「翳り」 山の杜伊吹

 いつがその時だったのか、どうにも分からない。
 十代の頃、二十代の頃か、今がその時だという人もいるだろう。気が付けは人生の折り返し地点を過ぎ、季節に例えれば秋か冬に身を置いているのだが、過去を振り返ってみてもそれはいつ頃と、はっきり言えない。確かなのは、今ではないということだ。
 ついこの前、仕事で出会った人が姓名判断できるというので、話のタネにみてもらったら「最悪。よくこんな名前をつけたな」と言われた。驚いたりショックを受けたりすることもない。いつもの事でもう慣れたし、むしろ大いに納得するのである。
 人生山あり谷ありでなく谷、谷、谷の人もおり、だからこそ絵を描いたり、曲を作ったり、私のように文を書いたりするようになってしまうわけだ。
 改名したところで今さらの感。運の悪さを嘆いてみたところで何も変わらないし、とうの昔に諦めたから、こうして明るく生きていける。ただ、仕事を頑張っても頑張っても余計悪くなると聞くと、さすがに気になるし、自身の最悪な宿命が、子どもにまで連鎖し影響していると聞くと、やはりいたたまれなくなる。
 しかし「この人、顔は笑っているけど、中身はズタボロだよ」と言われると、分かってもらえた! と、うれしくも思う。
 若き頃を回想してみても、よくある青春のイメージとはほど遠く、このようなネガティヴ感情がほとばしるばかりである。しかしそれでも青春について書けと無情なテーマが与えられるのであれば、あえてしぼり出そうか。それは、中学3年生の頃だったかも知れない。
 親と丸2年ケンカをして、やっと分厚いレンズの眼鏡から解放されコンタクトレンズを買ってもらえた。この出来事は大きな喜びであった。
 親友のTちゃんはかわい子ちゃんで、一緒に歩いていると男子が寄ってきた。受験勉強のために図書館に通い、お腹が空いたら、今は無きユニーの2階にあったスガキヤでラーメンを食べて、それがものすごくおいしかったこと。青春だ。
 クラス全員一致団結して、合唱で校長先生を泣かせたこと。受験生であり、大人と子どもの境界を彷徨うその横顔には翳りがあったはずだが、温かい先生とクラスメートが辛いことも乗り越えさせてくれた。あの情熱、若さ、楽しい思い出は、青春の一ぺージと言えるだろう。ホンの一瞬、光があたっている瞬間の輝きの儚さ、心の翳りに気付く頃。
 同じように遊んでいたTちゃんは志望校に合格し、私は落ちた。
 コンタクトは後から分かったことだがサイズが合っておらず、ズレたり、白眼に吸い付いたりして、痛くてたまらなかったけど、3年くらい我慢して使い続けた。絶対に行きたくなかった高校に、親に文句を言われながら我慢して通った。今でいうブラック校則バリバリだった。落ち葉の舞い散る停車場の吹き溜まりのような場所だった。落ち葉たちは、少しの風で、いろんな場所に簡単に散っていった。先生たちは誰も止めず、行方を追う友もいなかった。

 思い出したくない高校のことを思い出してしまった。タイムマシンを2017年12月に戻そう。もうすぐクリスマスがやってくる。余談であるが、Tちゃんは社長と結婚して、今や海外旅行に行く身分である。
 私といえば、税金の支払いに頭を悩ませ、サンタさんのプレゼント2人分、ケーキは買えるか、ナヌ、ボーナスなしだと、ケンカ勃発、そんな切羽詰まった時に、突然テレビが真っ暗になった。説明書を見て、自力で直そうと試みる。メーカーに電話をかけてみる。修理が決定する。新しいテレビを買うか、それとも直すか、紀子さまのお育ちになったテレビなしの家庭を見習うか、決断を迫られる。
 修理完了のサインをする。本名を書いてと言われる。「字画が悪いから当て字にしているんです」と言うと、修理の人が「自分も最悪なんですよ」という。
「いや、私の方が悪いと思いますよ」「僕の方が悪いはずです」「この間も、何をやってもやればやるほど悪くなると言われたばかりです」「男の4画はどうにもならんですよ」そこに思わぬ連帯感が生まれた。
 「最悪と言われても、それで生きていくしかないですからね」「私も諦めました」「社長とか野球選手で成功している人も名前の良くない人っていますしね」「そういう人は先祖が偉大らしいですよ」
 頑張って生きてくれ、と願いながら、工具のいっぱい詰まったバンを見送った。(完)