「夢の形」 黒宮涼

 私が小説を書き始めたきっかけは、なんだったのだろうと思い返していた。
 小学生のころ。仲の良い友達が、ノートに小説を書いていた。小説といっても、罫線の入った横書きのノートに縦線を引いて、脚本のように役名と台詞だけを分けて書いたものだった。私は友達の真似をしてその脚本もどきの小説を書くようになった。
 内容は、前世である約束をした男女が現世で再会する話だったと思う。
 当時の私は少女漫画が大好きで、よく絵の練習をしていたのだが、その時から文章と絵の両方でかきたいものを表現するようになったことを覚えている。
 友達同士で創作したものを読み合って、面白いと少しだけクラスで評判になった。数人のクラスメイトの間で回し読みなどもされたことがある。そのノートは自分の手元に戻ってきているはずなのだが、何年かして部屋の中を探してみたがまったく見つからなかった。できれば読み返したかった。
 何冊にも渡ってひたすら頭の中で浮かぶ物語を絵や文章で書き続けていた。それは中学に上がり不登校になってからも続けていた。辛い日々を支えてくれたのが、創作だったのだ。母親にそれを見せて褒めてもらえたことがものすごく嬉しくて、だからこそ飽き性の私がその後も創作を続けていくことができたのだと思っている。
 高校を受験する時、「絵を描くことが好きなら」という先生からアドバイスを頂いてデザインの専門学校の高等課程を受けて入学した。その時はまだ小説家よりも、漫画家になりたいと思っていた。その後人間関係が原因で再び不登校になったが、施設に入ってからも創作意欲は消えることがなかったので、スケッチブックに落書きをしていたことを覚えている。
 施設を卒業してすぐの事だったと思う。小学校時代の友人と電話で話す機会があった。その子とは色々あったので気まずかったが、勇気を出して電話に出た。彼女は、また私の小説を読みたいと言ってくれた。その子は、最初にノートに小説を書いていた友人だった。しかし私は彼女に対し「もう書かないよ」と言った。その時はまだ漫画家になりたいと思っていたからだ。
 しかし復学してから、私は周りのクラスメイト達の絵の上手さに衝撃を受けた。それだけ努力してきたのだろうなと思った。私も絵の練習や勉強はしていたが、追いつけるところにいない、自分には難しいと感じてしまった。そして私は漫画家を諦めることにした。小説というものを本格的に学びだしたのは、その後だ。私はストーリーを創ることが好きだったので、自分の表現したいことを形にできる最良の方法が、小説だという結論に至った。
 私はその翌年、初めての長編小説を書き上げた。
 漫画家を諦めたことに対する後悔はない。私は自分にできることを精一杯やっていこうと決めたのだ。私の書いた物語で誰かの心が動かせたらとも思うが、そんな大層なことができなくても書いたことで誰かが楽しんでくれることが一番嬉しい。それが私が小説を書き続けている理由だ。
 
「小説はもう書かないの?」
 あのとき友人に電話できかれた質問が、私の心に残っている。
 今もう一度その質問をされたら、私は笑ってこう返すつもりだ。
「書いているよ」 (完)