台とも門を通り終わったことを確認すると、辺りを警戒しながら、再び門に手をかける。
 そのときだった。
「おい。そいつを捕まえろ」
 足立よりも先に斎藤の姿を目で捕えていた警備員の叫び声が聞こえた。みると、確かにこちらへと走ってくる人物がいる。青い帽子を被った、少年とも少女とも見分けのつかない風貌をした人物。それは紛れもない、脱走犯。斎藤寧々の姿だった。
 斎藤が門の外へ出ようと走っている。近くで停車した二台の車からは、もう誰かが降りようとしている。そして斎藤と、車から降りてきた足立とは面識のない女の子。おそらく話に聞いていた新入生がすれ違う。斎藤がその子に気を取られていたその一瞬。足立はその隙を狙って自分の影を伸ばした。

   *

 空は曇っているが、まだ雲の隙間からは太陽が見える。丁度いい天気だった。
 うみほたる学園は能力者しか入れない。足立もその例にもれず。影を操ることが出来る能力者だった。
 足立は自分の影を使い、斎藤の影を捕える。足立の影と斎藤の影が繋がり、ひとつになる。次に足立は右の足を真横に動かした。斎藤の右足の影が、斎藤の意思とは関係なく横方向へと動く。影が動くとどうなるか。影を作っている物体もまったく同じ方向に動くことになる。本来ならありえないことだ。しかし足立の能力は、そういう能力であった。
 走っている斎藤の右足が影と同じく真横に動いた。斎藤はその場で体のバランスを崩して転んだ。
 斎藤のうめき声が一メートルほど先から聞こえる。
 足立は一歩も動かなかった。手を動かすことも、顔を動かすこともなかった。こうすることで、斎藤は起き上がれないし、例え起き上がれたとしても、動くことが出来ない。足立の影と斎藤の影が繋がっている限りは。
「取り押さえろ」
 警備員がそう言って、もうひとり別の警備員と一緒に斎藤の両腕を片方ずつ掴んだ。斎藤は身動きが取れなくなった。
「離せ。あたしに触るな」
 斎藤が無駄だとわかっているだろうに、叫んでいる。大人の男性二人に羽交い絞めにされていては、力で敵うはずもない。
 足立はそれを確認すると、門から離れて斎藤の傍まで行く。歩きながら、足立は二週間前のことを少し思い出していた。斎藤が二回目に脱走しようとした時の事。斎藤はあのとき、果敢にも足立に殴りかかってきた。まあ言うまでもなく軽くいなしたが。
「斎藤。残念だったな」
 足立は口角を上げてそう言った。
 斎藤は足立の事を睨んでくる。
「こんな所、大嫌いだ」
 斎藤はそう叫ぶと、観念したかのように抵抗するのをやめた。
 一段落して足立は能力を解除すると、今度は車のほうに視線を向けた。みると乗車していたであろう面子は全員車を降りていた。堀田理事長。二台の車の運転手が二人。米田恵理子先生。川崎竜太郎。そして新入生の小池燐音という少女。みんな、困惑した表情でこちらを見ている。
 足立は面倒だなと思いながら、理事長たちの近くまで歩いた。
「足立くん。これは一体?」
 そんな足立を見てか、理事長が首をかしげながら尋ねてきた。
「お騒がせしてすみません。彼女の処分はこちらにお任せください」
 理事長の目の前まで来ると、足立は言った。
「ああ。頼むよ」
 返ってきたのはその一言だけだ。理事長は、それ以上何も言わず、川崎に何やら話しかけている。そしてそのまま川崎と共に一足先に本部へと向かうようだ。
 足立へのそれは信頼からなのだとわかっていたが、その返答はとても淡白だと感じた。
 一方、米田は「お願いします」と足立に向かって一礼した。足立も頭を下げると、「はい」と返す。米田は足立の後輩にあたる。彼女は今回、新入生と同性だからという理由で理事長に同行を頼まれたという経緯がある。
「そちらも、よろしくお願いします」
 足立はそう言ってから、米田の後ろで怯えているだろう少女をみた。少し長めの前髪から覗く瞳は、何を考えているのかまるでわからない。小池は不安そうな顔こそしていたが、怯えている様子はなかった。そのことに安堵して、足立は彼女に話しかける。
「こんにちは。初めまして、足立清二と申します。よろしく、小池燐音さん」
 小池は僅かに頭を下げてから、「よろしく、お願いします」と小さな声で言った。
「そんなに緊張しなくていいよ。怖いお兄さんじゃないから。隣のお姉さんも、ちょっと顔が怖いかもしれないけれど、優しい――」
 最後まで言い終わらないうちに、米田が咳払いして「足立先生っ」と声を裏返した。本人が気にしていることを言ってしまったらしい。
「ほんの冗談ですよ。怖いと思ったことはないです」
 足立は弁解のつもりで言う。
「言われ慣れているので、大丈夫ですよ。気にしていません」
 米田が、嘆息しながら言った。
 わざわざ言うということは、相当気にしているなと足立は思う。実のところ、米田の顔を怖いと思ったことは一度もない。むしろ美人の類に入るだろう。何でこんなところで働いているのか疑問に思うぐらいだ。しかし彼女にも彼女の事情がある。根掘り葉掘り聞くつもりはない。
「それでは、こちらの件が片付いたら改めてそちらへ顔を出しますね」
 足立は米田たちに別れを告げると、自分の目先の仕事へと戻る。米田と小池も理事長たちの後を追って本部へと向かうようだ。
 警備員二人に捕らえられたままの斎藤は、落ち込んだ表情で項垂れていた。足立はそれをみると、頭を掻いた。
 まずは保健室に行って、斎藤の怪我の手当てをしなければならない。

 3
 
 斉藤への罰則は、反省文だけでは足りないのではないか。彼女の脱走未遂は今回で三回目だ。根本的な原因を解決するためにも、行動の制限をかけたほうが良いのかもしれない。足立はそう考えて、斉藤にとある罰を追加することにした。
「新入生の面倒をみる?」
 罰について伝えると、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、斎藤が足立の言葉を繰り返した。
「今回だけ特別だ。反省文と合わせて二つの罰をお前に科す」
 足立は、斉藤に向かってそう言った。
「それはいいですけれど。新入生に関しては、罰にならないんじゃないですか。あの子、あたしと同室だって聞きましたよ」
 斉藤は首を傾げて言った。
 これは足立も先ほど知ったことだが、どうやら今は斎藤が一人で使っている女子寮の部屋に、新入生の小池が新しく入る予定だったらしい。通常は、新入生の入寮が生徒に知られないようにするため、当日まで告知しないことになっているが、斉藤は同じ部屋に入るということで、事前に知らされていたみたいだ。
 足立は女子寮について詳しくはない。どの生徒たちが同じ部屋なのか、資料を確認しない限りは知らない情報だ。しかし今回は米田が、斉藤の部屋に小池が入ることをわざわざ足立に教えてくれたのだ。
「何か運命的なものを感じたから」だそうだ。
 正直よくわからない理由だと思ったが、都合は良かった。斉藤のためになることだと思ったからだ。
 それから脱走騒ぎの協力者だが、斉藤は頑なに口を割らなかった。協力者などいないの一点張りだ。このままうやむやになりそうだった。
 あれから一日経ち、斉藤と小池の様子をみているが、どうやら上手くやっているようだった。二人で食堂へ昼食を食べに来ている。
 足立は二人より先に昼食を食べ終わり、食器を片付けると外へ出た。近くのこげ茶色のベンチに座り、二人が食堂から出てくるのを待つ。傍から見たら怪しい行動ではあるが、これも仕事のうちだった。新入生というものはとても危ういものだ。来たばかりでここの生活に慣れていない。だから先生をやっている限り、注意してみていなければならない。そして問題が起こればすぐに対処するべきだ。
 勿論その職務があるのは足立だけではない。米田もそうだ。特に彼女は、小池の担当だと聞いた。できるだけ近くにいるだろう。

   *

 数分後。斉藤と小池が、食堂から出てきた。何かしゃべっているが様子がおかしかった。小池が口元を押さえている。彼女は膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
 斉藤が慌てて、食堂にいる人に声をかけている。中にいた米田が、急いでかけつけていた。何か袋のようなものを持っている。
 足立は近くまで行くと、すぐに事態を把握した。
「まだ気持ち悪い?」
 米田が、小池の背中をさすっていた。おそらく嘔吐したのだろう。先ほど食べたものと思われるものが、袋の中にみえた。強いストレスを感じて胃腸に負担がかかっていたのだろう。小池は学園へ来てから今まで、無理をしていたのかもしれない。生活環境が変わったばかりですぐに慣れろというのは酷な話だ。
 足立は落ち着くまで待ってから、声をかけた。
「大丈夫か。そこのベンチに座ったらどうだ」
 米田が頷いて、小池を先ほど足立が座っていたベンチへと誘導した。斉藤も一緒だった。
「足立先生。少しの間、お願いします」
 米田がそう言って、使用した袋を持って食堂へ戻る。水を持ってくるそうだ。
 足立はベンチに座っている小池と斉藤の前に立っていた。そういえば飴を何個か持っていたな。と思い出したので、ズボンの右ポケットに手を入れた。
「小池。いい物をあげよう」
 そう言って、足立はポケットの中に忍ばせてあった個包装の飴の中から、イチゴ味と袋に書いてあるものを取り出した。
「あ、ありがとうございます」
 小池が微かに嬉しそうな顔をして、足立に向かってお礼を言った。
「吐いたから、胃液で口の中が不味いだろう」
「は、はい」
 小池は足立の言葉に、苦笑いしながら頷いた。
 それから小池は飴の袋を開けて、赤い飴玉を口に一つ含んだ。飴玉は少し小池の口には大きいのか、頬の膨らみがはっきりとみて取れた。時折、飴玉と小池の歯が擦れるような音がした。
 それをみていた斉藤が、自分も欲しくなったのか、「足立先生。それもう一個ないんですか」と尋ねてきた。
 仕方ないなと思い、足立は再びズボンの右ポケットの中を探る。飴の袋を何個か取り出した。中にはまだ中身がある、膨らんだ状態の飴の袋があった。ちなみに紫色のブドウ味と書いてある。
「あるけど、これ俺の分」
 そう言って、足立は少し意地悪をする。ほんの冗談のつもりだった。場を和ませたかったのだ。
「え? じゃあいいです」
 斉藤が怒ったような口調で言った。真に受けられたらしい。
 足立は笑った。
「冗談だよ。ブドウ味でよければあげるよ」
「ありがとうございます」
 斉藤が笑顔で元気よくお礼を言った。
 それから、斉藤は足立からブドウ味の飴を受け取った。
「俺は、禁煙中なんだよ。だから飴を舐めていたんだ。最近また値上がりしただろう。外に行っても高いから。また新しい飴を買わないとな」
 そう言いながら、足立は息を吐いた。ヘビースモーカーとまではいかないが、喫煙者だった。かと言って電子タバコは苦手だったため、飴でごまかしていたのだ。
「ここって結構、給料が高いって聞きましたけれど」
 どこで誰が言っていたのか。斉藤の発言に足立は驚いた。
「一体誰から聞いたんだ」
「あたしは耳がいいので。風の噂で聴いたんですよ」
 斉藤の返答に、足立は彼女の能力について思い出していた。斉藤は耳が異常に良いのだ。
 これには足立も苦い顔をするしかなかった。この学園にいる限り、どこで誰が何を聴いているのかわかったものではない。
「給料はな。使いこんでいるから」
 そう言って、足立は笑ってごまかすしかなかった。小池を一瞥する。
 足立も小池の能力の事は、知っている。だから何かを思うことすら今はためらわれた。
 米田が戻ってくる姿が目に入る。足立はそれを確認すると、今度はしっかりと小池のほうをみる。
「小池。あんまり無理するなよ。具合が悪いならすぐに近くの先生に言えよ」
「は、はい」
 小池は飴に妨害されながらも返事をして、足立の言葉に頷いた。
「よし。じゃあ、またな」
 米田と入れ替わるようにして、足立は事務所の方へ向かって歩きだす。
 斉藤が足立に向かって手を振った。隣で小池が軽く頭を下げていた。
「足立先生。ありがとうございました」
 すれ違いざまに米田が言ったので、足立は無言で手を振る。
 自分が汗をかいていることに気づいたのは、事務所の入口の前だった。
 タイミング良く、足立のスマートフォンが振動する。ズボンの左ポケットからそれを取り出して画面をみてみると、メールが届いていた。差出人は、「いのう研究所」
 足立は肝を冷やし、内容を確認せずに画面を閉じた。そのままポケットにしまう。
 別にやましいことがあるわけではない。そう思いながら、足立はどんな顔をしていいのかわからない。だから無理に表情を作らずに、仕事に戻ることにした。

(続)

一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2023年9月1日~)

2023年9月23日
 秋分の日である。
 土曜日。けさは秋空の下、シロちゃんは早くから、お外に。新鮮な秋の気配と空気を思いっきり吸って帰ってくるのだよ、と私。シロは秋の空気を十分に吸い、正午過ぎには、わが家に帰ってきたのである。シロよ、シロ、シロ。シロちゃん。お帰りなさい。ところでおかあさん(伊神たつ江、舞子。だから、愛称は〝たあ~ちゃん〟)は元気でいた? と私。シロは、うぅ~ん、ううんとだけ答えた。どうやら、おかあさんもこの秋晴れの下、元気で過ごしていてくれるらしい。よかったね、と私。

 シロは、いつも私たち家族を守ってくれている。いまでは完全におかあさんの代わりである
 

 何の恨みがあってか。私のからだを急襲されたコロナの方は平熱で、せき込むこともなくなり、順調に治癒しつつある。
 午後。久しぶりに近くの古知野食堂へ、と出かけた。ベランダにはシロちゃんのブルーのバスタオルはじめ、この季節になると身にまとう私のスポーツシャツ類を天日干し、少しでも自然の太陽光線でわが衣類の消毒を兼ね、干して秋風のなかを泳がせたい、からである。

 青森県八戸市の駅弁製造販売「吉田屋」で今月15日と16日に製造された駅弁を食べて体調不良を訴えた人が21都県で270人に上っている問題で八戸市保健所は23日、原因が弁当による食中毒と断定。行政処分を行った。保健所の調べによると、患者の便や未開封の弁当から黄色ブドウ球菌とセレウス菌が検出されたという。

(9月22日)
 金曜日である。毎日新聞朝刊くらしナビ面に【くらしナビーライフスタイルー 「燃料デブリ」どうする 決めるのは私たち】の記事。書き出しと本文の一部は、次のとおりである。
-「国や東電がちゃんとした計画を今から作らなければ、同じことが起こるのではないか」。原子力工学が専門の福井大客員教授の柳原敏さん(73)は、東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出を巡って世論が割れるのをみて、心配している。
 私たちが直面する難題は処理水だけじゃない。次に待ち受けるのは、核燃料が溶け落ちて生まれた「燃料デブリ」と、壊れた原子炉をどうするか、だからだ。福島第1原発に残るデブリは、正確な量も危険度も分からない。だから、取り出し方法も、保存する場所も、決まっていない状態だ。
 8月12日、東京大で日本原子力学会のシンポジウムが開かれた。壇上に並んだのは学者ではなく、福島出身や原子力を勉強する学生と、第一線で原発を追ってきた新聞記者たちだ。福島第1原発の最終形については、公園や水族館といった声のほか、こんな希望が出た。
 「広島の原爆ドームのように遺構として保存してほしい」「教訓を学べる場所であってほしい」……

 きょうは丸1日、私が「脱原発社会をめざす文学者の会」幹事会からの要望で月イチで書き進めている文士刮目の第29回【世界の緊迫に思う 何事も油断大敵】の執筆に追われた。それにしても、このところの咳にノドの痛み、鼻水、倦怠感は尋常ではなかった。でも、体温も下がり、やっと本欄にもこうして臨むことが出来、ホッとしている。それにしても、コロナを身をもって体験、この病がいかに恐ろしいものか-を実感したのである。
 舞が、この秋空のなか、雲に乗り「どう? それでよくなったの? あなたは、ほんとに、いつだって弱い。弱っちい男なのだから。これからは、しっかりしなきゃ、いけないよ。あたしがいないのだから」といった声が耳に大きく迫る。いやはや。コロナくんには随分長い間、いじめられた。やれやれである。こんな時、おまえが傍らに居てくれたなら、それだけで安心なのだが。おまえは、頼りがいのある女性だったことを今さらながら身に染みて思っている。

(9月21日)
 けさの新聞報道によれば、新型コロナウイルスのオミクロン株派生型「XBB・1・5」に対応した改良型ワクチンの秋接種が20日、始まった。生後半年以上の全ての人が対象で費用は無料。厚生労働省は重症化リストの高い、高齢者や基礎疾患のある人に積極的な接種を呼びかける。期間は来年3月31日までで、来年度以降は自己負担が生じる可能性がある「定期接種」への切り替えが検討されているという。

(9月20日)
 水曜日。20日。彼岸の入りである。
 秋の晴れた空を見ると、私の口からは自ずと♪秋空に未来永劫と書いてみし、と♪曼殊沙華(まんじゅしゃげ)人恋うほどに朱(あけ)深く-の二句(いずれも今は亡き伊神舞子が生前に詠んだ俳句。名作である)が出てしまうのである。
 このところは末っ子ともども親子そろってコロナに罹患してしまい、しばらくは体調の優れない日々が続き、世紀の病から逃れ出るため、私たち親子にしては珍しくちょっと大変な毎日が続いた。何より、も毎日既定の量の薬を飲むのが苦痛で、本来なら、薬なぞとは縁もゆかりもなかったはずの私たちにとって、薬に追い立てられてしまう、ちょっと苦しい、そんな日々が続いた。でも、砲撃のような、薬の効果があってか。なんとか体調は戻りつつあり、ここ二、三日はホッとしているといったところか。(まだまだ喉はいがらっぽいが。いずれにせよ、しつこいコロナ君たちである)。

 【故大島宏彦さん従三位】【損保ジャパン立ち入り 金融庁開始 ビッグモーターにも】【地方住宅地31年ぶり上昇 基準地価 商業地も4年ぶり 背景に低金利、訪日客増】【名古屋圏上げ幅拡大】【辺野古反対国連で訴え 基地集中沖縄知事「平和脅かす」】【サポーター暴力の浦和 天皇杯の参加資格剥奪】【鉄骨の梁と落下 2人死亡 3人けが乗って作業中か 重さ15㌧、ワイヤ外れ 八重洲のビル工事】など。新聞紙面には、きょうも多くのニュースが満載されている。
 これが世の中、世の人々が歩く人生というものか。

(9月19日)
 火曜日。コロナでダウン、このところとても新聞など読もうとする気力ひとつなかったが、きょうは体内に居座るコロナ君たちもだいぶ退散したようで、久しぶりに朝刊を読んだり、夥しい量のネットのチェックをすることが出来、なんだかホッとした。仲良く自宅療養に耐えてきた末っ子もきょうからは久しぶりに出勤。シロちゃんも、それこそ、久しぶりにお外に出て、例によっての外遊、すなわち外歩きとあいなったのである。

 きょうの私にとってのニュースは、やはり本日(19日)の中日スポーツの1面【堂々バンテリンD初先発 根尾 「バカみたいに」投げ込んで制球難克服 ゾーンに直球、変化球集め6㌄2/3自責0】である。川又米利(本紙評論家)の核心【先発投手の理想型を見た 打もすごい!! 3割打てそうな隙ない打撃】もよかった。何よりも、飛騨の山奥に育ち、これまで忍従の日々に耐えてきた中日の根尾昴投手(23)が好きだからである。私は、ああした苦しさに耐え続ける人物、根尾を大好きなのである。

(9月18日)
 コロナが目に見えない。
 この微生物がいかに大敵かを思い知らされた。というわけで、ここ半月ほどは自宅を出ない生活が続いた。幸い、熱もノドも快方に向かっており、もう心配ない。それにしても、コロナ、すなわち、新型コロナウイルスがいかに恐ろしい病いであるか、を身をもって知ったのである。

 というわけで、私にとって大切な執筆活動をきょうから再開。それこそ、書ける範囲内でこれまでどおり私の思うところを書きつづっていこう。

 本日付の中日新聞に【「俳句の持つ力に確信」 黒田杏子さん偲ぶ会】【大谷選手今季終了 右脇腹炎症治まらず決断】の見出し。そして。今ひとつ★両陛下、海づくり大会に の小見出しは、天皇、皇后両陛下が17日、北海道厚岸(あっけし)町の厚岸漁港を訪れ、第42回全国豊かな海づくり大会の式典で、陛下は「この豊かな海の環境を保全するとともに、水産資源を適切に保護・管理し、次世代に引き継いでいくことは、私たちに課せられた大切な使命です」とあいさつされたことを報じていた。

(9月17日)
 日曜日。敬老の日。この日ばかりは、自分にはまったく関係のない日だ、とばかり思っていたが、そんなわけにもいかないようだ。信じられないが、私も早や、77歳であり、敬老の日の対象年齢だ、と言われたところで「私はまだまだ若い。年寄りなんかじゃない」と拒否は出来ないだろう。
 歳はとっても体力だけは、自信があったのだが。半月ほど前に同居の息子と共にとうとう、コロナ君に攻撃されてしまい、それこそ苦しい日々が続いた。でも、息子の献身的な看病と心遣いのおかげもあって、なんとかこの苦境を脱出できそうである。というわけで、現在挑んでいる新刊の最終校正こそどうにか切り越えたものの、このところは日常の新聞に目を通したり、ラジオのニュースに耳を傾ける以外には社交ダンスのレッスンもやめ、日ごろの執筆も滞りがちで自室に椅子に座るか、ベッドに横たわるほかない。
 だが、かわいい愛猫シロにうつすことだけはあってはならない、と窓の風とおしをよくすることに努めているが幸い、シロちゃんは大丈夫のようである。

 きょうは、朝から猛烈な雨だ。雨が降ると、なぜか全身が洗われるようで、コロナくんたちもこれらの雨たちと一緒に退散していくようで、どこか救われる。ここ1週間ほど続いた息苦しさもやっとこせ、少しは、なくなってきたようで、こうして久しぶりにデスクに向かい、再び書き始めた。

(9月16日)
 毎日新聞の余録(9月16日付)に阪神タイガース優勝について書かれていたので一部をここに残しておこう。いい文である。
 ▲決して二刀流のオオタニや、昨年のヤクルト「村神様」のようなスーパースターが中心になったわけではない。若手が活躍し、投打がかみあい、しっかりと打線をつなぐチームワークで白星を重ねた。豪快な打撃とともに内紛も多いイメージだった従来とは、ひと味違っていた▲不振なシーズンも「ダメ虎でもいとおしい」と応援し続けたファンは感慨ひとしおだろう。危険な「道頓堀ダイブ」などせずとも、地元の熱気は十分に伝わってくる▲それにしても「優勝」の2文字をあえて封印し、選手やファンのムードを「アレ」で一体にしていった岡田彰布(あきのぶ)監督の手腕に驚く。多くの人が、自分にとって目標とする「アレ」は何かを思い浮かべたのではないか。虎党ならずとも、六甲おろしを口ずさむたくなる快挙だった。

(9月15日)
 敬老の日(18日)を前に、厚生労働省が全国の100歳以上の高齢者が過去最多の9万2139人になった、と発表。昨年に比べ1613人増え、53年連続の増加。全体のうち女性が8万1589人と88・5%を占め、男性は1万550人。最高齢は大阪府柏原市の巽フサさんで、1907年(明治40年)4月25日生まれの116歳。男性は千葉県館山市の園部儀三郎さんで明治44年(1911年)11月6日生まれの111歳だった。また厚労省によると、日本人の平均寿命は女性が87・09歳、男性が81・05歳となり、2年連続で前年を下回った。新型コロナウイルス流行による影響とみられるという。

(9月14日)
 プロ野球のセ・リーグは14日、阪神タイガースが2005年いらい18年ぶり6回目(1リーグ時代の4回を含めると10回目)の優勝を果たした。9月に入って11連勝の快進撃で、球団史上最も早い日付で王座に就いた。前回優勝した2005年に指揮を執った岡田彰布=おかだあきのぶ=監督(65)が復帰1年目でチームを再び栄冠に導いた。監督が意識しすぎないよう「アレ」と呼んだ優勝へ突き進んだ。

(9月13日)
 水曜日。きょうは、金山ペインクリニックまで。元々、私がかつて顔面が痛くなったときに今は亡き妻たつ江がその存在を突き止め、教えてくれ、私を伴い一緒に連れて行ってくれた私にとっては大切なペインクリニックである。今回は、血圧があがらないように飲む薬と以前のような顔面痛が起きないように随時のむ薬を調達するためだったが、つい1週間ほど前にコロナに感染するなど大変なさなかの病院行きとなった。本音をいえば、薬なぞ一錠とてのみたくはないのだけれど。これも年をとった証拠か。しかたないか。

(9月12日)
 火曜日。尾北ホームニュースの女性(土肥さん。島根出身)から突然、電話をいただく。「泣かんとこ 伊神舞子俳句短歌遺稿集」の新聞掲載の件でだったが、生前のわが妻、たつ江、すなわち舞(マイ)は尾北ホームニュースの俳句欄をそれこそ、いつもむさぼるように熱心に読んでいただけに、近々彼女の遺稿集【泣かんとこ】を取材して頂けると聞き、とても嬉しく思い、さっそく仏前でわが妻、舞(静汐院美舞立詠大姉)に報告させて頂いたのである。ありがたいことだね。舞よ、マイ。心から感謝しなければ、ね。

(9月11日)
 けさの私の体温は36・4度。体温に限れば平熱に戻ったようだが。のどのカラカラ声まじりの少しの痛みに、せき、鼻水、呼吸をするつどの引きつり、ゼイゼイといった息苦しさ……と、これまで味わったことのないほどの激痛に我が身は襲われている。
 それどころか、けさになって私が頼みの綱としている同居息子(3男)までが体調異変をきたし、会社を休んで私と同じ説田クリニックにいったところ、陽性と診断され先ほど、うなだれて帰ってきた。全くもってこれでは、わが家がコロナ禍に責められている、といっても不思議でない。今は「みな早く治りますように」と神さまにお願いせざるを得ないのである。

 ただひとり、愛猫シロちゃんだけが、相変わらずのマイペースで焦らず、騒がず、驚かずとでもいえようか。わが家に何か異変が生じていることは気付いてはいるようだが、そんなことはお構いなし。けさも元気に散歩に出かけたのである。いま。シロちゃんの頭を駆け巡っているものは何なのか。私はそれを知りたいのだが。シロはいつもどおり。平常心は変わらないのである。いつものように午前10時過ぎにお外に出て正午過ぎには規則どおり帰ってきた。シロは彼女なりに自らの体調維持を考えている。そんな気がしてならない。

 新川が決壊したあの東海豪雨からきょうで丸23年がたつ。当時、私は新聞社の一宮主管支局長から文化芸能局の部長に異動したころで、一宮の自宅から中日ビルまでマイカーで命からがら出勤した、あの日を思い出す。行こうとする先々で至る所で通行が遮断されており、名古屋の職場に辿り着くまで半日を要したあの苦い体験が頭をかすめるのである。

 4年に1度、ラグビーの世界一を決める第10回ワールドカップ(W杯)フランス大会で1次リーグD組の日本は10日、フランス南西部トゥールーズでのチリとの初戦に42-12で勝った。初めて8強入りした2019年日本大会を上回る成績に挑む大舞台での白星発進となった。

 北アフリカのモロッコ中部で8日深夜(日本時間9日朝)に起きたマグニチュード6・8の地震で内務省は死者が2122人、負傷者が2421人に上った、と発表。犠牲者はさらに増えそうだ、という。

(9月10日)
 のどの痛みに始まり、鼻水が出て呼吸もままならない。
 呼吸をするつど、のどがひきつってくる。長い人生の中で、こんなに苦しい思いをしたのも、珍しい。幸い、同居の三男坊が、買い物から何から何まで、あれやこれやと気を遣ってくれているので大いに助かっている。新聞をじっくり読むという朝の日課が、このところは、いつもと違い途絶えているのでシロちゃんまでが私のことを心配してくれており、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。それよりも何よりも、わが愛するシロちゃんにコロナをうつしたら大変なので、一緒に寝ることも控えている。
 健康第一、とはよくぞ言ったものである。わが家では川崎に住む長男夫妻が先日、コロナにかかり心配したが1週間ほどで治り、ホッとしたところへの、今度は私へのコロナ来襲、不意打ちである。

 というわけで、きょうはほとんど丸1日寝ていた。

(9月9日)
 土曜日。朝起き、いつものように新聞を読み始めたが、のどが痛いばかりか、気持ちも悪く、首全体が引きつってしまい、何度も咳が出る。鼻水も、だ。で、かつて舞が診てもらっていた自宅近く池田病院に行ったところ、「当院ではコロナかどうかは診療できないので説田クリニックさんに行ってください」とのこと。クリニックを訪れると、鼻に何か筒のようなものを入れ、しばらくすると「間違いなくコロナですね」とのこと。というわけで、こちの薬局へ―と出向いた。
 渡されたのは、朝夕食後のラゲブリオカプセル200㍉㌘のカプセル錠(朝、夕食後にこれを4錠ずつ飲む)とべポタスチンベシル酸塩錠10mg「タナベ」、レスプレン錠30mg(朝、夕食後に各1錠飲む)、ピーエイ配合錠(朝、夕食後に各2錠)。まさに薬の洪水である。長い人生で、こんなに多くの薬を渡されたのは、おそらく初めてである。
 幸い、息子があれやこれやと気遣ってくれ何かと助かっている。

 この日は舞なのか。ひと筋の雲がわが家上空の天空を、どこまでも貫いていた。舞よマイ、ありがとう
 

(9月8日)
 外で他のニャンニャンたちとケンカでもしたのか。シロが大事な、だいじな左耳上部を少しケガしていたので、オキシドールで消毒後、しばらく時間をおいてこんどは私の指に唾をしみらせて塗ってやる。これでよくなれば良いのだが。いや、元気だから。すぐによくなるだろう。

 新聞、ラジオ、テレビは毎日毎日、あれやこれやと報道をしている。良いニュースは殆どといってほどなく、たいていは悪いニュースばかりである。そして。その悪いニュースも連続性を帯びているのでよくない。悪いニュースが「これでもか」と報じられると、なんだか私たちの心までが汚く澱んでいってしまいそうで全くもってよろしくない。そのお手本とでもいおうか。その代表といっても記事が、秋本衆議院議員の逮捕と並んで報じられている【ジャニーズ社長謝罪、辞任 喜多川氏の性加害認める 東山氏後任 社名は維持】(8日付、中日新聞1面見出し)というものである。
 昔の、時の権力者でもあった元社長、ジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題が今になって噴出してきたもので、同事務所は7日、東京都内で記者会見を開き、社長を務めていた藤島ジュリー景子氏が性加害を事実と認め「心からおわびを申し上げます」と謝罪。藤島氏は5日付で社長を引責辞任。代表取締役にとどまり、被害者への補償に当たることを表明。後任社長には所属タレントの東山紀之氏(56)が就いた-という何とも恥ずかしい話である。首脳陣は、この悪行をこれまで見て見ぬふりをしてきたのか。一体全体、何をしていたのか、と思うと、腹立たしささえ感じるのである。

 いろいろさあ。シロちゃん。人間社会では毎日毎日へんな事件ばかりが起きているよね。シロちゃん。

(9月7日)
 東京地検特捜部は7日、洋上風力発電事業を巡る事件で秋本真利容疑者(48)=衆院議員。比例南関東、自民党を離党=を洋上風力発電事業にからむ依頼の見返りに日本風力開発側から6000万円の賄賂を受け取ったとして受託収賄容疑で逮捕。中日新聞夕刊は【秋本衆院議員を逮捕 6100万円受託収賄疑い 東京地検特捜部 洋上風力国会質問謝礼か】の見出しでトップで報じている。三菱重工業がこの日午前、種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)からの大型ロケット「H2A」47号機の打ち上げに成功。今回の成功は、日本の宇宙開発を再開する一歩となるという。

 午後。江南市土地改良区(江南市役所内)と扶桑土地改良区(扶桑町役場内)へ。どちらも私の有する土地の畑地かんがい水利賦課金を支払うためだったが、扶桑町役場に行くのに、通行人に場所を聴くなどかなり手間取った。だが、やはり現場百回か。扶桑町役場庁舎内の椅子や机など至る所にヒマワリが施されていたので町役場職員に伺うと、「ここは町の花がヒマワリですもので」とのことだった。まさか、ウクライナと同じヒマワリの町が、ここ尾張地方にあっただなんて。なんだか不思議な気がした。帰りに、運転席から庁舎を望むと、これまた【非核平和宣言の町 扶桑町】【全国統一防火標語 火を消して 不安を消して つなぐ未来 扶桑町・扶桑町消防団】の垂れ幕が目の前に。これには、また少し感激したのである。

(9月6日)
 先日、滝高の同窓会でたまたまテーブルが同じだった大先輩、川村典久さま(昭和36年滝高卒業)から【半寿回想】と【河村正義回想-その生涯と研究活動】=いずれも印刷製本・カワムラ工房。非売品=の2冊が送られてきた。合間を見て読ませて頂こう。滝は、立派な先輩たちばかりだなっ、とつくづく思う。
 このところは私の新作【伊神権太一匹文士小説集「ぽとぽとはらはら 赤い空」】(人間社)の最終校正はじめ、ほかの一匹文士そぞろ歩きの執筆などアレヤコレヤに追われ、チョット大変な、ハードな日々が続いている。このうち、一匹文士小説集は、わが妻舞に対する夫婦の一里塚といってもよく、渾身の小説集となるだけに、日々真剣に取り組んでいる。無事、刊行し一人でも多くの皆さまに読んで頂ければ、それ以上にうれしいことはない-と。そう、自らに言い聞かせながら日々がんばっている。新著は人間社さんから、発刊予定だけに誕生したあかつきには一人でも多くの皆さま方に読んで頂ければ、と願っている。

 というわけで、このところは何かと私なりに忙しい日々が続いている。
    ※    ※

    ☆    ☆
【14歳娘に刺され母死亡 愛知・大治 殺人未遂疑い逮捕】(6日付、中日夕刊見出し)【北海道地震5年 黙とう復興へ決意新た】【「命守るため、日々備えを」 阪神でも被災、語り部の64歳女性】【クマ人身被害 最多54件 4~7月、出没も高水準 省庁会議、警戒呼びかけ】【「西村彗星」見えるかな? アマ天文家が発見、60年の成果 未明の東の空、週内見頃】(6日付、日経夕刊見出し)
 世の中、いろいろある。生まれては消える。

2023年9月5日
 この世は薄情なものである。
 能登の七尾でママさんソフトボール協会の代表だった、あの七尾市山王町の南昭治さんから毛筆の封書が届いた。中を開くと「妻がこの五月二十二日に突如亡くなりました」という悲しい知らせだった。封書には「元気でした。前の日もグラウンドゴルフで二人参加 妻は入賞でした 二人でショッピング後 妻は又三年間運転出来ると大喜びで警察署から免許証を受取って玄関を出て来た嬉しい笑顔 その足でスノーから新らしいタイヤに変えガソリンも入れました。二十二日 今日はグラウンドゴルフ市民大会の日。朝いつもより一時間早く朝食と昼大会弁当を作っている途中の七時ごろ〝お父さん〟と大声が。ハーイと私が台所へかけつけた時 その前で倒れて小声でお父さん救急車呼んで…それっ切り一声も目もあけず その夜、病院からの電話でかけつけた時はもうあの世へ旅立っていました(中略)
 あれから百日過ちました 妻は確実に私を待って居るといっているようですし思い出の何千枚の写真一枚一枚の風景に涙あふれて止まりません。」とあった。私はその場に立ち尽くした。そして「南さん、大変でしたね」と、それ以外の言葉はとうとう出てこなかった。

 「南さん、辛かったですね。能登七尾では奥さまにも大変、あれやこれやとお世話になりました」。写真はオシドリ夫妻で知られた南昭治さんから私あてに届いた手紙 合掌-
 
 

 最高裁第1小法廷(岡正晶裁判長)は4日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、軟弱地盤改良工事の設計変更を承認しなかった沖縄県に対する国土交通省の是正支持は違法だとして県が取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、県側の上告を棄却。是正指示を「適法」とした県側敗訴の福岡高裁那覇支部判決が確定した。

 というわけで、けさの新聞の見出しは【辺野古 沖縄県の敗訴確定 軟弱地盤 工事進む可能性 最高裁「国の指示適法】(5日付中日新聞朝刊)【辺野古 沖縄県敗訴確定 設計変更 不承認は「違法」最高裁上告棄却 知事「極めて残念」】(5日付毎日朝刊)などといったものだった。辺野古を巡る問題は、なかなか難しい問題である。

 一方、本日付の中日夕刊は【京アニ放火殺人認める 地裁初公判で青葉被告 弁護側無罪主張 検察側「完全責任能力ある」】の見出し。記事を読みながら、36人が死亡し、32人が重軽傷を負った2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件で殺人罪などに問われた無職青葉真司被告(45)が、この日京都地裁で開かれた裁判員裁判の初公判で「自分のしたことに間違いありません。こうするしかないと思ったが、こんなにたくさんの人々が亡くなるとは思わなかった」などと述べたという。

 中日新聞の通風筒によれば、三重県伊勢市の伊勢神宮に供える米の初穂を刈り取る神事『抜穂(ぬいぼ)祭』が4日、伊勢市楠部町の神宮神殿で営まれた。久邇朝尊大宮司をはじめ、神宮関係者や住民ら約80人が参列、秋の実りに感謝をささげたという。
 こうして人々の秋、ちいさい秋が、いよいよ過ぎていくのである。

2023年9月4日
 東京の文芸同人誌街道が編集発行人木下径子さんから届いた。
 木下さんの短編【四回目の手術】とエッセイ【ベットの中から、「譫妄(せんもう)」】を拝読したが、彼女を知る私だけに、胸が締め付けられる思いにかられた。でも、木下さんの書くことに対する情熱、不屈の精神は私自身、常日ごろ、とても勉強させられているのである。

 本日は「脱原発社会をめざす文学者の会」の幹事会と、これに続くノンフィクション作家上山明博さんの文学サロン「牧野富太郎 花と恋して九〇年」が東京の文芸会館で行われたが、私自身が新刊小説の準備などに追われていることもあって、欠席させて頂いた。特に上山さんの文学サロンには、とても関心があっただけに、残念無念である。
 私は、かつて新聞社の大津支局長時代に当時の滋賀同人の全記者に大号令をかけ、記者が行く先々で出会った、なにげない野に咲く花々の写真を撮って取材、コメントを書くという手法で【野に咲く 湖国の花々】(サンライズ出版)を出版したことがあり、こうした自然の花々には関心があるだけに、上山さんのお話を聞きたかった。このことを、残念無念というのであろう。でも、これも仕方ない。
「あのねえ。一日にひとつ。することは、ひとつなのよ。無理しちゃためよ」とたつ江、舞の声が聴こえてくるのである。

2023年9月3日
 日曜日。名古屋金山のANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋で開かれた滝高校全体の令和5年度滝学園同窓会総会・懇親会に私たち昭和39年卒のクラス会である「二石会」の現会長須賀藤隆くん=元県立一宮高校校長など=に誘われ、それこそ久しぶりに出席。なつかしい校歌をうたうなど母校の雰囲気を肌で味わい、かつての先輩や後輩らとの旧交も温めてきた。
 ことしは、昭和四十九年生まれ、平成5年普通科卒の須賀くんのご子息、英隆さんたちが総会・懇親会の準備委員を務め、【あなたの挑戦は何ですか? ~100年を超えて先に跳ぶために~】をスローガンに開かれたが、若き委員の皆さまには大変お世話になった。彼ら、彼女らのそれこそ有名ホテルのホテルマン顔負けの親身になっての気配りには、ある面で別の意味での〝滝高魂〟のようなものも感じられ、おかげで楽しいひとときとなった。出向いてよかったな、と思っている。

 途中、舟木一夫さんたちがかつて学園内でロケを続けた【高校三年生】の映像が画面に大きく映し出されたり、滝の卒業生で現在は日本を代表するボディービルの選手で知られる卒業生の肉体美と演技披露がされる思いがけない名場面も。場内は喝采と拍手に包まれた。懇親会では、私の兄の親友で同級生、滝高教師でもあった澤木辰己さんはじめ、妹や亡き母が何かとお世話になってきた倉知正憲さんらにも思いがけず、お会いすることが出来た。そればかりか、同じ滝の同窓生で日本を代表するボディービル選手の見事な演技披露まで拝見出来、楽しく有意義なひとときとなったのである。ちなみに「二石会」からの出席は、私と須賀君だけであった。

 ♪水上遠き大岐蘇の 流れは永遠にはぐゝまむ 沃野尾北にひるがへる 自由の旗ぞ我が母校…… みんなそろって。思い出しながら。校歌を歌う滝学園の同窓生たち
 

 思いがけずも。ボディービルで活躍する卒業生も。見事な演技を披露した
 

    ※    ※

    ☆    ☆
 本日付中日新聞サンデー版大図解は生誕120年、没後60年の日本を代表する映画監督・小津安二郎である。小津は1903年12月12日。東京・深川生まれで9歳のころ、父の故郷である三重県松阪市に移り、自宅近くの映画館・神楽座に通い、この時期に見たハリウッド映画「シヴィリゼーション」の影響で映画監督への夢を抱いたことなどがリアルにまとめられ中身の濃い、読む価値のある内容となっている。
 バスケットボール男子の日本代表が2日、沖縄市の沖縄アリーナで行われたワールドカップ(W杯)順位決定リーグO組最終戦で世界ランキング64位のカボベルデを80―71で下し、今大会のアジア勢最上位を確定させて来年のパリ五輪出場権を獲得した。パリ五輪への出場決定は日本の団体球技では第1号。
 日本大学が1日、部員が違法薬物事件を起こしたアメリカンフットボール部を同日から再度、無期限活動停止にしたと発表。国民民主党の代表選が2日投開票され、玉木雄一郎代表(54)が前原誠司代表代行(61)を破り、再選。中央大学の目加田説子教授が3日付の中日新聞【視座】で<海は一つ「処理水」への責任>を強調。なかなかいい内容であった。

(9月2日)
 きょうは、私たちのウエブ文学同人誌「熱砂」のウエブ作品集に若手ホープで「熱砂」編集委員でもある<天空を駆ける未来の作家>黒宮涼さんが連載小説「あの箱庭に捧ぐ 序章 心を知る」を公開。この物語は、こんごしばらくは「熱砂」紙上で連載として続くので、ひとりでも多くの方々に読んで頂けたら、と願う。物語の内容については、熱砂のWhat’s new(黒宮涼の連載小説「あの箱庭へ捧ぐ」連載開始)を参照していただきたい。
    ※    ※

    ☆    ☆
 けさの中日新聞の見出しは【地球沸騰 世界各地で酷暑、森林火災】【乾燥や強風 被害助長「日本も無縁でない」】というもので、『いま、世界が燃えている-。米ハワイ・マウイ島やカナダなど、各国で気候変動の影響とみられる森林火災が相次いでいる。異常気象による乾燥や強風が火災を助長。今年7月に世界の平均気温は史上最高を記録し、日本でも今夏の気温が統計開始以降の125年で最も高くなった。国連が「地球沸騰の時代が来た」と警告するなど、緊急の対応が求められている。(蜘手美鶴)』と緊急の対応を求める深刻な紙面でもあった。実際、世界は、このままどこまで燃え続け、広がっていくのだろうか。そんなことを思うと、空恐ろしくさえなってくる。

(9月1日)
 金曜日。関東大震災(1923年)の発生から100年になる。しんぶん赤旗日曜版(9月3日付)の紙面【関東大震災・朝鮮人虐殺100年 朝鮮人は三度殺された 問われる植民地支配の責任】が気になる。朝鮮人虐殺は諸説あるが虐殺行為が事実としたなら、これらの行為は決して許されるものではない。

 午後、一宮のスポーツ文化センターへ。
 社交ダンスのレッスンのためだが、病を克服した若原先生の復帰後のレッスンも、いつもどおりに戻ってきたような、そんな気がする。なかでも〝よしこさん〟と〝えっちゃん〟がいつも、強力なアシスタントとして毎回、先生を補佐して私たちのレッスンに付き合ってくださっており、なんだか【チーム若さん】はまだまだ大丈夫、健在だな、と思った次第である。若先生の入院中、毎週一度フラワーパークに出向いて一人寂しくシャドーに打ち込んでいた日々が何だか嘘のようでもある。男性陣も熱心な方々ばかりで【若さん丸】がいよいよ、再出発したような、そんな気がするのである。
 私たちは全員が健康である-ということのありがたさをしみじみ感じながらレッスンに励んでいる。

連載小説「あの箱庭へ捧ぐ」序章

序章 心を知る

 淡いピンク色のルームウェアには、白と黄色の小さな花柄が入っている。小柄な女の子が、驚いた表情でこちらを見ていた。
 川崎竜太郎は目の前の少女に、まだ名乗ってもいないのに名前を呼ばれたような気がして、不思議に思った。彼女の視線は真っすぐに向けられている。竜太郎は、首を傾げた。彼女とは、どこかで会ったことがあるのだろうか。思い出せない。
「あなたを迎えに来ました」
 そんな二人の様子に気づいたそぶりもなく、隣にいたショートカットの髪型が似合う長身でスーツを着た女性、米田恵理子がにこやかに言った。彼女は竜太郎の通う「うみほたる学園」の先生で、竜太郎と十歳近く歳が離れている。三十路に差し掛かっている彼女だが、見た目は幼く童顔のためか実際の年齢よりも若く見られることが多い。よく竜太郎と姉弟だと間違えられることがあった。
 訳がわからないといった表情で、米田の言葉に少女は首を横に振った。声が出ないのか、小さく「いや」というかすれた言葉だけが聞こえたような気がした。
「残念ですが、あなたはもう我々が保護することが決まっています」
 米田の感情のこもっていない声が、部屋に響いた。拒否権はないのだと表情が告げている。竜太郎は少し可哀想だと感じたが、そんなことは関係ないのだとも理解していた。
「どうして」
 と少女の呟きが、竜太郎の耳に届く。
「それが、君が手に入れた力の代償です」
 竜太郎は歳の近い少女に向かって、冷たく言い放った。
 六月の、梅雨が始まったばかりのころだった。竜太郎と米田は学園の理事長に連れられて、小池燐音という名前の少女の自宅へ訪問していた。依頼者は彼女の両親で、母親のほうは泣きはらした顔を隠すように、ハンカチを両手で持っていた。
「米田くん。着替えを手伝ってあげなさい」
 竜太郎の後ろにいた年配の男性が、そう言ってから部屋を出た。彼はうみほたる学園の代表、堀田理事長だ。
 竜太郎は理事長が階段を降りようとしていたので、慌てた。彼は数年前、病気で足を悪くしたため、杖をついていた。補助をしなければ、理事長はひとりで階段を降りることが出来ない。二階に上がる際も、竜太郎が補助をしなければいけなかった。
 理事長は、燐音の両親と話がしたいと言った。部屋の中に燐音と米田を残して、彼女の両親と理事長と竜太郎は一階にある客間へ向かった。

   *

 その家は、一般家庭にしては裕福なようであった。西洋風な照明とソファを置いており、竜太郎と理事長は黒い革のソファに座るように促された。竜太郎は慣れない手つきで足の悪い理事長の補助をしてから、ソファに腰を下ろした。座った瞬間の革特有の音が、竜太郎にはどうしても蛙の鳴き声のように聞こえた。
「それで、お嬢さんの力というのは何か、あなた方は理解しているのかね」
 理事長がさっそく、本題に入る。顔つきはいつになく真剣で、落ち着いた声色をしていた。今まで何人もの能力者を見てきた彼は、鋭い針のような観察眼を持っているのだろう。小池の事を一目みただけで何かを察したようだった。
 小池の両親は、竜太郎と理事長の向かい側のソファに座っていた。母親は変わらず顔をうつむきがちにして、ハンカチを握りしめていた。父親は剣呑な目つきで理事長をみつめている。
「はい。家内が言うには、娘に。燐音に心の中が見透かされているようだと。言葉は悪いのですが、それが気持ち悪いと言うのです」
 父親は眉をひそめて言った。
「それを聞いてあなたは、どう思ったんだね」
 理事長は表情を変えずに、父親に尋ねる。
「私は。そんなこと、あるはずがないと、思いました」
 父親は辛そうな表情をした。彼の事を考えると、心が痛い。大切な娘を疑うことがどれほどの苦痛を伴うのか、竜太郎には想像がつかない。
「それで、我々に検査してほしいとのことだったか」
「はい」
 理事長の言葉に、父親は頷いた。
 依頼内容を確認した理事長は、険しい顔をしながらこう言った。
「結論から言いましょう。お嬢さんは、能力者だ」
「やっぱり」
 母親の口から、悲観の声が漏れる。
 竜太郎が視線を向けると、何かやましい気持ちがあったのか、母親は泳ぐ魚のように目を逸らした。
「彼女の部屋に入った瞬間、彼女は我々が来ることをあらかじめ知っていたかのように落ち着いていた。そのあとすぐに何らかの別の理由により驚いていた様子だったが、それは人数かもしれない。こいつが居たからな」
 理事長が竜太郎を横目でみた。流石に、小池の事をよくみている。竜太郎は口を開きかけたが、理事長はすぐに続けた。
「随分と若い奴を連れてきたのでな。あなたたちも予想していなかったことだろう」
「なるほど。すると娘は、私たちが想像していた来客を知っていたと」
 理事長の言葉に、父親が納得した。
 燐音には、今日の来客を事前に知らせてはいなかった。そして燐音に用がある客人が来る可能性などないに等しかった。彼女はここ一年ほど家に引きこもっていたからだ。彼女に友人がいたかどうかはわからないが、彼女を外に連れ出そうと思う友人はもうとっくに諦めていることだろう。なので最初に部屋に入った時、もっと驚いてもおかしくはなかったと父親は説明してくれた。
「お嬢さんは、あなたたちの心をよむことができる能力を持っている。これは確定してもいいだろう。そういう能力を持つ者は稀に存在する。扱い方はわかっているから、安心してほしい」
 理事長はそう言ってから竜太郎に目配せをしてくる。竜太郎は急いで、理事長に持たされていた黒い鞄から書類を二枚取り出した。一枚は入学案内と書かれた紙。一枚は秘密保持と書かれた契約書。それを白いレースの布が掛かったテーブルに置いた。
 これは決して悪徳な契約書ではない。理事長が代表を務め、米田が先生として働き、そして何より竜太郎が生徒として通う、うみほたる学園の入学手続きに必要な書類だ。
「よく読んで、ここにサインを。お嬢さんの安全は、我々が保証します」
 言いながら右の手のひらを使って署名の欄を示す。それから胸ポケットに忍ばせていた黒いボールペンを渡した。
 なんだか怪しげな台詞を吐いたが、竜太郎は真面目な顔を崩さないように務めた。
「何を見て何を聞いても。絶対に不機嫌な顔をしないように」
 と竜太郎は理事長からきつく言われていた。それがこの場に同席させてもらうための条件であった。
 ボールペンを手に取った父親は、少し渋っている様子だった。顔をしかめたまま、入学案内と睨み合っている。隣の母親は、入学案内と父親の顔を交互に見ている。何か焦っているようにもみえた。彼がサインすることを迷っているせいかもしれない。
「学園に入ってしまったら、しばらく娘とは会えなくなるんですか」
 父親の質問に、理事長は頷いた。
「そこに書いてあるとおり、基本的には卒業まで帰省は出来ないが、あなたたちが希望すれば面会をすることは可能だ」
「そうですか」
 複雑そうな顔を浮かべながら、父親は意を決したようにボールペンを握り直して書類にサインを書き始めた。
 父親の隣で母親がほっとしたような表情をしたことを、竜太郎は見逃さなかった。けれど何も言わないように、堪える。理事長の言うことを聞くまでもない。人の家庭の事情に首を突っ込むことが良くないことは、竜太郎もわかっている。
 書類にサインをし終わったころ。米田と小池が二階から降りてきた。彼女は笑いもせず泣きもせず、ただそこに居た。感情を押し殺しているようにもみえた。
 忘れることはないだろう。無表情という言葉が似合うその顔に、竜太郎は恐ろしさを感じていた。

   *

「何ですか。あれ」
 帰りの車内で、竜太郎はついに我慢ができなくなって理事長に尋ねた。乗っているのは運転手と理事長と竜太郎だけで、小池と米田は後続の車に乗っているので話を聞かれる心配はなかった。
「あれとは何だ」
 後部座席で隣り同士に座っている理事長と竜太郎は、顔も合わせずに会話をする。
「小池燐音の母親の態度ですよ。すごく嫌な気持ちになりました」
 竜太郎の目には、母親が娘を厄介払いしたいだけにみえたからだ。
「あんなものはまだ序の口だ。まだ直接言葉にしないだけマシなほうだ」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
 竜太郎の質問を、理事長は肯定する。竜太郎は納得したくはないと思った。
「竜太郎。彼女には彼女の事情があるのだろう。そこは我々に口を挟む権利がない」
「わかっています。でも、彼女が。小池燐音が」
 竜太郎が言葉を最後まで言わないうちに、理事長が言う。
「可哀想とでも思うのか。お前は。ならば自分が何をすべきなのかもわかっているだろうな。私が今回、何故お前に付き添いを許可したのかも」
 理事長が竜太郎に顔を向けたことに気づき、竜太郎も理事長のほうをみて頷いた。
「はい」
「彼女をメンバーに加えなさい。彼女の能力はきっと役に立つ」
 何の話か、竜太郎には直接言われなくてもわかっていた。今回の同行はそのための調査でもあったからだ。
 竜太郎の所属する「洸生会」これはうみほたる学園の生徒たちを卒業へ導く手助けをするために発足された秘密組織である。現在のメンバーは代表である竜太郎を含めて二人。小池燐音は、彼女の両親から能力の検査依頼があった時点で新メンバー候補となった。すべては理事長自らが決めたことだ。
「人の心を知ることが出来る能力ですか。便利そうですね」
 あくまでも利用価値のあるものとして、竜太郎はそう言った。
 自分が何をするべきなのか。わかっている。自分が小池にしてやれることは何なのか。わかっている。彼女をメンバーに迎えたうえで、卒業まで導いてやらなければならない。
 小池燐音の能力を消失させること。それが理事長からの依頼だった。

(続)

「あたし帰った かえったわよ」  

 舞がお盆にやってきた/大阪が大好きだった彼女も、かつては元気はつらつ/画面の人々と同じように大阪の街を闊歩した
 

 そして。十六日朝、舞の魂は能登半島沿いに大空へと飛び立っていった。
    ※    ※

    ☆    ☆
 二〇二三年八月八日。立秋。青い空に白い雲が浮かぶ。その雲から一羽の鳥がチュチュチュ、チュと声を上げ、大空高く翼を広げて飛び立った。この鳥は、一体全体どこに行くのだろうか。近年にないのろのろ台風6号が再び沖縄から九州に向け、近づいている。そんな日の濃尾平野上空でのひとコマである。

 たつ江、たつ江。舞、マイ。……
 きょうも私は一日に何度、この言葉を空に向かって矢の如く放ったことだろう。これでは狂人も同然である。
 グリーンの愛車・パッソのハンドルを手に、半ば放心状態となって、ただ繰り返し、呼びかける。「あのねえ~、何を言っているのよ。あたしがいるこちらの世界には、もう言葉なんて存在しないのだから。あなたに呼びかけられたって。残念ながら、わからないと思う」
 そんな返事もよそに私はハンドルを手に、空高く浮かぶ雲たちに向かって何度も何度も恥も外聞もなくさらけ出し、わが妻の名前を呼びかける。さっそうと自転車に乗ったすれ違いざまの女を目の前に、そういえばたつ江の自転車に乗る姿はいつも雄々しく、どこかセクシーでゆったりとしていたな、と今さらながらに思い起こすのである。
 あれから二年がたとうとしている。

 私はわがいとしの妻たつ江(伊神舞子)との物語をたとえ僅かでも、真剣に読んで頂けるそんな読者一人ひとりに向かって、これからこの物語を書き進めたく思う。何千、何万の読者もいいが、私の場合は、たったひとり真剣に読んで頂け、しかも共感してくださる、そんな読者に巡り合えれば、それだけで嬉しく、たつ江の霊(静汐院美舞立詠大師)も浮かばれ、幸せなのである。おそらく、私がこの世で無限大に愛し続けた彼女だって同じに違いない。そして。その分だけ、この地上の人々がにこやかに楽しく、かつ幸せな人生を過ごすことができたのなら。私たちにとっても、それ以上に嬉しく望むことはないのである。

(序章)
 二〇二三年七月十七日。海の日。
「あのね。あたし、あたい。たった今。あの世から帰ってきたのよ」「帰ったわよ」
「ほんと。ほんとなの。おかえり。でも、おまえのあの懐かしい声は、確かにどこからか。聞こえてはくるのだけれど……、おまえの姿が見えないよ。一体全体、どこにいるのだ。まさか透明人間になってしまったのではないよな」
「何を言っているのよ。あなた。あなたのすぐ隣、目の前でこうして座っているじゃない。なのに、あたいの姿が見えないの。なぜ、なぜ見えないのよ。ほらっ。内輪を手にあたいがいつも着ていたピンクの浴衣、着て座っているじゃないの。それなのに、分からないだなんて。おかしいよ。あたし、あなたとシロちゃん(愛猫)に会いたくてきたのよ。でも、すぐに帰らなきゃ。時間が決められているのよ」
 「いつから、そんなシンデレラ姫みたいになってしまったのだよ。何を言っているのだ。やっと帰ってきてくれたというのに。ここにそのまま居たらいい。いつまでも。どこにもいかないで居てほしい。たとえ、オンボロロではあっても。おまえが苦労し、いろいろ考えて作った俺たちの家じゃないか。きょうは、おまえも覚えているように俺のおふくろが、百歳近くになってなお、自分でこしらえ、自ら車を運転して持ってきてくれた超特大のスイカもある。せっかくだから。たとえ少しでも食べていきなよ。その方が俺と一緒におまえの帰宅を待ち続けていた愛猫シロちゃん、オーロラレインボーも喜ぶはずだ。俺だってうれしいよ」
「うん。ありがとう。あなたの言葉、うれしいわ。おかあさんが作ってくれたスイカもむろん、良いけれど。こうしてあなたとあなたの傍らのシロちゃんの顔を見ることが出来て、声まで聴けて。それだけで大満足だよ。また来る。きっとくるからね」
 わたくし。私には、おまえの気配と声は十分にわかるのだが。一体全体、どこにいるのか、が分からない(ここで、私たちは食卓に切ったままにして置いた、それは見事なスイカを、ひと切れひと切れ食べ始めたのである)。

 その夜。まさか、わが妻たつ江(伊神舞子)が俺のところに帰って来てくれただなんて。一体全体誰が信じるだろうか。でも、本当なのだ。おまえがこの世を旅立ってから帰宅する日を毎日、首を長くして待ち望んでいただけに、とてもうれしい。
 ホントに、おまえが目の前に現れ出るとは。夢にも思わなかった。でも、もはや命を落とし死んでしまったはずの舞がその日は、本当に翼を広げ、チュッチュッ、チュッチュッチュとかわいい小鳥になって、わが家に飛んで帰宅してくれていた。このことは、事実なのである。その日、普通では、とても信じられないことだが夢の中の私と妻の舞、シロちゃんは思ってもいなかった再会を果たしたのである。

 でも。そうは言っても、だ。生前、あれほどまでに平和を願っていた舞も昨年二月二十四日のロシアのウクライナへの一方的な侵攻をはじめ、安倍晋三元首相の銃撃死も、朝ドラ「らんまん」の放映、新しいスーパーふたつのこの町への出店も。町が変わり、世の中が一変してしまった事実を何ひとつとして知らない。ただ生前、愛していたシロちゃんのことだけは、知っていた。
「シロ、シロ。シロちゃん。元気でいた? 相変わらず、お美人さんだね。肥満になってないわよね。よかった」と何度も何度も話しかけ、シロがそのつど、あげる「ニャア~ン。ニャア~ン」の甘えた声に満足そうに天下一品の声で「ハイハイ、ハイハイ。元気でいたのだね。おかあさん心配していたのだから。よかった。よかったよ」と頭をさすったりするのであった。

1.
 七月十三日。海の日。外は雨。雨である。
 雨が大気という大気に張りつくようにシンシンと降り注いでいる。私、わたくしの心は雨色に染まっている。私はそんな雨の一粒ひと粒に何かを訴えようとするのだが。雨は軒先をたたく音の大きさのわりには、何ひとつ応えようとはしてくれない。それでも透明で澄んだ雨粒ひとつひとつの中に、おまえ、たつ江(伊神舞子)の世界があり、おまえは生きている。舞はこの世に存在しているのだ、と。私はそう確信している。雨粒、いや雨音と時折、大気を蹴って吹き抜ける、さやかな風の流れのなかにもおまえの命は潜んでおり背後には地球、いやいや、もっともっともっと大きな限りなき宇宙のような存在がひしめいている。私は、姿を決して見せないおまえとこの世の素顔をそのように思うのである。
 雨が止むと、今度はかぜたちが真正面から吹き込んで流れ、私の全身に突進してきた。かつてはいつも一緒だった私とおまえ。ふたりは、この世の中の一体全体どこにいたのだろう。もしかしたら風のなかにいたのかも知れない。ボブディランの歌のように。【風にふかれて】。私は、おまえをどこまでも抱きかかえ、待ち続ける。そうだ。生前のおまえが、いつも待ち望んでいた平和な世の中を、である。この地上でどんなに見苦しい戦争が存在しようとも、だ。私、すなわち俺も、おまえも、だ。いつも平和な社会を希求してきた。

 でも、現実は違う。たつ江、すなわち舞は「あたし帰ったわよ」と言うが、幻覚に過ぎない。いま、おまえが一体全体、この広い空のどこをどのようにして魂となって泳いでいるのか、が私には分からない。この世のどこらあたりにいるのか、を知らない。この世から既に消えた地上の死者、おまえがどこにいるかは、皆目見当がつかないのである。
 けれど。元気で。笑顔で居てくれさえすれば、それでよい。ところで、おまえも十分知っているように、だ。この現世でニンゲンたちが生きていくということ。そのこと自体が、大人から子どもまで、とても大変なことである。そのことは全てのニンゲンに言えることであって、それこそ一つひとつの生が、奇跡そのものなのだ。生前、俺がおまえに何度も言ったように。ニンゲンの存在そのものが、だ。無。無。無の連続である気がしてならない。このことはおまえが生きていたころ、共に自宅からリサイクルショップ「ミヌエット」まで。約300~400㍍はあろうか、おまえの店に続く。そう、その桃源ロード(私たちは、この道をふたりでいつも勝手に【幸せなマイロード】と呼んでいたのだが)を歩きながらいつも言っていた。生きていくってことは。だれだって。本当に大変だよな、と。俺たちは奇跡の海のなかを生きているようなものだナ、とも。当たり前のことではあるが、人間たちは誰だって、いつも奇跡のなかを泳いでいるのだ、と。

 それでも、この星に住む地上では、そうした大変さを十分に知り尽くしているはずの女や男たちが、きょうも明日もあさっても、だ。それぞれの夢や希望、思いを胸に、どこに行くとも知れず、それぞれに定められた地球、いや宇宙の片隅を歩いている。さまよっている。大半があてのない旅を、だ。最近ではインターネット社会がますます深化し、ネット三昧で余生を過ごす人々が限りなく増えつつある、とも聞く。そんなわけで今では高齢とはいえ、ネット社会の存在が心の支えになっている人々も結構多いみたいである。
 私、すなわち<わたくし>。かつてのおまえ、たつ江の夫であった相棒の私はこのところ少しだけ肥満気味とはいえ相も変わらず、腰をヨッサヨッサとゆすって堂々と歩いて見せる、あの百獣の王にも似た〝ライオン歩き〟が見事と言っていいほど十分に似合う白い貴婦人ぶりを発揮している愛猫シロ、すなわちオーロラレインボーを傍らにきょうも見えない空気、大気に向かって、こう問いかける。
「たつ江。舞よ、マイ。おまえの姿は今では俺の目には全く見えない。でも、元気でいるか。楽しい日々を過ごしているか。おまえの自慢でもあったシロちゃん。彼女は元気でいるからナ。心配しないで」と。

 そして。その瞬間。見えない風がそれこそ、何かに吹かれて、だ。大気の中をそよぎ、いたずらでも楽しむように、頬をふんわりフワリとなでて通り過ぎ去っていく。私の上半身に触れて何かを楽しんでいるようにも感じられる。そこで。私は。風の中のおまえ、舞に向かってこうも付け加えた。
「オレたちのことなら何でも知っているシロ。こよなく美しい白い貴婦人、オーロラレインボーちゃんなら、元気でいるから。心配ない。安心してよいからな。彼女、きょうも雷がきたときは、しばらくどこかに姿をくらましてしまったけれど。やんだら、いつのまにか室内に出てきていた」と。彼女は、舞とベッドを共にしていたころから、雷が大嫌いでいったい全体どこに隠れていたのやら。おまえが生きていたころと同じで、それが分からない。とはいえ、雷が去れば、シロちゃんはどこからか、また、八頭身の見事な姿を現すのである。おまえが居たころと同じだ。

 それはそうと、毎日毎日、何度も何度も俺と舞が一緒に歩いた桃源(トウゲン)通りに福寿(フクジュ)交差点。あのころ、舞のからだは蝕まれ、既に相当弱っていて一歩一歩あるくこと、そのこと自体が大変だったのだが(舞は、それでも毎朝自転車を杖代わりに引いて私に見守られながら、自身の足を一歩一歩前に踏み出し、ミヌエットまでの道のりを懸命に歩いたのである)。私たちふたりはこの町でも、誰が名付けたのか。とびっきりいい名前の桃源通りを歩きながら、この世には本当に夥しく多くの人たちが皆、生真面目な顔をして生きている。いや、生きていくのだなあ、と。妙につくづく感心したりもしたものである。
 そして。この、ちいさな町中にあっても日々、すれ違う人々の大半がこの世でその瞬間、瞬間に初めてすれ違う、そんな未知の人たちばかりだ。一体全体、これらの人々はこれから先、この地球上のどこに吸い込まれていってしまうのだろう。などと、そんな妙なことに頭を泳がせながら「この世の中って。とても変で神秘的だよね。おかしいよな」と互いに話し合いながら、時折、笑顔で道を歩く人々に視線を注いで会釈し、この人もあの人も奇跡のめぐり逢いだな、と。そう自らに言い聞かせながら、歩いたりもしたのである。

 そのこととは別に、このところ、俺が毎日風呂上がりの夕涼みでベランダに立つと、シロもどこから現れるのか。決まって私の傍に駆け込んできて、ベランダのもう一方の側に立つ。吹くかぜが、とてもからだにしなやかで、われながら気持ちがいい。おそらくシロもそのかぜがからだに合うと見える。そして。これらのかぜたちは十かぞえる間に決まって一度は私とシロの頬を撫で、いたわるようにさあ~っと傍らを吹き抜けてゆくのである。なぜか、その瞬間にあわせでもするように、決まって一羽の鳥が目の前に急に現れ、まるで「見てよ。見ていてよね」といったふうに空高く弧を描いて舞い上がり、チュッ、チュッ、チュ、チュといった声を大空高くあげ、やがて視界から消え去っていく。その姿が何とも優美かつ爽快で俺とシロは思わず大空をみあげたまま、「あぁ。すごい。すごいな」と、またしてもその鳥の行き先に視線を泳がせるのである。

 風呂から出てベランダに立ち、夕涼みに立つ私。そして一緒にいつだって、さも当然のようにベランダ片隅に座って夕方の気持ちの良い風に当たる愛猫シロ。彼女、シロことオーロラレインボーもその一羽の鳥に気付いているようだ。あの鳥はおかあさんだ。おかあさんに決まっている。おかあさんに違いない。おかあさんがやってきた。おかあさんだ、と。私の方を振り返り、視線でそう訴えかけてもくる。

2.
 自宅の電話が鳴る。そうかと思えば、こんどは俺のスマホがピコピコピコ、ピコピコと音を立てる。俺はそのつど、愛猫シロと一緒に両耳をそばだて、「あっ。もしかしたら。たつ江、舞、おかあさんからではないか」と思う。そして。受話器を耳に当てれば、いつだって、あの落ち着いた調子の「あのねえ」といった艶のある声が天空を破って耳元まで聴こえてくる。「あのねえ、あの」と切り出すのがたつ江の常だったのだが。このところ鳴る電話の相手は、その全てが彼女とは別のものである。

 たつ江がこの世を去って、早や二年になろうとしている。
 私とシロは毎日、ふろ上がりの夕方、そろって二階ベランダに一緒に立ち、風になったたつ江に会うことにしている。そんな彼女は、日によってさわやかだったり、ともすれば空高くポッカリ浮かぶ三日月の影星になったり、時には空からその部分だけが今にも落ちてきそうな、どす黒い雲であったりしたが、それでもいつの時にも鳥になってチュチュ、チュの声をあげて私とシロをいたわるように近づき、見守り続けてくれるのである。そして。こうしてベランダでシロと立ち、この初夏の季節にしてはとても心地よい夜の風が流れ、ほほをなでるなか、見えない空気、大気に向かって、こう問いかけるのである。
「たつ江。舞。マイ。元気でいるか」と。
 私は、あえてそう声をかけてみる。声をかけながら「もはや、俺は生きていたところで仕方ないな」と思ったりする。すると、空気が膨らみ、どこからか、またあのチュチュチュ、チュチュといった甘い声が聞こえてくる。おまえは鳥になってしまったのか。
 と、一羽の鳥が目の前を水平飛行したかと思うと大きな円を描き、どこかに飛び立った。チュ、チュ、チュ、チュ、チュと小鳥はさも嬉しそう、かつ得意げでもある。

 いつのまにか、場面は一変。こんどはひとりの女性が日傘なのか。中央部分にピンクの大きなハートがあしらわれた傘をさし、わが家の前を、とぼとぼ、ヨロヨロと玄関先に懐かしそうな視線を泳がせながら、一歩一歩、足を踏みしめるようにして通り過ぎていった。それにしても、この女性は一体全体、何者なのだろう。確かに後ろ姿は、どこかで見た記憶はある。もしかしたら、たつ江、舞かも知れない。いやいや、そうであるにちがいない。
 私には、なぜかその女性がつい先日まで私と共に暮らしていた舞の〝人仏(ひとぼとけ)〟すなわち亡くなりはしたが、まだまだずっと、ずっと傍で生きていてくれる妖怪のふ・ん・が・も。〝ふんがもさん〟みたいな気がしてならない。そういえば、昨年もことしも春先になると浴室ガラス窓に、あのヤモリが吸い付くようにベッタリと這いつくばっており、しばらくすると白い跡だけを浴室ガラス窓にくっきり残し、いつのまにか、どこかに消え去った、あのヤモリかも知れない。その私の愛しい彼女がこんどはヤモリから〝ふんがも〟となって住み慣れたわが家を懐かしんで家の前をトボトボと歩いていったのだろうか。

 それはそうと、一昨年十月に【秋一日絨毯と飛べ我が部屋ごと】【赤とんぼすいと曲がりて曲がりけり】などの俳句をはじめ、多くの短歌に1行詩、詩を遺してこの世を去って逝った、妻のたつ江(舞)。彼女は今、一体全体この宇宙のどこでどうして生きているのだろうか。私はそう思うだけで胸が熱く、涙が出てくる。長年連れ添って共に生きてきた亡き妻を自分で言うのもおかしいのだが。純情可憐、全身無垢な女とは、彼女のことをいうに違いない。

「ところで一体全体、おまえ。おまえは、どこに行っていたのだ。これまで何度も見た夢の中でも随分と日本中をあちらこちら歩き回り、捜しまわったのだが。おまえは一向に姿を見せてはくれなかった」
「あのねえ。それはひ・み・つ。秘密なの」「それより、あんた(彼女は晩年になり、なぜか夫の私に〝あんた〟と意識して呼ぶことがあった)。元気でいた? あたし。いや、あたい。あんたのことが、とても心配で。心配でたまらなかったのだから。ほんとよ」「あたいは、あんたを好きでたまらなかった。ということは、やはり、あたいはあんたを好きだった、ということなのかな」
「うん。俺はなんとか。こうして生きてはいるよ。だけど、おまえがいない世の中だなんて。どんなにおいしいものがいっぱいあったとしても、だ。面白くもなんともない。第一、せっかくのおいしいものを、おまえに食べてもらえんじゃないか。やっぱり、おまえ。おまえが居てくれてこそ、この世は面白い。生きがいがある。だから、これからもいつだって俺のそばに居てほしい。ひと言もしゃべらない。それこそ、路傍の石のような存在だったとしても、だ。傍にいてくれさえしたら、それだけで嬉しい。おまえがこの世に居ないのでは。第一、生きている気がしないよ」
「さあどうかしら。ほんとかね。路傍の石だなんて。あたいを石にしちまうの。そんなこと、とても無理だよ。あたいを喜ばせるため、そう言っているだけじゃないの。昔から女性をくどく。口説き文句は天下一品。誰よりも上手だったのだから。あたし。み~んな。知っているのだから。あんたのことは。そのことはシロ、そうオーロラレインボーちゃんだって、あたいに教えられて知っているよ。だって。あたいとシロちゃんは、女同士だもの。あたいたち、運命共同体的な存在だと言ってもいいんだから。
 いずれにせよ、あたし。あたいは、もうあんたが住む世の中、あんたたちの世の中にはいないのだから。あなたって。相変わらず、口がうまいのだから。これまで一体何人の女性を騙してきたの。泣かせてきたのよ。あたい。わたしはねえ。あんたの女たち。ぜ~んぶ、知っている。知っているよ。イチ、ニィ、サン、シー……。確かに、みんな素敵な方ばかりだったわよね。あんた。それはそうと。デどう。あたいのいない世界。そろそろなれたかしら。面白い? 楽しい? あたいのこと、心配してくれてる? 今でも」「新聞記者は、殺しやサンズイ(汚職)など。どんな薄情極まる事件はむろん災害、事故現場にも遭遇するか知れたものでない。だから、誰よりもホットな半面、だれよりも非情でなければ務まらない、だなんて。名文句をそのたびに聴かされたわよね。そう言って、それこそ多くの女性を泣かせてきたことだって知っているのだから。あなたって。ほんとに悪い人よね」
 彼女はそう言って、私を覗きこんできた。

「何を言っているのだよ。面白いはずなんか。あるはずないじゃないか。何度も言うが、おまえのいない世の中だなんて。面白くもなんともない。おまえが俺と一緒にいる。だからこそ、楽しくてスリルがあって面白かったのだよ」
「デ、ところで何かいい話はないの。楽しい話があったら洗いざらい教えてよ。ステキな女性が出来たとか。あたい、ホントに気になるのだから。あなたのこと。教えてよ。ネ!」
 ここで彼女はあらためて首をかしげる。
 そして。疑問符でもなげかけるように、いつもの調子で俺に向かって、もう一度こう言った。「ねえ。教えてよ」と。

(ここからは女と男の独り話になる)
――ところで。あたい。今になってあらためて、この世で生きている、すべての人に敬意を表したい。善とか悪とかは別に。どの人もこの人も、にです。みなさん。み~んな。だれもが、です。それこそ、花も嵐も乗り越えて。よくぞ、毎日を、けなげにも生きておいでだな、と。極端なこと言えば、どの赤ちゃんだって、よ。毎日を一生懸命に生きているのだから。そう思うの。
 そういうあたいは最近、大好きだった人間社会から足を抜け、はや二年になろうとしています。デ、こちらの世界では涙とか、悲しみだとか。そういうものを知らない、あたいの晩年にあなたが言っていた通り、それこそ今は無の世界で無の存在、大気の一部となって風たちと一緒に戯れながら生きている。世は無情で、いや、もしかしたら<かぜ>そのものになってしまったかもしれない。
 そして。生きていたころ、それは晩年でしたが一階ベッドからあなたのいる二階寝室にまで上がることができなくて。よく言ったわよね。「あたし、体力がなくて。階段を上がれないのよーって」。そしたらあなたったら、そのたびにこう言ったわ。『ホントに。おかしいな』だって。わたしは階段の手すりに全身を支えながら上に行こう、行こうとして一歩一歩上に歩いていきながら、そう言ったのに。あなたって。本当に冷たい人だったわ……」
「そうか。そうだったのか。今さら謝ったところで仕方ないのだが。ホントだった、だなんて。俺は迂闊な男だった。そして。俺はおまえが逝ってしまってから、おまえに会いたくて仕方ないことに改めて気がついた。でも、ほんとに良く来てくれ、心底嬉しい。いまでは、おまえが死んでしまってから、なぜ、顔はおろか、声さえ聴くことが出来なくなってしまうのか。それが、悲しくて悔しくて。残念で仕方ない。やるせないのだ。あの甘い口のなかでいつも鈴を転がして鳴らすような、そんなおまえ独特の金色に光る生の声を聴いてみたい。のに、だ。
 ところで、鈴虫といえば、だ。志摩半島阿児のお寺さんに毎年夏になると、鈴虫リンリン会に一緒に行ったよな。どの鈴虫の声が一番良いかを競うコンテストで、思えばとても楽しい会だった。しかし、今の俺は、おまえのあの甘えたような声ひとつ、聴くことが出来ない。なぜ。なぜなのだと大声で叫んでみたところで、おまえの声はもはや、この地上からは消えてしまった。AI(人工知能)で復元できないものか。真剣に思う」

―私は、ハンドルを手に亡き妻の顔を何度も何度も思い浮かべ、運転席の窓を開け、大気に向かって、見苦しいほどに〝たつ江。舞。マイよ、マイ、元気でいるか〟と叫んでみる。そして、生きている。生きていくってことは、おまえの言うとおり、どの人にとっても大変なことだな、とつくづく思うのである。そして。わたくし、私は舞が発しそうなあらゆることばを駆使してこの物語をさらに進めていこう、と。そのように思う。

 話は振り出しに戻る。たつ江が天界から地上に舞い戻ってきたところに戻ろう。
「あのねえ。あたし帰ってきたよ。どこからだって。家の外、外よ。天からなの。あなたが昔、取材でよく乗ったヘリコプターとか飛行機とか。何もなくたって、だよ。いったん死んで旅立った人には全員に、見えない黄金の翼が与えられるの。だから。その翼で大気を漕いで、ここまできたのよ。松本は上高地の北アルプス上空から熊野灘を見下ろす志摩半島、多くの事件、事故、災害現場を思い出させる小牧国際空港(名古屋空港)にあった新聞社の格納庫、それから志摩半島上空から能登半島、琵琶湖を見下ろす大空まで。み~んな、飛んできたわ。あなたも、あたいにとっても、懐かしいところばっかり。最後は、木曽の流れを眼下に見下ろす尾張平野。どこもかしこも忘れられないところばかりよ。もちろん、シロちゃんにも。会いたくて。こうして翼を広げて、最後はお空の空気を両手でかいて、ここまで来たのだから」

「それはそうと。おまえは今、この晴れた空の下の一体全体どこにいるのか。青い空に浮かんで漂う雲の中にいるのか。海、といえば。御座白浜海岸それとも門前の鳴き砂の浜にいるのか。志摩であれ、能登であれ、一緒によく足を運んだ半島の灯台近くにいるのか。志摩半島の安乗、波切、大王崎……、それとも能登の禄剛崎、舳倉島、能登島か。……あぁ、射光がまばゆい。でも、おまえ、たつ江が今この世界にいることだけは間違いない。俺はいつだって、そう信じている。
 【また君に恋している】。おまえは坂本冬美のこの曲が大好きだった。なぜかしら、俺が好きだった石川さゆりの【天城越え】はあまり好まなかった。そうして。暇さえあれば、なぜか。パンダをみたい。パンダに会いたいので和歌山に連れてってよ。それがダメなら、福島のフラガールがいい、と言っていたよな。俺は『わかった。そのうちに必ず行くからな』と答え、その気でいた。

 六、七年ほど前だったか。その気になって一緒にJR名古屋駅まで出たまではよかったが。豪雨で名古屋から和歌山行きの列車が運休になってしまい、俺たちは急きょ、次におまえが行きたがっていた映画「フラガール」の里で知られる福島県いわき市に行き先を変更し、出向いたことがある。ひと晩を温泉宿で過ごした俺たちは、その町の野口雨情記念館に寄ったあと、スパ・リゾートに向かった。
 あのときの、おまえの喜びようときたら、まぶしいほどで、今もまぶたに焼き付いて離れない。行って本当によかった。俺たちはついでに俺が既にたびたび訪れていた東日本大震災で瓦礫の町と化した塩屋埼灯台直下の浜をただふたり、どこまでも黙々と歩いたのである。あの日。大震災と福島第一原発事故による放射能を経験したとみられる一匹の犬が俺たちの歩く砂浜をどこまでも、時折、尾を振りながら、トボトボとぼとぼと追っかけてきた。そして何かを訴えたい、といったそんなまなざしで俺たちのからだに交互に顔とからだを摺り寄せてきた。
 俺もおまえも、どうしてよいものか、が分からない。それでも、その犬は俺とおまえの行く方向にピタリと離れないままついてきた。俺たちは立ち止まり、まだまだ若いその犬の顔を何度も何度もさすってやったが、犬はされるがまま何かを思い出すように海を眺め、顔を空に向け、キャンキャン、キャンと悲しそうな声をあげたのである。俺とおまえの目頭をほぼ同時に涙が伝う。私たちはあのとき、訳も分からないままその犬に向かって思わず「強くなろうよな。負けるなよ」とつぶやいたのである。数羽のカモメがパサパサパサッと羽音をたて、大空に飛び立ったのはまさにその時だった。

 あの、けだるくカモメのことを生涯、歌い続けたおまえが大好きだった浅川マキだったら、この風景をどう歌っただろう。♪かもめ かもめ 笑っておくれ あばよ、と歌ったかもしれない。

 3.
 たつ江と俺の物語は、ここで晩年の一時期に大きくプレイバックする。
 彼女は、なおも話しかけてくる
「あのねえ。一日にすることは、ひ・と・つ。ひとつなの。ひとつよ。いい、分かった。分かったわよね」
 あの懐かしく、かつ厳しく甘い声が暑さとともにジンジンジンジンと耳の奥底から響き、聞こえてくる。
「あれもこれもなんてダ~メ。だめよ。だめだってば。もう齢なのだから。これからは、無理しないで、することはひとつだけにするの。いつまでも現役の記者なんかじゃないのよ。それから。社交ダンス。これだけは続けてよネ。せっかくピースボートに乗った時、船内のダンス教室で少しは覚えてきたのだから。いいわよね。約束よ。一日ひとつよ」
 そういえば、だ。彼女は、俺が七十歳を超えてから、あれやこれやと面と向かって強く命令でもするように言うようになった。
 俺はその言葉を大切に、きょうも俺なりに「一日ひとつ」を合言葉に人生の新しいページを開こうとしている。たつ江の教えに従い、一日にやることは出来るだけ、ひとつだけにしようかと思っている。一日にあれこれやってみたところで、いまさら、どうにもなるまい。俺はそのことが十分にわかっていながらなおも前に、前に、と歩いて行こうとしている。それは、この先、たつ江とともにふたりの永遠なる文学の道をそろって歩いていきたい。ただ、それだけの願いからである。

 話は変わる。前にも触れたが、おまえはロシアのウクライナへの侵攻という事実を何ひとつ知らない。侵攻が、黄泉の国に旅立った翌年二月二十四日に起きたからだ。けれど、おまえはコロナ禍で人間たちが次々と命を落としていった新型コロナウイルスに人間社会が襲われ、翻弄された現実は知っている。だから、テレワークも、ワクチン接種も、テイクアウト、俺たちのオンライン会議…もだ。これらの言葉の大体は知っている。その証拠に自ら営むリサイクルショップ【ミヌエット】では、店頭に早くから消毒剤を置き、マスクを常時、顔につけ、お客さんを前に日々がんばっていた。コロナの時代、いや始まってから三年ほどは、おまえは、まだこの世の中で逞しく生きていたのである。
 そして。俺とおまえは一緒に、この町の総合体育館で二度目のワクチン接種を受けたが、おまえの体調がこの接種後、急に悪化したことも忘れられない、そして消すことの出来ない事実だ。あのとき接種に当たった女医は腕に注射後、舞の腕から出血したことに対して「失敗してしまいました」とすなおに謝りはしたが、あの言葉は今も私の脳裏から離れない。女医は「アッ。でも、すぐによくなります。大丈夫。心配ないですから」とは言ったものの、その言葉とは反対に舞の大腿部の浮腫は、その後肥大化する一方で、とうとう歩けなくなり、緩和病棟に再入院したのも事実である(この注射ミスについてはその後、病院側に子宮がん悪化との因果関係を聞きはしたものの「関係ないと思います」との返事だったが、より追及する必要はあるのでは-と思っている。今さらという考えもあるだろうが、もし因果関係があれば一患者だけの問題ではすまないからである)。

 そして。コロナ禍の現状を自らも体感したおまえ、たつ江は、その一方で最近、この世の中に急浮上してきた生成AI(人工知能)のこととなると、知らないまま旅立ってしまった。それと、おまえは向日葵がなぜか、あのハラリと花弁を地上に潔く落とす椿の花と同じように大好きだった。現におまえはおまえの背丈を超すほどの向日葵を俺たちふたりの畑・エデンの園で見事に育て上げ信じられないほど大きな大輪の花を咲かせるまでに育て上げた。エデンの園では、ふたりでそろって雑草を刈り、ほかに玉ねぎや茄子、ねぎなどを育て、時にはチューリップの球根を植え見事に開花させたり、スイカもまだまだ小玉ではあったが、立派に育てあげたりした。
 柿の木だって、だ。山ほどなった柿をふたりで収穫し、ミヌエットの店頭で一個10円でお客さんに大安売りしたりしたよな。柿の山はいつだって、アッというまに、なくなった。どこにどう手配したのか。週に一度の野菜市も店頭で開き多くのお客さんに喜んでいただいた。あの時、俺は心底から思った。リサイクルの衣類はむろんのこと、おまえのやることひとつひとつにかける努力と情熱は、たいしたものだな、と。
 今にして振り返れば、月に一回の店内でのミニ音楽会もよくぞ続けた、とあらためて感心している。そして広島原爆の日には、お客さんの応援と協力をえてみんなで折った千羽鶴を手に広島平和記念公園に出向き、白血病で12歳の若さで命を絶った佐々木禎子さんの像「原爆の子の像」に一緒に手を合わせてきたりもした。
 いろいろあったが、俺は、これらのどれもこれもがおまえが生きていたからこそ、の証しだと思っている。わが妻ながら、本当によくやったな、と。つくづく頭が下がりもするのである。

 いま。黄泉の国から途中下車でもするように降り立ってしまったおまえのことばが聞こえてくる。
「死んだら、終わり。でも、そうじゃない。誰だって。そうじゃないのよ。そこから、また新たな人生、虹みたいな新しい世界、旅立ちが始まるのだから。新たな扉が開くのよ。
 だから、あなた。こどもたちも。シロちゃんも。みんな。みんな、よ。夢をあきらめちゃ、ダメ。たとえこの世を去ったとしても、もしかしたら、その夢が現実となって扉を開くことだって。あるかもしれない。だから。だから。何ごとも。あきらめちゃあ。ダメ、だめなの。あたし、いつだって、そう思って生きてきた。ほんとよ。ほんとなのだから。あたい。今だって、夢を持ち続けているのだから。ねえ、シロちゃん」
 おまえの、あの声がズンズン、ドンドコと、どこか遠い国から聞こえてくる。

4.
 ことしの風薫る五月のことだった。
 リンとした懐かしいあのたつ江、舞の声が、突然、耳に迫ってきた。
 妻のたつ江が、この世を去ってどれほどの月日がたつだろうか。いや、たったのか。五月の風という風はそれこそ、最初のうちは石礫の大波となって俺の肌を突き刺し、たたくが、やがて心地よい集団となって流れ、どこかいさぎよい。その分、これらは気持ちよくもある。あのとき、たつ江の魂は、いまはこの地上のどこを彷徨っているのか、とつくづく思った。
 そして。俺の頭にふと、たつ江と生前、よく聞いた歌、岸恵子さんの【希望】の歌が目の前に大きく繰り返し、浮かび蘇ってきた。「希望という名のあなたを尋ねて」「私の旅は終わりのない旅」「遠い国へとまた汽車に乗る」…何度も何度も口ずさんでいたのである。

 舞よ、マイ。俺にまた新しい汽車に乗れ、というのか。いやいや。乗らねばならないのか。かつて現役記者のころ、長期に及ぶ殺しやサンズイ(汚職)、災害取材など。事件がひとやま超すつどおまえの許しを得て、俺はよく旅に出た。ふと思い立つように。決まって夜行列車に飛び乗って、である。
 志摩に始まり、岐阜、名古屋社会部(小牧)、能登、大垣、大津……と、決まって、だ。僅かな休みを利用し、夜行列車に飛び乗って東北へ、伊豆へ、富山へ、関西へと全国各地へのひとり旅を、よくしたものだ。それは、「おわら風の盆」の越中八尾だったり、「天城越え」の天城峠だったり、男鹿半島、花巻温泉や城崎温泉などへであった。おまえは、そのつど文句ひとつ言うことなく家庭や支局、通信局を守ってくれていた。

 そして。この夏、電話がかかった。自宅電話は留守電にしてあるので、そのつど、もしかして「おまえからでは」と思い、息をのんで相手の声を待つ。もう二十年近くも前の話だが、わが家の新築に合わせ電話をファックスつき留守電にしてくれたのも、ほかならぬおまえ、たつ江の知恵であった。これまで随分と役立ってきてくれた、その電話が何度も鳴り、私の生活に役立ってくれたことも確かだ。
 だが、しかしである。おまえが決まって切り出してきた甘えたような「あのねぇ」の声は、ひとつとしてなかったのである。おまえのあの声を何よりも先に聴きたいが、おまえは既にこの世にはいない。おまえだったら、まずこう話しかけてくるに違いない。「あのねえ~。シロ。シロちゃん。元気でいる。心配なの」と。
 そして。その俺たちの宝物のシロはいま、外に出ている。一体全体、どこを。何を考え、彷徨いつつ歩いているのか。「何。なんだよ。シロがどうしたというのだ。シロは元気でいるから。心配ない。安心していい。それより、おまえは今どうしてる? 一体全体どうしたというのだ。もしかして。生き返ったのか」と。私はもしもだ。たつ江の肉声が耳に飛び込んできたとしたなら、受話器を耳に当てて、そう叫んだに違いない。

 思えば、新聞社の通信部の電話番に始まり、無線、ポケベル、携帯と俺たちの連絡方法は、その時々で随分と様変わりしてきた。そして。晩年のおまえはデスク端末を終始、手離すことなく、俳句をつくり、短歌を詠み、一行詩や詩などもつくってきた。その姿は、けなげで可愛く、どこまでも美しかった。端末の調子がおかしいの、と言われ、何度も近くのスーパー店内にある端末修理場に一緒にいった。あのとき。俺は、端末がよくなりさえすれば、お前の俳句や短歌、1行詩の創作活動が出来るから-と早くよくなってくれることだけを、ただひたすらに願ったものだ。
 端末の故障が修理され、直った時のおまえの喜びに満ちたあの笑顔ときたら、ホントに俺までがそのつど嬉しくなったものである。おまえの命の代わりといってもいい端末が故障したままでは俳句も作れなければ、歌も詠めない、詩だって作れない。俺が連日、書き続けている一匹文士そぞろ歩きを読むことも出来ないからだ(たつ江は何も言わなかったが、私の書く日々のそぞろ歩きを連日、端末で読んでくれていたようである)。

5.
「あのねえ、あたし帰ってきたよ。ホントよ。だって。あなたとシロちゃん、あなたをはじめ、こどもたちなど家のことが気になって仕方ないのだもの。帰宅したから。もう大丈夫よ。それで、どうだったの。大阪。同人誌の全国大会、よかった? ほんとを言うとね。あたしも一緒について行きたかった。大会翌日の文芸ツアーで与謝野晶子の文学館に一緒に行ってみたかったのよ。
 ほかに通天閣にアベノハルカス。道頓堀にも。いつだったっけ。通天閣の近くのお店で串カツ、一緒に食べたよね。それに織田作之助さんの小説<夫婦善哉>ゆかりのお店にも。ホント言うとね。もう一度、あのお店の夫婦ぜんざいが食べたくって。それで、あちらの国(彼岸)に居てもたてもいられなくって。前世のこちらにきてしまったの。ねえ。あたい。ほんとのこと言わせてもらえば、生きていた間に、もう一度、大阪に行きたくて。行きたくって、仕方なかった。フランク永井さんの声、大好きだった。おまえに、大阪ろまん、ウーマン、公園の手品師……。ほんと。ほんとよ。どの曲も大好きだった。嘘を言ったところで何になるのよ。それから。能登で随分とお世話になった長谷川龍生さん。リュウセイさんにも出来れば、もう一度会いたかった。ところでシロちゃん、元気でいつも、お留守番していてくれるかしら」

 あの口の中でリンリンと鈴を鳴らすような懐かしい、ちょっと甘えたような声が耳に大きく迫った。そして。数日前のことだった。たつ江、すなわち舞はボクの夢枕に突然現れ、こう言ったのだ。「あのねえ、あたし帰るわよ。これから。あなたたちがいる現世、あなたたちがいる社会に。だから。待っていてよ。これから行くから。もう大丈夫よ。大丈夫なのだから」
 何が大丈夫なのか、はよく分からない。でも、あのときたつ江は確かに私に向かって、そう言いきったのである。夢枕に向かってこう言った彼女に向かいボクはあの時、確かにこう答えたのである。

「おまえ。たつ江。ほんとに、舞、マイなのか。おまえなのか。いつ帰ってきたのだ。玄関の鍵も締まっているのに。なぜ、家の中にいるのだ。それも俺の枕元にいるのだなんて。信じられない。でも嬉しい」
 私は不思議なものでも見るように女の横顔をみた。たつ江に違いなかった。
    ※    ※

 わが最愛の妻が天国に旅立ったのは平成二十一年十月十五日の未明だった。全てをやり尽くしたような、そんな安らかな寝顔の旅立ちだった。でも、まだまだ彼女なりにしたいことはいっぱいあったに違いない。その妻が「帰ってきた」。実を言うと、俺は彼女の死後、自分で自分を意気地なし、と思いつつ日々泣いていた。ふたりで夢見ていた希望といおうか。願いとでもいったものが全て破れ、一瞬にして瓦解してしまった、そんな気がした俺は明けても暮れても悲しさと寂しさ、に打ちひしがれる日々を過ごしていた。
 女、すなわち、かわいい舞が思いがけず、わが家に帰ってきたのは、それから一年と少し経った、そんなある日のことであった。信じられない。でも、舞は確かに帰ってきてくれたのである。

 女はロシアがウクライナに侵攻した戦争も、その後の安倍首相の銃撃死も、女が営んでいたリサイクルショップによく通ってくれていた園子さんの肝臓がんによる死亡、それから。この町で大勢の客で知られた喫茶店の閉店も……。その後に起きた何もかもを知らない。これらの事件、病死はその後そのまま女がいる天国にそのまま移されていたなら、それはそれで別だが。もしかしたら、もっと多くのことを知っているかも知れない。

 きょう、この地上では能登半島七尾市でおまえ、すなわち女と共に暮らしていたころ、誰かは知らないが毎年バレンタインデーが訪れるとはポストに投げ入れられていた男性用の櫛とか新品のボールペンとか、サングラス、ほかに愛あふれるラブレターなど、数々の贈り物の中でも今も忘れられない岡村孝子の【夢をあきらめないで】を久しぶりに聴いた。ラジオから流れてくるあの何度も何度もくちずさんだ夢が目の前にあふれ、現実となって飛び込んできたのである。
 そして。その日。目の前をスゥッと人の影のようなものが通り過ぎた。いったい全体何か。だれなのだろう。蜻蛉のようなものは、その後も何回か私の前に現れた。だが、肝心の姿が見えない。気配だけなのである。そして。気配は私に向かって確かにこう話し始めたのである。「あれからねえ。あたし」と。

 あたし。今は。彼岸、いやこの世とは違うお空、宇宙にいるの。そこではあたしの大好きな星たちがいっぱいキラキラ、キラキラと輝いている。ほんとよ。ほんとだってば。あたしが生きていた時、あたしが夜空、そう星に詳しかったことはあなたが一番知っていたはずだから。もうそれ以上は、言わないけれど。
 そういえば、こどものころ天いっぱいにお星さまが輝いていたころのこと、あなた覚えている? 覚えていますか。楽しかったね。夜。空を眺めると視界いっぱいに星が輝いていた。あの星たちは、その後、いったいどこに行ってしまったのだろう。

 最後に俺からおまえへの手紙をここに書き残そう。
「おまえのことを。いつも思っている。おまえの好きだった坂本冬美の【能登はいらんかいね】がこの世に現れ出たのが、俺たちが能登半島の七尾にいた当時の1988年だった。なぜか、この歌を聞くと、おまえと穴水でとれたイサザの踊り食いを競ってしたあの日々が懐かしく思い出される。と同時に、美空ひばりさんの♪逢えないつらさ こらえて生きる 私と歌おう 塩屋の灯り……の1節を思い出すのである。
 おまえがこの世を去り、やがて二年になる。一緒によく行ったスーパーはじめ、あのころの街も何もかもが消えたり、新しく生まれたりし、まるで寄せては返す波のようだ。スーパー三心が「大阪屋」に変わり、おまえがよく買い物に通ったバローは今や、この街を撤退し影も形もない。晩年におまえがやっとこせ歩いて通ったドラッグストアのコスモスはあるが、おまえがこの世を去って以降、俺はどうしても足を向けることが出来ないままでいる。でも、相変わらず多くの人でにぎわっているようだ。布袋駅近くにはマックスバリューが出来、いつも私の助手席に座り、おまえの見慣れた町の風景ときたら、あのころとは随分と変わってしまった。晩年になって、おまえがよく入り口で転んだ平和堂。ここでは書店が消え、靴屋さんもなくなった。どれもこれもがなくなってしまった。

(最終章・おまえに)
 俺は毎日、午前中、新聞のチェックに続き俺ならでは、の一匹文士の執筆にその後も挑んでいる。そして。毎日、愛猫シロに昼食を与えると、自宅周辺のランチをやっている喫茶店または近くの食堂などを訪れ、ここでお昼を終え、その足でスーパーに出向く。スーパーで俺と息子の夕食を購入して帰るが、気が向けばカラオケ店にも顔を出す。そして歌うのは決まって、おまえとの思い出がしみついた<能登の海鳥>や<襟裳岬><星影のワルツ>をうたうのである。最近では、おまえもよくして頂いた牧すすむさん作曲による都はるみさんの<恋の犬山>も唄ったりして帰るが、よくよく考えるとおまえとは一度もカラオケには一緒に行っていなかった。
 そして。昔だったら、何とも思わなかったスーパーの店内を彷徨うが如く歩くたび、ここには桃も梨も蜜柑、レモンにスイカ、キュウリ、ミニトマトも何だってあるな。おまえも一緒なら、どんなに喜んだことだろう-と、つくづく思う。店内を歩くにつれ、おまえが、この世に現れ、店内を俺と一緒に歩いたらどんなにか、胸を弾ませ、目をキラキラさせて喜んだことだろう。と。そう思うと、またしても滂沱の涙が流れ出てくるのである。そのたつ江、舞は今や、永遠のお星さまになってしまった。どんなに大声で呼ぼうとも、彼女はもはや俺のところに帰ることはないのである。

 俺は、おまえが大好きだったフランスのロゼでも飲みながら、たまには共に社交ダンスでも踊りながら、こんどはどこに行こうか。どこで会えるかな、と考える。

    ☆    ☆ 
「あのね。あたしネ。まえから言っていたでしょ。あたし新潟は長岡の大花火を見てみたかった。それであなたには悪いけれど、今月(八月)二、三日とあった長岡京の長岡大花火を見てきました。あなた。あたしたち、能登の七尾にいた時、和倉温泉の三尺玉見たわよね。毎年、冬になると新聞社の七尾支局長として事業部員と三尺玉の発注にいくのだ、と言って雪に埋まった長岡に和倉のだんな衆と行ったじゃない。料亭で、加賀屋の小田さんが<おてもやん>を見事に歌い終えたところで空中三尺と水中三尺の各ひと玉の発注にサインをしてもらい、帰ってきたじゃない。
 だから。あたい、あのころのこと思い出し、長岡に行って来た。長いコロナ禍を終えての大花火だっただけに、それは、それは華麗で美しかったよ。日本を代表するロス五輪の花火師、カ・セ・セ・イ・ジさんも。お元気でいらしたわよ。三尺玉、また一緒にみようよね」

 俺は思わずスマホを手に握りしめ、長岡大花火の中継を見た。そこでは「復興、感謝、勇気、そして平和 どんな困難も乗り越え」といった字が浮かび、かつては見慣れたスターマイン、蝶の舞に代表される数々の芸術花火、ナイアガラ……が整然と打ち上がったかと思うと、フィナーレにあの三尺玉が水中、空中の順で空高く舞い上がったのである。
 舞よ、舞。ほんとうにありがとう。たつ江。いつまでも元気でいろよな。

    ※    ※  

 この世には、おまえ、すなわちたつ江、舞が居てボク、すなわち俺がいた。俺は単純にそう思い、志摩と能登の海に思いを馳せる。彼女と俺たち家族がお世話になった全ての人々にありがとう。そして。ごめんね。たつ江。舞よ、マイ。悲しくとも元気を出して。いつまでも。生きていこうよ、な。これからも。
 お盆に未知の星から帰ってきてくれて、ほんとにありがとう。  (了)

一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2023年8月1日~)

2023年8月31日
 朝。両手にゴミ袋を下げ、ゴミ置き場に歩く私のからだを一陣の風が吹き、通り抜けていった。今シーズン初めて感じたさわやかな秋の風である。これらの風は、たつ江、舞のそれ、しわざに違いない。【秋風に未来永劫と書いて見し】。思わず、彼女が生前に詠んだ俳句が、ほほを通り抜けていった。あ~あ、秋か。今はもう秋なのである。
    ※    ※

    ☆    ☆
 東京電力福島第一原発から処理水の海洋放出が始まり、三十一日で一週間となる。政府は海水中の放射性物質濃度は基準値以下とする検査結果を公表したが、地元漁師らの間には依然として風評被害への懸念が広がる。来月一日からは福島県で沖合底引き網漁が解禁されるが、県内の飲食店などにも処理水に関係する迷惑電話が相次ぐなど影響が出ており、漁師らは「政府は消費者に安全性を説明して」と訴える。(蜘手美鶴、写真も)
――以上は本日付の中日新聞1面【「飽きるほど安全説明を」 処理水放出から1週間 福島の漁師 風評不安尽きず】の前文である。

 ほかには【ガソリン185円60銭最高値 補助延長首相「175円程度に 電気・ガスも補助継続】【山津波全てのみ込んだ 関東大震災100年 小田原父の教訓伝える】(31日付、中日朝刊見出し)など。過去の大震災も含め、胸を塞がれるような記事ばかりである。

 過去の災害も含め、深刻な記事ばかりが並ぶ。

(8月30日)
 中日新聞の報道によれば、三百年余の歴史を誇る「熊野大花火大会」が29日夜、三重県熊野市の七里御浜海岸で開かれ、新型コロナウイルス禍の影響で4年ぶりとなる大会に県内外から5万人が訪れ、豪快な花火に酔いしれた、という。一帯は、世界遺産の獅子岩や鬼ケ城を望む景勝地。点火した花火玉を船から次々と海に投げ入れる「海上自爆」や直径600㍍の大輪を咲かせる【三尺玉海上自爆】が披露され、岩場から打ち上げる「鬼ケ城大仕掛け」がフィナーレを飾ったという。ほかに【ジャニーズ性加害認定 特別チーム 社長の辞任を提言】の見出しは、恥ずかしい限りとは、このことを言うのだろう。

 本日付の中日新聞夕刊によれば、部品発注に使うシステムの不具合で29日に稼働を止めた国内全14の車両組立工場のうち、12工場が稼働を再開。残る京都府と福岡県の2工場も順次再開を目指す、という。やれやれ、である。俳人正岡子規(1867~1902年)の新出句が見つかり東京の子規庵保存会が29日に発表。句は<吾健にして十のみかんをくひつくす>。病に伏していた時期の句だが、まだまだ食欲旺盛で元気なことを伝える内容となっている。

(8月29日)
 火曜日。被爆80年となる2025年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記録」登録をめざし、広島で被爆後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの遺族らが28日、折り鶴など禎子さんの遺品をユネスコ国内委員会に申請。広島文学資料保全の会なども、被爆体験を描いた作家原民喜さんら4人の原爆文学資料を申請したという。

 フランス向けの日本酒などのコンクール「クラマスター」の2023年度授賞式が28日、パリ市内で開かれ、最高賞の「プレジデント賞」は、日本酒部門が岐阜県八百津町・山田商店の「玉柏 吟醸大吟醸」に、本格焼酎・泡盛部門が宮崎県都城市・柳田酒造の「青鹿毛(あおかげ)」に決まった。

 90歳の冒険家三浦雄一郎さんがこの日、日本最高峰の富士山(3776㍍)に向け、静岡県側の5合目(約2400㍍)をスタート。3年前に患った首の病気の影響から自力歩行だけでなく、山岳用車いすも使い、二男豪太さん(54)ら家族や仲間のサポートを得ながらのチャレンジになったという。天候が順調なら3日間の日程。三浦さんは、87歳のころに手足に麻痺を生じさせる「特発注頚髄硬膜外血種」を発症し、8カ月入院。今回は心臓にペースメーカーを入れ、リハビリの最大の目標として富士登山を志したという。

 トヨタ自動車は29日、部品発注などを管理するシステムに不具合が発生したため、この日夕方から国内全14工場28ラインの稼働を停止する、と発表。詳しい原因を調べているが、サイバー攻撃ではないとみられる、としている。

(8月28日)
 きょうのこの地方のトップニュースは、やはり【愛知初の女性首長 長久手市長に佐藤氏当選】だろう。佐藤氏とは。無所属新人で元市議佐藤有美さん(45)で、元NPO法人事務局長の岩岡ひとみさん(44)=南山大卒=が、元市議の佐野尚人氏(58)を破っての初当選で、こんごに期待したい。

 そして。もうひとつ。このところ、負けて、負けて、それでも負けて。負けどおし、8連敗とこの先、チームは一体全体どうなってしまうのだろう―と心配していた中日ドラゴンズがバンテリンドームナゴヤでの昨日、27日のDeNA戦で延長12回に、あの宇佐見真吾選手がサヨナラ安打を放ち、やっとこせ勝ったということか。宇佐見は8月、3度目となるサヨナラ打で試合を決めたのである。

(8月27日)
 きょうの中日新聞朝刊1面トップはドラゴンズの大島洋平外野手(37)が昨日、バンテリンドームナゴヤの対DeNA戦での2000安打達成で、まさに紙面を飾るものだった。そしてもう一つ。【ブダペスト=共同】発の陸上女子やり投げ北口榛花(25)=JAL=が25日にブダペストで行われた世界選手権決勝で66㍍73をマークし世界一に輝いたことか。

 ほかには、【魚のトリチウム不検出 水産庁処理水放出後の初分析】【古川さんISS(国際宇宙ステーション)へ出発 12年ぶり2回目 打ち上げ成功】【ネッシー半世紀ぶり大捜索 英ネス湖ドローンも投入】といろいろだが、一番気になるのは、やはり【福島に迷惑電話多数】か。これは、福島県で飲食店や市役所などに中国の発信とみられる処理水放出にからんだ迷惑電話が続発している、というもので原発処理水の放出が始まった24日の翌25日に中国の国際電話の国番号「86」からの迷惑電話が多発。多い時には1分ごとにあり、26日までに県内のラーメン店・ケーキ店の4店舗で計1000件ぐらいに及び、電話線を抜いた店舗まであるというニュースである。困ったものである。

(8月26日)
 土曜日。朝刊は【日本の水産物販売も禁止 中国、処理水へ圧力強化 海水濃度検出下限下回る】【水産関係者の救済検討 政府】(26日付中日)というものだった。

 中日ドラゴンズの大島洋平外野手(37)がバンテリンドームでの対DeNA戦で3回裏1死一塁で石田から中前打を放ち、プロ野球55人目となる通算2000安打を達成。1787試合目での到達は1985年に1835試合で達成した谷沢健一を抜いて球団最速記録、プロ野球史上では9位。

 人間社の大幡和平さんと晋子さん夫妻が私の最新作の小説5編のゲラを手に午後、わが家へ。近くの喫茶店でこんご新刊出版への道筋などにつき打ち合わせした。1週間以内に私が校閲の初稿を大幡さん夫妻に提出、一刻も早い出版をめざすことで双方の意見が一致。文章表現上の厳しい指摘なども受け、大変勉強になった。
 この席でつい最近、人間社から出版されたばかりの【伊藤裕作編著 寺山修司 母の歌、斧の歌、そして父の歌 鑑賞の試み】を思いがけず、贈呈されたので私からはお礼に喫茶店代を支払わせていただいた。いやはや、とても良い本で「自分から進んで買いたくなる」そんな本とは、このことである。私にとっての寺山修司は【時には母のない子のように】いらいの長年のファンである。

(8月25日)
 社交ダンスのレッスンを終え、帰って手にした中日新聞夕刊1面。そこには【大島宏彦最高顧問死去 89歳 中日新聞社長、会長歴任 ドラゴンズ元オーナー】の活字が飛び込んできた。なぜだか、悲しさでいっぱいとなったのである。おつかれさま。長い間、ありがとうございました以外に言葉は浮かんでこない。私などのしもべには何も言う言葉もないが、七尾支局がそれまでの一本杉通の魚町から加州相互銀行跡地に移転した時、当時社長になってまもない大島さんは新天地となった檜物町の新支局を訪問され、直接、当時七尾支局長だった私はじめ支局員を激励してくださり、あの時の感激は忘れることが出来ない。
 それからもうひとつ。愛知県内版に「みんなのスポーツ欄」を設けるに至った際に、大島さん、すなわち社長自らが黙々とスポーツの成績を書き続けられたことは社と読者を愛すればこそ、で私は主管支局長会議の席で彼が「ボクも書いてみたよ。私が書かないことには、忙しい皆さんに書け、なんてことは言えないよ。だからボクも書かせて頂いた。みんなで書きましょうよ」と。あの言葉を聞いた時、私は大島さんをいっぺんに大好きになったことを思い出すのである。
 このうえは天国で宇宙ナンバー1の新聞を作られるよう、切にお願いしたい。

 午前10時40分過ぎ。シロを外に出してまもなく、猛烈な雨が窓をたたき、あわてて彼女を家の中に入れようと雨戸を開け、何度も「シロ、シロッ」と呼んだが、応答はどこからもなし。ずぶ濡れになってしまわなければ良いが。心配だ。
 その後、「もうだめだ」とすっかりアキラメテいたところ、シロちゃんは11時過ぎに窓を開けたところ駆け寄り、無事、帰宅。どこに避難していたのか。ずぶ濡れだけには、なっておらず、やれやれである。
「シロ、だいじょうぶか」には「うぅん。うぅん。う~ん」と甘えた返事で、頭をこすりつけて来て、全身がある程度濡れはしていたものの、大丈夫そうで、ホッとした。やはり、私たちは雨には、かなわない。何はともあれ、シロが無事に帰ってきてくれ、これほどうれしいことはない。考えようによっては、シロちゃんも思いがけない雨に全身を叩かれ、よい経験をした-ということか。

 その後、空はカラリ晴れ上がった。気まぐれなものである。
    ※    ※

    ☆    ☆
 けさのニュースは何といっても、新聞もラジオ、テレビも▽福島第一原発の処理水の放出開始をトップに▽ロシアのモスクワ北西トベリ州内での小型ジェット機墜落による民間軍事会社ワグネル創設者プリゴジン氏の死亡▽北朝鮮の軍事偵察衛星「万里鏡(マンリギョン)1号の2回目の打ち上げ失敗、といったところか。いやあ~、毎日毎日、次から次に、といろいろあるものだナ、とつくづく思う。

(8月24日)
 午後1時17分、福島第一原発の海洋放出が始まった。
 午後1時ごろ、原発敷地内のポンプなどを起動し、処理水と海水が海沿いにある貯留槽へと向かった。その後、処理水は放水トンネル内を毎秒1㍍と人間が歩くほどの速さで流れ、約1㌔㍍沖合から放出された。この日は200㌧ほどが放出され、順調なら9月中旬には初回の放出が終わるという。本年度、23年度は計4回の放出を予定しており、このまま進めば流される保管量の2.3%に当たる3万1200㌧になるという。
 順調なら、1日当たりの放出量を最大500㌧にまで引き上げ放出のペースを速くすることにしている。処理水放出の開始は、廃炉に向けた大きな前進ともいえ、岸田文雄首相は「処理水の処分が完了するまで政府として責任をもって取り組んでいきたい」と話している。
 また放出途中で放射線量や放出量が基準を超えると、自動で遮断弁が作動。海洋で基準を超えるトリチウムなどが検出された場合には、ただちに放出をやめる。東電ではホームページ上でその時々の放出状況や測定結果を公開し、国内外に発信していくことにしているという。
 なお、香港やマカオでは24日から福島や東京など10都県の水産物の輸入を禁じた。

 雨、雨で明け、朝から小雨が降り続いている。シロは散歩に出ることをあきらめ、私の傍らで眠っている。いったい何を考えているのだろうか。いつまでたっても、〝おねぶたさん〟=この呼び名は、私の亡き母が私の幼少期に、いつもコックリコックリと眠ってしまう私に、こう名付けた=の私も眠くて仕方なく、それでもホッペを何回もたたいて、先ほどからデスクに向かい、やっとこせ、こうして書き始めた。

 さて。このところのニュースを箇条書きにして整理しておこう。以下のとおりだ。
▽政府と東京電力が24日、福島第一原発の処理水の海洋放出を始めた。2023年度は計3万1200㌧の放出を計画(東電は23日、最初に放出する処理水に含まれる放射性物質トリチウムの濃度を測定した結果、放出に問題ないことを確認)。▽夏の甲子園。慶応(神奈川)が史上7校目の大会連覇を狙った仙台育英(宮城)を8-2で下して107年ぶり2度目の優勝。神奈川県勢の全国制覇は2015年の東海大相模いらいで8度目。▽将棋の藤井聡太王位(21)が「伊藤園お~いお茶杯第64期王位戦」で佐々木大地7段(28)を退け、対戦成績4勝1敗で防衛し4連覇を達成。七冠(竜王・名人・叡王・棋王・王将・棋聖・王位)を堅持した▽ドラゴンズが敵地14連敗球団ワースト更新(23日も阪神に7―2で逆転負け)。▽インド宇宙研究機構(ISRO)が23日、無人月探査機「チャンドラヤーン(月の乗り物)3号」が月の南極付近へ軟着陸。月の南極付近への直陸は世界で初めて▽北朝鮮が24日午前3時51分ごろ、東倉里から弾道ミサイルの可能性のあるものを発射、沖縄県付近の上空を飛んで太平洋へと通過。▽ロシアでプライベートジェット機が墜落し、あの民間軍事会社・ワグネルの創設者プリゴジン氏が死亡。なぜか、プーチンの罠にはまったような気がする
――といったところか。

(8月23日)
 暑さがおさまるころか。<かぜ>が少しあるというか、強い。処暑(しょしょ)である。

 きょうは古新聞の回収日なので、朝一番で古新聞を玄関先に出す。朝食後、こんどは相棒のシロちゃんを隣にいつものおかあさん、すなわち舞の歌【エーデルワイス】と【みかんの花咲く丘】を一緒に聞き、彼女を散歩に出したあと、私はこうして、また書き始める。
 新聞はどこも【処理水あす放出 福島第一政府決定 漁業者反対の中 東電「慎重に少量で開始」】【処理水あす放出 水産復興「逆戻り」危惧 福島の仲買業者】【韓国元教授ら反対デモ 名古屋】【処理水放出「全責任」を持てるのか=社説】(中日)とか【政府あす処理水放出 首相「風評対応責任持つ」】【福島に「忍従」強いるのか 福島支局長 西川拓】【「漁師の声無視」処理水放出 輸出に大打撃国が全責任を 「安全性PRし風評被害抑えて」 消費者「福島県産品買って応援」】(毎日)などといった見出しと記事で埋め尽くされており、「いよいよ、あすから放出が始まるのか」といった緊迫感が伝わってくる。

2023年8月22日
 火曜日。朝。舞が晩年の病床で「あたし、この2曲はいつも聴いていたいの。だから、毎日ききたい」と言っていた【エーデルワイス】と【みかんの花咲く丘】をいつものように愛猫シロちゃんを傍らに、ユーチューブで一緒に聴く。
 続いて。もう一曲、彼女が大好きだった坂本冬美さんの【また君に恋してる(歌詞つき)】に久しぶりに耳を傾ける。どれも心に染み入るメロディーと歌詞である。おまえも共に、天空で聴いているのか。聞いていてくれたら、とても嬉しい。
    ※    ※

    ☆    ☆
 本日付の夕刊1面トップ見出しは【処理水24日放出決定 福島第一 首相、風評対策を強調】(22日付、中日夕刊)【処理水放出24日開始 安全・風評対策を徹底 政府決定】(22日付、日経夕刊)というものだった。
 このうち中日夕刊の前文・総合リードを、ここに<歴史の証言>として記録しておこう。
――政府は二十二日、東京電力福島第一原発の処理水を巡る関係閣僚会議を官邸で開き、海洋放出を二十四日に開始する方針を決定した。漁業者は放出に反対し、影響を懸念している。岸田文雄首相は、風評対策やなりわい継続支援に全力を挙げる姿勢を強調。「数十年の長期にわたろうとも処理水の処分が完了するまで政府として責任を持って取り組む」と述べた。

 処理水24日放出決定、を報じた中日、日経の22日付夕刊
 

  

(その時。22日午前中の私の執筆内容)
 きょうのニュースで一番気になるのは、中日新聞朝刊の1面トップ見出し【処理水 24日にも放出 福島第一 きょう最終決定】【憤る東北の漁業者 「結局うそ」「震災復興 水の泡」】である。政府の苦しい事情は、とてもよく分かる。だが、ここは個人的に思うのだが。僅かな期間でもいい、処理水の放出をひと呼吸おいてみたら、と思うのだが。
 ここで今一度漁場への影響を考え漁民の立場、そして中国をはじめとした他国への風評被害も頭に、冷静に〝ひと呼吸〟おくことを望みたいのだが。かといって、処理水は増える一方で、そんなわけにはいかないのも確かだ。政府の苦しい立場は十分過ぎるほど、よくわかる。
 それだけに、人間心理を逆手に取って、ここは処理水放出を思いきってしばらく延期してみるとか。そうした誠意を、漁民をはじめとした国民、そして中国などの他国にも見せつけるわけにはいかないものか。柔道で言えば、試合中のとっさの〝崩し技〟とでもいえよう。かといって、言うは易く行い難し、で。ここまで進んできたものを。どうしてよいものか、は私にもさっぱり、分からないのである。
 何はともあれ、漁民の意をくみ、たとえ僅かな期間にせよ、今一度みんなで考え、処理水の海への放出を思いきって引き延ばしてみたらどうか。それだけでも漁民らはたとえ僅かでも国の誠意を感じ取るのではなかろうか。そして。もしかしたら、その間に、何か思いがけない名案が浮かぶかもしれない。暴言かもしれないが、わたしにはそんな気がするのである。かといって、私がこうして執筆している間にも、政府は午前中の関係閣僚会議とやらで、もう放出時期は決まってしまったかもしれない。いや、決めてしまったかもしれない。現在は22日午前。10時過ぎである。

(8月21日)
 夕方から夜にかけ、気が狂ったような雨がここ尾張地方の上空を襲った。これは一体全体、何なのだろう。空は、一体全体何に対して怒り狂っているのか。

【初サンマ1匹2万5000円 豊洲市場、最高値を更新】とは、本日付中日新聞夕刊の見出しである。それによると、「東京・豊洲市場(江東区)に二十一日朝、サンマが今シーズン初入荷した。不漁を反映して、昨年より一カ月以上遅かったが、卸値は一㌔当たり二十万円、一匹二万五千円と過去最高値を付けた。/同市場に入荷したのは、十九日の朝までに北海道根室市の花咲港などに小型船によって初水揚げされたサンマの一部、約五百㌔。/わずか一㌔ほどと少なかった昨年七月中旬の初荷より急増したが、一匹一二〇-一三〇㌘の卸値は、昨年の高値(約一一〇㌘、㌔当たり十二万円)を大きく上回り、最高値を更新した。」という。

 それはそうと、東電福島第一原発の処理水の海洋放出がいよいよ、近づいている。海洋放出を間近に控え、【きょう全漁連と最終協議 首相処理水放出巡り 福島第一視察】【大気への放出検討 中国とロシア要求 政府に直接】とは、けさ21日付の中日新聞朝刊1面の見出しである。

(8月20日)
 【放出時期22日にも判断 福島第一、首相きょう視察】【日米韓「安保新たな高みに」 共同声明 首脳・閣僚 毎年会談 中国を名指しで批判】(20日付、中日見出し)のニュースのなかで、やはりきょうはスポーツ面のドラゴンズの見出し【連続試合安打 岡林29で止まる】と【<救心>高橋宏 復活の道に暑い壁】(同)が気になり残念で悔しくてならない。

 このところアレコレの合間に、数カ月をかけ執筆を続けてきたお盆に亡き妻たつ江(伊神舞子)がわが家に戻ってきた話を脱稿、私が主宰するウエブ文学同人誌『熱砂』に【あたし帰った かえったわよ】のタイトルでアップ(公開)。特に読んで頂きたいお方には図々しくもラインで「読んでいただけたら、うれしいです」と恥ずかしげもなくお知らせしたが、皆さん好意的にうけとめてくださり、「舞さんも黄泉の世界でいい夫をもったもんだと喜んでるでしょう」(三田村博史さん)「読んでいるうちに思わず涙が出てしまいました」(黒宮涼さん)などといった思いがけない返事まで頂き、純粋かつ正直にとても嬉しく思い、仏に報告した。

(8月19日)
 俳句の日。世界人道デー。
 本日付の中日新聞夕刊見出しは【処理水放出22日にも判断 首相あす福島第一視察】【日韓で議題にならず 尹大統領「IAEA(国際原子力機関)を信頼」】、【日米韓 安保強化で合意 中朝念頭「新たな高み」 首脳会談を毎年開催】というもの。政府はどうやら東京電力福島第一原発の処理水海洋放出を巡り22日にも関係閣僚会議を開く方針を固めたようだ。

 土曜日。午前中、外に出た愛猫シロの視線の指摘で裏庭の先代猫塚のお花とお水を替える。彼女は、外に出ると、まず先輩猫たちの眠るお墓を見て回り、「お花が古く、水も替えてあげてよ」と私に、暗黙の内に、あれこれ指示してくれるのである。ありがたいことだ、と思っている。デ、さっそく美しい水と花に替えてやる。

 新聞報道によれば、だ。岸田文雄首相は18日午前(日本時間19日未明)、米ワシントン近郊の大統領山荘、キャンプデービッドでバイデン米大統領、韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談。核・ミサイル開発を続ける北朝鮮や、台湾周辺で軍事的圧力を強める中国を念頭に、経済を含めた安全保障の協力強化を打ち出す共同声明など複数の文書を発表し、首脳、閣僚らの会談定例化で一致する。
 会談の冒頭、バイデン氏は「三カ国の民主主義の結束を強化することは私が副大統領だったころからの長きにわたる優先事項」と述べた上で、「共に未来に立ち向かうための土台を築く歴史的な仕事といえる」と語った。岸田首相は「安保協力を新たな次元に高めたい」と応じた』とは、中日新聞の19日付1面の記事だ。見出しは【日米韓「結束を強化」 首脳会談 安保協力「新たな次元」】といった具合だが、3氏には、何よりも世界の平和を念頭に〝危険な道〟に足を踏み入れることがないように、と願う。

(8月18日)
 金曜日。午後、久しぶりに社交ダンスのレッスンで一宮スポーツ文化センターに出向いた。レッスン教師の体が回復したためで、なんだか普通の静かで充実した日常が戻ってきたような、そんな気がした。おまけに「ごんたさん。すごいじゃない。前と変わらないわよ」とお褒めの言葉をいただいたのがナンダカ、たとえお世辞とは分かっていながらも嬉しい気がした。

 きょうは、ほかに9月3日に名鉄金山駅近くANAホテルで開催される滝高同窓会参加費の入金を郵便局ですませたほか、本欄「一匹文士そぞろ歩き」の執筆、さらには「脱原発社会をめざす文学者の会」幹事会の依頼で毎月一回、書き進めている文士刮目の第28回目【同人誌「その土俵」の重みを大切に】を出稿するなど相も変わらず忙しい1日が過ぎていった。これでは、亡きたつ江、舞にいつも注意されていた「1日に(やることは)ひとつよ」は、相変わらず守れそうにないのである。
    ※    ※

    ☆    ☆
 山口県上関町議会は、中国電力と関西電力が共同開発をめざす原発の使用済み核燃料の中間貯蔵施設を巡り18日開いた臨時町議会で西哲夫町長が建設に向けた調査を容認する意向を表明。「町は急速に疲弊が進み、就任以来強い危機感を抱いている」と述べ、議会終了後に中国電力に容認の方針を伝えた。

(8月17日)
 昨日のバンテリンドームナゴヤ。ドラゴンズは宇佐見の2試合連続のサヨナラ打で巨人に2-1で勝ち、3連勝。先発小笠原は7回1失点の好投ながら勝敗はつかず、マルティネスが3勝目。注目の岡林は一回に右前安打を放ち、球団記録更新中の連続試合安打を27に伸ばした。巨人は、中日戦の今季の連勝が7で止まった。

【大雨 新幹線30万人超影響 JR東海 185本運休 240本遅れ】【警察と協力通路確保 名駅 長蛇の列、列、列… 情報発信には課題】とは中日新聞の本日付朝刊1面の見出し。ことしのお盆明けの出勤には苦労した人が多いに違いない。もうひとつ。【鳥取大雨「濁流で地響き」 台風7号 最大1800人超孤立】【なぜ 離れた静岡でも大雨】の見出しも気になる。やはり、自然は予期せぬことをもたらす。

(8月16日)
 和歌山県に上陸し近畿を縦断した台風は16日、日本海を北上。一時、大雨特別警報が出された鳥取市では佐治川に架かる二つの橋が崩落し市が被害状況の確認を進めるなどした、という。【台風7号日本海を北上 8府県で49人けが】とは本日付の中日新聞の夕刊。見出しには、ほかに【ハワイ山火事 死者100人超す 支援の動き続々と】とハワイの山火事を続報するものもあり、人間がどんなに抵抗しようとも残念ながら自然には勝てない証明とでもいえようか。
 それとは別に本日付の中日夕刊の見出し【新幹線再び見合わせ 東京-博多間の全線 静岡で大雨 乗れない…名駅混乱】の記事が気になった。記事は「台風7号の影響で十五日に名古屋-岡山間で計画運休した東海道・山陽新幹線は十六日、始発から通常通り運転を再開したが間もなく静岡県内の大雨により三島-静岡間の上下線で運転を見合わせた影響で東京-博多間の全線がストップしたーというもので、これは大変だ、と思った次第である。
    ※    ※

    ☆    ☆
 終戦から78年がたち15日には政府主催の全国戦没者追悼式が東京千代田区の日本武道館で開かれ、遺族ら参列者らは2度と戦争の悲劇を繰り返すことのないよう平和を誓いあった。台風7号は昨日、和歌山県に上陸後、東海・近畿を縦断、各地に被害をもたらし日本海に抜け、この後、北上していった。

 それはそうと、毎日新聞の朝刊小説【兎は薄氷に駆ける(貴志祐介さん)】が本日16日付324回で完結。司法と捜査、検察の世界をえぐり出す、とても良い小説だった、と私は心から思った。同紙では同じ朝刊で【青嵐の旅人(天童荒太)】を連載中=16日現在で201回目=だが、これもなかなか読ませるいい内容で、読者を物語の世界に引き込んでいく腕力、筆力はたいしたものだ-とつくづく思った次第である。いずれも取材がしっかりしていればこそで同じ物書きとして大変、勉強になったことも事実である。

 その小説だが、私がこのところ書き続けてきた「今は亡き妻がお盆に自宅に帰ってくる、という珍妙奇天烈、奇想天外なる物語【あたし帰った かえったわよ】が昨夜遅くやっと脱稿、きょうから本欄【熱砂】のウエブ作品集で公開している。皆さんに読んでいただけたら、嬉しく光栄で、舞も喜ぶに違いない。

(8月15日)
 強い風と雨を伴った時速15㌔と自転車程度、速度の遅い台風7号が明け方の15日午前5時前、和歌山県潮岬付近に上陸。その後、台風7号は午後1時ごろ兵庫県明石市付近に上陸。この間、和歌山から近畿、東海、北陸地方を縦断して日本海へと進み能登半島沿いに北海道へと北上していった。
 この間の台風の動きを見るにつれ、私には和歌山にせよ、三重、舞鶴を含む関西、さらには能登…と今は亡きたつ江(舞子)が生前何かと愛着を抱いていたコースを通り、去っていったような。そんな気がしてならない。そして。このノロノロ台風。幸い、鳥取県など一部被害の多いところを除いては、無事通過したようで皆、胸をなでおろしたことも事実だ。

 それにしても、天国からのおまえの帰省=ウエブ文学同人誌『熱砂』の伊神権太作品集のなかの「あたし帰った かえったわよ」に収録=だが、大変な台風通過と重なってしまったものだ。でも、わが家にとってのおまえの思わぬ来訪は楽しくて嬉しかった。舞よ、まい。マイ。本当におつかれさま。ありがとう。こんな悪天のなかを大変だったね。
 おまえの久しぶりの帰省の話は、私が主宰するウエブ文学同人誌『熱砂』の本欄で新作小説として公開しておいたので皆さんにも読んで頂けたら、とても嬉しい。

(8月14日)
 月曜日。きょうも長男夫妻ら家族そろって昨日のたつ江のお墓【濃尾の大地】への墓参りに続き、私の両親が眠る和田霊苑、ついで今は亡き舞と彼女の両親が眠る古知野のお墓の順で墓参して回る。和田霊苑では、沖縄戦線で若くして命を落とした母の弟のお墓にもお花を供え、「二度と戦争の惨禍が起きないように」と手をあわせた。
 そして。この2日間というもの、互いの近況をはじめ、亡きおかあさんやおばあちゃんのことをはじめ、家族のこと、学問のこと、世情のこと、戦争のこと、AIのことなどについても久しぶりにアレヤコレヤと話し合うことが出来、よかったなーと心から思った次第。お盆に親子がそろってこうして会い、お墓参りはむろんのことみんなでこれからのことを楽しく話し合う。これもひとつの貴重な日本文化だと思う。

 和田霊苑には無縁仏の山々が
 

 伊神家の墓は、立派な花々が供えられていた
 

 沖縄戦で散った母の弟の御霊にもお参りする
  

 いつものように威厳を保って咲く和田霊苑の見事な百日紅
  

 カンカン照りの下、舞とおかあさんが眠る後藤家の墓ではお水をそそぐ
 

 古知野の墓には仏さんが並んでいた
 

2023年8月13日
 きょうからお盆である。台風7号の進行方向がどうやらこちらに向かっているようなので気になる。

 【74年ぶり竜の歴史に刻んだ 25試合連続安打 岡林】とは、昨日バンテリンドームナゴヤで中日ドラゴンズが広島を3-2で下した本日13日付の中日スポーツ1面見出しである。よくやった! おかばやし。リーグ成績が低迷しているだけに、ドラゴンズ、いやいや私たちドラファンにとっては、岡林の大活躍は、とても嬉しく、かつ明るく、勇気づけられる大ニュースである。<西沢道夫に肩を並べる><用具への強いこだわり><立浪監督も目を細める>の袖見出し、川又米利の【核心 岡林の並々ならぬ攻撃性や積極性が初回の5連打呼んだ】もよかった。
 そして。ドラゴンズはきょうも広島を相手に▽岡林球団新26試合連続安打▽柳9回ノーヒットピッチング▽石川昴弥-宇佐見の二者連続弾で2―1でサヨナラ勝ちするという見事な試合をみせてくれたのである。やれば出来るではないか。

 ほかには、あの忘れられない日航ジャンボ墜落に関わる【日航機墜落38年 願いは同じ 空の安全を 慰霊式4年ぶり遺族参列】はじめ、【心も躍る阿波おどり幕開け 徳島 特別な「20万円席」初登場】【涼求めた先は… みっちり ナガシマ混雑 郡上39.1度など各地猛暑】【死者80人警報なく被害増か ハワイ山火事 1000人と連絡取れず】(いずれも13日付中日新聞朝刊の見出し)など。世の中はいろいろ、人生もいろいろである。
 そんななか、朝刊を読む耳に、どこかからカナカナカナの声が聴こえてくる。たつ江、舞に違いない。世の中は、こうして流れ、ながれていくのか。

 長男夫妻がお盆で、わが家へ里帰り。食事後、家族そろって永正寺の永代供養集合墓「濃尾の大地」へ。帰りに亡き妻とかつてよく訪れた江南フラワーパークへと出向き、パーク内をみんなで散策。雲行きが急に怪しく、雨が降り出したので帰宅。夜は近くの「むさし屋」さんで楽しい食事とあいなったが、皆それぞれの道を頑張って歩んでいるので、ちょっと嬉しい気がした。舞が生きていたなら、どんなにか喜ぶことだろう。そんなことを思うと、やはり、しんみりしてしまうのである。

2023年8月12日
 群馬県御巣鷹山に日航ジャンボ123便(ボーイング747SR-100型機)が墜落し、520人が死亡した(他に4人が重傷)事故からきょうで丸38年。あの日、私は空港記者として、いつものように名古屋空港内の各エアライン運航課をはじめ運輸省空港事務所、愛知県警西枇杷島署空港警備派出所など空港内をチェックして回るうち「日航機が落ちたらしい」との情報を得て本社社会部デスクに連絡。翌早朝には舞から渡されたありったけ、わかる範囲内の取材メモを手に本社機で航空部員とともに墜落現場の上空ルポに飛び立った日のことを今でも鮮明に覚えている。
    ※    ※

    ☆    ☆
 そして。あれから38年後のけさ。朝起きると「昨夜、台所一角で1羽の蝉がじっとしており、それをシロちゃんがずっと、話しでもするようにして見ていたよ」と息子。わたしには、なぜか、その蝉がおかあさん、舞(たつ江)の化身に違いないと思えて仕方がない。その蝉こそが、いたずら好きだった、おまえ、すなわち舞のお化け【ふんがも】のような気がしてならない。たまたま私は、ここ2カ月ほどの間、天空の舞が地上の私たちのもとに帰ってきたという奇想天外なる小説執筆に意を注いできたが、【ふんがも】の登場はそれと関係あるやなしや-となると、わからない。でも、舞の霊がお盆で、この地上に戻ってきていることだけは十分ありうるのである。

 気象庁は12日朝、岩手県内陸部で発達した積乱雲が次々と連らなって大雨をもたらす線状降水帯が発生、非常に激しい雨が同じ場所(大槌町)に降り続いている-として<顕著な大雨に関する情報>を発表した。
 岐阜市長良川河畔での第一回ぎふ長良川花火大会が11日夜、これまでの名称を変えて4年ぶりに復活、夜空を彩る一万発の花火が10万人の観客を魅了した。サッカーの女子ワールドカップ(W杯)第20日が11日、ニュージーランド・オークランドなどで準々決勝の2試合が行われ、日本代表の「なでしこジャパン」はスウェーデンに1-2で敗れ、2大会ぶりの4強入りを逃した。でも、よくやったな、と思う。

 ウクライナ国防省によると、南部ザポロジェのホテルに10日夜、ロシア軍のミサイル攻撃があり、1人が死亡、16人が負傷した、と発表。相変わらず、世界は戦争が絶えず、混沌とした中にある。

(8月11日)
 金曜日。最近ではいろんな日があり、きょうは山の日。祝日である。
 台風6号は10日、対馬海峡を北上、朝鮮半島に抜けて午後6時には熱帯低気圧に。一方で強い台風7号は、この日小笠原諸島の父島南東を進み、15日ごろには暴風域を伴った強い勢力となり、東日本または西日本に近づく恐れがあるという。
 この日(10日)、台風6号の影響で暖かく湿った空気が南から流れ込み、山を越えて熱風が吹き下ろすフェーン現象が起きたことで日本海側を中心に厳しい暑さとなり、石川県小松市では何と40.0度を観測。28地点での観測史上1位を記録。この日は全国914観測点のうち、最高気温が35度以上の猛暑日は164地点に上った。
 ほかに新聞報道によれば、米国ハワイ州のマウイ島では大規模な山火事が発生、36人が死亡。観光客1万人が避難する-などまさにこの世は炎熱地獄である。米ハワイ州の緊急事態管理局によれば、山火事は8日から始まり、これまでに8平方㌖以上を焼失。携帯電話が通じないことなどから、救助活動は難航しているという。

 中国政府が10日、新型コロナウイルス感染症の流行を受けて停止していた日本への団体旅行を解禁した、と発表。中国から日本への団体旅行は2020年1月いらい、約3年半ぶり。日本国内の観光業界からは中国人旅行客の回復につながる、と歓迎されている。

(8月10日)
 ドラゴンズの話題でなくて残念だが。午後、スマホに入ったニュースによれば。あの大リーガー、大谷翔平が今季10勝目 【前人未踏の2年連続 「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を達成】だそうだ。たいしたもの、とはこのことか。いやいや、今ひとり忘れられない人物将棋界のプリンス藤井聡太七冠がいる。

 本日付中日新聞夕刊に【原電などサイバー攻撃 アノニマス「処理水放出に抗議」】【米、対中投資を制限 半導体など先端3分野】の見出し。このうちトップニュースは、国際的ハッカー集団「アノニマス」が東京電力福島第一原発の処理水海洋放出計画に抗議するためとして、日本の原子力関連団体のウェブサイトにサイバー攻撃をしていることが分かった、というもの。攻撃は7月から活発化、日本原子力研究開発機構や日本原子力発電、日本原子力学会が標的になったという。ぶっそうな話だが、今後どう発展するのか。気になるところである。
 ほかに【ハワイで山火事 6人死亡 マウイ島、渡航自粛を要請】【警視庁催促直後に日大が「薬物発見」 アメフト部寮、連絡まで12日】【コスプレCool! 日本へGo! 外国人魅了 名古屋も「聖地」 「違った自分になれる」】(10日付、中日夕刊)といった見出し。いろいろあるとは、このことか。
    ※    ※

    ☆    ☆
 きのう9日は長崎原爆の日。78年前の8月9日午前11時12分、長崎に米軍機による原子爆弾が投下され、一瞬にして7万人もの命が奪われた忌まわしい、忘れることの出来ない日である。

 平和宣言に思いこめ=長崎原爆の日を報じた中日新聞
 

 というわけで、きょうの新聞は、台風6号接近のため規模を縮小し60年ぶりに屋内開催となった長崎市の平和記念式典を報じる記事が目立ち、【ただ一人参列 被爆者の誓い 長崎原爆の日 核なき地球子どもに】【台風で式典縮小、資料館は閉館早め 避難所で黙とう「残念」】【今後に不安抱く 愛知の被爆2世】【核の惨禍 忘却に警鐘 長崎市長「依存脱却の勇気」を 原爆の日屋内式典 戦後78年 被爆者なき時代きた時が怖い 谷口稜嘩さん生前訴え】(10日付中日)、といった内容である。
 私も今は亡き舞とともに、1分間の黙とうを捧げたのである。
 
 私と一緒に黙とうする愛猫シロ、オーロラレインボーちゃん
  

 ほかに、けさの話題は、といえばだ。【中国、日本団体旅行解禁 きょうにも、3年半ぶり】【近ツー社長引責辞任 コロナ業務 過大請求 最大9億円】(同)といったところか。

 そして。今ひとつ。台風のニュースを避けては通れない。長崎や熊本などの一部を暴風域に巻き込みながら北寄りに進んでいる台風6号はその後、10日にかけて九州の西海上を北上。鹿児島県の種子島・屋久島では9日午前、熊本・宮崎両県で同日夜、高知県では同日未明に局地的豪雨をもたらす線状降水帯が発生し、九州全域で激しい雨が降りやすい状況が続き、気象庁は土砂災害や河川の氾濫、暴風雨などへの厳重な警戒を呼び掛けている。
 そればかりか、今ひとつ気になるのは小笠原近海を西寄りに進んでいる台風7号で、こんご10日から12日ごろにかけ、小笠原諸島に接近見込みで目が離せないという。
 いやはや、人間社会は自然界に振り回されている、といえなくもない。いつものことではあるが。

(8月9日)
 水曜日
 長崎はこの日、米軍による原爆投下から78年となった。台風6号の急襲接近に伴い、長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」は、いつもの平和公園から60年ぶりに屋内の「出島メッセ長崎」に変更。鈴木史朗市長は就任後初の平和宣言で5月に開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の核軍縮文書「広島ビジョン」に触れ、これを批判。「核抑止への依存からの脱却を勇気をもって決断すべきだ」と訴えた。

 甲子園で行われている全国高校野球「夏の甲子園」。1回戦の第4試合で大垣日大(岐阜)と近江(滋賀)の対決となったが、大垣日大が7-2で近江を破り、2回戦へと駒を進めた。大垣日大も近江もかつて岐阜、滋賀両県とも記者として働いていた懐かしい土地だけに、両方ともに勝ち進んでほしかったが、ここは仕方ないか。名物監督でも知られる79歳の阪口さん率いる大垣日大にこのまま勝ち進んでほしく願う。

 ところで、野球と言えば、だ。私の大好きなヤクルトの村上が対広島戦で高校出2年目から5年連続のシーズン20本塁打に到達した。3-3の三回先頭で九里の高めの変化球を捉え、高々と打ち上げて右翼席に運んだ。

 日本大学が8日、覚醒剤と大麻を所持したとして同大のアメリカンフットボール部員が警視庁に逮捕された事件を受け、記者会見。林真理子理事長は「深くおわびをする」と謝罪。寮内で大麻のような不審物を見つけてから警察への通報が12日後になったことに関しては「反省を求め、自首させるのが大学の責務だと考えた」と説明。「適切な対応で、隠蔽とは思っていない」との認識を示した。それにしても、学問の府でこんなことでは、と思わざるをえない。

 午前11時前。例によってスマホがプップップッの音を立てる。執筆の手を1時休め画面を開くと、台風6号に関するもので、そこには次のような文字が並んでいた。
【鹿児島県の種子島・屋久島地方に線状降水帯が発生 気象庁が顕著な大雨に関する情報を発表】。ちなみに、台風に関するけさの朝刊の見出しは【記録的大雨の恐れ 台風6号 九州や西日本も警戒】というものだった。

(8月8日)
 朝早く。私たちのクラスメート「二石会」会長の須賀藤隆君からメールが入る。
 何ごとか、と思い開いてみると次のような内容だった。
-今日は「立秋」だそうですが、暑い日が続きます。/さて、本日、尾張版で、過日の同窓会の紹介がありました。いろいろ力を貸してもらい感謝しています。………

 先の「二石会」開催を前にあれやこれやとアイデアをこらし、同窓会の準備に情熱を傾けていた彼(須賀君)の陰ながらの努力と情熱を知るだけに正直、とても嬉しく思った。ちいさな記事でも中日新聞の尾張版は読者がケタ違いに多い。読者への浸透となると、とても威力がある紙面だけに、本当によかったな、とホッとした次第。新聞界には【ベタ記事危うし】という金言があるが、小さな記事のなかに、キラリと光る話題。読者の思いが満載され、人から人に伝わっていくのである。
 
 写真は二石会の話題が報じられた8日付の中日新聞尾張版
 

(8月7日)
 月曜日。ゆっくり、ノロノロ台風の台風6号は、この日鹿児島・奄美地方を暴風域に巻き込みながら東へと進んだ。このままだと、奄美や九州南部で8日午前中にかけて局地的な豪雨をもたらす線状降水帯が発生する可能性があるという。

 【処理水放出 今月下旬にも 政府検討 日米韓首脳会議で説明】とは、本日付の中日夕刊。それによると、政府は東京電力福島第一原発を巡り、8月下旬から9月前半の期間に処理水の海洋放出を開始する方向で検討していることが判明。岸田文雄首相が8月18日に米国で予定されている日米韓首脳会議で説明し帰国後に方針を決める段取りを想定しているという。
 当然のことながら、放出に反対姿勢でいる漁業関係者の理解を得られるかどうかが焦点で、政府は開始時期を慎重に判断したい、としているが、さてどうなるか。国は漁協関係者の理解を得るのに全力を注ぐべきで、反対の中の強行だけは避けるべきだと思う。あくまで理解を得ることに全力を注ぐべきである。

(8月6日)
 日曜日。日本列島は5日、西日本から北日本の広い範囲で高気圧に覆われ、厳しい暑さに襲われた。福島県伊達市では午後2時ごろ、なんと最高気温40.0度を観測。今夏初の40度到達となった。また最高気温が35度以上の猛暑日はこの日、全国914の観測点のうち274地点に及んだ。この暑さで福島県広野町では畑作業中の80代の女性が死亡、熱中症と見られている。
 一方で台風6号は5日、沖縄本島や鹿児島県の奄美地方を暴風域に巻き込みながら、徳之島西の海上を東に進み、6日にかけ沖縄や奄美に再び接近。日本の南の海上で勢力を強めて北上中で、このままだと8日以降には西日本に上陸する恐れも出てきたという。困ったものである。

 広島に原爆が投下され78年になる。この日、広島の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれた。ことしは4年ぶりに新型コロナウイルス対策で設置が見送られてきた先着の一般参列者席が設けられ、アメリカやウクライナなど約百十の国の大使も参列、好天の下の実施となった。式典では、この1年に亡くなった人や死亡が確認された5320人の名前が書き加えられた33万9227人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められ、原爆が投下された午前8時15分に参列者全員が黙とうを捧げ、始まった。

 =広島の平和記念公園であったテレビ中継。平和記念式典から(NHKから)
 原爆の少女像(故佐々木禎子さん)をバックに黙とうする親子
 
 
 世界平和はみんなの手で。参列した人々
 

「平和だと思える未来を私たちが作っていきます」
  

 この日は高校球児の祭典である夏の甲子園も始まった。
 サッカーの女子ワールドカップ(W杯)。日本代表「なでしこジャパン」はニュージーランド・ウェリントンでの決勝トーナメント1回戦に臨みノルウェーに3-1で快勝し、2大会ぶりに8強入り。

 【「大麻は現実逃避」 若者にまん延 使用経験者が警鐘 重なる朝日大事件】【検挙の7割20代以下 目立つSNS経由の入手】【日大生 所持疑い逮捕 アメフト部、無期限停止 大麻・覚醒剤】とは、6日付中日新聞の見出し。若者の間でこのところ、大麻の使用が確実に増えている。何としたことか。

2023年8月5日
 岸田文雄首相が4日、官邸で記者会見。当初、来年秋に健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化する予定だった方針を当面は健康保険証を維持する考えを示した。というわけで、けさの新聞1面トップの見出しは【保険証 来秋廃止は当面維持 首相会見 延期点検次第で判断 資格確認書最長5年有効】というものだったが、個人的には、これまで慣れ親しんできた健康保険証はそのままに。いつまでもでもよいのでは、と思う。
 それこそ、【わが健康保険証は永遠なり】であってほしく、思うのだが。デジタル社会への移行も大切ではあるが、ひとつくらい、健康保険証だけでも温かみのある現行のままでいったらどうか-と思うが、いかがか。岸田さんの好きな膝詰め談判でもしてみたら? おそらく高齢者の誰もが従来の健康保険証の継続を望む声が多いもの、と確信する。いかがか。

 新聞には、ほかに【羽生結弦さん結婚 スケートと共に全力で前へと生きていきます】(5日付、中日)との明るい話題も。それによると、フィギュアスケート男子で五輪2連覇の羽生結弦さん(28)が4日、自身の公式交流サイト(SNS)で結婚することを報告。「羽生結弦は入籍する運びとなりました。今後の人生も、応援してくださっている皆様と、スケートと共に。全力で前へと、生きていきます」とつづり、相手については言及していないという。

2023年8月4日
 将棋の藤井聡太七冠が大阪の関西将棋会館での王座戦挑戦者決定戦で愛知県一宮市出身の豊島将之九段に午後9時15分、159手で勝ち、王座戦の挑戦権を獲得。

 金曜日。愛知県安城市の夏の風物詩「安城七夕まつり」が4日、始まった(6日まで)。
 沖縄周辺では迷走しているノロノロゆっくり台風(6号)の今後の進路が心配されている。というのに、だ。こちら名古屋は11日連続の猛暑日とあって、暑い日が続く。
 生涯プラハを見つめて生きた村井(劇作家村井志摩子)の『原爆ドーム・ヤンレツル三部作』は、現在記憶する人も少ないが、もう一度上演されてもいい。(軽)-とは、本日付の中日夕刊【大波小波】氏である。

 わたくしは、きょうも。おまえが以前に市内スーパーの靴屋さんで俺に買ってくれ、その後履きなれたおんぼろValentinoの靴を(きょうは、とても暑いので)思い切って素足のまま履き、これまたおまえが選んでくれた緑の車体のパッソに乗って熱射のなかを運転。スーパーに行く途中で喫茶店に入り、時間遅れのランチを頼み「デザートは良いです。その代わりにかき氷。(相棒が大好きだった)レモンのかき氷をください」と言い、これを食べ、近くの大型店・イオンリテールに寄り、夕食を買って愛猫シロが待つわが家へ、と戻った。
 道中、思うのはたつ江(伊神舞子)、おまえのことばかりだ。なぜ、なぜ。そんなにも早く死んでしまったのだよ、と。空に向かって叫ぶ。でも、けさ未明にNHKラジオの深夜便を何げなく聴いていたら、あの国民的俳優だった松竹映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さん、渥美清さんは68歳で命を落としたという。そう、おまえよりひとつ若く、亡くなったと知り仕方ないか-とその点では妙にあきらめがついたたことも事実だ。おかしな対比である。

 食事と買い物から帰宅し、先日「赤旗」の植村さんが「うちの畑で出来たものだから。奥さん、好きだったから」とわざわざ届けてくださり、その後冷蔵庫で保存して置いたミニトマトを遺影の前、霊前に。生前の彼女はなぜか、ミニトマトが大好きだった。それだけに、どこかありがたく、かつ嬉しく思った。

 ありがとう、と好物のミニトマトへの礼をいっているような舞。確かにおいしかった
 

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 それにしても、全国的になお、連日の酷暑が続いている。私は先日、大阪から帰ったあとは、ひと足早い妻のお盆の法要(棚経という)やらアレヤコレヤで少し、いや、正直言ってかなり疲れはしたものの、妻との約束を守るためにも新作小説の執筆に追われている。

 岐阜県警と北方署は3日、大麻取締法違反(営利目的譲渡)の疑いで、いずれも朝日大ラグビー部に所属する3年生の男3人を逮捕。同日、瑞穂市内にあるラグビー部の合宿所を家宅捜索。入手先や、ほかにも犯行を繰り返していないかどうか、を調べる。この日は警視庁薬物銃器対策課も日本大学アメリカンフットボール部の部員に大麻所持の疑いがあるとして、東京中野区の同部寮を家宅捜索、寮で乾燥大麻と覚醒剤成分を含む錠剤を発見。こんご入手経路などを捜査、追及することにしている。

 東京地検特捜部が4日、自民党の秋本真利衆院議員(47)=比例南関東=が洋上風力発電事業を手がける日本風力開発(東京千代田区)側から数千万円の不透明な資金を受領した-として東京・永田町の議員会館事務所を家宅捜索。

2023年8月3日
 東北を代表する夏祭りの一つ、青森ねぶた祭(国指定重要無形民俗文化財)が2日、青森市で開幕。7日までの期間中、歴史上の人物などを題材に和紙や針金で作られたジャンボねぶた23台が登場するという。ことしは4年ぶりの通常開催となった。それだけに、大勢の人々でにぎわいそうだ。
 そして。新潟県長岡市でも同じ2日の夜、復興と感謝、勇気、そして平和を願った、それこそ世界に誇るニッポンイチ、いや世界にとどろく復興祈願花火【フェニックス2023】(8月4日まで)が空高く上がり、夜空を彩った。

2023年8月1、2日
 2日午前11時23分を過ぎた。
 先月29、30日にあった大阪での【同人雑誌から新たな文芸潮流を】をスローガンとした第5回全国同人雑誌会議・第2回全国同人雑誌協会総会(29日)と文学館巡り(30日)から帰り、やっと、ひと息ついたところである。
 そして今月に入り。1日は、夜を徹しての留守の間の新聞チェックと本欄一匹文士の執筆はむろんのこと私的事情もあって、午後に臨済宗妙心寺派永正寺住職の中村建岳さまによるわが永遠の妻たつ江=伊神舞子、静汐院美舞立詠大姉=に対する自宅でのお盆法要(棚経)をして頂き、やっとこせ落ち着いたのが、きょう2日の午前、いまという時である。

 お盆の法要。建岳さんが唱えてくださった。わが妻、たつ江すなわち静汐院美舞立詠大姉(せいせきいん・びまい・りゅうえんたいし。伊神舞子)の胸の内や、いかに
 

 とはいっても、きょう2日は朝から愛猫シロ(オーロラレインボー)ちゃんのかわいいしぐさと、目による指示に従って先代猫たち(てまり、こすも・ここ、神猫シロ)が眠るわが家、裏庭猫塚での花と水替えなどに先ほどまで追われた。こんな時に、傍らに舞が居てくれたらよいのに-とつくづく思う。「ホラ。ほら、何やっとるの」と言われながら猫ちゃんたちの花替えをやっていたころをついつい、懐かしく思い出してしまうのである。

 それなりに綺麗になった先代猫たちのお墓
 

 さてさて。それはさておき、こうして生きている以上、いつまでも感傷にばかり浸っているわけにもいくまい。私には舞との永遠なる約束があり、まだまだふたりの道を手を握りあって前に向かって進んでいかなければ。何でも知っているシロちゃんに叱られてしまう。というわけで、いつもの一匹文士の物語を出来る範囲内で、きょうもたとえ僅かでも-と、こうして書いているのである。

 まずは、けさ2日付の中日1面の【栄える街に新たな象徴 中日ビル竣工式】のニュースには、感慨ひとしおなるものがある。というのは、昭和42年の7月2日。前の中日ビルが出来てまもなく大学四年生だった私はそのぴかぴかのビルで中日新聞の入社試験(43年春入社)を受けたのである。試験会場を訪れたら、学生で埋まっていたので「こりゃダメだ、とても受かりっこない」と半分あきらめて試験にのぞんだ。確か作文は<日本の進むべき道>だったと記憶しているが、これは書けた。
 おそらくダメだろうーとほぼあきらめていたところへ、なぜか2次の面接試験の連絡が届いて不思議にも受かってしまった思い出のビルでもあった。(当時の社報によれば、中日新聞への入社倍率は確か60~70倍だったと記憶する。あのとき私はある有名銀行にも受かっていたが、マルサの男=名古屋国税局監察官室長=をしていた父が「本人がどうしても新聞記者になりたがっているので申し訳ありません」と、わざわざその銀行の人事部に事情説明に出向いてくれ、とても嬉しかったことを覚えている)
 そして。後年、その中日ビルには新聞社の一宮主管支局長(現一宮総局長)のあとに、文化芸能局の部長時代の2年、在職。おかげで仕事の関係上、書家の高木桑風さん、長谷川春香さんはじめ、都都逸の柳家小三亀松・日比純子さん夫妻、まあじゃんこうしのきむらとんぺいさん、作詞作曲・歌手の平尾昌晃さん、歌手舟木一夫さんら多くの人々とお会いする機会にも恵まれ終生、忘れられないビルになったことも確かだ(私は、その後に本社編集局のサンデー版と特報のデスク長となった)。

 ことほどさように、名古屋の歴史が染みついた中日ビルには他の人々同様、その時々の思い出が染みついているのである。そのビルが新しく生まれ変わる、というのだ。というわけで、どんなビルに生まれ変わるのか。楽しみである。ちなみに、舞も中日料理教室で伊藤華づ枝先生の教室に受講生として通ったことがある。どれもこれも、遠い昔の話ではあるが。

 中日ビルの話以外では、やはり1日付中日本紙の【「青春時代から文化の拠点だった」 ちくさ正文館書店が閉店】か。私自身、この書店はしばしば訪れたことがあり、過去に自著を置いて頂いたことも何度かあるだけに、閉店は惜しい気がする。
 そして、もうひとつ。何と言っても、嬉しかったのは「脱原発社会をめざす文学者の会」の会員仲間でもある、あの広島の天瀬裕康さんから【天瀬裕康詩集 閃光から明日への想い-我がヒロシマ年代記 My Hiroshima Chronicle】(コールサック社)が謹呈本として私あてに送られてきたことである。ありがたく拝受し、しっかりと読ませて頂きたく思う。
 何であれ、天瀬さんはそれこそ努力家で医学博士のかたわら、平和な社会をどこまでも願っておいでのすばらしいお方である。私自身も間違いなく、彼の生き方に共鳴する仲間のひとりである。

 天瀬裕康さんから送られてきた詩集
 

 詩集の中の<ヒロシマ新聞>
 
 
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 そういえば、けさの中日新聞<通風筒>に【◇…東北に夏祭りシーズンの到来を告げる「盛岡さんさ踊り」が一日、盛岡市で開幕した。】といった記事が掲載されていた。華やいだなか、「サッコラチョイワヤッセ」のかけ声とともに晴れやかな表情の踊り子たち……
 私は、こうした世界が大好きだけに、とてもうれしく思った。世の中がいつまでも平和で楽しくあってほしい。人生はいつも浮き浮き、楽しくなければ。舞が世界のフォークダンスを熟知し、時に徹夜の郡上踊りを楽しんだのも、そうした楽しい世界が何よりも好きだったからに違いない。

【議会襲撃トランプ氏起訴 特別検察官「民主主義根幹を攻撃」 前大統領、3件目刑事訴追 米史に汚点残す重大疑惑】とは、2日付中日新聞夕刊の見出しである。
 ついでながら、麻雀講師きむらとんぺいさんからつい最近、私あてに届いた暑中御見舞【しょちゅうおみまいもうしあげます】の<み>と<げ>から。
み=皆んなでやれば怖(コワ)くない、首相官邸で遊ぶか!20~30才代
げ=元気をもらった二刀流大谷さん、七冠藤井君