「一本の弦に寄せて」 牧すすむ

「先生、音が合わないので見て下さい」と声が掛かる。「はい、はい」と腰を上げ生徒の席へ向かう。これがいつもの大正琴教室の風景だ。チューニングをしてあげると〝凛〟とした音が室内に響き、嬉しそうな顔で再び譜面に向かう彼女の指は楽し気に弾んでいた。
「では始めますよ、用意はいいですか」という私の掛け声とともに演奏が始まる。何度も練習してきた曲なので感情も入り、心地良いリズムに乗ってメロディが美しく流れて行く。一緒に弾いている自分も思わず笑顔になる。大正琴の音色に魅せられた彼女達が繰り出すハーモニーは多くの人の心を癒すと共に、深い感動の世界へと誘ってくれる。音楽を愛し楽器を愛し、日々の練習を愛する彼女達だからこそ分かり合える一瞬とも言える。
 同時に私もこの道に携わった人生の幸せを思い、ピックを持つその手の先に熱い血の流れを感じるのである。大正琴が奏でる多くの曲はナツメロ等の演歌と思われているが案外とそうでもなく、「白鳥の湖」や「運命」、「エリーゼのために」等のクラシックを演奏したりもする。というのも元々大正琴は和楽器ではないからだ。
 構造はギターとピアノを合体させた西洋楽器で百年程前に名古屋出身の「森田吾郎」という人が考案、その後広く海外にも伝えられた。という訳で音色もギターやマンドリンに似ている。然も今では専用マイクも取り付けられエレキギターの様な演奏まで可能、愛好者の世代も幅広くなった。それ故ジャンルにも変化を求められ、若者の歌う曲やアニメの曲等も手掛ける様になって楽しさも増えた。大正琴に向かう時はそんな日本の文化の更なる発展を願いつつ、自分なりに微力を尽くしていきたいとそう思うのである。
 又、発表会となれば夢の舞台に胸をときめかせてその練習が続くけれど、時には逃げ出したくなるほどの重圧に駆られることもある。そんな時は楽譜に八つ当たりもするけれど、やっぱり音楽は捨てられない。昔から「練習は嘘をつかない」という諺がある。思い直して又弦を弾く。そんなことを重ね重ねて出来上がった時の喜びは何にも変え難いし、だからこそ私達は大正琴という楽器を心から愛し恋するのである。

  ところで目を他に移せば、今や世界中が新型コロナウイルスに侵され日々その恐怖におびえながら生活している。治療薬のメドも立たないまま毎日多くの人達が大切な命を亡くし、もがき苦しむのを誰が想像しただろうか。テレビをつけても新聞を見てもこのニュースで溢れ返り、思わず目を覆いたくなる。又それが原因で様々な醜い争いも起き、世界中の人達の心までが病んでしまったかの様だ。
 私もイギリスに嫁いだ娘がいる。二人の孫もー。アメリカやフランス、インド等と並べられる程イギリスも感染者が多い。昨年長い海外生活を終えロスアンゼルスから帰国して千葉県に住む次男家族のことも同様で、心配の種は尽きない。当然私が生業とする大正琴の教室もコロナ禍の波に飲まれ休みが続く毎日。更に追い打ちを掛ける様に全ての発表会や活動が中止となった。心が折れるとは正にこのことだと改めて知らされた思いがする。
 話を戻せば冒頭の楽器の不具合も広い意味での病かもー。単に調弦の不良であればその場で解消出来るけれど、他の原因も様々ある。長年使用したものは当然損傷が大きく直ちに入院治療(?)となる。どんな楽器も良い音色を求めるには定期的なメンテナンスが必要で有る事は言うまでもない。
 コロナの闇に包まれる中、生徒達の熱い思いに応えてユーチューブでの発表会を行っているが、やはり晴れの舞台で存分に演奏をさせてあげたいとの願いは強く、一日も早いコロナの収束を心から切に祈るばかりである。(完)