「母と僕のさくら」  真伏善人

 さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か~ 
 僕が少年期を過ごした田舎には、大きな川の土堤にそれは見事なさくら並木があった。
 十歳くらいの頃だろうか、母と兄妹三人だけで花見に出かけ、筵を敷いてささやかな弁当を開き、のんびり一日を過ごしていた。母は時折、箸を休めてはさくらの花を見上げ、小首を右に左に傾け、ひとり満足そうに微笑んでいた。
 そんな仕草を目にするようになったのは、家業の合間に一畳ほどの地べたに土を盛って、どこぞから手に入れた苗を育て、綺麗に花を咲かせてからだと思う。無関心の父をしり目に、肩まで一緒に傾げているその姿の自然さは、僕の心にもすくなからず喜びを分け与えてくれた。
 考えてみると、花見は母にとって解放されたひと時の自由と空間であり、そこで優しく覆ってくれるさくらの心と、やりとりを楽しむためにあったように思える。
 僕は僕で箸を置くと、はや退屈になり川上に向かって歩き始める。これが行けども行けども、またその先をいくら遠目に見ても、かすんだうす桃色は、土堤上から消える兆しも気配もなかった。この並木はいったいどこまであるのだろうかと空恐ろしくなり、そこからふいっと踵を返してしまう。いったいこの果てもないさくら並木の始まりと終わりは、どこにあるのかと母に尋ねるでもなく、今度は川下に歩き始めてみる。上流へ向かった時の気負いはないものの、やはり際限なく続く並木にすごすごと引き返す。小さな冒険を知るわけもない母は、長い時間を行ったりきたりしている僕を見ても、なぜか穏やかなままだった。たぶん、桜の下で遊ばせてもらっている無邪気な息子を、ぼやっと見守る眼差しだったのだろう。
 全長が三里か四里もあるといわれた桜木は、今はもう台風や水害で弱った堤防を守るために伐採されてしまい、見ることは叶わない。
 あやふやな記憶をたどっているうちに、ふと何かがひらめいて押入れの上の小引き戸を開けた。もしやとアルバムと記してある重い段ボール箱を抱えおろし、同窓会の名簿などを取り出していると、A5サイズの封筒が出てきた。その中の白黒写真に混じって、絵葉書も数枚入っている。見れば修学旅行先と、まさにその堤桜の鮮やかな絵葉書だった。なぜこれがここにと、思うほどの覚えもないのにひらめいたのである。その絵葉書にはなんと、延堤六里桜樹八万余本とあった。
 花見に出かけていた場所はおよそ真ん中辺りである。歩くとすればどれほどの時間がかかるのか見当もつかず、もし歩けたとしても無事に帰ってはこられまい。されば自転車か。絵葉書を見る限り、人がすれ違えるほど凸凹道の幅はある。だが鉄橋があり、橋だっていくつか架かっているだろう。それでも大人用の自転車の三角フレームに片足を突っ込むという格好で行きついたとしても、最も恐い事が待ち受けているかもしれない。それは見知らぬ土地には見知らぬ人間がいるということである。疑心と好奇の目で見られ、一家の財産である自転車を奪われたらどうするのか。到底できる冒険ではなかったのだ。
 あれから都会へ出て半世紀を過ぎた今、さくらの季節になると河川敷公園へ、のほほんとでかける。花見客の喧騒だけは避けたい。グランドを隔てた高い堤防を上がる。かすみか雲かとはいかないが、さくらの辺りには、ぼんやりとした幸せが広がっている。そこで母が時折見せた小首を傾げる仕草を装うと、本当に笑みが湧いてくるのであるからー。
 ~匂いぞ出づる いざやいざや 見に行かん  (了)