「願いごと」 牧 すすむ

「どうもどうも、お久しぶりー」。ニコニコしながら親しげに声を掛けてくれた人。「あっ、どうも。ご無沙汰しています、お元気そうですね」と、満面の笑みで応える私。握手まで交わしながら。
 だが、その時の私の頭の中は“真っ白”。名前が分からないのだ。それどころか、何処で会った人なのかも思い出せない。確かに見覚えのある顔なのに──。相手の話に程よく調子を合わせながらも気持ちは焦る一方。記憶の回路はフル回転である。
「それじゃアまた」。「エエ、またお会いしましょう。お元気で」。何度も頭を下げ、後ろ姿を見送りながら、結局、最後まで思い出せないままに終わる。と、まぁこんなことは日常的に誰にでもある話なのだが、悲しいかな年齢と共にその頻度は増すばかりで、物忘れと相俟って、私を大いに悩ましている昨今なのである。
 半年ほど前のこと、久々に中学校の同窓会をやった。幹事を任されたのだが多忙な私のこと、一人では手が回りきらず、近くに住む同じクラスの女の子(その当時は〈笑〉)二人に手伝ってもらうことに──。
 彼女等の大きな協力のお陰で準備がはかどり、ほぼ予想通りの出席数で座が埋まった。その上、何人かの恩師も華を添えてくださり、幹事として心から感謝した次第である。
 ところで、年数の経った同窓会には次のような現象が付きもので笑える。つまり顔と名前が一致しないのだ。会場のあちこちで囁かれる小さな声。「オイ、あいつ誰だったかなア」。「顔は覚えてるんだが、名前がどうも…」。「ホラ、あそこにいるのはひょっとして○○じゃないか?」。「そうか、やっぱりー、そういえば面影あるワ…」。こんな調子で始まる宴会の舞台(?)も酒が進むにつれ、どんどん声が大きくなり、“○○君”、“○○ちゃん”と昔聞き慣れた名前が乱れ飛ぶ。
 同窓会というのは本当に不思議なもので、どんなに長い年月の隔たりがあっても顔を見合わせたとたん、誰もが瞬時にその時代に戻れてしまう。昔話に花が咲き、瞳は少年少女の頃の輝きを取り戻し、会場はいつの間にか校舎の一部と化してしまうのである。
“あぁ、同窓会とは何と素晴らしいものなんだ!”。感激しつつ、ここで幕が下りれば良いのだが、目の前に展開する大きな現実。男は大方オツムの方が淋しくなっており、中には見事なまでの禿げっぷりで、失礼にも恩師より勝った風貌を呈している奴も──。また、女性陣はといえば“落ち着きの年代”、すっかり貫禄が身に付いて(身に付いたのは他にもありそうだが〈笑〉)、豪快な飲みっぷりと立ち居振る舞いには男性陣も“タジタジ”である。
 しかも、そんな彼女が昔、密かに胸をときめかせた相手だったりしたら、時の移ろいの非情さを嘆く他はない。もちろん、この話に関してはお互い様ということになるのだろうけれど。
 すっかり醒めた恋心をこれまた燗の冷めた酒で洗い流し、お開きは型どおりの“バンザイ三唱”。口直しにと二次会ついでに立ち寄った喫茶店のコーヒーの味も、さぞ心に苦く沁みたことだろうと余計な詮索までしてしまう。
 ただ、ほんの一握りではあるけれど、いかにも若々しく年をとるのを忘れているかのような連中もいる。昔のままの顔をして、まさに青春真っ只中の様子は実に羨ましい限り。彼等の上には、人の何倍もゆったりした時間が流れているのではないかとさえ思えてならないのだ。
 振り返り、果たして自分はどうなのだろう。最近特に白さが目立ち始めた髪を掻き上げながら、トイレの鏡に映る自分に問いかけてみる。そしてもし、出来ることならば“神様”、私の上にも思いっきりゆっくりとした時間を流してくださいと、心からそう願った同窓会の一日である。