「過ごす」は生きる。たからもの。 伊神権太
わが愛する妻、たつ江(俳人で歌人、詩人でもあった伊神舞子)を二年前の十月十五日に亡くし、三回忌を無事終えた。生前の彼女とは、いつも一緒にNHKラジオから聴こえてくる土曜日の<山カフェ>をはじめ、日曜朝の<音楽の泉>、そしてNHKテレビの土曜日の<ブラタモリ>、CBCテレビの木曜日の俳句番組<プレバト>などを一緒に聴いて過ごし、アハハ、ウフフ、「ほんとかしら」などと思うところを互いに指摘、話し合いながら、仲良く心の平安を保ち、共に過ごしたものである。今から思えば、どの瞬間も夢のなかのひととき、私たちにとって、たからものであった。
だが、その愛しく、かわいかった妻も今は、もうこの世にはいない。そんな折も折、「次回のテーマエッセイのテーマは【過ごす】です」との連絡が本紙(ウエブ文学同人誌「熱砂」)の黒宮涼編集委員から告げられ、私の胸をキュンと緊張感のようなものが走り、全身がハタ、とした気持ちにとらわれたのである。なぜか。それは、すなわち「過ごす」とは。誰にとっても生きていくうえで大変、大切なことだからだ。当然ながら、日々を過ごすことがなければ、生きてはいけない。喜びも悲しみもない。
実際、彼女がこの世から消えて以降、私は【過ごす】ということに、これまでとは比べものにならないほどの大きな意味を感じ、同時にエネルギーを費やすようになった。だから。<音楽の泉>を聴くにせよ、<ブラタモリ>や<プレバト>を見聞きするにせよ、私はいつだって隣には彼女が座っている、と。そう信じてラジオやテレビを聞たり見たりして生きている。いや、どんな時も、見えないが生き続ける彼女の存在を胸に、毎日を大切に過ごしていくのである。
そして。いつも自らに言い聞かせていることがある。それは、私は彼女がこの世から消えてしまったことで落胆してはいけない。彼女、伊神舞子はいつだって、いや永遠に、この星空のもとで生き続けている。このことを忘れては、いけない。そうだ。童謡の「うたを わすれたかなりや」のカナリヤになってしまってはいけない。絶えず、そう自身に言い聞かせて生きてゆかねばならない。
と同時に、共に49年の歳月を過ごした妻、伊神舞子との生前の約束でもあった「これまで以上の私ならでは、の、それも人々に勇気と希望、感動を与える作品世界の創造」、そして彼女に「あなたの健康維持のためよ」と言われた社交ダンスのレッスン続行だけは、これからも守らなければ、と。そのように自らに日々、思い聞かせているのである。
ということは、伊神舞子の分まで歌うカナリアにならなければ、と何度も何度も自身にいいきかせる私がそこには居るのである。そのためにも、毎日をしっかり過ごさなければ、と。そうしみじみと思う昨今である。
最後に【過ごす】だが。私は「過ごす」こと、すなわち、生きていく。楽しく共に手を携え合って前に向かって歩いて行くことだと思う。テーマエッセイのテーマを【過ごす】にします、との連絡を黒宮涼編集委員から受けた時、正直言って私の胸は動機でハタキュンと波打った。妻の死後というもの、まだ、ろくすっぽ満足な日常生活も出来ず、過ごすことの苦渋を日々味わっているというのに、だ。そんなテーマに立ち向かい、書くことが出来るだろうか、と。それでも、なんとか、こうして一日一日を生きている自分自身を振り返るとき、なんだか、このところは奇跡の連続が続いているような、そんな気がしないでもない。幸い今はこどもたち家族の愛に助けられ、楽しく過ごしている。
私はうしろの山に捨てられないよう、これからも一匹文士として世のため人のため、そして自分自身と家族、舞がこよなく愛してきた愛猫シロちゃん(オーロラレインボー)のためにもペンを手に生き抜いていこうーと。そう誓っている。
♪歌を忘れた カナリヤは
うしろの山に すてましょか
いえいえそれはなりませぬ
♪歌を忘れた カナリヤは
ぞうげの船に 銀のかい
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す
(西条八十作詞 成田為三作曲。2、3番のぞく)
(了)