「引き摺る」山の杜伊吹

 目を閉じると紅葉ではなく、落ち葉である。

 実は、高校の自慢話を聞くのが苦手だ。
 たまに、「自分は○○校でさ…」と、会話の中でさりげなく高校の名前を出す人がいる。卒業して何十年も経つが、今でも通用するブランドを保持し、良いイメージを持ってもらえる高校だから、その神通力を利用したいのだろう。
 いい歳になっても高校の話を持ち出したくなるくらい、さぞかし楽しい高校生活を送ったんだね、と羨む気持ちになる。あの頃が一番良かった、そんな意味が隠されていることもある。(じゃあ今は?)
 赤の他人に、聞かれてもいないのに、高校の名前を堂々と言える。幸せで立派なことだ。これは危険な行為でもある。人は差別をしながら生きる。○○校は、自分の出た高校より偏差値が高いか、低いかをみんな瞬時に判断する。自分より低いと、「バカだな」と蔑み、高いと劣等感を抱く。自分の出身校をさらけ出す、そのリスクを考えない人が多い。
 オープンにする人は高偏差値校か、そこそこ名前の通った名門校出身者と決まっている。
「あの人○○校だって」と、教えてくる人がいた。「三重県の高校のことよく知らないし私も自慢できるような高校出てないから」と返すと、「でも○○校だよ。どこにも行く所がない人が行くとんでもない高校なんですよ」と、驚きながらご親切にも教えてくれた。
 他県の高校事情など興味も関心もないけれど、確実に人を判断する材料にする人は存在するのだ。初対面で高校はどこ? と聞かれると不快である。なんで大学ではなく高校名を聞いてくるのか。それを聞いてどうするんだろう。聞いてくる人は恥ずかしくない高校なんでしょうが、こっちは人に言いたくない高校なんですよ。

 私が答えに窮するようになったのは、過去に3つの経験があったことによる。元々は、高校がなんなのさ、今が大切なのさ、バカ学校で悪かったね、いいのよ本当にバカなんだからと開き直って、△△高校ですと正直に答えていた。東京の大学では、高校の名前を聞いてくる者などいなかった。そんなことを聞いても地方のどんな高校なのか、誰もピンとくる者などいなかった。
 大学の夏休みを利用して帰省し、地元の百貨店のお中元コーナーでバイトをしていたら、当時可愛かった私は、あるお客のお嫁さん候補として挙がったのである。当事者ではなく、息子の嫁を探している母の目に留まったと、売り場の上司が言った。
 そこで勝手に私の身辺調査が始まった。例の高校はどこ? である。△△高校です、と答えた次の日、「お客さん、息子の嫁に私立の高校はちょっと…と断ってきたわ」「はあ?」別にこちらから頼んでいる話ではない。不快な気分だけが残った。その息子、今でも独身に決まってる。
 会社勤めの頃、名前の上に、△△高校の・・さん(私の名前)、と付けて呼ぶ人がいたこと。高校の名前を聞いた人が、困惑の表情を一瞬浮かべるのを見逃さなかった経験から、高校名を言わなくなった。

 落ち葉。枯れ果て、音もなく落ちて、カサカサと同じような者たちと隅の方に追いやられ、吹き溜まる。私にとって、過ごした高校3年間はまさにそうであった。諦められ諦めた者たち。クラスメートが一人、また一人といなくなる。退学を止めない諦めた先生たちのやる気のない授業。中学の問題をやり直さなければならない子もいたけれど、一流大学を目指す子もいた。でも確実に、15歳で挫折した者たちの集まりであった。ここに来たかった者など一人もいないと思われた。息子の受験で、滑り止めでもその高校は受けさせなかった。
 日本の高校受験は韓国だったら法律違反だそうだ。裕福な家は塾に入れ、そうでない家の子はとり残される状況を生む。日本では大体どのくらいの点数を取れていたか、入った高校で分かる。線引きはテストの点数であり、たとえ性格が悪くても点数が良ければいい。

 それを過去の自分に戻って教えてあげたい。死ぬことばかり考えて勉強をしなかった、中学生の私に。 (完)