「消えたICレコーダー」  伊神権太

 忘れもの。わ…・す…・れ…・も…・の…、と声を出してみる。次回のテーマエッセイは【忘れもの】に、と同人の一人から提案された際、「それはいい。〝忘れもの〟は誰にだってあるのだから。何と言っても書きやすい」と即決した日が忘れられない。豈図らんや。いざ、こうしてデスクに向かうと、自分にとっては、人生の同伴者だとも言っていい、その〈忘れもの〉が、言葉も含めてなかなか出てこない。さて、どうしようか。これは一つひとつ、わが人生で発生した事件を検証していくほかあるまい。
 最近では、大切な帽子を旅先の宿に残したまま帰宅したり、携帯をバス車内に忘れたり。傘を地下鉄車内に置いたまま降りてしまった、など。結構、多い。デ、記憶に残る忘れものエレジーを順番に洗い出していくことにした。まず少年時代にまで溯ってみよう。……

 と、〈テーマエッセイ〉を、ここまで書いて出かけたその日の夜、私の身に大変な災難が降りかかった。憎むべき事件が起きたのだ。とはいっても、切った張ったの血生臭いものではなく、これまで宝同然にしてきた私のICレコーダーがある日突然、目の前から姿を消したのである。失くしたのは昔の同僚と一献交わすため名古屋市内に出掛けた今月十四日夜遅くから翌日未明にかけて、である。
 私にとって、もはや遺失物となってしまったが、オッチョコチョイの私のこと、忌まわしい事件が発生してだいぶ過ぎたいまだに「遺失物」というよりは、どこかに忘れた「忘れもの」の感覚が一向に抜けない。それとも、拾い主がシンデレラボーイの如く奇跡的に目の前に現れ出るかも。いや、この先きっと名乗りがあって見つかるはずだ、と信じてやまないのも所詮、能天気な私ならでは、か。
 〈忘れもの〉が、きっと出てくると確信する最大の理由は、その夜訪れた、中国料理店店内で私は確かにICレコーダーを手に飲み友だちに収録済みの音楽を聴いてもらい、その瞬間までは目の前に存在したからである。そして。その夜は珍しくかなり酔っており終電間近になりタクシーで名古屋駅へ。ここで名鉄犬山線の最終列車・新鵜沼行き急行に乗ったまではよかったのだが。車内で熟睡、江南駅で降りるところを乗り過ごしてしまい、新鵜沼駅で乗務員に「お客さま」と肩をたたかれて下車。新鵜沼のタクシー乗り場から大枚のお金をはたいて自宅まで帰った。だから、帰りの道のどこかで牙をむいていた見えないワナに落ちた。すなわち、どこかに置き忘れたに違いないと確信しているからだ。

 あれから十日がたった。というわけで、〈忘れもの〉をテーマとしたエッセイの締め切りも近付いてきたため私は泣く泣く、わが身に起きた、この悲しい物語を、こうして書いているのである。実際、あのICレコーダーには特別の思い入れがあった。私は二年前の五月八日から八月十七日まで第76回ピースボートによる102日間地球一周船旅でオーシャンドリーム号に乗船したが、出航に先だちそれまで使ったこともなかったビデオカメラと一緒に購入したのが、このICレコーダーだった。
 乗船中は当然ながら船内での各種イベントや発表会など、記憶しておいた方がいいと思ったつど音声を収録。なかでも最後の港となったメキシコ・エンセナーダを出発する劇的場面で録音した出航曲〈フリーダム〉は私にとっては、永遠の宝ものとなり下船してからも事あるごとに聞き、人生の励みとしてきた。
 あぁ~それなのに。私の胸は今、私の分身がどこか闇の世界に葬り去られたような、そんな絶望感に打ちひしがれている。それでも、いつの日か。あの〈フリーダム〉の入ったICレコーダーがきっと手元に戻ってくる。帰ってくる、と。そう信じたい。  (完)