「内緒の幸せ」 真伏善人

 僕がギターを抱えるようになったのは、随分昔のことだ。名古屋に就職して三、四年たった頃であろう。寮生活では一部屋で数人が寝起きを共にしていた。ある日のこと、窓を開けていたので夏のかかりの頃か。ギターの音色が流れてくるではないか。部屋の先輩の行動は早かった。部屋を出ると、あっという間にそのギターを持って来た。たどたどしく弾いていた先輩は、お前もやってみろよと差し出してきた。断る理由はなく、同じように抱えて親指で弾き下ろした。この時の事は忘れもしない。

 その後どうしても自分のギターが欲しくなり、どの程度のものなら買えるのかを品定めに通う。ずいぶん日にちが経ったころ、ついに気に入ったギターを買ってしまった。先輩にしつこく値段を聞かれたが、これはもう内緒だった。当時で五万五千円。ろくに弾けもしないのに高価そうなものを手に入れてと、周りの冷めた視線。しかしそんなことは気にもしなかった。とにかくギターで気に入った曲を思うように弾きたかった。教則本を見ながら少しづつ覚えていくのが楽しかった。次第に映画音楽などを弾きたくなり、レコードを買い、好みの曲を聞き覚え、楽譜を探した。なんとか曲を弾けるようになるには、相当の時間がかかったが、自己満足は大きかった。
 誰がどこで聞いていたのか、夕涼み会でギターを弾いてくれないかとの言葉。いきなりのことで断るも、おだてられて夕暮れの会場で弾くことになってしまう。何をどう弾いたのかは覚えていない。そんな寮生活も終え、家庭を持つことになる。住んだ所は会社に近い長屋で、狭い二間に台所。大家さんの敷地内でギターなどは近所迷惑と思い、もう誰かに譲ろうとしたが踏み切れない。ケースに収めて箪笥の上で眠ることになる。数年後、空きができたから社宅に移らないかとの情報がくる。願ったりで即、応じる。三つの部屋に風呂、キッチン。これは何とかやれるかもと、口には出さず、勇んで引っ越す。
 しかし、すでに一歳の子供を授かっていたので、家庭内では原則アウト。年月が経ち子供が学校へ通うようになると、忘れかけていた埃だらけのギターケースを降ろしてみる。長い空白を取り戻すのは容易でなかった。年齢も相当に取り、それでも練習を重ねていくうちに、ふと思いが弾んだ。自分のCDを作れないだろうか。上手い下手はどうしようもない。誰にも分からぬように録音を取ることから始める。これまた難しいことだった。まずはギターを抱えるのだが、素早くしないと間ができてしまい慌ててしまうと雑音が入る。外部の大声やクラクションは致命的であった。
 そんな環境で何か月かかっただろう。出来たCDを再生してみると、まあこんな程度だろうと納得するしかなかった。もちろん誰にも内緒で、一人達成感を味わっていた。何歳から老年なのかは知らないが、何を思ってしまったのか、新しいギターが欲しくなった。全く狂ったとしか言いようがない。へそくり、その他で貯めていた金があったからだろう。楽器店に足を運び品定めをする。目に留まったものを見つめていると店員が横に来ていた。
「これはお値打ちですよ。いちど弾いてみてください」と手に取り、差し出した。言われるがままに椅子に腰を下ろす。調弦を確認してそのまま曲をやってみると悪くはない。サウンドホールから覗いてラベルを確認するとR.Mとある。「今なら勉強させてもらいますよ」これが突き刺さってしまった。商品は間違いはなかろうと購入に傾く。駄目押しは「25万円を思い切って20万」。秘かに持ち帰り、さりげなく部屋の隅に置いておく。

 幸いなことに、家族はギターにまるで興味を示さない。聞いたこともない音楽などには背を向けているのだろう。これ幸いで、この内緒は無難な内緒なのであった。 (完)