【能登よ のと ―おかあさん(1、2)】 伊神権太=随時掲載
1.
能登半島の七尾湾に面した七尾市。それまでこの町の居酒屋の室内一隅でいつものように何ごともないように静かに座っていた一匹の野良ちゃん、黒白まだらの能登猫が突然、猛烈な勢いで気が狂ったかの如く客席を何度も走り回ったあげく、何かを訴えるように海に向かって走り去った。石川県能登半島は七尾の駅近くに居酒屋やすし店などが立ち並ぶ七尾の銀座街。その店での思いもかけない出来事、1件である。
わたくしは、あの時の猫の緊迫した表情を決して忘れはしない。みんなに可愛がられていたその猫は、そのまま居酒屋からニャンニャンと泣きながら消え去ったのである。1993年(平成5年)2月7日午後10時27分、能登半島沖地震が起きる、まさに寸前の話しだ。わたくしは、走り去る前のあの猫の、やさしさに満ちあふれた穏やかな両の目を、いまだに忘れられない。
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おかあさん。おかあさん。おかあさぁ~ん――と。私は空に向かって毎日、何度も呼ぶことにしている。「元気でいますか。俺たちは皆、元気だよ」と。
おかあさんは、時にはおふくろだったり、妻の舞・たつ江だったりする。
「俺たち、みな元気でいるから。心配しないで。どしとん」とも。
きょうは2025年1月13日である。マグニチュード7・6、最大震度7の能登半島地震が昨年の元日午後4時10分に起き、1年が過ぎた。この間、能登の人々の心は、どんなにか傷つき、裂かれ、折れそうになったことか。その悲しみ、悔しさを思う時、かつて新聞記者として家族もろとも能登の七尾に7年間、住んだことがある私自身も何度か心が折れそうになったのである。いや、時には折れたかもしれない。
ところは、ここ濃尾平野は木曽川河畔に広がる愛知県江南市である。私は、赤信号の信号待ちで車を止め、きょうも青い空に目をやる。2021年秋に病で、ひと足早く逝ってしまった妻の舞(たつ江)、そして昨年秋、そのおかあさんのあとを追うように車に轢かれてしまい、後を追って天に召された、真っ白な姿がとても優雅でかわいかった愛猫、俳句猫だったシロちゃん(俳号「白」。本名はオーロラレインボー。名付け親は、俳号が舞。名前は私がつけた)は、今はこの空の一体全体どこらあたりにいるのだろうか。
私は、そんなことを思い、いつものように恥ずかしげもなく、「まい。舞。た・つ・江。元気でいるか。シロ、白。おかあさんを頼むよ」と呼びかけるのである。シロが単なる交通事故で死んだのか。それとも自ら通行車両に身を投げて自殺したのか。この点については分からない。とはいえ、轢いてしまった人物には「私が轢き殺してしまいました」とせめて名乗り出て、一言でよいから謝ってほしく思ってはいるのだが…。
☆ ☆ ☆
1🎵能登の海山 空に散り/涙を集めた 禄剛崎(ろっこうさき)よ/凍え千切れた この街だけど/きっと咲くだろ 雪割草よ/雪割草は 幸せの花/明日は輝く 朝が来る
2愛する人を 呼ぶ声も/無情な風に 消えるけど/キリコ いしるに 輪島の塗りよ/忘れはしないさ ふるさと能登は/ひとみ閉じれば まぶたに浮かぶ/御陣乗太鼓の みだれ打ち
3昨日も今日も いつの日も/あなたの笑顔が ここにある/海女の磯笛 かもめの唄よ/和倉 朝市 一本杉が/強く生きてと ささやきかける/能登はやさしや どこまでも どこまでも=能登半島地震復興応援歌【能登の明かり(作詞・伊神権太、作曲・牧すすむ、編曲・安本保秋、歌・岡ゆう子】より
尾張名古屋は愛知県江南市内の自宅居間の一室。けさも食卓の一隅に置かれた私のスマホ・ユーチューブから岡ゆう子さんのあの、一言ひと言をかみしめ、能登半島そのものを励ましてくれるような、そんな哀愁を漂わせた絶唱が聴こえてくる。わたくしには、かつて家族もろとも能登半島の石川県七尾市に住んでいたころのことが懐かしく思い出され、一緒に歌ううち声が涙ごえになってしまう。声にならないまま<能登はやさしや どこまでも……>と流れてくる彼女の声を耳に、なぜか泣き崩れる自身を感じている。歌詞の最後の部分は能登に伝わるこの地ならでは、のことば【能登はやさしや 土までも】から取ったのである。この「土」は、好きな男が出来たら、自身の腹を「槌(つち)でたたきわり堕胎してでも、どこまでも男についてくる、そんなおとろしい「槌」でもあるのである。
かつて友人の詩人長谷川龍生さん(元大阪文学学校校長)と能登半島を巡った際に土地の人々に教えられた言葉だが、実際、奥能登のある神社には、その【槌】が神前にぶら下げられていたのである。どこまでもやさしい能登の女性の代名詞といってもよく、その分、この土地はおっとろしいほどに人々の心という心は清らかなのである。
そういえば、地震といえば、だ。もはや、はるかかなた昔の話だが。私が新聞社の七尾支局長でいたころ、平成5年2月7日にも能登半島突端の珠洲市を中心に、あの時は能登半島沖地震と言う名の地震(マグニチュード6.6)が発生。翌早朝、愛車でヒビ割れた雪道を避けながら能登半島突端部の現地に1日がかりで急行。七尾支局長だった私自身が現地取材キャップとして珠洲通信部近くの民間の空き地に現地記者らと緊急のテントを張って取材基地を開設。地元能登半島に点在する半島記者たちはむろんのこと、北陸本社報道部にも記者とカメラマンの応援を随時、要請して求め、そのまま10日間ほど現地キャップとして取材の指揮をとったことがある。
あの時は地震が起きた当夜、たまたま短歌の取材を兼ね七尾駅近く七尾銀座の居酒屋「知床(しれとこ)で当時、石川県歌人協会の役員でもあった故松谷繁次さん(後に同会長。当時は短歌雑誌「凍原」=現「澪」の前身=主宰)、そして私の妻たつ江の歌人仲間だった山崎国枝子さん(現「澪」代表)らと談笑していた私は突然の大きな揺れに泡を食い、取るものもとりあえず翌早朝、あちらこちらひび割れた道路をものともせず愛車を走らせ、なんとか能登半島突端の珠洲通信部まで急行。近くの空き地にテントを張っての取材基地を設け、現地キャップとして10日間ほど取材の指揮をとったことがある。
確か珠洲市一円で液状化現象が激しく、市内の至る所が噴出する泥水にまみれて水浸し状態で、歩くに歩けなかった。そんなことを覚えている。いらい能登半島では私が七尾支局を去って以降も忘れたころに大きな地震がしばしば発生するといった、そんな恐怖の繰り返しがこれまで再三、続いてきたのである。かつて私が駆け出し記者として長野県の松本支局にいたころ、当時、延々と続いた松代群発地震をなぜか思い出させる、そんな強烈な地震でもあった。
それにしても、昨年の元日、能登半島西方沖から佐渡島西方沖にかけて延びる活断層を震源に午後4時10分に発生したマグニチュード7・6、最大震度7に及んだ今回の能登半島地震は輪島の朝市が焼失する一方で能登全域で全壊、半壊家屋が相次ぐなか、孤立集落も続出するなど被害は、とてつもなく大きなもので私が在職当時の地震とは比較にならない。具体的には死者489人(うち災害関連死は261人)、全壊家屋6445棟、半壊家屋2万2823棟、一部破損家屋も10万3768棟=いずれも2024年12月24日時点=と、その被害は限りなく広く深く、多岐に及んでいるのである。
時は流れ。
2025年が明けた。蛇、へび、ことしは脱皮が繰り返される巳年である。蛇といえば、だ。なぜか、あの【能登の夢】の作詞者で七尾、すなわち能登をひたすら愛し続けた今は亡き俳優森繁久彌さんのことが思い出される。と同時に、あのころ父親の〝森繁さん〟といつも一緒だった、あのどこまでも気のいい息子の泉さん(故人。当時全国少年少女ヨット協会代表)によく冗談で言われたことが忘れられない。彼は私に向かってこう言ったのである。
「私のオヤジである森繁久彌とあなた、すなわち〝ごんさん〟のイッコクなところ、とてもよく似ている。面白いくらいだ。さて? オヤジがマングースなら。ごんさん、あなたはハブかな。いや、もしかしたら、まむしかもしれない。反対かな。図星でしょ。ふたりとも噛みついたら離さないほど執念深いのだから。困った人なのよ。ネッ、ごんさん」と、だ。
事実、当時、森繁さん親子の愛艇だったクルーザー「メイキッス」号が北回り日本一周の途次に七尾湾に滞在した時などに愛艇の船内で私に向かって冗談めかしてよく言われたものである。
話は、今から37、8年前。森繁さんが自家用クルーザー【メイキッス号】で息子の泉さんやその土地にゆかりの名優を従え、北回りで日本一周旅行中、和倉温泉で知られる七尾湾に立ち寄った時に遡る。泉さんは誇り高き父親森繁さんと歌舞伎の【いがみの権太】ならぬ私、伊神ごん(当時の私のペンネーム)との丁々発止のやりとりに心底臆することなく「このふたりは、話し出すと少しだけ怖くなり、一体全体どうなってしまうのか」と心配してくれたものだが、そのすこぶる気のいい泉さんはもはや、この世の人ではない。この世には生存しないことも、また事実なのである。
空には、きょうも雲ひとつない。青空が広がっている。その懐かしき、私たち家族にとっては、ふるさと同然だった能登。能登半島がいま地震と豪雨水害というダブルパンチを浴び、傷だらけになって苦しんでいるのである。どの人もこの人も、だ。気のいいやさしさあふれる能登の人たちに一体全体、何の罪があるのだ。恨みがあろう。何か悪いことでもした、というのか。「ほいでなあ。あのなあ」「ほやわいね」「そやそや」と独特のやさしさあふれる口調、言い回しで皆、けなげに、かつ正直に毎日を生きているというのに、だ。というわけで、わたくしはあらためてユーチューブで、森繁さんの【能登の夢】をしみじみと聞き、続いて、ここ能登の海で古くから地元の人々によって歌われてきた【能登の海鳥】にも耳を傾けるのである。この歌は、岸壁の母で知られる、あの二葉百合子さんも彼女ならでは、の名調子で時折、うたっている。
そして。2025年の1月10日。木曽川下流沿いに広がる濃尾平野の朝が清々しく明けた。スイトピアタワーも木曽川も、濃尾平野も一面が雪の原である。
わたくし(伊神権太)は、初雪となった白い雪を踏みしめながら、つくづく思う。
―きょうの能登の朝は、どんなだろうか、と。と同時に、かつて七尾在任時に連日、白い雪が降り注ぎ、支局入り口駐車場部分を長い氷柱(つらら)とともに雪の塊が覆い尽くしていた、そんな日々が懐かしく思い起こされるのである。七尾市中心部を流れる御祓川近く。伝統の和ろうそく屋さんにお菓子屋さん、蕎麦屋さんに印刷屋さん、着物屋さん、靴屋に電気屋、金物店、当時まだ若かった私がこだわって通った美容院。ほかに白い土蔵が目立つ古い家並みが立ち並んでいる。それこそ、この町ならでは、の落ち着いた佇まいと風格がなつかしさを感じさせる【一本杉通り】には能登半島を束ねる新聞社の奥行きの長い七尾支局が通りに面して立ち、人々はその白い雪を踏みしめ、踏みしめ歩いていたのである。裏手には小丸山公園もあり、まだヨチヨチ歩きだった末っ子が若い支局員に手を引かれ、山まで上り下りし、そうした支局員のやさしさに感激したものでもある。あれから何年がたつのか。
こうした何もかもがやさしさに満ち満ちていた七尾。その独特の風土の中、妻たつ江は積雪続きに当然のように末っ子を背負い、支局入り口・玄関部分に溜まった雪を連日、雪かきでかいていたのである。来る日も来る日も、だ。支局員や来客が訪れる前までには除雪しておかなければ、というのが彼女のひとつの目安でもあった。末っ子がまだふたつか、みっつのころの話だ。
ところで、きょうは時代も人々も代わり、尾張名古屋は江南市の令和7年1月の朝である。
「おかあさん、おふくろ。おはよう」
わたくしは自宅居間の妻と母の遺影に向かって、こう呼びかける。そして。昨年秋、ここ数年の間に相次いで旅立った妻とおふくろの後を追いかけるように、こんどは車に轢かれて急死し旅立ってしまった愛猫シロ(オーロラレインボー)の遺影に向かっても、こう呼びかけるのである。シロよ。シロ。シロ。シロちゃん、お空の天国である天の川で元気でいるか? おかあさんも元気でいますか-とだ。
これより先。令和7年の1月9日朝。わたくしは、ここ尾張は木曽川河畔の街、江南市の花霞で、この物語をこうして書き始めている。心の底にいつも潜んでいる無冠の大作家太宰治。私にとっては、あの立原正秋とは筆致こそ違うが、めったにいないライバルである。あの治子さんの大切な父でもある太宰。彼のふるさと青森の五所川原市。そこは、この冬、大変に深い雪のようである。町も、城も、リンゴ畑も。皆がみなだ。白一面に覆われ、埋もれているのだという。
午後1時過ぎ。私はハンドルを手に昨年秋に自分が作詞し、かけがえなき友である牧すすむさんの作曲、そして輪島市門前の自宅が全壊してなお編曲に尽くしてくださった安本保秋さんらの情熱と協力で誕生した能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】を聞きながら空の碧というアオに向かって思い切って話しかけてみる。
「たつ江。まい(舞)。俺たちは、まだまだこれから。これからなのだよ。おまえと俺の人生は。これから。これからなのだ。俺たちは生きている。これから始まるのだ。バカにしたいやつらがいたなら、それはそれで、そうすればよい。ともかく、俺とおまえ、そしてシロはいつだってみんな一緒。実在と幻の世界に生きる不思議な俺たちだが。どちらも永遠不滅なのだよ。シロちゃんも、だよ」
私を知らない他人が聞いたら、それこそあきれ果ててしまうに違いない。そんなような会話を胸に、わたくしはまたしても確かに天に向かって繰り返し言うのである。「おまえは、どうして逝ってしまったのだよ。シロもだよ。なぜだ。なぜなのだ」と、である。
そして。私は、またしても空の扉に口を開いて、こう叫ぶのである。
「能登の笹谷さん(私が七尾在任当時の販売店主の名前。当時、ここには女傑店主として天下に広く知られた笹谷輝子さんがおいでた)の若主人ノリさんと若奥さん、それにこちら(尾張名古屋)に戻ってからずっと文芸仲間として何かと大変お世話になっている【わがふるさとは平野金物店】の内藤洋子さん(エッセイスト)、さらに弟さんでドラゴンズの名手だった人格者の平野謙ちゃん。ほかにおまえが生前、大変お世話になった治子さん。社交ダンスの若先生、こちらの地域社会では歌のおばさんで知られる〝とし子さん〟、さらにはおまえのお兄さんも、だ。みんな。み~んな。皆さん元気でおいでだよ」
私の言葉はさらに続く。
「でも。とても残念なことに俺たちがかつて世話になった能登は昨年の正月元日に起きた能登半島地震で大変なことになっている。珠洲、輪島、門前、能登、志賀町、穴水、七尾、能登島、羽咋……が、だ。木っ端みじんとなり、大変なことになってしまった。でも、おまえが大変お世話になった笹谷さんも。山崎さんも。仏壇店の南さん、和倉の女将さんたち、ママさんソフトのおばちゃんたちも、だ。みな元気だから。確認したよ。
それから。和倉温泉といえば、だ。和潮(かつしお)の女将同様、大変お世話になった岡田屋マリちゃん、そして何度もおせわになった七尾の老舗旅館・さたみやさん、和倉の田尻さん、七尾花正の今井さん(ふたりとも元七尾青年会議所理事長)…とみ~んな元気でおいでだ。さたみやさんはあの風格ある建物を解体してしまったそうだが…。なんということなのだ。みんな大変なのだよ」
私は舞とシロの遺影に向かってさらに叫ぶように話しかけた。涙がとめどなくあふれる。でも、いまさらどうするわけにもいかないのも事実だ。泣き言ばかりを言っていて、これからどうせよ―というのだ。月日は無言のまま過ぎ去っていく。でも、これ以上、地震には襲われたくない。何より、生きていかなければ。みんなで助け合って、元気でたくましく生きてゆくことなのだ。
2.
2025年2月6日朝。木曜日である。
尾張名古屋の空は、どこまでも晴れわたっている。粉雪が薄い透明な氷となって路面に白く張り付いている。寒い。私は道路全体が白いシートにおおわれたような薄い雪景色を目の前に、津軽の雪はどんなだろうか、と思いをめぐらす。こな雪。つぶ雪。わた雪。みず雪。かた雪。ざらめ雪。こおり雪。太宰の小説「津軽」に言う7種類の雪なら、どれがあてはまるのだろうか。
「もうダメ。だめよ。だめだったら」という舞の声が、路面で逆上がりでもするように迫ってくる。だめよ。だめっ。だめだったらぁ。もう。イヤっ。だってば~。やめて」と、半分笑顔の舞の顔が目の前に迫った。
「やめて。やめてよ。雪さん、雪さん。もうこれ以上、降るのはやめてよね」と真剣な表情で雪たちに話しかけていたあの頃の彼女の表情が目の前に浮かんだ。もう、ずっと前。はるか昔の話しになるのだが。私たち家族は能登の七尾で7年間を過ごしたのである。
朝。ここ尾張名古屋でも風たちがヒューヒューっと鳴っている。もっと寒い能登の朝はどんなだろうか。ラジオから「日本列島には今季最大の寒波が訪れています。日本海側を中心に広い範囲で大雪になっています」とアナウンサーの声が流れてくる。妻と愛猫シロに先立たれてしまった私はけさも二階ベランダのガラス窓を開けるや、大空に向かって「シロちゃん。まい(たつ江)。おふくろ。こっちは大寒波なんだってよ」とたつ江が生前、いつも手にしていた小型ラジオを傍らに話しかける。
空からハラホロと落ちてくる白い雪がひとひらひとひら、まるで生きもののように私の目に、鼻に、口に-と降り注いで舞い込んでくるのである。
「どしたん。元気? あんたは、いつだって弱っちぃんだから。そんなことでどうして生きてゆけんだよ。だめよ。そんなんじゃあ。あたしとシロちゃんの分までまだまだ楽しく過ごしてくれなきゃあ。あたし、安心しておれないじゃないの」
あの志摩や能登など行く先々で聞かされた甘い、鈴をならすような声が雪片と一緒に顔いっぱいに次から次に、顔に突き刺さって飛び込んでくる。それにつけても、俺はいま、どこでどうしているのだろう。一体全体、何をしているのか。俺は彼女なしでこれから。どうして生きていったらよいのか。愛する妻もシロちゃんも、もはやこの世には居ないのに、だ。私はそんなことを思い描きながらも「それよりも。おまえも、シロちゃんも天国に少しは、なれたか。元気で幸せに過ごすのだよ」と言葉を付け足す。
早いもので令和も六年が過ぎ去った。きょうは令和7年2月6日である。朝。いつものように二階ベランダに立ち空を仰ぐと、そこでは先ほど来の雪たちが私の顔に向かって我先に、とばかり降り注いでくる。白い雪の花たち。雪の精がひとひらひとひら、ヒラヒラと天から舞い落ちてくる。私は、その雪の花々の中に舞とシロの魂が生きていると思うと、無情なこの世の宿命のごときものを感じ、またしてもささやきかけるのである。
「舞よ、マイ、そしてシロちゃん。おまえたちは一体全体、今は、どこでどうしているのか。おまえたちはこの大気のなかのどこに潜んでいるのか。元気でいるか」とである。
そして。それとは別に、だ。私は「おはよう。おはよう」ときょうも空に向かって話しかけ、舞とシロに向かって呼びかける。「元気でいるか。元気でいろよ。俺たち、残された家族は幸い、皆げんきでいるから。ナ。心配しないでいいよ」と、だ。
ところで。わたくしには毎朝、この地上から見る空の色が気になる。カラリと晴れていれば「よかったね。元気でいてよ」とナンダカその分だけ幸せに包まれたような。そんな気持ちになる。「たつ江(伊神舞子の本名)、たつ江。おふくろ。シロちゃん。元気でいるか」と、である。他人が聞けばおそらく誰もが「いつまでも。未練たらしい。見苦しい」と笑ってしまうかもしれない。いやいや、現に人は笑っているに違いない。
こんなわけで私は毎朝、今は亡き妻の舞(たつ江。伊神舞子)=2021年10月15日子宮がんで病没=と愛猫シロ=2024年10月21日。何者かの車に自宅近くで轢かれ謎の死。俳句猫「白」。本名オーロラレインボー=、そして舞が逝った翌年2021年5月16日に満百二歳の誕生日(6月1日)を直前に天国に召されてしまった母(千代子)に向かっても、だ。私はこう、呼びかける。「まい。おふくろ。元気でいるか」「シロも元気か。俺はなんとか、こうして生きている。こっちの方は残された家族皆がそれぞれ元気でやっているから。安心していい。それより、そっちでちゃんと。幸せにしているか」とだ。それはそうと、能登の七尾で育った子らは皆、立派に育ち社会人として頑張ってくれているのである。おまえは居なくなってしまったが。これほど幸せなことが他にあろうか、とだ。
戸外では、きょうもチュチュチュッ、チュチュッと小鳥たちが大空を高く低く、楽しそうに旋回している。何かを私に訴え、話しかけるように囀り、空の一隅をスイーッと高く旋回したあと、今度は急降下しながら、どこまでも急接近してくるのである。
それはそうと。わたくしは昨夜、久しぶりにあの美空ひばりさんの名歌【愛燦燦(あいさんさん)】と【川の流れのように】【悲しい酒】をスマホのユーチューブの音曲に合わせ一人、静かに感情を込め歌ってみた。このうち【愛燦燦】と【川の流れのように】は確か私たち家族が転勤で小牧から能登の七尾に行くか行かないか、あのころに大ヒットした、人々の心に染み入り、かつ迫りくる歌だったかと記憶している。
その美空ひばりさんだが。彼女については、戦後まもなく七尾市は魚町の繁華街・一本杉通りに「まだおさげの少女のころに、よく歌いにおいでたわいね。大勢の人たちがひばりちゃんをひと目、ときてくれた。よお~覚えとるよ。この町を流れる御祓川も晴れ晴れしており、どなたさんも生き生きしとった。ほやわいね」と土地の古老が自慢話でもするように、だ。よく話しておいでだった。
そして。今となれば、そんな日々が懐かしく思い出されるのである。
ところでひばりさんが一本杉を訪れた当時、私の職場である新聞社の支局が魚町にあったかどうかとなると、戦後まもないころの話しで私には分からない(七尾支局は、私が勤務する数代前に開設されたと聞いてはいる。だから少なくとも昭和四十年代以降の開設に違いない。ただ最近では私が支局長として在任中は間違いなく七尾支局の局舎は一本杉通りに面していた。しかし支局局舎は、私の在任時も含め、その後は確か二度移転している)。
ただ、美空ひばりさんが戦後まもなく。まだ少女のころに七尾の一本杉通りを訪れ、歌を歌い、能登の人々の間で大変な人気だった-という話は当時の地元古老の言なので、間違いないに違いない。おそらく、ひばりちゃんが来演したその日はさぞかしパッと花が咲くような人々で賑わったに違いない、と私はそのように勝手に思うことにしている。
そんなわけで時は昭和、平成、令和と流れ、現在に至っている。
ここで話しを元に戻すと。私たち家族は昭和六十一年八月から実に七年という長きにわたりお世話になった能登・七尾から平成六年春には転任で、岐阜県は大垣市の住人となっていた。そして。その日。いや、あの日、その瞬間は突然やってきた。1995年1月17日午前5時46分52秒。阪神淡路大震災が起きたのである。あのとき、七尾支局から大垣支局への引っ越しに伴い、私たち家族には能登・七尾から連れてきた愛猫てまりも確かに一員として私たちと一緒に大垣支局2階の支局長住宅で共に暮らしていたと記憶している。そして。その日はしばらく止まらないほどの激しい揺れに支局建物も揺れに揺れ続けたのである。
あの日、私はてっきり明治時代に起き、多くの人々の命を奪った、あの根尾谷断層で知られる濃尾大地震(1891年10月28午前6時38分50秒に濃尾平野北部で発生したマグニチュード8・0の巨大地震。死者7273人、負傷者1万7175人)の再来かと思った、あの時の恐怖と記憶は今も忘れられない。そして、その揺れこそが、まさに未曽有の阪神淡路大震災で、その日は大垣でも確かに支局の建物が大きく揺れたのである。
そして。私は被災地が自分の管轄外とは知りつつ、地震発生の翌日には支局員に車で新幹線の岐阜羽島駅まで送ってもらい、被災地へと向かった。新幹線で大阪までは行ったものの、大地震発生で多くのビルや家屋が倒壊、火災も発生したなか、阪神高速道がペシャンコにひん曲がるなど何もかもが身動きがとれなくなっていた。大都会大阪や神戸、西宮ではそれこそ、ありとあらゆる民家やビル本体が倒壊したり、ひび割れしながらも辛うじて立ち、それでもなんとか開業していたカプセルホテルに泊まり、翌朝からはバスやタクシー、船など僅かに動いている乗り物ならなんでも良いので飛び乗って、とりあえず靴の街で知られる長田町に入り、それからは被災地の至る所を歩いて見て回ったのである。
足は自ずと被害の目立つ場所をピンポイントで探し求めて歩きまわったが、行く先々は、どこも崩れ落ちた瓦礫の数々と地震火災で焼け落ち、それこそ焦土の町と化していたのである。なんということなのだ。それでも私は瓦礫の山々を目の前に、ただ焼け野原同然と化したその町をなおも歩き続け、どこまでも広がる瓦礫の山々には、唖然とするほかなかったのである。そして。あの日々の状況につき私は自著【町の扉(能登七尾・わくうら印刷)】で次のように書いている。
―平成七年一月十七日早朝。神戸を中心に関西を襲った阪神・淡路大震災では六千四百余人もの人々が犠牲になった。その阪神淡路大震災発生時には、休みをあてて現地に入り、被害の惨状を、この目でしっかりと確かめてもきた。木曽三川分流に力を注いだオランダ人水理工師ヨハネス・デ・レーケの墓が心配になり、神戸を訪れたが、幸い寝棺だったこともあり、難を免れていた。/新聞社の中日社会事業団の呼びかけに、と基金してきた読者は、数知れず、一時はこの受け付けに追われて支局業務ができなくなるほどのパニック状態に陥ったこともある。/支局女子職員の〝なっちゃん〟は、毎日毎日、近くの大垣共立銀行まで足を運び、寄付金を本社の口座に振り込んだり、小銭の勘定に追われたのだった。あるときなぞ、淡路島は俺のふるさとだから不憫でならねえ、といったその筋の人まで寄金に支局を訪れ一見してそれと分かる風采にそれこそ一瞬、判断に迷いながらも義援金にほかならないため丁重に礼を述べて受け取ったこともある。ありがたいことだ、とつくづく思う日々だった。/養老町の町内会のように一度に何百万円と持ち込む例も珍しくなく、支局受けつけ分だけでも実に三千万円を超える善意に、世の中にはこんなにも善意の人々がいるのか、とあらためて感じ入ったりもした。……(オランダ花ものがたり-大垣編から抜粋)
(続く。随時連載)
一匹文士、伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2023年2月~)
2023年2月28日
大阪高裁は27日、滋賀県日野町で1984年、酒店経営の当時69歳の女性が殺害され金庫が奪われた「日野町事件」で強盗殺人罪で服役中に75歳で病死した阪原弘さんの遺族が申し立てた第二次再審請求に対し検察側の即時抗告を棄却し再審開始を認める決定を下した。捜査段階の自白の根幹部分の信用性に「動揺が生じた」と指摘し、「確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じた」(石川恭司裁判長)と判断したという。
文部科学省と宇宙航空研究開発機構(JAXA)はこの日(28日)、昨年4月に始めた宇宙飛行士選抜試験に諏訪理さん(46)と米田あゆさん(28)が合格した、と発表。諏訪さんは世界銀行上級防災専門官、米田さんは日本赤十字医療センター(東京)の外科医。こんご飛行士候補としてJAXAに入り、飛行士となるための訓練を約2年間受ける。ふたりは東京都内で記者会見。米田さんは「道のりは簡単ではないが、可能であれば月に行きたいと考えている」と話した。
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きょうは、昨年の秋まで会長を務めた母校(滝高校)のクラス会【二石会】の引き継ぎ書類をそっくり、後任にお渡しすることが出来、今は肩の荷が下りた気分である。私の都合で急きょ、市内の料理屋「むさし屋」さんに集まって頂き、食事をしながらの会となったが、みんな素晴らしい友ばかりであることを改めて痛感したのである。
(2月27日)
月曜日。三重県鳥羽市の鳥羽水族館の人気者「ラッコ」は、絶滅危惧種。しかも現在、国内で飼育されているのは3匹だけ。人気者が国内の水族館から姿を消す日が近づいている-とは、本日付の中日新聞くらし面。ピークの1994年には28施設で122匹いたというから今や隔世の感がする。
国民的人気者のパンダが次々と日本を去っていくなか、愛嬌たっぷりの〝ラッコちゃん〟には、いつまでもいてほしい-というのが私たちの本音、願望かと思う。そうしたなか、尾張版<花まるっと>の【オオベニゴウガン】の存在は見出しにもあるとおり、<赤い針 冬を明るく>(写真・文 中村千春)そのままに、ナンダカ心を温かくしてくれ、いい記事だな、と思った。
「大阪マラソン2023」(大阪府、大阪市、大阪陸上競技協会主催、毎日新聞社、読売新聞社、NHK、日本陸上競技連盟共催)が26日、大阪市の大阪府庁前から大阪城公園までの42・195㌔のコースで行われ、男子はハイレマリアム・キロス(26)=エチオピア=が2時間6分1秒で優勝。西山和弥(24)=トヨタ自動車=が2時間6分45秒で日本選手トップの6位に入り、初マラソンの日本最高記録を樹立。女子はヘレン・トラ・べケレ(28)=エチオピア=が2時間22分16秒で優勝。渡辺桃子(24)=天満屋=が2時間23分8秒で日本勢最高の3位に入った。
将棋の王将戦第5局(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催、島根県大田市など後援)が島根県大田市の国民宿舎さんべ荘で行われ26日午後6時11分、藤井聡太王将(20)が挑戦者の羽生善治九段(52)を101手で降し、対戦成績を3勝2敗として初防衛に王手をかけた。終盤は形勢が大きく揺れ「横手取り」の乱戦となったが、最後は藤井王将がチャンスを的確にとらえ勝利につながったという。
2023年2月26日
トルコシリア地震の死者は、5万人以上に及んでいる。
日曜日。2・26事件のあった、まさにその日だ。この日が来ると、なぜか今は亡き加賀乙彦さんの大作で日本版「戦争と平和」とも言われる【永遠の都】と、元ノートルダム女子大学長で教育総監渡辺錠太郎の娘さんだった渡辺和子さん(故人)を思い出す。生前の彼女には随分とお世話になったことが思い出される。
きょうの朝刊は、ロシアの侵攻を受けるウクライナでの変わりゆく街の様子を伝えた【キーウの日常撮り続け 「普通ではない1年の事実を」 侵攻後から名古屋の知人に動画送信】(26日付中日朝刊)と、1972年の外務省機密漏えい事件で沖縄返還での日米密約を報道して有罪が確定した、あの元毎日新聞政治部記者西山太吉さんの死であろう。山口県出身の西山さんは、24日に心不全のため北九州市内の介護施設で死去。91歳だった。西山さんの死でつくづく思うことは、時代の証言者たちが相次いで命を落としてゆくことか。合掌-
夜。NHKスペシャル【スクープ・侵攻72時間 大統領側近明かす内幕 ゼレンスキー暗殺計画 ロシア軍大いなる誤算】を見る。みんな、楽しく、仲良く、幸せに生きていけばよいものを。人間は、なぜ戦争をするのか。悲しくなってきた。
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午前中、近くの愛知県江南市福祉センターへ、と出向いた。私が住む古知野町花霞町内会の2022年度分の監査会に評議員として出席。帰宅後、愛猫シロが心配そうな顔をして見守るなか、午後からこうしてパソコンに向かい、キーを打ち始めたのである。
熱唱する藤田麻衣さん。彼女は、グランドチャンピオンになった(NHK総合から)
昨夜、たまたま目にしたNHK総合の【のど自慢チャンピオン大会2023 生放送! グランドチャンピオン目指し13組が激突】は、見ごたえ十分だった。なかでもグランドチャンピオンになった女性=藤田麻衣子さん『手紙 愛するあなたへ』=が姪の<久美ちゃん>の若いころ、そっくりだったのには驚いた。さっそく妹に半分冗談で「久美ちゃん、よかったね。おめでとう」とラインをすると、妹も「わたしたちも見ていたよ。ありがとう。ほんとに上手で感動しちゃったよね」とのことであった。
(2月25日)
土曜日である。昨日は、文士刮目(22回目)の執筆などに夜遅くまで追われ、結局のところ、床に入ったのが午前1時過ぎだった。それでも現役の新聞記者時代に数知れない殺しや、サンズイ(汚職)、暴力団抗争、中部日本海地震や長崎大水害、北海道オホーツクの海への大韓航空機の撃墜、赤いフェアレディーZに乗ったトンボ眼鏡の女による長野富山連続女性誘拐殺人、御巣鷹山への日航機墜落、三宅島噴火、少年らによる長良川木曽川リンチ殺人…など。大事件や大災害の現場での朝、昼、夜となく長期取材に振り回されていたころと比べれば、どうということはない。時間のゆとりは、十分すぎるほどあるのである。かつては、今のようにスマホなどといった便利なものなどなく、携帯電話と公衆電話を頼りに走り回っていた現役時代の、あの日時の境めさえがわからなくなってしまうほどの過酷な日々に比べれば、比べようもないのである。どうちゅうことはない。
ただ言えるのは今にして思えば、大事件発生現場などに取材ヘリやジェットで急きょ派遣された時なぞ、よくぞからだがあんなにも、もったものだナ、とつくづく我ながら信じられない。2、30代から40代のころの【馬力のガミちゃん】【書き魔のガミちゃん】と言われた日々が懐かしく思い出されるのである。でも、そういう過酷な日々をなんとか歩き通せたのも、妻のたつ江(伊神舞子、故人)が、いつも私の傍らに居て何やかや-と助けてくれた。だからなのである。なんだか変な方向にペンが走ってしまったが、要するに昨夜遅く文学者の会への文士刮目の出稿を終え、きょうは久しぶりに本欄一匹文士の原稿にこうして向き合うことが出来、ホッとしているということか。
それでも、やはり今では、かつての現役の新聞記者時代と比べると、その疲労度となるとかなり違う。そして。あのころの私は元気が有り余っていた、それが今では後期高齢者、70代も後半にはいった私なのである。年齢もだが。今となっては何もかもが若々しかった当時の私とは違うのである。でも、私は当時のまま。元気である。
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デ、きょうの新聞紙面の主なニュースといえば、だ。【ウクライナ侵攻1年 国連総会露の撤退要求 141カ国賛成で決議 憲章(国連憲章)違反、再確認 尽きぬ悲しみ】【「露に武器支援停止を」首相、G7で呼びかけへ】【植田氏「金融緩和を継続」 日銀総裁候補所信 2%目標も】(毎日25日付朝刊)【犠牲者へささげる祈り 侵攻1年 ゼレンスキー氏演説】【ロシアへの軍事支援 G7停止呼び掛けへ 首相会見中国けん制】【植田氏緩和継続を表明 日銀次期総裁「副作用」指摘も 所信聴取】(中日25日付朝刊)といったところか。
いずれにせよ、けさは久しぶりに落ち着いた気分で朝刊に目を通すことができた。世界も、人々のながれも、心も。いつだって何もかもが。皆、新鮮に動いているのである。そして。本日付の夕刊はといえば、だ。【中国のロシア支援けん制 G7「深刻なコスト」警告】【「中国が武器与えないと信じる」 ゼレンスキー氏 習主席と会談計画】【地表9・1㍍横ずれ 内陸最大級 トルコ・シリア大地震「濃尾」上回る】(25日付中日夕刊)【●eye見つめ続ける大震災 12年また双葉で】【東日本大震災12年 「ただいま」と帰れる場所を 気仙沼の被災民宿、映画に】【トルコ地震 被災者住宅に2兆円 計27万棟建設に着手】(25日付毎日夕刊)といった具合である。
(2月24日)
昨夜遅く久しぶりの外出から帰った私は、ちょうど今日がロシアのウクライナ侵攻1年ということもあり、新聞各紙をはじめ、各メディアのチェックに終日追われた。そして、帰宅しポストに届いていた電気代がやけに高いことに驚くと同時に、もはや財布がカラッポであることにも気づいた。いつものことで仕方あるまい。こんな時、舞がいたら、どんな場面に遭遇しても対応できるお金は財布に入れておいてくれるのに、と少し悲しく、寂しくも思ったのである。彼女はどんな時にも、それ相応のお金を私の財布にしのばせるように入れてくれていたことが今では懐かしく思い出される。その心が、ありがたかった。
それはそうと、せっかくの機会だ。昨日訪ねた神奈川近代文学館では、若い男性スタッフの手を介して「伊神舞子俳句短歌遺稿集」を一冊贈呈することが出来、結構強行スケジュールではあったが、行って良かったーと思っている。それに桜木町駅は、確か私がかつてピースボートによる地球一周の船旅から帰国した日に私を彼女が名古屋から迎えに来てくれた時に一緒に歩いた駅である。そればかりか、彼女が平成25年の第10回海外日系文芸祭の短歌部門で入選した際にも、表彰式に共に訪れたことを思い出し、涙が頬を伝ったのである。
伊神舞子の入選作は次のようなものだった。
【晴れ渡るこの大空にたとうればセザンヌのりんご置いてみようか】
亡き舞にとっても思い出多い桜木町駅
(2月23日)
木曜日。朝起き、新聞を読んでいつものように記事と小説を読んでいたら、どこからか。久しぶりに、あの鈴を鳴らすような舞の甘えた声が聴こえてくるではないか。「あなた。行かなくていいの。きょう何か、あったんじゃなかった?」。
あっ、そうだっけ。行かなくては。幸い、きょうは祝日(天皇誕生日)でシステムエンジニアとして第一線で活躍する多忙な末っ子はわが家にいるはずだ。彼が居てくれさえすれば、愛猫シロちゃん(俳句猫「白」。オーロラレインボー)の心配をする必要はない。大丈夫だ。というわけで、私は急きょ、名鉄犬山線の江南駅まで息子に車で送ってもらい、新幹線と横浜市営地下鉄(またはJR横浜線)を乗り継いで桜木町駅へ。ここからはタクシーでくるくるくる、と迷路を探すようにして県立神奈川近代文学館へ、と向かった(女性運転手が、どうも文学館へは初めてのようだったので「知っとかなきゃあ、アカンよ」と偉そうに、ひと口言わせて頂いた。でも、誰とて初めてということはあるので仕方ない)。
というわけで、文学館へ着いたのは午後2時過ぎだったが幸い、第1部の講演「林京子が言い残したこと」(講師は青来有一さん)こそ終わっていたものの、第2部のシンポジウム「いま文学者として何ができるか」(登壇者は、川村湊、青来有一、宮内勝典、村上政彦、森詠の5氏)には滑り込みセーフとあいなったのである。会場は200人の定員ぎっしりで埋まり、関心の高さを、この目で実感。やはり、亡き舞(たつ江)に言われて、やってきてよかったな-と実感。終わったあとは、皆で中華街でのコース料理とあいなり、多くの思いがけない再会や出会いにもめぐりあったのである。
ぎっしりの人で埋まったシンポジウム会場
登壇者の表情にも力が入った
シンポに合わせ配布された【私の想い ひとり100字メッセージ】
シンポの内容は、文学者として各人各様にいろいろ貴重な意見が出たが、ひと言でいえば「文学は平和維持への漢方薬であるべきだ(宮内さん、青来さん)」という声が私の心に残ったのである。具体的には私が「脱原発社会をめざす文学者の会」ホームページで月に一回書いている文士刮目(今回で22回目になる)を読んでいただけたら、嬉しく幸いである。
「文学者の会」のホームページのアドレスは次のとおり。
https://dgp-bungaku.com
(2月22日)
三重県志摩半島の鵜方で生まれた長男の誕生日。たつ江(伊神舞子)のお腹から生まれた時、あんなにもちっちゃかった息子が今では立派な社会人として世の中に貢献していると思うと、今さらながら「頑張って、よく生んでくれた」と誇らしく思う。今は亡き、たつ江もきっと喜んでいるに違いない。つくづく実感する。おまえはそれぞれ個性のかたまりのような立派な子ぱかりを生んでくれてありがとう、と。そう思うと、わが子のそれぞれの出生ドラマが瞼に大きく浮かび上がってくるのである。
きょう2月22日は、猫の日。ニャンニャンの日だ。毎日新聞夕刊によれば、埼玉県行田市の「前玉神社」は、毎月22日前後に猫のスタンプが付いた特別な御朱印をもらえる神社として猫好きの人たちの人気スポットになっている。神社には4匹のかわいい猫がいて参拝客らに愛嬌を振りまいているという。なんとも微笑ましい限りである。
あぁ、それなのに、だ。わが家の愛猫シロちゃん(舞につけてもらった「白」の俳号を持つ世界でただ一匹の俳句猫。本名はオーロラレインボー)は、きょうも1日留守番。オトンの私があちこち行かなければならないところがあったためだが、それでもシロちゃん。いつものように私の帰宅を待っていてくれたのである。シロよ! シロ、シロっ。ありがとう。
「あたしは、どんなに寂しくっても。オトンとオニイを守ります」。
いつもけなげなシロちゃん
きょうの夕刊ニュースは、ほかに【狛江強盗殺人 実行役ら逮捕 2容疑者 他2人も逮捕へ】【和歌山でもパンダ旅立つ 3頭、中国へ】(22日付毎日)【一発勝負自分信じて 愛知・公立高入試】【12年思い続け NZ地震追悼式】(22日付中日)など。相変わらず、この世はニュースのなかで生きているような、そんな気がする。
(2月21日)
火曜日。きょうのニュースは、何といっても20日のバイデン米大統領によるウクライナの首都キーウ(キエフ)への予告なしの電撃訪問だといえよう。毎日新聞の21日付夕刊は、この訪問を【異例 鉄路9時間半 米大統領キーウ訪問 秘密保持、徹底】とスリリングに報じている。バイデンさんも、よほどの覚悟でもってキーウを訪問。ゼレンスキー大統領との会談に臨んだに違いない。
そして、もうひとつ。都民に、いやニッポンじゅうのパンダファンから親しまれ続けてきた上野動物園(東京都台東区)のジャイアントパンダ、すなわちシャンシャン(雌、5歳)が中国に返還されたということだろう。
シャンシャン中国へ出発、を報じた中日新聞夕刊
また、ロシア軍がウクライナに侵攻を開始してから今月24日で丸1年となるのを前にウクライナを訪れたバイデン米大統領はゼレンスキー大統領と会談。その後の共同記者会見で米国がウクライナに対する「揺るぎなき支援」を続けると約束し、同時に米欧諸国の結束を強調。5億㌦(約670億円)の追加軍事支援を伝えたという(ホワイトハウスの発表から)。
パンダのシャンシャンの方も21日朝、トラックで上野動物園を出発。成田からチャーター機で中国に向かい、同夜午後6時半ごろには四川省の成都双流国際空港に到着。ここからは鉄路で中国ジャイアントパンダ保護研究センターの雅安碧峰峡基地に運ばれ検疫を受けたうえ、最終的な滞在先が決まるという。
愛読している本日付の中日新聞朝刊によれば、名古屋にミニシアター文化を根付かせた名古屋・名駅の映画館シネマスコーレの木全純治支配人(74)が20日付で支配人職を退いた。19日開かれた劇場40周年の記念イベントで明らかに。後任は副支配人の坪井篤史さん(44)が務める。木全さんは劇場代表に。そして何と言っても、きょうの思いがけない大ニュースはあの岐阜在住の文学仲間、ホワイト好子さん(元「長良文学」同人。岐阜女流文学賞受賞者)から真心のこもったお花が届いたことか。私はシロと一緒に、さっそく亡きたつ江(伊神舞子)の遺影の前に飾り、心からの感謝をしたのである。ありがとう。ありがとう。好子さん。ホワイトさん。
ホワイトさんから届いたお花はさっそく2階遺影の前に供えられた(左手前)
(2月20日)
月曜日。朝から初春の日差しがまぶしく、心地よい。
とはいえ、わが家の前の路上は、このところ新しいガス管への埋め替えで車の通行もままならない。朝。テレビのローカルニュースで稲沢のはだか祭りについて放送していたが、その起源は767年にまで遡り、元はと言えば当時流行った疫病退散のため、儺負い人を生け捕りにして神様に人身御供として捧げるのが狙いだった点を強調していた。儺負い人の生け捕りは、織田信長が禁止令を出し中止になったが、この話はしっかり調べ上げ歴史小説として書き上げたら、随分迫力のあるものになるに違いない。
時間があれば、一度徹底的に調べあげて物語にしたら面白い気がする。はだか祭りそのものについては以前、私の著作「一宮銀ながし」の<由佳奴>のなかでかなり詳しく触れてはある。だが、しかしだ。そもそもの起源については触れてはいなかった。
【狭き門くぐり抜けた先に 江南・北野天神社】とは、本日付中日新聞朝刊の写真付き1面見出しである。本文には「受験シーズンがヤマ場を迎え、学問の神様として知られる菅原道真を祭った愛知県江南市の北野天神社で、受験生らがユニークな参拝方法で合格を祈願している」とあった。
デ。そのユニークな参拝方法とは、だ。境内の奥に高さ50㌢、幅40㌢のちいさな鳥居があり、受験の狭き門と見立てた受験生らが「合格」のご利益にあやかろうと志望校を書いた絵馬を手に、この鳥居をくぐりぬけるーというわけ。
ほかには、【トルコ捜索ほぼ終了 大地震2週間 長引く避難つのる疲労 テントから仮設住宅「待ち遠しい」】【「徴用工問題 政治的判断を」日韓外相会談で韓国側】【発射ICBMは「火星15」 北朝鮮発表 談話で米をけん制】【日米共同訓練 爆撃機加わる 即応態勢アピール】の各見出しが気になるところだ。
午前中、スマホからピコピコの音。開いてみると、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など数々の作品で知られる漫画家松本零士(まつもと・れいじ)さん=本名は晟(あきら)。福岡県出身=が今月13日午前11時に急性心不全で東京都内の病院で亡くなったという。85歳だった。偉大な人物が、またしても一人、この世を旅立っていった。
夜のNHKクローズアップ現代【侵攻から1年 ウクライナ記者の闘い】。家庭を持ちながらも戦争報道に果敢に挑む記者たちの苦悩の表情が見事にとらえられていた。この24日でロシアのウクライナ侵攻が1年になるのに併せ、クローズアップ現代の担当女性キャスターがウクライナのキーウなど戦乱の街に飛び込んでの生々しい現地報告で、中身の濃い内容となっていたのが印象的である。
(2月19日)
雨水(うすい)。雪が雨にかわり、暖かい地方では<春一番>がふき、鶯が鳴き始めるころだという。
日曜日。きょうは、朝のうち小雨が降る日となった。
きのうの北朝鮮による長距離弾道ミサイルの発射、けさの朝刊は【北朝鮮ICBM級発射 北海道西200㌔EEZ内落下か】(19日付中日)の見出しで報じていた。それによると、「日本の防衛省は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)級で、北海道渡島大橋の西方約200㌔の排他的経済水域(EEZ)の内側に落下したとの推定を発表。防衛省の分析では、最高高度約5700㌔で、約900㌔を66分間で飛行した。高角度で発射して飛距離を抑える<ロフテッド軌道>とみられる。-という。
新聞と言えば、だ。本日付の中日新聞5面の社説【帝国の解体は止まらず 週のはじめに考える】と【<ニュースを問う> 「特攻」のメカニズム 大平原の逃避劇❸ 「ソ連が連行?」募る不信】がなかなか読ませた。
優れた現代詩集に贈られる第28回「中原中也賞」の選考会が18日、山口市で開かれ、青柳菜摘さん(32)=東京都=の詩集「そだつのをやめる」に決まった。「言葉の表現に苦戦してきた。うれしくて、たくさんの汗をかいている」とは、青柳さん。
午後。NHK総合で東海3県向けに流された「穂高連峰・ジャンヌダルム~日本一険しい縦走路に挑む~」を見て、私自身がヒヨッコの山記者だったころを思い出し、少し感動した。というのも、私はかつて新聞社の記者として松本支局が駆け出しで、よく飛び歩いた上高地をはじめとした穂高連峰の山々の映像が画面に出てきたからである。日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師ウォルター・ウェストンさんのレリーフ(胸像)も久しぶりに目にすることが出来、とても懐かしく思った。
駆け出しも駆け出し。記者として歩き始めたばかり、張り切って蝶が岳への登山を試み頂上には立ったものの、まさにその直後帰る途中に手にしたトランシーバーで読売新聞の取材ヘリが槍ヶ岳に衝突し、墜落したことを松本支局から知らされ、夏の山道を息せき切って涸沢小屋まで走ったことや、毎年夏山シーズンが始まるとはウエストン祭の写真を撮ったり、極寒の真冬を2週間ほど北ア・木村小屋に滞在、当時の週刊誌に【上高地・木村小屋に遭難待ちする新聞記者たち】と大きく書かれるなどいろんなことが走馬灯のように頭を駆け巡ったのである。滞在期間が終わるとホッとして、ピッケルを手に履きなれないアイゼンで他社の記者たちと西穂高岳独標まで登った日の思い出は、今も忘れられない。後年、岐阜にいたころだったか。夏休みを利用し、まだ小学低学年だった長男と妻(舞)を伴い、上高地から明神を経て涸沢まで行った日のことも懐かしい思い出である。
穂高連峰ジャンヌダルム頂上と柱状節理(NHKから)
夜。NHKスペシャル【混迷の世紀・国連ルポ 安保理の舞台裏に密着 対ロシア包囲網で何が 武器なき闘いの行方は】を見て、あれやこれやと考えさせられた。
(2月18日)
本日付の中日夕刊に【日本の医療チーム野営病院 トルコ・シリア 死者4万5000人超】【「中に息子が…」 悲しみの対面】の見出し。胸がしめつけられる。
防衛省が18日夜、北朝鮮からICBM(大陸間弾道ミサイル)1発が発射され、午後6時27分ごろ、北海道渡島大島の西方約200㌔の日本のEEZ(排他的経済水域内)の日本海に落下したとみられる、と発表。浜田防衛大臣は午後8時ごろ、防衛省で記者会見。「飛しょう軌道に基づいて計算すると弾頭の重量次第では1万4000㌔を超える射程となり、その場合、アメリカ全土が射程に含まれる」とも。物騒極まる飛翔体である。
南米最大を誇るブラジル・リオデジャネイロのリオのカーニバルが17日、開幕。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が宣言されてから初の通常開催で、昨年は中止されていたブロッコと呼ばれる一般参加者の街頭パレードも復活したという。リオのカーニバルは出来れば、この目で見なければ-と私は思っている。出来れば、現地の人たちと共にサンバでも踊ってきたい。
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【マスク外す? 一人一人考えた 愛知の私立高卒業式 「顔見えるのうれしい」「慣れていなくて怖い」】。
中日新聞の18日付朝刊によれば、卒業シーズンを迎え、愛知県内の私立高校では17日、マスク着用を生徒の判断に任せる形で卒業式を開催。卒業生の大半が外さずに晴れ舞台に臨んだという。豊田市の杜若高校の場合。卒業生241人のうちマスクを外したのは2割ほど。保護者や教職員はマスクを着用。答辞を読んだ小木曽葵さん(18)はマスクを着けて式に臨み、登壇する際に外した。マスクを外す生徒が少なかったことに「顔を見られることに慣れていなくて、マスクを外すのは怖いのでは」と共感。一方で、「マスクを外した子の顔が見えるのはすごくうれしかった。当たり前の生活ってこれなんだと感じた」と笑顔を見せた。――などと報道している。
教育といえば、18日付中日新聞夕刊には【広島市教委「実相迫りにくい」 はだしのゲン 平和教材外れる】の見出しも。市教委がプログラム内容を検討する中で「漫画の場面だけでは被爆の実相に迫りにくい」と判断し、家族を失った被爆者の体験と継承の内容に2023年度から変更するというが、それで良いのかと言いたい。いや、訴えたい。市教委では「学習では継承と発信を大事にしており、より良い教材にするために改訂した。子どもからはだしのゲンを遠ざけるつもりは全くない」と説明したとあるが、だったら<はだしのゲン>は永遠に残しておくべきではないのか。再考をのぞみたい。
(2月17日)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、17日、鹿児島県の種子島宇宙センターで地球観測衛星「だいち3号」を載せた新型主力機H3ロケット初号機の発射を試みたが飛び立てなかった。政府関係者は1号機について「1、2週間後に再度打ち上げる方向で調整している」とし、JAXA広報担当者は「発射する前に中止した可能性もあり、失敗かどうかは判断できない」としている。
トルコ、シリアの大震災は17日現在、実に4万3000人以上に及ぶ大変な被害となっている。トルコのアナトリア通信によれば、16日夜から17日未明にかけ、南部カフラマンシュ県で女性、南部ハタイ県で少年がそれぞれガレキの中から救出されたと報じた。女性は6日の大地震発生から約258時間後、少年は約260時間後の救出だという。捜索活動は徐々に縮小しているが、地元トルコのメディアは【奇跡】が続いていると話している。本日付の中日新聞も【260時間ぶり少年救出 トルコ大地震 捜索縮小の中「奇跡」】が起きた、と報道している。
2023年2月16日
私はきょうも雲ひとつない真っ青な空に向かって恥ずかしげもなく、呼びかける。
「たつ江、たつ江。舞よ、マイ。げんきでいるか。元気でいろよ」と。ハンドルを手にした車内カセットからは、あの舟木一夫さんの<高校三年生>に<学園広場><仲間たち>が聴こえてくる。助手席のおまえが、かつて志摩半島で<ある愛の詩>や<ゴッドファーザー>と一緒にいつも聴いた青春歌謡、学園ソングである。
正直言って、いまはおまえがいないから何も面白くない。【なあ~に】【うん。いいよ】【だってえ】。いつだって甘えたように答えるのが口癖だった、お・ま・え。月日は天も地上も。海も川も、山も流れていく。でも、正体があろうがなかろうが、だ。互いにいつまでも、どこまでも歩いていこう、幸せに生きていこう。元気に。前に向かって、だ。おまえが居なくなって1年と4カ月が過ぎ去った。
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乗鞍岳山麓から流れ出て「日本の滝百選」に選ばれている高さ64㍍の【平湯大滝をライトアップする「結氷まつり」】が15日夜、岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷平湯で開幕。25日まで(毎日午後7時~9時)。新聞報道によれば、青や緑色の照明で氷の滝を浮かび上がらせている、という。
【第2子以降10万円支給 岐阜県が祝い金 所得制限設けず】【子ども予算GDP比4% 首相明言「倍増」追加10兆円 子どもを守る 財源や実施時期焦点】とは、中日新聞の本日付の見出しだ。なかでも岐阜県が2023年度から第二子以降の出生児に10万円の祝い金、進学・就職する中学3年生には3万円の準備金を全員に現金支給する。県独自の財源で所得制限を設けずに実施する、とのニュースが光る。
わが家の周辺、いや目の前の道路では、このところ連日、ガス菅や下水菅を掘り返しての工事続きで、その騒音の大きさにチョット滅入っている。それよりも、なによりもシロちゃんが大型工事車両に引かれたら大変なので、「白い猫を見かけたら、くれぐれも気をつけてほしい」とけさは作業員の方々に直接、お願いしたが、シロちゃん自身も十分に気をつけてよね。
きょうの今現在のビッグニュースは、スマホをいじくっていて「柳ケ瀬ブルース」で知られる美川憲一さんの歌に【泣かんとこ】があることを知ったことか。泣かんとこの表題は、確か私が1989年1月に能登印刷から出版した著書【泣かんとこ 風記者ごん!】が最初のはずである。
(2月15日)
舞の遺稿集が掲載された北陸中日新聞を仏前に供え「よかったね」とお祈りをした
きょうは、おかあさん、すなわち伊神たつ江(伊神舞子)の月命日である。私は朝、昨日、能登七尾の笹谷販売店からわが家に届いた北陸中日新聞を仏前に供え、おまえが愛してやまなかったシロちゃんと一緒に手を合わせた。「たつ江。舞よ。マイ。お空に広がるそちらの国で元気でやっているか。おいしいもの、食べていますか。みなさんによくしてもらっているか」と声をかけ、シロとともに仏前で手を合わせた。「おかあさんは、本当に心のやさしい人だったね」とシロを振り返ると、彼女も「ニャア~ン」と声をあげ、応じてくれた。もしかしたら、今の舞の魂は、シロちゃんのからだの中に乗り移っているかもしれない。だから。きょうのシロちゃん、一歩たりとも外に出ようとはしないのだ。
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トヨタ自動車名誉会長で元経団連会長だった豊田章一郎さんが14日午後4時48分、心不全のため亡くなった。97歳だった。中日新聞の評伝【逆境を克服 不動の人(取締役、前編集局長・鈴木孝昌)】がわかりやすくて、とてもよかったので、ここに記録としても残しておこう。
ほかには先に徳山ダム(岐阜県揖斐川町)の水を揖斐川から木曽川に流す木曽川水系連絡導水路事業について木曽川導水路の容認表明をした名古屋の河村たかし市長が市役所で報道陣の取材に対して「水の一滴も入らないダムに市民の税金や水道料金を払い続けるよりも、用途を工夫して市民のために生かすことが市長の仕事だと思っている」と述べたことか。大きな前進である。さらに、このところ米国東海岸南部沖で米軍が中国の偵察気球を撃墜、残骸の回収と分析の事態にまでに発展している米中間での気球飛行問題など世界の難題は次から次に、と起き、今や身動きすら出来ない状態だといえよう。
(2月14日)
けさの新聞見出しにもあるとおり、このところの大きなニュースといえば【トルコ・シリア死者3・6万人 地震1週間被災者に募る不満 今世紀6番目】(14日付、毎日朝刊)【安倍氏銃撃捜査終結 山上被告、5容疑で追送検 奈良県警】(14日付、中日朝刊)、そして【原発60年超 多数決で決定 規制委 石渡委員反対のまま】の3件か。中でもマグニチュード7・8のトルコ・シリア巨大地震は、今世紀6番目の大きさ、とのこと。毎日新聞の本日付け朝刊記事によれば、以下のとおりである。
――21世紀の自然災害で死者・行方不明者が多かったのはスマトラ沖大地震22万6000人以上(2004年)▽ハイチ地震22万2600人(10年)-など。トルコ・シリア地震は6番目に多い。現地視察した国連人道問題調整事務所のグリフィス所長は11日、英メディアに対し、多くの人がまだがれきの下に取り残されていて、犠牲者(発言時は約2万8000人)が倍増するのは確実だと話した。
それと。きょう嬉しかったのは、かつて地球一周の船旅で一緒だったピースボートの船友からメールで届いた北海道の札幌雪祭りと流氷の「今」の写真である。なかでも北の海を漂流する流氷の原風景には独特の余韻というか。哀歌、いや哀愁のようなものが感じられ、感動したのである。
船友から送られてきた3枚の写真
きょうは、ほかにエデンの東(この名前は私がかつて取材で米国西海岸を訪れた際に自らの目で見た〝エデンの東〟に夕陽が落ちるさまがとてもよく似ていたので、私とたつ江で勝手にこう名付けて呼んできた経緯がある)の土地管理をしてくださっている江南園芸さんへ。正月早々に若くして亡くなられたご子息さんのお悔やみのためだが、悲しみをこらえながらも前向きに生きておられる大脇一弘社長のお姿には、感動さえ覚えた。元気でいつまでもいてくださいね。大脇さん。
そして。きょうの夕刊(14日付中日)から拾った話題は、だ。【つめたそうにおよいでる】の見出しか。記事には『愛知県岩倉市の五条川で14日、手染めしたこいのぼりののりを落とす「のんぼり洗い」があり、黒や青、赤など色鮮やかなこいのぼりが川面に並んだ』とあった。
それと。中日新聞の朝刊1面トップの【導水路 名古屋市容認へ 撤退から14年 方針転換 飲用、治水で新用途】も気になる話題であった。
そういえば、きょうはバレンタインデーであった。そしてバレンタインデーといえば、かつて能登七尾にいたころ、この日がくると決まって私にあててチョコレートとともにポストに入れてあった簡単な手紙とカセットテープが思い出される。テープは岡村孝子さんの【夢をあきらめないで】で、当時私が好んで聴いていた曲で今から思うと〝犯人〟は、亡き妻たつ江、すなわち伊神舞子だったような気がしてならない(でも、字体が少し違う気がした)。この話は日本ペンクラブ電子文藝館の伊神権太「てまり」を検索されたら出てくるので、読んで頂けたら嬉しく思う。あのころバレンタインデーになると決まって私がほしがっていたものをポストに投げ入れてくれていた名もなき女性。犯人は未だ不明のままである。分かってはいない。だが、しかしだ。もしかしたら、舞だったのかもしれない。手紙の字体は彼女のそれとは違うものだったが、舞の死後、私にはそのように思えて仕方ないのである。
(2月13日)
朝、午前10時ごろに確定申告のために雨の中、江南市民会館に出向く。既に大勢の人がおり、案の定、市の担当職員に「午後1時15分に出直してください」と言われ、いったんUターン。このパターンはたつ江(伊神舞子)が、この世に生きていたころから同じで、毎年変わりそうにない。ただ彼女が健在だったころは、医療費など必要書類は全て用意してくれたので、とても助かった。それだけに、昨年、ことしと準備するのに、かなり手間取り、わが妻たつ江の存在感の大きさにあらためて感謝しているのである(今ごろになって感謝していても、どうにもなるものでもないが)。
というわけで、きょうは江南市のHome&nicoホール(前市民会館)に二度、足を運んだ。
(2月12日)
日曜日。ロシアのウクライナ侵攻だけに留まらず、世界ではあちらでもこちらでも悲劇の連鎖が続いている。なんということだ。【犠牲2万5000人「東日本」超え トルコ大地震】【101時間ぶり 8歳女児救出】【連なる墓標 嘆きの遺族 トルコ大地震 東北各地、募金で「恩返し」】(12日付中日朝刊)といった具合である。
夜。ネットを開くと、トルコ南部を震源とするトルコ・シリアで起きた地震の死者が2万9000人を超えたという。またほかの報道によれば被災地では一部で治安が悪化、救助活動の妨げにもなっている。このためトルコ治安当局は11日、略奪や強盗、詐欺などの容疑で98人を逮捕。中には住民同士の衝突も発生、ドイツやオーストリアの救助隊は治安の悪化を理由に一時、救助作業を中断する事態まで起きているという。自然の猛威が人間社会を容赦なく破壊していく。これではニンゲンたちの心までが壊れていっても決して不思議でない。
話は変わる。政府が今月10日に「新型コロナウイルス対策のマスク着用は、3月13日から屋内外を問わず原則個人の判断に委ねる」との指針を示し、社会への波紋が広がっている。12日付の中日新聞は、さっそく【マスク外したいけど 気になる人の目/感染心配 「個人の判断」街の声は】【「将来への影響注視必要 識者が指摘】【その笑顔忘れないよ マスクなし 石川で卒業式】と各界の反応と現状を追っている。
(2月11日)
建国記念の日。
何と言っても【原発運転60年超閣議決定 次世代型建て替えも明記】(11日付中日朝刊見出し)の記事が気になる。本文は『政府は10日、次世代型原発への建て替えや、運転期間六十年超への延長を盛り込んだ脱炭素化に向けた基本方針を閣議決定した。再生可能エネルギーに加え、原発の「最大限活用」も明記。東京電力福島第一原発事故後、原発の依存度低減を掲げてきたが、ウクライナ危機によるエネルギー資源の調達環境の悪化などを背景にエネルギー政策を大きく転換する。/脱炭素への新法「GX(グリーントランスフォーメーション)推進法案」も同日、今通常国会に提出した。新たに発行する国債「GX経済移行債」で二十兆円を調達し、脱炭素の民間投資支援に充てる……』といった内容だったが、せめて「国は、こんごいっさいの原発事故は起こさない」くらいの決意表明の文言を入れてしかるべきではないのか。脱炭素化もむろん大切だが、ひとたび原発事故が起きたらどうなるか、を今一度真剣に考えるべきではないのか。
4月8日に任期満了となる日銀の黒田東彦総裁(78)の後任に元日銀審議委員で経済学者植田和男氏(71)が起用されるという。岸田文雄首相が意向を固めたとマスコミ各社が発表。経済学者出身の総裁は戦後初めてだそうだ。島津メディカルシステムズ(大阪市)が熊本県内の医療機関に納入したエックス線装置を巡り、故障を偽装して部品を有償で交換していた問題で島津製作所は10日、弁護士らによる外部調査委員会の報告書を公表。2019年までの11年間に熊本、宮崎、鹿児島、長崎4県の41医療機関で計43件の不正やその可能性があると認定。営業所長ら7人を嫌疑濃厚とし、動機として不合理で厳しい業績目標達成が求められていたことを挙げたという。
将棋の藤井聡太王将(20)に羽生善治九段(52)が挑む第七十二期王将戦七番勝負第四局が9、10日に東京都立川市で指され、獲得タイトル通算百期を目指す羽生九段が勝ち、シリーズ成績を二勝二敗のタイに戻した。1969年の映画「明日に向って撃て!」の挿入歌「雨にぬれても」を作曲、アカデミー賞を受賞した米国の作曲家バート・バカラックさんが8日、ロサンゼルスの自宅で老衰のため死去。94歳だった。
先に出版された【伊神舞子俳句短歌遺稿集 泣かんとこ】(人間社)のことが北陸中日新聞の本日付能登版に【妻生きた証し 本紙元七尾支局長・伊神さん 句など収め「泣かんとこ」 生前に出版を約束】の見出しと写真入りで掲載され、しみじみありがたいことだーと感謝。能登七尾の前販売店主笹谷憲彦さんの奥さん(芳枝さま)からは「新聞を図書館にお持ちしました」のメールまでさっそく入り、私は仏を前に「ありがたいことだよね。感謝しなければ。みなさんのおかげだぞ」と手を合わせ語り掛けた。♪能登はやさしや土までも……とよく言われるが、能登にはこうしたやさしさがある。そんな気がするのである。
能登版に掲載された伊神舞子俳句短歌遺稿集の記事
(2月10日)
けさは小雨が降っており、かなり寒い。お天気次第とは。そのとおりだな、と思う。
警視庁生活環境課がベラルーシの病院での臓器移植を無許可であっせんしたとして、NPO法人「難病患者支援の会」(東京・目黒区)理事長の菊池仁達容疑者(62)を逮捕。法人としての同支援の会を書類送検。ちなみに、この記事に関する本日付の見出しは【臓器無許可あっせん疑い NPO理事逮捕 海外移殖巡り初 相場の倍 3300万円要求か】【「営利ではなく支援」昨年9月本紙に】【渡航移植「支援の会」頼み 無許可あっせん 医学界は問題視】(中日)というものだった。
ほかには新型コロナウイルスの「五類」移行に伴うマスク着用の在り方について新たな政府指針案がわかった、というニュースが気になる。それによれば、全員の着席が可能な新幹線や高速バスでは外すことを容認する一方、通勤ラッシュ時など混雑した電車やバスに乗車する時などは着用を推奨。また、学校教育活動では着用を求めず、卒業式に関しても教育的意義を考慮し、児童生徒らはマスクを着用せずに出席することを基本とする、としている。
(2月9日)
よい天気である。シロは何か自分なりに考えがあるようで午前10時11分、外出。お空のおかあさんに何か報告でもあるような。そんな気がしないでもない。シロよ、シロシロ くれぐれも気を付けてね。行ってらっしゃい-と送り出す(正午過ぎには、帰宅)。
トルコ南部を震源とする大地震は。ロイター通信など各報道機関によれば、その後、死者は1万5000人超に及んでいるという。シリア北西部の反体制派地域ジンデリスでは崩れたがれきの下から生まれたばかりの赤ちゃんが救出されたという。トルコ、シリアとも一瞬のうちに、大切な家族を失った人々は今、どんな気持ちでいるのだろう。
私はかつて取材でトルコを3週間ほど訪れ、イスタンブールやアンカラなど各地を訪れたことがある。あの時はトルコが生んだノーベル文学賞作家、オルハン・パムク氏の「雪」を完読、あれこれと考えさせられた国だったが教会の美しさが印象的だった。早く平静になることを望む。
警視庁は9日、広域強盗事件で〝ルフィ〟などと名乗って犯行を指示したと見られる男4人のうち先に逮捕済みである今村磨人(38)藤田聖也(38)両容疑者に続き、この日フィリピンから強制送還された渡辺優樹(38)小島智信(45)=いずれも住所不定、職業不詳=両容疑者を逮捕。一連の事件のうち東京都狛江市の強盗殺人事件で男らが重要参考人としても浮上しているため、関与の裏付け捜査も進めることにしているという。
「ふぐの日」の9日、三重外湾漁協は志摩市の安乗漁協に水揚げされた特産とらふぐ〝あのりふぐ〟を伊勢神宮に奉納。今春実施される小中高校などの卒業式について文部科学省はマスクを外しての実施を決め、週内にも全国の教育委員会などに通知するという。新型コロナウイルスの「五類」移行に伴うマスクの着用ルール緩和前でも卒業式はマスクなしを容認するという。
東京地検特捜部が東京五輪・パラリンピックの事業を巡る談合事件で大会組織委員会の大会運営局元次長森泰夫容疑者(55)ら4人を逮捕。容疑にはテスト大会の計画立案業務の入札に加え、その後の本大会運営など計約400億円の随意契約分も含まれ、特捜部では広告大手電通を中心に巨額の利益を分け合ったと見て、引き続き捜査を続けることにしている。
(2月8日)
針供養。水曜日である。
8日付の中日スポーツ1面の報道によれば、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表「侍ジャパン」にドラゴンズではただひとり、選出されている中日・高橋宏斗投手(20)が7日、沖縄のアグレスタジアム北谷で行われたシート打撃に登板。WBC公式球で打者12人に対して被安打1、2四球、3奪三振、直球の最速は152㌔だったという。がんばれ! 高橋。
トルコの大地震に、三菱重工業が国産初のジェット旅客機事業からの撤退を発表、前代未聞とされる広域強盗では窃盗容疑で逮捕した2人の日本人を比(フィリピン)から日本に送還。残る容疑者2人も9日未明には日本に送還されるなど、このところは何かと暗い話ばかりである。
というわけで、本日付新聞の見出しは【がれきの街雪に凍え トルコ地震死者5100人超に 家失い連絡取れず「絶望的」】【どうか無事でいて トルコ地震 愛知から母国へ祈り】【国産ジェット撤退発表 三菱重社長「経験、知見が不足」】【ニセ電話巡る窃盗疑い 広域強盗2人送還、逮捕 残る2人あす未明にも】(いずれも中日新聞)……といった具合である。悪い話ばかりだ。
このほか、愛知県愛西市では7日未明に植手純子さん(83)宅から出火。木造2階建て住宅2棟を全焼、焼け跡から2人の遺体が見つかり、同居していた植手さんの娘の内縁の夫で無職、小塚勝也容疑者(64)が逮捕されるなど暗いニュースが目立っている。調べに対して小塚容疑者は「俺がやった。妻を殺して燃やした」などと話しているという。何があったのかは知らないが、なんだか心が破れてしまった。そんな気がしないでもない。新聞の見出しも【「妻殺した」焼け跡に2遺体 愛西2棟全焼 放火疑い、男逮捕 真っ青な表情「俺がやった」】(8日付朝刊中日)と過激にならざるをえない。
夜。NHKEテレの【ハートネットTV 終末期の生を考える①息子みとる緩和ケア医】は、いろんなことを考えさせられた。悲しくはあるが、よい番組であった。
(2月7日)
囲碁の中学生棋士、仲邑菫(なかむらすみれ)三段が6日、東京都内で打たれた第二十六期女流棋聖戦三番勝負の第三局で上野愛咲美(うえのあさみ)女流棋聖(21)に勝ち、対戦成績2勝1敗で女流棋聖を奪取、13歳11か月の史上最年少で初タイトルを獲得(タイトルの移動は7日付)。米音楽界最高の栄誉、第65回グラミー賞の発表・授賞式が5日(日本時間6日)、ロサンゼルスで開かれ、作編曲家宅見将典さん(44)=大阪市出身=のアルバム「SAKURA」が最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を受賞した。宅見さんは授賞式の壇上で「言葉にならない」とスピーチ。「こんな名誉な賞をもらえるとは思っていなかった」と喜びを語ったという。
ロイター通信などによると、トルコ南部で6日午前4時17分(日本時間同10時17分)ごろ、マグニチュード(M)7・8の地震が発生、トルコや隣国シリア北西部で計4300人以上が死亡(日本時間7日正午現在)。けが人は数千人に上り、犠牲者はさらに増え続ける可能性があるという。
三菱重工が国産初の民間ジェット旅客機「スペースジェット(SJ、旧MRJ)」の開発を中止する方針を固めた。衆院議長や北海道知事を務めた元衆院議員、横道孝弘(よこみ・たかひろ)さんが2日、肝内胆管癌のため東京都内の病院で死去。82歳だった。
東京高裁は1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた一家4人強盗殺人事件で死刑が確定、裁判のやり直し(再審)を求めている袴田厳さん(86)の第二次再審請求の差し戻し審で6日、再審可否の判断を3月13日出すことを決め、弁護団に通知。
ほかにも、【回転ずし迷惑動画 炎上非難は巡る 学校に中傷電話/擁護投稿にも批判】【カメラで監視、アクリル板設置も 信頼裏切られ苦渋策】【比、4人一斉送還断念 広域強盗 裁判所 2人結論出ず】【高校生、登校中刺される 川崎 顔見知り16歳容疑者逮捕】(7日付、中日新聞から)などいろいろある。
やはり。もはや、人間たちの心が壊れてきている。心の崩壊現象が起きている。そんな気がしてならない。
(2月6日)
午後7時前。故山本源一氏の夫人順子さまから思いがけず、電話が入る。
「主人が生前、みなさまに本当にお世話になりありがとうございました。ひと口、お礼を言いたくて」という丁重なもので、私は何と答えたらよいものか。戸惑いながらも「ご主人、〝源さん〟にはこちらこそお世話になりどおしでした。【脱原発社会をめざす文学者の会】がここまで辿り着いた、いや、大きく育ってきたのも加賀乙彦さん(故人)とご主人によるところが大きいです。そればかりか、尾張名古屋のここ江南市で中村敦夫さんの独り芝居【線量計が鳴る】が実現したのも、〝源さん〟のパワーとおかげがあればこそ、です。何よりも深く感謝しています」と答えた。
受話器越しに聴こえてくる順子夫人の悲しさを押し殺しての丁寧で落ち着いた声を耳に、私は「源さん、しあわせだったよな。あんなにもステキな奥さんと一緒だったのだから」とつい思い、私は私でわが妻・舞のことまで思い出し、涙がしたたり落ちたのである。奥さん! わざわざありがとう。奥さんも、夫の源さんは居なくなってしまいましたが、幸せになってくださいね。もう東京の<ちんとんしゃん>で共に杯を重ねることは出来なくなってしまったか。ああ~
愛知県知事選が5日、投開票され、現職の大村秀章氏(62)=立憲民主、公明、国民民主推薦=が新人5人を退け、4選を決めた。大村氏は支援者を前に「日本一元気な愛知をつくる」と強調、これまで推進してきたスタートアップ(新興企業)支援拠点の整備などの産業振興策を継続する、と約束。小牧市長選も同日投開票され、現職の山下史守朗氏(47)が4選を果たした。安城市長選もこの日投開票され、無所属新人で元副市長三星元人氏(62)=自民、公明推薦=が、3回目の挑戦となった元市議永田敦史氏(52)を破り、初当選した。
トルコ南部ガジアンテブ県付近で6日午前4時17分(日本時間同10時17分)ごろ、マグニチュード(M)7・8の地震が発生。
(2月5日)
日曜日。昨夜はあれやこれやと何かと執筆に追われ、寝たのは本日の午前2時過ぎに。シロは私のからだを心配してか。私が床に入るまで起きて待っていてくれた。生前の舞そのもので、ちょっと悪いような、ありがたく思ったのである。
そんなわけで、けさ起きるのはいつもに比べだいぶ遅くなり、NHKラジオの音楽の泉が終わるころ、9時になってしまった(シロも同じ)。やはり、夜が遅いと朝はなかなか早く起きることが出来ない。
というわけで、朝刊をざ~あっ、と読み終えたのは正午間近。デ、その朝刊だが。1面は【荒井秘書官を更迭 同性婚差別発言 首相「言語道断】(毎日)【荒井首相秘書官更迭 性的少数者 差別発言で
「隣に住んでいたら嫌 見るのも嫌」】(中日)というものだった。
2023年2月4日
立春の今日あれをしてこれをして 宇多喜代子
=2月4日付毎日新聞朝刊【季語刻々坪内稔典 今昔】から
土曜日。立春。アッという間だ。それと。きょうは立春にふさわしい、おまえそのものだと言ってもよい春の陽光、暖かな日差しが、この地上に降り注いだ。好天である。いまでは舞の化身、いや生まれ変わりと言ってもいい俳句猫(俳号は「白」)シロちゃん、すなわちオーロラレインボーも先ほど午前10時50分過ぎに、お外に。私はいつものように「交通事故に遭わないように。気をつけて。おかあさんにくれぐれもよろしくね」と言って送り出した(その後、彼女は、わが家の規則どおり、正午過ぎにはきちんと帰宅した)。
シロは、かつておかあさんにつけてもらった青いハート入り首輪をした全身まっ白の超美人、真っ赤な虞美人草(ひなげし)のような、そんな天女猫でもある。それだけに、とても心配だ。かといって、心身の美容と句作を兼ねた健康づくり、お空で待っているおかあさんに会うためにも天気の良い日は1日に1度は、たとえわずかな時間でも-とお外に出してやることにしているのである。
青い首輪をして悲しみをこらえ、きょうも元気に家族を守って生きるシロちゃん。「忘れない。オカンのことは。天国のおかあさん、幸せでいてね」
「シロちゃん。みんな元気でいますか。私は毎日、お母さんたちと元気で楽しく、わいわいとやっています。だから心配しないでね」。シロの大好きな今は亡きおかあさん
わが家と先代猫ちゃんたちの猫塚は、息子の心づくしもあって美しい花々で囲まれている
※ ※
☆ ☆
わが家の愛猫では、かつて〝てまり〟が交通事故で正体不明の車にはねられ、死亡した苦い経験がある。それだけに、出かける時にはくどいほど「車に注意するように」としっかり言い聞かせての外出なのである(わが家の愛猫てまりの物語は、日本ペンクラブの電子文藝館・伊神権太「てまり」として所蔵されているので、ここを読んで頂けたら嬉しい)。
それはそうと、けさの新聞は、何と言っても神男に触れようと激しくもみあう裸男たちの写真入り国府宮のはだか祭【3年ぶり 熱い渦】(中日新聞見出し)だった。かつて私が新聞社の一宮主管支局長当時に国府宮神社の境内一角にテントを張った取材基地を設け、支局員が総出で取材キャップであるデスクの指示と手配のもと、それぞれの分担を決め皆一体となって取材に打ち込んだものだが、今となっては、あの日々が懐かしく思い出される。
そして。約1300年の歴史を刻んだ、この国府宮の天下の奇祭、はだか祭りの模様はその後、私の著作「一宮銀ながし」(風濤社)の中の<由佳奴>でも当時のはだか祭りについてリアルに触れているので読んで頂けたら、と思う。あのころは、支局近くの居酒屋「つわの」さんを大役を果たした神男たちがよく訪れ、そのつど「ガミちゃん。支局長。大役を終えたみなさんが今、うちの店に来ておいでなの。だから来てよ」とよく女将からお誘いがあり、そのつどのこのこと出かけて行ったものだ。懐かしく楽しかった日々でもあり、忘れられない。
新聞に報じられた3年ぶりの国府宮はだか祭
札幌市制100周年記念第73回札幌雪まつりがきょうから大通公園で開幕。2月11日までで【間近に雪像やっぱりいいね 3年ぶり「さっぽろ雪まつり」開幕】とは、4日付の中日夕刊の見出しだ。ほかに、朝刊の方は【海女文化残せるか 鳥羽・志摩に514人 半世紀で8分の1 5年ぶり人数調査 「磯焼けで海の幸がとれない」】【「4人送還 来週までに」広域強盗 比法相、裁判前倒し要請】【「真面目」「給料前借りも」 豊山の容疑者知人ら戸惑い】の見出し(いずれも中日)。
なかでも海女文化の記事は、私自身、かつて新聞社の志摩通信部兼伊勢支局記者のころに情熱を込めて<海女 その世界>という企画記事を連載して書き続けたことがあるだけに、懐かしく感じられた。和具や波切、安乗など海女さんたちの休憩所である〝火場〟を何度も訪れ、取材したことはたびたびだった。休みの日など時には舞も一緒に訪れ、海女さんから手こね寿司のつくり方まで教えて頂くなど、あのころは本当に良き日々だった。というわけで、海女さんを主人公にした大河小説を書くのもひとつの手ではあるナ、と、ふと思った次第だ。
ほかに夕刊は【荒井首相秘書官更迭へ 性的少数者 差別発言】【偵察気球「主権侵害」 米長官非難 訪中は撤去条件】【牛は家族 負けられない 福島・大熊町 殺処分拒む農家】【立春香るロウバイ】(いずれも中日見出し)といったところか。
(2月3日)
きょうは節分。愛知県稲沢市の尾張大国霊神社(国府宮)では数千人の裸男が神社境内で3年ぶりにもみあう「国府宮はだかまつり」が午後開かれ、午前は厄よけの願いを込めた儺追笹(なおいざさ)が奉納された。
この日わが家の日めくりには、こうあった。
【大安日にて何事にもよし。涙は悲しみのもの言わぬことばである(ボルテール 1694~1778 フランスの文学者 思想家)】
わが家の日めくり
この日は名古屋市中区の大須観音で豆まきがあり、本堂前に設置された高さ約3㍍の桟敷から老若男女が「福は内」のかけ声とともに豆をまいた。大須観音の場合、伊勢神宮から授けられた鬼面が寺宝のため「鬼は外」は禁句とされているという。
※ ※
☆ ☆
この世の中、毎日毎日、あちらでもこちらでも。いろんなことが起きる。この地上に生きる、すべての人にとって一瞬一瞬が奇跡とも言える出会いの連続である。このところは、そうしたなかでの大事件発生の連続だ。きょうは久しぶりに中日新聞七尾支局の堀下奈美さんと電話で話しをし、懐かしく思った。亡き舞の俳句短歌遺稿集の件でだったが、昔とまったく変わらない堂々とした感じのあの〝奈美ちゃん〟であった。室木支局長とも話しをしたが、こちらは好青年がそのまま年齢を重ねたような、とても感じのよい支局長であった。
けさの朝刊。【児童手当 所得制限撤廃へ 政府調整「18歳まで」段階的に】【戸籍の読み仮名必須に キラキラホーム一定ルール 24年度施行へ 全国民が届け出必要】【熊本以外も不正可能性 島津子会社 医療装置の故障偽装】(いずれも3日付中日1面見出し)といった具合である。
(2月2日)
苦しいとき、辛い時にも脱原発社会実現への願いを込め、共に歩んできた源さん。「脱原発社会をめざす文学者の会」のリーダー的存在で初代事務局長でもあった、あの〝源さん〟、すなわち山本源一さん(日本ペンクラブ元環境委員長。元集英社)が1月29日に食道がんで亡くなった。何ということだ。もはや、ことばもない。
〝源さん〟とは、先月の1月23、24日に以下のようなメールを交わしたばかりだった。のに、である。
ここに私と〝源さん〟の最後のメールのやり取りを記録として残しておく。
【山本さま ご存知でしょうが、きょうの中日(東京)夕刊本紙に川村湊さんの追悼記事「加賀乙彦さんを悼む」が掲載されていましたので参考までに添付してお送りします。】
【伊神さま ありがとうございます。川村さん読みました、川村さんらしいいい原稿でした。川村さんしか書けないすてきな(弔意の籠った)原稿でした。実は報告があります、(中略) 私は、癌だったのです。半年少し前に癌が見つかり、食道癌それも、ステージ4。症状はかなり進んで、半年経ってはしっかりとおちたいたものになっとようです、残された治療はもはや放射線しかなく、それには耐える 耐える能力はなく、、、背骨、腰、そして脊椎、三方の痛みにたえて、妻の手を借りて暮らしています。まだ、しばならくはほかの人には連絡しないでくださいな。よろしく。(原文どおり。少し読みづらいカ所あり)2023年1月23日(月)21:50】
【源さん。わかりました。口は回復されるまでチャックします。誰にも言いません。でも、死なないで生きていてください。源さんのことは大好きです。奥さまに甘えてください。源さんは不滅だから。希望の扉はきっと開く。そんな気がいたします。うちの家内(舞)の場合、放射線治療のあとの抗がん剤投与の治療を全て拒否、私は彼女の自由にさせましたが、今になって深く反省しています。一生の不覚でした。俺はなぜ、強引にあのあとの抗がん剤治療をさせなかったのか。回復したかもしれないのに、と。反省なきよう。それでは。またー 2023年1月24日0:38】
このやり取りが最後になってしまったのである。
それにしても悲しい。源さん死去の報は同じ文学者の会の会員である野武由佳璃さんからラインで知らせがあり、私はその字面に全身の力が抜け落ちていく、脱力感のようなものを感じたのである。なんということだ。
午後、気を取り直し私は源さんのお通夜が行れる三鷹市牟礼1―16-9の三鷹市寿量会館に妻で喪主の順子さまあてに線香とお花つきの弔電を送らせて頂いたのである。弔電の内容は、以下のとおりである。
【かなしい知らせに涙が止まりません。源さん。あなたは何事にも全力投球の人でした。心からご冥福をお祈りいたします。おやすらかに】
午後、ポストに書簡が。広島市在住の脱原発社会をめざす文学者の会会員でもある天瀬裕康さんからで中を開くと、表紙に【被爆作家が描き続ける 林京子の反核社会 詩による評伝 天瀬裕康】とあり、帯には「幼少期を上海で過ごし長崎で被爆した核文学作家 ノーベル文学賞の価値ありとされた林京子の これは自由詩による略評伝」とあった。いつも思うが、天瀬さんの反核姿勢はすさまじいものがある。じっくりと読ませて頂こう。加賀乙彦さん、山本源一さん亡きあとも、天瀬さんら仲間たちと核のない世界平和実現のためにも、ついていかなければ、と思っている。
(2月1日)
1カ月が過ぎた。朝は不燃ごみのゴミ出しにひとりで指定の場所へ。
プロ野球は本日、2月1日に沖縄、宮崎両県で中日ドラゴンズなど11球団がキャンプイン。6日から始動する。西武を除いた各チームとも先月31日までにキャンプ地入り。必勝祈願などを行ったという。このうちドラゴンズは31日、沖縄県北谷町の宿舎に選手やコーチ陣を集めて全体ミーティングを開催。立浪監督は終了後に「昨年は悔しい思いをしたが、この1カ月がことしを占う意味でも重要となる」とキャンプの重要性を説いたという。
デ、きょうの本紙スポーツ面の見出しは、面担(スポーツ面を担当する)の整理記者が本紙夕刊小説【生殖記】にくどいほど、よく出てくる表現をヒントに得たのか。【競争、成長、感謝を 立浪竜逆襲へ強調 きょうキャンプイン】といったものだったが、この見出し表現は、なぜかピタリと決まっていたといえよう。
競争・成長・感謝 ピタリとあった立浪ドラゴンズキャンプインの中日新聞本紙の1日付見出し
※ ※
☆ ☆
全国各地で相次いでいる広域強盗事件。けさの朝刊は、相変わらず【俺は絶対捕まらない 広域強盗 移送「1週間かかる」警視庁、捜査員を比派遣へ 今村容疑者知人に豪語 逃亡には賄賂 強盗で稼ぐ 「週内2人送還したい」比法相 日本大使館と協議へ】(1日付、中日朝刊)【五輪組織委元次長に顧問料 テスト大会 落札企業から】【「台湾侵攻 軍事・経済両面で抑止を」 駐日米大使中国けん制】【「ルフィ」移送 捜査員派遣へ 警視庁4人の氏名発表 渡辺容疑者トップか】【国内にも「ルフィ」いる? 岩国の事件被告が指示受け 同時送還応じたい 比法相】(1日付、毎日朝刊)というものだった。
そして。これとは別に、1日付の毎日新聞朝刊に【第77回毎日映画コンクール】の結果が、見開き特集<見せた新たな世界>で紹介されていた。男優主演賞沢田研二「土を喰らう十二カ月」 女優主演賞岸井ゆきの「ケイコ 目を澄ませて」の紹介記事には思わず、嬉しくなった。
なかでも沢田研二については、死と向き合いながら、自然の恵みをありがたくいただいて、日々生きていく男を演じている。四季を織り込んでつづられる日常の中に、自然と共生する主人公のたたずまいが見事に溶け込んでいた。そこには演技を超えた実在感があった。精進料理を、ひとつひとつ素材を丁寧に処理しながら作っていく様にも、演じた人物の生き方が宿っている。かつて役で死に続けたジュリーが、沢田研二として見せた、食べて今を生きていくことの実感。それは現在の彼にしか出せない境地である。(金澤誠)とあった。
われらのジュリーは、またひとつ大きく成長したのである。私は思わず嬉しくなり、知る人ぞ知る新聞界(中日・東京新聞)のジュリーKさんに「おめでとう」とお祝いのメールを打ったのである。
ミャンマー国軍が国家顧問兼外相だった民主派指導者アウンサンスーチーさんを拘束し、政権を転覆させたクーデターからきょう(1日)で2年。1日付の中日新聞夕刊によれば、スーチーさんが解放される見込みはなく、民主派は軍政に抗議するために外出を控え、経済活動を止める【沈黙のスト】を呼びかけたという。