「大宇宙の毛細血管」 山の杜伊吹

 若い頃は女優のようと言われていた母も、とうとう年金を貰う歳になった。 「あんたまだ白髪ないの。私なんて、30くらいからあったわよ」と聞かれるが、幸い頭髪の衰えだけは、まだなかった。  
 ところが先日、息子が「お母さん、白髪があるね」と言うのである。  
 まさか!!  嘘でしょう、いったいどこに? びっくり仰天して確認すると、前髪の分け目に、まぎれもなく白い髪が1本。いつの間に・・・。綿密に確認すると、2本あった。すべての頭髪が白髪になりそうな気がする程のショック。 自宅で白髪染めに悪戦苦闘していた母の姿が目に浮かぶ。見えない後ろの方が上手く染まらない。気がつくとすぐに根元が白くなってくる。美容院では、オシャレ染めではなくて、白髪染めで、とオーダーしなければならない屈辱。どうすればいいのか、この2本。切るのか、抜くのか、2本だけ染めるのか。これから坂道を転がり落ちるように、髪の毛がどんどん白髪になってしまうのか。やがて、アンダーヘアまでも白髪になるだろう。その序章に過ぎない。  
 原因を自分なりに分析する。1年前の引っ越しに伴う精神的肉体的ストレスは、半端なものではなかった。いや2年前の出産、以来休みなく続く育児か。最近仕事を辞めて、次の会社も退職して、いまの会社も辞めると言うオットの責任か。もちろん、自分も老いている・・・気分が落ち込んだ。  

 最近、中山道のとある宿場町に行った。  
 その日は大雪が降り、行くのをためらったが、出掛けた。古い建物を探訪していると、ボランティアガイドのおじさんが詳しく説明をしてくれる。どこかで見た事のある、鋭いまなざし。しかし誰だか思い出せない。 帰り際に思い切って名札を見て、あぁ山神先生だと思った。高校2年生の時の国語の教師である。あの頃は痩せていた先生も、全体的に少し貫禄がついている。  
 私は、毎日辞めたいと思いながら学校に通う、暗い顔をしていた生徒だった。つまらない授業、戦前のような校則。いまだったら、引きこもっていただろう。  
 小学生の頃から国語の成績だけは良かった。テスト勉強していかなくても、クラスで上位の点がとれた。だから、真面目に勉強しない。授業中、当てられた子に答えを教えてよく叱られたっけ。ある日、いつも勉強などしていかないのに、教科書を読んでからテストに臨んだ。100点であった。私が100点を取ったのは生涯でこの時だけだったと思う。その時の教師が山神先生で、いつも厳しい顔をしているのに、「俺のテストで100点をとったのは、お前が初めてだ」と褒めて、握手を求めてくれたのである。
 一瞬でこのようなことを思い出し、「私、教え子です」と声をかけた。そういえば何年か前に、なにかの文学賞を受賞して、地元の広報に載っていた。私の事は覚えがないと言うが、その話をすると、頭髪は白くなったけど当時のままの鋭い目光で「もう一度、勝負に出るつもりでいます」と力強く言った。

 隣の家のご主人は、毎日きっかり同じ時刻に家を出る。晴れの日は自転車で、雨の日や、雪の日はバイクに乗って。坂を下って行くその後ろ姿を見ていると、まるで、地球を流れる血液の一部のようだ。隣のご主人が出発しないと、地球も世界も動きを止めてしまうんじゃないだろうか。オットが仕事を辞めた時、我が家の血の巡りも止まってしまった。有給消化で毎日家にいるオット、朝起きない、どんどん元気がなくなっていく。詰まった血管を流さなくてはならないと思った。
 地球には自浄作用があり、異常気象は、汚れてしまった地球を自らが治しているという。近年、この星に住む人間が滞り、経済も、人も、固まってしまった。地球を動かす生命体として一人ひとりが動く、時には素直に流されることも大切かも知れない。私が高校時代引きこもっていたら、国語100点はなかった。大雪が降ったからと宿場町に出掛けるのをやめていたら、先生に会う事もなかった。  
 お昼寝をしている長女の寝顔を見ながら、以前から温めていた、資格を取ろうか、という思いが巡る。彼女は薄目を開けたまま、唇はチュッチュッチュッと音を出している。もうじき3歳になろうというのに、赤ちゃんの頃のおっぱいを吸っていた感覚がまだ残っているのだ。その寝顔は私にあまり似ていない気がする。とうに亡くなった、主人の母親似なのかも知れない。

 見た事のないお義母さん、あなたの血は、ここに脈々と流れています。